多元的な国際法規範間の調整に関する一考察 −国
際人権法と安保理決議の交錯を素材に−
著者
鈴木 悠
学位授与機関
Tohoku University
学位授与番号
11301甲第17133号
URL
http://hdl.handle.net/10097/00121599
1 博士論文要約 題目: 「多元的な法規範間の調整に関する一考察――国際人権法と安保理決議の交錯を素材に――」 東北大学大学院法学研究科 博士課程後期3 年の課程 鈴木 悠 本論文は、多元的な国際法体系における複数の法規範及び制度の関係について、国際連合(以下、国連) の安全保障理事会(以下、安保理)の決議と国際人権法の関係に焦点を当てて考察を行ったものである。対 テロリズムの分野では、特定の個人または団体を対象とする狙い撃ち制裁(targeted sanctions)を定める 安保理決議が国内において実施されるために、欧州共同体/欧州連合(以下、EC/EU)法などの地域的国際 法や国内法が用いられている。このような複合的かつ重層的な法規範の関係により、当該制裁対象者は、 安保理決議の域内または国内実施が、EC/EU 法、国内法または批准している国際人権法に合致して行わ れているかどうか、ということをそれぞれの司法機関または人権条約実施機関に訴えることが可能とな る。このような訴えは狙い撃ち制裁の場合、その制裁内容から制裁対象に至るまで安保理のレベルで決 定されており、国家はそれを実施する義務を負っているため、事実上の安保理決議に対する異議申立て を意味することになる。 ここにおいて、狙い撃ち制裁を実施する義務と条約や慣習国際法を含む国際人権法上の義務とを、国 家が同時に両立するよう履行することが可能なのかどうか、不可能であるならば、どちらかが優先され るのか、ということが問題となる。この問題には、狙い撃ち制裁の実施や内容、制裁対象者を決定する 権限を有する安保理及び安保理制裁委員会(以下、制裁委員会)、そこでの決定に基づいて狙い撃ち制裁を 実施する地域的国際組織及び国家、その実行の合法性を審査する国内裁判所、地域的国際裁判所または 条約実施機関が関係している。すなわち、安保理決議とEC/EU 法及び国際人権法の交錯が生じている。 国際法の規律対象の拡大と条約の数の増加によって、様々な分野について目的や対象、名宛人を異に する法規範が存在し、その定立、適用、執行に関わる法規範や制度もまた多数存在している現状におい て、複数の法規範の間に矛盾が生じたり、1 つの事態に対して制度間で手続が競合したりするような状況 がみられるようになってきた。ある法規範が分野横断的な特徴を有し、かつ多様なアクターが関係して いる場合にこのような状況は顕著となり、複雑化の様相を呈する。複数の法規範の関係に関する論点は、 国内法や EC/EU 法のように法規範や制度の間に明確な権限配分や階層関係を持たない国際法の理論にお いても実務においても重要な問題を提起している。 上述の状況を踏まえて、地域的国際裁判所及び人権条約実施機関が、関連する複数の法規範の関係に ついてどのように捉え、どのように対応したのか、そしてその結果としてどのような事態が生じている のか、ということについて明らかにし、EC/EU 法、国内法とも関連する多元的な国際法体系における複 数の法規範関係の調整原理に関する議論への示唆を得ることが本論文の目的である。本論文では対テロ リズムに関連する安保理決議に基づく狙い撃ち制裁についての欧州司法裁判所、欧州人権裁判所、自由 権規約委員会の判断に焦点を当てる。 第一章では、複数の国際法規範の関係をめぐって繰り広げられてきた国際法体系の統一性と多様性に
2 関する議論を概観し、特に、近年、「断片化(fragmentation)」という表現を用いて論じられている複数の 国際法規範の関係に関する問題の特徴を明らかにする。国際法の「断片化」とは、国際法体系において 専門分野ごとに細分化された法規範及び制度が存在し、互いの機能に齟齬をきたし得る現象であり、国 際法体系の統一性を損ない得るものとして一般に理解されている。「断片化」には、国際法規範が具体的 な問題への適用の段階で抵触することによって生じる実体的側面に関するものと、紛争処理機関間の管 轄権の競合によって生じる制度的な側面に関するものとがあるとされている。本論文では、安保理決議 に基づいた狙い撃ち制裁と国際人権法の関係を検討するにあたり、実体的側面と制度的な側面から検討 を行う。続く、第二章、第三章及び第四章では、当該狙い撃ち制裁と人権の関係、当該制裁をめぐる安 保理、制裁委員会及び国家の間にある国際人権法の関係と権限の関係を概説する。第五章では、第六章 から第八章で行う事例分析の論点整理を行う。第六章から第八章においては、安保理決議に基づいた狙 い撃ち制裁と国際人権法の関係をめぐる実体法と関連機関の権限関係について考察し、第九章では、そ れらの事例と並行して安保理のレベルで行われた、狙い撃ち制裁に関する手続の変化について検討する。 いわゆる「断片化」現象についての研究の集積を行った国際法委員会(International Law Commission、以 下、ILC)では、同現象が問題となる場面として「異なる国際法制度が定める法規範が具体的な問題への 適用の段階で抵触することによって生じる」場合と、「国際紛争処理機関の間の管轄権の競合によって生 ずる」場合とがあるとした。ILC は、前者の場合のみに焦点を当て、実体法の解釈原則のガイドラインを 示した。しかしながら、それによって、この「断片化」現象に起因する問題がすべて解決されたわけで はなく、同現象の国際法体系の統一性への影響についても議論の余地がある。 本論文では、欧州司法裁判所、欧州人権裁判所及び自由権規約委員会において、安保理決議に基づく 狙い撃ち制裁と国際人権法との関係が問題とされた事例を扱う。第六章から第八章においてみた8 つの 事例において、強行規範以外の人権法を適用法として安保理決議そのものに対する司法審査を可能と判 断したものはなかった。また、地域的国際裁判所及び人権条約実施機関の権限を越えて、安保理決議そ のものについて司法審査を実施し、人権法違反を根拠として安保理決議の無効や取消しという判断をし たものはなかった。さらに、制裁委員会における制裁対象者リストに関する決定の是非について検討し た判断もない。締約国に本当に裁量があったかどうか、という点については疑問が呈されているものの、 以上の事例において検討されたのは、狙い撃ち制裁を実施する国家または国際組織の行為のみであった。 欧州司法裁判所及び欧州人権裁判所による安保理決議に基づいた狙い撃ち制裁に関する一連の判決を 通して、安保理における人権保護基準を改善するよう、その傍論で安保理に対してプレッシャーをかけ ているといえる。実際にこれらの判断が蓄積した結果、安保理に人権の観点から自制が促され、制裁員 会における制裁対象者リストからの削除手続やオンブズパーソンの設置の実現に貢献した面があると指 摘されている。また、締約国に対し、安保理決議を実施する国内措置について人権への配慮の必要性が あることが喚起されるようになった。 他方で、国連憲章 103 条に基づく安保理決議に基づく義務のその他の国際条約上の義務に対する優位 性とEC/EU における人権法及び欧州人権条約の関係性については判断を明らかにせず、国内法平面にお いては締約国による安保理決議上の義務違反または人権法上の義務違反の発生を防いでいるという側面 も存在する。本論文で取り上げた判断の多くが、間接的ながらも制裁委員会における人権保護基準につ いて、自身の適用法規に基づく人権保護基準を満たさないと述べながらも、締約国がその人権保護基準 を満たすためにどのように行動すればよいかという点については、各司法機関の管轄の及ぶ範囲かつ締
3 約国によるその実現が可能な範囲にとどめられている。このことから、欧州司法裁判所及び欧州人権裁 判所と安保理決議に基づいた狙い撃ち制裁は人権保護基準という点で相違してはいるが、国連憲章に基 づいた国連中心の国際の平和と安全を守るための国際法体系において、締約国による安保理決議違反を 招くような判断を行うことを回避しようとしている姿勢がうかがえるのである。よって、この点におい て国際法体系の統一性は保持されているといえる。 また、制裁委員会の制裁対象者リストと域内または締約国内の制裁対象者リストの内容が可能な限り 相違しないよう、相違が存在するとしても法的な問題として扱われることがないよう考慮されながら、 制裁対象者の決定に関しては安保理の権限が優先されていることも指摘できる。制裁委員会における制 裁対象者リストからの削除が決定された後に出された確定判決は締約国によって履行され、判決不履行 などによりさらに法的な問題として提起されるような事態とはならず、結果、国際法平面において、安 保理決議上の義務と各人権法上の義務について、どちらか一方が他方に優位するというような判断はな されなかった。制裁委員会と国家、各機関の間の入り組んだ管轄権の構造と権限配分を鑑みた判断は、 地域的国際裁判所、人権条約実施機関及び国家にとっても望ましいものであるといえる。 加えて、安保理は狙い撃ち制裁の国内または域内実施を厳格に監視してはおらず、制裁対象者リスト に短期間の相違が生じている場合や、地域的国際裁判所での手続が進行している間、制裁が加盟国の判 断によって一時停止されている場合があっても、それを問題視し、そのような加盟国の責任を明示的に 追及してはいない。安保理決議に基づいた狙い撃ち制裁と国際人権法の関係について、関連する複数の 実体法上の義務だけではなく、同時に絡んでくる国際組織や地域的国際裁判所、人権条約実施機関及び 国内機関の間の権限関係やそこで行われる判断の特徴も考慮したうえで柔軟な調整が行われている。 狙い撃ち制裁を含め安保理決議に基づいた制裁の実効性は加盟国の協力に左右される。同時に、包含 する地理的範囲や異なる機能を有する複数の法規範の関係において、特別法優先原則や後法優先原則に よる優先関係の決定は困難であり、地域的国際裁判所及び人権条約実施機関が当該制裁と人権法との関 係について検討する際には、実体法の関係だけではなく、制度の特徴や制度間の権限関係を踏まえた上 で調整を行うことが、それぞれが国際法体系の中で実効的かつ正当に機能するために重要である。 しかしながら、一方で解釈手段によって、複数の法規範の抵触の存否を回避し、他方でそれぞれの権 限関係に配慮するというバランスのとり方は、人権保護の観点からは望ましいものであるとはいえない。 安保理のレベルで行われている狙い撃ち制裁対象者に対する人権侵害は依然として存在し、地域的国際 裁判所及び条約実施機関は自身の管轄権を越えてその是正を図れないことから、事実上当該人権侵害は 看過され続けている。 今後の課題として、国際法規範間の抵触についてのさらなる検討が挙げられる。複数の国際法規範の 関係において抵触の存在を認めることは、それらの優劣関係を決定することを意味し、一方の国際法規 範が他方に優位することは、後者の適用の制限に結びつく。本論文の事例を通して、国際法平面におい て司法的機能を担っている機関は、複数の法規範の間の優劣関係を判断することを回避する傾向がある ことが指摘できる。国内社会と異なり、統一的な立法機関が存在しない国際社会では、柔軟な解釈適用 により現実の事態との調和が重視されている。国際法体系における抵触の存在は同法体系の統一性の観 点からは望ましいといえないかもしれないが、柔軟な調整の結果、現実に生じている事態が本質的に把 握されず、それによって混乱が生じていることもまた事実である。国際法規範間の抵触については、国 連憲章103 条と合わせてさらなる検討を要する。また、国際法の統一性との関係では、条約法条約 31 条
4 3 項(c)に体現されているという体系的統合の実態について明らかにすべき点が残されている。複数の国際 法規範が「可能な限り両立する」状態とは具体的に何を意味しているのか、同条項が実際にどのように 用いられているのか、という点について、他の解釈規則も含めた検討の必要性がある。以上の点に加え、 法多元主義の観点から近年指摘された多元的な法体系における連携ルール(linkage rule)の視点も用いて、 複数の分野に関連する法規範の関係の在り方を分析していくことを今後の研究課題とする。