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Vol.68 , No.2(2020)095鈴木 知子「Rajataranginiの第7章と第8章を巡る問題の再検証」

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Academic year: 2021

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印度學佛敎學硏究第68巻第2号 令和2年3月 (15)

― 1092 ―

Rājataraṅgiṇī

7

章と第

8

章を巡る問題の再検証

鈴 木 知 子

1.RājataraṅgiṇīとKalhaṇa 12世紀前半に活動したカシミールの詩人Kalhaṇa は,Rājataraṅgiṇīと題する王統紀を著し,Bhārata戦争の時代から執筆当時に至る までカシミール渓谷を統治した諸王の事績をサンスクリット語の韻文で綴った. Rājataraṅgiṇīは8章7,826詩節から成るが,総詩節数の6割以上は最後の2章に割 かれている.

Kalhaṇaはバラモン階級に属し,父親は第7章の主人公Harṣa王に仕えた大臣

Caṇpakasicであったと推測される1)Harṣa王は殺害されて王朝は交代したが,新

王朝下でKalhaṇaが宮廷詩人として用いられた形跡はない. 2.第7章と第8章を巡る過去の議論 Rājataraṅgiṇīの写本の多くは第7章と第8 章を欠いていたため,この作品が西洋に紹介された19世紀前半当初から,両章 は後の挿入ではないかとの見方があった.Rājataraṅgiṇīを仏訳したTroyer(1852, xff.)は,この2章が記述の詳細度などにおいて他の章と一線を画していると考 え,両章がKalhaṇaの真作ではないという説を明確に支持した.1875年に至り,

Bühlerが既知の全写本の源とみられる写本(Codex Archetypus, A写本)を発見し,

Stein(1892; 1900)がこれを校訂・英訳した.A写本は全8章 っていたため,最 後の2章を欠く写本が多いことは両章の真贋とは関わりないことが判明した. Bühler(1877, 121ff.)とStein(1900, 44ff.)は,第8章の記述が不明瞭であることや, 同章に話題の飛躍や同じ比喩の重複使用などがみられることを認めつつも,これ を時代背景や推敲不足に帰し,テキストに偽作を疑うべき点はないと断言した. 以後この問題はほとんど議論されず,今日も全8章がKalhaṇaの真作であること を疑う声は聞かれない. しかし,この議論を振り返ってみると,問題提起そのものが適切ではなかった と思われる.Troyerは第6章と第7章の間に断絶を見たが,ここに見られる変化 はむしろ,Kalhaṇaの作業が伝承の再編集から書下ろしに移行したことを示唆し

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(16) ― 1091 ― Rājataraṅgiṇīの第7章と第8章を巡る問題の再検証(鈴 木) ている.Kalhaṇaの出生は第7章と第8章の変わり目に相当する時期であったと 推測されている.従って,第6章以前は既存の王統紀やその他の文献に依存せざ るを得なかったと思われるが2),第7章以降は目撃証言や自身の見聞に基づいて 筆を揮ったと考え得る.一方,Troyerが「面白みのない些事の羅列」と評した記 述も,BühlerとSteinが認める文章上の難点も,全て第8章のみに見られる. 従って,断絶の可能性はむしろ第7章と第8章の間にある.しかし,この2章が 一体であることは議論の始めから所与であったため,その可能性は看過された. 3.第8章のテキストに関する疑問 Kalhaṇaは序文において,過去の出来事を語 る際は個人的感情を捨てなければならないと述べている. ślādhyaḥ sa eva guṇavān rāgadveṣabahiṣkrtā /

bhūtārthakathane yasya stheyasyeva sarasvatī // 第1章第7詩節 //

仲裁者のように愛憎を離れた言葉で過去の出来事を語る者こそ,有徳な者として称賛され るべきである.

この言葉どおり,Kalhaṇaは第7章まで何れの王に対しても不偏不党の態度を 貫いている.しかし第8章半ば以降は,執筆当時の王Jayasiṃhaに対して宮廷詩 人のような賛美の言葉を捧げるようになる.

labdhabodhir ivārer yaś cakre vyāpady upakriyām /

dāvapradasya dagdhāṅgollāghatvam iva candanaḥ // 第8章第2377詩節 //

[王は,]栴檀の木が森に火を放った者の焼けた体を癒すように,苦境にある敵を仏陀の如 く助けた. ところが,20世紀に入ってHultzsch(1913; 1915)が手持ちの断片的写本(M写 本)を分析した結果,この写本の第8章にはA写本の同章にみられる7詩節が欠 けており,当該箇所に全く異なる161詩節が置かれていることが判明した.M写 本の161詩節の中では,即位前のJayasiṃhaが謀反分子と組んで父王Sussalaに反 逆しようとした経緯が語られている.一方,A写本の7詩節では,Sussalaが Jayasiṃhaに王位を譲り,これに伴ってあらゆる目出度いことが起こったとされ ている.これに続く箇所でJayasiṃhaは謀反を疑われて幽閉されるが,A写本の 7詩節の後では話の展開に唐突感がある.従って,A写本が伝えるテキストは恐 らく修正後のリセンションであり,この修正にはSussalaからJayasiṃhaへの王位 継承が必ずしも円満なものでなかったことを糊塗しようとする意図が窺われる.

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(17) ― 1090 ― Rājataraṅgiṇīの第7章と第8章を巡る問題の再検証(鈴 木) Kalhaṇa自身が執筆中にこの修正を行ったとすれば,修正前のテキストが今日 に伝えられる可能性は低い.また,修正前はもとより,修正後のテキストにも Jayasiṃha王の存命中に公にできたとは思えない部分が多々ある.従って,第8 章は同王の逝去(1155年)後に,既に完成していたKalhaṇaのRājataraṅgiṇīに追 加され,更に何らかの政治的理由により修正が加えられたと推論し得る. 4.最終章に相応しいのは第7章か第8章か Kalhaṇaは序文において,この作品

を支配しているのはśāntarasa3)であると述べている.Kalhaṇaはいわゆる史書

を編もうとしていたのではなく,聴き手を寂静の境地に導くことを目的として, 歴代の王の盛衰を描いたと思われる.

kṣaṇabhaṅgini jantūnāṃ sphurite paricintite /

mūrdhābhiṣekaḥ śāntasya rasasyātra vicāryatām // 第1章第23詩節 //

人間が突然現れて一瞬のうちに壊れてしまうものであることをよく考え,この作品におい

てはśāntarasaの頭頂に灌頂があることが思慮されるべきである.

śāntarasaを主調とする文学としてRājataraṅgiṇīを捉えた場合,その最終章

に相応しいのはどの章であるかが問われる.第7章末では,Harṣa王が悲劇的な 最期を遂げ,この世の栄華や人の命の儚さが次のように詠われた後に,「日の光 がヒマーラヤの頂きからメール山の斜面に移るように」王権が他の家系に移った ことが告げられて幕が下りる.

bhāgyāmbuvāhataḍitas taralāḥ śriyas tās tac cāvasānavirasaṃ prasabhonnatatvam / tatrāpi naiṣa vata mohahatāśayānāṃ

śāntiṃ prayāti vibhavānubhavābhimānaḥ // 第7章第1729詩節 //

幸運は運命の雲が放つ稲妻に揺れ,高みに昇った権力の終わりは苦い.それでもなお,悲 しい哉,迷妄に陥った心を持つ者達においては,繁栄の享受から生じた慢心が鎮まること はない.

nādau kiṃcid bhavati niyataṃ yaś ca paścān na kiṃcin madhye kasmāt sapadi ghaṭayan sausthyadausthyānurodham / niḥśīrṣāṅghnir naṭa iva muhuḥ ko pi jantur naṭitvā

no jānīmo bhavajavanikāntarhitaḥ kva prayāti // 第7章第1731詩節 //

初めは確かに何ものでもなく,後にも何ものでもない人間が,何故かそのあいだの束の 間,幸不幸に振り回される.人は誰しも,頭も足もない役者のようにひと時芝居を演じた 後,この世の幕の向こうに消え,何処に行くのか我々は知らない.

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(18) ― 1089 ― Rājataraṅgiṇīの第7章と第8章を巡る問題の再検証(鈴 木) これに対し,第8章は内戦の終結をもってJayasiṃha王の存命中に終わる.同 王の人徳を称える詩節に続き,śāntaのrasaを意識したとみられる詩節が章末を 飾っているが,直前の称賛詩との違和感は拭えない.

ambho pi pravahatsvabhāvam aśanair āśyānam aśmāyate grāvāmbhaḥ sravati dravatvam uditodrekeṣu cāveyuṣaḥ / kālasyāskhalitaprabhāvarabhasaṃ bhāti prabhutve dbhute

kasyāmutra vidhātrśaktighaṭite mārge nisargaḥ sthiraḥ // 第8章第3406詩節 //

流れることを自性とする水も,忽ち岩のように凝結し,固くなった水は流動性を失う.人 の栄華の絶頂においても,運命のゆるぎない権威は驚くべき力で発揮される.創造主の力 によって用意された道において,誰の性質が不動であろうか. 5.まとめ 以上で論じたように,Rājataraṅgiṇīの第8章は,テキストの内容や成 立過程から見て,Kalhaṇaの真作ではない可能性がある.また,Kalhaṇaがこの作 品を著した意図に照らせば,最終章に相応しいのは第7章である.

1)Rājataraṅgiṇī各章の奥付に iti kāśmīrikamahāmātyaśrīcaṇpakaprabhusūnoḥ kalhaṇasya krtau rājataraṅgiṇyāṃ prathamas taraṅgaḥ(以上,カシミールの偉大なる大臣Caṇpaka殿の子息 Kalhaṇaが著したRājataraṅgiṇīの第1章)等と記されている.  2)Kalhaṇaは序文におい

て,2人の詩人(うち1人は前世紀の著名な詩人Kṣemendra)と11人の学者(sūrin)の作品

を参照したと述べている(第1章第11–14詩節).  3)rasaとは,文芸作品の様々な要素

の働きかけにより,鑑賞者の心に潜在する感情が顕在化した状態を意味する.rasaの概念

はBharataに帰される演劇論Nāṭyaśāstra(2c. BC–AD 6c.)において最初に論じられた.śānta

はresignation,equanimity,「諦観」,「平安」などと訳され,俗世への執着を捨てた境地を 意味する.

〈参考文献〉

Hultzsch, Eugen. 1913. Critical Notes on Kalhaṇa s Eighth Taraṅga. Indian Antiquary 42: 301–306.    ̶. 1915. Kritische Bemerkungen zur Rājataraṅgiṇī. Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft 69: 129–167.   Stein, Marc Aurel. 1892. Kalhaṇa s Rājataraṅgiṇī: A Chronicle of the Kings of Kaśmīr, Sanskrit Text with Critical Notes. Bombay: Education Society s

Press.   ̶. 1900. Kalhaṇa s Rājataraṅgiṇī: A Chronicle of the Kings of Kaśmīr, Translated with an Introduction, Commentary & Appendices. Westminster: Archibald Constable.   Troyer, M. Antoine. 1852. Râdjatarangiṇî: Histoire des Rois du Kachmîr. Tome III: Traduction, Éclaircisse-ments historiques et chronologiques relatives aux septième et huitième Livres. Paris: La Société

Asi-atique de Paris.   Bühler, Georg. 1877. Detailed Report of a Tour in Search of Sanskrit MSS Made in Kasmīr, Rajputana, and Central India. Extra number of the Journal of the Bombay Branch of the Royal Asiatic Society. Bombay: Society s Library.

〈キーワード〉 Kalhaṇa,Rājataraṅgiṇī,王統紀,カシミール,śāntarasa

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