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私の作品制作
酒 井 麻 見
二十一歳から︑各展覧会に出品し始めてからの作品︵題名・書体・サイズ・黒か淡かなど︶を一覧表にしている︒三十五年もの記録で︑これだけはちょっとした自慢である︒単なる整理のつもりで列ねたものだが︑自分史として振り返るにはとてもわかり易い︒独立展には臨書︒毎日展は一字︒日展は二字︵入選はしていません︶︒臨書は目に見えるものを追いかけ︑少字数は構成といえるものではなく︑大きい筆で半紙筆の動きに近づけることに終始していた︒ ◆「清気澄餘滓」 独立秋季展
︵平成五年︶一覧表に初めて五文字が登場した︒構成というものが何たるか手探りの状態であったが︑打開策を見出すため選んだ素材である︒一字一字で完成しないよう︑五文字が一つになるようにできるだけ直線を意識した︒子供のお稽古の合間に朱墨で随分推敲を重ね︑貫通させることに一心
だったことを思い出す︒しかし文字の懐の広さや呼吸の速度には︑思いが至らなかったようだ︒サンズイが三箇所あるが︑筆圧︑角度︑遅速の変化がなく︑特に﹁清﹂はサンズイになっていない︒しかし︑私にとって一画目は重要で︑そこでリズムが決まる必要な線であった︒遅まきながら︑意志を持って作品と対峙し作り上げていこうとした作品であった︒
◆「影團々」 第五十四回毎日書道展︵平成十四年︶
この頃﹁奇想天外﹂や﹁一触即発﹂など︑言葉の力を借り︑敢えて感覚を刺激し︑平凡でない構成を求めていた︒師貞政少登先生は︑半紙臨書のお稽古でも用筆については仰られず︑字の組み方について教示された︒﹁おまえは壊し屋だ﹂とよくお叱りを受けた︒
一行目に一字︑二行目に二字︑その頃の私にとってはかなりの挑戦であったが︑この構成しか考えられなかった︒当初︑﹁影﹂で静かに始まり︑﹁團﹂の囲いで弾けたかったが︑師から﹁囲いのある字は中をしっかり書け﹂とアドバイスをいただいた︒なかなか習得出来きなかったが︑﹁影﹂の旁で筆が捻じれ︑弾力のある線となったのが救いか・・・︒
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◆「無 二」 独立会員展︵平成十七年︶
中川一政のことば﹁画の中に呼吸しうごめいているものが芸術なのだ︒画は汚くてもよいのだ︒それよりも生きているか死んでいるかが問題だ︒﹂どんなに技術が優れていても︑心の伴わない作品は︑観る者の感情に踏み込むのは難しい︒勿論︑むやみに品を損なわせたり︑気を衒ったものが良いわけではないことは承知しているつもりだ︒ただ︑感性を磨くことは容易ではないので︑試行し無駄と思える時間を費やさなければ何も見えてこないと思っている︒攻めて攻めて︑それが独りよがりの押しつけの演技だとはたと気付く時がくる︒けれど︑そう易々と自然な演技で人を泣かすことなどできないのである︒会員展の小品制作は︑熱くなり過ぎる自分を俯瞰できる機会である︒サイズの違いは思った以上に作り方が異なると感じた︒
慌てず間を持たせた︒筆の角度を変えバネを生かし表情のある線を求めたが︑やや浅い気がする︒
◆「山 山」 独立会員展︵平成十九年︶
平成十八年︑第二の師黒田光岳先生が︑富山県書道連盟の副委員長に抜擢され︑私は事務局のお手伝いを仰せつかった︒創玄や奎星の方々との関わりが多くなり︑それまで批判的に見ていた視点が変わってきた︒創玄の強さ︑潤渇の対比︑前衛の空間の妙︑学ぶことは多い︒技術や表現では独立は決して劣っていないと強く思うが︑どうしても独立の作品は弱く見える︒
故郷の山は誰にとっても心の拠り所だ︒富山の山は︑険しい剱岳が何といっても圧倒的である︒ゴツゴツした岩肌をイメージし強さを求めたが︑荒れた小さな裏山にとどまってしまった︒
貞政先生には︑﹁言っても聞かない﹂︒黒田先生に至っては﹁気が強い﹂﹁頑固だ﹂と事あるごとに言われていた︒師の教えは素直に受け止めていたし︑逆らう気持ちはないものの︑言われたことが出来ないので反抗的に思われたのであろう︒自分では気がつかない部分を見抜かれていたのかわからないが︑言われるたびに私は強くなっていった︒開き直った︒所謂︑洗脳であったに違いない︒作品制作においては︑躊躇せず自由にさせていただいた︒お蔭で本人はストレスがないのだが︑劣等生を見放さず我慢して くださった師には︑随分ご迷惑をおかけしたという思いと︑感謝の気持ちで一杯である︒
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◆「悪人正機」 富山県書道連盟企画展︵平成二十四年︶ 百歳の天寿を全うした祖母の弔いの日のご住職のお話の中のことば﹁悪人正機﹂︵あくにんしょうき︶︒
﹁悪人こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である﹂という意味︒この悪人とは︑煩悩にとらわれた凡夫︒すなわち︑すべての衆生は皆悪人ということらしい︒おもしろい! かわいがってくれた祖母の供養と思い素材に決めた︒富山県書道連盟の企画展で︑各会派から数人選出された︒前述にもあったが︑創玄大国の富山で存在感を示すにはわかりやすい強さが必要である︒主役は﹁悪﹂︒インパクト重視で︑隷意をもった楷書で︑言葉の印象を﹁亞﹂に託そうと思った︒﹁正﹂は白を抱えたかったため草体にした︒﹁機﹂の処理に手こずったが︑静かに収めるようにした︒創玄の方々に沢山声を掛けていただいたので目的は達成できたのかもしれないが︑違う表現が出来なかったものか︒年齢︑環境︑発想︑技術で作品は変わる︒今後この素材をあたため︑また挑戦したいと思う︒
◆「五 輪」 第六十二回独立書展
︵平成二十六年︶
五年前︑オリンピックの招致合戦が繰り広げられ︑九月八日IOCロゲ会長の﹁トウキョ﹂の宣言で日本中が歓喜に湧いた︒無条件に嬉しかった︒独立展はコレ!と即決だった︒ 6×6に金文か草書︒どちらもいけると思ったが︑五輪マークのイメージから︑やはり金文の表現がぴっ構成は︑右から五輪の場合︑﹁車﹂を主役にし︑の下に収められる︒左からも悪くない︒一枚づつ︑富山独立の
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講習会に持参した時︑作品をみて﹁楽しそう﹂と言ってくださった方がいた︒純粋な喜びが形になりそうでやる気倍増であった︒書き進めるうちに︑左からの方が二字が馴染むようになったが︑﹁侖﹂の縦画の変化が乏しく迷いが生じたため︑高揚感が息切 れしたのは力不足の所以である︒師から︑面白いからといって金文を安易に書くなと言われていたが︑いかにも・・・であった︒
◆「水滴々」 第六十三回独立書展︵平成二十七年︶
一滴の水も大河も変わりがないという意味︒山には神仏が宿ると言われ︑その崇高さに人々は憧れ思いを馳せる︒水は命そのものであるし︑川を中心に生活が豊かになり街を作っていった︒自然であるので恐ろしさもあるが︑どち らも浄化する力を持っている︒6×6に金文︑淡墨で︑果てしなく広がる大河に注ぎ込む水︑雄大さとその水しぶきを表現したいと思った︒素材を決めると同時に青写真を描くのだが︑技術が伴わないと何ともお粗末なものになってしまう︒私の力量では無謀であると認識し︑行草︑黒に変えてみた︒しかし意図を明確にすることができず四苦八苦していた︒締め切りの前日︑家族が急病でもう絶体絶命︒3×8に変えた︒縦一行にし︑流れ込むしぶきを﹁々﹂で表現するしかない︒崖っぷちの状態で
あった︒サイズを変えてから数枚しか書けず︑会場では先輩にその事を見抜かれた︒けれど︑苦しかった分︑捨てきれない作品である︒
◆「臨雲海」 第六十五回独立書展︵平成二十九年︶
雑事に追われ︑目の前の事に一喜一憂していると︑空を眺める余裕がない︒それでも︑洗濯物を干す時︑夕方カーテンを閉める時︑トイレの小さな窓から様々な表情の空が飛び込んでくる︒良い事があると果てしなく嬉しさは広がり︑辛い気持ちや怒りは空にスッと紛れて落ち着かせてくれる︒空の表情は雲に寄るところが大きい︒中でも雲海は︑強さとせつなさと神秘の極みである︒﹁なぜ望雲海でないの?﹂と先輩に聞かれた︒眺めるというより向かう︑対するという気持ちが無意識に﹁臨﹂を選んでいた︒展示されてから︑﹁このサイズに縦三文字は普通は入れない︒﹂と何人かに言われた︒独立展では︑極力最大の寸法でと決めているので︑3×8か6×6︒3×8では広がりが出ない為︑6×6で構想を始めた︒一行目に﹁臨雲﹂︑二行目に﹁海﹂︒または﹁臨﹂と﹁雲海﹂︒いづれも白と黒のバランスが中途半端で全く心躍らなかった︒そこで﹁海﹂の最終画だけで主張し︑余白を圧することができないかと考えた︒両端の白が余分なものにならないよう﹁臨雲﹂はグッと押し込み気持ちを抑え︑﹁海﹂ の最終画で解放した︒会場で見ると︑無理やり押し込めた感があるし︑紙を噛んでなく訴えが弱いと感じた︒
素材に対する思いが強く︑誠心誠意魂を込めた作品が必ずしも成功し︑観る人を惹きつけるとは限らない︒むしろ気楽に書いたものが光を放つことがある︒気楽と感じていても︑墨の調子︑身体の柔らかさ︑精神状態がピタッと合っているからであ
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ろう︒しかし︑手の掛かる子ほど可愛いと言われるように︑手を掛けなかった作品はあまり可愛くない︒年間の出品点数が多くなると尚更︑作品の出来と熱情は正比例しないこともある︒
◆「無 我」 独立選抜書展
︵平成二十九年︶
選抜展のサイズは小さめなので︑独立展とは気分を変えて臨むことができる︒それまで自己流で金文作品に挑戦してきたが︑富山独立の臨書講習会で︑村松太子先生に金文のご指導をいただいた︒一日で金文を理解するには限界があるが︑金文の﹁無﹂は中でも象徴的だと感じ選んだ︒全紙縦に気負うことなく書き進めた︒﹁無﹂と﹁我﹂の造形の対比のおもしろさが︑小細工を必要としなかった︒紙がなくなったが︑墨があったので3×4に一枚書いてみると︑しっくりくるものがあった︒余力があるまま筆を置くことになった作品は珍しい︒
◆「一 轉」 第七十回毎日書道展︵平成三十年︶
平成三十年五月に母瀞苑と二人書展を開くこととなった︒多くの方々の御厚情と御尽力で︑貴重な経験をさせていただいた︒親孝行のつもりと勝手に満足していたが︑﹁個展をする甲斐性のない娘の為﹂だったらしく︑スネカジリのダメ娘と自覚し
た︒陳列が終わりいよいよ明日となった夜︑わくわくどころかもやもやとしていた︒二十五点余りの自分の作品群が思った以上にうるさく︑型通りに見えたからだ︒多彩な仕事を求めても︑人の呼吸というものはそう簡単には変わらないのだ︒古典の臨書については︑学生時代は只管書き続け︑厳しい師匠のもとでも随分やった気になっていたが︑今の私は偏食になっているのではないか︑ちゃんと噛み砕いて栄養になっていないのではないか︑見ないふりをしてきたことが歴然となった︒それでも︑多くの人の力と熱量のお蔭で︑興奮と感謝のうちに夢のような三日間が終わった︒すぐに毎日書道展の締め切りで︑脱力と放心のまま筆を執った︒﹁一﹂の位置には気を配ったが︑作為はあまりない︒中・高と学生時代︑音楽に没頭したが才能書の世界では︑素質のなさを少しでも埋めようと足掻き乍ら妥協と後悔を繰り返してきた︒スマホをタップするだけで殆どのことが解決できる現代であるが︑検索しても作品作りの答は出ない︒自分と向き合うしかない︒不安や怒り︑おごりの心を燃焼させ浄化するための手段がものを創ることだと今は思う︒今回このような機会を与えてくださったお蔭で︑作品作りの過程がいかに安易で浅いものであったか思い知らされたが︑轉﹂とまでは無理でも少しでも変われたらと思う︒
︵富山高等専門学校