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平塚らいてう―日本のフェミニズム運動における彼女の位置、および「家・婚姻」制度に対する彼女の批判―

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岡山大学文学部平成

21

年度シンポジウム

報告書

平塚らいてう

ー日本のフェミニズム

運動 における彼女の位置、および

家 ・

婚姻

制度

に対する彼女の批判-クリスティーヌ ・レヴイ

中谷 文実

新村

容子

松本

直子

沢山 美果子

平成

22(

2010)

1

岡山大学文学部

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岡山大学文学部平成 21

年度 シンポジウム

平塚 らいて うー 日本のフェミニズム運動における彼女の

位置、および 「

家 ・婚姻」制度に対す

る彼女の批判-平成 21年 7月16日 (木)午後 5時∼7時 岡山大学文学部会議室 (1号館 3階) プログラム 趣 旨説明 : 辻 星児 (岡山大学文学部長) 基調報告 ク リステ ィーヌ ・レヴィ (ボル ドー第3大学准教授) 司会 : 中谷 文美 (岡山大学文学部教授 ・文化人類学) コメンテー ター : 新村 容子 (岡山大学文学部教授 ・東洋 史学) 松本 直子 (岡山大学文学部准教授 ・考古学) 沢 山 美果子 (岡山大学社会文化科学研究科客員研究員 ・日本史学) *本報告書は、平成 21年度文学部長裁量経費 を得て開催 された本 シンポジ ウム録音の文字起 こし記録 である。 *口頭の報告あるいは議論であるために、文字化 された本報告書では理解 がむずか しい箇所 も あるが、あえて録音のままに した。 もちろん、明 らかに不要 あるいは追加説明を要す る口語 表現等は修正 した。 (編集担 当 :永 田諒- 岡山大学文学部教授 ・西洋史学)

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【司会 ・中谷】それでは、時間が参 りま したので、始めさせていただきたい と思います。 皆 さま、ようこそおいで くだ さいま した。本 日は平成 21年度文学部 シンポジウム とい うこ とで、こちらにフランスか らお越 しのクリスチ-ヌ ・レグィ先生をお迎え してお ります。 始める前に、このシンポジウムの主催者であ ります文学部 を代表いた しま して、学部長の辻 か ら、 ごあい さつを差 し上げます。 ◆趣 旨説明 と基調報告者紹介 【辻】文学部長の辻でございます。本 日はお忙 しい中お集ま りいただきま して、誠にあ りが と うございます。 文学部では以前 よ り外国の優れた研究者をお招 きして、講演会や シンポジウムを開いてお り ますけれ ども、本 日は、協定校でもあるボル ドー第3大学の レヴィ先生をお招き して、の 「平 塚 らいて う- 日本のフェミニズム運動における彼女の位置、および家族制度に対す る彼女の批 判

-

」 とい う基調報告をいただき、それについてコメンテー ターの方か らのご意見をいただ く シンポジウムを企画いた しま した。 レグイ先生には大変お忙 しい中、岡山までお越 しいただき大変あ りが とうございます。また、 コメンテーター として、本学か ら、新村先生、松本先生、そ して研究員の沢山先生にお願いい た しま した。あ りが とうございま した。司会は中谷先生にお願いいた しま した。なにぶん大変 にお忙 しい中をあ りが とうございます。また、今回の企画は非常に急いで計画 したもので、い ろいろ不足の点 もあるか と思います。 フランス語教室のほ うでも、いろいろご準備 くだ さいま してあ りが とうございま した。 文学部は、第一期の中期計画が今年度で終わ りますが、その中で、文学部プ ロジェク トとし てジェンダー研究を行い、大変成功いた しま した。本 日のシンポジウムは、そのジェンダー研 究の成果を生か した、文学部な らではのシンポジウムになるか と期待 してお ります。短い時間 ではございます けれ ども、実 りの多いシンポジウムになれば と期待 してお ります。簡単ですが、 これで開会のあい さつに代 えさせていただきます。 どうもあ りがとうございま した。 【司会】それでは、今 日のシンポジウムの進 め方を最初にご紹介 したい と思います。 まず、ク リスチ-ヌ .レヴィ先生か ら基調報告 とい うことで、30-40分、お話をいただきま す。お話の内容については、お手元にあるレジュメの形で用意 してお ります。 続 きま して、レグィ先生のご報告そのものを踏まえたコメン トを、沢山美果子先生にお願い します。沢山先生のコメン トの中には、ご質問にあた るものが含 まれていると思いますので、 応答 を レグィ先生にお願い します。続いて、文学部のお二人の方か ら、それぞれのご専門を生 か しなが ら、少 し角度を変 えた形で今 日の話に関わるコメン トをいただきます。最初に、東洋 史が ご専門の新村容子先生、続 きま して、考古学がご専門の松本直子先生か ら、それぞれ 10 分程度のコメン トをお願い します。 ここですでに出 された問題を踏 まえなが ら、フロアの皆様 ともご一緒に議論 していきたい と考えていますので、ご協力 よろ しくお願いいた しますC 2

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では、最初に、基調報告を していただ くレグィ先生を簡単にご紹介いた します。 クリスチ-ヌ ・レグィ先生はフランスのボル ドー第3大学で教鞭を執ってお られ、同時に、パ リ第7大学 におきま して 「日本 に関す る社会科学 ・人文科学研究グループ」 とい うところに所属 してお ら れます。 特にご専門 として、明治期以降の近代 日本政治思想、 とりわけ自由民権運動の進展について の研究を行ってお られます。さらに、ボル ドー第3大学において、「女性の創造性 (Creativity) と想像力 (imagination」に関す る研究グループ、そ して 「明治期の言説」に関す る研究グル ープに参加 されてお りま して、前者のグループでは、瀬戸内寂聴、そ して、今 日お話 していた だ く平塚 らいて うとい う人物 を通 しま して、「蓋恥心」 とい うテーマ を掲げてお られ るとい う ことです。また、後者 のグループでは、 「明治期の家族像」 とい うテーマで、フェ ミニズム運 動の研究を進 めてお られます。 今回は、国際交流基金 と、 日本研究フェローシ ップの中にあ ります短期 フェローシップ とい う枠組みの下で、 日本女子大学現代女性キャ リア研究所の客員研究員 として来 目してお られま す。ちょうど先週、東京 日仏会館の主催によるシンポジウム

『日本の近代化』再論 :『近代主 義』の何 を継承す るか?」が開かれた ところであ り、そ こで も 「大逆事件 :例外的裁判か抑圧 の近代的モデルか」 とい うタイ トルで講演を行 ってお られます。今回は 7月 28日までのご滞 在 とい うことですが、大変お忙 しい中を岡山まで来て くだ さいま して、あ りが とうございま し た。 実は、本学に来 られ るのは3回 目で、去年の 2月 25日か ら3月 9日まで、 日本学術振興会 の外国人招聴研究員 として、こちらに滞在 してお られま した。その ときは2週間の滞在だった のですが、その間に3つ もご講演 をお願い しま した。その ときのタイ トルは、 1つ 目は 「フラ ンスか ら見た現代 日本一村上春樹 『海辺のカフカ』 を通 して- 」、 2つ 目が 「日本のフェ ミニ ズム と母性問題一平塚 らいて うを通 して」、 さらに3つ 目が 「自由民権運動 における 「平等」 概念の再検討一 中江兆民 『三酔人纏綿問答』の読解 を通 して」 とい うもので、 3つの多岐にわ たるテーマでご講演いただいてお ります。 私はこの中の 「日本のフェ ミニズム と母性問題」 とい う講演 を拝聴 いた しま したが、テーマ がはっき りしていて撤密な議論 を重ねなが ら、 しか しそ こか らダイナ ミックな議論に発展 させ てい くとい う、非常に興味深い講演で した。いろいろな問題 を考えることができ、 さまざまな インスピレーシ ョンも与えていただきま したので、今 日もそ うい う機会になることを期待 して お ります。 さらに、制度 との関係では、社会文化科学研究科 とボル ドー第3大学の間で交流協定が結ば れていま して、その面でも大変お世話になってお ります。 最 後 に も うー っ 、 この本 が ち ょ うど去 年 出版 され た と こ ろ だ そ うです けれ ど も、 『LTimp6rialisme,1espectreduXXesi占cle』、これは幸徳秋水の著作 『廿世紀之怪物 帝国主義』 とい うタイ トルの本をフランス語にお訳 Lになったものです。その前にも、中江兆民の著作も フランス語に訳 されているとい うことで、本 当に幅広い ご活躍 をされてお られますが、今 日は 本 当にその一端 とい うことで、先ほ ど学部長か らも紹介があ りま したタイ トル 「平塚 らいて う ー 日本のフェミニズム運動における彼女の位置、および家族制度に対す る彼女の批判-」 とい うタイ トルで、ご報告いただきたい と思います。 よろ しくお願 いいた します。

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◆基調報告 【レグィ】再び、岡山大学に来 ることになって大変 うれ しく光栄 に思っています。また、お招 きいただいた先生方にもお礼を厚 く申 し上げる次第です。 フランス語 ・フランス文学関係の先 生方にはいつ もお世話になってお り、今年か ら協定が結ばれて、学生の交流 も始まった とい う ことで、 これか らも活発にそれが続 くことを願 うものです。 今、詳 しいご紹介 をいただいたので、私か らまた説 明す る必要はない と思いますけれ ども、 私の専門は歴史で、特に 日本における初期社会主義に興味を持 ち、博士論文では長い間続けて いたその研究をまとめま した。初期社会主義、特に 日露戦争の ときの反戦運動 ・平和運動につ いて考えるよ うにな りま した。平和運動 とい うのは、よく戦前 とか戦後に行われ るのですけれ ども、実際に戦争中に起 こる平和運動 とい うのは珍 しく、 日本では 日露戦争の ときに、 どうし てなのか、また どうい う経緯で初期社会主義者たちが平和を守ったのか とい うことに特に興味 を持 ち、その研究に入 りま した。 中江兆民の 「三酔人経論問答」が一つのバイブルみたいにな っていた ことは、あま りフランスでは知 られていません。 中江兆民が訳 され るのは去年が初め てだったのです。ですか ら、 とても重要だ と思います。 中江兆民の翻訳書は英語のものが一つ あるだけで、あま り外国では知 られていません。 日本についてのイメージとい うのは割に固定化 されたもので、 どちらか とい うと、少々保守 的な傾 向の強い国 とい うイメージが強いのです。 しか し、それ とは違って、 日本の独 自の経験 としていろんな運動があったのです。外国か らの輸入型運動や抵抗でなくて、 日本の経験を通 した運動や思想なのです。 もちろんこれは外国 との話 し合い とい う中でのものですが、カプル ブル クとい う日本専門の方が、 「明治時代の社会主義者は、一種のメタク リスチ ャンだ」 と言 っていま した。つま り、それは、外国人扱い された とい うことですが、それはやは り一つの 日 本の政府 の戦略 とい うことで もあ りま した。 しか し、外国では、例 えばフランスでも、 「日本 の初期社会主義者はク リスチャンの影響が強 くて社会主義者 になった。だか ら、外国の思想 を 持ったことで社会主義者 になった」 とい う紹介が圧倒的で した。だか ら、それ を直 したい、訂 正 したい とい う気持 ちで始めた仕事なのです。そ うしている うちに、やは り女性問題 とか解放 運動についても、 日本の経験 を通 しての女性解放運動が存在 した ことが とても興味深 く思われ てきて、それが 「平塚 らいて う」 との出会いで した。 特に、彼女がその ときにイプセ ンの 『人形の家』を読んで衝撃を受けた とい うことはもちろ んあ りますが、彼女 自身の教養 として、 「自己の解放」 とい う問題 について、臨済の影響が強 かった とい うことがあ り、そ うい うことを含めて、これは本 当に面 白そ うな本だな と思って読 み始めま した。ですか ら、私が知 った ときには、東洋 と西洋の思想の出会いが どうい う形でな されたか とい う面や、もちろん戦前の 日本にフェミニズムがあった とい うことも全 く知 られて お らず、さらに 日本のフェ ミニズムもあま りよく知 られていませんで した。 ただ し、アメ リカではちょっと違 うと思います。 とい うのはこの 20年間、ジェンダー史 と かジェンダー研究が、アメ リカや 日本、それか らイギ リスで も盛んに行われ るよ うになってい ますが、フランスでは本当に乏 しいのです。 日本ではジェンダー史学 とかジェンダー法学 とかが、アカデ ミックの世界では大変発展 して いるよ うに見えます し、フランスか ら見れば、フランスよ りもずっ と発展 しているように見え 4

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ますが、それにもかかわ らず、やは り外か ら見た 目には、その割 に社会ではまだまだ問題が多 いのではないか とい う気が しないでもあ りません。ですか ら、平塚 らいて うの位置付けとい う のも、そ うい うことをちょっと念頭 においています。特に、今す ごく話題 になっている少子化 問題について、もしかすると、戦後の背景や戦前の背景 もふ くめて何か歴史的な背景があるの ではないか、どのように位置付けることが可能なのか とい うよ うな思いで、いろんな問題 を念 頭において始めま した。 私が今まで行った仕事は、本 当のジェンダー ・スタデ ィーズ とは言えません。 自分 自身、ジ ェンダー ・スタデ ィーズには入れてなかった し、 らいて うについて書いた ときも、 どちらか と い うと日本学、ジャボノロジー とい う範囲で行 ってきま した。それに、今回はジャボノロジー で研究す るとまたほかの問題が起きるのです。 とい うのは、ジャボノロジーの研究者たちは、 日本についてなるべ く客観的なことを言いますが、その とき、人々が持 っているイメージ、特 に悪いイメージをつぶす とい うか、それを分析 して、普通の人が思っていることをそのまま使 わない とい う傾向が強いのです。す ると、その中ではやは り東洋 と西洋の対立が起 こって、そ れは偏見だと思われがちです。 とい うのは、 「西洋はフェ ミニズムは強 くて、東洋はフェ ミニ ズムは強 くない」 とい う考え方を持っていると、今度はジャボ ノロジーの中で問題 にぶつかる のです。それで、 「日本ではフェ ミニズムは強 くない」 とか、男尊女卑 とか、そ うい うものが す ごく伝統的に強かったので、なるべ くそれを相対化 しなければな らない とい う思想があるの です。そのため、学問的にその間題 によくぶつか ります。例えば良妻賢母についても、良妻賢 母の話をすれば、す ぐにそれを相対化 しなければな らない、 とい うよ うな問題です。 ですか ら、フランスで 日本のフェミニズムをやっていると、ジェンダー研究 とい う学問があ ま り発達 していないことと、ジャボノロジーの中ではフェミニズムの ことはあま り歓迎 されな い とい う、この二つの問題があるとい うことです。今回は 「家族」の問題の枠内でこの報告を 提案 したので、その中では、いいのではないか と思います。 もちろん これか ら頑張って、もっ ともっと日本のフェ ミニズムを紹介 していきたい と思っています。 今、フェミニズムの研究の問題 についてお話を しま したが、フランスではそ うい う問題があ る一方で、 日本では割にジェンダー史 とか 日本のフェミニズムの歴史を研究 している方 も、 ヨ ー ロッパ との比較はあま りやっていない とい うよ うな気が します。だか ら、これか らは、もち ろん私一人でできるよ うなものではあ りませんが、もう少 し共通点を兄いだ してい く必要があ るで しょう。例えば、教育の重要 さです。平塚 らいて うな どを見ていると、それをす ごく感 じ ます。自由民権運動において、一時期のフェ ミニズムは平等の思想に関わって起 こりま したが、 自由民権運動が弾圧 されたので、その平等に関わる女性解放思想は弾圧 されて、そ して 1911 年に再び出て来 るのは、やは り平塚 らいて うのように、留学 して大学で女性たちがつ くった第 一のグループです。やは り高等教育の重要性 とい うことは欠かせない ものであって、女性が高 等教育に入学するよ うになると、それだけの成果がある。 これは世界的に重要なニーズであっ て、やっぱ り将来性が とても強いであろ うとい う気が します。 日本で平塚 らいて うの話をす るときは、少 し恐縮 します。 日本人の方にとっては、よく知 ら れていて、そんなに面 白くもないのでは とい う気が しますか ら。でも、フランスでは今の とこ ろは全 く知 られてお らず、専門的な文献 もない し、何 もあ りません。ですか ら、その第一次フ ェミニズムを紹介す ることは、その中に含 まれているいろいろな重要な点を提案す るとい う意 義をもつ と思います。そ うい う理 由で平塚 らいて うのことを扱 っています。 それか ら、個人的に読んで も、 とて も面 白い と思っています。 とて も面 白い と思います し、

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女性 としては、一種の普遍的な偏見、つま り母性 と、 自分の仕事、生活す るだけのための仕事 でなくて、 自分の人格 を生かせ るための仕事をや りたい女性。 そのことを考えると、 とても普 遍的であって、案外まだ現代的でもあると思います。 とい うのは、今回来て、いろいろと私が 扱 っているテーマについて、さっきもちょっと紹介 していただきま したが、 とてもうれ しいこ とに、 この 『フェミニズム ・イン ・ジャパ ン』 とい うのが再出版 されて、母性や女性の問題 と か、ジェンダーの問題 についていろいろと議論す るとい うことによって、その中で母性 につい ての本 を書 きま した。 ちょっといろんなことに追われて しまい、特に大逆事件について、朝 日 新聞に 14回に及ぶ記事が載 っていたので、それ もちょっと勉強 してみた りして準備 を しなけ ればな らなかったので、今回は短 くな りま した。 この本 をちょっと読んでいただけでも分か りますが、 日本の 1950年代は じめは保育園を発 達 させ る計画があ りま した。50年代か ら60年代にかけ、特に 60年代の所得倍増計画の枠内で は、保育園の政策が変わった とい う事実があ ります。つま り、 自分の人格 を生か したいか ら、 外に出たい とい う 「個人的な理 由で仕事を したい女性 に対 しては、保育園は要 らない」 と、そ うい うふ うに政府が書いているのです。 「政策 として これか らはこ うい うふ うに していかねば な らない」とい う、その見方は本 当に、あ くまでも二重に差別的 とい うか、階級的な思想です。 ですか ら、貧乏な人 しか保育園は行けな くて、女性が 自分の才能 を生か したいか ら仕事を した い とい うのは、それはあ くまで も子 どもの教育を犠牲にす るよ うな感 じでみ られていた とい う ことです。それは、やは りちょっ と逆戻 りに見えます し、逆戻 りとい うか、構造的に、 日本の 高度成長を支えた社会づ くりには、す ごく強い影響を与えたのではないか と思 うのです。 先週の東京でのシンポジウムで も、落合恵美子 さんだと思いますが、優秀な方が発表 されま したけれ ども、彼女のテーマは、 「脱欧入亜」で、その疑問点の発表で したOそ こでみ ると、 東洋 と西洋 とい う対立ではな く、アジアの国々を比べても、 とても対照的です。つま り、 日本 はいまだに、女性の労働力率のカー ヴはM字型です。 しか し、アジアのほかの国、つま りシン ガポール ・中国 ・台湾、ほかの どの国でも、フィリピンもそ うはなってないのです。ですか ら 女性の就職型はもう西洋的になっている、資本主義的 と言ってもいいですね。西洋的でもあ り、 資本主義的で もあ ります。それなのに、 日本だけが このよ うにM字型みたいになっています。 それはやは り深い理 由があ り、東洋 ・西洋の対立よ りももっと、 日本の女性のフェミニズムに 対す る当局 とい うか政治 ・経済世界の答が、あ くまでも、一種の企業主義- 社会学者たちは 一種の企業主義 とか言っていますか ら、 日本に対 しては、 「企業で働 く男性 を支 えるための女 性 を中心にす る家族制度」 とい う感 じが します。 それで、やは り平塚 らいて うが関わった問題 と今の問題は、そ うい う面において共通 してい るのではないか と思います。平塚 らいて うの母性保護論争、与謝野晶子 と山田わか、それか ら 山川菊栄の論争のことも考 えると、今でも当てはまる問題があるのではないで しょうか。 もちろん、その解決の方法は違 ってくると思います。つま り、平塚 らいて うが言っていた女 性の給与みたいなものは、 も う今は通 らないと思います し、それか らちょっと混乱 していた面 もあるの じゃないか とは思 うのですけれ ども、彼女が訴えた もので、本 当にいまだに大きな問 題で、フェ ミニズムの一つの核心になると思 うものは、女性が どうやって独立 して子 どもを持 てるか とい うことです。つま り、今、西洋 と日本を比較す ると、 日本の場合は、女性が一人で 子 どもを育てることが可能か どうか とい うことが、一番難 しいのではないか とい う気が します。 もちろん、それが理想だ とい うことでもない し、そ うすれば解決す るとい う考えでもあ りませ んが、 しか し、女性 に とって、子 どもが欲 しい と思っても、やは り結婚を通 さなければもうそ 6

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れは無理だ とい う面もあ りますね。そ うす ると、今度は、女性 として一番望んでいることは何 なのか とい うことがちょっと疑問になってきます。 平塚 らいて うの経歴 を見ると、彼女は割に上層の女の子 として生まれま した。1890年か ら、 良妻賢母 とい う教育方針を文部省が取 り入れた とい うことで、それに対す る反抗が女の子の間 にも割に 自発的にあった とい うことが、彼女の 自伝に出てきます。だか ら、そ うい う感 じで、 絶対結婚 しない し、絶対子 どもが欲 しくないと。子 どもはまたあ との話なので別に して、若い ときには友人4人で、 「絶対結婚 を しない」 とい う約束 をしたのです。それで、結局それを本 当に果た したのは らいて うですが、それ も1941年 までです。ずっと自由に生きてい くには、「子 どもがいるか、いないか」で 「自由か、 自由にな らないか」 とい うよ りも、 「主人がいるか、 いないか」で、「自由か、 自由ではないか」 とい うことになってい くわけです (笑)0 そ うす ると、やは り日本の社会の中で高学歴の教育を受けた女性は、1911年でもうすでに結 婚は理想 にはならないで、 自分で 自由に生きてい くことのほ うが、結婚す ることよりも理想 に な ります。それは、ある種の普遍性 を持つ と思います。だか ら、 どの国に行っても、教育が高 いほど自分の理想を考 えるし、もちろん、それで恋 した くない とい うことではないのですが、 「男 (主人)によって生きる」 とい う考えが少 しは薄 くな ります。だか ら、 「女の一生は結婚 で決まる」 とか 「男性で決まる」 とかそ うい うことより、 自分 自身の才能があって、それ を生 かせ る機会のある社会になれば、その社会に自分の才能 を生かせ ることを望む ようになる。そ うす ると、やは りもう主人に縛 られた くない と考えるよ うにな り、そのきっかけを与えるのが、 やは り 「近代化」ですO ですか ら、家族のパターンと社会のパターンが矛盾 して くるとい う傾 向があ ります。それで、 今の ヨー ロッパでも出産率は さまざまなのですが、一番低いのはイタ リア とスペインですo特 にスペインも、イタリアでもそ うなのですが、宗教、特にカ トリック宗教か らの解放が割 に最 近新 しくされたので、その対立が大 きいわけです。社会でできることは、経済問題 とかいろい ろあ りますが、その社会で女性が生きてい くことと、家族制度のパター ンとの矛盾は非常に強 いのです。 ですか ら少子化について、つい最近までは、一番、 日本が超少子化だ と言われていたのです が、去年はイタ リア とスペインのほ うが出産率が低 くな りま した。だか ら、そ うい うことを見 ると、やは り一つの女性 に対す る展望 として、近代社会では、家族や制度がだいぶ矛盾す ると、 どうしても女性が個人的に生きる、 自分を生かせ る方向-向くのではないか とい うことは、既 に、青鞄時代にも傾 向として見 られたのではないで しょうか。ただ、青踏時代は、高等教育を 受けていた女性たちがまだ少数派だったこととか、それか ら社会の願望があってだ とか、いろ いろな理由で、それほ どではなかったのですが、平塚 らいて うの発言 としてはっき りしている のは、そ うい う夫や夫の家族 に縛 られ る家族 とい う面を一番批判 してお り、それを拒否 してい た とい うことです。それに対 して、彼女は、個人的には 「伝 えた」 とい うふ うには思 うんです けれ ども、す ごく少数だった と言わざるを得ませんO それで、平塚 らいて うの 自伝 とい うのが 80-90年代にす ごく売れて、今はあんま り、やっ ている人たちがいないようですけれ ども、ほかの戦前のフェ ミニス トよりも、一番知 られてい るのが平塚 らいて うじゃないか と思います。ほかには、 さっき話 した戦前の運動家で、 とても 重要な役割 を果た した山川菊栄 とか、いろんな人物がいます。 しか し80年代に、平塚 らいて うの 自伝が20万 ぐらい売れま した。 自伝の中でも、す ごく売れたほ うです。ですか ら、80年 代にそれだけ流行 した とい うことと、一種の平塚ブームみたいなものがあった とい うことは、

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や は り、今言ったよ うな女性の傾 向が反映 しているのではないか とい う気が します。そ うい う 面で、平塚 らいて うが批判 していた戦前の 「イエ制度」とい うのは変わ らず、1947年、憲法は 変わ り、民法は特に家族 に対す る部分が変わったにもかかわ らず、 「イエ」は変わっていない とい うことがあ ります。ですか ら、戦前のイエ制度はな くな り、長男が一番高い位置にいると か、そ うい う家父長制はな くな りま したC しか し、 日本の独特な戸籍 とい うのはな くなってい ません。個人 じゃな くて戸籍なのです。 つい最近知ったことです けれ ども、離婚後300日以内に生まれた子 どもに対 しての 「無戸籍」 の問題があ ります。対照的に挙げ られている一つの事実 として、フランスでは数年前か ら、婚 外に生まれ る子 どものほ うが多 く、60%ぐらいになっています。 日本では、2004年で 2%と、 ほかの国に比べると、驚 くぐらい少ないのです。そ うす ると、やは り、戸籍の問題があ ります。 法学部ではないので、詳 しくは理解 しにくいものがあるのですが、子 どもが生まれ ると、まず 戸籍 とい うのが どうなるか とい うのが問題 らしくて、女性が結婚 しないで子 どもが生まれると、 「私生児」 といった形で差別的な立場に置かれた りす るとい う問題 もあ ります。それ と、やは り戦前 とはもちろん違いますが、家庭の中での男性の立場が法的に何か残 っているよ うな気が します。イエ制度の批判か らみて、平塚 らいて うが訴えていたことが、いまだに残 っているの ではないか とい う気が します。 そ うい う面か らみて、彼女には とても近代的な面が多いです。 もちろん、フェミニズムの問 題 は、彼女 自身が女性解放運動 を勉強 していたので、平等 とい う点が出てきます。彼女 もあ と か ら意識す るようになったのですが、フェ ミニズムを、 「平等主義 と個人主義の産物である」 とい うふ うに言っています。ですか ら、そ うい う意味では、やは り20世紀におけるフェ ミニ ズムはだんだん強 くなっていった とい うことが言えますが、最近のジェンダー史の中では、フ ェ ミニズムの歴史 ・位置付 けが、ちょっ と暖味になっているとい う気が します。 とい うのは、 ジェンダー史の中では、性 の差異が どうい うふ うに現れた とか、表現 された とか、そ うい うこ とをだんだん勉強 していくのですが、フェミニズムが実際に どうい う勉強法を持 っていたのか、 どうい う立場にいて、 どこまで主体を変えてい くか、それがちょっと出ない とい うか、それ を あ らためて研究す る価値があるのではないか と思 うのです。 例 えば 70年前の 日本におけるフェ ミニズム とヨー ロッパにおけるフェ ミニズムには差があ った し、その影響はあったのかそれ とも余 りなかったのか、その深 さとか どうだったのか。そ うい うふ うな問題について も、これか ら、皆 さん と意見の交換を していきたい と思います。 ヨー ロッパの 70年代のフェ ミニズムは、カ トリックの影響が強かったので、 日本 とは事情 が全然違った と誰かが言っていま した。それはそ うです。それか ら、中絶の問題 も違 うと。確 かに、そ ういえばそ うなんですけれ ども、70年代のフェミニズムとい うのは、カ トリック宗教 に対 しての反発 とい うよりも、戦後のベ ビーブームとか、戦後の社会構造の問題です。つま り フランス女性の就職な どを見ると、60年代までは、 日本 と同 じ全 くのM字型です。ですか ら、 第二次世界大戦が終わって、新 しい国をつ くるためには子 どもを安定 した家庭でたくさんつ く って とい う、同 じよ うな問題があ りま した。戦後20年の1965年 ぐらいまでは、女性はいつ も 家庭を支 えるとい う、 日本 とちょっと似た面があ り、それに女性たちが反発 を していたわけで す。 もちろん宗教もあ りま したが、フランスはそれほど宗教が強 くないので、女性の運動は宗 教に対 してではな くて、もっと個人の生き方であ り、やは り平等主義 ・個人主義の産物 ととら えるべきだ と思います。 それでフランスの社会に起 こった対立 とい うのは、 どち らか とい うと、宗教 を重視す る政治 8

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勢力が、伝統、宗教な どと家族で対立になったか らで、反対ではな くて、政治的な理由で宗教 との対立が動いたのだ と思 うのです。宗教に対する反発 よりも、政治的な理 由で、宗教を利用 して、女性解放に反対 した勢力があると、そ うい うふ うに見 るべきだ と思います。ですか ら、 宗教や文化的な側面よ り、実際には政治的対立があったのではないか とい うふ うに思います。 それは一つの考え方ですけれ ども。 それか ら、も う一つで終わ らせていただきますが、母性 について、フランスでも80年代に、 フェミニズムの中で母性 をす ごく重視す る差異派 とよばれる論客が出てきま した-。 日本では どのよ うに受けとめられたので しょうか。 例 えば、差異派か ら見れば らいて うは差異派にひかれ ると思います。でも、全 くそ うではな い と思 うし、そ うい うふ うに見ないで、 日本の場合はフェミニス トの中で、差異派 と平等主義 者 との対立はあったのか とか、そ うい うことをこれか ら将来、ちょっと考えてみたい と、それ も絡みますね。 らいて うの影響がそ うい う面ではあったのか、評価 されたのか とい う点 も、考 えていきたいとい うことです。 ちょっと大ざっぱな発表で申し訳ないのですけれ ども、 どうもご聴講、あ りが とうございま した。いろいろこれか らのお願い とい うことで、よろ しくお願いいた します。 ◆ コメン トおよび質疑応答 (1) 【司会】あ りが とうございま した。 らいて うの生きた時代 と現在の関連、 日本の状況 とフランスを含む ヨー ロッパ との距離のお 考えや、今後いろいろな形で広がってい く素材 となるお話 をいただいた と思います。 続 きま して、ここで沢山先生にコメン トをまずいただいて、そ して少 しデ ィスカ ッシ ョンを したい と思います。 【沢山】沢山と申します。 よろしくお願いいた します。 レヴィ先生のお話 を大変興味深 く聞か せていただきま した。らいて うが抱えた課題、母性 とい うもの とその人格を生かす とい うこと、 そ して両者の葛藤 とい う問題 は、今 も普遍的な問題ではないか とい うことをおっ しゃいま した けれ ども、私 も研究を始めた とき、実はまさしくこの問題 にぶつか りま して、1979年に近代 日 本の母性 についての論文を書いたのですが、やは り、 らいて うか ら学ぶ ところが非常に多かっ たのです。 その当時、私は教育思想史が専門ですけれ ども、母性 とか普通の家庭の母親がどんなふ うに 子 どもを育てていたかな どとい うことは、教育史のテーマだ とい うふ うには見 られてお らず、 結局、バダンテ-ル とい うフランスの研究者の母性研究の中か ら学んだ とい う経緯があ ります ので、大変興味深 くお話 を聞きま した。 ここでは3点、コメン トをさせていただきたい と思い ます。 先ほど、中谷 さんのほ うか ら、 レグイ先生が昨年 もご講演をなさった とい うお話 しがあ りま したけれ ども、その原稿 も読ませていただきま した。そこで一つ大事だ とい うふ うに思いま し たのは、 日本のフェ ミニズム運動の中で、らいて うの位置 とい うのは どこにあったか、そこに レグィ先生が視点を置かれているとい うことです。

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レグィ先生は、 「らいて うは、 日本 における第一次 フェ ミニズム運動の代表的な担い手だ」 と位置付けられ、1970年代か ら始まる第二次フェミニズム運動の中では、実は第一次フェミニ ズム運動 とい うのは忘却 されていて、そ こでは母性 とい うもの も否定的に評価 をされた と、そ のよ うに書いてお られます。 また先ほど、 らいて うの 自伝が大変売れて、80年代に20万部売れた とい うお話があ りま し た。 同 じ80年代、堀場晴子 さん とい う方が、『青鞍の時代- 平塚 らいて うと新 しい女たち』 とい うタイ トルのご本 を、1988年にお書きになっています。 この 「あ とがき」が、レグィ先坐 が指摘 なさった ことと重な り、大変興味深かったのですが。堀場 さんが、 どうい うことを書い てお られ るか といいます と、「(日本では)1970年代に、『ウーマン リブ』の語が盛行 し、『フェ ミニズム』の語の普及は 80年代に入ってだったで しょうか。それ を "新 しいもの" と感 じて いた私は、同 じことが "青轍の時代"のジャーナ リズムに通用 していた事実を発見 し、驚きま した」。 そ して、 「大正末期にかけてそれが語 られた時代 と、復活 しているいま、その間の紙 誌か らも人々の記憶か らもそれが消え去った時代について、思い沈まずにはい られません」 と い うふ うに、書いてお られます。 そ うします と、ここに、 レグィ先生のご指摘 と堀場 さん との、大きな重な りとヒン トがある と思います。それは どうい うことか といいます と、フェ ミニズム運動が忘却 され、沈黙 を して いた時期 とい うのは、いったい どんな時期であったのか とい うことが、 とても大事だろ うとい うことです。 実はこのフェ ミニズム運動が沈黙を していた時期 とい うのは、 日本の中で、近代家族が大衆 化 を してい く、そ うい う時期であった と言えると思います。そ こか ら日本の家族 とフェミニズ ム運動 との関わ りとい うことを考えていきます と、第一次フェ ミニズム運動- 『青轍』が発 刊 された時期は1908年ですけれ ども、この 1910年代か ら20年代 とい うのはどうい う時期か といいます と、先ほ ど少子化社会 との関わ りをレグィ先生がおっ しゃいま したけれ ども、 日本 の中で、少産少死社会が始まってい く、その始発点になった時期なのです。 それ と同時にこの時期には、イエ制度 とは違 う近代家族 とい うものが成立 して くる、つま り 性別役割分業家族が成立を してきますoそ うい う時代背景の中で、第一次 フェ ミニズム運動の イエ制度批判 とい うことが起きたのだろ うと思います。では、第二次フェ ミニズム運動は どう だったか といいます と、この時期には近代家族が既に大衆化 を してきているわけですが、大衆 化す ると同時に、その 「らぎ」 とい うものも起 きてきま した。 日本女性のM字型就労の話が さ っきか ら何度 も出ています けれ ども、団塊の世代が最 もM字の底が深い、近代家族の大衆化 を 担 った世代なのです。その近代家族が大衆化 を した時期に、近代家族 を批判 し女性の主婦役割 を批判す るとい うことを、第二次フェ ミニズム運動はお こないま した。第一次フェ ミニズム運 動か らその間の沈黙の時期 を挟みま しての第二次フェ ミニズム運動-の経緯 をみてい きます と、現状を批判す るフェミニズムは、女性にとって家族 とい うのは大切な生きてい く場 とされ たわけですが、 日本の家族のあ りかた と真 っ向か ら対峠す るものであったことが、浮かび上が ってきます。 同時に レヴィ先生のご報告のタイ トル 「フェ ミニズム運動における彼女の位置、 お よび家族制度に対す る彼女の批判」 とい う言葉が持っている意味 とい うものが、浮かび上が って くるのではないか と思います。 あとで、 レグィ先生に対す るご質問 とい う形で挙げたい と思ってお りますが、 らいて うの位 置 とい うのは、単なるイエ制度批判だけにはとどまらなくて、おそ らく近代家族-の批判 とい うものを先駆的に先取 りした部分が実はあったのではないか と思っています。 10

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レヴィ先生の視点の重要な二点 目は、今 日お渡 し下 さいま した レジュメに 「らいて うの経歴」 を書いてい らっ しゃいますけれ ども、 らいて うの思想を、彼女 自身の歴史的経験の肉付けによ って理解をする、そ うい う視点を出 してい らっ しゃる点です。 これは、らいて うの人生 と思想 とい うものの関連を問題に してい くとい うことだ と思います。 そ うします と、先ほど母性保護論争の話があ りま したけれ ども、なぜ与謝野晶子 とらいて うは 対立を したのか とい うこともまた、みえて くると思います。 らいて うは官僚の家族 に生まれるわけですけれ ども、与謝野晶子 とい うのは町人の生まれで す。町人 とか農民の家族は、子 どもを産んだか ら、あるいは結婚 したか らといって休む とい う よ うなことはな く、子 どもを産んでも働 くのは当 り前です。そ こに、なぜ らいて うと晶子の違 いが出てきたか とい うことも浮かび上がるで しょう。与謝野晶子は 12人の子 どもを次々に産 みますが、 しか し、 らいて うは、最初 「産まない」 と決意を し、さらにその後非常な決意 を し て出産を して、そ して出産経験 とい うものによって、また思想 を変えてい く。そ うす ると、出 産経験をどう受け止めたか とい うことも、たぶん二人の思想の違い と関わって くるのだろ うと 思います。 フェミニズム思想 とい うことを考えた ときに、歴史的な経験の側か ら迫 っていくことは、青 踏の女性たちの思想表現の特質に迫 る点でも、とても大事だろ うと私は思っています。なぜか といいます と、 らいて うをは じめ として、『青踏』の作品 とい うのは、 自分が置かれている位 置を、例 えば堕胎を した とか、本 当に赤裸々に語 るのです。つま りそれは、 レヴィ先生の言葉 で言い換 えれば、 「自分たちの立ち位置にこだわった」 とい うことだ と思います。 らいて うを 含 めた音階の同人たちは、とりわけ自分たちの性 を問い直す形で、思想表現を していきま した。 そ うします と、当時、今 もそ うですけれ ども、今以上に公的なものが、国家 とか男 とい うも のに占められている中では、女性は私的なことを問題にせ ざるを得ないわけです。私的な経験 を語 り、私的なことを問題 に してい く。それはフェミニズムのテーゼである、 「私的なことは 政治的なものであるCポ リテ ィカルなものである」 とい う視点につながっていく、そ うい う契 機 をはらんでいたのだろ うと思います。 私的なことを問題にす るとい うことにな ります と、やは り女性 にとって大きな問題 となるの は、結婚 と家庭の問題です。 レグィ先生の レジュメの 「イエ制度、結婚制度に対す る批判」の ところで、 らいて うの1913年の 「世の婦人連に」 とい う論文をあげ られていますが、「今 日の 結婚制度では結婚 とい うことは、一生涯にわたる権力服従の関係」 として、 らいて うは、明治 民法の財産に対す る妻の無能力規定 とか、姦通罪 も、男は罰せ られず女が罰せ られ るとい う、 そ うい う不平等規定に対す る批判、つま り明治民法のイエ制度、結婚制度に対す る批判を して います。また らいて うはその実践 として、共同生活を実践 し、 自分は子 どもを産む道具ではな い として、 「道具」 としての位置か らの脱 出を図った。そ うい う意味では、 らいて うの中に、 良妻賢母主義、それか らイエ制度、結婚制度に対す る批判があった とい うのは、これは確かな ことだろ うと思います。 しか し私はそれだけではないのではないか と考えていて、そのあた りの ところをレグィ先生 にお聞きしたい と思っています。 レジュメの3ページ 目に、伴侶になる奥村博史に対す る質問 状が出されていますが、これは大変面 白くて、質問された博史の側は とてもた じろいだ らしい です。 この中で、例 えば 4ページ 目の 6項 目目を見ていただきます と、 「恋愛があ り、それに とも な う欲求 もあ りなが ら、まだ子 どもは欲 しくない とした ら、あなたは どう思 うか」 と聞いてい

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ます。近代家族においては、恋愛 して、結婚 して、子 どもを産む、恋愛 と結婚 と子 どもは三位 一体の関係 にあ ります。 らいて うは、そ こに、まさにくさびをいれ よ うとしているとい うふ う に受け止め られ るし、ここにある意識 とい うのはやは り、 「結婚 とい うのは制度だ」 とい うも のだ と思います。 「結婚は制度だ」 とい うのは、まさしくこれは近代家族の規範-の批判 なの ではないか と思います し、そ うい う意味では、 らいて うは近代家族の規範による縛 り-の批判 の先取 りを したのではないで しょうか。 『青

』の創刊の言葉は、 「元始、女性は太陽であった」ですO また先ほどレグィ先生が紹 介 して くだ さった らいて うの 自伝のタイ トル も、『元始、女性 は太陽であった』なのです。 こ の 「元始、女性 は太陽であった」の中で、 らいて うは どうい うことを言 っているか とい うと、 「女性 は天才なんだ」、 ところがその 「天才の可能性 を空 しく潜在 させてきた」のはなぜか と い うと、「久 しく家事に従事すべ く極め付 けられて」「精神集注」を鈍 らされてきたか らにはか な らず、それ ゆえ 「私は、家事の煩墳 (はん さ)を厭 う」、 と断言 しています。 この らいて う の言説は、女性 を家事役割 に拘束 して、家庭の中に囲い込む、そ うい う性別役割分業を本質 と す る近代家族の存在基盤 を揺 るがす批判で した。性別役割分業 とい う規範 に正面か ら挑戦 し、 自己解放を求めるらいて うの主張は、だか らこそ 「新 しい女」の呼称 とともに語 られた し、ま た邦稔 もされた し、男だけではな くて女たちか らも批判 され ることにな りま した。 そ うします と、 らいて うの思想 とい うのは、イエ制度に対す る批判であると同時に、新 しく 兆 しは じめていた近代家族 の規範 に対す る違和感の表明で もあったのではないか と思 うので す。近代社会に登場 した、家庭の主婦役割-の異議 申立でもあって、その点での先駆性 とい う のが、 らいて うにはあったのではないか と思います。 これが指摘 したい三点めの点です。それ は、 日本の家族 とい うものが持っている特質 とい うもの と、実は深 く切 り結んでいて、先ほど レグィ先生が、「今だって、イエ制度の くくりがきついんです よね」と言われま したけれ ども、 日本の家族 とい うのは、イエか ら近代家族-単線的に移行 していったわけではな くて、いまだ にイエ制度的なもの と近代家族的な もの とを、両方含んでいる。そ うした家族の実態 と立ち向 かお うとす ると、イエ制度的なもの と近代家族的なもの と両方 を批判す る、そ うい う性格 を持 たなければな らなかったのではないか、そのよ うに思っています。 以上で、私の拙いコメン トを終わ らせていただきます。 【司会】 どうもあ りが とうございま した。では、 レヴィ先生のほ うか ら、今のコメン トに対 し て、答 えていただけますか。 【レグィ】 とても興味深いコメン トをいただいて、あ りが とうございます。今のコメン トを聞 いていて、私 も考えま したので、二つの返事を したい と思います。 フェ ミニズムの位置付 け とい う問題 に対 しては、 「第一次 フェ ミニズム」 と一般的に呼んで お りますが、実際は、 日本にはその前にもあった とい うことです。ですか ら、実証的に調べ る と、これは実は 「第二のフェ ミニズム」 と書かねばな らないのではないか と思います。 その前のフェ ミニズム とい うのは、 自由民権運動の枠内で、その中か らつながるフェミニズ ム としては、社会主義者の女性運動が とても強かったのです。それで、平民新聞のころには、 既に女性のグループができた し、いろんな批判 もあった。それ も再評価の価値があると思いま す。それで、80年代に平塚 らいて うがブームになった とい うことを言ったのは、現代の社会、 特に社会主義の崩壊 とかそ うい う現状 もあるし、歴史的な理 由、弾圧 な どもあるので、結局、 12

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今見ると、平塚 らいて うのフェ ミニズムのほ うがおそ らく今の問題 に近い、今の問題に近いと い うよりも受け入れやすいのではないかと。でも、そのつなが りがない とい うことではあ りま せん。例 えば、福 田英子が 『青踏』に書きましたが、その ときには らいて うが父親に呼ばれて、

『青踏』が、社会主義者の書いたものを出版 した ら家 を出てもらうか ら、やめてほ しい」 と いわれ、弾圧が とても強かったのです。平塚 らいて うが 『青踏』 をつ くった ときにも、平民新 聞を幸徳秋水 と一緒につ くった堺利彦が、 らいて うに手紙 を送 っている し、それか ら特に、大 逆事件の ときに死刑になった菅野スガが持っていた 「婦人論」 を、堺利彦が平塚 らいて うに送 ったのです。ですか ら、例えば、この 「世の婦人たちに」 とか、その中に出て来る 「家族の中 の女性の立場」とい うのを直接読んでいて、直接その影響が表れ るわけです。でも、1911年で すか ら、その時代はもう 「社会」 とい う言葉だけでも検閲の対象 となっていたので、彼女 とし ては、もちろんそれが引用だ とい うことも言えなかったわけです。 ですか ら、そ うい う意味で も、 「フェ ミニズム」が、 らいて うだけでな くてその前にもあっ た とい うことも考えなければな らない と思います。そのつなが りのこともも う少 し考えれば、 おそ らくいろいろなことが出て来るのではないか とい うのが、一つの考えです。 もう一つは、 らいて うの特徴あるいぼ,個性 としては、やは り 『青轄』 とい うことですO らい て うだけではなかったのですが、や は りらいて うが中心人物だった とい うことは確かです し、 個人的にもとても意志の強い人であ り、やは りあの時代では、特殊な人だった と思います。読 んでいて、面白い人です。 一番 70年代に近いのは、私 と公 を分けることで、ブルジ ョワ的であ り、その批判 とい うの は とても強い し、 とて も重要だ と思います。ですか ら、 「私的問題 も政治的問題である」 とい う考 え方は、それ こそ近代的で、70年代 との共通点だ と思います。 そ うい う面では、コメン トされた 「イエ制度 と家族制度の、 この二つの共通点が何なのか」 とい うのがとて も面白いのではないか と思います。 日本の場合 には 47年に民法が変わってイ エ制度 とい うのは過去のもののように紹介 されているのに、何が続いたのか、イエ制度 と家族 制度はどう違 うのかな ど、それを具体的にもっと深 く研究 していけば、これか らの研究の対象 としても、 とても面 白いものがあると思います。 それで、明治民法の特殊性 とい うこともあ ります。やは り、明治民法 とい うのはフランスの 民法 と違います。 フランスの民法は、その法的なものに、私的なことと公的なものを両方含み ます。 ところが、 日本では天皇制の憲法があって、その憲法の思想は、神道 とかそ うい うもの に基づいていて、民法のほ うはスペ ンサーなどのフランス法の発展主義 に基づいているのです。 ですか ら、憲法では、例 えば穂積八束が 「強い者は弱い者を保護 しなければならない」 と。 し か し民法ではそ うい うのはあま りあ りません。民法のほ うは どちらか とい うと、私的なものと 公的なものをす ごく区別 してお り、 日本の場合はもっととい うか何 とい うか、徹底的に区別 し ています。明治時代の 日本の民法の中では、公的なものは含 まれません。 フランスでは私法 と 公法、両方があ ります。 日本では私法 しかあ りません。だか ら、そ うい うこととも絡んで、私 法 と公法の区別の仕方が、結局ある意味ではイエ制度で、イエ と近代家族 をつないでいるので しょう。それほど、今までは どちらか とい うと、イエ制度 と近代家族はす ごく対立的に考 えら れてきた とい うことです。それ をも う少 し相対化す るべきではないか と思います。それはまっ たく一致 していて、これか らの一つの研究テーマ としては貴重だ と思います。 どうもあ りが と うございま した。

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◆ コメン トお よび質疑応答 (2) 【司会】あ りが とうございま した.一応 ここでいったんフロアに開こうと思っていたのですが、 時間の関係 もあ りますので、全体での議論はあ とに譲 りたい と思います。 とりあえず、お二人 のコメンテー ターの方にコメン トをいただきたい と思います。 続 きま して、新村容子先生にお願い したい と思いますが、 レヴィ先生はフランスの方 として 日本の政治思想史を研究 されているわけですけれ ども、新村先生は 日本に拠点を置きなが ら中 国の歴史を研究 されているとい うことで、そのお立場か らの意見を聞きたい と思います。 【新村】新村です。 よろしくお願い します。 レジュメがA3で1枚 あ ります。 (巻末の新村 レジ ュメを参照。)お手元にあ りますで しょうか。 それでは レジュメに沿ってお話 していきたい と思います。座 らせていただきます。 私は、少 し立場を違 えて、中国近代史を研究 していますので、その中国史の立場からコメン トさせていただきたい と思います。 私のコメン トの狙い とい うのは、平塚 らいて うが 『青踏』で活躍 した時代 とほぼ同時代の中 国 とい うのは、違いはあ りますが、やは り共通 した同 じうね りの中にあった とい う話を してみ たい と思います。ですので、今 日は現代の同時代の中国における女性の解放運動についてご紹 介 しま して、その運動 と、平塚 らいて うが 『青轄』において提起 していた女性解放運動 との共 通す る リズムみたいなものを探 したい と思います。 まず 『青踏』が発刊 された時期から3- 4年 ほど遅れ るのですが、中国で 『新青年』 とい う 非常に注 目され る雑誌が発刊 されています。『青踏」]は1911年に発刊 されま したが、中国にお ける 『新青年』は 1915年 に発刊 されま した。そ して、その同時期に 『婦女雑誌」]とい う雑誌 も発刊 されています。 中でも 『新青年』は、中国の中で初 めて個人の独立 と自我の覚醒 とい う ものを訴 えて、儒教道徳 を批判 し、それか ら古いイェ制度 とい うものを批判 して、女性解放 ・ 自由恋愛を唱えた、非常に画期的な雑誌 と評価 されています。1915年か ら五四新文化運動 とい うのが始まるのですが、それを リー ドしたもの として、非常に注 目されている雑誌です。 『婦女雑誌』のほ うは、当初かな り保守的な雑誌だったのですが、1910年代の後半か ら1920 年代 にかけて、『新青年』の影響 を受け、 「女性解放」をテーマ として扱 うようにな り、また、 後で紹介 しますけれ ども、 「自由離婚」 とい うテーマで論争 を繰 り広げています。 同時代の 『青踏』 と 『新青年』についてご紹介いた しま したが、興味深いことに 『青轄』 と 『新青年』 とに共通 して 「イプセン現象」 とい うのが見 られ ま した。 この当時ノル ウェーの作 家のイプセ ンの劇が、東アジアに紹介 されたのですが、中で も一番大きな影響を与えたのが 『人 形の家』 とい う演劇です。 この 『人形の家』 とい う演劇 は、大 ざっばに言います と、 とてもか わい らしい妻 であ り続 けた ノラ とい う女性が 自我 に 目覚めて家 を出るとい うふ うな筋の劇 な のです。 日本では、松井須磨子が ノラを演 じ大きな反響 をよびま した。 そ して 『青鞍』では、1912年の 1月号に 「ノラ特集号」が組 まれています。 日本の 「ノラ特 集号」、すなわち、平塚 らいて うのノラに対す るとらえ方 とい うのは、全面礼賛ではな くて、 どち らかとい うと女性の 自立 とい うのは評価 しなが らも、家出をす るノラに対 して 自立はそん なに簡単なものではない と、やや批判的なまなざしで見ていると思いますが、中国ではノラ旋 14

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風が吹き荒れま して、これは本 当に大礼賛 と言ってもよい状況で した。 『新青年』は、『青鞍』の特集号か らは 6年遅れますが、や は り1918年の 6月に 「イプセン 特集号」を出 しています。特に、この中でノラを礼賛 したのは胡適 とい うアメ リカ帰 りの知識 人です。彼は 「イプセ ン主義」 とい うかな り長い論文を 『新青年』に掲載 しています。その中 で、古い家族制度を批判 して、「個の 自立」、 「女性の解放」を声高に主張 しま した。 中国では、 日本以上に 『人形の家』を各地で上演す る動 きも広が りま して、少々余談にな り ますが、後に毛沢東の夫人にな ります江青 とい う女性がいますが- 四人組 と一緒に逮捕 され て しま う女性ですが、この江青がノラを演 じま して、注 目されてスターにな りま した。そ して また、中国では興味深いことに、この 『人形の家』に触発 されて、ノラのよ うに家出をす る青 年たちが続出 したわけです。そ うい う青年たちは どうしたか とい うと、北京で共同生活を して、 働 きなが ら勉強す る 「工読互助団」 とい うグループをつ くって、そ こで、家か らの新 しい出発 を模索 し始めま した。 今お話 しま したよ うに、『青鞄』 と 『新青年』 とに共通 してイプセンがもてはや され るとい う、そ うい う状況はかな り共通 していたわけですが、中国 と日本では決定的な違いがあ ります。 それは、『青鞍』でイプセ ンを特集 したのは女性たちであ り、そ して、その影響を受 けたのも 女性たちであったのに対 して、中国の場合は、『新青年」]で ノラを特集 したのは男性知識人で あって、その影響を受 けて家 を飛び出 したのもほとん どが男性知識人であった、男性の青年で あったことです。 レジュメの3の 「運動の主導者の相違」に行きます。 日本ではノラ特集号を したのは、平塚 らいて うら、『青

』を編集 していた女性陣で した。 ところが、中国では、『新青年』の編集者 は、後の共産党の創立者 になる陳独秀、それか ら、西欧的な民主主義者胡適な ど男性で した。 そ して、ノラについて論 じたのも胡適や魯迅です。胡適 と魯迅は、ノラについて論争 してお り、 胡適がノラを礼賛 して、青年たちに 「家を出よう」 とい うよ うなア ピールを したのに対 して、 魯迅は 「ノラは家を出てか らどうなったのか」 とい う題の講演を女子大で行い、「野垂れ死に をす るか売春婦になるか、それ以外の道はなかった」 とかな りシニカルな見方を しています。 そのように見解が対立 しているのですが、主張す る担い手が男性であった とい うことが、非常 に中国的な特徴だ と思われます。 それか ら、同じ年に創刊 されま した 『婦女雑誌』 とい う雑誌ですが、これ も 『婦女雑誌』 と い う題名か ら見ると、女性が関わっていたのではないか とどうしても私たちは思って しま うの ですが、実は編集者、書き手、それに投稿 した人、すべて男性 中心だったわけです。 次に4の 「運動に共鳴 した人々の相違」に行 きます。今 も話 したことですが、中国では、ノ ラに影響 を受けて家を飛び出 した若者のほ とん どが、男性知識人です。そ してその背景には、 青年たちの、生まれ るときか ら相手が決まっているような家 と家 との問で- 中国の場合、も う少 し家を広 くした 「宗族」 とい うものがあるのですが、宗族 と宗族 との間で取 り決められた こ うい う旧式の結婚があ ります。結婚式の当 日まで相手の顔 も知 らない、そ うい う旧式な結婚 を拒否 したい とい う青年たちの渇望、それか ら自由恋愛の渇望 とい うものがあ りま した。 これ については、参考文献の中に載せてお りますが、清水賢一一郎 さんの非常に面白い論文があ りま す。 先ほど申しま したよ うに、家 を飛び出 した男性たちが 「工読互助団」とい う団体をつ くって、 そ こで一緒に共同生活を しなが ら学んでいたわけですが、その中にも、女性が少 し混ざってい た りしま した。30人に1人 ぐらいの割合で女性たちが混 ざっていたのですけれ ども、その結果

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どうい うことが起 こったか とい うと、その女性 を巡って刃傷 ざたみたいなことが起 こっていま す。とにか く 「工読互助団には、自由恋愛 を渇望する若い青年たちの夢 と熱気があふれていた」 とい うふ うに、清水 さんは論 じています。 それか ら 『婦女雑誌』 も、先ほ ど少 し申し上げま したよ うに、もともと保守的な雑誌だった のですが、1910年代の後半か ら 『新青年」]の影響 を受けて、革新的な内容にな りま して、20 年代の初めに離婚特集号を何巻かにわたって掲載 してお ります。そ こに投稿 した人はほとん ど が全部男性 なのですが、そ こに見 られ る議論 とい うのは、 「望まない旧式の妻 との離婚 を決定 したい」 とい う、そ うい う男性の側の悲願です。そ して、では 「望まない旧式妻」 とい うのは いったい どのよ うな存在か とい うと、一つの象徴的な旧式の妻 とい うのは、纏足 (てんそ く) を している女性です。纏足 とい うのは、足を縛 って小 さくす るものですが、19世紀の末までは、 纏足を しているとい うことが、結婚をす るために絶対欠かせない条件で した。 ところが、それか らわずか 10年 ぐらいで 180度転換 しま して、1905-1906年 ぐらいか ら、 農村は違いますが、都市の知識人の間では、纏足を していることが離婚の要件になってきます。 纏足は、それまでは結婚の条件だったものが、180度変わって、離婚の条件 とされて しま うの ですDそこに見 られ るのは、男性 の知識人の変わ り身の早 さとい うか、意識の転換の素早 さと い うか、驚 くぐらいに男性 はあっとい う間に変わったわけです。 それに対 して、女性の側は、もちろん一部の女性の知識人はそ うい うことはなかった と思い ますが、大部分の女性は教育を受けるチャンスもな く、新思潮 を学び取ることもできず、結局 男性か ら遺棄 され るとい う、かな り悲惨な状況になってきます。 そ して大事なことは、 さっき男性の変わ り身の早 さとい うことを申 し上げま したが、そ うい う西洋 由来の新思潮を受け入れて、あっ とい う間に思想 を転換 させた男性 と、それが事実上不 可能であった女性 との間の意識のギャップが、かつてな く拡大 したのではないか と思います。 それは、参考文献に挙げておきま した許慧埼論文などが非常に面 白く論 じていますので、興味 のある方はぜひ読んで くだ さい。 それでは 日本のほ うを考えてみます と、 日本で 『青踏』に共鳴 した人々 とい うのは、いった い どのよ うな存在であったのか。彼等は高等教育を受けたエ リー ト女性で した。 日本では 目覚 めた女性が 『音階』 とい うものをつ くって、女性の個 としての 自立を訴えま したけれ ども、そ れに対 して中国の場合は、男性の青年たちが個 としての 自立 とい うのを訴 えた とい う、そ うい う違いはあ りますけれ ども、 しか しそこには共通性があると思います。 どうい う点で共通 して いたか とい うと、 「男女の意識のギャップの拡大」 とい う点です。先ほど申しま した よ うに、 中国では新 しい考え方を持 った男性知識人の出現によって、中国の女性 との間の意識がかつて な く拡大 しま した。許慧埼論文は、 「中国での女性解放運動 とい うのは、男性によって掌握 さ れ、男性 自らの、例 えば自由恋愛 とか 自由離婚だ とか、そ うい う自分の権益を勝 ち取 るための 利暑削こ変ぼ うして しまった.そ うした中で、女性は今まで と同 じよ うな古い立場に置かれてお り、そのギャップが拡大 した」 と語っています。 おそ らく日本でもそのギャップが拡大 したのではないか とい うのが、私の考 え方です。それ はどうい うことか とい うと、 日本では、ほとん どの男性 は 『青踏』の女性たちの、魂の叫び と 言ってもいいものを理解 していなかったのではないか とい うことですO それをも う少 し具体的に論 じてみたい と思いますQ『音階』の女性たちとその男性 との関係 とい うのを考えてみます と、まず第一点 として、 らいて うと夫の奥村博 史との関係 を考えてみ たいのですが、 らいて うの中に、『「個人」 としての生活 と 「性」 としての生活の間の争闘につ 16

参照

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