龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第11号 2001年 3月
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臥坐具健度について
一精舎奉納の因縁請を中心として-博 士 後 期 課 程 一 回 生 岩 田朋子
はじめに し 問 題 の 所 在 11.使用するテキストについて ill. 王舎城の居士の精舎奉納 IV.給孤独の精舎奉納 v.給孤独の精舎奉納に関わった舎利弗 ①「僧残法第六条Jr
僧残法第七条J該当箇所 ②臥坐具礎度における「営事比iI:Jの制定 ③出家者側として初めての造営監督者を舎利弗とした他の記述 VI.結 語はじめに
律蔵は仏教僧伽が成立し、その修行生活の統制を図るために形成されいて た。本稿では、出家者の修行生活の場である臥坐処に関連する「臥坐具健度J を取り上げる。 そして、「臥坐具健度Jに記されている在家信者からの精舎奉納の因縁謂よ り、精舎建立に対する教団の姿勢について考察を加えるものである。 律蔵における健度部の位置 律蔵の組織は、波羅提木文(戒経patimokkha,
pratimok与a-sutra)1・渇磨本 (kammavaca,
karmavacana)・広律・註釈文献で構成される。 広律は、「経分別」と「糖度部」で大半が形成されている20 経分別は、波羅提木文の註釈で、一つの条文が制定される過程を「因縁謂J によって示し、重要語句などの「条文解釈Jをして後に、その条文の「判例適 用Jが述べられている。26 臥坐具地度について-精舎奉納の因縁諦を中心としてー(岩田) ヰ建度部は、褐磨(kamma
,
karman)
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が中核となっていて、僧伽の会議や決議 を説明したものである。これを集めたものが掲磨本である。 つまり、「経分別」は比丘・比丘尼個人を対象にする規定であるが、「縫度部」は 集団でおくる修行生活のための規定及び僧伽の運営を対象にする規定で、ある。 部派分裂の構造に関連する律蔵成立の背景や文献毎の所属部派の問題に関 しては、平川彰氏をはじめ多くの研究成果4が存在する。1
.問題の所在
「臥坐具健度Jの内容は、主に出家者が修行生活を送る場所(それが建築物 であればその施設)について、またその場所で使用する敷具や寝具などを規定 するものである。初めは、出家者が生活する場所を未開発の臥坐処と描写され る処に定めていたえそして遊行生活を送っていた彼らが、定住生活を送るこ とを示唆する記事が後に続く。教団統制を図るに当たって、住に関する条項を ここに記したのであろう。その記述は、一々の事例である因縁語を通して制定 されており、ほぼ次のように整理されうる60 ・「王舎城の居士の精舎奉納j•
r
精舎設備について」 ・「給孤独の精舎奉納J•
r
出家者間の長幼J ・「精舎、臥坐具の配分指定」•
r
営事比E
の役目についてJ•
r
房舎の如法となる施と住J•
r
空屋の管理についてJ ・「執事人の役目について」 上記の内容を含む諸律での該当個所は、記述の順番も異なり、中には欠落し ているものもある。 しかし、仏教教団が発展してし、く過程で、住処の管理運営を巡る問題が生じ ていたことは読みとれる。僧伽に対してviharaの布施を為したのは、王舎城 の居士が最初である。それまでは、人数の多少に関わらず出家者が人工建造物 に住することは許されていなかった。次にピンピサーラ王がviharaを建立し た記述は続くが、この二人の精舎奉納の物語には、ブ、ツダからの精舎建立承諾 記事以外、一切の出家者側の関与を資料より確認することはできない。龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月
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一方、前者の二人に続いて給孤独がv
i
h
a
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a
の布施を為すのであるが、そこ にはブッダからの精舎建立承諾記事以外にも、出家者側の関与を資料より確 認することができるのである。 以上のような在家者によるv
i
h
a
r
a
の建立承諾の記述内容に、二段階の進 展を読みとることができる。施設を建立する際の監督役である「営事比丘(
n
a
v
a
k
a
m
m
i
k
a
)
Jのような役割を、出家者側で設けなければならない必要 があったので、あろう。そして、王舎城の居士、ピンピサーラ王、給孤独からの 精舎奉納の物語を並べ、律蔵編纂者は意として、各項目は段階を踏んで成立さ せたと考えられる。 従来、糖度部自体が大部で項目毎の整理は停滞気味であり、『パーリ律』で いうところの第一犠度や第二十、第二十一鳴度が、「受戒jや「結集Jや「仏 塔信仰j といった教団史上の重要事項を論究する際に引用されることが殆ど である。r
臥坐具健度」に至っては、健度部全体を通して、単独で言及されて いなし、。換言すれば、「臥坐具健度Jを修行生活の発展段階を探る一要素とし て扱い、記述内容を詳細に分析するものは見られないのである70 そこで、王舎城の居士と給孤独を取り上げる。同じ在家信者による精舎奉納 の因縁語でありながら、前者は「出家者の住処に人工建造物が加えられたこ と」、後者は「人工建造物建立の際に出家者も立ち合うこと J というそれぞれ の物語の指し示す意義の違いに焦点を当てる。そこから出家者集団とそれを 取り巻く一般社会との間の交渉を探り、出家者側の臥坐処(住処)規定に関す る姿勢について検討を加える。1
1
.
使用するテキストについて
出家修行者の臥坐処(ここでは房舎或いは精舎)が在家者から僧伽にあてて 布施される場面について記述をまとめることにする。資料列挙の順序は、訳出 年代に沿って8挙げていくことにする。• Hermam O
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PTS. 1
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・『十諦律~ (大正2
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年訳出) . ~四分律~ (大正2
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年訳出) . ~摩詞僧祇律~ (大正2
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年訳出) ・『預沙塞部和睦五分律~ (大正2
2
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"
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年訳出) 以下に検討対象となった「臥坐具健度Jの箇所を挙げておく。28 臥坐具健度について-精舎奉納の因縁謂を中心として一(岩田) • Cullαuα,99αVI
,
Vinαuα Pitαkα,
p
r
voln
,
PTS,
1981,
pp.146 -178. ・『十諦律』巻第三十四・八法中臥具法第七(大正 23,
pp.242a15-251a15. ) ・『四分律』巻第五十・房舎擁度初、巻第五十一・房舎擁度之官余 (大正 22,
pp.936b18-945a19.) ・『摩詞僧祇律』巻第二十三・明雑諦政渠法之ー(大正 22,
p.415a29-c9.) 巻第二十七・明雑諦政渠法之五(大正 22,
pp.443c4-446c3. ) ・『繍沙塞部和醸五分律』巻第二十五・第五分之二臥具法 (大正 22,
pp.166b8-169a23. ) 尚、漢訳の根本説一切有部の律には、他律の「臥坐具健度」に該当するものが 欠落しているため、今回の検討対象としないこととする90m
.
王舎城の居士の精舎奉納
この説話は、仏教僧伽が成立して初めて、在家信者から精舎(人工建築物) を布施することを願い出られる内容が示されている。もともと、仏教僧伽は世 俗の日常的価値観とは異なる律規範に則して修行生活を営んでいたため、ブッ ダは比丘達に対して、未整備・未開発の臥坐処を奨励していた。そのような場 所は、一般人とは離れた場所で、賑やかな街や村から離れた寂しい場所10に 住することを制定していた。そこへ王舎城の居士からの申し出があり、これが きっかけで、それまで人工建造物に住することを許していなかったブッダが、 精舎の建立を許可する箇所である。その後、ブッダ、は居士からの精舎の奉納を 受けて、偶11でもってその行為を称賛している。 以下に、王舎城の居士によって精舎が寄進されるまでの経緯を概観するこ とにする。皿一①
Cullavagga V
I
.
tena kho pana samayena rajagahako se悦hikal部 s'eva uyyana中agamasi.
addasa kho rajagahako setthi te bhikkhu kalass' eva tato-tato upa -nikkhamante aranna "'iriyapathasampanne
,
disvan' assa cittam pぉ:Idi. atha kho rajagahako setthi yena te bhikkhu ten' upasarpkami,
upωarpkamitva te bhikkh百etadavoca: sac' aharp bhante vihare karapeyya vaseyyatha me viharesu 't.ina kho gahapati bhagavantarp p叫ipucchitvamama龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 29
aroceyyatha 'ti. evarp.gahapatlti kho te bhikkhu rajagahakassa se悦hissa pati路utv忌yenabhagav忌ten'upasarp.kamirp.su
,
upasarp.kamitva bhagava瓜arp. abhivadetva ekamantarp.nisldirp.su,
ekamantarp.nisinna kho te bhikkhu bhagava瓜arp.etad avocurp.:rajagahako bhante se持hivih孟rekarapetu -k孟mo,
katharp.nu kho bhante p叫ipajjitabbanti.atha kho bhagava etasmirp.nidane dhammlrp.katharp.katva bhikkhu amantesi: anujanami bhikkhave panca lenani vihararp.a
Q
clhayogarp.pasadarp.hammiyarp.guhan ti./
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1
2
そこで、その時、ラージャグリハの資産家(居士)が早朝に園林に行っ た。ラージャグリハの資産家(居士)は、彼の比丘達が早朝にだけ、 阿蘭若…といったそこそこから出ていって、[四]威儀を具足しているの を見ると、彼の心は浄まった。そこで、ラージャグリハの資産家(居士) は、かの比丘達のところに近づいた。近づくと、かの比丘達にこの様に 言った。「尊者達よ、もし私がヴィハーラを作るならば、あなた方は私の ヴィハーラに住まわれますかJと言うと、[比丘達は]r
資産家(居士) よ、世尊によって、ヴィハーラは許されていなしリと[答えた]
0
[長者 は]r
それでは、尊者達よ、世尊に質問してから、私に返事を下さいます ようにJと。「長者よ、承知したJと言って、かの比丘達はラージャグリ ハの長者に答えると、世尊のいるところへ近づいていった。近づくと、 世尊に礼拝して一方に坐した。一方に坐すと かの比丘達は、世尊にこ の様に言った。「尊者よ、ラージャグリハの長者はヴィハーラを作ろうと 望んでおります。尊者よ 知何になすべきでしょうかJ と。その時世尊 は、この因縁によって、説法をなして、比丘達に告げた。「比丘達よ、私 はpancalel}a 13、ヴィハーラ、アッダヨーガ、パサーダ、ハンミヤ一、 グ、ハーを承諾する J と。 この後、諸々の比丘によって、プ、ッダがヴィハーラの建立を許可したことを 王舎城の居士に伝えられた。atha kho te bhikkhu yena rajagahako se持hiten' upasa中kami早su
,
upa -sarp.l也mitvarajagahakarp.setthirp.etad avocurp.:anunnata kho gaha-pati bagavata vihむa
,
y邸sadani kalarp.mannasIti.atha kho rajagahakose持hiekahen' eva satthirp.vihare patitthapesi.14
そ の 時 、 か の 比 丘 達 は ラ ー ジ ャ グ リ ハ の 資 産 家 ( 居 士 ) の い る そ の処に近づいた。近づいていってラージャグリハの資産家(居士) にこのように言った「資産家よ(居士よ)、世尊はヴィーハーラを
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0
臥坐具惚度についてー精舎奉納の因縁語を中心として一(岩田) 承諾された。それらを布施する時を考えなさしリと。その時ラー ジャグリハの資産家(居士)は、一日だけで60のヴィハーラを建 立した。 以上『パーリ律』においては、王舎城の居士は60のヴィハーラを、たった 一日だけで建立したとされている。建てられたヴィハーラの規模や施設の詳 細は記されていなし、。日数から、簡易的なもので、あったと考えられるが、そう とはいえ、建立は行われたはわけである。しかし、在家信者である居士が全て に渡って取り仕切ったものであり、この作業に教団側は一切関わっていないこ とがわかる。皿一②
w
+
調律』巻第三十四・八法中臥具法第七 爾時駿提居士。早起出王舎城。欲詣竹園種観世尊。時居士見諸比丘従山 巌竹林樹下来間言。大徳。従何慮束。答言。従山巌竹林樹下来。居士言。 何故在此山巌竹林樹下耶。諸比丘言。更無住慮。居士言。我嘗為汝等起 諸房舎。答言。{弗未聴我等房舎中住。諸比丘以是事白悌。{弗言。従今聴 諸比丘房舎中住。時居士即為諸比丘作諸房舎。高広厳好雑色彩画。 15… (後略) (その時、政提居士は、早起して王舎城より出て、竹園を詣でて世尊を礼 観しようとした。その時居士は諸々の比Eが山巌、竹林、樹下より来る のをみて、[その中の一人に]質問した「大徳よ、何処から来られたの ですか」と。[その比Eが]答えて『山巌、竹林、樹下より来たのですJ といった。居士は「なぜこの山巌、竹林、樹下に居られるのですかJと し、ったo 諸々の比丘達は「それはつまり住処がないからですJといった。 居士は「私が汝等のために諸々の房舎を起こします」といった。[比丘達 が]答えて「仏はいまだに我らに房舎の内に住することを許してはおら れません」といった。諸々の比丘達は、このことを仏に申し上げた。悌 は「今より諸比丘が房舎の中に住することを許す」といわれた。それか ら、居士は直ぐに諸々の比丘のために、諸房舎を作って高く広く(広範 囲に)荘厳し好ましい美しい雑色でもって彩画を施した。) 房舎の布施を許可され、建立するところまでは、前述の『パーリ律』と一致 する。しかしこの『十諦律』は、 viharaに相当する漢訳語を房舎としている。龍谷大学{弗教学研究室年報第11号 2001年 3月 31 また、建立された房舎の設備について「高広厳好雑色彩画。Jと描写している ところに差異がみられる。 ここでも、『パーリ律』の記述と同様に、居士が建立する際、教団側が立ち 合っていないようである。 III-③ 『四分律』 巻 第 五 十 ・ 房 舎 鍵 度 初 時諸比丘清旦従香閣堀山来王舎城中。有大長者見己問言。大徳在何慮宿。 答言。在山窟中水漫樹下石漫若草上。長者間言。無房合耶。答言無。若 作房者得不。比E答言。世尊未聴作房舎。諸比丘白悌。悌言。聴作房合。 爾時長者間傍聴諸比E作房舎。即於香闇堀山作六十別房。一切所須皆令 具足請{弗及僧明日食井施房舎。 16…(後略) (その時、諸々の比Eが静かに香闇幅山から王舎城中にやって来た。大長 者がおり、[それを]見おわって質問した「大徳よ、どこに居られるので すか」と。[その大徳]は答えて「山窟中、水辺、樹下、石辺、もしくは 草の上にいるのですjといった。長者が質問して「房舎はないのですかJ と。[その大徳は]答えて「ありません」と。[長者は]Iもし房舎を作ろ うとするならば、それは可能ですか、出来ないことなのですか」といっ た。比Eは答えて「世尊は未だに房舎を作ることを許可されていませんJ と。諸々の比丘達は[このことを]仏に申し上げた。仏は「房舎を作る ことを許可するj と。その時、長者は仏が比丘に房舎を作ることを許可 されたと聞いて、すぐに香閣幅山に於いて、六十の房舎を作ったo [そし て]一切の必要なものを全て準備させて、仏及び僧を明日の食に請うじ て(招待して)、あわせて房舎を施した。) この『四分律』において、房舎の布施を許可され、建立する内容は、『パー リ律~
w
十諦律』と一致する。また『十諦律』と同様に、 viharaに相当する漢 訳語を房舎としている。 ここでも、『パーリ律~w
十諦律』の記述と同様に、居士が建立する際、教団側 が関わった記述はない。3
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臥坐具健度について-精舎奉納の因縁諦を中心としてー(岩田) 皿一④ 『摩詞僧祇律』巻第二十七・明雑諦政渠法之五 『摩詞僧祇律』には、王舎城の居士による精舎奉納に関連する該当個所が存 在しないことことを指摘することにとどめる。 ill-⑤ 『覇沙塞部和醸五分律』第五分之ニ臥具法 彼長者後来イ弗所。造見世尊容顔殊特猶若金山。内懐喜敬前1種{弗足却坐一 面。{弗為説種種妙法乃至苦集壷道。即於座上得法眼滞。見法得果受三騎 五戒。白{弗言。世尊。我欲作房舎施諸比丘。願聴受之。{弗黙然許。彼長 者知{弗聴巳従坐起。前稽{弗足右透三匝而去。即以其日造六十房舎。復作 施房飲食。其家巻属皆共供期。世間珍味無不必備。有破薪者有取水者作 食者掃地者香汁j麗地者敷座者散華者敷高座者。 17 (彼の長者は後に、仏所に来て温かに[見える]世尊の容顔が特別である こと金山の様であることを見て、心の内に喜びと敬礼の気持ちを抱いて、 前に[進んで]仏足を礼拝して、しりぞいて一面に座した。仏は[長者] のために種々の妙法を説いて、乃至、苦集滅道を[説かれ]た。そして、 [長者は]座の上で法眼浄を得て、法を見、果を得て、三蹄五戒を受け て、仏に[次の様に]申し上げた。「世尊よ、私は房舎を作って諸比丘に 施したいのです。願わくば、この[布施]を受けることを聴いてくださ しリと。仏は黙然として[それを]許された。彼の長者は仏が許可され たことを知って、座より起きあがって、前に進んで仏足を礼拝して、三 巡右遺して[その場を]去った。そして、[長者は]その日の内に、六十 の房舎を造[立]した。) W~爾沙塞部和醸五分律』で、のブ、ツダの精舎建立の許可は他の律と異なり、「又 問。我若為大徳作房能受用不。答言。世尊未聴我等受用房舎。又言。大徳。可 以此白イ弗。我亦嘗自白。 18Jというように、比丘を介して長者に言い渡された 描写ではない。ブッダと居士は直接会話をなしている。しかし、房舎の布施を 許可され、建立する内容は、前述の『パーリ律~ w十諦律~w
四分律』の記述と 一致しており、居士が建立する場面時、教団側は立ち合っていない。また『十 諦律~w
四分律』と同様に、 viharaに相当する漢訳語を房舎としていることは、 共通のようである。 以上、「王舎城居士の精舎奉納」因縁語では、検討の対象としたどの律文献(
W
摩詞僧祇律』を除いて)にも共通して言えることは、王舎城の居士がブッ飽谷大学悌教学研究室年報第 11号 2001年 3月 33 ダに精舎の建立を嘆願して、それを許可して直後に一日で60のヴィハーラを 造立していることである。ここで着目すべきことは、教団側の直接的な関与を 一切伺えないことである。 そのことは、王舎城の長者と時を同じくして精舎を建立したとされているピ ンピサーラ王の精舎奉納の記述に於いても同様である190
I
V
.
給孤独の精舎奉納
前章に引き継き、諸律では王舎城の居士の次に、給孤独が精舎を奉納する場 面が説かれている。給孤独より以前に説かれている在家信者の精舎奉納の場 面では、ブ、ッダによる建立許可の直後に精舎を起こす訳であるが、そこには出 家者側の直接関与について何も記されていなし、。しかし、給孤独が精舎を寄進 するまでの過程で、出家者側の直接関与を促す場面が説かれているのである。 この物語は、全ての律文献に存在するわけでない。また給孤独の精舎奉納の物 語の有無は、それは造立する際の監督役である「営事比丘」の存在とも深く関 わっているようである。この点に関しては、次の章で述べることにし、先ず給 孤独がブッダに教化されて、僧伽に精舎を寄進するまでの物語を以下に概観 しておくことにする。 ブッダは王舎城のシータヴ、アナ(寒林)に住していた。その時王舎城の城中 に、或る一人の居士が居た。彼は大変な財力を持ちその財産は量りきれないも ので、あった。彼は知来が世に出現してシータヴ、アナに在ると聞いて、歓喜踊躍 して仏及び僧伽を招待して飯食を布施しようと望んだ。そして彼は家屋の室 内を荘厳して、箸ではいたり水をまいたりして念入りに掃除をして、地面には 香汁をまいて、仏や僧伽を正しく迎えようとした。 そして、舎衛城のアナータピンディカ(以下、給孤独)という名の長者がお り、彼は王舎城の居土とは昔からの親友でもあり妹婿で、あったロちょうどその 給孤独が王舎城の居士の家にやってきた時、王舎城の居士が慌て急いで室内 を荘厳したりしている様子を目にした。給孤独は王舎城の居士に問し、かけた 「なぜ、そのように慌て急いでいるのか。嫁取りか婦やりそれともバラモンを 招いたり王・大臣を招こうとしているのか」と。王舎城の居士は次のように答 える「私は、嫁取りや嫁やり、或いはバラモン・王・大臣を招こうとしている のではない。あなたは耳にしていないのか。スッドーダナ王の子が出家し成仏 して如来となり世間に出現したことを。今、シータヴァナ(寒林)に居られる から、私は室内を荘厳して正しく仏及び僧達を招待しようと思い、このように 慌て急いでいるのだJ と。34 臥坐具F抱度について一精舎奉納の因縁謂を中心として-(岩田) これを聞いた給孤独は心に大いに喜びを覚え、王舎城の居士に問いかけた 「私も仏に礼拝しお会いしたいのだが、仏に見えることができるであろうかj と。王舎城の居士は答えて「あなたも見えることはできる。仏は普くものを 潤し、仏に見えたならば功徳を得るであろう。仏及び僧達を招待するその時を 待ち、時が来たらそれを知らせよう」と。そうして、その夜ブッダは給孤独の 思惟を知って、光を放ち彼を呼び寄せようとする。給孤独は、まだ真夜中であ るのに夜が明けたと思い起きあがって、光の射す方向へと歩き出し城門を出 たところで辺りは暗闇になる。その場には異天神がおり、暗闇で恐怖に立ちつ くしている給孤独に対して、ブッダの所へ赴くことの福徳を備によって示し、 その神通力によって閣の中を寒林で膜想するプッダのところまで足を運ぶ。 彼はそこでブッダより説法を受け、そして精舎を布施することを願い出て、 精舎建立の許可を得る。 とこのように、給孤独は仏と僧伽のために舎衛城に精舎を建立して、奉納す ることをブッダに願い入れ聞き届けられたのである。 続いて以下に、給孤独がブッダからの許可を受けて精舎を建立するまでの 場面を資料を挙げて比較していくことにする。 N一①
CullavaggaV
I
給孤独は王舎城の居士のもとで、自らが主催した施食の席で、ブッダから舎 衛城において比丘僧伽と共に雨安居を行うことの承諾を得た200そして、ブッ ダは給孤独に法話によって教示して、訓戒して、奨励して、喜ばせた。そのO
後、給孤独は舎衛城へと向かったotena kho pana samayena anathapi早clikogahapati bahumito hoti.bahu -sahayo adeyyavaco. atha kho anathaが吋ikogahapati rajagahe tarp.
karaQlyarp.tiretva yena savatthi tena pakkami.atha kho anathapiQcliko gahapati antara magge manusse句apesi: arame ayyo karotha vih孟re patitthapetha danani patthape七ha
,
buddho loke uppanno so ca mayabhagava nimantito imina maggena agacchissatiti.atha kho te manussa anathapi吋ikenagahapatin孟uyyojitaarame akarp.su vihare patitthapesurp. dananipatゆapesurp../ /7/ / 4/ / atha kho anathapiQcliko gahaμ.ti savatthirp.
gantva samanta savat七himanuvilokesi: ka七七hanu kho bhagava vi -hareyya yarp.assa gamato n' eva avidure na accasanne gamanagamana-sampannarp.atthikanarp.-atthikanarp.manussanarp.abhikkamaniyarp.diva
龍谷大学悌教学研究室年報第 11号 2001年 3月 appãki平~arp.rattirp.appasaddarp.appanigghosarp.vijanavatarp.manu田a -rahaseyyakarp.patisallanasaruppan t.i//8//4//21 そこでその時、給孤独長者は[彼の帰りを]歓迎すべき多くの友人、多 くの朋友がいた。そして給孤独長者は王舎城において彼のなすべきこと を遂行させおわって、王舎城のそのところより出発した。給孤独長者は、 道の途中で諸々の人に[次のことを]命じた。「諸々の僧園を[あなた方 は]作りなさい。諸々のヴ、イハーラを[あなた方は]建立しなさい。諸々 の布施を[あなた方は]与えなさい。高貴なブッダが[この]世界(土 地)に現れる。彼の世尊は、私によって招かれ、この道によって来られ るであろう J と。それから、彼の人々は、給孤独長者と共に諸々の僧園 を作って、諸々のヴ‘ィーハーラを建立して、諸々の布施をなした。その 時、給孤独長者は、舎衛城に到着して一切の王舎城[の様子]を観察し た(思い起こした)0
r
実に世尊が住するところを、どこにすべきであろう か。[それは]この村から遠くないところで、余りに近くないところに、 往来の便利なところに、諸々の[もの]を欲求する人々の行き来によっ て日中に混雑しない[ところに]、夜には音のない[ところ]声のない [ところ]、人のいない[ところ]人が静寂である[ところ]、独居に相 応しい[ところ]であるJと。 35 この後、給孤独は僧園を作る場所には、ジェータ王子の庭園が相応しいとし て王子の元へ赴く。給孤独はこの場所を僧園として王子と共に布施することは できるのであるが、この場面では、教団側から比丘を派遣されたという記述は 見られない。N
一②w
+
調律』巻第三十四・八法中臥具法第七 給孤独はブッダに夏安居の請を受けるように申し出るが、 働問須達。舎衛園有僧坊不。答言。未有世尊。悌言。若有僧坊住慮。諸 比丘可得来往。若無有者。諸比丘不得往来止頓。又言。願世尊但受我誇。 我能為構僧坊。令諸比丘得来往止頓。願世尊遣舎利弗。為我作僧坊師。 イ弗勅舎利弗。汝輿居士作僧坊師。是居士即往詣竹園。看講堂温室食堂作 食慮洗浴慮門屋坐鵡慮廟慮。取相貌巳。 22…(後略) (仏は須達に問われた。「舎衛国に僧坊はあるのですかjと。須達は答えて 「世尊よ、未だに僧坊はありませんJと。仏は「もしも僧坊や住処がある3
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臥坐具慢度についてー精舎奉納の因縁謂を中心として一(岩田) ならば、諸々の比丘は往来することができます。もしなければ、諸々比 丘は往来したりそこに止まることはできませんJ と。また須達は「願は くば、世尊よただ私の請を受けて下さい。私は充分な僧坊を作り、諸々 比丘が往来しそこに止まることができるように致します。願くば世尊よ 舎利弗を遣わして私のために僧坊師として下さいJといった。仏は舎利 弗に勅されて「汝を給孤独居士のために僧坊師とするJと。) ここでは、「夏安居するためには僧坊が必要だJとブッダが直接、僧坊の建 立を促しているように読みとれる。また、給孤独の方から「僧坊師の役目には 舎利弗を就けるようにJと要求している。そしてこの後、ジェータ王子との園 を巡っての交渉話があり結局、王子はこの土地に門屋を起立して仏衆僧に布 施する。そうして、舎利弗を監督とし建築物を建てる記述が続く。 爾時居士以舎利弗為師。於此闘中起十六大重閣作六十窟屋。 23…(後略) (そうして、給孤独居士は舎利弗を以て師として、この園において十六の 大重閣を起立して六十の窟屋を作った。) このように、給孤独は合利弗を監督として、僧坊を建立する。この時に建て られた施設を具体的に「十六の大重関、六十の窟屋Jと記述している。 IV-③ 『四分律』 巻第五十・房舎鍵度初 「唯願世尊ロ輿衆僧倶受我夏安居九十日請。Jとここでも給孤独は9
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日間 の夏安居を願い出ており、来年は知何か、と尋ねるが、ブッダはピンピサーラ 王の請を受ける予定になっていることを告げる。そして、その次の年に舎衛城 での夏安居を納受することを申し出た時、「悌報言。若有如是慮。清浄無有憤│謂 無諸悪獣。絶於人林可得坐調。女日来嘗於如是慮住。即白悌言。世尊。我巳知之。自首 知時。唯願世尊。輿衆僧受我明日請食。時世尊黙然受請。 24Jと給孤独はブッダと 約束を取り付けて、食事の招待が終わり直ぐに王舎城から合衛城に還っていっ たのである。 時給孤濁食。従王舎城還錦舎衛園。彼至村落城邑。慮慮宣令作知是言。 可於空慮種植園果井設池井及安橋船。悌己出世今受我請。於舎衛園夏安 居。嘗従此道至舎衛園。令汝等得福無量。至舎衛園巳。作知是念。今此 何慮。有不近不遠行来遊観。其地平博董無憤隅夜無音聾。無有蚊虻蝿蜂 毒蟹之属。我嘗買之為{弗故立僧伽藍。 25…(後略)龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 (その時、給孤独食は舎衛国に還っていった。彼は[道中の]村落や城邑 で、その所々で次のようなことを宣伝し、話をして令じては廻った。「空 き地には種々の園果を植えて、また池・井戸を設けて、また橋や船での 行き来をしやすくするべきである。仏はもうすでに世に出現された。今 度、私の招待を受けて下さり、舎衛国で夏安居をされる。そこでちょうど [仏は]この道を通って、合衛国に向かわれるであろう。あなた方は、[仏 より]無量の福徳を得られるであろう」と。[そうして給孤独食は]舎衛 国に到着した。[そして]このようにな考えていた九、まこの場所(国) で、近くもなく遠くもなく、行き来することが楽しく、その土地は平遠 で博く通じていて、昼中人々が訪れるのに便利であって、夜は音や声が なく、蚊や虻や蝿や蜂や毒撃の類がいない処[はどこであろうか]。私は そのような処を買って、仏のために僧伽藍を立てるのであるから」と。) この後、給孤独は合衛城中を探し回った結果、条件にあう土地は、 37 ジェータ王子が所有している園であると知ったo彼は王子に園の買い取りを 願い出た。そして二年後の夏安居で舎衛城に訪れた際に、給孤独とジェータ王 子から四方僧伽に祇湿園として奉上される。 さてここで注意すべき点は、精舎建立にあたって出家者側から一人の比丘 も派遣されていないことである。ブッダが示した条件をもって、在家信者であ る給孤独自身が土地の選定を行っているのである。他の漢訳では、舎利弗は給 孤独と共に舎衛城に赴いて精舎を完成させる問、 ブッダ達とは別行動をとっているように扱われている。 しかし、この『四分律』房舎擁度に於いては、建築完了までに二年を費やし ているようであるが、『パーリ律』同様、出家者が精舎建立に関わった様子は 読みとれないのである。 IV-④ 『摩詞僧祇律』巻第二十七・明雑語放渠法之五 爾時阿那分
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抵聞此偶己。倍生敬信。尋詣悌所。頭面種足。却住一面。悌 為説法。示教利喜。白悌言。世尊。我欲還合衛城起立精舎。請イ弗及僧。 唯願世尊哀受我請。復願世尊遺ー比丘鑑理慮分。如比羅経中贋説。乃至 悌告舎利弗目連。汝等往彼観地形勢。随僧住便料理慮分。安置房舎。舎 利弗目連受教。即往至彼。時居士郎地以十八億金買地。十八億金作僧房 含。十八億金供養衆僧。合五十四億金。 2638 臥坐具健度についてー精舎奉納の因縁語を中心として-(岩田) (その時、阿那部地はこの偶を聞き己わって、ますます敬信[の心]を生 じて、まもなく仏のところに詣でて頭面礼足してしりぞいて一面に坐し た。仏は[阿那部地]のために法を説いて、教え、励まして、楽しませ、 喜ばせた。[阿那部地は]仏に申し上げた。「世尊よ、私は舎衛城に戻っ て精舎を起立して、仏及び僧を招待したいのです。ただ願わくば、世尊 よ哀んで私の請を受けて下さい。また願わくば世尊よ、一人の比Eを派 遣して鑑理処分をさせて下さしリと。毘羅経27の中に広く説かれるよう に、仏は舎利弗と目連に告げられた「汝等はそこに赴いて地の形勢を観 察して、僧住に随って、そして料理処分して房舎を安置しなさいJと。 舎利弗と目連は[仏のこの言葉を受けて]教えを受けて、行って[舎衛 城に]至った280 その時居士の部地[阿那部地]は十八億金でもって土 地を買い入れ、十八億金で僧房舎を作り、十八億金で衆僧[僧伽]を供 養した。これを合わせると五十四億金となった。) この場面では、精舎建立にあたり、給孤独からブッダに直接「現場監督役の 比丘を派遣してほししリと願い出ている。これを受けてブッダは、舎利弗と目 連の二人を任命しているが、この記述は『摩詞僧祇律』のみである。後述する が、給孤独の精舎建立について同様の記述がある他の漢訳の律では、合利弗 一人だけを派遣している。よって、この『摩詞僧祇律』に於いて、どのような 理由で、二人の比丘を派遣したという記述になったかは、今のところ不明で ある。 しかし、この箇所に在家信者からの寄進による精舎(建築物)の建立につい ては、監督役を置かなければならないとした意図が読みとれる。
IV-
⑤ 『禰沙塞部和醸五分律』第五分之ニ臥具法 白{弗言。世尊。願悌及僧受我舎衛城夏安居。如是三請。イ弗皆黙然。至第 四請乃告之言。若住慮無有憤閑寂実無撃。諸悌乃嘗於中安居。長者白{弗。 己解世尊。願差ー比丘為経営之。悌問言。汝今集誰。答言。欲得舎利弗。 悌即語舎利弗。汝便可往為経管之。舎利弗受教而去。 29 ( [須達多長者は]仏に次のように申し上げた。「世尊よ、願わくば仏及び 僧は、私の舎衛城での夏安居を受けて下さいj と。このように三度、請 うじても仏は黙然とされていた。四度目になって次のように告げた。「も し[その]住処が、心が乱れることなく寂実として(ひっそりと静かで) 声(騒音)がないところであるとするならば、諸々の仏はまさにそのよう龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 なところで安居をすべきである」と。長者は仏に次のように申し上げた。 「世尊よ、[そのことは]すで、に解っております。願わくば一人の比丘を つかわして、[その住処(精舎)の]経営を[彼に]させてくださしリと。 仏は[長者に]質問した。「汝は、今誰を楽しんでいる(好んで願って) ので、すかJと。[長者は]次の様に答えた。「舎利弗を[派遣して]欲し いのですjと。仏はすぐに舎利弗に[このことを]話された。『汝は[長 者と一緒に舎衛城へ]行ってそして[その住処(精舎)の]経営をしなさ しリと。舎利弗は[仏の]教えを受けて[その場を]去っていった。) 39 そうして、上述の会話の次の日の朝に、給孤独がブッダと比丘達を食事に 招待した。後に、「白悌言。世尊口我以此園房舎施四方僧。J30と、給孤独が園 に建立した房舎を四方僧に布施するとある 続いてブッダは、給孤独の布施 を賞賛し、備を唱えて説法して元の住処に戻っていった口それから、給孤独は 精舎建立に適切な場所を探すために、合利弗と共に舎衛城に還ってし、く。給孤 独は、ブ、ツダや比丘達が住すべき場所の条件に「童子祇林Jが相応しし、31とし て、そこを手に入れようとジェータ王子との交渉に入札結果その園を祇園精 舎と名付けてジェータ王子と二人で布施することとなる320 舎利弗然後以縄量度。作緩行慮講堂温室食蔚浴屋及諸房舎。皆使得宜330 (舎利弗は、このような[出来事の]後に縄を用いて度量して、経行処や 講堂や温室や食厨[厨房]や浴室及び諸々の房舎を作って、全て[の作 業を]正しく終えた。) ここには、他の律にはない「合利弗然後以縄量度。Jという一文もあり、計 測方法の詳細は不明であるが、調.IJ量道具に縄を使っていたことや、具体的な設 備をも挙げられている。 以上、前述した
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での王舎城の居士が精舎を布施した経過と、このIV.で 給孤独が精舎を布施した経過を比較してみると、「精舎造立に比Eが関わって し、る」という点で、大きく異なっていることを示した。そしてその内容におい て、『パーリ律』と『四分律』は、他律との違いがあることになる。漢訳の中 で、も精舎造立事業について「営事比丘J制定の記述以前の段階で、出家者の関 与を記していない『四分律』と、出家者の関与を記している『十諦律~ ~摩詞 僧祇律~ ~禰沙塞部和醸五分律』の間で、「監督役として派遣された舎利弗の 存在」に着目する。4
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臥坐具健度について-精舎奉納の因縁諦を中心として一(岩田)V.
給孤独の精舎奉納に関わった舎利弗
ここまで挙げた資料で見たように、『パーリ律』と『四分律』では精舎奉納 時に出家者が関わったという記述はないが、他の漢訳諸律には給孤独の精舎 奉納時に舎利弗が直接関わった記事が記されている240条項の順番やその内容 に多少の差異はみられるものの各律それぞれがこの因縁語の後に「営事比丘」 の制定をする条項がみられるロ そこで、精舎奉納に直接比丘が関わり、この場面になぜ舎利弗を登場させ ているのか、着目してみたい。 まず、「臥坐具健度Jの他に、造立時に出家 者が監督の任を負わなければならないとした規定を、「僧残法第六条Ji僧残 法第七条J35該当個所より検討する。次に、「臥坐具犠度」における営事比 丘 (navakarmika;navakammika) の制定について、各律の該当個所をみてい く。最後に、出家者側として初の造営監督者を舎利弗とした他の記述を挙げて し、く。 ①『僧残法第六条Jr
僧残法第七条J該当個所 この二つの条項の内容は、比丘が精舎を作ることを希望する際の資金提供 や土地選定などに関するものである。もちろんこれは「戒条」であるため、健 度部のように僧伽全体を対象としているのではなく、比丘個人個人に説かれた 規定であるため、この場合精舎を使用するのは個人となる白 「僧残法第六条Jでは、比丘達がそれぞれに精舎建立を希望するが、施主が 存在しない場合の行動規定であるロこの条項に対する経分別に説かれる因縁 請では、比丘達は施主がいないために資金や資材、実際に建築作業を行う人材 を在家者に要求する。それが原因で在家信者との聞に以下のようなトラブル を引き起こすのである。 36 むenasama加 m b加ud“
dh恥ob凶ha姥ga釘;var丙刈員司j,a姥ga油,hevi出ha訂,r抗a,tiv刊'eJva,紅弘neni討vap仰e. tena kho pana samayena alavaka bhikkh百sarp.yacikayokuti karapeti assamikayo attuddesikayo appamanikayo
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tayo na nitthanarp.gacchanti. te yacanabahula vinnatthibahula vihara瓜i: purisarp.d争
tha purisatthaぬrarp.detha go明 de七hasakatarp.de七havasirp.detha pharasurp.detha kutharIIp detha kuddalarp.detha ni nikhadana中 detha
vallim detha veJyrp.detha munjarp.de七hababbajarp.detha ti平arp.detha mattikarp.detha 'ti.manussa upadduta yacanaya upadduta vinnattiya
龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 bhikkhu disva ubbi.ijanti pi uttぉantipi pa施ya瓜ipi annena pi gac -chanti annena pi mukhaJ1lkaronti dvaraJ1lpi thakenti, g,孟vipi disva palayanti bhikkhu 'ti mannamana.37 その時、仏世尊は、ラージャグリハにあるヴェールヴァナカランダカニ ヴァーパに住しておられた。そこでその時、アーラヴィー[にいた]諸々 の比丘は共に求めて、無主であり自ら関係して限度なく、諸々の房(小 屋)を作らせて、そのことは終わる[ことが]なかったo 彼らは、[次の ように]多く乞求して多く表示して住していた。「人を与えなさい、工人 を与えなさい、雄牛与えなさい、荷車を与えなさい、小斧を与えなさい、 手斧を与えなさい、斧を与えなさい、鋤を与えなさい、のみを与えなさ い、蔓草を与えなさい、竹を与えなさい、ムンヂャ草を与えなさい、パ パッヂャ草を与えなさい、草を与えなさい、土を与えなさしリといって。 人々は、[このような]乞求に悩まされ、[このように]示される[こと に]悩まされ、比E達を見て、湧き出し、或いは恐れ、或いは他の処へ 行き、或いは[比丘達から]目を背け、或いは門を閉じて、雌牛を見て 比丘[である]と思って[他の処へ]行った。 41 次に「僧残法第七条Jでは、前記の第六条とは施主が存在するという点が異 なる。精舎を建立する際に、在家者が施主として資金・資材を提供するのであ る。布施を受けるのだから、比丘達は直接資材調達など行わなくてもよいので あるが、土地選定について、価値観や習慣の異なる在家者との問で次のような 問題が起こる。 38
tena samayena buddho bhagava kosambiyaJ1lviharati ghositarame. tena kho pana samayena ayasmato channassa upatthako gahapati ayasmantarp channarp etad avoca: vih孟ravatthurpbhante janahi
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ayyassa vihararp karapessamTti. atha kho ayasma channo v出aravatthurpsodhento anna-tararp cetiyarukkharp chedapesi gamapujitarp nigamapujitarp nagara -pujitarp janapadapujitarp ratthapujitarp. manussa ujjhayan七ikhTyanti vipacenti: katharp hi nama sama早忌sakyaputtiyacetiyarukkharp cheda -pessanti gamapujitarp
…
raHhapujita早・ ekindriyarp sama早asakya -puttiya jlvarp viheもhentIti.39 その時、仏世尊は、コーサンピーにあるゴーシターラーマーに住してお られた。そこでその時、尊者チャンナの奉仕者である居士が、尊者チャ ンナに次のように告げた。「尊者よ、ヴィーハーラの土地を[私に]知ら しめて下さい。聖[なるもの]のためにヴィーパーラを[私に]作らせ4
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臥坐具舵度について一精舎奉納の因縁需を中心としてー(岩田) て下さしリといって。そこで、尊者チャンナはヴィーハーラ[を建てる ため]の土地を査察した。[そして彼は]村[の人]が供養していた、町 [の人]が供養していた、都市[の人]が供養していた、地方[の人]が 供養していた、国[の人]が供養していた、或る神樹を切断してしまっ た。人々は議責して、不機嫌となり、誹った。「一体どういうわけで、諸々 の仏弟子の沙門達は、村[の人]が供養していた、[町[の人]が供養し ていた、都市[の人]が供養していた、地方[の人]が供養していた、] 国[の人]が供養していた、或る神樹を切断させてしまうのか。諸々の 仏弟子の沙門達は、ー根の生命をも害してしまうのかjといって。 以上のように、精舎建立がもとで在家者との聞に起こった問題を解決する ために、教団側は「僧残法第六条」と「僧残法第七条」それぞれ次のような戒 の制定をしたのである。 Sα,
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bhikkhu va anabhineyya vatthudesanaya,
pam勾a早 va atikkameyya,
sanghadiseso.40 もし、比丘が無主であって 自ら関係して 房(小屋)を作ろうとする 時には、[次のような]量のように作るべきである。ここにその量[とい うものを示すと ]r
長さは仏・手の12手尺、内は[仏・手を]横に 7 [手尺である]。諸々の比Eを指示する土地に案内すべきである。これら の諸々の比Eによって、あくせくしない、接近できる(無難処・有行処) [その]土地を見られるべきである。苦労ある、また歩き回ることのでき ない土地において、もし比丘が房(小屋)を作るならば、或いは諸々の 比丘を案内しないで土地を見せず、或いは量を過ぎて作ろうとするなら ば、僧残であるJ[といって]。 Sα,
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mahallaka:rppana bhikkhun瓦vihara:rpkarayamanena sassamika:rpattudesa:rp bhikkhu abhinetabba vat七hudesanaya.tehi bhikkhuhi vatthu:rpdesetabba:rp龍谷大学傍教学研究室年報第11号2001年3月
an忌rambharpsaparikkamanarp. sarambhe ce bhikkhu vatthusmirp a
-parikkamane mahallakarp viharal!lkareyya bhikkhu va anabhineyya vatthudesanaya
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sarpghadiseso 'ti.41 もし比丘が、有主であって自ら関係して大精舎を作ろうとする時には、 諸々の比丘を指示する土地に案内すべきである。これらの諸々の比正に よって、あくせくしない、接近できる(無難処・有行処) [その]土地は 見られるべきである。苦労あるまた、歩き回ることのできない土地にお いて、もし比丘が房(小屋)を作るならば、或いは諸々の比丘を案内し ないで土地を見せず作ろうとするならば、僧残であるJ[といって]。 43 この「僧残法六条Jr
僧残法七条Jに関しては、 漢訳『十諦比丘波羅提木 文戒本~ 42 W 四分僧戒本~ 43 W摩詞僧祇律大比丘戒本~ 44 W弥沙塞五分戒 本~ 45においても、同内容の「戒条Jがみられる。 それらの条項の内容をまとめると、比丘個人が望んだ場合で施主がし、ない 時は、建物の規模が「長十二悌疎手。内虞七礁手口j建造予定地が「無難処・ 非妨処Jでなければならないこと。その土地を、他の比丘に示した上で場所の 承認を得なければならないことが定められている。 また、施主がいる場合は、在家者からの布施であるため建物の規模には制限 はない。しかし、建造予定地が「無難処・非妨処jでなければならないこと。 そのことを、他の比丘に示した上で場所の承認を得なければならないことが 定められている。これらの規定は、多少の差異はあるが諸律とも内容は共通し ている。 46 この点で、N
で挙げた給孤独の精舎建立の物語と一致する。精舎を作る場所 に他の比丘を案内して審査を受けなければならないような状況で、あったこと を裏付ける内容である。 ②臥坐具健度における『営事比.fI.Jの制定 最初期に見られた遊行生活から集団の定住生活に移行し、教団の規模も拡 大していく中で、様々に定められた精舎に関する条項の内容を踏まえた上で の建造作業を行う必要性を次の資料から読みとれる。 Cullαuα,ggαVI.atha kho annatarassa daliddassa tunnavay出saetad ahosi: na kho
idarp orakarp bhavissati yatha yime manussa sakkaccarp navakammarp karoti. yan nunaham pi navakammal!lkareyyan ti. atha kho so daliddo
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臥坐具舵度についてー精舎奉納の因縁語を中心として一(岩田)tunnavayo samarp cikkhallarp madditva itthakayo cinitva kuclcle utthapesi. tena akusalakena cita vaIika bhitti paripati. clu七iyampi kho
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paripati.atha kho so daliddo tunnavayo ujjhayati khlyati vipaceti: ye ime sama頃narp sakyaputtiyanarp denticIvarapi吋apatasen忌sanagilanapaccayabhesajja
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kha早claphullarppatisarpkharissati.47 その時、ある貧しい裁縫師がいて、[次のように]思った。「このような ことは、尋常なことではない。かの人々は恭敬して営事をなしている。 私も営事をなすべきであるjと。そうして、かの貧しい裁縫師は自ら泥 土を裡ねて、レンガを積み上げて、塀をつくった。彼は巧みではなかっ たため、歪んで積まれた壁は[崩れ]落ちた。 2回目も…、 3回目もそ の裁縫師は自ら泥土を…[崩れ]落ちた。 その時、かの貧しい裁縫師は、議責して、不機嫌となり、誹った。「これ ら仏弟子の沙問達に衣、食物、病人の資具である薬を施すもの、そうい うもののために教戒し、訓戒して営事を執事する。けれども私は貧しい。 誰も私を教戒し、司Ii戒して営事を執事するもの[そういうものは]いな しリといって。比丘達は、かの貧しい裁縫師が、議責して、不機嫌とな り、誹っていることを聞いた。その時比丘達は、世尊にこのことを告げ た。その時、世尊はこの因縁によって、説法をなして比丘達に告げた。 「比丘達よ、私は営事を与えることを承諾する。比丘達よ、営事監督者で ある比丘は、熱心に達成して、実にいかなる精舎で、あっても、迅速に完 成に導かせ、破損[しているところ]を修理すべきであるJ[と。] ここでは、裁縫師が貧しいために、建築資材や工人など精舎建立に必要なも のを揃えられず、自分で作業を進めるが技術がないために3度も失敗してしま う。そして裁縫師が「精舎だけでなく、衣服や食事などをも充分に用意できる 在家信者のもとで、は営事を司っているけれども、自分のところへは誰一人の比 丘もやって来て指示することはないJと教団を批判する場面が記されている。能谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月
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『パーリ律』では、前章で見たように、給孤独の精舎建立には教団から誰も派 遣されていない。つまり、この箇所でもって初めて「営事比丘Jの制定がなさ れている。 漢訳では、『パーリ律』で語られる様な貧しい裁縫師の因縁語は見られず、 営事比丘の任命方法や具体的な活動・従事する仕事についての記述がある。 しかし、その内容に異なる点も見受けられる。『十諦律~ 48では、僧坊を修 繕する者に死者や病人、戒を犯した者、他国へ去った者が出たために、国中の 僧坊が崩壊したという記事がある。そこで病気治癒が望めない場合や帰還が 不可能な場合は、他の比丘を立てることを示している。また、次のような事 項もある。営事比l
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こ相当するものを知事人・知房舎人とし、掲磨をして定 めること。修繕に掛ける年月を6年、新しい房舎を建立するのに 12年とし、 それ以外は状況に応じて決定することを規定している。 『四分律~ 49では、営事比丘がーヶ所で費やす歳月を大規模の重閣楼建立に 際して 12年、その修繕は 6年以内としており、その他は規模に従って行うべ きとする。精舎の寄進を受けるのは夏安居の時のみで、常時受けてはいけな い。また、営事比丘自身が、夏安居する場所以外での精舎建立に関わることは 認められない。営事比丘の任命に関しては、その役に就いている者に死者等が 出た場合は、各現前僧伽に依ることなどが示されている。 『摩詞僧祇律~ 50では、ある営事比丘が寒暑を避けずに苦労して房舎をなし たのに、上座比丘がそれを取り上げてしまった。この因縁請によって、営事比 丘のみ5年間は一つの処で、住することを認められる。建立や修繕に関する記 述は、この箇所には見られない。 『禰沙塞部和醸五分律~ 51では、営事比丘が一ヶ所で、費やす歳月をその規模 に依るけれども、最長 12 年としており、『十諦律~w
四分律』と類似している 点がある。 とくに『十諦律~ w摩詞僧祇律~w
嫡沙塞部和酪五分律』の場合は営事比丘の 制定は特記されていないD そのことは、給孤独の精舎建立の場面で、もって既に 示されてしていると見なし得る。 つまり、営事比丘の主たる活動である精舎建立の監督役には既に舎利弗(
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摩 詞僧祇律』では合利弗と目連になっている)が任命され派遣されているため、 改めて「営事比丘」の制定条項は述べられていないのだと考えられる。 ③ 出 家 者 側 と し て 初 め の 造 営 監 督 者 を 舎 利 弗 と し た 他 の 記 述 「臥坐具鍵度Jにあたる箇所は欠落しているが、根本説一切有部の律「破僧 事Jにおいて、N
でみた給孤独の精舎奉納因縁語と同様の記述を見ることがで46 臥坐具健度についてー精舎奉納の因縁語を中心として-(岩田) きる。 『根本説一切有部毘奈耶』破僧事巻第八 唯願世尊。市受我請詣室羅筏城。受我供養。乃至壷形。及答甥イ曽伽四事 供養。{弗告長者目。室羅筏城中有寺以不。長者答目。彼城無寺。世尊告 目。彼若有寺。僧伽磨、来往。彼既無寺。若為安置。長者答日。唯願世尊 市受我請向室羅筏城。我嘗造寺令
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観衆往来安置止息、思惟。世尊黙然受 請。是時長者知イ弗許巳。即従座起頂躍{弗足御還本慮。彼時長者。王舎城 中事既了巳。還至イ弗所頂l種{弗足御坐一面O 市白悌言。唯願世尊。遣-o
甥輿我為伴。往室羅筏造立住慮。安置世尊及忍甥僧衆。{弗作是念。芯観 衆中誰能調伏室羅筏城人及長者巻属。世尊知舎利弗堪彼調伏世尊念己。 告具書舎利弗言。汝謄観察給孤濁長者審属及室羅筏城人。磨、往教化造立 毘詞羅。舎利弗黙然受{弗救巳。頂鵡{弗足輿長者同行。 52…(後略) viharaに相当する語を寺と漢訳していることを除いて、給孤独が室経筏城 で僧伽を供養したいと願い出て、世尊によって、直接寺を造るように促されて いるところまでは、『十諦律』の記述と類似している。 そして、給孤独は建立の許可をされて、一旦その場を離れるのだが、再び 世尊のところへ赴いて、一人の比丘を派遣するように願い出ている。世尊は、 比丘の中で室羅筏城の人々や給孤独やその巻属をよく調伏しているのは誰か と思いを巡らして、それは舎利弗であると知って、舎利弗に給孤独と同行する ように命じる。このように、舎利弗が造寺の監督に選ばれた理由として、彼ら の個人的な間柄を挙げている。 次に歴史資料でもある、玄奨の『大唐西域記~ (AD.602-664)には、実際に この「祇樹給孤独園Jを訪れた様子が記述されている口 彼が室羅伐悉底国を訪れた当時は、建物は倒壊して都城は荒廃してはいる ものの住民はそこで農耕を営んで暮らしていた。そして、伽藍は数百在るが、 倒壊したものが殆どで僧の数は少なく、外道の勢力が盛んで、あったことを記し ている。続いて、そこに残存しているいくつかの伽藍について、説話を盛り込 みながら概観を述べている場面で、次のように記している。 善施長者仁市聡敏積而能散。握乏済貧哀孤1
血老。時美其徳号給孤独鷲。 聞仏功徳深生尊敬。願建精舎仏降臨。世尊命舎利子随贈撲駕。唯太子逝 多園地爽壇。 53…(後略) (善施長者は情け深く聡明な人物で、あって財産を蓄えていたがよく散らし もしていた。それで貧困な人々を救済して、孤独な老人をも哀れんだ。 その時は彼のその徳を讃美して給孤独と呼んでいた。[彼は]仏の功徳を龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 聞いて、深く尊敬[の念]を生じて 精舎を建立し、仏の降臨を願った。 世尊は舎利子に命じて[長者と]ともに測量させた。[そして]ただ太子 の逝多が[もつ]園地のみが[仏や比丘達の精舎として]相応しい[場 所]であるとわかったので、ある。 )54
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その後は諸律にもあるように、給孤独と祇陀太子の交渉があり、また他の旧 跡の描写が続く。その中に、祇園精舎が完成するまでの経緯を示し、かつそれ に舎利弗が関わったとする記事をみることができる。 影覆精舎東三四里有~堵波。是尊者舎利子輿外道論議処。初善施長者買 逝多太子園。欲為如来建立精舎。時尊者舎利子随長者而瞬撲。外道六師 求角神力。舎利子随事矯化応物降伏。 55…(後略) (影覆精舎の東、三・四里に京堵波がある。[そこは]尊者舎利子が外道 と論議された処である。初め善施長者が逝多太子の園を買って、如来の ために精舎を建立しようとした[場所である]。そこで、尊者舎利子が長 者に随って[その土地を]測量された。外道の六師は神通力を比較する ように求めた。舎利子は[論議の相手である外道の六師の唱える]事柄 について教化して、物に応じて降伏させたのである。 56) 以上、『大唐西域記』では、諸律文献では記述されていなかった「舎利弗と 六師外道との魔術的な力較べJを表記する一節がみられる。ここでは力較べの 内容については、詳しく語られていないが57、給孤独の精舎建立の際に外道か らの妨害にあったが、舎利弗によって解決され無事に精舎を建立したという様 子が伺える。V
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結語
以上、ここまで「臥坐具健度jにおける王舎城の居士と給孤独、二人の在家 信者の精舎奉納の因縁請に焦点を当て、そこから見いだせる教団側の住処規 定に関する姿勢について検討を加えてきた。 結果、田では王舎城の居士が精舎を建立した際に、ブッダから許可を受けた 次の日には60のヴイハーラを造立していた。 Nでは二つの記載があり、一つ は、給孤独が精舎奉納を嘆願した時、自ら建築候補地を探した場合と、もう一 方は比丘を建築監督・管理運営役として立てて、同行させることを要求した場4
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臥坐具!駐度について-精舎奉納の因縁謂を中心として-(岩田) 合で、あったo そして、その記述があるものは『十諭律~ w摩詞僧祇律~w
繍沙塞 部和酪五分律』のみで、あった。 したがって、二人の在家信者の精舎奉納について、比丘を派遣しているかい ないかの点で大きく違うことがわかったo そして、閉じ二人の在家信者による 精舎奉納の因縁語でありながら、前者は「出家者の住処に人工建造物が加えら れたことJ、後者は進んで、「人工建造物建立の際に出家者も立ち合うこと」を 描写している。それぞれの物語が持つ意義には相違点が見られ、そこには一般 社会と関わり、発展していく出家者の修行生活環境を伺い知ることができる。 Vに於いて、①では「僧残法第六条J["僧残法第七条Jについて、②では臥 坐具礎度における「営事比丘」の制定について、③では出家者側として初めて 造営の監督者を舎利弗とした他の記述について、それぞれ「臥坐具健度Jの他 に、各律の出家者の臥坐処に関係する規定を検討した。ここからは、施主の有 無に関わらず比丘個人が使用する目的の精舎で、あっても、他の比丘が建立予定 地や資材などを検査しなければならないこと。そのために、予定地へ案内しな ければならないことを定めている。この点については、給孤独が精舎を建立す る時に、監督・管理運営役として舎利弗が派遣されたこととも一致しており、 他の比丘の審査を受けなければならないことと矛盾はない。 『十諦律』に於いては、給孤独の方から監督に舎利弗を指名している。『摩 詞僧祇律』では、比丘の派遣を要求しているが、ブ、ッダの方から舎利弗と目連 を指名している。『繍沙塞部和醗五分律』では、比丘の派遣を要求し、それか らブ、ッダより希望の比丘の名を聞かれて、給孤独は舎利弗を指名している。こ のような物語の経過に若干の違いは見られるが、『十諦律~ w摩詞僧祇律~w
禰 沙塞部和醸五分律』に於いて給孤独の精舎奉納因縁諌の中に、比丘(特に舎利 弗)を精舎建立の監督として登場させたことは、初めての造立監督役を存在 させるという必要性からと考えられる。後記される「営事比丘Jの制定に伴っ て、その前段階として位置づけられたと見なしうる。 さらに、「営事比丘」の先駆け的役割として、舎利弗を起用したのかという 疑問が残るが、阿含・ニカーヤにおいても同内容の因縁諌が語られている箇所 を対照することも必要である。 今回の検討のみならず、仏教教団内での舎利弗の位置づけと外道教団から認 識されていた彼の位置づけについて、言及することが今後の課題となる。簡谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 < 略 号 > Sn:Suttαnipat仏 PTS. Dhp: Dhαmmαpαdα
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PTS. Therag:Thenαgatha,
PTS. Vinaya:The VinαuαPitαkα'T[t, 5vols,
PTS. 註4
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1.波羅提木文とは、比丘・比丘尼が個人で遵守すべき規定が記されている。出家比丘・比E 尼以外に耳にすることは、禁じられていた。 2.他に附随(parivara)があるが、これは経分別と健度部の補足説明を為すものとされている。 3.掲磨とは、僧伽の会議や決議を説明したものである。 4.平川彰『律蔵の研究』山喜房仏書林1960,W
二百五十戒の研究.!I,W
比丘尼律の研究』春秋 社1993;佐藤密雄『原始仏教教団の研究.!I1963;佐々木閑uposathaとpatimokkhudd田a仏教史学研究3仏1,pp.1-22.,部派分裂図の表記方法印度学仏教学研究47-1.pp.377・385., 『出家とは何か.!Ipp.246・248注記7,9,11. 最近、山極伸之氏が律蔵の構造に関して、「掲磨Jr修行~皆梯J r学処J等のキーワードでもっ て、特に健度部の内容を各律毎に整理分類して詳細な研究をされている。;r根本説一切有部律 唯度部の研究(1)-KosaIpbakav出tuの内容ーJ宗教研究62-4,1989,pp.184-185.;
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根本 説一切有部律健度部の研究(2)-KosaIpbakav,掛川和訳-J仏教史学研究32-1,1989,pp.28 -49.;r根本説一切有部律惚度部の研究(3)-Pa判凶ohitaka四 stuとAvadanaおtakaの関係 一J印度学仏教学研究4か2,1991,pp.955-950.; r根本説一切有部律礎度部の研究(4 )-Kau号忌rpbakavastu再考ーJ仏教論叢36,1992,pp.1-6.;
r
根本説一切有部律健度部の研究 (5) - P忌早4
叫ohitakav笛 tuの内容ーj仏教史学研究35・2,1992,p'p.1・27.; r根本説一切有 部律健度部の研究(6)- P句clulohitakavastuに見られる修行階梯ーJ印度学仏教学研究 41-2,1993,pp.1021・1017.;r
糠本説一切有部律健度部の研究(7)- P句clulohitakav槌 tuに 見られる修行階梯<其の二>ーJ仏教諭叢37,1993,ppふ8.;rパーリ律健度部の構造に関 する一考察一雑事'抱度と学処規定一j仏教文化研究44,2000,pp.l-l0.等5. tena samayena buddho bhagava 1吋agaheviharati ve!uvane kalandakaniv丞.pe.tena kho
pana samayena bhagavata bhikkhunarp senasanarp apannattarp hoti.te 'dha bhikkhu taha早-taharp viharanti aran亘erukkh卸n剖epabbate kandarayarp giriguhayarp susane
vanapatthe ajjhokase palalapunje, te karass' eva tato-tato upanikkhamanti aranna rukkhamula pabbata kandar丞giriguhasusana vanapattha ajjhokasa palalapu亘dapasadikena abhikkantena p叫ikkantenaalokitena vilokitena sammi写jitenapasaritena okkhitta -ca肱huiriyapathasampanna.(CullαvaggaVI.1.1; Vinaya 11,p.146.) その時、仏陀・世尊は、ラージャグリハ・ヴェールヴァナカランダカ=ヴァーパに住して いた。そこでその時、世尊によって、比丘達のために未開発の臥坐処をなした。ここに彼 の比丘達は、そこそこに住んだ。阿蘭若・樹下・山・洞窟・山窟・塚間・山林・露地・藁 積のそこに住し、比丘達は早朝にだけ、阿蘭若・樹下・山・洞窟・山窟・塚間・山林・露 地・藁積といったそこそこより出ていって、[身心]浄らかにして、[托鉢に]出かけ、戻 り、前視・後視して、屈伸すると、[行住坐臥の四]威儀を具足せる[比丘遣は]眼を地に 向けた。 6.佐藤ibid.pp.874-875.これは、もともとフラウワルナー氏によるもので、現存の諸律蔵の ヰ建度部の原型について言及されている。(E.Frauwallner, The Bαrliest Vinayααnd the biginnings 01 Buddhist Litera如 何 Roma,1956.) 7.早島鏡正『初期仏教教団と社会生活』岩波書庖1964.pp.28-67.主として、パーリ語文献を 網羅的に取り上げ、臥坐処の変遷という視点から、出家者の修行生活や修習していく修行