ISSN 1343
仏 教 橘 仏
2013年2月0
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15
浄土宗総合研究所
4
ム 私 ぬ 仏
2013年 2月
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1
5
目
公開研究会
①
次
震災時のグリーフケア研究所の活動
浜 公
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ふ 究
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②
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上智大学グリl
フケア研究所 大 河 内 大 博 ・ 司会 曽根宣雄 東京宗務庁 平成 二 十四年 一月二十三日 第一応接室 浄土宗福島教区浜通り組青年会会長 加藤正淳 司会 曽根宣雄 東京宗務庁 平成 二 十四年 三 月十九日 第 一 会 議室 45活動報告
﹁
米
一
升運動﹂について
自主 巨ヨ 俊 田 報 主乞浄土宗社会福祉推進委員会及び作業部会の活動報告より窺える東日本大震災に対する浄土宗
社会福祉推進事務局の果たした役割
・
現
状
・
課題(第
2
報
)
ー第
102
次臨時宗議会
(
5
月
時
・
口
日)より宮城事務所開設
(
8
月
1
日)まで
1
鷲 見。 一
小
浄土宗社会福祉推進委員会及び作業部会の活動報告より窺える東日本大震災に対する浄土宗
社会福祉推進事務局の果たした役割
・
現状
・
課題(第
3
報
)
ー宮城事務所開設
(
8
月
l
日)より新内局発足(は月
8
日)まで
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浅I
召 太 寄 稿﹃
仏教福祉
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廃刊によせて
坂 雅 上 編集後記 弘7
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96 一-u一一 良 日 138 翁 182公開研究会①
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本日は上智大 学 グリl
フケア研究所の大河内大 博先生をお招きして、お話をいただきます 。 先生はも 司会 ちろん浄土宗のお坊さまで、今、大阪教区の願生寺さ まの副住職をされております 。 それではお話しいただ いて、その後質疑応答というような形にしたいと思い ますので、よろ し くお願いします 。 失 礼致 し ます 。 ご紹介頂きました大河内でご ざいます 。 今 日はどうぞ、よろしくお願い致 し ます 。 大河内 本当に貴重な機会を頂きまして、ありがとうございま す 。 一 時間半の時聞を頂戴 し てございますが、さほど?
可
内
大
博
2
話すことはあまりございません・・と 言 いながらも、時 聞をオ ー バ ー するのが大阪人の性ですので、どうなる か分かりませんが、よろしく願いします。 言 い訳のようで恐縮ですが、ここにいておられる方 の中でも、私以上に継続的に また深く関わられた 方々がいらっしゃいますが、私は現地にはただ 一 回 だ け行かせて頂いただけでございます 。 その後は大阪で、 できる範囲のことをさせて頂いたという状況です 。 で すから、上智大学グリ 1 フケア研究所に所属していた 縁で関わ れたこと について、何かお役に立てるような 情報があればと願いつつ、ご報告させていただこうと 思っています 。 グリ
l
フケア研究所について まず、グリ1
フケア研究所についてですが、私 、 か ど ういう立場で現地に入ったをご理解頂くために、少し 研究所の設 立 経緯をご説明させて頂きたいと思います 。 二OO
五年の四月二十五日に J R 福知山線脱線 事 故 3 が発生致しました 。 乗員、乗客含めて、百七名の死者 が出た、大変大きな事故でしたので、東京方面の方々 にも記憶に新しいかとは思います 。 この事故も去年 ( 二O
一 一 年)が七回忌、丸六年経ちました 。 その事 故を受けまして、 J R 西 日本が J R 西日本あんしん社 会財団というものを作りまして、社会貢献の意味でグ リーフケアの普及に役に立てるようなことがないか、というのが最初にあったお申し出です 。 その中で、事 故現場から 一 番近い大学が兵庫県の尼崎市にあります 聖 トマス大 学という大学で、そこにグリ
l
フケアの専 門家でいらっしゃる高木慶子先生がいたことも重なり まして、聖トマス大学の中に日本グリl
フケア研究所 が開設されました 。 目的は、グリl
フケアというまだ啓発が途上なもの を広く普及させるために、 一 般の方々に悲嘆について 学びを深めていただく﹁公開講演﹂と 、グリl
フケア を専門的に提供できる人材を養成する﹁人材養成講 座﹂を行うことでスタートしました 。 た だ 、 スタート してまもなく、聖トマス 大学が学生募集停止 という経 緯になりまして、研究所が上智大学に移り、現在、上 智大学グリl
フケア研究所という名前に変わっており ます 。 JRの事故を受けての研究所ということであり ますので、現在は聖トマス大学の中と、上智大学が開 設した大阪梅田のサテライ トキャンパスで 、人 材養成 講座を行ってます 。 人材養成講座は 全 部で 三 年コl
スになっていまして、 一年目の基礎 コl
スに約四十名 。 二 年目のボランティア養成 コl
スに約 三 十名 。 三 年目 の専門コ 1 スに約十 二 名 それぞれ選抜しながら、専 門家を 三 年かけて養成しています 。 私はこの人材養成 講座の講師をさせて頂いております 。 それ以外に、事 放との関係で 言 い ま す と 、 ただいま、ご遺族さまの文 集の編集作業などもさせて頂いております。 今回、東日本大震災の発生を受けまして、映像を見 ながら、あるいは、死者が増えていく状況を見ながら、-
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-心を痛めたわけですが、 実際の生活はというと、大阪 ではなんら変わらず、 その日もその次の日も普通の生 活ができていました 。 それからすると、帰宅難民とい う状況が出た東京方面の皆さんとは随分と、実体験と しての震災の影響は少ないようにも感じられます 。 そ の 中 で 、 研究所もそれほど初動が早かったわけではあ りませんでした 。 何かしなければと思いつつも、何 が で き る の か が 分 か ら な い 状 況 で し た 。 そうして、 二O
一一年の四月に入ってようやく現場に行ってこいということで、主任研究員の小西研究員と 二 人で行か せて頂きました 。 支援活動の概要 今、申し上げました通り、期間としては四月 二 十 七 日から五月四日ですので、 震 災 が 起 こ っ て か ら 約 一 ヵ月半後に現地に行かせて頂きました。 四月の 二 十 七 、 二 十八日は名取市、塩釜市を視察し、 二 十九 日からは、 気 仙 沼 市 の 面 瀬 中 学 校という、 大 体 二 百 三 十名ほどの方が避難生活をされている避難所で 一緒に寝泊まりをさせて頂きながら、支援活動をさせ て頂きました 。 その問、気仙沼にあります浄土宗浄念 寺様にもお伺いさせていただき、 お話を聞かせて頂き ました 。 この活動の目的は、被災地の支援状況の確認にあり ましたが、例えば、避難所の方のお話を聞かせて頂い た り 子供さんの遊び相手にならせて頂いたり、生活 支援として配膳や掃除を一緒にさせて頂いたり、 ま た 縁あって、遺体安置所でも読経させて頂くことができ ました 。 初日の四月 二 十七日は、名取市に近いところの阿部 健先生という、在宅ケアで有名な先生の病院に行かせ て頂きまして、阿部先生の案内で、名取市を中心に被 災地を拝見させて頂きました 。 H 心のケア M の 二
l
ズ 心のケアのニ1
ズについてですが、 震 災から 一 カ 月5
-半経過した時期の活動でしたので、 ﹁ 心のケアで行つ ても何もできないよ ﹂ と かなりくぎをさされていま した 。 このようなど 意 見 は 恐 ら く 、 ﹁ 心のケアが必要 だ﹂という問題意識で活動をする動きがそれまでに少 な か ら ず あ り 、 そのような活動が被災者の邪魔になっ たというようなケl
スもあ っ たからなのだろうとも思 いました 。 実 際にそうい っ た話も聞かせて頂きました 。 ﹁ グリ!フケアという心のケアの一部を担っていく専 門家が行 っ ても、結局何もできないからね ﹂ ということを 言 われながら、行かせて頂いた次第です 。 そうい う意味では私達はとても慎 重 にもなりましたし、私達 が し くじったら、研究所はもう 二 度と現場に入れない という よ うな、半ばプレッシャ ー もありながら現 地 に 入ったのを覚えております 。 た だ 、 実 際に入 っ てみた ら、非常にニ
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ズは高かったというのがその当時の印 象です 。 乙れからお話させて頂きますのは、 上 智大学 に報告 書 としてあげたものですので、あくまでも 震 災 後 一 ヵ月半の状況の時の報告であるということをご 了 承ください 。 まず、市役所の職員や中 学 校の教師の方、市会議員 の方などが、心のケアが必要だということが訴えられ ていました 。 つまり現場で 実 際に市民や生徒を見て 心のケアが絶対数として足りない、必要なんだという ことを問題意識として持 っ ていたということです 。 そ こ か ら 、 いかに心のケアが必要な方につながることが で き る か 、 ということが 当 時の課題でした 。 面瀬中学 校のあたりは、幸いにそれほど死者は出なか っ た地域 だったようです 。 自宅がなくなって避難所で生活して い る 人 と 、 二 階はなんとか生活できるからと、家で暮 らしている方がいる地域でした 。 その中で、やはり避 難所で生活している人にケアが集中している状況で し た 。 物資もそうですし、行政の情報も避難所にいれ ば掲示板を通じて分かります 。 しかし、自宅にいたら 何の情報も入ってこないという状況もあり 、 一 ヵ月半 経過した状態で、 支 援の格 差 が出ていました 。 面瀬中 学 校に私達が関わることにな っ たき っ か け は 、6
日 本 ホ スピス在宅ケア研究会という機関が既に関わってい らっしゃ っ たご縁でしたので、在宅の人がどんな状況 で、何をニl
ズとして持 っ ているかという情報を研究 会のボランティアの方から得ることができました 。 当然と 言 えば当然ですが、心の整理の状態は 一 カ 月 半た っ た状況でも、人それぞれでした 。 それは、トカ 月、た っ た 今 でも当然のことながら個人差はあります の で マニュアル化はできません 。 この問題は当初か ら、今現在も、 それからこれからも続いていく謀題だろ う と 思 い ま す 。 心のケアなど必要ないという 声、行って も無駄で あったというような声がありながら しかし心のケア を専門的にできる人材は求められていたということを 感じました 。 現地の人ではなくて私達のような遠隔地 の者が入って、心のケアをどうやっていくかというこ と は いろいろな課題があります 。 まずはどのように して避難 生活を している被災者の方とつなが っていく ぺきなのかということが 一 番問題となりました 。 今回 まず 一番目に気 付いた のが、取りまとめ役 にし っかり と ル 1 トをつなぐということが重要であるということ でした 。 市役所の方であるとか、学校の先生であると か、避難所のリーダーであるとか、 そうした方とル
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ト を 持 ち 、一 一
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ズを確認するということだと思います 。 次に気づいたのが私達の立場を説明できるかどうか ということでした 。 これは私もそうですし、 一 緒 に 行った小西主任研究員もそうですが、病院でスピリ チュアルケアやグリi
フケアという仕事をしている 延長でこの仕 事をしている ということもあり、 医療 チームの 一 員と して 、果た して現地に入れるのかどう か、というのが非常に心配していたことでありまし た 。 要は、真っ先に必要なのは医療支援や生活支援で あ り 、 そういう意味で最初に信頼されるのは医師や看 護師です 。 同じように心のケアを担当する者も、自 分のやっている仕事を言語化できて、 フィードバ ッ ク できるような経験があるほうが望ましいという話を 緒に行った主任研究員としていました 。 そして 三 つ 目 7 ですが、当時問題となったのは、支援する側の絶対数 が少ない中で、効率よくケアをするためにはどうすべ きかという問題でした 。 これについては、まず上位者 につながって、上位者をケアする 。 上位者とは避難所 のリーダーであったり、医療者であったりというよう な方々を遠隔地の専門家がケアをして その人達が具 体的につながる人達をケアするというような方向がい いのではないかという考えを持ちました 。 それが現在 どうなっているのかというところは、また皆さんからフィードバックいただけたらと思います 。 ケア提供者に求められるもの 先ほど申しました通り お膳立てがない状況で支援 に向かい、クレームが出たらもうその避難所から出て いってくれと 言 われるリスクを背負った状況しかも 自分、大河内という個人ではなくて、以後、﹁心のケア を﹂というような目的を持って現地に行かれる方が拒 絶されることになってしまうというような状況で、ど れだけお 話を伺える かが問われるということを 実感し ました 。 私自身も避難所に入って、市役所の方や避難 所のリーダーの方の心のケアは絶対必要だなと痛感し ました 。 ﹁ で は 、 よろしくお願いします ﹂と 二 百 何人の 方が雑魚寝している状況の中に放り出されて、そこか らお話を伺ってい かなければならなか ったので、どの 方にどう声をかければよいか この人は私の声かけに どう思っているか 。 もうこの人は私を必要としてない、 この人はもう少しお話を聞かせてもらえるかもしれな い、というような、非常に何とも表現しづらい、 そ の あたりの距離感や空気感を読んだりする技術が必要で あると思いました 。 この被災地の状況は、病院に行つ て、ピシャっとインドアが閉まっている病床訪問の時 の緊張感に非常によく似ていると感じました 。 入って いいものかどうなのか 。 この人の今日の病態はどうな の か 。 大河内在招き入れてくれるのかどうなのかとい うような不安がありながら、 それでも、ケアをスター トさせる時には、踏み込んでい く勇気も必要です 。 そ
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うした、病院臨床の時の活動と同じことが、避難所で もできるかが重要であることを実感しました 。 それから当たり前の話ですけれども、実際に支援に 行った者の心のケアが非常に重要であるということで す 。 グリl
フケア研究所は被災地から離れた大阪にあ りますから、全く違う環境で活動したケア提供者自身 が、元の環境に戻ってきた時の心のケアに力を入れて やらなければいけません 。 私自身の心の状況はまた後 ほどお話しさせていただこうと思います 。宗教者としての活動 グリ
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フケア研究所の研究員として行かせて頂きは しましたが、やはり当初より遺体安置所で手を合わさ せて頂きたいという思いがありました 。 市役所の方に そのお話をさせて頂いたら、市役所の方が﹁ぜひお願 いします﹂と わざわざ私のために車で遺体安置所ま で送って下さり、安置所の方々とつないで下さいまし た 。 一 ヵ月半たった当時、気仙沼市の遺体安置所は、 大曲コミュニティーセンターという 一 カ所に集約され ていました 。 恐らく震災直後は各中学校とか、福祉会 館とかに点在していた遺体安置所が 一 ヵ所にまとめら れている状況でした 。 四月の末現在で八十体のご遺体 が安置されており、 その八十体のうちの 三 分 の こ が身 冗不明でした 。 棺の前まで行かせて頂き ますと、発見 者の情報が棺の上に 書 いてございました 。 誰が発見し たとか、発見場所ですとか 。 ご遺体一体一体に献花さ せて頂き、その時にそういった情報も見させて頂くと、 ほとんどが海の中の発見 。 海上自衛隊が海の中で発見 したというような表記になっていたので、 恐らくは 一 ヵ月以上たってからですので、身元もり Z ﹀ 鑑 定 で し か判明できないようなど遺体であったのではないかと 推測しました 。 安置所の一角で読経させて頂いて、 対 一 体手を合わさせて頂く中で、ご遺族と思われる方 も中にいらっしゃって、 その方が遠くから見ておられ ました 。 読経後、職員の方が終わってから声をかけて くださいました 。 その職員の方も応援で兵庫県内から 来ている職員さんで、 ・ 4、 三 週間交代で職員が来てい-9
るということでした 。 その方が﹁ご苦労さまです ﹂ と 声をかけてくださって、 いろいろとお話を聞かせて頂 きました 。 やはり遺体発見に関わったり、あるいは遺 体安置所で管理をされている職員にとって、宗教者が 来て手を合わせる、読経するということが非常に重要 だったのではないのかと、 これはあくまでも私の思い 上がりかもし れませんが、職 員の方や警察官の方の様 子などから感じたところでございます 。 しかし これはまた後ほどの話にもつながって参りま す が 、 宗 教者として弔いをしたいと願い出ることは ある意味こちら側の都 合 で 一 方的なものであることも 経験しました 。 宮城県の荒浜という地区は、最初期に 遺体が 二 百体ほど浜辺に折り重なっているという速報 が流れていた地域で、非常に大きな被 害 のあったとい うことが全国でも認知されていた場所ですが、 その荒 浜に近い六郷中 学 校という避難所に行かせて頂いた時、 管 理者の方とお話をさせて頂く中で、 ﹁ 例えば、私が 遺体安置所、遺体が発見された場所に行 っ て、ご 一 緒 に読経させて頂くというようなことを被災者の方は望 んでおられるでしょうか? ﹂ と率直にお聞きしました ら このような回 答 でした 。 ﹁遺体の発見場所で 読 経 をしてほしいというこ
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ズはあると思うが、まだそこ に行けない人が数多くいる 。 また、住人のほとんどが 同 じ 菩 提 寺 の 人 。 やはりそこの和尚さんに供養しても らいたいという 気 持ちが強いのではないか:・ ﹂ という ものでした 。 いかに私が自分よがりのといいましょう か 、 自 分勝手な思いでそうい っ たことをしたいと思 つ ていたかということを、避難所の管理者の方にお話を お伺いして 学 ばせて頂きました 。 気仙沼浄土宗浄念寺避難所の訪問 ま た 、 気 仙沼の浄念 寺 様にもお伺いさせて頂いて、 ご住職様、副住職様 それから、避難されている方々 ともお話をさせて頂きました 。 皆さん、もしかしたら すでにお聞きになっているところかもしれませんが 浄念 寺 さまは昔の被 害 の時に避難所にな っ たという記 -10 -録がお 寺 に残っていたため、ご住職がすぐに本堂を開 放するようにと副住職に指 示 をしたというお話しをう かがいました 。 ﹁ 本 堂 が避難所にな っ ておりますので 仏様がいてくれるという安心感が避難者にあると聞い ていますよ﹂とお話しくださいました 。 またご住職のお 話 で印象深かったのが埋 葬 の話でし た 。 火 葬 が間に合わずに 土 葬があちこちで始ま っ たと いうことがニュースでは報道されていましたが、 土 葬 が始ま っ たことを浄念 寺 のご住職さまは知らなか っ たそうで、ある時、和歌山から真 言 宗の方、か﹁このへん で土葬をしたということをニュースで見て来ました﹂ と尋ねてこられて初めて知ったそうです 。 他府県から そうやって僧侶が来て読経をしていることについて、 有難いという気持ちの一方、本来は、自分がしなけれ ばならないことであるが、 そこまで手が回らないとい う複雑な心境をお話くださいました 。 先ほどの菩提寺 の住職でないとだめということにもつながると思いま すが、外から来た人聞がやっていいこと悪いこと と 言 うと語弊があるかもしれませんが、被災地の外か ら来た人の活動が長期的 にケアしていく地 元の人達の 新たな傷を作っていないかということも、どこかのタ イミングで私達が自問自答しなければならないのでは ないかと、ご住職の率直なお話から感じました 。 それから、副住職様は ﹁ 私達をサポートしてもらえ ると非常にうれしい 。 ﹂とお話 し下さいました 。 浄念寺様には清浄華院の畦先生の、 ZF ℃のカウンセ ラーの方々が長期間かかわっていらっしゃいまして、 副住職様は非常にそれを喜んでおられました 。 私 、 か 行った時はちょうど交代の時期で、直接お会いするこ とはできませんでしたが、浄念寺様はそういう意味で はケアというものに重点を置いておられたのではない かと思います 。 力リタスジャパンの訪問 また、キリスト教の仙台教育支援センターのカリタ スジャパンというところにもうかがわせて頂いき、支 -11 -援活動についてお話を伺ってきました 。 こちらでは、 ボランティアの派遣先のアレンジをなさっていまして 短期間しかボランティアに来られない人を対象として いるため、数時間しか教育に時間を当てられないとい うような問題があるということをお聞きしました 。 最初は泥を か き 出 す と か 、 家の掃除をするというこ とが主だったので とにかく肉体労働で、若者がどん どんと支援に向かっていましたが、 一 ヵ月半たって、 それなりに後片付けができてきた時に、 お写真とかお
位牌とか遺品とか、 そのご家族の方にとって非常に大 切なものを探し出してほしいというこ
l
ズが出てきた そうです 。 学生達はそれを一緒に探すわけですが、見 つかったらそれを洗って持ち主に返すと その亡き人 の話をされるのだそうです 。 そうすると、学生は、 な んの心の備えもなく、亡くなった方の話を聞かされて、 どうすればいいか分からないという戸惑いがあったり、 その後のストレスが出できたりするといった問題が起 こっていることも指摘してくださいました 。 また、具体的な場所は失念 し ましたが、病院の横に テントを張って、 カウンセリングコーナ ー を提供する というようなこともされていたそうです 。 ちょうど病 院の隣に教会があって その教会と病院の聞のところ にテントを張って、 カフェのような形で、自然と話が できるというような環境を作っておられるということ でした 。 想いと現実のズレ 私自身が上智大学グリl
フケア研究所の 一 員とし て、ミッションを持ちながら、あるいは一人の人間と してでもいいですし、仏教僧侶としてというところも 含めて現地に行くわけですが、 そこでは私が持ってい た想いと現実との聞に様々なズレがあったと感じまし た 。 やはり心のケアは重要で、確かにニl
ズは高かっ たと感じます 。 し か し 、 ﹁心のケアに行っても意味は ないよ﹂という声や情報があったように、何を差し置1
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いても生活支援と身体的ケアや娯楽というものが、ま ず第一になければならないと感じました 。 私が行った 時にも、大阪方面から整体師が十人ぐらい来てt
本 のマッサージをします﹂と 言 ったら、朝から晩まで 行列です 。 こ れ が も し 、 ﹁心のケアをします ﹂ という ものだった場合 そんな行列は絶対できない 。 やはり 体の身体的ケアや生活がまず第 一 で、心のケアという の は もちろん順番で論ずるべきではないとは思いま す が 、 その後であるという認識をまず持たなければいけないということを非常に強く感じました 。 そ れ か ら 、 心のケアの巡回の失敗例も実際に聞きました 。 医療を 提供するという感覚で活動をされたというのが非常に まずかったのではないかと感じております 。 乙の例は わが身を考え直す機会になりました 。 そ れ か ら 、 二 百 三 十人ほどいらっしゃる避難所にも 行きました時、上智大 学 から来ましたというアナウン スをして頂きました 。 しかし、会 話が成立するのはや はり顔を覚えてもら っ てからでした 。 約四日間ほど 緒に寝泊まりしましたから、本格的にお話を聞かせて 頂くというのは、 二 日 目 、 三 日目です 。 一 緒に話をし な が ら 、 一 緒に食 事を し な が ら 、 一 緒に掃除をしなが ら、顔を覚えて頂くことでようやくスタートしたと感 じています 。 あるいは、お 子 さんがたくさんいら っ しゃったので お 子 さんと 一 緒に遊びながら、 お母さん、お父さんと お話をさせて頂いて ﹁ 震 災 後 、 お 子 さんはどんなふ うな変化ありましたか ﹂ というようなお話をうかがう こともできました 。 ﹁よく泣くようになった﹂とか ﹁ すごく、抱 っ こ し て 、 というようなことをいうよう にな っ た﹂とかというような話をうかがいました 。 そ ういうアプローチも私にとってはありがたかったなと 思 っ ています 。 それから、先ほどの話とまた 重な り ま す が 、 宗 教的 支援は ﹁ 村の和尚さん﹂でないとできない役割である ということをしっかりと見極めなければならないと感 じました 。自 らも被災している現地の宗教者を飛び越 -13 -えて活動するということは、厳禁だと申し上げました が、私自身もやはり鴎躍しました 。 現地に入 っ て、浄 念寺さまのお 話 であ っ た り いろいろな方のお話を聞 きなが ら、慎 まなければならないと感じました 。 です から、遠隔地の、私のような大阪にいる者としては 被災地の 宗 教者を中 長 期的に物資的、あるいは人的に あるいは 信 仰面でサポートできる関係が つくれないも のかということを考えました 。 それが、この四月の段 階で現地に行 っ て、私自身ができることとして考えさ
せられた視点です 。 セルフケアの重要性 被災地からもどって自分自身が正常に戻るまでに 週間かかりました 。 滞在期間が 一 週間ですから、行つ た倍の時聞をかけて日常に戻していくという感覚なん でしょうか 。 私自身が帰ってきてどういう状況だった かというと、まず、怖い 夢繰り返 し見るようになりま し た 。 それは別に震災の夢ではなく とにかく怖い夢 で目が覚めるというのを何度か繰り返しました 。 あ と は、食欲が低下しました 。 現地に行く前、自分はそう ならないと思 っ ていたので、あまりセルフケアの重視 はしていなかったんですが、私の家内が心理カウンセ ラ ー ということもあり、家内は私がどう考えてもおか しいと感じたようです 。 それから私自身が研究所のメ ンパーにケアをして頂いて、ようやく 二 週間ぐらいし て正常に戻ることができたかなというような感覚を 持っています 。 そのようなお恥ずかしい経験から 言 え る こ と は 、
ス
トレスは必ず感じるものであるということです 。 多少 眠れなくなったり、 それから食欲が落ちるということ は、行 ったら当然起 こることとして受け止めたほうが いいと思います 。 そうした状況の中ではできる限り 信頼できる人に話 し な が ら 、 日常に戻していくことが いいのではないのかと思います 。 またできないことを 無理にして、中途半端になることがお互いに 一 番傷つ きますから -14 -できないことはできないと 言 うことも 私にと っ て も 、 それから被災地の人にとっても重要で あ り セルフケアの 一 つであることも付け加えておき ま す 。被災地の状況 それでは、私が行った時の状況の写真をいくつかご 紹介させていただきます 。 これが閑上から荒浜というととろの地域です 。 後ろ に写っているのは高速道路だと思うのですが、 これが 防波堤の役割を果たして、向こう側はほとんど被害が な く 、 それより手前の地域がこういう状況になったと いう地域です 。 らせて頂きました 。 これが荒浜です 。 ここは車の中から お 写真 だけ撮
置量橿量器商眉.
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司 図 面 目 ここが荒浜地区から 一 番近 -15 -お時~ いところにあ っ た六郷中学校 という避難所です 。 ここは非 常に特異な避難所で、行政の 力を 一 切借りずに 自主 運 営 を されていました 。 キl
パ
l
ソ 役の方で、地域からの 信 頼もあり、多くのネットワl
ンとなる方が、大手企業の 重 クをお持ちのようで、震災から一週間もたたないうちに、校庭でバーベキューをしたそうです 。 牛乳も産 地直送で送ってもらったり、行政との関係がなくとも、 充実した状況を作り出していたところのようです 。 ま た、特徴的だったのが、間切りを 一 切しないというこ 人との顔を合わせながら、 とをコンセプトに運営されていたことでした 。 お隣の その顔色で状態の変化とか、 お体の様子なんかをみんなでケアしあうという環境を をされておられました 。 整えたいからということで、間切りなしで、避難生活 次の 写真 は中学校の学生さん達がちょうど 子 供の日 が近か っ たので、鯉のぼりをあげているところです 。 こちらが私の寝泊まりさせて頂いた気仙沼の面瀬中 学 校です 。 現地の人に聞 いたんですが、 この向こ うに島が見えます 。 ちょ うど正門のあたりから海 のほう宇佐見た景色なんで す が 、 震災前 はこの島は すが 見えなかったそうです 。 手前には家が建っていたので こうやって
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-その家々がすべて押し涜されて くっきり見える景色に変わってしまったそうです 。中は当然写真を撮れなかった のですが、こういう形で、町内 ごとに区画整理されていて、ダ ン ボ
l
ルで仕切られ、プライパ シ ー が保護されていました 。 保 護といってもほとんどないよう な状況ですが 一応、間切り はありました 。 左 上 に ﹁ 面瀬小 学校の児童は全員無事 が確認されましたと﹂書いてありますが、安否は確認 されている状況でした 。 ただ、誰のものか分からない お写真などがあったりして、恐らくそのお写真の持ち きました 。 主は、亡くなら れたのではないかということが拝察で ちょうど私が行った時には このように校庭に仮設 が立ち並んでいました 。 先月段階で五世帯ほどがまだ 避難所に残っていたようですが ほとんどがこの仮設 に入っておられるようです 。 た だ 、 この仮設がとのよ うにして急ピッチでできていく状況を体育館で生活さ れ て い る 方 は 毎 日 、 外 に 出 る と 見 る わ け で す が 、 抽 選 で 入 る 人 が 順 番 に 決 ま っ て い く と いうことでした 。 ですから避 難 所 の 人 達 は ほ と ん ど 仮 設 の 話 を さ れ ま せ ん で した 。 どう 状況なので、 私と、仮設に当たるか当たらないかはまだ分からない してかというと お隣の人と お互いに話ができないという理由でです 。-
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-仮設ができていく様子を私は 一 つの復興の光と見るわ けですけれども、現地の人からすると、まずそこに入 くるという状況は、 れる人と入れない人というのがご近所さんで分かれて そう単純な話ではないということ に気づかされましたその面瀬中 学 校に避難されている方々が住んでおら れた地域の被災状況です 。 住民の方のお 一 人 で 、 仁ー
の
高台の神社に辛うじて逃げられた方のお話をお伺いす ることができました 。 この神社に 当 時 、 二 十数名の方 そ れ が避難されたそうです 。 そこにたどりつけた人 からたどりつけなか っ た人 。 そ の 方 は 、 自 分の家がま たそうです 。 さ に 真 下で涜されていく状況をこの 上 から見ておられ こちらが気 仙 沼の火災に な っ たところです 。 このよ-
1
8
-うに燃えた状況がまだ四月 の段階で残っていました 。切しません 。 これが私が 一 緒に遊んだ、 子供達の様子ですけれども、 子 供達は 至 っ て 普通 に元気に 過ごしているように見えます 。 後ほど具体的に会話の様子を お話しさせて頂きますが、 み ですが、私と 一 対 一 になったら、震災 んなでいる時は震災の話は の話をされるのです 。 だから、子供達は子供達の中で、 そういうのを敏感に感じながら、相手をちゃんと選ん た 。 で、話をしたりしなかったりしているのだと感じまし 被災者の語り 私の行動がグリ
l
フケアと 言 えるかどうかはわかり ませんが お話を聞かせて頂いた被災者の 言葉 を紹介 させていただこうと思います 。 ちょうど私がお伺いし た時に、ボランティアさんと 一 緒に、花見に行くイベ ントがあった日のことです 。 その花見から帰ってきた 六十代の女性の話です。花見にはいったようですが、 みんなが行った場所には、その女性は行けなかったと いうのです 。 どうしてかというと、そこから自分の家 が見える場所の桜だったからだとおっしゃいました 。 ですから別の場所の桜の花を見に行ってきましたとい うことでした 。 ﹁ 今 日 、花見に行って来ました。まだ 涜された家は見に行けていませんが、桜の花にお別れ をしてきました﹂とお話ししてくださいました。-
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-カ 月半たって、自分の家は見られない状況 。 だんなさま と 息子さまは毎日もとの自宅に行って、使えるものを 持って帰ってくる 。 その洗濯物とかを奥さまが毎日手 洗いして、使えるものを使いまわしていくという生活 を重ねていらっしゃる 。 だんなさまと息子さまはそ うやって自分の家に行けるが、私はまだ見に行きませ んということでした。ただ、 それでももう家はなくて いつかその家が涜されたということを受け入れていか なければいけないという思いだったのだろうと思いますが 。 それを﹁桜の花にお別れをしてきました﹂とい う表現でお話をしてくださったと感じました 。 八十代の女性の方は、息子さんが東京にいてらっ しやって、息子さんが﹁こっちに来い﹂と声をかけて くださったそうなんですが、 それを断りましたとおっ しゃいました 。 ﹁私はここに残ろうと思います。息子 が帰る場所がなくなるから﹂とお話しくださいました 。 恐らくは息子さんが年に何回かはお孫さんを連れて故 郷に帰ってくる家だったんだと思います 。 その息子さ んが帰ってくる場所がなくなるから、私はなんとして もここに残ることが必要なんです、大切なんですとい うことを八十代の女性は話してくださいました 。 ある専門学校に通っている学生さんは、仙台の専門 学校に通いだ し て 、 三 月、春休みに帰省している時に 震災にあったという方でした 。 四月からは休学してい るということでした 。 その方は気仙沼の漁港に研修で 来ている中国人の通訳になりたくて、外国語の専門学 校に通っていたそうですが ﹁漁港に勤めるのをあき らめないといけないかなあ﹂とぼそっともらされまし た 。 漁港、か元通りになるのかどうかということが分か らないですし、自分が中国語を習いながら それが仕 事としてできるかどうかというのも分からない 。 で も 、 この青年はどういう状況かは分かりませんが、休学を 選択したようでした 。 つまり、中国語を学ぶことは決 してやめていない状況だったので できれば、私は彼 が中国語を勉強して、 この気仙沼で就職してもらえた らという思いを持っているところです 。 大阪に帰って
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きて、彼に中国語のテキストを何冊か送らせて頂いた りとか、今年、成人式を迎えられたので、成人式のお 祝いを送らせて頂いたりとか、私にとって、この青年 が気仙沼でどう成長していってくれるのか¥私が気 仙沼の復興の歩みをこの 青年に託したいという思いで、 応援をさせて頂いているところです 。 小 学校の低学年のある子は、 こんな話をされまし た 。 ﹁僕の家も涜された 。 おっちゃんのところは津波 来た?弟の自転車は見つかったけど、僕のは見つからなかった﹂と、私のひざの上に座りながらお話しくだ さいました 。 小学校低学年ですから、私 、 か ﹁ 大 阪 だ よ って言っても、大阪がどこかというのはもちろん 分からなくて、津波が来たかどうかというのがまず 番の知りたいところだったようです 。 また、先ほどお話した子供なのですが、私がお坊さ んであるということを知ってか、また私が坊主頭だか らか、私を ご 休さん ﹂ と呼んでくれました。私が大 阪に帰る日 子供達を連 れて公園に遊びに行ったら すごい変な 雲 が出ていたのですね 。子 供達もそれを見 て 、 ﹁変わった雲だね﹂と言いながら、晴れているの に虹が出ているのを喜んで見ていたのですが、避難所 に帰ると、大人達がその雲を見て、半分冗談、半分こ わ ご わ 、 ﹁ 地震雲じゃないかね ﹂ みたいなことをうわ さしてるのです。 ﹁ 三 月十 一 日もあんな 雲 が出てたん じゃないの﹂みたいなことがまたざわざわ、ざわざわ とトイレの前で手を洗いながら、食器を洗いながら話 をしている 。 それを子供達はちゃんと聞いているんで すね 。 そ れ で 私 に 、 ご 休 さ ん 、 今日、大阪帰るんで し ょ 。 早く帰ったほうがいいよ 。今 日、大きい地震来 る よ 。 だから早く帰ったほう、かいいよ﹂と私に声を掛 けてきました 。 本当に子供達は、 子供達ながらにちゃ んと大人の話を聞いているし、 ちゃんと私のようにこ この人閉じゃないということも知っていて、帰る場所 がある人聞を気遣ってくれる 言 葉をかけてくれるので す 。 このような小 学生 を目の当たりにして、本当に胸 が締め付けられる思いがしました 。
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-阿部先生のところの看護師さんが仕事中に津波で亡 くなられたというお話です 。 看護師さんが勤めてい らっしゃった病院の看護師長さんですけれども、 一「 層 、 者さんのことを最後まで思って亡くなったそうです 。 私達はそれをどう受け止めたらいいのか 。 とにかく今 は彼女のために祈ることしかできません﹂詰め所に行 かせて頂きますと祭壇が設けられていて、亡くなられ た看護師さんの遺影を皆さんが見つめながら 黙々と お仕事をされていました 。 どう受け止めたらいいのか、皆さん、分からないながらも、 とにかく仕事を で も 、 しなければならないという心況で、踏みとどまってお 仕事をがんばっていらっしゃる、 そういった空気が伝 わってきました 。 そ ん な 中 で 、 ﹁ただ私達は祈ること しかできません﹂という話をしてくださいました 。 中学校の学校の先生のお話です 。 ﹁子供達はまだ気 を張っている感じ 。 自分がまだ自宅を失っていないの で 、 いいほうといった感じで、万事ついつい我慢して しまう 。 自分より大変な人を前にして、我慢して、 のつらさを押さえつけてしまう 。 比較することで自分 を支えることもあるし、我慢してしまうこともある﹂ とお話しくださいました 。 この中 学 校は 死者が出な かった地域で、もう 一 つ向こうの地区では何十人とい う児童が亡くなったのだそうです 。 その中で、自分達 はまだ恵まれている 。 だから私達は踏ん張らなければ バ + ノ 与 ﹂ 研 バ 。 L L 7 L 我慢しなければならないという心情構造が できているということをお話しくださいました 。 子供 達も、我慢して学校に来て でも、学校から見える風 景は 三 月十一日以前とは全然違う風景が見えている 。 その中で勉強しなければならない 。 気が張っていて 特別問題があるわけじゃないが このままではしんど いのではないのかということをお話しくださいました 。 また ﹁普段から素行があまりよくないグル ー プが 震 災 後 、 さらにひどくなったように感じる﹂ ですとか ﹁しかし、今は頭ごなしに指導したりはせず、話を聞 いて、諭すようにかかわっている﹂など、学校の先生 そ は、子供達のケアをしながら でも自分も被災してい
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るんだという中で 二 月十 一 日 以 降 、 一ヵ月半の時点 ですが、踏ん張っておられるという様子がお話の内容 から感じられました 。被災地より戻ってか
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その後 その後のお話ですが、さきほどの 一 休さんと呼んで くれた小 学 生は、数日間は毎日電話をくれたり、手紙 のやり取りを何度かさせて頂きました 。 そ れ か ら 、 専 門 学 生とは時々電話をしたりメl
ルをしたりして、 今 も交流させて頂いています 。 しかしながら、研究所と してはこの 一 回だけ行ったというととであるとか、あ るいは大阪は本 当 に普通に生活していて、節 電 もさほ どせずとも大丈夫な状況です 。 そのような 生 活 下 で 、 恐らくは大阪だけではなく多くの方が、東北が被 害 に あっている状況でありながら、 普 通に生活していると いうことについて、罪悪感のようなものを感じていた のではないかと思います 。 また、私が現 地 に行った時に、現地に行けない人 達 は、行けない自分を非常に恥じて、私にたくさんの話 をしてくださいました 。 つまり、現地に行けばいいと いうことではもちろんありませんが、現地にさえ行け ないことが非常に申し訳ないと思いながら生活してい る人もたくさんいらっしゃるということです 。 普通の 生活をしていること、あるいはかかわりきれないこと の罪悪感というものを 実 は日本各地でみんな持ってい て、その苦しみを抱えながらもうすぐ丸 一 年を迎えよ うとしているのだろうと、私の経験上、感じていると ころです 。 ﹁心の相談室﹂の理念 私は心の相談室というところには直接的には、活動2
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としてはかかわっていませんが、 最 初期に何度か会議 に出席させて頂いて その後、賛同者としてお名前を 出して頂いているので、ご紹介させていただこうと思 います 。 心の相談 室 というものが 立 ち上が っ て お り 、 ちょっと前後しますが その室長が先ほどから何度も 申し上げています阿部先生です 。事 務局に東北大学の 宗教学の鈴木岩 弓 先 生 があたられている会です 。 宮城 県 内 、 宗 教を越えて 医 療 と 一 緒にやりましょうという のが、発足の趣意です 。 余談になるかと思いますが、最初に阿部先生を訪ねました 。 そこで阿部先生が口頭 一 番、小西先生に﹁チャプレンという言葉を日本語に 訳してないから お前らの責任だ﹂とおっしゃら れ た んですね。どういう意図かというと、今回の震災は間 違いなく医療者では太万打ちできやす、宗教者がいない と医療者はどんどんと倒れていくから、宗教者の力が 絶対必要である 。 しかし、チャプレンみたいな横文字 だったら いつまでたっても日本の医療の中に入って これない 。 だ か ら 、 とにかくチヤプレンを日本語に訳 さなければいけなかったのに、 その仕事をお前達がし なかったから、チヤプレンが動けないではないか、と いう話をしておられました 。 まさにそれがこの心の相 談室の発足の経緯です 。 医師である阿部先生が、どう 考えても医療者だけでは、看護師だけでは充分ではな ぃ 。 医 師 、 看 護 師 が つ ぶ れ て い っ て し ま う そ れ は 二 万人という死者 それから行方不明者も含めて、未 曾有の大惨事にどう対応するかということだと思うの ですが│心の相談室はそのような状況で、弔いから悲 嘆ケアまで一貫した切れ目のない、ご遺族に対する支 援を行うことを目的にということで設立されました 。 そのためには宗教者が必要で、宗教者は宗派、教派を 超えて広く取り組むべき大きな課題であるという視点 を持っています 。 悲嘆ケアの専門家 それから医療や 生活支援の専門家が一体となって支援していかなけれ ばいけない 。 そこで宗教者にも弔いを手始めに、ご遺 族に対する包括な支援をということで、心の相談室と いうものが立ち上がったという経緯です 。 具体的な活
-24-動内容は、最初、火葬場での活動が始まりだったよう ですが、現在は 仙 台市墓地の遺骨安置所で、毎月十 日午後 二 時四十六分に宗派持ち回りで追悼式を行って いるということで、色々な宗教、宗派、教派が協力し てやっている弔いの活動 。 それから講演会などもして い ま す 。心の相談心からご提供いただいた写真をもとに活動 を少しご紹介したいと思います 。 まず、これがその毎月十一日にやっている様子です 。 ま た 、
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ぽ 母 冨 O コr という傾聴移動喫茶をてがけてお られます 。 喫茶庖は阪神淡路大震災の時にも効果的で あったと 言 われています 。 要 は 、 お話を聞くきっかけ としてお茶を提供して、そこで自由にざっくばらんに お話を聞き、それがグリl
フ ケ ア 、 カウンセリングに つながっていくことが期待されるわけです 。 これがP
芯 号 云 O コ } ハ の 様 子 で す 。 この方が牧師さん です 。 牧師さんとお坊さんが同じテーブルの中でお話2
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-をするという場を設けています 。 て 頂 い て 、 それ以外の活動では、P A
放送などで著名人の方に来 ともに生きるというメッセージを送って頂 インターネットラジオによる発信・もしてお くような られます 。 活動の柱は 電話 相 談 で 、 日曜日の 四月から携帯電話 で対応しておられます 。 現在は毎週水曜日 十五時から 二 十 二 時で、基本的にはキリスト教と仏教 のお坊さんが当たっておられますが、時間帯によって はキリスト教のカウンセリングセンターに転送される時間帯もあって、 そこでは臨床心理士が対応されてい るそうです 。 最近になってようやくといいま し ょ う か 、 津波にあって流された、 とか、身内が亡くなったとい う人からの電話が少しずつ増えてきたそうです 。 大体 一 日 三 件から四件で、最近では五件ぐらいになってき ているという状況だそうです 。 そして、今現在、宗教者に求められているものとし ては、会則の第 三 条に ﹁相談室は近親者との死別や さまざまな損失などで精神的に深い痛手を受けた方々 ま た 、 日頃からいろいろなことで悩んでいる心のケア に、個人の心情や 宗 教 、 宗派 の違いを超えて、 ス ピ リ チュアルケアの観点から、傾聴を基本として取り組み、 人々の心の安定の回復に寄与することを目的としてい る ﹂ と あ り ま す 。 ですから、今回の心の相談室はホス ピス運動の経験者が中心になっています 。 仏教僧侶も 病院等でスピリチュアルケアとかグリ
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フ ケ ア と い う 、 チャプレンの経験をしている人達が中心となって、こ の運動に参画しています 。 当然 スピリチユアルケア とかグリl
フケアという病院での活動は、宗教、教派 を越えての活動ですから、必然的にこういった文 言 が 登場するということだと思います 。 今後、どう広がつ ていくかということなんですが、東北大学で今年の四 月から臨床宗教師を養成する寄付講座が開講すること が決まりました 。 そ こ で 、 いわゆる震災チヤプレンと い わ れ る 、 震 災の 苦 しみを専門的に長期的にケアする 宗教者を東北大学で養成して、今回の震災のケアを何 十年と継続していくということが心の相談 室発信で 26-決まりかけているところです 。 その臨床宗教師という 言 葉がどのぐらい定着するかも含めてですが こ れ か らそういった活動が宗教者の中でどんなふうに続けら れていくかということも、注目できるところかと思い ま す 。 これか5
どう向き合うべきか 最後に 、 これからどう向き合うかということですが 私自身ができることというのは、亡くな っ た方への弔いと、遺された人への祈りということだろうと思いま す 。 それから、私達が圧倒的な苦しみゃ悲しみを前に した時にできること 。 それは寄り添うとかケアとかと いうきれいな 言葉 ではなくて、 私達がそれにどうあ ろ う と す る か 、 ともにあろうとするかというその姿勢 を問い続けているかどうかということ 。 そ れ か ら 、 宗 教者だけの活動ではない心の相談室のような、医療 や行政や市民と 一 緒に働きながら日本の復興を目指し ていくということでしょう 。 私達がどれだけ公共性を 持ってその活動ができるか 。 それから、私達が医療者 や行政や市民の人に分かる 言 葉をどうやって紡ぎだせ るかということが、今回の震災を通して問われている のではないのかということを感じています 。 グ リ
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フケア研究所としては、私以外の研究員や所 長 、 か 、 個 人 的 な グ リl
フケアであったり、分かち合い の会であったり、啓発の講演会などを東北で広げてい ま す 。 研究所の者が現地で活動することは難しいので 東北地方にいらっしゃる方々がケアして下さるような 教育の場であったり そのケアに携わる人のケアを研 究所としてこれからできていければと考えています 。 お聞き苦しいところもあったかと思いますが、また 皆さんからフィ ー ドバック頂きながら議論できればと 思います 。 ありがとうございました 。 質疑の部 司会(以下曽根) どうもありがとうございました 。 -27 -それでは、ここからは質疑応答なり また、意見等ご ざいましたら、手を挙げて頂きましてお話しいただけ ればと思います 。 どうぞよろしくおねがいします 。 =g *= 水 浄土宗総合研究所の嘱託研究員の吉水と申しま す 。 大河内先生 お話ありがとうございました 。 点 だけよろしいでしょうか 。 セルフケアのお話が出てい たんですけれども、実は昨年五月の時点で被災地より戻られた方で、すごい興醤状態の方にいっぱいお会 いしました 。 彼らは自分の状態が把握できておりませ んでした 。 このような時に自分が見てセルフチェック ができるようなものがおありなのかどうか教えて下さ し 、
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一応、昨年四月の頭ぐらいには、 ﹁ 河 北新報﹂な どを通じて、自分の状態を自己判断できるようなもの を藤津克己さんという真宗のお坊さんが出しておりま し た 。 ただ、もう少し内容がまとまったものがあった ら、もっとよかったのかなあと思ったんです。被災地 で は 、 ストレスを感じているかどうかすらが分からな い状況でみんな 一 緒におります 。 そういうものがもし すでにあるならばお教えください 。 大河内 ありがとうございます 。 チェックシl
トのよ うなものは、私はちょっと知識として持つてないので す が 、 そういったものがあればいいとお話を伺いなが ら感じたところです 。 事前研修と事後研修いう ような 形をセットにしておくというのが一番いいと思います 。 行く前の注意事項から、行ってからの振り返りまで セットで、ボランティアを派遣するというシステム中 で動くというのが、 一 番安全な気がします。事後研修 の時に、どういう経験をしましたというのをお話しく ださってる中に、 セルフケアに関する専門家がいれば、 興奮状態かどうかというのをチェックができます 。 曽 根 それでは私から失礼いたします 。 質問がいくつ かあります 。 ケア提供者に求められるものというよう 28-なお話を頂戴しましたが、私は昔、 ホスピスのボラ ンティアの会に入っている時にすごく思ったんです が、専門家というのにもそれぞれレベルがあって 週間程度の研修を受けた人が実は自分は専門家ですと 一回 っ て 、 その会の中で仕切ってやっているようなこと もあったりして、なかなか難しいなと思ったことがあ ります 。 昔、中原実道先生がおっしゃったのは、ボラ ンティアの研修の時に、自分のその経験でもって助言 をしてあげようとか、なんかそういうスタンスの人はまずたたき壊すんだが それでもそういうものは抜け きらない人もいる、自分は社会の成功者だから助 言 が できるというような人はもう辞めて頂くしかないとい うような話も聞いたこともあります 。 上から目線とい う 話 と 、 つながって来るんだと思うんですが、実際に 専 門 家 だ か ら 、 その上から目線でなくって そういう ことが分かってますよとうまくいけばいいんでしょう が、そこらへんの難しさというのはどうお考えでしょ う か つ ・ 大河内 おっしゃる通りだと思います 。 私 自 身 、 か グ リ ー フケア研究所の養成にかかわりながら感じるのは、 素質を持っている方が最終的にやっぱり現場で活躍し ているように私は感じます 。 非常に難しいところだと 思うんですが 。 教えられる前からもっているセンスも 対人援助には大切だと思います 。 曽 根 ありがとうございます 。 それにちょっと関連し てなんですが、例えばホスピスのボランティアの時に は、例えばお花を飾ったりとか、買い物行ってあげた りとかというようなボランティアからやったほうがい いんじゃないか、そういうととが中心でいいんじゃな いかつて提案したことがありました 。 その会のいわゆ るそのカウンセリング専門家と称する方が ﹁ 人 の 話 を聞くぐらい誰でもできるんです﹂という話をされて、 本当なのかという感じた乙とがあります 。 専門家と し てその傾聴の難しさというのをどう考えてらっしゃい -29 -ま す か ? 大河内 私自身は、傾聴という 言 葉はほとんど使わな いようにしていまして、 スピリチュアルケアとかグ リ ー フケアというのは対話そのものだと思 っています 。 で す か ら 、 ただ聞けばいいということではなくて、聞 く側の人格も問われてくる 。 もちろん 聞き方という の も 、 それは技術的な聞き方ではなくて、質問する勇 気であったり、もし語ってもらったら その内容をお
前は引き受ける覚悟はあるのかというところの、 し、 わ ゆる対話力が専門的であるかどうかということです 。 意 味 、 まさに聞くだけだったら誰もできるというのは、ある そうかもしれませんが、 でも対話となった時に、 私 は 場が必要だと思うので、まさに先生が今おっしゃって やはりある一定の能力であったり、教育という くださったそこの問題点というか、危うさを、除外す ﹁ 対 話 る意味でも、対話がどれだけできるかという 力﹂を重要視しています 。 曽 根 戸 松 ありがとうございました 。 が、恐らくボランティアというのは自発的な善意に基 今の話に関連して、基本的なことと思います づいて行動することで、ボランティアに行きたいとい う人を断ることはあんまりないと思います 。 でもそれ け ど 、 は、そのボランティア自身の利益を考えれば断れない 一 番大事な受け手の人の、結果責任としての利 益を考えたら、今おっしゃられたように、誰のために ゃるかということで、自分の研修のためにやるわけで はないので 。 上智大学はそうでしょうが、やはり当然 何かプログラムを受講して、資格を出すに当たっては、 ある意味、厳しい規準とか、適正不適正だとか、 そう いうものがないとこういう問題は二度信用をなくした ら、もう次がないので、なおかつ医療関係者の中には、 宗教者に対してはかなり否定的なお気持ちを持ってい る方もいらっしゃるし・ですからやはりできれば、継
-30-続性と信頼を担保できる形でやっていただければなと 思うのですが 。 グリl
フケア研究所ではどういうシス テムになっておられるんですか 。 大河内 まず研究所は、今年専門コl
スの卒業生を出 すところなので、実際に専門家の養成までは至ってい ません 。 ですから、研究所から行っている学生という のは、あくまでも研修として行っているので、 それほ ど被災者の人と会うことはしていないと思います 。 現地を肌で感じて、ぐらいのことなのです 。 実際にやっ ているのは、高木所 長 であ っ た り 、 主 任研究員がや っ ているところです 。 他 の団体様はいかがでしょうか 。 鷲 見 青 年 会 のボランティアは、 今 のと乙ろ、個々の ケ ア 、 もしくは 会 員 が個別でグル ー プを作ったり、 ま た、個人で行ってやってますが、基本的な活動はがれ き撤去です 。 で 、 今 、福島のほうで浜
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カフェという、 先 ほ ど の 円 白 ﹃ 弘 己 巾 玄 Oコ
r と同じような形ですが、 その ような活動の 支 援も 行 っ ていますが 主 たるものではな いのであまり踏み込めてはいません 。 これは無料のカ フエと、甘いものが 三 種類ぐらいか 。 それはあんみつ とかそういう感じのもの申佐取 っ て 、 それを飲みながら、 お話を聞ける体制にしているのですが、残念ながら人 数が足りなくて 。 お茶や紅 茶 菓 子 の用 意 のほうで そ の 手 を取 ら れるみたいです 。 実 際にそのお話をじ っ く り、そのお 話 を聞けるというような体制が作れないよ うですね 。 本 当 にその人的リソ ー スが不足していてで きないというところがあるらしいんですけど、意欲は あります 。 とにかく、同じように原発、福島では原発 なんですけど、問題もありますので 。 じっくり話を聞 いていきたいという、 そこの と ころを、行きたいとい うところは、思いはあるので 。 浜O
カフェそのものは 青 年会の活動というよりも、福島の場合は青年会が中 心に はなってはいるんですが、 あ れ は実際 は 浄土宗の 活動なので、浄土 宗 としてカフェの資金援助、運営用 備品をし、 実 務のほうは 青 年会で行 っ ているというよ -31 -うな形です 。 ですから 実 際に活動できるのは、最大で も五、六人が持ち回りでやっている感じなので、 それ にさらにその適性とか研修とか つ て入 っ て く る と 、 実 働数がたりなくなる恐れがありますね 。 大河内 例えば、大阪の浄土 宗 青 年会で 心 の研修会と いう形でこれまで 二 回 実 施したのですが、 ﹁ 行こう ぜ ﹂ という意 気 揚々派と ﹁ う ー ん 、 こんなんおれら にはできへんで ﹂ という、慎 重 派といったらいいのか、結構 二 分しているところがあります 。 それこそカフェ を し て 、 その中の日常会話、例えば檀家さんとの日常 会話の中で、時に重たい話を聞いているという よ うな 感覚ですることはよいのではとは思いますが p m ゃ F -
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宇 J 十 J それは先生がおっしゃる通り、非常にリスクがつきま とうものだと思います 。 それは 一 回の失敗が﹁浄土宗 は﹂となりかねない話ですから、慎重にならざるを得 ないのが正直なところかもしれません 。 鷲 見 そうですね 。 ですから、今、現地で活動してい る皆さんは そういう危険性はもちろん認識してる 。 自分達で解決できない問題が起きたらどうしようとい ぅ、その恐ろしさも持っているんですけど、 それでも や っ ぱ り 、 やることに意味があるという 。 そこのとこ ろの怖さよりも、 やっていかなきゃいけないって使命 感のほうが勝っていて やっているという状況ですね 。 しかし本 当に 怖いらしいです 。 本当に 。 自分達が期待 に答えられなかったらどうしようというその 怖 さはそ れぞれ本 当にもっておら れますね 。 郡 嶋 失礼します 。 例えば、被災地のイベントみたい なもので、玄備宗久さんを呼んでお話を頂戴したとい うお話がありましたが ﹁ あ あ、来てもらってよか っ た﹂みたいに感ずる人は本当に多いと思うんですが、 大河内さんみたいな地道な活動を続けた方 と比 べて現 地の方の反応はどうなんでしょうか 。 有名な方は、大 きく貢献できているのかなという、反応はどうなのか3
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-なというのはすごい気にはなっているのですが、 し 、 か がですか 。 大河内 心の相談 室と し て は 、 一 つは心の相談の運動 を知ってもらうということと、可能な限り著名な人間 を集めるということが組織の信用力につながっていく というところでのビッグネl
ム だと思うので、 それが 直接的に被災者の本当の生身の苦しみに届いているか どうかというと、 それは確かにおっしゃる通り、疑問符がつくかもしれません 。 で も 、 こ の 先 生 だ か ら ・ ・ と いうブランドで救われる世界もきっとあるとは思いま す 。議員の先生 だからというところもきっとあると思 ので、難しいところだとは思います 。 鷲 見 すみません、あの 。 巌後のほうの﹁これからど う向き合うか﹂という部分で、 ﹁ 圧 倒 的 な 苦 しみ、悲 し み と 共 に 在 る こ と を 問 う ﹂ と い う ふ う な 二 つ で 、 ﹁宗教者だけの活動ではなく、医療や行政、市民と協 働できるだけの公共性と 言 語・:﹂という書かれ方だっ たんですけど、先生なりにちょっと 今考え て い て 、 ういうところ必要だなというところ 。 その公共性と か 言 語とかというのはちょっと、 一 応 、情報というか 中にはそういうものも考えていくとはなっているんで すけど、先生の中のところでちょっとヒントをいただ ければと思います 。