田中美恵子
東京女子医科大学看護学部
精神看護における倫理的意思決定と事例検討
Ethical decision-making and case study in psychiatric nursing
■ 日本看護倫理学会第 5 回年次大会 会長講演
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日本看護倫理学会誌 VOL. 5 NO. 1 2013 日本看護倫理学会第5回年次大会は、「倫理的意
思決定のためのアプローチ:事例検討、コンサル テーション、ナラティヴ」を大会テーマとし、平成 24年5月26日(土)、27日(日)に、東京女子医科大学 において行われました。東京での開催は本学会初め てということもあり、689名という多くの方々にご 参加いただき、基調講演、教育講演、シンポジウ ム、交流集会5、一般口演34、示説20を通して、参 加者の方々の看護倫理に関するさまざまな取り組み や成果を共有する機会となりました。以下、会長講 演について報告いたします。
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.私が倫理に関心を持つようになった経緯 精神科の臨床にいた頃、長期入院の患者さんと多 数出会うことで、「退院できる状態なのに、退院でき ないのはおかしい」、「たとえ病気があったとしても、長い間家族とも会えないのはおかしい」ということ を強く感じさせられました。そこで、その後、長期 入院をしている患者さんがどのような体験をしてい るのか、患者さんの視点から理解しようとする研究1 や、長期入院の患者さんを社会復帰に導くには、ど のような看護援助をしたらよいかという研究2、ま た、地域で安定して生活している精神障碍者の方 が、どのような経緯を経てそれに至ったのか、患者 さんのライフヒストリーを通して理解しようとする
研究3〜6 などを行いました。これは、1980年から、
1997年に至るまでの私の臨床と研究の経歴です。
長期入院の精神障碍者の退院促進と、精神障碍の 当事者の経験を理解するという2つのテーマは、私 にとって実践的にも研究的にもライフワークとなり ました。しかし、当事者の経験を少しでも理解した いという思いから行った研究と、日々の臨床実践と の間には、まだ乖離がありました。つまり、自分の
2つの研究的関心を具体レベルで実践に下して結び つけるところまではいきませんでした。
ちょうど1998年に、米国の精神科看護師であり、
教育者でもあるルーシー・フィッシャー氏が日本で 講演をし、次のように語りました。
「米国での患者権利運動が動き出し、自分たちの 実践を振り返ってみることを迫られたとき、非常に 重要な役割を果たしたのは、精神障碍者の体験に敏 感になることであった。このことにより、患者に自 律と尊厳を与えるための移行期を乗り越えることが できた。」7
この言葉が私の中でずっとひっかかっており、私 の実践的関心と当事者の経験の理解という課題を結 びつけるものは、「倫理」ではないかという考えが 漠然と浮かぶようになりました。時を経て、それは 次第に確信に近いものとなってきました。その後、
随分と時間がかかりましたが、2004年から科学研究 費の助成を受けて、精神看護における倫理の研究を 開始しました。その中で、現場の問題は、倫理の光 を当ててみるとよく見えることがわかってきました。
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.精神科看護師が体験している倫理的問題 まず、精神科の臨床看護師が実際にどのような倫 理的問題を体験しているのかを知るために、インタ ビュー調査を行いました。その後、その調査結果を もとに調査用紙を作成し、約1,000名の精神科臨床看 護師を対象に調査を行いました。質的研究の結果8 からは、精神科病棟で働く看護師が体験する倫理的 問題として、「患者の権利に関わる問題」「治療に関 わる問題」「退院・長期入院に関わる問題」など、8つのカテゴリーが抽出されました。エピソード数 として多かったのは、「隔離・拘束」や「退院」に 関するものであり、精神科特有の強制治療や、日本
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日本看護倫理学会誌 VOL. 5 NO. 1 2013的感受性をもつことが大切であると考え、「精神看 護の倫理教育プログラム」を開発し、事例検討と組 み合わせながら、臨床での倫理教育を展開していま す。その概要は、以下に示す通りですが、さまざま なバージョンを作成し展開しています。
第1回:倫理学の主要概念と看護倫理 第2回:世界の人権思想、法と倫理 第3回:精神科医療倫理
第4回:臨床倫理とモデル事例の検討 第5回:事例検討
臨床では、何がよいことなのかを、簡単には判断 したり決定したりできないような価値の対立状況が 発生していると言えます。むしろ、さまざまな価値 が対立することが当然であり、多くの看護師がジレ ンマや価値の対立状況の中で、困惑したり葛藤した りしていると言えます。そこで、教育プログラムで は、事例検討などを通して、どのように倫理的意思 決定をしていったらよいのか、その過程を学ぶこと に力点を置いています。
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.コンサルテーションの経験1992年から15年間、ある精神科病院で、長期在院 者の退院支援と訪問看護のコンサルテーションを月 1回のペースで実施してきました。長期在院者の多 くは、自分から率先して「退院の意志」を表明して くることはめったにありません。確かに多くの場 合、患者の退院への意志は萎えています。しかし、
その意思をささえることにこそ、看護の専門性があ ると、コンサルテーションの経験を通して学びまし た。長期入院の問題のほか、患者自身の同意能力の 問題や、非自発的入院制度のもとでの閉鎖処遇や隔 離・拘束など、精神科医療においては、さまざまな 倫理的困難が看護師に経験されていると言えます。
時に看護師自身も無力感や諦めをもったりすること もあります。コンサルテーションとは、こうした看 護師自身の無力感や諦め、不安、葛藤を支えること を通して、ひいては患者の意思決定を育み、支え励 ますことであると思います。
最後に、国際法律家委員会委員としても来日経験 のある、法医学者のティモシー・ハーディング氏11 が、1998年に日本赤十字看護大学で行った講演から の言葉をいくつか引用させていただき、この講演を 終わりにしたいと思います。
・看護職の仕事は、精神病者の苦しみや脆弱性と直 接出会うものである。
の精神科医療の抱える入院の長期化の中で、看護師 が悩み、倫理的な問題としてそれらを体験している ことがわかりました。
同時に、看護師が体験する価値として、「患者の 権利」「患者の尊厳」「患者の安寧」「専門的価値」
「個人的価値」「文化的価値」「他の人々の権利」の 7つが抽出されました。これらの価値は本来、矛盾 なく成立していることが理想ですが、現実にはこれ らの価値の間にはしばしば対立が起こっていまし た。一方で、精神科看護師が体験している倫理的問 題には、看護師が道徳的に価値ある行為と認識して いても、実際にはその実行が阻まれるような社会的 な制約や患者自身の病状の重さなど「現実の制約」
との対立がみられる場合もありました。さらに、病 棟文化に代表される「文化的価値」や「現実の制約」
は、しばしば、患者の権利、尊厳、安寧、専門的価 値と対立していました。つまり、看護師が患者の権 利や専門的価値に重きを置いて看護を実践しようと しても、病棟文化や「現実の制約」に阻まれて、そ れが思うようにいかないことが多く経験されていま した。これは、「看護師たちが正しいことを知って いてもそれができない事態」であり、Jameton 9のい う「道徳的悩み」を看護師が経験しているというこ とを示していると言えます。しかしながら、「現実 の制約」の中には、患者の自己決定能力の不足やケ アの限界など、必ずしも価値の観点だけでは説明で きない要素も含まれており、精神障碍の性質や疾病 の重篤性などが、看護師たちに道徳的な悩みをもた らしていることもわかりました。さらに、語られた エピソードの中には、なんとなく問題であると感じ てはいるが、それが倫理的な問題であるというよう な確実な認識に至っていないような、「道徳的な不 確かさ」10に相当する内容も含まれていました。
全体を通して、判断能力に障害を来すことがある 精神障碍者への看護においては、保護主義的な原理 が働きやすく、「自己決定の尊重」と「善行」との 対立がとりわけ起こりやすいと考えられました。ま た、精神障碍者への看護の場合、ともすれば患者の 自己決定よりも、社会の安全の方に比重が置かれや すく、「自己決定の尊重」と「正義」の対立も起こ りやすいと考えられました。
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.精神看護倫理の研修会以上のような研究結果から、精神科の看護師たち が自分の価値観を自覚し、価値の対立を見抜く倫理
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4 . 田中美恵子.ある精神障害・当事者にとっての病
いの意味―Sさんのライフヒストリーとその解 釈:スティグマからの自己奪還と語り.聖路加看 護学会誌2000,4 (1),1−20.
5 . 田中美恵子.ある精神障害・当事者のライフヒス
トリーとその解釈(第1部)―地域生活を可能と した要因および個人における歴史と病いの関係.
東京女子医科大学看護学部紀要 2003,5,1−15.
6 . 田中美恵子.ある精神障害・当事者のライフヒス
トリーとその解釈(第2部)―自立と自己の存在 の意味を求めての闘い.東京女子医科大学看護学 部紀要 2003,5,17−26.
7 . Fisher, L. 精神看護における倫理上の諸問題,意
思 決 定 に 関 連 し て. 日 本 精 神 保 健 看 護 学 会 誌 1999,8,34.
8 . 田中美恵子,濱田由紀,小山達也.精神科病棟で
働く看護師が体験する倫理的問題と価値の対立.
日本看護倫理学会誌 2010,2 (1),6−14.
9 . Jameton A. Nursing practice: the ethical issues. En- glewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall, 1984.
10 . 同上.
11 . ハーディング,T. 日本赤十字看護大学精神保健
看護学教室主催講演会資料.1998年9月2日.
・その苦しみの原因の一つは、患者の基本的人権が 認められていないことである。
・人権意識の向上は、精神病者と働く中で、看護の 専門性の具体的な目標となるべきである。
なぜなら
・看護職は自由を奪われている患者にアクセスでき る、
・看護者は非人道的で品位を落とす環境の目撃者で ある、
・看護者は個人の自立や人間の尊厳を向上させる力 や能力を持つ、
からである。
文献
1 . 田中美恵子.長期入院中の精神分裂病患者の時間
の流れの速さに関する感覚の分析―結核患者との 対比を通して,看護研究 1990,23 (3),42−56.
2 . 田中美恵子,萱間真美.精神分裂病患者の社会復
帰を促す看護実践の構造,臨床看護研究の進歩 1995,7,145−154.
3 . 田中美恵子.ある精神障害・当事者にとっての病
いの意味―地域生活を送るNさんのライフヒスト リ ー と そ の 解 釈. 看 護 研 究 2000,33 (1),37−