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田中芳男の海藻コレクション

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Academic year: 2021

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田中芳男の海藻コレクション  ̶国立科学博物館の場合̶

北山太樹

 今年は明治150年にあたるとともに,「博物館の父」と称 される明治時代の博物学者,田中芳男(1838―1916)の生 誕180周年を迎える年でもある。明治維新,本草学から自然 史研究へ移行した時代に新政府の博物局で八面六臂の活躍を した田中は,日本に博物館(動物園,植物園,図書館を含む)

を設立することを構想し,ついには上野に実現させた。その 現在の姿が東京国立博物館や国立科学博物館である。

 あまり知られていないが,田中は,まだ東京大学も開学 していない1869(明治2)年頃から御雇い外国人のハラタ マKoenraad W. Gratamaから海藻の押し葉標本製作法を教 わり,大量の海藻標本を採集していた。そのコレクションの 大部分はライデンへ送られ,のちにスリンハーWillem F. R.

Suringarが研究し,“Illustration des algues du Japon(日本 の藻類図譜)”(1872―1874)を出版している。田中は日本に おける海藻学の出発点に立つ人物の1人であった。

 国立科学博物館植物研究部(つくば市)は,田中芳男の海 藻標本を約60点収蔵している。それらの多くは1885(明治 18)年に相模横須賀で採集されたもので,実に丁寧につくら れた美しい標本である。おそらくその翌年に大日本水産会が 上野公園で開催した水産共進会(審査長を田中が務めた)に 出品するために採集・製作されたものと思われる。そのなか には,褐藻ケウルシグサ(図1)のように今日の東京湾にみら れなくなった海藻も数種類含まれており,海藻相の変遷も知 ることができる貴重な標本となっている。これらの標本が採 集された1885年といえば,「日本海藻学の開祖」岡村金太郎 が東京大学に入学したばかりの年であり,田中の海藻採集が いかに先駆けていたかが分かるだろう。

 国立科学博物館日本館(上野)では昨年4月より,田中芳 男の博物学人生を紹介するプロジェクションマッピング展示

を開始している。既存の胸像を利用した新しい展示として筆 者が企画立案したものである。当初はプレミアムフライデー の夜間限定であったが,今年3月から常時上映となり,約8 分間隔(本篇5分,休憩3分の繰り返し)で観ることができる。

ぜひ上野の田中芳男に会いにいらしてほしい。

謝辞

 関東地方におけるケウルシグサなどの分布について助言く ださった鈴木雅大博士(神戸大学)にお礼申しあげます。

(国立科学博物館)

【国立科学博物館日本館】

所在地:〒110-8718 東京都台東区上野公園7-20。開館時間:

午前9時〜午後5時(金・土曜日は午後8時まで)。入館は各 閉館時刻の30分前まで。休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休 日の場合は翌火曜日)。入館料:一般・大学生は620円(団体 310円)。高校生以下および65歳以上は無料。交通:JR山の 手線上野駅公園口から徒歩5分。Tel:03-3822-0111(代表),

03-5777-8600(問い合わせ用ハローダイヤル)。URL: http://

www.kahaku.go.jp/。

1 田中芳男が18854月に横須賀で採集したケウルシグ Desmarestia viridis (Müller) Lamourouxの 標 本(TNS-AL 42639)。

2 田中芳男プロジェクションマッピング。国立科学博物館(上野)

の日本館地下1階ラウンジの奥に設置されている。

藻類 Jpn. J. Phycol. (Sôrui) 66: 142, July 10, 2018

図 2  田中芳男プロジェクションマッピング。国立科学博物館(上野)

参照

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