【学位論文審査の要旨】
本論文は、運動器領域における関わり合い触れ合う看護実践が、言語化が難しい水準か らいかに起こっているのかを、メルロ=ポンティの身体論を手がかりに探究した現象学的看 護研究である。運動器領域の看護は、患者の動きづらい身体への直接的なケアが多くを占 めるが、これに関する研究はほとんどみられない。申請者はその理由について、看護師自 身にとって、患者の動きを支援する実践は自覚し難く、それゆえに言語化も難しいためで あると指摘し、この水準の実践を探究する必要性を説いた。また、本研究において、研究 参加者に同伴して看護実践にも参加するスタイルのフィールドワークを方法としたことも、
言語化が難しい実践を浮かび上がらせるためであった。調査は、東北地方にある総合病院1 施設の整形外科病棟で7カ月間、5名の看護師を研究参加者として実施された。
結果においては、患者の患部に「ふれる」、動きを「支える」、流れが「組み立てられる」、 一緒に「接する」、集まりで「関わる」を柱として、運動器領域の看護実践が記述された。
また考察では、結果の記述から見出された、「ふるまい」という看護実践が中心に検討され た。申請者によれば、「ふるまい」は、状況に即して意味を伴う身体のあり様であり、一方 で、看護師は自らの身体で患者の「ふるまい」の意味を了解し、その了解が患者の「ふる まい」への応答でもあった。他方で、患者の側も、看護師の「ふるまい」に応答して、自 らの「ふるまい」を生み出す。この時、動きづらい身体は、回復という下地によって動く ことへと方向づけられる。その意味で、「ふるまい」は両者の応答によって「間身体的」に 成り立ち、その分かち難さは両義性というあり方として記述された。また、こうした「ふ るまい」には、看護師から患者への、あるいは、患者から看護師、さらには道具等々への
「気遣い」が働いており、患者の生活範囲の拡張へと「しかけ」る実践を作っていた。
審査会では、フィールドワーク以外にインタビューを用いなかった理由、フィールドノ ーツの位置づけ、研究者の立ち位置、調査時のパースペクティブの置き方、分析方法、「ふ るまい」の定義と運動器看護との関係、「ふるまい」は看護実践特有のものか、「ふるまい」
と相互作用のとの相違点、両義性の意味、「しかけ」と時間性との関係、ハイデガーの配慮 的気遣い/顧慮的気遣いと身体性との関係等について質疑がなされた。申請者は、いずれ に対しても妥当な回答ができており、特に、研究方法については、申請者がどのように実 践を了解したのかが問われ、発展的な議論がなされた。今後の課題についても自ら取り組 む意思が確認できた。公聴会では、「ふるまい」の英語表記、看護師自身による実践の言語 化の可能性、他の病棟でも生じ得る実践ではないか等、質問や意見があり、申請者からは 概ね妥当な回答が得られた。
審査会での議論を通して評価された点は、次の3点であった。
第 1 に、運動器領域の言語化が困難な看護実践を探究するためのデザインが根拠をもっ て検討され、実践の言語化に至った点である。メルロ=ポンティの身体論は、自覚し難い身
体の営みの探究に相応しい哲学であり、これを研究の基盤に置いたこと、さらには、実践 経験のある申請者自身が、看護実践を共にすることでその意味を了解し、それを記述して いくという方法で取り組んだことは、実践の開示を成功に導いていた。他方で、この方法 論上の議論をさらに進めることが課題とされた。
第 2 に、運動器領域の看護実践を、患者との相互の応答による「ふるまい」として見出 し、他の領域や専門職とは異なる視点から、看護実践をとらえる必要性と重要性を提示し た点である。それゆえ、本論文の記述は、運動器看護の専門性を新たな視点で理解する手 がかりとなり、看護実践、教育、研究の質向上に貢献する成果として評価された。また、
このことから、看護学の事象の理解における現象学的研究の有用性が確認された。
第 3 に、本論文の「気遣い」に関する議論においては、ハイデガーが主題化することの なかった他者への気遣いと身体性との関係を取り上げたことにもなり、それはハイデガー とメルロ=ポンティの現象学の接続の新たな可能性を意味する。それゆえ、本研究の成果は、
看護学のみならず、現象学的哲学への新たな寄与としても、高く評価された。
以上より、本論文は博士(看護学)の学位論文に相当する水準に十分に達しており、学 位申請者は博士(看護学)の学位に相当する学識を有していると判断する。