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福井県内のいくつかの地域の地質 : その10:勝山市西部の地域地質(概報) 利用統計を見る

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福井県内のいくつかの地域の地質 : その10:勝山市

西部の地域地質(概報)

著者

服部 勇

雑誌名

福井大学地域環境研究教育センター研究紀要 「日

本海地域の自然と環境」

25

ページ

1-22

発行年

2019-03-01

URL

http://hdl.handle.net/10098/10599

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 (キーワード:飛騨帯,片麻岩,斑れい岩,地域地質,勝山市西部,福井県) * 福井大学地域環境研究教育センター 学外協力メンバー  SanwaconLtd.(918-8525Hanandokita1-7-25,FukuiCity) はじめに 2010 年版福井県地質図 ( 福井県,2010) の出版に際し,いくつかの地区や地域の地質情報が不足し ていたり,あるいは古い情報しか得られなかったために,不備を含んだまま福井県地質図として編図 された.筆者もこの地質図編集に関わった者としてこの点を気にしていた.この不備を補い,次回の 県域地質図作成の際の参考にしてもらうために,福井大学退職後に補充調査を行い,ほぼ毎年 1 編ず つ調査結果を公表してきた ( 第 1 図 ).越前中央山地を南から順に北に向かって調査を進め,今回は 勝山市西部地域 ( 一部永平寺町に掛かる ) の調査を行った. ここでいう勝山市西部地域とは九頭竜川北岸で,勝山市野津又川左岸から永平寺町栃原までの範囲 である ( 第 1 図 ).この地域の調査は著しく遅れていた.1939 年の 7.5 万分の 1 地質図 「福井」〔地質 調査所,1939( 地質図 ),1940( 説明書 )〕,1951 年から 1953 年に福井県が行った資源調査の報告書 ( 地 下資源の全貌,福井県,1954),20 万分の 1 「福井県地質図」 ( 地質調査所,1955) が公開されていた. 「地下資源の全貌」 の中では,現在では廃鉱となっている勝山市坂東島鉱山関係などのいくつかの調 査報告 ( 北本ほか,1954:森田・笹嶋,1954:田久保ほか,1954:武市・団,1954:山本ほか,1954) が掲載されているが,その内容は現在の知見とはかなりかけ離れており,そのままでは利用できない. 同じ頃,小西 (1954) はこの地域に古生層と飛騨片麻岩が分布すると記載している.河合 (1961) の地質 図ではこの地域に飛騨複合岩類の分布を記している.その後公表された 15 万分の 1「福井県地質図」(福 井県,1969),5 万分の 1 土地分類基本調査 「永平寺」 ( 福井県,1988),同 「越前勝山・白山」 ( 福井県, 1996),20 万分の 1 地質図 「金沢」 ( 地質調査所,1999),それに 10 万分の 1 で作成した 2010 年版福 井県地質図 ( 福井県,2010) などは,基本的に上記の古期地質資料をコンパイルしたものであり,言っ てみれば準拠資料は 50 年ほど以前のものである.これら以外の資料としては鈴木・田村 (1981) によ る概報や服部 (2011) による地点地質の紹介があるのみであった. この地域の地質研究が大きく遅れた原因は,結局は,観察に適した露頭が少ないことである.この 地域の地形はそんなに急峻ではないが,植物の繁茂が著しく,露頭への接近が妨げられ,見つかる露 頭の表面には地衣類が繁茂し,観察に耐えないこと ( 図版 1-A),河川の両岸には土石流堆積物が厚く 堆積しており,基盤岩の露出が制限されていること,冬季は積雪のため調査ができないこと,一部の 岩石は風化に弱く,土壌化が進行していること,さらに,近年では獣害防止用ネットが隈なく設置さ れ,入山が著しく制限されていることなどが原因である.幸か不幸か,福井県勝山市から石川県小松 市を繋ぐ国道 416 号の峠 ( 新又越あるいは新俣峠 ) 付近の道路整備が行われており,山裾の削りこみ により新たな露頭が出現した.しかし,2018 年 9 月には国道整備が完了し,それまでに新たな露頭 には吹きつけが行われる.すなわち一時的に好露頭が出現し,それらはたちまちコンクリートなどに より被覆される ( 図版 1-B).しかしながら,工事中の国道沿いの新露頭の観察とそれ以外のところで

服部  勇

*  (株式会社サンワコン)

Geology of A Few Areas in Fukui Prefecture

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の沢登りを行うことにより得られる調査結果の ほとんど全てが新情報であろうという期待のも とに踏査を進めた.調査を進めながら,文献な どからの情報を得るに連れ,この地域の地質を 理解するには岩石の顕微鏡観察,化学分析,同 位体年代決定などの岩石学的情報が不可欠であ ることが解ってきた.しかしながら,現在の筆 者にはこのことを可能にする研究環境を整える ことは困難である.やむを得ず地質踏査と肉眼 観察において判断できる範囲での岩石区分と分 布を調べた.そのため,岩石学的・鉱物学的情 報に基づく対比,層序,テクトニクスはできる 限り避け,野外での事実のみを報告することに する.なお,調査者は永年美濃帯の堆積岩の調 査を行ってきた者であり,そのため,飛騨変成 岩類や花崗岩類に関するこの記載には多くの不 備・誤解が含まれていると思われるがお許し願 いたい.勝山市西部地域は地質の露出状態が大 変悪く,1,2 の作業用林道を除いて,連続露 頭や大露頭は存在しない.沢沿いにおいても同 様であり,さらに苔むしており観察に大変不便 である.現場の状況から大きな転石のうちその 地点近くから放出されていると判断できるもの は地質図作成の際に参考とした.河床にある転 石は河水により磨かれているので,それらも岩 石観察の対象とした. この地域に分布する古期岩石は飛騨変成岩 類・飛騨変花崗岩類および飛騨花崗岩類 ( 加 納・渡辺,1995:椚座ほか,2006) である ( 第 2 図 ).両者については飛騨帯の他の地域で古 くから研究されてきた.その研究の進展により 両者の地質学的位置づけは一筋縄ではいかない ことがはっきりし,筆者のような飛騨帯を専門 としない者には研究のトレースや統一的理解は 至難の技であった.それでも飛騨変成帯に関す る 2005 年時点の総括が加納 (2005) により,そ して 2006 年時点のまとまった理解が日本地質 学会による「中部の地質」( 日本地方地質誌刊 行委員会,2006 編 ) の中の飛騨帯に関する記述 で紹介されている.また,椚座ほか (2006) が日 本地質学会の地質見学会説明書の中で飛騨地域 の地質の理解を整理している.竹内ほか (2015) は小滝地域の野外見学の案内書の中で,飛騨花 崗岩類をジュラ紀前期,飛騨変花崗岩類をトリ アス紀前・中期に位置づけ,宇奈月変成岩の原 第1図.‌‌福井県越前中央山地の補充調査地域と 今回の調査地域.数字は服部による報 告の公刊年.2011は服部(2011)の論 文を指す.他も同様.背景地図は国土 地理院による地理院地図. 第2図.‌‌飛騨帯おける勝山市西部地域の位置関 係.勝山市西部地域は飛騨帯の西部 岩体から55kmほど西に位置し,どの 岩体に属するかは不明である.(野沢 ほか,1975の第1図,相馬・秋山, 1984の第8図および鈴木ほか,1989 のFig.1‌から加筆・一部修正して作成) 服部  勇

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勝山市西部地域の地質説明 勝山市西部地域には飛騨変成岩類,飛騨花崗岩類,手取層群,新生代火山岩類,および段丘堆積物 と土石流堆積物などが分布するとされていた ( 例えば,福井県,1969,2010:地質調査所,1999 など ). 鈴木・田村 (1981) や鈴木ほか (1989) によれば,勝山市西部地域 ( 皿川地域 ) には角閃石岩,塩基性 ( 角 閃石 ) 片麻岩,晶質石灰岩,石灰珪質片麻岩と少量の砂岩・泥岩起源の片麻岩が分布するとされている. 今回の調査ではこの地域の古期基盤岩を準片麻岩類,緑色片麻岩類,角閃石斑れい岩類,石灰岩類 ( 石 灰岩とその珪化部 ),閃緑岩,花崗岩類,中生代堆積岩 ( 手取層群,足羽層 ),火砕流堆積物,流紋岩 類 ( おそらく濃飛流紋岩類の一部 ),新生代火山岩類 ( 中新世のものと鮮新世・更新世のものを一括し た ),段丘堆積物・土石流堆積物に分けた.このように区分した勝山市西部地域の地質図を第 3 図に, 推定地質断面図を第 4 図に示す ( 第 3 図の背景地形図は国土地理院から公開されている地理院地図 ). 飛騨帯の岩石類 本岩類に属する堆積岩起源の片麻岩,以下準片麻岩 (paragneiss),は露頭では茶褐色ないし黒褐色 を呈する ( 図版 1-C,D) ものと白茶色のものがある.前者は数 mm から数 cm 幅 ( 厚さ ) の幅の薄い 縞状模様があるので,薄層・縞状片麻岩と表現してもよい.この岩石は風化に弱く,土壌化している ことが多い.そのため砕屑物としても大きな岩塊にはなりにくく,渓流中の大きな転石としてもサイ ズ 30cm くらいが最大である.図版 1-C,D に示されるように,準片麻岩をなす縞は膨らんだり縮ん だり,軽く褶曲しながらもほぼ平坦に連続する.細かい縞模様すなわち片理面はおそらく原岩時代の 地層面に平行であろう.全体的には西にプランジした開いた褶曲構造が推定される.本片麻岩は坂東 島地区や皿川や野津又川の下流域に分布する.これらの片麻岩は泥岩起源が主体であろう.白色系の 片麻岩類はやや粗粒であり,片麻組織の発達も前者に比べて弱い場合が多い.この片麻岩は長石・石 英質の花崗岩様の細脈 ( 桃色の長石を含まない ) 挟むことがある.この種の片麻岩は砂岩起源であろ うと推測され,砂質片麻岩あるいは粒状片麻岩や粒状花崗岩と表現される.皿川中流では,砂岩起源 であったことを推測させる露頭がある ( 図版 1-E,F).また,近くの露頭では堆積岩特有の斜交層理 を推測させる堆積構造も残されている ( 図版 2-A).本岩は皿川・野津又川地区に多く分布し,全体的 に泥質片麻岩の構造的下位に位置すると思われる.なお,堆積構造起源であると推測したこれらの構 造は片麻岩組織でもできるかもしれないので断定はできない. 本片麻岩は散点的に石灰岩を挟む.石灰岩は再結晶しており,その色も黒色のものから白色のもの まで存在する ( 図版 2-B).板東島や堀名 (ホリメ) に分布する鉱化した石灰岩は比較的厚く,かつては 亜鉛や銀が採掘された ( 図版 2-C).場所によっては,石灰岩質片麻岩と泥質片麻岩が細互層片麻岩を なしている ( 図版 2-D).この地域の石灰岩の分布については公表されている地質図ごとに大きく異な り,詳細な調査が行われていないことを反映している.その中で,今回の調査結果は武市・団 (1954) の第一図 ( 北陸石灰工業場附近地質図 ) に示された石灰岩の分布に比較的近い.地元史誌によれば, 高尾岳南西山麓 ( 深谷 ) にもいくつかの大小の石灰採石場があったようである ( 「高尾の息吹」 発刊 事業部,2012).準片麻岩中の石灰岩類は粗粒なものから比較的細粒のものまであり,石灰岩の一部 は珪質層と互層したり,あるいは石灰岩の一部が珪化したりしている.泥質岩と互層する石灰岩も多 く,その層理面は水平であることが多い.石灰岩の岩体は厚くても数 10m で,延長方向にはせいぜ い 1km 追跡できる程度である.小規模な石灰岩塊は見掛けのサイズが 5m × 10m 程度である. この地域の飛騨変成岩類の特徴の一つに角閃石斑れい岩類を含むことである.それらは黒色角閃石 を主体とする岩石である.角閃石の結晶は柱状であったり,粒状であったりする.結晶のサイズは数

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第3図.勝山市西部地域の地質分布(背景の基図は国土地理院による地理院地図)

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mm から数 cm のものが多いが,柱状結晶では長軸の長さが最大で 30cm 近くになり ( 図版 2-E),弱 いながら平行に配列することもある ( 図版 2-F).しかし,他地域の同類岩 ( 加納,1975b) と同様に顕 著な面構造をもたない.角閃石と斜長石の量比については,角閃石が 90%近くに達する部分から ( 図 版 3-A),等量あるいはやや斜長石が多いものまで存在する ( 図版 3-B).これらを一まとめにして角閃 石斑れい岩とした.おそらく深成岩起源のものであろう.新鮮な角閃石は黒色であるが,変質したも のは濃緑色であり,風化したものは茶色である.一部破断を受けていることを示す露頭もあるが,全 般的には圧砕作用は受けていない.角閃石斑れい岩の中に脈状の閃緑岩が貫入しているようにみえる 場合がある.この場合,脈状閃緑岩の中央部は再度角閃石斑れい岩となっている ( 図版 3-C).角閃石 斑れい岩類の岩体と準片麻岩や緑色片麻岩との境界は断層であろう. 閃緑岩・花崗岩類は,上述の角閃石斑れい岩と密接に伴い,相互に漸移したり,入り組んだりして いる.全体的には多様性に富む深成岩質岩石のうち閃緑岩に近い部分がここでいう閃緑岩・花崗岩類 であり,斑れい岩質の部分が角閃石斑れい岩と考えてよい.閃緑岩質の部分はピンク色のアルカリ長 石のレンズ状脈を含む ( 図版 3-D).弱い片理が認められ,アルカリ長石のレンズ状脈の伸長方向と平 行であるが,いくつかのところで片理と直交するようにアルカリ長石の脈が発達する ( 図版 3-E).地 質図で緑色片麻岩として塗色される岩石は斑れい岩,閃緑岩・花崗岩類と層状片麻岩からなる岩体で, 後者は前者に取り囲まれているだけでなく斑れい岩や閃緑岩に頻繁に貫入されている.片理の傾斜は, 上述の準片麻岩類に比べて急傾斜であり,数 10°から直立する.緑色片麻岩と茶褐色泥片麻岩が互層 する場合もある.全体的には片麻岩が閃緑岩類に取り込まれた ( 捕獲された ) ようにみえる.片麻岩 の部分は輝石,角閃石,長石,石英を含む片麻岩層であり,比較的厚いもの (10m ~ 50m 程度 )や薄 いもの ( 数 10cm から 1m) まである.緑色のものが目立つので,これらをまとめて緑色片麻岩とした. 堆積時の地層面に由来する片理が残されており ( 図版 3-F),その走向・傾斜が測定できる場合がある. 皿川中流左岸側の山裾の緑色片麻岩に塗色された地区には図版 4-A に示されるような折りたたみ 褶曲をなす珪質岩層や石灰岩層が存在する.この折りたたみ褶曲は変成作用以前に形成されたと思わ れる.このように地層面そのものが残されている石灰岩層は少ない.緑色片麻岩における岩石の変成 作用を示すと思われる組織・組成の変化過程はそれに伴う石灰岩の変化に見ることができる.図版 4-B では,石灰岩がおそらく溶融しかけ,消滅しつつある状態を示す.それに伴い,石灰岩の中に緑 色鉱物が出現し ( 図版 4-C),さらに珪化をうけると緑色鉱物を含む白色層になり,一見閃緑岩の岩脈 のように見える.その結果,片麻岩中に片麻組織と平行に閃緑岩の薄層が挟まれたような産状が発生 する ( 図版 4-D,E).さらに変化が大きいと,図版 4-F に示すように,石灰岩層はほとんど消滅する. おそらく他種の岩石でも類似の過程が進展しており,この現象は,現在見られる岩石はそれらの原岩 とは大きく変化し,原岩解析には注意が必要であることを意味する. この地域の片麻岩のうち,図版 5-A に示されるような平行かつ明瞭な片麻構造を示す岩石は少なく, いろいろな程度に乱れた片麻構造を示すものが多い.図版 5-B や C に示される岩石は比較的粗粒な 片麻岩ではあるが,その片麻構造は他の岩石により分断されたり ( 図版 5-B),平行性を失っており特 に図版 5-C に見られる縞模様はシェブロン褶曲をなしているようにも見える.図版 5-D の緑色片麻 岩では,非平行の片麻組織が失われつつあるように見える.所によっては片麻岩中には異質物が含ま 第4図.勝山市西部地域,皿川沿いの概念的な地質断面図.凡例は第3図と同じ.

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図版1.‌‌A:新道(シンドウ)の東の沢に存在する準片麻岩の露頭.露頭は苔むしているが,それでも, 片理面はほぼ水平であることがわかる.B:国道416号開設の工事現場.比較的変形の少な い準片麻岩.この露頭は既にコンクリートにより被覆された.砂泥互層起源と思われる準片 麻岩である.C:準片麻岩.板東島東の林道沿い.ハンマーのヘッドの部分は側溝の底のコ ンクリート.片麻構造は大変緩傾斜である.D:板東島西の沢に出現する泥質岩起源の準片 麻岩.E:砂岩起源(?)の準片麻岩.堆積構造らしきものが残されている.皿川中流.F: 微小な断層(ハンマーのグリップ左側)が残されている.グリップあたりは原岩が泥質岩であ ることを推測させる.皿川中流(図版1-Eとおなじ露頭). 服部  勇

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図版2.‌‌A:皿川中流の砂質片麻岩.地層面と斜交葉理らしき構造が見られる.B:板東島の鉱山跡 に残された石灰質片麻岩塊.ハンマーのグリップのところは珪化している.石灰質片麻岩に は挟み物が多く,さらに鉱石鉱物が散在する.C:鉱石鉱物(おそらく亜鉛鉱物)が晶出して いる石灰岩.板東島鉱山に残された石灰岩塊.D:層状で泥質分の多い部分と少ない部分が 互層する石灰質片麻岩.北郷町大日霊神社北の沢沿い.E:角閃石の長い柱状結晶をもつ角 閃石斑れい岩.結晶のサイズは30cmの長さに達することがある.檜曽谷(ヒソダニ)北の沢に ある転石.F:柱状あるいは針状角閃石が平行に並ぶ角閃石斑れい岩.面構造は形成しない. 新道の皿川河床の転石.

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図版3.‌‌A:横倉の国道416号沿いの露頭.角閃石斑れい岩.写真上部には角閃石の大結晶の集合が 存在する.B:角閃石斑れい岩.角閃石の大結晶からなる角閃石ペグマタイト様部分と閃緑 岩様部分が存在する.C:角閃石斑れい岩中に左上から右下に脈状に存在する閃緑岩質岩石 と,その中央部には大きい角閃石斑晶が存在する.北野津又北西の沢の中.D:ピンク色の アルカリ長石脈をもつ緑色片麻岩.檜曽谷の採石場.E:交差するピンクの薄層(脈)を含む 緑色片麻岩.片麻構造は鉛筆の長軸方向.皿川上流.F:皿川上流の作業用林道に出現する 互層様の片麻岩.閃緑岩質岩(左下)に貫入されている 服部  勇

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図版4.‌‌A:折りたたみ褶曲をした石灰岩.この褶曲は変成作用以前の構造であると思われる.皿川 中流の作業用林道の対岸.B:石灰岩が同化をうけ消滅しようとしている.皿川中流の作業 林道.C:片麻岩中の石灰岩薄層.この石灰岩は同化されかけ,内部に緑色鉱物ができてい る.皿川中流の作業林道.D:砂質片麻岩中に挟まれている含緑色鉱物白色層.石灰岩起源 と推定される.北野津又北西の沢.E:層状片麻岩中の石灰岩層.この石灰岩層は置換を受 け,消失しかけているように見える.北野津又北西の沢にある転石.F:薄い石灰岩を含む 層状片麻岩ではあるが,石灰岩層(緑色鉱物ができている)はほとんど消失しかけている.北 野津又北西の沢にある転石.

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図版5.‌‌A:整った片麻構造(平行な片理)をもつ片麻岩.北野津又北西の沢にある転石.B:比較的 きれいな片麻構造をもつ片麻岩ではあるが,詳細に見ると,片麻構造も切断されている.檜 尾谷の採石場.C:乱れた片麻構造を示す縞状片麻岩.国道416号拡幅現場(八反滝北).D: 弱い片麻構造をもつ閃緑岩質岩石で,片理は斜交している場合もある.皿川上流の東向き工 事用林道.E:砂質片麻岩中に挟まれる黒色異質物層.おそらく苦鉄質鉱物を含む斑れい岩 で,どのようにしてできたか不明.皿川上流工事用林道から東に向かう沢の中.F:緑色片 麻岩に含まれる黒色レンズ状物質(ハンマーのヘッドの上).角閃石を主体とする斑れい岩様 岩石であろう.皿川上流東向き工事用林道. 服部  勇

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図版6.‌‌A:石灰岩質層状片麻岩(左上)に貫入している閃緑岩質岩石.北野津又北の西向きの沢.‌ B:斑れい岩(中央の黒色部)を取り込む片麻岩.新又越近く.C:黒色岩石を取り込む閃緑 岩質岩石.この種の岩石は準片麻岩分布域の北側に多い.西ヶ原から西南の沢の転石.D: 黒色捕獲岩を取り込む閃緑岩質岩石.皿川中流.E:斑れい岩,閃緑岩などが不規則に取り 込まれ,同化されつつあるように見える.西ヶ原から西南に向かう沢の中の転石.F:砂質 片麻岩様岩石に取り込まれて,一部同化されている黒色捕獲岩.皿川中流(図版1-E,Fと同 じ露頭).

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図版7.‌‌A:珪質岩(石灰岩起源?)の角礫岩.細野口西の沢にある転石.B:珪質岩(石灰岩起源?) の角礫岩.西ヶ原南の谷にある転石.この種の角礫岩転石はこの地域に限られている.‌ C:北郷町大日霊神社東側の山裾に大量に存在する火砕流堆積物の転石.角礫からなるが級 化構造も発達する.D:花崗岩の角礫を含む火砕流堆積物と思われる礫岩層.勝山市蓮照寺 から北に向かう沢にある転石.E:層状の流紋岩質凝灰岩.北野津又北.F:褶曲した縞模 様をもつ凝灰岩.北郷町東野の神社裏の沢(転石).縞模様そのものが流理構造,堆積構造あ るいは後堆積構造なのか速断できない. 服部  勇

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や斑れい岩類に捕獲されているように分布することなどから,この地域では,全般的には,斑れい岩, 閃緑岩,それに閃緑岩と共存する花崗岩などの深成岩は片麻岩より後期のものであることが考えられ る.しかしながら,片麻岩と深成岩との関係は複雑であり,例えば,国道 416 号の新又越近くでは片 麻岩中に斑れい岩が不規則に取り込まれているように見え ( 図版 6-B),図版 6-C では,多くの斑れ い岩様岩石 ( 黒色部 ) が閃緑岩様岩石 ( やや粗雑な灰色部分 ) に含有されている.準片麻岩近くの閃緑 岩や緑色片麻岩地域では,閃緑岩中に円形の大きい黒色物体が数多く取り込まれている ( 図版 6-D). また,斑れい岩と閃緑岩が閃緑岩質岩石に取り込まれ,同化が進んでいるように見える場合もある ( 図 版 6-E).これらの事例は逆の関係を推測させ,形成年代,変成年代の異なる類似岩が存在している 可能性を示す.準片麻岩と緑色片麻岩や花崗岩質岩石岩との境界付近では準片麻岩などが捕獲岩 ( ゼ ノリス ) として取り込まれたと判断される岩石が頻出する ( 図版 6-F). 皿川上流や野津又川上流の花崗岩・閃緑岩類中の花崗岩は閃緑岩質であり,アルカリ長石を含んだ り,緑色片麻岩様岩石を伴ったり,また捕獲岩を同化しかけているような様相を示すところもある. 本岩は地域の北西側 ( 西側と北側 ) に分布が広い.眼球片麻岩あるいは眼球花崗岩とよべるような岩 石は見当たらなかった.一方,板東島から西の九頭竜川沿いに分布する花崗岩類は薄緑色から淡い桃 色ではあるが,片麻岩的要素は認められず,閃緑岩より花崗岩から花崗閃緑岩に近く,皿川上流,野 津又川上流の花崗岩とは性格が異なるようである.この地域の花崗岩および花崗岩質岩石は飛騨帯中 の花崗岩類 ( 飛騨花崗岩類と飛騨変花崗岩類.加納,1982:加納,1990a,b:加納・渡辺,1995:椚 座ほか,2006:椚座ほか,2010) のどれか ( 一つあるいは二つ ) に相当すると思われる.伊西型花崗岩 類とか灰色花崗岩類 ( 加納,1981) を思わせるものは見つからなかった. 大小様々な珪質岩角礫岩の転石が特に西ヶ原から細野口の西側斜面 ( 水無山の東斜面 ) を流れる沢 に多数存在する ( 図版 7-A,B).角礫岩中の珪質岩のサイズは数 cm から数 10cm であり,礫と礫の 間を珪質岩の砂粒や他の種類の岩石の砂粒が埋めている.角礫はその場で破断し,そのまま礫岩となっ たような感じのものもある.踏査した範囲ではこの種の岩石が基岩として露出しているところは見つ からなかった.角礫岩転石の分布は地域南部の石灰岩層の分布範囲の下流側にあたる場合が多いので, 石灰岩角礫起源のものである可能性がある.この地区の石灰岩は往々にして珪化を受けており,石灰 岩層の一部が珪質岩となっていたり,石灰岩と珪質岩の互層となっている場合がある.仮に珪質岩角 礫の究極の起源がこれらの石灰岩であるとしても,珪化した部分が角礫状になったのか,石灰岩角礫 になった後に珪化を受けたのかは不明である. 中生代堆積岩 勝山市地域に分布する中生代堆積岩は,手取層群,足羽層,大道谷層である.この地域の手取層群 は恐竜化石を多産することで有名である.調査地域の手取層群は塊状厚層の礫質の粗粒砂岩からなり, わずかに黒色泥岩を含むに過ぎない.礫質な部分の礫のサイズは大きくても数 cm である.粗粒砂岩 の部分には地層面が発達しない.野津又川沿いの手取層群については化石が見つかっておらず,年代 が詳細には分からないが,従来から手取層群に対比されており,そのことに異論はないので,この報 文でも手取層群として分類する.この地域に近い北谷の手取層群は赤岩亜層群であることがわかって おり (Fujita,2003:YabeandKubota,2004),20 万分の 1 地質図 「金沢」 ( 地質調査所,1999) などで も赤岩亜層群に含まれるとしている.粗粒砂岩中の小礫は花崗岩質のものや片麻岩質のものが多い. チャート礫は含まれない. 足羽層は飛騨外縁帯に沿って分布する湖成層に対する名称であるが,飛騨帯内では手取層群を被覆

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し,また濃飛流紋岩類の直下に発達し,一部には流紋岩類と指交する場合がある.非常に薄い ( 福井 県,1969).今回の調査地域である勝山市西部地域は飛騨外縁帯から距離があるが,濃飛流紋岩類と 密接に伴い,流紋岩質砕屑物を多量に含む地層を足羽層としてまとめた.永平寺町の九頭竜川左岸に 分布する類似岩も足羽層として報告されている ( 服部,2015).すなわち,ここでいう足羽層という地 層名は手取層群よりもやや固結度が低く,濃飛流紋岩直下に分布する礫質砂岩・泥岩に対して用いて いる.足羽層中の礫層や砂岩層中の礫は中礫サイズから小礫サイズの角礫であり,手取層群中の礫と 異なり,チャート礫が目立つ.礫の一部には食い違い石 (fracturedcobble) となっているものがある. 大道谷層は足羽層よりやや若く,福井・石川県境に分布する砂岩・泥岩層であり,厚さは数 10m とされている.手取層群や足羽層に比べて固結度が弱い.今回の調査地域では皿川上流にわずかに分 布する可能性があるが,岩相上足羽層と区別が困難なことと,何より化石が見つかっておらず,年代 が不明なため,足羽層に含めてある. この地域の手取層群は南部では北西走向で南西あるいは北東に 30°程度,横倉付近では北東走向で 南東に数 10°傾斜する.北袋から堀名付近の足羽層は北西走向を示す露頭が多く,傾斜は 20 ~ 30°で あるが,その方向はまちまちである.皿川最上流では北西走向で南西に数 10°傾斜する. 火砕流堆積物 九頭竜川右岸の北郷町東野や北郷町檜曽谷の山麓に流紋岩質角礫からなる堆積物がある.礫のサイ ズは 10cm 程度である.層理面は認められない.局部的に礫質部から砂質部への漸移を示すところが ある.礫は流紋岩質のものが多いが ( 図版 7-C),花崗岩の 15cm サイズの角礫やまれに数 cm サイズ の安山岩質の角礫も含む ( 図版 7-D).濃飛流紋岩類の基底に分布する火砕流堆積物と考えた . 流紋岩質岩石 白色から白褐色の流紋岩質の岩石であり,厚い塊状のものから層状ないし縞状のものもある.山中 の沢では急瀑布を作ることもある.濃飛流紋岩の一部と考えた.調査地域内では分布は狭く,散点的 である.観察できる限り,厚さも薄く,50m 程度である.この流紋岩と上述の火砕流堆積物,それ に足羽層は中生代末期に噴出・堆積した一連のものであろう.分布は散点的であるが,全体的には北 側に厚くなっているようである. 北野津又の白山神社から北に向かう沢の上流部の崖に細層理流紋岩質凝灰岩がわずかに露出する ( 露頭幅 20m 程度,厚さ 3m 程度 ).露頭では薄い黄色から緑色であるが破断面は白色であり,一見 粒状緻密な石英片岩様に見える場合があり,わずかに透明な微小鉱物を含む他は肉眼で観察できるよ うなサイズの有色鉱物は含まれていない.図版 7-E に示されるように,露頭で数 cm 間隔の劈開が発 達する.取り出した試料を細かく観察すると,数 cm 間隔の葉理の中にさらに数 mm の平行葉理が 発達する.岩石はこの劈開に平行に板状に割れる.劈開面に沿う破断面は白色・均質である.劈開面 上に条線様の線状模様が存在する.顕微鏡観察や X- 線解析を行っていないので断定はできないが, おそらく原岩は流紋岩質の凝灰岩であろう.地層面 ( 劈開面 ) の走向は N40°Eで北西に 50°程傾斜す る.このタイプの岩石はこの地点のみで見つかった.これも濃飛流紋岩の一部と思われる. 北郷小学校の北側に位置する神明神社から北に向かう沢の登り口付近に図版 7-F のような白色の 岩石が数多く転がっている.白色層と薄い灰色層の数 mm 単位の細かい流理構造のような薄層が発 達し,中には薄層が鋭角に折れ曲がっている場合がある.層と層の間には滑り面あるいは劈開面のよ うな不連続面は認められない.西ヶ原北西の濃飛流紋岩の基底にも類似岩石が存在する.本岩は露頭 では見つからないが,落ちている位置や岩相から判断して,この地区に発達する火砕流堆積物を含む 濃飛流紋岩の一部であると判断した.なお,ここで薄層構造とした構造は流理構造なのか,堆積構造 ( 葉理 ) なのか,あるいは後堆積構造 (post-depositionalstructure) なのかは一概に判断できない. 服部  勇

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ある.今回の調査ではこれらの火山岩については注目していないので,分類や分布域の画定はされて いない.詳細については吉澤 (1977),尾崎ほか (1987) さらには福井県 (1988) を参照していただきたい. なお,越前カブトの南東斜面の鮮新世安山岩類の K-Ar 年代は 3.57Ma( 清水ほか,1988) である. 段丘堆積物・土石流堆積物 高尾岳山麓に緩やかな段丘地形が存在する.堆積物は確認できないが標高や地形の開析状況から判 断すると,おそらく高位段丘に対比できるであろう.皿川や野津又川の支流の山地の中にくさり礫を もった堆積物が散点的に見つかることがある.たとえば,皿川の上流では皿川の現河床 ( 標高 250m) より数 10m 程高いところにくさり礫を含む円礫が存在する.これなどは中位あるいは高位の段丘堆 積物であろう.なお,地形的に段丘と判断される丘陵の林道切割には風化・軟弱化した火山角礫岩 ( 新 生代火山岩類の一部 ) が露出することがあり,地形的高位段丘には侵食小起伏面をもつ丘陵が含まれ ている可能性が高い. この地域の山地からの渓流の出口には土石流堆積物が厚く広く分布する.厚いところでは 30m を 超す.転石の長径は数 m を超す場合がある.礫種としては斑れい岩,石灰岩,珪質岩,安山岩など が多い. 地質構造 皿川下流部から野津又川下流部の地域において準片麻岩類の片理面の傾斜は比較的緩く,水平に近 い場合が多く,45°を超える場合は希である.片理面が示す地質構造としては NWW 方向にプランジ する褶曲 ( シンフォーム ) が推定され,その褶曲軸はおおよそ細野口の北側近くを通過すると推定さ れる.この構造は準片麻岩類中で断続的に分布する石灰岩の延びの方向からも推定される.一方,両 河川の上流部に分布する緑色片麻岩類に塗色された岩体中の片麻岩は,分布が連続しないこと,片理 の発達が弱いこと,まれに見つかる片理面も急傾斜であり,傾斜方向が一定しないことが多く,その ため片理面の走向・傾斜から褶曲構造を導き出すことは困難であった.岩石の分布からみると,皿川 上流の緑色片麻岩は NNE 方向のトレンドをもっている可能性がある.野津又川上流から福井・石川 県境 ( 新又越 ) 近くでは NW-SE のトレンドが卓越しているが,石川県側の情報が少なく,議論でき ない.結論的には,勝山市西部地域では準片麻岩類は比較的美しい褶曲をなしているが,緑色片麻岩 類,角閃石斑れい岩,花崗岩類については構造を抽出することはできなかった.なお今回の調査から, 準片麻岩類がもつ片理とその他の岩石がもつ片理とは形成過程や形成時期が異なる可能性があること が推定できる . 勝山市西部地域の飛騨変成岩と近隣の飛騨変成岩の比較 上述したように,勝山市西部の飛騨変成岩類の分布は大きく三つに分類できる.準片麻岩+石灰岩, 緑色片麻岩 ( 閃緑岩質片麻岩,片麻岩質閃緑岩 ),それに角閃石斑れい岩+閃緑岩 ( +花崗岩 ) 類である. これらと近隣の飛騨変成岩類との比較を行ってみる. 勝山市西部地域の近隣で片麻岩類についての十分な記載があるのは 5 万分の 1 地質図幅「荒島岳」( 河 合ほか,1957) である.「荒島岳図幅」 内の片麻岩類は黒雲母角閃石片麻岩を主体とし,角閃岩や石灰 岩を伴う.石灰岩は東部の谷戸口地区では大きな塊として片麻岩中に存在するが,西の真名川地区で は片麻岩中に薄く挟まれる石灰岩薄層として存在する.石灰岩は結晶質石灰岩である場合と結晶質縞 状珪質石灰岩である場合がある.まれにホルンフェルス化した砂岩と互層する場合がある.片理の走

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向は WNW から NW であり,傾斜は数 10°から直立である.片麻岩と石灰岩の特徴は勝山市西部地 域の準片麻岩グループと類似する.「荒島岳図幅」 では片麻岩近くには白亜紀花崗岩類が描かれてい るが,それらは 15 万の 1 「福井県地質図」 ( 福井県,1969) では古期花崗岩に変更されている.岩質 から判断して,この花崗岩類は勝山市西部地域の九頭竜川右岸に分布する花崗岩類に対比できるであ ろう.この花崗岩類の K-Ar 年代として 175Ma が報告されている ( 柴田ほか,1984).なお,勝山市 西部地域で広く分布する角閃石斑れい岩類は 「荒島岳図幅」 内には描かれていない. 大野市上丁 (カミヨウロ) と福井市東俣町,福井市芦見川沿い ( 服部,2013),それに福井市縫原町 ( 服部, 2015),にも片麻岩の小露頭が存在する.これらの地域の片麻岩は堆積構造など原岩構造が残されて いない.また,上志比地区の九頭竜川左岸にも片麻岩が分布している.上志比地区の片麻岩類は数多 くの小石灰岩塊を挟在すること,緑色片麻岩は存在するが角閃石斑れい岩は見当たらないこと ( 服部, 2015) などから,勝山市西部地域の準片麻岩類あるいは緑色片麻岩のグループに相当すると思われる が,十分な比較ができない状況であるので,これ以上の比較・対比は避けておく. 石川県手取川上流に厚い片麻岩と厚い石灰岩との互層が存在する ( 小林,1958:金・石渡,1997). ここの片麻岩は角閃石片麻岩,結晶質石灰岩,単斜輝石片麻岩,黒雲母片麻岩からなり,塩基性 ( 角 閃石 ) 片麻岩と晶質石灰岩が多く,泥質片麻岩が少ない.地質図上では結晶質石灰岩の厚さ ( 幅 ) は 最大 1km を超える.片理の方向は E-W ないし NEE-SWW で傾斜は 30 ~ 70°南あるいは北に傾く. 石灰岩が多いこと,泥質片麻岩が少ないこと,など勝山市西部地域の飛騨変成岩とは異なる性格を持っ ている. 石川県 (1988) が作成した土地分類基本調査 「大聖寺・三国・永平寺 ( 石川県分 )」 の表層地質図お よび絈野 (1993 編・著 ) によれば,勝山市西部地域から北西方向の石川県九谷地区には晶質石灰岩を 伴う片麻岩類が分布し,角閃岩の貫入により鉱床が形成されている.これらと勝山市西部地域の飛騨 変成岩との類似性は低いようである.また能登半島にはいくつかの片麻岩類の小露頭が点在している ( 今井ほか,1966:金山・広井,1979:広井ほか,1982:角ほか,1989).これらについては,あまり にも遠方であり,散点的でもあるので,比較が困難である. 以上のことから,勝山市西部地域の片麻岩類は 「荒島岳図幅」 の飛騨片麻岩類と,完全には一致し ないが,地質構造上および岩質上かなりの類似点が認められる.石川県側の片麻岩類とは岩相がかな り異なるといえる.なお,勝山市西部地域の片麻岩の変成温度として 720℃ ( 鈴木ほか,1989),真名川・ 谷戸口の片麻岩の変成温度として 660℃ ( 和田,1982) が報告されている. 勝山市西部地域の地質と飛騨帯の他地域の地質の比較 歴史的に,飛騨変成帯は東部岩体,中部岩体,西部岩体に分類され,それぞれ特徴的な性質をもっ ている ( 諏訪・小林,1966:加納,1975b,1982:相馬,1980:秋山,1980:相馬・秋山,1984).東 部岩体の東側には宇奈月帯 ( 宇奈月変成岩グループあるいは宇奈月ゾーン ) も存在する ( 第 2 図 ).福 井県や石川県に分布する片麻岩類は西部岩体にも含まれず,加納 (1975a,1982,2005) では,「石動山・ 宝達山・手取川上流・九頭竜川・( 隠岐島後 ) 岩体」などとして羅列されているがそれらの特徴は述 べられていない.点在岩体とよばれることもある ( 秋山,1980).福井県・石川県下の片麻岩類の分布 が狭く,さらに露頭状況が悪いことに起因して調査が遅れていることを反映しているのであろう.勝 山市西部地域は,地理的分布からいえば,飛騨帯西部岩体にもっとも近い.それにしても勝山市西部 地域は飛騨帯西部岩体から西方におおよそ約 50km も離れていることを念頭におかねばならない. 勝山市西部地域の片麻岩類と他の岩体の片麻岩類との比較を行ってみる.まず,石灰岩であるが, 加納 (1998) による飛騨帯の石灰岩層の記載を参考にする.東部岩体中の石灰岩層は厚さ数 10cm から 20 ~ 30m 程度で膨縮に富んだレンズ状であり,延長は数 km 以下である.中部岩体の石灰岩では 1 枚 1 枚の石灰岩層は膨縮に富んだ不規則なレンズ状であり,厚さは数 10cm ~数 10m( 和田川では最 大厚さ 200m),走向方向に 10km ほど連続するものがある.勝山市西部地域にはこのようなサイズの 石灰岩層は存在しない.飛騨帯西部岩体の東部では小規模な石灰岩層が切れ切れに分布するが,西部 服部  勇

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ので断定的ではないが,準片麻岩類は泥岩・砂岩起源の,いわゆる泥質片麻岩や砂質片麻岩であり, 岐阜県北部の片麻岩同様に ( 荒川,1982),片麻構造 ( 縞状構造 ) は本来の地層面を表していると考え られる.緑色片麻岩類の原岩は不明であるが,閃緑岩質片麻岩あるいは片麻状閃緑岩であり,ピンク 色のアルカリ長石を多く含む.準片麻岩類と緑色片麻岩類の分布域は異なる.準片麻岩類は他の岩石 に比べ,分布域が広く,それが示す褶曲構造もゆったりとしたものである. 加納 (1980) によれば,飛騨変成帯西部地域の北半部の特徴として,①この地域の準片麻岩は細粒の 黒雲母片麻岩,角閃石片麻岩,輝石片麻岩のうちの 2 者の細互層ないし縞状片麻岩よりなる.( 東部, 中部地域では細互層が発達しない ),②細互層の粒度や厚さは安定しており,各縞はよく追跡できる, ③地域全体で岩質・岩相が安定しているため,地層の細分ができない.地層区分の 1 単位が大きい, ④石灰岩の規模が大きい ( 数 100m を超える.東部・中部では 100m を超えることはほとんどない ), ⑤構造が単純で変形量が小さい,⑥船津期の変形の影響が小さい.秋山 (1980) も同様な見解を述べて いる.これらに従えば,勝山市西部地域の準片麻岩からなる地区 ( 勝山市西部地域の南東部 ) は,石 灰岩の規模を除いて飛騨変成帯西部地域北半分と類似点が多い.準片麻岩のグループが示すほとんど 水平の片麻構造 ( 片理 ) は,水平に堆積した地層がわずかな変形を受けながら変成作用を受けたこと を物語る.また,準片麻岩類は堆積構造を残す程度しか変成・変形作用を受けていないことも示す. 飛騨帯には角閃石斑れい岩,変斑れい岩,あるいはメタベーサイトとよばれる塩基性岩が出現す る ( 春日井,1960:太田,1961).飛騨帯の斑れい岩は外側帯 ( 外縁帯側 ) と内側帯 ( 外縁帯から 5 ~ 10km 西側 ) の 2 つに分かれて分布する.外側帯の斑れい岩は現今の宇奈月帯に関係し,幅 2km,長 さ 10km 程度である.石灰岩層を数枚挟む.片理は弱く,分布は局部的で不規則である.内側帯の斑 れい岩は南北に延び,その幅は 30 ~ 50m である.弱い片理をもつ粗粒斑れい岩である.角閃石のサ イズはミリメートル単位であり,勝山市西部地域の角閃石斑れい岩に比べたらとても細粒である.分 布の広がり,角閃石の結晶サイズにおいては勝山市西部地域の角閃石斑れい岩類は外側帯のものとも 内側帯のものとも異なる. 加納・寺山 (1995) は神岡地区のメタベーサイトを 3 つのタイプに分類した.それらは,片麻状構 造が発達するもの ( タイプⅠ ),塊状~片麻状で,著しく不均質であり,変成岩組織を示すが,一部 には火成岩組織を残すもの ( タイプⅡ ),それに粗粒 ( 角閃石の長柱状結晶は 30cm の長さに達する ), 塊状で自形の角閃石が明瞭で火成岩組織をよく残すもの ( タイプⅢ ),である.この分類に従えば, 勝山市西部地域の角閃石斑れい岩質岩石はタイプⅢに分類されるであろう. 加納ほか (1989) によれば,神岡鉱山地域のメタベーサイトは高原川東岸に沿って東西 1 ~ 2km, 南北 12km の狭長な分布を示す.角閃石は弱い面構造を示す.通常,中粒から粗粒な岩石で,角閃石 のサイズは 1cm 以下である.メタベーサイトは広域変成作用を受けた後に船津花崗岩類による熱変 成作用を受けている可能性が高い ( 加納,1976b).角閃石の K-Ar 年代 (192 ± 6Ma) はこの時期のも のであり,加納・寺山 (1995) によれば,熱変成作用に先立つ広域変成作用は 210 ~ 250Ma と推定し ている.結局,メタベーサイトは飛騨帯に併入した斑れい岩~閃緑岩 ( ~トーナル岩 ) が広域変成作 用を受けていろいろに変成した岩石である ( 加納ほか,1989).勝山市西部地域の角閃石斑れい岩や神 岡地域の類似岩である変斑れい岩の中にはサイズが 5 ~ 30cm の長柱状の自形の角閃石岩も存在し, 火成岩の組織を残し,新鮮である.このように神岡鉱山を含む中部岩体には勝山市西部地区の角閃石 斑れい岩に類似したものが存在するが,東部岩体など他の岩体には類似岩は存在するが小規模であり, 勝山市西部地域とは違いがあるようである. 以上の検討から勝山市西部地域の飛騨変成岩の内,地域南東部すなわち準片麻岩からなる地区は飛

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騨帯西部岩体の北半分 ( 加納,1980) に類似しており,一方,地域北西部すなわち角閃石斑れい岩を 主とする地区は飛騨帯中部岩体に類似している.加納 (1980,1982) は,飛騨帯東部岩体,中部岩体, それに飛騨古川地域 ( 野沢ほか,1957) で代表される西部岩体南半部 ( 以上をまとめて和田川-神岡帯 ) と,西部岩体北半部 ( 久婦須川帯 ) との間には岩相上,構造上大きな相違があるとしている.これに 従えば,勝山市西部地域は,大局的には,西部岩体北半部に近似性がある.勝山市西部地域の北側に あたる手取川上流の飛騨変成岩類は飛騨帯西部岩体に類似するとされており ( 加納,2005),このこと も傍証になるであろう.それにしても勝山市西部地域は飛騨帯西部岩体とは数 10km 離れており,直 接の対応関係を求めるのは無理かもしれない. 加納 (2005) は,西部岩体の北半を中心にして,中部岩体や東部岩体がその周りを取り巻いていると している.一方,鈴木 (1989) は,従来からの飛騨帯の区分 ( 東部岩体,中部岩体,西部岩体 ) とは別 に変成度の観点から外側地帯と内側地帯に区分できるとした.この区分では勝山市西部地域はより変 成度の高い外側地帯に含まれ,この地域の準片麻岩中の複輝石片麻岩の変成温度は 720℃程度であっ たとされている ( 鈴木・田村,1981:鈴木ほか,1989).勝山地域を含む飛騨変成帯外側地帯では変成 作用のピーク時には 20km を超える埋没深度が見積もられている ( 鈴木,1989).小松ほか (1993) によ れば,内側地帯とその下位にあった外側地帯がまくれ上がり,上位の内側地帯が削剥され下位の外側 地帯が露出した.勝山市西部地域では,堆積構造を保持したまま地層がこの温度 ( すなわち深度 ) ま で埋没し,片麻構造が形成され,さらにその後花崗岩類の貫入などがあり,後退変成作用を受けた. 荒川 (1982) は西部岩体のうち,岐阜県北部の飛騨変成岩の片麻構造がつくるほぼ水平なながれ褶曲は 三畳紀に,そして褶曲翼が開いた曲げ褶曲は変成岩の隆起後 ( ジュラ紀以降 ) に形成されたと考えて いる.勝山市西部地区では手取層群や足羽層も 20°から 30°程度傾斜しているので,その下位にある 飛騨片麻岩類も同時に変形を受けたはずであるが,それ以前の状態を復元するには至っていない.ま た,この地域の飛騨変成岩類が,これらの地帯構造上どのような位置にあるかは,残念ながら現在述 べることはできないので,今後の研究に期待したい. 勝山市西部地域の片麻岩からみた福井県内の飛騨変成帯の構造 福井県内に分布する飛騨片麻岩類の構造については,分布が断片的であるため,理解が進んでい ない.磯見・野沢 (1960) は荒島岳から勝山市西部の片麻岩の基本構造は NWW 方向であり,県境か ら手取川地域では NNE 方向になっていると考えている.近年でも福井県内での片麻岩体の構造 ( 延 びの方向 ) は,飛騨変成帯東部岩体・中部岩体それに西部岩体の構造から,東西方向のトレンドが 推定されてきた ( 日本の地質「中部地方Ⅱ」編集委員会,1988 編 ).最近でも福井県内での飛騨外縁 帯との境界の延長はほぼ東西とみなされている ( 例えば , 相馬・椚座,1993:束田ほか,2004:束 田,2006:椚座・丸山,2011).「荒島岳図幅」の堆積岩起源の片麻岩 ( 含石灰岩片麻岩 ) については 河合ほか (1957) により,NWW-SEE 方向の褶曲軸をもち,東にプランジする背斜構造をなすと観察 されている.勝山市西部地域の堆積岩起源の飛騨片麻岩のうち南部に分布する準片麻岩については今 回の調査により,NWW-SEE 方向の褶曲軸をもち,NWW 方向にプランジする向斜構造をなすこと が判明した ( 第 5 図 ).九頭竜川左岸側の今までの筆者の調査結果を加味すると,九頭竜川にほぼ平 行してこの向斜構造と平行な背斜構造が存在する可能性がある.なお,国道 158 号の北側 ( 芦見川沿 い ) の片麻岩は小露頭であり ( 服部,2013),全体の構造を把握するには至らなかった.また,福井市 東部と大野市西部の片麻岩はピンクのアルカリ長石を含む緑色花崗岩質片麻岩であり,堆積岩起源と は思えないし,仮に堆積岩起源としても堆積構造の認定が難しいので ( 服部,2015),第 5 図からは 除外してある.福井市西天田で見つかった石炭紀後期の化石を含む石灰岩の存在 ( 梅田ほか,2008: Tazawaetal.,2010) は,この地域では飛騨変成岩帯の南限が NW-SE 方向に延びていることを示し ている. TsukanoandMiura(1959) や前田 (1961) は手取層群の構造についてもこの NWW-SEE 方向の向斜・ 背斜構造を考えている.なお,梅田 (2014,2016) の調査結果によれば,飛騨花崗岩体の分布の南限は, 服部  勇

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おおよそ,池田町稲荷・板垣・吉野瀬川・干飯崎を通る東西方向の断層地形 ( 吉野瀬川断層 ) にある として問題はない. 謝 辞 勝山市西部地域の調査とその結果の取りまとめに対して,福井大学地学教室の諸先生には大変お世 話になり,いろいろ便宜を図っていただいた.記して謝辞とする . 文 献 秋山伸一,1980:飛騨帯の地質構造と神岡型鉱床群の鉱化について ―神岡鉱山の地質鉱床に関する 広域的研究 ( その 1)―.鉱山地質,30,345-362. 荒川洋二,1982:岐阜県北部の飛騨変成岩類の変形史.地質学雑誌,88,753-767. 地質調査所,1939( 地質図 ),1940( 説明書 ):7.5 万分の 1 地質図「福井」.( 説明書には触れていない ) 地質調査所,1955:20 万分の 1「福井県地質図」. 地質調査所,1999:20 万分の 1 地質図「金沢」. Fujita,M.,2003:Geologicalageandcorrelationofthevertebrate-bearinghorizonsintheTetori Group.MemoirofFukuiPrefecturalDinosaurMuseumNo.2,3-14. 福井県,1954:「地下資源の全貌」.福井県経済商工課,272p.同第二輯 47p. 福井県,1969:15 万分の 1「福井県地質図」および同説明書,117p. 福井県,1988:土地分類基本調査「永平寺」,43p. 福井県,1996:土地分類基本調査「越前勝山・白山」,43p. 福井県,2010:10 万分の 1「福井県地質図 (2010 年版 )」および同説明書,173p. 服部 勇,2011:福井県内のいくつかの地域の地質.その 1:巣原-水海地域,冠山-金草岳地域, 第5図.‌‌福井県勝山市西部地域南部と荒島岳地域の堆積岩起源と思われる片麻岩の構造.大きく見れ ば,西北西-東南東方向の褶曲軸をもつアンチフォーム,シンフォーム構造があり,それに 支配されて,片麻岩の片理の走向・傾斜が決められている.なお,褶曲軸のプランジ方向は 勝山側と荒島岳側では異なっているようである.

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参照

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