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ソ連型経済体制の体制変動

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ソ連型経済体制の体制変動

福  田  敏  浩

1.はじめに

 (1)1989年は東欧革命の年であった。ポーランドにおける6月の総選挙 での統一労働者党の惨敗に端を発した民主化の動きは,周辺諸国にも飛火し, 10月にはハンガリーと東ドイツで,11月目はブルガリアとチェコスロヴァキ アで,12月にはルーマニアで民主化の大衆運動が展開され,見る見るうちに 共産党一党独裁が崩壊し,複数政党制にもとつく議会制民主主義への移行が 開始された。このような急テンポの政治体制の大変化は誰も予想しなかった ところであり,アメリカの週刊誌『タイム』本年1月1B号はその激変ぶり を比喩的に次のように表現している。一党独裁が崩壊するまでに要した時 間:「ポーランド10年,ハンガリー10カ月,東ドイツ10週間,チェコスロヴ        1) アキア10日,ルーマニア10時間」。まさにドミノの駒がバタバタと倒れていく ような凄まじさであった。  (2)むろん,政治の民主化の要求運動は突如として起こったのではない。 これには前史がある。とりわけ伝統的に西欧文化圏の中にあったか,あるい はそれに隣接していた地域では過去しばしば民主化運動が展開されている。 主なものを挙げてみると,1956年のスターリン批判に端を発するポーランド (56年6月,10月)およびハンガリー(56年10月)の民衆運動,1968年のチェ コにおけるいわゆる「プラハの春」の民主化運動などがある。近くは1980年 のポーランドにおける自由労働組合「連帯」のイニシアチブによる民主化運 動の高まりと事実上の一党独裁の崩壊,1983年のハンガリーにおける  一 1) Time (25) p.23.

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党独裁下ではあったが  選挙制度の改革(同一選挙区単独立候補制から同一選 挙区複数立候補制への転換,秘密投票制)が挙げられる。  (3)1989年の東欧革命は,こうした流れの中から発生したのである。過 去の民主化運動は,83年のハンガリーの民主化  これはソ連の暗黙の了解の もとに行われた党主導の「上からの改革」であった  を例外としていずれもソ 連の直接・間接の圧力行使によって挫折したが,東欧諸国民の政治の民主化 への希求は少しも衰えることなく生き残ってきたのである。今回そうした民 主化への願望に実現の機会を与えたのは,ゴルバチョフ(M.Gorbachev)の 登場とかれによるペレストロイカの急速な展開であった。これによって永年, 東欧諸国の国民がソ連に対して抱いてきた異常なまでの恐怖感一たとえば, 一党独裁制の改革はソ連の武力干渉を招くという恐怖感  が大幅に緩和され, 一斉に政治体制のドラステ4ックな改革が行われるに至ったのである。した がって今回の東欧革命の直接の契機をなしたのはゴルバチョフ・ショックな のである。  (4)もちろん,筆者はゴルバチョフ・ショックが東欧革命を誘発した唯 一の原因と主張しようとするものではない。今回のような巨大な社会的地殼 変動であってみれば,その背後には複数の原因が伏在していると見るのが自 然であろう。今の筆者にはそのひとつひとつを学問的に確定する力量はない。 ただ,ソ連・東欧の経済体制に関心を持ってきた筆者からすれば,その有力 な原因のひとつとして経済体制を挙げざるをえない。つまり,ソ連・東欧に 制度化された管理社会主義体制の機能麻痺がこれである。それはこの20年来 のソ連・東欧諸国での市場経済的要素の導入に端的に示されている。管理社       2) 会主義の核心を成す「官僚的調整」では有効かつ効率的な資源配分は不可能 となったのである。   (5)もとより,このような問題は近年になって突如として自覚されたの ではない。理論的にはすでに1920年代から30年代にミーゼス(L.v. Mises)や ハイエク(F.A.v. Hayek)らの新自由主義者によって指摘されたところであ 2)コルナイ〔14〕第5章(139ページ以下)を参照。

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る。ミ一郭スは公有と計画の社会主義では市場と価格を欠いているため合理 的経済計算は不可能であることを論証した。さらに50年代に入るとほかなら ぬ東欧の一部の国で「官僚的調整」に対する懐疑が高まり,理論面で市場経 済の再評価が行われるようになる。その直接のきっかけを与えたのはスター リン(1.V. Stalin)の死であった。たとえばハンガリーの経済学界では50年代 半ばにべーター(G.Peter)やコルナイ(J. Kornai)やチコーシュ=ナジ(B. Csik6s−Nagy)らが現行体制の欠陥を指摘し,ベーターは54年に大胆にも代案        3) として「規制された社会主義的市場経済」構想を提出しさえしている。56年 のスターリン批判以後ポーランドの経済学界ではソ連型社会主義体制の批判        4) が行われ,併せて経済体制の自由化の提案が行われた。60年代に入るとソ連で のリーベルマン論文の公表が有力な契機となってソ連・東欧諸国で社会主義 における商品=貨幣関係の問題が大々的に論じられるようになる。チェコで       はオタ・シク(Ota Sik)を中心として管理社会主義の総:点検が行われ,こ れに替わる代案として市場社会主義モデル(労働者自主管理+規制された市場 経済)が構想されている。これが「プラハの春」のスローガン「人間の顔をし た社会主義」の柱を成したことは言うまでもない。  (6)現実の面でも理論面での動きとパラレルな形で市場経済的諸要素の 導入が試みられてきた。そのひとつの高まりを示したのが60年代半ばの経済 改革であった。アルバニアを除くソ連・東欧諸国は深刻な経済的困難の打開 のため,一斉に経済体制改革を開始した。なかでもチェコとハンガリーの両 国は,1968年から旧体制を全面的に改変し,市場社会主義の制度化に乗り出 した。チェコの体制改革は政治の民主化をも射程に入れていたためソ連の軍 事介入を招き,わずか1年で頓挫してしまった。一方,ハンガリーの体制改 革はソ連の不信を買わぬよう慎重に行われてきたため,途中曲折はあったも のの首尾よく今日まで継続されてきた。こうして筆者の考えによれば,ハン ガリーは現在では一ユーゴスラヴィアとともに一市場社会主義のモデル国 3)この点についてはL6sch〔19〕S.84−88がくわしい。 4)この点についてはLδsch〔19〕S.75−78がくわしい。

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となっている。  (7)80年代後半になると,体制的レベルでの市場経済の導入はアルバニ アを除くソ連・東欧諸国の共通の関心事となってきた。その直接のきっかけ をなしたのはソ連のペレストロイカであることは言うまでもない。ソ連やポ ーランドやブルガリアで市場二二要素(消費財市場,サーヴィス市場,生産財市 場,金融市場,自由価格など)の導入が活発化した。さらに,東欧革命以後こ うした動きは一層拡大,加速化するようになっている。1990年になると,ル ーマニアが市場的諸要素の制度化を志向し,チェコも市場社会主i義の制度 化を目指し始めた。ソ連政府は本年5月に「調整された市場経済」という名 の体制構想を公にした。私見によればこれらの国々が範型としているのは明 らかにハンガリー型市場社会主義である。そのハンガリー型社会主義は,筆       5) 者の「所有,相互・上下調整の三元論」をもってすれば,混合所有制度(但 し,所有形態に占める割合は公有が多い),市場経済および誘導方式(国家の経 済への間接的干渉方式)をもって特徴づけられる。ソ連の「調整された市場 経済」は基本においてこのハンガリー・モデルをそのままコピーしている。  上に挙げた国々は,社会主義に留まる限り,恐らくハンガリー型市場社会 主義を制度化していくことになるだろう。というのは,今のところこのモデ ル以外に頼れるモデルはないからである。うちに種々の問題を抱えていると はいえ,ハンガリーの市場社会主義は22年の実績を誇っているのである。  もっとドラスティックだったのは,東ドイツである。この国はつい1年ほ ど前まではソ三型社会主義を堅持し,首脳たちは公有+中央管理経済(物財バ ランスによる需給の調整)+指令方式(企業活動への国家の直接介入)というこ        6) の体制の基本原則を保持すると豪語していたのである。その国が89年10月の 政変以後一転してもっともラジカルな道を歩むようになったのである。すな わち,東ドイツでは90年3月18日に総選挙が行われたが,大方の予想を裏切 5)筆者の説については福田〔4〕第6章および福田〔5〕第1章を参照。 6)昨年10月の「革命」以前の東ドイツ首脳の見解についてはKoziolek, Reinhold〔17〕お よびMittag〔20〕を参照。

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って保守のキリスト教民主同盟を中核とするドイツ連合が大勝した。これに よって,西ドイツへの接近が急テンポで進行し,経済体制のレベルで見ると, 今年の7月1日の両ドイツの通貨同盟の発足により,いわば東ドイツは西ド イツへ吸収合併されつつあると言わねばならない。すなわち,筆者の用語を 使うと,誘導資本主義化である。近い将来に両ドイツは再統一されそうであ るが,もしもそうなると管理社会主義どころか東ドイツそのものが消滅する ことになろう。  (8)以上のように見てくると,1930年代半ばに成立したソ連型社会主義 はわずか50年余でその命脈を断たれようとしているかのように見える。それ どころか,チェコやハンガリーでは管理社会主義の制度化から20年にも満た ない時期にすでに市場社会主義への移行が開始されているのである。  なぜ,管理社会主義はかくも脆弱なのか。これについては過去,いくつか の説が提出されてきた。もっとも有力で,とりわけソ連圏諸国で流布したも のに発展段階説がある。これはもともと60年代の経済改革を合理化するため に持ち出された説であるが,その要点は,ソ連型管理社会主義は本来生産力 の比較的低い発展段階(外延的発展段階,stage of extensive development)に 照応した体制であって,ある一定水準以上の発展段階(内包的発展段階,stage of intensive development)には適合できない,したがって何らかの体制改革 が必要となる,というものであった。ユーゴの代表的経済学者ホルバート(B。 Horvat)は管理社会主義を制度化したソ連圏諸国では,一人当り国内総:生産 (GDP)が1000ドル(1968年価格)を超えると,成長率が急落するという,興       7) 味深い指摘を行っている。この指摘が正しいとすれば,一人当りGDP1000ド ル以上が内包的発展段階だということになる。  経済改革の時代の東の改革派のエコノミストは,大方このような発展段階 説に依拠しつつ体制改革の必要を説き,かつ実践した。体制改革の方向につ いては二つの意見があった。旧体制の部分的改革で内包的発展段階に適応で きるとする説と,市場的諸要素の大幅な導入による市場社会主義化以外に選 7) Horvat (13) pp.237−238.

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択の道はないとする説である。前者はソ連や東ドイツの学者によって,後者 はチェコやハンガリーの論者によって主張された。チェコではシクやコスタ (J.Kosta)やセルツキー(R. SeluckY)らが,ハンガリーでは前述のように ベーターやコルナイやチコーシュ=ナジらが市場社会主義の主唱者として知 られている。  (9)以上の発展段階説は,経済体制の変動と生産力発展水準との対応関 係を軸としたものであり,生産力の発展に伴い経済体制は変化せざるをえな いという考えに立っている。この意味でこの説は,生産力の発展を経済体制 の変動のモーターと捉えている,と言ってよい。  筆者は,以上の東側起源の一共産党公認のr発展段階説はある程度の説 得力を持っていることを認めるものではあるが,かねてより経済体制の変動 要因を生産力と言ういわば外生変数に求めることに少々不満を覚えていた。 コスタがいみじくも指摘しているように,この説では外延的発展段階にあっ た50年代のユーゴでの市場社会主義化,および79年以降の中国での市場二品       8) 要素の導入を説明できないからである。つまり,発展段階説は東側地域につ いてすら普遍妥当性を有していないのである。  (10)以上の発展段階説のほかにもソ連型社会主義の体制変動の要因を問 題にする説がある。それは,発展段階説と違って,経済体制の変動のモータ ーをそれを構成する要因に,つまり内生変数に求めようとするものである。 そして,この視角から管理社会主義は体制内在的に安定さを欠き,効率的に マイナスの諸現象を産出し,しかるに必然的に絶えず体制改革を余儀なくさ れる,と説く。筆者の知る限り,この説は西ドイツの新自由主義者ヘンゼル (K.P. Hensel)によって唱えられている。かれの説は,すでに1970年に世に 問われていたのであるが,わずか11ページの論文の形で公表されたこと,ド イツ語で書かれたこと,今日のような東の体制の激変の状況下で書かれたの ではないということなどにより,国際的には注目されなかった。しかし,筆 者の目からすれば,彼の説は今日の激変の時代に十分通用する新鮮さと説得 8)くわしくはKosta〔ユ5〕S.146−147およびKosta〔16〕S.ユ37を参照。

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力を持っている。そこで,小稿ではこのヘンゼル説に検討を加え,その特徴 を明らかにして見ることにしたい。        II.ヘンゼルの経済体制論        9)  (1)別の機会に指摘したように,ヘンゼルの経済体制論は「調整一元論」 をもって特徴づけられる。ここに「調整一元論」とは,需給の相互調整方式 のみを経済体制の基本的構成要素とする説である。ヘンゼルによれば,「経済          10) 経過を規定する条件群」たる経済体制(Wirtschaftssystem)の基本的構成要素 は「計画システム」(Planungssystem)である。これは要するに需給の相互調 整方式なのであるが,ヘンゼルはこの計画システムを二つに区別する。分権 的計画システム(または市民的計画システム)と集権的計画システム(または国 家的計画システム)とがそれである。  (2)前者では多数の個別経済(市民)が経済計画の主体であるのに対し, 後者では経済計画はもっぱら一箇の中央機関(国家)によって立てられる。分 権的計画システムでは個別経済相互の需給の調整は市場メカニズムによって, 集権的計画システムではそれは中央機関で作成される物財バランスによって 行われる。それぞれの計画システムで需給の調整を行うには財の稀少度を表 示するものが必要となるが,前者では市場価格が,後者では物財バランス表 の左右に表示される計画残高(Plansa]do)がそうした稀少度表示器の役割を 演じる。かくて,ヘンゼルの言う分権的計画システムとはいわゆる市場メカ ニズムに,集権的計画システムとはいわゆる計画メカニズムに相当している ことが知られよう。  (3)経済体制の基本的構成要素たる計画システムは,経済体制の類型化 の主基準ともなる。かくて,ヘンゼルは二つの計画システムに応じて経済体 制を二つに区別する。分権的計画システムを柱とする市場経済と,集権的計 画システムを中核とする中央管理経済とがこれである。 9)福田〔5〕第1章参照。 10) Hensel (9) S. 325.

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 (4)以上のところがら知られるように,ヘンゼル説は基準一元論と体制 二分法をもって特徴づけられる。ヘンゼル説では市場経済と中央管理経済以 外の第3の経済体制は論理的にありえない。というのは,稀少度表示器なし には計画システムはありえず,計画システムなしには経済体制はありえない からである。つまり,ヘンゼルによれば市場価格と計画残高以外の第3の稀 少度表示器はないのだから第3の計画システムはありえず,したがって第3 の経済体制はありえないのである。  また,ヘンゼル説では現実の経済体制も必ず市場経済か,中央管理経済か のいずれかに分類されることになる。したがって,たとえば筆者のように, ユーゴやハンガリーの経済体制を市場社会主義という形で捉えることは不可 能なのである。  さらに,ヘンゼルは実践的には個人の自由と効率を最大限に保証する市 場経済(有効競争の保証される市場経済)を擁護する。逆に,かれは,自由と効 率をともに無視したり,軽視したりするという理由で中央管理経済を否定す る。 III.ヘンゼルのソ連型経済体制変動昌 昌に,以上のヘンゼル説を踏まえてかれによるソ連公経済体制変動論を見 ていくことにしよう。  (1)ヘンゼルによれば,経済体制のいかんを問わず,そこでの経済政策        Il) は多かれ少なかれ実験的(experimentell)性質を有している。つまり,市場経 済と中央管理経済とを問わず,いずれの体制においてもその経済政策は確定 的なものではなく,試験的かつ試行的なものであり,所期の成果が得られな いばあいにはしばしば政策方針の変更が行なわれる。この限りでは両体制の 間に質的な差異はない。  ところが,その程度なり頻度なりに着目すると両者の違いが歴然とする。 ソ連年中央管理経済体制を有する諸国の現実が如実に示しているように,「こ 11) Hensel (10) S. 349.

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       12) れらの国における経済政策の歴史は実験の歴史である」。すなわち,ソ連圏諸 国での経済政策は持続性と一貫性とを欠き,頻繁な方針変更と改革につぐ改 革に従わされてきた。ほかならぬソ連の経済政策がそうであって,その建国 の当初から今日に至るまで実験の連続であった。たとえば,戦時共産主義か らネップへの転換,60年代の経済改革がその代表例である。小幅の修正や改 革を考慮に入れると,その実例は枚挙にいとまがないほどである。他のソ連 圏諸国についても事情は同じである。ヘンゼルによれば,そうした実験性は 一時的な政策ミスや偶然によるものではなく,ソ連型中央管理経済に内在す るものである。かくてヘンゼルは次のように結論づける。ソ亭号経済体制に        13)は「実験への体制必然性」(Systemzwang zum Experilnent)があると。  こうしてヘンゼルはソ連圏諸国において中央管理経済が保持され,ていく限 り,これらの国では将来においても上述の意味での実験は反復されざるをえ ないであろう,と説いた。かれがこのように予言したのは1970年のことであ るが,以後今日までの20年間にソ連圏諸国でいかに経済政策の方針が変更さ れ,経済改革が実施されてきたか,いちいち例を挙げるまでもあるまい。ヘ ンゼルの予言は的中したと言わねばならない。  (2)では,ソ塗骨中央管理経済のどこにそうした経済政策の実験性をも たらす源泉があるのか。次にこの問いに対するヘンゼルの回答を見てみよう。  中央管理経済での合理的経済計算は,中央計画機関の作成する物界バラン ス表の左右に表示される計画残高をもとに行われることは上述のとおりであ る。集権的計画システムによって総体経済プロセスの合理的管理を実現しう るためには,理論的に厳密に言うと,財およびサーヴィスが存在するほど多 くの物外バランス表が作成されねばならない。その数は数百万にものぼろう。 しかるに中央計画機関は数百万もの財およびサーヴィスのひとつひとつにつ いて物財バランス表を作成し,それらの間に合理的な計算連関を樹立しなけ ればならない。つまりは,すべての財およびサーヴィスの需給の均衡化を実 12) Hensel (10) S. 349. 13) Hensel (10) S. 349.

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10  彦根論叢 第266号 現しなければならない。ヘンゼルは,理論的にはこれは可能であると考える。 事実,かれは物量バランスによる均衡論を展開している。1954年のことであ る。  (3)ちなみにヘンゼルの設定した中央管理経済モデルは,一箇の中央管 理機関によって国民経済の全体が完全に計画されるという完全集権モデルで   14) あった。しかるにそこには市場も価格も存在せず,また計算単位たる貨幣も 存在しないと仮定された。すなわち,このモデルでは経済経過の調整は中央 管理機関一中間管理機関一一個別経済という三層ピラミッド型の管理シス テムを通して行われ,個々の財およびサーヴィスの稀少度(需給関係)は個別 物財バランス表の左右に表示される計画残高(当該財またはサーヴィスの需要 と供給の差)によって表示され,経済計算は物量単位によって行われると仮定 された。  このような仮定のもとで経済計算がいかに可能となるかを論証するのがヘ ンゼル説のメインテーマなのであるが,その要旨を一口で言うと,中央計画 機関は個別物取バランス表の計画残高を目安としつつ,(数百万もの個別物財 バランX表から成る)物財バランスシステムを操作することによってすべての 財およびサーヴィスの需要と供給を一致(均衡化)せしめることができる,と いうものであった。  学説史的に振り返って見ると,このようなヘンゼルの中央管理経済理論は バ二一ネ(E,Barone)以来の集権i的計画経済下での合理的な経済計算の可能 点の系譜に位置づけることができよう。ただ,バローネ,ティッシュ(K. Tisch),ツァッセンハォス(H. Zassenhaus)およびビリモヴィッチ(A. Bilim− owic)らに代表される,この系譜の論者のほとんどがワルラス(L Walras) 流の一般均衡論の手法をもって理論を構築していることを考えると,ヘンゼ ル説の独自性のほどが自ずから浮かび上がってくるであろう。筆者の知る限 り,物財バランスにもとつく体系的な中央管理経済理論の構築はヘンゼルを もって嘱矢とする。かれの説は国際的な注目を受けるには至らなかったが, 14) Hensel (8) S. 111−115.

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ドイツ語圏の経済学界では少なからぬ反響を呼び,たとえばダートマン(G. Gutmann)のようにヘンゼル説を敷桁する形で貨幣的な中央管理経済面を構       15) 築するに至った論者も出ているほどである。  (4)理論的には,以上のごとく,一箇の中央計画機関によって全部の財 およびサーヴィスの需給の均衡化が可能である。しかしながら,ヘンゼルは 現実にはこのようなことは不可能であると見る。かれによれば,ソ連圏諸国 で実際に実現されたのはわずかに数百から数千の物乞バランスにすぎないの である。しかもそれは個々の具体的な財やサーヴィスについてではなく,財 グループについてのみ行われてきたにすぎない。このことは,一箇の中央計 画機関が上からすべての個別経済の活動を完全に統御できないことを意味す る。つまり,中央機関は個別経済とりわけ企業にある程度の経済活動の自由 を認めないことには資源配分を実現できないのである。  こうして,ヘンゼルによれば企業にある程度の活動の自由を認めつつ中央 計画機関が資源配分を行なうには二つの補助手段が必要となる。すなわち,        16) 契約システム(Vertragssystem)と企業計画(Betriebsplan)である。  (5)まず,ソ連圏諸国の契約システムであるが,これについてヘンゼル は具体的には何も説明していないので筆者の解釈を加えながら見ていくこと にする。  ソ連では従来,投入財(部品,資材,半製品など)の調達は国家によって統 制されてきた。つまり,国営企業は必要とする投入財を中央機関の発給する 配分認可書(HaPflA)によって調達する仕組みとなっている。この配分認可書 には数量のほか当該企業が契約しなければならない相手の企業名が記載され ている。したがって,需要企業の契約内容や契約相手たる供給企業などはあ らかじめ中央機関によって指定されている。このような契約システムは,だ から,自由契約システムではない。ただ,企業サイドには幾分かの裁量の余 地がある。すなわち,需要企業および供給企業は当該投入財の細目的な明細 15) Gutmann (7) 16) Hensel (10) S. 355.

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12  彦根論叢 第266号 指定や正確な引き渡しの時期などについては交渉によって契約を締結するこ とができる。  ヘンゼルは,このような契約システムは市場経済体制における契約システ ムほど有効に機能しないと考えている。かれはその論拠として次の四点を挙    17) げている。  ①契約は事前にあまりにもおおざっぱに締結されること  ②契約の締結の時点で最終的にどのようなものが生産されるかが確定して いないこと  ③中央機関から来る計画課題(ノルマ)と企業の利害との間に対立が生じる こと  ④当該計画期間中に取引される財のすべてについて契約が締結されるとは 限らないこと  こうして,ヘンゼルはソ連型中央管理経済の契約システムはきわめて不完 全であって,中央による総体経済プロセスの計画化を十分に補完することは       18) できない,と結論づけている。  (6)次に企業計画についてであるが,これについてもヘンゼルの説明は 具体性を欠き,十分に理解しがたい面もあるが,かれの主張を好意的に解釈 すると以下のようになろう。  上述のごとく総体経済プロセスが一箇の中央計画機関によって完全に計画 できないとすれば,企業にある程度の計画や決定の自主性を認めねばならな い。事実,ソ連圏諸国では従来企業は,投入財の配分要求,生産すべき財の 品目構成,作業手順および生産工程の編成な!t“に関して自主的に計画したり 決定したりしてきた♂こうすることによって中央計画機関の計画化の不備を 補うことが目指されたのである。しかし,ヘンゼルによればこうした企業計 画は所期の目的を果たすことができなかった。というのは,第1に企業は総 体経済プvセスの全体を見渡せないからであり,第2に当該財またはサーヴ 17) Hensel CIO) S. 355. 18) Hensel (10) S. 356.

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イスの総体経済的稀少度を  市場価格メカニズムに類するような情報システ ムがないので一認識できないからであり,第3に企業はその決定にさいして       19) 政治的に制定される固定価格を目安にせざるをえないからである。  こうしてソ連圏諸国では物財バランスをもとにした中央計画機関の決定と, 経済的に意味のない固定価格をベースにした企業の決定とが並存している。 こうであってみれば,国民経済規模での合理的な経済計算システムが形成さ れうる余地はない。その結果,総体経済プロセスの調整は困難となり,不均 衡が生じてくる。このため,政府は絶えず計画システムの変更や計画組織の 変更を余儀なくされるのである。  (7)ヘンゼルはソ連型中央管理経済での経済政策の実験性をもたらす原        20) 因として以上のほかに利害対立にも注意を向けている。ソ墨型中央管理経済 は指令方式をその特徴のひとつとしている。つまり,中央で決定した事項を 中間管理機関を通して企業へ下達するといういわゆるノルマ制がそれである。 このシステムのもとでは生産現場たる企業と意思決定者たる中央(党中央)と の間に利害対立が生じてくる。党中央はできるだけ高度の経済合理性の実現 に関心を持ち,したがって経済実績の不断の上昇や高度成長に関心を寄せる。 これに対し,企業は生産課題(ノルマ)の最小化に最大の利害関心を持つ。つ まり,企業は必要以上に生産実績を上げないように行動する。このため,党 中央は企業をして生産実績を上げせしめるべく統制機関を設置する。省およ びその部局,企業合同,地域経済機関などがそれである。  ところが,これらの機関は同時に中間管理機関であって,党中央の指令を 実施しなければならない。この限りでは企業と同じである。かくてこれらの 機関と企業の利害は基本において一致することになる。ノーヴ(A.Nove)の 言葉を借りると,省とその傘下にある企業群との間に利害共同体たる「省  21) 帝国」が形成される。こうであれば,党中央は自己の利害関心を実現できな 19) Hensel (10) S. 356. 20) Hensel (10) S. 357−359. 21)Nove〔22〕邦訳64ページ。

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14  彦根論叢第266号 いので絶えず新しい統制機関の設置を余儀なくされる。ヘンゼルによればこ のような制度の改変は驚くほど短い間隔で繰り返されてきたのである。  (8)上述のところを筆者なりに整理すると次のようになる。ソ三型中央 管理経済の変動に関するヘンゼル説の核心は,この体制の本質部分を成す集 権的計画システムの不完全性にある。中央管理計画機関は国民経済を完全に 計画したりコントロールすることができないため企業にある程度の活動の自 由を認めざるをえない。このため,一方で合理的な資源配分が不可能となり, 他方で中央と企業および中間管理機関との間に利害対立が発生してこざるを えなくなる。かくて非合理的な資源配分を是正したり,利害対立を緩和した りするためには絶えず,計画システムや計画組織や統制システムを改変する 必要に迫られる。つまりは,経済政策は実験の連続を余儀なくされることに なる。  このようにしてヘンゼル説ではソ連型中央管理経済は安定性を欠き,不断 の変化に晒されると捉えられる。では,ヘンゼルはソ連型中央管理経済の変 化の方向をどのように捉えているか。この問いに対する回答は1972年に出た 主著GrZtndfouaen der Wirtschaftsordnung :Marktwirtschczft−Zentralver− waltungsωirtschaft, MUnchenで与えられている。この書の中でヘンゼルは,市 場経済の代表例として西ドイツを,ソ三型中央管理経済の代表例として東ド イツを取り上げ,両者の体制比較を行ったのち,両ドイツの再統一の可能性      22) を論じている。かれによれば,再統一の可能性は高まっている。ひとつには 72年の両独間の交通条約の締結に象徴されるように両国間の距離が次第に狭 まりつつあること,ふたつには東側諸国の自由化が進行し東の経済体制が西 のそれへ接近しつつあること,がその主たる根拠として挙げられた。そして, ヘンゼルは再統一後のドイツでは市場経済体制が選択されると予言した。つ まり,東の中央管理経済は西の市場経済へ接近し,やがてはそれへ移行する というのがヘンゼルの予言であった。筆者はこのヘンゼルの説を移行論と呼 22) Hensel (11) Kap. 4,

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   23) んできた。  ヘンゼルの予言から20年後の今日,事態はかれの予言どおりに進展し,ま さに両ドイツはいわば東の西への吸収合併という形で再統一されつつある。 多分に希望的観測が含まれていたとはいえ,20年前に当時の現実動向を踏ま えて今日の事態を的確に予想していたヘンゼルの燗眼は特筆に値する。  もう一度確認しておくと,ヘンゼルはソ連型中央管理経済は内なる不完全 と不安定のゆえに結局は市場経済へ移行せざるをえないと考えているのであ る。 IV.む す び  以上,ヘンゼル説の要点を紹介してきたが,最後に二,三筆者の所見を述 べて本稿の結びとしたい。  (1)まず,基礎的な事項から確認しておこう。それは経済体制の成立に かかわる。ヘンゼルには現代の諸経済体制は人為的に,したがって経済政策 によって形成されたものであるという考えがある。かれの師オイケン(W.       24) Eucken)の言葉を借りると「設定された秩序」(gesetzte Ordnung)である。 経済体制は経済政策によって創出され,保持され,修正され,改変され,転 換されるのである。このような経済政策は経済秩序政策(Wirtschaftsordnungs− politik)と呼ばれ,オイケンやヘンゼルを始めとするドイツの新自由主義者 によって重視されてきた。ヘンゼルの経済体制論で経済政策が重視され,体 制と政策がいわばワン・セットの形で論じられるゆえんである。  (2)経済体制は経済政策によって形成されると言っても,その形成可能 性は無限にあるのではない。というのは,上に見たようにヘンゼル説では経 済体制は基本的には市場経済と中央管理経済の二つしかありえないからであ る。両体制のヴァリアントは多数ありうるが,基本型はこれら以外にないの である。したがって,経済政策による基本的経済体制の選択の幅はきわめて 23)福田〔5〕第2章参照。 24) Eucken (3) S. 51−54.

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 16  彦根論叢第266号 限られたものとなる。つまり,あれか,これかという二者択一しかないので ある。   (3)このことに関連するが,ヘンゼル説ではいわゆる混合経済のような 第3の経済体制の成立する余地はない。その根拠は二つある。ひとつは原理 的根拠である。すなわち,ヘンゼルによれば経済体制の核心を成す計画シス テムには集権的計画システムと分権的計画システム以外の第3の計画システ ムは存在しないからである。もうひとつは,レーシュ(D.Ldsch)の言葉を借       25) りると,「不安定テーゼ」(lnstabilitatsthese)である。すなわち,分権的要素 と集権的要素を混合した体制は不可能であるか,可能だとしても安定的では .なく,時の経過とともに機能麻痺を招来し他の体制へ移行せざるをえないと いうものである。このテーゼはもともとミーゼスのいわゆる統制波及のテー ゼの流れを汲むものであり,オイケンやハイエクらによっても唱えられたこ とは周知のごとくである。  このような新自由主義に固有の不安定テーゼはもともと,市場経済に政府 が統制を加えると統制が統制を呼び,やがてはその国の経済は全面統制経済 にならざるをえないというものであった。言い換えると,市場的調整と中央 管理的調整の混合は,時の経過とともに前者の崩壊と後者の全面支配をもた らすというテーゼであった。  ところが,ヘンゼルの「不安定テーゼ」のばあいにはそうしたテーゼのほ かいまひとつ別の意味が含められている。筆者の解釈によれば,集権的要素 と分権的要素の並存は永続しえず,時とともに分権的要素の全面支配になら ざるをえない,したがって東ドイツがそうであるようにソ三型中央管理経済 は市場経済へ移行せざるをえないという考えがヘンゼル説に伏在している。 中央管理経済の安定性の要件は,一箇の中央計画機関がその経済の全体を完 全に計画し統御しうることである。この条件を欠くと,したがって個別経済 に自主性を認めると,自由が自由を呼んで結局は中央管理経済の崩壊と市場 経済への全面移行が生ぜざるをえない,こういう考えがヘンゼルにある。む 25) L6sch (18) S. 96.

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うん,ヘンゼルは意識的かつ明瞭にこのことを主張しているのではないが, かれの説を論理的に整理するとこのような結論に逢着せざるをえないのであ る。  このようなヘンゼルの「不安定テーゼ」 さしあたり自由波及のテーゼとで も呼んでおこう一は最近のソ連・東欧諸国の体制変動の考察にひとつの視角 を提供していると言えるだろう。  (4)ソ連型中央管理経済の体制変動のモーターは,この体制の中核を成 す集権的計画システムにある,より正確にはこの計画システムの不完全さと これに結ぶ利害対立にある,というのがヘンゼル説を検討してきた筆者の結 論である。ヘルダー=ドルナイヒ(P.Herder−Dorneich)が指摘しているよ  26) うに,新自由主義の市場経済一中央管理経済という二元論的体制論および秩 序政策論はもともと静態的であって,体制のダイナミックスの体系的分析を 欠いていた。ヘンゼルの体制論も二元論であることに変わりはないものの, またソ連型中央管理経済に限定されているとはいうものの動学への一歩を踏 み出している点で高く評価できる。  (5)ヘンゼルが注目している利害対立について一言しておくと,この現 象に注目している論者は比較的多い。東ではすでに60年代の初頭にオタ・シ クが,当時の東側諸国で流布していた社会主義では社会全体,集団(企業)お       27) よび個人の利害は基本において同一という公認の説  グロスマン(G.Gross・       28) man)の言葉を借りれば「協調社会」(solidary society)のテーゼ  を批判する        29) 形で現実にはこれら三者の間に利害対立が存在することを指摘した。かれに よれば「社会主義のもとでさまざまの経済的利害(社会的,集団的,個人的) 26) Herder−Dorneich (12) S. 8. 27)東ドイツでは昨年の革命直前まで社会全体の利害,集団の利害および個人の利害は基  本において同一であり,具体的利害についてはこれら三者の間に対立はあるもののそれ  は敵対的矛盾ではないという見解が堅持されていた。これについては次の文献参照。  Koziolek, Reinhold (17), Nick (21). 28) Grossman (6) p. 186. 29) Sik (23), (24).

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18  彦根論叢 第266号 の間に長い期間にわたって生じた矛盾は経済管理の失敗や欠陥を如実に示し   30) ている」。この発言はヘンゼルの考えに通じるものがある。そして,シクはこ のような利害対立をもって社会主義への市場関係の導入の論拠となしたので ある。利害対立の解決は市場メカニズムによるほかないと考えられたからで  ヨの ある。これまたヘンゼルの考えに通じるものがある。  グロスマンもソ連型中央管理経済では同一部門および同一地方に所属する 諸企業および管理機関が同一の利害を共有して中央に対抗するという「部門 主義」(departmentalism)と「地方主義」(localism)が発生せざるをえないこ        32> とを指摘している。そのよって来たる原因は物量単位による指令には中央の 意図を実現しうる情報を十分盛り込めないことにある。つまり,中央は企業 を完全に統制できないことにある。このため,企業マネージャーに活動の余 地が与えられることになり,そこに特殊利害が発生してくるのである。表現 こそ違え,これもヘンゼルの考えと同様である。  このように利害対立の問題に関する限りヘンゼル説はいわば多数派に属し ていると言えよう。  (6)本稿は,ソ連型中央管理経済の変動に関する筆者の説を展開しよう としたものではない。況んや,経済体制の変動に関する一般理論を提示しよ うとしたものでもない。筆者の現在の研究関心のひとつは筆者なりの経済体 制変動論の樹立にある。本稿はいわばその準備作業の一環を成すものでしか ない。  経済体制のダイナミックスの中心課題は体制変動のモーターを何に求める かであろう。ここに取り上げたヘンゼルは  ソ連型中央管理経済に限定され てはいるが  それを相互調整方式(つまり,計画システム)に見ている。この 点にヘンゼル説の一大特色がある。この説が正鵠を射ているかどうかの判断 は別の機会に譲らざるをえないが,筆者は今のところこの説はソ二型中央管    30) Sik 〔24〕p.203.    31) Sik 〔24〕p,193. 32)Grossman〔6〕p.195.

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理経済の体制変動を比較的良く説明しえていると考えている。  ソ連型中央管理経済の半世紀の歴史から知られるように,資源配分に関す る限り物財バランスにもとずく官僚的調整よりも市場経済的調整の方がより 効率的である,と言えそうである。官僚的調整は中央機関一中間機関一一一企       33) 業の間の「反復的,多次元的,ヒエラルキー的交渉プロセス」ひとつをとっ てみても需給の調整に多大のコストのかかるシステムである。エルソン(D. Elson)の巧みな表現を借用すると,「パーソナル化された専制」(personalized tyranny)よりも「インパーソナル」(impersonal)な市場的調整の方がより合        34) 理的な資源配分を可能にするようである。  ソ連型中央管理経済の体制変動に関して言えば,所有方式にも注意を向け る必要があるようにも思われる。この10年の間のソ連圏諸国の動きを観察す ると,所有方式の多様化の傾向が目につく。たとえばハンガリーでは従来支 配的であった国有部門の割合が相対的に減少し協同組合および私有部門の比 率が増大しつつある。また,ユーゴの市場社会主義は現在危機に陥り,社会 主義から離脱するような動きさえ示している。これらの動向は国有やユーゴ の社会的所有に代表される共有方式に問題があることを示している。その根 本の問題点は,東ドイツのエトル(W.Ettl)やユンガー(J.知nger)やワルタ ー(D.・Walter)が国有について指摘しているとおりである。すなわち,国家 による所有機能の独占化は生産者から経済的関心やリスク負担の気構えを奪 い去り,その結果生産現場に「集団的無責任」(kollektive Unverantwortlich−        35) keit)を蔓延させる,というのがこれである。この集団的無責任がソ歯型中央 管理経済の低効率の原因のひとつである。ユーゴの社会的所有についても同 様のことが言える。かくて東ドイツの論者たちはその打開策として所有の多 様化を提唱している。  筆者は共有方式が東の経済体制一ソ連型管理社会主義と市場社会主義 33) Zalai (26) p. 56. 34) Elson (1) p. 12. 35) Ettl, JUnger, Walter C2) S. 166.

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20  彦根論叢 第266号        36) の核心という立場を取ってきた。そうした筆者の立場からすると,所有方式 の変化は東の経済体制の根本的変化だということになる。この点の立ち入っ た考察は今後の課題としたい。       参 照 文 献 ( 1 ) Elson, D, : Market Socialism or Socialization of the Market ? in : New Left    Review, No. 172, 1988. ( 2 ) Ettl, W., J. JUnger, D. Walter : Grundgedanken einer Wirtschaftsreform in der    DDR−Thesen zur Diskussion, in : VVirtschaftswissenschaft 38, 1990. ( 3 ) Eucken, W. : Die Grandlagen der Nationalb’konomie, 8. Aufl., Berlin, Heidelberg,    New York 1965. 〔4〕福田敏浩『比較経済体制論原理  形態論的アプローチ  』晃洋書房,1986年。 〔5〕福田敏浩『現代の経済体制論』晃洋書房,1990年。 (6) Grossman, G.: The Solidary Society, A philosophical lssue in Communist    Economic Reforms, in: G. Grossman(ed.) : Essays in Socialism and Planning in    Honour of Carl Landazaer, New Jersey 1970. (7) Gutmann, G.: Theon’e und Praxis der monetdiren Planung in der Zentralver−    tvaltungswirtschaft, Stuttgart 1965. (8) Hensel, K.P.:Einfde’hrung in die Theon’e der Zentralvenvaltungswirtschaft,    Stuttgart 1954. (9) Hensel, K.P.:Strukturgegenstitze oder Angleichungstendenzen der    Wirtschafts−und Gesellschaftssysteme von Ost und West? in: ORDO, Bd. XII,    1960/61. (10) Hensel, K.P.: Der Zwang zum wirtschaftspolitischen Experiment in zentral    gelenkten Wirtschaften, in : /ahrbdr’cher fde’r Nationalb’leonomie und Statistile, Bd.    184, 1970. (11) Hensel, K,P.: Grundformen der Wirtschaftsordnung: Marletwirtschaft−    Zentralveswaltungswirtschaft, Mtinchen 1972. (12) Herder−Dorneich, Ph. : Ordnungstheorie−Ordnungspolitik−Ordnungsethik, in :    lahrbuch fdr’r Neue Politische Oleonomie, 8. Bd. 1989. (13) Horvat, B,:Contemporary Socialist Systems and the Trends in Systemic    Reforms Worldwide, in: S. Gomulka, et. al (eds.) : Economic Reforms in the    Socialist World, London 1989. 〔14〕J.コルナイ,盛田常夫編訳『「不足」の政治経済学』岩波書店,1984年。 (15) Kosta, J.: Die 6konomische Reformdiskussion in Osteuropa, in: H.Vogel    (Hrsg.) : WinschaftsProblenze OsteuroPas in der Analyse, Berlin 1982. 36)福田〔4〕第6章および福田〔5〕第3章を参,照。

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(16) Kosta, J.: Wirtschaftssysteme des realen Sozialismtts : Probleme und Alter−    nativen. K61n 1984.          ’ (17) Koziolek, H., O. Reinhold: Plan und Markt im System unserer sozialistischen    Planwirtschaft, in : Einheit, 1, 1989. (18) L6sch, D. : Zur ldeologiekritik des traditionellen bipolaren Ordnungsdenkens,    in : Hamburger Jahrbuch fde’r PVirtschafts−zand GesellschaftsPolitile, 20. Fahr, 1975. (19) L6sch, D.:Sozialistische Wirtschaftswissenschaft, Die VVirtschaftstheon’e im    So2ialismus und ihre Bedeutung fdr’r die WirtschaftsPolitile, Hamburg 1987. (20) Mittag, G. : Hohe Leistungen aller Kombinate auf dem Weg zum XII. Parteitag,    in: Einheit, 4, 1989. (21) Nick, H.: Sozialistisches Eigentum, Planwirtschaft und Demokratie, in:    Wirtschaftswissenschaft, 36, 1988. 〔22〕Nove, A.:The Soviet Economic System, Second Edition, London 1980.大野喜久    之輔・家本博一・吉井昌彦訳『ソ連の経済システム』晃洋書房,1986年。      v (23) C24) (25) (26)  Sik,0.:Eヒ。多¢o〃zics, Interests, Politics, Prague 1962.      Sik,0.:Plan andルlarket under Socialis〃z, Prague 1967.   Ti〃zθ,1.Jan.1990.  Zalai, E.:Recent Changes in the Planned Central Management System of Hungary and their Background, in:J.P. McKay(ed,):The翫η8α磁ηEconomy in the 1980s: 1∼のわrming the 5夕s’θ〃z and Adizasting t()Ext召rnal Sho(ks, Illinois 1988. 1990 ・ 8 ・ 24

参照

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