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エーベル

ドキュメント内 都 市 の 概 念 ーその総合的検討のため (ページ 130-143)

Wilhelm Ebel  (1908

)。ドイツ現代の法 制史学者。本稿使用奮は,h r BUrgereid  ala Ge I tungs 

grund  und  Geltungsprinzip des deutschen  mittelalterlichen  Sfadtrechts,1958. 

(i)都市法の一般的理解

「中世都市法制についてわれわれの通例措いている像は, 19世紀の憲法様 式Kのっとった小国家という観念に,あまりにも支配されすぎている。 f近代 国家の温室』と目されている中世都市は,その内部K,立憲的統治の一切の機 能,権能,整備された裁判組織,立法,法律的基礎をもうた行政と警察,生活 の全領域にわたる制定法bよびそれから流出する市民主語よぴ住民の権利義務を 備えた,一種の市民的小国家として恩い浮べられている。 15 ‑ 1 6世紀の比 較的大きい都市はζの状態陀近づいているから,以上の諸観念をそれに当ては めても,表面的陀は,難点の生じ左いととは認めてもよい。けれども,そのよ う左状態は,たとえ今日のわれわれの諸概念をそれに適用するととができるよ うに恩われても,永い時間の経過の左かで,全〈異質の法世界のうちに,成長 したものであるとと,しかも都市の歴史の初期には,一般的1j:,古い法観念K

‑129‑

照応した諸基礎から,成長したものであるととを誤認しては左ら念い。

との宣誓団体法は−H・プラーニッツの見るととろではーひとたび創出され ると,〔国王の〕特許状を基礎とする前都市時代のユース・メルカトールム

〔商人法〕と並んで,生成しつつある都市法の永続的構成部分と左る。 13 ‑ 1 4世紀以降,との二重の性質をもった起源K,『ユース・キーグィターティ ス』,す1i:わち自治権(自治定立法)と都市の慣習止から発生し,属入法的効 力では左〈属地法的左効力を有し,従って都市領域内の非市民

κ

も効力が及ぶ ととろの,そしてやがて膨大左記録にとどめられたととろの,都市法が付け加 わる。とれは,法生活のすべての領域,刑法,私法,訴訟法,裁判制度,営業,

警察を包括する。

(ii) 都 市j去の妥当根拠

以上に略述した〔プラーニァツによる〕都市の法素材の分類は……結局のと とろ,法の妥当範囲によるものであ「て,法の妥当根拠

κ

基〈ものでは左い。

フランク時代のユース・メルカトールムは,慣習法陀すぎ左いであろう。……

すで陀述べたように,中世末期辛子よび近代の都市が真正の自治立法の観念を,

すでにもっていたというのは確実だと思われる。しかし,同じととが11ー 1 2世紀(の宣誓団体〕にも妥当するかどうかは,少〈とも疑問である。同様 に,初期の,誓約(コンユーラーティオ)に基〈自治定立法士,後の,いうと とろの誓約によら乏い自治定立法との聞に,大き1i:相違があるとするのも疑問

ゲマ−£、T

Uて思われる。...・H ・−−誓約共同体は,精々のととろ,その事実上の存在陀関して

ゲマインデ

初めから永続的制度だと見るととができるのであって,誓約共同体を通じて基 礎づけられた法的拘束力に関しては,そうではをい。との法的拘束力は……絶 えざる更新を必要止したのであって,そのととは,市民の宣誓団体がすでK永 続的自明事,クノレベルシャフト〔法人〕,自治的左法制定者~1i:勺てしま「た 時代にも変ら左か勺た。宣誓団体は〔つねに〕事実上は永続的存在であるが,

しかし法的Kは,更新を必要とする誓約結合だったのである。:

γ

・・

〔ユース。メJレカトールムを除いた〕本来の意味vr:Jo>ける都市法は,自治的 陀つ〈られた法,自治定立法であり,従ってその原初的概念よりする左らば法 律行為的性格のものであり,自らその自治的立法陀参加した者のみを拘束する 条件つきの自己判決であ「た。しかし, ζの本来の意味陀なける都市法が都市 で効力を有する法のすべてではをく,そしてその本来の意味陀辛子ける都市法も,

実質的に見る1.:らば,中世の終りき勺てしまわ左いうちに法律行為的性格を喪 失し,『法律

J

vc~ 勺たのである。」( Ebel 1958:1‑5) 

〔佐々木克己〕

10

シュタインノ4ッノ、

Franz  Steinbach ( 1 8 5

)。 ドイツ現代 の歴史学者。本稿使用書ば,Collectanea  Franz  Steinbach, 1967. 

( i)  中世都市

「市民は,宣誓団体を通じて,都市

3

活習のなかで,ヘルの法むよびヘルの 権力からの経済的bよび法的独立を獲得するのに成功した。グノッセンシャフ ト的念自治と自己責任が,ヘルシャフト的左後見と保護K代って登場した。し か し そ れ だ け で は れ , 市 民 は , 都 議 係 のbかげで,さし当つてはささや かをものであっても,一般的左政治的意義を国家の左かで獲得した。……中世 盛期の急傾斜の上昇K ,絶対主義時代の急激念墜落と後退が続いた。しかし,

市民の政治的生命線の中断はもはや起ら念かった。

1 1 ' 1 2世紀の市民運動は世界史上初めて,商工業市民都市,す左わ ら商人bよび手工業者の居住地を,白主的左政治的有機体にたかめたのであっ

‑131‑

た。商工業市民は,中世の都

i 話 K t

の念かで,初めて,自分の力団主的左 意志統ーとから,法と権力の独立組織を創ったのであ勺た。」

(副都市の諸類型と都市人

「都市は,そして都市自治体も,すでにずっと前から存在していた。しかし,

それらは全〈男jlの社会学的機能をも勺ていた。………

都市の存在は,ほほ紀元前40 0 0年以降,近東で実証されている。ぞの時 はじめて成立した都市的生活形態は,その『抗し得ぬ魅力』の故K,幾多の停 滞,あと戻りの後K,そとから,地球の表面全体Kひろがっぞいった。その際,

絶えず新しい型の都市が成立した。.

フェニキア人の商業都市,ギリシア人のポリス,ローマ人のキーグィタース,

ケルト〈のオyピドゥム,そして中世の商工業市民都市は,都市の世界史的原 現象の,類型学的に明瞭左輪廓を与えるととのできる諸形態であり,明確念姿 をも「た個別諸類型である。とれらの都市は,相互に置きかえのきか左い,劃 時代的念その独自性にも拘らず,相互間K,また近東の古い都市との聞に,起 源の因果関係をも司ている。都市人は,栽培者,牧畜者,農民と同じく,人類 の革命的文化形態の一つである。……西欧なよび中欧に向って,都市文化は,

その前に農民文化がそうであったのと全〈同じく,第二次現象として押し寄せ てきた。……

都市の概念は,中世の商工業市民都市の社会的辛子よび経済的機能だけに結び ついているのでは左い。……商工業市民では左〈,聖職者,行政役人,戦士,

土地所有者が, 9 ' 1 0世紀の旧市区住民の社会的指導者層を構成していた。

しかし,都市的集落様式と都市的生活形態はそとにあったのだ。とにか〈完全 に亡却の淵K沈んではい左かったのだ。

との都市定住民の生活様式,緊急の時K都市周壁が都市定住民

κ

,居住地を 変えるとと左〈提供した保護〔別の個所ではとれを都市の普通史的機能と呼ん でいる〕が,……富裕有力な遍歴商人に強力左吸引力を及ぼしたK違い左いの

である。都市的生活様式の魅力は,いつの時代にも極めて大きか「たのである。 l (Steinbach  1967!782‑790) 

〔佐々木克己〕

1 1 ビューヒャー

Kar I B込cher( 1 8 4 7‑1 9 3 0}生ドイツの経済学者 で,後期歴史学派を代表する一人である。本稿使用書は, D i e  Entstehung der  Volkswirtschaft, zehnte  Auflage,  1917

「じっさいそれ〔都市〕は,中世

vu

砕いてもまず第ーに防禦機情であり,要 塞であり,そしてそのまわりはすべて強圏在城壁で固まれている。戦争の場合 には,〔周辺の〕農村陀住んでいる人々もその保護を受けられる。しかし,と のよう念農村陀住んでいる入々は,古代ローマ帝国のように,都市には組みと まれてい左い。都市は,固有の社会的制度と政治的位置をもっ。その人々は,

特別左地方的行政機構( Ortsbehorde)をとも左勺た共同体をかたちづ くっている。つまり,村長(Schultheisz),陪席判事(Schoffe), 村方(H eimburge),下級裁判職(Buttel)をどの機構をそ左えてい

るのである。彼らは,貴族ゃ,諸侯ゃ,教団~どが保持していた荘園支配権の

管轄下にある。彼らは農村法や地方裁判所に服していたが,それにたいして都 市には固有の都市法があり,都市裁判所がかかわ勺ていた。都市の人々は市民 と呼ばれ,農村に住んでいる人たちは農民と呼ばれる。それぞれは,b互いに はっきりと分けへだてられた身分を形成する。したがって,古代では都市が農 村を組み合わせていたのK,中世にかいては両者が相互に独立し,対等1.c権利

シー

をもって存在している。

それゆえ,古代と中世の経済的左相違K留意する左ら,われわれがただ理解 しうる一つの世界は,ローマ的・ギリシア的左ものとはまったく異左った世界 である。ギリシアやローマの都市居住者は土地保有者であり,かつ土地耕作者 であって,彼はまた:1Kしろ奴隷ゃ小作農を使って仕事を行左わせるζとがで きる。クセノフォンとカトーが,そのととをとう証言している。良き市民とは,

また良き営農家( Landw rt)である。 ζζとは,中世都市の市民には あてはまら左い。止もか〈彼が庭やわずかばかりの畑を耕していたとしても,

彼はまず第ーに生業を営んでいる者,手工業者であ勺た。都市と農村は,経済 的左機能去いう点で分かれて凶た。農村は原料や食料を生みだす。都市はその 原料を加工し,領域内では生産できないものを遠方から交易によ勺てもたらす。

市民と農民は,都市にある市場で双方の生産物を交換する。一種の自然左強制 の念かで.者I)市と周辺の農村は,分業によって自ら陀供給し自らを満たす閉鎖 的左経済領域をつくる。そして都市には,同業者開業拒否権(Bannrecht)

止市場開催権( Sta p e Ire ch t )によって,都市花有利左諸関係を人為的

κ

強化しようとする傾向があ「た。都市は,手工業者は農村

κ

住んでは:1ら左い 止いう原則(都市強制,マイノレ権〉をうちたて,そして都市はその原則をだい たい貫き通しさえしたのである。

グノレマン民族なよびラテン民族の中世都市は,農村の内的念経済発展の自然 左産物であり,住民をかりたてる商工業の地方的結合である。したがゥて都市 は,特有の『暮らしの場』(N ah rungs t and 〉をも勺ている。中世都市は,

ギリシアやローマの場合のよう左たんなる消費の中心では左〈,ょb重要左意 味で商品を生産する産業の所在地である。『仕事は市民の誉れである。』(中 世の)市民は,アyティカやローマの市民のように,支配下にないたものから の貢物によって,あるいは奴隷や小作人の労働からのあが

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によって生活する のでは左い。…中世都市は,都市の市場をただ手工業者の諸:Yンフトだけに取

ドキュメント内 都 市 の 概 念 ーその総合的検討のため (ページ 130-143)

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