江州中井家の決算報告法について
一中井家帳合の
法一
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は し が き つかい 江州中井家とは近江日野の豪商中井源左衛門家を指す。初代源左衛門良祐が少年の日に稼ぎ溜めた遣金武両と親籍より あわせ 借入れた遣金参両合薬銭六拾貫相当︵約十両︶を携えて、売薬の行商をはじめたのは十九才のとぎであった。業績忽にし て挙り関東振出しに、仙台、京都、大阪その他五器の支店と拾万両に及ぶ大身代を一代にして築き上げ︵九十才卒︶四代 源左衛門︵明治四年卒︶に至る江戸中末期一世紀半の繁栄を保った典型的近江商人である。 経済史家にあっては夙に聞え山景く、近くは江頭博士、原田助教授の研究が続汝発表されている。その後塵を 拝して、経 済史学には門外漢の筆者が一試論を展開しようとするのは同家の史料中に多数の商業帳簿及び決算報告書が含まれていて 合理的計算制度が存在したことが歴然としているので、我が国古来の簿記法発達を跡づけしたいというひそかな願望、帳 簿記録の中から当時の商業経営の実体についての具体的事実を抽出する手がかりともなれば幸ひであるとの期待をもって いるからである。 当時の商業知識は家伝の秘法として一般的普及が困難であったと思われるにかかわらず、平井山下両博士の﹁出雲帳合 江洲中井家の決算報告法について 五五江洲申井家の決算報告法について 五六 の法﹂と中井家帳合の法は著しく類似している。中井家の揚合は今日全く実践されておらないので、多くを推定によらね ばならなかったけれども、 一世紀半に亙る長期問の史料と、支店網の大規模さ、その業種の多様性︵醸造業等製造にも及ぶ︶ の故に傍証を以って仮説を充分に裏付できるのである。本稿も原本を忠実に引用して信頼度を高めることに努力した。 起源論は殆ど絶望である。初代は早くから会計制度を確立して、全期を通じて同じ原理で一貫する程確定的方法であっ たが、これを初代の独創と断定する根拠に乏しいのみならず、共同経営開始の際の取決蜜蝋等も会計用語として註釈なし で用いているなど、 当時既成の知識であった形跡の方が著しいのである。 さればこそこの簿記法が﹁近江帳合法﹂叉は ﹁本邦帳合法﹂とも呼ばれうるのではないかとの期待をもっている。 江頭博士も指摘せられたごとく﹁⋮⋮商業資本の研究も、所詮は個汝の商家の丹念な経営史的研究にまで進まねばうそ だと思う﹂わけで、帳合の法の計算的合理性の正体をつきとめるという側面的研究が、当時の商業資本のあり方、その発 達過程の論証、具体的事実を知る手がかりともなれば本望である。簿記法は計算者の抱く乱入里心識、経営理念の象徴であ り、帳簿は事実の記録だからである。 中井家帳合の法の研究は日常取引の記帳整理法にほじまり、決算法、本支店間統制法、本家による支店の会計監査法の 四点に問題を分つことができるが、そのうちで第一の問題は断定的に発表するには更に一段と広範な三五の検討が必要で ある。多分会計資料を超えて、本支店聞往復文書の類にも及ぶ必要があろう。従って本稿では必要な限度で触れるに止め て後日を期したい。また最後の問題は本家より手代衆を派遣し﹁店卸﹂に立合はせる精査法認が明丈に示されていて興味 深いところであるが、これも本稿では除外したい。 最大の興味は財産法と損益法による複式決算である。 以前に複式簿記の本質を索めて、資本計算と損益計算の二成果計算の同時連携計算体系にあると論じた。この考え方に
よれば中井家帳合の法は複式簿記の要件を具備しながら、技術的にこの原理の透徹を期し得なからたものである。仕訳帳 と元帳、借方貸方、取引複記原則は右の原理体系を支える技術体系である。この技術体系の完備があって原理体系の具体 化が容易となった事実は認めねばならない。しかし、記帳計算技術は記帳計算の手段が変れば変るもので、絶対の条件で はないのである。中井家帳合の法では財産計算の体系と損益計算の体系が巧に組み合って、計算結果・が一致するとの期待 に立って決算されている。しかも、基本帳簿では⑥印を用いて複記による二計算体系分類⋮の完全を期しているが、技術体 系の不備から往汝にして決算結果は不一致に終るのである。本丈に於て引用する決算も容易に訂正し得る計算上の誤謬の ために損益額が一致しないのである。このような不一致は原理的欠陥によるものでなく、些細な技法上の欠陥に起因して いるのであるから、本稿では訂正して原理構造の完全を期した次第である。訂正すれば財産計算と損益計算は一致する。 この点﹁出雲帳合の法﹂に類比せしめて、両面勘定法であるということができる。 母后に本支店会計に到っては、驚く程今日の実践に類好している。用語こそ貸借関係的表現をとるが、実質は単一資本 の分肢経営である関係が積極的に表示されている。 街計算内容の性格を探求してゆくときには、経営態様について知りうる所が多いのであるが、紙巾の都合上必要な限り に於てこの点に触れるに止めた。したがってその面からは断片的補足説明になってしまったことをお断りしなくてはなら ない。 ① ② 江頭恒治博士﹁封建制下における商業資本の在り方﹂野村博士還暦記念論丈集﹃封建制と資本制﹄﹁近江の豪商中井家の家憲﹂彦 根論叢第三十四号﹃秋山先生還暦記念論文集﹄ ﹁近江の豪商中井家の店則﹂彦根論叢第三十五号原田敏丸助教授﹁近江商人の経営 形態に関する一考察一日野の豪商中井源左衛門家の場合﹂彦根論叢第三十四号 平井泰太郎博士﹁出雲帳合の性質﹂国民経済雑誌六一ノ三山下勝治博士﹁出雲帳合における両面勘定﹂彦根高商論叢第三十号記念 号 江洲中井家の決算報告法について ・ 五七
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江洲中井家の決算報告法について 江頭博士﹁封建制下における商業資本の在り方﹂ 原田助教授﹁近江商人の経営形態に関する一考察﹂前掲誌六三頁 拙著﹁複式簿記原理﹂﹁簿記組織論﹂夫々第一章 五八 二 決算報告書例示︵仙台見世一枝店︶ 近江商入は江州の郷里に本家を構えて、全国に支店網を形成する。支店の性格は一様でなく肉親を配して単独出資をも って構成する支店から隅全く別個の企業に対して共同出資をして資本的支配を行う型の支店にいたるまで家学万別である これを分って支店と二二とする。これら部分経営は主人や手代衆が直接下向して指揮監督することもあったが、最終は年 度決算の報止呈日を本家宛に送達してその管理を受けたのである。中井家年度決算を支店枝店の経営管理手段と解するとき その特色が一義的に明らかとなる。本項では内容的検討を一応伏せて、先づ計算形式から解明してみよう。 中井家文書は本家に所蔵されたもので、会計関係の文書も支店から本家え送達された報告書が多い。決算報告関係の文 書には・次のものがある。 月〆本帳・店卸・明細帳−−一諸種の帳簿から勘定別に集計を行う。 店卸調下書及び店卸勘定目録・手本帳一いつれも第二段の集計簿と考えられるが、今の所断定する手がかりがない。 店卸帳−報告書たる店卸目録を報告者の側で写し取った控帳である。仙台店のものが、安永五年以降明治廿一年まで 十二冊保存されていてその間二冊が欠けているのみである。安永五年は仙台店開店後七年目である。いつれも在店記録で あって、夫汝の支店に於て散逸したのであろう。保存状況は不充分である。 店卸目録︵店卸帳・店卸勘定書︶ 11基本的年次決算報告書であって、美濃紙四折の綴帳形態。十枚綴から三十枚以上の大部なものである。数個の支店について、相当完全に取揃えて保存されている。本研究の主たる対象となったのもこれで ある。 金銀差引調・店卸書抜帳f大部なものは綴帳形態であるが多くは書状形態をとり店卸目録の一部として綴込まれるこ ともある。決算報告の一種である。 以上は本店に送達され、本店で保存ぜられた。− 店卸記、永代店卸勘定書i本家に設け、られ支店からの決算報告を集計し全店的財産計算を行ったものである。初代の 手になるもの三冊、これは同一内容のものを書き替えたのであって、 一冊が原本、他の店卸記は写本、永代店卸勘定書は 要約写本である。初代開店の享保十九年︵西一七三四︶十九才の年に起筆され二代のはじめまでは毎年記帳を励行した。二 代三代は作成せず、空白廿八年間が四代によって簡単に埋められた後、再開され、明治四年目及んでいる。全六冊に及 ぶ。 ︵起筆は享保十九年であるが、記載状況から推して開店後十三年巨の延享三年︵西一七四六︶から本格的に記帳されたものと考えている。︶ 本稿では主として仙台本店とその一部門たる仙台質店、見世︵小売部︶の享和元年︵西一八〇一︶の店卸目録を本店の店 卸記に繋ぎ、且つ前後の年を参照した。 また押立店︵醤油醸造業︶の開店の年たる天明九年︵西︼七八八︶翌寛政元年をも 参照した。 仙台店は中井家の主力店舗であって中井新三郎が経営を担当した。明和初年からその繭芽が見られ、明和六年開店、生 糸・青苧・紅花・蝋・大小豆その他土地の物産を京阪え運び、綿・古手その他を京阪江戸から輸入した。 ﹁見世﹂﹁質店﹂ のぽか枝店数店を統轄し、石漁舟の枝店亀その傘下にあった。明治十七年まで存続している。 江洲中井家の・決算報告法について 五九
忙洲中井家の決算報告法について 金差引之部. 一金三千百七拾九両難戦ト毫匁九分五厘 一同⊥ハ︸日♪U拾八謂歯 一同弐両弐分ト十弐欠五分 一同三百五拾両 年中売高 元方より正金にてかり高 興銀より麺入金 正金にて入高 但し伸周売血なしに付売帳へ出し不申享 メ金四千弍百九両三分ト十四仁四分五厘 右ノ内 一金弍千百四拾式両 一嗣七百九十八両弐分ト弐匁五分 一同四百九拾壱両ト五匁七分 一同拾八両ト拾匁壷分 一同三︸日八両弐鼻淵ト十弐魏々 一同弐拾五両三分ト十匁肇分 一同弐両壱分ト六匁五分 ︼同弐百九拾六両弍分ト十匁肇分四厘 一同七拾入両ト毫勢六分七厘 一答拾壱両書分ト十三匁四分八厘 一同三両三分ト三匁四分四厘 一同十七両弐分ト十匁三分六厘 年中元方へ渡し高 ・地古手仕入高 江戸夏もの仕入高 江戸森小殿仕入︷局 江戸森藤殿仕入 沽や平四郎殿仕入高 金山ノ萬兵衛殿仕入 諸仕入高 染仕立ちん二 二駄賃払 店小遣筆紙代 +ハ晦日勘定尻有金 メ同四千百九拾四両毫分ト拾匁九分九厘 中庄引朔金捨五両、弐分ト一二匁四分山ハ僧帽 不[疋 仕 入 之 部 ︵褒紙︸ ︵羨︶ 六〇 ︵第=皇︶
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酬 餐罫 ﹁見世﹂の享和元年︵寛政十三年﹂酉年の決算.享和二年二月作 成、決算臼は通例十二月末E、若干遅匹することは珍しくない。 ︵金差引之部︶金蓮差引帳又は差引粟という別個の報告書となる ことが多い。上例はむしろ胸歩的形態で、現金出納帳の要約に相当 する内容であるが、 一般には掛取引をも計上し.製造原価の内部取 引をも含ませたものさえある︵押立店︶今日の取引綜左表に近い。 ﹁吾桑より過入金﹂前年決算の﹁正金に’、在高﹂であって.前期 繰越現金の意である。 期首現金在高に当期現金値入が加算され、四、二〇九両三歩と一 四匁四分五厘となるの 二両11四歩一歩日四朱。一両“六〇匁︶胴金七百九拾八両弐歩と馬連五分 一同入百工拾七両弐歩ト三拾八匁弍分五厘 一同三百八両弍歩ト十弐匁 一同弍拾五両三分ト拾匁毫分 一同弐両老分ト六匁五厘 一同弐百九拾六両弐歩ト十匁肇分四厘 一同七拾入両ト壷匁六分七厘 一同拾毫両毫歩ト十三匁四分八厘 一同三両三歩ト三匁四分四厘 一同三百五拾八両弐歩ト八匁七分五厘 一同七百四十四両弐歩ト七匁四分三厘 一同弍千六百三拾弍両譲歩ト六匁七分九厘 壷金五千七百七拾両弐歩ト八匁六分 右之内 一金弍千六百六拾六両ト拾匁毫分 残・り古手しろ物メ高 一金三百五拾両 正金にて入 ノ金三千拾⊥ハ両ト十焔匁士宏分 引残て 一金弍千七百五拾四両壷分ト十三匁五分 此売立 日金ミ千百七拾九両憂歩と壷匁九分五厘 年中売立 引残て 金四百弐拾四両三分ト三匁四分五厘 売出し徳用 地古手仕入 森小殿仕入 森藤殿仕入 油屋平四郎殿仕入 金由[万兵衛殿住仰 望仕入メ高 染仕立ちん払 諸駄賃払 小遣刷出 山尽−甲正殿仕入盲同 元方より下り古手仕入高 申年残り古手引請 江洲中井家の決算報告法について ﹁年中元方へ渡し高﹂元方はこの場合主として仙台本店である。 前年利足、徳用、さらに元本さえも必要あれば元方に送金するQ元 方の計算は重要ゆえ後に詳細に示す。 仕入のための支払高の各項は後出﹁仕入の部﹂の項目中現金仕入 の各項に該当する。 染仕立の外註工賃等経費支払高に﹁大晦日勘走尻﹂即ち、当期未 現金在高を加えて合計四、一九四・一両と一〇・九・八匁となるが 前記金額との間、に一五・二両と三・四六匁不足が出る。 ︵彗口減畿 鳶蟄+﹀診馴︶i︵圧晦画+謹暑臨診麟酬︶11引細であるから、原 因不明の所謂現金過不足である。 ︵ぬ﹂ゴ野趣溺十﹀畿馴︶一蛋診酬一 蔵誤湘月謹器影画という差引残高としてではなく、今日の洋式実践 に近い平均残であることは興味深いところである。 ﹁仕入の部﹂1﹁損益之部﹂は一連の損益計算である。 ﹁地古手 仕入﹂−﹁諸仕入メ高﹂は現金決濱の仕入費用、これに現金払営業 経費を加え. ユ尽中正殿仕入高﹂以下の内部振替仕入高を加える。 京の中井正浩右.衛門店と仙台本店から商品を受け,当主は本支店 勘定を通じて交互計.算される。また日激に応じた利足が附けられる のであって単純な掛仕入ではない。 ﹁申年残り吉手引講﹂ 前年度末商晶棚卸高である。 申三舞御帳 ︵辛酉寛政十三年正月吉日︶に﹁残り代呂物恥メ高﹂として謁げら れている金額と一致するQ引講は出資受入れの意。 以上合して五、七七〇・二両八・六匁が酉年総取扱商晶費用、 ﹁右 之内﹂から﹁正金にて入﹂を差引く理由は但書にもあるごとく原価 売渡の仲間取引であるから売上に孤えるべきであるが、﹁此廻り﹂ 即ち商晶売買耳垂率によって経営能率が管理される関係上、仕入高 から差引いて総益率を高めているのであh・う。 ﹁残り古手しろ物メ 高﹂は酉年末商品棚卸.高でこれを差引いて,二、七五四・一両と一 山念
江洲中井家の決算報告法について 此廻り半割五分四厘弍毛
損 徳之部
一金四百弐十四両三歩ト三匁四分五厘 一同五拾弍両三歩三ト十四匁三分八厘 ソ金四百七拾七両ミ歩ト弐匁八分三厘 右之六 一金弐百六拾四両四分ト十三匁九分毫厘 一同百両也 一同拾五両弐分ト=玄匁四分山ハ厘 一同三両三歩ト三匁四分四厘 一同八両二歩ト十寸匁五分 一同三拾六両三分也 一同三拾壷天上 ノ金四百六拾両ト弍匁三分二藍 引残し 一二拾七両三分ト五分越厘惣勘定之部
∵金弐千六百六拾五両三歩ト七匁三厘⋮ 右へ 一塁弍千六百⊥二仏鋼⊥ハ両ト十匁弍分 一金拾七両弍歩ト拾匁三分六厘 売出し徳用 元方より返口合徳用 元方へ日合筆雑用
金差引不足 店小遣一代 京中正一日合払 代引物値引そん 番付帳志うもの不足 徳用 元方より差引残りかり 残り代品物在高 正金にて在高 二ロノ金弍千六百八拾三両三歩ト五匁四分六厘 惣て引残し 一金拾七両三分ト十三匁四分三厘 正味徳用 六二 三・五匁が商品売上原価で、売上牧益﹁年中売立﹂と比較して.四 二四二二両と三・四五匁が売買総益︵売出徳用︶。 これまでを損益計算第一段として、次で﹁損益之部﹂で売買総益 以下諸牧益、 諸費用が集合せしめられて当期純益が算出される。 ﹁売出徳用は﹂第一畏の計算で明らかなところ。 ﹁元方よ・り正日合 徳用﹂︵元方之送金に対する逆日歩︶を加え、﹁元方試合払﹂ ︵後 出Y﹁雑用﹂ ︵雑費i本店計上経費申見世分担額として本店より振 替られた金額。仙台店の項参照︶現金過不足、店用雑費等一般管理 販売費を含む営業外費用項目、棚卸商品評価損たる﹁代呂物値引そ ん﹂、棚卸減耗費即ち、番付帳の売消しができていないにか\わら ず現品存在せざる損失を合算する。これらを牧益から差引いて七・ 三両と○・五二匁徳用︵当期純益︶が算出される。 次で財産計算となるが、 一般に明細を記載するので大部のものと なるのが通例であるが、上例は極端に簡略になっている。 ﹁元方より差引残りかり﹂は前年店卸の元方残高に今期中の追加 元入・引出を加減した期未元方である。一部門であるので正昧身代 というよりは﹁引講﹂高純額というのが適切である。 上例の金額は誤算である。次に正しい計算と上例の計算の推定を 掲げる。*印の申年店徳用のうち銀建の部が筆の間違で計算漏とな って酉年え繰越されたものであらう。 ︵推定︶ ﹁残り代品物在高﹁は前出損益計算に用いた期末棚卸高、﹁正金 にて在高﹂は金差引計算の期末現金在高で、資産である。店三等固定 資産は本店に計上されていて部門が掌握する資産は右が全部であ る。この額と﹁元方より差引残・りかり﹂の差額は元入引出など資本 主の直接の行為︵資本取引︶によらない純粋の坂引上の純益で財産 計算による損益の算定であるということができる。さて﹁元方より差引残りかり﹂の金額に筆・者の求めた二、六六六両と 四・九四匁を置くと﹁惣て引残て﹂は七・三両と○.五二匁となって、 損益計算の結果と完全に一致する。このように損益計算と財産計算の一 致、即ち、山下博士の両面勘定の構造が打出されているのである。この 状況は他のどの店卸・についてもいい得るところである。次に項を改めて 二三の店卸を分析し、その内容を検討しよう。 ①原田助教授前掲論交五四頁参照
三複式決算の構造︵枝店・麦店・本家︶
仙台見世の決算は次の二式にまとめられる。 ︹脹濫器lC薄財一︷︵露払強藤亜麺整婁副十脹醗沖﹀酸一律ン磁心藩︶ 一醗辮爵翫善宮四︸︺十三冴半面f︵掛蛍軸こ鋤十曝灘羅十諜励製空輪︶“ 膿盗讃厳詠:::⋮︾外e 濫暑煽鰍吟理一帥﹀瞼盗暢灘鼠阿態濫謹躰励斗⋮・⋮:::⋮:㊥長年期首
(元方残) (申年末) (店徳用) 合・ 計 正しい計算 2, 507両 匁 6.38 128 12. 91 2,635.1 4.29 原本の計算両 匁
2,507 6.38 128 2, 635 6. 38 元方へ渡し一2,142.0 元方よりかり 元方下り古手 元方へ二合 i雑 用 京中正仕入 京中正二合 店 小 遣 代晶物値引損 ク 不足 元方返日合一 678. 0 744. 2 7. 43 264. 1 13. 91 100. 0 358. 2 8. 75 8.1 了1.50 3,3 3.44 36. 3 31.0 52.3 14.38 一2, 14Z 0 678. 0 744. 2 7. 43 264.{ 13,9f lOO, 0 358. 2 8, 75 8.1 1可.50 3.3 3.44 36.3 3f.O 一 52,2 14,38 2, 666. 0 4. 94 2, 665. 3 7. 03 ︵京中正は天明二年開設の分家である。原本に従って元方に合算した。後に検討したい︶ 右の公式が損益計算書と貸借対照表の計算原理に等しく、また、差引くかわりに対立させる形式︵対置減法︶も見逃せな い。前掲の店卸の内容を精算表の形に仕上げると一層明瞭であるが紙巾の関係で省略した。 仙台質店の決算は次のごとし。 ﹁金指瓦之部﹂ ︵財産計算、質店のみかく呼ぶ︶で元方より指引残かり・出精金︵後出︶甚 兵衛預り︵同︶歴年利息の四項合計金五、六九五∴二両ト一・六三匁。右ノ内、重賞〆︵貸付金残高︶大晦日改メ正〆高︵現 江洲中井家の決算報告法について 六三江洲中井家の決算報告法について 六四 金残高︶のこ項合計金五、八七〇・一両卜九・二匁、指引残て金一七四・二両ト七・五七匁の徳用となっている。 ︵原本誤 算.筆者訂正︶﹁内金一七・一両ト一二・七五匁出精金差引、引田金一五七両ト九二八二匁とく﹂の但書をつけて、次に損 益計算に入り﹁徳用之部﹂には利息〆高.流勢とく・別口物利足の三項合計七四六・一両ト五・四七匁、 ﹁損之部﹂には 元方日合払・紙墨筆小遣.元方造用︵本店経費の分担額︶蔵敷︵本店計上の質方屋陪臣減価償却費.毎年六〇両︶銭不足・出精金 利足・甚兵衛利足・全入世話料︵手当︶を掲げて﹁〆金五七〇・一両ト一二・一九匁﹂で、 ﹁指引穿て金一七五・三両ト 八・二八匁とく﹂と算出されるが両計算の闇には若干の誤差が生じるので、 ﹁前後指引て金一・一両卜○・七]匁行違﹂ の一項が入るのである。 この行違の原因については入質・重質月別明細をつけて発生高と回牧高を差引してゆくと期末の質有〆高との閤に同額 の差が生じるので、貸付金九口分の記帳混乱によることが明らかとなる。即ち、 一種の貸倒損め取扱方が研究不十分であ ったわけで、決算構造の欠陥ではないのであワ、0。このようにして両面勘定一致の原則が貫かれるのである。 質店は日野屋源四郎名儀、甚兵衛は有給支配人である。世話料がこれであるがその上に利益があれば一割の出精金を受 け店に預りとし、さらに九分の利益分配にあっかる労務出資者でもある。従って﹁此訳﹂一驚一五両卜一二・九八菰甚兵 衛一金一四一・一両ト一一・八四匁質.方とく、という利益分醍の一項が加えられる。 .出精金、利益分配をいかに扱うべきかは甚兵衛との間に交はされた約定書が発見されないので断言し兼ねるが、他の場 合に準じて分配額を損に落し︵仙台店の計算に照応︶その累計を負債と考えて公式を立てることにする。 ︵濾‡吟灘酬+晶群灘酬︶一︵謙﹀紛盗暑蝉爵+審﹀年輪蟄︶11脹蓋酋誹紛⋮⋮㊥ 脹塑酋詠吟1購年中囲御冠O出際濫 讃財⋮⋮⑨ ㊦齢π㊥齢嘩罰>C^盗掛蹄鰍ゆ理“削﹀診盗光灘副+二黒湿酬十能盗張爵誹団興︵怨讐踏鍬一心繍︶r濁﹀ 紛引揚灘醒−一脹盗壽跡⋮⋮︾易㊥ 熱㌶盗慨蹄鰍−黒光踵薄11甑暑鼠幽趣詳づ豊野凶﹀診盗滞灘酬伴ごふ㊦藁客語卍・∀π
遡露π潴藍丑㊦応営誹﹀里計量甘録ご詩か㊦d渉ぴサぴ書遣暴露.団昇遡冷d齢ぴQ琢π謝曲舞 醗斗 臣昇無洋一強藤畠呉恥颪、び目見醗壽跡⋮⋮︾齢㊥、 、 ︵瀕爵鰍二晦+蕩寓融型通︶1︵耕髄孫下網+瞬刻詳簸+翼自購書羅+韻臨監斜初+瞬噛唱酬+填遽窟︶一−脹盗讃鉢⋮⋮︾易㊥ 仙台店は中井家第一の店舗で中井新三郎が経営した。自らも交易を営むとともに別に部門を構えて統制する管理部門で もあった。部門の店.卸目録は日野本家事になってはいるが、仙台店経由であったか、副本を送達したものか、とにかく計 算は見事符ムロしている。仙台店の店卸目録は変形簡略された合併決算諸表、即ち、部門の決算を含んだ決算になってい る。かかる本支.店会計の詳細は別稿に譲る。 店卸目録は財産計算の部五四頁︵毎頁六項位記載︶損益計算の部五〇頁計一〇四頁に及ぶ大冊である。原本では、家計費 を費目別、給料は個人別にし、仕入売上とも稼手・繰綿に区分、各区分は大阪と江戸に分け、かつ月別明細を示して、繰 綿・古手・利足の順で区分計算したのち、徳用集之部と損の部で全計算結果が集められる。 ︵集合損益勘定︶その他若干特 異な用語が用いられているが、その詳細は次項に譲って、ここでは公式化に必要な程度の形式的説明に止めたい。 古望性金・同利足、望追金・同利足は本家より投下された元入金と累加的な一定率の利息であって、換言すれば支店に 委ねられた本家の資本の維持基準である。利足は今年分であって、しかも分肢経営り計上する自己資本利子である。利足 が差引かれてなお余剰があれば徳用積金として支店に積立てる。徳用積金にも一定の利足が加えられる。このようにして 当期末に於ける元利合計になっている。既に前壁に於て繰越元入金期末在高と表はしたのもこの金額であって、そこでは利 足繰入を追加元入と考、兄たわけである。さて、仙台店は日野の支店、見世・質店は仙台店の部門という重畳関係になって いるので、そのままでは分解が頗る面倒である。そこで一応日野本家との関係を伏せて仙台店を独立の企業と仮定して形 式的側面を考察し、後にこの仮定を外さう。この仮定に立てば右の諸項目はいつれも繰越正味身代ハ自己盗本︶で自己資本 江洲中井家の決算報告法について 六五
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六六 利子を含んだ元利合計である。次に続く八項目は 他店よりの委託・借入.預りである。 ︵中井家一 統の支店からの委託も入っている。仙台店は預h、.相手 麦店では仙台へかしという表現をとるが、実質は貸借関 係ではない。 一応前述の仮定に立って負債と考えること にする︶支店間決算尻は仮定上の負債、出精金預り ・海上積金預り・祭礼方預りは実質的負債項目で ある。 正金有物中の店差引残り貸・店徳用、質店差引 残り貸・質店徳用など部門関係項目は、見世.質 店の店卸自体の元方より差引残りかり.正味徳用 の金額と完全に一致する。即ち、既に夫汝の部門 の期末正味身代であることを示した金額で、これ を仙台店は貸として掲げたのであるが、かり.貸 しは続騰的表現にすぎず、後に示すごとく、実質 は本支店会計における連結勘定である。 紙巾の都合で主要項目にまとめて次に掲げる。 ︾懸三三θ踏羅11跨懲︾婁㊦蹟露+命懸命吝㊦¢ 購薩圏昇恥お盗滞灘蟄+脈盗豊眺⋮・⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⑤ 臣懸酵昼掛爵冒中○㊦6鏡ぴサα‘ ︾懸矯鰍“譜卦爵蹄鰍+溢満爵矯漏⋮⋮⋮⋮⋮⋮㊥ ︾懸舩臨“母蔚蝕臨+糾蔚愈臨⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮・.・⑤ 降懸聯隣臼昇無壽11科諦蕪灘母昇魯海+ 掛酪霜露臣男心冷⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⑭ 墨盗酋誹勲誹蔚賑潴饅財+掛蔚脹濫饅詠⋮⋮⋮⋮⑱ ㊥叫轡葺軒ゆ伴掛冠立刀馬前π嶺。臼配“卿蜴画d紗ぴ︾小き論義讃卜θ論定πφ蝉C舜ご、。鼠紙興一癬新繭瞬d齢び伸
伴嘗竜戴透蚕宴謙強“奮尊邸寒気訪丁類崔掌重残掌琴.㊥皆⑭㊤ω⑳箋ζ鳶墨
O︾島鳶おびきび。 餅卦醜塒臨+溢掛酷麟臨11碁蘇油萄+勲爵油臨+碁爵街燈激語遷冷+渇画面灘畠県蹄力+昼融融詠+糾塩竃駄⋮②謎卦 温騰鰍+︵譜糾沸躊鰍−登簿訟繍︶11卦爵号熟+診露霜現態昇睡詫+︾愚濡鼠⋮⋮㊤︵㊥無声⑪㊥易磁壽﹀︶ eサび胃4振掛録蹄鰍一嘗婦瓜露擁渇温盗斎自画細跨h掛写経欝囹幽趣冷+渦温詮初.⋮⋮㊥づ翫び︾9⑦齢芦㊥外酵 聾>Cパ‘ 醗誹軒踏鰍+料蔚聯首鼠黒㎏詫+播蔚越帥H激雷泌繍+︾懸蕪衡臼昇乱賊+疹輝謹詠⋮⋮︾島@ ︵岳料齢舜︾斗㊥a雇遭残野つ。︶ 公式⑤の形式に従うときは、日常の簿記において、本店は本店所管事項、即ち、在本店資産と本店負債並に企業全体とし ての繰越正味身代︵毎年利益を繰入・追加元入・引出を加減する継立計算で、麦店開設前既に存する勘定︶に限ればよい。支店の取 江洲中井家の決算報告法について 六七江洲中井家の決算報告法について 圓 沸 毬 画 賊 高等μ喰μ連繋 ︷︸叶 η﹁屯+蛍.出羽 薄 断 酢 嶺︵罵言撃茎㊦裳︶劃 漕 研 睡 煕 鈴 ω、oo伊PO 図 蝋こ 試 鵠◎ド0 睡陣紗丑岳蟄.細 DヂcD切00 雲(画 “,““[g 嶺首僧 ( o蝋 コレ温二 摯皿睡 v v 轟PcocoPO 一PωUω辱O ごミ弁ω ︵蹟煕㊦嶺︶ 1因鑑
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σ2訟 ドPN δPO 巳﹄ 六八 引は支店の帳簿にまかせ支店で決算を行はせ、その報告に 基いて支店繰越正味身代期末残高と当期利益を本店の資産 に算入すれば、企業全体の決算になる。 支店の決算は支店単独の決算であるに対して、本店の決 算は・本店単独の決算を含んだ本支店合併決算が一挙に行え ることになる。 仙台店酉店卸目録の財産計算はまさに公式⑤に相当す る。望性金以下自己資本と老えた諸項目は仙台店とその部 門、いわば仙台支店グループの繰越正味身代と当期利益、負 債と呼んだ項目は仙台店単独の負債で、部門直接の負債は 含まない。見世の京中正より送代物のごとく仙台店の名に おいて導入した部門運用の負債は仙台店で負債に計上し、 ﹁店差引残り貸﹂に算入︵両建︶、見世では﹁元方より差引 残りかりとなる。これに反して質店の﹁甚兵衛預り﹂は質 店単独︵直接︶ の負債であるがら仙台店の負債には上って 来ないことになる。 正金有物之部の店差引残り貸・店徳用、質店の同上項目 等は両部門の資産負債一切を.代表する連結勘定である。そ醸 邊蟄1 tU 霜 母圓丑議歯 爵漉董く掛 湘筒 蝋瑠一丑溢珊
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9曽 一一Xきし − a)一〇A# ju oo cr“o co 一p eo an an ω卜。σ「 ⊂D卜Oo へJN卜」 三暫8 江洲中井家の決算報告法について ドO◎PN α.O帥 Pco①M・N ρωGD 旨層。。留L−U・駕 酌PD ご’① の他の資産は公式どうり仙台店単独の債権.棚卸資産.固 定産︵仙台店のみにこの項目あり︶である。 損益計算では=菰内面入用﹂以下五区分で順次区分計算 した上で﹁徳用集之部﹂﹁損の部﹂が集合損益計算となる のである。家内諸入用で店に一〇〇両、質店に五〇両を振 替負担させているのが前述の部門における本店費用の分粗 である。 前半五項目は部門と同構造故省略して、集合損益計算は ・次の公式となる。 ︵獣通お詠十三喬詠十耕酒器濫讃詠︶1︵糾貢謹、晦十三 紬醗蹄十講隣十黙蹴、⋮、躍︶11脹濫︾懲箆詠⋮⋮︾晃︵⑨ 仙台店単独の利益でなく、部門の当期純益を含んだ仙台 店グループの損益計算、前述の仙台店グループを一企業と 考える仮定によれば、本支店合併損益計算で.ある。かくて 財産計算と損益計算は全く符合するに到る。 ︵引用例の財産計算末尾にて、 年中差引不足三四両ト一・○.九匁 と損の部そん二二.二両ト一一・六匁に分祈して損益計算の結果た る損失額と一致符合せしめているが、年中差引不足は現金逼不足に 相当する計算誤謬の雑損でめるからこれを損の部に計上して損益 六九江洲中井家の決算報告法について 七〇 計算すれば、当期純損は五六・二両一丁六匁となり、部門におけると同様の取扱となって両面勘定の一面する状況はさらに明瞭となる。︶ 仙台店の店卸目録は本支店合併、即ち仙台店グループの決算報告であるが、その合併の仕方は今日の方法とは相当に相 違している。今日では、合併決算書には在本店資産・在支店資産を共通科目毎に合算した企業全体の資産が計上され、負 債もこれに従う。本店の帳簿上の支店勘定︵資産側︶と支店の帳簿上の本店勘定︵資本側︶は相殺されて表はれず、ω式の 表現をとるのである。前に仙台店卸目録を変形簡略化された合併決算といったのはこのことを指しているのである。 本家では初代の店卸記二冊、永代店卸勘定書一冊があり、その内容は同じものである。二代からは店卸帳が一時中断さ れるが、その後はとにかく明治初年まで継続される。 計算形式の点からは、ω享保十九年︵一七三四︶−−延享二年︵一七四五︶働延享三年i寛政八年︵一七九六︶圖それ以 後の三期に分ちうる。 第一期は霜曇楓昇蹄詫+脹盗欝跡11記念島昇郎冷⋮⋮θ︵︾斗◎熾態︶ の形で記録されるが、これは多分第二期になっ てから追補された記録であらう。享保+九年置手金二両、享保二+年延金︵純益︶六両、合せて八両、元文元年延金一二両 合せて三十八両といった具合に累.積計算されるのである。 ・ 第二期になると細目が示される。その一例、 延金六拾九両三分 延享三丙年光一才 一金三百九拾三両 売懸金高︵売掛金︶ 一金百拾五両三分 合薬仕入︵売薬在高︶ メ金五百八両三分 内金三拾両 清水清左衛門殿借用
引ノ 四百七拾八両三分 前年在金指引而︵前年は四百九両︶ 金六拾九両三分 延金 外に金五拾六両普請金遺金 即ち、 醤涛購鰍−瀦掛加臨11謡涛﹂田昇無盆 盗澱鼠県靱冷−謡働鼠昇邸海H脹澄讃眺⋮・−︾齢㊥、 の形の財産計算方式決算のみである。 この年越堀支店が開かれ、寛延二年には大田原支店が主力店舗として開設されるが、会計組織としては未分化であった ものかこのままの形式で計算されてゆく。宝暦五年︵一七五五︶以後細目が表示されるようになり、安永年盛︵一七七〇年代︶ には百数十項目に達する。 ︵譜卦黙蹄鰍十漸温蕪魔圏蹄冷十耕蔚謹駄︶1暑蹄癒臨11診撫濫舟臣昇醸冷⋮⋮︾島㊥ 命懸盗涛鼠昇麺霊一画郵働畠昇趣壽H脹盗訟詠⋮︾島㊥㊥、θ瀕出“ の・形をとり仙台店と同じ構造である。 第三期は初代が晩年財産分醜して自らの記録を中断して以後のことで、二代目源左衛門光昌は寛政.九年遅り﹁店卸帳﹂ をつけはじめる。 この店卸は光昌個人の分配持分の計算のみで享和二年酉の店卸は仙台店卸﹁借り方之部﹂の項目中新・古望性、同利足 傘近源古望性利足、同徳用と相馬望性から成り立ち、金額は一々符合する。しかも、預りの部を欠いた、資産側のみの表 示であって公式③の正味身代比較計算は潜在するのみとなる。光昌個人にとっては全部が自己の持分であったので表示す 江洲中井家の決算報告法について 七一
江洲中井家の決算報告法について る必要がなかったためであらう。 七二 四 両面勘定の実質的吟味 思うに、計算的合理性をつきつめてゆけば状態計算・結果計算たる財産計算の結果と、運動計算・原因計算たる損益計 算の結果が一致するという原理に到達するに遠いない。この計算形式はただに経済活動に適用しうるのみならず、増減す る活動体の計算には例外なく適合する計算形式である。したがって簿記法として成立した事情を探索しようとすれば計算 形式の合理性を理解するのみでは充分ではない。前項においては形式的側面に限定して考察し複計算構造をもっている事 実をつきとめたのであるが、公式化にあたって用いた諸概念は形式を明瞭に示すために便宜上用いたにすぎないのであっ て、計算の実質的内容的同一性を示したものではないのである。中井家帳合法の実質的意義は今日のそれとは相当に距る ものがあるとはいえ、経営管理と資本維持が根本的要請となって上述の計算形式が実践に移されるに到ったと想像できる 態のものである。実に現実の必要なしには実践は進まないのである。本項は簡に過ぎて語弊なしとしないが、計算を通じ て支店を管理しようとした本.家の管理活動の性格、また維持しようとした資本及至は企業の実体を知らうと努めている。 中井鼻輪合法は﹁売出徳用﹂計算による営業能率測定計算と、望性金をめぐる財産計算による一種の資本維持計算を中 核としている。 ︵売買総説計算︶損益計算の前段が﹁売出徳用﹂即ち売買総懸計算で一ある。 ﹁此廻り﹂として総益率が示されることは前 に示した。次に続くべき一般管理・販売費は支店の経営担当者との費用負担に関する取定めによって一定しないのである。 給金・雑用は勿論家計費まで損に落すことが許された店︵仙台店︶もあれば、担当者に定額の世話母乳︵給金︶を出し、給 金・雑用は担当者負担とする店︵質店その他枝光︶もある。さらに利足の計上については一層個別性がある。これらの事情は
取引の成果としてではなく人為的な差異であるから、純益は営業能率の基準とはならない。純益の計算は別の意義をもっ て居り、これは次の資本維持に関連せしめるべきものである。 総益計算は取扱品目区分で行はれる。そのために売上原価が晶目別に集計せられ売上牧益に対応せしめられるのであり その対応関係は期間的総額対応になっている。例えば押立店では醤油醸造を主体に関連品目の売買を併せ行うたが、仕入 費用は先づ大豆・塩・麦︵主要材料︶餅米その他︵補助材料︶新盆帰樽︵荷造包装費︶駄賃︵運送費︶等に分って第一次把握し 次に醤油売立・大小豆売立.塩売立・諸色︵雑︶ 売立に夫汝対応せしめるため出人計算法と棚卸、計算法を併用して各取扱 晶聖別に集計し直す︵原価計算的方法︶のである。また仙台店では繰綿・古手に二分して計算しているなど顕著なものであ る。 次に期間計算は主として棚卸計算法をもって行はれるのを原則とした。押立店では期闇限定の正確を期すために醒︵仕 掛品︶の棚卸高計上さえ行って居り、他の商的経営で在庫品の棚卸を行って期間費用の限定をしたことは公式①⑥にて示 したところである。また仙台質店のごとく営業の性質上棚卸計算法を用いる必要のない経営でさえも﹁質方々之部﹂﹁受 質物之部﹂﹁改有質物之部﹂が財産計算の﹁有質物﹂ ︵貸付金︶の明細であるとともに、損益計算のための﹁利息〆高﹂ ﹁流質売とく﹂を検算する棚卸計算法による月別明細になっている。このように棚節計算を用いた耳聞計算のあり方は今 日の売買総益計算と何ら異るところがない。 ︵望性金計算︶特異点は望純金の計算に集中しているといえる。望黒金は中井家特有の名称であって、時代とともに凝固 ヘ へ した概念である。宝暦七年︵一七五七︶の本家店卸記に秋山中性預りとあるのが最初で、別帳では宮金預りとあるから. ﹁預り金﹂﹁かり﹂と明確な区別のない特定条件つき他入資本であったらしい、その後は他人資本が中井家に入るのを望 性と呼ぶことなく、払方として掲げられる。 江洲中井家の決算報告法について 七三
江洲中井家の決算報告法について 七四 立場をかえて支店では本家より元入された支店正味身代を呼ぶのに早くからこの語を用いた。支店で望性となっている 金額を本家では種汝呼ぶので、概念の推移を辿りうる。 宝暦四年本家店卸記に﹁店下代物﹂︵店は太田原支店のこと︶﹁太田原店有物﹂とあるごとく支店正味身代の意であるが、 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 宝暦五年からは太田原渡し方など書かれ、本店の出資を表はさうとし、支店の側でも本家より下り金と呼んでいる。明和 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 元年店卸記に八木屋引受高とあり運営を委託したことを示し、この項目が明和四年に八木屋仕入とあるを別帳では八木屋 へ ヘ ヘ へ かしとあるから、仕入とも呼んだし、貸借関係になぞらえもしたことが分る。仙台支店は明和六年開店であるが、同三年 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ミ ヘ へ 既に仙台残かしとある。同六年には仙台有物かし、仙台領有物と出ている。前掲の見世・質店の﹁差引残りかし﹂とある ヘ ヘ ヘ ヘ へ を別帳で﹁古手方元金﹂と称するに及んで概念は凝固しはじめ安永二年﹁太田原望性﹂三年﹁伊勢希望性﹂が現はれる。 初代の残後は財産分配を行って相続人に各店の望性金を分ったので、持分の意となるに到った。 計算を検討すると一層厳密に規定できる。望性金は本家又は本店から投下された現金・商品・固定設備等の形の資本を 合計した総額的抽象概念である。また期の途中で送金・積送したときは追加元入、逆送金.若返をしたときは引出と考え 加減するのであるから簿記上の資本概念に酷似している。しかるに、既に指摘したごとく、決算に際しては、損益額確立 に先立って無闇中の投下積数に対して一定率の﹁二合﹂又は﹁利足﹂をつけ、これを損金とすると同時に望性心に加算す る。換言すれば一切の利益分配に先立って一定額が優先的に資本の提供者に帰属する。この関係を表面的に理解すれば本 ﹁家は支店に対して、支店は枝店に対して非機能資本家たる地位を確立して中井家は単一資本ではなくなったと見えるので あるが、意識の底には右のごときが潜んでもいようが事実はさ程簡単ではない。 損益計算で利足を損金に算入し、これを超える額を利益と呼ぶというのは、財産計算では当期利足算入後の金額を基準 として期末正味身代と比較して利益を求めることである。
若し利足計上後に余剰がないどころか欠損になった揚合は、経営担当者に分担せしめ、積置として女期の成果で補填せ しめる約定を取交して居り、次期決算ではこの繰越欠損金を損金に計上した上で利益を算出している。また、資金関係が 逆の場合は逆日合を附替えている。即ち、利足は一種の計算利益で本支店闇で言替して各汝の経営成果、従って中井家財 産保全︵資本維持︶の基準を設定していると考えるのが穏当であろう。前に支店網管理の中核と称した所以である。 理性金は期末に於ては期間中の資本取引の結果としての前年度繰越毒性金期末残高を指し、当期の利足や、利足を超え る利益があればこれを徳用と呼んで別項目に立てるが、実質的には均しく望性金の構成部分である。古望性と称し固定額 に据置く場合は、別に新畑性を立てる。かくて翌年はこの合計額を繰越し、︵または別項のま∼で繰越すにしても.実効として は合算した状態で演算して︶次年度の計算をするのである。 ︵二項元方より差引残りかりの計算参照︶店卸目録から本支店個丸の 正味身代を算出するにはこの点に注意を要する。 現実の送金・積送がなくとも、費用の附替をもって望性を増減せしめることがある。日合︵利足︶もその一種であるが、 仙台店の店卸家内入用の部で示したごとく、本店での経費支払額の一部を十字に振替えた言合支店ではこれを損金とする と同時に、 ﹁元方より差引残りかり﹂の額を増加せしめる。また、棚卸評価損や棚卸減耗費のごとく支店︵枝店︶で単独に 生じた損失も期末商晶棚卸高を暗黙裡に減少せしめて、利益を少く計上することを許さず、望性金に加算して資本の維持 を固守し、責任を問う。 ︵前掲参照︶ このように観じてくると望性説を資本維持計算の基準とする説はいよいよ固くなるのであるが、その資本とは果してい かなる内容のものであろうか、解明の一つの手がかりは家計費の取扱である。枝店の多くは家計費及び枝店傭人の給金、 即ち﹁店入用﹂を経営担当者の個人負担としたので家計費は全く計上されないから、店と奥との分離は計算上のみならず 制度としても分離されていたのであるが、支店では飯米代はじめ家計費一切が損金に算入されるのである。即ち、損益計 江洲中井家の決算報告法について 七五
江洲中井家の決算報告法について 七六 算は資本提供者えの附替利息、共同経営者えの利益配分︵質店の甚兵衛徳用のごときもの︶及び、家計費としての利益処分を した後の剰余金であることに注音心しなくてはならない。 ︵店の損益計算を奥から切離すには、家計費等を資産に並べて立てる処理 を要する。︶本家にとっては家計を伴う支店に委託した資本の計算であるから、家計費を差引いた後の剰余を本家の取前と する処理は当然すぎる。実に委託資本の取前計算と称しうる。当然のことながら中井家﹁統の家産に基づく家計が企業に 割り切られないでいる姿、家業であるが故といえる。この当然の姿の上に、資本制えの施策が加えられる。 それを家業に戻して理解せず、 企業、 特に組合又は合名会社的性格えの雨芽を宿した端緒形態であると見たいのであ る。特に財産分配後は一層その特性が加わるからである。 今一つの手がかりは枝店・部門の資産には家屋敷等固定資産が含まれない。即ち、 ﹁元方より残りかり﹂は流動資産 に限定し.た身代を現わしているにすぎない。枝店・部門の固定資産は支店に計上されていて、減価償却費に相当する﹁造 用﹂が枝店・部門の経費に振替えられる。 ︵質店の項参照︶ その仙台店の若干の固定資産であるが、これとても固定資産の全部でないと考える理由がある。押立店天明九年申店卸 勘定帳では入用の部に蔵。蔵道具の取得原価四四二両余が計上されて欠損と報告されるが、本家は認めず、ために酉年は 繰越欠損金︵申年より損金也の項︶を右の額だけ減じ、﹁蔵普請有物申年より﹂を資産に追加、黒髭の建築費をこれに加え る。酉年期末には五三四両余に達し、店卸に普請有物之部を設けてこれを計上するため望性は三、六〇八・二両と六厘と 報告し、本家同年店卸記にも同額を押立元利として計上する。かくて固定資産を計上し、母性金はこれを含む正味身代の ごとくであるが、実はしからず。翌年戌年仕入︵皇性の意︶三、一〇八・二両︵他に利足あり︶即ち普請有物の殆どを落した 金額とされるのである。本家の店卸にも固定資産が算入されていない、即ち、正味身代は正味運転資本である点に注意さ れたい。開店当初から﹁外に家普請代金幾何﹂という註記がつけられた年が多く、この金額は店卸の計算外になっている
のである。この取扱の方が原則であったということができる。 このように望性金は今日の資本又は正味身代概念とは似て愚なるものであり、そこに当時の営業法を窺知する手がかり が潜んでいる。 両面形式の決算は資本概念が明確となって資本の運動を知悉し、これを形式論理化して得られたものではなく、このよ うな学問的解明に先立って、実際上の要求、支店の決算の正確性を検証せしめる基本的問題として、監査上の要求と、計 算的管理の要求が生み出したものであろう。本家の決算が損益計算を欠いている長虫もこの辺に存するのではなかろうか 両勘定不]致の場合には﹁書抜帳﹂と呼ばれる第三の報告書まで添えて釈明に努めているのである。実にこの計算形式が 千金の重みをもって麦店網の統制に威力を癸揮したということが出来る。 [ 江洲中井家の決算報告法について 七七