レッシングの劇詩「賢者ナータン」
-宗教的真理・寛容と『人類の教育』-
渡 邉 直 樹
はじめに
ゴットホールト・エーフライム・レッシング (Gotthold Ephraim Lessing,1729-81)の劇詩『賢者
ナータン』(Nathan der Weise,1777)1は、ナータ
ンによる「三つの指輪」の相続者の挿話が重要な 意味を持つ。ヨーロッパに古くから伝わる「三つ の指輪」にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教を 喩え、人間愛を指輪に備わる力として、その力を 証明できる者が真の指輪の所有者、つまり「唯一 の真の宗教」であると説く。この指輪に備わる人 間愛とは啓蒙主義時代における宗教的「寛容」の 理念であると解釈され、『賢者ナータン』はその 思想の普遍性ゆえ、今日なおアクチュアリティを 失っていない。 しかし、劇行為においては「正しい指輪」の証 明も、同様に「唯一の真の宗教」あるいは「正し い信仰」も示されていない。むしろ、このことが 宗教・神学的思索が真理へ至る「努力」の過程で あり、「真理は神の手に委ねられている2」とい うレッシング自身の宗教思想のあらわれなのであ る。つまり、劇詩『賢者ナータン』はレッシング の宗教的世界観の表明であり、「賢者ナータン」 はレッシングが追究し続けた「宗教的真理と信仰」 に関する思索の代弁者である、ということができ る。 レッシングは『賢者ナータン』の創作動機の 一端が、ヘルマン・ザームエル・ライマールス (Hermann Samuel Reimarus,1694-1768) の 過 激 な 理神論の一部を公開したことに始まる正統派牧 師ヨーハン・メルヒオール・ゲッツェ(Johann Melchior Goeze,1717-1786)との神学論争とその論 争を妨げた権力との対決にあったことをライマー ルスの妹エリーゼ(Elise Reimarus,1735-1805)に 宛てた手紙で明かしている。「わたしのむかしの 説教壇、つまり舞台上で邪魔されずにわたしに説 教をさせてくれるかどうか試してみよう3」と。 この意味で、『賢者ナータン』は確かに宗教の内 的真理を追究するレッシングの多様な思索の具体 的あらわれであるが、一方、時代の宗教・神学批 判という社会性も有している。つまり、レッシン グによる宗教の内的真理の追究と不合理な社会的 矛盾の告発、この両者はともに啓蒙主義の宗教的 「寛容」の精神を前提したものに他ならないので ある。 ノ ー ベ ル 文 学 賞 受 賞 作 家 ト ー マ ス・ マ ン (Thomas Mann,1785-1955)がヒトラー・ナチスに 追われ亡命の苦難のうちに国家と民族の歴史、未 来を反省した際に、宗教と民族の対立の和解を福 音と教育に基づく人類普遍の愛の高みにおいて克 服可能である、と説いた「世界的市民4」レンシ ングを引き合いに出し論じたことは、マンもまた レッシングの「寛容」の思想と同じ時代精神を分 ちあっていたことを、そしてレッシングの思想の 普遍的アクチュアリティを明らかにしている。 本稿は、劇詩『賢者ナータン』とレッシングの 宗教・神学的思索の過程を検証しつつ、レッシン グが本来的に有していた啓蒙主義の「寛容」思想 のアクチュアリティを現代に蘇らせる試みであ る。 『賢者ナータン』と「三つの指輪」の話 レッシングは理神論者ライマールスの著作『神の 理性的崇拝者の弁明あるいは弁護の書』(Apologie oder Schützschrift für die vernünftigen Verehrer Gottes,1735-1767) の一 部を『 一 無 名氏の断片』 (Fragmente eines Wolfenbüttelschen Ungennanten,
1777)として公 刊したことが原因で正統ルター派 からキリスト教の敵とみなされ、論争を余儀なく される。そして、その論争を不当な圧力によって 中断させられたとき、当時のドイツではまだ馴染
みのない五脚抑揚格の無韻詩行・ブランクヴァー ス(Blankvers)5による劇『賢者ナータン』をもっ て、再び闘いの場へと赴いた。 しかし、レッシングの劇詩『賢者ナータン』は 単に偏狭なルター正統派への挑戦でも、一キリス ト教のみを対象に議論するためのものでもない。 時代の宗教・神学問題への挑戦であり、宗教の本 質を自由な人間理性をもって思索し議論すること を許さない 18 世紀ドイツ社会と精神構造への批 判であり、何よりも、宗教的真理を宗教のかたち ではなく、信仰の在り方に追求するレッシング独 自の思想のあらわれと見ることができる。 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教がそれぞれ の教義と成立の歴史的過程、民族の違いを超えて 共存できる人類普遍の宗教の在り方を、当時、ド イツ社会一般に受け入れられていなかったユダヤ 人「ナータン」を主人公として描き出そうと意図 したのである。 『賢者ナータン』の枠組みとしての素材は、レッ シングによれば、ジョヴァンニ・ボッカッチョ (Giovanni Boccaccio,1313-1375)の『デカメロン』 (Decameron,1348-53)にあるユダヤ人メルヒセデ クの逸話に負う。中世以来、ヨーロッパには時と 場所は異なるが「三つの指輪」の逸話が何度も文 芸作品のモチーフとされてきた6。これらの逸話 はもちろん同一ではなく、形式においても内容に おいても種々異同はあるが、宗教の問題がその主 要テーマである点で一貫している。そこには、そ れぞれの時代精神と作者の創作意図があらわれて おり、宗教的精神の歴史的展開を読みとることが できる。レッシングの『賢者ナータン』もこの延 長線上に位置づけられる。 レッシングがいつこの話を知り、このユダヤ人 メルヒセデクの人となりをナータンに投影した かは 1778 年 8 月 11 日付弟カール(Karl Gotthelf Lessing,1740-1812)宛て手紙が明らかにする。 わたしは、劇の内容があまり早く知られる ことはよくないと考える。しかし、お前やモー ゼスがそれを知りたいというなら、ボッカッ チョの『デカメロン』第一日のユダヤ人メル ヒセデクの話をひもとくがよい。わたしは、 それにあわせて非常に興味深い挿話を考え出 した7。 劇詩『賢者ナータン』は、富裕なユダヤ人ナー タン、イスラム教徒の王・サラディン、そしてキ リスト教徒の神殿騎士の三人を主たる登場人物と し、その縁の者数名の端役を加え、1192 年のエ ルサレムにおけるある一日の出来事として劇行為 が進行する。 ナータンがバビロンに旅行中住まいが全焼す る。そのとき危うく焼け死ぬところであった養女 レヒャは、サラディンに捕らえられていたキリス ト教徒の神殿騎士により救い出される。ナータン は宗教・信仰の違いを超えてレヒャを救ってくれ た神殿騎士に感謝するが、神殿騎士は当然の義務 を果たしたまで、とつれない。 ナータン自身告白するところ、実はキリスト教 徒がユダヤ人を襲った際に、妻と 7 人の子供を家 ともども焼き殺された体験をもつ。この事件を切 掛として、ナータンの養女レヒャと神殿騎士との 間に心が通い始める。 そのうちに意外な事実が判明する。神殿騎士と ナータンの養女レヒャは、実は、兄妹であり、二 人の父はサラディンの早世した弟アサート、母が ドイツ人女性である、と。こうして、三人の血縁 者同士は邂逅・抱擁しクライマックスを迎える。 この劇行為の進行において、お金を無心するた め難題を持ち出すサラディンとその難題と貸金を 巧みに回避したいナータンとの駆け引き材料とし て「三つの指輪」の逸話に「三つの宗教」が組み 込まれ、ナータンに賢人の役割が与えられている。 指輪の相続者に要求される人間愛と善行、および 三者の家族関係が判明するにおよび民族・宗教の 違いを超える人類普遍のヒューマニズムの理念 が、ここに明示される。そして、この理念とは「愛」 であり、レッシングの宗教的寛容と真実の宗教の 前提となる。 『賢者ナータン』第 3 幕第 6 場のナータンによ る「三つの指輪」の喩え話と『デカメロン』の「三 つの指輪」の話、そしてナータンと『デカメロン』 のメルヒセデクとの間にはいかなる連関があるの であろうか。『デカメロン』の概要を紹介しよう。 バビロンのスルタン・サラディンは、戦争と自 分自身の浪費癖のため窮乏に瀕し、アレクサンド
リアで高利貸を営むユダヤ人メルヒセデクに借金 を申し込む。しかし、このユダヤ人はサラディン の願いをききいれようとはしない。そこでサラ ディンは一計を案じなんとか金を融通させようと する。つまり、メルヒセデクに難問を課し、その ことば尻を捉えてなんとか自分の望みをかなえさ せようとする。その問とは、ユダヤ教、イスラム教、 そしてキリスト教の三つの宗教のうち、いずれが 真実の宗教か答えよ、というものであった。もち ろん、賢いメルヒセデクはこの罠を見破り、直接 答えるかわりに一つの喩え話をもってこれに応じ る。 昔、裕福な男が一個の高価な指輪を所持してお り、この指輪を家宝とするため、息子たちのうち この指輪を相続したものが一家の長となるという 家訓を定めた。こうして代々伝えられた指輪を、 あるとき三人の息子をもつ父親が相続した。彼の 息子たちはいずれも甲乙つけがたく、また父親に も従順であった。父も自分の息子たちに分け隔て なく対した。家宝の指輪の話をすでに知っていた 息子たちは、それぞれ自分が指輪を相続するに相 応しいと信じてその権利を主張した。 父親は思案の挙句、ついにそっくり同じ指輪を 二個作らせ、息子たち一人ひとりに指輪を与えこ の世を去った。三人の息子たちは、自分こそが指 輪の相続者にして家長であると名乗りをあげた が、指輪は偽物も本物も区別がつかないほど精巧 であったため、その真贋を特定できず、結局、正 統な相続人も決定できないままであった。この喩 え話をもって利口なユダヤ人メルヒセデクは、既 存の三宗教はそのいずれが真実か未だ決定されな い状況にあると答え、サラディンがかけた罠を巧 みにはずした、という。 『デカメロン』においてはメルヒセデクのサラ ディンへの回答は、指輪の真贋が特定できないの と同様に三つの宗教のうちいずれが真実であるか も特定できない、で終えている。これに対しレッ シングの『賢者ナータン』におけるユダヤ人ナー タンのサラディンへの回答には、訴え出た三人の 息子たちに対する裁判官の判決が、続く第 3 幕第 7 場で示されている。つまり、レッシングはメル ヒセデクをナータンに代えたばかりでなく、ナー タンをして裁判官に言わしめる裁定を付加した。 換言すれば、この「改編」にレッシング独自の宗 教思想が読み取られてしかるべきであろう。 裁判官曰く、指輪には「指輪の所有者を神にも 人にも愛されるものにするという神秘的力が備 わっている」。したがって、指輪の真贋を特定で きない今、三人の兄弟のうちだれが正統な相続人 であるかを認定する基準は、この指輪に備わる神 秘的力である「その所有者を何人にも好ましい者 にする」ことにある。しかし、かりに三人が互い に憎悪し合っているとすると「指輪はいずれも自 分にだけ働きかけるが、自分以外の人間には働き かけることはなく、自分だけを一番愛することに なり」、いずれも贋物となる8。つまり、指輪に本 来備わる「神にも人にも愛される者にする力」と は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教に読み替 えた場合、人間愛や善行の実践であり、すなわち それは宗教・信仰の真理でなければならない。こ の前提で、裁判官は次の裁定を与える。 いずれも、身びいきのない 無我の愛を求めるがよい。 いずれも指輪の宝石の力があらわれるよう 励むがよい。 やさしい心根と安らぎの気持ち、 善意と神への帰依の心をもって 指輪の力を頼むがよい9。 裁判官は指輪の真贋の特定に喩えて三つの宗教 の争いは無益であり、唯一真実の宗教とは宗教の かたちではなく、「無我の愛を求める」努力にあり、 それが「真実の宗教の証である」と説く。この裁 定が、サラディンの問「三つの宗教のうちいずれ が真実か」に対するナータンの回答であり、また、 神殿騎士、養女レヒャ、サラディン三者の抱擁で 終わる劇行為とも一致する。同時に、作者である レッシングの宗教的姿勢と解釈できる。 レッシングは神殿騎士とレヒャが兄弟であり、 その父親がサラディンの弟アサートであるという 劇行為によって、信仰する宗教が異なっていよう と人間愛の導きをもって宗教的真理は同一である ことを指示している。しかし、ナータンが語る裁 判官の裁定はサラディンの問いである「どの宗教
が真実か」の直接的回答とは言えない。裁判官は 最後にこう忠告を与える。 宝石に備わる力が、 お前たちの子孫の代にあらわれたなら、 数千年の時を隔てて、わたしは お前たちをまたここに召喚しよう。 そのとき、わたしより賢明な人がこの座に すわり、そして、判決をくだされよう10。 賢明な裁判官の判決は、数千年後の結果に基づ き下される。換言すれば、現実はいずれの宗教も 真実とは言えない。しかし、イスラム教とユダヤ 教、キリスト教の三つの宗教が、互いに歴史上の 憎悪や偏見を克服し、愛に基づく宗教を取り戻し たとき、人類は宗教と民族の違いを克服し融和が 実現可能となる。ここにおいて普遍的ヒューマニ ズムと宗教的真理とが一体的に開示される。そし て、レッシングはこの両者を仲介する啓蒙主義の 人間理性に基づく「寛容」の精神を個々人に要求 する。これが、レッシングが確信する宗教的寛容 に基づく宗教的真理であり、信仰の在り方である ということができる。 劇詩『賢者ナータン』は伝統的な劇のジャ ンルに照らしてみると悲劇でもなければ喜劇 で も な い。 批 評 家 ハ ン ス・ マ イ ヤ ー(Hans Meyer,1907-2001)は、「賢者ナータンはレッシン グではない。レッシングの思想をあらわしている 11」と評したが、レッシングも『賢者ナータン』 草稿の序において、「既存の宗教に対するナータ ンの思想は以前からわたしのものであった12」と 語っている。そして、弟に次のように告白してい る。 わがナータンは、上演されることがないで あろうが、上演されても所期の成果は得られ ないかも知れない。興味をもって読む人千人 のうちで一人でもこれによって自分の宗教の 自明性と普遍性とに疑問を持ってくれたなら それで充分である13。 レッシングの予想通り、つまり『賢者ナータン』 は「啓示宗教に好意的ではなく、……人々の感情 を逆なでするような調子が全体を貫いている」が ゆえに同時代の上演には向かなかった。それは、 同時代の「どんな人々によっても受け入れられる ことも、読まれることも、批評されることも困難 な劇14」であった。しかし、「共感させるという よりも、共に考えさせようとする」という意味に おいて、レッシングの意図を同時代の知識人は敏 感に感じ取った。ヨーハン・ゴットフリート・ヘ ルダー(Johann Gottfried Herder,1744-1803)は 24 部も予約したという。フリードリヒ・シュレーゲ ル(Friedrich Schlegel,1772-1829)は未完であった 「レッシング論」(Über Lessing)を新たに構築す るべく、その中核に『賢者ナータン』を据え、「こ れがレッシングの文芸全体の最良の弁明書である 15」とまで述べた。レッシング研究者ベンノ・フォ
ン・ヴィーゼ(Benno von Wiese,1903-1987)も、ナー タンを「第一に歴史的存在から離脱し、第二に精 神的人格へ高められ、第三に世界観と人間観にお ける楽観主義を有する」人物として、「これら三 つの特徴のなかに啓蒙主義の根本思想である超越 的妥当性、自律的理性、調和的世界像が体現され ている16」と時代精神を分析している。 一方、『賢者ナータン』には既存の宗教・神学 批判を超える宗教的真理と現実の信仰との間の乖 離を認識し、両者間を架橋し、宗教を信仰の対象 として改めて蘇らせようとするレッシングの宗教 哲学的目論見を見て取ることができる。そして、 レッシングは宗教の歴史を人類の発展過程になぞ らえるという歴史哲学的考察において一つの実り 多い成果を上げることができた。これが、歴史哲 学の最初の試みともみなされる『人類の教育』(Die
Erziehung des Menschengeschlechts,1780)である。 「だれにも愛される者」になるとは、すなわち 人間が自我を超克した人間としてあるべき理想の 姿である。幼年時代、青年時代、成人時代をそれ ぞれヒューマニズムに導かれ成長する「人類の歴 史」において、人類が必ずや「新しい永遠の福音 のとき」を迎えることをレッシングは宣言しよう とした。紆余曲折があっても「そのときは来るで あろう。必ずや来るであろう。完成のときは17」と。 「新しい永遠の福音のとき」に人類が獲得する に至った「愛」こそが、レッシングの信仰の中核 を形成するものであり、三つの宗教それぞれの最
高目標とならなければならない。三つの宗教キリ スト教、ユダヤ教、イスラム教はそれぞれ今ある かたちが異なるとしても、啓示宗教としての宗教 的真理において「愛」をもって一致する。この「愛」 が人類共同体の形成を導く理念であり、ここに至 る教育過程が歴史である。『人類の教育』は、こ の意味で、レッシングのまさに「啓示」ともいえる。 キリスト教がローマ帝国の国家宗教となり、異 教徒としてのユダヤ人がイエス・キリストを殺害 した民族として憎しみの対象となるに及んで、宗 教における争いと憎悪の歴史が生まれた。そして、 ここに「父」なる唯一の神を崇拝するムハンマド が創始したイスラム教が加わり、それぞれ神の啓 示の上に成立する三つの宗教は、その三つの啓示 という矛盾の解決、つまり真正なるただ一つの宗 教を求め理論のみならず戦争を伴う闘争を始め た。「三つの指輪」の喩え話もこうした宗教の歴 史的展開のなかで時代の状況に支配されながら伝 えられ、また創作されてきた。レッシングは、こ の話に宗教的平等主義や宗教的寛容の思想を、一 方、宗教的懐疑主義を敏感に感じ取っていた。な ぜなら、政治権力が人間精神を支配していた 18 世紀ドイツ社会こそが、宗教を互いに懐疑的かつ 非寛容的にしていたからである。 キリスト教と宗教的真理 レッシングの宗教的考察は、1740 年代の 20 歳 前後に書いた論文『人間の幸福について』(Über Glückseligkeit des Menschen,1747-48)や詩『宗教』
(Die Religion,1749)、および喜劇『自由思想家』(Der
Freigeist,1749)に始まる。そして、宗教改革によ り宗教史上異端とされたヒエロニムス・カルダー ヌス(Hieronimus Cardano,1501-76)らの「救済」に、 さらに宗教・神学に関する思索の深化は理神論者 ライマールスの著作の一部を『一無名氏の断片』 として順次公刊したことに起因するゲッツェらと の論争、その他多数の批評や論考、聖書研究に見 て取ることができる。 プロテスタントの牧師を父にもち、一度は神学 を学ぶことを志したレッシングが「神学の研究者 ではなく、神学に関心ある者18」に過ぎないと述 べたところで、神学はやはり特別な位置を占めた。 確かに、劇作家にあこがれ最終的には著作家とし て身を立てざるを得なかったレッシングにとっ て、神学は精神を束縛するものであっても豊かに するものではなかったであろう。しかし、レッシ ング自身の思想と知的営為を規定し続けたものは やはり神学であり、レッシングに神学を学ぶこと を放棄させたものもまた、神学に他ならなかった。 レッシング二十歳代に父親に宛てた手紙にすで に既成宗教に対する疑問が示されている。 キリスト教の教義を覚え、それを理解もせ ずに始終唱え、教会へ通い、習慣のためだけ にあらゆる儀式を行うのがより良き信徒であ るのか、あるいは疑問に思ったことの探求の 過程を経て確信に達するか、達する努力をは らうのがより良き信徒であるのか、時が教え てくれるでしょう。[……]わたしはキリス ト教の最も重要な教えの一つ『汝の敵を愛せ よ』がよりよく守られない限り、キリスト教 徒と自称する者がほんとうにそうなのか、疑 わしいのです19。 このことばから、レッシングが時代の宗教にお ける聖職者の権威と救済を希求する市民公衆との 間の乖離を洞察していたばかりでなく、すでに後 の劇作『賢者ナータン』における宗教的テーマの 中核となる「汝の敵を愛せよ」をもって宗教の存 在意義と真理とを検証しようと志向していたこと がわかる。そして、アクチュアルな宗教的課題を 鋭く看破したレッシングの宗教的真理追究の姿勢 はキリスト教そのものの真理の再生という営為に あらわれた。 神学がこの時代の市民的精神の自由への要求と は裏腹に、政治権力と結びついて宗教・信仰の自 由を束縛する方向をとったとき、人間精神を支え る道徳的基盤であった宗教の本質が問われること になったのは必然であった。そして、この問いは、 宗教的信仰へ立ち返るという点において教会で形 式的にキリスト教の教義を説くだけの聖職者に向 けられた。人間精神と思想の自由を縛っている絆 を断ち切ること、換言すれば国家と宗教、社会的 秩序と宗教的秩序、教会と世俗とを切り離して思 考することが宗教の自由の前提とならなければな らなかった。この神学・宗教批判の底辺には啓蒙
主義の合理主義的批判に堪え、なおかつ宗教的真 理を提示できる新たな宗教哲学体系への要求が潜 んでいた。 18 世紀ドイツのプロテスタントは、「永劫の罰」 をはじめ、「原罪」や「三位一体」をめぐる伝統 的キリスト教ドグマをくすぶる火種として、70 年代においてルター正統主義者や、ライマールス ら合理主義理神論者、理性的あるいは合理的正統 主義とも定義される穏健改革主義啓蒙派らがそれ ぞれ正統性や改革を主張し、神学界に三様の対立 的縮図を形成していた。 レッシングの宗教的立場は、確かに明確な体系 として提起されることにはならなかった。しかし、 信仰としての宗教的真理とキリスト教の真理の再 生とを一体的に把握する宗教哲学的思索の過程の うちに、すなわち、硬直的神学と社会の支配体制 に組み込まれた教会制度を批判し、改めてキリス ト教を議論の場に引き出し、キリスト教が有する 宗教的真理を信仰者の観点から提起しようとした レッシングの試みのうちに、それはあった。 レッシングは、聖書の歴史を使徒たちの証言や 彼らの足跡の真実性をもって人類の歴史と同様に 合理的体系として研究し検証することには同意し ない。キリストの教えを書き留めた聖書である啓 示と人類の歴史とを区別し、信仰と理性との間に 合理的連関を打ち立てるという方法によってキリ スト教の合目的性を証明し、それを宗教的真理と して規定しようとした。 つまり、伝統的キリスト教神学における証明方 法の転回を試みたのである。イエス・キリストが 人類の幸福を保証するのではなく、教義が理性的 検証に堪えうる真理であることが証明されるなら ば、キリストその人が救済者として歴史的意味を もつ、と。レッシングは『理性のキリスト教』に おいて、「キリストの宗教」と「キリスト教」と の違いをこう説いている。 キリストの宗教は、キリストが人間として 自覚し実践した、誰もが彼と共有できる宗教 である . 普通の人間としてのキリストに帰さ れる性格が首尾一貫して愛すべきものであれ ば、だれでもますますキリストと共有できる 宗教である . キリスト教は、キリストが人間以上のもの であり、そのキリストをそのまま崇拝の対象 とした宗教である20。 キリスト教の救済思想はキリストの教義にでは なく、イエス・キリストその人に帰されるべきで あり、これが啓示としての真理である。しかし、 この啓示的真理とそれを理性的真理として認識す ることには乖離があり、これに架ける橋はなく、 これを飛び超えることはできない。宗教的真理は 合理的思弁的に証明される性格のものではないこ とを、レッシングは主張する。 神学はもともと哲学体系構築のための場ではな く、宗教的信仰の実践を論する場であった。キリ スト教は確かに歴史批判的吟味を必要とするが、 その吟味は宗教としての在り方や実践、つまり啓 示としての真理を問うものでなければならない。 なぜなら、レッシングよれば、宗教的真理は人間 一人ひとりが自己の精神に目を向け、宗教につい て考え、その極めがたい奥底を探求することによ りその人にキリストとともに開示されるからであ る。 啓蒙の時代、「哲学と神学の本来の学問上の役 割が転倒し哲学は証明によって信仰を強要し」、 「神学は信仰によって哲学を支えよう」としてい る。しかし、「宗教の本質的真理について内的感 情を獲得した」キリスト教徒の心のうちに宗教は 「動かされることなく、また損なわれることなく 生き続けている21」とレッシングは語る。 ライマールスの未刊の著作を一部であれ、あえ て公刊したことは、むしろキリスト教の内的真理 を再確認しようとしたレッシングの一挑戦であ り、ライマールスの徹底的な歴史批判的合理主義 に対してキリスト教の啓示と真理とを弁護する試 みであった。『編集者の反証』を見よう。 この人(ライマールス)の仮設や説明、証 明は、キリスト教徒に何のかかわりがあろう。 キリスト教徒にとって、キリスト教は現に存 在し、キリスト教徒はそれを真実であると感 じ、それで幸福を感じている。[……]宗教 とは福音記者や使徒たちが説いたがゆえに真 なのではなく、その宗教が真であるがゆえに
彼らは教えたのである。文字で語り伝えられ たもの(聖書)は、宗教の内的真理から説明 されなければならない。そして、文字で語り 伝えられたもの全ては、内的真理をもたなけ れば宗教に内的真理を与えることはできない 22。 レッシングの宗教的真理とは神学や哲学体系に より証明できるものではなく、人間の内的体験に 基づく信仰にある。宗教的真理が仮設と形而上的 思弁的推論に基づくならば、人間の内的精神に よって把握される主観的真理ではなく信仰に値し ない。キリスト教徒の、つまり信仰者の実践的敬 虔的態度により宗教それ自体の真理は自ずと開示 される、と。こうして、キリスト教の宗教として の真理と聖書の解釈とが区別される。ゲッツェへ の「反論」である『自明のこと』(Axiomata,1778) 第 10 命題の証明を見よう。 内的真理はいたずら好きな神学者が自分の 顔に似せて好きなよう象ることができる蝋製 の鼻ではない。内的真理はどこから得るか。 それ自体からである。だからこそ、それは内 的真理と呼ばれる。つまり、それは外からい かなる認証も必要としない真理である23。 歴史的真理と宗教的真理とは同一ではない。人 間が宗教的真理を信じるためには現代的自律的理 性ではなく、伝統的他律的信仰が必要であり、宗 教的真理は理性によって主体的に獲得される真理 ではなく、奇跡と予言による教えそのものなので ある。逆説的ともいえるが、レッシングによれば、 宗教的真理は、この真理にかかわる信仰者の精神 に従ってそれ自体から開示される。したがって、 聖書の教えは宗教そのものに内在する真理に基づ き説明されなければならない。 世界の中心にあって世界を動かしているのが神 であり、その人格化がキリストに他ならず、キリ ストのことばと行為とを伝える聖書が神の啓示で あると説く正統派のドグマも、一方、合理主義に 基づき聖書の真実性への疑問から旧約聖書と新約 聖書には本来啓示の性格はないと見る理神論も、 神の存在証明を試みる啓蒙派の理論も、したがっ て、レッシングには空虚なものに思われた。神の 手にある永遠なる真理を求める試行錯誤の結果で ある真実の宗教は、レッシングにとってこれら思 考の彼方にあった。 レッシングは、何よりも宗教の内的真理を「救 済」しようと企図した。『自明のこと』第 9 命題 を見よう。 文字は精神ではない。そして、聖書は宗教 ではない。[……] したがって、文字や聖書に対する批判は、 その精神と宗教に対する批判ではない24。 「聖書」の解釈に明け暮れる神学者、教義をお 題目として唱え「救済」を願う人々や彼らを囃す 聖職者、彼らにとって真理は永遠に手の届かない ところにある。 内に向かって「神の手に委ねられている真理」 を求めるレッシングの宗教的精神と外に向かって ライマールスの著作の一部を公表したことに起因 する正統派牧師らとの闘いは必然の結果であり、 レッシングにおける宗教的真理は教会・聖職者と の社会的闘いのなかで人間個人の内的精神の救済 というかたちで追求された。この意味で、宗教が 神学と分離したところで信仰の対象として取り戻 されるべく宗教哲学の体系化が図られる必要が あった。 理性と自律的思考とを掲げた啓蒙主義にあっ て、真理へ至る多様な方向を模索しつつ、宗教の 真理において人間中心の思想を体系化しようとす るレッシングの姿勢は精神的自由なくしては実現 できなかった。信仰とは人間個人の内的精神のあ らわれであり、その意味で宗教の相違は信仰の問 題ではない。「啓示」である「聖書」の内容を批 判的に検証することは、信仰としての宗教的真理 を明らかにするための手段であって、「聖書」の 内容が真実か否かはむしろ問題ではない。聖書の 奇跡の物語は、真実か否かは別にしてそれを信じ る人がいることを認め、そのような宗教的世界の 存在を、レッシングは擁護した。レッシングにとっ て、宗教的真理とは、人間精神のあらわれである 信仰者的態度によって保証されるものであり、そ して、この主観的精神によってのみ宗教史上の異
端者「救済」も可能であった。 レッシングにおける人間の宗教性への洞察は、 信仰心に基づくものであり、この点において宗教 的真理は哲学的真理とは異なる次元で捉えられな ければならなかった。そして、宗教的真理は信仰 者としての自分自身のうちに開示されるものであ るがゆえに、宗教は人類の精神的発展のためには 必要不可欠であり、啓示は人類の教育手段として 存在理由をもった。 レッシングは、この意味で宗教の歴史を人類の 発展過程になぞらえる歴史哲学的考察と、一方、 宗教の歴史はそれぞれ多神教、偶像崇拝の混沌時 代、ユダヤ教の時代、キリスト教の時代、新しい 福音の時代と区別され、人類がこれら時代を経て 成長し「完璧に目が啓かれ純粋な心が得られる 25」宗教哲学的考察、この二つの体系を『人類の 教育』において合理的に一体化させることを試み た。100 項からなるそれの第 76 項においてレッ シングは神と啓示と人間との関係を次のように説 く。 啓示的真理を理性的真理へとかえていくこ とは、それを人類に役立てるためには確かに 必要なことである。真理が啓示された段階で は、それはもちろんまだ理性的真理ではな かったわけである。しかし、後に理性的真理 となるためにこそ、それは啓示されたのであ る。……神の本質と、わたしたちの本性、ま た神に対するわたしたちの関係について、人 間理性が自らの力だけで正しい概念を得るこ とができなかったならば、わたしたちは宗教 により、それらの正しい概念へ導かれること があってもよいであろう26。 レッシングによれば、啓示的真理にはアプリオ リに理性的真理は含まれており、その所与の実体 が理性的に認識されるにつれ啓示的真理は理性的 真理へと発展する。つまり、人類の発展とともに 啓示は必要不可欠な知識として人類に理性的に認 識される、と。 レッシングは解決が困難であった歴史性と合理 性とを歴史哲学的認識論において統一を企てたの である。キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教、 その他の異教も含め、それぞれ発展の最高段階に おける宗教的真理は同一でなければならない。「人 間の価値はその人間が所有している、あるいはそ う思い込んでいる真理にあるのではなく、真理を 追究するためにその人が費やした努力にある27」 と。そして、宗教の真理を人間のうちなる精神の 信仰者的姿勢に求めるならば、レッシングの宗教 思想における思考形式は必然的に歴史哲学的とな らざるを得なかった。一方、信仰によって宗教の 内的真理が開示されるという人間の内的精神を根 拠として、キリスト教の真理と宗教的信仰を再生 しようと考えたレッシングは、それゆえ、また宗 教の歴史を教育の場と認識したのである。 むすび 『賢者ナータン』における三つの指輪は、はじ めは一つだけであった指輪が三つになるが、最終 的にはほんものが見つけだされることを前提して いる。しかし、指輪に喩えられたユダヤ教、キリ スト教、イスラム教のうちどれが真正な宗教かは 明かされていない。レッシングの真正な宗教とは、 これら三つの宗教それぞれの神の啓示に内在する 人類普遍の「愛」の顕現なのであるから。ナータ ンはキリスト教徒の神殿騎士を前にしてこう述べ る。 民族、民族とは何でしょう。 わたしたちは人間である前に キリスト教徒であったり、ユダヤ教徒であっ たりするのでしょうか。 人間が人間でありさえすれば、 それで十分であるお一人が あなた様であってくださったことは わたくしにはこの上ない喜びでございます28。 ナータンの人間性のうちに、確かにレッシング の宗教的真理が投影されている。そして、その宗 教的真理は人間個人それぞれの体験と心情に根差 す信仰者としての姿勢のうちにのみ開示され、そ れゆえにまた証明もできないとすれば、宗教的真 理は「無我の愛」により「善」をなす「その人の 努力」に「寛容」の精神として自ずとはあらわれ 出るであろう。
レッシングが最も信頼を寄せ、ナータンのモデ ルとも称される生涯の友人ユダヤ人モーゼス・メ ンデルスゾーンもまた、ユダヤ教徒とキリスト教 徒との和解を促す努力をユダヤ教の教義の解釈だ けにではなく、宗教的真理の洞察のうちに追究し た。「真の宗教、神の宗教はその力を発揮するた めの力は必要ない。真の宗教はただ精神であり、 心なのだ29」と述べることにおいて、メンデルス ゾーンの宗教哲学は心情を通しての信仰により開 示されるというレッシングの宗教的真理と同じ思 想基盤に立っている。そして、メンデルスゾーン がユダヤ教に求めた新しい解釈とは、キリスト教 社会のなかでドイツ人と共存していくための最低 の原理であり、この意味で「寛容」の精神であった。 レッシングの死後 2 年、完成後 15 年あまりを 経た 1793 年 4 月 14 日『賢者ナータン』はベルリ ンでデッベリーン一座によりようやく初演され た。1801 年にはゲーテの依頼を受けたシラーに より原作にかなりの脚色が施された上、ヴァイマ ルでも上演されている。そして、レッシングが『賢 者ナータン』で説く「愛」と「善」を前提するゆ るぎない宗教的「寛容」のアクチュアリティは不 滅であるがゆえに、「時として」わたしたちの眼 前に蘇えってくるのである。 【付記】 本稿は平成 30 年 7 月 6 日および 13 日に慶應義 塾大学において「キリスト教と寛容 ―中近世の 日本とヨーロッパ」の連続講義の一環として行っ た講義内容を加筆修正し、注を付したものである。 1 本稿使用のテキストは<ラハマン・ムンカー版レッ シング全集>(1979 年復刻版)による。『賢者ナータ ン』は第 3 巻(1〜 177 頁)に収載。Gotthold Ephraim Lessing: Sämtliche Werke. Unveränderter photomechanischer Abdruck der von Karl Lachmann und Franz Muncker 1886 bis 1924 herausgegebenen Ausgabe von Gotthold Ephraim Lessings sämtliche Schrifften.(以下 LM と略記)
2 LMX III, S.24. 3 LM XVIII, S.287.
4 Thomas Mann: Rede über Lessing. In: Gotthold Ephraim
Lessing. Hg. v. Gehrhard und Sibylle Bauer, Darmstadt 1968, S.128. 5 Blankvers:押韻のない五脚弱強格詩行。シェイクスピ アを頂点とするイギリス・エリザベス朝演劇の基本的 戯曲文体。宮下啓三『一八世紀ドイツ戯曲のブランク ヴァース』3 頁以下参照。 6 『林達夫評論集』(岩波文庫)東京、1982 年 199 〜 271 頁参照。 7 LM XVIII, S.285. 8 LM III, S.94. 9 LM III, S.94f. 10 LM III, S.95.
11 Hans Meyer: Lessing. Mitwelt und Nachwelt. In: Gotthold
Ephraim Lessing. Hrsg.v.Gehrhard und Sibylle Bauer. Darmstadt 1968. S.280.
12 < ハ ン ザ ー 版 レ ッ シ ン グ 全 集 >(1970-79)Lessing,
Werke 7. Bd.,S.748.
13 LM XIII, S.314f.
14 Lessing im Urteile seiner Zeitgenossen. Hrsg.v.Julius
W.Braun. Nachdruck. Hildesheim 1964, S.249.
15 Kritische Friedrich-Schlegel-Ausgabe. Hrsg.v.H.Eichner.
München-Paderborn-Wien, Bd.2, S.175.
16 Bennno von Wiese: Lessing: Dichtung, Ästhetik, Philosophie.
Leipzig 1931, S.77. 17 LM XIII, S.433. 18 LM XIII, S.109. 19 LM XVII, S.17f. 20 LM XVI, S.518. 21 LM XIII, S.99. 22 LM XII, S.428f. 23 LM XIII, S.128f. 24 LM XIII, S.114f. 25 LM XIII, S.432f. 26 LM XIII, S.432. 27 M XIII, S.23f.) 28 LM III, S.63.
29 Moses Mendelssohn: Manasseh Ben Israel Rettung der
Juden.Aus dem Englischen übersetzt, nebst einer Vorrede von Moses Mendelssohn. In: Jubiläumsausgabe. Bd., 8, S.16.
Zusammenfassung
Es geht in dieser kleinen Abhandlung um die Beziehung zwischen die wahre Religion, dieToleranzdiskussion im 18. Jahrhundert und der geschichtsphilosophischen Idee bei Nathan dem Weisen von G.E.Lessing.
Lessing dichtete im Jahre 1777 „dramatisches Gedicht“ Nathan den Weisen mit Blankvers, um an ein offensichtliches Leserinteresse zu appellieren. Darin bestand eine in Europa verbreitete ‚List‘, den Juden Nathan über die wahre Religion zu vernehmen und ihn aufgrund seiner Konfession zu belasten. Hier läßt sich so eine Frage wie das „Denkmodel“ der Ringparabel von Boccaccio -die Geschichte der drei Ringe- erkennen, welche ist die echte und wahre Religion von drei : Christentum, Judentum und Mohammedanismus.
Lessing hatte schon in der „Rettung des Hier.Cardanus“ (1752) am Beispiel des Streitgespräches zwischen einem Heiden, einem Juden, einem Christen und einem Mohommedaner über die Vorzüge ihrer Religionen und ihre Begründung die Problematik des Nathan berührt und den Vergleich der Religionen als legitime Methode der theologischen Disskusion genuzt.
Es galt Lessing, den Glauben zu einer privaten Angelegenheit und den Staat zu einer rein profanen Institution zu machen.
Nathan, der Mensch des Dritten Evangeliums, ist in eine Welt versetzt, die noch weit vor dieser höchsten Stufe der Entwicklung liegt, dem aufgeklärten Zeitalter der Vernunft. Nathan ist weder Lessing noch M.Mendelssohn, sondern der Vertreter des Gedanken von Lessing. Nathan versucht nicht, die Aporie des Streites zwischen den drei Offenbarungsreligionen dadurch zu beheben, dass er eine neue Vernunftreligion stiftet. Nathans Verhandlungsweise gründet auf seiner Überzeugung, dass die göttliche Vorsehung den Verlauf der menschheitlichen Geschichte steuere. Lessing fordert im wesentlichen Sinne das aufklärerische Ziel der Toleranz und Humanität als dauernde Aufgabe für die Vermeidung konfessioneller Streitigkeiten und die weitere und glücklichere Entfaltung der menschlichen Gesellschaft.
(2018 年 10 月 31 日受理)