• 検索結果がありません。

『とはずがたり』の「夢」――作者と有明の月の交渉をめぐって――

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『とはずがたり』の「夢」――作者と有明の月の交渉をめぐって――"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに rと.はずがたり」に虚構性が濃い事は、 既に研究家諸

氏によって指摘さ れている この問題は、 今後、 史実と の照合や先行作品との影響関係 ・時代背景等を考え合わ せ、 多方面から吟味 ・検討していかなければならない誼 要な課題のーつである。 本稿では、 特に作者と有明の月 の交渉について、 「夢」と いう言葉を手がかりに、 創作 意識 ・構想の問題を探り、 rとはずがたり」の虚楳性を 考える上での一資料としたい。

はじめに、 rと はずがたり」以前の女流日記文学から

\ー

' 9 i/1••999 •. ,91 ,.\ , 幾つ か用例を拾い、 rとはずがたり」に至る「夢」の語

2

闊柑糾面茄四しようと思う

先ず思い起こされるのは、 「劉よりもはかなき世の中 を、 歎きわびつつ明かし荘らすほどに」という‘ r和泉 式部日記」曽頭の一節である。 ここでは、 「夢」をはか ないものの例として引き、 「世の中」すなわち亡き為尊

"·’

親王との恋を、 その夢よりもっとはかないものであった と表現している。 森田兼吉氏の「夢よりもはかなき女流日記孟子と夢」 (3-ある通り、 「人生 夢とを結びつけた比較的早いもの」 ては、 『古今和歌集』巻第十六.哀傷歌に次の三首 が見える。 藤原敏行朝臣の身まかりにける時に、 よみてかの 家に遣はしける 紀友則 寝ても見ゆ窪でも見えけり大方はうつせみの世ぞ夢 にはありける あひ知 れりける人の身まかりにければよめる 紀貫之 夢とこそいふぺかりけれ世の中にうつつあるものと 思ひけるかな あひ知れりける人の身ま かりにける時によめる 生忠斉 寝るがうちに見るをのみやは夢といはむは なき世 をもうつ とは見ず

ー作者と有明の月の交渉をめぐって1

『とはずがたり』の「夢」

(2)

この三首において注目すぺき事は、日親しい人の死を契 機としている、口仏教思想の影響が見られる、臼「夢」 .と「世」が「はかなし」という共通の性質で結び付けら れている、等の点であろう。 「和泉式部日記」の「夢よりもはかなき世の中」とい う表現は、直接には為尊親王との恋愛を指しなが ら、背 後に敦道親王 との交渉をも重ね合わせ、二人の恋人の死 を契機として生まれたものと 見ることができる。こう考 えれば‘r和泉式部日記」の右の表現は、「古今集」の 三首と日の点で共通し、しかもこれが重要な成立基盤と なっていると言えよう。 次にr更級日記」から例を取る と‘夫の死を契機 とし て前半生を振り返り、過去 に見た稲 々の夢 を回想し総括 する部分に、左の一文が見られる 0 . 昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心に 、夜昼思ひて、おこなひを せましかば、い とかか る割の世をば見ずもやあ らまし。 ここでは「はかなし」 という形容詞を介さずに「夢」と 「世」とが連結している。当面の問題は「夢」という言葉 ではあるが`r更級日記」において、作者が実際に見た 拶の内容を語るのに多く箪を費やしており、それらの夢 が構想上きわめて重要である事、又、そうした夢の扱い 故に、孝標女がr夜半の寝覚」や「浜松中納言物語」の 作者に擬せられている事は忘れてはならないだろう。 うした事情を承認した上で、このr更級日記」における 「夢の世」 という表現には、日契機としての夫の死、ロ 仏教信仰`臼前半生を「rよしなき」、「はかなき」、 rゆくへなき」四」とする認讃、すなわち先に「古今集」 の三首に見られたと同様の要因が認められることに注意 したい 孝標女が「自己の生涯をかけて夢の世という認識とこ とばに 到逹し虚」 とするならば、鎌倉期に成立した「建 礼門院右京大夫楳」や「うたAね」には、r古今集」以 来の伝統を踏まえ、 「夢」が人生のはかなさ 象徴する して定消した跡がうかがわれる。 r建礼門院右京大夫集」では 、「夢」 の語の「ほとん どの例がいわゆる下巻に集中する」 。しか も、寛永二十一 年刊板本の上冊にあたる部分に見える三OOの「夢」は、 睡眠中に見るいわゆる「歩」を指すものであって、象徴 的意味を担った語ではない。一方、いわゆる下巻は「刃 永元府などの頃の世のさわぎは、夢ともまぼろし とも、 あはれともなにとも、すぺてすぺ ていふぺききはにもな かりしかぱ」と始まり、続いてすぐ「いはむかたなき夢 J という表現がある。「寿永元暦などの頃の世のさわぎ」

(3)

とは、 言うまで もなく平家の都落ちから減亡までを指す のであって、 特に右京大夫にとっては資盛の死を意味す るも である。 つまり、 この作品においても、 人生を 「夢」と表現する所には、 愛する者の「死」が影を落と ているのである。 この二例が、 平家減亡時の作者の体験を「夢」と総括 したものであるとするならば、 同じ<r建礼門院右京大 夫集」に見える「むかしの夢」や「さめやらぬ夢」と った例では、 「拶」の指示内容が限定され、 汽盛との恋 愛を意味する語として用いられている。 これと同様の例が「うたAね」に見 え、 実ることのな かった恋を「憂き世の夢」と表現している。rう たAね」 には` 「さすがに 絶えぬ夢の心地は、 ありしに 変るけぢ めもみえぬものから」 . という一節もあって、 次田香澄氏 によれば‘ この「夢の心地」は「恋の逢瀬」を意味する。 後に述ぺる通り、 「とはずがたり」では、 「夢」が単独 で逢瀬を表わす例が多く認めら れるが、 いま述ぺた「右 京大夫集」 「うたA ね」の 例は とはずがたり」に おける、 そのような随喩としての 「夢」の用法へ向かう 過程と見ることができよう 「うたAね」の「憂き世の 夢」は、 とはずがたり」では、 有明の月の言葉の中に 見えている。 rうたAね」においては、 r古今集」の三首 ・「和泉 式部日記J . 「右京大夫集」 に共通のモチーフであった 「死」は認められ ないが、 しか 仏教思想の影響は明ら かで ある。 例えば、 先の「憂き世 の夢」の前後は次のよ うに記されている …・・・経つと手に持ちたるばかりぞ、 たのもしき友な りける。 「世界不牢固」とあるところを しゐて思 ひつゞけてぞ、 憂き世の夢もをのづから、 思ひさま すたよりなりける。 又、 「仮の世の夢の中なるなげき」 といった表現も見受 られ もう一っ、 主題の面から先の女流日記との共通点を挙 げると、 「和泉式部日記」 ‘r右京大夫集」 .rうたA ね」ともに、 短く激しくはかない恋を描いたものであり、 殊に前の二作は恋人の不慮の死によって恋愛が断たれて いる。更に‘ rうたAね」の場合注目されるのは、 「ぅ たAね」の題号が、 作中の「はかな しなみじかき夜半の 草枕むすぷともなきうたA ねの夢」 の歌に由来し、「この 作品全体の内容を象徴するものとして作者 名づけた」 (次田香澄氏)と考えられる事である。 ここには、 全篇 を「うたAねの夢」として構成しようとした作者の創作 意識を認めることができる

(4)

「夢」という言葉に は、以上 見てきたようふ甲g涼ぁ る。そうし た先行作品と同様の趣向を rとはずがたり」 の「夢」にも認め、その上で「とはずがたり」の作者固 有の主張を「夢」の語に 読みとろうとするのは、さしあ たって当然の手順 であろう。しかし、私は それを一歩進 めて、「とはずがたり J では、「夢」(特に作者と有明 の月の交 渉に関するもの) 伝統に即して作者の心情を 表現した語であるばかりでなく、作品形成の積極的な方 法として用いられていると考えるのである。すなわち、 r夢」の語によって、作品世界はーつの主題のもとに構 成され、同時に、伝統的に「夢」の語に伴うイメージが 取り込まれること で、奥行きの深いものとなっているの である。 rとはずがたり」における「夢」の語は、「夢に夢見 る」という表現を二と数えれば‘七十二例に上る。これ らを先ず二つの用法に大別し、該当する用例数を示すと、 次のようになる。

H

睡眠中に、現実のように種々 の事物を見たり聞い たり する現象。又、睡眠中に見える像 40例 ロ日から派生した比喩表現 31例

c

(外に、「夢」の語 を含む部分の文脈が 乱れ ており、 意味不明のものが一例ある。 口は表現の内容によって、更に次の三つに分けること 7 )

できる A B はかなさ・むなしさ 男女の交渉 ・逢瀬 異変・不慮 出来事. このうち、Bは「とはずがたり」において比喩として用 いられ た「夢」の半数以上を占めている。 そこで、このBのr夢」を交渉 のあった 人物ごとにま とめてみると、次のようになる。 者と有明の月. 7例 斎宮と後深草院 4例 者と近衛大殿 3例 者と後深草院 2例 さがにの女と後深草院 1例 作者自身に関すゐもの(イ・ハ・ニ)は十二例を数える が、このう店比例,速でが有明の 月との関係 で用い られ ものであるのは注目される。rとはずがたり」によれば、 作者が交渉を持った男性は、後深草院・雪の曙・有明の 月・近衛大殿・亀山院の五人であるが、そのうち雪の躇 と亀山院については、逢瀬を表わす「夢」の例は認めら 5例 17例 9例

(5)

れない。亀山院と作者の関係については異論のあるとこ ろなので別にするとしても、 雪の曙は作者にとって初恋 の相手とも言える人であり、 全巻を通じて登場するのに、 この人 との逢瀬を「夢」と言った例が全く見出せないと いうのば奇妙に咆われる。 同様に、 作者と後深草院に関

するものが、 わずか二例というのも意外である。 rとは ずがたり」では、 「夢」が逢瀬の隠喩として慣用的に用 いられてはいるが、 単に逢瀬一般を「夢」 と表現したの ではなく、 作者が意識的に使い分けていたのでは ないか という 疑問が起こる。 そこで、 次に、 作者 と有明の月の交渉において用いら れた「夢」のうち、 その主要な用例を抜き出し、 二人の 関係を描くにあたって「夢」の果たす役割を通観してみ たい 0 番号を〇で囲んだも のは 他の分類項目に属すと 考えられる用例であるが� それ 以外は「男女の交 渉・逢 瀬」(口fB1イ)を表わすと認められる例である°括 弧内の数字 は巻数とテキストの頁数を示している。 白河院御八講の折、 作者と有明の月の交渉の発端 を描いた部分で 思はずながら、 不思議なりつる夢とや言はんなどお ぽえてゐたるに ...... (巻ニ・l0三) 後深草院の病中 有明の月は延命供の ために参仕、 6 再度作者に言い寄る。 いとむつかしくて、 薄様の元結のそぱを破りて、「夢」 とい ふ文字をーつ書きて、 参らするとしもなくて、 うち置きて帰り 巻二.l0六) 2の作者の行為に対し、 有明の月は次の歌で応じる。 椛摘む暁起 に袖濡れて見果てぬ夢の末ぞゆかしき (巻ニ・10七) 同じ折‘ 遂に作者が有明の月に屈し、 最初の契りを 結んだ直後に次の表現が見える。 見つる夢の名残もう つつともなき 程なるに ...... (巻二·-0八) 4に続いて密会を重ねた後、 取り替えた小袖の複に、 有明の月の歌が付けられている。 うつつとも夢とも いまだ分きかねて悲しさ残る秋の 夜の月 (巻二·-0九) 後深草院に二人の関係を知られて 後、 動行の合間を 縫うあわただしい逢瀬の場面に、 次のような表現が見

ぅへる4

3

「時なりぬ」 ・・・・・・見る夢のいまだ結びも 果てぬに‘ とてひしめけば、 後の障子より出でぬるも ...... (巻三・一六二) 6の後、 局に戻った作者の述櫻の部分に「夢」の語

(6)

11 10 が見える。 睡眠中に見る普通の 夢」である。 .;•••これや逃れぬ契りならんと、 われながら先の世 ゆかしき心地してうち臥したれども、 又寝に見ゆる 夢もなく て明け果てぬれば・・・・・・ (巻三 ・一六二) 8 明の月の第一子を恢妊した事を記す部分 に、 逢瀕 を表わす「夢」の語が見える。 違はず、 その月よりただ ならねば‘ 疑ひ紛るぺき直 にし なきにつけ は、 見し夢の名残も今更心にかか るぞ、 はかなき。 (巻三 ・一六六) 明の月の突然の死に接し、 悲嘆に暮れる場面に、 「夢に夢見る」と いう きわめて はかない気持を表す 慣用句」(福田秀一氏)が用いられている。 ……十一月――十五日にや、 はかなくなり給ひぬと聞 きしは、 夢に夢見るよりもなほたどられ、 すぺて何 と言ふぺき方もなきぞ、 われ ながら罪深き。 (巻三 ・一九二) ⑨に続く部分。 3 .⑤の場面が回想されている。 「見果てぬ夢」とかこち給ひし、 悲しさ残る」と ありし面影よりうちはじめ かりしままの別れな りせば、 かくは 物は思はざらましと思ふに ...... (巻三・一九二) 有明の月供毀のため に東山に参寵する作者の夢に‘ • 9 1 • 有明の月が現われる湯面である。 ...... 聴聞所に袖片敷きてまどろみたる暁、 ありしに 変らぬ面影にて、 「憂き世の夢は長き闇路ぞ」とて 抱きつき給ふと見て:;・ (巻一 ll .一九七 以上十一例のうち、 4 .6 .8の「夢」は、 そのまま 「逢瀕」と個き換えることのできるものであ る。 11の例 については、 さきにrうた A ね」との関係で触れたが、 「rとはずがたり」夢の分類」の 仏教の立場で「迷い」と同義 に「夢」を用いる‘ ..• ... 罪業という惑がつよい。 という説明が適切であろう。 2の例は非常に問題の多い 所である。 この「夢」は、 直接には①の箇所、 すなわち、 有明の月がはじめて作者に 思いを打ち明けた時のことを 指すものと考えられるが、 11の例と同様に仏教思想の影 密を認め 作者が悩侶である有明の月をたしなめたもの も解釈できる C これに対し、 有明の 月は「見果てぬ夢 の末ぞゆかしき」と応えるのであ るが、 このやりとりは、 恋愛の発端を描く場面であるだけに‘ きわめて効果的で あり、 後の 作品展開を考える 非常に暗示的で もある。 結論を先に言えば、 作者 と有明の月と の関係は、 2で作 者が有明に示した「夢」という言葉、 この 一語に集約さ れると言ってもよい。 実際、 作者 有明の月の交渉を描

(7)

いた部分を追って行くと、二人の関係を「夢」 と見なす 作者の一貫した姿勢が浮かび上がってくるの である 作者と有明の月の交渉は、先に「夢」 の用例①として 挙げ た後白河院御八講の時に始まるのである が、 「有明 の月」の仮称で呼ばれる人物は、これより早く巻一に登 場している。 「有明の月」を実在の誰と見るか は、 いま だに論議のある ところで、宮内三二郎氏などは法助法親 王説 を屯えら れ江が、現在の ところ 、性助法親王説が有 カであり、ここで も後者に拠ること とする。この立場で は、巻一のはじめの部分に記さ れた東二条院御産の場面 に登場す る「大御室」 もまた、仁和寺後中御室 であっ )。 性助 法親王すなわち「有明の月」と考えられるのである しかし 本稿で問題 とするのは、 「とはずがたり」 に描 かれた「有明の月」 と呼ばれる高貸な僧と作者との恋の 物語である。し その男主人公である「有明の月」 は、 性助法親王における仁和寺後中御室としての社会性 を切り捨てた ところで描かれている 。従って、ここ では 右の事情を承認した上で、有明の月の登場を、巻ニ・後 白河院御八講の時 としたい。 次に‘二人の交渉を描いた世界(宮内論文の言う「第

e

二主題」)の終結をどこと見るかであるが、「とはずが たり」中の現実世界で の二人の交渉は、有明 の死によっ て終 わって も、 「夢」の用例11に学げた通り、夢の中で 二人は最後の逢瀬を遂げている0この後、作者が有明の 第二子を出 産した所まで としたい。 rとはずがたり 」の世界は時間の流れに沿って進行し てい るので、右の両時点に挟まれた部分において も、作 者と有明の 月の交渉は断続的に叙述され 、その問に他の 様々な話が織り込まれている。しかし その中で、二人 の交渉はやは り大 な主題の一っとして捉えることがで I' ,99 ... , ... l , 'l'

き、これ は多分に物語的性格を有しているの である。 ーつには、予告 とし ての伏線、その展開、そして実現 という叙述方法が挙げられる。後深互院の見た「五鈷の 夢」は、 その後の院・作者・有明の月の関係や、 作者の 條妊、生まれた子供の処匠を暗示する内容で あるし、 明の見た「鴛喬の夢」も、作者の第二子棲妊と、有明の死 という形で実現している。有明の起請文中に見える「われ 定めて悪道に堕つぺし」という条は、同じく有明の「憂き 世の夢 は長き闇路ぞ」という言葉と照応する ものである。 又、 ー先行 文学の枠組みを借りで、ー物語的、世界‘のtg築材r ー意図じ.tq跡

ii

か�釘�o柿本僧正と染股后にまつわる 伝承や、志賀寺の型と京極御息所 の説 話を取り入れてい

(8)

るのが、 それである。 もっとも、 rとはずがたり」では 各説話問で登場人物が錯綜 している。 内容面では、 有明の月の第二子恢妊の時期 が、 第一子 出産直後の車として語られてい て、 事実とは認め難い事 など が挙げられる。 これは、 事実の讃化を意図して、 中の年時を実際の事件年時と ずらして習いてい くという 手法が、 他の主題における同様の叙述方法と衝突して破 綻を来たしたものと説明される。しかし、 その事によっ 作品世界は少しも破綻を生じてはおらず、 むしろ、 人の恋の幕切れにふさわしい劇的要紫が加味されたとい う印象を受ける。 そこには、 常識の枠を超えた世界を容 認させる創作の魔術が働いているのである。 以上の点に加えて、 本作中、 作者 と有明の月の交渉を 描いた話が、 他の主題とともに断続的に叙述されていな がら、 有機的結合の強いものとなっているのには、 各所 に用いられ た「夢」の語が大きく作 用している。作者は 先ず、 二人の出会いを「不思議なりつる夢とや言はん」 (例①)と記してい る。 次に、 作者が有明から手紙の返 事を強要されて示したのが 「夢」の一文字(例2)で あー'C5ノ作者と有明 の月の交渉は、 短く激しくはかない恋であ る。 これに対し、 有明が「ゆかしき」と言った「見果て った点で r和泉式部日記」 . r建礼門院右京大夫集」 ぬ夢の末」(例3)、 すなわち二人の恋の行方は、 例4 . rうたAね」の場合と共通する。特に、 恋人の突然の .6.8などの逢瀬を重ねた後、 「憂き 世の夢は長き闇 死による廂切れは、 前の二作と類似す るものである。雪路ぞ」(例ll)という、 作者の夢に現われた有明自身の 言葉で示される。 このように、 離れた段の各々が、「夢」 の語によって相互に呼応し連続して いるのであ る0 殊に、 例2の 「夢」は例3の「見果てぬ芽の末ぞゆかしき」の 句を挟んで 例11の「憂き世の夢…·:」と見部に照応し ている。作者と有明の月の交渉は、 このような、 いわば 「夢」の連現によって、 表現し尽されていると言えるの

ではないだろうか。 このように考え くると 者は本作執筆にあたっ て、 有明の月との恋を主題とする世界を、 それ自体独立して 一個の作品となり得るような形に、 あらかじめ組み立て、 これを分解して、 他の事件の展OOと合 わせて配置したの ではないかと考えられるのである。}構想の主軸となって いるのがr夢」であり、 こうした設定の背後には、 作者 が、 有明の月との交渉の中に、 「夢」と表現するにふさ わしい要因を認めていたことが知られる。

(9)

の曙や後探互院と違い、 有明の月は突然作者の前に現わ I I I れ、 一挙に燃え上がって瞬く問に逝ってしまった。 有明 の月にとっても、 思い残す事の多い恋であったはずであ る。 の交渉のこうした側面をとらえ、 作者はこれを 「夢 ●表現したのであろう。 2

つu

次に考えられ るの は、 有明の死 が作者に与えた衝撃で ある。愛する者の死を契機として、 人生ど「夢」が結び 付く事は、 既に見てき た通りである。 有明の月の死に接 茫然とする様を 作者は「夢に夢見 るよりもなほたど れ、 すぺ 何と言ふぺき 方もなき」(例⑨)と表現し、 有明の最後の手紙を携えて来た稚児との 対面についても、 「夢の心地して ...... げに筆の海にも渡りがたく 詞にも 余る 心地し侍る」と記している。「建礼門院右京大夫集」 のい わゆる下巻の冒頭 を兌悟した資盛を前にし て返す言葉もなく、 遂に平家の都落ちが現 実の もの とな った時の、 「涙のほかは、 言の 葉もなかり しを、 つひに 秋の初めつか たの、 夢の うちの夢を聞きし心ち、 なにに かはたとへむ」といった部分と、 きわめて近い表現と言 える

3a溜

三に、 仏教思想を背景とする罪の意識が考えられる。 作者にとって、 この恋愛は 最初から「思ひの外なる事」 であ を予感した有明 の言葉に対しても 「由なき 妄念」という表現が用いられている。 こうした見方は、 二人の交渉に対する作者の基本的姿勢である と言えよう。 それが、 例⑦に見え るよ うに、 「これや逃れぬ契りなら む」という認識に 至ったの には、 二つの要因が考えられ る。ーつは、 いわゆる女楽班件と伏見の麻件によ って作 者の周囲の状況が変化し、 作者が 孤立無援の状態に追い 込まれた事である 0 今―つは‘ 二人の関係が後深な院に よって公認された事であり、 これによっ て作者の「心の 鬼」すなわち良心の呵責が軽減し た訳で はないが、 一応 ,'1 の大 義名分が与えられたことになり、 作者にとって、 ,.,

明との 関係 を正当化する大き な材料になったと考えられ

「逃れぬ契り」という認識 は、 この後改めて確認され るが、 これは「見し夢の名残」としての作者の俵妊が明 らかになった事を踏まえ てい ると見るべきであろう。 時に、 「男女の印こそ罪なき事に侍れ」とする後深草院 の宿世観も、 二人の交渉を余鍛な いものとする作者の判 断を展付けていると言える。後深荘院のこうした見方は、 作中に統り返し語ら れているが、 これは一稲の方便で かなく、 その裏には、 やはり罪の意徴が看取される ので ある。後深草 院の会話中に有明の月の 言葉が引用され、 作者との結び付き を「悪繰」と言 った箇所が見えるが、

(10)

有明の死の場面(例⑨)には「 われながら罪深き」と いう表現が見え、 ここに至って、 作者は有明の「妄執」 を自分自身に関わるものとして捉える立場に立つ。 二人 の関係は、 僧である有明の月にとっては勿論、 作者自身 においても、 愛執の罪と見なされるものだったのである。 例11に引いた「憂き世の夢は長き閤路ぞ」という有明の 百葉は、 二人の交渉を「夢」すなわち罪と認 め、 その罪 に よって死後も救われないという事を言ったものと考え られる。

筐五恥員旦'H

eJ

旦。いい

の意味するものは、 作者と有明の月とでは、 まったく異 なる。 有明にと っては破戒行為であり 、 そ の生涯中唯一 無二のものであったのに対し 、 作 者にとって有明は複数 の男性中の一人であった。 そうした事情を反映して、 作 者自身、 自己の心埋の変化を、 恋愛の一般的な展開とし て捉えた箇所が作中に見受けられる。 又、 有明死後の後 深草院の態度に対し、 「わが咎ならぬ誤りも 、 度 重なれ ば、 . 御 ことわり に おぽえて」と 表 現する所から、 作 者が 有明との交渉を近衛大殿や亀山院の場合と同一線上に監 二人の関係は、 やは り「悪縁」と呼ぶべきものであった と見られる。 このように、 作者と有明の月の恋の物語は、 めぐる二人の応酬を描いた発端と、 クライマブクスとも 言うぺき東山での暁の場面とが呼応し、 「夢」の連閑に よって、 「とはずがたり」中に一個 の独立した作品世界 を形成している。 こうなれば、 そこにr.ったAね」にお けると同様の創作意識を認め、 巻二で提示される「夢」 の一文字を主題とする世界を作者が描き上げようとした と考えることが可能なのではないだろうか。 なお、 rとはずがたり」に おけるこのような作品世界 形成の方法は、 「夢」の語の表現内容の歴史的な推移と 無関係ではないと思われる が、 この点については改めて おわ り に き、 すぺて「わ が咎ならぬ誤り」 れる 。 「歩」を と捉えていた出が知ら 二人の結び付きは、 直接的 には有明の月の「由なき妄 念」、 間接的叫叫、ー作老ーの躁がけ叫孤独な立場と後深草 1,, 9 ,J' 院の公認によるものであることを作者 は強調する。 この \し' _ | _ \ /\lll ー ー 1ー \ ーしー ー J . 9 ,' ように、 作 者は自己弁明 を 繰り返し、 自己の行為を正当

抄r

り召且寸バが:5で月ー

る ー 0 有明の月との交渉を「う つつ」ならぬ「夢」 とするのは、 その現われと見ること ができる。

(11)

検討したい。 (注〕 ( l)松本寧至 ( rとはずがたり .の研究j 品g和 r 四十六年

四月、 桜楓 I ) r 世文学論考 ' 」(昭

l

l,

十年 月、 明治書院刊)等 0 1

ーー

(2)本稿における本文の引用は以下の醤により、「夢」 の語には傍線を付した。 小沢正夫校注・訳「古今和歌集」(日本古典文学 全集七、 昭和四十六年四月、 小学館刊)。 藤岡忠笑 ・中野幸一 ・犬疫廉 •石井文夫校注・訳 r和泉式部日記 ・紫式部日 ・更級13記・設岐典侍 日記」(日本古典文学全集十八、 昭和四十六年六月、 小学館刊)。 糸賀きみ江校注「建礼門院右京大夫集」(新潮日 本古典染成 昭和五十四年七月、 新潮社 刊) 次田香澄・渡辺静子校注「うたAね・竹むきが記」 (昭 五十年六月、 笠間書院刊) 福田秀一校注「とはずがたり」(新潮

a

本古典集 成、 昭和五十三年九月、 新潮社刊)。 (3)森田兼吉「夢よ かな 女流 日記文学と夢」 (佐藤泰正編r文学における夢」所収、 昭和五十三 年四月、 笠間書院刊)。 (4)関根慶子「更級日記における阿弥陀仏の夢をめぐ って」( 梅光女学院 大学「日本文学研究」第十三号、 昭和五十二年十一月) (5)前掲論文 (3) (6) 横井孝「右京大夫 の「夢 ある 作品論の試みー (r駒沢国文』第十六号、 昭和五十四年三月)c (7)駒沢大学国文学会中世文学研究部会「「とはずが たり」夢の分類」(同会「研究部会年報」第四号、 昭和 四十四年七 ).では、 「現実事象の比噛 「夢」 ということば)」という分類項目を掲げ、 これを「空 虚」.「

m

悩・愛欲」・「衝撃」の三つに分けている (8) 宮内三二郎「とはずがたり ・徒然草 ・増鋭新見」 (昭和五十二年八月` 明治習院刊)第一篇第三章。 (9)冨倉徳次郎訳「とはずがたり」(筑摩叢召、 昭和 四十四年六月、 筑麻苗房刊)補注四0五頁参照。 (10)前掲困 (8) 第一篇第一窟一九頁において、 宮内 氏は次のように述べておられる。 作者は、 巻二と巻三において は、 展開さすぺ き主・副二つの主題を持っていた。 祁一主題は‘ すでに巻ーからはじまっている後探草院と自分 との製係を中心とする院御所における生活経験 あり 、第ゴ並題ぱ券rTがらはじま石ー

lm

月」と131外砂d刺—係の経緯F副引。 (岡山大学大学院文学研究科)

参照

関連したドキュメント

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

氏は,まずこの研究をするに至った動機を「綴

参加者は自分が HLAB で感じたことをアラムナイに ぶつけたり、アラムナイは自分の体験を参加者に語っ たりと、両者にとって自分の

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

賠償請求が認められている︒ 強姦罪の改正をめぐる状況について顕著な変化はない︒

単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

7 年間、東北復興に関わっています。そこで分かったのは、地元に