Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) 寺 を
建
立 し て こ の禅
鑑 を 住 持 さ せ た と い う 。 ほ ぼ 同 様 の 記 述 が 『琉
球
国
由来
記 』 ( 一 七 一 三 ) に も み え る 。 し か し、前
書 が 「 附 」 、後
書 が 「傳
聞 」 と こ と わ っ た 上 で 右 の 内 容 を 載 せ て い る 点 か ら、 そ の 信 憑性
を 支 持 す る に は 一 定 の 留 保 を 要 す る と ( 2 ) の 見 解 も み ら れ る 。 い ず れ に せ よ 、 極 楽 寺 は 後 継 者 を得
ず、 荒 廃 が 進 む 。 そ し て そ の 後 移築
さ れ、 尚 泰 久 王 治 下 の 一 五 世 紀 半 ば に 来 琉 し た臨
済 宗 南 禅 寺 派 の 僧 芥 隠 を 開 山 と す る 龍福
( 3 ) 寺 と名
称
を 改 め た 。 こ の 芥隠
が す な わ ち 、琉
球 に 日本
か ら禅
宗 を伝
え た 嚆 矢 で あ り 、熱
心 な 仏 教 信奉
者 尚泰
久 の篤
い 帰 依 を 受 け 、 そ の 支援
下 に、 広 厳 ・普
門
・ 天 竜 ・ 天 界 ・ 天 王 各 寺 を 創 建 し た 。 さ ら に 弘 治年
間 ( 一 五 五 五 〜 一 五 五 入 ) に は 尚真
王 の 外護
に よ り、 王廟
た る 円 覚寺
の 開 山 に 迎 え ら れ て い る 。 の ち に 、尚
寧 王 ( 一 五 八 九 年 即 位 ) の 時 代 、 北 谷 村 出身
の 僧南
陽 紹 弘 が 、 臨 済 宗妙
心 寺 派 を 伝 え た 。 爾 来、 妙 心 寺 派 が勢
力 を伸
ば し 、今
日 に 及 ん で い る 。 知 ら れ る と お り、臨
済 宗 と 並 ん で 沖 縄 に お け る 仏教
の 二大
宗 派 の }翼
を 担 っ て き た 真 言 宗 は 、 芥 隠来
琉 に 先 行 す る こ と お よ そ 一世
紀 、 察 度 王 ( = 二 五 〇 年 即 位 ) 当時
に、薩
摩 坊 ノ 津 の 龍厳
寺
一 乗院
の僧
、頼
重 に よ っ て 将 来 さ れ た 。 一 乗 院 は 、 鳥 羽 上 皇 の院
宣 で紀
州
根 来 寺 の別
院
に 推 さ れ る と 同 時 に 、 天 ( 4 ) 皇 の勅
願 寺 で も あ っ た と い う 。 し た が っ て 、琉
球 で の 寺院
開創
に あ た り、 や は り鎮
護
国 家 的役
割
を め ざ そ う と し た も の と 一 七 〇考
え ら れ る 。建
立 さ れ た 護 国 寺 な る寺
名 も こ の こ と と無
関 係 ( 5 ) で は な い と の 見 方 も あ る 。実
際
護国
寺
は 、琉
球
王府
の 勅 願 寺 と し て、 当 地真
言 宗 の 本 山的
位
置 を占
め て き た 。 ま た尚
真 王 の 治 世 に は 真 言僧
日秀
が 来島
し、 金 武 村 に観
音
寺 を建
て、 阿 弥 陀 ・薬
師
・観
音
の 三 尊 を 祀 っ た 。 ち な み に 同 寺 は 、 沖 縄 戦 の 戦 禍 を ま ぬ が れ た 本島
唯
一 の 寺院
で 現存
し て い る ( ほ か に 宮 古 島 の 祥 雲 寺 、 石 垣 島 の 桃 林 寺 が あ る ) 。 し か も 同 寺 は 那 覇 ・ 首 里 以外
の 地 に建
て ら れ た寺
院
と し て は、最
古
の も の で あ る 。 護 国寺
を 柱 と す る真
言宗
が 琉 球 に お け る国
家 鎮 護 的 役割
を 担 っ た 史 実 は疑
い え な い が 、 そ の 一 方 で 、 こ う し た 観 音 寺 の ご と き村
落
を 拠 点 に据
え た 寺院
は 、 や は り 農 民 の宗
教 的 二i
ズ を 埒 外 に 置 い て は成
り 立 ち え な か っ た と推
察 さ れ る 。 こ の 点 に関
し て 、 『 球 陽 』 や 『 琉 球 国 由 来 記 』 の 日秀
を め ぐ る 記 述 が き わ め て 示唆
的 で あ る 。前
書 巻 三 の該
当箇
所 を 引例
す れ ( 6 ) ば 、 次 の と お り で あ る 。 首 里 よ り 浦 添 邑 に往
く の問
に 、 = 咼 嶺有
り 。 松 樹茂
盛 し 、 濃陰
重 々 た り 。 而 し て 人 烟隔
つ る こ と 遠 く、 最 も 幽 僻 の 地 た り 。 昔 時 、 此 の 地甚
だ 妖怪
多 く、 時 々 出 で 来 り 、 詐変
異貌
し て 屡 々 行 路 の 人 を 悩 ま す 。 日暮
の 時、 人 之 れ を 驚 惧 し て 敢 へ て往
来 せ ず 。時
に 日秀
上 人有
り 、 金 剛 経 を 小 石 に 写 し 、 之 れ を 此 の 嶺 に 埋 め、 即 ち 碑 石 を 建 て て 以 て 妖 魔 を 圧 N工 工一Eleotronlo Llbraryす 。
其
の 碑 石 に 金 剛嶺
の 三 文 字有
り 。 此 れ よ り来
の か た 、 妖 怪復
は起
ら ず、 而 し て行
旅 の 人 も 亦 往 還 の 安 き を 欣 ぶ 。 首 里 と 浦添
の 間 に 妖 怪頻
出 し、 行 路 の 人 を 悩 ま し た の を 、 日秀
が経
力 を 用 い て鎮
圧 し た と い う の で あ る 。 こ の 地 は 、 い つ の 頃 か ら か経
墓 と 呼 ば れ る よ う に な っ た と 伝 え ら れ る 。 地元
で は 、 ウ チ ョ ー モ ー と称
し て、 地 域 の 聖 地 と な っ て い る 。現
在
で も、 七 月 一 六 日 に は祖
霊 を 送 る た め 、 ま た 一 〇 月 一 日 の ウ マ ー チ ヌ ウ グ ァ ン ( 火 の 御 願 ) に は 火 と 水 の恵
み に 感 謝 し ( 7 ) て ウ チ ョ ー モ ー を 拝 む と い う 。 本 例 は観
音
寺
の建
て ら れ た 金 武 村 に 言 及 し た も の で は な い が 、 日秀
の化
導
の在
り よ う を 知 る 上 で 興 味 深 い 。 こ の よ う に 、 庶 民 や村
落
社 会 と の 交 渉 を う か が わ せ る史
・資
料
も散
見 さ れ る が 、 し か し、 沖 縄 に 将 来 さ れ た 仏 教 の基
調
は や は り 、臨
済
・ 真 言 を 両軸
と し て国
王 の 帰依
・ 外護
を 受 け、首
里 や那
覇 を 中 心 に 国 家 鎮 護 の祈
願 を管
掌 す る こ と に あ っ た 。口
、 浄 土 系 仏教
の 伝 来 此 の 地 に浄
土 系 仏教
が伝
来 し た の は 、 一 七 世紀
に 入 っ て か ら で あ っ た 。尚
寧 王 朝 の 一 六 〇 三 年、 浄 土 宗僧
侶 、 袋 中 が来
琉
し て い る 。 明 へ の 留学
を 志 し た 袋中
は 渡航
を試
み た が 叶 わず
、 帰 途琉
球
に 上陸
し 、 三 年 の 問 留錫
し た の だ っ た 。 そ の 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) 問 、 国 王 尚 寧 の 帰依
を 受 け、儀
間 真常
な る 篤 信 の弟
子 を つ く る な ど 、精
力
的 な教
化 活 動 を 展 開 し 、 『 琉 球 神 道 記 』 五 巻 、 『琉
球往
来
』 一巻
を 著 し て い る 。 だ が、 袋 中 が 去 っ た あ と 、指
導
者 な き 浄 土 宗 は 次第
に 勢 い を 失 っ て ゆ く 。 そ う し た中
で 、 わ ず か に 垣 ノ 花 ・ 具志
・ 小 禄 の 各 村 に 浄 土信
仰 の命
脈
を つ な い で き た が 、 昭 和 に 入 り、 垣 ノ花
と 具 志 は後
継 信者
が 途絶
え 、 小禄
の み が 、 “ 小 禄 浄 土 ” の 名 の 下 に戦
後 ま で法
灯 を絶
や さ ず に来
た と 聞 く 。 小禄
で は 、 四 人 の “ 浄 土 ” と呼
ば れ る指
導
者
を村
内 か ら 推 挙 し 、 か れ ら を 中 心 に 古来
伝 わ る念
仏 口 誦 の 様式
を 実践
し て い た模
様 で あ る 。 し か し今
日 で は 、 も は や確
認 す る こ と が で き な い 。 一 九 二 一 二 ( 大 正 一 二 )年
、袋
中 の 功績
を顕
彰 し て 、尚
寧 王 の 手 で開
創
さ れ 袋 中 が住
持 に請
じ 入 れ ら れ た と 伝 え ら れ る桂
林 寺跡
に 、 「 袋 中 上 人行
化 碑 」 が 建 て ら れ た 。 沖 縄仏
教
連
合
会 と 沖縄
史
跡保
存 会 の 発起
に な る も の で あ る 。 さ ら に 、 一 九 三 七 ( 昭 和 = 一 )年
に は 、 垣 ノ 花 に 「 袋 中 寺 」 が 建 立 さ れ 、 浄 土宗
の 再 興 が は か ら れ た も の の 、 一 九 四 四 ( 昭 和 一 九 )年
一 〇 月 の 大 空襲
で 灰燼
に 帰 し た 。 そ し て 一 九 七 五 ( 昭 和 五 〇 )年
、 同寺
は 、 小 禄 の 地 に 復 興 さ れ 、今
日 に 至 っ て い る 。浄
土 真宗
の 沖 縄伝
来
は 、 必 ず し も 明確
で は な い が 、 一 九 世 紀 前半
で あ ろ う と 目 さ れ る 。真
宗 の 沖縄
に お け る 展開
は 、 き わ め て 特 殊 な 状勢
の も と に 行 わ れ た 。 つ ま り 、 こ う で あ る 。琉
一 七 一Komazawa University
潜
伏
活動
も 同志
の 密告
に よ り 破 綻 を き た し、彼
は 無 期 徒刑
囚
と し て 八重
山 へ の 流刑
に 処 せ ら れ た 。信
者
た ち も、 流 刑 や所
払
い 、 寺 入 り 、 罰 金 な ど の 処 分 を 受 け た 。 こ の よ う に 、真
宗
は他
宗
に 比 し た と き、 ひ と き わ 特 異 な 歴史
を 刻 ん で き た 。 そ れ は 、 激 し い 弾 圧 を こ う む っ た と い う意
味
の み で な く 、 弾 圧 を か わ す た め に潜
行 す る こ と で、 か え っ て庶
民 層 と の接
点 を 広 げ た と い う 点 に お い て も、他
宗 に 比 べ 際 立 っ て い る 。 も っ と も 、 一 向 宗 禁 圧 は 熾 烈 で あ っ た が 、藩
は 基 本 的 に、 一 向 宗 に留
ま ら ず 仏 教 そ の も の を 統 制 す る姿
勢
を と っ て い た と い え る 。 一 六 六 三 ( 寛 文 三 ) 年 の 通 達 が、 そ れ 〔 11 ) を 端 的 に 物 語 っ て い る 。侍
町 人 に 至 る 迄 人 を集
め 仏 説 の講
談
曾 て 無 用 た る べ く 候 殊 更 出 家 と し て 俗 家 へ参
り 談 議申
間
敷
候、 況 ん や 風 俗 と し て 軽 々 敷仏
説 沙 汰 の 限 り に 候 、 近来
件
の輩
有 之徒
党 を結
ぶ儀
江 戸 御大
禁
に 候 条 、 士 、 町 、在
郷
に 至 る 迄 此旨
よ く よ く申
渡 さ る べ く 、 儒 道 を相
嗜
み 候 様肝
要
た る べ き事
幕
府 の 仏教
統
制
を う け る 形 で藩
は 、説
教
を 手 段 に僧
侶 が 俗 家 と接
す る こ と に 強 い警
戒 心 を 抱 い て い た の が わ か る 。 だ が、 宗 旨改
め が実
施
さ れ た も の の 、 人 び と を 一向
宗 以 外 の 特定
寺院
に 所 属 せ し め る 形 で 詮 議 し た わ け で は な い 。 起 請 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) 文 の提
出 を 義務
づ け ら れ た と し て も 、 そ の こ と は、 寺 檀制
度
の導
入 を 踏 ま え て 実 施 さ れ た も の で は な か っ た 。寺
檀
制度
の 是 非論
議
は し ば ら く留
保 す る と し て、 こ れ ま で み て き た よ う な 事情
で 沖 縄 の 仏教
は 、臨
済 ・ 真 言 主導
に よ り 、 那覇
・首
里 を中
心 に国
王 を は じ め と す る 支 配者
層
を 主 た る信
者
・ 外護
者
と し つ つ 展 開 さ れ た の で あ る 。 寺院
は 官 寺 と私
寺 に 分 け ら れ 、 建 物 の 営 繕 か ら僧
侶 の諸
費
用
に 至 る ま で 国 に よ っ て ま か な わ れ た 。 寺 毎 に 知行
高 や扶
持
高
が 定 め ら れ て い る 。 私寺
は 、官
寺 を 退 い た僧
侶
の隠
居寺
の 性格
を 有 し て い た 。 こ う し て僧
侶
の 生 活 や 寺院
の 運 営 が 公費
で 保障
さ れ る官
寺
制
度
が と ら れ た結
果、 寺 檀 制度
と は 又 別 の 意 味 で、僧
侶 の布
教 ・ 教 化 に 対 す る意
欲 を 弛 緩 さ せ て し ま っ た 面 は 、否
め な い 。 日、 明 治 ・ 大 正期
の 状 況 明 治時
代
を 迎 え 、 維新
政府
の 断行
し た “ 琉 球 処 分 ” に よ っ て沖
縄 は 王制
を 解体
せ し め ら れ 、 日 本 の 国 家体
制
へ の 統合
を 強 い ら れ て い っ た 。 寺 院 の 経 営 は 、 旧 慣 温 存 政 策 の結
果 王権
時代
の体
制 の 急 激 な変
化 が 避 け ら れ た た め 、 当初
は官
寺制
度
が修
正 さ れ つ つ も存
続
し て い た が 、 一 九 一 〇 ( 明 治 四 三 ) 年 に 「 沖 縄 県 諸 禄 処 分法
案
」 が 施 行 さ れ、 公 的保
護 か ら は ず さ れ ( 12 ) る 。寺
院
は 国 債 の 利 子 を も っ て 運 営 す る 方策
が と ら れ る こ と と な っ た 。 官 の 厚 い 庇護
を受
け て い た 沖 縄寺
院
は 、 秩禄
処分
後 、 一転
し て自
立 的 な 維 持 運 営 を 迫 ま ら れ、寺
檀 関係
を持
た 一 七 三Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) な い の も 響 い て
次
第 に衰
微
の道
を 辿 っ た 。 そ し て 、例
の 沖 縄戦
で 三 ヵ寺
を 残 し 、烏
有
に 帰 し た の で あ る 。さ て、
仲
尾 次 政 隆 亡 き あ と 、 沖縄
の真
宗
信
仰
は 、 備 瀬 知 恒 に受
け 継 が れ る 。 備 瀬 は 、 一 八 七 六 ( 明 治 九 ) 年 に東
本 願 寺 よ り布
教 の 任 を 命 ぜ ら れ派
遣 せ ら れ た 田原
法 水 と 出 会 い 、 そ の活
動
の補
佐
役 を つ と め 、 信 仰 拡 大 に貢
献 し た 。鹿
児
島 県 で は 同年
、真
宗信
仰 が 解禁
と な っ た と は い え 、沖
縄 で は依
然禁
圧 の 空気
に 包 ま れ て い た 。 そ う し た 状勢
下 、 再 び 真宗
信 者 の 処 分 が強
行 さ れ た 。 仲 尾 次 ら に つ づ き 、 ま た も 法難
を こ う む っ た の で あ っ た 。大
分 生 ま れ の 田 原 は 検 挙 を ま ぬ が れ た 。 し か る に 事 態 を 座視
で き な い 田 原 は、 一 入 七 八 ( 明 治=
)年
二月
、 法 主大
谷光
勝
よ り琉
球藩
王 へ 宛 て た信
仰解
禁 の 願書
を 提出
し( 13 ) て い る 。 今 般
本
宗教
義 布演
の 為 め教
導
職
試
補 田 原法
水
外 二 名出
張申
付
け御
管
下適
宜 の 地 に 於 て仮
に 教 場 を 設 け衆
庶 一 般教
導致
さ せ度
儀
は 全 く 四 海 兄 弟 の情
宜
を 厚 ふ し 本 宗 二諦
の 宗義
を宣
揚
し王 法
為
本 仁義
為先
而 か も 念
仏
成 仏 の 信 心 を 以 て現
当 二 世 の利
益 を 得 し め度
赤
心 よ り 外他
念 無 之 候 就 て は同
人 共 寄 留中
諸
般御
保
護
に預
か り 度 願 上 候 尚今
後
永 く交
際
の微
衷 を 表 す る 為 め本
宗
崇
敬
の経
典 三 部 妙典
一 帙 並 に 不 腆 の 国 産 一箱
進 呈候
条
前
陳
御
諒
察
の 上 御領
収相
成
度 此 段 及御
依
頼候
也
明 治 十 一 年 二月
琉
球藩
王 尚 泰 殿 一 七 四 真宗
東
派
管
長
大 教 正大 谷 光
勝
琉 球
藩
庁 は、 し か し 、 布教
禁 止 を 改 め て通
告
す る 。 そ こ で 田 原 は 、 内 務省
沖 縄 出 張 所 の 許可
を 受 け 、 那覇
の 泉崎
に 仮 説 教 所 を設
け て 布 教 を続
行 し た 。対
す る藩
庁 は 布 教禁
止 の 願書
を 内務
省
出 張 所 に 出 す が 、 明治
九 年、 実 は す で に 「其
藩
治 の 内 、 裁 判 の儀
は自
今
其 地 に在
る内
務省
出張
所
に被
附
」 と の指
示 が 出 さ れ て い た 。 し た が っ て先
述 の 真宗
信
者 処分
は こ の令
達
に 反 す る こ と に な る 。 た め に藩
庁 は、明
治
一 一年
八 月 、 処 分 強 行 に 対 す る始
末書
を書
い て い る 。結
局
一 一 月 、内
務
省 か( 14 ) ら
藩
庁
に 譴責
の 達 し が出
さ れ た 。其
藩
二 於 テ管
下 人 民 、真
宗 信 仰 之者
ヲ 、私
二処
刑
候
段 、御
達 之 旨 二 戻 リ 、 不 束 ノ 至 二 付 屹度
御 処 分 可相
成
之 処 、 全 ク藩
吏 之失
錯
二 出 候 趣 二付
、 今 般 之 儀 ハ 特 別 之 訳 ヲ 以 、寛
典
二 被 処候
条
、右
処刑
之者
解
放 及贖
金 返 還 等 取計
ヒ 、 且 失錯
之 藩吏
ハ 相 当 ノ 処 分 致 ス ヘ ク 、 此段
相達
候事
N工 工一Eleotronlo Llbraryこ れ を 受 け て
真
宗側
は 、沖
縄官
憲 と の 談判
を 行 い 、 次 の条
( 15 )件
で決
着
を み た と い う 。 一 、 処 刑者
の 解放
と罰
金 の 返 還 二 、 布 教 は寄
留商
人 ( 鹿 児 島 や 大 阪 な ど ) を 対 象 と す る 。 沖 縄 人 の 聞 法 は 認 め な い 。 三、寺
院建
立 は 許 可 し な い 。借
家 を 布 教 所 と す る こ と 。 こ の よ う に 、 限 定 付 き で は あ っ た が 、 真宗
の 信仰
は 禁 を解
か れ た の で あ る 。 そ し て 、全
面 的 に布
教 の自
由
が 認 め ら れ た の は、 一 八 七 九 ( 明 治 一 二 )年
一 月 と さ れ る 。 ま た 、 浄 土真
宗
本
願寺
派
の 沖 縄 開教
は 、 同年
に宮
崎
県 の 大 河内
正念
に よ っ て は じ め ら れ た 。 そ の後
一 八 九 八 ( 明 治 三 一 )年
、鹿
児島
県
の亀
井
慈
が来
島
し 、 那覇
の 借 家 で 一 三年
間 布 教 を つ づ け た 。 さ ら に 一 九 一 〇 ( 明 治 四 三 ) 年、 や は り 鹿 児島
県 の菅
深 明 が本
山 の指
示 で訪
れ、 那覇
上 ノ 倉 の 民 家 を借
り 、 布教
活動
に 入 っ た 。 翌年
、 説 教 所 を 那覇
松 下 町 に 移 し て 、 主 に内
地 の寄
留商
人 や官
吏 を 対象
と し て教
化 を実
践
し た 。 大 谷派
は 当初
、 遊女
を 主 た る信
者
と し た も の の 、 そ の 後 、本
願寺
派同
様
寄留
商
人 を教
化
の中
心 に 据 え て い っ た よ う で あ る 。 一 九 一 八 ( 大 正 七 )年
、那
覇 松 山 町 に 大 典寺
が建
て ら れ 、菅
が初
代住
職 の 座 に つ い た 。 菅 は 、時
期
が 前 後 す る が 、 一 九 一 二 ( 明 治 四 五 ) 年 に沖
縄感
化
院
、大
正 七 年 に は沖
縄家
政
女学
校
を設
立 し 、各
地 の布
教
所
の 開 設 と 並行
し て社
会
ー
文化
事業
に 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) も精
力
的 に取
り組
ん で い る 。 日蓮
系 の布
教
は 、他
宗
に 比 べ て 最 も後
発
と い っ て よ か ろ う 。 一 九一 = ( 大 正 一 〇 )年
前
後 、 鹿 児島
の経
王 寺 か ら 僧 侶 が 派 遣 せ ら れ 、布
教 を 試 み て い る 。 た だ し 、篤
信者
に よ る 布教
は 一 八 七 八 ( 明 治=
)年
頃
よ り 八 重 山 で 行 わ れ て い た 模 様 で あ る 。 日 蓮 系 で は沖
縄 で最
も 古 い 妙徳
寺
の場
合 、 現住
職 が 五 世 に あ た る 。同
寺 は 戦 後 三世
の と き寺
号 を 取 得 し た 。 こ の 三 世 と現
住 職 の 父 が友
人 で あ り 、 事 情 で 父 が 四 世 を 継 い だ の だ と い う 。四
、 戦後
の復
興
へ 向 け て 一 九 四 四 ( 昭 和 一 九 )年
一 〇 月 一 〇 日 の 空襲
で 、那
覇 は 焦 土 と 化 し た 。 戦災
を ま ぬ が れ た の は 、 す で に 触 れ た と お り 、金
武 の観
音 寺 ほ か ニ カ 寺 を数
え る の み で あ っ た 。檀
家 を持
た ず 国 家 の 庇 護 に よ っ て経
済 基盤
を 維持
し て き た 沖 縄 の 寺院
は、 民衆
と の 接点
を 欠 き 、 し た が っ て 琉 球 処分
後 の 秩 禄奉
還 の結
果 、 金 禄 公債
の 発 給 を 受 け た も の の 衰 退 へ の 動 き に 歯 止 め を か け る こ と が で き な か っ た 。 そ こ に沖
縄
戦 の 打撃
が 加 わ り 、 当 地 の 仏 教 は壊
滅状
態
に陥
っ た の で あ る 。寺
院
を 失 っ た の み な らず
、 僧 侶 の 死 も招
い た 。 六名
が 戦 ・ 病 死 し た と さ れ る 。 な お 、 戦 前 の寺
院
数
は 三 〇 力 寺 前 後 、僧
侶
数
は お よ そ 四 〇名
( 16 ) で あ っ た 。 し か し 、 僧
侶
た ち の 戦 後 の 立 ち 上 が り は 早 か っ た 。 「 そ ろ 一 七 五Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty コ 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) ば ん 玉 の 焼 け 残 り を
拾
っ て数
珠 を 作 っ た り、 配給
さ れ た 緑 色 の蚊
帳
で 法 衣 を 作 り自
転 車 の ベ ル で打
ち 鳴 ら し の 鐘 に 使 用 し ( 17 ) た り L し て 、 活動
を 再 開 し た 。 一 九 四 八 ( 昭 和 二 三 )年
、 那 覇 の 開南
に 護 国 寺 、 首 里 に 万 松 院 ・観
音
堂
・ 遍 照寺
、 糸 満 に 蓮華
院
、 宜 野 湾 の普
天 間 に神
宮
寺 が 仮復
興 さ れ た 。 翌 年 万 松院
住
職
は首
里 地 区 の戦
死者
の遺
骨
を 埋葬
し、 菩 提 を 弔 っ て い る 。 ま た護
国
寺
・ 大 典 寺 両住
職
は、 遺 骨 収 集 の 活動
に 従 事 し て い る 。 一 九 五 〇 ( 昭 和 二 五 ) 年、右
の 両 住職
は キ リ ス ト 教 連 盟 と 手 を結
び、沖
縄
平 和 連 盟 を 結 成 す る 。 翌 年 に は 、 沖 縄 仏教
会
が 再組
織 さ れ て い る 。沖
縄
仏 教 の 近 代 以降
の 流 れ を振
り 返 っ た と き 、特
筆
す べ き は、 超 宗 派 的 な 寺院
連 合 が 装 い を 変 え つ つ今
日 に 及 ん で い る 点 で あ ろ う 。 明 治 末 期 の和
潤会
か ら大
正 期 の沖
縄
仏教
連
合 会 へ 、 そ し て 戦後
の 沖縄
仏教
会 、 さ ら に は現
在
の沖
縄 県仏
教 会 と つ づ く 連 帯 の 系 譜 が そ れ で あ る 。 現在
の 状 況 に つ い て は 後 述 す る こ と に な る 。先
に あ げ た沖
縄 仏 教 会 は、 花 ま つ り を 主 催 し、市
民 団体
の 参 加 を募
り 、 戦後
の 沈 ん だ ム ー ド の 一 掃 を は か っ た 。 翌 五 二 ( 昭 和 二 七 )年
、護
国 寺 ・大
典
寺 両住
職
は 沖 縄児
童 文 化協
会 、 沖 縄 救 癩 協 会 を 設 立 し て い る 。 そ し て 仏 教 会 主催
で 戦 没者
遺族
大 会 が 開 か れ た 。同
年 九 月 に は 、 大 阪 の 四 天 王 寺管
長 ら 一行
が 来 訪 し 、 慰霊
法
要 や施
設 慰問
な ど を 行 っ て い る 。 戦 後初
の 内 地僧
の 弔 問 で あ っ た と い う 。 翌 月、 今 度 は護
国
寺
・大
典
寺 両 住 職 が関
西 一 七 六方
面 に赴
き 、沖
縄 仏 教 の 実 状 を 説 い て 回 り 、 仏像
・ 仏 具 を譲
り 受 け 、 そ れ ら を 県 内 各 寺院
に提
供
し た結
果、 施 設 や 法務
の体
裁 が何
と か 整 っ た 。 戦 前 か ら 戦後
、 わ け て も 戦 後 の 沖 縄 寺院
の 活 動 は 、 文化
・陥
祉 ・教
育
と い っ た 広 い 視 野 に 立 っ て積
極 的 に な さ れ て い た よ う だ 。 街 は 廃 墟 と 化 し、多
く の 人 を 失 い 、 生存
者
は 深 い ト ラ ウ マ を負
う と い っ た 異 常 事 態 に直
面 し、 か つ ま た そ の ト ラ ウ マ を 共有
す る 当事
者
の 一 人 と し て 、 僧 侶 た ち は 、 宗教
者
た る 使 命 を強
く意
識 せ ざ る を え な か っ た の だ ろ う 。 施 設 や仏
具
な ど の条
件
が 整 う 前 に、逸
早 く 遺骨
収
集 や 慰 霊 法 要 を 執行
す る と と も に 、 復 興 の た め の社
会ー
文
化 的 リ ー ダ ー の 役 割 を も 果 た し て い る 。 福祉
・教
育
重視
の教
化 姿 勢 は 、真
宗 両 派 や真
言 宗 の 一部
を中
心 に 昭 和 三 〇年
代 ま で 推 し 進 め ら れ て い た よ う で あ る 。 そ し て そ の 後 、 臨 済 宗寺
院
の 一 部 や 浄 土 宗 寺院
が か か る 施策
を と り 入 れ、現
在 で は 日 蓮 宗 の 一部
で も 実 践 さ れ て い る 。 真宗
本 願 寺 派 大典
寺 の 例 を あ げ れ ば 、 戦 後 「 日 曜学
校
」 を 開 き 、 子 供 を 主 た る 対 象 に 遊 び の 要 素 も と り 入 れ な が ら 、教
化 活 動 を 試 み て い た 。 け れ ど も 、 家 庭 に テ レ ビ が普
及 す る に つ れ 、 子 供 た ち は 次第
に顔
を 見 せ な く な っ た と の こ と 。 今 は 「 日 曜 礼 拝 」 を 毎 週 行 っ て い る 。 こ ち ら は 一転
し て 老 人 主体
で 、読
経
と 法 話 を中
心 と し 、 一 五、 六 名 か ら 多 い と き で 三 〇名
位参
加 す る 。 か つ て は 各 地 の 自 治会
に 働 き か け 、 N工 工一Eleotronlo Llbrary夜
間
に 、 ス ラ イ ド を 活 用 し た 法 話 に よ る教
化
も や っ て い た 。 が 、 日 曜学
校
同 様 や は リ テ レ ビ の 力 に 押 さ れ て か 、 人 が集
ま ら な く な り 、結
局 活動
は途
切 れ て し ま っ た そ う で あ る 。固
、 現 在 の状
況次
に 現状
を み て い こ う 。 沖 縄 県 の 統 計 に も と づ け ば、 一 九 九 五 ( 平 成 七 )年
四 月 一 日現
在 、 法 人格
を 有 す る 仏教
寺 院 は 、 四 五 力 寺 を数
え る 。 な お 県 の 統 計 は 立 正 佼 成 会 を 合算
し て い る が、 こ こ で は 一 応 仏教
寺 院 か ら 除 い て考
え る 。 ち な み に 、神
道
系 法 人 が 一 五件
、 キ リ ス ト教
系 が 八 六件
、 諸 教 系 ( 天 理 教 の 分 教 会 が 主 ) が 二 二件
存
在
す る 。数
の 上 で は 、 キ リ ス ト教
系 が 仏 教 系 の ほ ぼ 二倍
に の ぼ り、沖
縄 に お け る 最 大宗
教
勢
力 と な っ て い る 。 し か る に 近年
、 非 法 人寺
院 が 都市
部
を中
心 に 増 加傾
向 を 呈 し、 ま た既
存 寺 院 が 先 島 を 含 む 各 地 に 別院
・ 布教
所 ・ 説教
所 な ど と 称 す る新
た な 活 動 拠 点 を 設 け る 動 き も 目 立 ち は じ め 、 寺 院 の 実態
把 握 は 必 ず し も 十 全 に な さ れ て い る と は 言 い難
い 。真
宗本
願 寺 派 の 場 合 で い え ば、県
の 統計
で は 六 力寺
を数
え る が、実
際
に は 一 九 九 四 ( 平 成 六 )年
二 月 の 時 点 で ほ か に 八 ヵ所
の 布 教所
を 有 し て い る 。 そ れ ら は 、 浦 添 ・ 石 川 ・名
護 の 各市
や 今 帰仁
・北
中 城 の 各村
、 さ ら に は 石 垣 ・ 久 米 ・ 竹 富 の 各 島 に 及 ん で い る 。 四 五 力 寺 の う ち、 二 〇 力 寺 が 那 覇 に集
中
し、残
り の 二 五 力 寺 が 他 地 域 に 広 く 散 在 し て い る 。 そ の宗
派 別 内 訳 は 、 次 の と 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) お り で あ る 。臨
済 宗 妙 心寺
派 が 一 四 力 寺 で 最 多 を 占 め、 つ い で真
言 宗 が 九 力 寺 あ り、高
野 山真
言 宗 三 、 東 寺真
言 宗 五 、真
言宗
智
山 派 一 の割
合
と な っ て い る 。 浄 土 真 宗 は 八 力 寺 で本
願
寺 派 六 、 大 谷 派 一 、 仏 光 寺 派 一 の 構 成 で あ る 。 浄 土 宗 は 三 力 寺 だ が 、 あ と ニ カ 寺 存 在 し て い る の が 実 状 だ 。 日 蓮 系 は 八 力 寺 。 す な わ ち 、 日 蓮 正 宗 五 、 目蓮
宗 二 、 本 門 仏 立 宗 系 の単
立 寺院
一 の 内 訳 で あ る 。 ほ か に 金峰
山 修 験 本 宗 が ニ カ 寺、曹
洞宗
が 一 力 寺 存 す る 。 以 下 で は、沖
縄
の 仏 教 を俯
瞰 し た と き に 止 目 さ れ る い く つ か の 特 徴 を 指摘
す る と し た い 。 ま ず 第 一 に あ げ る べ き は、 人 び と の 宗 派意
識 の希
薄
さ で あ ろ う 。 そ の こ と は 、薩
摩 藩 の管
轄
下 に 置 か れ な が ら も 、檀
家 制 度 が 敷 か れ な か っ た と い う 歴史
的 背 景 を 映 し 出 し て い る 。 た め に僧
侶 た ち は 、 仏教
の 教 え を 正 面 か ら 説 示 す る の で は な く、 む し ろ 福 祉 や教
育、 文 化 な ど に 関 す る 活 動 を 盛 り 込 み な が ら の 教 化 を 企 図 し た の だ と い え る 。新
来 の 浄 土宗
袋
中
寺 や 日 蓮宗
法 華 経 寺 で は 、今
日 で も こ う し た 方 策 に カ を 入 れ て い る 。袋
中
寺 に あ っ て は、 糸 満 に 乳児
院 や養
護 施 設 な ど 四 つ の 福 祉 施 設 を 作 り ( 礼 拝 施 設 も 備 え て い る )、 「揺
り か ご か ら 墓 場 ま で 」 を 視 界 に 入 れ た寺
院
活動
を 実 践 し て い る 。 乳 児院
を 作 っ た 理由
は、 沖 縄 の 抱 え て い る 米兵
と の間
の 孤 児問
題 に 対 処 す る た め で あ っ た 。住
職 は ま た 、教
誨 師 も つ と め 、 ロ ー タ リ 一 七 七Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) ー ク ラ ブ に も 所
属
し て い る 。 法華
経
寺 で は 、非
行 歴 の あ る 青 少 年 や 登 校 拒 否児
の保
護
・教
化 ・更
生 を活
動
の 眼 目 と す る 。 昭 和 五 〇年
代
は じ め か ら 沖 縄 で の布
教 を開
始
し た が 、 以来
あ ず か っ た青
少年
は数
百 人 に の ぼ る そ う だ 。 た だ し 九 州 方 面 か ら の志
願
者
も い る 。 い わ ば 内弟
子 と し て 「 行学
寮
」 と 呼 ぶ施
設
に寄
宿 さ せ 、 。給
仕
8 を 最 重視
し 、 そ の 上 で “行
( 唱 題 行 ) ” “ 学 御 の指
導
を行
う 。 つ ま り 、 生 活 を 通 し て の教
化 を め ざ す の が 基 本姿
勢
で あ る 。 加 え て 日曜
日 に は 、唱
題 行 と 法 話 を 主 と す る 目 曜 学 校 を開
き、 か れ ら の親
に も参
加 を 呼 び か け て い る 。 一部
の寺
院
で、 こ う し た 試 み が そ れ な り に 成 果 を あ げ て い る 。 だ が大
半
は、葬
儀
や追
善 供養
の依
頼 に追
わ れ て 、 ほ か の 活 動 に ま で 手 が 回 ら な い の が 実 状 の よ う で あ る 。 か つ て は ユ タ な ど の 民間
職
能
者
主導
で 死者
儀
礼 を 行 う ケ ー ス が 目 に つ い た が、 近年
は 、 寺院
に直
接
あ る い は葬
祭業
者
を 通 し て依
頼
す る例
が 顕著
な 増 加 を み せ て い る 。 そ う し た 限 り で は 、表
面 上他
県 と 同様
の傾
向 が 当 地 で も 強 ま っ て き た 印象
を う け る 。 し か し そ の実
、他
県 と 一 括 り に で き な い性
格 を内
包
し て い る の で あ る 。 葬儀
と追
善 供養
を 別 々 の宗
教者
に頼
む 形 が 、 か な り み ら れ る の だ 。 そ れ も僧
侶間
に お い て だ け で な く 、 民 間宗
教
者
も含
め て行
わ れ て い る 。 な か に は 、 日 時 を ず ら し て 僧 侶 と 民 間宗
教
者
が儀
礼
に と も に 関 与 す る 場合
も 認 め ら れ る 。儀
礼 一 七 入 の 日 取 り を ま ず 民 間宗
教
者
の判
断 で決
定 し て か ら 、僧
侶 に導
師
を 依頼
す る例
も 稀 で は な い 。 と ま れ 、 葬儀
・法
要
の導
師
の 執行
が 、 す な わ ち 依 頼者
と の そ の後
に お け る 固定
的 な 関 係 を 生 む契
機 と は ほ と ん ど な っ て い な い の が 現 実 で あ る 。 と こ ろ で 、 ユ タ な ど の 民 間 ウ 不 教者
が葬
儀 ・ 法 要 に密
接
に関
わ っ て き た背
景
に 、 沖 縄特
有
の 祖 霊観
を 見 出 す こ と が で き る 。柳
田 國男
が 説 く と こ ろ で は 、 日本
人 の 伝 統 的 な先
祖
理解
( 18 ) に よ れ ば 、 死 霊 は 弔 い 上 げ を経
て カ ミ と 化 す と い う 。 こ の ( 19 ) “ 死 霊 ↓ カ ミ ” の 観念
は 、 沖 縄 の揚
合
と り わ け顕
著
に み ら れ る 。 た だ 、 カ ミ と化
す と観
念 さ れ る 時 期 は 必 ず し も 一 定 し て い な い よ う で あ る 。 む し ろ ウ ワ イ ス ー コ ー ( 終 わ り 焼 香 畦 弔 い 上 げ ) 以前
に そ う意
識
さ れ る 例 が 少 な く な い 。筆
者
の 聞 き と り で は 、 二 五 年 忌 の ニ ン チ ス ー コ ー ( 年 忌 焼 香 ) で 死 霊 は 天 に 上 り 、 カ ミ と な る か ら “ ア カ ( お 祝 い ) ” だ と さ れ、布
施
を 祝儀
袋
に 入 れ て持
参
す る 例 が ま ま あ る と 語 る 住職
も い た 。 当 住職
は 、 こ う し た “ ア カ “ の 慣行
を 改 め よ う と 指導
し て い る そ う で あ る 。 か か る 状 況 の も と で 、 で は 一 体 ど う し た ら 人 び と の宗
派意
識 を醸
成
さ せ る こ と が で き る の か 。沖
縄 仏教
の 担 い 手 た ち が 最 も腐
心 す る と こ ろ で あ る 。 こ の 点 に関
し 、 二 つ の道
が志
向
さ れ て い る よ う だ 。 一 つ は 、葬
儀
・ 法 要 を説
教 の 揚 と し て積
極
的 に 活 か そ う とす
る 立 場 で あ る 。 こ う し た姿
勢
は大
半
の僧
N工 工一Eleotronlo Llbrary侶 に
通
底 す る が 、 実 際 に は あ ま り 功 を奏
し て い な い 。 総 じ て 規模
の 小 さ い寺
院
や自
宅 な ど の 会 場 に 、多
数
の参
列
者
が つ め か け る の が沖
縄 特有
の仏
事 風景
で あ り 、 し た が っ て あ わ た だ し く儀
礼 が 執 り行
わ れ 、遺
族
も 参列
者
も落
ち着
い て座
を 温 め て い ら れ ず 、聞
法
ど こ ろ で は な い と い う の が 実体
と聞
く 。 そ こ を ど う 打 開 す る か 。 意 気 込 み と は裏
腹
に 、 有効
な 手 段 を 見 出 し え な い と い っ た 、 一種
の 隘 路 に 直 面 し て い る 感 が あ る 。 も う 一 つ 指摘
し う る の は 、寺
院
・僧
侶
が宗
派 を超
え て連
帯
す る こ と で意
見
交
換
の 揚 を持
ち 、 か つ組
織
的
に 文 書 活 動 や行
事 を 開催
し よ う と す る 立場
で あ る 。宗
派
間 に み ら れ る こ の よ う な 風 通 し の良
さ は 、 す で に 明 治 期 か ら の伝
統 で あ り、 そ う し た意
味
で は新
た な 試 み と い う よ り も 、 む し ろ 旧 来 の 路線
の踏
襲
と解
す べ き で あ ろ う 。 沖 縄 県 仏教
会
な る 寺院
連合
が そ れ で あ る 。 一 九 九 〇 ( 平 成 二 )年
次
で 二 六 力 寺 が 加 盟 し て お り 、 う ち 九 力 寺 が戦
後新
た に将
来 さ れ た寺
院
で あ る 。 若 手僧
侶 の 会 員 で 構 成 さ れ る青
年部
が 中 心 と な っ て 、 文 書伝
道
の た め に 「 れ ん げ 」 と い う 会 誌 を年
三 回 発 行 し て い る 。 か れ こ れ 一 五年
ほ ど つ づ け ら れ て い る そ う で あ る 。 県仏
教 会 は 、 か つ て の 沖 縄 仏 教 会 の 発 展 形 態 と み な し う る が 、 そ れ と は 別 に 、 よ り包
括 的 な組
織
が 近年
結
成 さ れ た 。 「沖
縄
宗教
者
の 会 」 と名
づ け ら れ 、 仏 教 ・ キ リ ス ト教
( カ ト リ ッ ク 系 ) ・ 神道
・新
宗
教 が 各 々 の 宗旨
の相
異 を超
え 、 “ 平 和 の祈
り ” 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) な る 共 通 目的
の た め に 大 同 に 就 い て 実現
し た も の で あ る 。 目 下 の活
動
の核
と な る の は、 毎 年 八月
一 五 目 に催
す 「 祈 り と平
和
の集
い 」 で あ る 。 一 九 九 二 ( 平 成 四 ) 年度
を例
に と れ ば 、次
の よ う な 次第
で 執 り 行 わ れ た 。雅
楽、 天 理教
開
会 の言
葉
、 キ リ ス ト教
平 和 へ の祈
り、 天 理教
・金
光
教
献舞
、神
道
祈
り の 言葉
、沖
縄 県遺
族
連合
会立 正 佼
成
会
天 理 教
世 界
連
邦
日本
宗 教委
員
会 聖職
者
挨 拶 、 仏教
セ レ モ ニ ー 、PL
ほ か 閉会
の 言葉
、神
道
雅楽
、 天 理教
( 司 会 、 仏 教 ) “ 平 和 の
祈
り “ と い う 一点
に向
け て 、 日 頃 教線
を 張 り合
っ て い る異
宗
教
が大
同
団
結
し う る と こ ろ に 、特
異
な戦
争 の歴
史
を 刻 印 さ れ た 沖 縄独
特 の精
神 風 土 が透
察
さ れ て こ よ う 。 一 七 九Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) ほ か に 、 「 南 無 の 会 」 に ヒ ン ト を
得
た 「 般 若 の 会 」 が 組 織 さ れ て い る 。 デ パ ー ト を 会揚
に “ 喫 茶 説 法 召 と銘
う っ て お お む ね 週 一 回、僧
侶 と有
識者
を 講 師 に説
教 活動
を 行 っ て い る 。 始 め て か ら 一 〇 年位
に な る と い う 。 こ う し た 連帯
へ の動
向 は 、 し か し、 沖 縄 仏 教 全体
を カ バ ー し て 進 ん で い る わ け で は な い 。先
述 の と お り、 県 仏 教 会 の 加 盟 寺 院 は 平 成 二年
次 で 二 六 力寺
あ り、 現 在 も 大 差 な い の に 対 し て 、 平 成 七年
度
の 県統
計 に よ る 法 人格
を 有 す る 県内
寺院
数 は 四 五 力 寺 を数
え る 。仏
教
会非
加 盟 の 寺院
も か な り あ る こ と が わ か る 。 さ ら に は 非 法 人 の 寺院
も 増 え て き て い る 。 管 見 で は 、 仏 教 会 非 加 盟 寺院
の中
に 、個
性 豊 か な 活動
を実
践 し て い る例
が む し ろ 目 に つ く 。 社 会 に適
応 し き れ な い 青 少年
と 寝 食 を と も に し て教
化
を 試 み て い る 法 華 経 寺 も 、 そ の 一 つ で あ る 。 ま た 、本
門 仏 立 宗 か ら 袂 を 分 か っ た 本 門 仏 立講
( 本 部 は 、 鹿 児 島 の 本 薫 寺 ) の 沖 縄支
部
・ 仏 立 寺 も 独 自 の道
を 切 り 開 い て い る 。 そ の 特 徴 は徹
底
し た 「 現 証 」 主義
に あ り 、 「 御経
力 」 に よ っ て現
証
を 得 せ し め る こ と で 、最
終 的 に は 菩薩
道 を歩
ま せ る の が 布教
の 眼 目 で あ る と い う 。 現 証 実 現 の た め の修
行
と し て 、 唱 題 行 を 最 重視
す る 。 加 え て 、 先 祖供
養
の 励 行 を 強 調 す る 。 そ の際
の 先祖
は 、 双 糸 を範
囲 と し た “ 総 先 祖 ” を 意 味 し て い る 。 さ ら に 特 徴的
な の は 、 先 祖 供 養 の 目 的 は 死者
自 身 の 成 仏 を願
う と こ ろ に あ る の で は な く 、 死 霊 を 再 び 生 ま れ 変 わ 一 八 〇 沖縄 金 峰山修 験 本 宗の中心的 存在で ある 田 場天龍氏 ら せ 、 同宗
と縁
を 結 ば せ て 菩薩
行
を 実践
せ し め た の ち に 成 仏 へ と 導 く、 い わ ば 「信
者
成
仏 」 と も い う べ き 即 身成
仏 を め ざ す こ と だ と さ れ る 。 し た が っ て こ の 論 理 を敷
衍 す れ ば、 同 宗 の 信 者 と な っ て信
心 を 深 め る こ と が 、 す な わ ち み ず か ら の成
仏
へ の 道 に つ な が る わ け で あ る 。 か く て 「御
講
」 と 呼 ぶ 信者
た ち の 集 ま り な ど を機
に 、 信者
自
身
が折
伏 を 展 開 し て い る 。 そ れ か ら 、 金峰
山 修験
本 宗 の 活 動 も注
目 さ れ る 。 ユ タ の修
験僧
化 と い う現
象 が み ら れ る か ら で あ る 。 そ の 揚 合 、 ユ タ の姿
勢
は 大 き く 二 つ の 方向
に 分 か れ る 。 一 つ は 、 僧侶
と し て の帰
属意
識 を強
め、 む し ろ ユ タ信
仰
に あ ら が う タ イ プ 。 二 つ め は 、 金 峰 山 で 修 行 し た体
験 や 知 識 を 、従
来 行 っ て い た祈
濤 方 N工 工一Eleotronlo Llbrary法 に 加 味 し、 参 考 に
供
し よ う と す る タ イ プ で 、僧
侶 の資
格
は 取得
し て も実
質
は 依然
ユ タ で あ る よ う な 例 。具
体
的 に は 、祈
疇
の 際、 グ イ ス と 呼 ば れ る ユ タ特
有
の 呪 文 を唱
え る が 、 そ れ に加
え て経
文 も あ げ る 形 式 が よ く と ら れ る 。 そ の 意 味 で は 、 た と え 後者
の タ イ プ と い え ど も 、 仏教
の修
行 を体
験 し た裏
づ け が 、 ほ か の ユ タ 仲間
と は 異 な る 一味
違
っ た ユ タ を 自 覚 せ し ] 沖 縄 と 仏 教 L 序 説 ( 長 谷 部 ) 沖 縄 寺院の参 拝風景 め る働
き を し て い る 面 も 否 定 で き な い と思
わ れ る 。 ユ タ と 修 験 と の関
係
に つ い て は、 ユ タ が 依 頼者
を 連 れ て 臨 済 宗 寺院
を中
心 に 参 拝、 祈 願 し て 回 る 「 十 ニ カ所
回 り 」 の慣
行
と合
わ せ て、 い ず れ稿
を 改 め て 詳 し く 論 じ た い と 考 え て い る 。 三 、 お わ り に 以 上、 沖 縄 の 仏 教 の 歴 史 と現
状 を 鳥 瞰 し て き た 。稿
を締
め 括 る に あ た り、 そ の諸
特 徴 を改
め て整
理 し、 論旨
を 浮 き 彫 り に し た い 。 ω、沖
縄 の仏
教
は、 臨 済 ・真
言 両 宗 を 中 心 に 展開
さ れ て き た 。 そ れ は現
在 も変
わ ら な い が、 た だ 近 年 に な っ て様
々 な宗
派 が 加 わ り、 当 地 の 仏 教 の 構成
は、 次第
に 複 雑 化 の様
相 を強
め て い る 。、 概 し て
新
来
の 日 蓮 系 寺院
に は 、宗
派 性 を 前 面 に 押 し 出 し た 活 動 を繰
り 広 げ る 例 が み ら れ る も の の 、 大 半 の 寺 院 は、 宗 派 の顔
が は っ き り し な い 。 、 そ う し た宗
派意
識
を 人 び と に ど う植
え つ け る か が 、総
じ て僧
侶 た ち の 課 題 で あ り 、悩
み で も あ る 。 ω 、葬
儀
・ 法 要 の 依 頼 に 追 わ れ る 寺院
が 多 く を占
め る 。檀
家制
度 の存
在
し な い沖
縄 で は 、 寺院
の経
営 は き わ め て 不安
定
で あ る 。葬
儀
・ 法 要 の 布 施 が 主 要 な 収 入 源 と な っ て い る が 、 一 八 一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 「 沖 縄 と 仏 教 」 序 説 ( 長 谷 部 ) 儀 礼 の 執 行 が