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フランスにおける教育の自由 ― 憲法学の観点から
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著者 高野 真澄
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 8
ページ 1‑11
発行年 1972‑03‑15
その他のタイトル Freedom of Education in France: From Constitutional Point of View.
URL http://hdl.handle.net/10105/6255
フランスにおける教百の自由*
憲法学の観点から
高 野 真 澄**
(法律学教室)
序 論
小稿はフランスにおける教育の自由について憲法学の観点からその概念・態様および法的特質を論 じようとするものである。フランスにおける教育の自由の問題は実に古くして新しい問題である。そ れは, Enseignement d Etat ou eco1e i ibre?の命題にも象徴されているように(1),単に 教育領域の事項たるにとどまらず,その背景に宗教問題をもつが故に,個人(家族)・団体(教会),
国家夫々の利害に直接かつ重大にかかわって屡々激しい政治論争を惹起する原因になっている(2)。
従って,フランスにおける教育の自由をめぐる憲法学上の考察においても,単にフランス歴代諸憲法 の教育条項を取りあげるのでなくて,教育事項に対する国法の微妙なかかわりかたやその消長の軌跡 一主要な政治階梯における制憲者の教育観および立法者の教育政策とその法制一を社会的・
政治的背景に徴して綿密に吟味する用意をもつことが不可欠の前提となろう。しかし,かかる教育
(法)制度史をべ一スにしての教育の自由の憲法史的考察は到底小稿においてこれを試みる余裕をも たないし,またそれは筆者の能力を超えることがらである。
本稿では,フランスにおける教育の自由の原理について,第一に規範の内容において,第二に規範 の壷法上ゐ地血において問題にしようと思う。予めこれについて少しく触れておこう。豪二点につい て。教育の自由の観念は,フランスにおいて革命下の1791年憲法によって措定された公教育の創設・
組織の過程で国家の教育権(独占)原理と対立・拮抗するなかで生れたと解されるが,それは,およ そ民主制社会の基礎をなす自由と思想・良心および意見の多様性に基づく教育の組織・編成を要請す る,市民的自由防衛のための法原理としてフランスのみならず広く自由主義諸国の伝統的な憲法原理 の一に高められるに至っている。フランス共和暦3(1795)年憲法第300条,同1848年憲法第9条,
同1946年憲法前文をはじめ,1815年オランダ王国憲法第201条1831年ベルギー国憲法第17条1911 年ギリシャ憲法第16条,1948年イタリア共和国憲法第33条,1949年ドイツ連邦共和国基本法第5条,
第7条その他ドイツ州憲法等(3〕がこれである。しかしながら,この伝統的な自由の法原則も,それが もともと教育の私事性に発したという沿革もあって,これを構成する個々の規範は多くの実定法の中 に不明確な形で散在せしめられているのであワ,またこの法原則の展開においては平等原則や他の精
* Freedom of Education in Fran㏄:Fr㎝C㎝stitutiona1Point of View 榊Masumi Takano(Department of LaW Nara Uni versi ty of Educat ion,Nara)
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神的自由と不可分に結びついて規範形成がなされてきているので,自由権相互間の関係を含めて,綜 合的にこれを解明する必要がある。更に,近時,教育の自由の法原則は,他の公的自由と同様1すべ ての者にひとしく権利の具体的・現実的行使を確保せしめることを意図する国の関与によって規範内 容を補充(4)されつつある。かくして,教育の自由の原理が公教育における自由の確保というより近代 的な要請との調和を含む限りにおいて.この法理の現代における意義と課題についても検討を要する 点は少なくないように思われる。第二点について。ここでは,いわゆる教育の自由を審法上の公的自 由,共和国の諸法律によって確立された基本原則(ないし法の一般原理),法律上の自由の各節贈の 何れに位置付けることができるか,いわば教育の自由の原則の人権保障体系における基本的な地位が 問題となろう。
小稿は,上記の諸点の何れにも充分に答えているとはいえず,ただ問題の所在に触れるにとどまっ ている。とくに,第二点は,憲法固有の領域に属するが,問題の性質上人権理論の根本問題にかかわ ってくるものであるだけに,これに関するコソセイユ・デタの判例の発達を考慮した上での綜合的な 検討が今後必要だと考えている。小稿はそうした将来の課題(フランス公法における教育の自由の原 理)を追求するための一つの伏線にすぎない。夫々の問題点について,他日改めて考察をすすめる機
会をもちたいと思うものである。
第一節 教育の自由の概念.態様
「教育の自由」(1ibert6de1らnseignement)の観念は,上にも触れたように,単に法理上 のものでなく,すぐれて宗教的・政治的な観念であるといわねばならない。それだけに,教育の自 由の概念構成を試みることは容易でない。が,制度的側面を重くみて規定するならば,教育の自由の 原理は,すべての市民に共通する公教育( instruction PubI ique 1791年憲法第1篇諸権利の 保障7段),国費による共同教育ないし知育・訓育を含む統一荊な国民教育( 6ducation nati㎝a1e
Lepe1etier de St.一Fargeau,Robcspierre)(5),子は家庭に属する以前に国家に属す(Danton)
等の教育観を通じて国家による教育独占と教義の強制を要諸した国家の教育権(droit≧エ inst一 ruct ion)の原理と対立し,教育事項における公役務(service pub1ics denseignement)
と私的制度(inst i tut ions pr iv6es)の共存ないし二元的協働を承認する教育の自由体制を基礎 づける原理を意味する。従って,教育の自由原理は,公役務と私的制度の間には対立(riva1i t6)
でなく協働(co11aboration)が支配すること(6)を前提とし,公役務の私的制度に対するある種の 監督・統制を許容しつつもなお教育事項における後者の独立・自律性を承認するところに,法原則と して大きな特色を有している。では,かように規定された教育の自由はいかなる態様ないし法的構造 をもつものなのか,以下M.Duvergerの分類するところに従って(7),(1)学校開設の自由(2)学校 選択の自由 (3)教育内容の自由の三に分けて考察しよう。
1。学校開設の自由 学校開設の自由(1ibert6d ouvrir des6co1es)は,教育の自由生成 の中核をなすもので,教育の自由原則中最も古典的なものに属するといってよい。その基本的性格は 宗教教育の自由を意味するが,同時に経済的自由とりわけ商・工業および営業の自由とも深く結びつ
いている(8)o
一2i
学校開設の自由は革命期の先駆的法制をなす共和暦2年fr imai re29(1793年12月19日)デクレ,
共和暦3(1795)年憲法第300条および本憲法の教育条項を具体化した1795年10月25日法で明記せら れた。開設の自由は,やがて第一帝制下の立法が一切の教育施設の設置を大学総長の厳格な許可にか かわらしめたので(1806年5月10日法),中断をみたが,1830年憲章第69条8号および1848年第二共 和制憲法第9条で復活し,法原則とこそ壷血した。その後,自由教育は1833年法(初等教育),1850
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年法(中等教育)および1875年法(高等教育)によってあらゆる段階を通じて(主tous1es degres)
承認されるに至った。1946年第四共和制憲法は,教育の自由について沈黙するが,その前文で1789年 人権宣言の諸権利とともに「共和国の諸法律によって認められた基本原則」を再確認しておワ,教育 の自由が上記基本原則の一に含まれるとする解釈論に説得的根拠を与えている。現行1958年第五共和 制憲法の前文は,1946年憲法前文で確認し補充された人権への愛執を厳粛に宣言するというにとどま っている。そして憲法第34条は「教育の基本原則」の定立を法律事項とした。これを承けて,国と私 立校の関係に関する1958年12月3I日法(Loi Debr6)は,教育の自由を宣言し尊重するとしたうえで,
とくに私立校の開設と運営の自由を法認している(同法第1条)。
学校の開設はすべてのフランス人(私法人を含む)に認められるが,法律の定める一定の条件の下 で行政官庁(学校段階により市町村長・学区監もしくは大学区総長)への届出が必要とされている。
届出(d6cIaration)に際しては「法律の定める能力および道徳の要件」(1848年憲法第9条2項)
その他教育施設(etab1i ssements densignement)の安全・衛生に対する配慮が審査される。
関係官庁は届出に対して異議(opposi t ion)を主張しうる。開設者はこの異議に対して出訴するこ とができる。私学開設の自由は,実際上 ほぼ全面的に認められているといわれる(g)。かようにして,
学校開設の自由はこの国において強い制度的保障を与えられている。従って,国は公教育を組織する に当って公権力の特権を私立校の開設・運営の自由を排除するために用いることは許されない㈹。そ うでない限ワは国が公役務を組織することそのことをもって直ちに私立校の開設の自由を侵すものと いうことはできないω。判例も同様に,教育の自由といえども公法人が教育公役務を組織する権限を 制限し叉は公役務の適用上パリ大学都市を新設するが如き教育公役務を補充する事業の実施を制限し
うるものではないとしている(C・…Hd 企t・t,27…i11945.L・・di・・,D.1945,282.
conc l.Lagrange;C.E.,27 fevr.1942.Mo11et,Rec.64.65)⑫。
適法に(regu1iさrement)開設された私立校は運営の自治を有する(1959年法第1条)。私立校
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が自ら卒業証書を発行する自由(1iberte de de1ivrer des dip1omes)を有することはその 一である。但し,私立校の卒業証書は社会的にはともかく公的な価値をもたない蝸。しかも,ナポレ
オンの中央集権的教育法制の遺産は今日なお私学の創意と責任に基づく運営の自治を強く制約してい る点に注意を要する。大学は常に国が創設し,私立の高等教育機関は大学の名称を付することを禁止 される。私立夫学学部は学位授与権を有していないことなどがこれである(1808年3月17目デクレ,・。.
1880年3月18日法)。
2。学校選択の自由 家父(父のないときは母,以下,親という)は自ら子を教育する自由を有す る。家庭教育の自由は,革命家によって自然権の一に数えられたもので(Condorcetなど),子の人 間的発達のための不可欠の自由に属する。親の子を教育する権利(droit d台nseigner)は子のため
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の義務(devoir〕一の性質をもつ。教育は自らの思想を良心の命ずるところに従りて行われるべきもの である。従って,親は子に与えられるべき教育ないし学校を良心に基づいて自由に選択することがで きなければならない。国家の教育権(独占)の体制は親の教育権と学校選択権を同時に拒否すること により基本的に思想・良心の自由を否定するに至る蜥これに対して、教育の自由体制においては,
上にみたように,親の教育権(教育義務)とこれに由来する学校選択の自由(1ibert6du choixde 1 6CO1ε)は「教育の自由」の一部をなすものとして親に優先的に保障されるから,国は親の教育権 と親が子に与えることを希望する教育(学校)の種類の選択を圧迫したワ干渉してはならない。従っ
て,