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Rudo If S ohm  ( 1 8 4 1ー19 1 7 )。ドイツの法学者,

去〈にローマ法から出発しグルマン法・教会法の研究者として大き 左影響をのζした。主著, Institutionen des  rりmi‑

schen Recht s , 1 8 8 3。本稿使用書は, Di e En tsteh ung des deutschen  Stadtewesens,189 Do 

( i)  都市と市場との関係

「都市制度は, 1 3世 紀 に 多 数 の ド イ ツ 都 市 に 成 立 し た も の だ が , さ まざまKとと左る形で展開した発展の結果である。

法 的 意 味 に な け る 都 市 の 発 生 は , 常 設 市 場 地 の 誕 生 に よ り 生 じ た 。 グァイヒピノレトのラント裁判所なよびラント法からの解放,す~わち 特 殊 左 都 市 裁 判 所 念 よ び 都 市 法 の 形 成 は 市 場 法 か ら ( そ の 限 界 内 陀b いて)うまれでたのである。

都 市 の 制 度 は , 上 述 の よ う 念 市 場 制 度Markverfassungとして 存在したものであった。ただし,市場制度は,市場共同体Markgemeinde の構成員のすべてを包みこんだただ一つのものではなかった。すなわち市場居 住者には,この市場団体のほかになお二つの団体があり,かれらはそれらにも 同様にくみこまれていた。

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その団体の一つはラント裁判所の団体で,左かんず〈,グラフ(城主,上級 守護官)が裁判長をつとめる正統的裁判により代表されていた。……

他の一つの団体がととで問題去されるもので,ラγト到司体Landgeme in‑

d e の団体である。都市共同体Stad t geme ind eは,との種の形でも つばら市場関係事項に関与し組織されていたのである。………」(Sohm

1890!91‑92) 

(剖都市参事会の成立

「参事会Ratは,市場制度から発生した。市場法に機関らしいものとして 存在していたものはただ一つ,市場裁判所であった。その理由で,参事会制度 は市場裁判所制度(都市裁判所制度)から発生するほか左か「た。

市場共同体は,そのトップ陀市場裁判官すなわち代官Schultheisz  をも司ていた。もっとも市場裁判官は,商業取引によ

b

繁栄をつづける都市に あっては,のちに走ると十分陀みたされるととができ左か勺た。そとで,他の 役所の存在が必要と念り,参事会もうまれたのである。……・・・」( ibid.:

9 5 ) 

諸都市によb異1i:る事情と経緯があ勺たが,「上の代官去の関係で,す左わ ち代官に従属するものとして,参事会は誕生した。だからとそ,代官(都市裁 判官)はど

d

官市でも新興の参事会と緊密左関係をもっととが,われわれの目陀

うつるのである。・・・…

都市Uてないては,最初にかつま「た〈特別K ,そして市場取引の重要事項を 第一の目的とし,一つの合議体裁判所が都市裁判所の機関として形成された。

とれが参事会であり,また,近代の裁判所の性質をそ念えた最初の裁判所でも あった。(すなわち)まも念〈,都市裁判所の参審員たちがあらわれて参事会 としての役を演ずることとを

h

,さらにのち,との参事会員合議体が参審員合 議体のワクからはずれてきた。そうはいっても,参事会の組織は,参審員裁判 所のそれとは別であった。参審員裁判所は,伝統的左古い裁判所法にしたがっ

て組織は独任制であるのに対し,参事会は合議制であったのである。参審員合 議体は,もともとは主宰者である裁判官だけに認められていた権力を執行す

るのを補助したのだが,参事会は....・H ・−一個の全体として権限を保有し行使し た。都市に発生した都市貴族は自己本位の貴族政治的統治方式をま子しだし,参 事会に席をえた。参事会の権力を拡大するとと,同時に参事会を,最初はす〈

左〈とも形式的だ「た都市支配者の権力機関から変じて共同体の権力機関とす ること, ζれが,のらの発展V<:i;けるかくれも左い目的止左ったのである。」

(ibid.:99‑101) 

〔千葉正士〕

リーチェル

Siegfried  Rietschel  ( 1871ー19 1 2 )。ド イツの法制史学者で,と <V<:都市と市場との関係を論じた。本稿使 用書は,Markt  und  Stadt  in  ihrem reehtlichen  Verh託Itni B, 1 8 9 7 (復干!J1 9 6 5 ) . 

「都市と市場の相違は,都市が常設的商業地であって,都市には『永久市場』

が存在するのに対して,市場では,一時的陀,一年のうちの若干の市場日だけ K,商業が営まれる点に求められるべきだ,をどと考えては左ら念い。……・

市場はむしろ,都市と同じく,もともと商業を営む人間の居住地左のである。

都市と市場の相違は,本当性,都市は防備施設をもっているが,市場はもョ てい左い点Uて求められるべきである。都市とは,同時陀プルク〔城砦〕である ととるの市場のととである。都市はすべて市場である。しかし,すべての市場

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が都市左のではない。都市はすべてプルクである。しかし,すべてのブルクが 都市左のでは左い0HH ・−−」(Rietschel 1965:149ー15 1 ) 

〔佐々木克己〕

へーゲル〈カール〉

Karl Hegel.  ドイツの法制史学者,市史編纂で有名。本 稿使用書は,その主著でもある,

S

tadte  und  Gilden  der  germanischen Volker im  Mittelalter, 

2Bde.,  1891の2teBd. とれば,グルマン系の諸国 全般にわたる考察である。

(i)ゲルマン諸圃の都市の特徴

「特徴的念態様としてグルマンの王国ではどζでも,都市とギルドとのつ左 が

b

があった。ライヒの憲法によ

h

都市K認められた地位と意義も,またそれ Uてより条件づけられた都市の発達の仕方も,か左

b

異在っていた。しかし共通 するととは,都市の本質と淵源がグルマンの民族性ととも陀制度の一般性陀も

とずいて現出した点であり,そして同時陀一般的文化発展との関連,す念わち 諸民族聞の交渉の聞にbと左われた影響が,問題と走る。」(Hegel1891

: 5 0 1 ) 

「都市共同体は,商人bよび営業者の諸組合にわかれた。それらは,旧時の ギルドの制度と慣習にならったものだが,それとは別の形のものであ

b

,形態 としては弱まったギルドで,都市という自治団体gemeinwesen に奉仕 し,その念かにはめとまれ,それに従属したものであった。」( ibid.:

5 1 1 

‑117ー

(副都市共同体のメルクマール

「都市共同体は,起源は地域共同体Or tgeme ind eから出ている。との ととは,新都市の建設の場合にも妥当する。 f

f芝

体がはじめてイ乍られたときである。………地域共同体は,ラント領主権のもと で自由左ものとしてそして土地所有権Kは従属的左ものとして存在した。領主 の城,皇帝や諸侯や教界。俗界の土地所有者左どの持ち株等が,大部介の都市 の出発点であった。だから城塞地boroughがイギリスでは今日も都市をさ し,同様K城Bur gがドイツでは古くは都市を意味する。城は,領主の館と 地域共同体とを包括し,との両者陀またがって,領主の裁判官,上級守護官,

城代castellanu s,司祭長praepositusが辛子かれていた。………ζ

の械の土地を基礎として,強力左諸侯の支配権が成立していたのである。

それとは別K,市場地辛子よび商業地として発生左いl建設された都市もある。

都市を塁塁塁や堀陀よって外からとりかとむととは,のちには城壁でもbと念 われたが,都市の本質にかかわるととでも左〈,また都市存在の条件を在すも のでも左い。………都市を城壁でめぐらすととは,のちの時代陀在って市民が やりだしたととである。それを作るのにとくに役立「たものは裁判jの罰金収入 であ「た。..

都市の生活も生業も営業と商業

κ

依存していた。その点Uてないて,都市は平 地の農村と区別され特徴づけられ,都市の市場取ヲ!と外来人,止くに客との商 業も~りたっていた。だが,法を,そして最初の制度形式を都市 K賦与したも のは,都市支配人Stad therr であ勺?と。

、そのはじめは,市特有の特別の裁判所管轄区域の成立と,市辛子よび市民の土 地の,市域への所属であった。…...都市裁判所とラント裁判所との分離は,

イギリスでも,スカンジナグィアの諸王国でも大陸の諸国でも,いたるととろ になと左われていたのであ「た。都市が免除をうけた都市裁判所をもっととと,

権刺を証する唯一のもの止して市民の基本権とが,都市の本質的メルクマール である。」( ibid. :so4‑5D6) 

(i⑥都市;去と市民の権利

「市民の基本権は,都市法に記されている。その一つ,都市裁判官の前での み権利が証されるとーについては,すでにのべたが,も勺と大事左ζ止は,人 身の自由の権利である。...・H−−・

人身の自由の基本権止関連して,財産権去相続権がある。その一般原則性,

都市法Kよ勺てもラント法によ勺ても,相続人の念い財産はラント領主あるい は都市支配/へに帰属する止いうととである。−

刑法と罰金制度は,北欧の諸王国にあ勺ては大部分成立していた。国王の立 法

κ

よる都市法も,との点にないてはラント法と一致していた。一般的原則を いえば,都市にあっては,公的左罰金の一部は都市の収益K帰する企いうと去 だった0 .. 

自家用の商品に対する関税免除は,都市の商業を促進するため陀,しばしば 市民に認められていた。………15世紀の都市法一般止しては,市民の関税免 除は,そのもつ特権止して,止くい客とちがってなと左われていた。

都市制度の一般的形態と時的類型は,都市支配権止都市共同体去の関係を つうじなのずから生ずるにいたったもので,領主裁判官,行政のための市民選 出の委員,辛子よび共同体の市民集会である。...・H・・

一方では市民の自治K,そして他方では都市裁判所への参与にともなって,

都市参事会の発生があった。参事会ζそ,都市の政治的独立のもっともいらじ るしい象徴である。……」( ibid.!507‑509)

「さまざまの王国や領邦陀かいて国王や諸侯がその支配権を都市について主 張し,あるいは市民に及ぼしたのだが,その方法・態様は,都市の自由の程度 をあらわすものであ「た。ただしそうはいっても,現実の権力行使に〈らべ法 の形式面の重要性はずっ止す〈左かった。…・・・」( ibid.:515)

〔千葉正土〕

ドキュメント内 都 市 の 概 念 ーその総合的検討のため (ページ 115-130)

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