密
教
文
化
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
金
七
十
論
と
の
関
係
-同
異
点
に
関
す
る
逐
語
的
研
究
高
木
諦
元
序
数
論
学
派
(
S
a
m
k
h
y
a
)
は
所
謂
イ
ン
ド
六
派
哲
学
の
一
で
あ
る
が
そ
の
教
理
は
深
く
イ
ン
ド
思
想
に
影
響
を
与
へ
、
そ
の
範
囲
も
広
く
文
学
、
法
律
、
医
学
の
面
に
ま
で
も
及
ん
で
ゐ
る
。
数
論
思
想
が
偉
大
な
る
勢
力
を
有
し
て
ゐ
た
こ
と
は
、
仏
教
の
如
き
非
正
統
的
な
学
派
か
ら
も
、
ヴ
ェ
ー
ダ
ー
ン
タ
派
の
如
き
正
統
バ
ラ
モ
ン
思
想
の
面
か
ら
も
常
に
攻
撃
の
矢
を
向
け
ら
れ
て
ゐ
る
事
実
に
よ
つ
て
も
首
肯
さ
れ
る
で
あ
ら
う
。
﹁
数
論
偶
﹂
の
註
訳
書
た
る
﹁
金
七
十
論
﹂
が
、
仏
教
僧
真
諦
(
P
a
r
a
m
a
r
t
h
a
)
に
よ
つ
て
漢
訳
せ
ら
れ
た
こ
と
も
、
こ
の
事
を
如
実
に
物
語
つ
て
ゐ
る
。
左
程
に
重
要
な
地
位
を
占
め
、
大
き
な
勢
力
を
有
し
て
ゐ
た
に
も
か
か
は
ら
ず
、
こ
の
派
の
古
い
文
献
は
殆
ど
散
侠
し
て
し
ま
い
、
僅
か
に
残
存
せ
る
断
片
に
よ
つ
て
、
そ
の
原
始
形
態
の
二
端
を
窺
知
で
き
る
に
す
ぎ
な
い
。
然
し
、
最
近
発
見
せ
ら
れ
た
ユ
ク
テ
ィ
・
デ
ィ
ー
ピ
カ
ー
(
Y
u
k
t
id
ip
ik
a
)
は
従
来
闇
黒
の
ま
ま
に
お
か
れ て ゐ た 数 論 史 に 対 し 、 数 条 の 光 を 投 げ か け る で あ ら う 。 こ の 書 の 研 究 が 侯 た れ る 所 以 で あ る 。 兎 も 角 、 わ れ わ れ は 、 本 学 派 の 基 本 聖 典 と し て 、 イ ー シ ュ ワ ラ ・ ク リ シ ュ ナ ( Is v a r a k r s n a 自 在 黒 大 体 四 ・ 五 世 紀 頃 か ) の 編 め る ﹁ 数 論 偶 ﹂ ( S a m k h y a k a r ik a ) を 有 す る の み で あ り 、 従 つ て 又 、 数 論 思 想 の 研 究 も 、 そ の 大 半 は 本 書 に 依 ら ざ る を 得 な い 現 状 で あ る 。 事 実 、 こ の 学 派 に お い て も 、 数 論 偶 が 著 は さ れ て 以 来 、 思 想 的 に は 本 質 的 な 動 き は 殆 ど 認 め ら れ ず 、 そ れ 以 後 は 専 ら こ の ﹁ 数 論 偶 ﹂ に 対 し て 多 く の 註 釈 書 が 造 ら れ た 。 こ の 中 、 現 に 出 版 せ ら れ て ゐ る も の に ﹁ 金 七 十 論 ﹂ 、 ﹁ ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 ﹂ ( Q a u d a p a d a -b h a s y a ) 、 ﹁ マ ー タ ラ 評 註 ﹂ ( M a t h a r a v r t ti ) 、 ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ ー ﹂ ( Y u k t id ip ik a ) 、 ﹁ タ ッ ト ブ カ ウ ム デ ィー ﹂ ( v a c a s p a t im is r a; T a t t v a k a u m u d i) 、 ﹁ チ ャ ン ドリ カ ー ﹂ ( N a r a y a n a t ir t h a; C a n d r ik a ) 、 ﹁ ヂ ャ ヤ マ ン ガ ラ ー ﹂ ( S a n k a r a; J a y a m a n g a la ) 等 が あ る 。 此 の 他 に も な (1) ほ 未 刊 の も の も あ る よ う で あ り 、 ま た 今 後 発 見 さ れ る 可 能 性 も 大 い に 存 在 す る 。 拠 、 右 の 諸 註 釈 書 の 中 、 ﹁ 金 七 十 論 ﹂ は 西 暦 五 四 八-五 六 九 年 の 間 に 、 ウ ジ ャ イ ン 出 身 の 仏 教 僧 、 真 諦 三 蔵 に よ つ て 漢 訳 せ ら れ 、 大 正 大 蔵 経 、 第 五 四 巻 に 収 蔵 さ れ て ゐ る 。 然 し 、 そ の 原 本 は 未 だ 回 収 せ ら れ て ゐ な い 。 も し も 、 ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ-七 二 に あ ら は れ る M u la -k a n a k a p in d a が 、 そ れ を 指 す と す れ ば 、 こ れ は 梵 本 に あ ら は れ る 唯 一 の も の で あ る 。 次 に ﹁ ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 ﹂ は 梵 本 も 公 刊 さ れ 、 英 訳 も な さ れ て 出 (2) 版 せ ら れ て ゐ る 。 そ の 年 代 は 明 確 で な い が 、 大 体 七 ・ 八 世 紀 (3) 頃 と み ら れ 、 マ ー タ ラ 評 註 よ り も 前 で あ ら う と せ ら れ る 。 ﹁ マ ー タ ラ 評 註 ﹂ は 今 か ら 略 四 十 年 前 に 発 見 せ ら れ 、 一 九 二 二 年 、 ベ ナ レ ス で 出 版 さ れ た ( M a th a r a -v r tt i, e d. b y v i s h n u P r a sa d S a r m a, B e n a r e s 1 9 22 -C h o w k h a m b a S a n s k r i t S e r ie s, N o. 2 9 6 ) 。 こ の 書 は 末 だ 和 訳 は 勿 論 、 他 の い か な る 外 国 語 に も 翻 訳 公 刊 せ ら れ て ゐ な い 。 筆 者 は 曽 て 故 五 十 嵐 智 昭 氏 に よ つ て 英 訳 さ れ 乍 ら 、 長 く 駿 底 に 埋 れ た ま ゝ に な つ て ゐ た 評 註 の 校 訂 を 命 ぜ ら れ 、 そ の 際 別 に 和 訳 を も 併 せ 行 な つ た 。 こ れ ら 評 註 の 英 訳 及 び 和 訳 は 別 の 機 会 に 上 梓 せ ら れ る で あ ら う が 、 以 上 の 三 本 は そ の 内 容 が 極 め て よ く 類 似 し て ゐ る 。 従 つ て 、 当 初 、 ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 と 金 七 十 論 ( の 梵 本 ) は 同 一 の 根 源 を 土 有 し 、 そ れ に 基 い て 独 立 的 に 書 か れ た も の で あ ら う と の 説 が 行 な は れ た 。 然 し こ の 説 は 高 楠 博 士 に ょ つ て 斥 け ら れ 、 両 書 の 精 密 な る 比 較 研 究 の 結 果 、 ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 は 直 接 金 七 十 論 ( の 梵 本 ) を 利 用 し て 、 別 に 一 書 (4) を 編 め る も の と さ れ た 。 そ の 後 、 マ ー タ ラ 評 註 が 発 見 せ ら れ る に 及 ん で 、 ベ ル ヴ ァ ル カ ル は 金 七 十 論 と の 関 係 及 び そ の 年 (5) 代 に つ い て 発 表 し た 。 そ れ に よ れ ば 、 彼 は マ ー タ ラ 評 註 を 金 七 十 論 の 原 典 と 見 倣 し 、 後 に は 金 七 十 論 の 原 本 に 脱 落 と 増 補 (6) の 加 つ た も の と 修 正 し て 、 そ の 年 代 を 西 暦 四 〇 〇 年 と し た 。 こ れ と 同 一 見 解 を と る 学 者 に バ ッ タ チ ャ ル ヤ が ゐ る 。 彼 は マ ー タ ラ 評 註 に 因 明 の 三 十 三 過 ( t r a y a s t r i m sa d a b h a s a ) が 説 か れ 、 ま た マ ー タ ラ 評 註 の 二 文 が パ ン ヂ カ ー に 引 用 さ れ て ゐ (7) る と こ ろ か ら 、 五 世 紀-八 世 紀 と み る 。 そ の 他 、 ド ゥ ル ヴ ァ は ヂ ャ イ ナ 教 所 属 の A n u y o g a d v a r a 中 に M a d h a r a な る 名 称 を み つ け 、 こ の 書 の 推 定 年 代 た る 二 世 紀 後 半-三 世 紀 前 マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係
密 教 文 化 (8) 半 を 以 て 、 そ れ に 当 て 、 ウ メ ー シ ャ ・ ミ シ ュ ラ の 如 き 十 世 紀 (9) 以 後 と す る 学 者 も あ る 。 こ れ に 対 し て 、 我 が 国 の 山 本 快 龍 氏 は 数 論 偶 三 七 に 対 す る マ ー タ ラ 評 註 の 二 文 が Q u n a r a tn g T a r k a -r a h a s y a -d ip ik a に 引 用 せ ら れ 、 ま た マ ー タ ラ が 金 七 十 論 ( の 梵 本 ) か ら 引 用 し て ゐ る 事 実 が あ る と し て 、 五 五 〇 (10)
-八○○年
の
年
代
を
推
定
し
て
ゐ
る
。
然
し
、
ベ
ル
ヴ
ァ
ル
カ
ル
な
ど
に
よ
つ
て
主
張
せ
ら
れ
た
マ
ー
タ
ラ
評
註
を
漢
訳
金
七
十
論
の
原
典
に
擬
す
る
説
は
、
両
本
の
内
容
を
比
較
し
た
ス
ル
ヤ
ナ
ラ
ヤ
ナ
ン
の
研
究
に
よ
つ
て
、
そ
の
根
拠
を
失
つ
た
や
(11)
う
に
思
は
れ
る
。
だ
が
、
彼
は
直
接
漢
訳
そ
の
も
の
に
つ
い
て
で
は
な
く
て
、
高
楠
博
士
の
フ
ラ
ン
ス
語
訳
に
依
つ
た
も
の
の
如
く
で
あ
り
、
看
過
せ
ら
れ
て
ゐ
る
点
も
少
な
か
ら
ず
あ
る
よ
う
で
あ
る
。
従
つ
て
、
以
下
、
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
漢
訳
金
七
十
論
と
を
逐
語
的
に
比
較
検
討
し
、
(12)
両 書 の 関 係 を 明 ら か に し た い と 思 ふ 。 然 し 、 そ の 際 、 多 少 の 字 句 の 相 違 、 説 明 の 濃 淡 、 順 序 の 前 後 な ど の 一 々 は 、 前 記 、 英 ・ 和 訳 に 附 す る 註 記 に ゆ ず り 、 こ の 際 は 、 主 要 な 点 の み を 指 摘 す る に と ゝ め る 。 (1) 数 論 偶 に 対 す る 新 し い 註 釈 の 写 本 の あ る こ と が 、 本 多 恵 氏 に よ つ て 報 告 せ ら れ て ゐ る ( 名 古 屋 大 学 文 学 部 研 究 論 集 ︹ 哲 学 ︺ 二 四 巻 、 一 六 〇 頁 ) (2) 曽 つ て 原 公 厳 氏 が 和 訳 を 試 み た こ と も あ る 。﹁ 僧 怯 迦 梨 迦 偶 陀 波 陀 註 釈 和 訳 ﹂ (仏 教 学 雑 誌 第 二 巻 第 三-九 号 ) 大 正 一 〇 年 東 京 仏 教 文 学 会 発 行 (3) (4) (5) (6) (7)(8)
(9) (10) 以 上 、 諸 学 者 の マ ー タ ラ 評 註 に 対 す る 研 究 に つ い て は 、 M. E l ia d e; Y o g a: Immortality a n d F r e e d o m, b. 369fを み よ 。 (11) (12) 著 者 マ ー タ ラ に 関 し て 、 曽 つ て 月 氏 国 王 栴 檀 尉 尻 咤 の 大 臣 を 務 め た 摩 咤 羅 (雑 宝 蔵 経 巻 七 ) に 擬 せ ら れ た こ と も あ り 、 提 婆 菩薩 釈 携 伽 経 中 外 道 小 乗 浬 桀 論 に ﹁ 摩 陀 羅 論 師 言 云 々 ﹂ と あ る も 、 何 れ も 今 の マ ー タ ラ と は 別 人 で あ る 。 現 在 の と こ ろ 、 評 註 の 作 者 に つ い て は 何 ら 知 る と こ ろ が な い 。 一 、 マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と が 略 々 一 致 し 、 し か も ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 に 欠 け る 箇 所 ( a ) ア ー ス リ ( A su r i 阿 修 利 ) が 開 祖 カ ピ ラ ( K a p il a 迦 砒 羅 ) 仙 の 門 に 入 る 動 機 に 関 す る 物 語 り の 部 分 ︹ マ ー タ ラ 評 註 ︺ ( C h o w k h. S.S., N o. 2 9 6 P. 2, l. 4-1 9 ) ﹁ か や う に 考 へ て 、 彼 ︹ カ ピ ラ 仙 ︺ は 、 勝 れ た バ ラ モ ン の 同 族 、 ア ー ス リ が 一 千 年 も の 問 供 犠 し 続 け 、 倦 む こ と な く バ ラ モ ン 伝 統 の 学 問 に よ つ て 教 示 し て ゐ る と こ ろ に 行 つ て ︹ 次 の や う に ︺ 云 つ た 。 ﹃ お ゝ 、 お ゝ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 。 汝 は 未 だ 家 住 法 ( g rh a s t h a -d h a r m a ) に 楽 し ん で (=と ゝ ま つ て ) ゐ る の か ﹄ 。 彼 ︹ ア ー ス リ ︺ は ︹ カ ピ ラ 仙 に 答 へ て ︺ 云 つ た 。 ﹃ そ う で す 。 私 は な ほ ︹ 家 住 法 を ︺ 楽 し ん で ゐ ま す ﹄ こ の や う に 答 へ ら れ て 、 か の 牟 尼 は < こ の ︹ 人 ︺ は 弁 別 智 ( v i v e k a ) と 離 貧 ( v a i r a g y a ) を 殆 ど 証 得 し て ゐ な い > と 考 へ て 、 消 え 去 つ た 。 そ れ か ら 、 さ ら に 次 の 一 千 年 が 過 ぎ た と き 、 再 び 立 ち 現 は れ て 、 実 に 同 じ こ と を 云 つ た 。 ﹃ お ゝ 、 お ゝ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 。 汝 は 家 住 法 に よ つ て 楽 し ん で ゐ る の か ﹄ 彼 ︹ ア ー ス リ ︺ は ︹ カ ピ リ 仙 ︺ に 答 へ た 。 ﹃ おゝ 、 私 は 楽 し ん で ゐ ま す ﹄ と 。 す る と 、 そ の 大 喩 伽 者 た る イ ン ド ラ (=カ ピ ラ 仙 ) は ︹ 前 と ︺ 同 じ く 消 え 去 つ た 。 そ し て 、 第 三 の ま る 一 千 年 が 過 ぎ た と き 、 再 び 現 は れ て 云 つ た 。 ﹃ お ゝ 、 お ゝ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 、 ア ー ス リ よ 。 汝 は ︹末 だ ︺ 家 住 法 に よ つ て 楽 し ん で ゐ る か ﹄ と 。 彼 ア ー ス リ は 答 へ て 云 つ た 。 ﹃ い や 、 ︹最 早 や 家 住 法 に は ︺ 楽 し ん で ゐ ま せ ん ﹄ と 。 そ こ で 、 か の 尊 者 は 尋 ね て 云 つ た 。 ﹃ 何 故 か ﹄ と 。 ア ー ス リ は 再 び 答 へ て 云 ふ 。 ﹃ ︽ 何 故 な ら 三 苦 に 逼 ら れ る か ら ( S K ・I )︾﹄ と 。 そ こ で ピ カ ラ は 云 つ た 。 マー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係
密 教 文 化 ﹃ 汝 は 梵 行 ( b r a h m a c a r y a ) に 住 す る こ と が で き る か ど う か 。 若 し 、 そ れ に 耐 え る こ と が で き る な ら 、 私 は 三 苦 の 滅 を 教 示 し ょ う ﹄ 彼 ︹ ア ー ス リ ︺ は 云 つ た 。 ﹃ 尊 者 よ 、 必 ず や 私 は 尊 師 の 教 に 従 ふ こ と が で き る で せ う ﹄ と 。 か く て 、 彼 ア ー ス リ は 家 住 法 と 妻 子 等 を 捨 て ゝ 、 隠 者 と し て 尊 き 楡 伽 行 者 カ ピ ラ 阿 閣 梨 の 弟 子 と な つ た と い ふ こ と で あ る 。 (1) ︹ 金 七 十 論 ︺ (對中 5 4巻、P. 1 2 4 5 a, l. 8-15) ( 迦 毘 羅 仙 ) 偏 く 世 間 を 観 る に 、 一 の 婆 羅 門 あ り 、 姓 を 阿 修 利 ︹と 云 ひ ︺ 、 千 年 天 を 祠 る を 見 る 。 身 を 隠 し て 彼 に 往 き 、 是 く の 如 き 言 を 説 け り 。 ﹁ 阿 修 利 よ 、 汝 は 在 家 の 法 に 戯 る ﹂ と 。 是 の 言 を 説 き 寛 つ て 即 便 ( す な わ ち ) 還 り 去 る 。 千 年 を 満 た し 巳 つ て 更 に 来 り 、 重 ね て 、 上 の 言 を 説 く 。 是 の 婆 羅 門 、 即 ち ︹ 迦 毘 羅 ︺ 仙 に 答 へ て 日 く 、 ﹁ 世 尊 よ 、 我 実 に 在 家 の 法 を 戯 楽 す ﹂ と 。 是 の 時 、 仙 人 聞 き 巳 つ て 復 た 去 れ り 。 其 の 後 、 更 に 来 つ て 又 上 の 言 を 説 く 。 婆 羅 門 こ れ ( 之 ) に 答 へ て 、 亦 是 く の 如 く 説 く 。 仙 人 は 問 ふ て 日 く 、 ﹁ 汝 能 く 清 浄 に 梵 行 に 住 せ ん や 、 不 や ﹂ と 。 婆 羅 門 の 言 く 、 ﹁ 是 く の 如 く 能 く 住 せ ん ﹂ と 。 即 ち 、 ﹁ 家 法 を 捨 て ゝ 、 出 家 の 行 を 修 し 、 迦 毘 羅 が 弟 子 と 為 る ﹂ 。 尤 も 、 マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と は 、 そ の 記 述 が 全 同 で は な い 。 金 七 十 論 で は 、 ア ー ス リ が 最 早 や 家 住 法 に 満 足 し て ゐ な (2) い 点 は 述 べ て ゐ な い し 、 文 脈 も マ ー タ ラ 程 明 瞭 で な い 。 ( b ) 数 論 偶 七 に 対 す る 註 釈 中 、 四 種 の 実 際 上 存 在 し な い も の を 挙 げ る 部 分 ︹ マ ー タ ラ 評 註 ︺ (P. 1 5 N. 6-12) ︹ さ ら に ︺ 四 種 の 存 在 し な い も の (=無 ) が あ る 。 そ れ に つ い て 、 次 の 如 く 云 は れ る 。 前 ︹無 ︺ ( p r a k -)、 滅 ︹無 ︺ ( P r a d h v a m s a -) 、 相 互 ︹無 ︺ ( it a r e t a r a -) 、 窮 極 無 ( a t y a n t a b h a v a ) の 区 別 が あ る か ら 。 こ の 中 、 ︹ た と へ ば ︺ 瓶 は 、 作 ら れ る 以 前 に は 土 魂 中 に 認 め ら れ な い と い ふ が 如 き が 、 前 無
(3) で あ る 。 滅 無 と は 、 た と へ ば 槌 で 打 ち 壊 は さ れ て 、 完 全 に 破 壊 せ ら れ た 瓶 は ︹最 早 や 瓶 と し て は ︺ 知 覚 せ ら れ な い 。 相 互 無 と は 、 た と へ ば 馬 に は 牛 性(gotva) ︹ は な く ︺ 、 牛 に は 馬 性 ︹ は な い が 如 き ︺ で あ る 。 窮 極 無 と は 、 た と へ ば 、 二 頭 を 有 す る も の や 、 三 腕 を 有 す る も の 或 は 兎 の 角 な ど の 如 き も の で あ る ﹂ 。 ︹ 金 七 十 論 ︺ ( P. 1 2 4 6 b, N. 1 7-22) 無 物 に 四 種 有 り 。 亦 復 、 知 る べ か ら ず 。 一 に は 生 前 不 可 見 。 泥 の 未 だ 器 と 作 ら ざ る 、 器 は 則 ち 知 る べ か ら ざ る が 如 し 、 二 に は 壊 し て 無 き (=壊 無 ) が 故 に 見 ず 。 瓶 の 破 壊 し 巳 つ て 、 則 ち 、 復 た 知 る べ か ら ざ る が 如 し 。 三 に は 互 に 無 き (=互 無 ) が 故 に 見 ず 。 牛 の 中 に 馬 を 見 ず 、 馬 め 中 に 牛 を 見 ざ る が 如 し 。 四 に は 極 無 の 故 に 見 ず 。 非 自 在 入 の 二 頭 及 び 三 手 の 如 し ﹂ 。 右 に 於 て は 金 七 十 論 に 兎 角 を 欠 く 外 は 全 て 一 致 す る 。 ( c ) ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ の 所 説 を 反 駁 す る 第 九 偶 に 先 行 す る 註 釈 で 、 因 中 有 果 を 難 ず る ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ 、 仏 教 、 邪 命 . 外 道 等 の 説 を 反 駁 せ る 部 分 . ︹ マ ー タ ラ 評 註 ︺ ( P. 1 6, l. 9-21)他 派 の ︹ 見 解 ︺ を 我 々 は 説 く こ と に す る 。 こ の 大 ( m a h a t い 覚 ) 等 は 顕 現 す る 以 前 ︹ か ら 、 す で に ︺ 勝 因 に ︹存 在 す る ︺ 有 (sat) が 生 ず る の で あ る か 、 そ れ と も 非 有 (asat無) が 生 ず る の で あ る か 。 こ の こ と に 関 し て 、 諸 々 の 阿 闇 梨 に 見 解 の 相 違 が あ る 。 だ か ら ︹ 上 述 の 如 き ︺ 疑 ひ が ︹ 生 ず る こ と に な る ︺ 。 こ れ に つ い て 、 ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ 派 の 人 々 は 異 な つ た 見 解 を ︹ も つ て ゐ る ︺ 。 ︹ 即 ち ︺ 、 ﹁ 非 有 ( 目 無 ) か ら 有 が 生 ず る ﹂ と 考 へ る 。 ︹ そ の 理 由 を 示 し て ︺ 、 何 故 な ら 、 顕 現 以 前 の 瓶 は 土 塊 の 中 に は な い か ら し て 、 そ の こ と (=因 中 無 果 ) は 明 確 で あ る ︹と い ふ ︺ 。 ︹ま た ︺ 哀 れ む べ き 邪 命 外 道 の 人 々(jivaka) は ﹃ ︹ 顕 現 以 前 の 瓶 は 土 塊 中 に ︺ あ り 、 ︹ ま た ︺ な い ﹂ と ︹ い ふ ︺ 。 ﹁ ︹因 中 に 果 は ︺ あ る こ と も な く 、 ま た 、 な い こ と も な い ﹂ と い ふ の は 、 仏 教 徒 の 見 解 で あ る 。 こ の よ う な 相 互 に 異 な つ た 学 派 の 見 解 の 中 で 、 一 体 ど れ が 真 に 正 し い 見 解 で あ る の か 。 そ れ に つ い て は ︹ 次 の 如 く ︺ 云 は れ る 。 こ の 中 で 、 ま つ 最 初 に 有 ・ 非 有 論 者 た る 邪 命 外 道 は 実 に 自 語 相 違 の 故 に 否 定 さ れ る 。 も し も 有 ( s a t) で あ る な ら 、 そ の 場 合 非 有 で は あ り 得 な い 。 或 は 、 ︹も し も ︺ 非 マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係
密
教
文
化
有
で
あ
る
な
ら
、
そ
の
と
き
は
有
で
は
あ
り
得
な
い
。
何
故
な
ら
有
と
非
有
と
は
全
く
相
反
す
る
も
の
で
あ
る
か
ら
。
恰
も
、
そ
れ
は
死
せ
る
デ
ー
ブ
ダ
ッ
タ
は
生
き
て
い
る
と
い
ふ
が
如
き
で
あ
る
。
し
か
る
に
、
﹁
有
に
非
ず
、
ま
た
非
有
に
も
非
ず
﹂
。
と
す
る
仏
教
の
︹
見
解
︺
は
根
本
命
題
が
な
い
か
ら
、
彼
ら
と
論
謝
す
る
の
は
正
に
適
当
で
な
い
。
し
か
し
て
、
﹁
非
有
か
ら
有
が
生
ず
る
﹂
と
す
る
ヴ
ァ
イ
シ
ェ
ー
シ
カ
派
の
見
解
を
破
す
る
た
め
に
、
次
の
︹
第
九
偶
︺
が
説
か
れ
る
。
︹
金
七
十
論
︺
(P.
124c, l.
1
1-24)
此
の
論
等
此
く
の
如
き
の
事
有
り
。
若
(=な
ん
じ
)
︹
数
論
の
︺
弟
子
は
則
る
可
し
。
︹
外
人
間
ふ
︺
。
﹁
自
性
等
に
於
て
有
と
為
さ
ん
や
、
無
と
為
さ
ん
や
。
亦
有
亦
無
な
り
や
﹂
。
︹
数
論
日
く
︺
﹁
云
何
ぞ
此
く
の
如
く
な
る
﹂
。
︹外
人
答
ふ
︺
﹁
聖
執
不
同
な
る
が
故
に
。
︹
数
論
に
︺
諸
聖
人
有
つ
て
謂
く
、
土
聚
等
に
巳
に
瓶
等
有
り
と
。
衛
世
師
(=ヴ
ァ
イ
シ
ェ
ー
シ
カ
)
等
の
謂
く
、
﹁
先
は
無
に
し
て
、
後
に
此
の
義
等
有
り
﹂
と
。
釈
迦
の
所
説
は
、
﹁
土
聚
の
中
に
瓶
は
有
な
ら
ず
、
無
な
ら
ず
。
是
の
故
に
、
我
れ
是
の
中
間
を
執
る
﹂
と
。
答
へ
て
日
く
、
我
れ
先
づ
釈
迦
の
執
を
破
し
、
後
に
衛
世
師
を
破
せ
ん
。
釈
迦
の
所
説
の
有
に
非
ず
、
無
に
非
ず
と
は
、
是
の
義
然
ら
ず
。
自
ら
相
違
す
る
が
故
に
。
若
し
有
に
非
ず
ん
ば
、
即
ち
、
無
を
成
じ
、
若
し
無
に
非
ず
ん
ば
、
即
ち
、
是
れ
有
な
り
。
是
の
有
無
な
る
者
、
一
処
相
違
の
故
に
立
る
を
得
ず
。
讐
へ
ば
、
此
の
人
亦
は
死
し
、
亦
は
活
く
と
説
く
こ
と
有
る
が
如
し
。
此
の
言
相
違
す
れ
ば
、
則
ち
成
就
せ
ず
。
釈
迦
の
言
も
亦
是
く
の
如
し
。
今
、
衛
世
師
の
執
邪
を
破
せ
ん
。
衛
世
師
よ
、
我
が
義
の
中
に
五
因
有
り
。
能
く
因
中
有
果
を
顕
は
す
。
右
の
記
述
も
両
本
に
於
て
全
同
で
は
な
い
。
金
七
十
論
で
は
特
に
邪
命
外
道
な
る
名
称
は
出
し
て
ゐ
な
い
が
、
﹁
亦
有
亦
無
と
な
さ
ん
や
﹂
、
或
は
最
後
の
﹁
是
の
有
無
な
る
者
、
一
処
相
違
の
故
に
立
つ
る
を
得
ず
云
々
﹂
と
明
ら
か
に
邪
命
外
道
の
そ
れ
を
指
す。
従
つ
て
、
そ
の
大
意
に
於
て
は
差
異
は
な
い
と
云
は
ね
ば
な
ら
ぬ
。
尤
も
ガ
ウ
ダ
パ
ー
タ
疏
で
は
﹁
大
等
の
果
は
勝
因
の
中
に
有
る
、
或
は
無
い
と
、
諸
々
の
阿
闇
梨
の
見
解
に
相
違
が
あ
る
か
ら
、
こ
の
や
う
な
疑
ひ
が
︹
生
ず
る
の
で
あ
る
︺
。
そ
の
中
、
数
論
の
見
解
(
学
説
)
に
よ
れ
ば
、
果
は
︹
因
中
に
︺
有
で
あ
り
、
仏
教
等
︹
の
説
︺
に
よ
れ
ば
、
果
は
︹
因
中
に
︺
無
で
あ
る
。
も
し
も
有
な
ら
ば
無
で
は
あ
り
得
ず
、
同
様
に
無
な
ら
ば
有
で
は
な
い
。
以
上
の
や
う
な
矛
盾
が
あ
る
の
で
、
次
の
︹
第
九
偶
が
︺
説 か れ る の で あ る ﹂ ( Q a u d a p a d a-b h a sy a, B o m b a y, 1 88 7 昼 P. 4 0 ) と し て ゐ る が 、 マ ー タ ラ 評 註 、 金 七 十 論 の や う に は 詳 細 で な く 、 又 第 九 偶 が ヴ リノ イ シ ェ ー シ カ に 対 す る 反 駁 と も 記 し て ゐ な い . ﹁ 仏 教 ﹂ を 因 中 無 果 説 の 代 表 の や う に 表 現 し て (4) ゐ る こ と も 、 他 の 二 本 と 相 違 す る 。 ( d ) プ ル シ ャ は 多 で あ る と す る 数 論 偶 一 八 に 先 行 す る 註 釈 の 部 分 ︹ マ ー タ ラ 評 註 ︺ ( P. 3 1, l. 1-11) ︹ 論 者 が あ つ て ︺ 云 ふ 。 ﹁ 上 で 述 べ ら れ た 五 種 の 明 確 な 理 由 で 、 身 体 と は 別 に 、 か の プ ル シ ャ ( p u r u sa 霊 我 ) が 存 在 す る こ と を 認 め る と し て も 、 そ れ は 一 体 、 多 く の 身 体 に 一 の プ ル シ ャ が あ る の か 、 そ れ と も 又 、 そ れ ぞ れ の 身 体 に そ れ ぞ れ 異 な つ た プ ル シ ャ が あ る の か 。 ど う し て 、 こ の や う に 疑 ふ か と い へ ば 、 諸 々 の 阿 闇 梨 ︹ の 見 解 ︺ に 相 違 が あ る か ら で あ る 。 こ の 世 間 に 於 て 、 或 る ヴ ェ ー ダ 論 師 の 阿 闇 梨 た ち は ﹃ プ ル シ ャ は 一 で あ り 、 ︹ そ れ が ︺ 一 切 の 身 体 の 中 に 認 め ら れ る 。 恰 も 宝 珠 ︹ を 貫 く ︺ 紐 の 如 く で あ る ﹄ と 考 へ る 。 こ の 世 間 に 於 て は 、 多 く の 宝 珠 が ︹ 一 本 の ︺ 紐 で ︹ 貫 か れ て ゐ る ︺ 。 こ れ ら 一 切 の ︹ 宝 珠 ︺ に 唯 だ 一 本 の 紐 が 通 さ れ て ゐ る の み で あ る 。 こ の や う に 、 多 く の 宝 珠 に 対 す る 一 本 の 糸 の 如 く 、 多 く の 身 体 に 唯 一 の 最 高 我 ( p a r a n a t m a n=プ ル シ ャ ) が あ る の か 、 そ れ と も 、 水 に 映 れ る 月 の や う に 、 プ ル シ ャ は 唯 だ 一 で は あ る け れ ど も 、 河 、 井 戸 、 水 た ま り 等 の 多 く の ︹ 場 所 ︺ で ︹ 多 と し て ︺ 認 め ら れ る の で あ る か 。 だ か ら 、 こ の 糸 、 ︹ 或 は ︺ 紐 の 理 窟 で 、 プ ル シ ャ は 唯 一 で あ る の か 、 そ れ と も ︹ 水 に 映 れ る 月 の 如 く ︺ プ ル シ ャ は 多 で あ る の か 、 と い ふ 疑 ひ が ︹ 生 ず る ︺ 。 そ れ に つ い て ﹃ プ ル シ ャ は 多 で あ る ﹄ と 云 は れ る 。 何 故 か と 云 ふ な ら 、 ︹ 次 の 第 一 八 偶 の 如 く ︺ 云 は れ る 。 ︹ 金 七 十 論 ︺ (P. 1249c, N. 6-12) 此 の 五 種 の 因 に 依 つ て 我 有 り 、 義 は 成 立 す 。 外 が 日 く 、 ﹁ 我 と は 何 の 相 ぞ 、 多 身 土 に 一 我 な る や 。 身 身 各 々 一 我 な る や 。 若 し 云 何 ぞ 此 く の 如 く 疑 ふ と 云 は ば 、 諸 師 の 執 相 違 す る が 故 に 。 有 る が 説 く 、 ﹃ 一 我 は 一 切 の 身 に 偏 満 す 。 珠 を 貫 く 縄 の 、 珠 は 多 く 縄 は 一 な る が 如 く 、 亦 、 砒 紐 天 の 一 万 六 千 の 妃 、 一 時 に 欲 楽 を 同 じ う す る が 如 く 、 一 我 も 亦 是 く の 如 し 。 能 く 一 切 の 身 に 偏 満 す ﹄ と 。 復 た 、 マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係
密 教 文 化 有 余 師 の 説 は ﹃ 身 身 に 各 々 我 有 り ﹄ と す 。 是 の 故 に 我 疑 を 生 ず ﹂ と 。 答 へ て 日 く 、 ﹁ 我 は 多 な り 。 身 に 随 ひ て 各 々 我 有 り ﹂ 。 云 何 ん が 、 是 く の 如 し と 知 る 。 偶 を 以 て 釈 し て 日 く 。 こ こ で も 、 両 本 は 全 く 同 じ と は 云 へ な い 。 金 七 十 論 の ﹁ 砒 紐 天 の 云 々 ﹂ の 一 文 を マ ー タ ラ 評 註 に は 欠 い て お り 、 マ ー タ ラ に お け る ﹁ そ れ と も 、 水 に 映 れ る 月 の 如 く 云 々 ﹂ の 一 文 は 金 七 十 論 に 欠 く 。 し か し 、 大 意 に 於 て は 両 本 に 相 違 は 認 め ら れ な い 。 尤 も 、 厳 密 に は 、 こ の 部 分 は ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 に 欠 く と 云 へ な い か も し れ な い 。 然 し 、 そ こ で は 、 単 に a t h a の a k im a t r o c y a t e. と 述 べ る だ け で 、 極 め て 簡 潔 で あ る 。 ( e ) 第 三 一 偶 に 対 す る 註 訳 で 、 十 三 の 作 具 は 相 互 の 志 向 ( a k u ta ) を 根 拠 と し て 、 そ れ ぞ れ の 作 用 を な す こ と を 説 く 讐 喩 の 部 分 。 ︹ マ ー タ ラ 評 註 ︺ ( P . 4 8, l. 7-12) 讐 へ ば 、 盗 賊 の 群 衆 が 掠 奪 の た め に ︹ 或 る ︺ 村 に 行 く 。 そ の 際 、 盗 賊 の 首 領 は 命 令 を な す ﹁ も し も 、 予 が ﹃ お ゝ
進
め
﹄
と
云
へ
ば
、
そ
の
時
は
︹
汝
ら
は
︺
皆
打
ち
揃
つ
て
︹村
に
︺
突
入
し
な
け
れ
ば
な
ら
ぬ
。
ま
た
も
し
、
予
が
﹃
進
む
な
(=退
け
)
﹄
と
号
令
し
た
と
き
は
、
︹
村
か
ら
︺
出
て
こ
な
け
れ
ば
な
ら
ぬ
﹂
と
。
盗
群
の
首
領
の
命
令
、
即
ち
志
向
を
了
知
し
て
、
盗
賊
ら
は
︹村
に
︺
入
り
、
又
出
て
く
る
。
こ
の
︹
作
具
の
︺
場
合
も
同
様
で
あ
る。
即
ち
、
覚
は
賊
の
首
領
に
讐
え
ら
れ
諸
々
の
感
官
は
盗
賊
に
讐
へ
ら
れ
る
。
︹
金
七
十
論
︺
(P.
1
2
5
3
a, l.
2
7-b,
1
)
讐
へ
ば
、
賊
主
号
令
を
作
し
て
、
出
入
進
止
は
皆
須
ら
く
我
に
聴
く
べ
し
と
言
ふ
に
、
是
の
賊
の
群
衆
、
悉
く
已
に
令
に
従
ふ
が
如
し
。
是
く
の
如
く
、
諸
根
も
亦
是
く
の
如
し
。
覚
は
賊
主
に
讐
へ
余
根
は
賊
に
讐
ふ
。
已
に
覚
の
意
を
知
る
が
故
に
、
各
各
自
の
事
を
作
す
。
そ
の
他
、
説
明
の
濃
淡
は
あ
る
が
、
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
金
七
十
論
と
が
略
二
致
し
、
し
か
も
ガ
ウ
ダ
パ
ー
ダ
疏
に
欠
け
る
箇
所
に
次
の
三
が
あ
る
。
即
ち
(
f
)
第
三
九
偶
に
対
す
る
註
訳
中
、
細
身
と
父
母
生
を
説
明
せ
る
部
分
。
マ ー タ ラ 評 註 ( P. 5 5, l. 18-P. 56, l. 21)、 金 七 十 論 ( P. 1254 c, l. 3-20) ( 9 ) 第 四 九 偶 に 対 す る 十 一 感 官 の 損 壊 を 述 べ る 部 分 。 マ ー タ ラ 評 註 ( P . 6 5, l. 1 6-23)、 金 七 十 論 ( P. 1257a, N. 8-1 3 ) ( h ) 第 五 五 偶 に 先 行 す る 註 釈 及 び 、 細 相 が 退 転 し な い 限 り 、 プ ル シ ャ が 受 け る 老 死 の 苦 を 説 明 す る 部 分 。 マ ー タ ラ 評 註 ( P. 7 1, l. 1 4-P. 7 2, l. 7 ) 、 金 七 十 論 ( P. 1 2 5 9 b, 2 5-c, l. 9 )
(
i
)
ガ
ウ
ダ
パ
ー
ダ
疏
は
第
七
〇
偶
以
下
に
註
釈
を
加
へ
な
い
。
従
つ
て
、
次
の
部
分
は
ガ
ウ
ダ
パ
!
ダ
疏
に
欠
け
る
℃
マ
ー
タ
ラ
評
註
(
P. 83, l.
3-P. 85, l. 8)、
金
七
十
論
(
P. 1262a,
N . 2 1-c, l. 7) 以 上 マ ー タ ラ と 金 七 十 論 に 存 し 、 し か も ガ ウ ダ パ ー ダ に 欠 け る 箇 所 を 通 観 し た が 、 こ れ に よ つ て も 、 両 者 の 密 接 な る 関 係 を 知 る こ と が で き や う 。 註(1) マ ー タ ラ 評 註 の 原 文 を 出 さ ず 、 唯 、 翻 訳 の み を 出 す に 対 照 し て 漢 文 の ま ま で 出 さ ず に 国 訳 を 出 す 。 そ の 際 、 漢 文 の 国 訳 は 金 倉 円 照 先 生 の も の ( 国 訳 一 切 経 、 和 漢 撰 述 、 論 疏 部 二 十 三 ) に よ つ た 。 (2) S. S. Suryanarayananは 、 こ の 記 述 の 相 違 を 以 つ て 、 マ ー タ ラ 評 註 が 金 七 十 論 の 原 本 で な い こ と の 一 の 証 拠 と す る ( J B A S ) 1 9 3 1 P . 6 24) (3) 原 本 で は 、 p r a g b h a v a h と な つ て ゐ る が 、 そ の 後 の p r a d h v a -m s a b h a v a 等 を 参 照 す れ ば 、 p r a g -a b h a v a と 読 む 方 が 適 切 で あ ら う 。 然 し 、 a b h a v a が 略 さ れ て ゐ る と み れ ば 、 前 ︹ 無 ︺ の 情 態 ( b h a v a ) と す べ き で 、 こ れ と て も 別 に 不 都 含 で は な い 。 し か し 、 今 は 前 者 の 解 釈 を と る 。 (4) タ ッ ト ヴ ァ ・ カ ゥ ム デ ィ ー で は ﹁ 果 か ら は 、 単 に 因 の あ る こ と だ け が 推 知 せ ら れ る 。 そ し て 、 こ の 点 に 関 し て 論 者 の 間 に 見 解 の 相 違 が あ る 。 即 ち(1) 或 る 者 は ﹃ 無 か ら 有 が 生 ず る ﹄ と 論 じ 、 (2) 他 の 者 は ﹃ 果 全 体 は 唯 一 有 の 化 現 で 実 有 で は な い ﹄ と 主 張 す る 。(3) さ ら に 、 他 の 者 は ﹃ 有 か ら 非 有 が 生 ず る ﹄ と し 、(4) 老 練 な 人 た ち (= 数 論 派 ) は ﹃ 有 か ら 有 が 生 ず る ﹂ と な す ﹄ と し て ゐ る 。 (T a t t v a k a u m u di, B o m b a y 1896, P. 19) 因 み に 、 G. J h a 及 び 金 倉 先 生 は 、(1) を 仏 教 徒 、(2) を ヴ ェ ー ダ ー ソ タ 派 、 (3) を 勝 論 ・ 正 理 の 両 派 と さ れ て ゐ る 。 ( ib i d., P. 2 6f. 及 び ﹁ タ ッ ト ブ ・ カ ウ ム デ ィ ー ﹂ ( 東 北 大 学 文 学 部 研 究 年 報 第 七 号 二 〇 四 頁 ) 。 ま た 、 ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ ー で は ﹁ 何 故 か 。 阿 闇 梨 ︹ の 見 解 ︺ に 相 違 が あ る か ら で あ る 。 ﹃ 発 生 以 前 に は 、 果 は ︹ 因 中 に ︺ 無 で あ る ﹄ と 、 カ ナー ダ ( K a n a d a )、 ア ク シ ャ パ ー ダ (A k s a p a d a ) 等 の 阿 閣 梨 達 は 考 へ る 。 ﹃ 有 に し て 非 有 ﹄ と は も も も 仏 教 の ︹ 見 解 ︺ で あ る 。 ﹃ 有 に 非 ず 、 無 に 非 ず ﹄ と い ふ の は 他 も も の 者 の ︹ 見 解 ︺ で あ る 。 だ か ら 、 ︹ か や う な ︺ 疑 ひ が 生 ず る の マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係密 教 文 化 で あ る ﹂ (Y u k ti d ip ik a, C a lc u tt a 1 9 3 8, P. 5 7 ) 。 ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ ー で は ﹁ 発 生 以 前 に 果 は ︹ 因 中 に ︺ 無 ﹂ と い ふ 見 解 を 勝 論 、 正 理 の 両 派 の そ れ と し て 、 マ ー タ ラ 評 註 及 び 金 七 十 論 の 所 説 と 一 致 す る 。 然 し 、 ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ ー で 、 仏 教 説 と さ れ て ゐ る ﹁ 有 に し て 非 有 ﹂ は 、 マ ー タ ラ 評 註 に よ れ ば 邪 命 外 道 の 所 説 で あ り 、 ま た ユ ク テ ィ ・ デ ィ ー ピ カ ー で ﹁ 他 の 者 ﹂ の 見 解 と さ れ る ﹁ 有 に 非 ず 、 無 に 非 ず ﹂ は 、 マ ー タ ラ 評 註 、 金 七 十 論 で は 仏 教 の 所 説 と さ れ て ゐ る 。 次 に 金 七 十 論 と ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 と の 関 係 に つ い て で あ る が こ の 点 は 、 当 面 の 主 題 よ り 多 少 そ れ る の で 、 極 く 簡 単 に 述 べ る こ と に す る 。 こ の 両 書 の 一 致 点 に つ い て は 、 夙 に 高 楠 博 士 (1) の 統 計 が あ る 。 そ れ に よ れ ば 、 ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 一 部 一 〇 四 〇 行 の 中 、 全 く 金 七 十 論 と 一 致 す る も の は 五 〇 四 ( 五 一 四 ? ) を 算 出 し う る 。 さ ら に 、 表 現 形 式 に 於 て は 異 な つ て ゐ て も 、 内 容 的 に 一 致 す る も の が 一 四 三 、 余 他 の 三 八 三 が ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 に 特 有 の も の で あ る 。 ま た 引 用 句 に 関 し て は 、 金 七 十 論 に お け る 引 用 句 三 四 の 中 、 十 九 が ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 と 共 通 し 、 前 者 に な く 金 七 十 論 の み が 引 用 す る も の が 五 あ る。 以 て 、 両 書 が 如 何 に 密 接 な る 関 係 を 有 す る か ゝ 首 肯 せ ら れ る で あ ら う 。
さ
て
、
次
に
表
題
に
か
ゝ
げ
た
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
金
七
十
論
と
の
関
係
に
つ
い
て
検
討
し
な
け
れ
ば
な
ら
ぬ
。
そ
の
際
、
両
者
の
類
似
点
を
数
多
く
挙
げ
る
よ
り
も
、
む
し
ろ
、
両
者
の
主
要
な
相
異
点
及
び
マ
ー
タ
ラ
評
註
に
あ
つ
て
、
而
も
金
七
十
論
に
欠
け
る
箇
所
、
反
対
に
前
者
に
な
く
て
後
者
の
み
が
挙
げ
る
箇
所
を
検
討
し
た
方
が
、
両
者
の
関
係
を
み
る
の
に
一
層
便
利
で
あ
ら
う
。
二
、
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
金
七
十
論
と
め
主
要
な
る
相
異
点
こ
こ
で
も
亦
、
文
章
の
前
後
、
説
明
の
濃
淡
な
ど
は
マ
ー
タ
ラ
評
註
の
翻
訳
に
附
す
る
註
記
に
ゆ
ず
り
、
こ
こ
で
は
特
に
取
り
挙
げ
な
い
こ
と
に
す
る。
ま
つ
両
者
の
主
要
な
相
異
点
を
い
く
つ
か
挙
げ
て
み
や
う
。
(1)
最
も
顕
著
に
目
に
つ
く
も
の
は
<
転
変
説
>
に
対
す
る
両
者
の
相
違
で
あ
ら
う
。
初
め
に
﹁
数
論
偶
﹂
(
二
二
)
所
説
の
転
変
次
第
を
図
示
す
れ
ば
、
次
の
如
く
で
あ
る
。
原 性 ←大 (= 覚 ) ←我 慢 五 ︹ 唯 ︺ ←五 元 素 十 一 ︹ 根 ︺ マ ー タ ラ 評 註 の 説 く 転 変 次 第 も 亦 、 こ れ と 同 じ で あ る( M a th a r a -W t t i a d . S K., 3, 10, 1 1, 1 5 )。 し か る に 金 七 十 論 に 於 て は ( a d., S K. 3, 10, 1 1, 15)、 次 の 如 き 独 特 の 転 変 系 列 を 挙 げ て ゐ る 。 五 大 自 性 ←大 ←我 慢 ←五 唯 十 一 根 因 み に 数 論 偶 二 二 の 漢 訳 は 自 性 次 第 生 大 我 慢 十 六 十 六 内 有 五 従 此 生 五 大 と な つ て い て 、 梵 本 の (2) と 完 全 に 二 致 し て ゐ ゐ 。 ス ル ヤ ナ ラ ヤ ナ ン も 指 摘 せ る 如 く 、 唯 ( t a n m a tr a 微 細 元 素 ) か ら 感 官 が 生 ず る と な す 説 は ﹁ 数 論 偶 ﹂ に は 何 処 に も 認 め ら れ な い 。 古 い 文 献 に 於 て も 、 明 確 に 五 唯 か ら 十 一 根 と す る 説 の あ つ た こ と を 知 ら な い 。 但 だ 、 ﹁ 仏 所 行 讃 ﹂ ( X I I, 1 6-67) 、 ﹁ チ ャ ラ カ 本 集 ﹂ (I, 1 4-65) ﹁ マ ハ ー バ ー ラ タ ﹂ ( X I I, 3 1 2, 1 0-15)な ど で は 未 顕 現 ←
大
(=
覚
)
←我
慢
←五
大
の
系
列
を
挙
げ
、
五
大
か
ら
十
二
感
官
と
(3)
対
象
(
或
は
差
別
)
が
生
ず
る
こ
と
を
述
べ
て
ゐ
る
。
別
の
機
会
に
論
じ
た
如
く
、
こ
の
場
合
に
は
末
だ
唯
(
t
a
n
m
a
tr
a
)
の
原
理
は
説
か
れ
ず
、
声
乃
至
香
の
五
と
十
一
感
官
と
が
元
素
か
ら
発
生
す
る
と
さ
れ
る
.
む
し
ろ
、
金
七
十
論
所
説
の
系
列
は
、
右
に
挙
げ
た
原
始
数
論
の
転
変
系
列
か
ら
、
古
典
数
論
の
そ
れ
に
至
る
一
の
過
程
上
に
あ
る
も
の
と
云
へ
よ
う
。
然
し
、
第
二
二
偶
及
び
五
五
偶
に
対
す
る
金
七
十
論
で
は
、
マ
ー
タ
ラ
評
註
と
同
じ
系
列
を
も
挙
げ
て
ゐ
る
。
こ
の
こ
と
は
、
同
じ
数
論
派
に
あ
つ
て
も
、
種
々
異
説
の
行
な
は
れ
た
こ
と
を
推
知
せ
し
め
る
。
数
論
派
も
、
仏
教
と
同
じ
く
多
く
の
別
派
が
存
在
し
た
と
伝
へ
ら
れ
る
こ
と
か
ら
し
て
も
、
当
然
あ
り
得
べ
き
こ
と
で
あ
る
。
し
か
る
に
、
マ
ー
タ
ラ
評
註
に
於
て
も
一
ケ
所
、
多
少
異
な
つ
た
系
列
が
記
さ
れ
る
。
マ
ー
タ
ラ
の
此
の
部
分
は
金
七
十
論
に
は
欠
け
て
ゐ
る
が
、
第
六
九
偶
に
対
す
る
註
釈
で
は
還
没
の
次
第
を
次
の
如
く
な
す
(
P. 82-3)。
︹
五
︺
大
元
素
←︹
五
︺
唯
←︹
十
二
︺
根
←我
慢
←覚
←勝
因
こ
の
系
列
は
、
変
異
(
v
ik
a
r
a
m
a
t
r
a
)
を
五
大
元
素
と
十
一
感
官
と
す
る
マ
ー
タ
ラ
自
身
の
主
張
(
a
d.
S
K.
3,
P.
1
0
)
と
矛
盾
す
る
の
み
な
ら
ず
、
﹁変
異
を
十
一
根
と
五
大
の
十
六
諦
と
す
る
説
と
、
但
だ
十
一
根
の
み
を
変
異
と
す
る
二
説
あ
る
﹂
と
記
し
て
ゐ
る
﹁
成
唯
識
論
マ ー タ ラ 評 註 と 金 七 十 論 と の 関 係密
教
文
化
述
記
﹂
(
大
正
、
四
三
巻
、
二
五
二
頁
中
段
)
の
紹
介
と
も
合
致
し
な
い
。
事
実
、
仏
典
に
於
て
も
、
当
時
の
数
論
説
が
述
べ
ら
れ
て
ゐ
る
が
、
そ
の
中
、
智
度
論
、
百
論
、
成
唯
識
論
述
記
、
玄
談
(
慈
恩
伝
に
依
愚
)
な
ど
で
は
、
世
性
(
冥
初
、
自
性
)
←覚
(
大
、
中
陰
識
)
←
我
慢
(
我
心
、
我
執
)
←五
微
塵
(
五
唯
量
)
←五
大
←十
一
根
の
系
列
を
挙
げ
て
ゐ
る
。
こ
れ
に
よ
つ
て
も
、
マ
ー
タ
ラ
が
唯
二
回
だ
け
述
べ
る
十
一
根-五
唯-五
大
の
系
列
は
全
く
異
例
で
あ
る
。
或
は
写
本
の
誤
り
か
、
マ
ー
タ
ラ
自
身
の
誤
解
で
あ
ら
う
。
兎
も
角
、
両
書
に
お
け
る
転
変
次
第
は
全
く
相
違
す
る
。
た
と
ひ
、
金
七
十
論
二
二
、
五
五
が
マ
ー
タ
ラ
の
そ
れ
と
一
致
す
る
に
し
て
も
、
五
唯
か
ら
五
大
の
発
生
に
対
し
て
、
根
本
的
な
相
違
を
示
し
て
ゐ
る
。
第
二
二
偶
及
び
三
八
偶
に
対
す
る
マ
ー
タ
ラ
評
註
に
よ
れ
ば
、
唯
か
ら
大
元
素
が
発
生
す
る
場
合
、
順
次
一
徳
つ
つ
の
増
加
を
認
め
る。
し
か
る
に
、
金
七
十
論
で
は
単
に
一
唯
か
ら
一
元
素
の
み
の
発
生
を
認
め
る
の
み
で
あ
る
。
(
a
d.
S
K
.,
3,
26,
6
8
)
こ
の
点
、
ガ
ウ
ダ
パ
ー
ダ
疏
も
金
七
十
論
と
軌
を
(4)
一
に
し
て
ゐ
る
。
さ
ら
に
五
唯
か
ら
五
大
と
十
一
根
と
が
発
生
す
る
次
第
を
、
金
七
十
論
は
次
の
如
く
記
す
(
a
d.
S
X., 3, 26,
6
8
)。
声
唯
茸
根
空
大
触 唯皮
根
嵐
大
色
唯
腹
根
火
大
味
唯
舌
根
水
大
香
唯
鼻
根
地
大
し か し て 、 こ の 説 は 前 述 の 如 く 、 金 七 十 論 に 特 有 の も の で あ る 。 (2) 次 に 、 バ ッ タ チ ャ ル ヤ 等 も 指 摘 せ る 如 く 、 第 四 、 五 偶 に 対 す る マ ー タ ラ 評 註 は 三 支 作 法 、 五 支 作 法 、 三 十 三 過 等 を 挙 げ て ゐ る 。 三 十 三 過 ( a b h a s a ) は シ ャ ン カ ラ ス ワ ー ミ ン ( S a n k a r a s v a m in 因 明 入 正 理 論 の 作 者 ) の そ れ で あ り 、 ま た 第 五 偶 の 註 釈 で 挙 げ る 五 支 作 法 の 一 々 の 名 称 は ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ 派 の プ ラ シ ャ ス タ パ ー ダ ( P r a s a s t a p a d a ) の も の で あ つ て (5) 末 だ ダ ル マ キ ー ル テ ィ ( U h a r m a k i r t i) の そ れ を 知 ら な い 。 こ の こ と は 、 マ ー タ ラ 評 註 の 年 代 に 一 の 資 料 を 提 供 す る も の で あ る 。 而 も 、 金 五 十 論 、 ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 は と も に 、 こ れ ら 三 十 三 過 等 を 挙 げ て ゐ な い 。 ま た 、 同 じ く 第 五 偶 の 評 註 で 、 聖 言 量 に つ い て 説 明 し た 後 に 、 ﹁ こ こ で 又 、 よ く 知 ら れ た 略 辞 法 ( p r a s id d h a -l a k sa n a )は 属 性 ( 第 二 次 的 な 意 味 g u n a ) と の 結 合 の 故 に 、 声 の 働 き は 三 あ る . こ の 中 、 略 辞 法 に 三 種 あ る。 根 本 の 意 義 を 失 つ た 略 辞 法 ( ja h a l-la k s a n a ) と 根 本 の 意 義 を 失 は ざ る 略 辞 法 ( a j a h a l-la k s a n a ) と 根 本 の 意 義 を 失 ひ 、 且 ま た 失 は ざ る 略 辞 法 ( j a h a d -a j a h a l-la k s a n a ) 等 は 、 諸 々 の 量 論 ( p r a m a n a -s a s t r a ) に 非 常 に 屡 々 現 は れ る ﹂ と す る 。 し か し 、 こ の 部 分 は 金 七 十 論 に も 、 ガ ウ ダ パ ー ダ 疏 に も 欠 け て ゐ る 。 そ し て 、 マ ー タ ラ は 、 そ れ に 直 ぐ 続 い て 、