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都 市 の 概 念 ーその総合的検討のため

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(1)

都 市 の 概 念

ーその総合的検討のためKー 各論る(歴史学)

太 田 秀 通 編

3

4 J M L a

7

9 1

都市研究報告40

(2)

目 次

序説ーーーー『『『−−−− ..  −−−−ーーー・ーーーーーーーーーーーー司』幅匂ーーー− ‑1  1章 総論一−−−−ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』ーーーーーー −

ソグィエト大百科辞典『ー』ーー−−−ーーーーーーーーーーーー』ーーーーー−3 マルクスーーーーーーーーーーー『ーーーーーー−ー−ーーーーーーーーーーーー− マンフォードーー『ーーーーーー『ーーーーー『ーーーーーー『『『『『ー崎 21 2 古典古代の都市論ー『『』司自ー』ーーー− ‑−ーーーーーーーーーーーーーー 27

都市の概念『ー−−ーーーーー』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』『』 27 ホメロス・ーーーーーーーー』ーーーー・ー句ーーー−ーーー−−− ‑−− ‑−27 ヘシオド::;;<.−ーーーーーーーーー『ーー−−−ーーーーーーーーーーーーー−− 32 

~ 都市論の諸論点・ーーーーーーーーーーーーー町田ーーーー−−− −ーーー−−− 34  へロドトスーー』句ーーーーー『『ーーーーーーー 司ーーーーー『ーーーー−− トゥキュディデスー』句・− −『ーーーーーーーーーーーーー情ーーーー『ー− 38  ルクレティウスーーーーーーーーー司− −ー四ー』ーーー・ーーーーーーー』・ 39 jレタルコス−ーーーーーーーーー』ーーーーーーーーーーーーー・句ーーー−4 0  5章 古代都市論ーーーーー『ーーーーーーーー旬、ーーー・ーーーー』ーー唱ーーー− 43  ク− 『、『ーーーーーー『ーーーーーーーー由『目白司ー・ー『晦ーー』目白−・

プルックハルトーーーーー『ーー』ー』ー−ーー回ーーーーーーーーー』ーー− 44  ピュアリーーーーーーーーーーーー--~--ーーーーーーー』ーーー--『』ーー47 クーランジュ・ーーーーーーーーーーーー,ーー『ーーーーーー『由・ーー− −50 リッヒテンペルターーーーーーーー』』ー』ーーー −−司旬『『ー巴『』−−55 T?ラー−ーーーーーーーーーー『ーーーーーー『ーー』ーー・喧ー『『ー− 56  ロストフツェフ・ー『ーー『ーーーーー切回『ーーーーーーーーー句ーー』ーーー58 グロタツー』』』ー・ーーーーー−−−ー由ーー・ーーーーーーー目ーーーーーー』61

(3)

'7ォーJレパンクーー『ーーーーーーーーーーーーーー』ーーー『『『 ーーーー白骨73 10  アウジェフ』ー』ーーーーーーー』ーーーーー国ーーーーーーーーー』由ーーー− ‑77  11  ストルーグェ ーーーーーーー』ーーーー』ー『ーーーーー『ーーーーー『ー』』ー79 12  ウェプスターー』,,.−ーーーーーーー『ーーーーーーーーー句ーーーーー』』ー− 13  フォープズーーー?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一ーーー− 84  14  エーレンペルクー− −・ーー ーーーーーーー『ーー−ーーーーーーーーーーーーー 86  15  ェクソン−ーーもーーー町ーーーーーー−ーーーーーーーーーー−ー『ーーーーーー− 90 16  ハモンドー』ーーー』』『ー』『ーーーーー句ーーーーーーーーーーーーーーー』−92 4 中世都市論ーーーー『『句ーーーーーー『ーー』ーーーーーーーーーーーーーーーー 97

都市概念論の意味ーハーゼ・ーーーーー』ーー『『ー−−ーーーーーー97

~ その諸論句ーーーー−ーーー『司『『崎町』ーーーー『ーーーーーーーーーー目− 105  マウラーーーーー−ー ーーーーーーーーーーー−ーーーーーーーーーーー句』−105 ペロウーーーーーー『ー−ーー』ーー『ーーーーーーーーーーーーーーーーーー− ゾームーー−ー−−』ーーーーーーーーーーーーーーー司ーー−−司同ーー『ー 11  リーチェル ーーーーーーーーー』ーーーー−− −ー』』ーーー『『ーーーー− へーグル− −ーーーーーーーーー国ーーーーーー』ーーー『『ーーーーーーー− ‑ ピレンヌーーーーー』『『ーーーーーーーーーーーーーー『『ーー『『ーーー』・12  プラーニッツー』ーーーーーーーーーーーーーー』− ‑−ーーーーーーー『−− ‑21  エンネンーーー『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『ー吋12  エーペル ーーーーーーーーーーーーーー『ーーーー』ーーー−ーーーーーー』』 129 10  aタインパッハーーーー『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『』ー131  11  ビューヒャーーーーーーーーーーー−ー『ーー『ー−ー−−ーーーーーーーー、133 12  オタトカール ーーーーー』ーーーーーー』ーー− −『』『ー『ーーー− ‑‑‑‑136  13  ピグレフスカヤ ーーーーーーーー『ーーーーーーーーーーーーー』ーーーー− 138  5章 理想都市論ー−ーー司句『ー』ーーーーーーーーーー、』ーーーーーーー−−− 143

フ・ラトンーー『ーーーーーーーーー『『ーーーーーーーーーー』ーーーーーーー−143  アリストテレスーーーーーーーーーー− ‑‑‑−ーーーーーー司『ーーーーーー−148  モアー』ーーー『ー−ー『− −ーーーーーーーーーーーーーーーー『『句ーー−−−152 カンバネッラ♂ーーー』『』』ーーー−ー『『』『司『『ーーー句ーーーーー−−154 

(4)

序 説

都市とよばれる人聞の定住様式は,人聞の歴史の一定の発展段階で,す左わ ち生産力の一定の発展段階と,とれに規定される社会的分業ゃ社会階層の一定 の分化を条件として形成された。ぞれ故都市の形態・内容・構造・機能は,歴 史的にさまざまであった。都市の実体に迫り,都市の本質を明らかにするには,

生産力の発展と関連させ,都市を生み出しあるいは変化させた必然性を,社会 構成や国家権力のあり方と関連させて,発展的に捉え左ければ左ら念い。都市 はいろいろ左見地から,いろいろ在方法で研究されてきたし,また今日もそう であるが,都市の総合的左研究の方法は,歴史的に制約された一定の社会構成 の質の中にないて,都市はいか在る構造的位置にあり,その社会VC.i=Iいていか 左る機能をもヲているか,というこつの視点,す左わち都市の構造と機能を社 会情成の中K正し〈位置づけるという視点から展開され念ければ左ら左い。と いうととは,都市を現実の社会的諸関係から抽象して,孤立した現象として捉 えずに,まわりの部族的結合や農村共同体や遊牧社会などとの相互関係陀辛子い て,またそれらの相互関係の中で都市が果たす経済的・文化的・政治的・軍事 的・宗教的などの機能的特質(!Cj;'いて捉えるととが,科学的に要請される,と いうととである。

都市を,社会構成の中!tCi>'ける構造と機能の総合的研究陀よって,よ b深〈

捉え,その歴史的変質のプロセスを動態的に捉えるためには,都市自体の内郁 に入りとんで,その物理的形態,住民の階層構成,職業分化,公共施設,市民 権,家族構成,都市的エートスといった細部にわたづて分析を進めるととが必 要である。都市自体の分析にないても方法的に重要左視点は,都市の構造と,

都市を構成する諸要素の都市VC.i=Iける機能会よび都市外陀わたる機能とを明ら かにするという視点であろう。

(5)

とのよう左視点から都市の歴史を捉え,社会発展史の上に,あるいは人類文 化発展史の上に,都市を正し〈位置づけ,都市の発展を展望するため陀は,巨 視的左社会発展の時代区分を採用して,古代都市・中世都市・近代都市という 時代区分に基づ〈都市類型を立て, ζれらのカラゴリーの中で,地域の区別や 形態・機能の区分左どにより,より 小さ左類型に区分して観察するととが必要

であろう。

都市概念の研究が必要とされるのも,都市の歴史的発展を辿h,そのととに よって都市の未来像を展望し,もって都市問題を総合的に検討するためであ.!J'  都市はいか在るものとして観察されてきたかを概観して辛子〈のがわれわれの当 面の謀題である。との課題Vc:答えるために,まず第1Vc:,都市を総括的K扱っ たものを見,次いで近代歴史学・社会科学の都市論の原形を在した古典古代の 都市論の特徴を概括し,近代歴史学。社会科学がうちたてた都市論を,古代都 市論・中世都市論の順序で見ていきたい。近代都市論については,歴史学の分 野では,まとまったものが乏しいので,法律や経済等の関連分野になける諸論 を参照されたい。最後に理想都市論をつけ加えた。

〔太田裁量〕

(6)

l章 総 論

ソ ヴ ィ エ ト 大 百 科 辞 典 ー 第2

本稿では, Die  Stadt.  Geschichte  ihrer Entsteh‑

ung und  Entwicklung  (Grosse  Sowjet‑Enzy‑

klopii.die ‑ Reihe Geschichte  und  Phi loso‑

phie  21),1953  を使用し,ドイツ語から重訳した。

(1)  都市の発生

「都市とは一つの歴史的に発生した集落であり,まず原始社会から奴隷所有 者制( Sklavenha I terordnung)への移行の際K,しかも手工業と農 業との分業念らびに階級と国家の発生の結果として生じてきたのである。若干 の民族の場合,都市は封建制が発展するにつれて発生した。歴史がすすむにつ れて,都市は徐々にその外観を社会経済的構成体にしたがって変えてい勺たが,

その社会経済的構成体の念かで都市は発達したのであった。『都市と農村の対 立は,…部族制(Stammwesen)から国家への,局地性から国民への移行と

(I) 

ともに始まって,文明の全歴史を貫いている。』資本主義期Kは,都市と農村

の対立は最高潮に達する。社会主義期 Ki>~いては,都市か判落の農業を集団化

させ,そして都市去農村とのあいだの矛盾を止揚へと導〈。J(Die Stadt  1953:4) 

「ある領域Ki>~ ける住民配置の条件と方法念らびに定住(都市,村落等)形 態は,社会的生産様式Kよ司て規定される。定住地としての都市はすすんだ社 会的分業の帰結として現われた。それも,農耕から手工業が分離し,規則的念 商品交換が成立し,生産手段が私有され,さらに奴隷制が形成された時期K

(7)

われたのである。との時代の都市の主要念特徴は常設市場である。市場ば,手 工業者にたいしては,彼の労働の産物を売る可能性を与え,都市tては周辺農村 去の交換条件を確保する。原始社会から奴隷所有者a制かの移行K際しては,都 市が発生するにつれて,社会的分業の成り行きとしての都市と農村との矛盾も 浮かびあがって〈る。農村からの都市の孤立化は,歴史の進行Kは1,:はだしい 影響をなよぼした。カール・マルクスは,都市と農村とのあいだの敵対が赤い

(2) 

糸のように搾取者の社会の全史を貫いている,と指摘している。

都市の形態と大きさ走らびに一地方領域内での都市の位置は,さまざま左社 会経済的構成体一一奴隷所有者社会,封建制,資本主義,社会主義一vcよっ

て異左b,また生産力の発展段階会よび生産関係の性格Kよって条件づけられ ている。

5世紀には,ローマ帝国vcける奴隷所有者制は崩壊した。高度な文化的水 準に達し,農村を支配していた都市は,奴隷労働Kも止づ〈生産様式の解体と ともに,大部分が没落した。たとえば, 10 0万人以上にのぼっていたローマ の人口は, 4万にまで滅「てしま「た。 10 ' 1 1世紀以降,手工業と商業の 発展につれて封建都市が発生し始め, 14 ' 1 5世紀には全盛をきわめた。封 建制期の都市内部では,新しい資本主義的構成体の要素が生じ,それは急速念 成長で抜きんでて〈る。都市は,その外観や構築物のうちに資本主義のさまざ ま念発展段階を反映さぜている( 6/1 7世紀からのマニュフ7クチュア期,

8世紀末からの機械と大工業の時期, 19世紀末から 20世紀初めの資本主 義の最高の段階としての帝国主義期)。

大社会主義十月革命は,社会主義下の都市をつ< ...,たというととで,都市の 発展K新しい画期をみちびいた。社会主義下の都市は,資本主義下の都市とは 根本的K区別され,社会主義計画経済の非常念優越性を反映してたり,そして 著し〈速いテンポで発展している。社会主義的都市の出現とともに,階級社会 のもっとも重要念対立の一つ,つまり都市と農村とのあいだの対立を止揚する

‑4‑

(8)

ための前提条件が生みだされた。とうして経済と文化の発達lfLj:,~ける都市の指 導的在役割が強められるのである。」

(2)  ブルジョワ理論の批判

「フソレジョワ学者は,都市の発生bよび発展についてさまざま左理論をうちた てようと試みてきたが,皮相念,そしてその大部分がま勺た〈形式的念説明の 域を越えてい念い。それで襲撃Kたいする防禦が要塞としての都市の発展の基 礎を左すという見解が,奴隷所有者制期辛子よび中世の城砦都市の発生に関しで もっとも普及した理論の一つ一一『防禦理論』(ピュッヒャー,マウラー,ウ ェーパー)一一切根拠K念っている。実際,城壁と保塁は,古代世界でもまた 中世でも都市の絶対的左メルクマールでは左かった。同様K ,中世都市の発生 に関するつぎのような理論も根拠が念い。それは,都市を政治的・法的組織と してみるが,社会経済的カテゴリーとしては考察し左いという理論である(ペ ロウ,へーグル,ワイルデ,ギールク等)。都市の発生と発展を地勢の状態や 微細念起伏等の特殊性で説明しようとする,俗流地理学者の見解もまた誤りで ある。すべてとれらの理論は,都市の発生過程l'Cかけるも「とも重要左ζ つまり生産力の発展というととに留意していない。都市の発生bよび発展の歴 史の研究は,フツレジョワ的学問では,さまざま在社会構成体Kたいして普遍的 Kしでかつ不変念都市の『類型』が存在したとするよう念観念にも去づ〈,都 市の機械的類型学にとって替わられてしま寸た。都市概念を規定する荊J断基準 として,あるブルジョワ学者は人口を考え(ピュアヒャー),他の者はそれを 国家権力の対応行為のうちに見(ライト,レノワール),またある者は人口密 度を前提にしている(メリオ)。との形の上での特徴にもとづいた定義とは異 左って,ロシアの学者M.M.コグァレフスキーは,すべての時代Kつ、いての都 市の経済的左定義を与えようとした。そとでは彼は,都市を『業務一一特に工 業,商業,信用制度lfL$~ける業務が非常に分化している定住地』として性格づ けた。けれども, ζの定義はただ資本主義下の都市にのみあてはまるのである。

(9)

Jレジョワ的学問は,定住形態が社会の生産力の性格と発展段階に左右され ている,というととを理解するととができ念い。したが勺てまた,都市の起源 と発展の本質を認識し得念いでいる。資本主義が発展するとともに,未来社会 で人類が居住するユートピア論が現われた。その創始者たち(モア,カンパネ ァラ,後期オーワェン,フーリエその他)は,発達しつつある資本主義の諸矛 盾がある左かで都市と農村とのあいだの対立を取り除とうという素朴念試みを 企てたのだ勺た。 19世紀末から 20世紀初頭にかけて,イギリス人E.ハワ ードの著書『明日の田園都市』が,小フ.ルヅョワ的左人々のあいだでi;i;K 支持された。小フ.ルジョワ的左空想的社会改良論者であるハワードの見解は,

『田園都市』が資本主義社会の枠内で資本主義下の都市のあらゆる社会的諸矛 盾を平和的在方法で解消し,さらに資本主義では解決でき念い都市と農村との 対立も除いてしまうだろうというものであった。そうした『田園都市』を建設 しようというハワードの試みは,しかし念がらまった〈成功し念かった。資本 主義,とくK帝国主義時代の条件下では,とうしたととは無意味でしかも反動 的左ユートピア論であ勺た。」

(3)  マルクシズムにおける都市の理論

「マルクスとエングルスは,都市のもっとも重要念発展法則を初めて,しかも生 産力の発展,増大する社会的分業そして変化する生産関係企い勺たととの結果e

Fして明らかにしたのであった。マルクス・レーニン主義の歴史学は,都市を まず第ーに社会の社会経済的構造によ「て制約された歴史的カテゴリー去して 考察している。カール・マルクスは,あらゆる時代の都市にたいして単一念類 型を定めるととは不可能であると指摘した。とれとともに,マルクスとエング ルスは近代の商工業都市のととを考えた。資本主義期の都市のもとでは,工業 の大量生産で利用される機械技術ゃ資本の集中台よび農民層のプロレタリア化 が原固と念って,加工産業ゃ商業の所在地K人聞が不可避的κ集積するという

ととを,彼らは理解したのであった。

‑6‑

(10)

マルクス止エングルス仕,人聞の定住K際しての新しい形態の問題と都市左 農村とのあいだの対立を止揚するという問題とを,学問の根底K初めて設定し た。すでに『共産党宣言』の念かで,農村にたいする都市の支配を除去すると とは資本主義社会を除去するととによ勺てのみ可能である,去いうテーゼが明 確に定式化されている。資本主義を打倒した大社会主義十月革命は,一地方の 人口を合理的K配置する止いう問題を解決し,さらに社会主義的念定住システ ムと,社会主義的生産関係の実体にふさわしい新しい都市類型とを創造すると とに初めて成功した。社会主義的定住ば,資本主義的定住とは根本的K異f.c

ている。それは, f農村のとりのとされた状態,その外界からの隔離,…大都 (3i 

市への膨大左大衆の不自然を密集をも,去もtて念〈すJ人類の新しい定住であ る。それは,社会主義生産様式,計画経済,生産力の平等念分配,土地の天然 資源の最大限の利用,かつての後進地域すべての社会主義建設への包含,農業 の再建,そして都市F農村去のあいだの対立の除去を基礎止している。社会主 義下の都市は農村を先導し,農業の集団化を促進する。ソグィエト連邦の都市,

bわけ首都モスクワは農村全体の共産主義的改造に際して大き念指導的かっ 組織的念役割を演じてbb,そして社会経済的bよび文化的発展の中心と左勺 ている。社会主義の都市政,共産主義イデオロギーや進歩的念学問と文化のに 左い手であb,宣伝者でもある。」( ibid.:7‑11)

(lJ  Marx Engels Werke,Bd.3,1958,$.50.邦訳,花崎 皐平訳,合同新書版, 1966,107ページ

(2)  v M E W  d . 3 , 2 , S , 3 7 .邦訳,全集,大 月書店版,第23 a巻, 1965,462ページ参照

(3)  Lenin, Polnoe  Sobranie  Sochinenii ,Tom21,  1961,str.55.邦訳,全集,大月書店版,第21巻, 1 9ページ。

〔長沼宗昭〕

(11)

マルクス

Kar I Marx ( ‑ 1 3〕。ドイツの革命家,科学 的社会主義の創始者。本稿使用書は,M arx Engels Werke, 

1957‑68;  Grundrisse der Kritik der  politischen  Okonomie, 1953。念会引用箇所を示す際 K ,それぞれの論文の適当念邦訳の該当箇所も示した。以下の訳文 は,筆者の手K念るものか,訳書のものを一部改めたものである。

初期において

(1)  『草稿Jより

まず,初期マルクスの思想、の基本的骨格を示している『経済学・哲学草稿』

から,みてい〈 ζとKする。 ζの『草稿』は,大部分が18 4K書かれて

いる。  

「資本と土地との,そして利得と地代との区別,またとの両者と労賃,工業,

農業それぞれとの,そしてさらに不動産と動産との区別は,事物の本質のうち Kは基礎づけられていないえtがまだ歴史的左区別であり,資本と労働との対立 が歴史的に形成され発生していくうえで固定化された一つの契機である。不動 産という性格をもっ土地所有に対立している工業等にないては,えだ〔工業の〕

発生様式と,工業が農業にたいしてその念かで自己形成してきた対立だけが,

表現されているKすぎ念い。との区別が,労働の特殊念種類として,また本質 的にして重要念,生活を包含している区別として成りたつのは,ただ,工業

(都市生活)が土地保有(貴族的念封建的生活)に対立して生じ,それでも左 な独占,ツンフト,ギルド,職能団体(Korporation)等のかたちをと って,その対立物の封建的性格をみずからが帯びている限り Ki>~いてである。

さらにそうした諸規定の内部では,労働は,いまだにみせかけの社会的意義と

(12)

.。.. ... 

現実的念共同体の意義をtrなもち,依然止して自己の内容にたいして無頓着に 左り,自己自身だけで完全左存在に在るまで,す左わち,他のあらゆる存在か

−・・・・..。

ら抽象された域Kまで,したが勺て念 b自由に放任された資本κまでは発展し ていないのである。 J(:Marx Enge I Werke−一以下M E Wと記す 一一, Ergnz gs band , D i z V er I , 1  6。城塚・田中訳,岩波文庫版, 1964:111‑112)

(2)  「ドイツ・イデオロギ−Jより

5年から46Kかけて,マルクスとエングルスは共同著作『ドイツ

.イデオロギー』を執筆し,史的唯物論の基本的諸命題を定式化さぜたのであ った。ととに示されている交通CVerkehr )という概念は,のちに生産様 式( Produkt i onswei se)という概念K発展していしそとでつぎに

『ドイツ・イデオロギー』のなかの表現をしらべていとう。

i)  分業の意義

「さまざま左諸民族相互間の関係は,主?のbのの民族がかれらの生産諸力,

分業辛子よび内的交通をどの程度まで発展させているかにかか「ている。との命 題は一般K認められている。しかし,たんにある民族の他の民族にたいする関 係だけで左〈,その民族自体の内的編成全体もまた,その民族の生産止内的b よび対外的交通との発展段階にかかっている。ある民族の生産諸力がどの程度 まで発展しているかは,分業の発展の度合tてよ司ても勺とも明自に示される。

どん左新しい生産力でも,それが従来既知の生産諸力のたん念る量的拡大(た とえば新たに地所を開墾するとと)で念いかぎbは,結果として分業の新しい 形成Kいたる。

ある民族の内部での分業は,まず農耕労働からの工業主Pよび商業労働の分離,

 

そしてそれとともK都市と農村との分離,なよび両者の利害の対立をもたらす。

分業のさまざまな発展段階は,まさK所有のさまざま左形態Kほか念ら左い。

(13)

す左わち,分業のその都度の段階は,労働の材料,道具,生産物K関する諸個 人相互の関係をも規定するのである。」

(証)所有の第一と第二の形態

「所有の最初の形態は,部族所有である。とれは,人々が狩猟と漁業,牧畜あ るいはせいぜい農耕で生活している生産の未発達左段階K対応している。.

第二形態は,古代の共同体所有なよび国家所有である。とれば,とくに契約 ゃ征服Kよ勺てい〈つかの部族が一つの都市に統合されるととろから生じ,そ とでは奴隷制は依然止して存続する。共同体所有と念らんで,動産の私的所有 が早〈も発達し,のちには不動産の私的所有さえもが生ずるが,それは変則的 念,共同体所有に従属的左形態として発達するのである。国家公民は,ただか れらが共同するととKよってのみかれらの労働奴隷にたいする支配力をもつの であり,すでにそのためK共同体所有の形態に拘束されている。それは,能動 的な国家公民の共同の私的所有である。かれらは,奴隷に対抗し左ければ左ら 左いためK,とうした自然成長的念連合様式にとどまらざるをえ左い。それゆ えに,ととK基礎をかいている社会の全編成は,不動産の私的所有が発展する につれて解体してゆ〈。そしてそれとともに,その民族の勢力も衰微してゆ〈。

分業は,それまでK一層発展したものと左っている。われわれは,早くも都市 と農村の対立K出会い,ひきつづいて都市の利害を代表する国家と農村の刺害 を代表する国家とのあいだの対立に出会う。そして,諸都市自体の内部では,

工業止海上貿易との対立をみいだす。市民と奴隷とのあいだの階級関係は,完 全に成りたっている。………」

(溢)所有の第三の形態

「第三の形態は,封建的左いしは身分的所有である。古代が都市とその小領域 から出発したとすれば,中世は農村から出発した。...・H

崩れゆくローマ帝国の最後の数世紀と,蛮族による征服自体とが,大量の生

(14)

産力を破壊した。つまり,農耕は衰え,工業は販路を失って没落し,交易は麻 算するか暴力的に中断され,農村と都市の人口は減少した。とうした当時の諸 関係bよびそれによって規定された征服組織の方法は,グルマン的兵制の影響 をうけ左がら,封建的所有を発展させた。部族所有左らびに共同体所有と同様 に,封建的所有はあらたに一つの共同体制度(Gemeinwesen)にもと づ〈が,それK直接生産する階級として対立しているのは,古代の場合のよう に奴隷ではをく農奴的小農民である。封建制が完全に形成されると同時K ,さ らに諸都市にたいする対立が付加される。.

土地所有のとうした封建的編成にたいして,都市vcj:,• いては,職能団体によ る所有,す念わち手工業の封建的組織が対応する。所有は,ととでは主として 個々人の労働に〔その本質が〕存していた。連合した強盗貴族K対抗する連合 の必要性,産業家が同時K商人であ勺た時代ticj:,•ける共同の市場施設の必要,

栄えている諸都市に流入する逃散農奴たちの競争の増大,全土の封建的編成念 どが職種別ギルドCZunfte)を招来した。つま b,個々の手工業者のもと で次第に蓄えられた小資本と,人口が増加しているにもかかわらず固定した手 工業者数とが,職人bよび徒弟の関係を発展させ,その関係とそが,農村K けるヒエラノレキーと類似のヒエラルキーを都市vcj:,•いても成立させたのであ勺

た。……いか在る固にないても都市と農村との対立はあった。身分編成はもち ろん非常にきびし〈うちだされてはいたが・,農村での君侯,貴族,僧侶bよび農 民の別,都市での親方,職人,徒弟,そしてやがては日雇い下層民も〈わわる 身分の別の他には,左んら重要左分業は生じなか勺た。」(MEW,Bd.3,

1958:21-25 。花崎皐平訳,合同新書版, 1966~32-380;1:

b『ドイツ。イデオロギー』の邦訳は数種類あるが, 19 5年にソ連のG.

A.パガトゥーリャにょうて発表された新編集にもとづ〈花崎訳を,ぜひ参照 されたい。以下K訳出した文章の順序もパガトターリヤ版にしたがっている。)

v) 都市の意義

(15)

「物質的労働と精神的労働との最大の分業は,都市ト農村との分離である。

都市と農村とのあいだの対立は,未聞から文明への,部族制から国家への,局 地性から国民への移行とともに始まって,文明の全歴史を今日(反穀物法同盟)

にいたるまで貫いている。

都市の成立と同時に,行政,警察,租税左どの,つまり自治体制度の必然性 が,したがってまた政治一般の必然性が与えられる。ととにはじめて,直接K 分業と生産用具とKもとづ〈人口の二大階級への分化が明らか Kなった。そ もそも都市が,すでに人口,生産用具,資本,享楽,欲求の集中という事実で あるのにたいして,農村では,まさにその反対の事実,す左わち孤立と分散が 左がめられる。都市と農村とのあいだの対立は,私的所有の内部でのみ存在し うる。…・・・…都市と農村の対立の止揚は,共同社会の第一条件のうちの一つで ある。そして,だれが見てもすぐわかるように,その条件そのものは一群の物 質的前提条件K依存してかり,たん左る意志だけでは満たされるζとは左い。

(とれら諸条件はもっと解明され念ければ左らない。)都市と農村との分離は また,資本と土地所有との分離として把握されうる。す左わち,土地所有から 独立した一つの存在の端緒であり,たんK労働と交換とだけを土台とする所有,

つまり資本の発展の端緒として把握されうるのである。」( ibid.~50 。 向上: 107‑108)

「特殊左階級のうちに確立された交通とともに,そして商業が商人Kよって 都市の近傍以上K拡大されるとともK,すぐさま生産と交通との相互作用があ らわれて〈る。諸都市は相互κ結びつくように左り,新しい道具がとの都市か らあの都市へともたらされ,生産と交通との分業はまも左〈個々の都市聞にか ける生産の新しい分業をよびbとし,それぞれの都市はやがてなんらかの有力 左産業部門を開拓してい勺た。局地性という当初の制約は次第に解消されはじ める。・

さまざま左都市聞の分業が直接にもたらした結果は,職種別ギルド制度から

(16)

分岐成長してきた生産部門であるマエaファクチュアの発生であった。…・・

マニュファクチュアの出現と同時に,雇い主にたいする労働者の関係に変化 が生じた。職種別ギルド内では,職人と親方とのあいだの家父長的関係が存続 していたのにたいして,マエュプァクチュアlrLJ>~いてそれ K とってかわるもの

と左ったのは,労働者と資本家とのあいだの金銭関係であ弓た。との関係は,

農村ゃ小都市では家父長的左色調を帯びていたが,比較的大きな,もともとの マエュファクチュア都市では,すでκ早くからほとんどま勺たく家父長制の色 彩を失っていた。」( ibid.:53‑56。向上: 113‑119)

「……大工業は,あらゆる文明国とその左かのあらゆる個人が,自らの欲求 を満たすためには全世界K依存せざるをえをいようにさせて,個々の国々の従 来の自然成長的な排他性を壊滅させた。その限J:JlrL Joいて,はじめて世界史を 生みだしたのである。……大工業は,自然成長的を都市にかえて,一夜のうち に姿をあらわす近代的左大工業都市をつくりあげた。それは,侵入した場所で 手工業を,またがよそ過去の水準Kとどまる限りのすべての工業を破壊した。

それは,農村にたいする商業都市の勝利を完成した。 J(ibid.:6Do 上: 12 612 7 ) 

「住居の建設。未開人の場合,各家族が自分たちの洞穴ゃ小屋をもつのは当 然である。 ζれは,遊牧民が各家族どとに切り離されたテントをもつのと同じ ととである。とうした家計の分離は,私的所有が発展すればするほど,ますま す必要とされるように念る。農業民族の場合,家計の共同は,土地耕作の共同 と同じ〈不可能である。都市の建設は一大進歩であ勺た。それでも,私的所有 の廃止と不可分の各個に分離した経営の廃止は,そのための物質的諸条件がま か勺たためK,従来のいか左る時期Kも不可能であ「た。共同家計の制度は,

機械装置の発展,自然力やその他多くの生産力たとえば水道,ガス照明,スチ ーム暖房等の利用,都市と農村の(対立〕の止揚を前提としている。」

(ibid.:29.向上: 132‑133)

(17)

「中世では,どの都市の市民たちも,自らの身を守る必要上,土地貴族K 抗して団結せざるをえ~か勺た。商業の拡大,通信連絡網の確立によ勺て,個 々の諸都市は,同じ相手との闘争の1"::かで同じ利害を貫きとbした他の都市を 知るようにな「た。個々の都市の多数の局地的左市民集団から,ただきわめて 徐々に市民階級が成立してきた。」( ibid. :53.同上: 13 4 ) 

(3)その他より

1 8 4 6年の暮K,マルクスは『アンネンコフへの手紙』を書いたが,との

『手紙』は彼の『哲学の貧困』のいわば基礎を在すものであった。との『手紙』

のをかから,われわれはつぎのよう左文句をみつけだすととができる。

「ブルードン氏には分業の問題がすとしもわかってい念いので,たとえばド イツでは9世紀から 12世紀にかけて現われたよう念都市と農村との分離につ いてさえ,彼は何も述べてい左いのです。だから,プノレードン氏Kと「ては,

この分離は永遠の法則と在るよbほかは左い,止いうのは,彼はその起源もそ の発展も知ら念いからです。彼の著書の全体をつうじて,彼は,あたかも一定 の生産様式のとの所産が最後の日までも存続するかのように語るでしょう。」

M E W  d . 4 , 9 5 9 : 5 5 D。邦訳全集,大月書店版,第4巻,

1960:565‑566) 

82月,マルクスとエングルスが発した『共産党宣言』は,ロンド ンで刊行された。その1"::かの一節。

「フ.ルジョワジーは,農村を都市の支配に従わせた。彼らは巨大念都市をつ くりだし,都市人口を農村人口に〈らべてかないに増大させ,とのようにして 人口のか念りの部分を農村生活の愚昧( Idiotismus)から救いだした。

フツレジョワジーは,農村を都市K依存させたように,また未開国ゃ半未開国を 文明固に,農耕諸民族をブルジョワ諸民族K ,東洋を西洋K ,依存させた。」

(ibid.:466.向上: 4

(18)

Il  『諸形態Jより

マルクスの経済学研究の成果は,「哲学の貧困J(IC一つの結実をみるととが できる。そして18 8年ごろには,彼の経済学説の根幹を念す剰余価値論が,

基本構想、として確立されていた。しかし, 18 4 8年から4 9年の「三月革命!

への積極的念参加Kよって,研究の続行政一時中断されざるをえなかった。

0年代に左ると,マルクスはふたたび経済学の研究K,そしてさらに関 連諸科学の研究にとりかか勺ていった。その結果, 18 5 7年秋から5 8年の 春にかけて,マルクスは草案(Rohentwurf)とはいうものの壮大念学問 的構築物『経済学批判要綱Jを執筆する。との『要綱』の「資本に関する章」

の〔第二編一一資本の流通過程〕のをかに,一般には『資本主義的生震に先行 する諸形態』去いうタイトルで知られる,あの難解ではあるが著名念分析が収 められている。『諸形態』は,諸生産様式の内的連関とその発展の必然性を検 討した論考であり,基本的経済諸法則に関するスクッチである。そとで『諸形 態』の~かから,都市に関する興味深い部分をひろ「てみよう。

(1)  共同体の諸形態と都市

「……〔所有の第ーの形態に bける本源的共同社会K会いては,〕労働Kよ り現実に保有するととの共同体的諸条件,す念わちアジアの諸民族の場合にき わめて重要であった用水路,交通手段等は,との場合Kは上位の統一体,す左 わち小さを諸共同体の上にうかぶ専制政府の事業として現われる。との場合本 来の都市は,……対外貿易κ特別有利在地点や,または国家の首長とその大守 たち( Satrapen) が彼らの所得(乗除生産物)を労働と交換し,との所 得を労働元本( labour‑ funds)として支出している止とろにだけ形成

される。

・・…〔所有の〕第二の形態は,土地をその基礎とするのでは左〈て,農耕者

(土地所有者)の既成の定住地(中心地)としての都市を想定している。農耕 地は,都市の領域として現われるのであ「て,村落がたん在る土地の付属物と

‑15‑

(19)

して現われるのでは念い。…共同団体が出会う困難は,他の共同団体によって のみひき主?とされる。す左わち,他の共同団体が土地をすでに占拠しているか,

さも左〈ば占拠している共同体をなびやかしたりするのである。だから戦争は,

それが生存の客観的条件を占取するためであろうと,その占取を維持し,永久化 するためであろうと,必要Kしでかつ重大在任務であり,重大左共同作業であ る。だから家族から左る共同体は,さしあた勺て軍事的に編成されている一一 軍制bよび兵制として。そしてとのととが,共同体が所有者として生存する条 件の一つ左のである。住所が都市に集合するのが, ζの軍事組織の基礎である。」

M a ,  G r , nd r e D i et z Ver 3: 3 7‑3 7 8

手島正毅訳,国民文庫版, 1963:12‑13)

「古典古代の歴史は都市の歴史であb,しかも土地所有と農業との上Kうち たてられた都市の歴史である。アジアの歴史は,都市と農村との一種の差別念 き一体制〔の歴史〕である。( ζとでは,本来の大都市は,たんに王侯の宿営 地として,また本来の経済機構の上にある複受胎( uperftat i on )と してのみ考察さるべきである。)中世(グルマン時代)は,歴史の場面として の農村から出発し, ζの歴史のその後の発展は,やがて都市と農村との対立と いうかたちで進行する。近代の〔歴史〕は,古代人の場合にみられるよう左都 市の農村化では左〈,農村の都市化である。

都市にかける連合K際しては,そのものとしての共同体は一つの経済的存在 をもっている。都市自体の定在( Dasein)とは,独立家屋が多数存在する というととだけでは左い。ととでは,全体がその部分から成りたっているので は念い。それは,一種の自立した有機体である。……古代の世界Kあ勺ては,

農村共有地( Landmark)をもっ都市が経済整体(das okonomi sche  Ganze)と念っているが,グルマン的世界にあ司ては,個々の住居とそが,

との経済整体である。との住居自体は,付属する土地の念かの点として現われ るにすぎないが,多数の所有者の集合体ではなくて,自立的単位としての家族

‑16‑

(20)

である。アジア的な(少左〈ともそれが支配的な〉形態にあ勺ては,個々人の 所有では念〈,えだ保有だけがある。共同体が本来の現実的所有者で,ーーし たがって所有は土地の共同所有としてのみ(生じる〕。古代人(事態がもっと も純粋で,もっとも明瞭念形態Kある,も勺とも古典的念実例止してのローマ 人)にあ「ては,国家的土地所有と私的土地所有との対立的形態〔があり〕,

その結果,後者が前者によ勺て媒介されたり,前者そのものがとの二重の形態 で存在したりする。それゆえ,私的土地所有者が同時K都市の市民〔でもある〕。

経済的にみれば,国家公民という存在( S taatsbi:irgertum)は,農民 が一都市の住民であるという単純念形態K集約される。グルマン的形態にあ勺 ては,農民は国家公民,つまり都市の住民では左い。むしろその基礎は,孤立 した,自立的左家族の住居であり,それは同じ部族の類似した家族の住居との

同盟ト,とのよう左相互保証のためにとき j:,~JJ聞かれる,戦争,宗教辛子よび法 律的調停等K関する集会とによ勺て保在されている。 J(ibid.: 382‑

8 4。向上: 2124 )  (2)都市の成員と産業

「私的所有者としての共同体成員が,都市共同体〔成員〕去都市領地所有者 としての自分自身からすでに分離している止とろでは,また個々人が自分の所 有を喪失するかもしれ念いよう念諸条件,す~わち彼を同格の市民,共同団体 の成員Kするξともに,彼を所有者にもするというこ重の関係もすでに生じて いる。」( ibid.:394。向上: 42 ) 

「…・・・交換価値の発展ーー商人身分の形態で存在する貨幣Kよ勺て助成され たーーーは,直接的左使用価値をより多〈めざした生産と,それに照応する所有 形態一一客観的諸条件にたいする労働の関係ーーとを解体し,とうしてまた労 働市場(奴隷市場とは明確に区別されるべき)の形成をかしすすめる。しかし 念がら,貨幣のとの作用もまた,資本と賃労働に立脚するのでは左〈て,ツン フト等の労働組織に立脚する都市の産業(ewe r )という前

(21)

提条件のもとでだけ可能であったKすぎ左い。都市の労働自体が生産手段をつ〈

りだしたが,その生産手段にとってツンフトが窮屈 Cgenant )左ものと在 ったととは,改良された農業Kとって古い土地所有諸関係が窮屈左ものとえt たのと同様であ「た。そして, ζの改良された農業自身はまた,ある程度は都 市への農産物の販売が増大した結果でもあった。……止とろで,資本への転化 以前の貨幣財産自体の形成に関していえば,それはプルジ冨ワ経済の前史に属 するζとである。その場合,高利貸,商業,都市制度,そしてそれらとともに 登場する国庫が,主要在役割を演ずる。借地農,農民念どの退蔵(Hoarden) 

もまた,より少念い程度でではあるが〔一役買っている〕。」( ibid,: 4 

‑408。向上: 65‑66)

「資本論』以後

(I)  『資本論』より

つぎに『資本論』の念かからみていくととにする。周知のように『資本論』

の第1巻は, 18 6 7年に初版が出版された。しかし第2巻公よび第5巻は,

マルクスの死後,彼の僚友エングJレスの編集Kよって,それぞれ初販が1885 年と 94年に刊行された。

「すでに発展したすべての,そして商品交換Kよ勺て榔干された分業の基礎 は,都市と農村との分離( Scheidung)である。社会の全経済史は, ζ 対立の運動に要約される止いうととができるのであるが,しかしととではこれ 以上との対立Kは立ち入ら左いととKする。」(MEW,Bd.23, 1962 

3。邦訳全集,第23 a巻, 1965:462)

「農業の部面では,大工業は,古い社会の要塞( Bollwerk)である

『農民』を滅ぼして,賃金労働者をそれに替える限りで,も勺とも革命的に作 用する。とうして,農村の社会変革的要求と社会的諸対立は,都市のそれと同 等にされる。旧習Kよどみきった不合理きわまる経営に代わって,科学の意識

(22)

的かつ技術的念適用が現われる。農業やマニュファクチュアの幼稚で未発達~

姿にからみついて,それらを結合していた原始的在家族の紐帯を引き裂くとと は,資本主義的生産様式によって完成される。しかし同時にまた,との生産様 式は,一つの新しい,より高次の統合のための,す~わち農業と工業との対立 的につ〈りあげられた姿を基礎に両者を結合するための,物質的諸前提条件を もっく bだす。資本主義的生産は,それによって大中心地K集積される都市人 口がますます優勢に左るにつれて,一方では社会の歴史的原動力を集積するが,

他方では人間と土地とのあいだの物質代謝を妨げる。すなわち,人聞が食料や 衣料のかたちで消費する土壌成分が土地K帰るととを,したが勺て土地の肥沃 さが持続する永遠の自然条件を,妨げるのである。それと同時に,資本主義的 生産は都市労働者の肉体的健康をも農村労働者の精神生活をも破壊する。……

農村労働者が比較的広い土地の上に分散しているというととは,同時K彼らの 抵抗力を摘みとるが,他方集中は都市労働者の抵抗力を強化する。都市工業の 場合と同様K ,現代の農業では労働の生産力の上昇と流動化の増進とは,労働 力そのものの荒廃と病弱イととによってあが念われる。」( ibid.:528‑

9。向上: 656‑657

「中世には,イタリアでのように,都市の例外的左発展Kよって封建制度が 破られていたのでは友いととろでは,どとでも農村は都市を政治的K搾取して いるのであるが,他方都市では,どとでも例外在〈,その独占価格ゃ,その租 税制度ゃ,そのツンフト制度や,その直接的友商人的詐欺そしてその高利によ

って,農村を経済的に搾取しているのである。」(MEW,Bd.25, 9 6 4 : 9。邦訳全集,第25b巻, 19 6 7年: 10 6〕

(2)  『剰余価値学説史』より

『資本論』の第4巻として構想されていたものに,『乗換価値tて関する諸学 説』がある。とれは,従来わが国では『剰余価値学説史』と呼ばれてきたもの である。マルクスがとれを執筆したのは18 6 2年から63年にかけてである

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