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プレイセラピーからみた子どものこころの世界 ―初回面接を中心に―

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―初回面接を中心に―

中 嶋 みどり

要   約 本稿は、プレイセラピー(play therapy;遊戯療法)の概要と子どもの心理臨床の特殊性を踏 まえ、初めて心理的問題を主訴に相談室に来る子どもの心の動きや配慮に焦点を当て、考察し た。子どもを迎えるにあたってのおもちゃの準備、子どもとどのような初対面を向かえ、対応 するかについて、特に初心者が陥りやすい事態を実践的な観点から取りあげた。プレイセラピー の初期におけるプレイセラピストの姿勢の原則は、拙速に大人のペースで事を進めないこと、 子どもが積極的に相談に来ているわけでないという特殊性や親に連れられての受動性に影響を 受けた心境をまず先に考え、子どものペースに配慮をすることが優先である。プレイセラピー の場が安心して、自分らしく過ごせる場であるためには、プレイセラピストやその場を、<大 丈夫だよ>という言葉でなく、経験に基づき、その感覚を子どもがつかめるように関わること から始まるといえる。また、心理臨床家は、自身の言動について、説明責任が問われることが あり、言動には常に意図をもつことを訓練される。意味ある出来事や経験の意味を問い、安易 に理解したつもりにならず、本質を見極める、反省的実践家であることが求められる。特に、 原則を外す必要もあるが、その場合は、その意図や根拠が適切であるという判断のもとに臨ま ないと、来談する保護者や子どもに振り回される結果となり、不安定な面接関係につながる。 序論 本稿は、心理的問題をもつ子どもに対して心理臨床の方法であるプレイセラピー(play therapy;遊戯療法)の概要にふれ、子どもの心理臨床の特殊性を踏まえた上で、初めて心 理的問題を主訴に相談室に来る初回面接にみられる子どもの心の動きや配慮に焦点を当て た体験を、考察することである。初回面接は、どの事例でも通る面接回であり、子どもの 心の動きをどのように理解し、対応するかによって、展開していく経過となるか、中断事 例となるかも異なる。このことから、特に初心者が陥りやすい事態を取りあげ、押さえて おくと良い考え方を検討し、覚書として残すことを目的とした。 なお、本稿における面接の発言については、心理療法の表記の仕方に基づき、面接者(親 面接者、プレイセラピスト)の発言については<>、来談した保護者や子どもの発言は 「」で表記し、発言者を区別する。さらに、本稿に限って、文献の引用部分については、『』 を用いて、前者とも区別する。また、プレイセラピーと遊戯療法、プレイルームと遊戯室 等、類似した意味をもつ用語が混在するが、学術的な指針に従い、文献引用の場合、文献 で述べられている用語のままにし、本稿全体での表現を統一しない。本稿では、この領域

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で実践的に用いる言葉として一般的な表現を優先し、プレイセラピー、プレイルームとい う用語で表記することにした。面接者とプレイセラピスト、親面接者という表現も混在す るが、面接者という用語の場合、保護者面接も担当する面接者(面接者は、専門用語では、 セラピストを意味する)、プレイセラピストの双方など、一般的に心理療法を行う立場の 者を総称する時に用いることとした。 1.プレイセラピーとは (1)プレイセラピーの定義 プレイセラピーは、アンナ・フロイトやメラニークラインが精神分析の技法を子どもに 適用することで、子どもの遊びや子どもの話を解釈する試みがなされ、言葉による解釈で なく、遊びが言語であるととらえ、子どもの心を理解することを目指して活発な論争が展 開された。このことが初期のプレイセラピーの歴史的発展に寄与した。山中(1995)は、 砂箱に多様なミニチュアを置いて作品を作ったり、ストーリー作ることで、心を表現する 「箱庭療法の観点から見た遊戯療法」について触れ、『熟達の精神分析家の小倉清氏が述べ るごとく、「遊戯は言語化への補助手段である」(一九六六)、とばかりも必ずしも言えず、「遊 戯はそれ自体で治療的なのである」(山中、一九七一、一九八一 a)とするのである。無論、 村瀬嘉代子が説くように、「いずれの方法でも最後は言語に至る」(一九八○)のは事実で あって、言語の位置づけの違いに過ぎないといえるかもしれないが、筆者は、やはり「遊戯」 そのものを無視して、必ずしもそれを言語化させることに留意する必要はないと考えてい る。つまり、「言語は心の素地が整えば、おのずからやってくるものだと考えるからである」』 と述べている(p. 264 ~ p265)。子どもは自分が感じ、考えている事、希望、願望、多様 なイメージや世界観などを、遊びを通して表現するものである。プレイセラピーとは、言 葉で悩みや困りごと、心理的問題を語る言語面接が困難である子どもに、遊びを用いて自 己表現を促し、行われるものである。すなわち、プレイセラピーを行う面接者であるプレ イセラピストは、安全な環境を整え、選ばれた適切なおもちゃを使って、子どもが自分の 気持ちや考えや行動を表現したり探索したりするものである。遊びは、子どもにとっては、 日常的に行う自然な活動であり、子どもの遊びには、言葉で何かを訴える以上に重要な意 義や効用があることは、多くの文献で指摘されている(例.伊藤、2017)。 プレイセラピーの定義について、高野(1972)は、『遊戯療法(play therapy)とは、子 どもの心理療法(psychotherapy)の一形態である。すなわち子どもの心理的・行動的障害 の治療に利用する方法と定義できよう』(p. 54)と述べており、遊びが利用される理由と して、子どもの遊び自体が治療的機能を有していること、治療者と子どもとの間に望まし い治療的人間関係を構成するための有力な手段になりえる点を指摘している。安島(2000) は、遊戯療法の定義について、『<遊戯療法>とは、クライエント(=来談者、この場合、 子ども)が本来の自分を生きる過程を歩む際、遊びを媒体に自己表現が為される方法であ る。<遊ぶ>行為において起きる状態がセラピスト(面接者)とクライエント(子ども) の二人(集団)の関係において、どちら(集団のどの人)にも表現することを目指し、遊 びを治療的に生かすことができる心理療法を言う』(p. 4)としている。プレイセラピーに

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おいては、遊ぶ状態がプレイセラピストにも、子どもにも、セラピー(心理療法)として の意味があり、その相互性が、子どもに変容を示す鍵となることを指摘している。また、 村瀬(2010)は、『プレイセラピーとは、言葉によって、十分に自分の気持ちや考えを表 現するに至らないクライエントを対象に、遊ぶことや遊戯を通して行われる心理療法であ り、遊ぶことを通して、クライエント人格の成長と変容を目指す想像的な活動である』(序 文 iii)と述べており、これまでの定義をまとめた説明がなされている。 (2)プレイセラピーの適用 子どもの心理臨床事例での主訴は、多岐にわたり、年齢によってもかなり異なる。幼児 期においては、知的障害や発達障害の疑いやそれらの障害によって二次的に起こる問題が 近年多いが、基本的には不適応、登園渋り、緘黙、チックをはじめとする心身症等の心因 性の問題に適用されてきた。学童期になると、発達障害、不登校、いじめや対人関係のト ラブル、勉強についていけない、不安障害等が増えてくる。乳幼児期には、定型発達かが 一つの気がかりになるポイントであり、学童期には集団生活に適応できるかが問題のポイ ントになりやすく、中学生以降は対人関係の問題が主訴につながりやすい。 プレイセラピーの適用年齢は、3 歳前後から 12 歳前後(いわゆる小学生まで)が一般 的である。しかし、発達障害、知的障害、言語表現に障害がある場合や遊びの方が豊かな イメージを表現できる子どもの場合などは、青年期以降でも有効である。一方、12 歳に 満たなくても、言語主体の面接で適切なやりとりや十分であろうと思われる自己表現が行 われるのであれば、言語面接を適用する場合もある。その場合でもプレイセラピストは、 安全な環境を整え、選ばれた適切なおもちゃを使いながら、子どもが自分の気持ちや考え、 表現をひきだす技量が問われる。 (3)面接構造 心理療法における面接構造とは、時間、場所、料金、面接頻度を主に示す。心理面接の 設定は、基本的に週に一回の頻度(理論的立場や状態等によって異なる)、1 回の面接は 基本的に 50 分で行われ、毎週同じ時刻に、同じ場で行うことが原則である。保護者は保 護者の面接者、子どもには子どもの面接者であるプレイセラピストが担当し、いずれも同 じ面接者が継続して行うものである。何故 50 分かの科学的根拠を説明するのは困難であ るが、長い歴史の中から経験的に、毎回の面接で真剣に他人の話を集中して聴けるのは、 このくらいの時間であることから、そう設定されている。例えば、ある回は山場だったの で、非常に真剣に聴くが、別の回は落ち着いていたり、散漫な面接回だった場合、適度に 流しながら話を聴いたり、早く終わらせるといった態度であってはいけない。そういった 点で、いつも来談者の話を安定して 50 分間、真剣に聴ける、遊びに安定して対応できる ことが大切である。また、主役である来談者側が 50 分間をどう捉えるかであるが、心理 的問題を何とかしたいという切実な来談者やプレイルームで遊ぶことが魅力的である子ど もにとっては短い時間かと思われるが、緊張が強い状態や表現しにくい状態、心身に不調 が強い場合、面接の経過の中で、つらい側面に直面している時などは、長く感じられるも

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のである。前者でも、後者でも、面接はある程度の疲れも伴うものであり、心身が弱って いる来談者を消耗させ過ぎて、身体的不調になっては、本末転倒である。この他、面接の 中で、来談者が人に打ち明け難い愚痴や悪口などを表現した場合や、子どもがプレイセラ ピストに心を許して、例えば普段他の子から冷遇されている子がプレイセラピストに厳し く接する表現を、ごっこ遊びなどを通してした場合など、感情表現が豊かになされている 時に、面接時間を延長し、構造を崩すと、来談者や子どもによっては、後で「話し過ぎた」、「面 接者(やプレイセラピスト)に悪かった」という不要な罪悪感につながる。また、プレイ セラピーの場合、遊びに没頭していた子どもにとっては、50 分で退室を促されてしまう ことになる。面接構造をプレイセラピスト側が崩すと、当然子どもも「あと 1 回」「あと 1つ遊ぶ」と退室渋りの原因のもとになり、面接構造が崩れてしまう。面接構造が崩され る現象は、子どもの事例で多く起こる現象でなく、どのような事例でも起こる可能性があ る。繰り返しになるが、心理療法は、一定した環境を提供し、それを面接者側が一定に保 ち続けることに意味があり、それができることが専門家としての最低限の能力の一つであ る。一定にした環境は、来談者に安心感をもたらすために、大切なことであるが、来談者 がそれをどういう使い方をするか、ある意味それをどう崩そうとするかを見えやすくする ためにも大切なことである。面接構造がなぜ崩されてしまうのか、その事態に面接者やプ レイセラピストがどのように対応するかをつぶさに検討し、その後の事態がどう展開する かを冷静に、詳細に検討することがプレイセラピストの姿勢として求められる。子どもの 事例の場合、遊んでいることが楽しいが故に起こる退室渋りが面接構造の崩れとして起こ ることが多いが、保護者面接の不安定さや時間管理の甘さを反映した遅刻が続き、子ども も遅刻してくるといった形で面接構造が崩れることも時にみられ、子ども側の要因と限ら ない場合もある。しかしながら、必要に迫られ、プレイセラピストも面接構造を崩す必要 がある事態も当然存在する。例えば、幼児が初めてプレイセラピーに臨む場合、母子分離 がうまくいくかどうかといった問題がある。不安が強く、人見知りの強い子の場合、知ら ない環境で 50 分遊ぶことが難しいこともある。この場合は、親面接者とも相談の上であ るが、親と共にプレイルームに入り落ち着いて、安心して遊びに入るまで同室するように したり、親面接室への途中入室も認めてもらい、行くこともあるなど、面接構造を崩すと いえば、崩すこともある。この点については、後で述べるが、面接構造を崩す場合は、心 理療法を行う上でそうすべき意図があり、それが理にかなっていると判断される必要があ る。 場所について、プレイセラピーを行う場所であるプレイルームは、子どもにとって特別 な体験をする場である。まず、多様なおもちゃがたくさんあり、自由に遊べる広い部屋が 用意されているのは、かなり魅力的なことである。プレイセラピストは、親や先生とは指 導的な役割をとらないという意味では異なるが、保護的で子どもの気持ちについていこう とし、共にあろうとする年上の存在は、最初は緊張するかもしれないが、心強く、魅力的 な場として機能していく場の設定となっている。この場で一定して子どもに会い続け、適 切な環境のもと関わりが行われ、子どもから信頼に足る存在としてお墨付きがつくように なると、“この時になったら、プレイセラピストと共に遊べる”と楽しみにする子どもも

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おり、自分らしさを遊びやプレイセラピストとのかかわりによって表現し、面接を展開さ せていくことになる。時に、保護者や子どもの都合、プレイセラピストの都合、祝日等で、 毎週同じ時刻にできない場合がある。その際、1 週お休みとし、次の同じ曜日に次回を設 定する場合もあれば、状態等により、その週に限って近くの好都合な曜日で面接が設定さ れる場合もあるが、いつものプレイルームが他の来談者が使っているために使えない場合、 他のプレイルームでよいかと言うと決してそうではない。たとえ、同じような構造やおも ちゃや遊具が用意された部屋だとしても、子ども側に見える風景や扉などの位置、様々な ものの配置、向きをはじめ、様々な感覚や居心地が異なることが多く、また時間帯が異な れば、いつもと違う感覚が感じられるものである。よって、面接室はいつも行っている部 屋を確保すること、なるべく同じ時刻で設定することが重要であるといえる。 面接頻度については、原則週 1 回を前提に、まず保護者と話し合われる。その理由は、 面接の申込者が保護者であり、子どもを連れてくる、料金を支払うという現実的な問題と つながるためである。料金について、医療機関などの健康保険が適用となるところや公的 機関で行われる場合は、無料か比較的低料金で行われるが、そうでないところは保険適用 外となる。よって、来談するための時間、料金との兼ね合いや心理的問題を何とかしたい という来談意欲をもとに、頻度を検討する。時に子どもがプレイセラピーの場を魅力的に 感じる姿を見て、子どもにとって必要な場であると感じさせられる保護者もいる。原則は 週 1 回であるが、2 週間に 1 回、経過観察など状況によっては、月に 1 回で行われる場合 もある。この場合、当然ながら、頻度が少なければ、心理療法の効果は、得られにくいも のである。なお、子どもの心理臨床の場合、子どもと面接料金についてプレイセラピスト と子どもが話し合うことはまずみられないため、本稿ではこの件の検討は割愛した。 2.プレイセラピーにおける遊びや遊具とプレイセラピストの姿勢 (1)心理療法で遊びを用いる意義 遊びは、子どもの日常的な活動であり、思春期以降の遊びのように単なるレクリエーショ ンでない。子どもは認知発達が不十分な段階にあるため、自分の状態を客観的に省察し、 言葉で報告することが困難である。認知的発達からみて、大人と同じように物事を認知で きるようになるのは、小学校高学年以降である。そのため、子どもは自分が感じている事、 考えている事、希望、欲望、自己イメージ、他者への見解、世界観等は、ごっこ遊びやお 絵かきだけでなく、様々な手段を通して表現する。またそこには、子ども自身の性格や日 常の行動パターンなども現れやすく、プレイセラピストは、それを読み取り、自身の特徴 や無意識的な心の動きを取り上げていくことが大切である。 弘中(2002)は、遊びの意味と機能について、「①関係性の機能(関係の絆としての遊び、 自分を大切にされる場としての遊び、人間関係の投影の場としての遊び)、②表現・体験 としての機能(カタルシスとしての遊び、代償行動としての遊び、表現としての遊び、心 の作業の場としての遊び)、③守りの機能(守りとしての遊び)」(p. 26 ~ p. 30)を挙げて いる。 ①関係性の機能としては、子どもがなぜ来談するか理解しておらず、来談意欲もないま

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まに来ても、遊びが魅力的で、緊張がとれ、自分らしく過ごせる場であるという気持ちが 持てれば、来談意欲につながり、プレイセラピストや場によい関係を築くことができる。 また、プレイセラピストが肯定的な関心を子どもに示し、主体性が尊重される場は、自身 を大切にされる経験をもつことになる。人間関係の投影については、学校で成績が芳しく ない子が、自身が親や先生になり、プレイセラピストをできの悪い生徒にして、叱責する ごっこ遊びにみられるように、子どもの現実的な世界や内的世界を体験的に教えてくれる ものである。なお、ごっこ遊びは、子どもが見たり、聞いたり、想像したりなど、心に描 かれたことがあるものでしか表現できないものである。子どもでも大人でも、そういった シナリオやイメージなしに、自分の知らない場所で、知らない体験をして、生活をして暮 らす人の 1 日の様子をごっこ遊びをすることは、難しい。それ故に、子どもが行うごっこ 遊びは、その子が心の中で体験した世界を何等か描き出しているものとして、留めておく べき、重要なものである。 ②表現・体験としての機能は、遊びには、鬱積した感情や欲求不満、葛藤の浄化や表現、 開放として定義されるカタルシス効果が得られやすく、大人が心の中を整理したり、解決 方法を見つけていったり、元気になったりするために話をするのと同じような効果や表現 が遊びによって、無害な形で得られやすい。また、子どもが現実には追求することが難し い衝動や欲求や願望を遊びという空想の中で代償することができる。さらに、子どもは、 心の世界を客観的かつ的確に言葉を選んで表現することが難しい。例えば、孤立無援で、 行き場がないという心情を表すためには、隅に 1 人自分を象徴する人形や動物を置き、そ の周りを塀で囲んだ情景を表現するという示し方が、より心にぴったりくる表現につなが り、それを受け止められる体験につながる。プレイセラピーで、子どもは誰かに自分のこ とを伝えようと意識しているとは限らないが、遊びに打ち込みながら、その中で自分にとっ て意味があるものを得ているといえる。 ③守りの機能としては、面接構造の制限や物の破壊、過度の攻撃などは制限されるが、 そのルールを適切に設定し、安全で安心できる場を提供していることが、子どもに、深い 安心感と主体性を促す。多少、子どもの衝動や欲求が激しく表現されても、それによっ て罰を受けたり、批判をされたり、プレイセラピストとの関係が壊れることがない。弘中 (2014)は、『このような守りの枠を持つことで、安全な表出や黙認される意義につながり、 遊びが遊びとして行われ、枠として収まる』と述べている。以上のことから、プレイセラ ピストとしては、遊びを子どもの発達状態や心の状態を理解するためのツールとして用い ているには、好都合である。 プレイセラピーは、子どもとの遊びを共にするものであるため、体力が求められる場合 がしばしばある。また、魅力的なおもちゃや遊具が子どもの関心や喜びを喚起する場合も あるため、初対面でも比較的遊びが進み、信頼関係が作られやすい面があるといえる。こ のような要因から、初心の心理臨床家の大半がプレイセラピーの事例から体験することが 多く、また初心者は、初心者なりに熱心さが伝わり、ビギナーズラックともいうべき、良 いイニシャルケースを体験することがある。それ故に、プレイセラピーは、初心者向け、 簡単なものと捉えられる危険性がある。この点は、小川(2014)や弘中(2002)も、同様

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の指摘をしているが、その上でプレイセラピーがもつ様々な特性は、心理療法の全てに通 じる不可欠な共通要素や原理を含んでおり、初心者が学ぶべき合理的理由があることを指 摘している。実際、前述の面接構造の設定の仕方、言語面接とは異なり、色々な向きや距 離をとりながら展開する遊び、言葉にならない面をどのように言語化したり、遊びの中で 表現して取り上げていく(あるいは今は取り上げない)ことを選択するか、距離感や動作 の示し方など、多岐にわたる側面の対応の技量を高めていくことが適切なセラピーにつな がることであるため、言葉での面接以上に難しいものである。 (2)プレイセラピーにおける遊具 プレイセラピーで使われるおもちゃや遊具は、おもちゃ屋で売っているものと何ら変わ りないものが部屋に多く用意されている。すなわち、おもちゃが特別でなく、プレイセラ ピーの場やプレイセラピストとの関係性が特別なのである。遊具は、部屋の広さや面接者 の理論的立場によって、多少の選択が異なる。適切な遊具と考えられているものは、身体 を動かすものであれ、そうでなかれ、丈夫で壊れにくいもの、壊れていないもの、遊べる もの、年齢や発達、知的水準に合ったものを選ぶことが大切である。そして、プレイセラ ピストは遊具を大切に扱い、常に同じものが遊べる状態で管理が維持されているというこ とである。この点は、面接構造を管理・維持する点で非常に重要であり、特に複数の担当 者がプレイルーム(遊戯室)を用いるならば、一定して同じものが揃っており、子どもは 手に取れば、遊べる状態を全員が常に維持しなければならない。しかし、実際、初心のプ レイセラピストはいかに子どもと会うか、どのような応答をするかの方に注力されており、 次々プレイセラピーの事例の時間帯が続いた場合等、急いでいるが故に使えないおもちゃ がプレイルームに戻され、次にそれを手にした子どもが遊べないという、注意が行き届か ない事態がみられることがある。遊びたいおもちゃが壊れて使えない事態や消耗品がなく なって遊べない事態が生じた場合、そのおもちゃに関心を示した子どもに状況を誠実に説 明し、可能な限り早く遊べるように対応する必要がある。このような対応は、この場やお もちゃや子どもを大切にする姿勢を伝え、誠意ある一人の人間が存在することを示すこと につながる。特に、子どもが遊びたいおもちゃがすぐに遊べる状態に戻せない(例えば、 修理を要する、電池等がなくなり分解が必要である等)時は、使えないおもちゃを面接室 外によけておき、他のセラピストにもこのおもちゃが使えない旨を伝えておくことが大切 である。 また、初心のプレイセラピストの担当事例で起こりやすいのは、子どもの発達に関する 知識や現場感覚でアセスメントする力が不足しているために、子どもの発達年齢や能力に 合わないものが用意されている場合がある。例えば、ポピュラーな人生ゲームが部屋に置 かれている場合もあるが、幼児や小学校低学年で知的障害が疑われる事例では、子どもが 興味を示し、手に取ったとしても、遊ぶことが難しい場合が生じやすい。実際のところ、 人生ゲームは 9 歳以上向きであり、大人がいる場合は 6 歳からとされている。しかし、ス タートでは自動車保険に加入する・しないを問われることから始まり、その概念を子ども が理解するとも限らない。このように興味を示しても、遊べないものがある部屋は、子ど

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もにとって興味を示しても、遊べない、すなわち、したいことができる場でないという点 で自律性や自分にできるという有能感を促しにくい。また、遊べた、楽しかった、すっき りしたという快感情を促しにくく、プレイセラピーに適切な環境を整えているとはいえな い。これらは初心者にとって、最初から行き届きにくい点であるが、事前の心がけで改善 しやすい事態である。 基本的に適切なおもちゃを選ぶ際は、適切なおもちゃを選ぶ際は、ボードゲームばかり でなく、子どもの表現や想像力が豊富に吹き込まれるようなもの(ごっこ遊びができるも の、図画工作ができるもの)や子どもが日々体験していることを投映しやすいものを選ん で、用意することが大切である。例えばヘビのぬいぐるみをヘビとして遊ぶだけでなく、 ロープやマフラー、マイクなど、決まりきった遊び方でなく、多様に表現できる可能性が あるものの方が適切あるといえる。また、感情表現を促進するもの、例えば、きれいさだ けでなく、クモやムカデ、サソリなどのグロデスクな雰囲気のものや、怪我をしないやわ らかい素材でできた刀や兵隊などの攻撃性を刺激するもの、ぬいぐるみのようなやさしく 柔らく、心地よい感覚が得られるもの、お医者さんごっこや哺乳瓶などケアのテーマが表 現されやすいおもちゃも大切である。また、音が出る楽器のおもちゃやボールハウス、ト ンネル、スライムなど、触覚や音感、身体感覚を刺激するものも有効である。いずれにせ よ、ものがたくさんあることが大切でなく、場所に余裕をもたせ、子どもの安全を確保で きる範囲内で用意すること、子どもの私物(例えばゲーム)などの子どもが持ち込んだお もちゃで遊ぶことは、適切でないと考えられる。 (3)プレイセラピストが注目している点 プレイセラピーにおいて、プレイセラピストが注目していることは、子どもが目線を向 け、手を伸ばした遊具や多くの時間を費やした遊びは何かということである。すなわち、 遊具の選び方(関心の持ち方)、遊び方、その場面で交わす言葉は、どんな言葉であった かをとどめておくことが大切である、そして、プレイセラピストは、主役である子どもの 遊びに参加し、子どもの気持ちに寄り添いながら、協働する仲間のような感覚で、共にあ り、湧き起こる感情や思い、イメージを、身体全体を用いて表現し、子どもが体感できる ようにするような振る舞いや言動が大切である。子どもがしている日常的な遊びと、プレ イセラピーでの遊びの体験の違いをもう少し説明するにあたって、トランプを例に挙げる。 日常の遊びとして、子どもがトランプを選び、遊んだ時は、子ども本人や周りの人間は、 勝敗に最大の関心が向けられ、勝つために効果的な工夫をすることに面白さ、楽しさがあ り、それを体験していると言える。誰かがずるをすると、他人に指摘されて正すなり、1 回休みなどのペナルティがつくか、けんかになる場合がある。このように遊びは、社会性 を獲得していくことが主眼に置かれる。一方、プレイセラピーとしてこの遊びを捉える場 合、トランプを子どもが選んだ場合、プレイセラピストは、何故トランプを選んだか?を 理解しようとし、カードの配り方、遊び方に関心が向けられ、それに対応した言葉かけが なされる。そして、子どもがずるをしても、日常の遊びのようにそれを指摘して正そうと するとは限らないし、けんかにしない。むしろ、ずるをしてしまう年齢なのか、相手がプ

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レイセラピストという大人だからするのか、とにかく勝ちたいのか、不利な状況に身を置 く力がないのかなど、プレイセラピストは、子どもの年齢や発達状態と照らし合わせなが ら、仮説をいくつもたてて理解を深めるため、遊びの様子や関係性のとり方から子どもを 理解することに注力する。以上のように、子ども自身は、プレイセラピストと遊びたいよ うに遊ぶと共に、どのような心の動きをしているのかを映し出されることになるという点 で、プレイルームで遊ぶ場合と、日常的な場面で遊ぶ場合では、異なる体験をしているこ とになる。 3.子どもの心理臨床の特徴 ―来談理由をどう扱い、子どもの参加を求めるか― (1)初回面接にみられる心の動き 子どもの心理臨床現場に心の問題で来談する(プレイセラピーの適用年齢の)子ども自 身が、心理的問題に困り果て、自ら望んで相談を申し込むことは、稀である。よって、最 初から来談意欲は高くない。保護者や学校関係者によって、問題が取り上げられ、相談が 申し込まれ、大人と共に来談する。また、事前に保護者に心の問題で相談を申し込んだこ とを説明されているとは限らず、たとえ説明されたとしても、伝えられた通りに理解して 来談するとは限らない。しかしながら、子どもは、自分の問題を薄々わかっていて、自分 のことでどこかに行くと察して、初来談することが多い。身体症状を伴い病院を受診する 場合と違い、心理臨床現場で見られる子ども側の問題意識や解決したい苦悩や切実さは、 保護者が感じているほど強いとは限らない。さらに、子どもが心の問題を心理療法で問題 を緩和・改善していくことのイメージや有効性をもつことが難しい。よって、始まりの時 点での受動性に一つの特徴があり、どこかの段階で、継続来談を受け入れていく手続きが 必要となってくる(飽田、1999)。当の子ども自身は、何のために、来談するのかを感覚 的に理解することは、困難であり、どのように遇されているかは、大変重要な問題である。 心の問題で来談する子どもは、人一倍、不安になりやすい子、何らかの要因で理解力が 弱い子、あまり社会性が育っていない子、逆に大人の心を先取りして感じ取り、過剰に良 い子でいようとする子など多様である。前述のように、詳しく状況がわからない子どもた ちは、特に初回、不安やドキドキ、緊張を体験するものである。 心理臨床現場を訪れ、「相談室」「カウンセリング」等の文字が目に入ると、子どもなり に静かに面を食らっている場合もある。すぐに待合室に通され、親は初回の来談の基礎情 報(住所・氏名・連絡先、主訴等)を記入しているが、その間、親の様子を見つめ、不安 を落ち着かせている子もいれば、本を読んだり、ゲームをして日常通り過ごす子もいる。 やがて、間もなく知らない大人(親面接者とプレイセラピスト)が現れ、自己紹介をしあ い、突然、プレイセラピストが<お母さん(等、一緒に来た大人)が、この先生とお話し ている間、一緒におもちゃのある部屋で遊ぼう>と別室で過ごすことを伝えられる。実際、 多くの子は、多少緊張や戸惑いがありながらも、おもちゃのたくさんあるプレイルームへ 入室し、プレイセラピストとお話したり、遊びだすが、入室しようとしない、あるいは動 けない子もいる。不安になりやすく、繊細な子、基本的信頼感が弱く、他人を信用できな い子、この場や状況を理解できていない子にとっては、疑心暗鬼になり、混乱に向かいや

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すい。すなわち、子ども側からの視点に立つと、プレイセラピストは、知らない大人であ り、知らない場が現れ、「自分にどう接してくるのかわからない」人、「何をするところか わからない」場に身を置く状況が降ってくる。わからないことに対する不安や当惑は、大 人でもしばしば経験するものだが、人生経験が乏しい子どもにとっては、どのようにした ら良いかわからない状況になる。 また、「自分が悪い子だから、来た」と捉えている子も少数いる。心理臨床の場は、叱っ たり、不適切な行動や心理的問題を矯正するための特別な訓練の場という位置づけでない が、子ども側が何をされる場所かプレイセラピスト側が想定する以上に過敏になっている 場合がある。このような状況の場合、プレイセラピストも子どもも、居心地が悪くなるよ うな状況になり、お互いに多少は緊張するものである。プレイセラピストにとって子ども は、「悪い子」でなく、たまたま心理臨床の場で出会った固有の価値をもつ一人の人間で ある。そして、対等な関係を築くことで、子どもの主導性をひきだし、創造的な表現や社 会的な相互作用が維持され、安全で安定した人間関係を成立させるのが最初の作業である が、以上のような状況の場合、子どもの不安や緊張、疑心暗鬼な思いを払拭する作業が必 要である。心理臨床を始めるにあたって、このようなマイナスに作用する要因をプラスに するためには、心理臨床の場に子どもが受動的に参加するのでなく、主体的に参加できる ようにしていくこと、その作業は子どもの不信感や不安感を早く取り除くことが大切で、 初回を逃すと進めにくくなる。 (2)来談の目的を明らかにすること では、どのように子どもの参加を求めるかだが、親子で来談する場合、心理相談の申し 込みが電話で入った段階や初回に面接に来られた際、保護者に面接者が<お子さんに、相 談の申し込みをしていることをお話しましたか>と取り上げることが大切である。一番の 当事者である子どもを抜きに面接が始まることを避けるべきであり、「ちょっとお出かけ する」という形ではなく、子どもの心理的問題を何とかしようとして行くこと、自分もお 話ししに行くことが大切であることを伝えて一緒に行くように促すことが大切である。前 述のとおり、子どもは親が述べたとおりに理解するとも限らないが、子どもの目線に立て ば、(心理臨床に限らないが)特にこれといった情報も知らされず、「ちょっと出かけよう」 と何度も連れて行かれるのは、「何でここに行くの?」という疑念につながることは、自 明の理である。保護者から「心理相談を申し込んだので行く」という言葉かけがあること で、親なりに心配しているという愛情や気配り、隠し事をせずに関わっている心の存在を 示すことになる。このような言葉かけがあるのとないのでは、子ども側のとらえ方は異な る。特に、言葉かけなしに始まっている場合、何がそうさせたのかを真摯に考え、仮説を 立てながら、明らかにしていく必要がある。例えば、言いにくいことはできれば言いたく ないという姿勢、子どもに言ってもわからないだろうという思い、子どもを問題視してい ることを子どもに気取られたくない、余計な刺激を与えたくない等、親として子どもに配 慮している姿勢が関与していることも考えられる。すなわち、言いにくいことでも、親だ からこそ言わなければいけない、親子だから話し合える、という姿勢よりも、子どもから

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嫌われることをしたくない、面倒なことは避けようという、その時の自分の個人的な感情 を優先させたり、一見子どもに配慮しているようで大切なことに向き合わない、逃げ腰の 姿勢や自分に都合の良い動きが見える場合もある。果たして、来談目的や理由を子どもに 説明することは、本当に子どもの心を傷つけることにつながるのだろうか。このような視 点は、子どもの問題以前に、親の未熟さや他者との関係の持ち方や社会との関係を考える 力が育っていないという解釈につながる可能性もあるが、そうだったとしても、保護者を 責めることはできない。保護者は大切な来談者であり、面接を適切に進める協同者として、 情報提供を求めたり、共に考えていく作業同盟を組むことが大切である。 そのためにも、来談前に保護者が子どもに来談理由を伝えようと、伝えてなかろう と、初回面接で、面接者が改めて保護者に<どのようにお子さんに伝えて連れてきました か?>、本人には<お母さん(お父さん等)には、どんなふうに言われて、ここに来た?(年 齢により、来ましたか?という表現)>と尋ねることが大切である。初回面接が始まって すぐに保護者と子ども、親面接者とプレイセラピストと全員で一堂に会するならその場で 取り上げること、最初から親面接、子面接と分かれて面接を始めた場合はそれぞれの面接 者が取り上げることが大切である。何故、あえて取り上げることが大切かは、(保護者を 信頼していないという意味でなく)子ども側に面接者が現れた理由を明確にすること、す なわち、一定の目的を持った場であり、その目的に沿って協力すべく現れた人間であるこ とを示すためであり、保護者が心理面接を申し込み、開始することの了解を得ようとする 作業を始めていることになる。よって、子どもを傷つけることにならないと言える。 筆者は児童養護施設でプレイセラピーを行っていたが、この場合、保護者が面接に現れ ることはまずない。面接時刻になると子どもが(初回以外は 1 人で)面接室に現れ、年少 の場合、担当職員が面接室に連れてきて、面接が始まる。初回面接に先立ち、施設職員に よる主訴が挙げられ、子どもには、担当職員が主訴や年齢に合った来談理由が伝えられ、 了承したら、来談ということになった。それでも、上記の通り、子どもに<何と言われて (説明されて)、ここに来た?>と尋ねることは、初回(面接展開によっては 2 回目まで) に必ず行い、心理臨床の場が単なる遊び場とは違うことが理解されるように行い、隠し事 がない正直な態度を示すことをしてきた。実際のところ、年齢の低い幼児でも、子どもな りに理解しようとしている様子や、理解しているか不明だが、空返事のように担当職員が 述べた言葉を多少述べる様子、都合の悪い話を扱っていると感じられるのか、あまり取り 合わない態度を示す様子、「わかんない」と返答があるなど、まちまちであった。わから ない場合などでも、(初回面接に連れてきた大人が)<〇〇さん(くん)が~なったらい いんじゃないかと思って(~なことを心配して)、ここに来てみたら?って勧めたみたい だよ>等、簡潔に述べ、伝えてきた。このように来談をどのように理解しているかを取り あげることの意味は、子どもが来談理由を大人が伝えたように正確に理解していることよ りも、この面接が存在し、プレイセラピストが現れた理由を明示し、対等な関係をもつた めの基礎としても、大切な作業であると言える。 稀に来談を拒否している子どもを保護者が「ちょっと出かけよう」と言って連れ出し、 待合室で子ども側が裏切られた怒りを表出させたり、車から動かず、相談室に来ない形で

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表現する子どももいる。こういった状況の場合、保護者(や面接者へ)の不信感が大きく 向けられており、最初の時点でつまづく状態になる。初心のプレイセラピストがこの状況 に直面すると、怖気づいて、当惑するものであるが、子ども側は、嘘のない感情を向けて おり、真剣で必死な状態であると心から理解できれば、プレイセラピストも真摯にその気 持ちが大切な気持ちであることを理解していると伝え、尊重していくことが第一であると いう結論に至る。このように、時に子どもだけでなく、保護者の姿勢が大きい場合もある が、本当に問題となる人ほど、自ら相談の場に現れることが少ないのも、心理臨床の特徴 でもある。 4.初回面接の大切さ 前述のとおり、子どもにとって心理臨床の場は、突然、知らない人と 50 分過ごす状況 が降ってくるような感覚であるため、この初回に、どう大人(担当者)に遇されたかが、 その後の展開において重要である。特に、年少の幼児、不安や緊張が強い子は、たとえ、 おもちゃがたくさんあり、専属の大人(=プレイセラピスト)がついて、自分の思うよう に過ごせる魅力的な場で 50 分前後、過ごせるとしても、不安を感じずにいられない。保 護者と離され、初めての場や大人に一人で身を置く事態は、何が起こるかわからない危機 的な状況である。どのような場合でも、拙速に大人のペースで事を進めないこと、子ども の心境をまず先に考え、子どものペースに配慮をすることが優先である。 (1)面接への導入-親子分離- 年齢の低い幼児の場合、母子分離が難しいなどの心理的状態や安定感や状況理解できる 力などの手掛かりが如実に表れる。分離個体化理論(Mahler, 1980)によると、保護者の 姿がその場になくても、日頃の生活の中で、心の中に住んでいる自分を支えてくれる安定 した保護者のイメージ(いわゆる『良い』母親のイメージ)が常に内在化する『情緒的対 象恒常性』(p. 128 ~ p. 140)を獲得するのが個人差はあるが 3 歳頃かそれ以降である。こ の年代の幼児がプレイセラピストと遊び始めること、保護者と別々で過ごすことを聴いて 面接室の移動が難しくなることは、当然のことである。稀に小学生でも保護者との分離が 難しい事例があり、こういった場合は、情緒発達の未発達か、事故や災害等の圧倒された 不安状態等の主訴と関連する可能性などを仮説に立てることが大切であるが、離れられな い理由は多様であり、一律的な解釈や決めつけは、危険である。保護者面接から情報を得て、 子どもの状態に関して的確な理解を得ようとして行くことが大切であると共に、子どもに 対して、無理に何かをさせようとせず、つぶさに観察し、記録に残しておくことが大切で ある。このように、待合室や面接室の前で動こうとしない子どもに<大丈夫だよ、心配し ないで><信じて>とプレイセラピストが伝えたら、子どもはその通り、「はい、わかり ました」と分離できるという単純な問題ではない。初心のプレイセラピストは、プレイルー ムは遊ぶところ、子どもに遊んでほしい、保護者や親面接者(大概、年長の面接者)に迷 惑をかけてはいけない等の思いがよぎり、<おもちゃ、いっぱいあるよ、遊ぼうよ><〇 分までは、ここで遊ぶことになっているんだよ>等と子どもに話しかけることに腐心し、 プレイルームに入れようとする言動に偏る場合がある。遊びを促す姿勢はプレイセラピー

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の場であることを踏まえると理解可能だが、子どもの心が優先になっているとは、言い難 い。この場が安心して、自分らしく過ごせる場であり、誰も見捨てているわけでないこと、 保護者も大切な話をしており、50 分経ったら、この場は終わり、保護者のところに戻ること、 そして、自分のためにプレイセラピストが現れていることを、プレイセラピストが<大丈 夫だよ>という言葉でなく、経験として子どもがつかんでいけるように関わることが求め られる。 (2)面接への導入-親子分離をどのように行うか- このように、待合室や面接室で動こうとしない(動けない)子どもに、接する場合、プ レイセラピストは、子どもが感じているであろう心境(例.<知らない場所に行くのは、 怖い(緊張する)よね><突然私のような知らない人と遊ぼうって言われても、すぐでき るもんでもないよね>等)を察して代弁する言葉の内に、あなたの気持ちを私なりにこう わかっているというメッセージを伝えながら、子どもの不安を受け止める必要がある。単 に子どもの心に寄り添い、子どものペースを優先するために、そのような応答をするとい う表面的な視点では、上滑りしてしまう可能性がある。子どもが感じている分離不安は、 保護者と共にいる安心感をはく奪され、見捨てられる不安や怒り、見知らぬ部屋や人(プ レイセラピスト)に一人で対応しないといけない心細さや不安である。そして、自分のも とに保護者を呼び寄せようとして、面接室へ動かなかったり、保護者にしがみついたり、 激しく泣くといった反応に現れる。すなわち、この不安は、いつも安心や関心を与えてく れる保護者がそうしないという怒りと、いつものように共にいてほしいと引き戻したくて 希求する、アンビバレントな感情が存在しているという、原初的不安に基づく反応である ことを理解して、この場では保護者でなく、プレイセラピストの自分が受け止め続けるこ とを態度で示していく必要がある。沈黙、動けない、言葉が出ない、泣き叫ぶ子どもの心 境を察し、話しかけた方が返答しやすいのか、話しかけてもあまり反応が返らないのか、 どのような反応をしているかをよく見極める必要もある。いずれにせよ、何としても面接 室に行こうとすることより、子どものいる場に一緒にいて、一人の個をもつ人間としての 子どものペースに配慮していることを、言語的にも非言語的にも伝え続けることで、保護 者と子どもの世界から、プレイセラピストと子どもの世界をもつことから始めることが大 切である。まずは、プレイセラピストと保護者が同じ空間にいても大丈夫という安心感を 体験で根付かせること、面接時間が終われば、保護者とまた一緒の時間が戻り、見捨てた りしていないという体験をしていくことが重要である。子どもは、言葉の意味が全て分かっ ているとは限らなくても、可能な限り、理解しようとしており、想像以上に雰囲気や声の 調子、まなざしを読み取って、瀬踏みをしているものである。 どのように面接を導入し、分離を行うかは、臨床家や志向する理論によっても異なるだ ろうが、子どもが理解できる言葉で、これから行おうとしていることを説明すること(例. 保護者と子に別々の面接者がついて、決められた時間まで(〇分まで、長い針が〇まで)、 それぞれの部屋で過ごすこと、その部屋をみんなで見に行こうと伝え、先に保護者の面接 室を案内した後に、子どもの面接室(プレイルーム)に行き着くようにすることが大切で

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ある。ここで、子どもが分離不安を起こした時、保護者に同室してもらい、子どもの様子 を見守ってもらい、子どもが自然に遊びだすのを見届けてから、保護者の面接室に向かう ようにすると、置き去りにされる不安を少なくするようにすることが大切である。これを 逆にした場合、プレイルームに案内した後に保護者の面接室を見て、子どもの面接室に戻 ることになる。子ども側からすれば、保護者の面接室の場を知ること自体、「ここに保護 者がいる」ことを知り、安心感のもとになる点では両者は変わりないが、後者の場合、保 護者の面接室を見た後に「ここは大人の大切な話をする場所だから」と追い出される(親 から引き離す)印象を与えることになる。子どもが相談室のしくみに接し、安心感を促す ためには、前者の方がより適切であろう。ただし、伊藤(2017)が指摘している通り、『分 離しないで親と一緒にプレイルームに入室することにした場合には、子どもの遊戯療法も 親面接も混乱したものになり、本来の面接の機能を果たすことができないことになる』(p. 19)ことには変わりないため、なるべく早く、それぞれの面接室で面接が行われ、子ども は自分なりにプレイセラピストと関係をもてるようになることを目指すことは、言うまで もない。 面接室に入室したところで、一目散に駆け込んで次々おもちゃを出したり、遊びだす子、 プレイセラピストに「~していい?」としきりに尋ねてから遊ぶ子、遊びたいおもちゃが いくつもありながらも、どれにするか欲求をまとめたり、優先順位をつけるのが難しい子、 どのおもちゃで遊んでいいかもわからず、戸惑ったり、プレイセラピストに「決めて」と 言う子など、その様子を的確に観察することは、その後の事例理解に役立つ情報になる。 おもちゃや遊びを選ぶにしても、プレイセラピストとどのように関わろうとしているかと いう対象関係も現れることになる。当初は遊んでいながらも、別室の親が気になって、遊 びに手がつかない子もいる。初めての場に来たのであれば、程度の差はあれども、不安や 緊張を体験しており、保護者の存在がどうかを気にするのも、当然な心情である。保護者 がずっと面接室にいるのをしっかり確認できれば、安心するという子もいるが、このよう な確認したい気持ちをどう取りあげるかもプレイセラピストの技量が左右する。心理臨床 には原則があっても、ケースバイケース、オーダーメイドで対応するという要素も常につ いて回り、瞬間的にこの場合はどうするのが適切か、判断が求められることが多い。心理 臨床家は、自分の行っている言動に対して、説明責任が問われることがある立場でもあり、 自身の言動には、常に意図をもつことを訓練される。意味ある出来事や経験を確認し、そ の意味を問い、安易に理解したつもりにならず、本質を見極め、内在化していく、いわゆる、 反省的実践家であることが求められる。特に、制限を超えたり、原則を外す場合は、その 意図や根拠が適切であるという判断のもとに臨まないと、来談する保護者や子どもに振り 回される結果となり、不安定な面接関係につながる。 (3)初回面接に尋ねること、見ること 初回面接時、特に初対面時の子どもと保護者の第一印象がどうだったか、書き留めるこ とは大切である。例えば、背丈、体格、服装、髪型、持ち物の在りようだけでなく、年齢 相応であるか、また、表情や多側面での様子、保護者との距離感などは注目すべき点であ

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る。また、挨拶したり、話しかけた時の子どもの反応がどうだったかも大切なポイントで あり、子どもの目線に合う高さに姿勢を変えて接することも言うまでもない。例えば、視 線や表情がどうだったか、問いかけに返答はあるのか、明確な言語反応はなくても、返答 や反応しようとしている様子がみられるか、非言語的コミュニケーションをいかに観察し、 様子をつぶさに記録する必要がある。 子どもとプレイセラピストの場になった時、改めて子どもは緊張しやすい。また、面接 者の名前を一度で覚えるとは限らない。自己紹介を行い、子どもが答えやすい質問を問い かけながら(年齢、行っている学校や幼稚園、保育園、どうやってここまで来たか、きょ うだいの有無等)、緊張をほぐし、関心を示していることを伝えることが大切である。そ して、面接室(プレイルーム)での過ごし方、ルールを話すことになるが、当然、子ども の様子に配慮しながら拙速に事を進めないことが大切である。特に、最初に一堂に会して 面接目的を話し合わずに、すぐに子どもとプレイセラピストでプレイルームに入室した場 合、子どもに来談についての質問(例、<一緒に来たお母さんに、何て言われて、ここに 来た?>)と尋ねる。先述の通り、子どもの回答は「知らない」、「忘れた」、「(実際は聞 いたとしても)何も言われていない」、「買い物に行くよ」と言われた(別の理由)」、「何 らかの親の言ったことを返す場合」、「無言(「言いたくない」「言いにくい」等の気持ち)」 等、様々である。その上で<そう言われて(または、何も言われずに)ここに来て、どう思っ た?>とさらに尋ねる。その場合、子どもの理解度や状態によって多様だが、「別に」、「何 ともない」、「むかつく」等の感情を話す場合、何らかの自分に問題意識やこれまでの問題 の経過を話し出すこともある。子どもにとっては多少難しい質問であり、あまりしたくな い話である場合もあるため、激しい怒りなどが向けられるもある。いずれにせよ、子ども に無理な回答を求めることが大切でなく、自分が現れた意味を誠実に取り上げ、協同して いこうとする姿勢を伝えることが大切であること、相手の言葉にとらわれ過ぎないことが 大切である。子ども自身が正直に気持ちをできる表現で伝えていると捉えること、そして、 怒りを吐露しても、腹を立てずに聴いてくれる、受け止めてくれるだろう(それがプレイ セラピストの役割だ)という無言の信頼感を向けて、激しい感情を表現していると考える と、その気持ちに誠実に応えていく姿勢が試されていることになる。子どもの回答や反応 がどうであれ、一度、面接目的を取りあげ、子どもが理解できるようにしておくと、その 後の面接関係は安定しやすい。 そのようなやり取りの後、子どもがどのような関係の持ち方をするのか、主訴がどのよ うに表れているのかをよく観察し、仮説を持って関わる必要がある。子どもは自分の状態 を全て的確に言葉にする存在ではない。子どもが言わないのでわからないではなく、プレ イセラピストが自ら情報を得ようとする姿勢が必須である。緊張して、不安に圧倒され萎 縮しているのか、そのような場合、どうしていいか当惑しているのか、質問される方が楽 なのか、視線を向けすぎない方が良いのかなど、距離感をある程度保ちながら、観察する 必要がある。また、プレイセラピストを目上の人に見て、過度な気遣いがみられる場合、 プレイセラピストにお世辞を言う場合も時にある。過度な気遣いをしないと、怖いのか、 薄氷を踏むような思いで警戒が背景にある場合、目上の人にお世辞を言う等、取り入って

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気に入られることで、安定した関係を持ち、自身の安心感を保とうとしている可能性もあ る。また、プレイセラピストに気を遣わず、他人が嫌がる感情が湧き起こるような言動を 示し、挑発する場合、その子の怒りがそうさせているのか、プレイセラピストに挑発して も仕返ししない人かを確かめる試し行動(limit testing)なのかなど、一義的な仮説でな く、いくつも仮説を持つことが大切である。この他、非常に丁寧で、手順も決まっていて、 強迫的な様子が見られる場合、日常の問題(多動、荒っぽい、遅れ等)が見えるなど、主 訴と関連する言動がみられるかを観察したり、「とにかくこんなところに来たくなかった」 という反応が見られるか等、子どもの言葉も大切だが、言動、様子、訴えかける雰囲気、 一緒にいてプレイセラピストが感じる感情も大切な観察情報であり、仮説をいくつか持ち ながら、読み取る作業が初期では、重要である。 5.親面接の重要性 本論は、子どもの心の世界を中心にしているが、子どもの問題行動の解決に親の力が必 要であることから、親面接の重要性について、多少触れておく。特に、保護者の場合、子 どもの心理的問題について、来談前に自分でも可能な対応を試みたが、功を奏さず、煮詰 まったことで、何とか解決したい思いから相談を申し込んでいる場合、他者や専門機関に 「勧められたので」来談する場合、子どもに何らかの障害がないか調べてほしい、子ども の問題への対応について助言がほしくて相談を申し込む場合等、ニーズや来談動機は、多 様である。 まず、プレイセラピーの時間は、週 1 回約 50 分であり、親と過ごす時間の方が圧倒的 に長い。よって、実生活の中での親の役割を支え、養育環境を整えることが親面接では、 大切な作業となる。多くの保護者は、子どものために正しいことをしたいと思っているが、 効果的な子育ての知識や技術を持っていなかったり、保護者自身も気持ちの問題を抱えて いることが時にある。親面接は、子どもの心理的問題を考えていくことを主眼に置いた面 接であるが、保護者が不安を軽減し、その子のもつ個性や独自の欲求について考え、自分 の対応についても考え、その欲求に適切な効果的な方法で応じられるように支援する機会 である。 また、保護者は、初回面接から、子どもの発達、行動、交友関係、特徴などの情報を提 供してくれる人である。心理臨床家がどのような理論的立場に基づくとしても、生育歴や 問題歴、日常生活に関する情報は、基礎的な情報として重要だが、子どもの事例は、親か らの情報収集が不可欠であるため、プレイセラピストにとって、頼みの綱であり、面接目 標に関して線密に相談する相手であるため、面接過程の大切なパートナーである。そのよ うな基礎的な情報を親面接でうかがうことで、保護者自身が話しながら、「そういえば、 ~でした」といったように、色々と気づきを得ていることも、親面接の大切な役割である。 その一方で、多様な質問をしても、「覚えていません」「わからないです」等が、頻発する 場合もある。個人差はあれど、多少そのような回答があるのは当然だが、何故か曖昧になっ ているか、保護者と共に理解していく必要がある。可能な範囲で母子手帳等を確認・持参 してもらい、記憶をたどる場合もあるが、そこで回答がひきだされるなら、問題はない。「覚

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えていません」という時期に、何らかのライフイベントがったのか、子どもの気持ちや欲 求に関心が低い保護者なのか、また保護者の知的レベルやうつ等がないか等、仮説を立て ながら、理解していく必要がある。 保護者は、子どもを面接に連れてくる人としての役割も担うが、子どもと一緒に定期的 に来談することにも重要な意味がある。子ども側からみると、保護者と面接への往復をす る中で、(時に同胞よりも)“自分のために特別な時間を作ってくれている”と感じる機会 になっており、保護者なりに自分のことを心配し、大切にされている感覚を感じやすい。 筆者が担当した親面接でも、保護者が“この子と話せる(時に飲食を楽しむ)大切な時間” と捉え、片道 1 時間半程度やそれ以上の距離でも通い続ける面接を担当した事例もいくつ か経験している。 特に、来談意欲の低い子どもの事例では、保護者の協力が大切である。その場合、プレ イセラピストは、子どもに“先生(プレイセラピスト)は、わかってくれる感じがする”、“プ レイルームは楽しいところ”、“ ここに通うことは、ためになる(かも)”という印象を与 える工夫が大切である。それと共に、保護者には、プレイセラピーの意義や単なる遊びと の違いを説明し、理解していただくことが大切である。さらに、子どもだけでなく、保護 者自身の問題意識が乏しい際、慎重に丁寧にニーズを取りあげることも大切であり、どの ような来談のあり方がいいかを共に検討することが優先される。そして、必要に応じ、許 可を得て学校と連携し、保護者と学校と客観的な情報を共有し、子どもの状態をつかみ、 プレイルームと学校や家などの様子に差があるか(その差が了解可能か)などをつかみ、 各立場で役割分担を明確にして、協力態勢を組むことが大切である。この場合、最も大切 な姿勢は、中立的な姿勢を保つことである。 6.遊戯療法の本質 以上に述べてきたように、プレイセラピストは子どもと対等な関係でありながら、子ど もが主役であり、子ども側の心に立った姿勢が大切である。よって、プレイルームに子ど もが入室したとしても、遊ぶ・遊ばないは、子どもの自由であり、遊びを無理に誘わない ことが大切である。また、プレイセラピーで大切なことは、“楽しく”遊ぶことが目的で はない。多少、語弊が生じる表現であるが、<何をしてもよい>し、<何もしなくてもよ い>場所である。<何をしてもよい>と述べると、面接室の壁を叩いて壊すことなども許 されるのかと勘違いされる可能性もあるが、物を破壊したり、自分や他人に外傷を加える 行為などは、制限されるべき行動として挙げられている。プレイセラピーはそのような表 現を引き出すのではない。例えば、現実世界では犯罪として許されない行為である盗み、 斬りあい、銃撃戦などの戦い、毒を盛るなどを、遊びとして表現を促すことにより、カタ ルシスや表現の創造性が促されるものである。最も大切なのは、子どもがありのままに過 ごせることを大切にするのが、プレイセラピストの役割である。このような繊細な気配り を自然な遊びの中で子どもに表現していくことで、子どもは自分専有の大人(=プレイセ ラピスト)に見守られている体験ができ、他人に邪魔されず、思う存分自分を発揮できる ことになる。その結果として、プレイセラピーの場は、“「ああしろ」「こうしろ」「だめ」

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と言われない不思議な場所”という感覚や“あの人(= プレイセラピスト)は、自分をわ かってくれそうな人だ”という感覚を体験し、「楽しかった」、「面白かった!」、「また来 てみたい!」、「正直な気持ちを表現できる」といった子どもから信頼に足る人間としての お墨付きにつながっていく。 7.遊戯療法の終結 プレイセラピーの中期にどのような経過をたどるかは、各事例により様相が異なる。あ る程度の経過を経ていくと、主訴が緩和されていき、進展がみられ(Haworth、1982;表 1参照)、その後に事例の終結(termination)に至る。 終結を迎えるにあたって、大きくは保護者からの提案が先行する場合、自然ななりゆき で終結を迎える場合がある。後者の場合、面接への遅刻や当日キャンセルがみられるよう になる。この場合、子どもが自身の生活の中で、適応が進んでいることによって起きてい ることを示している場合が多い。しかし、保護者からの提案が先行し、子どもはまだプレ イセラピーで行っている作業が続いている場合や、この場とのお別れの心の作業が必要な 場合は、なかなか子どもが納得して、終結を受け入れられない。保護者と子どもの間に終 結の合意が得られていない場合、時に主訴となっていた症状をぶり返す場合もある。これ は、終結を承知していない証であり、保護者に終結が時期尚早であることを説明する必要 がある。また、子どもに終結のことを話題にしたところ、「まだまだ来たい」ことを主張 する(例「あと 100 回!」)場合も、有限性をいかに理解するか、意見調整が必要となっ てくる。 そもそも、終結の提案があった場合、保護者や子どもの要望で、終わりとしてよいだろ うか。終結にしたところで、保護者や子どもは自分で何とかやっていける状態かという観 点を持ち、評価することが大切ある。終結が適切かを評価する場合、指標として、①症状、 主訴の緩和がみられたか、②保護者や教師からの情報で改善が見られたか、③心理検査・ アセスメントを行い、良好な指標がみられているか、④遊びのテーマ、過程が創造的であ るか、⑤子どもの発言、内面の変化が良好か、⑥子どもの作品の内容、質の発展性、創造 性、豊かさを評価し、Landreth(2002)の提案している終結の指標を確認することが大切 である(表 2 参照)。終結に近い経過までくると、子どもと遊びを共に体験しながら、担 当者として一仕事なし遂げたような成就感や充実感をプレイセラピストも体験する。当の 子どもは、プレイセラピスト以上に遊びの創造者として、深く豊かな体験をしているよう に思われる。そのうえで、終結にした後、心理的問題が再発しないか、予測される問題点 が大きくないかを考察し、その可能性がある場合は、保護者に提案し、終結のタイミング やそれに至るまでの面接頻度をどのように調整していくかを検討していくことになる。 結語

参照

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