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紅巾の乱研究の動向と課題

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Academic year: 2021

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(1)研究ノート. 紅巾の乱研究の動向と課題 東郷孝仁 (はじめに).  筆者は元末の紅巾の乱(1351∼66)について,主に西系1)紅珊珊の宗教性と政治性を中心. に考証を進め,そこから元末明初の中国民衆反乱の特質を探り,中国封建社会に於ける歴 史的意義を考えていくことを課題意識としてもっている。.  紅巾の乱について興味を持つようになったきっかけは,高校教科書への素朴な疑問から である。高校世界史の教科書として定評のある山川出版社のr詳説世界史B』(1993年,新学習 気鞭領対応)では,終末の民衆反乱についての記述として:.  「社会不安が高まり,各地に暴動がおこったが,そのなかでも貧しい農民を主体とする   紅巾の乱(白蓮教徒の乱)1351・66が,最も激しかった。」. とあり,従前もアンダーラインのような記述になっていた。これを高校時代初めて学習し たとき,紅巾の乱一白蓮教徒の乱,或いは紅四一白蓮というイメージで理解した。  しかし,清朝鋤鍬帝末期の民衆反乱についての同教科書の記述は:.  「民衆は重税や官僚の圧迫などに苦しみ,各地で反乱をおこした。18世紀末におこつ   た白蓮教徒の乱(1796∼1804)は最大のものであった。」. となっており,ここでは,たとえば白蓮教徒の乱(紅筆の乱)というような記述ではない。. どうして元末の民衆反乱では紅巾の乱(白蓮教徒の乱)といい,乾隆帝末期の民衆反乱で は,単に白蓮教徒の乱というのか。”紅巾”と”白蓮”の関係はどうなっているのか。こ の疑問が,筆者が手巾の乱の研究を始めるきっかけとなった。またその中で特に西旭紅型 の乱に興味を覚えるのは,朱元暦の台頭とそれに続く明朝の成立によって西系紅巾軍の政 権は崩壊していったが,逆にその系統は明朝初期の時代にも民衆反乱を指導し,反主流派 として長くその反権力的性格や革命性を持っており,野末明初の民衆反乱の特質や諸相を 考察する際,一番当時の民衆心理を帯有していたのは西系紅巾軍ではなかったかと思うか らである。.  具体的研究視点としては,①紅巾の乱は一般に「白蓮教徒の乱」として宗教的位置づけ が為されているが,その精神的紐帯を為したのは弥勒佛下生信仰にみられる救世思想(弥 勒教)が,その中核にあると思われる。この観点から主として西系紅巾軍の宗教性を考察 し,その本質に迫ること。また,②紅巾の”賊”とか”盗”としか史料上に表れない紅巾 軍であるが,一般に説明されるより,はるかに強い政権建設意欲や政治的プログラムを持っ ていたのではないかという観点から,西同車巾軍の政治性を考察し,その特質を明らかに していくこと。③従来の研究で論及された紅巾の乱の民族闘争(民族矛盾)的側面と階級 闘争(階級矛盾)的側面について,一方でこの二つの矛盾だけで紅巾の乱をとらえきれる 一35一.

(2) かという問題意識を持ちながら,紅巾の乱全体の展開の中で,二つの側面がどのような軌 跡を描いていったのか。また晶系紅巾軍の反乱の中においては,それらはどのように看取 されるのかについて考察を深めていくことである。以上の三つの視点から前記の課題にア プローチしていきたいと考えている。 (一) 半巾の乱研究の動向.  紅巾の乱と関連する白蓮教などの宗教結社全体に関する研究動向については,既に相田 丁丁や野口二郎氏が述べたものがあるので(相田Nα48,野口Nα65,本稿末に付した論文リス ト参照,以下Nαは本稿末の論文リストのNαを指す。),詳しくはそれを参照してもらいたい。. ここでは元三紅巾の乱の研究についての概括的な動向について述べていきたい。. 1.戦前の研究動向  和田清氏「明の太祖と二二の賊」(論文Nα5)をはじめとして,重松俊章氏「二元時代. の紅二軍と二二の弥勒・白蓮教匪に就いて」(論文M1),同氏「初期の白蓮教會に就い て」(論文Nα3),望月信亨氏r南宋三元の白蓮宗とその飴党の邪説』(論文Nα11)など が,筆者の研究テーマと関連する主な論文である。.  これらの研究で朱元璋(明の太祖)と紅三軍(特に晶系旧記軍=主に韓山童・二言児な ど)との関係や紅巾の乱全体の反乱経緯・紅巾の起源・朱元璋の人物像・白蓮宗の特色な ど紅巾の乱や白蓮教等についての基本的考察がなされ,その後の研究の基礎研究となった。. しかし,元末明初の時代を専門的,多角的に論及した論文は少なく,明代史研究自体,専 門の研究者が非常に少ない状況にあった。. 2.戦後の研究動向  呉日含r二元璋伝』(1949鰯二三囎店)の出現をひとつの契機として,明代史研究は頓に盛iん. になり,質量ともに膨大となった。特に社会経済史の分野が顕著であり,民衆反乱も抗租・. 抗糧闘争の側面を中心に研究が進んだ。元朝から明朝への変革の研究も多くの研究者が扱っ ている2)。筆者が収集した元末の白蓮教や紅巾の乱と明朝の成立等について論及した論文 の時代的割合では,日本の学界(梱噌文は除外)データ総数48件(二二後記した論文リス1から拙)を数量的. にみてみると,戦前:15%,1950年代:13%,1960年代:21%,1970年代:35%, 1980年代:13%,1990年代:4%であった。ただし,このリストは筆者の課題意識に基 づいて作成したもので,遺漏も多くあるが,60年代・70年代に研究が集中しているという 傾向は指摘できると思う。.  内容的に見ると戦後50年代から60年代初期は,中国を中心に紅巾の乱の民族主義的側面 が重視され,その視角から朱元三と明朝の成立を説く論文が多いといえよう。しかし,60 年代後半から紅巾の乱の主要矛盾を階級矛盾とし,階級闘争の側面を強調するようになっ た。文化大革命の進行がこの傾向に拍車をかけたことは否定できない。.  日本でもこの影響をうけて70年代を中心に階級闘争の側面を重視した論考が多く登場し た。3)農民戦争と宗教を扱った論文がブームとなった感もある。.                    一36一.

(3)  しかし,中国では90年代に入っても元末農民戦争を扱った研究が出ているのに対して4) 日本は明・清時代の白蓮教等の宗教結社についての論考は,時々目にするが,5) 元末の 白蓮教や紅巾の乱に関するものはほとんど無く,全体として停滞している感は拭えない。. 3.戦後の研究の成果 ①主として紅巾の乱と元明変革について  朱元町(明の太祖)と彼の集団の特質を中心に東幸便巾軍との関係や彼が他の群雄に勝 利し明朝を建国できた要因を考察したり(清水氏Nα21,山根氏Nα24,三田村氏Nα32,今井氏. Nα37など),外陰璋が農民反乱の一首領から,地主階級や士大夫層などの知識人階級と結. 合して封建的支配体制側に変質したとして,その変質の時期を考察したり,変質過程を分. 析しながら,そこから明朝の政治や社会・経済を論じたものが多い。(山根氏M45,田村 氏Nα49など)また元朝の中国支配における江北と江南の二元支配の問題(愛宕氏Nα41)など. から,特に租税や地主・佃戸関係などを含めた経済的支配のありかたを分析し,それらの 視点から元末の民衆反乱の背景をさぐる論文も出てきた。 (相田氏Nα40,大島氏Nα58など).  一方紅巾の乱に続く明朝初期の政治については,朱圏璋の統治政策との関連から,飛躍 璋自身の研究を初めとして(田村氏Nα12,愛:宕氏Nα17,小林氏Nα82など),明朝初期の武官を. 重視した政策や文官官僚の軽視(宮崎氏Nα39など),錦衣衛を中心とした特務政治や文字の 獄,胡藍の獄などの開国功臣の大量粛正の実態(山根氏Nα24,Nα45,萩原氏Na35など),ま た徒民や開墾・勧農政策や地主対策(清水氏Nα21,山根氏Nα24,Nα45など),中書省の廃止と. 六部の皇帝直属に象徴される君主独裁と中央集権体制の確立(阪倉氏Nα61,檀上氏Nα62な ど)などについての論考が出された。.  これらの研究によって戦前にはあまり言及されていなかった元三の中国社会の諸相や初 期明朝政権の性格などを多角的に分析がなされ,三脚明初という時代の歴史像が浮かび上 がってきた。これは,戦後の元・明代史研究の業績のひとつであると考える。しかし,紅 巾の乱自体の研究については,即興紅巾の乱がその集団の中に,朱元璋が存在していた関 係上,よく論及されているのに比較して6),西堆紅巾の乱は朱元璋集団の分析を中心とし た論調の中で,副次的に論及されているものがほとんどであると思われる。. ②主として兜巾の乱と白蓮教について.  白蓮宗や白蓮教の研究は小笠原宣升平や鈴木中正氏,野口鐡郎氏,相田洋氏,小林一 美氏といった人々を中心に進んだ。小笠原氏のr中国浄土教史の研究』(1963)や鈴木氏の r中国史における革命と宗教』(1974),野口氏のr明代白蓮教史の研究』(1986)は,その. 集大成であり,白蓮宗と白蓮教の問題や民衆反乱と宗教を考察する上での基礎文献である。. 小笠原氏は白蓮宗の教理や普度(盧山東林寺の白蓮宗僧侶)の白蓮宗復興運動を主として r盧山州宗寳鑑』やr盧山復教集』などを基に考察し,その実体を明確にしていったが,白蓮. 宗と西堺紅巾との関係は全く論じられていない。また,鈴木氏は,紅巾の乱における反乱 集団内に宗教派と武力派という二つの勢力があり,両者の同盟ないし提携によって構成さ れていたという興味ある見解を示した。これは,紅巾の乱の性格分析に新しい視点を与え たという感を覚える。一方相田洋氏や小林一美氏らは「農民・民衆が現状変革を唱える                  一37一.

(4) 宗教に係わりもったということから,彼らの革命にむけての意識変革をそこに見出し,い わば中国革命の源流なり基盤なりを探り出そうとした。」(野口Nα65)これらは,民衆の 意識変革を抜きにしては社会変:革を語れないということを示したものであろう。(夫馬Nα. 57)しかし,総じて野口氏が指摘しているように(野口No65),白蓮教の構成要素となった. と考えられる諸宗教の元末以前における活動の具体像の研究や宗教結社の教理,修行法を 正面から取り上げ,系譜をたどり歴史的意義に及ぼうとする論文は史料上の制約もあって か多くはないといえよう。.  とにかく,筆者の研究テーマである「紅巾の乱の宗教性や政治性の問題」を.比較的正面 から取り上げた論文は,重松氏(Nd)・鈴木氏(Nα42)・野口氏(Nα43, Nα79など)・相田氏. (Nα48,Nα71など)らの論考が中心といえる。これらの論考は,西系紅巾の乱について,蜂. 起過程や蜂起集団の性格等について論及しているとはいえ,西平野巾の乱をどのように中 国史上に位置づけていくかという点は明確に述べられているとは言えず,また西系紅巾集 団の政治性や宗教性の特質についても,考察を加える余地がないとはいいきれない。.  そのほかの西系紅巾の乱に関する研究については,中山八郎氏が, 「陳友諒の第1回南 京攻撃」(r鈴木俊繍記念鮮回想』1964年)という論文において,陳友諒と平等璋の至正20年(136. 0年)の攻防経過について述べた論と谷口規矩雄氏が西系紅巾から出た陳友諒と明玉珍の各. 政権の構造について論文をかいている以外は,西系紅巾の乱を主題とした論文は管見の範 囲では,ほとんど無いといってよいのではなかろうか。谷口論文7)では,明野珍の四川支 配の実態や彼の宗教性の不明瞭な点の考察や陳友諒の活動を支えた勢力は如何なるものか。. また朱元璋に敗れた大漢国の限界は何に起因していたのかという問題を中心に論じられて いる。しかし,彼らが建国した大夏時や大鷺国という王朝の実体と彰螢玉や徐壽輝,郷尊 勝らの指導者の描いた理想国家像,或いは西系紅巾の乱に参加した民衆がもっていた弥勒・ 白蓮教の影響を受けた理想国家像との差異を比較検証し,そこから西系紅巾の政治的或い は宗教的な変質過程を探るという課題が残されていると思う。.  ともあれ,このように先行研究を概観してくると,現在,比較的に民衆反乱研究のブー ムが去り,脱イデオロギーといわれる時代に,残された関連史料を素直に読み直し,”民 衆反乱と宗教”の問題を問い直して見ることは,あながち意味の無いものではないと考え ることができよう。. (二) 紅巾の乱研究の課題.  次に,これまでの紅巾の乱に関する先行研究を踏まえた上で,筆者が紅巾の乱研究に対 して抱いている課題について述べてみたい。. 1.東下紅巾軍・西系紅巾軍の集団性格やその特質について  1.紅巾の乱の宗教性について  従来,紅巾の乱の宗教性については,重松氏が韓林児集団(東系)を白蓮教系統とし, 徐平野集団(西系)を弥勒教系統と分類していたが,鈴木氏は「西系の方こそ茅子元の法                    一38一.

(5) 流に属する白蓮教系統である。」という説を主張した。しかし,東系をどういう系統に規定 するかは,はっきり明示していない。また,マ四教の影響はないとする。(鈴木Nα42).  日本では,現在どちらが白蓮教系でどちらが弥勒教系なのかという議論はほとんどなさ れていないと思われる。この背景には,束系・西系という呼称が一般化したことや白蓮教 と弥勒佛下生信仰が習合したとして,弥勒教を白蓮教の中に含めてとらえ,総括的に白蓮 教の乱とみる見る傾向があるのではないかと考える。しかし,rアジア歴史事典』(平羅19 60)の弥勒教の項では,沢田瑞穂氏は「彰螢玉は元末弥勒教の中心人物であり,弥勒・白. 蓮の両教はともに邪教として禁止された。」と記述し,弥勒教と白蓮教を分けて説明して いる。以前は,このように習合を前提としながらも,分けてとらえる見方があった。また, 白蓮教の形成に対して,明教(中国化したマニ教)の影響は重視せず,否定的である。.  これに対して,中国では明教の役割を重視し,斜日含氏r朱元璋伝』三聯書店1965年刊 行本などでは,白蓮教も弥勒教も明教と混合したもの,或いは明教の一派であり,配管の 影響が大きいとする説をとる。また,最近,馬西鹿野は,マ邪教と弥勒教が混合したもの として”香会”という存在を指摘し,野末農民起義は「白蓮教起義」ではなく「香会起義」 とすべきであるという論を述べている。(馬弓沙Nα85)このように紅巾の乱の宗教性につ いての見解は,研究者によって差異がみられる。以下,この点について考えてみたい。.  東系を白蓮教系統とする説の根拠は,r元町』順帝本紀などに「韓山童やその祖先が白 蓮會で以って,焼香して衆を惑わしていた。」という記述によっている。しかし,「韓山 童らが弥勒佛下生信仰を宣伝した。」(r元肥』,r庚申外史』等)という記述をどう考える. か。これ以外は,以後の平等軍の反乱が展開する過程で”白蓮”の文字は一切史料上出で 来ない。この点を如何に考えるべきかという問題点がある。  西系を弥勒教系統とする説の根拠は元末明初の人,葉子奇のr草木子』(巻3韓篇)などの 「彰和尚が人に勧めて,弥勒佛を念じさせていた。」という記述によっている。しかし,. 鈴木氏がいうように集団の特性として白蓮宗の道号をつけた思われる人物が多いことや反 乱後,”蓮台省”というものを設置しているが8)これは,白蓮教の西方極楽浄土蓮台から. 来ているという説がある。9)この点をどう考えるか。また鈴木中正氏はr中国史における 革命と宗教』 (鈴木Nα42)において,西系紅巾の弔問玉や団子輝の集団には,名前に”普. ”の字をつけた者が多いとして,このような慣行は,白蓮宗の開祖茅子元が仏教教理を総 括するものとして説いた”普”・”罷 ”・”妙”・”道”の四文字にあると推測される とし,特に男性信者は”普”,女性信者は”妙”の字を冠する慣行が見られると説明し,. 西系紅顔の系統こそが茅子元の白蓮教系統であると主張した。しかし史料上”白蓮”とい う文字がこの集団には全くでて来ない。また相田洋氏によれば”普”という文字の道号 は白蓮宗の専売特許ではなく,仏教関係者によく使われる名前であるといわれる。lo)(相 田Nα71)この点をどう考えるべきか。そして先述のr草木子』などの弥勒佛を念じていた という記述をどう考えるかが問題である。.  東洋西系の宗教性を問うよりも白蓮教と弥勒教の習合に力点をおく説の根拠は,元朝の. 中頃,白蓮宗の復興運動を展開した人物に普度(盧山東林寺)がいるが,その著r蓮四宝                  一39一.

(6) 鑑』(1部10巻1305大徳9年)の中で,法門の一大事として弥勒下生を唱える者やいろいろな邪. 説を唱える者がいると指摘している記述によっている。しかし,普度の復興運動を記した r盧山直向集』 (果満著2巻1312皇極元年)では,民間で行われている白蓮宗の名を借 りた邪説として,10の例をあげているが,それには弥勒下生信仰のことは上がっていない。. 白蓮教と弥勒佛下生信仰が習合していくとしても,元末の段階で弥勒佛とあったらすべて 白蓮教だという解釈がされる傾向には,首肯できないものを感じる。.  またこの他にあまり深く論及されていないこととして,紅皇軍が”香軍と呼ばれてい ることがあげられる。元末明初の江西省吉安縣の人権衡のr庚申外史』巻上には,”頴川 頴上紅軍”所謂鉛室通や杜遵道らの東面紅巾軍の蜂起に関して                                           くう      .   (至正11年5月)頴川奏上紅軍起,號爲紅軍。蓋以焼香禮弥勒佛,得此名也。.  とあり,この記述の弥勒佛を禮するという点を重視するなら,東系紅巾軍は弥勒教系統 とみることも可能と考える。これだけでは史料的に不充分であるが弥勒佛と焼香という側 面から,紅巾軍の宗教性にアプローチできないかと考えている。このように紅巾の乱の宗 教性には諸説があり,その性格分析にはもう少し再吟味してみる必要があるのではないだ ろうか。.  2紅将軍集団の内部構成について  従来の研究では基本的には,貧窮農民・下層民衆(反乱軍)対元朝高官・漢人士大夫層・ 地主階級(政府軍)という対決の図式が想定されている。しかし富農・土豪・下級中級役 人といった知識人階級は反乱軍にも参加しており,任侠無頼的人物も反乱軍に参加してい る。ほ)したがって,従来の研究の基本的図式を押さえるとともに,その図式上にない者 の存在を看取して,そこから下翼の乱の特性を考察することも必要ではないかと考える。.  特に任侠無頼的人物と秘密宗教指導者が集団内でどのような位置関係にあったのか。こ の点の解明が,紅巾軍の性格分析に大きなウエートを占めると考えられる。.  3紅巾軍の政治性について  「アジア歴史事典』の紅巾の乱の項目では,佐伯有一氏の記述により,紅神里は「明確 な政治的プログラムや政権構想を付帯せず,流賊的性格が濃厚で掠奪破壊の側面が強い。」. と説明されている。筆者は,この点に関して東系・西系で質的差異があるとしても,紅巾 軍には理想とする国家の建設意欲はかなりあったのではないかと思っている。それは,徐 壽輝の天完国,重留諒の大露国,紅玉珍の大極国(以上西系紅巾),韓衰年の大朝国(東 系紅巾)など,国号を称していること,特に明玉珍の大夏国は,『明氏実録』などをみる と,周礼に則って六卿をおくなど政治組織が作られていることや銅印・貨幣を鋳造してい ることなどからである。これら紅巾軍の鋳造した国印や貨幣に関する研究は,日本では管 見の範囲内では見当たらない。紅巾軍政権が鋳造した銅印・貨幣は民衆反乱を起こした勢 力が鋳造したものとしては中国史上初めてのものとされている。12)中国では,この角度 から反乱の政治性に迫ろうとする論考もでている。13)また紅巾軍政権は韓林児が杜町道・. 感文郁を丞相,羅文素・劉福通を副章,劉六を知枢密院事に任命したり(r元史』順絵本 一40一.

(7) 紀),二二輝が明二二を朧蜀行省右記に任命したり(r明太祖実録』巻16)するなど,そ の果たした機能については今後の考証を待たねばならないが,官職の付与や行二等の設置 を行い,官僚機構を整備していこうという意図はあったのではないだろうか。.  以上のような観点から紅二軍の内部構成や政治性についても,考察する課題が残されて いると考える。. II.”紅巾”の歴史と特質について.  紅巾の乱の研究には,”三二”そのものの歴史や伝統についても考えておかなければな らない。.  1”紅巾”の出現とその背景について  重松俊章氏によって”紅巾”の起源は南北二交替期(12世紀前半)であるとされている。 (重松Nα1)また,五行思想・五帝徳との関連や,宋朝の火徳を奉じ,征服王朝に対するレ ジスタンスとしての色彩も強いとされる。(相田Nα70).  筆者は,遼・金・元という征服王朝の出現により,江北では224年の異民族支配が行わ れ,特に三雲玉6州は約430年の異民族支配をうけたが,このことは江北の中国社会に大き. な影響をあたえたと考え,これに対して,江南は72年の異民族支配にとどまり,この支配 期間の差異が,二二の乱の政治社会的背景を考慮する上で重要であると考えている。.  また陳舜臣はr中国の歴史』10 一復興と明暗∼ 平凡社1982の中で,韓山童・二二 児・劉二三らの二二二二二二勢力が河南に起こり,北へ進撃していき,江南にいって地盤 を固めることをしなかったことを,参謀不足による戦略上の誤りとして指摘しているが,. そのように規定できるものであろうか。この行動の背景には異民族支配に対する強い民族 主義的側面が看取されるのではないだろうか。.  2”紅巾”の赤い色14)のもつ意味や歴史的意義について  復宋思想だけが二二をつける主要な理由なのだろうか。小笠原氏はr中国近世浄土教史 の研究』1963の中で,「弥勒佛の所持する紅蓮華から二二を印としたかと思われる。」と述べ ている。.  二二の反乱の時,元軍は二軍(元朝は木二色は青とされる)と呼ばれたり,また地主 層は義兵軍団を募集したが,それを乱軍と呼んだりした。15).  狩野直喜氏「五行の排列と五帝徳に就いて」続篇r護二二i絵』1947弘文堂出版による と,宋朝までは,王朝と色の問題が五行思想と五帝徳との関連でいわれるが,元以後はほ とんど関心がなされなくなったとする。「宋の火回からフッと止まってしまって,それか らどうなったかは分かりません。」といわれている。しかし,中国社会に伝統的な天命思 想や王朝と色のことが,元三明初の時代に,再び浮かび上がってきたことを,どのように 歴史的に解釈したらいいのか。或いはこのような状況が何故ひきおこされたのか。また,. 明・清時代になるとあまり論議されなくなっていくのは,そういう伝統的な天命思想や王 朝と色のことが,禅譲観念の喪失や科学的合理主義の発達と思想学問の大衆化の中で希薄 になったと理解していいのか。或いは明王朝は乙丸で,色は赤であるとされるが16),そ. れを強調すれば”紅巾”を強調することにつながり,民衆反乱のシンボル的,反権力的色                   一41一.

(8) 彩に転化した”紅巾野を強調し,民衆反乱を刺激するものとして,”紅巾”を忌み嫌い,. 意図的にさけたとは考えられないか。これらは,汐紅巾”の持つ史的意義の変質と関連し て考えていかなければならない課題といえる。 皿”. 著@教”と”白蓮宗”関係について.  「二二の弥勒・白蓮教匪が旧記を以ってその標号としたために,下肥軍を以って元末大 二期の諸教匪の別名とする一般傾向があるが,それは以っての外の誤謬といわねばならぬ。 」とかつて重松氏が指摘し(重松嵐1),野口氏や相田氏らも紅巾二白蓮とするのでなく, 紅巾と白蓮教は,はっきり区別すべきであると主張しているにもかかわらず(野口Nα43, 相田Nd 71),紅二一白蓮という内容の教科書記述が現在まで続いていることには問題はな いのだろうか。以下,これまでの研究で明らかにされてきた白蓮宗と弥勒教の特色につい て簡単にまとめてみたい。. 1白蓮宗の特色  白蓮宗は南宋初期,漸江地方で茅子元によってはじめられた。阿弥陀信仰,念仏修行を 中心に,天台宗や禅の影響をうけたもので,三帰(法・仏・僧)と五戒(殺さず,盗まず,. 淫せず,妄言せず,飲酒せず)を定めた。三遠(東晋,5世紀,阿弥陀念仏の祖)の白蓮 社を慕い,難解な仏教の教理を図や歌にして庶民にわかりやすく説き,男女差別なく信仰 を許し,二二四散ということが行われたために既成仏教側から異端視される傾向があった。 その信仰はもともと阿弥陀信仰であって,弥勒佛下生信仰は見られない。.  中国の歴史上,阿弥陀信仰をとなえた宗教反乱はほとんど無く,基本的には救世思想で はないといえる。また従来”焼香”とあれば白蓮教としてきた傾向があるが(谷口Nα68),. ”焼香”ということが,茅子元の白蓮宗のなかで強調されているような史料を筆者はまだ 発見していない。この点をもう少し問い直して見たいと思っている。. 2弥勒教の特色  弥勒教は,本格的には階時代にはじまり,唐・五代・二二時代が全盛であった。弥勒二 上生信仰,下生信仰の二種類があり,後下生信仰が中心となった。中国における弥勒佛信 仰は五胡十六国時代の道安(312一一385)にはじまるとされるが,彼は中国仏教界の祖という. べき人物であり,前記の慧遠は,弟子の一人である。その三階時代をはじめとして,唐・ 五代・二二時代に救世思想的側面が強くなり,民衆反乱の中に強い影響力を及ぼすように. なった。r乱書』巻4場帝紀やr三二元亀』巻921妖妄, r唐大詔令』巻113開元3年11 月17日の詔令などに弥勒教徒の叛乱や取り締まりについての記述が残されている。また, 則天武后め武周革命は,弥勒佛下生信伽を利用したものとされる。その他,中国にマニ教 が伝来したのもこの頃というのが定説となっている。L7).  以上白蓮宗や弥勒教について極めて簡単に述べたが,白蓮宗と白蓮教は同質のものなの か。或いは異質のものなのか。阿弥陀信仰を唱える白蓮宗と弥勒佛下生信仰を主とする弥 勒教の関係などについて,もう少し考えてみたい。. 一42一.

(9) (おわりに).  以上,元末紅巾の乱について研究動向と課題を中心に述べてきた。筆者の学習不足のた め,誤った理解等があったかと思う。諸先生方の御指導や御助言を仰ぎたい。. 西系紅巾軍を中心に紅巾の乱の政治性や宗教性に迫りたいとするこのテーマをどれだけ 深められるかわからないが,宗教指導者は何を目指して反乱を起こし,彼らを取り巻く武 装集団のリーダーは何を考え,反乱に参加していった民衆は何を期待していたのか。また, これら三者は紅巾の乱の展開の中でどのように変質していったのかなどに着目しながら, 今まで述べてきた紅巾の乱研究の課題解明に努めたいと思う。. 註)1下冷・西系という呼称は谷口規矩雄氏r鱗粉璋』 (人物往来社1966年)によって    使用されはじめたと野口野郎氏や相田洋氏は述べており,(野口Nα44,相田Ml),    現在学界において一年化されている。但し,東駅・西系という呼称は呉日含氏がr朱    元亨伝』 (呉予言Nα31)の中で既に使用している。また,山根幸夫氏は北系・南系と.    呼んでいる。 (山根Nα45)これらは,主に紅巾軍の活動地域に重点をおいた分類方.    法と考える。しかし,この呼称が一般化したことは,結果的に紅巾の乱のもつ宗教    性の考証を希薄にさせ,問題の本質をあいまいにしたように思える。また中国では,    東系・西下という呼称は肩口含の使用例はあるが,日本ほど定着しているとは思えな    い。一方,戦前,重松俊章氏は白蓮教器材巾軍,弥勒上国紅国軍と分類していた。.    (重松Nql)これは,両者の宗教性を基点とした分類と考える。『   2 愛宕松男,清水泰次,荻原淳平,山根幸夫,.田村実造,宮崎市定,三田村泰助,     今井春夫,相田 洋,細野浩二等の各氏 論文リスト参照).   3 しかし,元末の変革が民族革命ではなく階級闘争の一現象に過ぎないという指摘     は,重松俊章氏が,1944年の段階で既に述べていた。(重松Nol参照).     また中国の蒙思明も同じことを戦前の段階で述べている。引戸r元代社会階級制    度』1967年 竜門書店覆刻版。山根No44参照)   4 「元末劉福通等起義経過与最初起義之地考實」 魏嵩山 『中国史研究』1994年     第瑚,「白蓮教辮証」 馬西沙  r中国古代史(2)』1994第1期など.   5 「清朝と民間宗教一嘉慶帝と邪教説を中心として一」 小田則子 r東方学』.     88輯 1994など   6 「至正11年に於ける紅巾の起事と早筆の河工」 中山八郎  r和田博士古稀記     念東洋史論叢』 1961,     「野末のいわゆる東系紅巾響町勢力について一郭子興と芝麻隅一」 野口鐡郎.     r横浜国大人文紀要第20輯(哲学社会科学第1類)』 1974など   7 「明玉珍の大夏国について」 1978(論文リスト54参照)・「陳友諒の大漢国に. 一43一.

(10) ついて」 1980(論文リスト67参照). 8. r草木子』巻三克勤篇,r罪惟録』伝36巻,巻6衡運諸国列伝天完徐壽輝, r明. 書』巻89起兵諸国記1天完徐壽輝に”蓮台”又は”蓮台省”の記述がある。 9. 呉日含r朱元璋伝』(三聯書店1965年刊本),邸樹森「元末紅巾軍的政権建設」. (r元史論叢』第1号1982),張翼之「徐壽輝与天完紅巾軍」r華中師院学報』19  81年2号) 10. 相田洋氏「紅巾考一中国に於ける民間武装集団の伝統一」 「東洋史研究』38巻4号1980。しかし,相田氏は,鈴木説を否定してはいるが, それでは韓山童・韓林児集団には,ほとんど名前に”普”の字をつけた者がなく,. 徐壽輝集団に”普”の字をつけた者が多いという史料上の事実を,どのように考 えるかという点については言及していない。 11. 主に西系紅巾軍に参加した人物をあげると,徐壽輝(綿布売り),郷普勝(鉄 工),侃文俊(漁業),趙普勝(水冠),孫本立(無頼),蟹克明(無頼), 李明道(富農),干光(士大夫知識人),熊天瑞(樂工)などがいる。. 12. 史樹青  「元末徐壽輝農民政権的二丁」 r文物』 1972年第6期. 13. 史樹青同論文や三二森「元末農民政権几方銅印的初歩研究」 r文物』 1975年  第9期など. 14. 白川静「天地玄黄一古代中国人の色相観一」 rlS』繍集「色」ポーラ文鰯筋1982 菊地秀明 「反乱と色」 r老醗の二一中国民衆ノ十』5号中門衆史概会1987. などに中国民衆と赤い色との関連についての論考がなされており,これらは紅巾 の歴史を考える上でも参考になると思う。しかし,その内容については紹介する 時間的余裕がないので,本稿では省略する。 15. 拠:r明史紀事本末』や呉日言r朱丁丁伝』などの記述。. 16. 拠:r明史紀事本末』. 17. 拠:『仏祖統紀』巻39. 一44一.

(11) 付[収集論文リスト]   筆者の研究テーマに関係する文献リストであり 番号  .   論文名   .                 筆者. 遺漏があることをお断りしておく。 掲載誌名          巻号        発行年. [戦前].  1. 宋朝時代の紅巾軍と元末の弥勒白蓮教匪について. 輔俊章.   史淵    24。26●28●32. 1940∼1944.  2. 中国の繁用一揆とその系統. 報俊章.   史学雑誌  42巻8号. 1931.  3. 初期の白蓮教会に就いて一附元律中の白蓮教會一. 重松騨. 市村博士古稀記念東洋史論叢. 1933.  4. 閲蓮教の乱に就いて. 矯仁一. 内藤博士還暦祝賀支那学論叢. 1926.  5. 明の太祖と鉄脚の賊. 梱清. 東洋学報13巻2号. 1924.  6. 出田時代の弥勒教匪一驚更生佛教匪一. 重松俊章. 史要3号. 1931.  7. 回宋時代の末尼教と魔教問題. 重搬章. 史淵12号. 1936.  8. 宋元時代の白雲宗門. 重松俊章. 自運2号. 1930..  9. 明の困号に就いて. 細単. 史学雑誌42編5号. 1931. 10. 羊歯明初の皐雄張士誠に就いて. 軸榔. 立正野13号. 1941. 11. 南宋子元の白蓮宗と其徐窯の邪説. 朝信亨. 浄土学14号. 1939. 12 明の時代性について一太祖の統治方針を中心とする一. 田村量子. 史林30巻2号. 1945. 13. 五行の排列と五帝徳に就いて一正・続●補遺四則一. 矯蒔. r読書纂鯨』弘文堂1947. 1947. 14. 元代無暗の白蓮宗復興運動. 小笠原厚葉. 仏教史学1巻4号. 1950. 15. 元代白蓮教団の消息. 小笠原宣秀. 竜谷大学論集344号. 1952. 16. 元代白雲宗教団の活躍. 山州貫弍. 仏教史学3巻1号. 1952. 17. 朱呉国と張呉国一初期明王朝の性格に関する一考察一. 愛宕松男. 文化17巻6号. 1953. 18. 型太祖の対権豪策一特に張呉の戦犯及び蘇州の豪農につい. 清藤次. 史観38号. 1952. 19. 末尼教とGnostiquesの二元宗について. 鰍俊章.. 桝山商大創立30周年論文集. 1953. 20. 出切の泉州と回教徒. 前出次. 「史学』第27巻1号. 1953. 21. 本末の戦乱と太祖の王業. 清水解. 早稲田大学大学院文化研究科紀要2号. 1956. 酬忠夫. 福井康順博士頚寿記念東洋思想諭集. 王960. 1961. [1945年から1950年代まで]. [1960年置]. 22. 明の太祖の三教思想とその影響. 23. 至正十一年に於ける紅巾の起事と質魯の河工. 軸ノ榔. 和田博土古稀記念東洋史論叢. 24. 明帝国の形成とその発展. 山根幸夫. 『世界の歴史』11ゆらぐ中華帝国 筑摩書房. 1961. 25. 元鞭緻. 愛宕松男. 歴史鮪9−7. 1961. 26. 中国宗教史研究の発展. 酒井蜘. 歴史鞘9−9. 1961. 27. 棚の宗徽策. 大鉦哉. 歴史鞘9−7. 1961. 28. r中国近世浄土教史の研究』. 小顕宣秀. 百鞘. 1963. 29. 明清時代の白蓮教. 蜘三. 歴史教育12巻9号. 1964. 30. 陳友諒の第一回南京攻撃. 軸/榔. 鈴木俊教授還暦記念東洋史論二. 1964. 一45一.

(12) 31. r二元聴』. 呉牛含. 32. 朱門と紅輝. 三田糠助. 三轄店         ‘ 1965 田村博士頬寿記念東洋史論集 1968. 33. 明代宗教結社の経済活動一.牲格究明の一環として一. 野嚇郎. 横浜国大人文紀要第一類哲学社会科学  第14号. 1966. 34. 二元時代の浄土教. 小笠町秀. 歴史教育14巻8号. 1966. 35. .明朝の政治体制. 萩原淳平. 京都大学文学部研究紀要11号. 1967. 36. 自蓮教社の変容をめぐって. 野口二. 山崎先生退官記念東洋史学論集. 1967. 37. .二元璋集団と張士誠集団について. 二二夫.. 中国農民戦争二二究1号.. 1968. 38. 明清時代の宗教結社と三教. 野職郎. 歴史教育17巻3号. 1969. 39. 二二から永楽へ一初期明朝政権の性格一. 二黒定. .東洋史研究27巻4号. 1969. [1970年代]. 40. 「元末の反乱」とその背景. 棚洋. 歴史学研究36ユ号. 1970. 41. 元の中国支配と漢民族社会. 愛二階. 岩波講座世界歴史9東アジア世界の展開1. 1970. 42. r中国史における革命と宗教』. 鈴紳正. 鯨大軸版会. 1974. 43. .初期二元璋集団の性格. .野口鐡郎. 横浜国大人文紀要第一口論学社会科学. 第18号. 1972. 第20号. 1974. 44. 元末のいわゆる一系自由軍国勢力について一郭子興と芝麻李一. 二郷. 横浜国大人文紀要第一類哲学社会科学. 45. 「元末の反乱」と明朝支配の確立. 蝦幸夫. 岩波講座世界歴史12巻中世6. 1971. 46. 明代.における郷村支配. 観尚弘. 岩波講座世界歴史12巻中世6.. 1971. 47. 獄の一二乱. 谷口総1. 岩波講座世界歴史12巻中世6. 1971. 48. 白蓮教の成立とその展開一中国民衆の変革思想の形成一. 細附. r中国民衆反乱の世界』汲古書院. 1.974. 49. 元末の反乱とその同格. 田機二. r中国征服王朝の研究』(中). 1971. 50. 金二一襖軍について. 二立子. 二丁磯1号. 1974. 51. 二代における殺人祭鬼の習俗について. 宮師定. 中国学誌第7.本民俗. 1973. 52. 二二二二について. 笠二二. 青由博士古稀記念宋代史論叢. 1974. 5.3. 門門農民政権几方鋼印的初歩研究. 囎森. 文物1975第9期. 197.5. 54. 元二丁壽輝農民政権的二二.. 史鯖. 文物1972第6期. 1972. 55. .明玉珍の大工国について. 谷口規鱗. 内田吟風博士頸寿記念東洋史論集. 1978. 56. 元末の群雄とベトナムー旧友諒の朱元璋に関する大越史記全書の記事. 一細騰. 史学49巻鍔. 19.7.8. 57. 明代白蓮教の一考察一経済闘争との関連と新しい共同.体一. 白馬進. 東洋史研究.35巻1号. 1976. 58. 元末農毘叛乱の背景一江北地方の場合一1. 鳩立子. 中山八郎教授三寿記念明清史論叢. 1977. 59. 陳友諒の藁蕎について. 谷哺鱗.. 中山八郎教授類二二念鴫清史論叢. 1977. 60. 李全諭一南宋●金●モンゴル交戦期における民衆叛乱指導者の軌跡一池内 功. 社会文化史学14号. 197.7. 61. 鞠二二の麩       阪倉篤秀. 東洋史研究36巻1号.. .19.77. 62. 明王朝成立期の軌跡一洪武朝の疑獄事件と京師問題をめぐって一  檀上 寛. 東洋史研究37巻3号. 19.78... 63. 白蓮の教と術                        野口鐵郎. 吉翻博士還暦記念道教研究論集. 1977. 64. 明初の宗教結社と支配体制                   野口門門. 歴史人類1号. 1976. 65. 中国宗教結社史序章一とくに白蓮教史を中心とした研究史的動向一 野口町郎. 近代中国第4巻. 1977. 66. 鐸天完              .   ..         田田. 歴史研究1978第1期. 1978. 一46一.

(13) [1980年代] 栗原贋信博士追悼記念中国前近代史研究. 1980. 谷口規鰻. 東洋史研究39巻1号. 1980. 小林嘆. 中島敏先生古稀記念論集(上巻). 1980. 白蓮教運動理解への試論一千年王国諭に触発されて一. 蜘郷. 中島敏先生古稀記念論集(.上巻). 1980. 71. 紅巾考一中国に於ける民間武装集団の伝統一. 柵洋. 東洋史研究38巻4号. 1980. 72. 韓山童,劉福通首義頴州考. 囎森. 歴史研究1980第6期. 1980. 73. 徐寿講天麹輝. 張翼之. 華中師院学報1981−2. 1981. 74. 元末紅巾軍的政権建設. 騰1森. 元史論麟1号. 1982. 75. 天完大漢紅巾軍史速諭. 楊訥. 元史論叢第1号. 1982. 76. 試論朱元璋在番β陽湖大戦中獲勝的原因. 朱清澤・劉伯酒 元史及北方民族史研究集刊第9期. 1985. 77. 天地玄黄一古代中国人の色相観一. 白鱒.  rIS』総特集「色」 ポーラ文化研究所. 1982. 78. 論白蓮教与元末紅巾軍起義的関係. 趙饒・許道. 中国農民戦争史研究集刊第3集. 1983. 79. 元代宗教結社の諸相一白蓮教の形成にかかわる臆諭一. 蜘郷. r中国史におけ.る乱の構図』筑披大学  雄山閣出版. 1986. 80. 反乱絶. 菊地翻. 老百姓の世界一中国民衆ノートー 5号. 1987. 81. 明の太祖臥龍璋とムスリム社会. 細脈. 重美女子大史学論集 第4巻. 19・89. 67. 元。明交替の諭理構造一南京京師体制の創出とその態様をめぐって一細野浩. 68. 陳友諒の大漢国について. 69. .嘉慶白蓮教反乱の.. 70. オ格. [1990年代]. 82. 朱筆璋の恐怖政治一中華帝国の政治構成に寄せて一       小林一美. 中根教授退休記念明代史論叢  汲古書院. 1990. 83. 白蓮教研究の方蟄について一野口鐡郎著『明代白蓮教史の研究』を読む一相田 洋. 山根教授肩休記念明代史論叢  擬古書院. 1990. 84. 元末劉福通等起義経過与最初起義之地考實            魏嵩山. 中国史研究(季刊) 第1期. 1994. 85. 白蓮教辮証                         馬西沙. 中国古代史(2)(宋遼金元明清)1994第1期. 1994. 86. 清朝と民間宗教一嘉慶帝と「邪教説」を中心として一      小田則子. 東方学88輯. 1994. 87. ガンダーラの喩伽師と弥勒信仰               小谷仲男. 富山大学人文学部紀要 20号. 1994. 一47一.

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参照

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