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1.はじめに

利用者による誤解の可能性を構造的に内包した

コンテンツビジネスとその影響

−ペイドパブリシティーの問題および

文化財の著作権存在偽装の問題を中心として−

中野潔

*1 利用者による誤解の可能性を構造的に内包した広義のコンテンツビジネスの問題を 2 つとりあげ、その背 景、影響、対処の考え方などについて論じた。具体的には、ペイドパブリシティーの問題と文化財における 著作権存在偽装の問題である。いずれも、報道機関や文化的機関など、本来、高い矜持を保つべき組織が、 市民の誤解を利用して、順当に得られるべき収入以上の収入を得ているのではないか−−という疑惑を招い ている。財政などの厳しい状況が背景にあるとはいえ、看過してよい問題ではない。この問題を解決するた めには、組織の側がきちんとした倫理観を備えること、市民の側が正しい知識を持つことなどが必要である。 キーワード:コンテンツ、コンテンツビジネス、パブリシティー、ペイドパブリシティー、PR、報道、編 集、広告、記事、番組、広告主、読者、視聴者、利用者、マスメディア、メディア、報道機関、新聞、雑誌、 テレビ、放送、検索エンジン、検索エンジンサイト、検索語連動広告、プレスリリース、報道発表、フィル ムコミッション、倫理、情報倫理、美術館、博物館、寺社、文化的機関、文化財、著作権、知的財産権、法 的保護、保護期間、美術、建築物、写真の著作物、物のパブリシティー権、ビジネスモデル、地方自治体 (英語の書誌情報は最終ページ)

1.1.本稿の概要および構成

本稿は、広義のコンテンツビジネスに関する2 つ の問題について考察するものである。 1 つは、報道、すなわち、マスメディア企業の行 動についての問題である。具体的には、ペイドパブ リシティーと呼ばれるタイプの記載内容の増加をめ ぐる問題である。これは、編集記事において、ある いはコマーシャルでない通常の番組において、実際 には、費用を支払った特定の者の意思に沿った広告 といえる内容を流すというものである。 もう1 つは、美術館、博物館、寺院、神社などが、 著作権保護期間の切れた美術品の写真の利用などを、 著作権の名のもとに制限しようとしているという問 題である。本稿では、これを著作権存在偽装問題と 呼ぶ。 2.では、2 つの問題の全体像について、概説する。 3.では、ペイドパブリシティーの増加とその影響に ついて論じる。4.では、ペイドパブリシティーの増 加の背景について考察する。5.では、著作権存在偽 装問題について、問題の所在、背景などについて述 べる。6.がむすびである。 *1:大阪市立大学大学院創造都市研究科。Graduate School for Creative Cities, Osaka City University

本稿は、大阪市立大学学術情報総合センター紀要 情報学 研究 Vol.6 (March, 2006) に最初に掲載された。転載を快 諾してくださった同起用編集委員会および同センター教員 組織に深く感謝する。

1.2.関連先行研究

本稿に関連する先行研究について、いくつか触れ ておきたい。 3.を中心に述べている情報の信頼性の手がかりに

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関する問題について、村田は、データベースに格納 されたデータの誤りや古さにより、個人が不利益を 蒙る可能性について触れ、データ管理者などの職務 責任について論じている。01)情報自体の正確性につ いての論議であり、情報を格納したフォーマットの 適切性に伴うメタ情報の正確性についての論議であ る本稿言説とは、異なる。 塩谷は、マスコミュニケーションを通じて伝達さ れる情報を市民が真実と捉えるか否か、それを行動 決定や他者の情報発信にどう結び付けるかという問 題について、「情報世界」と「情報生活世界」という 概念を用いて分析している。02)ここでは、マスコミ ュニケーション経由の情報を一括して論じており、 編集記事(活字媒体の場合)と広告とを比較して論じ る本稿とは、異なる。 疋田は、広告における倫理問題、広告に関わる表 現者の責任の問題について論じている。03)また、前 川は、客観報道、メディアの商業性、ジャーナリス トと倫理について論じ、同じ著作の中で広告の問題 についても触れている。04)しかし、疋田も前川も広 告と編集記事との峻別について論じていないので、 本稿とは異なる。 日笠らは、マスメディアという企業およびその主 要な構成員であるジャーナリストの社会的責任と従 うべき倫理について論じている。具体的事例として、 旅行記者が旅行会社の招待を受けて旅行する場合の 問題について分析している。05)マスメディアあるい はジャーナリストに対する便宜供与の問題を論じて いる点で、本稿の論考範囲に近い。しかし、ペイド パブリシティーの問題までは考察しておらず、その 点で本稿と異なる。 ベルトランは、広告主が広告とニュースとの間を 常にあいまいにしようとしていると批判し、また、 喫煙による健康障害について、米国のマスメディア が長い間報道しなかった事実を指摘している。06)そ れらは、本稿の論考範囲に非常に近い。しかし、こ の問題に言及している箇所の分量は非常に少なく、 本格的に論じているとは言いがたい。 宣伝、広告、広報、パブリシティーなどの関係に ついて論じたものとしては、小早川の論考07)や佐藤 卓己08)の論考がある。いずれも本稿と異なり、ペイ ドパブリシティーについて本格的に論じたものでは ない。 5.2.1.で論じている民俗の伝統的な文化的資産の 知的財産権およびその社会的共有について、マクロ ードは、共有すべき文化的資産に由来する作品の権 利を一部の営利企業が囲い込もうとしていることに ついて鋭く批判している。09)著作権を主張すべきで ないものに著作権を主張している−−という批判で あり、創作性に関する論議である。著作権の範疇で ないものを著作権と詐称している事例が存在すると いう本稿の論議とは、異なる。関連する問題は、中 野がいくつかの著作で触れている。10),11)

2.利用者による誤解の可能性を構造的に

内包したコンテンツビジネスの問題点

2.1.ペイドパブリシティーおよび著作権存在偽

装問題選択の背景

コンテンツビジネスのうち、利用者による誤解の 可能性を構造的に内包したものは、多数、考えられ る。本稿では、ペイドパブリシティーの問題と、著 作権存在偽装の問題を取り上げる。 多数考えられるもののうち、この2 つの問題を選 択したのは、第1 に、2 つが、利用者による誤解を 利用した各種の例の中で、相当程度離れた2 つの側 面の、それぞれ典型だと考えたからである。まず、 前者は法的権利と無関係に視聴者、読者の多くに形 成されている記事の読み方の作法を利用している。 また、後者は、著作権という法的枠組みへの一般の 理解を利用している。 第2 に、これらのいずれもが、従来から存在する 問題でありながら、インターネットの普及と、メデ ィアの多様化、そして、マスメディア企業の売り上 げ減少、自治体財政の逼迫に伴って、顕在化してき た、今日的な課題であるからである。 インターネットが普及し、メディアが多様化した ために、マスメディア企業の売り上げが減少した。 一方、ネット専業のメディア、旧来からのマスメデ ィア、個人が開くブログや通常タイプのウェブペー ジが、理論的には同列で競い合い、1 つのマスメデ ィア企業が、レイアウトから見てもビジネスモデル の面から見ても非常に異なるタイプのウェブページ を設けたり、非常に性格の異なる主体(マスメディア から個人まで)がよく似たタイプのウェブページを

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設けたりという事態が生じるようになった。 それらのうち購読料で賄えるものはほとんどない から、それらが、バナー広告やテキスト広告の挿入、 スポンサードされたウェブページの開設、ビデオオ ンデマンドの途中の動画コマーシャルの挿入、スポ ンサードされたショートムービーなど、各種の方法 を駆使して、広告費を取り合うようになった。 従来から存在する活字メディアのうち、一定割合 のものにおいては、広告と編集記事との区別がまが りなりにもされており、注意深い読者が見れば識別 できたが、ウェブ上の、純粋の編集記事から純粋の 広告まで、スペクトラムのようにわずかずつ異なる ウェブページの性格を見極めるのは、プロフェッシ ョナルにも難しく、まして、一般視聴者には非常に 困難な行為となってしまった。 また、テレビの多チャンネル化や活字メディアの 売り上げ減少に伴い、従来、できるだけ避けるよう にされてきた広告と編集記事(テレビであれば番組 本体)との渾然一体化に関し、背に腹は変えられない ものとして、踏み入るマスメディア企業が増えてき た。 本稿でいうところの著作権存在偽装の問題も、こ れらの背景と無縁ではない。メディアの多様化に伴 い、文化財もコンテンツの材料候補としての地位を 高めてくる。他方では、インターネットが普及した ため、美術館や博物館や寺院、神社などにいかなく ても、文化財の写真などが入手できるようにすべき であるという声が出てくる。そのようにするべきと 主張する者の多くは、社会の文化的発展のために、 あるいは、市民サービスとして、無償あるいは安価 に、それら写真などを開放すべきだとする。 一方、そうした文化的機関を自治体が支えている 場合には自治体財政の危機により、私的セクターに 属する文化的機関においては、市民の社会的活動が 多様化したことによる入場料、拝観料の減少により、 財政状態が悪化している。 このため、「著作権」という一種の蓑により、文化 財の写真などの無償の、あるいは、野放図な利用を 制限しようとする。 こうした背景の中で、本稿で取り上げる2 つの問 題が浮上してきた。

2.2.ペイドパブリシティーの問題の概要

2.2.1.ペイドパブリシティーの問題が社会的課題と なる理由 ペイドパブリシティーとは、新聞、雑誌、テレビ などにおいて、広告と編集記事(テレビにおいては番 組本体)とで、表現形式が分かれているという読者、 視聴者の暗黙の理解を利用したものである。読者、 視聴者には、広告の部分においては基本的に広告主 のメッセージがそのまま流されている(すなわち、内 容は中立ではなく、そこに広告主の意図が強く反映 している)のに対し、通常の記事部分、番組部分では、 メディアによる差異、個々のメディア企業による差 異はあれ、特定の主体の意図にそって偏るというこ とのない、中立的な内容が記されているという認識 が浸透している。そして、広告と編集記事とで表現 形式が分かれているため、多くの読者、視聴者は、 それをもとに、視聴している内容がどちらの種類に 属するのかを判断し、内容の信頼性を見定める根拠 としている。ペイドパブリシティーとなっている記 事では、編集記事の体裁をとっているのに、内実が 広告となっている。 すなわち、通常の記事部分、番組部分と同じ体裁 をとることで、読者、視聴者に中立的な内容が記さ れているという印象を与えながら、実は、広告とし て広告主の意図を強く反映した内容が記されている というものなのである。 これは、読者、視聴者へのメディア企業への信頼、 新聞や雑誌でいうならば、いわゆる編集部への信頼 に寄りかかった、捉えようによっては、裏切りとも いえる行為である。 2.2.2.記事や番組に関する用語の定義 以下では、テレビ、新聞、雑誌といった媒体を問 わず、ひとかたまりのものとして認識される番組、 コマーシャルフィルム、記事、紙面広告などをまと めて、記載事項と呼ぶ。通常、記載事項といえば、 広告や記事などを構成する個々の命題を指すことが 多いが、本稿では、特に断らないかぎり、ひとかた まりの広告や記事をまとめて指すのに、この用語を 用いる。 記載事項のうち、広告主から広告料を得て、ある

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いは、それ以外の形でも特定の情報発信者からの報 酬を得て、その意に沿う形で内容を決めて記載して いるものを、広告記載事項と呼ぶ。記載事項のうち、 特定の情報発信者からの報酬を得るということなく、 編集部の発意により記載しているものを、編集記載 事項と呼ぶ。 情報発信者からの報酬は、必ずしも情報発信者、 通常の場合、広告主から直接、記載事項の記載者、 すなわち媒体発行者に支払われるとは、かぎらない。 広告代理店、各種のプロダクションなど、広告記載 事項の企画、編集、制作、記載個所調整などに携わ れる組織から支払われるケースも多い。しかし、そ うした支払いの原資は、基本的には、情報発信者か ら得られている。 本稿では、支払いのルートによらず、基本的に原 資を提供している情報発信者が存在すれば、その金 品を情報発信者からの報酬と呼ぶことにする。 企業広報誌やテレビ番組のように、内容の大きな かたまり全体を、特定の情報発信者からの報酬をも とに作成している場合でも、情報発信者のメッセー ジをダイレクトに記載している部分と、基本的に編 集部の発意を尊重して記載している部分とが明確に 分かれている場合、前者を広告記載事項、後者を編 集記載事項と呼ぶ。 雑誌の一部、テレビ番組の一部を典型として、両 者の区別を明瞭にせず、編集記載事項から広告記載 事項への変化をスペクトラムのようにしているケー スもある。雑誌でいうと、性別、年齢帯別に、おし ゃれ、旅行、フィットネス、芸能などの情報をまと めたタイプの雑誌に、こうしたタイプのものが散見 される。こうした連続的な変化の場合においても、 理論的には線引きが可能であるとする。 2.2.3.記事や番組の内容および体裁に関する用語の 定義 全国紙を典型とする新聞や経営誌を典型とする雑 誌では、編集記載事項と広告記載事項とをレイアウ トで区別できるようにしていることが多い。 新聞では、編集記載事項と広告記載事項とが1 ペ ージの紙面に混在している場合には、広告記載事項 を黒い枠で囲う。1 ページの紙面全体が広告記載事 項である場合には、欄外に「全面広告」の文字を入 れる。両者を区別する意思のある雑誌では、混在時 には広告記載事項を枠で囲う。1 ページの紙面全体 が広告記載事項でありながら、内容が編集記載事項 に似ている場合には、「PR」、「AD」といった文字を ページの下辺に入れたり、ページの下隅に情報発信 者の連絡先などを入れたりして、区別の糸口を与え ている。 テレビの場合には、画面の下辺や隅に文字を入れ て区分を峻別するような習慣がないので、総合的に 与える印象によって視聴者に区別してもらうしかな いのであるが、音楽やナレーションの使い方、スロ ーモーション、カメラワークの使い方、企業ロゴや 文字の表示の仕方によって、編集記載事項と広告記 載事項とは、通常、区別可能である。 印刷媒体ではレイアウト、テレビでは表現様式に より、読者、視聴者に編集記載事項であろうと判断 せしめる様式を採用している記載事項を編集型記載 事項、読者、視聴者に広告記載事項であろうと判断 せしめる様式を採用している記載事項を広告型記載 事項と呼ぶことにする。

2.3.著作権存在偽装の問題の概要

著作権存在偽装という言葉を耳にしたとき、いろ いろな事例が想定されるであろう。しかし、本稿で は、著作権保護期間を過ぎた創作物の写真などの利 用を、「著作権」といったキーワードをつけることで、 あたかも法的に保護されているように、利用者に感 じさせて、利用者に利用料を払わせることを正当化 する行為を指す。 これには、公道から見える建築著作物の写真の自 由な利用を制限して、利用料を払わせる行為なども 含む。 さらに、著作物とはいえない建造物その他の物品 や歴史上の有名人ゆかりの物品あるいはその写真な どを、「著作権」といったキーワードをつけて、利用 制限する行為なども含む。

3.ペイドパブリシティーの増加とその影

3.1.広告と記事との識別の容易さの保持

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3.1.1.広告と記事との違いによる信頼度の違い 「報道」、「報道機関」と呼ばれることのある活動、 あるいは組織において、その発行媒体(テレビ番組も 含めて発行媒体と呼ぶことにする)上の記載事項が、 編集記載事項であるか、広告記載事項であるかの識 別の容易さは、重要な性質である。 本質的に、公正な報道、中立的な報道、客観的な 報道がありうるかどうかについて本稿では論じない が、仕事に従事する者が、公正、中立、客観的な報 道を目指して活動しているであろう−−と読者、視 聴者が推定できるか否かは、当該報道機関の報道内 容に対する読者、視聴者の信頼度に大きく影響する。 報道と判断されることの少ない記載事項において も、それが編集記載事項であるか、広告記載事項で あるかの識別の容易さは、重要である。情報提供型 バラエティーショー、クイズ形式の世界紀行番組、 クイズ形式の常識確認番組、家事のノウハウ提供番 組など、テレビ番組による情報は、市民の日常会話 における題材として大きな地位を占めている。こう した情報が、特定の情報発信者の意図による改変を 受けていないことが、市民による会話題材採用にお ける暗黙の前提となっていると考えられるのである。 3.1.2.語り手への信頼と語る内容への信頼とにおけ る信頼メカニズムの差異 市民の日常会話における題材採用において、編集 記載事項で示されている命題と、広告記載事項で示 されている命題とでは、扱いの態度が、平均として は異なってくる。テレビのコマーシャルフィルムに 関して、日常会話で論じるとき、音楽、脚本、場面 設定、言い回しなどについて言及することはあって も、コマーシャルフィルムの中で提示される命題内 容の是非について論じることは少ない。 コマーシャルフィルムに登場する俳優や歌手に対 する好悪、そのコマーシャルフィルムにおける演技 についての好悪に言及することは多い。しかし、コ マーシャルフィルムにおいて、社会的信頼度の高い 人物、A 氏が述べているからといって、「A 氏がほめ ているから、風邪薬B は、優れているのだろう」と いった論理構成で、会話の発話がなされることは少 ない。情報発信者から報酬を得た人物、A 氏が、そ の情報発信者の提供する製品やサービスをほめるの は、当たり前のことだからである。 もちろん、社会的信頼度の高い人物は、通常、仕 事を本人なりの価値観にもとづいて選ぶものであり、 報酬が得られるからといって、いわゆる怪しげな会 社のコマーシャルフィルムに登場することは、少な い。社会的信頼度の高い人物が登場するという事実 によって、広告記載事項の信頼性は高まる。しかし、 こうした信頼度醸成のプロセスは、当該コマーシャ ルフィルムが広告記載事項であるという前提のもと になされている。 同じA 氏の発話における命題であっても、編集記 載事項の中での引用発言、インタビュー録などに登 場する命題と、コマーシャルフィルムに登場する命 題とでは、命題に対する読者、視聴者の信頼度が異 なってくる。前者の信頼度が当然、高い。繰り返し になるが、情報発信者から報酬を得た人物が、その 情報発信者の出費による広告記載事項の中で、当該 情報発信者の提供する製品やサービスをほめるのは、 当然のこととみなされているからである。

3.2.検索エンジンにおける代金支払いによる上

位表示の獲得

3.2.1.検索結果における広告主ウェブサイトの峻別 ウェブページの検索エンジンサイト12)の機能を 「報道」と分類したり、検索エンジンサイトの主催 者を「報道機関」とみなしたりすることは、ほとん どない。しかし、多くの利用者は、検索エンジンサ イトの検索結果が、「中立、公正」であることを期待 している。 「中立、公正」の定義、あるいは、利用者の多く が考える「中立、公正」の具体的な姿の説明を提示 することは容易ではない。本稿では、ここまでの議 論の延長線上で、「所定の代金その他の金品を検索 エンジン主催企業に支払うこと、あるいは、その他 の形で検索エンジン主催企業に便宜を与えることの 見返りとして、特定(特定多数の場合を含む)組織の 意思に沿い、検索の結果として利用者の得ら検索リ ストにおける、ウェブページの選択可否や順位を左 右するといった行為のないこと」−−と捉えておき たい。

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現在、検索エンジンのグーグルでは、グーグルに 広告費を払っている企業のウェブサイトと、そうで ない企業のウェブサイトとは、まったく別のリスト に並ぶようになっている。前者は、利用者の検索結 果に基づいて表示される検索結果リストのページに おいて、主催企業であるグーグルに広告費を払うこ とにより、リストアップされている企業である。こ のリストは、検索結果ページの右端に狭い幅で表示 される。後者は、グーグルの基本の検索アルゴリズ ムで選び出され、リストアップされている企業であ る。このリストは、検索結果ページの中央から左側 に掛けて広い幅をとった形で表示される。両者は、 厳然と区別されている。 3.2.2.検索結果における広告主ウェブサイトと一般 ウェブサイトとの混合 しかし、検索語連動のテキスト広告、あるいは、 テキスト広告類似の仕組みを最初に実施したとされ るゴートゥー・ドットコム(現在、オーバーチュア) の創始者、ビル・グロスが1998 年 2 月にデモンス トレーションを実施したときには、2 つのリストを マージしていた。広告費を支払うことでリスト上位 に登場しているウェブページと、検索エンジン本来 の重み付けによりリスト上位に登場するウェブペー ジとを区別するてがかりは、与えられていなかった。 13) 若干長くなるが、そのときのプレゼンテーション 会場の反応を伝える文章を引用する。なお、クロー ラーとは、世の中に存在するウェブページを片端か ら探し出してピックアップしていくソフトウェアの ことである。また、アルタビスタとは、当時有力だ った検索エンジンの 1 つである。【グロスは新しい 検索エンジンを作動させてみせたが、検索結果はア ルタビスタのようにウェブの公平はクローラーが引 きだすのではなく、検索者のキーワードやフレーズ と合致するように一番高く支払ったクローラーによ って検索結果が選ばれた。(中略)広告主の支払う広 告料金で検索結果の表示場所が変わる検索エンジン は、技術的に問題があるばかりか、メディアの倫理 を明らかに侵害しているとされた。ゴートゥーは記 事の中に広告を紛れこませているとされ、各報道機 関も同じ立場にたって、編集の純潔性・中立性の側 面から批判的な姿勢をとった。 検索結果が支払われる金額で決まるとは−。その ようなメディアがはたして存在していいのだろうか、 と。】14) この引用個所自体は、雑誌、新聞、テレビなどに おいて、編集記載事項と広告記載事項との識別の容 易さを保つことの重要性について述べたものではな い。しかし、この引用が示すように、記事の中に広 告を紛れ込ませること、広告料金の授受によって編 集のされ方に差が出ること−−は、メディア企業に とって禁じ手であるかのように、受け取られている。

3.3.広告と記事との識別の容易さの現状

3.3.1.広告と記事との識別の容易さの概要 3.3.1.1.雑誌とテレビとの差異 前出、3.1.で述べたように、記事と広告とが区別 できるということは、マスメディア企業の扱うメデ ィアにおいて、必要であると、通常、認識されてい る。特に、そのメディアが報道のためのメディアだ と送り出す側が認識している、あるいは、受け取る 側がそう捉えている場合には、それが厳格に守られ ることへの期待度が大きい。 本節では、広告と記事との識別の容易さの現状に ついて、雑誌を主な題材として概観したい。テレビ の場合、(1)民放では、もともと番組のスポンサーが いるため、番組の中で、スポンサーの製品やサービ スへの強い配慮が見られたときに、それをペイドパ ブリシティーとそれでないものに分けて論じること が難しい、(2)紙媒体と異なり、枠外に「広告」、「PR」 などと記して、編集記載事項と広告記載事項とを区 別することができないから、「編集記載事項と誤解 されやすい形で、広告を流した」と明言することが 難しい、(3)放送を長時間ずっと記録することを通常 しないし、ずっと記録しても後日適切な事例に到達 するのが難しいので、分析が難しい−−といった問 題点があるためである。 3.3.1.2.報道型雑誌 それでは、雑誌を例にとって考えてみる。まず、

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新聞社系、出版社系のニュース週刊誌、総合週刊誌 などでは、ペイドパブリシティーの手法を用いる例 は、少ない。しかし、雑誌によっては、ペイドパブ リシティーかもしれないと思わせるコーナーを設け ている例もある。 たとえば、『読売ウイークリー』の「この週末は…」 などがそうである。高級飲食店1 店を取り上げ、詳 細な飲食店情報と、その飲食店の前に自動車を止め て写したサイズの大きい写真とを掲載している。飲 食店単独、自動車単独の記事にすると、広告と間違 えられやすくなるので、意図して両者を組み合わせ ているという可能性もある。しかし、飲食店情報の 中で、車の写真が大きく扱われているのを見ると、 違和感を覚えるのが通常の感覚であろう。これが、 ペイドパブリシティーでないとすれば、自動車を登 場させる意図が理解しづらい。 新聞社系、経済経営専門出版社系の週刊の経済経 営誌でも、記事と広告とを区別しやすいようにして いるのが通常である。広告特集と呼ばれる同じカテ ゴリーの製品、サービスの広告を複数まとめたペー ジには、編集記事に似たタイプの文章が掲載される が、ページのレイアウトなどにより、広告(記事型広 告)であることを明記することが多い。 また、広告特集は、編集記事の目次に載せずに広 告索引に載せるか、編集記事の目次に載せる場合で も広告特集と明記することが多い。週刊の経済経営 誌で、編集記事と最もまぎらわしい広告は、巻頭の 企業や大学のルポルタージュである。編集記事の企 業ケーススタディーや経営者インタビューと雰囲気 の似た文体、レイアウトが用いられる。 しかし、文章の最後に、編集記事とは異なる形で、 企業や大学の連絡先などを載せることで、編集記事 との区別がある程度、しやすいようにはなっている。 また、編集記事の目次に載せる場合には「PR」とつ けるなど、最終的には区別できるようにしている。 本稿では、ここに列挙した雑誌群を今後、報道型雑 誌と呼ぶことにする。 3.3.1.3.準報道型雑誌 女性向け週刊誌、総合月刊誌、月刊(隔週刊などを 含む)の商品・サービス情報誌、性別・年齢層別の各 種月刊誌(隔週刊などを含む)になると、状況が変わ ってくる。 送り出す側でも受け取る側でも、そのメディアを 報道のためのメディアとみなす度合いが減ってくる ためもあり、編集記載事項と広告記載事項との区別 が明確になされない例が増える。本稿では、ここに 列挙した雑誌群を今後、準報道型雑誌と呼ぶことに する。 3.3.2.広告と記事との識別が困難である事例 3.3.2.1.雑誌における事例 本稿は、詳細なデータをあげて現状を分析すると いうよりは、社会全体の傾向を定性的に捉えて論じ ていくことを主に狙ったものである。しかし、手元 に適切な例があるものに関しては、可能な範囲で示 したい。 たとえば、月刊文藝春秋の2005 年 12 月号をみて みよう。「第63 回 私の選んだベストブランド」と いう編集記載事項のような記載事項があるが、実は これが広告記載事項である。編集記載事項か広告記 載事項かが、わかりにくい例だといえる。 まず、十数ページに渡るこの企画ページの表紙ペ ージに、「撮影・本社写真部」とある。写真の著作権 の所在を明らかにするために、クレジットを入れて いるだけという説明も成り立つ。しかし、読者によ っては、編集部が内容の公平さの保証を与えている ように見るであろう。 もちろん、ここでいう公平さとは、幾多の限界の 中での、若干、観念的な「公平さ」である。記者、 編集者が取り上げる事項や人や組織や場所を選ぶ際、 しょせん、自分の興味範囲を中心に、自分の知って いる範囲からしか選べない。しかし、それでも、少 なくとも「題材(企業や人を含む)を選ぶ際に、当該 企業や人からの見返りがあるから選んだということ は、ないであろう」と推定できるか否かは、メディ アについて判断する際に重要な要素となる。 この「ベストブランド」云々と題する一連の記事 では、著名人の私のお薦めブランドが写真と、本人 とコメントで紹介されていて、左下に12 分の 1 ペ ージの広告が入っている。ほかは、通常のグラビア ページの記事とまったく同じに見える。 特に、同じ号に「築地に最高の食材を買いに行く」

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という通常の編集記事が掲載されており、この編集 記事のレイアウトや文章の書き方が「ベストブラン ド」に似ている。非常にまぎらわしい例だといえる。 実は、この「第 63 回 私の選んだベストブラン ドの記事は、編集記事の目次には、載っていない。 広告目次には、載っている。そこまで雑誌の読み方 を知っている読者でないと、広告であるかどうかが わからないことになる。 本稿では、前述のとおり、編集記載事項の公正性、 中立性について深く踏み込んで議論しない。しかし、 前出、左下の12 分の 1 ページの広告について、こ れが広告記載事項であることは多くの読者に判断可 能であろうが、同じページのこれ以外の部分につい て、編集記載事項であるか否か、すなわち、編集部 が他の記事と同程度の公平さ、中立さを保証してい るか否かがわからないという状況が、事実として存 在する。これは、読者の判断を惑わせる状況だとい わざるを得ない。 3.3.2.2.テレビにおける事例 次に、テレビ番組における例をあげたい。深夜の 音楽ランキング番組の中に、数分間、著作権教室と いうコーナーが設けられているものがある。番組全 体の流れの中では、非常に唐突に始まり、唐突に終 わるという感が否めない。当該時間帯の、音楽番組 の視聴者層を想定した場合、視聴率の稼げる内容で はない。 もちろん、番組の責任者が、社会における著作権 思想の啓蒙という使命感に燃え、自己の統括する番 組の視聴率を下げてでも、社会に伝えるべきメッセ ージは伝えるべきだとして、当該コーナーを設けて いるという可能性を完全に否定することはできない。 しかし、民放の、報道関連部署の制作ではない若者 番組の責任者が、そのような意図で行動する可能性 は少ないと思われる。 とすれば、金品のやりとりについてはともかく、 当該コーナーの設置に関し、そうしたコーナーが設 けられることがその使命遂行に役立つ組織との間で、 何らかの取引があったと解釈するのが自然である。 といっても、当該コーナーは、編集型記載事項とし て、通常、編集記載事項と解釈される部分に設けら れている。 3.3.3.広告と記事との識別の容易さに関する考察 前出、3.1.で述べたように、多くの読者、視聴者 は、自分の見ている記載事項が、編集記載事項であ るか、広告記載事項であるかによって、その内容に ついての信頼の仕方を変える。メディア(新聞、雑誌、 テレビ、ウェブなど)にとって、その記載事項につい ての信頼度は、メディアの命運を分けうる性質であ るといえる。 個々の記載事項について、それが編集記載事項で あるか、広告記載事項であるかを明示するか否かは、 そのメディアが、信頼するに足るものであるか、尊 敬するに足るものであるか否か−−を判断する上で 重要な観点だといえる。 3.3.1.で概観したように、全国紙は、識別を容易に する努力を払っているといえる。経営・経済誌も、 そうであると考えられよう。 一方、地域情報誌、特に飲食店情報や商品情報を 中心とする地域情報誌において、読者の側でも、そ の多くの編集型記載事項が実際には広告記載事項で ある可能性をあらかじめ想定して読んでいる可能性 が高い。このように、読者の側が、編集型記載事項 が実際には広告記載事項である可能性を認識して読 み、あるいは、視聴しているメディアの場合、社会 的影響は、それほど大きくない。 もちろん、どのようなメディアにおいても、編集 型記載事項が広告記載事項であることは、一種の欺 瞞になりうることに違いはない。報道側の倫理の問 題として、その存在を認識しておく必要はあろう。 しかし、その問題点を声高に指摘しても社会として 大きな益が得られるわけではない。そもそも、読者 の側も、それらの記載事項が、報道であるとは認識 していない可能性が高い。 社会的影響が大きいと思われるのは、準報道型雑 誌である。前出の地域情報誌などが、特定の商品群 やサービス群について、その不備や社会的悪影響を 与える可能性について、報じる記事を掲載すること は、あまりない。 それに対し、準報道型雑誌では、特定の商品群や サービス群、あるいは、特定の商品やサービスを糾 弾する編集記載事項を掲載することが、ときどきあ る。すなわち、これらの雑誌には、商品やサービス

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に対する社会の番犬の役割も期待されているといえ る。 商品やサービスを糾弾したのではないが、3.3.2. で例としてあげた月刊文藝春秋は、権勢の頂点にあ った当時の田中角栄首相を退陣に追い込む編集記載 事項を載せた英断を評して言及されることがある雑 誌である。 編集記載事項において、時に、特定の商品群やサ ービス群について、辛らつな批評を加える雑誌が、 ほぼ同様のページレイアウトの編集型記載事項で、 広告記載事項として特定の商品やサービスに高い評 価を下す内容を掲載すれば、一定割合の読者の心象 を変化させる。大きな問題である。

4.メディアの変節の背景

前章で、編集型記載事項の体裁を備えた広告記載 事項の増加について、現状とその影響を論じた。本 章では、直接その現象の原因といえるかどうかはと もかく、その背景となった可能性のある現象、すな わち、そうしたメディアの変節と同期して起きた現 象のいくつかについて記す。

4.1.発表もの記載事項の増加

4.1.1.プレスリリースの内容を加工せずに記載する 傾向の強まり メディアにおける記載可能分量が増大したこと、 企業や行政の広報発表体制が充実したこと、マクロ の政治経済に関する動向と同程度あるいはそれ以上 にミクロの企業経営、製品・サービス情報などへの 関心が増大したことなどにより、企業や行政がプレ スリリースとして、あるいは、記者発表会を通して 発表する内容が、あまり加工されずに、記載される 傾向が強まっている。 記載可能分量の増加とは、新聞においては、バブ ル経済の進展とその崩壊により増減はあるものの、 ここ 30 年ぐらいの長期傾向としてページ数が増加 したこと、テレビにおいては、ここ 20 年ぐらいの 長期傾向として狭義のニュース番組の時間が増え、 ニュースワイド番組が増え、さらに、ワイドバラエ ティーなどにおける商品・サービス情報、企業経営 情報の割合が増えていること、雑誌全体が増えてい る、あるいは、ページ数の合計が増えているとはい えないものの、雑誌における企業経営情報、商品・ サービス情報の割合が増えていること−−などを指 す。 このため、新聞を例にとると、記載事項(記事)の 一定割合のものが、企業や官庁の発表したものにつ いて、若干、裏をとる程度の加工を加えて、場合に よっては、裏もとらずに掲載するという形で作られ ているという事実がある。 ただ、それらでは別に、企業や官庁から代金をも らっているわけではないから、それらをペイドパブ リシティー、すなわち、広告記載事項とは呼べない。 企業や官庁側から見ると、「ペイド」のつかない「パ ブリシティー」となる。すなわち、編集記載事項で ありながら、企業自体や商品・サービスの周知の効 果をもたらす記載事項である。 4.1.2.コンテンツの場所貸し業としてのメディア 加工しないで発表内容を載せる記載事項の割合が 増えれば、メディアの側から見ると、広告記載事項 と同じ効果を備える内容を、対価をもらわずに編集 記載事項として記載しているという現象になる。そ れならば、何らかの形で対価をもらえないか−−と いう誘惑が、メディアの側に生じてきうる。 本稿の趣旨、そして、本節の趣旨から若干はずれ るが、筆者の直接経験したことについて述べてみた い。1998 年から 1999 年にかけて、筆者は、アスキ ーのウェブ上のニュースサイト、『ascii24』の経営 責任者兼編集長を務めていた。パソコン、ネットワ ークなどに関連したニュースを、毎日、20 本から 30 本掲載していた。これを、他社のデジタルメディ アにも提供することについて、いくつかの企業と交 渉した。 そのうちの1 つは、現在のNTTレゾナントの検索 エンジン、gooである。15)gooとはもちろん、ニュー スを提供するアスキーが、現在のNTTレゾナントに 当たる企業から対価の支払いを受けるという条件で 提携をまとめた。 他のメディアの1 つに、ある地上波テレビキー局 のデータ放送があった。こことの交渉では、どうも 話が噛み合わないのである。根本に戻って、話をし

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直したところ、両者の認識が、180 度異なることが わかった。アスキーのニュース(アスキーについての ニュースではない。アスキーが取材、編集したパソ コンメーカー、ネット関連企業についてのニュース である)を紹介してあげるのだから、アスキーがその テレビ局に対価を支払うべきだと、テレビ局は思っ ていたのである。 場所貸し業にも似た姿勢に堕した組織の姿がそこ にあった。企業の名前を出すのなら、無償ではなく て対価をとろう−−という、ペイドパブリシティー へのシフトの誘惑の根は、そんなところにもある。

4.2.製品・サービス情報の記載の増加

4.2.1.政治からミクロ経済情報への情報シフト たとえば 20 年も前であれば、公共放送が特定の 製品に関するニュースを流すことなど、ほとんど考 えられなかった。しかし、4.1.でも述べたように、 読者、視聴者の関心が、政治から経済へ、マクロ経 済から生活に密着する経済・経営動向へとシフトし てきた。それにつれて、製品名や企業名を登場させ ることに関する規範も、変化してきた。 公共放送で、企業合併、買収に関するニュースを 扱うことが、最近は、ときどき起きる。その際に、 企業名を伏せて、「ある放送局は」とか「ある電鉄会 社は」とすることは、考えられない。あるいは、パ ソコンのOS に関するニュースを扱うこともないわ けではない。その際に、「あるソフトウェアメーカー が、あるOS 製品をバージョンアップした」とする ことも考えられない。 4.2.2.製品評価記事の増加と製品改良周期の短期化 放送でも、製品やサービスに関する固有名詞を入 れた記載事項を流す時代においては、雑誌が新たな アピールポイントを設け、打ち出す必要が出てくる。 雑誌がその存在意義を主張したい場合、製品やサー ビスに関する詳細な使用レポートを記載することで 差異化を図りたいというのは自然な流れである。雑 誌「暮らしの手帖」のような一部の例外を除いて、 雑誌が、製品に関する詳しい情報を記載事項として 掲載する場合、店頭の商品を買わずに当該企業から 借りることが多い。 パソコン、デジタル家電、アプリケーションソフ ト、ゲームのように、製品寿命が短く、かつ、使い こなしに時間が掛かる製品の場合、発表の直後に、 一定程度の詳細さを備えた記載事項を載せるために は、発表前の製品を当該企業から事前に借りざるを 得ない。 店頭に並んでから、それを購入し、評価し、たと えば30 日後に記載事項を雑誌に記載したとすると、 製品寿命が3 ヵ月しかない製品の場合、製品寿命の 半分が過ぎてしまっているという事態になりうる。 発表前の製品を借りる際には、掲載時期、すなわ ち雑誌であれば記載事項を記載した号の発売日に関 する約束をすることになる。プレスリリースとは、 プレスリリース配付前にメディアが察知していなか った情報について、情報の当事者の側からメディア (プレス)に通知し、その交換条件として、解禁(リリ ース)すなわち掲載や放映の時期に関する当事者側 の指示に従ってもらう−−というものである。 製品発売後、店頭に並んだ製品を購入して、使用 テストの結果を記載するのならば、掲載日について メーカーなどから制御を受けるいわれは、まったく ない。しかし、テスト用の製品の提供を、発売ある いは発表前に受ける場合、プレスリリースと同じ制 約が課せられるのは、仕方のないことだといえる。 4.2.3.評価対象企業の集中化 さて、企業の独占度が高い場合、批判的記事を書 くとその後、当該企業の製品をうまく借りられなく なる可能性が出てくる。借りられるにしても、複数 の競合メディア(競合雑誌)の中で後回しにされると いったことがありうる。 たとえばパソコン雑誌における「○○Mac」、「○ ○Windows」といった、特定メーカーの商品に依存 する雑誌の場合、当該メーカーとの関係を悪くする と雑誌の存亡に関わることになる。 もちろん、独占度の高い企業が、企業の側からメ ディア側に何らかの金品を払うことにより、自社の 製品を、中立的な編集記載事項で書かれるのより高 い評価レベルで書いてもらおうとすることは、あま りない。前述したように、そうした金品を払わなく ても、低い評価レベルで書かれる可能性が低いから

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である。 一方、独占度の高くない企業の製品が、独占度の 高い企業の製品と同程度に高い評価レベルで書いて もらうためには、単に製品の品質を高めるだけでは 難しい場合がありうる。独占度の高い企業の製品が、 製品の事前貸与という仕組みにより実際より高い評 価レベルで書かれることがあり、独占度の高くない 企業の製品が、実際の品質に合った評価レベルで書 かれるとするなら、その分のハンディキャップが存 在し続けるからである。場合によっては、そもそも 製品テストの対象製品として選ばれない可能性もあ る。 そういった場合に、メディアに何らかの金品を払 うことにより、高い評価レベルで書いてもらう、今 までの用語でいえば、編集型記載事項の体裁を備え た広告記載事項として、記載してもらうという動機 が生じてしまうことになる。 4.2.4.指摘した不具合事項の確認 製品評価記載事項(評価記事)の存在は、評価用の 製品の貸し借り以上の問題ももたらす。たとえば、 技術的な問題点を指摘したときの、製品提供者(メー カー)側によるチェックである。 雑誌の場合、ソフトでもハードでも、発表の2 ヵ 月前から30 日ぐらい前に製品を借りることになる。 このため、いわゆるベータ版の提供を受けることが 多い。また、パソコンのユーザーならたびたび経験 することだが、エラーが起きたとき、それを再現で きない場合がある。さらに、パソコン雑誌、商品情 報誌は、最盛期に比べれば減っているといわれるが、 いまでもたくさんある。ベータ版であれば数十セッ トもあるとは限らないから、短い期間だけ借りて、 メーカーに返さないといけないことがある。 こうした種々の理由により、記事を書きながら、 あるいは、書いたあと、当該メーカーに確認せざる を得ないことがある。メーカーの窓口担当者の一部 は、執筆者の側としては不具合と認識した事象を、 不具合ではないと説明する能力に長けている。それ は仕様であり、マニュアルに明記してある、製品版 では直す、他のアプリケーションソフトや周辺機器 の方に原因がある、再現性がないと本当に不具合か どうかわからないので再現して条件を明示してほし い−−などと言った言説を駆使することがある。 ひところより減っているとはいえ、ハードウェア 本体、周辺機器、OS、アプリケーションソフト、デ バイスドライバー、通信機器、通信回線、携帯電話 や無線LAN の場合の家屋の状況などの相性で、製 品がうまく稼動しないことは今でもある。そうした 場合に、製品の不具合だと断定することは難しい。 こうした結果、執筆者が、(1)読者のために誤りが ないように行動している、(2)メーカーと結託して不 具合についてぼかして書いている−−のどちらとも 解釈できる行為に、結果的に踏み込んでしまうこと がある。

4.3.寡占化の進展

従来の産業構造においては、巨大装置産業などに おいて寡占化が進むことが多かった。そうした業界 における寡占企業が、一般消費者に密接に関係する ことはあまり多くなかった。 産業の情報化、社会の情報化が進展した状況下で は、若干、様相が異なってきている。デジタル関連 産業、コンテンツ関連産業においては、一方で非常 に多数の企業が参入し、一方で数少ない企業が、い わゆる「winner takes all」の恩恵を享受するという 状況が現出している。 後者の業界についての報道では、前述のように、 公共放送においても社名をあげざるを得ないことが ある。前節でも述べたように、多くのメディアにお いて、企業に関する情報をとりあげざるを得ないし、 その際、業界大手の企業には気を使わざるを得ない。

4.4.イベントにおける露出

たとえば 30 年程度以前であれば、展示会や国際 会議などの様子が、専門雑誌は別として、全国紙や 放送において一定の重みで報道されるといったこと は、ほとんどなかった。しかし、業界動向、製品・ サービス・技術動向、特定の企業の動向、特定の財 界人の動向が、大きく報道されることが増えた。具 体的には、展示会や国際会議における企業の展示や キーパーソンの講演が、編集記載事項に記載される ことが増えた。

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このため、メディアの側に金品を渡して編集記載 事項もしくは編集型記載事項の内容を制御すること をせずに、記載事項の制御を目指して動くことが可 能になった。 展示会主催者が、その展示会を、メディアにおい て編集記載事項として大きく記載してほしい場合、 百万円単位、場合によっては千万円単位の講師謝礼 を払うことにより、寡占企業もしくは著名企業の最 高幹部に基調講演者としてきてもらう−−といった 場合がある。 寡占的OS メーカーの最高幹部の講演であれば、 現在ならパソコン雑誌でないメディアでも、編集記 載事項として大きく取り上げる。その際、演壇に展 示会名を記した銘板をつけておけば、結果的にそれ が多数回、露出する。 一方、企業が、メディアにおいて、編集記載事項 に大きく記載されたいとき、展示会で多額の出展費 を払って大きなブースを出したり、展示会における 各種の協賛金を拠出したりすることで、基調講演者 に抜擢してもらうという場合がある。複数の基調講 演者がいて、そのうちの一部が、非常に有名な人物 であれば、金銭の力で、その人々たちと見掛け上、 同列の位置につくことが可能になるわけである。 雑誌などで、多額の広告を出稿する見返りに、編 集記載事項としての編集長インタビューの対象とし て選んでもらう−−といったことがあるとすれば、 同様の構図の中から生まれている事象だといえる。

4.5.中心となる広告主の意向を踏まえた記載事

項制作

テレビの場合、番組が制作できるかどうかは、メ ーンの広告主、サブの広告主が、現れるかどうかで 決まる。もちろん、サブの広告主については、番組 の詳細が決まってから営業活動を行い、サブの広告 主となる企業もあるだろう。しかし、概略の企画書 から詳細な企画書に詰めていく作業は、メーンの広 告主が決まってからでないと進まない。最初から、 メーンの広告主の意向を考えながらでないと番組の 内容詳細が決まらないのである。 ただし、これは、すべての広告主が番組の詳細に 首を突っ込むという意味ではない。金は出すが、口 を出さないという広告主が一定割合で存在する。し かし、口を出す広告主も一定割合で存在する。詳細 を決めた後で、口を出す広告主に決まったら、それ までの作業が無駄になる可能性が高くなる。したが って、基本的には、メーンの広告主が決まってから、 その内容を詰めていく(口を出さない広告主なら、そ の意向を微に入り、細を穿って確かめる必要はなく なる)。 もちろん、報道機関でもある放送局の建前は、「編 集記載事項(放送局の場合、テレビ番組)では、広告 記載事項(放送局の場合、コマーシャルフィルム)と は異なり、広告主のメッセージをダイレクトに記載 事項(番組)に反映させるわけではない」−−という ものである。実際には、テレビドラマにおいて、情 景の中に登場する広告主の製品が、なぜか大写しに なるといったことは日常茶飯事である。 地上波キー局の編集記載事項では、その程度の便 宜であることも多い。しかし、地上波キー局の深夜 時間帯、地方のVHF 波局、独立 UHF 局、各種の 衛星放送、CATV 局などにおいては、広告主の確保 が難しいこともあり、広告主のメッセージが、かな りの程度で露骨に盛り込まれている編集記載事項も ある。 放送局がこうした作り方に慣れると、広告主以外 の企業からも便宜を得て、編集記載事項の内容を変 質させ、制作費を節減する、あるいは、子会社など を通じて実際に金品を受け取るという手法への抵抗 感が薄れる。 各種のテレビドラマにおける衣装協力、紀行ミス テリー番組における宿泊施設の銘板の大写し、紀行 番組やグルメ番組などにおける宿泊施設や飲食店の 名称の明記などは、わかりやすい例である。これ以 外にも、編集記載事項の内容が変質しているのでは ないかと思わせる例は、多数存在する。

4.6.市民の代理としての報道機関に対する便宜

の変質

4.6.1.当然の慣行とされてきた便宜 現在、展示会場や国際会議の会場に、報道機関用 の部屋が用意される。プレスルームと呼ばれること が多い。主に欧米から入ってきて、日本でも一般化 したものである。報道機関は、市民の代理として、

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各種の動きをウォッチしている。それに対して、一 定の便宜を図るのが、企業や展示会主催団体の社会 的義務と考えられているのである。 企業や公的団体が、交通費と宿泊費、場合によっ ては食費まで賄って、いわゆるアゴアシ付きで、報 道機関の記者を招待する説明ツァーのようなものを 開くことがある。海外の国、都市や海外の企業もよ く催す。自国、自分の都市、自社がメディアにおい て報道される可能性を高めるとともに、市民の代理 としてのメディアに対する社会的責任の一端を果た す行為である−−と理解される。 こうした活動の結果、それら組織についての記載 事項がメディアに記載された場合、パブリシティー とは呼ばれるが、ペイドパブリシティーとは呼ばれ ない。 その理由の第1 は、招待ツァーなどの結果、制作 された編集記載事項といえども、招待した組織の側 などがその内容をチェックする機会を通常設けない、 すなわち、便宜提供者が、編集記載事項の内容を制 御できないからである。 ただし、便宜提供者が、内容を制御できないから という理由だけでは、純然たる編集記載事項制作行 為として容認されるというものではない。たとえば、 紀行番組などにおいて、登場する宿泊施設などが慣 習の範囲を超えて便宜を図ったり、場合によって子 会社などを通じた金品のやりとりがあったりしたと しても、必ずしも便宜提供者が、記載事項の制作過 程に口を挟めるというものではないのである。 理由の第2 は、国、都市、企業などによる招待ツ ァーが、慣習の中で、正当な報道機関便宜供与行為 として、通常、容認されているからである。 4.6.2.フィルムコミッションおよびそれと似て非な る便宜 同様の構図は、いわゆるフィルムコミッションな どでも存在する。フィルムコミッションとは、市町 村の特定の部署や外郭団体などが、その市町村をロ ケ地として映画やテレビドラマなどを制作する撮影 チームに対し、撮影対象となる施設や店舗との交渉、 各種交通機関との交渉、道路使用許可の提出、場合 によってはエキストラ出演者の募集、スタッフの食 事場所や更衣場所の確保などにおける支援を実施す る行為、あるいは、実施する組織のことである。 大規模な範囲での道路使用許可や交通規制がなさ れれば、金銭に換算した場合、百万円単位、場合に よっては、千万円単位ともなる便宜を、制作会社に 与えることになる。それによって、市町村の知名度 向上を狙うわけである。観光都市としてのブランド が確立できれば、さらには京都のような観光にとど まらない「ブランド都市」としての地位が確立でき れば、観光業、製造業、デザイン産業、教育産業な どに大きな経済的効果を与える。16)市民生活におけ る一種の誇りも芽生えうる。 4.6.で述べたことから類推されるように、フィル ムコミッション行為を、便宜供与による編集記載事 項の変質と捉えることも可能である。しかし、慣習 の中で、フィルムコミッション行為は、コンテンツ 制作機関に対する正当な便宜供与行為とみなされる ことが多い。 繰り返しになるが、こうした正当な便宜供与行為 と、読者、視聴者を誤解させる編集記載事項の変質 行為との境は、それほど明確ではない。メディアの 綱紀が緩んでいる場合、フィルムコミッションが認 められるのならば、グルメ番組、紀行番組において、 銘板を大写しにする交換条件として、飲食店や宿泊 施設に、宿泊費、食費の大幅ディスカウントを迫る のもいいだろう−−と自ら判断してしまう可能性は ある。これが進むと、グルメ東京などと揶揄される テレビ局が典型であるが、レストランや旅館の事実 上の宣伝が並んでいるのではないか−−と思わせる 編集型記載事項(番組)ができていくことになる。

4.7.メディアの変節の今日的意義

4.7.1.報道する側の論理 こうした事態は、必ずしも最近始まったこととは、 いえない。民放テレビ、有料新聞にはさまってくる 地方の無代新聞などでは、その性格上、メディアの 登場のときから、広告記載事項と編集記載事項との 識別の不鮮明さの問題を内在してきた。商品情報雑 誌などでも、3.3.1.、3.3.2.などで述べたように、宿 命ともいえる課題を抱える。 しかし、最近の動きが、従来からの延長線の論議 では必ずしも捉えきれないほどのものになっている

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というのも事実である。 大型連続時代ドラマを巡り、ロケ地となる市町村 から、公共放送の子会社に対し、多額の不明朗な資 金が動いているのではないかといった報道が、週刊 誌などでときどきなされている。 4.6.で述べたように、フィルムコミッション行為 は、その便宜供与行為を金銭に換算すると、非常に 多額のものになるにもかかわらず、便宜を図る側に とっても享受する側にとっても、通常、正当な行為 とされている。そして、その便宜供与のカバー内容 は多岐に渡る。 このため、フィルムコミッション行為の特定の部 分が、腐敗行為であると決め付けることは難しい。 だからといって、メディアに属する者が、正当な倫 理の枠をはみ出していいことにはならない。 4.7.2.報道される側の論理 情報を提供し、メディアに便宜を供与する企業の 側の矜持について、若干触れたい。大企業では、宣 伝部と広報部とが分かれていることが多い。宣伝部 では、メディア企業に対し、対価を払って広告記載 事項を記載させる。広報部では、基本的には、メデ ィア企業との金銭のやりとりをせずに、自社につい て評価の上がる方向の編集記載事項を記載してもら うことを目指す。即物的には、評価の上がる方向の 編集記載事項の記載分量の多寡が、広報部署の業績 だと解釈される。 先進的とされる企業では減ってきているが、新聞 記者、雑誌記者、放送記者などと、飲食を手始めと する享楽的行為をともにすることにより、自社に有 利な記載事項を記載してもらうことが当然と思われ ていた時期があった。一部の企業では、いまだにそ うした価値観を引きずっている。 企業の醜聞が記載されないように運動する場合に は、倫理性が薄いとされる享楽的行為をともにした という、秘密を共有する関係が力を発揮する場合も あった。 また、醜聞が記載されたら当該メディアへの広告 記載事項の出稿を止めると通告することで、醜聞の 記載を止めようとするのは、現在でもよく使われる 手だといわれる。 余談だが、大手広告代理店社員の醜聞は、どのメ ディアにも載らない(新聞社の醜聞は出版社系週刊 誌に、出版社の醜聞は新聞紙系週刊誌に載るが)とい う話が、いまでもまことしやかにささやかれている ようである。 一方、矜持を保っている企業もある。日本アイ・ ビー・エムの元幹部社員の証言によれば、日本アイ・ ビー・エムでは、ペイドパブリシティーが記載され るようにすることを禁じている。取引なしで扱って もらう編集記載事項(パブリシティー)か、きちんと 広告と銘打った広告記載事項しか認めないという。

5.文化財の著作権存在偽装

5.1.課題の存在

5.1.1.関連用語の定義 「著作権存在偽装」という言葉を、通常の感覚で 解釈したとき、種々の事例が想定できる。たとえば、 他者の著作物を自分の著作物と偽って、刊行したり することなどである。しかし、本稿では、著作権存 在偽装といえば、特に断らないかぎり、2.3.で説明 したタイプの偽装を指すものとする。 美術館、博物館、神社仏閣などには、多くの文化 財が存在している。文化財には、有形のものと無形 のものとがあるが、本稿では、有形のもののみを考 察の対象とする。「財」という言葉には、いくつかの 解釈がありうる。理解しやすいのは、経済的営みの 中で、換金しうるものを財とするというものである。 この定義に従うと、一般的に文化財と呼ばれている ものの中には、財と呼べないものも含まれているこ とになろう。 本稿では、現在までの人間の文化的営みの所産で あって、経済価値を典型とするが、それに限らず、 社会の一定割合以上の構成員が何らかの価値を感じ る有形あるいは無形の事物を文化財と呼ぶ。事物の 中に、人間を含む生物を含むか否かなどの問題には、 紙数の関係もあり、踏み込まないこととする。本稿 では、また、文化財を所蔵あるいは管理する美術館、 博物館、寺社、城砦などのうち、人的組織を伴うも のを総称して、文化的機関と呼ぶことにする。 5.1.2.文化財の著作権存在偽装の態様

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有形の文化財(以下では、特に断らないかぎり、文 化財といえば有形のものを指す)の中には、著作物と いえるものといえないものとがある。また、著作物 であっても、保護期間内に入っているものと、保護 期間が過ぎてしまっているものとがある。 著作物といえないもの、また、著作物であっても、 保護期間が過ぎてしまっているもののうち、絵画、 襖絵など2 次元のものの写真などの利用を、著作権 という枠組みで他者に制限することはできない。し かし、文化的機関の中には、著作権というキーワー ドを用いて、文化財の撮影を制限したり、文化財の 写真の利用を制限したりするところが存在する。 また、文化的機関の発意に基づいて、文化財を撮 影したり、2 次元スキャンしたりした成果物の利用 を、同じく著作権というキーワードを用いて、制限 するところもある。次節で、簡潔に説明するが、絵 画などを忠実に写真に撮影した場合、写真の著作物 としての著作権は発生しないというのが定説である。 さらには、著名人の遺品の撮影を制限したり、そ の写真の利用を制限したりする場合に、著作権とい うキーワードを用いる場合もある。 こうした撮影行為や、写真の利用行為を、著作権 の枠組みを用いて、すなわち、著作権法を根拠にし て、制限することはできない。 やや粗雑であるが大雑把に要約すれば、上記のよ うなケースでは、市民の「著作権は難しい」という 観念を逆手にとり、「著作権がある」という口実を用 いて、文化財の利用を当該文化財を管理する文化的 機関自身のみに限定しているといえる。他者による 利用を、利用者、あるいは、利用者候補による誤解 を用いて、不当に制限しているのである。

5.2.法的解釈

5.2.1.文化財の著作物性および保護期間 文化財を経済的な意味での「財」たらしめている 法的根拠の1 つは、著作権法である。 著作権法による著作物とは、「思想又は感情を創 作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又 は音楽の範囲に属するもの」である。美術の範囲に 属するものであっても、伝統的な器物の形をなぞっ たもの、伝統的な文様を伝統的な技法で用いて記し たもの、伝統的な美術の姿をなぞったものなどは、 著作物にならない可能性が高い。 また、著作権の保護期間は、一部の例外を除いて 創作のときから著作者の死後 50 年まで、著作者が 不明の場合には公表後50 年までである(第 51 条、 第52 条)。したがって、江戸時代に描かれた絵画な どの場合、描かれた後、数十年間封印され、その後 公表されたような非常にまれな例を除き、明治維新 後、約150 年が過ぎた今、著作権保護の対象外とな る。 5.2.2.建築の著作物および屋外の美術の著作物の利 用 建築物の写真や模型などの作成について述べる。 建築の著作物は、建築物として複製することや建築 物として複製したものを販売することを除いて、そ の写真や模型を営利目的でも非営利目的でも利用す ることができる(第 46 条)。もちろん、建築の著作物 を撮影する際に、その管理者による正当な範囲での 撮影禁止の指示を破ってよいことにはならない。 次に、屋外の仏像や額などについて述べる。美術 の著作物の原作品が、街路、公園、その他の一般公 衆に開放されている屋外の場所や建造物の外壁など、 一般公衆に見やすい屋外の場所に恒常的に設置され ている場合、特別の規定が存在する(第 45 条、第 46 条)。彫刻を複製したり、それを販売したりすること、 彫刻に限らず、美術の著作物を、販売を目的として 複製したり、それを販売したりすることを除いて、 美術の著作物の利用は自由である。 たとえば、美術評論や考古学評論の中で、当該美 術の写真を複製することは、自由なのである。 建築と同様、一般公衆に見やすい屋外の場所であ るといっても、寺社仏閣の境内など、通常、管理者 の指示に従うべきとされる場所で、撮影が禁止され ている場合の撮影の自由を保証しているわけではな い。 公道あるいは公道に準じる場所からの建築物や仏 像や額などの撮影を、当該物品の所有者や管理者が 禁止できるか否かについて、法律に定めがあるわけ ではない。しかし、常識からいって、禁止できる根 拠はないと考えられよう。

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︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

建築第一グループ 建築第二グループ 建築第三グループ ※3 建築第四グループ 建築第五グループ 建築第六グループ ※3

一  〜  三    省略 四  石綿. 五  〜  八 

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