西田幾多郎における哲学と宗教とのかかわり
18
0
0
全文
(2) 2. 沼. 田. 滋. 夫. 体験と思索の底板に入り込んで,彼の宗教と第一哲学の世界の論理を受け取りつつ,内か らそれと対決するという仕方でフィロソフィーレンレ,そういう意味で西田の残したもの を継承してゆくという構えでなくて,西田哲学を外から眺めこれを歴史的に位置づけ,解 釈し,批判するというような研究,或は宮川透氏のいう西洋哲学との「比較哲学的研究」 の如き見地のものが多く目につく。こういう日本の哲学界の情況自体は何に基くのか,こ れも私にほ問題であるけれどいまほ置く。勿論,一般論として,一つの哲学思想の歴史的 解釈や社会史的批判が意味がないなどと私は言うのでほない。ただ,誰でもが,西田哲学 ほ近代日本がほじめて生み出した独創的哲学であり,日本的・東洋的伝統を踏まえた世界 的哲学であると言いながら,しかも,この哲学を手許の既成の歴史観と固定概念によって解 釈し批判し,それを以て西田哲学を性急にも、理解し終えたとする如き傾向が概してそこに ありほしないか。それが問題だと思う。いま言ったような西田哲学論の傾向が特に強かっ たのほ戦争直後である。たとえば竹内良知氏の『西田哲学批判』. (『思想』1950年313号). に代表さる如きマルクス主義乃至これに近い立場からのものがその一つ。竹内氏ほこの論 文で,西田哲学を日本の近代社会の「半封建的構造」をもつ「絶対主義体制の反動性」の 上に成立するところの, 格の,. 「私小説的」性 「情意や心術直観の優位」に立つ「ロマン主義的」 「デカルト的自我意識さえも否定した哲学」というように見る.もう一つの別のタ. イプとして,宮川透氏『近代日本思想の構造』 (1956年)から取り出すと「以上,この哲 学におけるフィロゾフィーレンの構造分析を通じて暴露せられた, 「和魂洋才採長補短主 義」及び近代以前的-現代的という二重性格,ならびにこの哲学の基本性格と近代ヨーロ ッパ哲学のそれとの比較ほ,この哲学がわが国半封建的市民社会の代弁哲学として避けが たい歴史的制約を負っていたことを示しているであろう。」このようなことになる。もっ とも,この戦後の西田哲学論の傾向ほ,その後同じく哲学的社会的思想史の見地に立つも のにおいても,もっと西田哲学形成過程の内的論理を踏まえるという点でだんだん充実を 見せてくることは認めてよいかも知れない。. それにしても,なお私の言いたいのは,歴史的見地から西田哲学をどう位置づけ,どう 解釈するかという課題にとっても,西田哲学が東洋的・日本的伝統的思想を踏まえつつ, 西洋哲学思想の流れを現代という時点においてこれと綜合したすく中れて独創的なものであ ることを認める以上,この哲学の前に立つわれわれ自身の視点が深く問い返されねばなら ぬということである。つまりこのような哲学を前にしてほ,われわれほギリシャ以来の西 洋の哲学思想の涜れの中に身を置くものとして使い慣れているところの歴史認識の範噂と 哲学概念に安易に侍りかかることほ許され飢、.そういう視点から,たとえば,西田哲学 に絶対主義体制下の非合理主義とか半封建的神秘主義とか,またほ,絶対無の観念論,ロ マン主義,直観主義,実存主義等のレッテルが貼られたりする。これでは余りにも乱暴す ぎる。表現上の必要からそれらの言葉の使用が許されることがあるにしても無神経にそれ らの言葉を以て西田哲学を解し評することは問題である。どうしても,新しい視点が求め られねばならないということである。新しい視点とほ西洋を世界とする意味においてでな く,真に世界的なる哲学思想の歴史を掴みうるような視点ということである。実ほ歴史.
(3) 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. 3. 的解釈や批判ということには,つねに対象を既成の尺度でほかるだけでなくて,同時に尺 度の反省が求められ,こちら側の視点の創造が求められるということが厳密に言えばなけ ればならないはずである。まして西田哲学の如き独創的哲学軒こ対しては然りであるo. しか. しこちら側の視点の創造ほまた自己が-たん対象の内へ徹底的に入り込むことを求められ るであろう。西田哲学についていうならば,この哲学をわれわれが真に世界における哲学 思想史の視点から理解し位置づけようとするならば,この哲学の内-自己を投げ入れるこ とをまず要するということである。こう考えれば,いわゆる哲学思想史的研究ほ歴史的視 点を越えて原理的考察軒こ向わねばならならぬことになる.今日の思想史的西田哲学論の多 くに対して私はそういう感じをもつと記しておきたい。 さて,西田哲学ほいまの私にとって,これを歴史的に相対化して理解し,歴史的に位置 こういう関心の、もと づければ終るという問題でほない.はじめの所で言った通りであるo で追究の一つの焦点として問題としたいのが,西田において,ギリシャ以来西洋において 展開されてきた哲学の立場と東洋的・日本的伝統に深く根ざしていると考えられる彼の宗 教的立場とは,どのようにかかわり合い,どのように綜合されているか,このことであ また彼における東洋 る.ところで西洋哲学には既にヨーロッパキ.)スト教が含まれるo 的・日本的伝統とほ仏教的・禅的色彩の強いものである。従ってこの問題は彼のなかでキ リスト教的なものと仏教的なものはどのように生きており,どのように区別されつつどの. ように綜合されているかという問題でもある。このような問題の追究ほ結局私にとって私 自身の在りよう,または在り場所の追求の意味をもつこと言うまでもない。 ついでに言うと,私がこのように宗教問題を取り出そうとすることに対して,西田哲学 は純然たる哲学である,その中の宗教的なものを余りに強調することは日本の哲学の前進 のためにほ余り好ましくないという考えが日本にかなりあることも私は知っているo既 に,三木漕が1936年,つまり西田自身の活躍中に,いま言ったような考えを述べである。 (『西田哲学の性格について』)西田哲学の性格についてこの三木の発言の背後には彼のどうい う思いがあったか,特にそれが1936年という,日本が戦争-と急激に傾いてゆく時代のこ とであったのを考えると,また三木が西田の最も近くにいた者の一人であることを考える と,日本の哲学思想史と西田哲学研究史の上から,これほ大変大切な問題にもなると思 うoそのことはそのこととして,いま私の考えたいのほ,もっと西田哲学の内部から,そ の宗教的なものが何を意味するかを問題とすることである。西田哲学における宗教的なも のの意味を強調するにせよ,強詞しないにせよ,その宗教的なものが何であり,これと彼 の哲学の立場とが内面的にどう関連するかの徹底的な追求なしに,西田哲学を真に静ずる ことほできないと思うoいまの日本の哲学者たちの間にほ,宗教と聞桝ぎ,それが直ちに 何か反学問的で,神秘的で,いわゆる主観的なものでしかないように考える債向がかなり あると思うoそれは実は,. 「禅」を含めて宗教の真に何たるかを理解せず,またははじめ. から理解しょうとしない,そういう態度と結びついていることが多いように私にほ思われ るo哲学と宗教の立場(特に「禅」)とが接するところ,あるいは重なり合うところ,私の 考えてみたいのは,そこのところである。.
(4) 4. 沼. 田. 滋. 夫. 西田哲学ほ哲学であって神学や信仰告白やなどでないことほ言うまでもない。それほ何 処までも学であり,学の立場を貫こうとしているものである。しかし,その学の根底にあ って彼を学的思索に駆り立てるものがある。そこに私ほやはり宗教的とでと呼ぶより他な いものがあることを思う。それは思索を駆り立てる働きということでいえば,宗教的関心 とか宗教的要求とか求道心とか言ってよかろうし,思索り対象ということでいえば宗教問. 題ということになろう。こういう意味での宗教的なものが西田哲学の基調音をなしている と思う。これは結局は彼の全人格の存在の根底にかかわっているものであると言えよう。 西田の哲学がまだ西田哲学として一つの形に結晶しない20才代30才代の頃の小品や日記等 の文章の中からも,既にわれわれはいま言った基調音を聞き出すことができる.そして 『善の研究』の成立以後,昭和20年76才の没年に書かれた『場所的論理と宗教的世界観』 に至るまでその基調音ほ愈深く自覚化され,愈明確に論理化され続け西田田哲学の世界を 展開する。西田哲学の独特の魅力,一度それに捉えられた老が知っている独特の魅力の秘 密の少くとも大半もいま言ったその哲学の根底にあるものにあるのではなかろうか。 たしかに,哲学の地盤は論理にある。西田の場合においてもそうである。すくやれてそう. いうことがいえる。西田の論文がわれわれを引き入れる力は,その強靭で適確で深い論理, 独特なリズムをもった論理にあるということも言えよう。しかし,この西田の論理とほ何. なのであろうか。それほ論理が論理だけでこの現実の世界,或ほ彼の自己存在から切り離 されるような,抽象論理,形式論理でほ無論ない。対象的事実を事実に即して素朴に規定 する対象論理でもない。この論理は彼の存在の根源であり,同時に世界存在の中心とでも 言うべき非合理な深みの合理化として構成されてくる。存在を外から抽象的に捉える論理 ではなくて,■存在の内からの自覚の表現としての論理である。この論理は彼を思索へと駆 り立てるもの,今のところ宗教的なものとでも呼ぶより外ないもの,彼におけるそういう 根源的事実と不離である。やほり,西田の論理がそういうものであるところにこの論理が 難解であればある程かえってわれわれを引き入れる秘密があるのだと思う。こう言うと, 彼の論理,彼の思索は何か極めて主観的な独断的な性格をもったものでほないかと受け取 られる心配もあるけれど,そう受け取ったらとんでもないこである。彼の思索が古代のア 1)ストテレスから今日の-ィデッカ-まで西洋哲学の流れを如何によく究め,それをどう 受け入れ,それとどう対決したかを考えてみればわかることである。さて,このような西 「純粋経験」の論理であり,. 田哲学の論理が,. 後の「絶対無の自覚的限定」. 「自覚における直観と反省」の論理であり,. 「絶対矛盾的自己同一」の論理,. 「場所的論理」である。私は. 西田哲学の論理は存在の内からの自覚の表現としての論理であると言い宗教的なものとで も呼ぶべき彼の根源的事実と不離であると言ったが,彼の晩年の『論理と数理』という論 文に,ちょうど次のような文章があるので引用しておく。 「私ほ論理と云ふものは,実在 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. の自己表現の形式と考へる。実在と云ふのは,それ自身によって有り,それ自身によって 動くものである.それ自身によって有り,それ自身によって動くものは,多と-との矛盾. ●. ●.
(5) 5. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. 的自己同一にに於て自己自身を有つものでなければならない.. -略-斯くの如く,多と-. との矛盾的自己同一に於て自己自身を有つものほ,自己自身を表現するものである。自己 表現に於て自己を有つものである。自己表現に於て自己を有つと云ふことほ,表現するも のが表現せられるものである。考-るものが考へられるものである,映すものが映される (傍点は筆者による)彼の ものであると云ふことである,一言に自覚と云ふことである。」 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 思索の展開としての自覚の論理はおよそこのように考えられている。こういう考え方の方 向ほ既に初期からみられるものである。. 私は西田の哲学の根底にほ,彼を思索へと駆り立てるものという意味で宗教的なものが 働いており,その哲学の論理は宗教的なものとも言うべきことと切り離せない実在(自己 存在)の自覚的表現であると言った。この哲学が宗教的なものと深くかかわっているとい うことの意味はまずこのように考えることができるが,ということほどういうことであろ うか。. いま実在(自己存在)といったもの,これが西田哲学の全体を貫く中心概念であること はよく知られていると思う。この「実在」ほ西田哲学の論理構成の発展につれていろいろ に呼ばれほするけれども,要するにこれはわれわれの自己と別に,自己の向う側にあるよ. うなものでほない。自己がそれにおいて在り,または自己自身であるところのものであ る。それほ,われわれの自己の身体であり,物の世界であり,歴史の世界であるけれど も,それは,たんに対象科学が対象とし捉えるような,身体や,物や歴史でほないo実在 とは普通に考えられるような対象的世界でほない。われわれが単に対象として見る世界で はなくて,われわれの自己なのである.しかしわれわれが自己と言った時,われわれは直. ちにまた自己を対象的に考える。それは考えられた自己であて,考える自己でほない,行 為している自己ではない。自己とほ意識された自己ではない。フロイドの如き意識下の意 識と考えてもならない。自己ほ自己の絶対の否定に面するものでなければならぬこととな. るo自己ほ自己の否定において自己であるという,論理的にほこういう矛盾としてしか表 「対象とならないものが対象となる所に自己というものが考えら 現できないものとなる。 れる」. (『場所的論理と宗教的世界観』)このような絶対否定的自己は他に対することによって. のみ,或は外を内に映すことによってのみ自己を知るといえるo見るものなくして見ると 「我々の自己ほ自己矛盾的存在である。世界を自己に映すと共に,. いわれる立場である。. 絶対の他に於て自己を有つ.」. (同論文)一口で言えば「実在」というのも,この自己矛盾. 的自己の世界のことである.それは矛盾的自己同一と呼ばれる世界である。それほ絶対的 「-が多・ 無を媒介とし,絶対無において成立する矛盾の世界である。この矛盾が西田が, 「絶対の無なるが 「死すべく生れる」 「必然の自由,自由の必然」 多が-」 「作られて作る」. 故に絶対の有」 「外が内,内が外」 が物になる」. 「超越にして内在」 「永遠の今」 「物が自己になり,自己. 「主語的方向と述語的方向との矛盾的自己同一」等々と強靭な思索をつくし. て表現したものである。前に私ほ西田哲学の論理ほ存在の内からの自覚の表現であると言 ったが,それは徹底的な存在の矛盾の自覚ということであり,これこそが彼の哲学の一貫 「自己自身の矛盾を見る,香,矛盾そのものを自己と見る,自覚の した立場なのである。.
(6) 6. 沼. 田. 滋. 夫. 事実は外からこれに達すべきものではなく,而もすべての知識ほ此に基礎ずけられている (『私の絶対無の自覚的限定といふもの』) 「内的生命の自覚なくして哲学といふべ. のである。」. きものはない。」. (同論文)同論文矛盾の自覚とは,絶対に対象的に見られた存在の矛盾で. はないoそれが「内的生命の自覚」といわれ,. 「行為的自己の自覚」といわれることであ. る。これが「見るものなくして見る立場,考-るものなくして考へる立場」としての西田 の哲学の立場である。それほ普通に自己だと思われて主語的自己を否定するところから始 まる立場でなければならない。 である.」. 「哲学は自己を否定すること,自己を忘れることを学ぶの. (『デカルト哲学について』)といわれるゆえんである。. 哲学の立場はわれわれの自己存在の世界の矛盾の自覚の表乳知識的表現である。知識 がさきにあり論理がさきにあって,そこから自覚を見. 自覚を考えるとうことでなくて, 知識も論理も自覚からという立場である。それは,われわれをしてフィロソフィーレンへ と駆り立てるものは,たんなる知識上の疑問,論理的な矛盾ではないということである。 従って逝にいえば哲学ほ抽象的知識や論理の形式的合理を以て満足することはできないと いうことであり,これが西田の対象論理の立場の否定につながっているのである。たしか に哲学の生命は論理構成の努力にあるということもできよう。西田の哲学論文を通じて見 られるあの戦いもそういうものだと見ることもできよう。しかし何が論理構成の努力なの であろうかoその根底にある西田における自己存在の事象具体的な実在世界からの要求 が考えられねばならないと思う。これほ最晩年,昭和17年のものと推定されているが,こ ういう言葉がある。 であるo」. 「論理の矛盾は関心事でほない,生命の矛盾こそ我々の重大な関心事. (『断想2』)と。. 「生命の矛盾」とほわれわれの自己存在の事実としての矛盾のこ. とである。具体的世界に具体的に生きる暑が面する矛盾である。哲学はここからである。 「抽象より具体へではない。我々ほ先ず具体的世界の中にある,この世界ほ考へられるこ とほできぬo」. 「人はかういふ絶対の点から出立しここから考-ないで,これをすてて抽象. 的立場から考へて行く。」 「先づ具体から抽象へ。」. (同)この哲学の出立点,立場ほ明かで. あろう。. 考察が晩年のものに偏したが,この西田哲学の立場,具体的世界に具体的に生きる自己 存在の生命の矛盾から出立するところの立場ほ,既に早く,. 『善の研究』が成立しつつあ るる時代のそのまた前の,彼の30才前後の頃の幾つかの小篇の中からもこれをうかがうこ とができるoその一つ『人心の疑惑』から引用してみよう。. 「今日は物質の学問が日に精 細に赴くので,何という星は何年何月何日何時問何分秒に見えるとちゃんと計算がで普, 電気や光線の波の長さまでが分って居る。知識の発達も実に驚くべき着で,かくして見れ ば天地の現象-一明自で何一つ不思議なものがない様であるが,思を潜めて深く考へてみ れば何一つ不思議ならざる老がないのである.. ・・・略・・・文人生に就て考へて見ても-略・・・生 は何処より来り死は何処へ去るのであるか,人ほ何の為に生き何の為働き何の為に死する のであるか,これが最大最深なる人心の疑惑である。人は分らぬ事も習慣となれば当然の 事と心ひ,当然の事ほ遂にかくなければならぬ事となるのであるが,極めて落ちついた透 明なら心より考えて見ると,此天地人生程下可思議なる者はないのである。」この「極め.
(7) 7. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. て落ちついた透明なる心」に浮び上ってくる「天地人生」の「不可思議」と「人心の疑 惑」ほ,具体的実在を心澄まして生きる老に現れる「人生の矛盾」へとつながり,. 「絶対. 矛盾の自己同一」 -と進んでゆくものだと考えられるのであるoもーつ測れば『善の研 「私は何の影響によった 究』新版の序に彼が高等学校の学生であった頃の思い出として, かは知らないが,早くから実在は現実そのままのものでなければならないo所謂物質の世 界といふ如きものはほ此から考へられたものに過ぎないといふ考を有っていたo」とある が,この「現実そのまま」の実在にも,上に言った彼の哲学の立場の方向性をわれわれは 見ることができると思う。 「現実そのまま」,彼の最晩年まで続いてその哲学的思惟の絶 さて,この「人生の矛盾」 ぇざる出立点となったもの,ここに宗教的なものがあるo或は・その出立点自身が宗教的 なものなのだと言ってもよいと私ほ思う。それはどういう意味であるかo. いま言ったように「人生の矛盾」とは「現実そのまま」において生きる老の矛盾であり 具体的実在世界の矛盾である.それは見られた世界やわれわれの自己意識的自己の中に抽 【 現実そのまま」の世界ほ自己自身 象的に見出されるような単なる論理的矛盾でほないo 「現実そのまま」に生きる によって作られる世界であるとともに自己を作る世界である。 老にとって,作って作られる世界の始原をさらにこの世界の外に求めるというようなこと はあり得ない。世界が自ら作られて作るということの外に世界の始原ほないo作られて作. るこの一点,ここが世界成立の根源であるo同時にここがわれわれの自己の在り場所であ 「絶対の否定即肯定」であ る。この作られて作るというのほ西田の別の表現でいえば, り,この世界が「絶対弁証法的世界」であることであるo作られて作る・そこがわれわれ の自己の在り場所であり,絶対の否定が絶対の肯定であるところにわれわれの自己が成立 するというのほ深い自覚に達したものの一つの論理的表現であるけれども,論理的な表現 をまだ見出さない段階においても,具体的世界の対象的認識に満足しない者ほ,不思議な 「人生の矛盾」に当面するo自己が自己であることの根源に言い 「人心の疑惑」を感じ, 知れぬ矛盾を感ずる。われわれの真の自己はたんに対象的(主語的)なものとして在るの ではない。そのような対象的世界を否定し越えるのが自己である。しかしまた・われわれ の自己というものが主体的方向(述語的方向)の底にあると考えることもできないoわれ ゎれの自己ほ絶対の自己否定であるという矛盾に当面するのであるoわれわれの自己の成 立の根底が疑惑に包まれるのであるo自己とは客観的な知識上の個人ではないoまた認識 主観の如きものでもない。西田の「真実在」であり,真実在の中心であるoだから自己の 成立の根底が疑惑に包まれるとは真実在の始源が真実在の中で問題となることでもあるo このような疑惑。このような問題は,われわれが自己の最終的な,真の在り場所を求める べくわれわれを駆り立てずにはおかない.これがまさに宗教的要求であるoあるいは求道 心であると言ってもよかろう。. このような宗教的要求はたんに知識的,ノ思惟的なものではないし,たんに感情的なもの.
(8) 8. 沼. 田. 滋. 夫. でもなく,たんに意志的なものだとも言えない。むしろそれらすべてを含む人格存在の存 在的要求とでも言うべきものである。また既に明かなように,この要求はいわゆる現世利. 益や快楽を求めるというような欲求中心的なものともむむろん異なるし,何か神秘的なも のや偶像に引かれるということでもない。あるいほそれは道徳的良心の立場に立って,カ ントの如く神を要請するというのでもない。この場合でもまだわれわれの自己存在の底 が,自己成立の根底が疑惑に包まれているとはいえないのである。あるいは伝統的な神概 念に向う習慣的な傾向の如きことも違う。これのらことでなくて,われわれの自己存在の 矛盾が自己存在の最終的根底を,真の自己の在り場所を求めしめずにほおかない,このよ うな要求が宗教的要求と考えられるのである。このような要求が西田哲学を一貫して,そ の根底に,この哲学構成の動因として働いているということ,これが西田哲学の根底に宗 教的なものがあると言ったことの意味である。 このように言ったからといって,私ほ無論,西田哲学が直ちに宗教だなどと考えるわけ でほない。哲学ほ哲学であって宗教ではない。また,この哲学ほ宗教的信仰の立場を前提 とするスコラ哲学でもない。そうではなくて,いま言ったようにこの哲学の根底には宗教 的要求というべきものが働いている,つまり,自己でないことにおいて自己であるという 絶対的矛盾的な自己存在の事実がこの哲学の出立点に働いているが,この事突からくる要 求が哲学的論理構成に進まないで,ある種の実在体験そのものの中で決着に達するが宗教 的信仰であるということである。つまり,いわば同じ根から一方に哲学が形成され,他方 に宗教が成立する,こういう関係が考えられるような根底から西田哲学ほ成立している し,そこを離れないというのが彼の一貫した哲学の立場だということである。西田の没年 に善かれた論文『場所的論理と宗教的世界観』にこういう箇所がある。彼ほそこで,われ われの自己が自己自身の中に絶対の自己否定を含み,自己の死を知るものであり,自己が 矛盾的自己同一的存在であることの自己成立の根源において,自己自身の「在所」に迷う のが宗教的要求であり宗教心であるというようなことを論じしつつ,次のように言ってい る.. 「然らば如何なる場合に,我々の宗教問題と云ふものが起るのであるか。宗教心と云. ふものほ,如何なる場合に,意識せられるのであるか。宗教の問題ほ価値の問題ではない。 戟/キが自己の根底に,深き自己矛盾を意識した時,我々が自己の自己矛盾的存在なること を自覚した時,我々の自己の存在そのものが問題となるのである。人生の悲哀,その自己 矛盾と云うことほ,古来言旧された常套語である。併し多くの人は深く此の事実を見詰 めて居ない。何処までも此の事実を見詰めて行く時,我々に宗教の問題と云うものが越っ て来なければならないのである(哲学の問題と云うものも実は此処から起るのである)。」 と。. 「人生の悲哀」や「人生の矛盾」というようなことは言い古されたことだが,これを. よく深く見詰めれば,そこから,われわれの自己の絶対矛盾的自己存在(これは同時に絶 対矛盾的自己同一的世界,絶対無の弁証法の世界のことである.)が自覚されてくるのだ, そこから宗教問題が起るのだし,哲学の問題も同じくそこから起るのだ,というのであ. る。いま言ったような意味でわれわれの宗教(宗教信仰)の体験も哲学(哲学的思惟)の 論理構成も同じ根をもつという,そういう地点をふまえながら彼の哲学ほ展開されたとい.
(9) 9. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係 うことは彼自身が多くの論文に亘って所々で言及しているところである。 成立しょうとする初期のものと推定されている(山内得立). けられた断片に次のような文章が既に見出される。. 『善の研究』が. 『哲学的研究の必要』と名づ 「哲学ほ純知識的要求より起るという. よりも,寧ろ新生命の要求に本づいて居るo此点に方て,宗教と其源を同じうするのであ る。何事も意の如くで,人生の苦を知らぬ人,又ほ失意の鄭こあっても,更に深き生命 を求めぬ人ほ哲学を要せない○併しただ失意の境に陥った晩時・又さなくとも人生の全 体に就いて考-た時,誰も心中一種の苦悶を感ぜぬ者ほないoいかにもして天地人生の新 意義を見出し,新生命に入らうとする。即ち切実に哲学的要求を感ずるoショペソ)ウニ ルも哲学ほ死と苦とを知るより起るといって居る。哲学の問題は好事老の閑事ではなく,. 死生,苦楽の問題であるo」ここではこのような言い方で哲学と宗教との同根であること 「新生命の要求」 「死生苦楽の問題」から「新生命に入らうと が述べられている。ここで, する」要求等に哲学と宗教との共通の源であるとされているが・これが,さきに引いた文 章にある「我々が自己の自己矛盾的存在なることを自覚した時」と続いているのである。 っいでにもう一つ,年代的に上の二つの引用文のほぼ中間のものから引いてみると,. 「哲. 学は我々の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機ほ「驚き」でほなくして深い 人生の悲哀でなければならない。」 (『場所の自己限定としての意識作用』)というようなことに なるo. 西田哲学の根底に宗教的なものが働いているということは,いま見たように,この哲学 は西田のいう宗教,または宗教的信仰と同じ出立点をもっているということであり,それ. は西田自身が自覚的に述べているところであるし,またわれわれから考えても実際そうで ぁるということである。このことは西田哲学の立場を理解する上で決定的に大切な点であ るが,ということは同時に,西田の宗教の何であるかを捉えることなしにはその哲学の立. 場を真に理解することはできないということであるo Ll_LT 西田において哲学と宗教とは出立点を同じくするということ,哲学の側から言えば哲学 は宗教的要求をその出立点としてもっているということ,それは西田哲学が,われわれの. 「自己の自己矛盾的存在の事実」を踏まえ,そこから,その事実の自覚として形成される ということであるが,このことの意味は何か.西田における宗教,西田の意味する宗教と は何であろうか。それほ,まさしく宗教的なものであるけれども,ただ,何かの既成的 な,あるいほ常識的に固定化された宗教観を以てそれを理解しょうとしても無駄であるo. 宗教の心の初めに帰り,またほ根底において理解されなければならないと思うoこういう 言い方がある。. 「宗教とは神と人間との出会いであるのに反し,哲学は神を人間の思惟の. うちに客体化することであるo」(ブーバー『神の蝕,宗教と哲学との関係についての考察』)とo これは一応一般に理解されうるところであろう。宗教が「神と人間との出会い」であると. ほ,それが神と人間との生命的な関係,一人の人間をその存在の絶対的な根底,根底のな い根底において決定するところの神と人間との関係,そういうものとまず考えられるであ.
(10) 10. 沼. 田. 滋. 夫. ろうoこの神が如何なる性格をもつかほ,宗教の既成化のなかで,いろいろに固定化され てくることであるけれども,このことはい酌ま問わないことにして,まずそのような神と 人間との関係を宗教の本質と考えることほ許されるであろう。また当然,宗教の立場にお いては神ほ人間の知の対象ではない,人間の対象的思惟によって把揺される如きものでほ ないoブーバーの表現を少し変えて, 「神を人間の思惟のうちに客体化する」のは哲学で あるということになろう。ひとまず,こういう宗教と哲学との区別に沿って考えるとする と,西田の立場はどこに位置することになろうか。 「神を人間の思惟のうちに客体化する」ということも,宗教的信仰をもつ者の側から言 うか,然らざる者の側から言うかの違いによって「神」の語の意味するところほ既に適う と言わぎるをえないが,ギリシャ以来の哲学の立場,人間の自然的理性のうちに客体化さ れた神はやがて死なねばならないというのが西洋近世の歴史の方向であったわけである。 思惟における神の客体化とほ神の抽象化であり,抽象化された神はも早生きた神ではない からであるo近世西洋の哲学ほ認識論的批判による古い形而上学の否定の後に,主知主義 の立場を極限まで進めつつ,それ自身で存在する絶対的存在を問うて--ゲルまで行きつ いたが,ここで知の哲学ほ自己満足に達したとしても,それほそのまま現実の具体的実在 の充実と人間の生の創造的把撞とでほなかったのである。. --ゲルの哲学ほ決してたんな る対象的思惟の立場でほなく,客観主義でも主観主義でもない。自己自身の存在の原因を 自己の内にもつ絶対的存在は,われわれの主客を包む全体でなければならザ,われわれ. の人間の意志も主客体的存在の論理と別のものでなく,これに包みこまれている。絶対的 存在の本質はこの論理にあり,この論理ほ自己展開の弁証法的運動において自己の真理を 実現する。この真理とはまた神と呼ばれるものに他ならない。. --ゲルの哲学は,この存 在そのものである論理の弁証法的展開の運動の自覚と考えられる。西田哲学はこのヘーゲ ルの哲学とよく対比されるが,たしかに西田の立場ほ西洋哲学の流れのなかで言うなら ば, --ゲルの立場とかなり近いものがあると考えられはする.西田が--ゲルの哲学か. ら学んだのも事実である。西田ほよく--ゲルを理解していた。理解しながらしかし,別 れるのであるo西田の諸論文のあちらこちらで,われわれは--ゲル批判に出あう。西田 の立場は--ゲルを越えているのである.しかし,西田の立場が--ゲルを越えていると. いう意味は, --ゲルの延長線上に越えているというより,西田ほ--ゲルを越える立場 に出立点から,はじめからあったと言った方がより適切でなかろうか。このような意味で 西田が--ゲルと異なっているその場所を理解することが,西田哲学の根底に働く宗教的 要求といたたことの理解につながるほずである。 ヘーゲルの立場は上に言ったように,実在を対象的に規定するものでなく!主観の内に 実在構成の内在的原理を考えるものでもなく,実在ほ主一客を包む全体であり,哲学ほこ の実在自身の自覚の論理である。これだけのことで言うと,西田の場合もそうであると考 えられよう。実はしかし,この自覚の論理,すなわち弁証法論理の内容が両者の間で明か に異なるのである。この論理の相違とは実在把握の立場が最終的に相違していることであ るけれども論理として言うならば,それは,両者における「弁証法的否定」の意味の相違で.
(11) ll. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. ある.言うならば--ゲルの否定ほ弁証法的発展の過程としての否定の横磯であるが,西 田の場合のそれほ絶対無といわれ,絶対矛盾的といわれるものであるということであるo 「絶対否定的 「真の絶対否定の弁証法」でなく, ヘーゲルの弁証法はまだ過程的であり, 自覚」 o,立場に至っていないことは西田自身が言っていることであるが,私にも確かにそ う考えられる。 「過程的」とは既にあった世界の発展の過程,過去的に見られたものとし ての世界過程,客観的世界を時間的に認識した過程という意味である.. --ゲルの弁証論. ほ自己自身で在り自己自身を限定する主客体的全体の自覚の論理であっで決して単純な 対象の論理ではない。しかし彼が実在の根底を論理そのものと考えた時,それは彼が知的 自覚的自己の立場に立っているのだと考えられるのである。知的自覚的自己の立場におい ては,論理は西田のいう真実在そのもの弁証法と異なる過程的なもの軒こ陥らざるをえない こととなる。知的自己とはなお具体的実在からの抽象であり,なお西田のいう「現実その まま」の実在である自己とは,異なる。この立場を最終的なものとする限りに於て,この 自己ほ絶対無における矛盾的自己同一の自覚,具体的実在の原初的な事実そのままの自覚 には至りえない。その自覚の論理ほ論理の自覚となって,具体的実在から離れぎるをえな いと考えられる。そこに--ゲルの弁証法がなお過程的であり,主一客体の弁証法論理の 展開が再び対象化されてしまうことになったと考えられる。弁証法的否定も考えられた否 定となって,そこに世界がはじまりそこに世界が終る絶対の否定ではありえないことにな るoヘーゲルが哲学の立場を,夕暮とともに飛掲をはじめるミネルバのふくろうに愉えた のも,まことに適切であったと首肯されるのである。結局ほ--ゲルの哲学は「神を人間 の思惟のうちに客体化する」ものの極限だったと考えざるをえない。 それでほ,西田の場合の絶対否定,絶対無とほ何なのであるか。西田哲学の出立点に宗 教的なものがあるということ,この宗教的なものの理解ほ晶理面からいえば,その絶対無 の理解にかかっているといえよう。. --ゲルの弁証法が知の立場の限界を示しているとす. れば,西田の絶対無の弁証法は実在についてのわれわれの知識のレェヴェル,言い換えれ ば実在それ自身の知のレェヴェルで起きることの表現でほなくて,その底で起きるところ の,従ってそれ自身は決して知識としては取り出すことのできない実在体験の世界のこと を意味している.このような実在体験として絶対無の自覚,絶対矛盾的自己同一が起きる 「人心の疑惑」 「人生 ことが考えられねばならない。私ほさきに,西田の哲学の出立点に, の矛盾」 「自己存在の矛盾」等々の意識体験があること,それが宗教的な要求であることを 言ってきたが,このような体験の深まりの底が宗教の成立する場所である。絶対無の自覚 というのほこういう方向,つまり,絶対的知を前方に進めるのでなくて,その意識体験の 根源に入ってゆく方向の底の自覚であり,ここがすなわち宗教的体験なのだと考えられる のである。 とができる。」. 「私の絶対無の自覚というのは最も深い意味において宗教的体験の事実といこ・ (『私の絶好型の自覚的限定というもの』)いま言ったような実在体験である絶対. 無において,われわれの自己は自己の絶対の否定に画しながら,そこにおいて,同時に世 界が始まり自己が始まるという意味で,自己ほ自己ならぬものであるから自己であるとい う矛盾的自己同一が起きる。言わば,われわれほ矛盾的自己同一の体験において,すなわ.
(12) 12. 沼. 漆. 田. 夫. ち,絶対無の自覚において世界の姶源に面するのであり,このことは西田によってしばし ば,. 「われわれの自己が逆対応的に神に接する」とも表現されることである。次のように. 言われるのも,この絶対無の自覚の場所においてのことであるo. 「我々の自己の底には何 処までも自己を越えたものがある○而もそれほ単に自己に他なるものではない,自己の外 にあるのではない.そこに我々の自己の自己矛盾がある。此に我々ほ自己の在所に迷うo 而も我々の自己が何処までも矛盾的自己同一的に真の自己自身を見出す所に,宗教的信仰 というものが成立するのである。」(『場所的論理と宗教的世界観』)こういう意味で,われわれ は絶対無の自覚の立場において自己矛盾的に自己を越えるものに出会う.そこが世界成立 の根源であり,自己の始源である。この自己にして自己を越えるもの,われわれの自己が 矛盾的自己同一的に面する絶対否定,これがまた,しばしば西田によって神とも呼ばれる ものである。絶対否定ほ絶対肯定と対する如くに考えられてはならない。絶対とほ西田が, 「対を絶する」のだという如くであって,絶対否定が即絶対肯定なのである。. 「神」は伝 統のそれぞれに異なる諸既成宗教においてほそれぞれニュアンスを異にする絶対者として 信ぜられ,表象されている。西田は彼自身の宗教哲学の立場において,宗教的信仰の原点 を言表するため神という語をしばしば使いながら,しかしこう言っている。 「神と人間とは 絶対矛盾的自己同一である。」 「真の神ほ所謂神でほなくして,寧う西洋では神秘神学者の 云った如きゴット-イトである,般若の空である。」と。. (『予定調和を手引として宗教哲学へ』). このような神が西田のいう神である。それほ既成宗教のなかで固定化されて,礼拝の対象 とされている如き神でほない。スピノ-ザの如き汎神論的神でもない。こういう意味でい えば,それほ無神の神である。たんに超越的でもなければたんに内在的でもない。われわ れが自己と世界との根源に立つ絶対無の自覚における,宗教成立の原点における神であ る。キリスト数的な創造神をも包みこみうるような神である。それほ,ゴットというより ゴット-イトと呼ぶはうが適切であり,さらにほ,般若の空だといわれるのである。. こうして西田における絶対無の自覚とほ,絶対否定がそのまま絶対肯定である体験的事 実,言い換えれば神と人間との絶対矛盾的自己同一を核心とする宗教的体験の事実であ る.それは,そこにわれわれの自己が始まり世界が始まるころの,実在の底なき底の自覚 であるが故に,まさに宗教的である。まさにブ-バーの言う「神と人間との出会い」が 絶対盾的自己同一■として起きているのである。生涯に亘る西田幾多郎の哲学的思索の歩み は,このような自覚-の要求(それほわれわれが「人生の矛盾」に駆られ,. 「自己の在所 に迷う」ことであった。)を出立点とするものであったし,そこを離れないものであった. それは自己存在であって世界であるとこちの実在の根底が,自己の生死の底が問い続けら れるとでも言うべきことである。この自覚の深化がどこまでも論理を媒介として進められ たものとして西田哲学ほまさに哲学であるけれども,いま言った如き出立点に立つものと. して,それが宗教的であるという意味においての宗教的という意味で,この哲学ほすくやれ て宗教的なのである。この-んのことをよく表現している西田自身の次のような文章があ るので引用させてもら′うことにする。 「宗教と云ふのほ,知識の立場から神を最高原理と ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. して考えることでもなく,又道徳の立場から要請として神の存在を認めることでもない。.
(13) 13. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. 又然らばと云って,単に主観的な神秘的体験に基くと云うのでもない。右に云った如く, ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. それは知識や道徳の根底となる立場である,即ち自覚的意識の立場である。何人も我々の 自覚の意識が神秘的と考えないであろう。而もそれほ何処までも対象的認識の意識とか道 徳的義務の意識とか云うものとほ,立場を異にした意識である,自己存在の意識である, ●. 両者と方向を異にした意識である。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. (中略)哲学と云う如き学問ほ我々の自覚的意識の立. ●. 場に於て成立するのである。従来の哲学に於ては,自覚的意識の独自性,その根本性と云 ふものが深く考えられていない。」. (『予定調和を手引として宗教哲学-』傍点は筆者による). っづめて言えば,この「自覚」の立場こそが西田哲学を一貫する立場である。この立場 は客観主義的な対象知の立場でもなければ,主観主義的な知識構成の立場でもなく,主客の関係を知的自己の自覚として捉える--ゲル的弁証法の立場でもない.これらの意味 での知識の立場でほない。しかしこの立場ほ人間的知を越える啓示を信ずるキリスト教的. 信仰の立場でもなければ,主観的な神秘的体験を主張するものでもない。生の哲学や実存 哲学との近似を言う解釈もあり,ある意味でほ確にそうであるが,これともやほり異な る。このような位置にある立場,しかもそれらの知識の立場と信仰の立場とを包み込み,. それらを位置づける立場,そこが西田哲学の「自覚」の立場である。私にはそう考えられ る。ここでなお,宗教経験(意識)と哲学的思索とを分けて言うならば,絶対矛盾的自己 同一の自覚そのもの,絶対矛盾的対立がそのまま同一として結着のついたところが宗教経 験,そして,. 「知るものが知られるもの」. 「表現せられるものが表現するもの」としての自. 覚の構造を何処までも論理において展開し深化してゆくところが哲学的思索,こういうこ とになるであろう。. 「純粋経験」として言表されて以来論理的に深化され この西田の自覚の哲学の立場は, 続けたものであるけれども,既に言ったように,この立場の方向は早く若い西田のうちに 芽生えていたものである。ならば,この方向性を定めたものは何か。そこには当時の歴史 的社会的諸条件もあれば,個人的生活条件も心理的条件もあろう,西洋哲学からの影響も あろう。しかし,その方向性を発酵させたもの,この点で決定的に大切なもの,それが彼 の禅経験であったと私にほ考えられるのである。西田哲学の宗教性ということもこのこと を別にしてほ考えられないことである。 五 一般的に言って哲学的思惟それ自身は,たとえそれがどのような立場のものであろうと. も,意識の働きである。しかしその意識の働きである思惟ほ,思惟の主体である一人の哲 学者の全存在をどのように結びついているかは-ようではない。一人の哲学者にとって, その思惟が彼の全存在とどのように結びつき,あるいほ,その思惟が彼の全存在の何処か ら出て何処に返るかほ,その哲学の何であるかを本来的に決定する。そこがすなわち,一 っの哲学の出立点またほ立場の如何を決定する基底である。西田哲学の出立点が宗教的で あり,そこがまたこの」哲学」の自覚の立場だということほ,西田の思惟ほ彼の自己存在 と分ち難く,その思惟ほ彼の自己が自己にめざめ本来の自己存在に至る,この道であると. ●.
(14) 14. 沼. 田. 弦. 夫. いうこと,いや,彼の思惟ほその存在そのもの,行為そのものであるということである。 それほ単なる理性的思惟という如きものでほない。それほ自己の生・死にかかわる思惟で あるo. 彼が「理性ほ一般的なものであって生きたものでほないから死を自覚しない」. (『場. 所的論理と宗教的世界観』)というのもその彼の立場から出てくる言葉である。 「自覚」とは どこまでも対象的思惟の否定であるとともに,抽象的一般的思惟の否定であり,そのよう な思惟の否定の底でわれわれの自己が本来の自己に目覚めることである。それは既にいろ いろ言ったように,思惟が思惟対象に向うのとほ反対の方向,思惟もそこから成立する実 在世界の根源において,自己が目覚め,世界が目覚めることである。このような「自覚」 の世界を,なお論理的に明らかにしょうとしたのが西田哲学であったと私ほ考える。彼が 何処までも排除しょうとしたのほ対象的思惟であり対象的論理である。彼ほ実在を外に対 象化することだけでなく,内在的に対象化することをも排する。徹底的にそうである。そ れほどこまでも抽象的意識の立場を否定して具体的現実的なわれわれの自己自身に徹しよ うとすることである。. 「心身-如」. 「現実そのまま」に徹しょうとするのである。. さて,このように考える時,私はこの西田哲学の出立点と方向性とは,仏教が伝えてき た禅修行における求道心と,求道心の方向性と全く一つであると認めなければならないの であるo西田が追求していったもの,それほその最も根本において禅がそこに向うところ の世界,または境地にほかならなかったと思う.われわれは「自覚」という言葉に, 「純 粋経験」 「行為的直観」その他の言葉に西田の論文の中で接する時,それらのことを西洋 哲学の歴史的文脈のなかで考えさせられるし,彼も多くほそういう叙述をしてゆく。文字 の上では,客観的表現の上でほそうであるけれども,内容的にほ彼はいま言った彼の方向 に進んでいるのである.. 「自覚」はもともとは仏教,特に禅経験における基本語である.. それは「覚」であり「悟」である。われわれ日本人は今日,. 「自覚」を果してどこまで本 来の禅の文脈において解するであろうか。殆どの多くはそれをSelbsterkenntnisの意味 に解するかと思われるが,西田ほ表現としてほ両者をつなぎながら,真の「自覚」は禅の 求める方向にあることを自覚していのである。 私ほ西田哲学の根本にほ禅の悟への方向性が決定的にあることを,この哲学を内側から 読み進み読み返ししながら感じ,考えるのであるけれども,このことはまた,彼が数多く の論文の所々で,思わず語り出すような仕方で取り出すいろいろな仏教語に接し,それら 仏教語が如何に彼の思索と一つに結ばれているかを知るという事実によっても裏づけられ ることであるoたとえば次の如き箇所を今の多くの思想家たちほどう読み取るであろう かo. 「悟とか直観とか云っても,何物かを対象的に認識すると云ふことではない。仏道を. ならうことほ自己をならうなり。自己をならうというほ,自己をわするなり。自己をわす るるといふほ,方法に証せらるるなり。方法に証せらるるというほ,自己の身心および他 己の身心をして脱落せしむるなりと云う(道元)。それほ限定するものなき限定,絶対無 の自己限定と言うことでなければならない。方法すすみて自己を惨証すると云う。我々の 真の自覚ほ此からである。」 (『予定調和を手引として宗教哲学へ』)ここに出ている道元の『正 法限蔵現成公案』のなかの一節が語る悟への道,すなわち坐の道は,同時に西剛こおける.
(15) 15. 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. 『自覚』の方向を指していることが,ここでは全く明らかであろう。この道元の語を西田 ほ諸他の論文でも自分の立場を述べる際に時々引き合いに出している0 「自己をならう」とは言わば,本来の自己,真の自己になろうとすること,人間の本来 の生き方を実現しょうとすることと解される。しかし,それは断じて何かの功利的理由に ょることでほないo有所得のJbがあってはならぬことである。それは菩提心を発づるとい 「行者自身の為に仏法を修すと念うべからず,名利 うことである。道元の文章でいえば, の為に仏法を修すべからず,果報を得んが為に仏法を修す''(からず,霊験を得んが為に仏 (『学道用心集』)とい 法を修すべからず,但修法の為に仏法を修する,乃ち是れ道なり。」 うことである。これが西田でいえば,. 「人心の疑惑」. 「自己自身の矛盾」に促されて「自己. 「自己をならう」 の在所」にめぎめんとする宗教的要求である。ところで,このように, ということは,意識的自己に自分がかかわってゆくことでなく,自分で自分を運んでゆく ことでなく± 主語的自己が何処までも否定され,述語的方向の源-と自己がかえってゆく 「自己をならうは自 ことである。自分が自分を忘れる方向へと進むことである。これが,. 己をわするるなり」である。西田の自覚が対象的思惟め全き否定の立場であることほその ことと一つのことである.考えられた自己,すなわち主語的自己に執着するのが迷であ る.次にしかし,このように「自己をわするる」ということほ,忘れようと思う自己も無 くなることでなければならない。このことは,たんなる自力によって起きうることではな い。普通の意味でのわれわれの心によって,心の上に起きることでほない。それは現実そ のままである全実在のこととして,絶対否定がすなわち肯定として起きることとでも言う 「自己をわする べきであろう。これがまた,われわれの身心の脱落といわれることである。 るというは,方法に証せらるるなり。方法に証せらるるというは,自己の身心および他己 の身心をして脱落せしむるなり。」である。西田の自覚とはまさにこの方向にある。歴史 的実践的自己としての真に身心一如的自己としての,西田が好んで引用する「諸心為非心 「世界. 名之心」という自己の立場における自覚,歴史形成が自己形成であるところの自覚, が自覚するとき我々の自己が自覚する」自覚,これらは同じ一つのことであって,これは, 「自己をならう」ことほ「自己をわすれる」こと,それほ「方法に証せらるる」こと, 「身心脱落」ということ,まさに,この道元の仏道惨証の道の別の表現であると考えられ るのである。. 「仏道をならう」とは坐禅の立場においてはどこまでも坐禅そのものである。. 「道を道. にまかするとき得道す」 (『正法眼蔵』)が坐禅の方向性である.西田は哲学ほ「自己を否定 (『デカルト哲学について』)という。これとそ すること,自己を忘れることを学ぶのである」 れとが同一の方向性にあることは明かであろうo西田哲学の基本には,それを掴むことが 年とえば,純粋経 その哲学把握の鍵になるような難解で独特ないくつかの用語がある0 験, -即多,絶対無の自覚的限定,永遠の今,場所的限定,絶対矛盾的自己同一,行為的 直観,絶対時,等々,これらの語は何れも,坐禅得道の構造がわかるに応じてわかるとい うことがあるのは事実である。いま,私ほ,このような小論で,それら用語の一々の対応 について粗雑な議論をするのほ差し控えたいと思う..
(16) 16. 沼. 滋. 田. 夫. __」し_. /ヽ. ここまで私ほ,西田の思索において哲学と宗教とはどのような意味でどのようにかかわ っているかを,この哲学の内側からの理解を通して考えようとしてきた。そして,西田哲 学の出立点にには,彼自身の存在と世界との始源にかかわる求道心,すなわち宗教的要求 が終始強く働いていること,この宗教的要求ほ,何れかの既成的宗教信仰や宗派の伝統の 中などで考えられてほならず,本来的な意味で宗教的なのであるが,実践的には坐禅によ る得道を求めるということが中心に.なったものであること,彼の哲学的思索の論理は,そ の禅修行の進む方向性において構築されたと考えられること,これらのことを私ほ考え たo. ところで,よく知られている通り,西田が残した日記及び書簡等の生活記録によると, 彼には激しく坐禅に打ち込んだ一つの時代があった.これほ彼の27,. 8才の頃から30才代. の終りの頃までのことである。この時代は山口高校のニケ年と四高の教授であった時期 『善の研究』が彼の内部で準備され,また実際に起草されてゆく時期でもあり,とい. で,. うことは西田哲学が西田哲学として成立しつつあった時期だということである。西田哲学 の方向性が決定されたと見ることのできるこの時期に,彼は一方で広く西洋の哲学,思想 文芸等に互る研学を続けながら,他方でほ,自己の厳しい放下を自らに課し,自らの怠随 を責めつつ,. 「白刃頭上ニカカル心持ニテ」朝夕の打坐に励む日々を生きること多く,普. た大接心に参ずることしばしばである。上に述べた如き西田の哲学と禅との内的な関係 ほ,この時期に既に定まったと私にほ考えられる。この時期の西田哲学の形成過程につい ては,既にいろいろな西田研究が考察をしている。しかし私が読んだ限りでのそれらの考 察にかなり共通して感じられることがある。それは禅についての無理解,あるいほ,誤解 である。そして,この無理解または誤解が西田解釈全体を不十分なものにしていることで ある。私にほそう考えられる。しかし,この時期の西田哲学形成過程の問題に,私ほいま ここで詳しく立ち入ろうと思っていない。ただこの時期の禅の実践と哲学研究とほ彼の人 間のなかで,どのように位置づけられ,また絡み合って進んだか,私の推測の結論的なこ とだけをつけ加えておきたいと思う。. 西田が哲学を専門としょうと決めたのは明治21年19才,第四高等中学校第一部一年生と なった時である。この時のすく小前に彼ほ四高教授北条時敬宅に寄寓していたことがあるo 彼が後々まで尊敬し続けたこの飾から,彼ほこの時に禅について話を聞き!禅の古典『遠 羅天釜』一冊をもらっている。哲学と禅とが記録の上で明確に西田の存在に関係をもち始 めたのほ此の時からである。明治24年22才,東京文科大学哲学科選科入学,この年,生渡 の心友鈴木大拙は鎌倉円覚寸に在った。この頃彼自身も参禅したことがある。これから明 治28,. 9年頃まで,職業的意味をもつ研学もまだ軌道に乗らず,他方,求道心ほ既に潜在. していたと思われるが,両者の関係ほまだ明確な問題にならず,そのことよりも生活問題 に心を煩わされること多く,その中で, まず,. 「浮世を臭気紛々」と見「区々たる名声」を望. 「難苦に蓬ふを尚ふ」といった直撃な倫理的気慨を以て自らを鞭ったりしているこ.
(17) 西田幾多郎における哲学と宗教との関係. 17. との方が目立つ。 次が上に言った彼が坐禅に打ちこむ時代である。ここで気づくことの一つは,彼の存在 にとって,今までの倫理的傾向よりも宗教的問題がその本質にかかわる問題になってくる 「哲学で身を立てる」方針ほ固まり,研学ほ進む。そして彼の生活の ことである。他方, 中で哲学と宗教(坐禅)との関係が問題となる。この時代のはじめ,明治29年3月31日付 「本月二十五日小生 の手紙で,西田研究者がよく引用するものに次のような箇所がある。 方に一女児を挙けたり。余ほ多く浮世の綱をつくる身となれり。日々己か気力の衰-ん事. を恐る.金沢へ行けは雪門禅師に参して妙話をきかんと思ふなり」これである.私が見た 限りでの西田研究者のこの文章の解釈は,何れも私にほ誤っていると思えるので一言して おきたい。ここで,. 「己か気力」とほ何を意味しているか。このあたりの解釈をみな間違. えている。この「己か気力」とは浮世の生活人としての「気力」でないのは勿論,たんな 「一女児 る倫理的「気力」でもない。求道の気力である。厳しい自己否定の気力である。 を挙け」るに至り,いよいよ世間的生活の中に組み入れられてゆきそうである,坐禅修行. は名も利も一切を捨てることを要するのに,そのためにこの「気力」が衰えてほ困る,と いう意味に私ほ解する。西田にとって,禅は決してたんなる,何かの目的のための精神集 中手段の如きものでもなければ,内面への逃避の如きことではなく,命がけの自己獲得す なわち自己否定への道である.明治30年からはじまっている日記には,打坐の記録の続く 中で,いろいろな禅籍の名が出てくるが,明治32年9月29日の条には「LeseOrateGama !」とあり,この書名ほ他の場所にも見えるが,これほ,西田が19才の時に北条時故にも らったあの『遠羅天釜』であるo. その頃からの彼の座右の書であったと私は推測する.と. ころで禅修行ほまず名利を離れることを要するが,この論理はまた哲学することについて も及んでくる。学問によって身を立てるという将来の方向ほ決まり,実際に四高でドイツ 請,心理,倫理を教えるということと結びついて,学問に励まねばならぬ,打坐Lていて ち,. 「学問ヲセネバナラヌト云り念二妨ゲラルル」こともしばしばである,しかL学問す. ることには「功名などの卑心」が働いていないかどうか。こう考えて,禅の実践と学問の 問で彼は苦心する。やや拡大して言えば,出家もできぬ,しかし求道の心を捨てることは なおできぬ,ということであろう。こういう経過のなかで,彼の学問ほ哲学-と集中し, 実在の問題,宗教の問題へと焦点を求めてゆく,哲学は生死の問題である禅の実践に論理 「参禅以明大道学問以 の面において近づいてゆくのである。明治35年の日記の巻末には, 「一大真理を悟得して之を今 開真智」とある.そして禅の悟待と哲学との関係について. 日の学理にて人に説桝ぎ可なり」と考えるようになるo. といっても,禅ほ断じて哲学のた. めに為されるのではない。禅とほ,われわれの自己の生命が本来の姿において在るための 「余は禅を学 道である。見性,悟ほ目的そのものである。明治36年7月23日の日記でほ, の為になすは誤りなり,余が心の為め生命の為になすべレ。見性までは宗教や哲学の事を 考えず」とまで自戒している。 (ここで「宗教Jとは宗教論のことと考える.)こうして彼 は一方で激しい禅の実践を続けつつ,そしてこの裏撃な求道心故に,他方,たんなる西洋 哲学紹介家としてなく,本来的な意味でのフィロソフィーレンに向ってゆく。明治39年4.
(18) 18. 沼. 田. 澱. 夫. 月1日の日記には「無字隻手透過」の記録がある。坐禅の修行はよほど進んだのである。 この頃になると,やがて現れる『善の研究』の立場ほだんだん自覚的になりつつあると局 られる。この立場が何であるかは既に明かである。 生活条件の変化にもよろう,学問に徹することを自己の使命と決したことにもよろう, 明治41年1月1日の打坐以後,日記にほ打坐の文字ほ見当らなくなるo. しか・し,というこ. とは西田がこれ以後は修道を離れたことを決して意味しない,と思う。ここまでくれば, 彼においてほ,哲学的思索自体が一面において,つねに宗教的修道の意味をもち続けるに 至ったものと私は考える。思索のなかみは論理である。しかし思索自体は彼の自覚の立場 を深めてゆく行為であったのであり,それほ彼が既に達していた悟得の境地をいよいよ研 ぎ澄ましてゆくものであったに違いないと私には考えられるのである0.
(19)
関連したドキュメント
わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから
世界的流行である以上、何をもって感染終息と判断するのか、現時点では予測がつかないと思われます。時限的、特例的措置とされても、かなりの長期間にわたり
共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果
と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その
このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた
ているかというと、別のゴミ山を求めて居場所を変えるか、もしくは、路上に
いしかわ医療的 ケア 児支援 センターで たいせつにしていること.
「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない