はじめに
岩崎行親(1857〜1928.旧制第七高等学校造士館初代館長。以下岩崎 と表記)は札幌農学校に、内村鑑三(1861〜1930.以下内村と表記)、
新渡戸稲造(1862〜1933.以下新渡戸と表記)たちとともに第二期生と して入学し4年間の生徒時代を送り卒業した。
執筆者の「岩崎行親の生涯と札幌農学校」を主題にする研究は、札幌 農学校教育が岩崎の人間形成にどのような影響を及ぼしたかを追究する もので、現在継続中で未完である。
本研究の内、岩崎の概説的な紹介については、「岩崎行親の生涯と業 績」として『鹿児島純心女子短期大学研究紀要』第41号(2011)に掲載 され、岩崎が札幌農学校に入学するまでについての研究は、「岩崎行親 の生涯と札幌農学校(2)―ある国粋主義者の札幌農学校教育に対する 受容と抵抗―」として『鹿児島純心女子短期大学研究紀要』第42号
(2012)に掲載された。本稿は既稿の続稿にあたる。
本稿では岩崎が学んだ札幌農学校がどのような学校であったかを「建 学の精神」の考察をとおして究明することを課題とする。というのも札 幌農学校と創設期の「建学の精神」は、青年・岩崎の精神的風土であっ たからである。
そして次稿において岩崎が札幌農学校でどのような生徒生活を送り、
札幌農学校教育が岩崎の人間形成にどのような影響を及ぼしたか、別言 すれば岩崎の札幌農学校教育に対する受容と抵抗を究明したい。
札 幌 農 学 校 と 建 学 の 精 神
―…青年・岩崎行親の精神的風土について…―