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商品としての知識のマーケティング

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商品としての知識のマーケティング

著者 冨田 健司

雑誌名 同志社商学

巻 64

号 5

ページ 633‑647

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学商学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013215

(2)

商品としての知識のマーケティング

冨 田 健 司

Ⅰ はじめに

Ⅱ 知識とは

Ⅲ 知識マーケティング概念

Ⅳ 製薬産業で知識マーケティングを捉える意義

Ⅴ むすびにかえて

Ⅰ は じ め に

日本にはものづくりに長けている企業が多く,研究開発能力の高い企業も多い。たと えば自動車産業において,トヨタを代表とする組立メーカーは多数の国内部品メーカー と共同で研究開発を行い,高品質な自動車を市場に送り出している。しかし昨今,国内 市場には多数の外国企業が参入し,人口動態の変化により飽和している国内市場も多 い。そのため,国内市場を防御するだけでなく,企業は海外市場に進出していかなけれ ばならない。このように,市場における国境が以前ほど意味をなさなくなっており,国 内市場でも海外市場でも世界の企業を相手にビジネスを展開していかなければならなく なっている。

こうした流れは組立メーカーだけでなく部品メーカーもまた顕著である。部品メーカ ーが製品や自社で培った知識を販売する相手は組立メーカーであり,かつては国内企業 を取引相手としていれば利益を得ることができた。しかし,外国の部品メーカーの参入 により,国内の部品メーカーは国内市場での地位が脅かされ,利益獲得のためには海外 の組立メーカーにも製品や知識を販売しなければならない。

海外市場では,これまで国内企業が得意としてきた系列取引は通用せず,新規参入す るためには,さらには顧客を維持するためにはマーケティングの実践が必要となってい る。こうした現象は知識や情報,技術を販売する企業にもいえる。

これまで物財を対象としたマーケティング研究は数多いため,ここで知識に目を向け てみよう。知識のマーケティングとはどのようなものだろうか。知識を販売する企業と して,コンサルティング会社や弁護士事務所などを思い浮かべやすいだろう。知識は無 形資産であるため,契約前に企業はすべての知識を公開することはできない。こうした 企業では過去の成功例を抽象的,かつ具体的といった矛盾のなかで示していったり,コ ンサルタントや弁護士など個人の能力をプロモーションしていくことが多い。

633)339

(3)

しかし,現在においてはさまざまな企業がさまざまなタイプの知識を販売しているた め,こうしたプロモーションだけにとどまらない。そのため,本研究では知識概念を整 理した後,企業活動における,商品としての知識のマーケティングについて議論してい きたい。

具体的に,本研究の構成は次のようになる。まず,第

2

節では知識の定義づけを情報 との比較から行う。経営学の領域で知識が取り上げられているのは知識創造と知識移転 の議論であるため,これらの先行研究を順にレビューする。その後,第

3

節で知識をマ ーケティング視点から考える枠組みを提示し,続く第

4

節で製薬産業において知識マー ケティングを捉える意義について議論していく。

経営学の研究分野において,知識を取り扱った研究は数多く存在するものの,その大 半は知識のマネジメントに関するものであり,知識のマーケティングについて扱ったも のはほとんど見られない。その意味で本研究の意義は高いものと思われる。

Ⅱ 知識とは

Ⅱ−1.知識の定義

イノベーティブな製品は既存の知識要素の再結合から生じるともいわれるように企業 活動にとって知識はきわめて重要であるが(Schumpeter, 1934 ; Utterback,

1

1996),そも

そも知識とはどのようなものだろうか。

Nonaka(1994)によると,知識は「正当化された真なる信念」と定義され

2

る。「知 識」を定義する際に,知識と情報とを明確に区別せずに用いることも多いが,情報との 相違を明確にした方が理解しやすい。野中・竹内(1996)によると,両者には

2

つの相 違点がある。1つは,知識は信念やコミットメントに密接に関わっており,ある特定の 立場,見方,あるいは意図を反映している点,もう

1

つは,知識は目的をもった行為に 関わっており,常にある目的のために存在する点である。また,知識は経験や価値観の 影響も受けており,個々人や組織の文脈に依存することとなる(Davenport and Prusak,

1998)。

さらに,野中・竹内(1996)は両者の関係についても言及しており,情報に何かを加 えたり組み替えたりすることにより,知識に影響を与えることとな

3

る。情報とは行為に よって引き起こされるメッセージの流れであり,メッセージの流れから創られた知識

────────────

1 企業活動を知識の視点から捉えるナレッジ・ベースド・ビュー(Knowledge-Based View)という考え方 がある(野中・竹内,1996 ; Grant, 1996)。

2 続いて,野中・竹内(1996)や野中(2002)は,知識を「信念を真実に向かって正当化していく人間的 でダイナミックなプロセス」として社会的に構成されるものと定義した。

3 これは,知識は情報とノウハウとが加わったものだとするKogut and Zander(1992)の議論に近い。

同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

340(634

(4)

知恵 :実行されて,有効だと分かり,

 時間の試練に耐えた知識

知識 :行為につながる価値ある情報体系

情報 :データから抽出された断片的な意味

:生命体(人間)が創り出した信号・記号  (文字・数字)の羅列

データ

は,情報保持者に信念として定着し,コミットメントと次なる行為を誘発する。この定 義によると,知識は人間の行為と本質的に関係していることが強調される。

こうした野中・竹内(1996)と同様の議論は,Machlup(1983),Zack(1999),梅本

(2011)にも見られる。小宮山(2004)や梅本(2011)の提示する知のピラミッド(第

1

図)によると,情報とはデータから抽出された断片的な意味であり,行為につながる 価値ある情報体系である知識がその上層に位置している。そして,このピラミッド構造 の上に行くほど人間による処理に依存し,下に行くほどコンピュータによる機械的処理 が容易である。

Nonaka(1994)をベースに経営学では知識に関して幾つかの議論が展開されている

が,ここで本研究における定義を行うと「情報とは人が知るものであり,知識とはその 結果創られたものであり,つまり会得することによってその人の行為に結びついていく ものだ」といえよう。

先行研究において,企業組織における知識の構造を取り上げた実証研究は数が少な く,十分に議論されてきたとはいえない(Yayavaram and Ahuja, 2008)。それは,知識 は企業内の機密事項であることが多く,さらに目に見えない無形のものであるため,言 語化や数値化がきわめて困難であるからだ。そうしたなか,理論的な研究や限定された うえでの実証研究も蓄積されており,それらは知識創造と知識移転と

2

つのトピックス に集約できる。

Ⅱ−2.知識創造理論

知識を暗黙知と形式知とに分類したのは

Polanyi(1958, 1966)であり,野中・竹内

(1996)はこれらの概念を経営組織論の文脈で発展させていっ

4

た。2つの知の対比は第

1

────────────

4 浅川(2002)はこの暗黙知と形式知との区分を「知識のタイプ」とし,さらにオープンかクローズド! 1図 知のピラミッド

出所:梅本,2011

商品としての知識のマーケティング(冨田) 635)341

(5)

表にまとめられるが,暗黙知とは個人的で主観的な知識であり,言葉に表現して他人に 伝えることが難しい知識である。それは熟練,ノウハウ,スキルなどであり,たとえば 自転車の乗り方も暗黙知といえる。これに対して,形式知とは明示的な知識であり,言 葉や文字によって表現できる知識のことである(Hedlund and Nonaka, 1993;菊澤・野 中,2012)。

この暗黙知と形式知は人間を通して相互作用し,相互に成長していく(菊澤・野中,

2011)。そして,暗黙知と形式知との変換こそ知識創造のエッセンスであり,SECI

モデ

ル(知識変換モード)に表わされる(第

2

図)。

SECI

モデルでは,①個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」,②暗 黙知から形式知を創造する「表出化」,③個別の形式知から体系的な形式知を創造する

「連結化」,④形式知から暗黙知を創造する「内面化」,といった

4

つのプロセスに分け られる(野中・竹内,1996)。

菊澤・野中(2012)によると,第一に,組織内でメンバー同士が身体・五感を駆使 し,直接経験を通じて相互に暗黙知の共有がなされ,既存の暗黙知から新しい暗黙知が 創出される(①)。第二に,メンバー相互の対話や思索を通してさまざまな概念・デザ インが創造され,個々人の暗黙知が組織的な形式知へと変換される(②)。第三に,こ の新しい形式知と組織内にある既存の形式知が連結されることによって,さらに新たな 形式知が創造される(③)。第四に,この新しい形式知は具体的に行動として個々人で 実行され,その実践を通して個々人のなかで新たな暗黙知が生み出されることになる

5

④)。このプロセスにおいて,個人から個人(①),個人から集団(②),集団から組織

(③),組織から個人(④)へと知がスパイラルに拡大していく(野中,2002)。

SECI

モデルにおいて,野中・竹内(1996)や

Mclnerney(2002)は表出化(暗黙知

────────────

! かの「知識の構造」によってもわけている。オープンとクローズドとの分類はTeece(1986)によるも のであり,浅川(2002)による知識の類型は,2×2のマトリクスで議論した点に価値がある。他にも Matusik and Hill(1998)は暗黙知と形式知の類型に加え,個人と集団,私的と公共,全体的と分的とい った類型化を行っている。

5 この内面化は,自覚的で意識的に行わなければならない(菊澤・野中,2011)。

1表 暗黙知と形式知

暗黙知 形式知

主観的な知(個人知) 客観的な知(組織知)

経験知(身体) 理性知(精神)

同時的な知(今ここにある知) 順序的な知(過去の知)

アナログ的な知(実務) デジタルな知(理論)

出所:野中・竹内(1996),pp.89

同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

342(636

(6)

暗黙知 暗黙知

共 同 化 Socialization

表 出 化 Externalization

暗黙知 形式知

内 面 化 連 結 化 Internalization Combination 形式知 暗黙知

形式知 形式知

から形式知への変換)と内面化(形式知から暗黙知への変換)における暗黙知と形式知 との相互作用の重要性を指摘している。確かに知識の増大化,発展,さらには共有のた めに表出化は不可欠であるが,その行為の過程では無理に形式知化をしようとすると,

本来核となる知が抜け落ちてしまう恐れもある(Zack, 1999)。

Ⅱ−3.知識移転

野中・竹内(1996)以降,経営組織論において知創造研究が展開されているが,その 一方で創造された知識を他者が吸収する組織行動に着目した研究も多い。

知識を取り入れる際,海外の知識の方が,知識の所有者と獲得者との間に物理的距 離,文化や慣習などの相違があるため,移転は難しい。Teece(2000)や浅川(2002)

は外部(海外)の知識を変換し,自社特有の知的資産へと転化すること,つまり知識移 転に着目した研究を行っている。企業にとって海外における暗黙知のマネジメントは重 要 で あ り(浅 川,2002),Subramaniam and Venkatraman(2001)や

Kogut and Zander

(1992),Gupta and Govindarajan(1991)が指摘するように,海外のネットワークを活用 し,知識を流動化させる必要がある。

知識の流動化の要件として,浅川(2002)は吸収能力,変換能力,組み合わせ能力と いった

3

つの能力と,ネットワーク構造とを挙げている。ネットワークに関しては,最 先端の知識は組織間ネットワークに埋め込まれているため(Powell, Koput, and Smith-

Doerr, 1996 ; Powell, 1998 ; Liebeskind, et. al., 1996),緊密なネットワーク戦略による社

会的資産が構築されている。それは,知識を提供し合うには企業間に信頼関係が築かれ ている必要があるからだ(von Hippel, 1998)。

ここで知識の移転を考えると,まず企業内移転と企業間移転とに分けられる。企業内 でも,部署(チーム)内と部署(チーム)間とでは知識移転の難しさは相違する。部署

(チーム)内では暗黙知によるコミュニケーションも多いが,部署(チーム)間となる

2 SECIモデル

出所:野中・竹内(1996),pp.93

商品としての知識のマーケティング(冨田) 637)343

(7)

と暗黙知のコミュニケーションは相対的に少なくなる。さらに,企業間となると知識の コミュニケーションは暗黙知,形式知ともに企業内より少なくなる。企業間でもネット ワーク内であれば,知識のコミュニケーションは行われる。共同で研究開発を行う提携 や系列といった関係では利害が一致するため,知識を提供し合うこととなる。しかし,

ネットワーク外との企業とは通常,知識のコミュニケーションを行うことはほとんどな い。第

3

図で見ると,下に行くほど知識のコミュニケーションは行われない。特に暗黙 知のコミュニケーションは行われず,やり取りは形式知の公式的な授受となる。そのた め,第

3

図の下に行くほど,知識のマーケティングの重要性が増していく。

さて,知識に関する先行研究を整理すると,これまでに延べたように知識創造と知識 移転と

2

つのトピックに集約できるが,大きな課題がある。それは知識を創造した後,

その知識をどのように提供・販売していくかといった議論が行われていないことであ る。知識移転に関する先行研究では,知識を獲得・吸収する能力に着目されており,知 識を提供・販売する能力には目が向けられていない。知識を提供・販売する立場に立っ た議論,つまり,知識をどのようにマーケティングしていくか,どのようにビジネスに 結び付けていくかといった議論を展開していかなければならない。

言い換えると,企業内に着目するか,企業間取引に着目するかといった問題である。

知識創造に関する議論は知識を創造するための環境,要因,手段に関する議論であるた め,企業内に着目している。それでは,知識移転に関する議論はどうだろうか。当該領 域では主に海外研究所の知識をいかにして本国研究所に移転するかが主な課題だが,海 外研究所が自社内のこともあれば別企業のこともある。自社内であればこれも企業内に 着目した研究といえるが,別企業の場合は企業間に着目した研究といえる。別企業であ れば,そこでの知識移転は,社内で創造された知識を他の企業に提供することであるた め,そこにはビジネス取引が存在する。そのため,この場合は創造された知識を他者に 提供・販売する行動ととることができる。よって,本研究では知識移転に関する議論は 企業内に限定して考え,一方,知識の提供・販売は企業間に視野を広げることとなる

3図 知識の流動

同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

344(638

(8)

(第

4

図)。

Ⅲ 知識マーケティング概念

Ⅲ−1.マーケティングについて

アメリカ・マーケティング協会(AMA : American Marketing Association)の

2007

年 の定義によると,マーケティングとは「顧客,依頼人,パートナー,社会全体にとって 価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり,一連の制度,そし てプロセス」である。この定義によると,売り手が創り出したものを買い手に提供する こととな

6

る。そして,第

4

図に照らして考えると,価値のある提供物,つまり知識を創 造,移転(伝達)し,さらには他社に提供・販売(配達・交換)するため,第

4

図のす べての活動がマーケティングであるといえる。

そして,マーケティングはエクスターナル・マーケティングとインターナル・マーケ ティングとに分けられる。エクスターナル・マーケティングとは企業間関係を前提とし た所謂マーケティングである。一方,インターナル・マーケティングとは企業内部に着 目した活動であり,その定義は「組織がその目標を中長期的に達成することを目的とし て実施する内部組織の協働のための一連のプロセスあるいはコミュニケーションの活 動」となる(木村,2007)。インターナル・マーケティングが扱う領域は従業員の動機 づけと満足感の充足,顧客志向と顧客満足,部門間の統合とコミュニケーションの促 進,マーケティング的アプローチの内部組織適用,企業および事業戦略の実施などとな る。

4

図で考えると,知識創造と知識移転は企業内の活動であるため,インターナル・

マーケティングの扱う領域であり,従業員の動機づけやコミュニケーションの促進の視 点からの議論が期待できる。そして,創造された知識を取引の対価としてどのように提 供・販売していくかはエクスターナル・マーケティングの範疇であり,競争優位の戦略

────────────

6 売り手や買い手には,企業だけに留まらず非営利組織も含まれるため,大学や研究機関も該当すること となる。

4図 企業における知識フロー

商品としての知識のマーケティング(冨田) 639)345

(9)

を構築していくことなる(第

5

図)。

Ⅲ−2.知識のマーケティングを考える枠組み

5

図の知識創造や知識移転に関してはこれまでの先行研究をもとに,経営組織論や インターナル・マーケティングの枠組みを用いて議論することが可能である。しかし,

知識を提供・販売するプロセスにおいては先行研究がほとんどなく,エクスターナル・

マーケティングの枠組みで議論するにも限界がある。というのも,エクスターナル・マ ーケティングは暗黙の前提として物財(有形財)の取引を想定しており,無形である知 識はこの範疇にはないからだ。

それでは無形財を対象としたサービス・マーケティングはどうだろうか。GDPにお けるサービス産業比率の増加と相まって,サービスを対象としたマーケティング研究が 増加している。このサービス・マーケティング研究では,対象とされるサービスがあく まで販売の中核に位置するサービス業のマーケティングが議論されている(恩蔵,

2012)。しかし,サービスといってもその実態は幅広いため,恩蔵(2012)は Lovelock

(1983)を引用して,サービスの直接的な受け手が人か物財かによる分類と,サービス 行為の本質が有形行為か無形行為かによる分類による類型化を行っている(第

6

図)。

右下のセルで例に挙がっている,法律相談や会計処理に従事する弁護士や公認会計士 は専門的知識を有した職業である。彼らは専門的知識をもとに事業を行っているが,保 有の知識をベースに顧客ごとにそれを応用しており,知識そのものを提供・販売してい るわけではない。そのため,右下のセルでも,もちろんそれ以外のセルにおいてもサー ビス・マーケティングの枠組みでは知識のマーケティングを扱うことはできない。

それなら,BtoBマーケティングはどうだろうか。BtoBマーケティングでは企業間取 引を対象とするため,その意味では知識のマーケティングと同様である。また,BtoB 取引では直接の購買担当者に加え,その上の承認者や経営トップなど多層な関与者の意 向や判断が購買に際して影響を及ぼすため(余田,2011),経営トップや当該部署,さ

5図 知識フローとマーケティングとの関係 同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

346(640

(10)

らには他の幾つかの部署も関与する意味では知識のマーケティングに近い。しかし,

BtoB

マーケティングでは,あくまでの生産活動や業務遂行のために必要なビジネス財 を対象としている。つまり,原材料や部品など生産活動に投与される財(生産財)を対 象としているため,知識とは性質が大きく異なってしまう。

以上のように,マーケティングの視点から知識を捉えようとすると,既存のマーケテ ィングの枠組みでは不十分だということが分かる。そこで,知識のマーケティングにつ いて論考し,従来のマーケティングと比較しながら,新しいマーケティング活動を提示 していく必要があるといえる。

それでは,知財戦略との相違はあるだろうか。知財戦略の前提となるのは特許の取得 である。知財戦略では知識を公のものとして形式知化していくことが中心的課題であ る。一方,知識のマーケティングでも特許の取得は重要であるが,形式知化された知 識,さらには形式知の背後にある暗黙知も含めて,どのように他の企業,多くは業界他 社や川下企業に提供・販売していくかを考えることになる。

Ⅲ−3.知識マーケティング研究の意義

ここで知識マーケティング研究の意義についてまとめると

3

つに集約できる。

1

つ目は,先ほど述べたように,知識を提供・販売する機会が増加しているにも関わ らず,既存のマーケティング理論では十分とはいえない。そこで,従来のマーケティン グの枠組みではなく,知識の視点からマーケティング活動を考察する点である。

2

つ目は知識をプロモーション,提供・販売するプロセスに着目する点である。どの ように知識の価値を伝えていけば良いのか,どのように販売する相手を見つけるのか

(反対の立場に立てば,どのように購入する相手を見つけるのか)といった議論はこれ まで行われておらず,既存のマーケティングの枠組みでは議論することができない。知 識に関する議論は知識創造や知識移転など,これまで経営学で知識が議論されてきた

6図 サービスの分類

出所:恩藏,2012

商品としての知識のマーケティング(冨田) 641)347

(11)

が,その多くは経営組織論からの視点であった。経営組織論の枠組みでは,組織内に視 点が向けられ,効果的,効率的な組織メカニズムの構築を追及することがその目的であ る。これに対して,本研究では,そうして創り出された知識を組織外に提供・販売して いくことに目を向けていく。そもそも,いかに価値が高い商品でもそれを提供・販売で きなければ企業にとっての価値とはならず,利益の源泉ともならない。提供・販売する ことによってはじめてその知識は有用なものとなる。知識が顧客にどうたどり着いて,

顧客がどう使うか,そして顧客は満足するかどうかまで見ていく必要がある。

そして

3

つ目は,第

4

図のように知識の流れに着目する点である。これまでの議論は 知識創造と知識移転とに分けられていた。もちろん,細部を研究にするにはそうした視 野も必要であるが,第

4

図のように知識フローを考え,知識創造や知識移転をプロセス として捉えていくことも重要である。その過程ではこれまでの先行研究を整理して,結 び付けていく作業が必要となる。

Ⅳ 製薬産業で知識マーケティングを捉える意義

Ⅳ−1.製薬産業の特徴

知識集約型産業である製薬産業は特に知識が重要となる産業であり,知識の提供・販 売,つまり知識のマーケティングが不可欠な産業といえる。

Pisano(2006)によると,医薬品は一見したところ単純な製品に思えるが,研究開発

のプロセスは複雑を極める。それは,医薬品は人間の生命や健康に直接大きな影響を及 ぼすため,厳しい規制が課されているからである。そのため,他産業で成功した戦略や アプローチをそのまま借用してもうまくいかない。製薬産業の特徴は新薬の研究開発行 動に限定しても幾つかあるが,ここでは

2

つを挙げていく。

1

つは新薬の研究開発プロセスが多岐に及んでいることである。探索段階,前臨床試 験段階,臨床試験段階,審査段階を経て新薬が上市されるが,上市に至るにはどれくら いの期間と資金が必要なのだろうか。確固たる数値データが存在するわけではないが,

業界では

10

年間から

20

年もの長期の期間,金額にして

300

億から

500

億円ほどの大金 がかかるといわれている。特に臨床試験のフェーズⅢのプロセスでは多数の患者サンプ ルが必要となるため,膨大な資金を要する。また,上市の後も副作用がないか追跡調査 を行わなければならない。

もう

1

つは新薬開発の成功確率の低さである。第

2

表をみると,新薬の成功確率は

11,299

分の

1

となっており,現在ではそれよりさらに成功確率が低いといわれている。

探索段階で合成化合物を創り,そこから前臨床試験に移行するまでの成功確率が最も低 く,1,731分の

1

となっている。それ以降のプロセスでは

1.60

分の

1, 1.77

分の

1, 1.30

同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

348(642

(12)

分の

1

であるため,探索段階での成功がきわめて難しいことが分かる。探索研究は研究 者が個人で研究を行うことが多く,特に知識(蓄積された知識)が重要となる。研究者 個々人が一人で黙々と研究に従事しており,成功確率が低いため,探索研究は偶然や運 に左右され,組織的マネジメントはできないというのがこれまでの業界の通説であった

(桑嶋,1999)。しかし,企業間競争が激化し,新薬がなかなか出てこない現状におい て,各企業はこの探索段階での成功確率を高めたいと思うようになり,このマネジメン トへの関心も高まっている。

Ⅳ−2.製薬企業における知識マーケティングのモデル

まず,一般的なモデルとしては,第

8

図上図のように知識を創造して提供・販売する という形がもっとも単純である。そして,第

2

節で見たように知識創造の後,知識移転

7図 新薬の研究開発プロセス

出所:遠藤(1997),野口(2003)より作成

2表 日本における新薬開発の成功確率

段階 化合物数 成功確率 累積成功率

合成化合物数 前臨床試験開始決定数 臨床試験開始数 承認申請 承認取得

406,753 235 147 83 64

1 : 1731 1 : 1.60 1 : 1.77 1 : 1.30

1 : 2,767 1 : 4,901 1 : 6,356

自社開発

36 28

1 : 11,299

注:「自社開発」とは探索段階からすべての段階を1社で行った場合のことであり,「導 入」とはたとえばA社が探索段階で作成した合成化合物を,B社がライセンス供与 などの形で譲り受け,それ以降の段階から行った場合のことである。

出所:『月刊ミクス』20015月号

商品としての知識のマーケティング(冨田) 643)349

(13)

の行動を挟むこともある(第

8

図下図)。こうして知識が創造された後,製薬企業の探 索研究の場合で考えると,3つの方向性が考えられる(第

9

図)。1つ目は次の研究開発 プロセスである臨床試験へと歩を進めることである。この場合,探索研究組織から臨床 研究組織へと知識が伝達されるが自社内であるため,特にマーケティングを意識する必 要はない。

2

つ目は他の企業へ知識を供与(ライセンス・アウト)することである。供与とは,

自社で開発するのが技術的・資金的に困難な場合,他社とライセンス契約を結び,高度 な知識を提供することであり,製薬企業では頻繁に行われている戦略である。たとえば 第

3

表のような例がある。製薬産業で供与が多い理由として

3

つが挙げられる。まず,

2

表で見たように,探索研究はきわめて成功確率が低いため,実験数を増やす必要が あるからだ。製薬企業としては成功した知識だけを買い取り,早く確実に製品化した方 が合理的である。次に,その製品化プロセスにおいて臨床試験,特にフェーズⅢは多額 の資金と長期の期間を要するため,企業体力のある製薬企業でなければ実行できないか らである。そしてもう

1

つは,探索研究と臨床研究とは同じ企業内であっても別の組織 が担当するため,探索研究と臨床研究とは別の企業で行い易い性質だからである。つま り,ある企業が探索研究で得た知識を提供し,別の企業が臨床研究を行うことが容易な

8図 知識マーケティングの単純なモデ

9図 製薬企業の探索研究における知識のマーケティ ング

3表 製薬産業における近年の供与の例

年月 創薬ベンチャー

(売り手)

製薬企業

(買い手) 導出品目

20073月 キャンパス 武田薬品工業 抗がん剤(ペプチド医薬)

20082月 セルシード テバ等3 再生医療 20083月 エムズサイエンス エーザイ 中枢神経薬 20088月 シンバイオ エーザイ 抗がん剤 2008年10月 イーベック ベイリンガーインゲルハイム 抗体技術 2008年11月 カイオム・バイオサイエンス 中外製薬等4 抗体作製技術 20091月 アリジェン 大鵬薬品 潰瘍治療薬 20092月 オンコセラピー・サイエンス 塩野義製薬 がん治療用ワクチン

出所:『バイオテクノロジー等で医薬品産業を支える中小企業の事業展開』,20111222日,日本政 策金融公庫総合研究所(日本公庫総研レポートNo.2011−6)

同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)

350(644

(14)

のである。以上のような理由で,製薬企業では供与が数多く実践されている。

3

つ目の方向性は他の企業と共同研究することである。M&Aではなく,戦略的提携 という形で共同研究を行い,二者が手を組み新しい知識を創造していく形態であ

7

る。し かし,共同研究を成功させることは極めて難しい。それは,共同研究で扱う知識には暗 黙知的要素が大きく,自社の知的財産を守る意識が働くため,重要な知識の共有が阻害 されがちだからであり(Pisano, 2006),またそうした暗黙知を安易に入手しようとして も難しく,暗黙知は経験を通じて学習しなければならないものだからである(Edmond-

son, et al., 2003)。とはいうものの,実際に製薬企業では多数の共同研究が行われてい

る(冨田,2010)。

以上,3つの方向性のうち,1つ目はマーケティングにおける問題点が発生しないた め,考慮する必要がない。よって製薬企業における知識マーケティングを考える際,供 与と共同研究とを議論していくこととなる。

Ⅴ むすびにかえて

本稿では,製薬企業で知識のマーケティングを考える問題提起として,供与と共同研 究との場合を提示した。供与は製薬企業どうしだけでなく,近年,バイオ・ベンチャー と製薬企業とのケースが数多い。その際,バイオ・ベンチャーを育成する第三者機関の 存在は見逃せない。大学の研究成果である発明(特許)を民間企業などへ知識移転させ る

TLO(Technology Licensing Organization:技術移転機関)といった機関も存在する。

これらはバイオ・ベンチャーや大学の知識マーケティングを援助する機関であるが,あ くまでも補助的なものとして位置づけるべきであり,バイオ・ベンチャー自らの知識マ ーケティング活動を考えていかなければならない。

供与でも共同研究でも相手を見つけること,さらにはそうした相手に自社の知識の魅 力をプロモーションすることはとても難しい。そうした相手の探索,プロモーション活 動の手段をマーケティング研究として考えることは急務であり,稿を改めて議論してい きたい。

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7 業界内において戦略的提携はさまざまな意味で使われており,供与も含まれることが多い。戦略的提携 の定義については冨田(2007, 2010)を参照されたい。

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