京焼産地における生産・流通構造と需要変化への対応
青 木 英 一
Ⅰ はじめに
わが国の陶磁器生産は、多くが中小企業が集積した産地で行われ、各産 地に特有の陶磁器が生産されてきた。しかし、代替食器の登場や安価な陶 磁器の輸入等によって国産陶磁器の需要が減退し、各陶磁器産地はほとん どが生産を減少させている。そうした状況を筆者は、美濃産地、四日市産 地、九谷産地を事例に考察した1 ) 。美濃産地はわが国最大の陶磁器産地で あるが、生産減少は顕著で、窯元や関連業者の転廃業が多くみられた。そ して、そうした中での対応策として、製品の高付加価値化を打ち出してい た。すなわち、価格競争に陥らない陶磁器作りを目指すという方向である。 一方、九谷産地はわが国を代表する高級陶磁器産地であるが、九谷産地も 美濃産地同様、生産減少が顕著である。九谷産地の製品が価格競争に巻き 込まれることはないが、九谷産地の普及品が、製品の高付加価値化を進め た美濃産地や有田産地の製品に圧迫されるようになったことが生産減少の 原因である。しかし、九谷産地はそうした状況への対応を十分にとってき てはいない。 わが国を代表する高級陶磁器産地としては、九谷産地とともに京都産地 がある2 )。京都では、京焼あるいは清水焼と呼ばれる陶磁器が生産されてい る3 ) 。ただ、京焼は九谷焼ほど全国的に名が知られてはいない。その理由と しては、京焼が以前は個人を対象に販売されることが少なかったことと、 京都には陶磁器以上に有名な西陣織や京友禅、京鹿の子絞、京仏壇等多く の伝統工芸品があり、陶磁器が特に注目されるわけではなかったことが挙 げられる。しかし、京焼の技法は九谷焼に大きな影響を与えているし4 ) 、また、京焼産地にも全国各地から多くの陶工が修行に訪れる等、わが国陶 磁器産地における京焼産地の存在意義はきわめて大きい。従って、京焼産 地の近年の生産動向と、需要変化への対応状況を把握しておくことは、今 後のわが国高級陶磁器産地を展望する上で欠かすことができない。それに もかかわらず、現在のところ、京焼産地を取り上げた研究はきわめて少な い5 ) 。 そこで、本稿では、京焼産地における近年の生産動向と需要変化への対 応状況を考察し、それを通して、将来、京焼産地がどのような方向に進む べきかを考えてみたい。 わが国陶磁器産地を対象にした近年の研究動向については、すでにレビ ューしている(青木、2008)。 京焼産地の調査については2005年 3 月と 8 ∼ 9 月、2008年 2 月に、産地 組合( 1 か所)、卸商組合( 1 か所)、窯元( 9 か所)、上絵師( 2 か所)、 人材養成機関(2 か所)、研究機関( 1 か所)においてヒヤリング調査や 資料収集を行った。
Ⅱ 産地の生産・流通構造
1.産地の形成6 ) 安土桃山時代に茶の湯が流行したことにより楽焼が登場したが、京焼と 呼ばれるものは17世紀初頭に開窯した粟田口焼が始まりとされている。登 窯により焼成されていた。17世紀半ば頃になると、野々村仁清が色絵陶器 を製作したことにより、京焼は色絵ものへと転換した。18世紀後半には磁 器の焼成も行われた。明治期に入ると一時的に需要が低下し没落する窯元 もいたが、ウィーン万国博覧会やフィラデルフィア万国博覧会で京焼が国 際的に評価され、海外への輸出が増加した。明治後期から大正期になると 輸出が減少し、輸出品主体であった粟田口は衰退した。代わって国内向け 主体の清水が中心となった。清水が発展して飽和状態になると、さらに南部の日吉、泉涌寺地区に生産地域が拡大した。第二次世界大戦後になると、 登窯の利用制限や環境問題等により、山科区の清水焼団地、さらには宇治 市の炭山地区へと窯元が移転し、生産地域が拡大した。 現在京焼は、食器、茶器、花器を中心に優雅な絵付けで高く評価され、 日本を代表する高級陶磁器として位置づけられているが、それは京都にお いて茶の湯や生け花、料理が日本の中心的存在として大きく発展し、それ に伴い茶道、華道の家元や料亭が陶磁器生産者に様々な要求を出してきた ことが背景にあったといってよい。 2.近年の生産状況 京焼産地には業種別・地域別に協同組合があり、それらの連合体として 京都陶磁器協同組合連合会がある。2005年 8 月現在の組合員数は226、う ち卸商は33である。 京焼の生産は京都府内で行われているが、主たる生産地域は京都市東山 区、山科区、宇治市炭山である(図1 )。 近年の生産状況を表 1 によりみてみる7 ) 。毎年統計ではないので正確な 生産状況を知ることはできないが、大まかな変化を知ることはできる。ま ず、全体の生産額であるが、1990年をピークにその後は大きく減少してい る。1998年の数値に疑問が残るが減少したことに変わりはなく、2005年の 生産額は1990年の60.8%となっている。次に、伝統的工芸品の生産額であ るが、これも1990年をピークにその後は減少している。2005年の生産額は 1990年の40.4%となっている。全体の生産額の減少よりも伝統的工芸品生 産額の減少の方が大きいことが分かる。そこで、全体の生産額に占める伝 統的工芸品生産額の割合をみると、1990年の81.4%から、73.4%(1994年)、 63.9%(2001年)、54.0%(2005年)と低下してきている。伝統的工芸品に 大きく依存するだけでは成り立たなくなった産地の状況が読み取れる。第 三に従業者数であるが、やはり減少傾向にあることに変わりはない。ただ、
大きく減少する時期が生産額よりも遅れて現れている。すなわち、生産額 での大きな減少は1994年であったが、従業者数での大きな減少は2001年で あった。2005年の従業者数は1994年の59.2%となっている。最後に企業数 であるが、企業数も減少傾向にあるが生産額や従業者数のような大きな減 少はみられない。2005年の企業数は1990年の84.7%となっている。しかし、 企業数の減少が少なく、生産額の減少が大きいということは、1 企業当た りの生産額が減少したということになる。 以上から、京焼産地では近年、伝統的工芸品生産を中心とした体制に限
界が生じ、生産額を大幅に減少させるとともに従業者も減少させ、企業規 模の縮小も進んでいるといった状況にあるといえる。 3.産地の生産構造 筆者が先に考察した九谷産地では、窯元と上絵師の間に分業体制が成立 していたが(青木、2008)、京焼産地も九谷産地と同様に窯元と上絵師は 分業している。下絵付けも一部を外注している窯元がみられるが、成形工 程は窯元が担当し外注はしていない。2005年 8 月現在組合加入の窯元は 163、上絵師は24となっている。 京焼産地における陶磁器の生産工程は、製品による若干の相違はあるが 一般的には図 2 のようである。製品によっては工程の一部(例えば下絵付 けあるいは上絵付け)が省略されることがある。生産工程のうちの土練か ら本焼成までを窯元が担当し、上絵付けから後半を上絵師が担当している。 上絵付けについては、卸商が仲介して完全な分業生産を行っている場合と、 窯元が上絵師を雇用して工房内分業を行ったり、窯元が上絵師に直接外注 して分業を行ったりしている場合とがある(上絵師が成形職人を雇用して 工房内分業を行っている場合もある)。また、下絵付けについても、外注
している窯元がある。焼成については、絵付け用の窯はもちろん本焼成や 素焼き用の窯も電気窯を使用する窯元が多い。本焼成窯や素焼き窯ではガ ス窯を使用する窯元もある。 五条坂(清水)では1950年代に共同窯(登窯)を築造し、それまで貸し 窯に頼っていた零細窯元が交代で利用できるようになった。しかし、それ でも生産拡大の中で窯の利用に不便を来たし、多くの窯元が専用窯を築造 するため、1960年代に清水焼団地や宇治市炭山へ移転していった。共同窯 は1981年に火事を起こし、使用中止となった。現在は、京焼産地全域でガ ス窯か電気窯を各窯元が所有して使用している。登窯は炭山地区に1 基あ るのみである。 京焼産地では地元で原料の土や石が採取されることはなく、陶土は信楽 を中心に瀬戸、萩、奈良(月ヶ瀬)、伊賀等から、陶石は有田を中心に出 石、天草等から入手している。 成形の中心は手ロクロで多種少量生産を行っている。鋳込みやタタラ、 電動ロクロもみられるが、自動成形機はほとんど使われていない。 製品は窯元によって陶器か磁器に分かれ、さらに食器か茶器か花器に分
かれることが多いが、各地区単位でみれば総合的に生産している。ただ、 日吉地区と泉涌寺地区は、日吉地区が磁器中心であるのに対し、泉涌寺地 区は陶器中心になっている。いずれの地区も多種少量生産で、量産品や低 価格品を生産してはいない。 窯元の多くは2 代目か 3 代目であるが、創業者は京都府の他に、石川県 や岐阜県、愛知県出身者が多い。九谷や美濃、瀬戸の各産地等から出てき て開窯し、定着したものである。ちなみに、泉涌寺地区の事例でみると8 ) 、 1997年12月現在の組合員64名中、創業者の出身地が明記されているものは 42名、そのうち京都府19名、石川県 7 名、岐阜県 4 名、愛知県 4 名、東京 都・福井県・滋賀県・島根県・岡山県・広島県・愛媛県・福岡県各1 名と なっており、京都府出身者は45.2%を占めるのみである。石川県、岐阜県、 愛知県を中心に、かなり広い範囲から京都へ陶工が集中して定着している ことが分かる。日吉地区では泉涌寺地区ほどはっきりはしないが、21名の 組合員中(2004年 3 月現在)創業者の出身地を明記しているものが 7 名で、 そのうち京都府3 名、福井県 2 名、石川県・愛知県各 1 名となっており、 京都府出身者は42.9%である。その他に現在初代で広島県出身者や、京都 府出身であるが岐阜県で修行した者もおり9 ) 、やはり、京焼産地は他県と の関わりが深い産地であるといえる。 京焼の技法上の特質は、優雅な雰囲気を醸し出す上絵付けにある(京都 ではこの上絵付けを色絵と呼んでいる)。上絵師は五条坂近辺に集中して いる。上絵加工専業者と、本焼成窯を有し成形から手がける者10) とに区別 されるが、ほぼ半々の割合である。上絵加工専業者は主として卸商からの 注文に応じて上絵加工を行っている。一貫生産者は製品を卸商に見せて注 文を取っている。上絵にしても下絵にしても手描きのみであり、転写は行 っていない。京焼における上絵の特色は、持つ人に絵の先を連想させるよ うな描き方にあり、このような描き方を「きれいさび」と呼んでいる。 窯元も上絵師も経営規模は小さく、雇用していても5 ∼ 6 人までがほと
んどで、全体のほぼ半分は夫婦等の家族のみによる経営である。 人材の育成について考察してみよう。京焼産地には基本的な成形や上絵 付けの技術習得機関として京都府立陶工高等技術専門校や京都伝統工芸専 門学校があり、さらに京都市産業技術研究所工業技術センター内にも陶磁 器の研修コースがある。 京都府立陶工高等技術専門校は1946年に京都府立陶工職業補導所として 開設され、現在に至っている。京焼の職人養成を目的とし、成形科と図案 科の他、研究科(磁器のロクロ成形中心)を設置している。教育期間は1 年で、訓練生全体の60∼70%は未経験者である。京焼関係者の子弟が約 20%を占めている。美術大学や芸術大学出身者の入校も増加傾向にある。 教育内容は基本的な技能の習得が中心になっている。卒業後の進路は、図 案科は約90%が京焼産地内に就職し、その他の科は約60%が京焼産地内に 就職している。他県の陶磁器業関係者の子弟は、京焼産地で就職して5 ∼ 10年後に出身地に戻ることが多い。2004年度の訓練生の場合、合格者59名 中京都府出身者が31名、その他の都道府県出身者が28名であった。 京都伝統工芸専門学校は、(財)京都伝統工芸産業支援センターの支援に より1995年に設立された。陶芸専門コースと総合工芸コースの 2 コースか らなる2 年制の専修学校である。1 年目はロクロ成形と絵付け両方の基本 的な技術を習得し、2 年目はロクロ成形か絵付け、あるいは両方とものい ずれかを選択してより高度な技術を習得する。約70%は両方ともに学ぶコ ースを選択している。こうした本科の後に主として釉薬について学ぶ専攻 科(2 年制)もある。入学者の約50%は社会人で、高卒者が40%、大卒等 が10%という内訳になっている。陶磁器関係者の子弟は10%弱でしかない。 京都府出身者も4 分の 1 程度で少ない。卒業後の進路は、80名中約10名が 京都に就職するが、他は関東・中部・九州等全国的である。 京都市産業技術研究所工業技術センターは京都市の研究機関で、種々の 研究や依頼試験等を行っているが、その他に研修事業も行っている。研修
期間 1 年で(さらに上の専修科もある)、成形、釉薬、焼成、絵付け等一 通りの技術を習得する。入学者は京焼の後継者や従業者が中心で、他に京 焼の事業所に就職したい者も入学してくる。卒業後は京焼の事業所に大部 分が就職している。 以上のように京焼の人材育成は、基礎的な部分を京都府立陶工高等技術 専門校や京都伝統工芸専門学校や京都市産業技術研究所工業技術センター が担っていることが分かる。ただ、京都伝統工芸専門学校は他の2 校と異 なり、京焼従事者を重点的に育成しているわけではない。さらに、成形と 絵付けの両方を習得しようとする者が多い。 京焼産地は5 つの地区によって構成されているが、最も古くからの地区 は五条坂である。五条坂の協同組合には2005年現在29軒の窯元がある。組 合が設立された1951年当初は80軒ほどの窯元があったが、その後山科区 (清水焼団地)や宇治市へ移転して、移転した先で組合を結成する者が多 かったため、五条坂の窯元数が大きく減少した。29軒の窯元のうち10軒で 職人を1 ∼ 2 名雇用しているが、他の19軒は家族のみの操業である。きわ めて零細規模である。初代の窯元はなく、2 代目が多い(23軒)。15代目、 16代目という窯元が 1 軒ずつある。あとは 3 代目 3 軒、5 代目 1 軒である。 製品は食器、茶器、花器であるが、各窯元は何でも生産しているわけでは なく、食器なら食器に特化した製品作りを行っている。五条坂には窯元の 他に上絵師や卸商も集中しており、京焼の中心になっている。 日吉地区は五条坂地区の1 kmほど南方に位置し、大正年間に五条坂地 区から移転してきた職人達によって開窯された。協同組合設立は1960年で、 2005年現在22軒の窯元がある。初代の窯元はいない。製品は磁器中心で、 種類も窯元により特化している。雇用者のいる窯元と家族のみの窯元がほ ぼ半々の割合になっている。 泉涌寺地区は日吉地区のすぐ南方に位置し、日吉地区と同様大正年間に、 五条坂地区からの移転者達によって開窯が進んだ。製品は日吉地区とは対
照的に陶器の生産が多い。協同組合設立は1968年で、2005年現在52軒の窯 元がある。初代の窯元が10軒ほどある。雇用者のいる窯元は 3 分の 1 で、 残りは家族のみである。 清水焼団地は山科区にある。やはり、五条坂地区からの窯元の移転によ って開窯された。1962年に協同組合が設立され、組合員62名でスタートし た。2005年現在組合員は72名いるが、うち窯元(作家を含む)は34である。 残りは卸商や関連産業の業者である。大手で20人ほど雇用している窯元が あるが、大部分は家族のみで操業している。3 代以上続いている窯元は少 なく、初代もいない。大部分が2 代目である。以前は陶器も磁器も生産し ていたが、現在は陶器を生産する窯元が多い。 宇治市の炭山地区は範囲が広く、窯元が移転する時期も異なっていたた め、協同組合は3 つ設立された。1965年に設立されたのが京焼炭山協同組 合で、窯元11軒が移転した。2005年現在では 7 軒になった。2 代目が 5 軒、 初代と3 代目が 1 軒ずつある。茶器や食器を生産しているが、製品は窯元 により特化している。 1969年に設立されたのが協同組合炭山工芸村で 2 軒で始めたが、2005年 現在は9 軒ある。雇用者がいる窯元が 3 軒、残りは家族のみである。製品 は食器や茶器を生産する窯元が多く、花器は10%ほどしか生産していない。 1974年に設立されたのが協同組合炭山陶芸である。最初11軒で始めたが、 2005年現在は10軒ある。雇用者がいる窯元は 2 軒、パートの手伝いがいる 窯元が2 軒、残りの 6 軒は家族のみである。初代窯元が 1 軒、他は全て 2 代目窯元である。食器や茶器を生産する窯元が多いが、窯元により陶器製 食器、磁器製食器、陶器製茶器、磁器製茶器のいずれかに特化して生産し ている。 炭山地区の窯元は大部分が住宅を京都市内か宇治市の市街地に有してお り、炭山地区に居住している窯元は2 軒のみである。 地区ごとの窯元組合の他に、上絵師による協同組合も存在する。組合結
成は1945年であるが、協同組合になったのは1972年である。1998年に名称 を「京都色絵陶芸協同組合」と改称し、現在に至っている。2005年現在組 合員は24名おり、京都市や宇治市に広く分布しているが、多くは五条坂地 区に分布している。雇用者がいるところが18軒あり、家族のみは 6 軒にす ぎない。雇用者には上絵の職人の他に成形(ロクロ)の職人もおり、上絵 の工房で成形から上絵付けまで手がけているところが全体の半数あり、残 りは上絵加工のみを手がけている。上絵のデザインについては、ほとんど 上絵師に任されている。 京焼産地の生産構造上の特質は、零細規模の窯元と上絵師が分業によっ て、手作り中心の高級和食器や茶器や花器を少量生産している点にある。 各窯元の製品構成は限定的で、食器、茶器、花器のさらに陶器や磁器に分 かれて生産している。地区による製品構成の違いは、日吉地区、泉涌寺地 区、清水焼団地に陶器か磁器のいずれかに偏る傾向がみられる程度で、食 器、茶器、花器といった製品面ではみられない。人材は全国から集めてお り、技術面での育成は基礎的な部分を京都府内の教育機関や研究機関に依 存している。 4.産地の流通構造 陶磁器製品の流通についてはほとんどの窯元や上絵師が京焼産地の卸商 と取引しており、他産地の卸商と取引しているところは少ない。取引の形 態としては、3 通りに分かれる。窯元が上絵師に外注して上絵付けしても らい完成品を卸商に卸すタイプと、卸商が窯元に白素地を注文し上絵師に 上絵付けを注文するタイプ、窯元が自分の工房内に上絵師を抱えて完成品 を作り卸商に卸す(上絵師が成形職人を抱えて完成品を作る場合もある) タイプである。1 番目と 3 番目のタイプはともに卸商が窯元から完成品を 購入する点で共通しており、卸商からみれば同類と考えることができる。 どのタイプも広く行われている。
かつて京焼産地には「伏せ窯」と呼ばれる卸商と窯元との関係があり、 卸商は特定窯元の製品を全量引き受けて売り捌いていたが、卸商の販売力 低下とともに製品の全量引き取りが困難となり、近年はこの関係がなくな った。しかし現在でも、窯元や上絵師は同じ製品を複数の卸商に卸すこと がほとんどない。そのため、卸商ごとに製品の特色が異なっている。また、 同じ製品を繰り返し生産することも少ないので、カタログ作成の必要性が 小さい。ただ、卸商ごとに独自のカタログを作成してはいる。 卸商の大部分は五条坂界隈と清水焼団地に集中している。京都陶磁器卸 協同組合の組合員33社11 ) のうち小売兼業の大手が 2 社、デパートに直接販 売する消費地問屋兼業が3 社、製造卸で小売も行っている会社 1 社で、残 りは産地問屋である。従業員を雇用している卸商は24社あり、9 社は家族 のみである。卸商は京焼のみを扱っているわけではないが、平均して90 数%が京焼製品である。地域的な営業範囲は卸商によって得意地域があり、 全国的に強い卸商はない。地域としては多くの卸商が東京を最重点地域に している。商品企画は近年卸商主導が減少し、窯元と相談する卸商が増加 している。 近年、消費地の大口顧客が窯元と直接取引する事例がみられるようにな ってきたが、その取引量は少なく大きな流れになっているわけではない。 なお、高級料亭や茶道、華道の家元との取引は、卸商が仲介する一般的 な取引ではなく、特定窯元との取引となっている。ただ、一般の料亭や寿 司屋との取引は卸商を通して行われている。近年はこうした業務用の製品 取引が大きく減少した。
Ⅲ 需要変化への対応
京都陶磁器協同組合連合会でのヒヤリングによれば、京都産地における 急激な売上げ減少は、京都や東京の料亭からの注文が減少したことが大き く影響しているという。また、個人需要では陶磁器を使う習慣が減少したことも影響しているという。いずれにしても京焼製品の販売価格が高すぎ ることが売り上げ減少の背景にあると考えているようである。そのため産 地では、販売価格のかなりの割合を占める流通経費の削減が重要と考え、 流通経路の短縮化を図ろうと考えている。また、近年の卸商は情報提供機 能も倉庫機能も有しておらず、存在意義が低下したと考えている窯元もあ る。確かに近年の卸商の役割は指摘される通りかも知れないが、しかし、 生産者が十分な営業力を有さないまま流通経路を短縮化しても、販売先が 限定されるだけに終わる危険性もある。また、小売価格の大部分を卸商が 得ているわけでもない12) 。 産地内には別に、料亭や茶道、華道の家元以外の顧客開拓を進めるべき ではないかとの声もある。また、市場や時代が求めるものを果たして生産 しているのか、という疑問の声を上げている窯元もいる。伝統技法に依存 するだけではなく、伝統技法を基礎にして現代的なセンスをいかに表現し ていくかが重要なのだということである。しかし、これらがまとまった声 にまでなっているわけではない。 伝統的な高級陶磁器産地であるため、伝統技法に依存し、製品にも斬新 さを打ち出すことなく、次第に需要動向から乖離していったというのが京 焼産地の現状なのであろう。こうした傾向は九谷産地にもみられる。 しかし、京焼産地に何の動きもないというわけではない。日吉地区のあ る窯元では料亭向けの磁器製品を主として生産していたが、1990年代前半 に需要が激減したため、1996∼7年頃から40∼50歳代の女性を対象にした 陶磁器製品を中心とするようになり、販売先も首都圏のデパートが中心に なった。売上額は1990年頃の 4 分の 1 から 5 分の 1 程度に低下したが、料 亭向けの売上額は10分の 1 になったので、販売先の対象を変えたことが売 り上げ減少に歯止めをかけたといえる。この窯元が現在最も注力している ことは、女性に好感を持ってもらう製品のアイディアを考案することであ る。また、ある上絵師は茶器の上絵付けを本業としているが、近年は食器
やガラス器への上絵付けも手がけている。現在では全体の売り上げの約 40%をガラス器が占めている。この場合も販売先の多角化を図ったと考え られる。 このように、京焼産地でも製品転換による変化が僅かずつではあるが進 みつつある。しかし、それが大きな流れになっているわけではないし、製 品転換といっても斬新な製品転換というほどではない。京都という地域性 との関係で、食器、茶器、花器を中心とする製品構成は変化していない。 今まではそれらの製品を京都という地域内で販売していれば良かったので あるが、需要の減少のなかで、地域外にまで市場を拡大せざるを得なくな ったのである。市場が拡大されていっても、京都らしさを捨てることはで きないのであろう。 現在のところ、京焼産地としてまとまって、需要変化への明確な対応策 を打ち出そうとしているわけではない。今後は、どのような対応が必要な のかを、産地として模索していくことが課題となろう。
Ⅳ むすび
京焼産地の生産・流通構造の特質と、需要変化への対応について考察し てきた。京焼の特質は上絵付けの優雅さにあり、京都の料理業界や茶道、 華道の家元との関係を通して、特質が形成されてきた。京焼の生産は、零 細規模の窯元と上絵師による分業によって手作りで行われてきた。しかし、 1990年代に入ると料理業界を中心に需要が減少し、各卸商や窯元等は市場 の多角化を進めたが、全体としては生産を大きく減少させることになった。 そして、産地としての需要減少への対応策がないまま現在に至っている。 九谷産地と比較して京焼産地は、上絵付けによる高級陶磁器生産、分業 体制、零細規模の生産者、少量生産、産地問屋としての卸商、需要減少へ の対応不十分といった共通点がみられる。一方、九谷産地が原料立地型の 陶磁器産地であるのに対して、京焼産地は市場立地型の陶磁器産地であるという相違点もみられる。また、九谷産地が食器、茶器、花器の他に酒器 や置物類や壺類等幅広い製品構成であるのに対して、京焼産地は食器、茶 器、花器中心の限定的な製品構成である点も相違点といえる。こうした相 違点は、それぞれの産地が形成された背景の違いが影響していると考えら れる。 京焼産地が衰退の危機にありながらも生産構造が維持されているのは、 窯元や上絵師の零細性によるものと思われる。すなわち、家族経営という 形態であるため、生産量が減少しても、それに合わせて生活費を切り詰め たり、他の仕事で収入を補うといった柔軟性が可能であるためである。ま た、少量生産でも製品単価が高いために、一定の収入は得られるのであろ う。 京焼が高級陶磁器で知られ、ほとんど低価格品を生産していないなかで、 低価格品を生産すればブランド価値を損ねることになる。そもそも京焼産 地には低価格品を生産・販売する知識も技術もない。そうであれば、今後 も高級陶磁器を生産し続けるしかない。先に筆者が論じた通り(青木、 2008)、京焼独自の固有技術を基盤としつつ、現代の生活に受け入れられ る革新的な製品作りが必要で、さらに、そうした製品を全国各地に販売で きる卸商の販売力を向上させる取り組みが欠かせない。 現時点で、産地が革新的な製品作りをするのは困難かも知れない。かつ て料理業界や茶道、華道の家元の意見を取り入れて陶磁器作りを行ってき たように、今後は全国各地の個人の意見を取り入れて陶磁器作りを行うよ うな仕組みを作る必要があろう。例えば、アンテナショップを設置したり、 モニター制を導入したりして、陶磁器需要の方向性を検討し、検討結果に 基づいた製品作りを進めるのが良いと思われる。
注および参考文献 1)青木英一(2008):わが国陶磁器産地における生産減少への対応―産地間 比較を通して―、人文地理60-1、pp.1-20。 2)例えば飯茶碗一つが九谷焼では1,000円∼5,000円(2002∼2004年版カタロ グ)、京焼では1,000円以上から10,000円近く(大手の陶磁器販売店であるA社 のホームページ2006年 3 月末現在)まである。 3)京焼(清水焼)の他に茶器を専門に生産している楽焼があるが、規模が小 さい。京都産地というと、京焼の他に楽焼も含まれるので、以下では京焼に 限定した産地という意味で京焼産地と称することにする。 4)京焼の陶工青木木米は19世紀初頭に、再興九谷のため指導を行った。 5)ガイドブックの類は多いが、研究や調査報告の類は少なく、近年では以下 のような調査報告書が出されている。①京都市中小企業指導所(1995)『京 都陶磁器上絵付産地診断報告書』、②京都市中小企業指導所(1997)『京都陶 磁器産地診断報告書―京都陶磁器協同組合連合会会員経営実態調査―』、③ 財団法人伝統的工芸品産業振興協会(2002)『伝統的工芸品産地調査・診断 事業報告書―京焼・清水焼―』。 6)産地の形成については以下の文献を参考にした。①中ノ堂一信(1984)『京 都窯芸史』淡交社、②河原正彦(1973)『陶磁大系 26.京焼』平凡社、③岡佳 子(2003)『窯別ガイド日本のやきもの 京都』淡交社。 7)この表の出典(伝統的工芸品産業振興協会「全国伝統的工芸品一覧」)が毎 年刊行されているわけではなく、3 ∼ 4 年ごとの刊行なので連続した変化を 知ることができない。しかし、調査対象が全企業なので産地の特質を知るこ とができる。経済産業省の工業統計表では4 人以上の事業所しか把握できな いので、1 事業所の平均従業者数が2005年現在3.66人の京焼産地の特質を明 らかにすることは困難である。 8)京都青窯会協同組合(1998)『人・まち・文化 京焼・清水焼の伝統を継承 して―泉涌寺地区陶業90年、京都青窯会協同組合30周年記念誌』京都青窯会 協同組合、pp.34-43。 9)日吉開窯九〇周年記念誌編集委員合(2004)『日吉開窯九〇周年記念誌』京 都日吉製陶協同組合、pp.28-38。 10)一人で成形から手がけるわけではなく、成形職人を雇用して工場内分業を 行っている。 11)2008年 2 月現在では29社に減少した。内訳は 1 社が倒産、4 社が退会、1 社が入会であった。新入会の 1 社の創業は天保年間である。 12)ある窯元の説明によると、デパートでの製品小売価格を100とした場合、各 部門の収入割合は窯元が25、産地卸商が13、消費地卸商が10、デパートが52 となり、デパートの収入が最大になるという。