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教育における美の研究-J.ラカンの精神分析理論を手がかりとして-

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Academic year: 2021

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(1)      教育における美の研究 一J.ラカンの精神分析理論を手がかりとして一 専 攻 学校教育学. コース 教育コミュニケーション. 学籍番号 M07011G. 氏 名  西本好男. I.問題設定  現在の日本の美術教育は、美術を通した人間形成. 第二章一J.ラカンの精神分析理論による美の考察. を目的としている。では、その人間形成とはどのよ. 終章  美術と教育の考察. 第三章美術の考察. うな人物像を理想とし、どんな思想を後ろ盾にして いるのだろうか。戦後の日本の美術教育に大きな影. 皿.論文の概要. 響を与えてきた二つの民間美術教育運動からみれば、.  第一章では、ラカンの思想を考察するために、ラ. 一つは、人問に生得の創造力と個性を伸張するため. カンの略歴と、ラカンの精神分析理論を概観した。. に、抑圧から解放され、内的世界に矛盾や葛藤を来. ラカンの精神分析理論の最も重要な理論は、人間が. たさない心理学的に調和と正常化がなされた人間の. 言動する根底には、人間をそのように言動させる構. 形成である。それは、あらかじめ設定されている心. 造が存在するとしたことであり、その構造はシニフ. 理学的な道徳や倫理を後ろ盾にしている。二つめは、. ィアンの導入と連鎖によって構成されるとしたこと. よりよい社会の実現のために、有用な知識と技術を. だろう。シニフィアンとは、意味するもの、能記、. 修得し、社会認識のカを育み、社会的に主体化され. 記号表現とされる。第二章では、ラカンの精神分析. た人間の形成である。それは、あらかじめ設定され. 理論による〈死の欲動>と美の関係の考察を、ラカ. ている社会的な道徳や倫理を後ろ盾にしている。し. ンの理論において重要な図となる図Lを用いて考察. かし、日本の美術教育が、これらの、あらかじめ設. した。(以降、図①参照。)図Lとは、シニフィアンの. 定されている道徳的・倫理的次元を後ろ眉にするの. 導入と連鎖によって人間の構造が構成される過程を. なら、その次元が、本当に信用に値し、尺度として. 表している。そして、その過程から、欲望とは、自. 役立つものであるのかが間われる必要があるだろう。. 我の生成のとき、自我化できなかったもの(対象a).  美術教育の核心は美(的経験)である。ラカンに. を原因としており、欲動とは、対象aそのものを、. よれば、美(的経験)は、現在の日本の美術教育の. その対象としていることを明らかにした。次に、ラ. 依拠する心理学的な、あるいは社会的な道徳や倫理. カンが人間の〈死の欲動〉への障壁には、善と美が. では決して捉えられない次元にあり、美(的経験). あるとした理論を考察するために、まず、美の生成. とは、真の倫理的次元とされる<死の欲動>との関. 過程を考察した。美とは、眼差し[視線コを、自我. 係から捉えられなければならない。<死の欲動〉と. の目が意味として捉え返したものであることを明ら. は、人間に自我が生成される以前に経験した自他未. かにした。眼差し[視線コとは、自我が生成する以. 分の全能感の記憶と、排除と抑圧による死から生成. 前の〈もの>の領野で、〈もの〉に見られている状. した攻撃性と破壊性の記憶に戻ろうとすることであ. 態である。次に、善[財]の生成過程を考察した。善腕1. る。この欲動は、実現されるとき享楽と呼ばれ、私. とは、自我理想を源泉にし、他者の欲望を叶えるた. を制御する自我を失い、究極的な破壊と破滅を、私. めに、他者から与えられた財産を分与し、その報酬. と、その周りの人間に招くことになる。そのため、. として他者から財産を与えられる関係であることを. く死の欲動〉とは、人間が決して向かってはならな. 明らかにした。次に、<死の欲動〉と善[財1の関係. い行程なのである。(図1参照。). を考察した。〈死の欲動〉とは、書1財工が越えられ、. 羨望に導かれ、最も重要な財産である私の存在が賭 II.論文構成. けられるとき現われ、その源泉は、善[財]の真の源. 序章  本研究の課題. 泉でもある理想自我であることを明らかにした。次. 第一章 J.ラカンの略歴と精神分析理論の概略. に<死の欲動〉と美の関係を考察した。人間が善. 一32一.

(2) [財]を越え、苦痛に1陥り、羨望に導かれ、<死の欲. 原初に、自我が生成した偏呈と同じ過程をたどり、. 動〉へ向かうとき、自我は緩和され、自我の目も緩. 自我の存在と、欲望と、自我の目と、知性が創造さ. 和される。そのとき、〈もの>に見られている眼差. れることになる。この過程が、美術による昇華とし. し[視線コは顕現する。そして、欲動は対象aの一. ての創造である。そして、美術の機能とは、一つめ. つである眼差し[視線コを捉えて動転し、欲望は、. は、人間の決して向かってはならない〈死の欲動>. その原因を失うことになる。これが美による昇華で. を制止することであり、二つめは、自我が生成した. ある。そして、自我は<死の欲動>へ向かうことは. ときの原初の姿の再生と、原初の減退のない人間の. できなくなる。次に、欲望は反転し、〈もの>から. カの再生であり、三つめは、作品という意味の創造. の眼差し[視線]への応答として、<もの>を覆う. である。. イマージュとして、意味として対象を創造すること になる。このとき、「無からの創造の意志、再出発の. 1V.結語. 意志」として、意味を生成し、欲望を生成し、知を.  美術教育は、美術の核心である美(的経験)から. 生成し、私の存在の創造が行われる。これが美によ. 捉えられるべきであるとして、ラカンの精神分析理. る創造である。. 論による美と美術の考察を行った。この美と美術の.  図①     く死の欲か。。山・;{d;㎜・・〕と央t』6・皿1. 機能とは、人間の存在の根源に関わり、人間の生と.                團E垂田. 匿ヨ  墜聾舳. 死に関わっている。また、ラカンによる美と美術の 機能の考察は、r人は美をいつ、どのように理解した.                   @’ut祀    ●・一・                  ・        』藺11.In−1田虫水. のか」、という間いに答えるものであり、美(的経験).        誰さ鵜鎧1 ㍑出一仙ω  〃. めに必要なのか」という問いに答えるものであった。.        確認‘”        7 〃. #’フ岬”」,            ! ‘1山O㎜ {o吐11棚.蜆帖・          .皿Io・■・皿. この美と美術の理論は、美術教育の理論に基礎・基. 貨日              ・血叩1川・1“.        i肥■肋凹工一〕. 盤を与えるものであると考える。.     〃. 一帖’1’瞭副. 一里山。^苫}山一. 肪’、肥功尚硅, 10一●皿イ”’リ』. とは「何であり」、「何のためにあるのか」、「何のた.  現在の日本の美術教育において美と美術の機能は. 吐㎜凹 苗岨 型    剖血。品舳一. 隻     X. 充分に発揮されているとは言い難い。美と美術の機.  快’;        出続. ”hol●,.皿世               昇雌として. 能はいかにして、教育と折り合いを付けられるのだ ろうか。欲望の世界と、要求の世界ξこまたがる美や. 鶉舳X鋤嚇.鮎m.    一口I1町ω叩h岨山 “‘皿倣黎     映推服咄』. 回 匡函田 匝. 図. 美術は、誰かの欲望としての教育の領野を越えてい るのではないか。また、現在の教育の多くの問題点 の一つは、この美や美術と、教育の次元の違いによ って教育が美や美術を内包できないことにあるので はないか。しかし、この矛盾こそが、これからの教.  第三章では、美術の考察を行った。美の機能と同. 育を考えるときの着眼点であるとも考えられる。つ. 様の機能を持つ美術(絵画)の機能は、祝の羨望と、. まり、真の美や美術の機能を内包する教育とは、ど. 祝の欲動に導かれ、タッチという身振りを介して、. のような教育になるのか。また、教育が美や美術の. 自我と自我の目の機能を緩和させる。そのとき、対. 機能を内包できないのならば、教育を、美や美術の. 象aとしての眼差し[視線]は現れ、自我の欲動は. 機能から捉えることはできないだろうか。現在の日. 動転し、自我の欲望は原因を失い、反転する。この. 本の教育を根源から考えるとき、美や美術と、教育. とき、対象は、まず、意味を無効にされた<もの>. の関係を考えていくことが重要な課題になるのでは. となり、その<もの>への応答として、意味として. ないかと考える。. の作品を創造することになる。また、自我の目の視.            主任指導教員 杉尾 宏. 覚においても無くなりはしない眼差し[視線]は、.            指導教員大関達也. どんなものからでもやって来るため、絵は、どんな 対象でも美にすることができる。この美術の行程は、. 一33一.

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参照

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