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龍谷大學論集 471 - 001武田 晋「「真仏土巻」の構造について : 書誌的視点と報仏土の問題を中心として」

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Academic year: 2021

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書 誌 的 視 点 と 報 仏 土 の 問 題 を 中 心 と し て │ │

の構造について

豆区 日 tま

め 親驚聖人(以下、敬称を略す﹀の主著である﹃顕浄土真実教行証文類﹄﹃教行信証﹄と略す﹀は、二種回 向の仏道を体系的に示した書物として、真実の教・念仏・信心・正定緊・浬紫や真仮偽などの諸思想が研究解明され て き た 。 ( 以 下 、 ところで、真宗教学を三つの領野に分けるとするならば、 第 一 は 基 礎 教 学 、 第 二 は 歴 史 教 学 ( 教 理 史 ・ 教 学 史 ) 、 第三は実践教学(伝道学﹀となろう。その基礎教学をさらにコ一つに分けるならば、第一は教義学であり、第二は信心 論・安心論であり、第三は経典・聖教の書誌学的・文献学的研究である。 これら領野分類は一応で、相互に関連するが、文字言語にかかわる文献学がもっとも基礎的な作業であり、書誌学 や文献学の作業が粗雑であれば、その教義の媒体としての言語自体を確定できず、それができなければその教義自体 が動いてしまう事となる。 ﹃教行信証﹄に関しては、近年書誌的視点からの教義研究も進行し、 一定の研究成果が報告されている。真蹟や古 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 1ー

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写本・刊本等が残るこの著には、親驚自身が残された足跡というべき書誌的な特徴を多数有するという事実がある。 従 来 、 これら書誌的特徴をたよりとして、 逆に親驚教義を見直すという作業はあまり為されていない。 拙者は以前 親鷺の和語聖教ならびに などの構造について書誌的特徴から若干の考察を行つ た。そこには従来の訓詰学的な研究とは違った角度からの教義理解も見出すことができた。 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ ﹁ 行 巻 ﹂ ・ ﹁ 信 巻 ﹂ そこで、小論では再度﹃教行信証﹄の書誌的視点を重視しつつ、 ﹁真仏土巻﹂の構造を解明していきたい。

最新の坂東本書誌

﹃教行信証﹄の唯一の真蹟本である坂東本の書誌について若干概略しておく。坂東本は東本 願寺に所蔵される唯一ともみなされる﹃教行信証﹄真蹟本六冊(第一冊が総序・教巻・行巻、第二冊が信巻、第三冊 が証巻、第四冊が真仏土巻、第五冊が化身土巻木、第六冊が化身土巻末)で、代表的な親驚の門弟性信(一一八七J ﹂ こ で 再 掲 と な る が 、 一二七五?)が開基の茨城県水海道市豊岡町の報恩寺(下総横曽根の報恩寺)に伝えられた。その後、江戸時代に寺 基が江戸に移された為に、近世まで坂東の報開主寸(現在の台東区東上野)に伝えられ、 と称されている。そのコロタイプ写真版からも窺われるように、親驚の最後晩年に至るまで所持され訂正・加筆がな ﹁ 報 思 寺 木 ﹂ 亦 は ﹁ 坂 東 本 ﹂ さ れ 、 かなりの部分を、二回にまでもわたって補筆浄書し直され、少なくとも一応の完成には、五十歳前後より七十 五歳頃までの数十年を要したと考えられている。したがって、本書は親矯の後半生を通しての製作であったことが推 測され、親驚没後には、 その真蹟本は蓮位や関東の高弟性信等に伝えられるに至ったと考えられるのである。体裁は 大体が袋綴半葉八行であるが、六行・七行もしくは九行のところもある。筆跡については二・三の種類が確認される が、同一筆とみられており、本文の約七割を占める袋織半葉八行部分の大半が親驚六十三歳頃に属するものであり、 約一割を占める半葉七行部分は八十歳頃の筆跡に属するものといわれる。 しかも八行部分は浄書形と考えられるので、

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坂東本が必ずしも初稿本ではないとされている。 その示寂時点での最終稿本は、重見氏・鳥越氏の研究によると左記のような経緯を経ていると考えられている。 剤 耐 側 一 ( 親 鱒 五 十 八 歳 J 六十二・一ニ歳頃の前期筆跡部分。全体の七割。袋綴八行部分﹀ ↑第一次改訂(親矯七十歳前後に中期筆跡の﹁化巻﹂大集経部分を加える。七%程度。)

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凶 閣 剛 岡 同 一 ( 尊 蓮 本 教 行 信 一 世 ﹀ ↑ 第 二 次 改 訂 ( 親 鷺 七 十 五 J 八十三歳、後期筆跡の﹁信巻﹂浬繋経清書の折目綴部分。) 一第川口附刷附凶岡困(親驚八十三歳時。専信本教行信証・真仏本教行信証 H 専 修 寺 本 。 ) ↑第三次改訂(後期筆跡の極一部改訂。 一第﹂剖副割引刷工最終稿本教行信号 ﹁行巻﹂標挙部分や﹁言・日・云﹂の訂正等。﹀ ところで、近年真宗大谷派によってこの坂東本が修復された。(三

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三年七月より二

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四年三月まで﹀坂東本 原本の綴目付近に、折れや小さな裂け目などの破損が見受けられることから、鎌倉時代以降、幾多の先人たちが伝え 抜いてきた坂東本を さらに後代の人々へ相続していくことを願って、 宗祖親鷲聖人七百五十回御遠忌(真宗大谷 一九五四(昭和二十九﹀年の修復以来、およそ五十年を経 派)の記念事業として取り組まれた。このたびの修復は て行われたもので、真宗大谷派関係者のみならず、関係諸官庁の監督指導等、多方面からの尽力により進められた。 修復体制として、文化庁、京都府文化財保護課、京都国立博物館文化財保存修理所の監督指導に加えて、事業の重要 性に鑑み、真宗大谷派における方針決定や修復内容の確認といった事柄は、真宗大谷派の学識者による宗宝宗史蹟保 存会を中心に取り組まれた。特に、実際の作業現場の監修を行う調査委員を同会より調査委員として選出し、草野顕 之 ( 大 谷 大 学 教 授 ) 、 木 場 明 士 山 ( 大 谷 大 学 教 授 ) 、 選 定 さ れ た 。 沙 加 戸 弘 ( 大 谷 大 学 教 授 ) 、 木彰円(大谷大学専任講師﹀四名が 「真仏土巻」の構造について〈武田〉 - 3ー

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また、この度は完全複製本も製作されたが、これらにあたっても宗宝宗史噴保存会及び同会より選定された調査委 員が中心になって監修し、実際の製作作業は﹁坂東本﹂原本の修復を手がけた株式会社岡墨光堂が協力して、 日本写 真印刷株式会社が行った。製作過程においては、 ﹁ 司

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り凶﹂という三億九千六百万画素 ( 3 C C D 合 計 、 C D あたり一億三千二百万画素﹀というカラ l 撮影システムが用いられ、高精細なデジタルデ l タ を 作 成 し 、 そ の デ ータを元に専門技師により色調を調整し、印刷する和紙は原本に限りなく近い特注の手漉き和紙を調製するなど細部 に渡って原本を忠実に複製された。 こ れ に よ り 、 ﹁ 教 行 信 証 ( 坂 東 本 ) ﹂ の 料 紙 の 色 、 のこと、裏打ちゃ紙継ぎなどの形態にいたるまで、 墨・朱書きの濃淡はもちろん その様態が克明に再現されたのである。このようにして、二

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五年七月には、真宗大谷派より﹃顕浄土真実教行証文類(坂東本﹀影印本﹄ (既に頒布終了している原寸カラl影印 本の復刻版で、有償頒布一

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五三部、記念品等の無償頒布約百部﹀が先に刊行された。 成を目指していた﹁坂東本﹂現本の副本としての役割をはたすべく﹁完全複製本﹂ ま た 、 二

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六年三月製作完 ( 二 部 ) は 、 ニ

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七年五月に完 成 し た の で あ る 。 後に書誌的問題点として指摘する点などは、影印本付属の﹃顕浄土真実教行証文類(坂東本)影印本解説﹄やその 後の三木彰円氏の報告は大変参考になる点が多かった。

坂東本﹁真仏土巻﹂

の最新書誌

このような経緯のある坂東本であるが、すべての最新の書誌的な問題点を指摘する事は紙面の都合できないが、今、 坂東本の第四冊﹁真仏土巻﹂のみに限ると主に次ぎのような事が指摘できる。 この巻は、随所に袋鍛じを開封し切り取り部分の跡があり、添付紙による追加部分もあるなど、 かなりの手が加わ っ た 形 跡 が あ る 。 1 C

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ア 坂 東 本 ・ 西 本 願 寺 本 は ﹁ 顕 浄 土 真 仏 土 文 類 第 五 ﹂ ﹁第﹂の字が挿入されている。坂東本では、首題と尾題は共に墨書と朱書きで﹁浄土﹂の文字を加筆して﹁顕浄 題 で あ る が 、 ﹁ 顕 浄 土 真 仏 土 文 類 五 ﹂ 、 専修寺本には 土真仏土文類五﹂とされている。よって、外題や首題・尾題は﹁顕浄土真仏土文類五﹂としてよかろう。また、 ﹁化巻﹂の首題は﹁顕浄土方便化身土文類六﹂であるが、坂東本では元は﹁顕化身土文類六﹂とあり右脇に﹁浄 土方便﹂と加筆されている。 ﹁化巻﹂末の尾題が﹁顕浄土方便化身土文類六﹂となっているので、 ﹁ 化 巻 ﹂ 末 を 書かれる頃までは、 ﹁真仏土巻﹂首題・尾題にも﹁浄土﹂の文字が加筆されていなかったのではないかと考えら れ て い る 。 こ の 点 、 ﹁行巻﹂標願や細註に専修寺本は﹁諸仏称名之願 真 実 の 行 ﹂ (八十三歳時点か﹀とあるが 坂東本・西本願寺本は﹁諸仏称名之願 浄土真実之行 選択本願之行﹂とあり、特に坂東本は﹁真実之行 之行﹂に﹁浄土﹂・﹁本願﹂の語を傍らに記入されており これらが第三時改訂と見なされている点からの関連性 を一考しなければなるまい。 イ 表紙袖書であるが﹁釈蓮位﹂とあり、 ﹁真仏土巻﹂は共に親機 ﹁証巻﹂にも同様に袖書があるので、 ﹁ 証 巻 ﹂ の高弟である蓮位に当初は伝持されたものかと考えられる。 ウ 第 七 丁 表 裏 は 、 片面八行の袋綴じ (真仏土巻は全体として袋韻じ片面八行の体裁であったと考えられ 当 初 、 る﹀であったものが、 丁裏の片面八行の内、最後の二行分を切り取り、その左端が丁表の背面に糊止めされてい る 切り取られる直前までの引文は﹃大阿弥陀経﹄引文終わり(真聖全二・一二三頁七行目)まで。 ま た 、 第八丁 表裏は、表は白紙で、 丁裏が五行で一行目からコ一行分が切り取られているので、都合十一行分が切り取られてい る。これにより先の﹃大阿弥陀経﹄引文と次の﹃不宅頴索神変真言経﹄引文の聞に、何らかの経文が存在したと 考 え ら れ る 。 ニE 第十九丁裏の﹃浬繋経﹄引文中に、同経文の二十六文字(真聖全二・二ニ

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頁 十 二 行 目 全 文 ( ﹁ 又 言 L J ﹁ 浬 鍵 及 至 ﹂ ) 選 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 5ー

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を張り紙に記して添付し、繰り入れる箇所が朱線で指示される。 オ 第二十六丁裏は、元々袋綴じであった第二十六丁が切り開かれ、新たに現れた裏面の白紙(元第二十六丁表の ﹁相府、畢寛﹂(真聖全ニ・二二五頁七行自)が第二十六丁表の最後。続く第二十七丁表は﹁不 裏)となっている。 差故日成就脚﹂︿真聖全二・二二五頁八行目)のみで、これも袋綴第二十七丁表が切り取られ、第二十七丁裏の背面 に貼り付けた形となっている。続く、第二十七丁裏には割註﹁奉賛亦目安養﹂(真聖全二・一三五頁八行自)の文と な っ て い る の で 、 ﹃讃阿弥陀仏傷﹄目。曇驚和尚造﹁南無阿弥陀仏釈名無量寿傍経

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が坂東本では欠落している事となる。 ( 真 聖 全 二 ・ ご ニ 五 頁 八 行 目 ) (﹁曇鰐和尚造﹂の言のみ第二十七丁裏頭註にあり。﹀したがって、第二十 六丁裏から第二十七丁表にかけて何らかの論警が削除された可能性が高い。事実、この部分は﹃論註﹄引文から ﹃讃阿弥陀仏侮﹄引文と続くので、可能性としては﹃論註﹄引文と考えられる。現在の第二十六丁から第二十七 丁が一連の続きであったと仮定すると、約十四行程度の切り取りとなる。 また、先掲欠落部分であるが、六字名号が含まれているので、当初拙者は真宗大谷派東本願寺所蔵の真蹟で銘 文のない単独の六字名号(縦二三・二

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×横八・二個﹀がこれに当たるのではとも思ったが、文字の大きさから して関連がない事が分かった。 カ 第二十九丁裏は、半葉八行であったと思われるが、末尾の一行半が切り取られ、その左端が糊止めされている。 切り取り直前の文字は﹃讃阿弥陀仏侮﹄引文終了の箇所の﹁至心頭面礼閉山 L ( 真 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 七 頁 一 行 目 ) で あ る 。 続く、第三十丁表裏は、元袋綴じで片面八行で記された用紙のうち、表半葉(第三十丁表)の八行と裏半葉(第 三十丁裏﹀の一行半程度が切り取られている。切り取られた残りの裏半葉は、さらに四行目と五行目で折られ、 袋綴じに折り返した右端は糊止めされて現在の第三十丁表と裏が形成されている。この現第三十丁表の出だしが

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﹁ 光 明 寺 和 尚 云 ﹂ 会 具 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 七 頁 二 行 目 ) な の で 、 第二十九丁から第三十丁にかけてが、 一 連 の も の で あ っ たとすると約十行程度の切り取りがあったことになる。引文の流れからして、 集﹄引文があったのではないかと想像する。 ﹃讃阿弥陀仏侮﹄の一文か﹃安楽 キ 第三十五丁と第三十六丁の二丁は、現第三十五丁表と第三十六丁表末尾二行を半葉とし、第三十六丁裏を半葉 とする一紙からなる元袋綴じであったと考えられる。この前半葉のうち、第六行目と第七行自の五文字相当分が 切り取られ、切り開いたと考えられる。これによって現在の第三十五丁裏と第三十六丁表とが、それぞれ新たな 面として現れることとなり、そこに本文が書き加えられている。同時に、残された現三十六丁表の﹁如来真説宗 師 釈 : ・ ﹂ ︿ 真 聖 全 二 ・ 一 四

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頁十行目﹀からの部分は当初の折り目のまま折り返され、その右端が糊止めされている。 ( 真 聖 全 二 ・ 一 四

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頁十行目)の聞に存在した一千 つ ま り 、 ﹁ 弥 陀 妙 果 ﹂ ( 真 聖 全 二 ・ 一 四

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頁 四 行 目 ) と ﹁ 如 来 真 説 ﹂

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長 { 十 四 世 山 岳 か 卦 ト 恥 か ん W ( 実際には﹃法事讃﹄の後半文と御自釈冒頭の言葉﹁爾者﹂があったので数文字程度か 0 ・ ) 、 切り開かれた部分に慣輿師の﹃述文賛﹄の文が挿入されている。 ここでは明らかに﹃述文賛﹄が挿入され るために切り開かれたと考えられる。

の地位と従来科段

﹁真仏土巻﹂の標願は光明無量・寿命無量の顕であるが、冒頭﹁既にして願有(いますどとして両願を示される。 この出願についての記述は、 ﹁行巻﹂←この行は大悲の願より出でたり。 ( 真 聖 全 二 ・ 五 頁 ) ﹁信巻﹂←この心すなはちこれ念仏往生の願より出でたり。 ( 真 聖 全 二 ・ 四 八 頁 ) ﹁証巻﹂←すなはちこれ必至滅度の願より出でたり。 ( 真 聖 全 二 ・ 一

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一 一 一 頁 ) 「真仏土巻」の構造について〈武田) - 7ー

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と、往相回向の行・信・証は﹁出於

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﹂と本願にもと寺ついた出願が述べられる。 し か し 、 ﹁真仏土巻﹂には﹁既而 有願﹂と﹁います﹂と表現される。このような表現は﹁化身土巻﹂にも すでにして悲願います。修諸功徳の願と名づく ( 真 聖 全 二 ・ 一 四 三 頁 ﹀ すでにして悲願います。植諸徳本の願と名づく ( 真 聖 全 二 ・ 一 五 八 頁 ﹀ と、第十九願・第二十願に対しては﹁既而有悲願﹂と悲願とされるが、 ﹁真仏土巻﹂と同じ表現になっている。また、 ﹁真仏土巻﹂の襟願には他巻と相違して細註もない。これらの事は何を意味するのであろう。まず、細註がない事に 関しては、阿弥陀仏と衆生との関係性が問われているのではなく、浄土の本質と相や力用とその功徳が説かれている からだと考えられる。よって﹁真仏土巻﹂は、衆生との関係性の中で関われているのではなく、往相還相回向の大悲 の根源となる本願(第十二願・第十三願)が底辺として獲信の瞬間に存在してあったことをいわんとしている。 要 紗 ﹄ (真聖全二・三四七頁﹀では教・行・信・証の前四巻と﹁真仏土巻﹂の関係について ﹁ 能 帰 の 機 ﹂ と﹁所帰の真 土﹂と解釈されている。同じく、 ﹁化巻﹂に﹁います﹂されたのも、方便という悲願として衆生を願いつづけて存在 していたという獲信後に気づいた自らの経験的な事実が本願の掌の内であったという事実を表明した言葉であろうと 考えられるのである。 ま た 、 ﹁証巻﹂と﹁真仏土巻﹂は、浄土という観点から重なる性格をもっている。すなわち﹃論註﹄の清浄功徳成 でも同様に引用されているからである。 就や不虚作住持功徳成就が このことから ﹁ 真 仏 土 巻 ﹂ 』主 ﹁ 真 仏 土 巻 ﹂ 巻﹂の展開であるという見解もある。 このように﹁真仏土巻 L が本典全体においてどのような位置を

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めるのかは多くの解説書で種々指摘されるところ で あ る が 、 では従来﹁真仏土巻﹂の科段はどのように設定され、その構造を捉えられていたのであろうか。代表的な 本典の解説書である﹃本典研讃集記﹄による大科を示すと、 ﹃ 六 ﹁ 証

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直 明 指 示 明 因 報 仏 願 義 土 既 然 謹 而 則 案 有 酬 真 願 報 仏 ー正釈│丁引文 経 説 -, 大 経 設 L 釈 ー寸 浄 土 論 日 L 本 文

結 成 爾 者 如 来 L 一 │ 対 弁 真 仮 │ 1 先 明 報 義 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹁ 夫 案 報 者 ﹂ │ 対 弁 │ 一 ﹁ 正 弁 真 仮 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹁ 然 就 願 海 ﹂ ﹁述一編製﹂│述 ﹁ 結 意 -, 由 巧之 知 真 L 勧 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ . . . . . . . . . . . . . . . . . . ﹁ 経 家 論 家 ﹂ また構造的に簡単で 一 四 一 H と、至ってシンプルなのであるが、これは﹁真仏土巻﹂全体が他巻に比較して量的にも少なく、 ある事を示している。その特徴は、 一 二

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一 二

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一 二

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一 三 二 日 一 四

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一 四 一 5 一 四 一 5 一 四 一 日 正釈での一連の経・論・釈の流れが終わった後に御自釈による纏めの結成があり、 後に対弁と称する部分、すなわち願海真仮について述べられている点である。この点、次の﹁化巻﹂との連続性を問 題としないといけないが、 仮の仏土とは、 なりといふことを。 下にありて知るべし。すでにもって真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土 ︿ 真 理 全 二 ・ 一 四 一 一 貝 ) と、具体的な内容は次の﹁化巻﹂に送られているのである。 他に、江戸期の講録である善譲(一八

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一八八六)の﹃顕浄土教行証文類敬信記(一八四八

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一 八 五 二 ) ﹄ ( 真 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 9ー

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宗全書・三十巻﹀の大科をみても基本点には殆ど変わりはない。別稿にて以前指摘したように、本願寺派系の江戸期 講録はすべてが江戸時代に刻本された刊本の寛永本(寛永十三︿二ハ三六﹀年、中野市右衛門が刊行﹀や明暦本(明 暦 一 二

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六五七﹀年、板元は丁子屋九郎右衛門)・寛文本(寛文九

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六六九﹀年河村利兵衛の開板﹀等を参考に講 義されており、古写本等の書誌的な特徴を有した写本を参考にされていない。したがって、書誌的視点からの言及は、 明らかに文に見える引文形態や文意からの言及に留まっている。よって、親驚の真蹟本からの書誌的な特徴を考慮し た科段ではなく、内容面から考察された科段であると考えられる。 では、果たして正釈・対弁という形で、大きい科 段をみてよいのであろうか。 四

の書誌的科段

ところで、私は以前に親驚の書誌的特徴としての﹁己上﹂の入っている引文指示語(締め語)と行改めに注目して き た 。 引文指示語(締め語)とは、引文末尾の﹁民﹂等の語で、﹃親驚聖人著作用語索引教行信託の部﹄(龍谷大学真宗学 会編﹀では﹁省略例﹂となっているが、﹁民﹂﹁拠此﹂﹁到﹂等を総称する語としては相応しない場合がある。そこで、 鳥越氏の述語を使用して﹁引文指示語﹂としたもので、以下の十六種類が見られる。すなわち、一﹁国﹂・二﹁配祉﹂・ 三 ﹁ 侃 此 ﹂ ・ 四 ﹁ 加 駈 ﹂ ・ 五 ﹁ 侃 祉 ﹂ ・ 六 ﹁ 配 此 ﹂ ・ 七 ﹁ 阻 批 ﹂ ・ 八 ﹁ 脚 ﹂ ・ 九 ﹁ 脚 己 上 ﹂ ・ 十 ﹁ 動 ﹂ ・ 十 一 ﹁ 町 ﹂ ・ 十 一 一 ﹁ 乃 至 略 出 ﹂ ・ 十三﹁文﹂・十四﹁文帥﹂・十五﹁鵬﹂・十六﹁椀﹂とある引文末尾にある語である。特に﹁己上﹂の入っている引文指 示語には意味の区切りが見て取れる。また、行改めとは、私達は文章を書くときに、文章の区切りで改行を入れたり、 行頭を一段ほど落としてから書き始めるが、坂東本には行頭段下げの技法はないが、行を改める方法については使用 されている。坂東本は基本的には一行一杯に文字が詰めて書かれているが、それが途中で改行されたり、 また改行し

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て一行ないし二行の空白行を挿入して、区切りを造るという方法が取られている。この行改めが、各巻を章とすると 節に対応するくらいの大きな区切りの意味があるのではないかと近年主張されている。ただし、引文中に侮文がある る(UI場 。 合 親 鷲 11 改 行 引 用 し て L

る の で こ れ ら は 例 外 と な る 。 こ の よ う に 、 文章の節に相当する程度重要な特徴であ その他に、西本願寺本では、引文の冒頭に書誌学でいう星点の様な印が引文冒頭に設けられて、引文毎にすべて改 行されている。例えば経文の引用には小さい朱の﹁・﹂点が﹁・どの様に三つ星三角形に三つ打たれているし、引文 論釈の冒頭には﹁日﹂と横並びに二つ打たれている。また、引用文が続く場合や問答の区切りとなる場合の﹁又﹂等 の文字には﹁・﹂が一つ冒頭に打たれている。これらは一応の引文の目印かと思われる。坂東本に比較して引文がす べて改行されるなど、文としては全体に見やすい体裁となっているが、逆に本来の書誌の特徴を崩してしまっている 事もあり問題でもあるが、参考になる点もあるので確認したが、特に問題点となる部分はなかった。後に考述する ﹁真仏土巻﹂後半の御自釈中引文もすべて上記の規則に従って改行され官頭に星点が打たれている。また、専修寺本 も確認したが行改めは確認できなかった。 以上のような書誌的特徴から﹁真仏土巻﹂全体の構成を引文指示語である己上区切りにより引文群を一覧で示すと 次 の よ う に な る 。

*

御自釈① 真聖全二・=二 8 (仏土出願、酬報と真報仏土) 1 大経・如来会引文 平等覚経引文 大阿弥陀経引文 不空頴索神変真言経引文 ( 光 明 ・ 寿 命 無 量 ﹀ 一 一 一 一

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( 速 疾 可 到 無 量 光 明 土 ﹀ 一 二 一 一 2 2 ( 光 明 最 尊 第 一 ・ 称 誉 光 明 ﹀ 一二三7 3 ( 清 浄 報 土 ﹀ 一 二 三 回 4 「真仏土巻」の構造について(武田〉 -11ー

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5 浬繋経引文① 浬繋経引文② 浬襲経引文③ 浬蝶経引文④ ( 真 解 脱 ・ 光 明 智 慧 ﹀ 四 9 6 7 8 9 浬探経⑤・浄土論引文 論註・讃阿弥陀仏侮引文 ( 仏 性 是 如 来 ・ 衆 生 是 有 ﹀ ( 凡 夫 業 不 清 浄 ・ 如 来 不 畢 寛 浬 繋 ﹀ 一 一 一 六 8 一 一 一 七 6 10 11 光明寺和尚引文 ( 仏 性 未 来 ) 一 二 八 5

1

2

慣興師引文 御自釈②、浬襲経・起信論引文 (如来知諸根力・菩薩少分見仏性) 一 一 一 一 一 一 一 1 女 13 (正道大慈悲・龍樹理額綱) 七 1 ( 是 報 非 化 ﹀ 一 四

04

( 心 身 柔 軟 ﹀ ( 浄 利 真 報 土 ・ 衆 生 未 来 得 見 仏 性 ﹀ 一 四

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一 四 一 4 14

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御自釈③、大経・大阿弥陀経引文(願海真仮、仏土真仮、真仏﹀ 浄土論/大経・如来会引文 一 四 一 日 一 四 一 7 ( 真 土 ) ( 往 生 ) 一 四 一 回 15 浄土論/大経 ( 難 思 議 往 生 ﹀ 一 四 一 日 16 浄土論・論註引文 御自釈④ ( 真 仮 酬 報 大 悲 願 海 ﹀ 一 四 二 1 世町 と、冒頭のアラビア数字は引文指示語の﹁巳上﹂区切が引文群の末にある場合に限り便宜上の通し番号を示し、最下 段の漢数字とアラビア数字は﹃真宗聖教全書﹄二の﹁己上﹂区切り・改行のある場所の頁数・行数を示している。ま た、女印を付けて御自釈位置を示し、各引文群区切りに一応の内容が分かるように仮の項目名をカッコ内に表記した。

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また、文中の縦線は後の説明の便宜上の区切りで点線と二重性で示したが、 ﹁真仏土巻﹂では明らかな行改めは確認 で き な か っ た 。 ま ず 、 第 1 引 文 群 で あ る が 、 寿命無量之 冒頭の標願は ﹁ 光 明 無 量 之 願 各引文群の大まかな内容を追っておく。 い て は 、 ﹁化身土巻﹂のような細註はない。これにつ ﹁証巻﹂細註の﹁難思議往生﹂の具体的な相状を示す為という説もあるが、具体的な往生の相状については 願﹂である。そこには、先に指摘したように﹁行巻﹂ ﹁ 信 巻 ﹂ ﹁ 証 巻 ﹂ ﹁真仏土巻﹂では、第日引文群にて御自釈の流れで触れられる程度で、本論の大部分を占めた内容とはなっていない。 官 頭 御 自 釈 ① が 、 つつしんで真仏土を案ずれば、仏はすなはちこれ不可思議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり。 しかれば すなはち、大悲の誓願に酬報するがゆゑに、真の報仏土といふなり。すでにして願います、すなはち光明・寿命 の願(第十二・十三願﹀これなり。 ( 真 聖 全 二 ・ 一 二

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頁 ) と示すように、聖人が課題とされた点は、真仏土が大悲の誓願に酬報した﹁真の報仏土﹂である点であり、それは本 願の第十二・十三一願に基づいて成就された仏土つまり報土という概念である。 いずれにしても第 1 引文群はこの大悲 の誓願たる﹃大経﹄の第十二・十三願文、第十二・十コ一願成就文、 ﹃如来会﹄の光明成就の文が引かれる。﹃六要紗﹄ ( 真 聖 全 二 ・ 三 四 七 頁 ) に よ る と 、 ﹃如来会﹄と後の曇驚﹃讃阿弥陀仏侮﹄の引用となっているという。 ﹁真仏土巻﹂冒頭に真仏を説明する﹁不可思議光仏﹂の経釈上の出拠が、﹃大経﹄の 十 二 光 で あ り 、 真土の﹁無量光明土﹂の出拠が次の 仏﹂が、第 2 引文群は﹁真土﹂が真実の経教に基づいている事実が示されていることとなる。 次に、第 3 引 文 群 で は 、 ま た 、 ﹃平等覚経﹄引文中にある事から、 冒頭御自釈から第 1 引文群は ﹃大阿弥陀経﹄によって、阿弥陀仏の光明が諸仏の光明よりはるかに勝れ、その用をなす ﹃不空嬬索神変真言経﹄引文では、その浄土が経典の出拠として初めて﹁清浄 ﹂とを説いている。第 4 引 文 群 で は 、 真 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 13ー

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報 土 ﹂ ( 真 裂 全 二 ・ 一 二 三 頁 ) と 一 不 さ れ 、 具 体 的 な 仏 身 と 仏 土 の 利 益 が 述 べ ら れ る 。 続く第 5 引文群から第 9 引文群は﹃浬梁経﹄の引文群で、引文指示語の区切りは十一箇所であるが、己上区切りは 一連の﹃浬繋経﹄引文群は、真仏土の本質である真解脱・浬換とは何か、法身の問題と仏性が問題と 五 箇 所 で あ る 。 される。まず第 5 引文群にて、真の悟りである真解脱とは何かが説明され、虚無・不老不死・不破不壊・無尽・決定 と寿命無量の性質が説明され、 ( 真 聖 全 二 ・ 一 二 四 頁 ) で あ り 不 一 鳳 劣 で あ る と 光 明 無 量 の 本 質 を 最後に﹁光明は智慧﹂ 説明することを通して、全体で浄土の本質が示された形となっている。第 6 引文群では、浬蝶の常楽我浄の常徳を一不 し、如来の智慧功徳が仏性・如来として働く事が説かれ、真仏土の本質である浬擦が大楽の徳であることが示されて いる。第 7 引文群では、真仏土が清浄・大浄であることを説いて、対して凡夫は不清浄であるので、如来は浬撲にあ らずして凡夫を浄土に入らしめる働きを為す事が説かれる。続く、第 8 引文群では衆生は不浄の身であって、直ちに 仏性があるとはいえないが、未来に清浄なる身になれば仏性を開現するので仏性未来と説かれる。続く第 9 引文群で は、しかしながら菩薩は少分に仏性を見ることができるのであると、凡夫との相違が示されるが、この菩薩の観察を して浄土の荘厳相を凡夫は知ることとなるのである。 ここで、表の第 8 引文鮮と第 9 引文群では縦の点線にて区切りをいれている。というのも、この第 9 引文群最後の ﹃浄土論﹄の文と第叩引文群は少分仏性を限見できた菩薩によって浄土の功徳が説かれるからである。確かに、第 9 引文群回目頭は﹁浬繋経﹄が連引されてあるが、その内容は如来の諸知根力と仏身の生身と法身が相即不離なる関係に あることを説いて、十住菩薩は少見仏性で眼見するが、衆生は信を生ずれば開見のみできるという点に重点、があるか よって、第叩引文群の﹃諭註﹄では、菩薩観察による浄土の清浄功徳、性功徳成就の文を引用することで 浄土の性(根本﹀と如来性起、正道の大慈悲が仏道の正因となる点、五種の不可思議力が説かれて、救いが成就して ﹃讃阿弥陀仏偽﹄により曇驚自らの十二光讃嘆と、龍樹菩薩がこの世の現実の菩薩で最初 ら で あ る 。 い る 事 が 説 か れ る 。 ま た 、

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つまり眼見された菩薩として讃嘆し結ばれている。己上区切りからみても菩薩が少分に仏 M 明 性を見ることが後の凡夫の浄土の理解に関係する重要ポントとなってくる。よって凡夫においては菩薩、中でも天親 広大無辺際﹂という清浄(量﹀功徳の に 仏 教 の 綱 要 を 定 め た 方 、 勝過三界道究寛如虚空 内容を通じて浬禦の世界を知る重要なる指示となる点が理解できよう。 菩薩が浄土の世界相を観察された、 ﹁ 観 彼 世 界 相 さて、第日引文群からは主題が変化してくる。また、釈書となるので引文群一覧表では縦の点線を入れている。第

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引文群までに示された浄土の本質や功徳、菩薩による光明等の讃嘆とは違う主題で、その浄土とは報土なのか化土 なのかが論じられている。この点、後に問題としたいが、魔障の境界である穣土に留まらず念仏による無上浬擦の浄 土往生を勧められているのである。続く第ロ引文群は慢興師﹃述文賛﹄による十二光の讃嘆であるが、これにより経 典・論書・釈書により阿弥陀仏の光明を知見した菩薩・凡夫においても十二光が讃嘆された形となる。親鱒がこの位 置にわざわざ袋綴じを裂いて﹃述文賛﹄を引用されたのも仏・菩薩・凡夫により弥陀光明の讃嘆を体系的に示したか ったからだと考えられる。また、﹃述文賛﹄引文には最後に身心柔軟なる第三十三願の働きが示され、 弟子釈における第三十三願引用との関連性を想起させるものである。 ﹁ 信 巻 ﹂ 真 仏 以上の一連の引文群の流れをまとめて御自釈②が置かれる。この御自釈②は経論が自釈中に引用されるが、大事な 論点は、安養浄利たる浄土は真の報土であり、惑善の凡夫は積土において浄土を見ることができず。安楽固に到れば 必ず仏性を顕すことができるいう点である。 と こ ろ で 今 、 ﹃ 起 信 御自釈②直後の﹃起信論﹄引文の後に引文群一覧表に示したように二重縦線をいれている。 論﹄の終わりには己上区切りはないが﹁椀﹂と引文指示語はある。その内容は、十信にも至っていない者でも﹁説よ り無説に入り、念より無念に入る﹂と、言葉で説かれたものから説き得ない境界に入るべきであって、思念して思念 を超えた無念の境界に入る事を示され、御自釈②からの流れにそっている。であるからして、本来は一連の御自釈と 「真仏土巻」の構造について(武田〉 -15ー

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見なすべきかもしれないが、続く第日引文群ではテ l マが一変し、如来の願海の真仮の問題が出てくる。後の御自釈 ④との対応を考えると、先の御自釈②は冒頭の御自釈①からの論点に対応して﹁爾者﹂と一応の纏めとなるのである。 ただ、第日引文群以下の真仏・真土は当然ながら冒頭御自釈①の報仏・報土に対応したものである。 では、第日引文群以下はどのような流れになるのだろう。御自釈③官頭﹁夫れ﹂と親鰭における御自釈では論点提 起の冒頭に一示される言葉から、先の御自釈②部分とは違う内容が提起されている事となる。それは願海真仮と仏土の 真仮の問題である。ところで、これらについては詳細な論述はなく、短く経論を引用するのみである。だが、ここに も己上区切りからみると多少問題がある。真仏を説明する最初の第日引文群には﹃大経﹄・﹃大阿弥陀経﹄引文にて己 上区切がある。﹃大経﹄などの経典から始まる場合には、親驚が新たなテ 1 7 で論を展開する時の一つのパターンで あるので、この経典引用後に己上区切りがあるのは問題がない。しかし、続く﹃浄土論﹄引文には己上区切りはない。 己上区切りのみで分けると﹃浄土論﹄は第 U 引文群の中に入る。ところが、第 M 引文群は、再度の﹃大経﹄引用で、 内容からしても﹁真土﹂について説明したものである。 いま﹃浄土論﹄引文の﹁帰命尽十方無碍光如来﹂は如来につ い て 述 べ ら れ て お り 、 しかも﹁也﹂の語で締めくくってある。従って、本来であれば﹃浄土論﹄引用の後に己上区切 ﹁也﹂という断定語の後だけに入れられなかったのか、あるいは御自釈の一連のも のであるから入れられなかったものと考えられる。引文群一覧表では第 M 引文群として官頭﹃浄土論﹄の後に斜線を りを入れるべきところであるが、 入れて表示したのはこの為である。同じ事は第四引文群の最初の﹃浄土論﹄においても言える。こちらも﹃浄土論﹄ 引用後に﹁也﹂と断定語があり先と閉じパターンである。よって、本来はこちらの﹃浄土論﹄も内容的には﹁真土﹂ また、第日引文群では﹁往生﹂について説明され、経と論釈が第日引文群で区 を説明した第比引文群の続きとなる。 切られている。最後に﹁難思議往生﹂と云えるこれ﹁也﹂とされるので、ここで文章が切れる。そして最後の御自釈 ④へとつながり、真仮は皆大悲の願海に酬報した点が示され、仮の仏土については﹁化身土巻﹂に譲られ、真仏真土

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は﹁真宗の正意﹂と締めくくられる。 ざすれば、従来の科段のように正釈と対弁として御自釈③の部分から大きな科段を区切ってもよいが、御自釈②か らの引文を一連の御自釈中に短く組み込む形で入れてあるとするならば、従来科段の正釈の結成の中に対弁部分を組 み込んでもよかろうと考えられる。大きな行改めもなく一連の文章として自釈してあるからである。 いずれにしも酬 報と真報土とが冒頭からの大きなテ l マであるので、従来の科段設定に大きな問題点はない。 したがって、書誌的科 段によって見出しうる点は、御自釈②から御自釈④までの流れを一連のものとして見るのか、御自釈③より区切りを 大きく見るのかの違いのみといってよい。この点については、親驚における御自釈の特徴を本典全体より再点検する 必要があるので、他稿を期したい。 さすれば問題は、親鷺が何故に浄土を真報土とし本願に酬報した世界と定義されたかが本巻の大きな問題点となっ て く る 。 五 真報土たる真仏土 ﹁真仏土巻﹂の標挙は第十二願・第十三願に基づく、光明無量・寿命無量なる本願である。この空間的な横の広が りを意味する光明と、時間的な竪の広がりを意味する寿命に基づくのが阿弥陀仏の浄土であるが、真の仏土や仏身を 説明する﹁真仏土巻﹂においては光明の働きが主たる形で説明が展開している。先ず、これらの二願の関係性はどの ようになるのであろう。 法然著といわれる守三部経大意﹄

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の解釈で、光明の縁は十方世界を照らし、名号の因は十方諸仏が称讃して聞こえない事はないと示し、光明の縁と名 ( 建 長 本 、 昭 法 全 ・ 三

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一 一 一 一 一 頁 ) に お い て 、 ﹁ 光 明 遍 照 十 方 世 界 念 仏 衆 生 摂 取 不 捨 ﹂ 号の因が和合すれば摂取不捨の利益を獲ない(蒙らない)事はないという。その理由として、 ﹃ 往 生 礼 讃 ﹄ ( 序 ﹀ を 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 17ー

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引用し、諸仏の所証は平等であるが、仏の願と行を考えると因縁がないわけではなく。弥陀は深重の誓願をおこして よって第十二・十七・十八願はこの光明・名号での摂化の展開を説明す るところであり、光明・名号の因禄が和合すると念仏衆生は摂取不捨の利益を獲るという。また、阿弥陀仏の摂取の はたらきが永く続く事(不捨)が第十三願を根底に誓われている。 光明・名号をもって十方を摂化すると述べ、 つまり如来の躍動する摂化の働きを支える基底と なっているのが第十三顕である。 この点、親鰭においても一定の特徴がみられる。例えば、 ﹁正信偶﹂では﹁帰命無量寿如来 南無不可思議光﹂と 寿命が先で光明が後となっている。 ﹁真仏土巻﹂引用の﹃讃阿弥陀仏侮﹄ の十二光の異名讃嘆においても、 ( 真 聖 全 真 聖 「 全 笠置土、 主主ー 主豆、 寿、ー 仏、三 は、五 無

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量 w

光忘

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も の 占 同 じ で あ る 。 というのも﹃大経﹄や﹃如来会﹄ 二 ・ 二 一

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頁)と無量寿仏を根本とした表現になっており、 智慧功徳としての光明の相が、 その働きが絶えることな く続いて来たというのは寿命無量が基底となっているのである。慶信上書にはこの点が、 真実信心の行者の心、報土にいたり候ひなば、寿命無量を体として、光明無量の徳用はなれたまはざれば、如来 の心光に一味なり。このゆゑ、 ﹁大信心は仏性なり、仏性はすなはち如来なり﹂と仰せられて候ふやらん。これ は十一・二・三の御普とこころえられ候ふ。 ( 真 裂 全 二 ・ 六 七 五 頁 ﹀ と、述べられるように寿命無量が体と理解され、光明は用とされる。 したがって、親驚は﹁仏はすなはちこれ不可思 議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり。﹂と仏身と仏土を光明によって讃嘆きれ、 中でも﹃大経﹄に基づいて﹁無辺光仏・無碍光仏﹂を取りあげられて、その用の側面を重視されている。即ち尽十方 ﹁ 真 仏 土 巻 ﹂ 結 釈 に は 光 明 、 (無辺性﹀なる無碍光如来(無碍性)という天親菩薩による光明智相・名義のごとくの讃嘆に重なる光明の徳を中心 に取りあげられているのである。 と こ ろ で 、 一般的に如来・浄土と言う時﹃阿弥陀経﹄・﹃観経﹄の荘厳相を想像するが、これらはすべて相を持つ浄

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土である。形象や言葉によってイメージ化されたもので、相を持つ仏身・仏土は凡夫の邪業にてなす観察ではすべて 化である。凡夫が実体化して執着の対象としてしまうからである。ところが全く何も具体的な相を持たないというこ ﹃浬蝶経﹄引文のように﹁浬探﹂ と に な る と 、 ﹁ 無 為 ﹂ ﹁ 法 性 ﹂ ﹁第一義諦﹂と表現する以外に捉 ﹁ 虚 空 ﹂ ﹁ 真 如 ﹂ えどころがない。聖道の諸師より善導に投げかけられた論難の一つは、阿弥陀仏は化仏であり、そのような仏のいる 浄土は化土であるという点である。既に、この点は道緯が﹃安楽集﹄第一第門﹁三身三土﹂において詳述されるとこ ろであるが、善導はこれを承ける形で﹁是報非化﹂を主張される。親驚においては、 ﹁ 報 仏 ・ 報 土 ﹂ と い わ れ る も 、 真の報仏土は﹁真仏・真土﹂とされるが、その報身とは法性法身や応化身とも区別される概念の仏身観である。では、 道縛を受けた善導引文は﹁真仏土巻﹂ではどのようにそれを論証されるのであろう。 先ず、第日引文群である善導引文﹁玄義分﹂ (真聖全二・二ニ七頁﹀には三つの問題が示されている。本来﹁玄義分﹂ 二乗の生じる土であれば化土であり、報土であれば二乗は生じないと 第六では、二乗種不生の義を会通する箇所で、 いうことに対して、弥陀の浄土が五乗斉入の報土であることを明かす五問答の中より前半の三問答を引用されている。 第 一 問 答 に は 、 問うていはく、弥陀の浄国は、 はたこれ報なりや、これ化なりとやせんと。答へていはく、 ﹂れ報にして化にあ ら ず 。 ﹃大乗向性経﹄に説くがごとし。 ︿西方の安楽阿弥陀仏は、これ報仏・報土な いかんが知ることを得る。 り﹀と。また﹃無量寿経﹄ (上﹀にのたまはく ︿法蔵比丘、世鵠王仏の所にましまして、菩陵の道を行じたま ひ し 時 、 四 十 八 願 を 発 し て 、 ︽もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、 わが名号を称し 一 々 の 願 に の た ま は く 、 て、わが国に生ぜんと願ぜん。 下十念に至るまで、もし生ぜずは、 いますでに成仏したま 正 覚 を 取 ら じ ︾ ﹀ と 。 へり、すなはちこれ酬困の身なり。また﹃観経﹄のなかに、 みな︿阿弥陀仏お 上輩の三人、命終の時に臨んで、 よび化仏と与に、この人を来迎す﹀とのたまへり。 しかるに報身、化を兼ねてともに来りて手を授くと。ゆゑに 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 19ー

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名づけて︿与﹀とす。この文証をもってのゆゑに、知んぬ、これ報なりと。しかるに報応二身とは、眼目の異名 なり。前には報を翻じて応となす、後には応を翻じて報となす。おほよそ報といふは、因行虚しからず、さだめ て来果を招く、果をもって因に応ず、ゆゑに名づけて報とす。また三大僧祇の所修の万行、必定して菩提を得ベ し。いますでに道、成ぜり、すなはちこれ応身なり。これすなはち過現の諸仏、三身を弁立す。これを除きて以 外はさらに別の体ましまさず。たとひ無窮の八相、名号塵沙なりとも、体に魁して論ぜば、すべて化に帰して摂 す 。 い ま か の 弥 陀 、 現 に こ れ 報 な り と 。 ( 真 聖 全 二 ・ 二 ニ 七 頁 ) と 弥陀の浄土は報土か化土かが直接問われて、 これは報土であると答えている。その論拠として﹃大乗向性経﹄・ ﹃無量寿経﹄・﹃観経﹄の一一一経典がだされる。このうち﹃大乗向性経﹄が引用されるのは、第二問答に﹃観音授記経﹄ が引用されるように、他の諸師から浄土経典以外の経論を論拠にした批判に答える意図があったと指摘されている。 また、報土とは化土に対して時間的空間的な限定を受けないが、それが有限的なのか無限的なのかという問題がある。 例えば、釈迦のように、菩薩が願を立てて酬報した仏の中には応化の有限的な仏がいるということである。逆にいえ ば願に酬報しただけで、その仏が報仏とは一一一一回い難いという点が指摘できる。例えば、慧遠は﹃大乗義章﹄においても ﹁酬因名報﹂(大正四十・八三七頁)と﹁報﹂という語を使用して述べているからである。よって、善導は次に﹃大経﹄ を引用して﹁一一の願﹂が因願に基づいて酬報して本願成就したのが阿弥陀仏であるとし、また﹃制経﹄によって阿 弥陀仏が化仏と来迎するので、阿弥陀仏は報仏としているのである。そこには従来の浄土問を正すという意図があっ たと思われるが、その背景としては、阿弥陀仏の浄土を応土というも報土というも、どちらも阿弥陀仏の本願を抜き にした浄土観が主流であった事、 また因願酬報と因行酬報の両義のゆえに﹁報﹂とされ、大悲の誓願に酬報すること M W 因位の行ほどに強調されなかったからだと指摘される。それは﹁いますでに成仏したまへり、すなはちこれ酬 (左訓﹁コタフ﹂﹀困の身なり。﹂という善導自身の宗教的体験の確信でもあった。親驚においてそれは、 ヵ: ﹃ 論 註 ﹄ 引

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文 ( 真 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 五 頁 ﹀ に あ る よ う に 、 困なる願と果なる力との﹁相府﹂・﹁不差﹂が示される﹁力願相府﹂として誓 願酬報というかたちで意識されたと考えられるのである。 ま た 次 に 、 前には報を翻じて応となす、後には応を翻じて報となす。﹂と、報 ﹁ 報 応 二 身 と は 、 眼 目 の 異 名 な り 。 応は﹁眼﹂と﹁目﹂ いう語の使い方程度の違いでもあるとする。これは慧遠など当時の仏身観に大きな誤解があった 点が指摘されている。広瀬果氏によると、慧遠が重視した﹃摂大乗論﹄の翻訳の違いから勘違いが生じている点を指 摘されて、扇多訳では三身を分別して真身・報身・応身とするが、真諦訳では自性身・応身・化身とし、 同 ﹁応身﹂の混乱があるという。また、当時の訳語の錯綜も問題祝されている。善導はこららの点に鋭く気づいて、阿 ﹁ 報 身 ﹂ と 弥陀仏は報身である点を指摘されたと考えられている。 ところで、続く第二問答で、 問うていはく、すでに報といふは、報身常住にして永く生滅なし。なんがゆゑぞ﹃観音授記経﹂に説かく、 弥陀仏また入浬般市の時あり﹀と。この一義いかんが通釈せんやと。 ( 真 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 七 頁 ) と ﹃観音授記経﹄には阿弥陀仏の入滅が説かれ、寿命が限られているから﹃大経﹄の内容と矛盾するとする。これ に 対 し て 善 導 は 、 矛盾があっても諸仏の境涯は凡夫が憶測すべきではないとして経典への姿勢を示される。 ま た 、 ﹃大般若経﹄を引用して、十戸聞や菩薩の法だけではなく、諸仏の法も含めてみな化であるとし、 生じたり滅したりし ない存在は化でなく、 それは浬繋であるとする。ところが、 一切法が化であるなら程繋の一法は化ではないのかとい う矛盾が生ずるが、その問いに、 ︽ か く の ご と し 、 かくのごとし。諸法は平等にして声聞の所作にあらず、乃至性尚昆なればすなはちこれ浬換なり。 もし新発意の菩薩、この一切の法みな畢寛じて性空なり、乃至浬繋もまたみな化のごとしと聞かば、 心すなはち 驚怖しなん。この新発意の菩薩のために、ことさらに生滅のものは化のごとし、不生不滅のものは化のごときに / ヘ 阿 「真仏土巻」の構造について(武田) - 21ー

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あらざるを分別するをや︾ ( 真 聖 全 二 ・ 二 ニ 八 頁 ) と、新発意の菩薩、 つまり凡夫にはあるかないかわからない目的である永遠不変の空と言っても捉えることができず、 道をもとめる目的や方向が必要となる点を指摘される。すなわちここに報仏としての阿弥陀仏、象徴的な表現が必要 に な る 。 最後に第三問答には、 問 う て い は く 、 かの仏および土、すでに報といはば、報法古同妙にして小型階ひがたし。垢障の凡夫、 いかんが入 ることを得んやと。答へていはく、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。 まさしく仏願に託するにより て、もって強縁となりて、 ( 真 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 九 頁 ) 五乗斉しく入らしむることを致す﹂と。 と、もし浄土が報土であるなら凡夫はそのような浄土には行けないのではないかと問う。それに対して善導は凡夫の 垢陣たる煩悩によって往生が左右される浄土ならば、浄土往生は不可能であるが、仏願に託するという事を強縁とす る救いであるので、凡夫の能力などに左右されないとするのである。このように善導は凡夫の立場に立脚して阿弥陀 仏の報仏を問題としているのである。 以下の善導引文(序分義、定義同義、法事讃﹀についての概略は省略するが、諸師が阿弥陀仏を応身と主張すること ﹃六要紗﹄では、光明無量・寿命無量の無量を問題として、これを諸師は有量の無量とするが、報仏は無 に 関 し て 、 量の無量であると解釈をされている。 ( 真 聖 全 二 ・ 三 八 四 頁 ) ま さ に 、 絶対的な無量なるが故に相対の世界に無辺・無 碍に働くこととなると理解される。 では最後に、親鰐はこのような論点から報土を如何に捉えたのであろう。これらを端的に表現しているのが、 信紗文意﹄にける﹃法事讃﹄ ﹁極楽無為浬繋界﹂の解釈であろう。 ﹁極楽無為浬撲界﹂といふは、 ﹁極楽﹂と申すはかの安楽浄土なり、 よろづのたのしみつねにして、くるしみま 唯

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じ は ら ざ る な り 。 曇 驚 和 尚 は 、 ﹁ほめたてまつりて安養と申す﹂ とこそのたまへ かのくにをば安養といへり。 り 。 ま た ﹃ 論 ﹄ ( 浄 土 論 ) に は 、 ﹁ 無 為 ﹂ と も い へ り 。 ﹁浬襲界﹂といふは無明の ﹁ 蓮 華 蔵 世 界 ﹂ と も い へ り 、 まどひをひるがへして、無上浬蝶のさとりをひらくなり。 ﹁界﹂はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。 大浬繋と申すに、その名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。 度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、 ﹁ 浬 繋 ﹂ を ば 滅 如 と いふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心 なり。この心に誓願を信楽するがゆゑに この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法 身なり。法身はいろもなし、 か た ち も ま し ま さ ず 。 しかれば、こころもおよばれず、 ﹂とばもたえたり。この 如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひで、不可思議の大哲一回 願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は﹁尽十方無硬光如来﹂となづけたてまつりたま へり。この如来を報身と申す。誓願の業困に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。報と申すは、 たねにむく ひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、徴麗世界に無慌の智慧光を放たしめたまふゆ ゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、 か た ち も ま し ま さ ず 、 いろもましまさず、無明の閣をはらひ悪業にさへ られず、このゆゑに無擬光と申すなり。無擬はさはりなしと申す。 しかれば、阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧 のかたちなりとしるべし。 ( 真 聖 全 二 ・ 六 三

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頁 ﹀ と、閏目頭に極楽・安楽・安養・蓮華蔵世界と感覚的表現にて表象される浬擦は、最後には無為と纏められる。この無 為とは浬繋でもあるが、それは滅度・無為・安楽・常楽・実相・法身・法性・真如・一如・仏性・如来と転釈されて いる。これらの表現からは、浬操界である浄土は固定的・実態的な場ではない。しかし、法身一如は微塵世界である 迷いの世界に満ち満ちていないといけない。その表象的表現が如来であり、仏と衆生との違いはその一切法の覚と不 「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 23ー

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﹂の真理を悟る事ができない。よって方便法身により因 覚の違いによるが、凡夫は煩悩に眼を障えられているので、 果を示して誓願の業困に報いたのが尽十方無碍光如来たる阿弥陀仏である。具体的には大悲の躍動相としての大行と して衆生に信心を生ぜしめ浄土へ往生せしめる働きをなす。悪業煩悩にさまたげられない真如の智慧が光明としては たらく如来、それは名という音声としての相といってもよいが、この点が﹁真仏土巻﹂では仏は不可思議光仏、土は 無量光明土と光明という用をもって表現される由縁でもある。 と こ ろ で 、 聖人は﹁それ報を案ずれば、 ﹁ 真 仮 み な こ れ 大 悲 の 如来の願海によりて果成の土を酬報せりょとし、 願海に酬報せり。﹂と述べられる。 それは顛倒・虚偽なる因果しかなせない衆生と違い、 法性にもと e ついた清浄・真 実なる誓願にもとづいた困による果成の土である報土である。善導はこの点を お ほ よ そ 報 と い ふ は 、 果 を も っ て 因 に 応 ず 、 ゆ ゑ に 名 づ け て 報 と す 。 因 行 虚 し か ら ず 、 さ だ め で 来 果 を 招 く 、 : : い ま か の 弥 陀 、 現 に こ れ 報 な り と 。 ( 真 聖 全 二 ・ 一 一 一 一 七 頁 ) といわれる。さすれば、願海に真仮を見出した親驚においては選択本願の正因によりて成就された真報土と同じく、 化身化土なる報土についても言及せねばならず。 ﹁ 化 身 土 巻 ﹂ 真仏土の真仏・真土・往生を示し、 真 仮 の 得 失 に つ い て 一 苦 悶 し て へつないだものと思われる。

﹁阿弥陀如来﹂という名によって表わされる表象的な側面を持っている。それは、私たち凡夫が認識しや すいという点で法性法身とは違い、応化身のように入滅することはない。誓願を成就して減しない仏身である。大乗 報 身 は 、 仏 教 の 精 神 、 あるいは仏の智慧を象徴的に表わしているこの阿弥陀仏が真仏であり、 その浄土が真土であることが ﹁真仏土巻﹂の主たる主題として展開している。その報土は願海に酬報した土であるので、この願海に真仮をみる親

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鷲においては方便たる仮土の世界も本願に酬報した報土中の化土なる世界である。この問題は次の﹁化身土巻﹂に連 ﹁真仏土巻﹂末にその点が御自釈にて触れられていた。 続するので、 そういった意味からすると巻末の第日引文群から巻末までは、対弁として大きな科段をみてもよいし、御自釈形態 からすると結成中に今の対弁を組み込んでもよいこととなるが、これついては今一度御自釈の形態を全巻にわたって 一考する必要があろうか。 註 引用文の﹁真聖全﹂は﹃真宗聖教全書﹄を意味するが、原漢文のものは﹃浄土真宗聖典(註釈版﹀﹄により書き下し文とした。

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このような指摘は既に西田真因﹁序新しい教行信証研究の誕生﹂にて指摘される。(鳥越正道﹃最終稿本教行信証の復元研 究 ﹄ 、 法 蔵 館 ・ 平 成 九 年 )

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拙論﹁﹃一念多念文意﹄に表現されたる往生思想 J 書誌的視点を中心として J ﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 九 七 ・ 九 八 合 併 号 、 平 成 十 年 ﹀ 、 ﹁ ﹁ 信 巻 ﹂ の 構 造 に つ い て

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書誌的視点と本願成就文受容形態を中心として J ﹂ ( ﹃ 龍 谷 大 学 論 集 ﹄ 第 四 五 六 号 、 平 成 十 二 年 ﹀ 。 ﹁ ﹁ 行 巻 ﹂ の 構 造 に つ い て J 書誌的視点を中心として J ﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 一 一 一 ・ 一 一 一 一 合 併 号 、 平 成 十 七 年 ﹀

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この坂東本は東本願寺の所蔵となり、昭和二十七年に国宝に指定され、現在は京都国立博物館に保存されている。経緯につい ては坂東性純﹁仏祖への無上の俸げもの﹂(鳥越正道﹃最終稿本教行信証の復元研究﹄の序、法蔵館・平成九年)他に詳しい。

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撰述年代については一般には元仁元年(一一一一一四)親鴬五十二歳に常陸国笠間の稲田で完成されたとされる。それは﹁化身土 巻﹂の﹁従其壬申歪我元仁元年﹂(真聖全二・一六八頁)とある文や﹃高田派閥山親鴛聖人正統伝﹄(一七一五)などによる が、現在ではこの記述によって完成年代を決定する事は否定され、五十八 J 六十三歳頃から八十五・六歳までの二十数年をかけ て加筆訂正されたとされる。尚、寛一克五年(一二四七﹀に尊速が書写した事が判明しているが、これらはその時点での書写本で あり最終稿本﹃教行信証﹄(親驚示寂時点での稿)ではないとされる。

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重見一行﹃教行信証の研究﹄(法臓館、昭和五六年﹀、鳥越正道﹃最終稿本教行信託の復元研究﹄(法臓館・平成九年) 伺尊蓮本系統といわれるもに、大楽寺本・西蓮寺本・覚念本教行信証がある。 的現在の坂東本は必ずしも示寂時点の最終稿本ではなく、昭和二十七年に国宝に指定される以前にも大正期に復元による手が加 「真仏土巻」の構造について〈武田〉 - 25ー

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わ っ て お り 、 坂東本教行信託(京都国立博物館に保管) ↑坂東本の原典確定を通して、最終稿本を復元・確定 最終稿本教行信証(親驚示寂時点﹀ ↑最終稿本を訂正、補完し本文を確定 真本教行信証 という。親驚が残した訂正すべき箇所を補完した真本教行信証の作成も望まれている。 同宗宝宗史蹟保存条例つ一

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年六月二十七日公示)により設置。当時の宗宝宗史蹟保存会委員は次の通りである。会長・庚 瀬呆(大谷大学名誉教授﹀、下坂守(京都国立博物館学芸課長)、赤尾栄慶(京都国立博物館学芸課保存修理指導室室長)、堅固 修(大谷大学名誉教授)、寺川俊昭(向)、名畑崇(同﹀、池田勇諦(同朋大学特任教授)、大桑斉(大谷大学名誉教授﹀、沙加戸 弘(大谷大学教授・調査委員﹀、木場明志(同・調査委員)、草野顕之(同・調査委員﹀、三木彰円(大谷大学専任講師・調査委 員) 防具体的な内容については、この度の修復と同時に撮影復刻された影印本(原寸カラ 1 影印本)付属の﹃顕浄土真実教行証文類 (坂東本)影印本解説﹄(真宗大谷派宗務所、二

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五年七月一日﹀を参照されたい。尚、修理後の寸法は次の通りとなった。 第一冊︿総序数行巻)縦二九・六 m 横二五・九個 第 二 冊 ( 信 巻 ) 縦 二 九 ・ 五 五 個 横 二 五 ・ 八 個 第 三 冊 ( 証 巻 ) 縦 二 九 ・ 七 個 横 二 五 ・ 八 個 第四冊(真仏土巻)縦二九・六五

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横二五・九個 第五冊(化身土巻本)縦二九・四五個横二五・九四 第六冊(化身土巻末﹀縦二九・六個横二五・九佃 帥詳細は、﹃顕浄土真実教行証文類(坂東本)影印本解説﹄((真宗大谷派宗務所、ニ

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五 年 七 月 一 日 ﹀ や 吉 伸 唱 え 主 同

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ロ ・ 宮口松

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ロ ¥ を 参 照 。 帥三木彰円﹁無窮の志願﹂(﹃親驚教学﹄八七号、二

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六 年 ﹀ 同西本願寺本や専修寺本を確認すると、改行された形で、﹁﹃讃阿弥陀仏偶﹄目。曇驚和尚造﹂の一行と、﹁南無阿弥陀仏 釈 名

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無量寿傍経奉賛・亦目安養﹂の一行の合計二行併記された形となっている。 同中西智海﹃真仏土文類講讃﹄(永田文昌堂、ニ

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五 年 ﹀ 一 四 頁 を 参 照 し た 。 帥刊本に関して、龍大所蔵の寛永本・明暦本を確認する限りでは西本願寺本を底本としていると考えられ、八行十七字詰め内外 に て 続 け て 文 字 が 板 刻 さ れ て い る 。 ﹃教行信証﹄坂東本の行改め箇所としては -﹁行巻﹂行一念釈直前(真聖全二・三四頁 4 直前に改行、真蹟一・一一五頁) ・﹁行巻﹂他力釈直前(真壁全二・二一頁日直前に改行、真蹟一-一一九頁) ・ ﹁ 信 巻 ﹂ 一 一 二 問 答 直 前 ( 真 聖 全 二 ・ 五 九 頁 1 行直前に改行空白一行、真蹟一・一九三頁﹀ ・﹁信巻﹂信一念釈直前(真聖全ニ・七一頁 3 行 直 前 に 改 行 、 真 蹟 一 ・ 一 一 一 一 一 一 頁 ﹀ -﹁信巻﹂逆誘摂取釈中(真聖全二・九七頁 U 行直前に改行、真蹟一・コ二五頁﹀ -﹁ 証 巻 ﹂ 還 相 回 向 釈 直 前 ( 真 聖 全 二 ・ 一

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六 頁 M 行直前に改行、真蹟一・三四九頁) -﹁ 化 巻 ﹂ 一 一 一 経 隠 顕 釈 直 前 ( 真 聖 全 二 ・ 一 四 七 頁 7 行直前に空白一行、真蹟二・四八七頁) ・ ﹁ 化 巻 ﹂ 一 一 一 経 隠 顕 釈 中 ( 真 里 全 二 ・ 一 五 六 頁 8 行直前に空白一行、真蹟二・五一八頁) ・﹁化巻﹂真門釈直前(真聖全二・一五七頁ロ行直前に改行、真蹟二・五二二頁﹀ -﹁化巻﹂聖道釈直前(真聖全二・一六七頁 5 行直前に改行、真蹟ニ・五五三頁) -﹁化巻﹂外教釈より﹁化巻﹂宋に分冊(真聖全二・一七五頁 1 行目、真蹟二・五八二頁) . ﹁ 化 巻 ﹂ 外 教 釈 中 ﹃日蔵経﹄直前(真聖全二・一七五頁 7 行直前に改行、真蹟二・五八三頁) ﹃日蔵経﹄直前(真聖全二・一七七頁 5 行直前に改行、真蹟二・五八九頁) ﹃日蔵経﹄直前ハ真聖全二・一七八頁 9 行直前に改行、真蹟二・五九二頁﹀ ﹃月蔵経﹄直前(真聖全二・一七九頁 3 行直前に改行、真蹟二・五九四頁) ﹃月蔵経﹄直前(真聖全二・一七九頁 3 行直前に改行、真蹟二・五九六頁﹀ ﹃ 月 蔵 経 ﹄ 直 前 ( 真 聖 全 二 ・ 一 八

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頁江行直前に改行、真蹟二・五九七頁﹀ ﹃月蔵経﹄直前(真聖全二・一八八頁9行直前に改行、真蹟二・六二五頁)

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「真仏土巻」の構造について(武田〉 - 27ー

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﹃月蔵経﹄直前(真聖全二・一八九頁 8 行直前に改行、真蹟二・六二八頁) ﹃弁正論﹄引文(真聖全二・一九三頁 J 改行多数、真蹟二・六回

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頁 J ﹀ -﹁化巻﹂後序直前(真聖全ニ・二

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一 一 良 9 行直前に改行空白一行、真蹟二・六七一一良) な ど で あ る 。 帥中西智海﹃真仏土文類講讃﹄(永田文昌堂、ニ

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五 年 ) 二 二 頁 。 伺﹃如来会﹄では本来﹁不思議光﹂とあるのを、親驚は-﹁不可思議光﹂と了解される。また、和讃左訓(真聖全五・六五頁)に よると、﹁不可思議﹂とは弥勤菩薩のこころも及ばないくらいの不可思議というレベルで、凡夫の思議は遥かに超えている。 M W 仏性については別稿(﹁真宗仏性論の一視点﹂真宗学一一五号、平成十九年﹀にて一考したので、小論では立ち入らない。 帥﹁真宗の正意﹂の語は﹁行巻﹂末にも﹁おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、 諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願﹀なり。これすなはち選択本願の行信なり。そ の機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はずなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不 可思議一実真如海なり。﹃大無量寿経﹄の宗致、他力真宗の正意なり。﹂(真聖全二・四二頁﹀とあるように、﹁真宗の正意﹂と 言われる場合には願海の真仮を示した真実なる行信、ここでは真実報土を意味する。 帥これらの一連の解釈は、﹃観経﹄真身観を問題としたものである、親驚においてはこの真身観の仏とは﹁化身土巻﹂で問題と される仏である。しかしながら、光明の摂益等は親鴛に多大な影響を与えている。とすると、親驚の仏身観が形成される中では この仏と摂益等をどのように判じて見られたかは今一つの問題でもある。 帥藤場俊基﹃親鴛の教行信証を読み解く E 証・真仏土巻﹄︿明石書庖、一九九九年﹀二四五頁。しかし、残念ながら当時の中国 の浄土関連祖師の中では﹃大乗向性経﹄の引用の詳細ははっきり分かっていないと指摘される。(中平了悟﹁一善導の阿弥陀仏身 土論﹂平成十九年度日本印度学仏教学会第回国学術大会﹀ 帥三明智彰﹁誓願酬報︿教行信証﹀︿真仏土巻﹀を中心に﹂(﹃大谷学報﹄二七四(七一一│一一﹀一九九三年) 伺広瀬呆﹃観経四帖疏玄義分﹄(法競館、一九九五年﹀五一一頁。 キ ー ワ ー ド 真仏土巻 報 仏 書誌

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