長崎大学教育学部社会科学論叢 第69号 (2007年)
原爆死か ら平和責任へ ー被爆体験の思想化の試み
高 橋 真 司
For muJ at i onsoft heAt omi cBombExper i ence:
f r om At omi cDeat ht oPeaceRes pons i bi l i t y.
Shi n j iTa ka ha s hi
1
はじめに 被爆 60 年 一回顧 と展望
被爆 60年の記念 の年 に, 「被爆体験 の思想化」 とい う重要なテーマについて報告す る 機会 を与え られた ことを感謝 したい (1)。 しか し同時 に, 「被爆体験 の思想化 」について 語 ろうとす ると何 を語るべきか,途轍 もな く大きな困難 に直面するのを覚える。私は,被 爆地長崎にあって哲学す る試み (2)を三十年以上 にわたって続 けてきて, 『長崎 にあって 哲学す る』二巻 (北樹出版,1994‑ 2004年) を上梓 した。それ らは一言で 「被爆体験 の思想化」 ということも可能であろう。折角の与え られた この機会である。私 じしん長崎 で考 えてきた ことの一端 を申し述べることとしたい。
と ころで, ガル トウングは主著 『平和 的手段 による平和』(1996)のなかで, 「建設的 な回答 を提示す る義務の下 にある批判的な研究者」(acriticundertheobligationtocomeup withconstmctiveanswers)として 自分 の立場 を表明 した(Galtung,1996:270)。私 もまた,今 大会 の統一テーマ 「原爆投下60周年 の意味を問い返す」 に沿 ってひ とつで も 「建設的な 回答」を提出する ことができれば幸 いである。
さて, 「被爆体験」 という語 に対 して 「原爆体験」 という言 い方がある。 『原爆体験』 の 著者 ・潰谷正晴はいう。被爆体験 という四文字 には人々が何 に被爆 したのかを指 し示す言 葉が欠けている。 また,原爆体験 とは,被爆 当時の 「あの 日」 の体験のみによって形づ く られているわけではない。 「原爆体験」には,あの 日か ら現在 まで,原爆 に被爆 した人び との身に起 こったすべてのことが包み込 まれていな くてはな らない。 さらに,体験 とは決 して受動的なものでない。被爆者における<反原爆>の思想は,おのれを苦 しめてやまな い (原爆 )と対峠す ることによって形成 されてきた (潰谷,2005:Ⅴ‑vi)0
以上,三つの理 由か ら潰谷 らは 「原爆体験」 という言葉を使 う。潰谷 らの論点 に賛同 し つつ も,私が ここで 「被爆体験」 という言葉をあえて使 うのは,原爆の開発 ・製造 ・実験 ・ 使用 に携わった人々が他方の極 にいるか らである。核時代 を脱却す るためには,それ ら原 爆の開発か ら使用 にいたるあ らゆる段階において関与 した人々 (いわば,加害者)の体験 をも考慮す る必要がある, と私は考 える。原爆の開発か ら投下 にいたるすべての過程 に携 わった人々の体験 の象徴 として 「涙 を芝べたアイ ンシュタイ ン」 の写真を思い浮かべて も よい。 アイ ンシュタイ ンのまなざしは現代 の科学 と技術,政治 と産業の批判 につながって ゆくであろう。私 としては,原爆の開発,実験,製造,投下 にいたるすべての過程 に携わっ
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た人々の体験 に,広島 ・長崎における原爆被害者の体験 を対置 して,両者 を併せて 「原爆 体験」 と呼びたい。それゆえ, ここは被爆地広島 ・長崎での一般的呼び方 に従って 「被爆 体験」 という語 を採用する ことにす る。
つぎに,思想化 というとき私は、 「イ メー ジに形(form )を与える」 という意味で リフ ト ンが用 いた…formulationMという語 を念頭 においている(cf.Lifton,1970:12,204)O「思想化」
とは原爆 についての高遠な理論でな く, リフ トンはそれを 「被爆者が 自己を再 一創造す る 過程」(theprocessbywhichthehibakushare‑createshimself.Lifton,1967:367)と捉えた。 リ フ トンに とって 「思想化」 とは端 的 に被爆者 の 「精神的再建」 と同義であった(psychic rebuildingor…formulation"Lifton,1967:ll)。 リフ トンの提起 をうけて、 ここで私は、被爆 体験 の思想化 とは 「被爆者がそれ によって生 きる ことのできる思想」 と広 く定義 してお こう。 しか しなが ら, よ り厳密 に定義す るな らば,私 の恩師の一人、石 田忠 の 「原爆 と 人間」 のパ ラダイム (後出) を援用 しなければな らない。石田は 「原爆が人間に何 をな し たか、 またな しつつあるか」を確定す るのは科学的な営為であるとした。それ に対 して,
「人間は原爆 に対 して何 をなすべきか」 を確定す るのは思想的な営為であるとした (石田, 1980:145)。 この石 田の重要な提起 を受 けとめれば, 「被爆体験 の思想化」 には二つの営 みが含 まれ る。一つは原爆が人間にどう影響 し作用 したか を確定す る科学の営みであ り, いまひ とつは人間が原爆 /核兵器 に対 して何 をなすべきか、 またな しうるかを明確 にする 思想的な営みである。 「被爆体験 の思想化」 とは この両者 を含むダイナ ミックな営みなの である。
被爆体験の思想化 について, この60年間の人文 ・社会科学 における学問的営為 を展望 す るとき,二つの傑出 した研究がある。一つはアメリカの精神科医 リフ トンの研究であ り, 今一つは 日本の社会調査家石 田忠の仕事である。
第 1 節 被爆体験 の思想化 ( 1) ‑R. 」 . リフ トン
リフ トンの有名な ヒロシマ研究 『生命の中の死 一広島の生存者』(Lifton,1967)は,正確 には, フロイ トの 「精神分析学」(psychoanalysis)を現代の歴史的極限状況 に応用す る 「精 神歴史学」(psychohistory)的アプローチ によるものであった(Lifton,1970:5‑8). リフ トン は原爆が人間精神 を 「解体」する作用 を分析 したが、その中で とりわけ鮮やかなのは 「心 的麻療」(psychicnumbing)と 「死 の罪意識」(deathguilt)で あったO 「心的麻痩」 とは,死 とのあま りに衝撃的な遭遇 によって心が麻癒 して しまうことである。あの 目の‑少女,久 保 志津子 (当時8歳)は, 「私 は, ぽかん として,そばに立 ったまま,母 の死骸 を見つめて いました。あま りの ことに,涙 も出ず,悲 しくも何 ともあ りませんで した」 と述べている (永井編,1949:33)。他方, 「死 の罪意識」 とは,死 と遭遇 して生きのびた人 (生存者) が死んだ人 (死者) にたい して感 じる負い目,有罪(guilt)の意識 をさす。
リフ トンは この 「死の罪意識」 について,独特の観念 を提出 した。それが, 「生存の優 先順位 をめ ぐる罪意識」(guiltoversurvivalpriority.Li枇)n,1967:7,35,49ト2,489‑499)である。
「生存の優先順位」(survivalpriority)が他人よ りも自分 に与え られた ことか ら人は罪意識を いだ く, と解釈 したのである。 この点は, リフ トンがユダヤ系のアメリカ人であることと 内面的にかかわ りがあろう.つま り,一方で,ナチス ・ドイツによる強制収容所のユダヤ
原爆死か ら平和責任 へ ‑被爆体験 の思 想化 の試 み 3
人生存者においては,生存の機会がある意味で非常 に悉意的であ り,そ うした強制収容所 の 「死の罪意識」を濃密に反映 した ものであ り,他方で,原爆 を投下 したアメ リカ合衆国 の国民 としての罪悪感が こうした,いわば中立的な観念 を選ばせた ものと思われる。
これ らは,ナチス・ドイツの強制収容所 の生存者やベ トナム戦争の帰還兵 にも共通 に見 出されるものであった。 と同時に, リフ トンは, こうした原爆の破壊的作用 にあ らが う人 間の 「思想化」‑ 自己確認の営みを見逃 さなか った。それは東洋哲学が強調す る 「諦め, あるいは心理的無抵抗」(resignationorpsychologicalnon‑resistance)であ り,西洋哲学が強 調す る 「生存者 の使命」(survivormission)であった。 リフ トンは次 のよ うに言 っている。
(無抵抗 )と く生存者の使命 )は普遍的な心理形態である。 ともに,死 に圧倒 され不活性 化 されて 「心的麻療」 を来た さないための手段 だ。両者 とも, 「不死のセ ンス」 を積極的 に再確認す る ことを含 んでお り, 「象徴的統合」(symbolicintegrity)を与 える, と(Li枇)n, 1967:538)O
本書は,生存者 と被爆者の定義 (3)か ら 「創造的応答 としての原爆文学」 まで,人間が 原爆 と遭遇す る ことによって受けた心理 的 ・精神的変容 につ いて,現代 の最先端 の科学 的方法によ りつつ,洗練 された文体で叙述 された包括的な研究である。本書は,精神科医 のエ リクソンと社会学者 リースマンに捧げ られているが,それに値する内実 を備 えた傑作 (masterpiece)と評価できるo
しか しなが ら、全体 として本書は 「広島の生存者たち」 に関する精神分析学の簡域 にお ける傑出した労作‑ 1969年度,科学部門の 「全米図書賞」(theNationalBookAward)を受 賞 した‑であった にもかかわ らず、そ こに見出される被爆者像は, 日本では、 「否定的な 思想形成」(negativeformulation,Lifton,1967:387,526‑7)という言葉 に象徴 され るように, 否定的なニ ュアンスにおいて受けとめ られて,栗原貞子や伊東壮 らによって,放射線の医 学的 ・生物学的晩発影響の調査はす るけれ ども,治療 は しな い 「ABCC」 (原爆傷害調査 委員会 ;1975年以降,放射線影響研究所) と同列の研究だ, という厳 しい批判 を受けた。
リフ トンに とっては,広 島の被爆者 に関す るかれの画期的な仕事が,被爆者 に関す るい わば 「否定的な思想形成」 と受けとめ られた ことは, まことに心外であったに違 いな い。
リフ トンは これを重 く受けとめて, さ らに研究 を深め,その12年後,′『断ち切 られた粋』
(Lifton,1979)において, 「死 の罪意識」には, 「停滞的な罪意識」(staticguilt)と,被爆者 を生命 にむけて励 ましてゆ く 「活性的な罪意識」(animatingguilt)のあることを明 らか にし た。リフ トンの この分析は,「死の罪意識」についてさ らに新 しい知見 を提出 したものであっ て,私たちには再び衝撃的な印象を与えた ものであった。
リフ トンは,被爆者研究 において,自らの知見 を被爆者 (な らびに,被爆者問題研究者) との対話 によって再吟味 し, 自らの研究の質 を高めていった, と肯定的に評価す ることが できる。
第 2節 被爆体験の思想化 ( 2) 一石 田忠
日本の社会調査家 ・石 田忠は, 日本政府 (厚生省)がは じめて実施 した1965年の被爆 者調査 に参加 して以来, 日本 の社会科学者 としては,かれ の教え子であ り共 同研究者で もある潰谷正晴 とともに,被爆者調査 にその全生涯 を打ち込 んで きた稀有 の研究者 ・思
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想家である。石 田の被爆者研究は,今年 (2005年)で 1965年以来ち ょうど40年 にな る。石 田の学問的足跡は,大 きく二つに分かれる。前半は,被爆‑40周年の1985年まで の20年間 (1965‑85)であ り,後半はそれ以後の20年間 (1985‑2005)である。
初期 の石 田の方法 は生活史的方法 (あるいは,伝記的方法) によるものであった。 あ らか じめ詳細な調査票 を用意 して,面接調査 をくり返 し行 うものである。その成果が 『反 原爆 一長崎被爆者の生活史』二巻 (石 田,1973‑74)であった.その 「序文」 に,石田は 次 のよ うに書 いている。 「く原爆 )のもった最大の意味は,それが原爆否定 の思想 を生み 出 した というところに在 る。 この思想形成の必然は被爆者の (坐 )その ものの中に在る。」
この一文 こそ,石 田忠 の被爆者研究 のライ トモチー フであ り,結論で もある。そ うして, 本書の巻頭 を飾 る力作論文 「反原爆の (立場 )一福 田須磨子 さんの戦後史」によって,石 田は,以後の被爆者調査の基本概念 を把握 した。
第 一 に,石 田が (原爆 )とい うとき,それ は被爆者 の原体験 をい うのみな らず,そ の戦後過程 のすべて をも包摂す る程 の広 が りにお いて用 い られ て い る (石 田,1973:
22)。第二 に,石 田は, 「社会科学 の原点が民衆 の, ここでは被爆者 の,生活者 としての 営為そ の ものの中に存す る ことを,認 めないわ けにはいかな い」 と述 べて いる (石 田, 1973:37)。第三 に, 「福 田さんの心の中で二つの力がたたかっている。一つは彼女 を く 漂流 )へ押 し流そ うとす る. いま一つは彼女 を (抵抗 )にふるい立たせ ようとす る」 (石
田,1973:150)。 こうして, 「漂流か ら抵抗への飛躍」としての被爆者像の提出 (石 田, 1973:31,42,151) には,リフ トンの被爆者研究 に対する石 田の批判が寵め られている。
1977年のNGO被爆問題国際シンポジウムに際 して,石 田忠は 「作業文書ⅠⅠⅠ」 (社会科 学部門)で 「原爆 と人間」 というパ ラダイム を提出 して主導的役割 を果た した0 「原爆は 人間に対 して何 をな したか。そ して,人間は原爆 に対 して何をなすべきか」 というシンポ ジウムの枠組みを提示 したのである (『被爆の実相 と被爆者の実情』1978年,157ページ).
この 「原爆 と人間」 のパ ラダイムは,その後 の石田の研究方法 ともなった。石 田は言 う。
「被爆者の証言 は<原爆> と人間の対峠 を語 ります。 この対峠をとらえることがなかった ら,その証言 を理解す ることができません。<原爆> に人間を対置す る‑それが私 の方法 とな りました」 (石田,1996:98)0
こうして石田は,80年代半ばまでに 『反原爆』2巻(1973‑74),『反原爆論集』2巻(1986) を刊行 して以降は,<原爆 と人間>研究会 (「原人会」)を組織 して,1985年,被爆 四十 周年 に行われた被団協調査 の分析 に集 中した。石田は一千枚を優 にこえる統計表 (最終的 には1551表) を作成 して,原爆体験 (原爆被害) の 「層化」(stratification)を考案す るこ とによって,原爆体験 と思想化の型 に法則性のあることを明 らかにした。すなわち,原爆 体験の重 く深いものほど,<人間の立場>に立って<国の責任>を問うものの比率が規則 的に高い ことを実証 したのである (石 田,1996,2004)0
石 田忠 の被爆者調査 の特徴 として、立論 を徹頭徹尾事実 に基か しめよ うとす る実証性 へ のつ よ い意思 と、被爆者 の体 験 を 「わが腸 (は らわた )痛 む」 (cf.北森嘉蔵,1946, 1951:154)までに追体験す る共感力(empathy)、そ して、その考察 を人間的切実さをもっ て言 い表わす芸術的表現、 の三点 を指摘することができよ う。
石 田が潰谷正晴 (一橋大学教授),栗原淑江 (「自分史つ うしんヒバクシャ」編集発行人) らを中心 とする 「原人会」の献身的な協働 を得て到達 した成果が石田思 「原爆体験 の思想
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化 ‑ 「被 団協調査」・分析」(1996)であ り,同 『統計集 (原爆体験 の思想化 )』 (一橋大学 社会調査室,全7巻 +別巻) (石 田,2004)である。そ して,その詳述が潰谷正晴 『原爆 体験』(2005)で あった。石 田 と潰谷 の著述は,両者相侯 って被爆者調査 の金字塔 を打 ち 立てた といえよ う。それは,浦上天主堂の鐘楼 になぞ らえて,師弟 による美 しい双塔の金 字塔 と呼ぶ こともできる(4)0
第 3節 原爆死か ら平和責任へ 一長崎 にあ って哲学する
リフ トンや石 田忠の業績 とは比較 にもな らないが,またアプローチ の仕方 を異 にす るが, つぎに 「長崎 にあって哲学す る」私 の考 えのいくつか を簡潔 に述べてみたい。
1 現象学的方法 一実証主義を こえて
私 は, フロイ ト,エ リクソ ン, リフ トンの著作 を精読 し,社会調査家 ・石 田忠 によ っ て社 会調査 とそ の厳 密 な実証 性 につ いて 教 え られ て きた。 そ う して, 石 田や 潰谷 らと 共 にい くつか の被 爆者調査 に も携 わ って きた (高橋,1984,1991,1994a;読売新 聞, 2000/7/28;朝 日新聞,2005/7/17;
c f .
石 田, 1973‑74;潰谷,1989:97;1994:300)0 が,私 自身の方法は,実証科学 としての社会学 に加 えて,哲学, とくに現象学のそれであ る, と言 ってみたい。現象学 の格率は, フ ッサール の 「我 々は 《事柄その もの》Sachenselbstへ立 ち戻 ろ う」
(Husserl,1900,ⅠⅣⅠ:6)で あ り,ハイ デガー によるそ の再述 「事柄そ の ものへ !」(Zuden Sachenselbst!Heidegger,1927,1976:27,34)である。現象学の方法 によって産み出された現 代 の哲学的作品にハイデガー,サル トル, メル ロ ・ボ ンティな どの主要な著作がある。 だ が,私は ここに現象学の方法 によって見 出された最 も重要な思想の事例 として, シュヴ ァ イ ツ ァーの 「生命への畏敬」(dieEhrfurchtvordemLeben)を指摘 したい。 シュヴァイツ ァー は,1915年,第一次世界戦争 のさなか にあって,(i) 同時代 の状況 につ いて深 い関心 と 憂慮 をいだき,(並)《事柄そ の もの》 へ深 く降 り立ち,(in)過去 のあ らゆる倫理思想 を精 査 し,(iv)そ うして未来 の形成 にむかって有意義な新 しい概念 として 「生命への畏敬」 と
いう全 く新 しいコンセ プ トを発 明 したので あった(Schweitzer,1915,1963,1966:20)0 さ らに,現象学 の論理 として 「存在 と否定」(cf.Sartre,L'EtreetleNe'ant,1943)の論理 を指摘 しておきたい。サル トル の主著 の表題 の合意す る ところは,ス ピノザ の 「すべての 決定は否定である」 (Omnisdeterminatioestnegatio.),および,ヘーゲルの 「自らのうちに 存在 と否定 を含 まないものは天 にも地 にも存在 しない」(Iln'ya一iendamslecieletsurterre quinecontienneens°il'etreetlen6ant.)とい う命題 とつなげて理解すべ きで ある. あま り
に簡略化 して言 うことは避 けなけれ ばな らないが,要約 して,(1)1.etre(存在) は,存 荏 (existence,〜がある )と繋辞(copula,〜で ある )の二つの意味を有す ること(Wittgenstein, 1922:55),(2)いかな る存在 もそ の うち に否定 の契機 を合意す る こと, したが って,す べての存在 は否定形 (二重否定 を含 む) によって言明す る ことができること,そ して,(3) 存在 は否定 よ りも高 尚で ある こと, さ らに,
( 4)
実存 とはそれ 自身であ りそれ 自身でな い可能性 をいう(Heidegger,1927,1976:12,261)。言 いかえれば,実存 とは存在 と否定の可6 高 橋 寅 司
能性をさす こと, を指摘 しておきたい。
この 「存在 と否定」の論理は,平和学 と関連 させるとき,それは,冒頭で述べたガル トウ ングの立場
(
「建設的な回答」)とかかわ る。すなわち, ガル トウングによれば,平和学 は,二つ の構成要素 をもつ.一つは,破壊的 /否定的(destructive/negative)であ り,他 は 建設的 /積極 的(constmctive/positive)で ある(Galtung,1996:270)。 内容 的 には,前者は戦 争研究(warstudies)であ り,後者は平和研究(peaces山dies)といえる。ガル トウングが 「建 設的な回答を提示す る義務」を感 じているように,平和研究者は, この 「存在 と否定」 の 論理 を意識的に自覚 して,ガル トウング同様,「建設的な回答 を提示する義務」の下にある,というべきであろう。
2 核時代の死と生‑むごい死 とむごい生
原爆死 について,私 は 「暴力死」, 「政治死」, 「非常死」, さらには量的でな く質的な意 味における 「過剰殺教」な どの新 しい概念 を提出 した。それぞれ について可能な限 り簡潔 な説明を試みる。
1)暴力死
俗語でいえば, 「む ごい死」であるが,私はあえて 「暴力死」(violentdeath)と規定す る。
暴力は素手の暴力もあるが,原子爆弾 による暴力は科学 ・技術および生産力の向上 と結び ついた ものである。科学 ・技術文明の進展 とともに,暴力死はその凄惨 の度合いを増 しつ づけてゆ く。その意味で,原爆死 を暴力死 と規定す るとき,それは文明の進展 とともにま す ます凄惨の度合いを増 し加えるものと理解すべきである。
2)政治死
原爆死 は, 国家(1eCorpspolitique)によって もた らされた死で あって, 自然死(natural death)の対極 に位 置す る。 自然死 は, 自然 の法則 に従 い, これ を避 ける ことはで きな
い。 しか し,原爆死は政治死(politicaldeath)であると規定す るとき,原爆死は政治的意思 (politicalwill)によって回避す ることがで きる, とい う結論 を導 き出す ことが可能 となる。
したがって,原爆死 を自然死でな くて政治死である, と規定する意義は比類な く大 きいと いわねばな らない。
3)
非常死「非常死」 という言葉 によって,私 の意味す るところは, 「常の年の普通の出来事」 (柳 田国男,先祖 の話,64節。柳 田,1946:195‑196) としての死が,死 と生の悠久 の結び つきを保 った ものであるのに対 して, 「非常死」(unusualdeath)にあってはそれが断ち切 ら れ るということである。人が死んでも,その人の子 どもや孫が生きているとき,人は安心 して死ぬ ことができる。 しか し,原爆死 においてはただ人が死ぬばか りでない。放射線に 対 して非常に感受性 の高い生殖細胞 もまた破壊 され る。言 いかえれば,かれ /彼女は生き のびて も,そ の子孫は殺 され るのである。ギネスブックの最新版は,86代 におよぶ孔子 の家系図を 「世界一長い家系図」であると認定 した (GuinnessWorldRecoTds2006,朝 日新 聞,2005/10/23参照)。それ によれば,紀元前6世紀 に生 まれた孔子か ら現代 まで82 代,全世界に孔子の子孫は300万人以上いるとの ことである(5)。 とい うことは,た とえ ば,長崎の山口仙二氏のように,た とい本人は生きのびて も 「原爆 によって子種 を絶や さ
原爆死か ら平和責任へ 一被爆体験 の思想化の試み 7
れた」と言 うばあい,将来2500年間に300万人以上の 「仙 ちゃん」の子孫が根絶 され ることを意味す る。その意味では,原爆,そ して核兵器は, 同時代 の人類 を 「横 に殺す」
(tomurderhorizontally)にとどま らず,未来 の人類 を 「縦 に殺す」(tomurdervertically)。そ
し ぎゃく
の両方の意 味をこめて,核兵器は 「人類斌逆」(genocide)の兵器である, といわなければ な らない。
4)
過剰殺教通常,過剰殺傷 (overkill)とは,最新の兵器, とくに核兵器が使用 され るとき,その兵 器の高性能 のゆえに,軍事的必要 をこえて,戦闘員及び非戦闘員を無差別かつ大量 に殺傷 する事態をさす。 しか し私は, この"overkillHを量的概念 というよ り,む しろ質的概念 とし て用いた。原爆が戦略的に使用 され るとき,通常兵器 とは格段 に強力な威力をもった熱線, 爆風,放射線 によって, とりわけその相乗作用 によって,人びとは致死量の数倍の破壊力 に曝される。人は一度死ぬだけでな く,何度でも死ななければな らぬ過酷な状況におかれる。
この事態を私は 「過剰殺教」(overkill)と呼んだのである (高橋,1985,2004:18,33). 5)原爆地獄
私 は 「原爆地獄」 を 「人間的であること」(tostayhuman)と 「生きのびること」(tostay alive)とが両立 しない状況である, と定義 した (高橋,1994)。善人が天逝 し,罪な きも のが犠牲 となる 「原爆地獄」は,伝統的な地獄の観念 (源信 『往生要集』985年 ;ダンテ 『神 曲』(DivinaCommedia,1307121)をこえるという意味で,それ を 「地獄 をこえた地獄」 (the Hellbeyondbells)と呼んだ。
6)む ごい生
被爆者の 「む ごい生」 について,被爆者は生きのびるために, まるで畜生のよ うに,あ るいは 「鬼」 のよ うに,人間以下の もの(subhuman)に 「定め られて」(degraded)一私 は こ れ を 「道徳的堕落」(=moraldegradation")と呼んだ (高橋,2004:151)‑,言いかえれば, 非人間化 されて罪意識が生 じる,と私は考察 した。原爆が もた らす 「絶滅」(extermination)
と 「非人間化」(dehumanization)のうち,私 としては,む しろ後者 「道徳的堕落」ないし 「非 人間化」 によって もっとも執掬な ・生涯 にわたって抜きがたい 「死 の罪意識」が生 じると したのである。 これは, リフ トンの 「生存の優先順位 をめ ぐる罪意識」(guiltoversurvival priodty)に対す る批判 を意味す る。 さ らに, 「原爆死」以後の被爆者 の生 を 「死 の上の生」
と呼び,そのあま りにも 「む ごい生 」のゆえに「死者 をうらやむ」という事態がお こる,云々 と指摘 した。
3 原爆死か ら平和責任へ
被爆地長崎における 「被爆体験の思想化」 の営みの中には,本島等長崎市長 (当時) に よる発言 「天皇 の戦争責任 は ある と私 は思 います」 (1988年12月7日 ;本 島,1989) や,岩松繁俊 による 《反核 を訴えるときには,かな らずその前に, 日本の戦争責任 を自己 批判 しなければな らない》 という 「長崎方式」の提起がある (岩松,1982:62,1998:
88)。私 もまた,広 い意味での 「被爆体験 の思想化」 の枠組 の中で, いくつかの新 しい概 念 を提起 してきた。それ らのうちには, 「平和への存在」, 「平和への権利」, また 「戦争 と 平和 一九段階接合理論」 の提起 との関連で 「戦前責任」, 「平和責任」, 「平和 の質」な どが
8
含 まれる (高橋,2004)0
高 橋 真 司
A く平和責任 )を含む平和の新 しい概念
1)(平和への存在 )
1995年 の戦 後50年 /被 爆50年, そ して20世 紀 か ら21世 紀 へ, さ らには 西暦 2000年か らは じまる新 しいミレニアム といった世界歴史 の節 目にあたって,長崎 にあっ て哲学す る私は,(平和への存在 )という新 しい人間観 に到達 した と言 える。その思想的 系譜 としては,ハイデガー 「死への存在」(dasSeinzum Tbde)と,それ に呼応 しなが ら同 時代 に向かって呼びかけたサル トルの 「戦争への存在」(dasSeinzumKriege)がある。しか し, これ らの思想 の抽象的な発展 として この (平和への存在)(dasS°inzum Frieden)を考案 し た というよ り,む しろ秋月辰一郎や 山口仙二 といった長崎の被爆者 に出会 うことによって, (平和への存在 )とい う新 しい人間のイ メージを得た と言わなければな らないoガル トウ
ングは,主著の平和 を扱 った部分 にお いて, 「長期的には,我々は平和 に処せ られている (̀wearecondemdedtopeace')」という命題 について, 「信 じがたい /あ りえない」(unlikely)
と述べた(Galtung,1996:12)。私 もこれには同感である。私は く平和への存在 )とい う新 し い人間像 を,秋 月辰一郎や 山口仙二 とい う具体的な人間の うちに見たのであって,(平和 への存在 )とい う人間の本質規定 において,実存が本質 に先立っていたのである。《実存 は本質 に先立つ》…L'existenceprecとdel'essence.Mとい う実存主義 の根本命題は ここにおい て も妥当する。
秋 月や 山口らの被爆者 において,彼 らをす ぐれて (平和への存在 )として いるものは, 第一 に,彼 らがいずれ も 「極限的恐怖」(theultimatehorror,Li氏on,1967:48)に遭遇 し,あ
るいは,牢 として抜きがたい 「死 の罪意識」 をもちなが ら, しか もそれ にとらわれ打ち負 かされるのでな く,生涯 にわたって 「心の傷」 を抱えたまま,それを超越(transcend)して いることである。第二 に,かれ らは戦争の混乱 と破壊の体験か ら新 しい平和 の秩序 を構想 し,提起 し,実践 していることである。
ここに, 私 は否 定 的(negative)な もの を肯 定 的(positive)な ものへ 転換 す る創造 的な
ホ イ ・ エ イ レ ‑ ノ ポ イ オ イ
「平和 を作 り出す人々」(oL. <L'myo‑ LOL',「山上の垂訓」Matthew5.9)を認 めな いではい ら れ ない. ガル トウングは, 「ピース ・ワーカー」(peaceworker)の役割 は,苦 しみ を減 ら し生命 を増大せ しむる ことにあると述べた(Galtung,1996:266)。だが,ガル トウングの主 著 の言葉 を用 いて, これ を再定義す るな ら, 「ピース ・ワーカー」 とは 「苦難」(dukkha, suffering)を体験 しなが ら,それ を乗 り越 え(transcend),それ を 「幸福」(sukha,bliss)に変 容(transfわrm)させ る ことのできる人々 を指す, とい うことがで きる。私 の提起す る (平 和への存在 )は, まさに現代の平和学が指 し示す 「超越 と転換」(transcend&transfわrm,cf. Galtung,2004)の能力をもった 「平和の働 き人」(peaceworker)(6)である, と言えよ う0
2)(平和への権利 )
さて,新 しい世紀 ・新 しい千年紀への転換期 にあたって啓示 された新 しい人間像 とも言 うべき 「平和への存在」 の権利 と義務,ないし責任 について,若干の考察 を書き記 してみ よう。
何よ りもまず, 「平和への存在」 は, 「平和への権利」 をもち, 「平和責任」 をにな う。
原爆死か ら平和責任へ ー被爆体験 の思想化 の試み 9
人 間 を 「平和 へ の存在」と規定す る とき, 「平和へ の権利」(therighttopeace)は いか なる権利 にも優先す る権利 として保障 されなければな らない。伝統的に,人間の基本的 権利 を生存権 的基本権 と自由権 的基本権 に区分す るが, 「平和へ の権利」 は, 生存 と自 由の双方 の基本権 の根底 に位置す る と言 うことができる。すで に,国連 は,1984年 11 月12日,総会決議39/11によって, 「平和 に対す る人民の権利宣言」(Declarationonthe RightofPeoplestoPeace)を採択 している。そ こにおいて,総会は 「地球上の諸人民は平和 への神聖な権利 を有す る」 とお ごそかに宣言 している (TheGeneralAssembly,1.Solemnly proclaimsthatthepeoplesofourplanethaveasacredrighttopeace,)(7)0
3)(平和責任 )
「平和責任」(peaceresponsibility)ということばを私が最初 に提起 したのは2000年秋 の ことであった。長崎における宗教関連のある小さな会合 (YMCA・YWCA合同祈祷週,於 長崎銀屋町教会,2000年 11月19日)で,青年たちに提起 したのが最初である。翌年6 月には,第 7回北東アジア金沢 シンポジウムにおいて提起 した (高橋,2001,2004)(8)0
「平和への存在」は, 「平和への権利」 を有するとともに, 「平和責任」 を有す る。 「人類 頚式逆」の兵器 として核兵器 を所有す るに至 った人類 にとって 「平和への権利」が人権 の中 で ももっとも基本的な権利 として 「神聖」 と宣言 されたように, 「平和責任」はすべての 責任,すべての義務 に優先さるべき 「神聖 」な責任 といわねばな らないであろう。
哲 学 者 ハ ンス ・ヨナ ス は, 母 語 で あ る ドイ ツ語 の大 著 『責任 とい う原 理』(Jonas, 1979),およびそれ に先行す る, ドイ ツ語 な ま りの残 った生硬 な英語論文 の中で 「責任」
(Verantwortung,responsibility)について論 じた。 ヨナスはいう。 「人間の居住 に適 した世界 が存在すべきこと,そ してその世界が人類 によって居住 さるべきことは,一般的公理 とし て容易 に確認 され るであろう」 と(Jonas,1974:12)。そ うして, ヨナスは,主 として,坐 態学 ・環境問題 を念頭 におきなが ら, 「倫理学が今 日取扱 うべ き行為は,前例のないほど 未来 に因果的結果 をもた らす。 この ことが,諸帰結の規模 とあいまって,責任 を倫理学の 中心 に押 しやるのである」(Jonas,1977:169)と述べた。そ うして, ヨナスは,カン トの有 名な定言命令 を修正 して,次 のように定式化す る。 「汝 の行為 の結果が本来 の人間的生命 の永続性 と両立 しうるように行為せ よ」(Jonas,1974:13)。あるいは, これ を否定形で表現 すれば, 「汝 の行為の結果が本来の人間的生命の未来の可能性 を破壊 しないように行為せ よ」(Jonas,1974:13)となる。 こうして, ヨナスは 「責任 の新次元」に対応す る 「責任 の 倫理学」を提唱 したのであった(Jonas,1974:9,14,18)0
ところで,ホ ップズの大著 『リヴ ァイアサ ン』(Leviathan,1651:、63)と同じく, 「恐れ の 発見学」("dieHeuristikderFurchtH,Jonas,1979,2003:8,63,392)として構想 された ヨナスの
「責任 の倫理学」 は,かれが生態学 ・環境問題 を念頭 においているがゆえに 「遠 い未来 に 対す る責任 の倫理学」(dieEthikderFernverantwortung,Jonas,1979,2003:63.Italicsmine.)と なった。 しか しなが ら,核時代 と核戦争 を念頭 にお くとき,それはけっ して遠 い未来で な く, 「近未来のさし迫 った責任の倫理学」(dieEthikderNaheverantwortung)とな らねばな らぬであろう。 とす るな らば, 「責任への勇気」(MutzurVerantwortung,Jonas,1979,2003:
391)を提起する現代の 「責任の倫理学」の,その責任の筆頭 に挙 げ られるべきは 「平和責任」
(Friedenverantwortung)である, と言わねばな らない.
10 高 橋 真 司
4)(戦前責任 )
「平和責任」は他の事情か らも来る。それは,戦後40年,そ して50年,さらに60年を経て,
「戦争や原爆 といわれてもピンとこない」若い世代がますます台頭 してきている事実 と関係 がある (C£片岡,1986,1996:148)。戦争を知 らない戦後生まれの世代の,その子 どもた ちが相ついで成人 している今 日,若い世代は 「戦争責任」ということを自分の問題 として 感 じることができない。家永三郎は, 「戦争責任」は負の遺産 として戦後世代 に相続 される としたが (家永,1985),どうであろうか。む しろこの点に関 しては,大沼保昭の 「戦争責任」
と 「戦後責任」の区別 を採用 したい (大沼,1987:211)。 しか し,私が若い世代に提起す るのは,「戦後責任」でもない。私は若い世代にこう提起する。私事に触れて恐縮であるが, 1942年 (昭和17年)の春,桃の節句に生まれた私は,日米開戦,真珠湾攻撃の時点で (1941 年12月7/8日),私はまだ母の胎内にいた。アジア ・太平洋戦争が終わった とき,私は3 歳半であったか ら,私 に戦争責任はない,といえよう。 しか し,戦後60年を経て,私 に 「戦 後責任」は十分にある。だが,若い世代には戦後責任 さえもない。しか し,次の戦争に関 して, 侵略戦争を容易に始めさせない,そのための準備 を着々と進めさせない 「戦前責任」(pre‑W ar
responsibility)は,君たちにもある, というのである (毎 日新聞 「ひ と」欄,2004/9/14;朝 日新聞西部本社版,2005/7/29夕刊,同,2006/8/10夕刊 ;長崎新聞,2007年元旦,28 面参照)0
「若い世代 には,戦争責任 も,戦後責任 もない。 しか し,戦前責任はある」 とい う問題 提起 を私は 「戦争 と平和 一九段階接合理論」 (高橋,2004:184)よって理論化す る。戦前 期 一戦争期 一戦後期 の各時期 に,戦前責任 ‑ (狭義 の)戦争責任 一戦後責任が対応す る。
そ して,歴史の諸局面 に対応 して, これ ら三つの責任が生 じるのは,その根底 にヨリ根源 的な責任 として 「平和責任」があるか らである, と私は考察する。
私の問題提起 を聞き,さ らに戦後期が戦前期 に 「接合」する円筒形にまるめた図表 を見 て,学生たちは 「シ ョック」 をうけた, という。学生たちの声を紹介 しよう。
・今 日の講義 を聴 いて, 「戦前責任」 という言葉がやは り心 に残った。新 しい考 え方 を 知 り, 目か らうろ こがおちた気分 だった。今 の世界情勢 を見て いる と,今 という時 代が戦後ではな く戦前 になるか もしれないようなでき事が少なか らずあるので, 自分 には戦前責任が あることを忘れず に行 きたいと思 う。 (2005年4月,長崎大学医学 部,1年男子)
・自分は戦争 に関係のない時代 に生まれましたが, これか らの人生で戦争を起 こさない という思いもよ らない "戦前責任" をつきつけ られて, 自分の責任 を感 じました。 自 分 に関係はない と思っていましたが,今後は戦争を起 こさないように,一人一人が認 識 を深めることが大切だ と思 いました。 (2005年4月,薬学部1年,女子)
・今 日この講義 を聞いて,一番心 に残 った ことは,今, 自分達は平和期 にいて,そ して かつ戦前責任があるということです。そんな事は今 まで考えた ことなかった (特 に,
「戦前責任」 については)ので,びっくりしました。書法9条 につ いて,最近 とて も 話題 になっていたけど,重い ことだってわかってたけど,改めて重 い,絶対 に失 くし ちゃいけないと思 った。今,平和は当た り前のように感 じるけど,その当た り前を大 事 に し,平和の尊 さを心 にとめておきたいです。 (2005年4月,薬学部 1年,男子)
原爆死か ら平和責任へ ‑被爆体験の思想化の試み ll
私 は長崎の諸大学で多 くのアジアの留学生にも教えてきた。 「戦争責任」よ りももっと 根源的な責任 として 「平和責任」がある, という私の提起は,アジアの人々 ・留学生にも 新 しい課題 を示唆 している(孫東民 「対話促理解」『人民 日報』2001/7/12参照)。 ここには, 中国人留学生の書 いた一文 を紹介す る。
・中国か らの留学生として 「平和責任 を持っている」 のに意味深 く感 じました。戦争 と は,ただ戦争 を起 こった側の責任 しかないと思っていま した。 また,2回も残酷な戦 争が起 こらないように,戦前責任,そ して,平和責任 を持つべきだ と思います。特 に, 若 い世代は積極的 に歴史認識 を高める と役 に立つ と思 っています0 (経済学部 1年, 2005年7月,原文のママ)
5)(平和の質 )
(平和の質 )に先行 し,これ に類似 した ことば として,「生活水準」と 「生命の質」がある。
「生活水準」(SOL,Standardsoflifeorastandardofliving)が問題 にな らなか ったよ うな人類 史 の段階 を考 える ことができない。それ どころか,今 日,そ の収入が一 日1ドル以下 の 極貧 の生活水準 に甘ん じている人々が10億人以上いる, と言われている。 「国連 ミ レニ アム宣言」 (UNMillenniumDeclaration,8Septmeber2000)は,2015年 までにこれ ら極貧の 人々,および飢餓 に苦 しむ人々の比率 を半減する ことを目標 に据えている。 これ を受けて,
「ミレニアム開発 目標」(UNMillenniumDevelopmentGoals.ReportoftheSecretary‑General,6 September2001.)が,その八つの主要 目標の第一 に掲げたのは, じつ にこの 「極度の貧困」
を1990年か ら2015年 までの間に半減す るという目標であった0
他方,1970年代か ら80年代 にかけて,とくに末期医療の現場か ら 「生命の質」(QOL, thequalityoflife)が提言 されるに至 った. これは,現代 の医療技術 の進歩 に伴 って,延命
のための医療行為 に励むあま り,患者の人間としての尊厳や,最終段階における人生の享 受 といった側面への配慮がおろそかになっている ことへの反省か ら提起 された新 しい考 え 方であった(Cf.Beauchamp&Childress,1979,1994)0
それに対 して私は,世紀,な らびに千年紀の転換点 にあたって,どうして も 「平和の質」
(Gop,thequalityofpeace)という新 しい概念が必要である, とつよ く思 うに至った (高橋, 2001:25‑26)0
戦後 日本の社会 において この 「平和の質」 という概念が想起 され提起 されるには,必然 性が あると思 う。戦後 日本の国民 と国家のあ り方 を定礎 した といえる 「日本国憲法」第9 条は,戦争の放棄 と戦力の不保持,交戦権 の否認 を規定 している。 この憲法の条文は一字 一句変わる ことな しに,警察予備隊の創設 (1950年7月8日),保安隊への改組 (1952 年 10月15日) か ら自衛隊の発足へ (1954年 7月1日),PKO協 力法 にもとづ く自衛 隊のカンボ ジア派遣 (1992年9月17日)か らイ ラク ・サマー ワへの 自衛隊の派遣 ・駐 留 (2003年 12月26日以降)へ と現実 は進行 ・している。そ して, さきに発表 された 自 民党 の 「新憲法草案」(2005年 10月28日 )のよ うに,憲法9条 の改正 (9条 1項は維 持,2項 に 「自衛軍」 の保持 を明記)へ と進んで きて いるのである。憲法9条は一字一 句変更され ることな く重大な挑戦を受け続 けて,今 日殆んど危殆に瀕 していると言 って過 言でない。 こうした戦後 日本 の現実 を顧み るとき, 「平和 の質」 ということばが開発 され
12 高 橋 真 司
なかった方が不思議である。戦後 日本は 「平和憲法」 をもっているか ら安心だ, と安堵 し て しまうのでな く,たえず 日本社会の 「平和の質」が どうなっているか検証す る必要があ るというのである。
ところで, 国際社会 のなかで, 「平和 の質」とい う概念 は使われて いるのであろうか。
イ ンターネ ッ トで調べてみると,国際社会の中では,すでに,1995年 12月,イスラエル ・ シリア間の和平交渉 のなかで,イスラエルのペ レス首相が提案 し,シリア側が同意 した四 項 目の第二項 に 「平和の質」(qualityofpeace)があった という。イタマール ・ラビノヴィッ チ駐米イス ラエル大使 によれば,ペ レス首相 は, 「平和 の質」を問題 にして, 「冷たい平 和」(acoldpeace)には関心 を示さず, 「形式的平和」(afわrmalpeace)ないし 「空虚な平和」
(ahollowpeace)にも明確な不同意 を表明 した, という(9)0
では, さ らに広 い分野で 「平和 の質」に言及 された ことがあったで あろうか。 国連 を 中心 とす る国際社会 の発信す る重要な文書 のなか には,ただ一 ヶ所 「人間の安全保障委 員会」(commissiononHumanSecurity)の最終 報告 書 『人 間 の安 全保 障 の現 在』(Human SecurityNow,2003)に見 出す ことができる。報告書は,その第8章で, 「基本的な問題への 取 り組み」として10項 目をあげている。そ の̲第4項 に,紛争後 の状況下で, 「成功の尺 度は紛争の停止でない。それは紛争後 の平和の質である」(Themeasureofsuccessisnotthe
SecurityNow,2003:136;人間の安全保障委員会報告書 『安全保障の今 日的課題』朝 日新 聞社, 2003:254)0
こうして
,
「平和の質」 という概念は,緒方貞子やアマーティア ・セ ンがかかわ った この きわめて重要な国連 の文書 に採択 され ることによって,今 日急速 に広 ま りつつあるように 思われる(10)0B 国際的視野の中で
近年, とくに2000年秋 の国連 ミレニ アム ・サ ミッ トに前後 して,国際社会 にお いて, 従来の考 え方か らの重大な 「パ ラダイム転換」(ashi氏inparadigm)とで も称すべき,事態
の急速な展開が生起 している。
パ ラダイム転換 の第一は開発(development)にかかわる。第二次世界戦争の消耗 と衝撃 か ら回復 した先進国は,年 々の経済成長が 目標 となった。他方, アジア・アフ リカ ・ラテ ンアメリカの新たな独立国や発展途上国においては,独立 と開発がその国家 目標 とされた。
しか し,先進国の成長 といえども,大量生産 ・大量消費か ら来 る地球資源 の枯渇や環境汚 染が深刻化す るに従 い,成長のみを目標 として掲げることはできな くなった。
他方で,世界的な調整 と統治(goodgovemance)を怠 るな らば,南北の格差はます ます拡 大 してゆ く 「帝国主義的」構造の中にあることが明 らか となった (Galtung,1971)O こうし た事情 を背景に,先進国主体 の 「成長」か ら,先進国 と途上国の,放置すれば拡大する格 差 を是正するために, とくに途上国の 「開発」が重視 され るに至 った。その開発のコンセ プ トは,1987年 「環境 と開発世界委員会」(WCED)の報告書 において 「持続可能な開発」
(thesustainabledevelopment)という新 しい概念 に到達 した。その延長上にあって,この 「持 続可能な開発」をさらに新 しく更新す る概念 こそ 「人間の開発」(HumanDevelopment)であっ
原爆死か ら平和責任へ ー被爆体験 の思想化 の試み 13
たOつま り,途上国の社会的 ・経済的開発か ら一人ひ とりの 「人間の開発」,すなわち人 間の全面発達,全面開花へ と開発の焦点が明確化 されるに至 ったのである。
パ ラダイム転換 の第二は安全保障(security)の分野で生起 した。冷戦期 にはきび しいイ デオ ロギーの対立か ら互 いに核兵器 をもって対峠 した。安全保障は この時期 にはなによ り も 「国家の安全保障」(nationalsecurity)で あ り, 「核兵器 をもってす る安全保障」(nuclear security)であった。 しか し,冷戦の崩壊 とともに安全保障の概念 も大 きく転換 した といっ て いい。 人 々の安心 ・安全(security)の感 覚 には, た とえば,少女 が夜 間外 出 して も路 上で レイ プされない こと,青年たち にまっ とうな仕事がある こと,父親が解雇 されない ことな ど, ごく身近な ところでの安心 ・安全 ・安堵がむ しろ中心 的である(UNDIl1994:
23)。冷戦後 のこうした新 しいHsecurity"の 目覚めか ら,ここに 「人間の安全保障」(Human Security)という根本的に新 しい概念が登場することとなったのである(UNDIl1994)0
むすび
20世紀の二つの世界戦争,そ してその後 の核兵器 をもって対峠す る冷たい戦争 (冷戦) という苛酷な歴史的現実 に直面 して,人類社会は人間の尊厳 と権利への新 しいめざめを獲 得 した。その表現 こそ 「人権の普遍的宣言」(UniversalDeclarationofHumanRights.1948.U.N.
Doc.A/811.いわゆる 「世界人権宣言」)であ り
,
「国連 ミレニアム宣言」(2000年)であった。これ ら歴史的宣言 の中核 にあるのは,戦争 とホ ロコース トによって人 間 の 尊 厳(dignity, W也rde)が踏みにじられてきた こと, したが ってそのよ うな事態 を二度 と生起 させないた
めには,人間の基本的権利 (人権) と自由とが尊重されなければな らない, という指摘で ある。 「人権 の普遍的宣言」の前文 には, 「人類家族のす べての構成員の固有の尊厳 と,平 等なそ して他 に譲 り渡す ことのできない権利の承認は, 自由,正義および世界平和の基礎 である」("whereasrecognitionoftheinherentdignityandoftheequalandinalienablerightsof allmembersofthehumanfamilyisthefoundationoffreedom,justiceandpeaceintheworld...") と張われている。 「国連 ミレニアム宣言」の基本的価値 の優先順位 もまた同 じ精神 によっ て貫かれていると言っていい。人間の尊厳が戦争 とホロコース トの中で もっとも非人道的 に踏みにじられてきた ことを思えば,20世紀 における二つの世界戦争以後 の国際社会 に おいて, 「平和への権利」は基本的人権 の中で も中心 に位置すべきものと言 えるであろう三 人び との平和への権利が神聖な もの として宣言 され保障され,他方で人び とが 「平和責任」
にめざめてそれぞれの社会の内と外で活動するとき,社会の内外 における 「平和 の質」 は 劇的 に変化す るで あろう (図 1参照)。すなわち, 「消極的平和」か ら 「積極的平和」へ, あるいは
,
「国家の安全保障」か ら 「人間の安全保障 」へ と質的な変化が生起するであろう。そ うして 「人間の安全保障」が可能 となれば
,
「人間の開発」が未曾有 の機会 を与え られて,「平和への存在」としての人び との 自己実現が可能 となる (図2参照)。か くして, 「平和 への権利」, 「平和責任」か ら出発 して, 「平和の質」の転換 をつ うじて 「人間の安全保障」
が確保 され るとき, 「人間の開発」が可能 とな り, ここに 「平和へ の存在」 としての人間 の実存が可能 となる。それを図示 したのが図3である。これ らの図表 によって
,
「長崎にあって哲学す る」わた くしの試みは,同時に 「被爆体験の思想化」 の試み として,国際社会の パ ラダイム転換 と同調 し,それ と軌 (方向性)を一 にしている,と確認する ことができよ う。
14
平和守 任
図1 平和 の三角形
人間㌣ 存在
図
2
「平和の質」の転換‑ 国家の安全保障か ら 人間の安全保障へ‑
高 橋 真 司
平和への権利 平和責任
図
3
平和への存在‑ 国際社会のパラダイム転換の中で‑
私 は本稿 の冒頭 で, 「被爆体験 の思想化」とは広 く言 って 「被爆者がそれ によって生 き る ことのできる思想」と定義 した。 さ らに石 田忠 の 「原爆 と人間」のパ ラダイム に依拠 して,
「被爆体験 の思想化」とは原爆 が人間 に何 を したか を確定す る科学的な営 み と,人間は原 爆 に対 して何 をなすべ きか を明確 にす る思想的な営みの両者か らなるダイナ ミックな過程 で ある と述べた。そ の定義 か らすれば,上述 した 「現象学的方法 一実証主義 を こえて」 (第 3節1) は私 の方法 とそ の肥沃なモデル を示 し, 「核時代 の死 と生 ‑む ごい死 とむ ごい生」
(第
3
節2)
は 「被爆 体 験 の思想 化」 の科 学 的営 み に当た る。 暴 力死, 政治 死, 非常死, 過剰殺教,原爆地獄,等 々の どれ一つ を取 り上 げてみて も,それ らは被爆者が体験 した事 実 の新 しい概念化 ("formulationM)であった。 さ らに,「原爆死か ら平和責任へ」(第3節3) で論 じた ことは, 「被爆体験 の思想化」 の思想 的営み に相 当す る。 平和 へ の存在,平和へ の権利,平和責任,戦前責任,平和 の質 な どの新 しい概念 は,被爆地ナ ガサ キで,被爆者 とともに生き,被爆者 に学 びつつ,「長崎 にあって哲学す る」 中で定式化 された ものであっ た。 そ の一つ ひ とつ が 「被爆 者がそれ によ って生 き る ことので きる思 想」で ある と同時 に,私 たちが 「核兵器 のな い世界」(NWFW,ANuclear‑Weapon‑Free‑World,cf.Rotblateta1., 1993)を創造す るため に不可欠の思想で もある。原爆死か ら平和責任へ一被爆体験の思想化の試み 15
〔 注〕
(1) 本稿は,被爆60周年 にあたる2005年 11月12‑ 13日,統一テーマ 「原爆投下 60周年の意味を問い返す」 の もとに,長崎大学 にお いて開催 された2005年度 日本平和 学会秋季研究大会のシンポジウム 「原爆投下 と被爆体験」 における私の報告原稿 を今 日の 時点で整序 した ものである。なお、本稿は長崎の被爆者 ・市民運動 ともかかわ りがふか く、
とくに招請 をうけて、長崎の証言 の会 『証言 ‑ヒロシマ・ナガサキの声』第20集 (汐文 社発売、2006年) に概要を発表 した。
(2) 私 の 「長崎 にあって哲学す る」試みは,長崎で秋 月辰一郎 と出会 うなかで, 「長崎 には哲学者がいない」という秋 月の示唆か ら生まれた。高橋塵司 「秋 月辰一郎メモワール」
(
『証言 ‑ヒロシマ ・ナガサキの声』第20集,2006年)参照。(3) リフ トンによれ ば, 「生存者(suⅣivor)とは,何 らか の身体 的な い し心理 的様 式 で死 と接触 し, しか もかれ 自身は生 きのびた人, と定義す る ことがで きる。」(Wemay definethesurvivorasonewhohascomeintocontactwithdeathin somebodilyorpsychicfashion a
ndhashimselfremainedalive.Lifton,1967:479)他方,被爆者 とは, 「爆発 に曝 された人」
(explosion‑affectedperson.Lifton,1967:6‑7)であって,それ によって一定の傷害を負った と までは言っていないO リフ トンによる被爆者の定義は,今 日Webster'sDictionaryに登載 さ れている。
(4) 「原爆体験 の思想化」 という課題 に取 り組んだ 日本の社会科学者の業績 については、
(演谷,1994)がその輪郭 を示 して くれる。
(5) 一人が平均二人の子 どもをもつ として,単純計算す ると,あと11世代 (約330年) で,61億4400万人に達する。 この数字は,現在の地球人 ロ,約62億人に匹敵する。
(6) ガル トウングは, 「平和 の働き人」 を 「ピース・ワーカー」(peaceworker)と呼んで,
「平和活動家」(peaceactivist)という用語 を意図的に避けた.それは, 「平和活動家」(peace activist)とい うことばがナイー ヴで,非熟練の感触 を与えるか らであった(Galtung,1996:
266)0
(7) URL:http://www.wagingpeace.org/articles/0000/i984declaration‑people‑peace.htm (8) 日本平和学会の中では,藤原修氏が序論 「歴史 と平和 一戦争責任か ら平和責任へ」
の中で,沖縄タイムスの記事 に触発 されて 「平和責任」 という概念 を用 いた。内海愛子 ・ 山脇啓造編 『歴史の壁 を越えて‑和解 と共生の平和学』法律文化社,2004年,6ペー ジ。
(9) Am bassadorRavinovitchontheIsraeli‑Syrian PeaceTalks.WashingtonInstitute,January 18,1996.
(10) た とえば,次のようなURLを参照せよ。
CSP(CenterforSysteicPem ace),GlobalConflictTrends:MeasuringSystemicPeace.
httD://members.aol.com/CSPmgm/conflict.htm
16 高 橋 真 司
〔 文献抄録〕
紙幅の制約 によ り,すで に (高橋,1994,2004)の文献 目録 に掲 げた ものは出来 るか ぎ り割愛 し,必要最小限の文献のみを掲げる。
Galtung,Johan,1996:PeacebyPeacefulMeans:PeaceandConflict,Developmentand Civilization.PRIO(InternationalPeac色ResearchInstitute,Oslo),SAGEPublications.
Galtung,Johan,2004:TrTanscendandTransformIAnIntroductiontoConjlictWork.London:Pluto Press.
浜谷正晴,1996:原爆が もた らした く地獄 )と く惨苦 )に関す る実証的研究 (科研報告書) 浜谷正晴,2005:原爆体験,岩波書店
石 田 忠,1980:<原爆> と人間,一橋論叢,83‑2,原爆 ・戦争体験 と想像 力ー石田忠 名誉教授記念号, 日本評論社,所収
石 田 忠,1996:原爆体験 の思想化 ‑ 「被団協調査」・分析,(演谷,1996)所収 石 田 忠,2004:統計集 く原爆体験の思想化 ),一橋大学社会調査室,全7巻 +別巻 Jonas,Hans,1974:PhilosophicalEssaysIFromAncientCreedtoTechnologicalMan.NewJersey:
Prentice‑Hall.
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