国政調査権の限界について
著者
中条 博
雑誌名
東洋法学
巻
4
号
1
ページ
81-90
発行年
1960-06
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007788/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja国政調査権の限界について
中
条
博
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、-' 憲法六二条は﹁両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を 要求することができる﹂と規定し、国会の国政調査権を確立した。これは旧憲法下の帝国議会が法律と予算との審議 権は与えられていながらも、その審議のための材料や手がかりは、物的にも人的にも、政府の提出するものに限定さ れ、議会の側から自由に、しかも自主的に十分な材料にもとづく調査をなすことができず、あたかも、それは聾楼敷 に追いあげられて、ただ賛否を決するにすぎない、いわゆるイエス・マン化にかんがみて設けられた新しい規定であ る 。 このような国会の国政調査権(宮A
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条やワイマ l ル憲法三四条のように明 文の規定もあり、またアメリリカ合衆国憲法やフランス憲法のように明文のないものもあるが、近代憲法国の立法例 国 政 調 査 権 の 限 界 に つ い て 八東 洋 法 品4 寸ー l¥. によって確認されているところである。けだし、議会の国政調査権は、沿革的には、議会制の母国イギリスに発し、 この権限が前提となってイギリスでは早くからこの権限をめぐっていろいろな法制度が生成し発展してきたのであ る 。 イギリスでは、議会が委員会を設けて個人の行為や政府各部の活動を調査する慣行は、すでに一六八九年頃から認 め ら れ て ト 一 か o アメリカは、イギリスの制度を継受しながら、さらに実際の必要に応じて漸次これを拡充したのであ 日ルわが現憲法も、国政に関する調査権を明文化し、近代憲法の仲間入りしたわけであるが、立法例の系譜からいえ ば、やはりアメリカで、 さかのぼるとイギリスの制度に由来するものと考えるのが妥当と思われる。 アメリカ憲法には、議会の調査権をみとめる直接の明文規定はない。しかし、議会は最初からこの権限をもってい ( 一 一 一 ) るものと考えて、これを行使し、その拡充強化をはかつてきたようである。 調査権を認める以上、強制権が伴わないならばそれはナンセンスである。すなわち調査をして実効的ならしむるた めには、その附随的な権限として、証人の出頭および証言を命ずる権限、文書および報告の提出を強制する権限、命 令に服従しない者を侮辱罪として処罰する権限をも伴わなければならないとされる。かような観点から、すでに一七 ︿ 問 ) 九八年(五月三日)および一八五七年(一月二四日)には、これに関する立法措置がなされた。現在のアメリカ合衆 う か 。 こ れ を 、 国憲法にも、それらの内容、がとり入れられている。しかし、このような権限は、憲法の解釈として妥当なものであろ ︿ 五 ) かなり明白な形で解決したのが、有名なマックグレイン対ド
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ハティ事件である。この事件でアメリ カ合衆国最高裁判所は、次のような見解を明らかにした。 ﹁われわれは、調査権がl
これを強行する手続とともに│立法作用の本質的かつ適当な補助
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、-' 国政調査権の本質は、諸外国におけると同じく、これは政府に対する査問ないし監督の意味をもっ。けだし国会が 国権の最高機関としての機能を果すためには国政全般について正確な知識を必要とするとともに、その運営を十分に 監視し、国会のもつ憲法上の権能を一層効果的に行使する必要があるからである。旧憲法の下でも、議会は、行政監 替のための国政調査権は、もっていたといえる。しかし現憲法のような明文の規定がなかったために、官庁その他に 照会したり、証人を喚問することはできないので(議院と人民および諸官庁・地方議会との聞の遮断)、 直接に議院 がなしうることは、国務大臣、政府委員に質疑すること、政府に向って必要な報告文書を求めることだけであった。 いわゆる弱い議会に対する強い政府という建前から、国政調査云々のごときは、むしろタプ l 化していたことは周知 の 通 り で あ る 。 調査権をもつのは、各議院であり、議院は喝独自の見地から、特定の事項について、調査を行うことができる。通 常は、常任委員会に調査事項を指定して調査権を行使せしめることになろう。国政調査の方法としては、証人の出頭および証言ならびに記録の提出を要求し、調査に万遺憾なきを期するのである。 それでは、国政調査は、どのような範囲に及ぶであろうか。憲法六二条は、 ひろく﹁国政に関する調査﹂を行うこ とができるものと規定しているので、その範囲について問題が生起する。すなわち態法がかような調査権を認めたの は、国会にその本来の権限のほかに、全く別個の新しい権限を与えた趣旨であるか、それとも、本来の権限を実効的 ならしめるために、その権限の行使の範間内において またはその権限の行使に関連してのみ調査権を認めた趣旨で あるかに帰着するであろう。もし前者だとすれば、いやしくも﹁国政﹂に関する限り、どのような事項についても、ど のような目的のためにも、またどのような方法によっても調査を行うことができる趣旨と解されるので、広汎かつ強 力な調査権限、が与えられたことになる。そしてこのことは、また、国会、が国権の最高機関であるということからも基 ( 一 ) 礎づけることができる。けれども、この点、伝統的な議会の調査権の沿革からみても、後者の趣旨に解すべきであろ ぅ。というのは、国会の最高機関性は、多分に政治的意味をもち、憲法が明らかに三権分立主義を採り、三権相互の 産制均衡を狙っていることから考えて、憲法の最高機関性の宣言は、権力分立主義の枠内のことであって、これによ ってこの枠を破りうることを認めているのではない。したがって、議院の国政調査権も、国会または各議院の本来の 権能であるところの立法権、予算審議権等を行使するにあたり、その実効を期するために補助権限として与えられて いるにとどまる。国政調査権に蒋口して三権分立をみだすが如きは到底許きれないところである。要するに、権力分 立の原則を侵してはならないということ、そこに調査権の本質と行使の限界があるのである D すなわち、国会が認め られた本来の権限の範囲内で、その権限を実質的に裏づけ、その実効的な行使を可能にするために、国政調査権が国 国 政 調 査 権 の 限 界 に つ い て 八 五
東 洋 法 出L 7-j1. ... ノ、 会に与えられたものと解するのが妥当な見解であり、また通説的見解でもある。したがって﹁国政﹂の範囲もまたこ のように解することによって、自ら定ってくるのは、自明の理にぞくする。 国政調査権は、憲法が国会に与えた諸権限を有効適切に行使するためのものであるから、本質的にいって補助権限 により補助的機能を営むものである。だからこ'そ、国会の権能と全く無関係な無制限な権限ではありえない。もっと も国会の憲法上の権能、わけでも唯一の立法機関としてもつ権能すなわち立法権は、それ自体きわめて広汎であるか ら、実質的には、その範囲は国政全般にわたると解してよいであろう。 他面、憲法は、他の国家機関たる政府と裁判所を行政権・司法権の主体としてそれぞれ独自の権能を与えているの であるから、調査権の範囲にも自ら限界があり、権力分立の原則の線にそって、ある程度の制限をうけることはいう ︿ 一 F ﹀ までもない。この点から、まず、国会は立法機関として立法準備のために調査を行うことは当然のことながら、ここ では、立法の準備として裁判の妥当性を調査するごとき司法権の行使に対する調査活動がどこまで許さるべきかが司 法権の独立とからんで問題となる。立法準備に霜口して司法権の独立を害するような調査を行うことは、三権分立の 建前から許されないものと解すべきである。すなわち裁判所の法解釈や訴訟の実体その運営全般についての調査なら ば許さるべきだが、個々の具体的裁判について事実の認定や量刑等の当否の審査や、現に係属する事件について、当 該裁判官を召喚するごときは、不当に司法活動を抑圧する越権行為であって国政調査の限界を逸脱するものとして指 弾にあたいするものと思う。 次に、政府に対しては、国会は広汎な監督権をもつことが議院内閣制の建前であり、また国会に対する内閣の連帯
責任を追求するために、この調査権が合理的な根拠に基いて広く一般的に行使されてよい。 アメリカでは、議院内閣 制ではなく、いわゆる大統領制が建前であるが、行政部の活動を常に監視、批判するために、調査権の活用に格別の 重要性が認められている。現憲法はイギリス式の議会制度を採っているので、 アメリカとは事情が異なるけれども、 それだけに、行政府に対する監視の任務はより大きく、国政調査権が最大の機能を発揮しなければならないのは、実 に行政調査の領域であることはいうまでも
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かような意味で、検察事務も、それが行政権の一つの機能であるかぎり、調査の対象となるものといわなければな らない。すなわち犯罪捜査はもとより、起訴、不起訴についても同様である D 英米の歴史においても、この分野にお いて調査権の発揮した機能は大であった。ただ検察事務は裁判と密接な関連性をもち、ごとに起訴、不起訴は、司法 権の発動と表裏一体をなすので、刑事司法そのものがいくら公正に行なわれでも、起訴、不起訴が公正を欠くときは その土台が、ぐらつくこととなる口そこで検察権には司法権の独立に類する原理が要請されている(検察庁法一四条)の へ 問 ﹀ に鑑み、刑事司法の公正を期する上から、国会の特別な自制と配慮が要望されている。 そこで司法権との関係であるが、裁判所に対する国会の積極的機能としては、国会は、裁判官の弾劾の訴追や弾劾 裁判を通して固有の権限をもつのであるから、この権限にそうで国政調査権の行使が限定される。すなわち国会の国 政調査によって司法権の独立を侵すことはできない。ことに係属中の事件につき調査することは、裁判所の審理を妨 げ裁判官が良心にしたがい、独立して職権を行うことと矛盾するから、憲法七六条の精神に反する白裁判官の罷免に 関する訴追委員会が、裁判官の義務違反について調査できるのは当然であるが、しかしこれは、国会とは独立した弾 国 政 調 査 権 の 限 界 に つ い て 八 七東 洋 法 字 八 人 劾裁判所のための機関である。通常の委員会による調査が司法関係の立法準備としてのほか、司法部の独善を抑制す るため、国民に代って裁判を批判する目的をもっとすれば、調査権の限界をこえることになろう。 国政調査が限界をこえたとき、関係者は、訴訟によって争うことができず、またこれにより裁判所の判決の数力が 直接動かされることはない。けれども、現憲法が裁判所に法令の合憲性の審査を認めるとともに、弾劾裁判と裁判官 の国民審査によって司法の独善を防止していることに徴すれば、国権の最高機関たる国会といえども、司法権の独立 ︿ 五 ﹀ はあくまでも尊重すべきであって、ここに国政調査権の限界があるのである。 註 付 昭 和 二 三 年 一 O B 一七日参議院法務委員会がとりあげた、いわゆる﹁浦和充子事件﹂において、同委員会は、﹁:::この ﹁国政﹂の中には理論上当然司法作用も合まるべきものと解寸る。国政とは、立法、司法、行政の全部であるとな寸ことに よって、始めて、よく右の如き国政調査の目的を達することが出来るのである。それは、立法とか、行政監督とかの作用を 完たからしめるための補充的な意味のみをもつものではなく、かかる補充的な意味での国政調査権は、明交をまたずとも認 められるのは当然のことがらである。:::第六二条が特に明丈で定めるところの国政調査権は、かかる派生的権能ではなく それは独立の権能である﹂と主張し、最高裁判所の意見と真向から対立した。最高裁判所は昭和二四年五月二 O 日附を以て 法務委員会のなしてきた﹁検察及び裁判の運営等に関ずる調査﹂は、違憲であるとし、その理由として次の如く述べている。 すなわち﹁問委員会が個々の具体的裁判について事実認定若しくは量刑等の当否を審査批判し、又は司法部に対し、指揮勧 告する等の目的を以て、従来裁判所に係属中の及び確定の刑事事件につき調査を行い、裁判の当否を論じ、最近においては 判決の事実認定及び刑の量定の当不当を云為するに至ったことは、憲法上裁判所に専属する司法権の行使に容蟻干渉するも の で あ り 、 ま さ に 憲 法 上 国 会 に 許 さ れ た 国 政 に 関 す る 調 査 楊 の 範 囲 を 逸 脱 す る 措 置 と い わ な け れ ば な ら な い よ と し 、 国 会 が具体的裁判の内容を調査批判する必要があるという考えは、一ニ権分立の狙いである牽制と均衡の原理を無視した逆論であ るとした見解に費同をおしまないのである。
付 美 濃 部 達 吉 ・ 日 本 国 憲 法 原 論 ( 昭 二 二 ) 宮沢俊義・日本国憲法(昭三一﹀ 田上穣治・憲法概説(昭三一) 同 昭 和 二 九 年 九 月 、 造 船 疑 獄 事 件 が 契 機 と な り 、 吉 田 内 閣 が 漸 く 末 期 的 症 状 を 露 呈 寸 る に 至 っ た の で あ る が 、 衆 議 院 決 算 委 員 会 は 吉 田 首 相 を 証 人 と し て 喚 問 を 決 定 し た た め 、 国 会 の 国 政 調 査 権 を め ぐ っ て 賛 否 両 論 が は げ し く 対 立 し た 。 岩 田 宙 造 惇 士は、﹁総理大臣以下各国務大臣は、政治及び行政の中枢であって内治と外交とにわたり終始何らかの経倫と抱負をもち、こ れ を 実 現 す べ き 時 機 と 方 法 と を 考 慮 し つ つ あ る も の と い わ ね ば な ら ぬ 。 そ の 計 画 を 公 示 す る 時 期 と 方 法 が 計 画 の 成 否 に 重 大 な る 影 響 を 及 ぼ す こ と は も ち ろ ん で あ る 。 然 る に そ の 用 意 の 未 だ 熟 し な い に か か わ ら ず 、 国 会 か ら 証 人 と し て 喚 問 せ ら れ 計 画に関する事実の公表を余ぎなくせられるものとせば、これは全く政治を破壊するものである。:;:その当然の結論として 憲 法 六 三 条 の ﹁ 証 人 の 出 頭 及 び 証 言 ﹂ の 中 に は 、 国 務 大 臣 及 び 政 府 委 員 は 佐 合 ぜ ら れ な い も の と 解 す る の が 、 法 の 精 神 に 適 合 す る も の と 信 じ る 。 か り に 百 歩 を 譲 る も 、 国 務 大 臣 は 特 殊 の 理 由 あ る 場 合 を 除 き 、 原 則 と し て は 証 人 と し て 喚 問 す る こ と のできぬものと解するのが妥当であろう﹂とされ、首相喚問に反対意見を表明された(朝日新聞昭和二九年九月一五日)。こ れに対し、佐藤功教授は﹁:::現憲法下では、営相その他閣僚に対寸る通常の質疑等で足れりとせず、それにプラスして更 に誼人喚問の制度を認め、国政調査の実効を確保しているのである。ここに同じ国政調査でも現憲法と旧憲法との根本的相違 が あ る 。 要 す る に 現 憲 法 上 、 首 相 と 雄 、 疑 獄 事 件 の 証 人 と し て 喚 問 さ れ れ ば 、 出 頭 の 義 務 が あ る こ と は 疑 い な い ﹂ ( 朝 日 新 聞 昭 和 二 九 年 九 月 一 四 日 ) と 主 張 さ れ て い る 。 結 局 、 吉 田 首 相 は 、 病 気 を 理 由 と L て衆議院決智子署員会の喚問に応じなかっ た の で あ る が 、 も し も 参 考 人 の 資 格 で と い う 形 を と る な ら ば 、 出 席 さ え す れ ば よ い と し て 答 弁 を 拒 否 し 、 事 件 の 宴 相 は 還 に 明 ら か に な り え な い で あ ろ う と 考 え ざ る を え な い 。 そ も そ も 喚 問 の 動 機 も 、 さ か の ぼ れ ば 、 か の 指 撞 権 発 動 の 暴 挙 で あ っ た の で あ る か ら 、 首 相 に 自 ら 公 明 正 大 な り と の 信 念 が あ る な ら ば 、 逃 げ か く れ ぜ ず 、 む し ろ 自 ら 進 ん で 、 委 員 会 の 喚 問 に 応 じ て証言すべきであったろう。 料 一 ツ 橋 大 学 問 上 穣 泊 教 摂 は ﹁ 犯 罪 の 捜 査 、 並 び に 起 訴 、 不 起 訴 の 決 定 は 検 察 事 務 に 屑 し 、 行 政 部 の 作 用 で あ る か ら 調 査 で き る 。 け れ ど も そ れ は 起 訴 に つ い て 政 治 的 干 渉 の 有 無 の よ う な 、 政 府 の 責 任 を 明 ら か に 寸 る た め で あ っ て 、 調 査 に よ り 検 察 国政調査権の限界につレて 八 九
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