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こんな夜更けに書評かよ

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Academic year: 2021

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こんな夜更けに書評かよ

題名:『こんな夜更けにバナナかよ―筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち―』

著者:渡辺一史(2018)

発行:文藝春秋.880円+税

総合文化学部人間福祉学科心理カウンセリング専攻 学年:3年次

氏名:當間琉平

文字数:3017文字

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『こんな夜更けにバナナかよ』という作品をご存じだろうか。この書評を目で撫でられている皆様 は、この突拍子もない奇天烈なタイトルに、純粋な疑問と深い興味をそそられたことだろうと思う。か くいう私も、このタイトルに目を奪われこの作品を一読するに至った一人である。

この作品は、筋肉が徐々に萎え細っていく難病であるベッカー型筋ジストロフィーを抱えた、鹿 野靖明という男性の闘病生活、そしてボランティアたちとの交流を記録したルポである。2003 年に 北海道新聞社から出版され、講談社と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、2018年には映画化が 成されている。

作品の中心人物となる鹿野靖明は、1959年に北海道は札幌で生まれ、12 歳でベッカー型筋ジ ストロフィーと診断される。1972 年に国立病院機構八雲病因に入所する。しかし、その八雲病院の 規律化された生活やたくさんの死に直面することは、当時12歳の鹿野に暗い影を落とす。

そんな鹿野は19794月、19歳の時に入所した就労支援施設にて、友人となる我妻武と出会 う。歩行障害を持ちながらすさまじい行動力で周囲を巻き込み自由に生きる我妻と意気投合し関り を増やしていく鹿野だが、その後二人は職業体験を通して障害者の社会的な意味は「保護される 存在」であるということを痛感する。

そんなあるとき、鹿野は我妻の働きにより、ボストンのカウンセラーであるエド・ロングと出会う。エ ド・ロングから「新しい自立感」を得た鹿野は、英語を勉強した後に渡米し、障害者福祉について学 びたいと夢を見るようになり、勉強の日々が始まった。

月日は流れ1995年、工呼吸器による延命について宣告を受けた鹿野。呼吸器困難で札幌勤医 協病院に救急搬送されるなどの困難に見舞われながらも、英語の堪能なボランティアの舘野を介 助に付け、ついに渡米しエド・ロングとの再会を果たす。しかしその後、ついに拒み続けた人工呼 吸器をつけることになった鹿野。人工呼吸器に繋がれた自分を「鎖に繋がれた犬」と表現し、今ま で以上に難しい生活を余儀なくされてしまう。そして鹿野は、今まで以上に権利意識を強く訴えるよ うになり、退院できるということに半信半疑であった周囲の人間が、鹿野の「できる」「家に帰りたい」

のわがままを受け続けるうち、徐々につき動かされていく。

それから半年が経ち、鹿野は無事に退院する。1~2 年の余命と宣告された鹿野だったがそれか 5年もの間、鹿野は再入院することなく自立生活を送る。

その後、激しいぶつかり合いを交えてコミュニケーションをとるボランティアたちと鹿野の不思議な 関係に、著者はノーマライゼーションの本質と、「障害者の聖人化」という社会的な壁を見出してい く。

2001 年8月2日、拡張型心筋症によりこの世を去った鹿野。著者はそんな鹿野の死について、ボ

ランティアと鹿野とを繋いできた95冊の介助ノートを振り返るとともに、生きることを諦めないこと、人 と生きること、それが生きることであると、鹿野から教えてもらったと物語は締めくくられた。

鹿野靖明とその介助を行うボランティアとの関わりの中で、健常者と障害者の付き合い方、ノーマ ライゼーションの理念、障害者の自立という理想的な考え方、そして「どん欲に生きる」ということを 知ることができる1冊である。

冒頭でも触れたこの奇妙なタイトルは、ボランティアの国吉が、深夜であるにも関わらず鹿野が

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バナナを食べさせてほしいとせがみ、国吉はわがままだと心中批判しつつ、その鹿野への批判と いう思考に疑問を持ったという小さな事件をからきている。鹿野は介助される側の人間なのだから、

介助させる側としての負い目や気遣いのようなものはないものか。初めはそう思ってしまうものだが、

よく考えてみれば健常者だって、自分の意思でどんな時間にどんなことでもできるわけで、介助を 受ける側だからその意思を引っ込めなければならないという道理は、果たして正しいものなのか。こ のバナナ事件によって、鹿野という人物の生き方を、障害者が生きるということについて考えさせら れることになる。

作中で様々な過去と動機を持つボランティアの人々が登場し、鹿野という重篤障害者と向き合う 中で、重篤障害者の持つ不安や意見、本当の意味での福祉、障害者を障害者たらしめる本質に ついて問われていくが、私は「障害者の聖人化」という、社会の偏見によって生まれる壁の問題視 についての一例が非常に印象深く残った。

健常者より過酷な環境を生きる障害者は、その生きるという行為に過大な評価を与えるべきなの か、そんな障害者は上げ膳据え膳が妥当な応対であるのか、これらの問いは、ボランティアのヘル パーが重篤障害者であるはずの鹿野と、まるで同じ立場で丁々発止意見をぶつけ合う姿を見るこ とでより顕著に感じられるようになった。

鹿野は作中、終始わがままな人間としてふるまっており、健常者と同等に自由を望み、介助して くれるボランティアの青年たちにも、気負うことなくありのままの言葉をぶつけていく。ボランティアの 青年たちは鹿野に対して、「介助が必要な人」という認識を持ちながらも「脆弱で繊細な存在」だと オーバーケアーすることなく、聖人君子でもなければ木偶の棒でもない、一人の人間として、平等 な目を持たずにして平等な振る舞いをしている。

私は、この鹿野とボランティアの不思議な関わり合いこそが、障害者を障害者たらしめる線引き に一石を投じる出来事であると捉えた。作中に著者が語るように、障害者は正しく守られるべき弱 者という考えが常の健常者は多く、権利を主張する障害者に対して冷たくなってしまう健常者がい ることもうなずけること、そういった健常者が障害者と関わることで対立や摩耗を避けては通れない ことから、意図的に存在を遠ざけようとする無意識的な行動であるかもしれない。

『単に「障害者の手助けをしたい」というところで止まってしまうんじゃなくて、せっかく出会ったんだ から、自分も一緒に生きて、一緒に成長していくんだっていうふうに思えればいいんだけど。せっか くボランティアに来てくれてもね、ひたすらシカノに従うか、衝突してやめてしまうか。みんな、なかな かそこに意思疎通というものがないんだよね』(渡辺一史(2019)『こんな夜更けにバナナかよ―筋 ジス・鹿野靖明とボランティアたち―』文藝春秋.p374,8-13)

これは、鹿野を長くボランティアしてきた才木美奈子の言葉である。健常者と障害者の違うものが 同じ場で生きることになれば、対立や摩耗があることは当然であるという現実を知り、「障害者の手 助けをしたい」という意識にとどまらず、共に生き、ともに成長しようとするということが、才木が思う向 き合い方であり、ノーマライゼーションの根底には、こういった考え方があるのではないかと思えた。

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この作品から学ぶことはこれだけにとどまることはない、生きることへの執念、障害者と健常者の向 き合い方、障害者の恋愛感情など、鹿野靖明の42年の人生の記録は、これからの福祉との向き合 い方、人と生きることとは如何なるものなのか、私たちに問いかけてくれます。

この作品は、500ページ以上もあり、障害者福祉という重く深みのある内容で、読まずして怯んで しまう気持ちもわかります。しかし、変に身構えず、着の身着のままに、わがままな男の人生日記と いう体ででもいいので、是非一度は手に取って、彼らの生きる姿に心震わせてみてはいかがでしょ うか。

参考文献

渡辺一史(2018)『こんな夜更けにバナナかよ―筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち―』文藝春秋.

参照

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