明
恵
に
お
け
る
修
学
と
華
厳
教
学
柴
崎
照
和
一 高 山 寺 蔵 ﹃ 華 厳 血 脈 ﹄ を め ぐ っ て 明 恵 の 華 厳 教 学 と の 出 会 い は、 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 頃 に 仁 和 寺 華 厳 院 景 雅 に つ い て 法 蔵 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ を 受 学 し ( 一 ) た の が、 そ の 最 初 で あ る。 明 恵 が 受 法 し た 華 厳 の 系 譜 に つ い て、 高 山 寺 所 蔵 ﹃ 華 厳 血 脈 ﹄ は、 次 の 様 に 記 し て い る。 光 智 松 橋 延 幸 千 猷 深 幸 定 逞 尊 厳 延 尊隆
助
辮 暁 能 恵 慶 俊 尊 玄 聖 禅 教 寛 (以 下 省 略 ) 道 性 (以 下 省 略 ) 観 真 観 圓 延 快 勝 逞 良 畳 厳 意景
雅
如 幻 高 辮 (以 下 省 略 ) 聖 詮 蔵 圓 慶 宗 光 暁 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学密 教 文 化 景 雅 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ に は、 景 雅 以 前 の 東 大 寺 に お け る 華 厳 宗 の 僧 侶 名 が 挙 げ ら れ て い る。 以 下 そ れ を 示 す と、(1) 東 大 ( 二 ) ( 三 ) ( 四 ) 寺 永 延 得 業(2) 東 大 寺 覚 厳 已 講(3) 東 大 寺 華 厳 宗 俊 源 法 師(4) 勝 進 (= 勝 逞 )(5) 良 豊(6) 厳 意 で あ る。 こ れ ら 僧 侶 の 中 で(4) (5) (6) は 右 に 掲 載 の ﹃ 華 厳 血 脈 ﹄ に 見 い 出 す こ と が 出 来 る。 興 福 寺 維 摩 会 の 講 師 を 年 代 順 に 記 述 し た ﹃ 三 会 定 一 記 ﹄ に よ る と ( 五 ) ( 六 ) ( 七 ) 似 豊 厳 は 永 暦 四 年 ( 一 〇 八 ○ ) に 竪 義、 康 和 四 年 ( 二 〇 二 ) に 竪 義、 永 久 四 年 ( 一 一 一 六 ) に 講 師 と な っ て い る。 ( 八 ) (3) 俊 源 は 永 久 四 年 ( 一 一 一 六 ) 十 二 月 十 四 日 (維 摩 会 第 二 日 目 ) に 竪 義 と な る。 ( 九 ) ( 一 ○ ) (4) 勝 逞 は 康 平 五 年 ( 一 〇 六 二 ) に 竪 義、 康 和 三 年 ( 一 一 〇 一 ) 講 師 と な る。 ( 一 一 ) ( 一 二 ) ミ ミ (5) 良 豊 は 嘉 保 二 年 ( 一 〇 九 五 ) に 竪 義 と な る。 順 高 ﹃ 起 信 論 本 疏 聴 集 記 ﹄ 巻 第 四 末 に ﹁ 又 云 一 劫 義 ハ 仁 和 寺 徳 業 良 畳 カ 義 云 云 ﹂ と す る 記 述 が あ る。 こ こ に 言 わ れ る 仁 和 寺 得 業 良 豊 が、 景 雅 の 師 で あ る 良 豊 と 同 一 人 で あ る か 否 か ゴ 問 題 と ( 一 三 ) な る。 こ れ に つ い て は 正 倉 院 聖 語 蔵 ﹃ 法 華 略 讃 歎 ﹄ 一 巻 の 奥 書 に よ っ て 良 豊 の 仁 和 寺 で の 活 動 が 確 認 さ れ る か ら 刃 上 記 仁 和 寺 得 業 良 豊 は 景 雅 の 師 で あ る 良 畳 で あ る こ と が 分 か る。 ( 一 四 ) (6) 厳 意 は 長 承 二 年 ( 一 一 三 三 ) 講 師 と な る。 (1) 永 延 得 業 に つ い て は 不 詳 で あ る。 ( 一 五 ) 景 雅 と 共 に 良 豊 に 師 事 し た 如 幻 が 住 し た 性 海 寺 に つ い て、 ﹃ 起 信 論 本 疏 聴 集 記 ﹄ 巻 第 五 本 に は、 播 州 性 海 寺 は 如 幻 上 人 の 遺 跡 で あ り、 華 厳 を 所 学 と す る 寺 で あ る と い う。 寛 元 三 年 ( 一 二 四 五 ) 五 月 日 の 日 付 を も つ ﹁ 前 太 政 大 臣 近 衛 ( 一 六 ) 兼 経 家 政 所 下 文 ﹂ に は、 性 海 寺 は 東 大 寺 の 末 流、 華 厳 修 学 の 地 と あ る。 如 幻 に 関 す る 資 料 と し て は、 ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 以 外 に、 慶 政 ( 一 一 八 九 -一 二 六 八 ) ﹃ 閑 居 友 ﹄ 上、 如 幻 僧 都 の 発 心 の
事、 蓮 禅 ﹃三 外 往 生 記 ﹄ (平 安 末 期 の 成 立 ) 沙 門 如 幻、 玄 棟 ﹃ 三 国 伝 記 ﹄ (室 町 時 代 に 成 立 ) 巻 第 八、 如 幻 僧 都 発 心 事、 ( 一 七 ) ( 一 八 ) ﹃ 播 州 明 石 郡 高 和 山 性 海 寺 記 ﹄ が あ る。 こ の 中 の ﹃ 三 外 往 生 記 ﹄ に よ る と、 東 大 寺 に 住 し、 唯 識 因 明 の 碩 学 で あ っ た こ と。 本 名 は 叡 尊 と 言 い、 発 心 の 後 に 如 幻 と 號 し た。 生 年 は 六 十 二 歳 で あ っ た。 ﹃ 播 州 明 石 郡 高 和 山 性 海 寺 記 ﹄ で は、 保 安 年 間 ( 一 一 二 〇 -一 一 二 四 ) に 七 十 二 歳 で 没 し た と す る。 二 景 雅 の 事 績 と そ の 教 学 景 雅 に つ い て は、 ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 巻 十 二 所 載 の 景 雅 伝 が そ の 事 績 を 伝 え る も の で あ る が、 断 片 的 で あ る。 そ こ で 本 論 孜 で は 筆 者 が 知 見 し 得 た 資 料 を 用 い て、 こ れ を 検 討 す る こ と に よ っ て、 そ の 事 績 を 明 ら か に し て い き た い。 先 ず、 資 料 と し て 挙 げ る の が、 元 禄 十 六 年 ( 一 七 9 二 ) 義 山 の 序 を 有 す る 圓 智 ・ 義 山 編 ﹃ 圓 光 大 師 行 状 画 図 翼 賛 ﹄ ( 一 九 ) ( 浄 土 宗 全 書 第 十 六、 第 九 輯 伝 記 系 譜 ) で あ る。 本 書 は 四 十 八 巻 伝 と 言 わ れ る 舜 昌 編 ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ ( 延 慶 四 年 ( 一 三 一 一 ) -元 亨 三 年 ( 一 三 二 三 ) 頃 成 立 ) を 基 に し て、 編 者 の 私 詞 を 加 え た も の で あ る。 景 雅 に 関 す る 記 述 は、 同 ( 二 ○ ) 書 巻 第 五 十 七 に 見 ら れ る。 以 下 そ れ を 示 す こ と に し よ う。 右 大 臣 右 大 臣 権 大 納 言 仁 和 寺 法 眼 具 平 親 王 ー 師 房 -顕 房 顕 雅 ー 景 雅 ノ ニ ク ハ ノ 一 條 法 眼 記 云 鳴 瀧 華 厳 院 者 景 雅 法 橋 房 也 今 之 常 楽 院 是 也 リ ヌ 宗 信 阿 閣 梨 傳 レ之 其 後 譲 二 干 定 顕 法 眼 一 了 華 厳 ノ 第 一 世 囁 津 ・ 法 眼 公 賢 僧 都 ノ付 法 ニ ル ト ノ ニ 次 譲 二 定 成 法 眼 一云 云 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 ハ ノ ニ ク 華 厳 傳 法 其 譜 云 ミ ミ 了 畳 得 業 東 大 寺 五 世 慶 雅 六 世 高 辮 栂 尾 明 恵 上 人 ( 二 一 ) 先 ず 俗 系 譜 に つ い て は、 こ れ を 新 訂 増 補 国 史 大 系 ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ 第 三 巻、 村 上 源 氏 の 項 に よ っ て 確 認 す る と、 次 の 様 に な る。 た だ し 顕 房 以 前 は 省 略 す る。 五 蔵 頭 正 二 位 権 大 納 言
顕
雅
保 延 二 十 十 五 莞 六 十 二 才 従 五 下 美 濃 守 雅 長 正 四 下 左 馬 頭 顕 定 周 防 権 守 従 五 上 信 雅 山 阿 闊 梨 雅 寛 山 権 僧 正 天 台 座 主 浄 土 寺 弁 雅 寺 阿 闇 梨 相 顕 寺 阿 闊 梨 顕 智 仁 法 眼 景 雅右 記 ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ に よ っ て 景 雅 は 権 大 納 言 源 顕 雅 ( 保 延 二 年 ( 一 一 三 六 ) 十 月 十 五 日 没 ) の 子 息 で あ る こ と が 分 か る。 景 雅 の 生 没 年 代 に つ い て、 現 存 す る 資 料 で 景 雅 の 年 齢 を 記 し て い る の は、 東 大 寺 図 書 館 所 蔵 ﹃ 華 厳 五 教 止 観 ﹄ の ( 二 二 ) 奥 書 で あ る。 し か し こ の 奥 書 は 記 述 自 体 が 不 自 然 で 信 用 し 難 い。 従 っ て 到 底 景 雅 の 年 齢 を 正 確 に 伝 え て い る と は 考 え ミ ミ ( 二 三 ) に く い。 景 雅 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 奥 書 に ﹁ 文 治 五 年 潤 四 月 三 十 日。 於 東 大 寺 書 了。 作 者 仁 和 寺 大 納 言 法 橋 景 雅 也 ﹂ と あ る か ら、 景 雅 は 文 治 五 年 ( 一 一 八 九 ) 以 前 に 没 し て い る こ と は 確 か な 様 で あ る。 景 雅 の 晩 年 の 事 績 を 伝 え る も の は、 ﹃ 山 椀 記 ﹄ 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 三 月 十 六 日 の 記 事 で あ る。 こ れ か ら 景 雅 は 寿 永 二 年 以 後、 文 治 五 年 以 前 に 没 し た と 見 る こ と が 出 来 る。 以 下 管 見 し 得 た 資 料 に よ っ て 景 雅 の 事 績 を 示 す と、 次 の 様 に な る。 年 月 日 ○ 大 治 二 年 ( 一 一 二 七 ) 十 二 月 ○ 保 元 二 年 ( 一 一 五 七 ) 正 月 士 一百 ○ 承 安 五 年 ( 一 一 七 五 ) 二 月 ○ 承 安 五 年 二 月 以 降 ○ 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 三 月 十 六 日 事 項 維 摩 会 の 竪 義 と な る ︹﹃ 一二 会 定 一 記 ﹄ 第 一 ( 仏 全 一 二 一二 ・ 三 一 四 上 ) ︺ 法 勝 寺 金 泥 一 切 経 供 養 賞 に よ っ て 法 橋 に 叙 せ ら れ る ︹﹃ 御 室 相 承 記 ﹄ 五、 紫 金 皇 寺 御 室 ( 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 篇 ﹃ 仁 和 寺 史 料 ﹄ 寺 誌 編 一、 八 ○ 頁 ) ︺ 東 大 寺 常 住 学 生 百 口 供 養 料 の 置 文 案 に 署 名 す ︹東 南 院 文 書 四 ノ 四 ( ﹃ 平 安 遺 文 ﹄ 三 六 七 四 東 大 寺 置 文 案 ) ︺ 仁 和 寺 華 厳 院 に 住 す 季 御 読 経 定 に 僧 綱 ( 法 橋 上 人 位 ) と し て 署 名 す ︹﹃ 山 椀 記 ﹄ ( 増 補 史 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 料 大 成 二 七 ・ 一 五 九 上 ) ︺ ○ 寿 永 二 年 三 月 十 六 日 -文 治 五 年 ( 一 一 八 九 ) こ の 間 に 示 寂 か 次 に ﹁ 一 條 法 眼 記 ﹂ の 文 ( 但 し 割 註 は 除 く ) に つ い て、 こ れ と 同 一 の 文 が 顕 謹 本 及 び 顕 謹 尊 壽 院 本 ﹃ 仁 和 寺 諸 院 家 記 ﹄ 花 厳 院 の 項 ( 以 上 二 本 は ﹃ 仁 和 寺 史 料 ﹄ 寺 誌 編 一 に 所 収 ) に ﹁ 一 条 記 ﹂ と し て 引 か れ て い る。 こ れ に よ っ て ﹁ 一 條 法 眼 記 ﹂ は、 仁 和 寺 に 関 係 す る 僧 侶 が 撰 述 し た 史 料 で あ る こ と が 分 か る。 し か し 現 時 点 で は、 こ の 史 料 が 存 在 す る か 否 か は 明 ら か で は な い。 華 厳 伝 法 の 系 譜 に つ い て は、 こ の 中 で 了 畳 ( ← 良 畳 ) を 東 大 寺 五 世、 慶 雅 を 同 六 世 と し て い る。 こ れ は 前 掲 ﹃ 華 厳 血 脈 ﹄ に お い て 観 真 -観 圓 -延 快 -勝 逞 -良 豊 -景 雅 と 次 第 す る 相 承 を 言 っ た も の で あ る。 次 に、 景 雅 の 教 学 に つ い て 見 て み よ う。 景 雅 の 著 作 で 現 存 し て い る も の は ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ 一 巻 ( 大 正 第 七 二 巻 ) と ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ 一 巻 (大 正 第 七 三 巻 ) で あ る。 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ は、 法 蔵 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 第 十 章 所 詮 差 別 の 第 五 節 修 行 所 依 身、 第 六 節 断 惑 分 斉、 第 七 節 二 乗 廻 心 に つ い て 問 答 体 の 形 式 を も っ て 解 釈 を 施 し た も の で あ る。 そ の 解 釈 の 仕 方 は、 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 本 文 に つ い て の 随 文 解 釈 で は な く、 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ の 文 意、 或 い は そ の 本 文 を も っ て 問 い を 立 て、 そ の 答 え に お い て ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ の 本 文 を 引 い て い る 場 合、 又 は 景 雅 自 身 の 解 を 出 す、 と い う 体 裁 を 取 っ て い る。 本 書 は そ の 書 名 か ら 窮 わ れ る 様 に、 論 義 の た め の 抄 物 で あ る。 ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ は、 法 蔵 撰 と さ れ る ﹃ 華 厳 金 師 子 章 ﹄ に つ い て の 注 釈 で あ る。 そ の 解 釈 の 仕 方 は 庭 々 に よ っ て ま
ち ま ち で あ る が、 概 ね 二 つ の 方 法 を 取 っ て い る。 一 は ﹃ 華 厳 金 師 子 章 ﹄ の 本 文 を 挙 げ て、 次 に 六 十 巻 華 厳 経 等 の 経 典 や ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 等 の 注 釈 を 引 い て い る。 他 は そ の 本 文 を 挙 げ て、 次 に ﹁ 又 云 ﹂ と し て 景 雅 自 身 の 言 葉 を 示 し て い る。 こ こ で 景 雅 の 教 学 の 後 代 の 受 容 に つ い て 見 て み よ う。 景 雅 の 所 説 を 最 初 に 引 用 し て い る の は、 東 大 寺 北 院 の 尊 玄 ( 一 一 四 三 -一 二 一 七 ⋮ ) で、 そ の 著 書 ﹃ 華 厳 孔 目 章 抄 ﹄ ( 二 四 ) ( 二 五 ) ( 二 六 ) 第 三 巻 下 に ﹁ 仁 和 寺 景 雅 鋤 云 ﹂、 第 四 巻 下 に ﹁ 仁 和 寺 景 雅 法 橋 會 云 ﹂、 同 巻 ﹁ 雅 云 ﹂ を 引 い て い る。 こ の う ち 一 仁 和 寺 景 雅 紗 云 ﹂ は、 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 第 六 断 惑 分 斉 中 の 寄 惑 顕 位 門 に つ い て の 問 答 に お け る 答 え で あ る。 尊 玄 が 引 用 す る 景 雅 の 三 つ の 所 説 は、 景 雅 の 弟 子 で あ る 聖 詮 ( 生 没 年 不 詳 ) ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 砂 ﹄ に も 引 用 さ れ て い る。 そ れ ら は 順 に 巻 第 七 ( 大 正 七 二 ・ 四 七 下 )、 巻 第 十 ( 同 六 八 下 -六 九 上 )、 巻 第 十 ( 同 六 九 上 ) で あ る。 ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 砂 ﹄ 巻 第 七 の 奥 書 に よ れ ば、 本 書 は 師 匠 抄 出 の 論 義 短 釈 隻 紙 井 に 私 の 問 答 等 の 私 記 を 抄 合 し た も の で あ る と い う。 こ こ に 言 わ れ て い る 師 匠 は 景 雅 を 指 す。 従 っ て 先 に 尊 玄 が 引 用 し た 三 つ の 所 説 の 中 で、 出 所 不 明 な 二 点 は 現 在 伝 わ っ て い な い 景 雅 の 論 義 短 釈 隻 紙 の 中 に 在 っ た 解 釈 と 見 る こ と が 出 来 る。 そ こ で 以 下 に お い て、 聖 詮 ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 抄 ﹄ 十 巻 に お け る 景 雅 の 数 字 の 受 容 に つ い て 見 て み る こ と に す る。 ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 紗 ﹄ の 内 容 は、 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 第 九 章 義 理 分 斉、 第 一 節 三 性 同 異 義 と、 第 十 章 所 詮 差 別、 第 二 節 ( 二 七 ) 種 性 差 別 以 下、 第 十 節 仏 身 開 合 迄 に つ い て の 問 答 体 に よ る 解 釈 か ら な っ て い る。 本 書 は 総 じ て 六 十 一 の 問 答 を 立 て ゝ い る が、 そ の 中 で ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 問 答 の 文 言 と 全 同 な も の が 三 箇 所、 問 答 の 文 言 が ほ ゞ 一 致 す る も の が 十 八 箇 所、 問 い の 論 題 が 同 じ も の が 四 箇 所 の 計 二 十 五 箇 所 で あ る。 こ れ は ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 砂 ﹄ が 立 て ゝ い る 問 答 の 四 割 に 当 た る。 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 こ の こ と か ら 聖 詮 が ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 鋤 ﹄ を 撰 述 す る に 当 っ て は、 景 雅 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 論 義 を 頻 繁 に 採 用 し て い る こ と が 分 か る。 ( 二 八 ) ﹃ 華 厳 五 教 章 深 意 鋤 ﹄ に は、 上 記 の 外 に ﹁ 古 抄 云、 有 人 云 ﹂ と し て ﹃華 厳 論 草 ﹄ の ﹁ 私 云 ﹂ 以 下 の 文 が 引 か れ て い ( 二 九 ) る。 更 に ﹁ 師 説 ﹂ と し て 景 雅 の 説 を 引 い て い る。 ( 三 ○ ) ま た ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ の 奥 書 に ﹁ 罵 本 云 / 一 交 了 元 景 雅 勘 之 其 遺 漏 事 聖 詮 追 勘 ﹂ と あ る か ら、 聖 詮 は 師 匠 で あ る 景 雅 の 説 の 伝 持 に 努 め て い る こ と も 知 ら れ る。 鎌 倉 中 期 に 在 世 し た 凝 然 の 弟 子 の 審 乗 ( 生 没 年 不 詳 ) に は、 ﹃ 華 厳 五 教 章 問 答 抄 ﹄ と い う 著 作 が あ る が、 こ の 中 で ( 三 一 ) 二 箇 所、 景 雅 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 文 が 引 か れ て い る。 以 上 は 景 雅 の 著 作 ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 後 世 へ の 受 容 に つ い て 見 て 来 た の で あ る が、 こ れ と は 別 に 景 雅 の 教 学 を 窮 い 知 る ( 三 二 ) 好 個 の 資 料 が 二 つ あ る。 一 つ は 前 に 景 雅 の 事 績 に つ い て 論 じ た 所 で 示 し た ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ 第 四 巻 の 一 文 で あ る。 仁 和 寺 に 華 厳 宗 の 名 匠 あ り。 大 納 言 法 橋 慶 雅 と 號 す。 仁 和 寺 の 岡 と い ふ 所 に 居 住 せ る ゆ へ に 岡 の 法 橋 と そ 申 け る。 醍 醐 に も か よ ひ け る に や、 醍 醐 の 法 橋 と も い へ り ( 中 略 ) さ て か の 法 橋 最 後 に は 上 人 を 招 請 し て、 戒 を う け 二 字 を た て ま つ る。 戒 の 布 施 に は、 圓 宗 文 類 と い ふ、 二 十 蝕 巻 の 文 を と り い だ し て、 慶 雅 は こ の ほ か は、 も ち た る も の 侍 ら ず、 上 人 も こ ど も の を ば、 な に ゝ か は せ さ せ 給 べ き と て、 黒 谷 へ そ 送 進 し け る。 ( 三 三 ) 右 の 文 は、 法 然 が 南 都 に 遊 学 し て 諸 宗 を 研 鎖 す る こ と を 述 べ る 段 で、 華 厳 を 景 雅 ( 慶 雅 ) に つ い て 受 学 し た こ と を
述 べ る 中 の 一 文 で あ る。 特 に 波 線 を 附 し た 箇 所 が 重 要 な 箇 所 で あ る。 そ れ は 景 雅 が 法 然 に つ い て 受 戒 を し て、 そ れ に 対 す る 布 施 と し て 義 天 ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ 二 十 二 巻 を 法 然 に 送 っ た こ と で あ る。 景 雅 が 法 然 に つ い て 受 戒 を し た こ と を 史 実 と 見 る こ と に は 躊 躇 す る も の で あ る が、 お そ ら く 何 等 か の 出 来 事 を 通 し て 法 然 に ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ を 送 っ た も の で あ ろ う。 こ こ で 重 要 な 点 は、 景 雅 が ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ を 所 蔵 し て い た こ と で あ る。 景 雅 が ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ を 所 蔵 し て い た こ と は、 当 時 の 識 者 に は 既 知 の こ と で あ っ た と 考 え ら れ る。 そ こ で 景 雅 が ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ を 所 蔵 し て い た こ と を、 別 の 観 点 か ら 検 ( 三 四 ) 討 し て み よ う。 先 ず、 送 ら れ た 法 然 側 の 資 料 に つ い て 見 て み よ う。 源 空 (法 然 ) 撰 ﹃ 諸 宗 経 疏 目 録 ﹄ 華 厳 宗 の 澄 観 の 項 に は、 次 の 様 な 記 述 が あ る。 (前 略 ) 答 皇 太 子 所 問 心 要 一 巻 華 厳 刹 海 攣 相 讃 一 首 答 復 禮 法 師 頒 一 首 謹 道 頒 一 首 右 記 の 中 で ﹁ 華 厳 刹 海 攣 相 讃 ﹂ 以 下 の 三 首 は、 ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ 巻 二 十 二 に 収 録 さ れ て い る も の で、 ﹁華 厳 刹 海 憂 相 讃 ( 三 五 ) ( 三 六 ) ( 三 七 ) 清 涼 述 ﹂ ﹁答 復 禮 法 師 頒 (= 興 唐 寺 華 厳 疏 主 澄 観 答 元 和 中 人 ) ﹂ ﹁ 謹 道 頒 清 涼 述 ﹂ で あ る。 こ れ か ら 四 十 八 巻 伝 に 言 う 様 に、 景 雅 が ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ を 法 然 に 送 っ た こ と は 史 実 と 見 る こ と が 出 来 る。 (三 八 ) 次 に 取 り 上 げ る 資 料 は、 高 山 寺 所 蔵 の 義 天 ﹃ 新 編 諸 宗 教 蔵 総 録 ﹄ 三 巻 の 奥 書 で あ る。 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 安 元 二 年 丙 申 五 月 晦 日 以 仁 和 寺 花 厳 院 法 橋 景 雅 御 本 書 罵 了 明 空 (巻 第 一 の 奥 書 ) 安 元 二 年 丙 申 六 月 四 日 以 仁 和 寺 花 厳 院 法 橋 御 本 書 之 明 空 / 以 他 本 校 合 了 (巻 第 二 ・ 三 の 奥 書 ) ( 三 九 ) 右 の 奥 書 は、 明 空 が 安 元 二 年 ( 一 一 七 六 ) 五 月 晦 日 及 び 六 月 四 日 に お い て、 景 雅 所 蔵 の 義 天 ﹃ 新 編 諸 宗 教 蔵 総 録 ﹄ を 底 本 と し て 書 写 し た こ と を 伝 え る も の で あ る。 以 上 の 論 述 に よ っ て 景 雅 が 義 天 ﹃ 新 編 諸 宗 教 蔵 総 録 ﹄ 三 巻 及 び ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ 二 十 二 巻 を 所 蔵 し て い た こ と が 明 ら か と な っ た。 こ の こ と は 景 雅 が 中 国 の 華 厳 だ け で は な く、 高 麗 の 華 厳 に も 関 心 を 懐 い て い た こ と を 示 す も の で あ る。 景 雅 の 新 羅 ・ 高 麗 華 厳 へ の 注 目 は、 ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ で 新 羅 の 見 登 ﹃ 花 厳 一 乗 成 仏 妙 義 ﹄ を 引 用 し て い る 点 か ら も 確 認 さ れ る。 ﹃ 圓 宗 文 類 ﹄ の 所 蔵 に 象 徴 さ れ る 様 に、 景 雅 に は 常 に 新 し い も の に 目 を 向 け、 そ れ を 取 り 入 れ 様 と す る 進 取 の 精 神 が あ っ た。 こ の 様 な 精 神 は 弟 子 の 明 恵 に も 影 響 を 与 え て、 明 恵 を し て 新 羅 ・ 高 麗 仏 教 に 目 を 向 け さ せ た の で あ る。 最 後 に、 明 恵 に お け る 景 雅 の 教 学 の 受 容 に つ い て 見 て み よ う。 先 ず ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ で あ る が、 こ れ は 明 恵 の 著 作 に は 引 用 さ れ て は い な い。 そ の 理 由 と し て ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ が 論 義 の 書 で あ っ た こ と が 挙 げ ら れ よ う。 次 に、 景 雅 と 明 恵 は 共 に 法 蔵 ﹃ 華 厳 金 師 子 章 ﹄ に 対 し て、 景 雅 が ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ を、 明 恵 が ﹃ 金 師 子 章 光 顕 砂 ﹄ を 著 わ し て い る。 明 恵 ﹃ 金 師 子 章 光 顕 砂 ﹄ に は、 景 雅 ﹃ 金 師 子 章 勘 文 ﹄ を 引 用 し て は い な い。 そ れ は ﹃ 金 師 子 章 光 顕 砂 ﹄ が、 法 蔵 ﹃ 華 厳 金 師 子 章 ﹄ に 対 す る 注 釈 と い う 形 を 取 り な が ら、 実 は そ の 所 説 が 断 惑 成 仏 並 び に 生 仏 不 増 減 義 を
詮 明 す る と い う 点 に 在 っ た。 こ の 為 に 景 雅 の 著 作 は 用 い ら れ な か っ た の で あ ろ う。 三 明 恵 に お け る 華 厳 教 学 の 修 学 以 下 に お い て、 明 恵 に お け る 華 厳 教 学 の 修 学 の 内 容 に つ い て 見 て い く。 初 め に そ の 修 学 の 様 相 を 年 譜 に よ っ て 示 す と 次 の 様 に な る。 年 月 日 ○ 承 安 三 年 ( 一 一 七 三 ) 一 ・ 八 ○ 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 以 前 ○ 文 治 四 年 ( 一 一 八 八 ) ○ 建 久 二 年 ( 一 一 九 一 ) 四 ・ 一 五 四 二 五 四 ・ 二 四 -二 七 年 齢 一 一 〇 一 六 一 九 事 項 紀 州 在 田 郡 石 垣 圧 内 吉 原 村 に 生 ま れ る (仮 一 二 ) 仁 和 寺 華 厳 院 景 雅 に つ い て 法 蔵 ﹃華 厳 五 教 章 ﹄ を 受 学 (仮 一 四 ) 東 大 寺 尊 勝 院 聖 詮 か ら ﹃倶 舎 論 ﹄ を 受 学 (仮 一 七 ) 高 雄 に お い て 聖 詮 所 持 本 ﹃ 華 厳 十 重 唯 識 義 ﹄ を 書 写 (史 五 六 三 ) 高 雄 に お い て 聖 詮 所 持 本 ﹃ 倶 舎 論 中 不 染 無 知 断 位 料 簡 ﹄ を 書 写 (上 人 集 一 一 〇 五 下 ) 高 雄 に お い て 寿 霊 ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ 巻 中 を 書 写 ・ 校 合 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 四 ・ 二 六 四 ・ 二 九 -五 ・ 一 五 ・ 三 八 二 八 -二 四 九 ・ 二 五、 二 七、 十 ・ 八 十 ・ 二 〇 〇 建 久 三 年 ( 一 一 九 三 ) 六 ・ 一 七 二 〇 十 二 ・ 二 三 -二 四 〇 建 久 四 年 ( 一 一 九 三 ) ︹ こ の 年 ︺ 二 一 (上 人 集 一 一 〇 六 上 ) ﹃ 五 教 章 観 旨 事 ﹄ を 校 合 (史 五 七 一 ) 高 雄 に て ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ 巻 下 末 を 東 大 寺 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 書 写 ・ 校 合 (上 人 集 一 一 〇 六 上 ) 高 雄 に て 法 蔵 ﹃華 厳 経 文 義 綱 目 ﹄ を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 書 写 (金 沢 文 庫 所 蔵 同 書 奥 書 ) 高 雄 に て 寿 霊 ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ 巻 上 本 末 を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 書 写 ・ 校 合 (史 五 六 五 ) 高 雄 に て 法 蔵 ﹃華 厳 経 旨 帰 ﹄ を 尊 勝 院 経 蔵 本 に よ り 書 写 を 寛 紹 に 跳 え、 自 ら は 校 合 す (上 人 集 一 一 〇 七 上 ) 法 蔵 ﹃ 大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ 巻 上 ・ 下 を 校 合 (右 同 ) 法 蔵 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 二 を 東 大 寺 所 蔵 本 に よ っ て 校 合 (手 鏡 ) 法 蔵 ﹃ 大 乗 法 界 無 差 別 論 疏 ﹄ を 書 写 ・ 一 校 (根 津 美 術 館 所 蔵 本 奥 書 ) 尊 勝 院 主 弁 暁 の 時、 華 厳 宗 興 隆 の 為 に 公 請 出 仕 す べ き 評 定 に よ っ て、 一 両 年 東 大 寺 に 通 住 す (仮 二 二 )
○ 建 久 五 年 ( 一 一 九 四 ) 五 ・ 一 〇 二 二 六 ・ 四 六 ・ 五 六 ・ 七 八 ・ 二 五 八 ・ 晦 日 閏 八 ・ 一 一 閏 八 ・ 二 〇 閏 八 ・ 二 三、 二 五 閏 八 ・ 二 八、 九 ・ 一 高 雄 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 七、 巻 十 八 を 書 写 (史 五 六 七 -八 ) 高 雄 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 十 五 を 東 大 寺 経 蔵 本 に よ っ て 書 写 (手 鏡 ) ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 七 を 校 合 ( 右 同 ) 同 書 巻 八 を 校 合 ( 聖 教 類 第 四 部 一 八 三 23 ) 同 書 巻 十 七 を 神 護 寺 別 院 乗 禅 房 禅 室 に て 書 写 ( 手 鏡 ) 高 雄 に て 智 綴 ﹃ 華 厳 経 孔 目 章 ﹄ 巻 一 ・ 三 を 書 写、 校 合 ( 上 人 集 一 一 〇 八 上 ) 高 雄 別 院 の 房 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 十 八 を 書 写 ( 史 五 六 八 ) 高 雄 に て 杜 順 ﹃ 華 厳 五 教 止 観 ﹄ を 書 写 ( 上 人 集 一 一 〇 八 上 ) 宰 相 阿 闊 梨 の 嘱 請 に よ り 智 綴 ﹃ 華 厳 五 十 要 問 答 ﹄ 巻 上 を 書 写 ・ 校 合 ( 史 五 六 八 -九 ) 王 寿 殿 の 挑 え に よ っ て ﹃ 華 厳 五 十 要 問 答 ﹄ 巻 下 を 書 写 ・ 校 合 ( 史 五 六 八 -九 ) 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 九 ・ 二 〇 建 久 四 -六 年 冬 ○ 建 久 六 年 ( 一 一 九 五 ) 五 ・ 七 二 三 八 ・ 七 -八 八 ・ 一 六 冬 ︹ こ の 年 ︺ ︹ こ の 年 ︺ ︹ こ の 年 ︺ 高 雄 中 房 に て ﹃華 厳 経 孔 目 章 ﹄ 巻 三 を 校 合 (重 一 六 ︹3 ︺ ) 聖 詮 か ら 真 興 ﹃ 四 種 相 違 略 私 記 ﹄ 二 巻 を 受 学 す る も、 思 う 所 あ っ て 途 中 で 止 め る (仮 二 二 ) 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 法 蔵 ﹃華 厳 経 伝 記 ﹄ の 書 写 を 他 人 に 誹 え、 自 ら は 一 校 す (同 書 奥 書 ) 神 護 寺 十 無 壷 院 に て ﹃五 教 章 指 事 ﹄ 下 巻 本 を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 書 写 (上 人 集 = ○ 八 下 ) 神 護 寺 十 無 壼 院 に て 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て ﹃ 大 乗 法 界 無 差 別 論 疏 ﹄ を 一 校 (上 人 集 = 〇 九 上 ) 紀 州 白 上 峰 の 草 庵 に て 六 十 巻 華 厳 経 巻 第 一 序 品、 巻 第 二 十 五 十 地 品 二 二 之 三 を 読 調 (仮 二 五 ) 紀 州 白 上 峰 の 草 庵 に て ﹃華 厳 五 教 章 ﹄ 巻 中 の 断 惑 法 門 を 夜 を 徹 し て 暗 諦 す (仮 三 二 ) 華 厳 経 疏 を 談 じ、 且 つ 経 本 を 書 写 (仮 三 三 ) 六 十 巻 華 厳 経 菩 薩 明 難 品 の 十 甚 深 法 中 の 第 一 縁 起 に つ い て そ の 義 理 を 尋 ね る に、 夢 想 に よ り そ れ が 十 玄 縁 起
○ 建 久 八 年 ( 一 一 九 七 ) 閏 六 ・ 四 -五 二 五 七 ・ 一 九 ・ □ 九 ・ 二 一 〇 建 久 九 年 ( 一 一 九 八 ) 八 ・ 二 五 二 六 秋 九 ・ 五 十 ・ □ 十 ・ 二 二 で あ る こ と を 知 る (仮 三 二 ) 紀 州 白 上 峰 に て ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 巻 上 を 抄 勘 ( 上 人 集 一 一 一 ○ 上 ) ﹃ 花 厳 宗 立 教 義 略 私 記 ﹄ を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 書 写 か ( 聖 教 類 第 一 部 二 六 ) 紀 州 在 田 郡 神 谷 別 所 の 住 僧 に ﹃ 華 厳 経 章 ﹄ 巻 一 の 書 写 を 依 頼 す る ( 上 人 集 一 一 一 〇 上 ) 紀 州 崎 山 に て 同 書 を 一 校 ( 右 同 ) 高 雄 に て 五 ・ 六 人 の 衆 に 対 し て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 一 を 談 ず る ( 仮 三 一 ) ◎ ﹃ 華 厳 経 中 唯 心 観 行 式 ﹄ 一 巻 を 撰 述 ( 仮 四 一 ) 筏 立 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 二 を 数 輩 の 学 徒 と 読 み、 科 点 を 切 る ( 聖 教 類 第 四 部 一 一 八 番 外 8 ) 喜 海 に 対 し て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 二 を 談 ず ( 仮 四 二、 手 鏡 ) 筏 立 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 九 を 校 合 か ( 聖 教 類 第 四 部 一 八 三 23 ) 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 十 二 ・ 二 六 ○ 正 治 元 年 ( 二 九 九 ) 春 二 七 三 ・ 一 九 以 後 十 ・ 二 二 ○ 正 治 二 年 ( 一 二 〇 〇 ) 三 ・ 五 二 八 三 二 九 三 ・ 二 三 五 ・ □ 筏 立 に て ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ 下 本 ( 建 久 二 年 書 写 ) を 見 て 哀 嘆 す (上 人 集 一 一 一 ○ 下 ) 筏 立 か ら 高 雄 に 帰 え り、 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 三 以 下 を 談 じ、 且 つ 問 答 講 等 を 始 行 す ( 仮 四 二 ) ( 四 〇 ) 文 覚 は 刺 勘 を 蒙 り 佐 渡 へ 配 流、 こ れ に よ り 十 余 輩 と 共 に 筏 立 に 移 り、 そ こ で 華 厳 経 疏 を 談 じ、 且 つ 澄 観 ﹃ 大 疏 演 義 紗 ﹄ 等 を 書 写 ( 仮 四 二 ) 筏 立 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 九 を 暗 諦 (聖 教 類 第 四 部 一 八 三 23 ︹ 2 ︺ ) ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 三 を 尊 勝 院 経 蔵 本 に よ っ て 校 合 ( 手 鏡 ) 筏 立 草 庵 に て 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 六 十 巻 華 厳 経 巻 二 十 一 ・ 巻 二 十 二 を 一 校 (上 人 集 一 一 一 〇 下 ) 同 巻 二 十 四 を 東 大 寺 馬 道 之 本 を も っ て 一 校 ( 右 同 ) 筏 立 に て 六 十 巻 華 厳 経 巻 二 十 九 を 一 校 ( 右 同 ) 筏 立 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 五 を 一 校 ( 史 五 六 七 ) 糸 野 兵 衛 尉 寄 所 に て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 十 五 を 談 ず る
六 ・ 二 三 冬 ︹承 元 四 年 迄 継 続 ︺ ○ 正 治 三 年 ( 一 二 〇 一 ) 二 ・ 二 二 頃 二 九 ○ 元 久 元 年 ( 一 二 〇 四 ) 九 ・ 一 一 三 二 〇 建 永 二 年 ( 一 二 〇 七 ) 六 ・ 二 七 三 五 〇 承 元 四 年 ( 一 二 一 〇 ) 一 ・ □ 三 八
六
二
七
七
二
九
二
五
か (手 鏡 ) 石 垣 兵 衛 尉 宿 所 に て 同 書 巻 十 七 を 談 ず る か (右 同 ) 喜 海 等 に 対 し て 澄 観 ﹃華 厳 経 疏 ﹄ 等 の 講 義 を 始 行 (史 五 七 二 ∼ 三 ) ◎ 糸 野 に て ﹃華 厳 唯 心 義 ﹄ 二 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) 糸 野 成 道 寺 (舅 湯 浅 権 守 宗 光 の 館 内 ) の 草 庵 に て ﹃ 大 疏 演 義 紗 ﹄ ﹃大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 等 を 談 ず、 且 つ 月 に 二 度 の 問 答 講 を 行 な う (仮 一 〇 九 ) 法 蔵 ﹃ 大 乗 密 厳 経 疏 ﹄ を 読 み 始 め る (夢 一 二 〇 下 ) 高 山 寺 十 無 壷 院 に て 喜 海 ・ 浄 悟 房 等 に ﹃垂 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 十 五 を 講 義 す (手 鏡 ) 十 無 壷 院 に て 喜 海 に 対 し て ﹃大 疏 演 義 紗 ﹄ の 講 義 を 続 け る (漢 一 二 五 ) 紀 州 崎 山 の 草 庵 に て 喜 海 に 対 し て ﹃華 厳 経 疏 ﹄ 九 下 を 講 ず る (金 沢 文 庫 古 文 書 第 十 識 語 篇 一 ) ◎ ﹃金 師 子 章 光 顕 紗 ﹄ 二 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) 正 治 二 年 ( 一 二 〇 ○ ) 冬 よ り 十 一 年 間 の 星 霜 を 経 て、 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学密 教 文 化 ○ 建 暦 元 年 ( 一 二 = ) 六 ・ 一 二 三 九 六 ・ 一 五 -九 ・ 一 八 十 二 ・ 二 三 ○ 建 暦 二 年 ( 一 二 一 二 ) 十 一 ・ 二 三 四 〇 〇 建 暦 三 年 ( 一 二 一 三 ) 六 ・ 二 二 四 一 〇 建 保 三 年 ( 一 二 一 五 ) 三 ・ 一 八 四 三 四 二 二 四 二 八 五 二 八 喜 海 に 対 す る ﹃大 疏 演 義 砂 ﹄ の 講 義 が 終 了 (同 童 暑 噸語、 史 五 七 二 -三 ) 高 山 寺 住 房 に て ﹃大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ を 比 丘 尼 浄 親 房 に 対 し て 読 授 す (上 人 集 一 一 一 四 下 ) 高 山 寺 に て 八 十 巻 華 厳 経 一 部 の 如 法 書 写 を 勧 進 (聖 教 類 第 三 部 四 八 ) 貞 元 経、 不 得 宝 櫻 閣 陀 羅 尼 を 読 謂 し 始 め る (京 都 国 立 博 物 館 所 蔵 夢 記 ) ◎ ﹃催 邪 輪 ﹄ 三 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) ◎ ﹃擢 邪 輪 荘 厳 記 ﹄ 一 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) 高 山 寺 に て 宗 密 ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 巻 一 を 正 弁 等 数 輩 に 対 し て 読 授 (上 人 集 一 一 一 五 下 ) 同 書 巻 二 を 正 弁 等 数 輩 に 読 授 (上 人 集 一 一 一 六 上 ) 宋 か ら 将 来 さ れ た 斐 休 ﹃勧 発 菩 提 心 文 ﹄ を 得 て 披 覧 す る に 随 喜 す (同 書 奥 書 ) 練 若 台 草 庵 に て ﹃勧 発 菩 提 心 文 ﹄ に 切 句、 仮 字 を 加 え る (右 同 )
夏 九 ・ 二 二 十 一 ・ 二 五 ○ 建 保 四 年 ( 一 二 一 六 ) 十 ・ 五 四 四 ︹ こ の 年 ︺ ︹ こ の 年 ︺ ○ 建 保 五 年 ( 一 二 一 七 ) 五 ・ 二 五 四 五 十 一 ・ 晦 日 ○ 承 久 二 年 ( 一 二 一 七 ) 六 以 降 四 八 七 ・ 二 五 練 若 台 に て 七 ・ 八 人 の 衆 ( 正 弁 も 含 む か ) に ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 四 巻 を 読 授、 後 明 恵 は こ れ に 加 点 す (仮 五 〇 ) 同 書 巻 四 を 正 弁 等 数 輩 に 読 授 (上 人 集 一 一 一 六 上 ) ◎ ﹃ 三 時 三 宝 礼 釈 ﹄ 一 巻 を 撰 述 ( 同 書 奥 書 ) ◎ ﹃ 自 行 三 時 礼 功 徳 義 ﹄ 一 巻 を 撰 述 ( 同 書 奥 書 ) 石 水 院 に て ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ ﹃ 同 修 証 儀 ﹄ を 談 ず ( 仮 五 二 ) 法 蔵 ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 疏 ﹄ 道 宣 ﹃ 浄 心 誠 観 法 ﹄ 等 を 談 ず ( 仮 五 二 ) 石 水 院 に て 喜 海 等 数 輩 に 対 し て 元 暁 ﹃ 菩 薩 戒 本 持 犯 要 記 ﹄ を 談 ず ( 史 料 編 纂 所 本 ﹃ 法 鼓 台 聖 教 目 録 ﹄ 五 ) 石 水 院 に て 諸 徳 の 乞 請 に よ り ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 巻 第 三 を 加 点 す ( 上 人 集 一 一 一 六 下 ) 行 弁 将 来 の 宋 版 一 切 経 に 所 収 の 李 通 玄 ﹃ 華 厳 経 合 論 ﹄ 等 の 著 作 の 中 に 仏 光 三 昧 観 の 依 拠 を 見 い 出 す ( ﹃ 冥 感 伝 ﹄ 日 蔵 華 厳 宗 章 疏 下、 一 四 一 下 -一 四 二 上 ) ◎ ﹃ 仏 光 観 法 門 ﹄ 一 巻 を 撰 述 ( 同 書 奥 書 ) 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 九 ・ 三 〇 ︹ こ の 年 ︺ ○ 承 久 三 年 ( 一 二 一 八 ) 秋 四 九 九 ・ 二 一 十 一 ・ 九 十 ・ 一 九 以 降 十 一 下 旬 ○ 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) 六 ・ 一 三 五 一 秋 十 二 ・ 二 二 ︹ こ の 年 ︺ ◎ ﹃華 厳 修 禅 観 照 入 解 脱 門 義 ﹄ 二 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) 石 水 院 に て 菩 薩 戒 を 興 行 し、 同 時 に ﹃梵 網 豊 薩 戒 本 疏 ﹄ を 談 ず (仮 五 三 ) 子 璃 ﹃起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄、 ﹃華 厳 出 現 品 疏 抄 ﹄ を 談 ず (仮 五 六 ) ◎ ﹃華 厳 信 種 義 ﹄ 一 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) ◎ ﹃華 厳 仏 光 三 昧 観 秘 宝 蔵 ﹄ 二 巻 を 撰 述、 (同 書 奥 書 ) ◎ ﹃華 厳 仏 光 三 昧 観 冥 感 伝 ﹄ 一 巻 を 撰 述 (同 書 奥 書 ) 賀 茂 仏 光 山 禅 堂 院 住 房 に て、 愚 奄 照 公 か ら 宋 よ り 将 来 し た 伝 奥 ﹃梵 網 経 記 ﹄ を 示 さ れ 随 喜 讃 嘆 す、 次 い で 同 書 を 清 書 す る (﹁ 梵 網 経 記 序 ﹂) 禅 堂 院 に て ﹃起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ 三 を 喜 海 等 に 対 し て 講 ず (金 剛 蔵 四。 史 五 五 九 ) 石 水 院 に て ﹃円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 等 を 談 ず (仮 五 七 ) 禅 堂 院 に て ﹃起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ 五 を 喜 海 ・ 高 信 ・ 明 信 等 に 講 ず (金 剛 蔵 四 ) 禅 堂 院 に て 澄 観 ﹃行 願 品 疏 ﹄ 観 復 ﹃ 遺 教 論 疏 ﹄ 等 を 談
○ 元 仁 元 年 ( 一 二 二 四 ) 二 ・ 六 五 二 四 ・ 二 八 秋 ○ 嘉 緑 元 年 ( 一 二 二 五 ) 六 ・ 一 五 五 三 〇 嘉 禄 二 年 ( 一 二 二 六 ) 七 ・ 六 五 四 〇 嘉 腺 三 年 ( 一 二 二 七 ) 五 ・ 六 五 五 〇 寛 喜 二 年 ( 一 二 一二 〇 ) 十 二 ・ □ 五 八 ○ 寛 喜 三 年 ( 一 二 三 一 ) 正 ・ 一 一 五 九 ず (高 山 寺 縁 起、 六 五 一 ) 禅 堂 院 に て ﹃起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ 六 を 喜 海 等 十 余 輩 に 対 し て 談 ず (禅 林 寺 所 蔵、 同 書 第 六 奥 書 ) 善 妙 寺 の 善 妙 神 拝 殿 に て 仏 事 を 始 行 す、 貞 元 経 を 開 題 称 賛 し、 併 せ て 問 答 講 を 行 な う (高 山 寺 縁 起、 六 五 七 ) ﹃起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ を 談 じ、 善 妙 寺 鎮 守 講 の 配 文 と す る (仮 五 七 ) 高 山 寺 本 堂 に て ﹃梵 網 菩 薩 戒 本 ﹄ に よ る 二 度 の 説 戒 を 始 行 す (仮 五 八 ) 石 水 院 に て 尊 勝 院 で の 仏 事 の 為 と い う 聖 詮 の 依 頼 に よ り ﹃ 孟 蘭 盆 経 総 釈 ﹄ 一 巻 を 撰 述 (上 人 集 一 一 一 八 下 ) 石 水 院 に て ﹃如 来 出 現 品 疏 ﹄ を 照 静 等 に 対 し て 談 ず (大 東 急 記 念 文 庫 貴 重 書 解 題 仏 書 之 部 七 七 上 ) 伝 奥 ﹃梵 網 経 記 ﹄ 二 巻 を 読 む べ き こ と を 思 い 立 つ (夢 一 五 九 下 ) 禅 河 院 に て ﹃梵 網 経 記 ﹄ を 喜 海 ・ 性 実 ・ 空 弁 に 対 し て 講 ず (聖 教 類 第 二 部 二 六 ) 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 ○ 寛 喜 四 年 ( 一 二 三 二 ) 正 ・ 一 九 六 〇 示 寂 ※ ﹁ 仮 ﹂ = 明 恵 上 人 仮 名 行 状 ( 明 恵 上 人 資 料 第 一 所 収 )、 ﹁ 漢 ﹂ = 明 恵 上 人 漢 文 行 状 ( 同 上 )、 ﹁ 夢 ﹂ = 夢 之 記 ( 明 恵 上 人 資 料 第 二 所 収 )、 ﹁ 上 人 集 ﹂ " 明 恵 上 人 関 係 識 語 集 ( 同 上 )、 ﹁ 手 鏡 ﹂= 明 恵 上 人 手 鏡 ( 高 山 寺 聖 教 類 第 四 部 一 四 六 1 所 収 )、 ﹁高 山 寺 縁 起 ﹂ (明 恵 上 人 資 料 第 一 所 収 )、 ﹁ 重 ﹂ = 高 山 寺 重 書 類、 ﹁ 聖 教 類 ﹂= 高 山 寺 聖 教 類、 ﹁ 史 ﹂ = 大 日 本 史 料 第 五 編 之 十 七、 ﹁ 金 剛 蔵 ﹂ 11 東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 目 録 右 に 示 し た 年 譜 は、 明 恵 の 修 学 を 華 厳 教 学 の 研 鐙 を 中 心 に 纒 め た も の で あ る。 以 下 明 恵 の 修 学 の 内 容 を、 一、 紀 州 隠 遁 迄 の 修 学 二、 紀 州 各 地 で の 修 学 三、 高 山 寺 で の 修 学 の 三 期 に 分 け て 考 察 す る。 一、 紀 州 隠 遁 迄 の 修 学 紀 州 に 隠 遁 し た の は、 建 久 六 年 ( 一 一 九 五 ) の 冬 で あ っ た。 こ れ 迄 の 華 厳 教 学 の 修 学 の 内 容 を 見 て み る と、 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 以 前 に、 師 の 景 雅 か ら 法 蔵 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ を 受 学 し て い る。 こ れ は 華 厳 教 学 研 鐙 の 出 発 点 で あ っ た。 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 関 連 の 研 鐙 の 事 績 と し て、 建 久 二 年 ( 一 一 九 一 ) 四 月 二 十 六 日 に ﹃ 五 教 章 観 旨 事 ﹄ を 校 合、 ま た 同 年 四 月 二 十 四 -二 十 七 日、 四 月 二 十 九 日 -五 月 一 日、 八 月 十 六 -二 十 四 日 に 寿 霊 ﹃ 華 厳 五 教 章 指 事 ﹄ 巻 上、 巻 中 を 東 大 寺 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 校 合 し て い る。 巻 下 の 書 写 は 建 久 六 年 ( 一 一 九 五 ) 八 月 七 -八 日 に 行 な わ れ て い る。 ﹃ 五 教 章 観 旨 事 ﹄ は、 現 在 そ の 存 否 を 確 認 す る こ と は 出 来 な い が、 そ の 書 名 か ら ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ の 所 説 の 一 部 に つ い て 解 釈 を 施 し た も の で あ ろ う。 寿 霊 ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ は、 奈 良 時 代 に 成 立 し た 現 存 す る 最 古 の ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ の 注 釈 書 で、 ﹃ 華 厳
五 教 章 ﹄ の 学 習 に は 座 右 と す べ き 書 物 で あ る。 明 恵 が ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ の 学 習 に 当 た っ て ﹃ 五 教 章 指 事 ﹄ を 用 い て い る こ と は、 伝 統 的 な 学 習 方 法 を 踏 襲 し た も の で あ る。 こ の 時 期 は、 特 定 の 祖 師 の 著 作 の 学 習 に そ の 精 力 が 注 が れ て い た。 例 え ば 法 蔵 に つ い て は、 建 久 二 年 ( 二 九 一 ) 五 月 三 日 に ﹃ 華 厳 経 文 義 綱 目 ﹄ を 書 写、 九 月 二 十 五 日、 二 十 七 日、 十 月 八 日 に お い て ﹃ 華 厳 経 旨 帰 ﹄ の 書 写 を 寛 紹 に 依 頼 し、 自 ら は 校 合 を 行 な っ て い る。 十 月 二 十 日 に は ﹃ 大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ を 校 合、 建 久 三 年 ( 一 一 九 二 ) 十 二 月 二 十 三 -二 十 四 日 に か け て ﹃ 大 乗 法 界 無 差 別 論 疏 ﹄ を 一 校 し、 同 六 年 ( 一 一 九 五 ) 八 月 十 六 日 に 同 書 を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 一 校 し て い る。 ま た 同 年 五 月 七 日 に は、 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て ﹃ 華 厳 経 伝 記 ﹄ の 書 写 を 他 人 に 依 頼 し、 自 ら は 一 校 を 行 な っ て い る。 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ は、 建 久 三 年 ( 一 一 九 二 ) 六 月 十 七 日 に 巻 二 を 尊 勝 院 経 蔵 本 を も っ て 校 合 し た の を 皮 切 姐 に、 建 久 五 年 ( 一 一 九 四 ) 五 月 十 日 -閏 八 月 十 一 日 に か け て 巻 七 ・ 巻 十 八 を 書 写、 ま た 巻 七 ・ 巻 八 を 校 合、 更 に は 巻 十 五 ・ 巻 十 七 ・ 巻 十 八 を 書 写 し て い る。 こ の 頃 巻 三 ・ 巻 六 ( 書 写 年 代 不 明 ) を も 書 写 か ( 大 史 五 六 七 )。 智 撮 に つ い て は、 建 久 五 年 八 月 晦 日 -九 月 二 日 に か け て ﹃ 華 厳 孔 目 章 ﹄ 巻 一 ・ 巻 三 を 書 写 ・ 校 合 し て い る。 ﹃ 華 厳 五 十 要 問 答 ﹄ は 他 人 の 依 頼 に よ っ て、 建 久 五 年 閏 八 月 二 十 三 -二 十 五 日 に か け て 巻 上 を 書 写 ・ 校 合、 閏 八 月 二 十 八 日 -九 月 一 日 に か け て 巻 下 を 書 写 ・ 校 合 し て い る。 杜 順 に つ い て は、 建 久 五 年 閏 八 月 二 十 日 に ﹃ 華 厳 五 教 止 観 ﹄ を 書 写 し て い る。 以 上 述 べ た 所 か ら、 こ の 時 期 の 修 学 は 杜 順、 智 綴、 法 蔵 の 著 作 に つ い て 行 な わ れ た。 そ の 修 学 の 中 心 は、 何 と 言 っ て も 法 蔵 の 著 作 の 学 習 に あ っ た と 言 っ て よ い。 こ の 華 厳 教 学 の 修 学 と 同 時 平 行 的 に、 同 じ 景 雅 の 弟 子 で 法 兄 で あ る 東 大 寺 尊 勝 院 聖 詮 か ら 受 学 し て い る。 具 体 的 に 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 は、 文 治 四 年 ( 一 一 八 八 ) に ﹃ 倶 舎 論 ﹄ を 受 学、 建 久 四 -六 年 ( 一 一 九 三 -九 五 ) の 間 に 真 興 ﹃ 四 種 相 違 略 私 記 ﹄ を 受 学 し て い る。 ま た 建 久 二 年 ( 一 一 九 一 ) 四 月 十 五 日 に 聖 詮 所 持 本 ﹃ 華 厳 十 重 唯 識 義 ﹄ 及 び ﹃ 倶 舎 論 中 不 染 無 知 断 位 料 簡 ﹄ (東 大 寺 三 論 宗 観 厳 撰 ) を 書 写 し て い る。 こ の 聖 詮 か ら の 受 学 や 聖 詮 所 持 本 に よ る 聖 教 書 写 は、 師 景 雅 の 没 後、 師 に 代 わ っ て 聖 詮 が 明 恵 の 教 育 の 任 に 当 た っ て い た こ と を 示 し て い る。 そ し て こ れ 等 の 教 学 研 鎭 の 積 み 重 ね が、 や が て 建 久 四 年 に 華 厳 宗 興 隆 の 為 に 公 請 出 仕 す べ き 評 定 と な っ て 表 わ れ た。 こ れ は 建 久 四 年 当 時、 明 恵 の 学 識 が 東 大 寺 に 認 め ら れ て い た こ と を 示 す も の で あ り、 ま た 将 来 を 嘱 望 さ れ て の こ と で あ っ た。 二、 紀 州 で の 修 学 こ の 時 期 の 修 学 は、 こ れ 迄 の 修 学 が 聖 教 の 書 写 ・ 校 合 と い う、 ど ち ら か と 言 え ば 明 恵 自 身 の 修 学 の 為 に 行 な わ れ て き た の に 対 し て、 或 る 質 的 変 化 を 内 含 し て い る。 そ れ は 一 方 で は 以 前 と 同 様 に 聖 教 の 書 写 や 読 諦 に 精 勤 す る と 共 に、 他 方 で は 同 法 の 為 に、 彼 ら に 対 し て 聖 教 の 読 授 を 開 始 し て い る こ と で あ る。 先 ず 聖 教 の 読 諦 に つ い て は、 建 久 六 年 冬 に 六 十 巻 華 厳 経 巻 第 一 序 品、 巻 第 二 十 五 十 地 品 を 読 調 し て い る。 巻 第 二 十 五 十 地 品 の 読 諦 が、 後 に 文 殊 顕 現 の 感 得 に 繋 が る 体 験 で あ っ た こ と は す で に 述 べ た。 ま た ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 巻 中 の 断 惑 法 門 を 読 調 し て い る。 こ こ に 言 う 断 惑 法 門 は、 和 本 で は 下 巻 の 所 詮 差 別 章、 第 六 節 断 惑 分 斉 を 指 す。 次 に、 聖 教 の 書 写 に つ い て は、 建 久 八 年 ( 一 一 九 七 ) 閏 六 月 四 -五 日 に か け て ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ 巻 上 を 抄 勘 ( 書 写 ・ 校 勘 の こ と ) し て い る。 同 年 九 ・ □ 日 と 二 十 一 日 に は、 在 田 郡 神 谷 別 所 の 住 僧 に ﹃ 華 厳 経 章 ﹄ 巻 一 ( 内 容 不 詳 ) の 書
写 を 依 頼 し、 自 ら は 一 校 を 行 な っ て い る。 同 法 に 対 す る 読 授 に つ い て は、 建 久 九 年 ( 一 一 九 八 ) 十 月 □ 日 に、 喜 海 に 対 し て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 二 を 談 じ て い ( 四 一 ) る。 喜 海 に 対 す る ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ の 読 諦 は、 元 久 元 年 ( 一 二 〇 四 ) 九 月 頃 に は 終 了 し て い る。 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ の 読 請 は、 一 時 高 雄 に 帰 住 し て い る 時 に も 行 な わ れ て い る。 建 久 九 年 八 月 二 十 五 日 に、 五 ・ 六 人 の 衆 に 対 し て ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 一 を 談 じ、 正 治 元 年 ( 一 一 九 九 ) 春 に は 巻 三 以 下 を 談 じ、 併 せ て 問 答 講 も 行 な っ て い る。 こ れ ら の 読 調 と 同 時 進 行 的 に、 同 年 九 月 五 日 に は ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ 巻 二 に つ い て 科 点 を 切 り、 十 月 二 十 二 日 に は 巻 九 を 校 合、 正 治 二 年 ( 一 二 〇 〇 ) 三 月 五 日 に は、 巻 三 を 尊 勝 院 経 蔵 本 に よ っ て 校 合、 三 月 二 十 三 日 に は 巻 五 を 校 合 し て い る。 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ の 講 義 は、 高 山 寺 帰 住 後 も 行 な わ れ て い て、 建 永 二 年 ( 一 二 〇 七 ) 六 月 二 十 七 日 に 十 無 書 院 に て、 喜 海 や 浄 悟 房 等 に 対 し て 同 書 巻 十 五 の 講 義 が 行 な わ れ て い る か ら、 ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ の 読 授 ・ 講 義 は 断 続 的 に 行 な わ れ て い た こ と が 分 か る。 こ の 時 期 の 聖 教 の 学 習 は、 そ の 内 容 に つ い て 若 干 の 変 化 が 認 め ら れ る。 そ れ は 澄 観 の 著 作 の 書 写 や 読 諦 が 行 な わ れ て い る こ と で あ る。 正 治 元 年 ( 二 九 九 ) 三 月 十 九 日 以 降、 筏 立 に て 十 余 輩 に 対 し て ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ の 読 授 と 共 に、 ﹃ 大 疏 演 義 砂 ﹄ 等 の 書 写 が 行 な わ れ て い る。 上 記 ﹃ 大 疏 演 義 紗 ﹄ と は、 澄 観 の 八 十 巻 華 厳 経 の 注 釈 書 で あ る ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ ( ← ﹁ 大 疏 ﹂ ) と そ の 復 註 で あ る ﹃ 随 疏 演 義 紗 ﹄ ( ← ﹁ 演 義 紗 ﹂ ) と の 二 つ の 著 作 を 合 わ せ た 名 称 で あ る。 行 状 の 作 者 喜 海 が ﹁ 大 疏 演 義 砂 ﹂ と 標 記 し た の は、 澄 観 の 華 厳 経 解 釈 を 学 習 す る 為 に は、 こ れ ら 二 つ の 著 作 を 併 読 す る こ と が 必 要 で あ る こ と を 示 し た も の で あ る。 ﹃ 大 疏 演 義 砂 ﹄ の 読 調 は、 正 治 三 年 ( 一 二 〇 一 ) 糸 野 成 道 寺 内 の 草 庵 で、 ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ や ﹃ 起 信 論 義 記 ﹄ の 読 諦 と 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 平 行 し て 行 な わ れ て い る。 特 に 喜 海 と の 一 対 一 に よ る ﹃ 大 疏 演 義 鋤 ﹄ の 講 義 は、 正 治 二 年 ( 一 二 〇 〇 ) 冬 に 始 め ら れ、 約 十 一 年 間 の 星 霜 を 経 て、 承 元 四 年 ( 一 二 一 〇 ) 九 月 十 五 日 に 無 事 終 了 し て い る。 以 上 の 外 に、 こ の 時 期 に は 法 蔵 ﹃ 大 乗 密 厳 経 疏 ﹄ が 読 み 始 め ら れ て い る こ と や、 正 治 三 年 ( 一 二 〇 〇 ) 三 月 十 九 日 -六 月 二 十 三 日 に か け て の 六 十 巻 華 厳 経 巻 二 十 一 ・ 巻 二 十 二 ・ 巻 二 十 四 ・ 巻 二 十 九 の 校 合 の 事 績 が 知 ら れ る。 紀 州 の 修 行 に お け る 華 厳 聖 教 の 書 写 や 校 合、 同 法 に 対 す る 講 義 等 に よ っ て 明 恵 自 ら の 華 厳 教 学 に 対 す る 理 解 度 は 深 ま り、 次 第 に そ の 学 識 が 形 成 さ れ て い っ た。 こ の 様 な 絶 え 間 無 い 華 厳 教 学 の 研 鐵 は、 大 き な 飛 躍 の 機 会 を 齎 し た。 そ れ は 承 元 四 年 秋 に、 華 厳 宗 興 隆 の 為 に 尊 勝 院 学 頭 と し て 就 任 す る 様 に、 後 鳥 羽 院 か ら の 院 宣 が あ っ た こ と で あ る。 こ の 院 宣 は 明 恵 が 名 実 共 に 華 厳 教 学 の 権 威 者 と し て 認 知 さ れ た こ と を 示 す 出 来 事 で あ っ た。 三、 高 山 寺 で の 修 学 こ の 時 期 は、 後 の 明 恵 の 思 想 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え た 二 つ の 思 想 に 値 遇 し た 時 期 で も あ る。 一 つ は 宗 密 の 思 想 で あ り、 二 つ は 李 通 玄 の 思 想 で あ る。 宗 密 の 著 作 へ の 注 目 は、 彼 の 円 覚 経 注 釈 に 対 す る 講 義 を 通 じ て 形 成 さ れ て い っ た。 具 体 的 に は、 建 保 三 年 ( 一 二 一 五 ) 三 月 十 八 日 に 正 弁 等 数 輩 に 対 し て ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 巻 一 を 講 じ、 四 月 十 二 日 に は 巻 二 を 講 じ、 九 月 二 十 二 日 に は 巻 四 を 講 じ て い る。 仮 名 行 状 に は、 夏 頃 練 若 台 に て 七 ・ 八 人 の 衆 に 対 し て ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 四 巻 を 講 じ、 こ の 後 に 明 恵 は こ れ に 加 点 を し た こ と が 述 べ ら れ て い る か ら、 建 保 三 年 は ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ の 講 義 に 専 念 し て い た こ と が 知 ら れ
る。 こ の ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ の 講 義 や 研 鐙 は、 建 保 四 年 ( 一 二 一 六 ) 以 後 に も 及 ん で い る。 同 年 で は、 石 水 院 に て ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ ﹃ 同 修 証 儀 ﹄ を 談 じ て い る し、 翌 建 保 五 年 ( 一 二 一 七 ) 十 一 月 晦 日 に は 諸 徳 の 乞 請 に よ っ て ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ 巻 第 三 を 加 点、 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) 秋 に 石 水 院 に て 同 書 等 を 講 じ て い る。 李 通 玄 の 著 作 へ の 注 目 は、 承 久 二 年 ( 一 二 二 〇 ) 六 月 以 降 に、 同 行 者 で あ る 行 弁 が 将 来 し た 宋 版 一 切 経 の 中 に ﹃ 華 厳 経 合 論 ﹄ ﹃ 決 疑 論 ﹄ ﹃ 十 明 論 ﹄ の 著 作 を 見 い 出 し、 且 つ こ の 中 に 仏 光 三 昧 観 が 説 か れ て い る こ と を 知 っ た こ と に よ る。 こ れ に よ っ て 明 恵 の 禅 観 が 仏 光 三 昧 観 を 中 心 と し て 行 な わ れ る 様 に な っ た こ と、 ま た 明 恵 の 思 想 を 体 系 化 し た 著 作 ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ 等 が 撰 述 さ れ た こ と で あ る。 ま た 仏 道 の 行 儀 の 面 か ら 梵 網 経 に 注 目 し、 そ の 注 釈 の 講 義 を 行 な っ て い る。 建 保 四 年 ( 一 二 一 六 ) に は、 法 蔵 ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 疏 ﹄ や 道 宣 ﹃ 浄 心 誠 観 法 ﹄ 等 を 講 じ て い る。 ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 疏 ﹄ の 講 義 は、 承 久 二 年 ( 一 二 二 〇 ) に 石 水 院 で も 行 な わ れ て い る。 ま た 建 保 五 年 ( 一 二 一 七 ) 五 月 二 十 五 日 に は、 石 水 院 に ( 四 二 ) て 喜 海 等 数 輩 に 対 し て 元 暁 ﹃ 菩 薩 戒 本 持 犯 要 記 ﹄ の 講 義 が な さ れ て い る。 承 久 三 年 ( 一 二 一 二 ) 十 一 月 下 旬 に は、 愚 ( 四 三 ) ( 四 四 ) 蕎 照 公 か ら 宋 よ り 将 来 し た 伝 奥 ﹃ 梵 網 経 記 ﹄ 二 巻 を 示 さ れ て 随 喜 讃 嘆 し、 そ の 書 写 に 及 ん で い る。 こ の ﹃ 梵 網 経 記 ﹄ の 講 義 は、 寛 喜 三 年 ( 一 二 三 一 ) 正 月 十 一 日 に、 禅 河 院 で 喜 海、 性 実、 空 弁 等 に 対 し て 行 な わ れ て い る。 な お 天 台 の 與 威 ﹃ 菩 薩 戒 経 疏 註 ﹄ が ﹃ 催 邪 輪 荘 厳 記 ﹄ 及 び ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ に 引 用 さ れ て い る こ と は 留 意 す べ き で あ る。 こ の 梵 網 経 へ の 関 心 は、 ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 ﹄ に よ る 承 久 二 年 の 石 水 院 で の 菩 薩 戒 の 興 行、 嘉 禄 元 年 ( 一 二 一 五 ) 六 月 十 五 日、 高 山 寺 本 堂 で の ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 ﹄ に よ る 二 度 の 説 戒 と な っ て 具 現 化 す る。 こ の 時 の 説 戒 の 様 相 に つ い て は、 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 ( 四 五 ) ﹃ 栂 尾 説 戒 日 記 ﹄ に 述 べ ら れ て い る。 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 注 釈 の 講 義 も 行 な わ れ て い る。 建 暦 元 年 ( 一 二 一 一 ) 六 月 十 二 日 に は、 住 房 で 法 蔵 ﹃ 大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ を 比 丘 尼 浄 観 房 に 対 し て 読 授 し て い る。 ( 四 六 ) 子 喀 ﹃ 起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ に つ い て は、 承 久 三 年 秋 に 講 じ た こ と を 皮 切 り に、 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) 六 月 十 三 日 に は、 禅 堂 院 で 同 書 三 を 喜 海 等 に 対 し て 講 じ、 十 二 月 二 十 二 日 に は 同 書 五 を 喜 海、 高 信、 明 信 等 に 対 し て 講 じ て い る。 元 仁 元 年 ( 一 二 一 一四 ) 二 月 六 日 に は 禅 堂 院 に て 同 書 六 を 喜 海 等 十 余 輩 に 対 し て 講 じ て い る。 ま た 同 年 秋 に は、 ﹃ 起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ を 談 じ て 善 妙 寺 鎮 守 の 配 文 と し て い る。 右 に 述 べ た ﹃ 起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ の 講 義 の 有 り 様 は、 高 山 寺 で の 起 信 論 研 究 に は 子 璃 ﹃ 起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ が 重 ん じ ら れ て い た こ と を 示 し て い る。 こ の こ と は 順 高 ﹃ 起 信 論 本 疏 聴 集 記 ﹄ に お い て、 子 璃 ﹃ 起 信 論 疏 筆 削 記 ﹄ を 指 針 と し て 解 釈 を 展 開 し て い る こ と か ら も 肯 づ け る も の で あ る。 そ の 他 の 章 疏 の 講 義 と し て は、 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) に 澄 観 ﹃ 行 願 品 疏 ﹄ を 談 じ て い る。 ま た 承 久 三 年 秋 に は ﹃ 花 厳 出 現 品 疏 抄 ﹄ が、 嘉 禄 三 年 ( 一 二 二 七 ) 五 月 六 日 に は 照 静 等 に 対 し て ﹃ 如 来 出 現 品 疏 ﹄ が 講 じ ら れ て い る。 上 記 ﹃ 如 来 出 現 品 疏 ﹄ や ﹃ 如 来 出 現 品 疏 抄 ﹄ に つ い て は、 そ の 書 名 か ら 類 推 す れ ば 前 者 が 澄 観 ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ 如 来 出 現 品 の 解 釈 部 分 を、 後 者 は ﹃ 随 疏 演 義 砂 ﹄ 如 来 出 現 品 の 解 釈 部 分 を 抄 出 し た も の で あ る。 こ の 見 方 を 証 明 す る 資 料 と し て、 ( 四 七 ) ﹃ 高 山 寺 聖 教 目 録 ﹄ 下 に 見 え る ﹁ 華 厳 経 出 現 品 疏 一 帖 ﹂ の 存 在 が 挙 げ ら れ る。 ( 四 八 ) ま た 観 復 ﹃ 遺 教 論 疏 ﹄ ( = ﹃ 遺 教 経 論 記 ﹄ ) が 貞 応 二 年 ( 一 二 二 三 ) に 談 じ ら れ て い る。 観 復 は 宋 代 の 五 教 章 四 大 注 釈 家 の 一 人 で あ り、 ﹃ 五 教 章 折 薪 記 ﹄ 五 巻 ( 散 侠 ) の 著 作 が あ る。 ﹃ 高 山 寺 聖 教 目 録 ﹄ に は 上 記 ﹃ 遺 教 論 疏 ﹄ の 著 作 の
( 四 九 ) ( 五 ○ ) 外 に、 ﹁ 円 覚 妙 辮 疑 誤 一 巻 ﹂ ﹁ 金 剛 記 外 別 解 四 巻 ﹂ が 見 ら れ る。 た だ し ﹃ 五 教 章 折 薪 記 ﹄ は、 目 録 編 纂 時 に 高 山 寺 に 所 蔵 さ れ て い な か っ た が 為 に、 同 目 録 に は 採 録 さ れ て は い な い。 以 上 は、 明 恵 の 中 国 華 厳 諸 師 の 著 作 に 対 す る 書 写 や 講 義 等 に 関 す る 事 績 で あ る が、 こ の 中 に 慧 苑 ﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ の 書 写 等 の 事 績 が 見 え な い。 こ れ に つ い て は ﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ に 対 す る 書 写 等 の 事 績 が、 資 料 の 上 に 出 て い な い こ と に 因 る。 実 際 の と こ ろ 明 恵 は ﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ を 華 厳 教 学 の 理 解 に は 不 可 欠 の 文 献 と 考 え て い た こ と が、 元 久 二 年 ( 五 一 ) ( 一 二 ○ 四 ) 九 月 十 九 日 付 上 覚 宛 の 明 恵 の 書 状 の 中 で、 一 宗 大 疏 の 内 に 刊 定 記 を 挙 げ て い る こ と か ら 知 り 得 る。 ﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ は 承 元 四 年 ( 一 二 一 ○ ) 七 月 一 日 に 撰 述 さ れ た ﹃ 金 師 子 章 光 顕 鋤 ﹄ の 中 に 引 用 さ れ て い る か ら、 遅 く と も こ れ 以 前 に お い て ﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ を 一 通 り 目 を 通 し て い た こ と が 分 か る。 次 に、 明 恵 の 華 厳 修 学 に 関 与 し た 中 国 華 厳 祖 師 の 著 作 に つ い て、 講 義 ・ 読 授 (◎ )、 書 写 ( ☆ )、 校 合 ( ★ )、 明 恵 の 著 作 に 引 用 ( ○ )、 明 恵 の 著 作 中 で 論 述 の 依 拠 と な っ た も の 及 び 言 及 さ れ て い る 場 合 ( △ ) に つ い て 見 て み よ う。 (1) 杜 順 ﹃ 華 厳 五 教 止 観 ﹄ ︹☆ ○ ︺ (2) 智 假 ﹃ 華 厳 孔 目 章 ﹄ ︹☆ ★ ○ ︺ ﹃ 華 厳 五 十 要 問 答 ﹄ ︹☆ ★ ○ ︺ ﹃ 華 厳 経 捜 玄 記 ﹄ ︹ ○ ︺ ﹃ 華 厳 一 乗 十 玄 門 ﹄ ︹ ○ ︺ 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 (3) 法 蔵 ﹃ 華 厳 経 文 義 綱 目 ﹄ ︹★ ︺ ﹃ 華 厳 経 旨 帰 ﹄ ︹☆ ★ ○ ︺ ﹃ 大 乗 法 界 無 差 別 論 疏 ﹄ ︹☆ ★ ○ ︺ ﹃ 華 厳 経 探 玄 記 ﹄ ︹◎ ☆ ★ ○ ︺ ﹃ 華 厳 五 教 章 ﹄ ︹☆ ★ ○ ︺ ﹃ 大 乗 起 信 論 義 記 ﹄ ︹◎ ★ △ ( ﹃ 華 厳 唯 心 義 ﹄ ) ︺ ﹃ 起 信 論 別 記 ﹄ ︹ △ ( ﹃ 華 厳 唯 心 義 ﹄ ) ︺ ﹃ 大 乗 密 厳 経 疏 ﹄ ︹◎ ︺ ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 疏 ﹄ ︹◎ ○ ︺ ﹃ 華 厳 経 伝 記 ﹄ ︹★ ○ ︺ ﹃ 華 厳 経 問 答 ﹄ ︹○ ︺ ﹃ 遊 心 法 界 記 ﹄ ︹○ ︺ ﹃ 十 二 門 論 宗 致 義 記 ﹄ ︹ ○ ︺ ﹃ 般 若 心 経 疏 ﹄ ︹ ○ ︺ ﹃ 華 厳 経 発 菩 提 心 章 ﹄ ︹ △ ( ﹃ 催 邪 輪 荘 厳 記 ﹄ ) ︺ (4) 慧 苑
﹃ 華 厳 経 刊 定 記 ﹄ ︹○ ︺ (5) 澄 観 ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ ︹◎ ☆ ★ ○ ︺ ﹃ 随 疏 演 義 砂 ﹄ ︹◎ ☆ ★ ○ ︺ ﹃ 行 願 品 疏 ﹄ ︹◎ ○ ︺ ( 五 二 ) ﹃ 華 厳 法 界 玄 鏡 ﹄ ︹ △ ( ﹃ 仏 光 観 法 門 ﹄ ) ︺ ( 五 三 ) ﹃ 華 厳 経 綱 要 ﹄ ︹△ ( ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ ) ︺ ( 五 四 ) ﹃ 三 聖 円 融 観 ﹄ ︹△ ( ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ ) ︺ (五 五 ) ﹃ 大 華 厳 経 略 策 ﹄ ︹△ ( ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ ) ︺ (五 六 ) ﹃ 五 蕊 観 門 ﹄ ︹○ ︺ (登) 宗 密 ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ ︹◎ ︺ ﹃ 円 覚 大 疏 紗 ﹄ ︹○ ︺ ﹃ 円 覚 道 場 修 証 儀 ﹄ ︹◎ ︺ ﹃ 行 願 品 疏 砂 ﹄ ︹ ○ ︺ 右 は 中 国 華 厳 祖 師 の 著 作 に 対 す る 明 恵 の 書 写 等 の 行 為 に つ い て 見 た も の で あ る が、 こ れ か ら 明 恵 に お け る 華 厳 教 学 の 研 鐙 の 内 容 を 纒 め る と、 次 の 様 に な る。 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 杜 順 や 智 綴 及 び 慧 苑 に つ い て は、 そ の 主 要 な 著 作 を 見 て い る。 法 蔵 や 澄 観 に つ い て は、 そ の 全 著 作 に わ た っ て で は な い が、 主 要 な 著 作 に 目 を 通 し て い る こ と が 知 ら れ る。 宗 密 に つ い て は、 彼 の 円 覚 経 注 釈 五 部 作 の 中 で ﹃ 円 覚 経 略 疏 註 ﹄ ﹃ 円 覚 経 大 疏 紗 ﹄ ﹃ 円 覚 経 道 場 修 証 儀 ﹄ の 活 用 は 見 (五 七 ) (五 八 ) ら れ る も の の、 ﹃ 円 覚 経 略 疏 ﹄ ﹃ 円 覚 経 大 疏 ﹄ は 用 い ら れ て い な い。 ま た ﹃ 原 人 論 ﹄ ﹃ 禅 源 諸 詮 集 都 序 ﹄ に つ い て は 触 (五 九 ) れ ら れ て い な い。 た だ し ﹃ 孟 蘭 盆 経 疏 ﹄ は、 明 恵 の 著 作 ﹃ 孟 蘭 盆 経 総 釈 ﹄ に 引 用 さ れ て い る。 こ の 外 で は 李 通 玄 の 著 作 ﹃ 華 厳 経 合 論 ﹄ ﹃ 決 疑 論 ﹄ ﹃ 十 明 論 ﹄ を 広 論 ・ 略 論 ・ 十 明 論 の 三 論 と し て ﹃ 解 脱 門 義 ﹄ 等 に 頻 繁 に 引 用 し て い る。 以 上 明 恵 に お け る 華 厳 教 学 の 研 鑛 の 内 容 を 見 て 来 た。 そ の 結 果 は、 中 国 華 厳 祖 師 の 著 作 に つ い て は、 ほ ぼ 全 体 的 に 目 を 通 し て い る こ と が 知 ら れ る。 こ れ は 広 範 な る 華 厳 教 学 の 受 容 を 示 す も の で あ る が、 や は り 研 鑓 の 中 核 と な る 著 作 が 当 然 あ っ た 筈 で あ る。 そ れ は 一 体 何 で あ ろ う か。 こ の こ と を 窮 い 知 る 好 個 の 資 料 が あ る。 そ れ は ﹃ 解 脱 門 義 聴 集 記 ﹄ ( 六 〇 ) 第 五 に 述 べ ら れ て い る 次 の 文 で あ る。 和 尚 語 テ 云、 持 経 ニ ハ 円 畳。 十 無 蓋。 出 現 品。 ︹ ( 割 註 ) 六 巻 経 ト 云 ハ 是 也 ︺ 律 ニ ハ。 梵 網 疏。 論 ニ ハ 起 信 論。 是 ヲ 以 テ 随 分 ノ 三 學 ノ 法 門 ニ ア テ ゝ。 所 学 ト ス ヘ シ。 又 随 求 タ ラ ニ ヲ 以 テ。 持 念 ノ タ ラ ニ ト シ テ。 修 行 ノ 用 心 ニ ハ。 此 解 脱 門 義 信 義 ヲ 以 テ。 顯 ノ 行 門 ニ ハ ア ツ ヘ シ。 真 言 行 法 云 云。 是 ハ 随 分 二 思 ヒ 得 タ ル ト コ ロ ヲ 云。 シ タ ル 也 云 云。 右 の 文 の 傍 線 部 分 に 示 さ れ て い る 三 学 の 法 門 が、 明 恵 の 修 学 の 中 核 を な す も の と 考 え ら れ る。 具 体 的 に は、 持 経 と し て は ﹃ 円 覚 経 ﹄ ﹃ 華 厳 経 十 無 壷 蔵 品 ﹄ ﹃ 華 厳 経 如 来 出 現 品 ﹄ で あ る。 こ れ ら 三 経 は 建 保 二 年 ( 一 二 一 四 ) 十 二 月 七 日
( 六 一 ) 撰 述 の ﹃ 持 経 講 式 ﹄ で 取 り 上 げ ら れ て い る も の で あ る。 律 は 法 蔵 ﹃ 梵 網 菩 薩 戒 本 疏 ﹄、 論 は ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ で あ る。 以 上 の 三 学 の 法 門 が、 明 恵 の 華 厳 法 門 の 研 鑛 の 中 核 を 形 成 す る も の で あ る。 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学
密 教 文 化 ︻ 註 ︼ ( 一 ) 明 恵 上 人 資 料 第 二、 一 一 四 九 頁。 ﹃ 華 厳 血 脈 ﹄ の 成 立 年 代 は、 建 徳 元 年 ( 一 三 七 〇 ) 頃 で あ る。 拙 稿 ﹁ 鎌 倉 期 華 厳 宗 の 動 向 ︹ 1 ︺ ﹂ 印 仏 研 第 四 十 二 巻 第 一 号、 六 〇 下 参 照。 ( 二 ) 大 正 七 二 ・ 六 七 上 ( 三 ) 同 六 七 下 ( 四 ) 同 六 八 下 (五 ) 仏 全 一 二 三 ・ 三 〇 八 下 (六 ) 同 三 一 一 上 (七 ) 同 三 一 二 上 ( 八 ) 同 三 一 二 下 (九 ) 同 三 〇 七 上 ( 一 〇 ) 同 三 一 〇 下 ( 一 一 ) 同 三 一 〇 上 ( 一 二 ) 仏 全 九 二 ・ 一 八 五 上 ( 一 三 ) 以 長 承 三 年 初 穐 中 旬 以 仁 和 寺 池 上 亭 眺 門 弟 令 書 罵 之 (中 略 ) / 東 大 寺 花 厳 宗 良 畳 記 之 (﹃ 平 安 遺 文 ﹄ 題 践 編 一 三 五 四 ) ( 一 四 ) 仏 全 一 二 三 ・ 三 一 四 下 ( 一 五 ) 是 以 播 州 性 海 寺 本 (中 略 )。 彼 寺 者 是 如 幻 上 人 遺 跡。 華 厳 所 學 之 一 寺 也。 尤 可 レ為 二 亀 鑑 一者 歎 (仏 全 九 二 ・ 二 一 一 上 ) ( 一 六 ) 十 時 秀 全 ・ 茨 木 一 成 編 ﹁ 播 磨 国 明 石 郡 性 海 寺 文 書 ﹂ ヒ ス ト リ ア 第 五 三 号、 四 三 下 ( 一 七 ) 美 濃 部 重 克 校 注 ﹃ 閑 居 友 ﹄ 三 弥 井 書 店、 一 七 三 上 -一 七 四 上 に 収 録 ( 一 八 ) 沙 門 如 幻 者。 左 京 人。 住 東 大 寺。 唯 識 因 明 之 碩 学 也。 学 秘 教 交 衆 之 間。 本 名 叡 尊。 発 心 之 後。 号 如 幻。 大 悲 利 生 如 仏 陀。 爾 後 到 播 磨 国。 住 高 和 谷。 国 中 纈 素。 帰 依 渇 仰。 生 年 六 十 二。 冬 十 二 月 二 日。 其 身 髭 几。 奉 念 観 音。 面 貌 不 変。 端 坐 頓 滅。 里 人 多 来。 多 語 往 生 夢 之 者。 又 備 中 国 住 人 某 夢。 七 宝 車 指 西 而 行。 問 之。 有 人 云。 如 幻 上 人 往 生 也。 彼 人 上 洛 之 次。 宿 於 播 州 東 風 寺。 相 語 此 事。 彼 寺 住 僧 伝 之。 (﹃ 改 定 史 籍 集 覧 ﹄ 第 十 九 冊、 八 頁 ) ( 一 九 ) ﹃ 法 然 上 人 傳 の 成 立 史 的 研 究、 第 四 巻、 研 究 篇 -知 恩 院 本 法 然 上 人 行 状 絵 図 を 中 心 と し て ー ﹄ 所 収 の 三 田 全 信 ﹁法 然 上 入 傳 の 成 立 史 的 研 究 序 説 ﹂ 七 五 頁 ( 二 〇 ) 浄 土 宗 全 書 十 六、 八 〇 二 下 -八 〇 三 上 ( 二 一 ) 同 書 五 三 四 -五 頁 ( 二 二 ) 承 安 四 年 甲 午 正 月 十 四 日 払 七 十 四 老 眼 敬 金 剛 峰 寺 東 大 寺 南 端 本 校 書 写 畢。 願 主 東 大 寺 花 厳 宗 法 橋 上 人 位 景 雅 為 臨 終 正 念 往 生 極 楽 花 厳 円 宗 興 隆 仏 法 自 他 平 等 利 益 也。 敬 白 本 枇 記 也 ( 二 三 ) 大 正 七 二 ・ 六 九 上
( 二 四 ) 仏 全 七 ・ 一 六 四 上 下 ( 二 五 ) 同 二 〇 二 上 ( 二 六 ) 同 二 〇 二 下 ( 二 七 ) 六 十 一 の 問 答 に つ い て ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ の 論 義 と 対 応 す る も の を 調 べ た 結 果、 問 答 の 文 言 が 全 同 な も の (◎ で 表 記 )、 問 答 の 文 言 が ほ ぼ 一 致 す る も の (○ で 表 記 )、 問 い の 論 題 が 同 じ も の ( ※ で 表 記 ) の あ る こ と が 分 か っ た。 以 下 そ れ を 示 す こ と に す る。 但 し ☆ は ﹃華 厳 論 草 ﹄ の 論 義 に 対 応 し な い こ と を 表 わ す。 (1) -(4) ( ☆ ) (5) ( ※ ) (6) -(8) ( ☆ ) (9) ( ※ ) (10) -(14) ( ☆ ) (15) ( ※ ) (16) ( ☆ ) (17) ( ○ ) (18) ( ☆ ) 19 ( ※ ) (20) ( ☆ )(21) ( ◎ )(22) -(23) ( ☆ )(26) ( ○ )(27) (☆ )(28) ( ○ ) (29)(30) ( ☆ )(31)(32) ( ○ )(33) -(41) ( ☆ )(42) -(45) ( ○ ) (46) ( ◎ )(47)(48) ( ○ )(49) -(51) ( ☆ )(52) (◎ )(53) -(61) ( ○ ) ( 二 八 ) 大 正 七 二 ・ 六 五 中 (二 九 ) ( 答 ) 約 諸 縁 起 法。 不 可 説 是 常。 由 彼 挙 膿 即 是 無 常 故 也。 亦 不 可 説 其 無 常。 由 此 挙 髄 即 彼 常 法 故。 是 故 文 日 非 四 句。 随 義 磨 知 也 師 説 (大 正 七 三 ・ 六 二 中 ) (三 〇 ) 同 七 二 六 上 (三 一 ) 巻 第 十 二 ﹁ 又 集 量 論。 以 有 漏 智 断 非 想 煩 悩 云 云。 此 興 福 寺 永 超 僧 都 幼 少 時。 於 叡 山 戯 作 書 ﹂ (大 正 七 二 ・ 七 三 六 中 ) ← ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ (同 六 四 中 ) 巻 第 十 三 ﹁有 抄 云。 彼 論 不 注 作 者。 錐 然 開 元 貞 元 録 等 具 載 之。 了 義 燈 中 又 引 之。 -非 真 聖 教 云 云 ﹂ ( 同 七 四 五 中 ) ← ﹃ 華 厳 論 草 ﹄ ( 同 六 五 中 ) ( 三 二 ) 井 川 定 慶 集 解 ﹃ 法 然 上 人 傳 全 集 ﹄ 一 三 -一 四 頁 (三 三 ) 法 然 の 南 都 遊 学 に つ い て、 信 覚 撰 か ﹃源 空 上 人 私 日 記 ﹄ (建 保 六 年 ( 一 二 一 八 ) 頃 成 立 ) や 宿 蓮 房 撰 か ﹃ 法 然 上 人 伝 記 (醍 醐 本 ) ﹄ (仁 治 三 年 ( 一 二 四 二 ) 頃 成 立 ) に は 関 連 記 事 は 無 い。 し か し 隆 覚 撰 ﹃ 知 恩 講 私 記 ﹄ (建 保 六 年 ( 一 二 一 八 ) -嘉 禄 二 年 ( 一 二 二 六 ) 頃 成 立 ) に は、 南 都 の 碩 学 を 訪 ね て い る こ と を 示 す。 例 え ば 華 厳 に つ い て は ﹁東 大 寺 長 老 ﹂ と 記 す。 具 体 的 な 名 前 を 出 し て い る の は、 琳 阿 本 ﹃法 然 上 人 伝 絵 記 ﹄ ( 弘 安 五 年 ( 一 二 八 二 ) -正 安 三 年 ( 一 一二 〇 一 ) に 成 立 )、 宗 昭 撰 ﹃拾 違 古 徳 伝 絵 ﹄ ( 正 安 三 年 ( 一 一二 〇 一 ) 成 立 )、 舜 昌 撰 ﹃法 然 上 人 伝 記 (九 巻 伝 ) ﹄ ( 延 慶 四 年 ( 一 三 一 一 ) 成 立 ) で あ る。 舜 昌 撰 ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ( 四 十 八 巻 伝 ) ﹄ ( 延 慶 四 年 ( 一 三 一 一 ) -元 亨 三 年 ( 一 一二 二 三 ) 頃 の 成 立 ) は 九 巻 伝 を 承 け た も の で あ る。 以 上 か ら 法 然 の 南 都 遊 学 は 史 実 を 伝 え た も の と 見 て よ い。 ( 三 四 ) 仏 全 一 ・ 八 五 下 (三 五 ) 続 蔵 二 -八 -五 ・ 四 一 八 左 下 ( 三 六 ) 同 四 四 一 九 左 下 -四 二 〇 右 上 ( 三 七 ) 同 四 二 一 右 上 明 恵 に お け る 修 学 と 華 厳 教 学