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雑誌名 教会と神学

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(1)

死海写本4Q185と4Q525における幸いの宣言

著者 原口 尚彰

雑誌名 教会と神学

号 42

ページ 41‑68

発行年 2006‑03‑15

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024317/

(2)

死海写本4 Q 185 と  4 Q 525 における

幸い の宣言

原  口  尚  彰

間題の所在

クムラン第四洞穴より発掘された写本断片4Ql85と4Q525は,死海 写本の中で例外的に幸いの 宣 言 (

,

m定式) を含んでいることが注日 さ れ る

。 

しかし,  この事実は辞書的記述や

,  一

部の先駆的の研究の中 で言及されるだけで

十分な分析がなされ

その意義が明らかになっ て い る と は 言 え な い

' 。

本研究は

予備的考察としてl日約

初期ユダャ教における幸いの宣 言(

,

1

a

t定式)の機能を概観した後

,

4Ql85と4Q525に お け る 幸 いの 宣 言 (

,

a定式)の特色を分析する

さ ら に

,

結論部では

,

この二つ の文書における幸いの宣言(

,1

m

定式)の機能が

,

幸 いの 宣 言 ('

,

,,

m

定式)  という文学類型の形成発展について何を明らかにしているかを 論 じ る

'

DCHl.437

-

438; H.Cazelles,?m,ThWATl.48l

-

485

E.Puech, 4Q525 etlesp,

e

ricopesdesB

e

atitudesen Ben Sira et Matthieu, R B9 8 ( l 9 9 l ) 8 0

-

l06;GJ.Brooke, The Wisdom of Matthew's Beatitudes(4QBeat and Mt.5:

3

-

l2), Scri

p

tw e Bttllel 加 l 9 ( l 9 8 9 ) 3 5

-

4 l ;  J.A.Fitzmyer, A  Palesitinian JewishCollection ofBeatitudes,idem., TheDead

-

S e a Sc

,

ollsa n dChrislian

rigi ns (Grand Rapids:Eerdmans,l992)l1l

-

l18; J

.

H.Charlesworth,The Qumran Beatitudes(4Q525)and the New Testament(Mt5:3

-

1 l , L k 6 : 2 0

-

26), RHPR8 0 ( 2 0 0 0 ) l 3

-

35を参照

-

4 l

-

(3)

l .  旧約 ・ 初期 ユ ダヤ教 ・ 初期キリスト教における 幸いの宣言  (・ , , m 定式)

a . 

旧約聖書における幸いの宣言(,・l

m

定式)

i. 

概観

旧約聖書において幸いの宣言(・,,

m

定 式 ) は, 文 頭 に'

, -

l

n

と い う 言

葉が置かれ

その後に幸いとされる人を描写する句が続く表現形式で あ り , 申 3 3 : 2 9 ; 王 上 l 0 : 8 ; 代 下 9 : 7 ; 詩 l : 1

-

2 ; 2 : l 3 ; 3 2 : 1

-

2 ; 3 3 : l 2 ; 3 4 : 9 ; 4 0 : 5 ; 4 l : 2 ; 6 5 : 5 ; 8 4 : 5

-

6 ; 9 4 : l 2 ; l 0 6 : 3 ; 1 1 9 : l

-

2 ; l 2 7 : 5 ; l 2 8 : l

-

2 ; l 3 7 : 8

-

9 ; l 4 4 : l 5 ; l 4 6 : 5 ; 歳 3 : l 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; 1 4 : 2 l ; 1 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : l 4 ; 2 9 : l 8 ; 3 1 :

2 8 ; ヨ プ 5 : l 7 ; コ へ

l 0 : l 7 ; イ ザ3 0 : l 8 ; 3 2 : 2 0 ; 5 6 : 2 ; ダ ニ l2:12等広汎な文書に見られる

幸 いの宣言(・

,

,

m

定 式 ) は

,

歴史物 語や詩文や格言や預言等様

な ジ ャ ン ルの文書に使用されているが

,

中でも使用頻度が高いの が 知 恵 の 詩 編 ( 詩 1 : l

-

2 ; l l 2 : l ; l l 9 : l

-

2 ; 1 2 8 : l

-

2 ) と 蔵 言 で あ る

C

蔵 3 : l 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 4 : 2 l ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : 1 4 ; 2 9 : l 8 ; 3 l : 2 8 )2

そ こ で

,

知恵の詩編と歳言におけ る幸いの宣言の使用例を検討してその基本的性格を明らかにした後 に

,

他の文書における使用例を調べ,全体像を明らかにすることが基 本的研究手順となる

W.K

a

ser

.

Beobachtu

ng

en zum aIttestamentlichen Makarismus, ZAW82 (l970)229を参照。

-

42

-

(4)

死海写本4Ql85と4Q525における華いの宣言  3

ii. 

詩編における幸いの宣言 (

, - m

定式)

詩編における'

, -

m定式は

,

導 入 句 と し て 文 頭 に 置 か れ る か ( 詩 1 : l ; 3 2 : l

-

2 ; 4 1 : 2 ; 8 4 : 5

-

6 ; l 0 6 : 3 ; l l 2 : 1 ; l l 9 : 1

-

2 ; l 2 8 : 1

-

2)

,

結 び の 句 と し て 文 末 に 置 か れ る 場 合 が 多 い ( 詩 2 : l 3 ; 3 3 : l 2 ; 8 4 : l 3 ; l 2 7 : 5 ; l 3 7 : 8

-

9 ; l 4 4 : l 5 )

文頭に置かれた場合

,

この表現は 聴衆に注意を喚起し, 幸いの主題を詩文全体の基調をなすものとして 提示する効果がある

。 

文末に置かれた場合は

詩文全体を幸いの主題 で 締 め 括 る こ と と な る

会衆の

アー メ ン

または

ア ー メ ン, ア ー メ ン

と い う 応 答 が 直 ぐ 後 に 続 く 場 合 も あ る ( 4 l : l 4 ; 7 2 : 1 8

-

l 9 ; 8 9 : 5 3 ; l 0 6 : 4 8 を 参 照 )

特に

,

二重のアー メ ン が 続 く 場 合 は

,

詩集とし ての詩編中の各巻の結びとなり

大 き な 区 切 り 日 と な っ て い る  (41:

1 4 ; 7 2 : l 8

-

l 9 ; 8 9 : 5 3 ; l 0 6 : 4 8 )

文中に置かれた場合には

,

新しい 部 分 を 導 入 す る 場 合 と ( 4 0 : 5 ; 9 4 : l 2 ; l 4 6 : 5 )

,

それまで述ぺてき た こ と を 締 め 括 る 場 合 と が あ る  ( 3 4 : 9 )

このような用法は

,

の設美の定型句である

,

l

-

E定式の用例と並

行する

。  - p -

E定式もまた

詩編の文頭に置かれて詩文全体の基調を与 え る か ( l 4 4 : l )

,

文末に置かれて詩文を締め括る場合が多い(詩l8:

4 6 ; 3 l : 2 2 ; 4 l : l 4 ; 6 6 : 2 0 ; 6 8 : 3 6 ; 7 2 : l 8

-

l 9 ; 8 9 : 5 3 ; l 0 6 : 4 8 ; l 3 5 : 2 l )

但し

,

両者の間には相違もある

。  lr

,l3定式は神に

い て使用され

礼拝の中で神を設美するために用いられるのが通例であ る

方で

,  , - m

定式は神には適用されず

専ら人間に適用され

幸福 な人間の理想を提示している3

,E.Lipinskiは , ,

, lolt定式の起源

3W

Janzen, 'Asr

in theOld Testament, H Th R58  (l965)  224

-

226

-

43

-

(5)

4

は神殿祭儀であり

巡礼を迎える祭司の祝福の言葉であるとしてい る

' 。

詩編における使用例の

部が祭儀と結び付いている可能性はある が

巡礼を迎える祭司の祝福の言葉であると推定するような具体的証 拠はない

。  ,

o

H定式が知恵の詩編の文頭に用いられている例は

詩 l : l ; 1 l 2 : l ; l l 9 : 1

-

2 ; l 2 8 : l

-

2に見られる

例えば

,

詩 l l 2 : 1 b は 以 下の通りである。

l b  幸いである

,

主を長れ

,

l c   その戒めをとても喜ぶ人は。

華いと宣言する理由は

,

宣言を受ける者の,「主を長れ

,

その戒めを と て も 喜 ぶ

生活態度とされる

幸福の具体的内容は

,

子孫の興隆と 繁栄である(2

-

5 節 )

また

, 「

主を長れ

,

その戒めを喜ぶ人

, 「

真つ

直ぐな人

( 4 節 ) や

義人

( 6 節 ) と も 呼 ば れ て い る

これに対して

悪しき者

には破滅が予告されている(10節)。同様に

,

詩128:1

-

2 は

, 「

幸いである

,

主を長れ

,

主の道に歩む人は

と宣言した後に

,

そ の個人的幸福の内容を具体的に描写する ( l 2 8 : 2

-

3)

他方

詩 1 :  l

-

2 は ト ー ラ (律法) を学ぶ者を幸いと宣言し, 教育

4 E.Lipsinski, Macarisme etPsaImesde congratulation, R B75(l968) 325

-

330,353

-

354

.

-

44

-

(6)

死海写本4Ql85 と4Q525に お け る 幸 いの宣言 的な日的をより明確にしている

1

幸いである

悪 し き 者 た ちの集まりに歩まず

,

罪人たちの道に立たず

嘲る者たちの座に座らない人は

。 2. 

彼はいつも主のトーラーを喜び

ト ー ラ ーを日夜口ずさむから

であるo

1節は最初に

m n '

' l

o :

t(幸いである

その人は)と宣言をした後

幸 いとされる人の生活態度を'l

m

で導かれる後半に叙述する

さ ら に

,

2

節は'

,: '

で導かれる句によって, l節に宣言された幸福の理由付けを与

え て い る。3節は

,

こ の よ う な 人 を

,

時が来れば実を結ぶ流れの畔に植 えられた木に喩え

,

そのなす事が栄えると述ぺる

これとは対照的に

,

5 節 は 悪 し き 者 た ち が 風 に 吹 き 散 ら さ れ る 観 殻 の よ う に

裁 き に 耐 え ら れ な い と す る。6節は

,

主のトーラーを学び実践する義人が栄え

,

悪 しき者たちが滅びる理由は

主がそれぞれの道を知つているからであ ると述べて

,

詩編l編を締め括つている

主 の ト ー ラ ー ( 律 法 ) を 喜 び

日夜学ぶ知者が義人と呼ばれ

幸いが約束されているのである(6 節を参照)

詩 l l 9 : l

-

3は下記の通りである

-

45

-

(7)

1.  幸いである

道を全うし

主のトーラーに歩む人

2

幸いである

主の証しを守り

誠心識意探求する人

。 3. 

彼 ら は 不 義 を 行 わ ず , そ の (

=

主の)道に歩む。

この幸いの宣言は

,

幸いである と言われる人が複数である こ と と

, , n

が2回連続して使用されている点が注日される

。 

幸 い と さ れ る 人 が 複 数であるのは

,

詩 3 3 : l 2 ; 8 9 : 1 6 ; l 4 4 : l 5に も 見 ら れ る

これらの 場合には個人というよりも民族や集団の幸福が間題とされている

。 

二 重の・,, l

o

Hは 詩 3 2 : l

-

2に も 見 ら れ る が

二種の人

が幸いと言われて いるのでなく

同じ人々の二つの側面に光を当てていると考えられ る5

詩編l19の場合で言えば

,「

道を全うし,主のトーラーに歩む人

々」

主の証しを守り

,

読心誠意探求する人々」である

外典

偽典文 書や新約文書の

部に見られるような三重以上の

,

n定式は旧約聖書

には見られない

詩 1 1 9 : l

-

3は三人称複数形が用いられているのに対して

,

4節以下

の部分では

人称単数形が用いられてぉり

,

文体上の相違がある。l19:

1

-

この長大な知恵の詩編の文頭にあって表題的な機能を果たしてぉ り

ト ー ラ ー ( 律 法 ) に 示 さ れ た 道 に 歩 む 人々の幸いを客観的

・ 一

5 K

a

ser,232

-

233.

-

46

-

(8)

e

海写本4Q185と4Q525における華いの宣言  7 的に宣言するのに対して, 4節以下の部分はトーラーの戒めを守る者 自身の立場から主体的な態度を表明している6

ここでは知恵の獲得の 手段が

,

自然の観察や人生経験ではなく

ト ー ラ ー ( 律 法 ) の 学 習 と なっている

神の意思の啓示の書であるトーラーを学ぶ律法学者が

,

知 者 と 同 視 さ れ て い く 過 程 を こ こ に 見 る こ と が 出 来 る

蔵言における幸いの宣言

幸 いの宣言は

詩編に次いで蔵言に多用されており

特別な考察が 必 要 と な る ( 歳 3 : 1 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; 1 4 : 2 l ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : 1 4 ; 2 9 : l 8 ; 3 1 : 2 8 )

蔵言の書に収録されている格言の多くは知恵の獲得 と 伝 授 と い う こ と を 主 題 と し て ぉ り

,

・m定式と親和性が強い

例え ば

,

蔵 言 3 : l 3

-

l4は次のように述べる

:,

- o

a r p

,

,a, - o - ns

'

no ,

N

o - n

t

, l 3

:

' n

e

t11L

n r r

l

r u ,

l

, lo , r - u

l

o

l

, ' r

l

r

l

o

;3l

o 、

l4

l 3   幸いである

知意を見出す人,  また理解に達する人は

14  知恵の交易は銀の交易に優り

知恵による収種は金に優るから である

こ こでは

,

m定式が文頭に置かれ

その後に幸福な人の叙述が続き

,

さ ら に

, ' '

に導かれる3節がその根拠付けを与えている

この構造は

,

6知意の詩編の中でも, 詩 l ;  l12; l19; 128他は特に「ト ー ラ

詩編Jと呼ばれ ている

。 

K

a

ser,242; J.T.Limburg, Psalms,Book of, ABD5.532

-

534を参照

-

47

-

(9)

8

先 に 見 た 詩 1 : 1

-

2 と 同 様 で あ る

この箇所は

,

知恵の詩編のように ト ー ラ ーの学習と実践を幸いと結び付けるよりもむしろ

知恵の獲得 を幸いと直結させている

歳 3 : l 3 は

, 「

知恵を見出す人

,

また理解に 達する人

が幸いであると述ぺるのである

。 :

蔵 3 : l 3

-

14は

,

3 : 1 3

-

20

に見られる知恵の設歌の導入句になっている

。 

知恵を得る人に幸福が 約 束 さ れ る こ と は

が知恵を得ようとする内的動機付けを与える 効果を持つ。

:

蔵 8 : 3 2

-

34では人格化された知恵が

,

教師の役割を演じて次のよう

に語つている。

:'l

-

l0 0'

' ' ' -

1I '

' '

'1

m

l

' -

1l l 0 0  0

'

13

:

l

n :

1l'

32

:'

u

l,1

o , r

1

-

l l

o

3

m -

l

o

,

n

un oo  33

o

l

' o

'P

'

M

? i

3'I

p

l

f ' '

l

' l

.;l

t

00  0

- n

t

''

m 34

:

u

l 0  

n

tflO''ll3

dl

l

32.  さ あ

,

子 ら よ

,

私 の 言 う こ と に 耳 を 傾 け な さ い

幸いである

, 私

の道を守る人々は

33. 

譲めと知恵に耳を傾け

軽んじてはならない

34

幸いである

,

私に耳を傾け

,

々,

私の扉の番をし

,

私の戸口の門柱を守る人は

こ こ で も

,

m

定式は知恵の獲得と保持の主題に関連して使用され て い る

特に日立つのは

知恵に耳を傾けるように勧める言葉と幸い の宣言が交互に 出 て 来 る こ と で あ る

。 

幸 いの宣言が倫理的勧告の

-

48

-

(10)

死海写本4Ql85と4Q525に お け る 幸 いの宜言  9 と な る こ と は

,

詩編における使用例には認められなかった現象である

歳言の他の箇所に出て来る例では

Pl

m

定式は主として

統合的ま たは対位的並行法の構文で書かれた短い格言に使用され

様々な德目 を 実 践 す る 人 が 華 い で あ る と 宣 言 さ れ て い る  ( 競 l 4 : 2 l ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : l 4 ; 2 9 : 1 8 )

iv. 

その他の文書における幸いの宣言

詩編と競言以外における幸いの宣言の使用例は

申 3 3 : 2 9 ; 王 上 l 0 : 8 ; 代 下 9 : 7 ; ヨ プ 5 : l 7 ; コ へ 1 0 : l 7 ; イ ザ3 0 : 1 8 ; 3 2 : 2 0 ; 5 6 : 2 ; ダ ニ l 2 : l 2に見られる

申33:29では

,

死を前にしたモー セ が イ ス ラ

ルに与えた祝福の結びにこの'

,

mt定式を使用している

。 

こ れは

詩文の結びにこの表現を用いる

連の詩編に見られる

,

, lat定式 の 典 礼 的 用 法 に 連 な る ( 詩 1 8 : 4 6 ; 3 l : 2 2 ; 4 l : l 4 ; 6 6 : 2 0 ; 6 8 : 3 6 ; 7 2 : l 8

-

1 9 ; 8 9 : 5 3 ; l 0 6 : 4 8 ; l 3 5 : 2 1 を 参 照 )

歴史物語におけ る

,

1

m

定式の使用例は

,

王 上 l 0 : 8 ; 代 下 9 : 7 見 ら れ る

王上10:8 によるとソロモン王の知恵の評判を聞いてやって来たシバの女王は

,

ソロモンの知恵が評判以上であることに感嘆し, 次 の よ う に 語 つ た

:

1 rnon - n

o,

;'l 

-

l

・,

ll

, n  T , o

l

, o, -

l

an

1l

:

li

,

llt

T

l

: u , ,

, l

m T m ,

,

a

t 8

8

幸いです

あなたの従者たちは

幸いです

,

御前に立ちあなたの 知恵に何時も耳を傾けている人

この幸いの宣言は

,

物語の登場人物が口頭で語つた言葉の中に出て

-

49

-

(11)

10

来 て い る こ と が 特 記 に 値 す る

。 

また, 

-

loi t 宣 言 が 二 重 に な り ,  強調し た 表 現 と な っ て い る

。 

この場合も幸いの宣言は知恵の主題となってい るが,知恵を期更得することを

1

動めるのではなく,  ソロモンの知恵を日 常 的 に 聞 く こ と が 出 来 る ソ ロ モ ン の 従 者 た ちの 幸 い を 語 る こ と で ,   ソ

ロモンの知恵を間接的に称える識辞となっている。

預 言 書 で は イ ザ ヤ 書 と ダ ニ エル 書 に 幸 いの宣言の使用例がある  (イ ザ 3 0 : 1 8 ; 3 2 : 2 0 ; 5 6 : 2 ; ダ ニ 1 2 : 1 2 ) 。 イ ザ5 6 : 1

-

2は次の通りで あ る 。

主 は こ の よ う に 言 わ れ る

。 

法 を 守 り

義 を 行 い な さ い。 私の救いが訪れ

私の義が顕されるのは近い

幸いである,  義 を 行 う 者

義を保持する者は

安息日を

11

l

1 l

さ ず に 守 り ,  その手をあらゆ る 悪 を 行 う こ と か ら 一

i

る 。

こ れ は  

法を

l l り ,  義 を 行 い な さ い

。」 

(56:  l a )  と い

-

,

1

動めの言1集

に続いて,  救いが近付き

神 の 義 が ま も な く 顕 さ れ る と い う 約 東 の 言

1

集が語られた上で, 義 を 行 う 者 の 幸 い が 語 ら れ て い る ( 5 6 :  lb-2)

。 

の宣言が勧告と結含する点は,願8:32-34の用例に並行するが, ま

- )0

-

(12)

死海写本4Q1815と4Q525における幸いの宣言  l l もなく顕される神の義という終末的視点が語られる点は新しい展開で ある

終末的視点は

,

イ ザ3 0 : l 6や3 2 : 2 0 に も 認 め ら れ る

イ ザ30:

16は神の義を待ち望む者の幸いを語るのに対して,32: 20は神の裁き によって

ルサレムの町が荒廃し

荒れ地や牧草地となった後に

農 耕や牧書を行う者が幸いであると語つている

。 

後者においては

幸 い の宣言が

,  o ・ 一

l

o :

t (あなたがたは幸いである) という二人称複数形の 人称語尾を伴う文体によって表現されている

ダニエル 書 に お け る 幸 いの宣言の用例にも新しい要素が認められ る

ダニ12:l2は以下の通りである

1. 

幸いである

忍耐して

l,353日に到る人は

この箇所は黙示的文書であるダニエル書の結びに置かれている

。 

文書 に締め括りを与える機能は

詩編における幸いの宣言の用法の継承で あ る ( 詩 l 8 : 4 6 ; 3 l : 2 2 ; 4 l : l 4 ; 6 6 : 2 0 ; 6 8 : 3 6 ; 7 2 : l 8

-

l 9 ; 8 9 : 5 3 ; l 0 6 : 4 8 ; l 3 5 : 2 1 )

しかし, ここには従来見られなかった要業も 存在している

。 

12章は終末時における大天使ミカ

ルの来臨と

その 時に命の書に名が記されている義人に与えられる究極の救いを描いて い る ( ダ ニ l 2 : 1

-

3)

ここで約東されている幸福は

,

知意文学が語る 繁栄や成功といった地上的幸福ではなく

終末時に与えられる祝福で あ る

。 

終末的視点が優越し

地上的幸福観を逆転させている点は幸い の宣言の新しい展開である

-

51

-

(13)

l 2

b

初期

ダヤ教における幸いの宣言

ユダヤ教における幸いの宣言の用法は

旧約聖書の用法の継承

発 展である

幸いの宣言は

,

外典

偽 典 文 書 に も ( ト ビ l 3 : 1 5

-

l 6 ; シ ラ

l 4 : l

-

2 , 2 0 ; 2 5 : 8

-

9 ; 4 8 : 1 l ; ソ ロ 詩 6 : l ; l 0 : l ; l 7 : 4 4 ; l 8 : 6 ;

・ エ

ノ 5 8 : 2 ; 8 1 : 4 ; 8 2 : 4 ; ス ラ・ エ ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : 1

-

l 5 ;

モ ー セ 昇 l 0 : 8 ),死海文書にも(4Q185;4Q525)

,

ラビ文献にも見ら れ る (

ミシュナ』

」 8 , 9 ; 「

ア ヴ ォ ー ト」 2 , 8 b ; 4 , l ;

「 ヶ リ

」30 .

4 ;

バビロニア

タルムー ド

アボダ

ザ ラ ) 2 7 a ;

べ ラ ホ ー ト J 2 l ; 6 l b ;

」87a; 「

スッカ

53a;

「エ

ル サ レ ム

タルム ド』

アポダ

ザ ラ

40d;

キ ッ ド ゥ ー

シュ」66cd; 「

シ ャ ッ バ ート

l4d;

トセフタ』

スッ力

4,2他)7

ラビ文献は文書化されたのが

,

早い部 分で2

-

3世紀

遅い部分で5

-

6世紀であり, 文i番化以前の伝承が背後 に存在するにしてもそれがどの位前迄期るか不明であるので

初期ユ ダヤ教における幸いの宣言とは区別しなければならない

。 

また

初期 ユダャ教における幸いの宣言の用例において, 黙示文学における使用 例 は (

・エ

ノ 5 8 : 2 ; 8 l : 4 ; 8 2 : 4 ; ス ラ・ エ ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : 1

-

l 5 ; モー セ 昇 l 0 : 8 )

,

詩 文 中 の 使 用 例 ( ト ビ l 3 : l 5

-

1 6 ; シ ラ l 4 : 1

-

2, 2 0 ; 2 5 : 8 ; 4 8 : 1 l ; ソ ロ 詩 6 : 1 ; l 0 : l ; l 7 : 4 4 ; l 8 : 6 ) と は か なり性格が異なるので別に扱う必要がある

l

i1

ll し く は

,

liilI, l . l 8 9 ;  M.Hengel, Zur matt

a

hischenliergpredigt und ihrem j

u

disch,en lIintegrund, ThR52(1987)332

-

3 4 l (

=

ders.,Ju da ica,Hellenicael

Chrislia.

,

lica

.

K1,ein,eSchrj

f

ien. W U N T l 0 9 ; T iibingen:Mohr,l999,224

-

233)

を参田。

-

52

-

(14)

死海写本4Ql85と4Q525に お け る 幸 いの宣言  13 i.  詩文における使用例

ぺン

・ 

シラの知恵は

蔵言に見られる幸いの宣言の用法を継承して い る

C

議 3 : 1 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 4 : 2 1 ; 1 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : 1 4 ; 2 9 : 1 8 ; 3 1 : 2 8 を 参 照 )

例えば

,

シ ラ 1 4 : 2 0

-

21は以下の通りである

20  幸いである

,

知恵を考察し

,

その理解をもって論じる人は

21  心の中で知恵の道を洞察し

,

知恵の隠れたところに思いめぐらす人は

この部分は

カ イ ロ  

・ 

ゲ ミ ザ よ  り発見された

プライ語写本が存在し て ぉ り

,

下 記 の よ う に な っ て い る8

:

: u

〇'''

:

'

u

'

8l'1E

,:

'f1

.

l

:

'll1〇

n

3

m

'

'

l

a t 20

:

1

;

n

1ll l

' -

l

ll

3l'日

'tiトl

:

l

9f ll

' l

;l O

a

l

21

S.Schechter/C.Taylor,7heWisdomo f B e n S ifa. Portionso

f

t h e B

,

ook

a

ce

a

gfas発'a e f m n  MeOMeωMa/ aiP4s t' //M G a'Mo  Gmfza

a

l (Cambridge:

Cambridge University;Press,1899);E.Puech, 4Q525etles p

e

ricopes des Ii

e

atitudesenBen Sira et Matthieu, R B9 8 ( l 9 9 l ) 9 1 を 参 照

-

53

-

(15)

14

20  幸いである

,

知恵を考察し

,

その理解を実践する人は

2 l   彼は知恵の道に心を向け

,

知意の理解をもって洞察する

この幸いの宣言は

知恵を深く考察する者の幸いを述ぺてぉり

非常 に主知主義的な内容を持つている(シラ48:1lも同様)

この箇所に 続く部分では

知恵に深く思いめぐらす者に

現世的な繁栄と成功が 約 東 さ れ て い る ( シ ラ l 4 : 2 6

-

2 8 ; さ ら に

,

歳 3 : l 3

-

14を参照)

同様

な主題は

シ ラ 2 5 : 8

-

9 に も 見 ら れ る

ソロモンの詩編は正典の請l編の文学形式を継承した文書であり

幸 いの宣言も詩編の場合と同様に

詩文の導入部に置かれるか ( ソ ロ 詩 6 : 1 ; 1 0 : l )

,

または

,

結びの部分に置かれている(l7:44)

ソロモ ンの詩編に出て来る幸いの宣言も

敬廣な義人の幸福を説く点では知 恵文学的であり,  主の名を呼ぶ者や(ソロ詩6:  l )

主に咎めによって 罪より清められた者の幸いを語る(l0:1)

これに対し

,

ソ ロ 詩 l 7 : 4 4 と 1 8 : 6 の 用 例 は

,

かなり性格を異にする

例えば

,

l7:44は以下の 通 り で あ る ( l 8 : 6 も ほ ぼ 同 文 )

44  幸いである

その日に居合わせ

,

-

54

-

(16)

死海写本4Q185と4Q525における幸いの宣言  l 5 諸部族が集められたイスラ

ルに対し

神 が な し た 善 き こ と を 見る者たちは

ソロモンの詩編17章は

エルサレムの回復の希望を語る設歌であ り,44節はメシアが到来して

イ ス ラ

ル民族の回復と

ルサレムの 復興を達成するのを見る人の幸いを語つている

文体の点から言えば

,

幸 い と 宣 言 さ れ る 人

は複数であり

冠調を伴い名詞的に使用された 分調によって表現されている(o l

γe ,,

e , , o

t)

幸いの宣言が終末的未 来

の待望に結び付いている点は

預言書に用いられる幸いの宣言に 似 て い る ( イ ザ 3 0 : l 8 ; 3 2 : 2 0 ; 5 6 : 2 ; ダ ニ 1 2 : l 2 を 参 照 )

ト ビ ト 書 1 3 章 は

,  エ

ルサレムの回復の希望を語る設歌であり,

e t ,a .oy

,

0 f

,

0

e e

Of (神は讚むぺきかな) という識美の言葉で始まって

い る

。 

15b

-

16節は以下通りである9

l 5 b 幸 い で あ る

,

お前を愛する者たちは

この本文は

A.Rahlfsed., S e

p

tu

ag

in (Stuttgart:Deutsche Bibelgesells

-

chaft,l935) が掲戰するシナイ写本による

-

55

-

(17)

l6

また

幸いである

お前の平和を喜ぶ者たちは

l 6   幸いである

お前のすべての苦難を悲しむすべての者たちは

彼らはお前を喜び,  永久にお前の喜びを見るであろう

ト ビ ト  l 3 :  l 5

-

l 6に用いられている幸いの宣言は

文体的にはソロモ

ンの請編17:44の幸いの宣言に近い

こ こ で も 幸 いの宣言は終末的未

の待望と結び付いている

。 

文体からすると

はじめの二つの幸い の宣言において

,

幸 い と 宣 言 さ れ る 人

は複数であり

,

冠詞

o t

を伴い 名詞的に使用された分詞によって表現されている(o l

, a

l

・ya n o

1

,

t

, e

f

σ e

, o 1

x

1a

p ,

1

i o

'

o ,,

m

.

,e , n t

f

a eip

v a

;

, c

ot

,

)

。 但し,

幸 いの宣言が拡張され 三重になっているのは

従来の幸いの宣言にはなかった新しい要素で あ る

第三の幸いの宣言は

主 語 が 分 詞 句 で は な く 名 詞 句 で あ り (

,

l1

a

t

,

re r

o l

a

t

, 0p, ̲

l

o

t)

,

その後に関係文が続いている

さ ら に

,

その 後に

0 a

に導かれ

,

幸いである理由を示す副文伴つている結果

,

長大 な文章となっている

。 

こうした文体上の特色は

山上の説教中の幸い の 宣 言 や ( マ タ 5 : 3

-

12)

,

平野の説教中の幸いの宣言(ルカ6:20

-

23)

に も 認 め ら れ る

ii.  黙示文学における幸いの宣言 (エチオピア語の

ノ ク 書 と スラ プ語の

ノ ク 書 )

エチオピア語の

ノ ク 書 に お い て

幸 いの宣言は三度使用されてい る ( 5 8 : 2 ; 8 1 : 4 ; 8 2 : 4 )

例えば

,

81:4は以下の様に述べる

4  そのときわたしは言つた

-

56

-

(18)

死海写本4Ql85と4Q525に お け る 幸 いの宣言  l 7

幸 い な る か な

義人また善人として死におもむき

,

不 義 を 責 め る 書 を 書 か れ た こ と が な く

省 を 見 い だ さ れ な い 人

。」 '°

この幸いの宣言は

,

命の書に記された義人の死後の運命に

いて幸 いであると述ぺている

。 

幸 いの宣言が彼岸的な領域に移されているの は ( 5 8 : 2 ; 8 2 : 4 も 同 様 )

,

黙示文学によるこの文学形式の用例の特色 で あ ろ うo

スラプ語の

ノ ク 書 4 2 : 6

-

l 4 は

以下の通りである

6  幸いである

主の名を敬い

,

常に御前にあって仕え

長れをもっ て贈り物をなし

命を献げ

生種において義しく生きて死んだ 人は

7  幸いである

,

金のためではなく,正義のために

,

どのような見 返りも期待せず

義しい裁きを下す人は。品原のない裁きが彼 に 下 さ れ る 結 果 と な る で あ ろ う

8  幸いである

,

操の者を着せ

,

飢えた者に食物を与える人は

9  幸いである

弧児ややもめに正しい裁きを下し

不当な扱いを 受けている者を助ける人は

10  幸いである

空しいこの世の俗な道から身を翻し

義しい道を 歩み

終わりのない命に生きる人は

l l  幸いである

,

義しい種を蒔く人は

七倍の収種を得るであろう

'°「l日約外典偽典」 第 4 卷   (教文館, l975年)  250買より引用

-

57

-

(19)

l 8

l 2   幸いである

,

真実にあって

,

隣人に本当のことを語る人は

l 3   幸いである

唇に思い:造り が あ り ,  心が柔和な人は

l4  幸いである

,

主によってなされたすべての業を理解する人は

人 間の業のあるものは善いが

他は悪い

。 

偽つて冒演の言葉を吐

く者は

その業によってそれと分かる

"

こ れ は ト ビ ト  l 3 :  l 5

-

16に用いられている三重の幸いの宣言よりも長 大であり

,

九重の幸いの宣言とになっている

九重の幸いの宣言は

,

外 典

偽典文書には見られないが

新約聖書ではマタイによる福音書中 の山上の説教冒頭に九重の幸いの 宣 言 が 出 て 来 る ( マ タ 5 : 3

-

l2)

の宣言は,人生において正義を実践し

公正な裁きを下し

弱い立場 にある人々に思い遺りを示す義人の幸いを語るが

その最終判断は死 後に下される裁きによって示される

。 

人生における成功や繁栄といっ た世俗的幸福よりも

来るべき世での永速の幸福が語られているので あ る

幸 いの宣言がこのように多数重ねられて長大になると

,  一

つの 文学ユニツ ト の

要素であることから進んで, ま と ま っ た

つの独立 の 文 学 ユ ニ ツ ト と な る

スラ

・ エ ノ 5 2 : 1 -

l 5にも長大な幸いの宣言が見られる

これは

,

を設美する者に対する七つの幸いの宣言と

神を冒演する者

の七つ の呪いの宣言とが

つづつ組み合わされる形をとっている

。 

幸 いの宣 言 と 災 いの宣言との結合が

ルカによる福音書に出て来る平野の説教

l

J

.

Charlesworth,T he( )ldTeslamentPlse!d

,ep

igf

ap

ha (2Vols;Garden City, NY:Doubleday,l983)l.l68に提示されている英訳からの1重訳。この本文は

,

本文ではなく, 長本文に基づいている

-

58

-

(20)

死海'i :本4Ql85と4Q525における幸いの宣言  19 冒 頭 の 幸 い の 宣 言 に も 見 ら れ ( ル カ 6 : 2 0

-

26)

この幸いの宣言の平行 例 と な っ て い る

2 .  4Ql85における幸いの宣言  (

,

,

・1四tl

定式)

i.  本文(4Q1851-2. ii. 8 - 1 5 ) と 私 訳

ク ム ラ ン 第 4 洞穴出土の4Q185は

大変断片的な保存状態ながら, 第 2 欄 の 8 節 と l 3 節 に

,

・loH定 式 を 含 ん で い る こ と が 注 目 さ れ る

以下 に ,  第2細8-15行の本文を掲げる

'

2

8 9 10 11 12 13 14 15

何を[  ]  [  ]彼の前に惡がすべての人々へ及 ぶ で あ ろ う

幸 い で あ る , そ れ 〔 = 知 恵 〕 を 与 え ら れ た 人 は

'

2 写本の保存状態は非常にi造iく, 始 初 に 公 表 さ れ た 校 訂 本 文 は, J.M. Allegro, Qum r mCau,e4 i ( D J D 5 ; 0 x f o r d : C l a r e n d o n , l 9 6 8 ) 8 5

-

8 7 で あ る が , 後 に, J.Strugne11, Les Notessurle no.l85desDiscoveries in the JudaeanDesert,

ReuQ5 ( 1 9 7 0 ) 2 7 l

-

272;I-I.Lichtenberger, Eine weisheitliche Mahnrede  in den  Qumranfunden(4Q185),"  in M.Delcor(ed.), Qum r

a

n.' sa i) !ete sa 1heotogteetso n m i l ietl (Paris:Ducu1ot,l978)l51--l 6 2 に よ っ て

部訂正の試み

が な さ れ た 。  F.G.Martines/E.J.C. Tigchelaar,T11eDeadSeaSc

'

olts ( 2 v o l s ; Kleiden ;Bri11

.

1 9 9 7 ) 1 .378-3 8 l は ,   この訂正本文に拠つている。

-

59-

(21)

20

9. 

人]の子

一一 。

悪しき者に誇つて言わせてはならない

。「

そ れは私に与えられていない

l0. 

イ ス ラ

ルに [神はそれを与えていない

]」

(主は)

]

い贈り物としてそれを贈り

,

御民全体を[  ] 願 う

11.  しかし

,

( 主 は ) [   知]恵を憎む者たちを滅ぼす

知恵に重 きを置く者はすぺて言う

。「

そ れ (

=

知 恵 ) を 所 有 と し

, 12. 

それを見出し

,

それを[堅]持し, 遺産として受け取る

れと共に

長寿の]日々が あ り

,

太つた骨があり

,

心の喜び

,

富 [と名替

]

が あ る

13. 

(主の)構れみは御民のためであり

,

その救いは

, [  ] 。

幸 いである

,

そ れ (

=

知恵)を実踐して

,

[それ

]

について欺かな い人は

14

彼 は 欺 き の [ 到によってそれを求めるのではなく

,  へ

つらい

によって堅持するのでない

(主が)それを父祖たちに与えたの

で,

彼はそれを継承し,[堅持] する

15.  全カを挙げ

,

[ ] 測 り 知 れ な い 程

,

力を注いでいる

(主は)そ れ (

=

知恵)を嗣業としてその子孫に与える

私 は [ 善 ] の た め の [ 闘 い ] を 知 つ て い る

ii.  考察

この写本断片は

書体の鑑定から

,  へ

ロデ王朝期(紀元前1世紀か ら 紀 元 l 世 紀 )  に 由 来 す る と さ れ て い る

。 

この写本には特にクムラン 的な主題や用語が登場しないことから

他のところで作成された後に クムラン共同体に持ち込まれ

用いられていたのではないかと推定さ

-

60

-

(22)

死海'与.本4Ql85と4Q525における華いの宣言  2l れる

'

3

文書の内容は

前半は知意を求めるように

1

動める動告であり(ii.1

-

7)

,

後半は

,

知恵を称揚する讚歌(ii.8

-

1 5 ) と な っ て い る

前半部に は

, 「

私 の 言 う こ と を 間 き な さ い

我が子らよ J と い う 語 り か け の 言 葉 が出て来てぉり(ii.2)

,

知恵文学の慣例に従つて

,

親から子供たち

へ ,

または

教師から弟子たち

の教えという形式を備えている

C

蔵 l : 8 , 1 5 ; 2 : l ; 3 : 1 ; 4 : l , 1 1 ; シ ラ 2 : l ; ; 3 : l , 1 7 ; 4 : 1 他 を 参 照)

''

前半では父祖たちに与えられた知恵の継承という主題が強調さ れ

後半では知恵を自分の子孫に伝えて行くことの大切さが強調され て い る ( 特 に, i i . l 5 を 参 照 )

この点において

,

この写本はイスラ

ルの民が次の世代に知恵を伝える務めを強調する中命記の共同体的教 育観の伝統に立つている(中6:6

-

7 ; 3 l : 1 l ; 3 2 : 4 6 を 参 照 )l S

8行目に出て来る幸いの宣言は

主より知恵を付与された人の幸い を宣言し

13行目に出て来る幸いの宣言は

知恵を実践する人の幸い を宣言している

。 

この幸いの宣言は

知恵を与えられた者の繁栄や長 寿 と いった現世的幸福を述ぺる点では

知意文学的幸いの宣言の系譜 に 属 し て ぉ り ( 歳 8 : 3 2 - 3 4 )

,

終末論的な視点が強い!ll

'

l:示文学の幸いの 宣言とは性格が異なる

。 

他方

幸 いの宣言が観り告的な調子を帯びてい る 点 で は , 蔵 8 : 3 2

-

34の幸いの宣言に類似するが,4Q185の第2機8

l

''

Tobin

.

4Ql85and J,e

ish  Wisdom  Literature

.

in  H.W.Attridge/J.J.

Collins/T.H.Tobin(eds.)

. 0f

Scribesa

,

t d Sm)

u

ls.Studies o n l he Hebreu・

a

'b

a

e, 1

,

ll e f西・fame

,

lfar1f

,

daism

.

a

,,

d C

a

m's

a

'M On gs ( L a n h a m

-

New  York

-

London:University of America, l 9 9 0 ) l 4 9

-

l50を参照

'

4 T.H.Tobin,l45を参照。

'

S 抽構「申命記の教育!

a

ll想.

lキリスト教教育論集」第 l 2 号 ( 2 0 0 4 年 ) 2 , 6

-

8 買

を参照。

-

6 l

-

(23)

22

行日とl3行目の幸いの宣言の後にはかなり長い論証部分が加えられ ているので

蔵言の文体とはかなり異なる

3 .  4Q525における幸いの宣言  ( ,

『l

a

t

定式)

i

.  4Q5252.ii.

l

-

7の本文と私訳

クムラン第4洞穴出土の4Q525は

大変断片的な保存状態ながら

,

第 2 断 片 の 第 2 相 の l 行 か ら 3 行 に

, -

l

m

定式を含んでいることが注目 さ れ る

。 

以下に

第2断片第2機

l1 -

7行の本文を掲げる

'

6

l234567

l .   [幸いである

,

真実を語る人は]。清い心であり

,

舌 で そ し る こ と を し な い

。 

幸いである

その(

=

主の)戒めを堅持する人

彼 ら は 支 持 す る こ と は な い

,

'

o 本 文 は

E.Puech

.

Qt m

, a

nGrolle V111 (DJD25;0xford:CIarendon, 1998)l22

-

128;idem.

.

4Q525etlesp

e

ricopesdesB

, e

atitudes en Ben Sira et Matthieu, R B9 8 ( l 9 9 1 ) 8 3

-

84;F.G.Martines/EJ.CTigchelaar,TheDead SeaS:c

'

'oll1sl (2vols;Kleiden;Brill,1997)2.1052

-

l055に換る。尚, 8

-

l 4 行 も 断

片的な形で保存されているが

l

-

7節とは主題が変わるので,  ここでは省略してい o

-

62

-

(24)

死海写本4Q18l5と4Q525における華いの宣言  23

2. 

曲 がった道を

。 

幸い [である

],

そ れ (

=

知 恵 ) を 喜 び , 狂 つ た道に暴走することのない人

。 

幸いである

,

清い手でそれ を探し求める人は

3. 

彼らは邪悪な[心]でそれを追い求めるのではない

幸いである

,

知恵を得る人は

彼は歩む

,

4

い と 高 き 方 の ト ー ラ ー ( 律 法 ) に

彼は心をその道に向ける

訓 戒に 整 え ら れ

罰を喜ぶ

5

過ちから来る困難の内にそれ(

=

知 恵 ) を 捨 て る こ と が な く

,

苦 悩にあっても放棄せず

恐れの [日

に も ] 忘 れ な い

6.  魂の苦しみ に あ っ て も そ れ を 嫌 う こ と が な い

そ れ と 言 う の も

,

彼はいつ も そ れ (

=

知 恵 ) の こ と を 考 え

,

苦しみにあって[それ を ] 想 う か ら で あ る

。 [

すべての]

7.  彼の生涯は

, [  

] 道 を 歩 ま な い た め に ( 主 の ) 前 に

,

それ (

=

知恵) を想起する。

ii.  考察

この写本断片は

,

書体の鑑定から

,

紀 元 前 1 世 紀 か ら 紀 元 l 世 紀 に かけての

ロデ王朝期に由来するとされている

。 

文書全体は

知恵を 求め

どのような状況にあってもそれを捨てないことを称揚する内容 と な っ て ぉ り

知恵文学的な性格が強い

。 

この写本には特にクムラン 的な主題や用語が登場しないことから

他 の と こ ろ で 作 成 さ れ た も の が共同体に持ち込まれ

読まれたのではないかと推定されている

、 ' 。

l 7  J.Il.CharIesworth, The Qumran Beatitudes (4Q525) and the New Testa m e n t ( M t 5 : 3

-

1l

.

L k 6 : 2 0

-

26), RHPR8 0 ( 2 0 0 0 ) 2 l に 資 成。

-

63

-

(25)

24

この写本断片に現状では

5 っの幸いの宣言( ,,l

m

l定 式 ) が 含 ま れ て い る

'

8。但し, 断片的な保存状況であるので, この写本に元々い く

幸 い の 宣 言 が 含 ま れ て い た か は は っ き り し な い

'

9。 し か し , 少 な く と も 5つの幸いの宣言が含まれていたことは事実であり, 中間時代のュダ ヤ教文書における幸いの宣言の拡張傾向を認めることが出来る  ( ト ビ ト 1 3 : 1 5 - 1 6 ; ス ラ・ エ ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : 1 - 1 5 を 参 照 )

第 5 の 幸 い の 宣言につい て は

幸 いの宣言の中核部分の後に(ii. 3-4ab), 苦難の中 でも知恵を捨てないことを描写する長大な付加部分が続いてぉり  (ii.

4c

-

7)

初めの4つの幸いの宣言が示す文体上の均衡を崩している

この写本では知恵を得ることは同時に

,

倫理的に正しぃ行 動 を と る こ と

( 律 法 ) に 示 さ れ た 道 に 歩 む こ と を 意 味 し て い る ( i i. 1, 4 ) 。 知 惠 の 獲 得 と トの学習と遵守が結び付く点では

知恵の詩 編 ( ト

詩編)の幸いの 宣 言 や ( 詩 1 : 1 - 2 ; 1 1 2 : 1 ; 1 1 9 : 1 - 2 ) や ベ ン ・ シ ラ の 知 恵 に も 並 行 し て い る ( シ ラ 1 4 : 2 0 ) 。 ま た

,

幸 いの宣言 が勧告的な調子を帯びている点では, 歳 8 :  32-34の幸いの宣言に性格 が似ている

この写本の幸いの宣言は

知恵を求め

苦難を神の訓戒と考えて受 容 し ,  知恵を捨てない態度を, 

幸 い で あ る

と 宣 言 し て い る

。 

この幸

'

1行目の日

' '

頭の部分は保存されてぃないが, 後に統く部分との文体上の関連か , 元々は 幸 い の 宣 言 が 再 か れ て い た と 推 定 さ れ て い る 。  こ の 点 に つ い て は ,  E.

Puech,Qum

,

a n Grotte4 V

m

( D J D 2 5 ) l 2 6 ; i d e m.

.

4Q525, R B 9 8 ( l 9 9 1 ) 88

-

89;G.J.llrooke, The Wisdomof  Matthew's Iieatitudes(4QBeat and Mt.

5 : 3-12, Script1 lre Bu11etin 1 9 ( 1 9 8 9 ) 3 5

-

36; J.A.Fitzn

y e r , APalesitinian Jewish Co11ection of  Beatitudes, idem.,T heD e a d Sea Sc

,

,o,tl1lsa

,

1d( 1lltristian

〇rigi

,

1s (Grand  Rapids:Eerdmans 1992)  l l 4

-

116;Charlesworth,  The QumranBeatitudes(4Q525), l7-19を参照。

'

9 Fitzmyer,115の判断に資成する。

-64

-

(26)

死海写本4Q185と4Q525における幸いの宣言  25 福観は

地上的繁栄や成功を幸福の徴証と理解する通俗的知恵の態度 ( 詩 1 : l ; l 1 2 : 1 ; 競 8 : 3 2

-

3 4 ) と は 異 な る

苦難の背後に神の教育 的日的を見出すことは

申命記による荒野の40年の体験の解釈や(申 8 : 2

-

l 0 , l 4

-

1 5 ; 9 : 7

-

2 9 ; l l : 1

-

7)

, 1

蔵言の

部 や ( 歳 3 : 1 1

-

l2)

,

プ記の

リフの言葉の中に見られる(ヨプ36: l 5

-

33)2

°。

苦難の中でも

知恵を捨てないこということは(4Q525l

-

2 . i i . 4 c

-

7)

,

苦難を罪を罰

する神の訓戒と理解する洞察を持つことを意味するのである

他方

,

幸 いの宣言は

終末的視点や死後の幸いを念頭に置いていないので

黙 示文学中に出て来る幸いの宣言とは性格が大きく異なる (エチ

エノ 5 8 : 2 ; 8 l : 4 ; 8 2 : 4 ; ス ラ

エ ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : 1

-

15;モーセ昇10:

8を参照)。

4 .  結  論

i

旧約聖書

初期ユダヤ教における幸いの宣言との関係

死海写本4Ql85と4Q525は

クムラン教団で作成されたのではな

,

ユダヤの他の場所で書かれた後に持ち込まれたと考えられるので

,

その中にクムラン教団固有の文学的

神学的特色を見出すことが出来 な い

。 

この二つの知恵文学的な要素の強い文書に幸いの宣言が使用さ れ て い る こ と は,同時代の

ダヤ教知恵文書である

,

ぺン

シラの知 恵の幸いの 宣 言 が 用 い ら れ て い る こ と 並 行 し て い る  ( シ ラ 1 4 : 1

-

2,

2 0 ; 2 5 : 8

-

9 ; 4 8 : l 1 )

これに対して

, ヘ

レニズム思想と

ダヤ思想

2

°

描稿「申命記の教育思想

」 「

キリスト教教育論集

」 

第 l 2 号  (2004年) l 0

-

l 1 買

を参照

-

65

-

(27)

26

が融合した文書であるソロモンの知恵には

幸いの宣言は全く登場し な い o

旧約聖書の知意文学に用いられている幸いの宣言と比較すると  (歳 3 : l 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 4 : 2 1 ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : 1 4 ; 2 9 : 1 8 ; 3 1 : 2 8 ; ヨ プ 5 : 1 7 ; コ へ l 0 : l 7 )

,

4Q185と4Q525における幸いの宣言 は拡張傾向があり

4Q185では幸いの宣言に論証的な拡張部分が付加 さ れ

4Q525では幸いの宣言が5回重ねられている

幸いの宣言が多 重構造をとることは他の

ダヤ教文書にも見られ

中間時代の幸いの 宣言の

つ の 特 徴 と な っ て い る ( ト ビ ト 1 3 : 1 5

-

l 6 ; ス ラ

エ ノ 4 2 : 6

-

1 4 ; 5 2 : l

-

l5を参照)

他方

これらの死海文書の幸いの宣言が語る幸いの内容は

ユダヤ 教黙示文学の幸いの宣言が語るような

来るべき世や死後の世界にお け る 幸 い と いっ た ( エ チ

エ ノ 5 8 : 2 ; 8 l : 4 ; 8 2 : 4 ; ス ラ

エ ノ 4 2 : 6

-

1 4 ; 5 2 : l

-

1 5 ; モーセ昇10:8を参照)彼岸的なものではない

ii. 

初期キリス ト教における幸いの宣言との関係

新約聖書にも幸いの宣言は祝福の言葉として広範に使用されている ( マ タ 5 : 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , l 0 , 1 1 ; l 1 : 6 ; 1 3 : l 6 ; l 6 : l 7 ; 2 4 : 4 6 ; ル カ 1 : 4 5 ; 6 : 2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 l : 2 7 , 2 8 ; l 2 : 3 7 , 3 8 ; 1 4 : 1 4 , 1 5 ; 2 3 : 2 9 ; ヨ ハ 1 3 : 1 7 ; 2 0 : 2 9 ; 使 2 0 : 3 5 ; 2 6 : 2 ; ロ マ 4 : 7 , 8 ; l 4 : 2 2 ; I コ リ 7 : 4 0 ; I テ モ 1 : 1 l ; 6 : l 5 ; テ ト 2 : l 3 ; ヤ コ l : 1 2 ,   2 5 ; I ぺ ト 3 : 1 4 ; 4 : l 4 ; 黙 l : 3 ; 1 4 : 1 3 ; l 6 : 1 5 ; l 9 : 9 ; 2 0 : 6 ; 2 2 : 7 , 1 4 )

新約聖書中の幸いの宣言は

,

知恵文学的な 性 格 の も の と ( マ タ 5 : 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 1 0 , l 1 ; l l : 6 ; 1 3 : l 6 ; l 6 :

-

66

-

(28)

死海写本4Ql85と4Q525における幸いの宣言  27 1 7 ; 2 4 : 4 6 ; ル カ 1 : 4 5 ; 6 : 2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; 1 0 : 2 3 ; 1 l : 2 7 , 2 8 ; 1 2 : 3 7 , 3 8 ; l 4 : l 4 , l 5 ; 2 3 : 2 9 ; ヨ ハ l 3 : l 7 ; 2 0 : 2 9 ; 使 2 0 : 3 5 ; 2 6 : 2 ; ロ マ 4 : 7 , 8 ; 1 4 : 2 2 ; I コ リ 7 : 4 0 ; I テ モ 1 : 1 1 ; 6 : l 5 ; テ ト 2 : 1 3 ; ヤコ l : l 2 , 2 5 ; I ぺ ト3 : 1 4 ; 4 : l 4 )

,

黙示文学的性格 の も の と に 大 別 さ れ る ( 黙 1 : 3 ; 1 4 : 1 3 ; 1 6 : l 5 ; 1 9 : 9 ; 2 0 : 6 ; 2 2 : 7 , l 4 )

スの山上の説教中の幸いの 宣 言 と ( マ タ 5 : 3

-

l 2 ) 平

野の説教中の幸いの宣言は(ルカ6:20

-

23)

,

知恵文学的要素と終末論 的要素の両方を兼ね備えている

4Ql85 と 4Q525に見られる幸いの宣言は

スの山上の説教中の

幸 いの 宣 言 や ( マ タ 5 : 3

-

12)と平野の説教中の幸いの 宣 言 と ( ル カ 6 : 20

-

2 3 ) 似 通 つ て い る と こ ろ が あ る

文 体 の 点 か ら 言 う と

,

4Ql85と

4Q525に見られる幸いの宣言のどちらも拡張傾向を示す

4Q185には

論証的な拡張部分が付加されているが

山上の説教の第9の幸いの宣 言 ( マ タ 5 : l 1

-

l2)と平野の説教の第4の幸いの 宣 言 は ( ル カ 6 : 2 2

-

23) 著 し く 拡 張 さ れ て い る

4Q525では幸いの宣言が5回重ねられて い る が

山上の説教における幸いの宣言は9回

平野の説教における 幸 いの宣言は4回

幸いの宣言を重ねている

他方,山上の説教における幸いの宣言や(マタ5:3,10,12)

,

平野 の説教における幸いの 宣 言 で は ( ル カ 6 : 2 0 , 2 3 )

,

神 の 国 ( 天 国 ) で の幸いを強調している

。 

特に

山上の説教における第8と第9の幸い の宣言や(マタ5: 10

-

l2)

,

平野の説教における第4の幸いの宣言では ( ル カ 6 : 2 2

-

23)

スの従う故にこの世では迫害を受ける者たちに その報いとして与えられる神の国  (天国) での幸いを約束し, 希望を 与 え よ う と し て い る

-

67

-

(29)

28

4Ql85と4Q525にはこのような終末論的視点は弱い

しかし

,

4Q525

にはこの世での繁栄や成功を単に幸いとするのでなく

苦難を神の訓 戒と理解し

,

積極的に意味付ける考え方が見られる(ii

. 4c -

7)

。 

この思

想は

,

旧約聖書にある考え方の継承であるが(申8:2

-

1 0 , l 4

-

1 5 ; 9 :

7

-

2 9 ; l 1 : l

-

7 ; 蔵 3 : 1 1

-

l 2 ; ヨ プ 3 6 : l 5

-

33)

,

新約聖書では試練を

神の教育手段とする

プ ラ イ 書 に も 見 ら れ る (

プ 5 : 8 ; l 2 : 4

-

l3)

死海写本4Ql85と4Q525に お け る 幸 いの宣言の使用は

ベン

シ ラ

の知恵の幸いの 宣 言 や ( シ ラ 1 4 : 1

-

2 , 2 0 ; 2 5 : 8

-

9 ; 4 8 : l l )

,

ソロモ ン の 詩 編 に お け る 幸 い の 宣 言 と あ い ま っ て ( ソ ロ 詩 6 : l ; l 0 : l ; 1 7 : 44; l 8 : 6 )

新約聖書に先行する近い時代に成立した

ダヤ教知想文 学が旧約聖書の文学的伝統である幸いの宣言を継承発展させたことを 示している

。 

これらの

ダヤ教文書の幸いの宣言は

旧約聖書の幸い の宣言と

新約聖書中の幸いの宣言とを媒介する役割を果たしている のである

68

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