鈴 木
徹*1・ 井 田 勝 己*21 .
彫刻の美しさ自然の造形物は人工の小手先の造形と異な って,長い時間の中で形作られ,悠久の語ら いを人類にもたらした.あの雄大な量感をも った山々,動勢激しい河,岸辺の滑らかな小 石や流木.どれをとっても自然はその美しさ
を教えてくれる.三次元の彫刻表現において も,いかに自然を見つめ深く感動するか,そ こから造形が始まるのである.表現とは,そ の対象物からの感動を生き生き表す事である.
彫刻は素材の扱いとそれに伴う技法と相ま って,より生命感のある量塊と構築性,マチ エールの効果などを生み出し,自然に負けな い美しさ,即ち造形の美が生まれてくるので ある.そこにはただ自然の模倣や再現ではな い現実を現実以上に現実らしく再現する,っ くり手の積極的な造形との関わりが必要にな ってくるのである.
2 .
モデリングとカービング彫刻は技法から分類するとモデリングとカ ービングの二つに大別される.石彫,木彫の ように現実の立体素材から形を掘り出してい くことをカーピング(彫造)と言い,塑像の ように粘土などで形を作り上げていくことを モデリング(塑像)と呼ぶ.
モデリングの素材は可塑性のあるもの,つ まり取ったり,付ザたりできるものでなげれ
*1すずき とおる 文教大学教育学部
*2い だ か つ み 鳥 取 県 立 境 高 等 学 校
ばならない.代表的なものは粘土による塑像 であり,その制作過程は,まず何もない空間 に何かを意識する事から始まる.そして心棒 を作り,それに粘土付けをして内部から外部 へと進み表現する.代表的な作品例として埴 輪,東大寺三月堂の月光菩薩像,などである.
カービングは,目先にある現実の立体物か ら形を彫り出す事である.木材や石材を使う 木彫,石彫がその代表的なものである.内在
された塊を求めて中へ中へ実材の抵抗を乗り 越えながら彫り進んで、いる.最後に外的な力 と材[素材]そのもののぎりぎりの競ぎ合い の末に,木・石,おのおのの形・質感が表現 される.ノミの切れ味,研磨などの地肌の処 理も材質を生かすカーピング制作のポイント
になる.ミケランジエロや円空などの一連の 作品が代表的な例である.
3 .
材 質 と 表 現彫刻を制作する上での表現の動因,つまり モチーフは,素材・アイディア・テーマなど の関連で多様な変化をもたらす.この深い変 化のある内容を伝えるため,立体表現に適し たモチーフは人体,特に裸婦が一番多く使わ れた.古くは原始彫刻ギリシャ彫刻に始まり 生命と直結する力や造形的な意味での力と力
の関係の発現として人体をとらえようとした.
人体はただ単に美しいということではなく,
頭・首・胸・腰・上肢・下肢と各部位が独立 した塊をもち,その組み立てや構築性を明確 にし,いろいろな造形思考を満たす最上のモ チーフとなるからである.また量感・動勢な
‑74 ‑
ど彫刻における造形上の必要な手掛かりを一 番多く内在させているものが人体だと言えよ
フ.
彫刻表現に適した素材は石や木・ブロンズ など,それ本来の材質によって彫刻特有の実 在感をもたらし,現実の空間存在を強固なも
のとする.だが広く彫刻の素材を求めるなら,
地上にあるすべての立体物(植物・鉱物・金 属等)が素材として対象としてならねばなら ぬはずだが,実際多く使用されている制作材 料としては木・石・石膏・粘土・象牙・臓・
ガラス・漆・セルロイド・プラスティク・セ メント・ブロンズ・ステンレス・アルミ合 金・鉄などが上げられる.
現代において科学の発達とともに制作素材 が生れ,合成樹脂やセラミック等による軽く て強いものや,また透明な素材などの特性を 生かした新しい抽象彫刻や動く彫刻,オブジ ェ等が続々と生れ都市空間や自然環境へのア プローチが試みられるようになった.
制作者がどの素材を選ぶ、かは,その素材を 生かしたよりよい表現をするために非常に重 要なことである.その材質の違いによって制 作の技法が異なったり,使用する道具もおの ずから材質に適した物を選ばなければならな い.さらに作品の効果はその材質のもつ表面 の地肌に依存するところが多く制作において は初めから特定の材質の特性を予想して進め られねばならない.例えば,手だけではどう しようもない岩石を焼きの入った鉄ノミで満 身の力を振り込んで彫っていく時,粘土では 味わえぬ実材の抵抗に出会い,ようやくその 抵抗を乗り越えた時の素晴らしさは,石を彫
った物だけに与えられる喜びである.
4 .
具象と抽象芸術は本来,我々の精神を解放し,深め活 性化する存在である.現在,我が国において 彫刻作品を設置する際に表現の形式として問 題にされるのはせいぜい「具象と抽象」かと
いういささか乱暴な分類にすぎない.
「具象」という言葉の定義は作品を通して 見た者に元のモデルの存在を推量させ得る作 品ということになろうか ブランクーシやヘ ンリー・ムーアのように写生から出発して彫 刻的な要素を抽出し整理して表現するものも あり,具象と抽象の限界「領域概念」は暖昧 である.
具象か抽象かという分け方自体,本質はそ れほど単純ではないが,それなりに定義する と,抽象とは元の形から構造的・印象的な点 だけを抽出したもの,あるいは幾何学的な形 態を構成したもの.それから,オブジェのよ うに材質の持つ意味を強調した作品などが含 まれるとする.一方具象とは,写しとった元 の形が具体的に指摘可能なもの,と定義して おこう.
一時期,工業技術への信頼が高く高層建築 や高速道路に代表される未来型都市空間がも てはやされた時代には,それにマッチする抽 象彫刻が全盛を極めた.抽象作品は現代的空 間ばかりではなく,広大な自然の中に置かれ た時,意外に強烈な存在感を主張することも 箱根彫刻の森美術館や美ケ原高原美術館の展 示などからよく知られている.しかし今日,
都市を歴史的な実態として捉え直そうという 空気が強まるにつれて江戸の町屋や明治・大 正期などの残存建築物を足掛かりとして,一 種の「擬古態」とでもいうべき街作りが流行 してくるとそれに相応しい懐古の情を醸し出 す具象彫刻も復調めざましいものがある.
5 .
野外空間に彫刻は必要か?近年,都市基盤の整備が進行するのに伴っ て都市空間の質的な充実を求める声が高まっ てきた.こうした機運の中であちらこちらの 都市で一種のブームと呼んでも差支えのない ほど盛り上がりを見せている野外に記念碑や 彫刻・壁画などの美術作品の設置活動がある.
こうした流行の下地として欧米の都市を訪れ
た多くの人々が広場や街角に設置された彫刻 作品に接し感動と'憧れを抱いて帰ったことが あげられる.
モニュメントや修景彫刻などが都市作りに いかなる形で結び付くのか,またなぜ必要な のかという根源的な問題は等閑に付せれたま まで流行現象への安易な迎合として普及して きた傾向も見られる.
野外に彫刻を設置する場合,その目的は 様々である.モニュメントや彫刻の存在は設 置された場合の,又,その時代の社会や思潮 を象徴している.例えば,エジプトやメソポ タミア等の古代国家にあっては,神や帝王の 権威の象徴として表現されたし,中世キリス ト教社会ではイエスや聖職者の奇跡が宗教説 話として表現された.近世では権力者の肖像 が専ら幅を利かせ,近代になると芸術家や科 学者などの人間の能力への讃歌が歌い上げら れた.
2 0
世紀に入ると抽象彫刻が登場し,都市空間のモニュメントの様相は大きく変わ る.林立する巨大な都市構造物の谷間にあっ て,彫刻はそれ自体が無期的な都市空間への 人間性の代弁者としての役割を担うことにな
ってきたのである.
彫刻とは芸術作品であるという当たり前に して難解な問題である.この点がともすれば 忘れがちで,子供が玩具や菓子を欲しがるよ
うに一見おもしろく口当たりのよい物を安易 に設置してきたきらいがある.本物の芸術作 品はどこかに牙を秘めた猛獣であり,よく効 く薬と同様に社会や常識に対する毒を含んで いる.それでなげれば,芸術を名乗る資格は ないと言っても過言ではない.
明確な意識と価値規準を持って彫刻の設置 運動を進めているところもあるが,それはむ しろ少数で多くは子供が玩具を欲しがるよう な単純な動機から発したり,周囲の顔色を伺 いながらおずおず、と踏み出し始めたところで ある.最も始末の悪いところでは,広場があ るから彫刻を置くといった類型的な街作りの
方法として何の疑いもなく類型的な作品を設 置するタイプである.
我が固においては
1 9 7 0
年代の後半から8 0
年代にかけて再度に渡るオイルショックによ って過熱気味の列島改造熱に冷や水を浴びせ られた.その頃の経済事情の中で街作りを進 める多くの自治体の中では限られた他予算の 中で独自性をアピールするために彫刻作品の 設置は格好のものであった.r
彫刻のある街づくり
J
と言う言葉が流行し始めた.バブルが崩壊した今,バブルの時の身近な ありふれた物の価値を見直す契機となり,自 然環境と人間の生活に伴う行為の関わり方を 考え直すまたとない機会となった.
厳しい経済環境の中で本当に必要な都市環 境整備の手法,また過剰とならずに遠い未来 に向けて価値の減衰することのない社会資本 の在り方を本気になって考えなげればならな い時代である.
6 .
野外彫刻のいろいろ野外に彫刻を設置する目的としては 4つの 理由が考えられる.
①記念碑彫刻 ②修景彫刻
③装飾的彫刻 ④実用的彫刻
これらの目的は,単独で存在するとは限ら ず複数の目的を兼ね備える場合が多い.
記念碑彫刻とは人や事跡のモニュメントと して,あるいは思想が理想、のシンボルとして 又,地域の歴史や伝説などアイデンティティ 形成の象徴として,そして民話や歌謡などに まつわるアイドル的な位置づけ等を目的とす る彫刻である.野外における彫刻作品設置の 動機として圧倒的に多い物は記念碑としての 彫刻である.時代の思潮は移り変わってもモ ニュメントは残る.その時にそのモニュメン トの存在を支える価値は,芸術的な価値だけ である.どの様な目的で設置するモニュメン トであっても,都市の施設として景観にふさ わしい芸術的価値を有する作品を設置するこ
‑76 ‑
とを必須の条件として認識する必要がある.
これは,記念碑彫刻ばかりでなくあらゆる目 的で設置させる彫刻の共通の条件である.
修景彫刻は街路や広場,公園,庭園の点景 としてあるいは,噴水と一体になった彫刻と して修景効果を期待する物などである.展示 のパターンは広場の中央に記念碑的に設置す る物,一般道路や遊歩道の路側に一定の間隔 でリズミカルに設置される物,造形物を散在 させて場としての景観を形成しようと試みる 物, ドームや,アトリュームなど因われた空 間の中で空間そのものを三次元的に利用する 方法などがある.
装飾彫刻としては建築のブアサートや屋根 橋梁,門等の構造物の装飾として用いられる 物である.ヨーロッパ,あるいは園内を間わ ず,伝統的な建築には具象彫刻に数多い.そ れによって彫刻は発展をとげる.しかし,建 築の隷属的な立場から装飾的な位置づけを嫌 う傾向がある.一方において機械的で幾何学 的なモダニズ、ムへの反省からより人間的な空 間を求めて,アール・ヌーボ,アールデコな どの世紀末の様式への回帰がみられる中で,
装飾的な要素の見直しが盛んになってきた.
実用彫刻としては,ストリート・プアニチ ャー,囲壁,公園の遊具等として用いられる 物である.芸術至上主義的な視点、から見れば 実用彫刻は邪道であるが,施設のデザインに よりレベルの高いセンスと人間的な温かさが 求められ,造形デザイナーや彫刻家に対して 都市の施設づくりへの参加の期待が高まって
いる.
7 .
彫刻はどの様に購入されるか 彫刻の収集の機会と方法としては一つには イベント購入というか,自治的,及び関連自 治体,あるいは民間団体等の主催するイベン ト(展覧会,シンポジウム等)を通じて購入 する.展覧会では当該自治体の首展の賞をあ らかじめ設定して置き,賞金と引き換えに作品を手に入れる.地域関連の企業や団体名の 受賞作品の寄贈を受ける事もある.シンポジ ウムの場合は主催者が会場費,資材,滞在費,
制作費,旅費を負担し会期中に完成した作品 の提供を受ける.
これらに対して,特定の作家,グループに 設置の意図,環境,予算等条件を設定して製 作及び設置を委託する方法がある.又,コン ペティションによる指名又は公募による企画 提案して競技する方法がある.
なかでも,シンポジウムは,コンペティシ ョンと共に戦後日本の野外彫刻に早くから大 きな役割を果たして来たといえる.幾つかの 例を検証しながら,彫刻シンポジウムの意義
と問題点をこれから探って見たいと思う.
8 .
彫刻シンポジウム日本の現代野外彫刻を語る上で重要な動き としてコンクールとともにシンポジウムの存 在も無視することは出来ない.
そもそも彫刻シンポジウムとはどういった ものであるかを述べることから現代日本の野 外彫刻とシンポジウムとのかかわりについて 触れていくことにする.
シンポジウムの語源は古代ギリシャ語の
symposion
からきており本来は哲学などの 知的な談論を興じた祝宴などをさしているが,そこから英語の
symoposium
談話会,討論 会の意になっている.彫刻シンポジウムは,基本的には作品を制作しながら,彫刻家どう しが互いに談論を興じ理解を深めあう場と考 えることができる.一般的に使用されている シンポジウムという言葉からうける誤解を避 けるために公開制作を中心とする形式で,ワ ークキャンプ等といった呼び方で,シンポジ ウムという言葉を使用しない方向も出てきて いる.
世界で初めての彫刻シンポジウムは,オー ストリアの彫刻家カール・プランテルの考え から生まれたものである.
1 9 5 7
年にカールプランテルが,プルゲンランド州政府から,
オーストリアとハンガリーとの国境に位置す る境界石の制作依頼を受けてオーストリアの ある採石場で制作をした.その採石場は,彼 にとっては新しい制作環境であり,その大き な空間が持つ質の高さや可能性を感じた.と いうのは,それまでの制作環境が室内,つま りアトリエの中であったが,この新しい空間 が彼に大きな刺激となった.広々とした,何 も取り固まれることのない空間に彼は自由を 感じた.また太陽の輝きや太陽の動きを知る こともできた.制作をしているとき,風が石 の粉や挨を運び、去ってくれた.
この様な体験から,美術学校もこの様な野 外での制作を取り入れるべきだとカール・プ ランテルは考えたが,美術学校は彼の考えに 興味を示さなかった.しかし自分が体験した ものを自分だけのものにしておきたくなかっ た彼は,他の彫刻家と共に同じ体験をしよう ということで,一緒になって制作する意志を 持つ彫刻家を募り,また制作に必要な資金を 集めるために関係官庁を訪ねた.
こうして2年後の1959年に,オーストリ アのサント・マルガレーテンの前述のような 体験を得た同じ採石場を会場として第 1回彫 刻シンポジウムを開催するに至ったのである.
シンポジウム実行委員会の数人のメンバーが ヨーロッパ中をまわり,彫刻家のアトリエを 訪ねて直接に作家たちと話をしたところ,こ の企画に感動した作家,
7
ヶ国1 1
名の作家 が参加した.参加した彫刻家たちは,同じ時間に,同じ 場所で共に制作することにより,それぞれの 制作技術の可能性を実際に見て学ぶことが出 来たし,また夜は夜で昼の仕事についてディ スカッションをすることができたのである.
参加作家
1 1
名がそれぞれ1 点づっ 1 1
の作品 を制作し,そして興味深い事に,参加作家の すべてが,ある同じ考えに到達した.それは,野外制作が美術史上では普通の事であり,本
来あるべき姿なのではないかということだっ た.例えばミケランジエロなどの大巨匠の仕 事場も似たような仕事場だったのではなかろ うか.あるいはもっと古くは,エジプトのピ ラミッドやギリシャの寺院が彫刻家の仕事場 であったので、はないだ、ろうかということであ った.
そしてこの世界初のシンポジウムに参加し た作家たちは,自分の国へ帰ってからそれぞ れ彫刻シンポジウムを開催することになる.
翌1960年ドイツでその翌年1961年にはユー ゴスラヴィア,イスラエル,さらにチェコス ロパキア,ポーランド等で次々と開催された.
中でもユーゴスラヴィアのシンポジウムは,
日本人が初めて参加した国際彫刻シンポジウ ムでもあった.そしてこの彫刻シンポジウム という大変ユニークな動きは,世界各国の彫 刻家に受け入れられていった.基本的にはカ ール・プランテルの考えをベースにしてそれ ぞれの作家あるいは国々によって改良がなさ れ色々な形のものが現在開催されている.東 京オリンピックの前年1963年には日本でも 神奈川県真鶴・道無海岸で,世界近代彫刻日 本シンポジウムが朝日新聞社主催によって開 催された.参加作家は,木村賢太郎,鈴木実,
野水信,本郷新,水井康雄,毛利武士郎,カ ルディス,クーチェリエ,シニョーリ,イヴ マン,ポンセ,リプシの
1 2
人であった.海 岸に思い思い陣取った彫刻家たちが真っ黒に 日焼けした裸身に汗を浮かべて巨大な石に挑 む姿には,やがて野外彫刻時代を予感させる ものがあり,日本の彫刻家たちに一つの刺激 を与えた.出来上がった作品は新宿御苑で展 示され,その後代々木のオリンピック会場に 飾られた.続いて 1968年には,山口牧生,増田正和,
小林陸一郎の3人で小豆島で石彫シンポジウ ムを企画し全国に呼び掛け,自費自弁での参 加を訴えたところ,北は秋田,南は宮崎から 40数名もの参加者があった.しかし,これ
‑78 ‑
らのシンポジウムはどちらかといえば彫刻家 の作品制作を中心としたシンポジウムであり,
現在日本で行われているシンポジウムとは 少々内容的に違っている.
只,野外に彫刻を設置するという行為と野 外で作品を公開制作するといった行為が連動 して,日本の地域社会,又行政そして都市開 発に影響を与えたのは事実である.
日本での彫刻シンポジウムには大きく分け て3つの要素がある.第一は,彫刻家たちに 制作場を与えることによって彫刻,特に野外 彫刻の彫刻としての造形的な可能性を追求す ること.第二に社会教育的な側面である.作 品を制作する場合,公開制作することにより,
一般の人々が普通あまり目にする事の出来な い彫刻の制作過程を見せる事によって,彫刻 への関心や理解を深めさせ,人々により身近 なものと感じさせることができる.第三は,
都市計画的側面である.最終的に完成した作 品を街の広場や,通り等に設置していく場合,
都市空間,環境と言ったものを見すえた上で 設置が行われないと,彫刻公害となってしま
う危険性が高い.
現在,日本では毎年全国各地での彫刻シン ポジウム開催箇所は,かなりの数に上ってい る.15年程前までは,全国で一年に2,3ケ 所しか開催されていなかったものが,近年あ
る意味では爆発的勢いで増えていると言って も良いであろう.内容的には,どのシンポジ ウムにも共通していることは,街づくり,又 は街の活性化の為の
1
つの手段として開催さ れているケースが多い.コンクールと同様に「彫刻のある街づくりjと言った形や地域産 業にかかわるものもある.例えばその地域で 石材が産出されるのでその石を使って彫刻を することによって,地域産業のイメージアッ プをねらったものもある.又,特殊な例とし て美術館主催のものもあり,こちらは,野外 彫刻美術館設立のために作品収集が目的にな
っている.
彫刻の素材として石を使うケースが多いが,
これは,シンポジウムの要素のところで述べ た公開制作と多いに関係がある.現実的に公 開制作が最もしやすいのは,石彫である.金 属等では危険が伴うしかなりの費用が必要と
なってくる.
シンポジウムの初期の段階では,先にも述 べたように作家の為の彫刻シンポジウムに近 いものであった.
9 .
八王子彫刻シンポジウム八王子彫刻シンポジウム
( 1 9 7 6
年から開 催,2
年ごとのビエンナーレ方式で行ってい る.)のように,長期間1 0
年以上同じ都市で 開催するようになって来てから様子が少しづ っ変わっていた.八王子市の場合2
年毎に開 催したわけであるが,そうなると八王子市民 は2年毎にシンポジウムを見に行く事が出来 るのである.初期のシンポジウムはどれも単 発的なものであったため,一時的に一般の市 民から注目されたとしてもそれが理解され浸 透して行くところまでには行かなかった.八 王子市の場合長期間にわたって同じ場所で何 度もシンポジウムを開催したことや,シンポ ジウムに一般の市民も参加出来るようにと,林間彫刻教室を開いたことに大きな意味があ る.林間彫刻教室とは,シンポジウムの聞か れている期間の数日をさいて,シンポジウム に参加している作家の指導によって,
5 0
セ ンチ立方の大谷石を一般市民の人たちに彫っ てもらい作品にしていくという内容のもので ある.この事によって市民と彫刻,市民と作 家とのコミニュケーションがより一層円滑に なったようである.1 0
年間で小学生から8 0
歳の老人まで延べ2 0 0 0
人の参加者があった.長期間にわたってシンポジウムを開催する ことが出来た一つの理由はシンポジウムの中 に市民を参加させ,行政側にその目的を理解 してもらい企画,開催をし連携をとりながら 計画的に行ったためであろう.又,石彫シン
EI:;;!ド EこeI5(:;1" ξ§ 三主主宮原彰講習』シニノ~ジウぷ司、
年 シンポジウム名
196 3 *世界彫刻日本シンポジウム (8本初・神奈川県・英首) 1 966 本第1回書ヶ峰シンポジウム
196 7 耳障第Z回読ヶ峰シンポジウム
1 968 *第1回青年彫刻家シンポジウム{小豆島〉
1 969 本第2回青年彫刻家シンポジウム{款問県) 本国際鉄鏑シンポジウム(大阪〉
1 970 * 稽 広 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム (. 7 3まで毎年開催〉 *郡上八幡膏年彫刻家シンポジウム 1 9 7 1
1 972 * 小 豆 島 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .72
197 3 * 岩 手 町 石 彫 シ ン ポ ジ ウ ム .7 3 (以後毎年開催・現在に至る〉
*第1回紀伊長島彫刻シンポジウム
*甲山森林公園石彫シンポジウム
* 小 豆 島 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .7 3 1 974
197 5 *第1目盛岡彫刻シンポジウム〈以後毎年開催・現在に至る〉
197 6 本第 1 回八王子彫刻シンポジウム{以後隔年開催・現在に ~Q)
197 8 * 諏 訪 湖 国 際 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .7 8
197 9 *第1国松坂彫刻シンポジウム (1983年 ま で 毎 年 開 催 ) 198 0 *第2回記伊長島影刻シンポジウム
1 9 8 1 *薮国際彫刻シンポジウム
*
2 1世紀の都市デザインを考える全国シンポジウム「広場と録と彫刻とj 198 2198 3 *国際彫刻シンポジウム(川崎)
1 984 *向車国際彫刻シンポジウム *現代彫刻シンポジウム{琵琶湖)
*大宮彫刻シンポジウム 1 985 *筑波国際環境造形シンポジウム *大月国際彫刻シンポジウム 1 986
* .
8 6石彫シンポジウム in播麿・新宮 (19 9 5年まで毎年間鍛) 198 7198 8 * 米 子 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .8 8 (以後隔年開催・現在に至る〉
*第1回現代彫刻美術館シンポジウム
( . .9 3・.9 4を除き以後周年開催・現在に至る)
* 美 濠 加 茂 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム (. 8 9年も開催}
* .
8 8那 須 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム 198 9 * 仙 台 国 庫 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .8 9* 石 に 道 ・ 池 田 彫 刻 シ ン ポ ジ ウ ム .8 9 (以後毎年開催・現在に歪~) 本笠岡石彫シンポジウム〈以後毎年開催・現在に至る)
*国際野外彫刻シンポジウム碧南 199 0
1 9 9 1 *第1回関ヶ原彫刻シンポジウム
199 2 199 3
1 994 *第2回関ヶ原彫刻シンポジウム
図1 日本における主な彫刻シンポジウム年表
‑ 8 0 ‑
写真 1 米子彫刻シンポジウム〔夏休みこども彫刻教室〕
写真 2 米子彫刻シンポジウム〔夏休みこども彫刻教室〕
ポジウムの基本的な作家に対する対応は,次 の通りである.作家についての交通費,シン ポジウム開催中の生活費(宿舎も含む),又 材料費等そして作品の制作費(作家への期間 中の拘束費としているところもある)は,主 催者側が負担する.完成した作品の所有権は 主催者側のものとなる.といった内容のもの である.
八王子市の場合,問題になったのが完成し た作品をどう設置して行くかということだっ た.しかし,このシンポジウムは,彫刻にあ る意味で地域の中で一つの社会性を与えた意 義は大きい.初期の彫刻シンポジウムがそう であったように八王子市の場合も「彫刻によ る街づくり」と言う目的はあったものの,基 本的には作家に彫刻を制作するチャンスを与 えるといった要素,つまり,さきに述べた彫 刻シンポジウムの三つの要素の内,ーと二の 部分が中心となってしまった部分が強い.し たがって彫刻が設置された場合が自転車置き 場のような状態になってしまったところもあ る.全てがそのようになった訳でもないが,
作品設置についての基本的な計画が,しっか りと煮詰められていなかったようである.し かし,八王子市の場合,何度かシンポジウム を開催するうちに次第に改善されていた.
1 0 .
米子彫刻シンポジウムここで,著者達共通に参加経験のある米子 彫刻シンポジウムについて少々触れて見たい.
第
1
回が1 9 8 8
年に開催された訳だが,最初 に彫刻シンポジウムを企画した段階で,市役 所関係者を含めて市民のほとんどが,その名 称すら知らないという状態であった.そこで 半年から一年近い時間をかけて少しずつ理解 者を増やしていくことから始まった.第 1回 目の彫刻シンポジウム開催の折には市側から は予算的な援助は皆無であった.開催に必要 な予算約1 0 0 0
万円は,全て市民の募金によ って賄われ,まったくの市民運動としてはじまり,実行委員会組織も個人個人の集まりに しか過ぎなかった.実行委員会の中心的存在 であった友松康雄(元教育長兼美術館館長) を先頭にして,委員会のメンバー全員が手弁 当での活動であった.これは,他の彫刻シン ポジウムでは例をみないものであった.実行 委員会発足当初,最大の課題であった募金も,
関係者の努力と一般市民の支援でほぼ予定額 を達成することができた.また機材の提供,
ボランティア活動等物心両面にわたりご支援 ご激励をいただいた方々は,相当数に上り,
期間中の見学者は花火大会もあってか
1 5 0 0 0
人を数えるなど,まさに市民ぐるみに盛り上 がった一大イベントであった.関連イベント の[夏休みこども彫刻教室] まちづくりと 彫刻"をテーマの[パネル討論会][写真展]も有意義に終わることができた.さらにこの イベントがすべて市民サイドで行われ,関係 者は長期間手弁当で献身的に活躍したことは 特筆すべきことである.確かにある一面では,
成功であった.
しかし,米子市の場合も八王子市と同様に 作品設置に関して問題が起きた.彫刻シンポ ジウムを開催する前,事前に米子市の都市計 画課と実行委員会と作家との三者によって作 品設置に関しての話し合いが行われ,設置候 補地をある程度まで絞りこんだが,決定する ところまでには至らなかった.結果的に彫刻 シンポジウムが,終わってから再度話し合い がもたれたが,作家側と都市計画側との意見 が,なかなか合意せず全部の作品を設置する のに半年余りも掛かった.都市計画課側もこ の様な体験は始めてであった為に,その対応 について大変苦慮、したようである.
その様な事があったので,二回目の彫刻シ ンポジウムからは,米子市側のほうから都市 計画に基いた長期的な彫刻設置プランが実行 委員会と作家側に前もって呈示された.その 事によって作家側も,作品の設置環境を具体 的に知った上で制作できるようになり,設置
‑ 82‑
作業もスムーズに行われるようになった.見 方を,変えるとこれは,オーダー・メイドに 近い形で作品を制作している事になり,彫刻 公害等といった現象が最も起こりにくい形式 であろう.
11 .
サンタト・ヴェンデル「彫刻の 道」国際彫刻シンポジウム1971年から約20年近く行われた,旧西ド イツ,サンクト・ヴェンデル「彫刻の道
J
国 際彫刻シンポジウムの場合は,環境と彫刻が うまくマッチしている例として上げることが できる.都市計画による大規模な工事の際,地中より取り出された数10個の巨大な石灰 質の自然石(玉石)を町から郊外の湖に通じ る約
30Km
の道のポイントごとにおいてい った.その道は,I
中世の十字軍が,国境を 越えてヨーロッパの各地へ行軍したjと言わ れる中世から町に残る歴史ある道である.先 に述べた地中より取り出された石を彫刻の素 材にして,現代作家によって制作することで,新たな文化を誕生させようとする試みのもと 企画,開催されたものである.彫刻家レオ・
コロンプルストのオルガナイズ、で,開催費用 は,サウルランドチ卜!とサント・ヴェンデル市 が負担した.世界各国の
2 . 3
人の著名な作家 (作家はコロンプルストの独断で選ばれてい る)を数年ごとに招き公開制作と言う形式で 行われた.参加作家は,数10メートルから 100メートルの間隔に置かれている素材とな る石を運ぶ.このことは,同時に制作をする 環境も選ぶことになる.基本的には,作家は 作品設置現場で作品を制作する訳である.こ の段階で作家達は,自らの仕事と環境につい てかなり深く考えなければない.作家達は自 分のペースで制作現場に通い,あるいは,テ ントを張って3ヶ月から 6ヶ月,長い場合は1
年近くそこで暮らしながら作品制作に取り 組むのである.広々とした牧草地の中を走る 道での制作は,通り行く人々と作家との聞に,ゆっくりと流れる時間の中で様々なコミュニ ケーションが生まれる.
この道は,普通は農道であり,又散歩道で もある,そこに住んでいる人々にとってごく 普通の生活道路である.設置された作品は,
その環境を充分に考えたものであるだけに周 囲に溶け込んでいる.それは,モニュメンタ ルなものではなく又,美術館の延長線上にあ る物でもなしただそこに住んでいる人達の ものである.
1 2 .
彫刻シンポジウムの問題点 日本では1963年以来今日まで33年の彫刻 シンポジウムの歴史があるわけだが様々な問 題点を指摘することができる.第一の問題点として日本での彫刻シンポジ ウムには大きく分けて
3
つの要素があると,前に意に述べたが,第三の要素つまり都市計 画的側面に関してはかなり注意深く取り扱わ なければならないと考えられる.
今日の日本における彫刻シンポジウムの運 営の主体は,そのほとんどが行政主体型のシ ンポジウムであり,行政主催型のシンポジウ ムの場合ややもすると,形式のみを利用して,
都市計画上のからみとあわさって彫刻を安価 で購入できる一つの手段としてしかシンポジ ウムを考えているものも最近になってでてき だしている.かりにこのような事が多くなれ ばシンポジウムの本来の目的から大きく逸脱 していくに止まらずシンポジウムそのものの 存在が危ぶまれると考えられる.
また開催期間の事であるが,日本での場合 ほとんどが作品を完成させることを前提とし ており,
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週間から5
週間の制作時間で開催 されることが多いため作家にとって時間と体 力との戦いといった感が強く,地域やその環 境をじっくり考える時間がない.はたして,この時間内で作品を作家自身が満足のいくレ ベルに到達するかどうかは疑問である.又通 常,作品のレベルのみを考えた場合は,むし
ろ,シンポジウムといった青多式をとるよりも,
作家自身の仕事場において制作をしたほうが,
満足のいくレベルに到達する可能性が高いと 考えられる.
彫刻シンポジウムという形式の中で彫刻と しての造形的な可能性を追求することを中心 とする場合,必ずしも作品を完成させること を,目的とする必然的な理由はないように感 じられる.
第二の問題点、として,これは日本だけでは ないが彫刻の素材として使われる材料が石に 偏り過ぎてしまい多用性に欠ける.例外的な 例は幾つかはあるが,ほとんどのシンポジウ ムが石を素材としているため,やや短調であ り,造形性上その可能性や広がりを,狭くす るきらいがある.
第三の問題点として,あくまでも作品を完 成させることを前提とする場合であるが,都 市計画的側面を考え合わせながら,作品の制 作,あるいは設置などを考えることによって,
彫刻としての新たな可能性を探ることができ ることもシンポジウム一つの目的となりうる が明快なビジョンを示しているシンポジウム は,多くないように感じられる.またメンテ ナンスに関しても同様である.設置に関して は,幾つかの行政団体では,様々な工夫がな され改善方向に向かっているものの,問題解 決には,まだ多少の時間がかかりそうである.
メンテナンスに関しては,ほとんど手付かず、
と言った状態である.又,都市計画段階のコ ウディネーターやアートディレクタ一等の人 材養成も必要となってきている.
ヨーロッパなどの様な野外彫刻の伝統が,
あまりない我が国では,大変なことではある
が行政,民間を問わず環境と彫刻の関係を真 剣に考えなければならないであろう.
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彫刻シンポジウムの意義以上シンポジウムに関する問題点、を幾つか あげたがコンクール等と比べて作家に対する 負担は,極めて少なく,又作家に制作の場を 与え,彫刻に対する考え方を拡げたことは意 義深いものである.又,作家を育成していく 上で有効な方法であると言える.その一方で,
公開制作や彫刻教室等を通して一般の人々が 作家とのコミニュケーションをとる中で彫刻 の理解を深めると言った社会教育的な動きは,
野外彫刻が社会に受け入れられていく基礎を 作るものである.シンポジウムの社会的意義 は,まさにそのことに尽きると考えられる.
その様なことを考えてみると,シンポジウム といった形式は芸術における社会教育の場と しては有効な手段である.しかし,野外彫刻 が社会に受け入れられていく基礎を作るもの であるという観点、から考えると,シンポジウ ムはを一定の回数行ってその目的を達成した 場合は同じ開催地での長期間(多くの回数) の開催は,すべきではないと考えられる.結 果的には都市計画と無理に結びつけないほう が賢明だと考えられる.
参考文献
・米子彫刻シンポジウム報告書米子彫刻シ ンポジウム実行委員会
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年‑昭和の文化遺産第
5
巻 ぎょうせい1 9 8 9
年‑ 彫 刻 本 田 貴 侶 開 隆 堂 ,