及川平治の自問自答と教材研究
伊 藤 真 治
The Significance of the Monologue of Heiji Oikawa and the
Good Point of Study of the Teaching Materials
Shinji ITO
は じ め に 大正新教育のリーダーの一人である及川平治 は、明石女子師範学校附属小学校 (以下 明石 附小と略記) の主事として、「為すことによっ て学ぶ」動的な教育を日本教育界に定着させ、 教育方法の発展に大きな貢献をした人物である。 及川の教育実践や理論は古くて新しい。例え ば、彼 が 1912 (大 正 元) 年 に 出 版 し た 著 作 『分団式動的教育法』の中で、機能と構造とい う見方に着目し教材研究することの意義を強く 主張したが、半世紀後に、アメリカのブルー ナーが教育の現代化で「構造」をキーワードと したのである。このことは、及川の教育実践や 理論の中に、現代の教育に応用できる点がたく さん含まれていることを示している。 筆者はこれまでの研究で及川の具体的な教育 実践を分析し検討してきた。その中で,彼の教 材研究の方法が大変優れていることが明確と なった。長所としては,教材を具体的な児童の 作業に変えていること、関連した内容を巧みに 結びつけていること、児童の学習が継続される ように配慮していること、などが挙げられる。 そこで、本稿では、彼がどのように教材研究 したのか、その具体的なよさは何か、現代の教 育者が参考とすべきことは何か、ということに ついて、彼の教育実践を例示して、論究したい と考える。 なお、先行研究としては、彼の題材論に注目 したものなど様々あるが、自問自答についての 特徴を明らかにしたものはない。 1 事例 1 理科授業「液体気体の対流、 水の沸騰、蒸発、熱の伝導」の考察 まず最初に、及川の『分団式各科動的教育 法』にある理科の「液体気体の対流、水の沸騰、 蒸発、熱の伝導」という実践事例を紹介したい。 この実践事例は、いもを煮て食べる 1 時間の 授業であるが、その間に理科として児童に学ば せたい様々なことを関連づけて教えている。 乙 液体気体の対流、水の沸騰、蒸発、熱 の伝導 一、学習動機の惹起 ( 1 ) 今日はみなさんに薩摩芋を煮て御馳 走する。 ( 2 ) 食べる気にばかりならないで、薯を 煮る順序と仕方を研究せねばならぬ。 一同小使室に来れ─児童は喜ぶこと 限りなし 二、題材の自力構造 ( 1 ) 甲団には焜炉に火をおこさせ、烈火 となった頃に、煙草の煙を焜炉の上、 若くは下の口に近づけしむ。煙の流れによって空気の対流が分る、何故 に煙が揚って底に下らぬかを問ふ。 ( 2 ) 乙団には、竈の火をおこさせ、煙は 何処に行くか、冷い空気は何処より 入るか、是で空気の対流が分る、小 使室の入口に蝋燭を持って行け。炎 はどちらに傾くか、何故か、然らば 風は何故に起るか。 ( 3 ) 甲団は、浅広い鍋に水を入れて焜炉 の上におけ、乙団は深い釜に水を入 れて竈の上におけ、一生懸命に火を 焚けよ、と命ずる、清潔に洗った鋸 屑を少し鍋と釜に入れる (注意) 鋸屑があまり乾いて居ると 水上に浮んで沈まず、あまり水に濡 れて居ると下に沈んで上らず。故に 三十分間前に乾燥せる鋸屑を水に浸 しおくが可なり。鋸屑の流動に注意 せよ、水は中央より上って周囲より 下ることがわかる。─之が液体の対 流であるといふことを授ける。 ( 4 ) 深い釜と浅広い鍋とどちらの水が 減ったか─蒸発の速さは空気に接す る面積に関することを授ける。 ( 5 ) 薩摩芋を入れて煮よ。焜炉の下口、 竈の口を塞ぐと如何なる変化が起る か。燃焼には空気を要する、実は空 気中の酸素が要るのだ。 ( 6 ) 各児童に一個づゝを箸にさして与ふ。 児童は「熱い」熱いとて息を吹く。 何故に吹くか。吹けば何故に早く冷 るか。 ( 7 ) 薯の熱は何処より来るか、─湯より、 ─湯は鍋又は釜より─鍋又は釜は焚 火より─斯の如く熱の伝はるを熱の 伝導といふのである。汝等は、今此 の外に熱の伝導を経験しないか─、 児童は火箸、火箸と答ふ。然り、熱 の伝導の速かなるを良導体といひ、 其遅きを不良導体といふ。水と鉄と 何れが良導体なりや、之を如何にし て実験するか。 ( 8 ) 真鍮、鉄、銅、アルミニュームにて 制作せる鍋又は薬缶を用ふるとき、 何れが熱の良導体なるやを知ること ができる。 ( 9 ) 薯の中が未だ煮えないのがあるとい ふ者あり。余は問ふ、大小ある薯を 大体同時に煮える様にするには如何 にするか。─大きな薯には、中央に 細い串を通うせばよいと答ふるもの あり、余は児童の工夫に驚いた。 (10) 全級児童が薯を食ひ終わりたる頃、 終業の鈴が鳴る。後片付けをさせて 退散した1)。 最初に、及川の授業の様子を解説しておく。 まず、学習動機を惹起させる意図で、「今日 は薯を煮て食べるから指定の場所まで来なさ い」と児童に告げている。それを聞いた児童は 大喜びである。 授業では、学級を甲乙の二つの集団に分けて、 甲のグループにはコンロで火をおこさせ、十分 に火が大きくなったら、煙草の煙を、コンロの 上と下の口に近づけて、どのように動くか観察 させている。そして、「なぜ、煙は上に上がっ て、下に降りないのか」と問いかけている。 一方、乙には、カマドに火をおこさせ、「煙 がどこへ行くか、冷たい空気がどこから入る か」と問いかけ、観察・調査させ、小使室の入 り口にロウソクを持って行かせて、炎の傾く方 向を見せて、その理由ならびに風が起こる原因 を問いかけている。また、対流を観察させるの に、おがくずを入れて対流の様子を観察させ、 対流という言葉を指導している。 続いて、深い釜と浅い鍋の水の蒸発を比較し、 蒸発の速さが空気に接する面積と関係している ことを教えている。 さらに、イモを煮させて、その間にコンロや カマドを塞ぐとどうなるかと問いかけ、燃焼に は空気中の酸素が必要であることを教える。 イモが煮えると、箸に刺して各児童に渡した。 児童は熱いので、ふうふうと息を吹きかけてい る。すかさず、「どうして吹くのか」、「吹くと なぜはやく冷えるのか」と問いかけている。 児童がイモを食べている間に、「イモの熱は どこから来たのか」と問いかけている。また、 応用として、金属の中で良導体となるのはどれ
か調べさせようとしている。 イモを食べている児童の中に、まだ煮えてい ないイモがあると報告がある。それを聞くと及 川は、「大小あるイモを同時に煮えるようにす るにはどうしたらよいか」と問いかけている。 一人の児童が、大きなイモには細い串を通せば よいと答える。その答えに及川は感心している。 食べ終わると、鈴が鳴り、後片付けを命じて いる。 さて、この 1 時間の授業ではイモを煮て食べ る間に、様々なことを関連づけて指導している。 液体気体の対流、水の沸騰、蒸発、熱の伝導は、 それぞれ単独に実験しても、1 時間を要する授 業になるであろう。 彼は、この実践例を、日用品を使って実験さ せていることに意義を見出している。そのため、 「理科の実験には電気器械の他は特別な道具は 特に必要ない」と述べているのである2)。 この理科の実践は、当時の国定教科書にはな い単元構想である。 『尋常小学理科書』を調べてみると、5 年生 の「空気の性質」「水の性質及び物体の変化」 「水の三態の変化」「熱」「火」「酸素」というの が及川の実践に比較的近い単元である。ここで 『尋常小学理科書 教師用』と比較してみよう。 第四十四課 熱 要旨 熱の一物体より他物体に移り得るこ と及び熱の発生に就いて教ふ。 準備 金属球二個。コップ。アルコール ランプ。水。 教授事項 一、熱及び其の移ること 実験 (一) 金属球二個を取り、その一 つをアルコールランプの焔にて暖め、他 はその儘にて手に触るれば、一は熱く感 じ、他は冷たく感ず。 かく手に触れて熱く感ずるものを熱した る物体と云ひ、斯かる物体は熱を多く有 すと云ふ。 実験 (二) 冷水を入れたるコップの中 に熱したる金属球を入るるときは水は暖 りて金属球は冷ゆ。 熱したる球を水中に入れて水の暖り球の 冷ゆるは、球の熱が水に移るに依る。 熱きものに手を触れて熱く感ずるは、そ のものより熱が手に移るにより、冷きも のに手を触れて冷く感ずるは、手より熱 がそのものに移るによるなり。 二、熱の発生 物の燃ゆるときは常に熱を 生ず。 又熱は物を摩り合はするときにも生ずる ものなり。錐・鋸等を使用するとき著し く熱くなるは、其の刃先の他物と摩れ合 ふによりて熱を生ずるによる。 概括 熱は物の燃ゆるとき、物を摩り合はする とき等に生ず。熱は熱きものより冷きも のに移る。 国定教科書の内容は、及川の授業の実践事例 とは全く異なることが明らかである。当時の理 科は、最も教科書を使用しない教科であったと はいえ、及川は国定教科書にはない独自の構想 を堂々と、『分因式各科動的教育法』に掲載し ているのである。 彼の授業の顕著な特徴を列挙すると次の通り である。 特に、国定教科書と比較してみると次の四点 となる。 ① 一度に多くの事象を取り上げていること。 ② 児童に問いをたくさん投げかけているこ と。 ③ 当たり前で通り過ぎてしまうようなこと にも問いかけていること。 ④ 児童の報告から、問題をつくり児童に投 げかけ考えさせていること。 2 事例 2 地理科校外学習 「明石駅及其の附近の研究」の考察 次は、教材研究の様子が分かるように、授業 の構想を取り上げてみよう。地理科の校外学習 の構想として示された「明石駅及其の附近の研 究」である。本来ならば、もっと詳しく記述さ れているものを紹介すべきであるが、この事例 はコンパクトに纏められていて、彼の構想が分
かりやすい。これも『分団式各科動的教育法』 に記されているので、それを引用すれば次の通 りである。 乙 明石駅及び其の附近の研究 ( 1 ) 当駅東西の駅名─神戸、大阪、京都、 奈良、姫路。 ( 2 ) 摂津紡績会社との関係。 ( 3 ) 昇降人数及呑吐する貨物。 ( 4 ) 汽車発着回数の多き理由、東行 (上 り) の回数多く、西行 (下り) の少 き理由。 ( 5 ) 旅客及貨物の多き季節。 ( 6 ) 明石駅と連絡する交通機関─馬車、 汽船、自動車。 ( 7 ) 鉄道の発達と馬車の盛衰。 ( 8 ) 道路の方向及び角度─道路は、所謂、 大阪街道であるから東西に通ずる、 所々に曲折あるは、旧藩時代の政策 である。 ( 9 ) 附近の営業─運送業、旅館、旅客相 手の商業で明石焼絵葉書の売店が多 い。 (10) 支店の多き理由─大阪神戸に本店あ り、明石に支店が多い。是れ明石が 大阪神戸と主従関係あるゆゑである。 (11) 広告は必需品か奢侈品か。前記の問 題を解決せしむ3)。 校外学習で児童を駅周辺に連れて行き、観察 するポイントを示したものと思われる。 授業の構想として、及川が学ばせたいことが、 駅の名前から広告まで、11 項目と多岐にわ たっている。1 時間の授業としては、かなり多 いと感じる。が、ここまで学ばせたい内容を広 げることができた及川の事物現象を観察する能 力は素晴らしいといえるであろう。 しかし、このような観察が果たして小学生に できるのだろうかという疑問もある。さらに、 理解が難しい問題もあるように思われる。「旅 客及び貨物の多き季節」についての観察は、海 水浴の客などで夏に旅客の数が増加するなどの 顕著な傾向があったとすれば答えを発見するこ とは難しくない。しかし、もしそういうことが なければ汽車に乗り慣れていない児童が答えを 見つけることは困難ではないかと思われる。こ のように児童に出された問題は、その場で解決 できないものもたくさんあった。彼は解決でき なくても興味を持てばよいと考えたのである。 また、継続して調査して欲しいとして、問題を 準備したのである。 ところで、道の方角や広告が必需品か奢侈品 かということは、普段意識しないことが多い。 何気なく通りすぎてしまうことを問いとして与 え、研究させようとしていることは評価できる。 さて、ここで示された 11 の項目は、すべて 問いとなっている。「当駅東西の駅名」と簡単 に記されているが、「見つけることのできる駅 名にはどんなものがあるか」、ということであ る。観察するポイントはすべて、児童に投げか けるための問いとして準備されたのである。 「明石港及附近海岸の研究」という別の事例 では、すべて問いの形で記述されている。主な ものを現代の表記に変えて挙げてみよう。 ・明石港の大きさ、形、深さは。 ・港内になる船舶の数はいくらある。 ・大汽船はどこから来て、どこへ行くのか。 ・大汽船の通行回数は、季節によって違うの か。 ・灯台は何のために造られたのか。 ・防波堤は何のために造られたのか。 ・港付近で行われている商売は何か。 ・魚市場で売られている魚の種類は、また、 魚はどこから集まってくるのか4)。 このように教材研究では、観察する項目を児 童に投げかける問いとして準備していたのであ る。 「明石駅及其の附近の研究」の教材研究から 顕著なことは、以下の通りである。 ① 一度に多くの事象を取り上げていること。 ② 児童に投げかける具体的な問いを準備し ていること。 ③ 当たり前で通り過ぎてしまうようなこと にも問いかけていること。
二つの事例から言えることは、たくさんの問 いを準備していること、具体的な問いとなって いること、見過ごしてしまうようなことにも目 が向けられていること、である。このうち問い が多いことは、及川がすべての問いを解決させ ようとしていたのではなく、児童がそれぞれに 興味を持った問いを解決させようとしたためで あろうと推測する。 及川は、児童に学習させると能力相応の活動 をすると捉えており、優秀な児童には多くの問 題を解決させ、観察能力の低い児童については、 自分の出来る範囲の問題を解決させることがよ いと考えていた。例えば、彼は、「適当なる研 究は、優秀児にも遅滞児にも効果があるのであ る。優秀児は自分の能力を十分に使用する機会 を与へられるから、創造的に活動し、広く資料 を探求し、累次実験を重ね或いは報告をなすの である。(中略) 又遅滞児も亦自己の能力を用 ふることによって、何等の損失を受けない。」 と、述べている5)。 3 教材研究の視点と自問自答 ここまでで、及川が教材研究の際、物体現象 をみつめる数多くの視点を持っていたことを明 らかにした。彼は、その視点を生かして物体現 象と対話するように、数多くの問いを作成した。 一体、そのような問いは、どのようにして、作 り出されたのであろうか。 彼は、研究する対象を分解し、それを問いに 変え、考える習慣があったものと思われる。つ まり自問自答の習慣があったことを意味してい る。そのため、常日頃から容易に問いを作るこ とができたと考えられる。 例えば、算数の応用問題の分解は、次のよう に行っているのである。 一ダースにつき五拾銭の鉛筆を十二ダース、 買ったなら、その代価いくら。 ( 1 ) 何を見出すのであるか。 (十二ダースの値。) ( 2 ) 与えられたる条件いかん。 (① 十二ダース、② 一ダースの値五 拾銭。) ( 3 ) いかにしてその値を見出すべきか。 (五拾銭を十二倍する。) ( 4 ) いかにしてこれをなすか。 (50 銭 ×12=6 円 00 銭)6) このような応用問題であれば、ほとんど分解 することなく、答えが導き出せるものである。 それをわざわざ分解し、問いとして構成したこ とが、自問自答をしている一つの証拠と言える のである。 さらに、彼が自問自答したその顕著な例を挙 げて考察してみたい。 及川は、デューイの「児童とカリキュラム」 に触発されて、児童と教材という二大背反を統 一するために深く研究している。 引用した経緯については、次のように回想し ている。 『分団式各科動的教育法』164 頁の「『教材と 児童の経験の逆錯』に於て『児童の生活は未分 状態である、之を修身国語算術などに分けると 生活を断片的にする云々』と論じ、教材と児童 の題材を比較しつゝ詳論した。(中略) 当時、 私はカリキュラムという用語を用ひないがヂュ エー博士著『児童カリキュラム』の内容を殆ど 全部紹介したのである。」7) そして、以下のような問いを作った。これを 現代の表記に直して挙げてみよう。 ① 教材は成人の経験ではないか、これがど うして児童の必要となる経験となるか。 ② 教材は他人の経験ではないか、これがど うして自己の必要となる経験となるか。 ③ 教材は児童に利害関係がない、これがい つどうして利害関係のあるものとなるか。 ④ 教材は誰人にも役立つだろうという予想 から選択したもので非個人的である。こ れが何時どうして我という個人に役立つ か。 ⑤ 児童は人間界同情の世界に興味をもつも のであるが、教材は多くは事実法則の世 界ではないか。 ⑥ 児童の経験は極めて狭いものであるが、 教材は極めて広範なる経験ではないか。
⑦ 児童はすべて総体的に経験し、次に分析 に移るものなのに、教材は人類の経験を 修身国語算術等に始めから分析している ではないか。 ⑧ 児童は心理的活動をなすものであるが、 教材は論理的に組織してはいないか。 ⑨ 教材は到着点であって、児童は教材を離 れることの遠い出発点より進行している ではないか。 ⑩ 児童は経験そのものを好むものであるが、 教材には文字文章という符号にしている 経験が多いではないか。 ⑪ 教材は人の経験の成果であるが、児童は 成果を生むべき過程を経験すべきもので はないか。 ⑫ 教材そのままが価値ありと考え価値を不 変化とするけれども、価値は要求の変化 によるもので、人と時と場所とによって 変化するものではないか。 ⑬ 人は教材を伝達しようと企てるけれども、 学習は自己経験の改造ではないか8)。 この問いは、「動的教育」の講演の際に、全 国の教師に考えさせるために作成したものであ る。しかし、デューイの論文を読んで、一体誰 がこれほど多くの問いを作るのであろうか。一 つ二つの問いを考えつくことは珍しくないだろ う。『児童とカリキュラム』が、問いを構成し やすい考えさせる論文であったとしても、これ だけの問いを作ることは簡単にできることでは ない。にもかかわらず、及川は、「教材対児童 の経験は、無数に起こるであろう。」と、いく らでも考えることができるようにいうのであ る9)。 さて、今までの問いからも分かるとおり、及 川は教材を多様な視点で見つめることができた。 教材については、「成人の経験」、「他人の経験」、 「利害関係がない」、「非個人的」、「事実法則の 世界」、「論理的に組織」などと異なった視点で 言い表している。 このように及川が、教材に対して多様な視点 を持っていたことは、彼が教材研究の主体であ り、授業を創造する主体となっていたことを意 味する。そして、自らの実践や他人の教育実践 を批判的に考察し、授業をよりよいものへと改 造していく契機を持っていたということなので ある。そのため、理科の事例 1 や校外学習の事 例 2 で示したように、自由な発想で教育実践を 行うことが可能であった。 4 問題系列作成の訓練 教師は、一般的に自分がよいと判断したこと を児童に伝えようとするものである。面白いと 感じたことを児童に質問したり、自分の大好き な教材には、より多くの時間をかけて指導した りするのがよい例である。 及川が自問自答する習慣を持ち、それをよい 学習方法だと考えていたならば、自問自答の方 法を児童に伝えようと企画したのは当然のこと であった。 そのため彼は、自問自答ができるようにする ために、問題系列作成の訓練ということを実際 の児童に試みている。 及川が問題系列作成の訓練について記述して いるところを、次に紹介してみよう。 『分団式動的教育法』より (二) 学習法の訓練上重視すべき事項─ (1) 問題系列作成の訓練─組織力、 選択力の陶冶─問題系列を作成する 訓練とは、主要問題を捉え、これを 解決するに必要なる従属問題の系列 を作りうるよう訓練することである。 これを分けて、組織力、選択力の訓 練の二つとする。組織力とは、継起 の次序に従うて一定事件を排列する 力であって、誰が、いつどこで、何 をどうした、どれがどうなった、と いうように問題系列を作りうるをい うのである。もし教師が児童に向 かって、尊王論を研究せよと命ずれ ば、児童は尊王論とは何のことだ、 誰が唱えたか、なぜに尊王論が起 こったか、徳川幕府はこれに対して どうしたかと、自問自答して研究す るようでなければならぬ。選択力と
はある題目につき相対的価値に従う て、事実・事件を選択する力であっ て、どれがさきでどれが後であるか、 どれが本でどれが末であるか、どれ が軽く、どれが重いか (中略) 等生 活上の価値より判断して、先後、本 末、軽重、遠近、深浅、親疎の別を 伏し、比較的価値のあるものをさき に採るというのである10)。 『分団式各科動的教育法』より (一) 問題系列の作成。─これは自学自習 の訓練としては最も大切なことであ る。問題系列をつくるとは例へば、 地理科で教師が「北海道の産物を研 究して御覧なさい」と命じたとせん に伝来の教育法で教育された児童は 茫然自失、「先生何を研究しますか」 と反問するであろうが、問題系列作 成の訓練を受けたものは (1) 何が と れ る か (2) 何 処 か ら と れ る か (3) 何に用ふか、(4) 何処へ輸出す るか、(5) どれ程とれるかと云ふや うに自力で研究するのである。(略) 問題系列をつくるに就いては、主 題と附帯問題の区別を知らしめねば ならぬ11)。 (六) 児童の能力に相応せる研究法。─児 童の能力を考へて徐々に伝来教育を 脱して問題系列を自由自在に作り得 る様にせねばなならぬ。少なくとも 卒業迄には是を成功せしめねばなら ぬ、要は徐々に急げといふことであ る12)。 及川は、問題系列の作成は「自学自習の訓練 としては最も大切なこと」と述べ、卒業までに 問題系列が自由自在にできるようにしたいと 言っているが、実際問題として、児童には難し い課題であった。そのため、教師の期待した系 列を作ることは簡単にできることではなかった。 例えば、『分団式各科動的教育法』にある理科 の蜘蛛の授業では、問題系列作成の活動におい て、教師の期待に反して、多くの児童は蜘蛛の 糸がどこから、どのようにして出るか、という ことを問題とした13)。これは、児童の興味を 持つことが具体的・特殊的な目をひくものであ ることを示しており、全体的な視野から分解し て問いをつくることが難しいからであった。結 局、優等生などのよくできる児童のみ、問題系 列の作成はできるようになったものと思われる。 しかし、児童一人の作業として問題系列は作 成できなくとも、学級の仲間で協力すれば、全 体として問題系列の作成はできたのである。問 題を作ることは、児童の組織力・選択力を陶冶 する意味でも必要なことであり、明石附小では 積極的に行われた。例えば、訓導の永良郡事が 「蛇」の学習で児童に作成させた問題は以下の 通りである。 (一部略) 1 .蛇は口を閉ぢたまゝ長い舌を出す。何故 か。 2 .蛇の舌は如何なる働きをするか。 3 .如何にして大きな蛙や鼠を嚥下すか。 4 .歯が皆内側に向いているのは何故か。 5 .夜眼の能く光る理由は。 6 .鱗はどうして出来るか。 12.毒蛇と無毒蛇と如何にして判別するか。 13.まむしに噛まれた時は如何にするか。 14.冬井戸堀等の時深き地中より死んだもの が出るが何故か。 17.神社付近の蛇を殺すと忽ち祟ると云ふが 真か。 18.蛇は人生にとって害ありや益ありや14)。 永良はこれらの問題について、「蛇の習性、 形態、人生との関係、並に世の迷信等が殆んど 全部網羅されて居る」と述べている15)。 つまり、学級のみんなで作成したこれらの問 いに満足したということである。 5 自問自答の根拠 ところで、及川が自問自答の方法を児童に指 導しようとして、それが成功すると考えた根拠 はどこにあったのだろうか。 彼は、次のように言う。 「此の教育法が必ず成功するという確信は、
ひとり教育思潮に合致して居るからといふばか りでなく、余の経歴が之を助成したのである。 予は明治十五年より明治十八年まで寺子屋教育 を受けた。余の生地は約三十戸の小部落であっ て普通の小学校への通学経路が甚だ遠いために、 之に通学が出来ず寺子屋教育が徳川時代より継 続したのである。次に普通の小学校に入り初等 二級一級全科といふ三つの越級試験を一度に受 けた。其の後、尋常科に入り、尋常四年を卒業 してから僅に一ヶ年補習教育 (当時温習科と いった) を受けた後、農業の傍、自学して宮城 県師範に入学した。当時の補習科は全く自学で ある。地理、歴史、理科は師範学校で初めて学 んだ。明治三十年師範学校卒業後直に同校の訓 導となり、単級教育を研究した其の後は語る必 要はない。余の経歴が現行教育の弊を強く暗示 した。」16) このように及川は自らの自学の経験に基づい て、自問自答を児童に指導しようとしたと考え られる。 この場合、及川が「此の教育法」に含めてい ることは自問自答のことだけを対象にしている わけではない。しかし最終的に、一人で研究で きる人間を育てようとしており、自問自答でき る人を育てたかったのである。 ただ、彼の期待したとおりに効果を上げな かったことは、ある意味当然のことであった。 及川は、自分が自問自答する習慣を持っていた ため、他人も自分と同じように自問自答できる と考えたのであろが、みなが、及川のように自 問自答を身につけ習慣としたのではなかったの である。 ところで彼は、特に高等教育を受けずに、自 学して高名な教育学者となった人物として評価 が高い。 『大正自由教育の研究』で有名な中野光は、 「及川のばあいは、学歴は師範学校を卒業した だけであったのに、いわゆる講演教育学者をし のぐ理論的水準に到達し、その影響力も多大で あった。」「明治の末期から大正期にかけて、わ が国の教育界は、必ずしも帝国大学や高等師範 出身者ではない『独学教育学者』ともいってよ い指導者を生み出す時代になっていた。(中略) 及川はその理論と水準において彼等のうちの白 眉である」と評価している17)。 彼がデューイの「児童とカリキュラム」を読 み創り上げた問題を見ても、その水準の高さに は驚かされる。自問自答することで、自らの教 育理論を構築したのであった。 6 教材研究に生かす 今までの論で、及川が多様な視点で教材を見 つめたこと、教材を分解しそれを問いに変えた こと、自問自答ができるようにするために、問 題系列を児童に作らせようとしたこと等を述べ てきた。ここでは、現代の教育に彼の教材研究 を生かすにはどうすればよいかということを論 じたい。 及川は、自問自答の訓練を明石附小の児童だ けに実践したのではなかった。各地の教師にも 求めたのである。及川が「動的教育」の講習会 で配布した講義要項には、たくさんの問題が載 せられていたのである。 彼は、次のように言う。 「所々に問題を挿入してある。問題にはなる べく実地経験上より解決すべきものを選んであ る。聴講者諸君の自力に依って解決を企つべき である。講師に対して解答を求めてはなら ぬ。」18) もちろん、及川が忙しく、解答を求められて も、一々答える暇がなかったこともあったであ ろうが、それよりも、まず各教師に自分の力で 解決して欲しかったと考えることができる。 彼が「動的教育」の講義要項に挿入した問題 の代表的な事例を紹介しよう。 ・題材は「働きの仕方なり」という定義を承 認し、(例えば椅子は気楽に憩む仕方であ る等) 諸君の書斎又は台所にある物品に定 義を下せ。 ・諸君の伝達せんとする教材は児童の如何な る経験の成長なるか、二三の例を挙げて説 明せよ。 ・解決すべき問題を意識せしめ、之と題材を 関係づける方法を例解せよ。 ・日食、月食の理を研究せんとする動機を如 何にして喚起するか。
・自己の担任せる学級児童の能力に応じ適切 なる研究法の模式をつくれよ。 ・自己の担任せる児童の表明を考察し、改む べきべき点を発見せよ。 ・歴史科の一題材をとり、之を科学的活動に よって学習する場合と評価活動によって学 習する場合とに分つて示せ19)。 様々な物を人間にとっての意味で定義づけた り、問題に対して学習しようとする動機を起こ させようとしたり、具体的な担任児童に応じた 指導の仕方を要求したりしている。 及川は、さらに次のように呼びかける。「教 師が動的教育の理論に通ぜず、教師が科学的研 究に熟練せぬならば、児童を動的に教育するこ との出来ないのは勿論である。」20) 以上のように、及川は自分の力で自問自答し、 具体的な教育実践を生み出せる教師を育成しよ うとした。教師が自ら問い自ら答えるその学ぶ 姿勢で、児童を感化できる教師を生み出した かったのである。 彼は、教育方法を研究するには、「題材の考 察が最先に必要である」と述べ、特に、教材が 社会生活の中で用いられている意味である「本 然的機能」の発見を重要と考えた21)。 そして、この「本然的機能」を発見するため には、教師が「なぜにこの単位はつくられたの であるか」と問い、「教師自身でその答えを承 認しうるまで考えるがよい」と述べている22)。 つまり、教材を生み出した人の立場に立って、 その人がどんな問題意識を持ち、どのようにし て生み出したかを自問自答する教材研究が必要 だとしたのである。 特に、教材に対する中途半端な解釈について は容赦していない。例えば、「『大阪市』の地理 を教えるばあいに、なにゆえに大阪の地理を教 うるかを自問自答し、『大阪市の地理を知って おらねばならぬから』と解釈しただけではいか ない。さらに『なにゆえに大阪市の地理を知ら ねばならぬか』と反復問答し、『わが国の経済 の状況を知らしむるため』と自答して満足すべ きである。」と述べている23)。ともかく、教師 の教材研究にこそ、及川の教材の見方、自問自 答を取り入れるべきなのである。そのようにし て学ぶ教師にこそ、児童は信頼し、その学級の 中で安心して成長していくのであろう。 特に及川の教材研究から学ぶ点は、次の 5 つ である。 ① 教材の本質を見極め、大事な点を自分の 言葉で言い表すこと。 ② 教材を人間の活動に戻すこと。 ③ 教材を問いで分解し、学習過程にそった 問題系列を作成すること。 ④ その教材を児童が学習したくなるように 学習動機を起こすこと。 ⑤ 児童の学習活動を予想し、学習が継続す るような手立てを打つこと。 及川に言わせれば、これでは少ないというか も知れない。しかし、市販の教材やプリント類 が氾濫している現代においては、教材の本質す ら考えたことのない教師もいるに違いない。ま た、及川の生きていた時代より遙かに複雑な世 の中となり、知識の量も格段に増え、教科書の 教材も難しくなっている。結局、現代の教師に は、及川の実践した当時と比較すれば教材研究 だけでも大変になってきているのである。その ため、この 5 点が特に重要と考えるのである。 お わ り に 筆者は、滋賀大学附属小学校で算数科を専門 として研究している。各地の小学校の校内研究 会の講師として呼ばれたり、教育実習生の指導 を行う機会があるが、そこで経験・実感するこ とは、教材研究の不足している指導案が多いと いうことである。もちろん各先生方はそれぞれ に頑張っている。1 時間の授業に相当の時間を かけて、教材研究をされている。決して、手を 抜いているわけではない。 にもかかわらず、教材研究が不足していると 感じるのである。これは、教材研究の方向が間 違っていること、教材研究の具体的な方法を確 立していないことが原因であると推測する。 そこで、先に述べた 5 点の教材研究が、短時 間でできるようになって欲しいと思う。それが できるようになれば、一歩前進した有効な授業
が展開できるようになるであろう。 最後に、算数科の場合の教材研究をもう一つ 付け加えておこう。算数科の場合、教科の研究 が進み、児童の活動を通して授業を行うスタイ ルが定着している。算数科の教科の特性として、 様々な活動が正解不正解という結果に明確に表 れることが多い。そのため、児童はできないこ と、分からないことに悩むことがよくある。分 からない・できないことを素直に表現できる学 級は少ない。また、児童も自分から勇気を持っ て言い出せないことが多いといえる。 そこで、教材研究では、児童の悩むところを 問いにするという教材研究が有効である。間違 いを問いにする、ずれを問いにする、恥ずかし くて聞きにくいことを問いにする。さらに、当 たり前になって忘れていることを問いにする。 この問いを出すことで、児童は安心し、さらに 追究を深めることが多いのである。具体的な問 いについては、各教師の工夫を待つところであ る。 注 1 ) 及川平治『分団式各科動的教育法』弘学館 1915 (大正4) 年 PP656〜658 2 ) 『分団式各科動的教育法』P658 3 ) 『分団式各科動的教育法』PP560〜561 4 ) 『分団式各科動的教育法』PP558〜560 5 ) 『分団式各科動的教育法』P336 6 ) 中野光偏 及川平治『分団式動的教育法』明 治図書 1972 (昭和 47) 年 P139 7 ) 及川平治「総合教育とカリキュラム」『兵庫教 育』577 号 1937 (昭和 12) 年 P19 8 ) 及川平治『分団式動的教育法講義要項』滋賀 県蒲生郡教育会 1917 (大正 6) PP37〜39 9 ) 『分団式動的教育法講義要項』 10) 『分団式動的教育法』P281 11) 『分団式各科動的教育法』PP298〜299 12) 『分団式各科動的教育法』P302 13) 『分団式各科動的教育法』P650 14) 永良郡事『動的教育の実際研究』弘学館 1920 (大正9) 年 PP80〜81 15) 『動的教育の実際研究』P81 16) 『分団式動的教育の実際』PP61〜62 17) 中野光「及川平治の教育理論と実践」及川平 治『分団式動的教育法』巻末の解説 P335 18) 『分団式動的教育法講義要項』序文 19) 『分団式動的教育法講義要項』参照 20) 『分団式各科動的教育法』P337 21) 『分団式動的教育法』P69 22) 『分団式動的教育法』P310 23) 『分団式動的教育法』P89