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一、はじめに ( 袁 枚

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(1)

一、はじめに ( 袁 枚

價の )

十八世紀の中國、

の乾

という時代に、

文人・學 が果たして存在し得たかどうかはしばらく措いても、當時の 謂「文壇」

のうちに、袁枚の存在を默

することができた

はほとんどいないと言えるのではなかろうか。「毀」も「貶」も、「

その袁枚に對する「毀 ているのである。 」も「襃」も、ともに大量に殘され 分して、その變 襃貶」は、大きく三つの時代に まず章學 を整理することができる。

る「惡罵嘲笑」であるが、つまるところ「女弟子」の存在が、 の『書坊刻詩話後』に代表される同時代人によ (1)

嚴なる禮

徒の機 を損ねたという點と、「性

の自由な 發露」を「無格律」「放恣」「淺

」と決めつけたいうに

ず、感 ぎ

・生理

レベルのものが多く、批

るに値するものは見られない。 としては論ず 末の梁 一方で、袁枚の後 じ傾向のものは多い。 超に至るまで、同 ・友人などによる好意

な忠 聞汝宰江 し揶揄なども多い。例えば、 (2) ない 有善政、

不負

言。惜杜牧之未

汝江 風流耳。

を宰して善政有り、

に言ふ 惜むらくは杜牧之未だ風流を に負かずと聞く。

「五四文學革命」以後の れざるのみ。

弟子」の存在に觸れたものは見られなくなり、「性 論には、かえってほとんど「女

という の解放」

點から、その「性靈

」を うにも 價するものが多い。ど

價しにくい「女弟子」の存在に、なるべく觸れまい

袁枚『子不語』の

中野

(2)

としているかの如くである。例えば、

代の詩人朱自

(3)は、「文壇革命家」という言

を用いて、

代袁枚也算得一個文壇革命家、論詩也以性靈爲

了他才將「詩言志」 。到

意義又擴展了一

、差不離和陸機

「詩

」 爲一談。

よう。性を 代の袁枚もまた一人の文壇革命家に數えることができ

志を言う」という言 にして詩を論じている。彼に至って「詩は

の意味をまた一

き、陸機の「詩はに ひろげることがで と している。 る」とほとんど同じ意味のものと 直到袁枚出來、 そして、「改革開放」後になると、 いている。

代詩歌才眞正走出了自己

路、

了徹底 得

袁枚以招收女弟子 解放。 (4)

形式大量培

這股時代 女詩人、事實上也正是 流 出表現之一。它不但在文學史上、而且在 女文 史以

育史上、無疑

有十分重大

袁枚の出現にいたって、 意義。 (5)

代の詩歌ははじめて自分の

を正しく

み出すことができ、徹底

解放をかちえたので た。事實この時代の 袁枚は女弟子を集めるという形で、大量に女詩人を育て ある。

流の尖

してそれは文學史の上だけではなく、 な現れのひとつである。そ

女文 史 び 女 と、「女弟子」の存在を、「 いるのである。 育史上に、ともに疑いなくたいへん重大な意味を持って

女文 史・

づけて積極 育史」上に位置 に 價するものまで現れてくるのである。

とは、まさに郭沫 價 の

く如く「時代

賜」なのである。 (6)

二、版本の問題

袁枚のまさに「等身」というほかはない

倉山 作のうち、『小 原刊本るようである。( たん原刊本が上梓されたあとも、なお書き繼がれた部分があ 詩集』・『隨園詩話』・『新齊諧』等は、いっ(子不語)

よりも袁の謂『二十八種』)

弟子や 後、

族によってまとめられたものであろう私家版の

ここでは、『小倉山 である。 『隨園三十種』のほうが、卷數が加しているものが多いの 集 まず措いて、『新齊諧(子不語)・續新齊諧』の補について 詩集』・『隨園詩話』に關してはひと

袁枚『子不語』の増補(中野)

159

(3)

檢討することとする。一般に小

の版本

究は、白話小

谷 の場合には孫楷第・鹽 以後の

究 査の 積があるが、文言小

志 、特に『聊齋

』以外の

の志怪小

の版本

以下、拙譯本の解 (7) ないというのが現なのである。 究は、まだ始まってもい 續新齊諧』のテキストについて、 と一部重複するが、『新齊諧(子不語)・

する。

木版線裝本には以下の四種がある。①原刊本(隨園二十八種)『新齊諧二十四卷』乾

に「新齊諧」、右上に「乾 五十三年刻。封面中央(一七八八)

戊申」、右下に「

下に「隨園 刻必究」、左 縱二五〇ミリ、 版」。

一五八ミリ。

匡郭縱一六四ミリ、

序、目 一二三ミリ、十一行行二十一字、白口左右雙邊有界。

各一

「新齊諧第幾卷、隨園戲 は版心魚尾上に「新齊諧」。本文卷頭は

、魚尾下に卷數丁數。目不語」 」とあるが、版心魚尾上には「子 園 『續新齊諧八卷』封面中央に「續新齊諧」、左下に「隨 は卷幾計幾則とあるのみ。

版」、目

無し。 本文卷頭は、一~四卷は「續新齊諧第一、隨園戲

「續新齊諧第四、隨園戲 」~

戲 」、五卷は「續新齊諧第五卷、隨園 」、六卷は「續新齊諧卷六、隨園戲

新齊諧第七卷、隨園戲 」、七~八卷は「續 」「續新齊諧第八卷、隨園戲

②『隨園三十種』正 數。 統一を缺く。版心魚尾上には「續新齊諧」、魚尾下に卷數丁 」と、

二十四卷、續

「新齊諧」、左下に「隨園 十卷。封面中央に 版」とあり。縱一七一ミリ、

一五ミリ、 一

匡郭縱一三四ミリ、

二十一字、 一〇五ミリ、十行行 口左右雙邊有界。魚尾無し。序一

齊諧、目 は版心に新 二十一

隨園戲第幾卷、 は版心に「子不語」。本文卷頭は新齊諧 丁數。目 とあるが、版心には「子不語」、下に卷數 は て題名を記す。この版は『續修四庫

③美 に影印されている。 書』

堂刊本嘉慶二十年。國立國會圖書(一八一五)

の、封面に『新齊諧』とあるだけの無刊記本がこれであろう。版形はほぼ『隨園三十種』と同じ(縱十七一ミリ、

るというも未見。 ④同治三年三讓睦氏の刊行に係る『三十種』の復刻本があ リ)である。 一一五ミ 中國詩文論叢第二十四集

(4)

線裝本であるが、石印・排印のものは、⑤『隨園三十八種』

裕堂排印。光

⑥『隨園三十六種』上 十八年(一八九二)。 圖書集

書局。光

『⑦隨園三十八種』上 九二)。 十八年(一八

⑧『隨園 。〇) 鴻文書局石印。宣統二年(一九一 集』文明書局石印。一九一八年。同じ版が『

代筆記小

⑨『隨園四十三種』上 叢刊』というシリーズ名でも發賣されている。

⑩『詳註子不語』上 石印。一九一八年。

二四年。民國第弌甲子年孟秋上 會文堂書局石印。桃源山人註。一九

⑪『筆記小 會文堂書局印行 大 』本

ろう。江蘇廣陵古 書局排印。一九二〇年代であ 刻印

⑫『袁枚 の影印本がある。

集』上

校經山

以上、 記書局排印。一九二七年。

洋裝活字本は數多いが、 て『隨園三十種』本に據っている。

年のものは

もあり、縱組みのものも 體字を使ったもの もの、使用底本を明記していないものも多いが、その中で學 組みのものもある。校訂が杜撰な に信

⑬申孟 できるものは、

「子不語

」文

出版

、一九八八年十 二

。 體字 組み。『新齊諧・續新齊諧』から百八話を

⑭文言小 釋を施したもの。

『子不語』嶽麓書

、一九八五年十一

齊諧』のみ。 。『新 體字

⑮『子不語』上 組み。

古 出版 、一九八六年十一

諧・續新齊諧』。 。『新齊 體字縱組み。この書だけが、解

刊本』と『三十種』本以 で『原 の 行本の

⑯『子不語 同に觸れている。

集』河北人民出版

、一九八七年七

齊諧・續新齊諧』。 。『新 體字

⑰古曄等譯『子不語』國際廣播出版 組み。

、九九二年十一

『新齊諧』のみ。 。 體字 照である。『新齊諧』のみとはいえ 組みだが、原文と現代中國語譯對

⑱『袁枚 る。 譯でかなりな勞作であ

集第四卷』江蘇古

出版

、一九九三年九

『新齊諧・續新齊諧』。 。

體字縱組み。

①の原刊本『新齊諧二十四卷・續新齊諧八卷(隨園二十八種)』は、『

國 學舍、公文書 データベース』によると、新潟大、二松 (8)

!、東洋文庫等に

"

現在筆 #されているようである。

$の手元にあるものは、『櫻山文庫』

%#本、『新齊

袁枚『子不語』の増補(中野)

161

(5)

諧二十四卷』六冊・『續新齊諧八卷』二冊。この原刊本の目

は第一

第一行に『新齊諧目

行から「卷一計二十九則」、「卷二計三十三則」と、第一 』、第二 目 最後が「卷二十一計四十九則」、版心は『新齊諧』、魚尾下に の 。第二

は三行で

わり、版心は無し。

するに、「第何卷には何話收

を記しているに されている」ということ

②と③の目 非常に不正確なのである。 ぎないのである。そしてこの「計幾則」が 三、二十四には兩版ともに續 は、各卷ごとに題名まで記しており、卷二十

數が と付記がある。原刊本より話 えているし、『續新齊諧』も二卷

いる。だから②は目 えて十卷になって だけで、『新齊諧』で二十

諧』で八 、『續新齊 という分量になっている。

三、問題の

原本『隨園二十八種』そのものが、

諧』への「續 爲であろう、この『二十八種本新齊諧』から『三十種本新齊 に稀覯本に屬する 」の問題、び『續新齊諧』の「二卷

原本『新齊諧』二十四卷、 について論究しているものはわずかに⑮のみである。⑮に、 補」

戊申(五十三年)刻、 續僅八卷、較它本少二卷。該本卷二十三・二十四似乎已經

補改 、非戊申原刻、如卷二十三『十三

同日殉

已記乾 』篇

乾十四卷は、二『新齊諧』原本 則、實止四十三則、)(以下略(它本同) (9) 二十四總目標五十三卷、(較它本仍少十四則)實有四十二則 己酉事、而卷二十三總目標三十四則、(五十四年)

記してある。續(新齊諧・筆 戊申(五十三年)刻と の版本と較べて二卷少ない。この本(『三十種本』・筆 は僅かに八卷であり、他)

二十三・二十四卷はすでに )の 補改 刻とは されていて、戊申の原 う。例えば卷二十三の『十三

同日殉

でに乾 』にはす

版本より十四則少ない 實十三は總目に三十四則とあるが、は四十二則ある(他の 己酉の事と記してある、そして卷二(五十四年)

『隨園二十八種本新齊諧』の目 (他の版本と同じ)が、實は四十三則に止まっている。 。卷二十四は總目に五十三則とある)

と、實際の收

原本總目五十三則原本話數四十三則三十種話數四十三則 卷二十四 原本總目三十四則原本話數四十二則三十種話數五十四則 卷二十三 れは、このままではわかりにくいので整理すると、 話數のず 中國詩文論叢第二十四集

(6)

ということになる。だから、『三十種本』の目

三・卷二十四ともに「續 に卷二十

「續 」とあるのはおかしいのである。

則中に、乾 」は卷二十三だけで、十二則にすぎないし、この十二

この「續 五十三年以後と思われる話はない。

」の結果、『三十種本』第二十三卷は、

三十三 數が

と不自然に多くなっている

して『三十種本』は 刻も多く、版形も小さく「普版

集」という感がある。

そして『十三

同日殉

』の問題である。『十三

同日殉 』は、この「續

」の部分ではなく、『原本』にも收

原本は乾 れているのである。 さ A乾 のできごとが記載されている。ということは、四年) 戊申(五十三年)刻である。そこに己酉(五十 B原本六冊 戊申(五十三年)刻が、事實に反する。

てが、乾

のいずれかしか考えられないのである。 戊申に出たわけではない。

四、結論

見示『子不語』首本、已

行 訖

示さるる『子不語』の首本、已に 。

て行

し訖る。 楊

楊が抗議しているのは、卷四に收 である。この部分にあるヒントが隱れているようだ。 から袁枚に宛てた、抗議の手紙の書き出しの部分で

されている『李香君

卷』の

ここで言うの「首本」とは、普 種本)』である。 容に關してである。もちろん『原本新齊諧(二十八

いうことであろう。『原本新齊諧二十四卷』は、 に考えて「第一冊目」と

の如く たく同じ版式の『隨園 六冊である。改裝の可能性はないであろう。というのはまっ

れぞれ一冊の 單』・『隨園隨筆』も手元にあり、そ 普 らである。 數に大差が見られず、表紙の紙質も同じだか

に考えて、六冊

を友人に てが上梓されたあとに、第一冊だけ るとは思えない。だからこの時點で、楊

とに のも

「元人の本文が上梓された後で、 られたのは、第一冊(卷四まで)だけであるはずだ。

見て、乃ち改めて新齊諧と爲す 部に雷同するもの有るを き直し、『目 」、と有るように、『序』を書

『序』そのため、と『目 刊行されたのであろう。 』を付して戊申にまにあうように(五十三年)

なっているのである。そしてこの『目 』のみは、版心が『新齊諧』に

』は相當

いで作

袁枚『子不語』の増補(中野)

163

(7)

されたもののようで、卷一から卷四までは、『目

幾則」という記 』の「計 まず刊行されたという根據になるはずだ。そして『目 らはもう合わなくなっているのである。これも第一冊だけが と本文の「則數」が合っているが、卷五か

第二 』の

には版心も無いということも「

い」で作

され、乾 第ない。一冊がまず戊申(五十三年)にまにあうように刊行 『原本新齊諧二四卷』六冊は、同時に刊行されたわけでは との傍證になるのではなかろうか。 されたこ 五十四年のことと記されている『十三

を含む、殘りの五冊は、たぶん同時にではなく、順を 同日殉』 遲くとも五十六年には刊行を って、

に「 原稿が、『三十種本』刊行の時點で、十二則だけ第二十三卷 そしてこのときになんらかの理由で上梓されずに、殘った えていたと考えられる。

續」されたと見てよいのではなかろうか。

『續新齊諧』の

リーと 立時期については、アーサー・ウエイ る 續集の『續子不語』は、一七九六年ごろに刊行されてい 野直彬が、

袁枚には『續新齊諧』十卷という 。

書もある。完

の年 代はわからないが、「

陽 跡があり、たぶん袁枚の最 」を見て書いた明白な痕 のと思われる 年まで書き續けられていたも

『續新齊諧』は完 。

事は乾 の時期を明らかにしない。書中の記

五十七年六

より少し後、袁枚の死ぬ少し に止まっているから、おそらくそれ

に完 したわけであろう

と記しているが、以上の論は、 。

提に ウエイリーが使用したテキストは、⑧である りがあるのである。

諧』は、『三十種』にもとづいた十卷本である。 。⑧の『續新齊

て 野氏は、『二十八種本(原本)』と『三十種本』を校合し 譯のテキストに用いた、と記しているが

「續 、第二十三卷の

」に氣づいていない(「續

ない。 『續新齊諧』の『八卷本』と『十卷本』の問題に氣づいてい 」部分からの譯はないが)し、

に袁枚の死の直 ても意識せずに『續新齊諧十卷本』だけで、刊行の時期を單 するに、ともに『續新齊諧八卷本』を見ず、あるいは見

袁枚が世を去ったのは、嘉慶二年十一 と推定しているだけなのである。

十七日(西

1798年1 では た後は、もう最 である。『新齊諧二十四卷』が刊行され3日)

年である。1796年という可能性も排除 中國詩文論叢第二十四集

(8)

しきれない。しかし決定

『續新齊諧』第八卷の最後に收 『八卷本』であるということだ。 なのは、その時に出版されたのは

されている、『皖

は、「乾 』

五十六年八

初一日午刻有

皖』の『諧 續新齊『十卷本そしてなお細かく見ていくと、(三十種本) 一則にふさわしい書き出しなのだ。 とんど見られないものである。明らかに、最後の卷の最後の じてほを『新齊諧・續新齊諧』にもってくるというのは、 で始まる。このように何年の出來事であったかを、書き出し 雲」という書き出し 雷 』の刻されている第十九

新齊諧第八 の末尾に、「續 卷一から卷七までの最後の 」と有るのである。

の最 行は、

第一」「續新齊諧第幾」であり「 て「續新齊諧 卷十については最後の 」の文字はなく、卷九・

の最

これは明らかに、第八卷までで本來の「續新齊諧」は である。 行には、何も刻していないの

ていることを、『十卷本』の(三十種本) わっ それをどこかに記 が知っていて、

しようとした

以上、綜合して言えることは、『原本新齊諧』は乾 ろう。 心の現れと見るべきであ

戊申 こし幅を持たせても乾 六年頃。『原本續新齊諧八卷本(二十八種本)』の刊行は、す に第一冊が刊行され、第六冊までそろうのは五十(五十三年)

確かに袁枚は『續新齊諧』刊行後も、死の直 年(1794年)まであろう。 五十八年から五十九(1793年)

まで「怪

の談」を書き續けていた。その殘された原稿が『三十種本』刊行の段階で、『第九卷・第十卷』として

八卷』は、それほど死の直 る。二卷ぶんの原稿の量の多さから考えて、『原本續新齊諧 補されたのであ 從來多くのの刊行は、「書目」に、「乾 そして、詳しいことについては稿を改めるが、『三十種本』 る。 の刊行とは考えられないのであ

嘉慶之

が、嘉慶の後 」とある しもあるのである。 にまで時代が下がるのではないかと思えるふ

(1)『章氏 〕

書』、『章學

書』文物出版

7 影印、1985年 。 45~

(2)『文淵閣大學士史文 46頁

』、『小倉山

王 文集』卷三。

志 『袁枚

集』江蘇古

出版 、1993年9

第二卷、 。

40頁

袁枚『子不語』の増補(中野)

165

(9)

(3)朱自

『詩言志辨』、『朱自

古典文學論文集』上、上

古 出版 、1981年7

(4)朱則傑『 。228頁

詩史』江蘇古

出版 、1992年2

(5)同 7頁 。24

(6)郭沫 。268頁

(7)中野 『讀隨園詩話札記』

年8 譯『孔子が話さなかったこと』況出版、1998 邑樂愼一譯 邦譯には他に以下の三種がある。 。 代支

傳 年八 集『子不語』長崎書店、昭和十六 今村與志雄譯『中國古典文學 。

集』第二十卷。

凡 十三年四 、昭和三 。 野直彬譯『中國古典文學大系』第四十二卷。

凡 十六年二 、昭和四

(9)申孟・甘林『 toieknskap/c.j.a-uyon.kbuinji.zan/k:/tpht(8) 。 言』

13~

( 14頁

10)實は十二則である。

( 植であろうか。

11)『三十種本新齊諧』の一卷は二十四

一卷以後は、二十一卷二十九 のものが多い。二十 、二十二卷三十一

卷三十三 、二十三 、二十四卷二十六

、と 二十三卷が 均より多めであるが、

出している。 (

12)『答楊笠湖・附來書』、『小倉山

尺牘』卷七、王

『袁枚

集』江蘇古

出版 、1993年9

( 。138頁

( 13)『新齊諧・序』

14)アーサー・ウエイリー

、加島 十八世紀中國の詩人』 ・古田島洋介譯『袁枚ー 凡 東洋文庫、1999年3

( 67頁 。1 15) 野直彬『中國古典文學大系』第四十二卷解

。 凡 1971年2 、

( 。514頁 16) 野直彬『

代志怪書解題』、『中國小

昭和50年10 史考』秋山書店、

( 。303頁

17)ウエイリー

( 書。305頁 18)(

15)に同じ。513頁 中國詩文論叢第二十四集

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