高 校 化 学 教 科 書 の 問 題 点(皿)
浜 田 圭 之 助
長 崎 大学 教 育 学 部 化 学教 室 (昭 和55年10月31日 受 理)
Some Problems in High School Text Books of Chemistry (m)
Keinosuke HAMADA
Department of Chemistry, Faculty of Education, Nagasaki University, Nagasaki 852
(Received October 31,1980)
Problems concerned with high school text books of chemistry and reference books for the study of chemistry have been raised by the present author1-3) . A couple of problems are newly added to them.
高 校 化 学 教 科 書 に お け る 問 題 点 に つ い て は,す で に 述 べ た と こ ろ で あ る が1〜3),最 近 更 に, 二,三 の 重 要 な 問 題 点 に 気 が 付 い た の で,そ の こ と に 触 れ て み た い 。
1,状 態 量
「状 態 量 は 系 の 状 態 だ け で 決 ま る の で,状 態 量 変 化 は 始 め と 終 り の 状 態 だ け で 決 ま り, 変 化 の 径 路 に は 無 関 係 で あ る 」。 以 上 が 状 態 量 の 定 義 と し て,普 通 云 わ れ て い る と こ ろ で あ る 。 と こ ろ で,状 態 量 の 代 表 的 な も の と し て 内 部 エ ネ ル ギ ーEが あ る 。 い ま あ る気 体 の 一 定 量 が, 圧 力P1,体 積V1,温 度T、 の 状 態 に あ る と す る 。 系 の 状 態(構 成 す る 物 質 の 種 類,量,系 の
温 度,圧 力,体 積)が 決 ま っ て い る の で,此 の 系 の もつ 内 部 エ ネ ル ギ ーE、 は 決 ま る 。 何 と な れ ば,こ の 系 の 内 部 エ ネ ル ギ ー は,気 体 分 子 の 持 つ 運 動 エ ネ ル ギ ー と 分 子 間 の 位 置 エ ネ ル ギ ー の 和 で あ る の で,状 態 が 決 ま れ ば 一 定 で あ る こ と は 明 ら か で あ るPt1)。 と こ ろ で,始 め の 状 態 (P1,V、,T、)か ら 終 り の 状 態(P、,V、,T,)に 変 化 す る と き,終 り の 状 態(P、,V2,T、)は 決 ま っ て い る の で,状 態 量 の 変 化 は そ の 変 化 の 径 路 に 無 関 係 で あ る と い う が,こ こ の と こ ろ が 分 り に く い の で あ る 。 あ る 変 化 が あ っ て 終 り の 状 態 に な っ た と す れ ば,終 り の 状 態 が 決 ま る の は 当 り前 で あ る 。 決 ま ら な け れ ば 変 化 は 終 結 し て い な い は ず で あ る 。 こ の 定 義 に よ る と,体 積 変 化 に よ る 仕 事 量PVの 変 化 も,始 め の 決 っ た 状 態(P、,V1,T、)か ら 終 り の 決 っ た 状 態
(P,,V,,T,)へ の 変 化 で あ る の で,変 化 の 径 路 に よ ら な い こ と に な り 仕 事 量PVも 状 態 量
38 浜 田 圭之助
になるはずである。ところが事実は,体積変化による仕事量は状態量ではないのである。つ まり「状態量変化ははじめと終りの状態だけで決まる」という定義と相矛盾するのである。エ ンタルピー H−E−PV が状態量である理由として,E,P,Vがすべて状態関数である からと述べている本がある。このような間違いを犯すのも,状態量の定義が分り悪いせいでは ないかと思われる。そこで筆者は,状態量の定義を次のような表現にすることを提案するもの である。r状態量は変化の径路にかかわらず保存される量である」と。この定義の妥当性につ いては,溶解熱と関連してのべる。
2.吸 熱 溶 解
たとえば,Na2CO3・7H20やCuSO、・5H,0を水に溶解した場合,これ等溶液の温度は下 がる。これを吸熱溶解と云うわけであるが,溶液(系)の温度下がるのであるから,この溶 液系の熱(エネルギー)が,別の系に吸収され 撹拝棒 たということであろう。それでは熱を吸収する 系とは一体何であろうか。考えられるのは外 界(大気)しかない。しかし,対象の系を図1 のように完全に外界と絶縁して,容器中の結晶
絶 を水中に落下させ溶解した場合も,溶液の温度 縁物結晶は下る。すなわち,外界に熱を吸収されなく
ても温度は下る。このことをどのように説明し たらよいのであろうか。結晶が水にとけると き,結晶(の系)が水(の系)から熱(エネルギ ー)を吸収して,結晶粒子が水中に分散して溶 液になる。すなわち,結晶は水から熱を吸収す るので水溶液の温度は下がる,と説明する人も あるが,始めは結晶と水は別の系であるが,溶 図L 絶縁系での溶解 解後に均一相となるので,溶液相から別の相へ の熱の授受はない。
内部エネルギーは,系を構成している粒子の運動エネルギーと粒子間の位置のエネルギーの 和である*1)。結晶について云えば,結晶粒子間の位置エネルギー(結合エネルギー,あるい は格子エネルギー)と振動エネルギーの和であり,水について云えば,H20の運動エネルギ ーとH,O間の位置のエネルギーの和である。結晶が溶解するということは,結晶が水からそ の熱エネルギー(運動エネルギー)を貰って,結晶粒子がバラバラの状態になることである。
水から見れば,運動エネルギー即ち熱エネルギーを奪われたわけであるので,その温度は降下 する。結晶と水を別々の系と考えれば,結晶は水から熱を吸収することになる。しかし問題は,
水溶液系の温度が下ったということであるので,結晶の系と水の系別々の問題ではない。エネ ルギー的に考えれば,水の持つ運動エネルギーが結晶粒子をバラバラにするのに使用され,そ の結果,結晶粒子およびH,Oの分子の持つ合計の内部エネルギーは変わらないが,内部エネ ルギーに占める運動エネルギーの割合が小さくなったということなのである。この関係を図 2に示す。以上のように水溶液系として見るとき,他のどの系からも熱を吸収されていないの である。したがって,吸熱溶解ではなく温度低下溶解と呼んだほうがふさわしい。ここでなお 疑問が残る。すなわち始めの系(結晶と水)の内部エネルギーと,終りの系(水溶液)の内部
温度計
モ 5 ㌔ 水
結 晶
水
結 晶 と 水
7
●
15
水
羨
…1
櫓
内 部 エ靴 射
結 晶
水
結 晶 と 水
水 溶 液
79 0 0
←温 度 上 昇 分
図2.温度低下溶解のエネルギー関係 図3.ll、渡上昇溶解のエネルギー関係
←一一『運動エネルギー 卜・一く位置エネルギー
エネルギーが等しいのに,何故溶解がすすむのかということである。定容変化は自由エネルギ ーFの減少の方向,すなわち∠F<Oの方向にすすむ。
∠F=∠E−TムS (1)
JEの変化がなくても,結晶粒子がバラバラになり,そのr乱雑さ」が増大する。つまり
∠Sが増大するので,4F<Oとなり溶解がすすむのである。
っいでに発熱を伴う溶解現象についてのべる。結晶粒子がバラバラになるまでは,前の場合 と同じである。しかしその粒子が,今度はH,O分子と結合し(水和現象),バラバラの状態で 居るより安定となる。つまり粒子はバラバラの状態で居るより,水和の状態のほうが位置のエ ネルギーが小さくなり,その分だけ運動のエネルギーが増大し発熱する。この場合,発熱溶解 という表現でも正しいが,温度低下溶解に合わせて温度上昇溶解と呼んではどうであろうか。
この場合も内部エネルギーの総和は,はじめとおわりで変わらない。したがって,発熱分だけ 水溶液の内部エネルギーが減少する,というのは問違いである(図3)。
先に状態量の定義として「変化の径路にかかわらず保存される量である」としたらどうか,
ということを提案した。具体的に如何なるものが状態量かというと,本章でのべたように,内 部エネルギーがそれである。保存量は状態が決まれば一定であって,温度の上昇や低下は,そ の保存量のポテンシャルエネルギーが運動エネルギーになったり,運動エネルギーがポテンシ
ャルエネルギーになったりしているだけで,その総和は常に一定なのである。
3.Hessの法則
「反応熱は,はじめとおわりの状態が決まれば,どんな径路を通っても同じである」。
初心者には,どんな径路を通ってもということが,たとえば 2A+B、一一2AB という反
40 浜 田 圭之助
応において,25℃のAとB,とを反応させて25℃のABを作るとき,その途中で反応熱の ために,いろいろな温度の状態を通るであろう。しかしこの途中の状態のいかんにかかわらず,
同じ25℃のAとB、とから出発して,同じ25。CのABを生じる場合には,差し引き常に同 じ量の反応熱が出る,という風に誤解している人がもあるようである。つまり,「径路」とい う定義を,r途中の状態」と解釈しているのである。もともとHessの法則は,AとB2か ら2ABを作るとき 2A+B2→2AB のようにストレートに反応させても,A+B2→AB2,A+
AB、→2ABのように段階的に反応させ亡も,両者(ストレート反応と段階的反応)のはじめと 終りの状態が同じであれば,反応熱は同じであるということなのである。したがってHessの 法則は次のように表現した方が分り易いと思える。rどのような中間物質を径ようとも,反応 のはじめとおわりの状態(温度,圧力,体積)が同じであれば,反応熱は同じである4)」
4.電池の起電力は計算で求めることができるか。
ダニエル電池を例にとり考えてみよう。ダニエル電池は亜鉛電極を硫酸亜鉛溶液中に,鍋 電極を硫酸銅溶液中に浸し,二つの溶液が混ざり合わないように塩橋で結びつけたものであ る(図4)。
この電池の電気エネルギーは,電池内で起 こる化学反応Zn+Cu2+一→Zn2++Cu……(1)に 伴うギブスの自由エネルギーの減少量(一∠G)
にほかならない。その起電力をE。とする。電 池内で起こる化学反応に伴って,zFクーロム の電気量が流れるとすると,為される電気的仕
事Wは,
W漏一∠GニzFEI) …(2)
∠G RT
ED一一一一一一…一一一1nK …(3)
zF zF
これを計算することによって,次の式を得る。
E
一 一 一 一 一 一 一 岬 囎 一 一 Cu一 〇 一 一
『 一 ■ 一 一 騨 一 一 一 〇 一 一
} 一 一 一 一 一 一 一 一 ■
一 り 一 一 o o 一 〇一 一 一一
一 り 一 一 り 一 一 夢 .
. 一 〇
ZnSO4溶液
図4
RT ⊆⊆u2+〕
ED一(EoCulCu2+一EoZn IZn2+)十 一ln 2F 〔Zn2+〕
CuSO4溶液
ダニエル電池
一(4)
EoC。IC。2+およびEoZ。!Z。2+はそれぞれ単極標準電位であるので,その電位は
Eoc。lc。2+一〇。337volt,Eoz。iz。2+一一〇.763voltである。また標準電位というときはイオ RT 1ン濃度は共にl Mであるので,(4)式の第2項は 1n一一〇となる。したがってダニエ 2F l
ル電池の標準電位EODは
EoD=・O.337十〇.763=1.10volt ・一(5)
かくてダニエル電池の起電力を計算により求めることができた,というのである。以上は完壁 の理論展開であって,問題点はどこにもないように見える。しかし(ω式は次のような大きな矛 盾を抱えているのである。すなわちCu2+およびZn2+イオンはその濃度の如何に拘わらず,そ の濃度が等しければ(4)式の第2項はoとなるので,その電位は常に1.10voltとなる。このよ
うなことはあり得ないことである。
電池の起電力は理論的には
∠G RT
E=・一一一==一 1nK …(6)
zF zF
として求められる。そして起電力Eは単極電位の和として求めることができる。しかしその単 極電位は理論計算によって求めることはできないので,水素電極を基準にして実験的に求めざ
るを得ない。いまダニエル電池の標準起電力をEo。とすると,Eo、一(Eoc。lc.2+一Eoz。lz。2+)…(7)
Eoc。lc。2÷およびEoz.lz。2+はそれぞれ次の(8)の示すところの単極標準電位である。
器濃19謝II,1器器忽} …・8・
これらは電池を形成しており,この電池内で起る化学平衝はそれぞれ,
〔Cu〕〔H+〕2
篇!=謬二1灘謝 燗
〔Zn〕〔H+〕
である。したがって標準単極電位は
RT 〔Cu〕〔H+(IM)〕2
㍑ll二宰無測 佃
である。ここに純粋な気体,固体の活量は1であるので*2),
二ll』』r撫齋当 畑
となる。
E・D一(E・幅』E・鋸z、2・)+旦Lln趣2+(IM)1 .。。(1助 nF 〔Zn2+ (1M)〕
Ec皿Icu2㌧Eozntzn2+一〇.337一(一〇.763)一1.10V …(13〉
E・D−1.、。V+璽丁.ln璽+(1M)1 、.。(14)
nF 〔Zn2÷(IM)〕
(12)式に注目願いたい。第2項の〔C2+〕および〔Zu2+〕は,実はそれぞれlMなのである。従 って(8)式から(12)式を導く際,〔H+(1M)〕(∴〔H+(IM)〕一1)の項が消えたのと同じく,
消えるべき項なのである.ln 璽璽一1n』L・したがって(12式の第2項はもともと意味 〔Zu2+〕 1
のない項なのである。(14)式により〔Cu2+〕一1M,〔Zn2+〕一1Mのとき,ダニエル電池の標準電 圧が1.10Vになるというが,〔Cu2+〕一〔Zn2+〕一l Mのときのダニエル電池の標準電圧を,実 験により1.10Vと求めているのであるから当然のことなのである。したがって(12式は〔Cu2+〕
一〔Zn2+〕一IMのときにのみ使用できる式なのである。もし〔Cu2+〕=〔Zn2+〕一2Mであれば,
それぞれの電極と標準水素電極と組み合わせることによって,実験的に求める以外方法はない のである。そして第2項は,矢張りゼロとなって消えるのである。〔Cu2+〕≒〔Zn2+〕ときには,
それぞれの濃度における単極と,水素電極と組み合わせることによって求めることができる。
すなわち電池の電圧は,実験による以外,求めようがないのである。
42 浜 田 圭之助
*1)原子間の位置エネルギー(結合エネルギー)は。化学変化がないので変化はない。また分子間の位置エ ネルギーは運動のエネルギーに比して無視できる程小さい。特に理想気体を考えれば分子間の位置エネル ギーはゼロである。したがって内部エネルギーは,分子を構成する原子間の結合の変化がない場合は,分 子の運動のエネルギーのみを考えればよいことになる。原子間の結合に変化がある場合は,原子間の位置 のエネルギーを考慮しなければならない。
*2)単に純粋な気体,固体の活量が無名数の1になる,ということは大きな問題点を残しているが,数値的 には合っているのでこのまま使用しておく3)。
1)
2)
3)
4)
浜田圭之助,長崎大学教育学部研究報告,29,57(1978)
浜田圭之助,長崎大学教育学部研究報告,30,41(1979)
浜田圭之助,化学,35,723,812,897,977(1980)
吉岡甲子郎, 大学演習化学通論 裳華房,東京,(1980),p・ 166