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明治初期・飛騨地方における生産魚類の分布論的研 究

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明治初期・飛騨地方における生産魚類の分布論的研

著者 秋道 智彌

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 4

号 2

ページ 285‑339

発行年 1979‑10‑25

URL http://doi.org/10.15021/00004554

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秋道  明治初期 ・飛騨地方における生産 魚類の分布論的研究

明治初期 ・飛騨地方 にお ける生産魚類 の       分布論 的研 究

秋 道 智 彌*

On the Reconstruction of the Distribution and the Human Exploitation of River-Fishes in the Hida Region, Central apan

Tomoya AKIMICHI

The relationship between the distribution of river fish species and nineteenth-century fisheries yields in the Hida region of

Central Japan are examined using data from the Hidagofudoki, a contemporary local geographical document.

The descriptive data coincide well with those of the natural populations, in terms of vertical distribution. Total fish yield is

estimated by altitude and stream order, and cumulative distri- butions are compared for 4 river systems. Some species, such as Cyprinoid Dace (Leuciscus [Tribolodon] hakonensis), Ayu-fish (Plecoglossus altivelis), Cherry Salmon (Salmo [Oncorhynchus] =sou masou), two sub-species of Land-Locked Salmon (Salmo [Oncor- hynchus] masou masou, Salmo [Oncorhynchus] masou macrostomus), show high yields at different altitudes and in different stream orders.

The fifth-order or main streams are most economically productive in terms of species diversity and abundance. In- tensification of fishing effort focusing on some cyprinoid and salmon-like fish was found in the river Miya, where production seems to have been exclusively for commercial use, whereas the diversity of species found in the river Takahara appear to have been used mainly for subsistence purposes.

The distribution pattern of yields connotes both biological factors related to the vertical distribution of river-fishes and human factors related to the subsistence-consumer economy.

国立民族学博物館第2研 究部

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国立民族学博物館研究報告   4巻2号

1.は じめ に 皿.資 料 皿.目 的 と方 法 N.生 産 魚 類 の 種 類 判別 V.生 産魚 類 の 分 布

1,分 布 論 の 方 法

2.飛 騨 国 の4水 系 と生 産魚 類 3.生 産 魚 類 の 平面 分 布 4.生 産 魚 類 の 垂直 分 布 5.生 産 魚 類 の河 川 次 数別 分 布

班.生 産 魚 類 の生 産高 とそ の分 布 1.方 法

2.生 産 高

3.生 産 高 の 垂 直分 布 4.生 産 高 の 河川 次 数 別分 布 vr.結 論

呪.考 察

1.淡 水 魚 生 産 の モ デル

 2.各 水 系 の魚 類 分 布一 明治 初 期 と      1967年 の比 較 一

1.は じ め に

  自然 状 態 の 河 川 や 湖 沼 は,ひ とた び 人 為 的 な手 が くわ わ る と,非 常 に か わ って しま う。 た とえ ば,こ の こ とは,ダ ム 建設 を例 と して考 えて み れ ば よい 。 ダ ム は,一 方 で 洪 水 や 水 不 足 を 調節 し,農 業 ・工 業 用 水 の み な らず,電 力 の供 給 を も可 能 な らしめ た 。

しか し,他 方,ダ ム は産 卵 のた め に回 遊 す る魚 類 の湖 上 を阻 害 し,流 域 の 漁 業 を 混乱 させ る要 因 と な った。 ダ ム に よ って で きた 人 造 湖 で は,コ イや フ ナな どの 静 水性 魚類 が 移 殖 放 流 され,繁 殖 す る一 方,ダ ム とい う障 壁 の た め 降海 で き な くな った マス は, 人 造 湖 を海 の か わ りと して 成 長 せ ざ るを え な くな った。 ダ ム人 造 湖 は,人 間 の レ ク リ エー シ ョンの場 と して も役 立 って い る。

  こ う して み る と,河 川 にお け る人 為 的 な 改 変 の もた らす 影 響 は,ダ ム建 設 だ けを と って み て も,は か り しれ ない もの が あ る。 そ の 影 響範 囲 は,地 形 や 水 質 な どの 自然条 件,水 中 の動 植 物 相 のみ な らず,人 間 生 活 に もお よ ん で い る。 現 在 の 状 況 か らして, 河 川 とそ れ を と りま く環 境 の 総 体     つ ま り,河 川 生 態 系が,今 後 さ らに 撹 乱 され て ゆ くこ と は,も は や疑 い え な い こと と思 わ れ る。

  ひ るが え って 考 えて み る と き,以 上 の べ て き た よ う な河 川 生 態 系 の 人 為 的 撹乱 が, 大 規 模 に な され る以 前 は,河 川 の 生 物,と くに 魚類 は,ど の よ う に分 布 し,流 域 の人 び と と どの よ うに か かわ りあ って い た の だ ろ うか 。 こ れ らの こ とが らに つ い て 知 る こ と は,き わ め て今 日的 な課 題 で あ る。

  す で に,魚 類 生 態 学 の 立 場 か ら,現 在 に お け る淡 水 魚 の分 布 を,水 系 や支 流 ご とに 調 査 して 分布 図 を作 成 す る ことが,目 下 の急 務 で あ る とす る提 案 が な され て い る[川 那 部  1977:48‑49;財 団 法人 淡 水 魚 保 護 協 会   1977:49;小 林  1978:11]。

  現 在 の み な らず,過 去 にお け る淡 水 魚 の 分 布 を復 原 す る試 み の 重 要 性 は,言 う まで

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秋道 明治初期 ・飛騨地方 にお ける生産魚類の分布論的研究

もない 。 魚 の分 布 とい う もの を軸 に して,魚 の生 活史 と人 間 の く ら しとの 接 点,あ る い は両 者 のか か わ り合 い とい った こ とを と らえ られ な い もの だ ろ うか 。

  本 論 は,以 上 の 諸 点 を ふ まえ,い まか ら約100年 前 に お け る淡 水 魚 類 の 分 布 に 関す る考 察 を通 じて,魚 と人 間 との か かわ り合 いを 論 じよ う とす る もの で あ る。 直 接 的 な 資 料 と して も ち いた の は,明 治初 期 に か かれ た 飛 騨 地 方 の 地 誌 「斐太 後 風 土 記 』 刊 本 全2巻[富 田編1977a,b]で あ る。

Ⅱ資 料

  『斐 太 後 風土 記 』 は,明 治6(1874)年,富 田礼 彦 に よ って 編 纂 され た 飛 騨 国(現 在 の 岐 阜県 中 ・北部)に 関す る地 誌 で あ る。

  当時,飛 騨 代 官 所 の地 役人 で あ っ た富 田礼 彦 は,と きの 飛 騨 国 知 事,宮 原 大 輔 の命 に よ り,『斐 太 後 風 土 記 』 の 編 纂 を 委 嘱 さ れ た。 富 田礼 彦 は,こ の 事 業 を 着 手 す るに あ た り,『風 土 書 上 帳 』 と よば れ る調 査 資 料 を取 捨 選 択,整 理 し,『 斐 太 後 風 土 記 』 を 完 成 す る。 この 『 風 土 書 上 帳 』 は,高 山 の役 所 よ り飛 騨 国3郡,415力 村 に む け て 発 せ られ た 取 り調 べ 帳 で あ る[桑 谷   1977:3‑101。

資 料 の 問 題 点

 1.  『風 土書 上 帳』 と の 関係

 『斐 太 後 風 土 記 』 を と りあ げ よ う とす る さ い に 問題 と な る の は,『 斐 太 後 風 土 記 』 と そ の もと とな った 「風 土書 上 帳』 と の記 載 内容 上 の 関係 で あ る。

      わい か

  『風 土書 上 帳 」 自体 は,現 在,富 田令 禾 氏 が 保 管 され て い る。 そ して,一 部 で は あ るが,飛 騨郷 土 学 会,桑 谷 正 道 氏発 行 の雑 誌 『飛 騨 春 秋 』 に発 表 され て い る。 富 田 令 禾 氏 は,そ の な か で,『 風 土書 上 帳』 の一 部 を発 表 した い き さつ につ いて の べ られ て い る[富 田  1964:1‑2]。

  そ れ に よ ると,『 風 土書 上 帳 』 の 全 部 が 『斐太 後 風土 記 』と して 採 録 され て い るわ け で は な い こ と,不 採 録 の部 分 はお もに 伝 承方 面 に 関す る もので あ る こ と,『 風 土 書 上 帳 』 が完 全 に現 存 して い る わ けで な い こ と,・な どの諸 点 が あ き らか に され て い る。 本 論 で は,『 飛騨 春 秋 』 に掲 載 され た 『風 土 書 上 帳 』 の 内 容 を,参 考 資 料 と して の み,も

ちい る こ とにす る。

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国立民族学博物館研究報 告  4巻2号

2.  『 斐 太 後風 土 記』 の参 照 部 分

  「斐太 後 風 土 記 』 には,飛 騨 国3郡,つ ま り大 野 郡(9郷137力 村),吉 城 郡(7郷 178力 村),益 田郡(9郷1◎0力 村)の 計415力 村 につ い て,村 ご との人 口,戸 数,土 地 利 用,産 物,社 寺 縁起,古 跡 名勝,由 来 な どに 関す る詳 細 な 記 載 が な さ れ て い る。

  と くに産 物 に つ い て は,村 ご と に生 産 され る穀 物 類,堅 果 類,豆 類,果 物 ・野菜 類, 菌 類 鳥 類,魚 類,獣 類,そ の他 の食 用 動植 物 を は じめ,養 蚕 ・工 芸 ・鉱 業 関係 の生 産 物,各 種 の生 活 用 具 な ど が,お よ そ500項 目に わ た り,詳 細 に,し か もその 多 くが 量 的 に記 載 され て い る。 そ の お もな もの につ い て は,附 表1に 示 して あ る。

  この産 物 の 項 か ら,魚 類 に 関 す る記 載 事 項 を 抽 出 して,飛 騨 国全 体 に お け る魚 類分 布 や生 産高 を し らべ るわ け で あ る 。

  た とえ ば,大 野 郡 白川 郷 海 上 村 の所 を参 照 す る と,つ ぎ の よ うに か か れ て い る。

  「産物   米 十 五 石 五 斗  稗 二 百 四十 石   大 屡 三石 五 斗   粟 五 石 六 斗  大 豆 十 三石 四 斗   小 変 二石 四斗   菜 種 一 斗  桑 三 千 六十 貫 目(以 下 中 略)… … 山 トリ五 羽  鴨 一 羽

マ スニ 十 五 本  ハ エ五 百 五 十   ア ヂ メ 五升   ザ ッ コ五十 」。

  す な わ ち,海 上 村 の生 産 魚 類 お よび そ の生 産 高 は,マ ス25本,ハ ェ550,ア ヂ メ5 升,ザ ツ コ50と な る。

  と ころが,村 に よ って は,産 物 の 項 以 外 の部 分 に も,魚 類 の分 布 や 形 態 的 特徴,あ るい は漁 法 につ い て の 記載 が あ る こ と がわ か って い る。 と くに,分 布 を し らべ る うえ で,不 可 欠 とお もわ れ る部 分 が あ る。

  た とえ ば,大 野 郡 大 八賀 郷松 本 村 の と こ ろを み る と,産 物 の 項 に は,魚 類 が 品 目 と して あげ られ て いな い 。 しか し,松 本 村 を 貫 流 す る宮 川 に 関す る記 載 に は,つ ぎの よ う にか かれ て い る。

  「宮 川  南 三 福 寺 村 界 よ り,北 下 切 村茂 島界 まで 川 長 凡十 町 北 流 。魚,鰻 ・鱒 ・伊 具 比 ・鯨 ・姫 ・阿治 米 ・雑 魚 ・鱒 ・年 魚 。(豊 年 に は の ぼ りて す む 。 凶年 に は の ぼ ら ず)」[富 田編1977a:98]。

  こ の よ うに,産 物 と して 記 載 され た 部分 だ けを と りあ げ る と,分 布 そ の他 につ いて の 情 報 もれ の恐 れ が多 分 に あ る。 た だ し,生 産 高 につ い て は,産 物 の 項 に の み,具 体 的 な数 字 が あ げ られ て い る。 産 物 の 項 に魚 類 名が 記 され て い て も,生 産 高 が 明記 され て い ない こ と もあ る 。

  したが って,分 布 に関 して は,『 斐 太 後風 土 記 』 の あ らゆ る記 載 事 項 に依 拠 す る と

い う他 は ない 。生 産高 につ いて は,産 物 の項 に あ る記 載 事 項 の み に よ る もの とす る。

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秋道   明治初期 ・飛騨 地方 における生産魚類の分布論的研究

皿.目 的 と 方 法

 本 論 の 目的 は,明 治 初 期 に お け る飛 騨 地 方 の生 産 魚 類 の分 布 に 関す る考 察 を お こな う こ とに あ る。 第1の 目標 は,『 斐太 後 風 土 記 」 に記 載 され た生 産 魚 類 の種 類 を 判 別 す る こ とで あ る。 第2の 目標 は,生 産魚 類 の分 布 を あ き らか に す る こと で あ る。 第3 の 目標 は,生 産魚 類 の 生 産 高 とそ の 分布 を あ き らか に し,魚 と人 間 の か かわ りあ い に む けて の 一般 的 な モデ ル を 提 示 す る ことで あ る。

  具 体 的 な分 析 の手 法 につ い て は,そ れ ぞ れ 後述 す る もの とす る。 こ こで,『 斐 太 後 風 土 記 』 の 情 報 検 索 に もち い た コ ン ピュ ー タ につ い て,そ の意 義 と 方 法 を のべ て お

く。

情 報 検 索 と コ ン ピ ュ ー タ

  産 物 の な か か ら,任 意 に情 報 を ひ きだ して 検 索 しよ うとす る場 合,正 確 か つ 迅速 に, しか も反 復 して 抽 出す る方 法 は な い もの だ ろ うか 。 こ う した点 か ら開 発 され た の が, コ ン ピュ ー タ に よ る 『 斐 太 後 風 土 記 』 の 情 報 検 索 シス テ ム で あ る。

  この シス テ ム は,国 立 民族 学 博 物 館 の 山 本 順 人 助手,な らび に同 館 の 情 報管 理 施 設 の ス タ ッフ の協 力 を え て着 手 さ れ た もので あ る。 そ の 間 の い き さつ その 他 につ い て は, 民 族 学 に お け る コ ンピ ュー タの応 用 の 問題 と して,日 本 民族 学 会 第17回 研 究 大会 に お

い て 口頭 発 表 され た[小 山  1978:1‑2]。 同 館 の松 山利 夫 助 手,お よ び筆 者 も,『 斐 太 後 風土 記 』 の コ ン ピ ュー タに よる情 報 検 索 の 応 用 例 に 関す る 口頭 発 表 を それ ぞ れ お

こな った[松 山   1978:5‑6;秋 道   1978:3‑4]。

  さ らに,研 究 が 進 行 す るな か で,情 報 検 索 を よ り高 度 に,体 系的 かつ 迅 速 化 す る試 み が,本 館 の杉 田繁 治 助教 授 に よ りな され た 。 これ は,コ ン ピュ ー タ ・デ ィ スプ レイ

・タ ー ミナル に よ る もの で あ り,コ ン ピュ ー タ に村番 号 と地 図上 の位 置,産 物 の 品 名 と数 量 な ど の デ ー タ を入 力 し,モ ニ ター 画 像 上 に 出 力 させ る。 必 要 に応 じて,画 像(地 図 や表)を 複 写 して 利 用 す る 。 産物 ご との生 産 村 や,村 ご との 産物,ま た地 図 上 の 分 布,あ る い は い くつ か の 産物 の組 み あ わせ を あ らわ す よ うな こと も,非 常 に容 易 に で

きる利 点 を も って い る。

  な お,本 研 究 は,昭 和52,53年 度 文部 省 科 学 研 究 費 補 助 金(一 般 研 究B)よ る 「採 集 経 済一 初 期 農耕 段 階 に お け る食 糧 資 源 の計 量 的 研 究 」 の 一環 と して お こな った も の で あ る。 日常 的 な作 業 と討 論,3年 間 を通 じた飛 騨 地 方 の 現地 調査 は,上 記 共 同 研 究 代 表 者 で あ る小 山修 三 助 教 授,同 分 担 者 の松 山利 夫 助 手,そ れ に わ た しの計3名 に

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国立民族学博物館研究報告   4巻2号 よ りす す め られ た もの で あ る 。

IV.生 産 魚 類 の種 類 判 別

  文 献 に あ らわ れ る 魚 名 が,い っ た い な ん と い う 魚 種 を さ す の か を し らべ よ う と した 場 合,つ ね に 一 定 の 不 確 実 性 が と も な う の が ふ つ う で あ る 。 澁 澤 敬 三 に よ る と,「 魚 類 の 存 在 は 自 然 現 象 で あ る 」 が,「 魚 名 は 人 と 魚 と の 交 渉 の 結 果 成 立 した 社 会 的 所 産 で あ る 。」[澁 澤   1959:ll]か ら,当 然,魚 名 は 「時 と 所 と 人 と に よ り」 異 な る 。 つ ま り,魚 名 と 魚 種 の 対 応 は,か な らず し も 地 域 や 時 代,あ る い は 個 体 に よ り不 変 で あ る と は か ぎ ら な い わ け で あ る 。

  た と え ば,一 つ の 魚 名 が 二 種 類 以 上 の 生 物 学 的 種(biological  species)1こ 対 応 す る例 や[AKIMIGHI  1979],一 つ の 種 が 成 長 段 階 に 応 じ て 複 数 の 魚 名 を もつ 例[澁 澤1959:

203‑237;342‑2631を あ げ る こ と は,比 較 的,容 易 で あ ろ う。

  本 論 で 生 産 魚 類 の 種 類 を 判 別 す る さ い に は,『 斐 太 後 風 土 記 』 と 『風 土 書 上 帳 』 を 検 討 す る ほ か,過 去 お よ び 現 行 の 魚 名 方 言 に つ い て の 資 料 も あ わ せ て も ち い る こ と に す る 。 以 下 の 記 述 に お い て は,あ ら か じ め 分 類 学 上 の 科(family)ご と に ま と め た 結 果 を の べ る こ と に す る 。 な お,記 載 上 の 約 束 と して,魚 種 の 標 準 和 名 は カ タ カ ナ 表 記 で,

『斐 太 後 風 土 記 』 な らび に 『風 土 書 上 帳 』 に お け る 記 載,お よ び そ の 魚 名 等 は,「   」 で の べ る も の と す る 。 そ れ 以 外 の 魚 名 方 言,慣 用 的 用 法 は,す べ て,(  )で 表 記 し て 区 別 す る こ と と し た 。

ヤ ツ メ ウ ナ ギ 科(Petromyzonidae)

1  「八 目 魚 」

        ヤ ツ メ

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 八 目 魚 」,あ る い は,「 八 ッ 目 ム ナ ギ 」 と し て 記 載 さ れ て い る 。 ふ つ う,(ヤ ツ メ ウ ナ ギ)と い う の は,ヤ ツ メ ウ ナ ギ 科 ヤ ツ メ ウ ナ ギ 属 の,カ ワ ヤ ツ メ   Lamψetra(Lethenteron)ブ ψ0π ∫6α ブψ0η 蜘(VON]N,IARTENS),あ る い は ス ナ ヤ ツ メ Lamψetra(Lethenteron)rei∬neri(DyBOWSKI)を さ す 。

        ヤ   ヤ ツ メ ウ ナ ギ 属 の 魚 を,(ウ ナ ギ)と よ ぶ 地 域 も あ る が,『 斐 太 後 風 土 記 』 で は,「 八

ツ メ       ウナジ

目 魚 」 と 「鱈 」 が 一 応,区 別 して 記 載 さ れ て い る こ と か ら,「 八 目魚 」 を ヤ ツ メ ウ ナ ギ

属 の 魚 と 考 え る こ と は 妥 当 で あ ろ う 。

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秋道  明治初期 ・飛騨地方 にお ける生産魚類の分布論的研究

ウ ナ ギ 科(Anguillidae)

  2  「鱈 」

      ウナジ

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 鰻 」,「 鰭 魚 」,「 鰻 」,「 ム ナ ギ 」 な ど と あ る 。 「鰭 」 は,ウ ナ ギ 属 の ウ ナ ギ   Angecitla  」'aψonica  TEMMiNcK  et ScHLEGELと 考 え ら れ る 。

サ ケ 科(Salmonidae)

3  「 石 魚 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 石 魚 」,「岩 魚 」,「 イ ハ ナ 」 と して 記 載 さ れ て い る 。 ま た,         サフナ

川 上 川 で は,「 石 魚 」 の 別 名 と し て 「澤 魚 」 と あ る 。

  現 在,イ ワ ナ  Salvelinus leucomaenis(PALLAs)f.  pluvius(HILGENDoR.F)に 関 す る 岐 阜 県 内 の 方 名 と し て,(イ モ ホ リ),(エ ン ドザ イ メ),(ソ ウ タ ケ)な ど が あ る が, い ず れ も 『斐 太 後 風 土 記 』 に は あ らわ れ な い[金 古   1974b:165]。

        おがみこう

  大 野 郡 白川 郷 尾 上 郷村 の尾 上 郷 川 に生 息す る と い う 「 石 魚」の記 載 に よ る と,「 大 な る は鱒 の 如 く,二 尺 内外 も有 と 云,鰭 に て 見分 くる と云 。」 とあ る。

        ひれ

  60cm以 上 に もな る 「 石 魚 」 と 「鱒 」 を 区別 す る た め に,鰭 を 見 れ ば よ い とい う趣 旨 の こ とが 書 かれ て い る 。 具体 的 に どの よ うな特 徴 に よ って 区 別 す るの か は 記述 さ れ

      しりびれ

て い な い 。 しか し,尻 鰭 の 基 底 の 高 さ と 長 さ と の 関 係 か ら か1),サ ク ラ マ ス の 背 鰭 に あ る 黒 色 斑 が イ ワ ナ に は な い,と い う こ と に 基 づ く と 考 え ら れ る 。 い ず れ に せ よ,「 石 魚 」 は イ ワ ナ 属 の イ ワ ナ と考 え て よ さ そ う で あ る 。

4  「鱒 」

  益 田 川 流 域 で は,「 鱒 」 は 「ア マ ゴ マ ス 」,ま た は 「マ ス 」 と よ ば れ る の に,宮 川, 高 原 川,白 川 流 域 で は,「 鱒 」 は 「マ ス 」 と よ ば れ る 。

      まちかた

  吉 城 郡 古 川 郷 古 川 町 方 村 の と こ ろ を み る と,「 鱒 は,宮 川 と 荒 城 川 と,両 川 と も に 年 々上 れ り」 と あ る 。 つ ま り,「 鱒 」 が 湖 河 性 の 魚 で あ る こ と を 示 し て い る 。   現 在,'(マ ス)と よ ん で い る 魚 は,た い て い の 場 合,ニ ジ マ ス   Salmo(Satmo)m7ki∬

WALBAUMを さ す 。 日本 に ア メ リカ か ら ニ ジ マ ス が 移 入 さ れ た の は,1877年 以 降 の こ と で あ る 。 これ は,『 斐 太 後 風 土 記 』 の か か れ た1874年 よ り,も ち ろ ん 後 の 出 来 事 で 1)サ ケ 属(Salmo)で は,尻 鰭 の基 底 の 長 さの 方 が,尻 鰭 の 高 さ よ り長 い か,ほ ぼ 等 しい 。 イ ワ   ナ属(SalvelinUS)で は,尻 鰭 の高 さの 方 が,基 底 の長 さ よ り長 い。

      291

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国立民族学博物館研究報告  4巻2号 あ る 。

  さ て,前 述 し た よ う に,益 田 川 流 域 で は,「 鱒 」 に 「ア マ ゴ マ ス 」 と い う読 み が ふ っ て あ り,宮 川 や 白 川 の 「鱒 」 と 区 別 して い る よ う な と こ ろ が あ る 。 一 方,別 の と こ ろ で は,「 鱗 」 が 「三 年 を へ て 鱒 に 成 也 。」 と い う 記 載 が あ り,こ の 「鱗 」 に 「ハ エ 」, ま た は 「ア マ ゴ ハ エ」 と い う読 み が つ け ら れ て い る 。 つ ま り,益 田 川 で は,「 ア マ ゴ ハ エ」一 → 「ア マ ゴ マ ス 」 と い う関 係 を 想 定 す る こ と が 可 能 で あ る 。

  従 来,ア マ ゴ の 降 海 型 は,ビ ワ マ ス で あ る と 考 え られ て き た 。 し か し,琵 琶 湖 の ビ ワ マ ス が そ の 他 の 場 所 の もの と く らべ て,形 態 や 蛋 白 質 組 成 を 異 に す る こ と か ら,降 海 型 の ア マ ゴ を ヤ マ トマ ス,サ ッ キ マ ス,あ る い は ア マ ゴ マ ス な ど と よ ん で ビ ワ マ ス

と 区 別 す る こ と が 提 案 さ れ て い る[川 那 部   1976:58‑63]。

  「斐 太 後 風 土 記 』 に は,益 田 川 の 「鱒 」 が,海 に 下 っ て,ふ た た び 湖 上 す る と い っ た 記 載 は な い 。 し か し,後 述 す る 「之 末 」 は,ア マ ゴ の 銀 白 化 し た も の で あ り,益 田 川 の み に 記 述 が あ る こ と か ら して,「 鱒 」 は,現 在,提 唱 さ れ て い る ヤ マ トマ スSalmo

(Oncorhynchas)masou  macrostomtts GtiNTHERに 相 当 す る も の で あ ろ う 。 一 方,宮 川, 高 原 川,白 川 で 記 載 さ れ て い る 「鱒 」 は,サ ク ラ マ スSalmo(Onco  rh.vnchus)ma∫ou masou  BREvooRTを さ す も の と考 え ら れ る 。

5  「鱗 」

  「斐 太 後 風 土 記 』 の な か で,「 鱗 」 に は,「 ハ エ 」,「ア マ ゴ 」,あ る い は 「ア マ ゴ ハ エ」 と い う読 み が つ け られ て い る 。 あ る い は,「 ハ エ 」 と して 記 載 さ れ て い る と こ ろ も あ る 。

  一 般 に,ア マ ゴ と ヤ マ メ を 異 種 と み る か,同 種 と み る か に つ い て,こ れ ま で に い く つ か の 議 論 が な さ れ て き た[大 島   1930;田 中   1929;今 西   1975]。 そ の な か で, 体 の 側 部 に 朱 赤 点 が 存 在 す る か ど う か と い う 点 が,ア マ ゴ(朱 赤 点 が 有)と ヤ マ メ(朱 赤 点 が 無)を 区 別 す る 特 徴 と さ れ て き た 。 しか し,あ き ら か に そ の 中 間 型 と 思 わ れ る 個 体 が 確 認 さ れ[山 本   1978],移 植 に よ る 雑 種 形 成 と い う 可 能 性 が あ ら た に 示 唆 さ れ た の が,現 状 で あ ろ う と 思 わ れ る[秋 道   1979:55‑63]。

  『i斐 太 後 風 土 記 』 お よ び,  『風 土 書 上 帳 』 の な か で,ア マ ゴ と ヤ マ メ に 関 す る 記 載 の う ち,重 要 と 思 わ れ る 部 分 に つ い て 示 す と つ ぎ の 通 りで あ る 。

  「 鱗 」 は,「 ア マ ゴ と も 云 。 味 も貌 も 宮 川 の 鱒 と 同 く し て 赤 点 あ り」,と か 「あ ま ご

と も 云 。 是 も 三 年 を へ て,鱒 に 成 也 。 宮 川 の 鱗 と同 く して 赤 点 あ り 」 と い っ た 記 載

が,益 田 川 流 域 の 村 の と こ ろ に あ る 。 も っ と も都 合 の よ い よ う に 解 釈 す る と,益 田 川

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秋道    明治初期 ・飛騨地方 における生産魚類の分布論 的研究

の 「 鰹」 は宮 川 の 「 鱗」 とに て い る が,赤 点 の あ る と ころが ちが う,と い う こ とに な る 。   『風土 書 上 帳 』 を み る と,大 野 郡 白川 郷 尾 上 郷 村 に つ い て の記 載 部 分 に,つ ぎの よ うな こと が か か れて い る。

      スペ

  「但,昔,平 家 落 人 隠 住 居 い た し 候 由 。 此 谷 筋 ノ ア マ ゴ ト申 魚,都 テ 片 身 ノ 由,言 伝 二 候 得 共,全 片 身 ニ ハ 無 之,模 様 星 等 ノ 相 違 二 御 座 候 」[富 田   1964b:4]。

  庄 川 流 域 の 尾 上 郷 川 上 流 に,あ ま ご 谷 が あ っ て,そ こ に 「ア マ ゴ」 が 生 息 し て い る と い う こ と が か か れ て い る 。 た しか に,現 在 で も 国 土 地 理 院 発 行 の2万5千 分 の1の 地 形 図 を み る と,ア マ ゴ 谷 が あ る(図1)。

  す な わ ち,本 来,ヤ マ メ の み 分 布 す る と 思 わ れ る 庄 川 水 系 に,ア マ ゴ が い る か も し れ な い,と い う こ と に な る の で あ る 。

  た だ し,金 古 弘 之 氏 に よ る 岐 阜 県 の 魚 名 方 言 の 調 査 に よ る と,ヤ マ メ も ア マ ゴ も, と も1ご(ハ エ)と い う 方 名 で よ ば れ る こ と に な り  [金 古   1974b:163‑173],『 斐 太 後 風 土 記 』 の 「鰹 」 は,ア マ ゴ と ヤ マ メ の 混 称,な い し総 称 と 考 え る の が,も っ、と も 妥 当 と考 え ら れ る 。 そ こで,宮 川 や 庄 川 に お け る 「鱗 」,「 ハ エ 」 は,ヤ マ メ3α 伽 ¢ (Oncorh2nchas>mtzsou  masou  BREvooRT,益 田 川 の 「鱗 」,「ハ エ 」,「 あ ま ご 」,「 ア マ

ゴ ハ エ 」 は,ア マ ゴSalmo(Oncoγhynchus)masoes  macrostomus  GむNTHERと み な す こ と に す る 。

  6  「之 末 」

        し  ま

  『斐 太 後 風 土 記 』一の な か で,「 之 末 」 と あ る の は,益 田 川 の 生 産 魚 類 で あ る 。 現 在, 岐 阜 県 内 で ア マ ゴ の こ と を(シ マ)と よ ぶ 地 域 が い くつ か あ る[金 古   1974b:164‑

165]。 と く に 注 目 す べ き と 思 わ れ る の は,ア マ ゴ の 方 名 で あ る(シ マ),(シ ラ),(シ ラ メ),(バ ク シ マ)な ど が,い ず れ も銀 白 化 し た も の を さ して い る 点 で あ る 。   長 良 川 水 系 で は,パ ー マ ー ク(parr  mark)を も つ 河 川 型 の ア マ ゴ に た い し,銀 白 化 し た ア マ ゴ(い わ ゆ る 銀 毛 型:smolt  typc)が 降 海 型 の も の で あ り,つ ま りは 湖 河 性 マ ス の こ と を さ す,と い う こ と が た し か め ら れ て い る[本 庄   1976:27‑35]。

  前 述 した 「鱒 」,「鱗 」 の 記 載 を あ わ せ て 考 え て み れ ば,益 田 川 流 域 で,ア マ ゴ,銀 白 化 した ア マ ゴ,湖 河 性 の ヤ マ トマ ス が 区 別 さ れ て い た こ と に な り,こ の 点 は 注 目 に 値 す る。

7  「鮭 」

      サケ

『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 鮭 」,「鮭 」,「サ ケ 」 な ど と あ る 。 ふ つ う,本 州 で(サ ケ)

293

(11)

             図1  尾 上 郷 川(庄 川水 系)に お け る アマ ゴ谷 の位 置 図       

(国 土 地理 院 発行2万5千 分 の1の 地 形 図:ニ ノ峰の 一 部,尾 上郷 川 上流 付 近 図 に よ る)

(12)

秋道  明治初期 ・飛騨 地方における生産魚類の分布論的研究

と い う の は,シ ロ ザ ケSαlmo(0η60吻 η6加 ∫)keta  WALBAUMの こ と で あ る 。

キ ュ ウ リ ウ オ 科(Osmeridae)

8  「 年 魚 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 年 魚 」,「 ア ユ 」,.「鮎 」 と あ る 。 前 項7の シ ロ ザ ケ の こ と を 年 魚 と か く場 合 も あ る が,『 斐 太 後 風 土 記 』 で 鳳,同 一 村 で 「年 魚 」 と 「鮭 」 を 区 別 し て い る の で,一 応,「 年 魚 」 は す べ て ア ユ 属 の ア ユ と み な し う る 。 ア ユ の 学 名 は, Plecoglo∬ π5協 勿読 ∫TEMMINcK  et Sc肌EGELで あ る 。

コ イ 科(Cyprinidae)

9  「宇 具比 」

  (ウ グ イ 〉 と い う読 み を つ け ら れ た 魚 名 漢 字 は,『 古 事 類 苑 』 を 通 覧 す る と,(鰹), (臓),(鍼),(石 継 魚),(宇 久 比),(石 斑 魚),(伊 具 比)な どで あ る 。 『風 土 書 上 帳 』 の 古 川 町 方 村 に 関 す る 記 載 に は,「 鍼 」 と あ る[富 田  1965a:1‑2]。 『斐 太 後 風 土 記 』       ウグヒ

で は,「 宇 具 比 」,「 ウ グ ヒ」,「宇 久 比 」 な ど の ほ か,「 脆 」 と もか か れ て い る 。 『風 土 書 上 帳 』 で は,「 鍼 」 と 「脆 」 が 区 別 さ れ て い る 。 た しか に,「 脆 」 に 「ウ グ ヒ 」 と い う読 み が つ け ら れ て は い る が,『 古 事 類 苑 』 や 『本 朝 食 鑑 』 を み る と,脆 は,(ハ エ), (は ゑ)な ど と 読 ま れ て い る2)。 こ の(ハ エ)が,オ イ カ ワ属 の 魚 の 方 言 で あ る こ と は, 大 概,予 想 で き る 。 す る と,「 風 土 書 上 帳 』 の 「鍼 」 と 「脆 」 が,そ れ ぞ れ な に を さ す の か が 釈 然 と し な く な る 。 と り あ え ず こ こ で は,『 斐 太 後 風 土 記 』 の 記 述 に した が っ て,「 宇 久 比 」,「宇 具 比 」,「脆 」,「 ウ グ ヒ 」 な ど が,す べ て コ イ 科 ウ グ イ 属 の ウ グ イLeaciscus(Tribolodon)hakonensis  GtiNTHERを さ す もの と 考 え て お く。

10  「ア ブ ラ メ」

  『風 土 書 上 帳 』 の 古 川 町 方 村 に 関 す る 記 載 に,「 ア ブ ラ メ 」 を 産 す る と あ る 。 現 在, 岐 阜 県 内 で,ア ブ ラ ハ ヤ   Pho,xinzts  lagowski  DYBowsKI  f,  steindachneri SAuvAGEの

こ と を(ア ブ ラ メ)と よ ぶ 地 域 は,神 通 川,益 田 川 流 域,大 野 郡 庄 川 村 な ど で あ り[金 古1974b:164]。 滋 賀 県 内 で も,ア ブ ラハ ヤ は(ア ブ ラ メ)と よ ば れ る と い う[宮 2)た だ し,「 脆 」 に 「 ハ エ」,「鍼 」 に 「ウグ ヒ」 と い う フ リカ ナ をつ けた の は,富 田令 禾 氏 本   人 で あ る こ とが 『 風 土書 上 帳 』 に明記 され て い る。

      295

(13)

国立民族学博物 館研究報告  4巻2号 地 ほ か   1976:130]。 た だ し,ア ブ ラ ハ ヤ と 近 縁 の タ カ ハ ヤPhexinass  lagowski  DY‑

BowSKI  f.  oaycephalus(SAuvAGE&DABRY)も 「ア ブ ラ メ 」 の 範 ち ゅ う に は い る 可 能 性 が あ る 。 こ こ で は,「 ア ブ ラ メ 」 を ア ブ ラ ハ ヤ 属 の 魚 と し て お く 。

11  「安 可 毛 止 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 で,益 田 川 の 生 産 魚 類 の1つ に'「安 可 毛 止 」 が あ げ ら れ て い る 。 現 在,岐 阜 県 の 益 田 郡 下 呂,萩 原,金 山,郡 上 郡 大 和 村 神 路 な ど で は,オ イ カ ワZacce ρ1α りψ雄(TEMMINcK  et ScHLEGEL)の こ と を(ア カ モ ト)と よ ぶ 。

  益 田 郡 下 呂,郡 上 郡 北 濃,白 鳥,八 幡 な ど で は,カ ワ ム ッZacco  temmincki(TEM‑

MINCK  et SCHLEGEL)の こ と を(ア カ モ ト)と よ ぶ 。

  『下 呂 町 誌 』 に よ る と,前 述 の オ イ カ ワ の う ち,雄 個 体 を と く に(ア カ モ ト)あ る い は,(ア カ ハ ラ),(ア カ モ チ)と よ び,雌 個 体 を(ハ エ),(ハ ヤ),(シ ラ ハ エ)な ど と 称 し て 区 別 す る と あ る[下 呂 町 編   1974:271]。

  以 上 の こ と か ら,「 安 可 毛 止 」 は,い ず れ に せ よ,コ イ 科 オ イ カ ワ 属 の 魚 で あ ろ う と 思 わ れ る 。

12「 牟 都 鱗 」

  益 田 川 の 生 産 魚 類 と して 記 載 さ れ て い る 。 岐 阜 県 の 方 言 で は,カ ワ ム ッ の こ と を (ム ッ バ エ)と よ ぶ 地 域 が あ る 。 ま た,カ ワ ム ツ は(ア カ モ ト)と も よ ば れ る こ と が あ る 。

  『斐 太 後 風 土記 』 で は,「 牟 都 鱗4と 「安 可 毛 止 」 が 区 別 され て い る。両 者 の差 は, 異 種 レベ ル な の か,性 や 年 令,成 熟 度 な ど に 基 づ く も の で あ る の か は 不 明 で あ る 。 い ず れ に せ よ,「 牟 都 鱗 」 は,「 安 可 毛 止 」 と 同 様 に,コ イ 科 オ イ カ ワ属 の 魚 で あ ろ う と 思 わ れ る 。

13「 七 瀬 走 」

  益 田 川 の 生 産 魚 類 と し て,「 七 瀬 走 」 が 記 載 さ れ て い る 。 岐 阜 県 の 方 言 に よ る と, 益 田 郡 馬 瀬 村 西 村 で は,カ マ ツ カPseudogobio(Psestdogobio)esocinus(TEMMINcK  et ScHLEG肌)の こ と を(ナ ナ セ ハ シ リ)と よ ぶ[金 古   1974b:167]。 カ マ ッ カ と よ く 似 た ゼ ゼ ラPSeUdOgObiO(BiWia)aeZera  ISHIKAWAの 可 能 性,あ る い は 混 称 で あ る か

も し れ な い の で,一 応,コ イ 科 カ マ ッ カ 属 の 魚 と 考 え て お く 。

(14)

秋道  明治初期 ・飛騨地方における生産魚類 の分布論的研究

14  「川 鯉 」

  「川 鯉 」 が,河 川 に 生 息 す る 鯉 と い う意 味 で,ふ つ う の コ イ 科 コ イ 属 の コ イqψ 競 π∫

carpio LINNAEUSを さす の か,長 良 川,木 曽 川,お よ び 益 田 川 流 域 の 益 田 郡 小 坂,萩 原,八 坂 な ど の 地 域 で(カ ワ ゴ イ)と よ ば れ て い る ニ ゴ イ1%痂 ∂α7伽∫励60(PALLAS) の い ず れ を さ す の か は,よ くわ か ら な い 。

  『斐 太 後 風 土 記 』 の 益 田 郡 下 原 郷 の と こ ろ に は,  「川 鯉 」 漁 に つ い て の 説 明 と 図 が あ る[富 田1977b:260]。 そ れ に よ る と,毎 年10月 以 降,下 原 郷 の 村 び と は,益 田       テ イ  ナ

川 の 淵 の 石 の 間 に ひ そ む 「 川 鯉 」 を 追 い 出 して,手 糸 長 と よば れ る網 で 漁獲 す る と あ る。

  15  「真 鯉 」,「 緋 鯉 」       ふくらい

  益 田 郡 下 原 郷 福 来 村 に あ る寺 前 池 に は,  「真 鯉 」 と 「緋 鯉 」 が い る と記 載 さ れ て い る 。 そ の い ず れ もが,コ イ 科 コ イ属 の コ イ(]!Prinus  caipio LINNAEusで あ る こ と に は, ほ ぽ 間 違 い な い 。 と こ ろ で,日 本 に お け る コ イ の 養 殖 の 歴 史 は,い ま か ら1,500年 ほ ど 前 に さ か の ぼ る 。

16  「鯉 見 」

  益 田 郡 竹 原 郷 尻 村 に は,「 鯉 見 」 が 記 述 さ れ て い る 。14で の べ た 「川 鯉 」 の 村 別 生 産 高 は,最 大 で 数 十 本 で あ る の に た い七,‑F鯉 見d一 は100と 一 あ る 。 一野 尻 村 は,竹 原 川 流 域 に あ り,「 鯉 見 」 の ほ か,「 金 魚 見 」 が80,記 載 さ れ て い る 。 そ の ほ か の 生 産 魚 類 は な い 。 ま た,(コ イ)の 成 長 段 階 の 低 い も の を(鯉 ノ 児)と い う こ と も あ る[人 見   1978:

241‑242]。

  以 上 の こ と か ら,「 鯉 見 」 は,河 川 で 漁 獲 さ れ た も の と い う よ り,観 賞 用,あ る い は 食 用 と して 池 で 養 殖 さ れ て い た と 考 え られ る 。 い ず れ に せ よ,「 鯉 児 」 は,コ イ 属 の 魚 で あ ろ う。

17  「 金 魚 見 」

  益 田 郡 竹 原 郷 野 尻 村 に,前 述 の 「鯉 見 」 と と も に あ ら わ れ る 。

  『古 事 類 苑 』 に よ る と,「 金 魚 と は 口 の 黄 な る 鯉 の 事 に て 候 」 と か,「 深 紅 色 ナ ル ハ 金 鯉 ト云,コ レ ハ 金 魚 ノ 品 ナ リ」 な ど と あ る[神 宮 司 庁   1970:1259‑1260]。

  キ ン ギ ョCarassias  auratus(LINNAEus)が 日 本 に 導 入 さ れ た の は,1502年 と い う か

      297

(15)

        国立民族学 博物館研究報告   4巻2号 ら,『 斐 太 後 風 土 記 』 に あ る 「金 魚 見 」 は,コ イ の 一 品 種,あ る い は キ ン ギ ョの い ず れ か を さ す と 考 え ら れ る 。

18「 鮒 」

  「鮒 」 は,コ イ 科 フ ナ 属 の 魚 と 思 わ れ る 。 フ ナ 属 の な か で,キ ン ブ ナ(7arassius eara∬ius  buergeri(TEMMINcK  et  ScHLEGEL),あ る い は ギ ン ブ ナCara∬ius  gibelio tangsdorfi(VALENCIENNES)の い ず れ か,あ る い は 混 称 で あ る の か ど う か は 不 明 で あ

る 。

ドジ ョ ウ 科(Cobitidae)

19「 鰭 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 鱈 」,「 ド ジ ャ ウ 」 と あ る 。 こ れ ら は,ド ジ ョ ウ 科 シ マ ド ジ ョ ウ 属 と ホ トケ ド ジ ョ ウ 属 に ふ く ま れ る 魚 を さ す も の と 考 え ら れ る 。 た だ,そ れ が ド ジ ョ ウ   Cobitis(Misgurnus)anguillicatidatus  CANTORか,  シ マ ド ジ ョ ウ   (】obitis (Cobitis)biua'ae  JoRDAN  et  SNYDERか,ホ ト ケ ド ジ ョ ウLeftta  costata  costata (KEssLER)£echigonia  JoRDAN  et RicHARDsoNか,あ る い は 後 述 す る ア ジ メ ド ジ ョ ウCobitis  k  lViwuelta)delicatα  NIWAの,い ず れ か,あ る い は 混 称 で あ る の か は 定 か で な い 。

  た だ し,『 斐 太 後 風 土 記 』 で は,「 ド ジ ャ ウ 」 と 「ア ジ メ 」 が 区 別 さ れ て い る 。 た と え ば,吉 城 郡 古 川 郷 高 野 村 の 産 物 と し て,「 ア ジ メ ー 斗 」,「 ド ジ ャ ゥ 五 升 」 と 記 載 さ れ,同 郷 古 川 町 方 村 で も,「 ア ヂ メ ー 斗 」,「 ド ジ ャ ウ ー 斗 」 と か か れ て い る 。

  20「 味 女 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 ア ヂ メ 」,「ア チ メ 」,「 ア ジ メ 」,「味 女 」,「安 治 魚 」,「 安 治 米 」,「 阿 遅 米 」 な ど と あ る 。

  ア ジ メ ド ジ ョ ウ は,1937年 に 学 名 が あ た え ら れ る 以 前 に も3),江 戸 期 の 伊 藤 圭 介 や, 明 治 期 以 降 の,北 原 多 作,川 口孫 治 郎 らに よ っ て,記 述 さ れ て き た[丹 羽   1976b]。

  ア ジ メ ドジ ョ ウ は,ド ジ ョ ウ科 シ マ ドジ ョ ウ 属 の 魚 で あ り,う す 褐 色 の 体 表 面 に 暗 褐 色 の 不 規 則 な 斑 紋 が あ る 。 こ の 点 で,ア ジ メ ド ジ ョ ウ は,シ マ ドジ ョ ゥ や イ シ ド ジ

ョ ウ と よ く似 て い る 。

3)[丹 羽1937:72‑74]

(16)

秋道  明治初期 ・飛騨 地方における生産魚類の分布論的研究

  『斐 太 後 風 土 記 』 の 「ア ヂ メ」 が,ア ジ メ ドジ ョ ウ の ほ か に,シ マ ドジ ョ ウ を さ す 可 能 性 が あ る 。 丹 羽 博 士 に よ っ て も,(ア ジ メ)と い う 魚 名 が,ア ジ メ ドジ ョ ウ で は な く,シ マ ド ジ ョ ウ に た い し て も ち い ら れ る こ と が,天 竜 川,木 曽川 で 記 録 さ れ て い る こ と に 注 意 を 換 起 さ れ て い る[丹 羽   1976b:6&‑73]。 さ らに 丹 羽 氏 は,澁 澤 敬 三 の 『日 本 魚 名 集 覧 』 に よ っ て,ド ジ ョ ゥCobitis(Misgstrntts)anguillicαudαtì∫CANTOR、

を(ア ジ メ)と 称 す る地 方 が あ る 点 を 指 摘 さ れ て い る[丹 羽   1976b:69;澁 澤1958:

62]。

  前 述 した よ う に,「 ア ヂ メ 」 と 「ド ジ ャ ウ」 が 区 別 さ れ て い た こ と を 考 え あ わ せ る と,「 ア ヂ メ 」 が ア ジ メ ドジ ョ ウ を さす 可 能 性 は 高 い が,シ マ ドジ ョ ウ と の 混 称 で あ る 場 合 も考 え られ る 。

ギ ギ 科(Bagridae)

  21「 ザ ス 」

  『風 土 書 上 帳 』 に 「ザ ス 」 と い う 魚 名 が み え る 。 岐 阜 県 で は,ギ ギ 科 ア カ ザ 属 の ア カ ザLiobagrus  reini  HiLGENDoRFの こ と を(ザ ス)と よ ぶ 地 域 が あ る[金 古   1974b:

163]。 と こ ろ に よ って は,ギ ギ 科 ギ ギ 属 の ギ ギ モ ドキ(別 称 ネ コ ギ ギ)Pseudobagrus (Coreobagrus)brevicorpus  MoRi  f.  ichikazeai Oi〈ADA  et KuBoTAの こ と を(ザ ス)と

よ ぶ と こ ろ も あ る[金 古   1974b:168‑169]。 い ず れ に せ よ,「 ザ ス 」 は ギ ギ 科 の 魚 で あ ろ う。

ナ マ ズ 科(Siluridae)

 22  「鯨 」

  益 田 川 流 域 で 生 産 さ れ て い る 。 日本 産 の ナ マ ズ3種 の う ち,ビ ワ コ オ オ ナ マ ズ と イ ワ トコ ナ マ ズ は,と もに 琵 琶 湖 の 特 産 種 で あ る 。 『斐 太 後 風 土 記 』 の 「鎗 」 は,ナ マ ズ 科 ナ マ ズ 属 の マ ナ マ ズSilecrUS(1)arasiluru∫)asotus  LINNAEUSと 考 え られ る 。

タ ウ ナ ギ 科(Synbranchidae)

  23「 鰹 」

      キタコ

  『風土 書 上 帳 』 の 古 川 町方 村 に 関す る記 載 に,「 蝉 」 と あ る。 澁 澤 敬 三 の 『日本 魚

名 集 覧 』 に よ る と,(キ タ コ)と よば れ る魚 は み あ た らない 。 漢 字 で,鰹,あ るい は

      299

(17)

国立民族学博物館研究報告  4巻2号 鰹 魚 と あ らわ さ れ る 魚 の う ち,淡 水 産 の も の を あ げ る と,ニ ゴ イ,ウ ナ ギ,ド ロ バ エ,

ア ブ ラ ハ ヤ,ヤ ツ メ ウ ナ ギ,モ ッ ゴ な ど が ふ く ま れ る 。 『古 事 類 苑 』 に あ た る と,『 本 朝 食 鑑 』 を 引 用 し た 部 分 に は,(八 目鰻)が(騨 魚)で あ る,と い う こ と が か か れ て い る 。   と こ ろ で,昭 和15年 発 行 の 『満 支 の 水 産 事 情 』 と い う本 の な か に,鰹 科 と は タ ウ ナ

ギ 科(Synbranchidae)の こ と で あ る と か か れ て い る 。 しか も,(鯉)は,  Flata alba (ZUIEw)で あ り,中 国 の 広 州,舟 山,香 港 を は じ め,南 北 各 省 で ひ と し く産 す る と か か れ て い る 。Fluta  albaと い う 学 名 の 魚 は,現 在, MonoPterus  albus(ZUIEW)。 つ ま り,タ ウ ナ ギ 科 タ ウ ナ ギ 属 の タ ウ ナ ギ で あ る[岡 本   1940;195‑196]。

        キタコ

  た だ,「 蝉 」 が どの よ うな 魚 で あ る か が 『風 土 書 上 帳 』 に は 明確 にふ れ られ て い な い うえ,現 在 の と こ ろ,タ ウ ナギ の分 布 状 況 もよ くわ か って い な い。 情 報 不 足 とい う ほ か な い 。

カ ジ カ 科(Cottidae),ハ ゼ 科(Gobiidae)

  24  「姫 」

        ゴリ

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 姫 」,「 ゴ リ ン コ 」 と あ る 。 ハ ゼ 科 ヨ シ ノ ボ リ 属 の ヨ シ ノ ボ リRhinogobitis  brunneus〈TEMMINcK  et Sc肌EGEL)が,岐 阜 県 内 で(ゴ リ),(ド ン コ),(カ ジ カ)と よ ば れ る 。 同 じ ハ ゼ 科 の チ チ ブ 属 の チ チ ブ7屑 鹿 頭gθ70bscuras obscurus(TEMMINcK  et ScHLEGEL)も,と こ ろ に よ っ て は,(ド ン コ),(カ ジ カ),

(ゴ リ)と 称 さ れ る こ と が あ る 。 や や こ し い こ と に,カ ジ カ 科 の カ ジ カ(】ottltS(Cottus) 堀96'240φSTEINDAGHNER  et D6DERLEINも,(ゴ リ)と よ ば れ る こ と が あ る 。   こ の よ う に,「 姫 」 と よ ば れ る 魚 は,ハ ゼ 科 と カ ジ カ 科 の 両 方 に ま た が っ て い る 可

能 性 が あ る 。

25「?」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 隔 」,「 チ チ カ ブ 」,「 チ チ コ 」 な ど と か か れ て い る 。 岐 阜 県 で は,カ ジ カ 科 カ ジ カ 属 の カ ジ カ や ハ ゼ 科 ヨ シ ノ ボ リ属 の カ ワ ヨ シ ノ ボ リ も,と も

に(チ チ コ)と か(チ チ カ ブ)と い う 方 名 で よ ば れ る 。       す ごう

  『風 土書 上 帳 』 の な かで,吉 城 郡 下 高 原 郷 数河 村 に 関す る記 載 の な か に,「 ち ち か

      コ       り        

ぶ り」 に つ い て,つ ぎ の よ う に 記 さ れ て い る 。 「ち ち か ぶ り ハ 春 二 月 彼 岸 ノ 節 ノ 後,       のぼ

川 上 二 上 リ テ,石 間 二 子 産 置 。 此 節 ノ 風 味 至 テ 能 ク,一 名 二 大 頭,又 上 リカ 〜カ ウ,

又,出 世 魚,慶 事 賀 礼 二 用 テ 祝 フ。 余 ノ 川 二 川 鹿 トイ ヘ ル ハ 別 魚 ナ ル ベ シ」  [富 田

(18)

秋道  明治初期 ・飛騨地方における生産 魚類の分布論的研究 1965b:2]。

  「ち ち か ぶ り」 が,川 を 湖 上 し て 産 卵 す る と い う 記 載 は,カ ジ カ 科 の カ ジ カ の も の と よ く似 た と こ ろ が あ る[宮 地 ほ か   1976:308]。 この カ ジ カ の 方 言 と して,(チ チ カ ブ),(チ チ コ)の ほ か,(ダ イ ガ シ ラ)と い う の が,川 上 川 流 域 の 川 上 村 や 坂 下 村 で し られ て い る[丹 羽   1976a:193‑194]こ と か ら して,「 ち ち か ぶ り」 は カ ジ カ で あ る 可 能 性 が 高 い 。

26  「川 鹿 」

  『風 土 書 上 帳 』 に よ る と,「 川 鹿 」 は 「ち ち か ぶ り」 と は 種 類 が 異 な る,と い う 内 容 の こ と が か か れ て い る 。 も し,「 ち ち か ぶ り」 を,カ ジ カ 科 の カ ジ カ と考 え た 場 合,

「川 鹿 」 は,ハ ゼ 科 ヨ シ ノ ボ リ属 の ヨ シ ノ ボ リ で あ る 可 能 性 が 考 え ら れ る[丹 羽 1976a:202]。

27  「チ リ ン コ 」

  『風 土 書 上 帳 』 の な か で,吉 城 郡 古 川 郷 古 川 町 方 村 の と こ ろ に 「チ リ ン コ 」 と あ る 。 岐 阜 県 の 方 言 で は,カ ワ ヨ シ ノ ボ リRhinogobius flmineus(MIZUNO)の こ と を(チ リ

ン コ)と 称 す る と こ ろ が あ る ほ か,メ ダ カOry4ias  latipes(TEMMINcK  et SCHLEGEL) の こ と も(チ リ ン コ)と よ ば れ る[金 古   1974b:168,171‑173]。   しか し,メ ダ カ で あ る と し て も,そ れ が 本 当 に メ ダ カ 科 の メ ダ カ で あ る か ど う か は 疑 わ しい 。

28「 雑 魚 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 ザ コ」,「 ザ ッ コ」,「 サ コ」,「サ ッ コ」,「 雑 魚 」 な ど と あ る 。   「雑 魚 」 と よ ば れ る も の が,特 定 の 魚 種 に た い す る 名 称 と し て も ち い られ て い た の

か,い くつ か の 魚 種 の 混 称 で あ る の か ど う か は,釈 然 と し な い 。 岐 阜 県 の 方 言 で は, カ ジ カ や カ ワ ヨ シ ノ ボ リの こ と を(ザ ッ コ)と よ ぶ こ と が あ る[金 古   1974b:166, 168]。 た だ し,生 産 魚 類 と して あ げ られ て い る 場 合,「 雑 魚 」 は,「 鮨 」 や 「鮪 」 と 区 別 さ れ て い る 。

  「雑 魚 」 の 生 産 量 を 示 す た め の 計 量 単 位 に つ い て も,こ こ で ふ れ て お か な け れ ば な ら な い 。 『i斐 太 後 風 土 記 』 か ら,「 雑 魚 」 の 生 産 高(yield)に つ い て の 記 載 を ひ ろ い 出 し て み る と,つ ぎ の よ う に わ け る こ と が で き る 。

      む す ばら

  単 位 表 示 の な い も の   7力 村 。 こ の う ち,益 田 郡 小 坂 郷 無 数 原 村 と 同 郷 大 島 村 で は, そ れ ぞ れ,2,700,11,300と い う 生 産 高 が 示 さ れ て い る 。

301

(19)

国立民族学 博物 館研 究報告  4巻2号   単 位 表 示 の あ る も の20力 村 。 こ の う ち,尾 と して 表 記 さ れ て い る 村 が2力 村,重 量 単 位(貫 目)の も の が5力 村,容 量 単 位(斗,升)の も の が13力 村 と な って い る 。 こ の よ う に,「 雑 魚 」 の 計 量 方 法 は,か な らず し も一 定 して い る わ け で は な い 。 ち な み に,計 量 方 法 に地 域 差,つ ま り河 川 水 系 に よ る 差 が あ る か と い う と,そ の よ う な ち が い は で て こ な い 。 「雑 魚 」 が ハ ゼ 科 や カ ジ カ 科 の 魚 の い ず れ か を さ す と 仮 定 し た 場 合, 比 較 的,大 型 の も の が 相 当 す る の で は な い か と ま ず 予 想 さ れ る 。

  あ る い は,い くつ か の 魚 種 を 混 称 して,「 雑 魚 」 と よ ぶ 場 合 を 想 定 し て も,一 万 匹 以 上 も の 個 体 数 を 計 量 し て い る 以 上,そ れ な り の 体 長 を もつ 魚 が あ て は ま る の で は な い か と 思 わ れ る 。

  「雑 魚 」 が,ハ ゼ 科 や カ ジ カ 科 の 魚 で な い と し た 場 合,も っ と も 可 能 性 が あ る の は, コ イ 科 の 魚 で あ る 。 『斐 太 後 風 土 記 』 に は,「 宇 具 比 」,「七 瀬 走 」,「 安 可 毛 止 」,「牟 都 鱗 」,「 川 鯉 」,「 ア プ ラ メ 」(『風 土 書 上 帳 』)な ど の コ イ 科 魚 類 の 名 前 が あ る に も か か わ ら ず,産 物 の 項 の と こ ろ で ふ れ られ て い る の は,「 宇 具 比 」,「川 鯉 」,「鮒 」 な ど で あ り,オ イ カ ワ,カ ワ ム ッ,カ マ ッ カ,ア ブ ラ ハ ヤ な ど の 魚 は,ま っ た く産 物 と し て の 記 載 が な い 。 こ う し た 点 か ら,「 雑 魚 」 を い くつ か の コ イ 科 魚 類 の 混 称 と 考 え る こ

と も で き る 。

29  そ の他

  以 上 の ほ か,「 川 魚 」 とか 「魚 」 と い った 記 載 が あ る。 しか し,そ れ らが特 定 の魚 種 にた い して命 名 され た もの なの か,一 般 的 名称 で あ るの か は不 明 で あ る。 魚 類 以 外

の もの と して,淡 水 産 動 物 につ い て ふ れ て お こ う。

30「 青 貝 」

  「青 貝 」 の よ く と れ る と こ ろ か ら,  「 青 貝 淵 」 と 名 づ け られ て い る と こ ろ が あ る 。 た と え ば,大 野 郡 川 上 郷 下 林 村 の な か で,「 淵 底 の 砂 石 は,み な 青 貝 の 如 く光 る と や 。 川 上 川 に あ り。 青 貝 多 か り 。」 と の べ ら れ て い る 。

  ふ っ う,ア オ ガ イ と い うの は,潮 間 帯 に 生 息 す る ユ キ ノ カ サ ガ イ 科 の 巻 貝 を さ す が, これ は,当 然 あ て は ま ら な い 。

  岐 阜 県 の 方 言 で,(ア オ ガ イ)は カ ワ シ ン ジ ュ ガ イMargariti  era  taevis  HAASの こ

と を さ す 。(ア オ ガ イ)は,宮 川 や 川 上 川 に わ ず か 生 息 す る こ と が 確 認 さ れ て お り,

ま た 食 用 に な る 貝 で も あ る[吉 田   1974:298‑299]。

(20)

秋道  明治初期 ・飛騨地方 における生産魚類の分布論的研究

31「 蜆 」

  『斐 太 後 風 土 記 』 に あ ら わ れ る 「蜆 」 は,そ の 分 布 か らい え ば,汽 水 域 に み られ る ヤ マ ト シ ジ ミで は な く,マ シ ジ ミ ガ イ  Corbicula(Corbiceclina)leana  PRIMEと 考 え ら れ る 。 「蜆 」 は,現 在 の 高 山 市 近 辺 の 冬 頭 村 で 記 載 さ れ て い る の み で あ る 。

  32「 田 螺 」

  大 野 郡 大 八 賀 郷 の 三 福 寺 村 と,吉 城 郡 古 川 郷 高 野 村 で,「 田 螺 」 が そ れ ぞ れ,4斗5 升,5升,生 産 さ れ て い る 。 「田 螺 」 は,ふ つ う,タ ニ シ科(Viviparidae)の 貝 を さ す

と 思 わ れ る 。 『斐 太 後 風 土 記 」 の 「田 螺 」 が,と くに ど の 種 類 を さ す の か は 不 明 で あ る 。

  33「 蛤 員」

  『風土 書 上 帳』 の なか で,大 野郡 山 田村 を 流 れ る谷 川 で,「 池 の橋 蛤 貝 」 が,か つ て 多 くみ られ た とい う記 載 が あ る[富 田  1964a:3]。

  「池 の橋 蛤 貝   字 さみ か 洞 と申 洞 口 の谷 川 に て 往来 の橋 あ り。 此 橋 の 下 辺 の 川 二 已 前 ニハ 数 多 見 し人 有 之 」 。

  34  「竈 」

      カバカメ

  宮 川 の生 産魚 類 と して,「 畿 影 」 が記 載 され て い る。 大 野 郡 灘 郷 片 野村 を流 れ る江 名 子 川 で も,「 畿 黍刻 が 生 産 ざれ て い る 。

35「 山椒 魚 」

大 野 郡 三 枝 郷 の 前原 村 で,「 山椒 魚 」 が20尾,生 産 され る とか か れ て い る。(サ ン シ ョゥ ゥ オ)の 具体 的 な種 名 に つ いて は不 明 で あ る。

以 上,『斐 太 後 風 土記 』の生 産 魚 類 に 関 す る種 類 判 別 結 果 は,付 表2に ま と めて お い た 。

V.生 産 魚 類 の分 布

  1.分 布 論 の 方 法

  淡 水 魚 に か ぎ らず,魚 類 の分 布 に関 す る議 論 で は,以 下 の よ うな い くつ か の記 載 ・ 分 析 方 法 が 採 用 さ れ て き た とい え る。

      303

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国立民族学博物館研究報 告  4巻2号   記 載 の 基 準

① 当 該 の 魚 種 が 出 現 す る か,否 か,と い う 二 項 式 的 な(binomial)区 別 に よ る も の[名 越   1978:12‑・17;CHol  et al.  19781。

② 魚 の 出 現 頻 度 を,い くつ か の 段 階 に わ け て 論 ず る も の 。 た と え ば,多 い,普 通,少 な い,と い っ た3段 階 に わ け る も の[小 林,紀 平   1978:23‑27]、4段 階 の も の[片 岡 ほ か   J970:7‑40],そ れ 以 上 に くわ し くわ け る も の[水 野 ほ か   1958:9]な ど,さ ま ざ ま で あ る 。

③ 魚 の 出 現 頻 度 を,数 量 的 に 論 ず る も の 。 た と え ば,種 類 ご と の 個 体 数 や 重 量 を は か る 方 法 が あ る 。 こ れ ら は,単 位 面 積 あ た りの 尾 数 や,河 川 の 現 存 量(biomaSS)を 推 定 す る さ い に も ち い ら れ る 「 川 那 部   1963:1‑15;川 那 部   1970:149151]。

  分 布 の し ら べ 方

  漁 獲 量 調 査,直 接 観 察 法,標 識 放 流 再 捕 法,ア ン ケ ー ト調 査,聞 き こ み な ど,さ ま ざ ま な 方 法 が あ る 。 漁 獲 量 に して も,直 接,quadratを も ち い て サ ン プ リ ン グ を お こ な

う場 合 や,漁 業 組 合 の 漁 獲 統 計 を も ち い る 場 合[川 那 部 ほ か1957:145‑167;KAwA‑

NABE  et al.1968:45‑73]カs区 別 さ れ る 。   分 布 の あ らわ し 方

  魚 種 別 に,出 現 の 有 無 や 頻 度 を,調 査 地 点 と の 対 応 で 記 載 す る か,平 面 図 上 に 当 該 魚 種 の 分 布(確 認)地 点 を 記 入 す る 場 合 が ほ と ん ど で あ る[平 井   1978:34‑80]。

  文 献 研 究 と い う制 約 上,本 論 で は,魚 種 別 に 出 現 の 有 無 別 を 基 準 と し て 記 載 す る 。 分 布 様 式 と し て は,平 面 分 布 の ほ か に,海 抜 高 度 や 河 川 次 数 を 指 標 と し て 記 載 す る 方 法 を 採 用 す る 。 以 下,具 体 的 な 手 法 に つ い て の べ る 。

  平 面 分 布

  筆 者 は,国 土 地 理 院 発 行 の5万 分 の1,お よ び2万5千 分 の1の 地 形 図 を も と に, 飛 騨 地 方 に お け る 河 川 分 布 と,『 斐 太 後 風 土 記 』 に あ ら わ れ る415力 村 の 位 置 を 示 す 図

を 作 成 した 。

  この さ い,ダ ム 建 設 な ど に と も な って 水 没 し た 村 む ら に つ い て は,水 没 前 に 発 行 さ れ た5万 分 の1の 地 形 図(国 土 地 理 院 発 行)を も と に,そ の 位 置 を 確 認 した4)。 廃 村, そ の 他 の 理 由 で,現 在,地 形 図 上 に 位 置 が しめ さ れ て い な い 村 む ら に つ い て も,『 斐 太 後 風 土 記 』 の 記 載 か ら,お お よ そ の 位 置 を 推 定 す る こ と に した 。 こ の よ う に し て で

き た 図 は,の ち に コ ン ピ ュ ー タ ・デ ィ ス プ レ イ ・タ ー ミナ ル 用 の 原 図 と して も ち い た 。

  4)国 立民 族学 博物 館,杉 本 尚次 教 授 と,飛 騨 県事 務 所,土 地 改良 課 の小林 久 美 氏 の 御好 意 に よ

  り,そ れ ぞ れ,御 母衣 ダ ム,小 鳥 ダ ム建 設 以前 に発 行 され た 当該 の 地 形 図を 参考 に させ てい た

  だ く ことが で きた。

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秋道   明治初期 ・飛騨地方における生産魚類の分布論的研究  垂 直 分 布

  河川 の海 抜 高 度 と対 応 す る 魚類 の分 布 を し らべ るた め,筆 者 は,や は り前 述 の5万 分 の1の 地 形 図を もと に,魚 類 の垂 直 分 布 図 を 作 製 した 。 河川 の海 抜 高 度 は,そ れ ぞ れ の 魚 種 を 産す る村 の 海 抜 高 度 で代 表 させ る こ と に,し,村 の行 政 中心,あ るい は,地

図上 に示 され た村 落 の 中心 部 にお ける 海 抜高 度 を測 定 した。

      あん

  と こ ろで,村 が河 谷 か らは なれ た鞍 部 や 尾根 ぞ い に位 置す る よ うな場 合,村 と河 川 と の高 度 差 が,相 当大 き くな る恐 れ が あ る 。 しか し,そ う した 場合,問 題 と な る村 の 産 物 や 記 載 に,魚 類 が ふ くまれ て い な い の が ふ つ うで あ る。 ぎ ゃ くに,魚 類 を生 産 す る 村 は,河 川 流 域 に 立地 して い るわ けで あ り,そ の高 度 差 が100mを こえ る よ うな場 合 は,ま ず な い とい え る。 村 の 海抜 高 度 で 河 川 の 海 抜 高 度 を代 表 させ て も,な ん らさ しつ か え な い もの と考 え られ る。

  な お,河 川 断面 図 を 作 成 す る さ い に は,5万 分 の1の 地 形 図 を も と に,キ ル ビー メ ー ター(島 津製 作 所)に よ り ,河 川 の流 程 を測 定 した 。

   図2河 川 次 数 を 示 す 概 念 図 (数字は,そ れぞれの河川 における次数をあ らわす)

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(23)

国立民族学 博物 館研究報 告  4巻2号 表1  飛騨地方の4水 系における河川次数別流長

水 系 N1 N2 N3 N4 N5 計(km)

庄 川 宮 川 高原川 益田川

192.5 364.2 217.2 376.4

82.3 157.1 123, 6 164,4

56.8 96.4 38.0 65.4

19.9 56.3 37.6 51.1

41. 0 54.3 27.1 45.5

392.5 728.3 443.5 702.8 (N1:1次 河 川,  N2:2次 河 川, N3:3次 河 川,  N4:4次 河 川, N5:5次 河 川)

  河 川 次 数 別 分 布

  河 川 は,最 上 流 部 か らい くつ か の 支 流 や 谷 が 集 ま り,よ り大 き な 支 流 を 形 成 す る 。 こ う し た 支 流 が さ らに い くつ か 集 ま り,や が て 本 流 と な っ て 海 や 湖 に そ そ ぐ。 つ ま り, 一 つ の 水 系 は

,支 流 一 本 流 の 間 に ヒ エ ラ ル キ ー を も つ シ ス テ ム を 形 成 す る と い え る 。   い ま,一 つ の 水 系 内 の す べ て の 支 流 を,次 数 区 分 に よ って あ らわ せ ば,次 数 に 対 応

した 魚 類 の 分 布 を し らべ る こ と が で き る 。

  具 体 的 な 次 数 を き め る た め,5万 分 の1の 地 形 図 を も と に した 。 ま ず,お の お の の 水 系 の 最 上 流 部 を,1次 河 川(primary  streamノ と し,別 の1次 河 川 の 合 流 に よ り, 合 流 点 よ り下 流 を2次 河 川(secondary  stream)と す る 。 さ らに,2次 河 川 と2次 河 川 が 合 流 し,そ の 合 流 点 よ り下 流 を3次 河 川 とす る 。 以 下,同 様 に して,す べ て の 支 流 の 次 数 を つ ぎ つ ぎ と 決 定 す る 。 た だ し,3次 河 川 に1次 河 川 や2次 河 川 が 流 入 して

も,流 入 点 よ り下 流 部 の 次 数 は か わ ら な い も の と す る(図2)。

  こ の よ う に して,飛 騨 地 方 の 水 系 に つ い て,各 水 系 の 全 長(キ ロ メ ー トル)を も と め た(表1)。

  村 の 立 地 点 か ら,河 川 の 次 数 を し る こ と に よ って,次 数 別 に 生 産 魚 類 の 分 布 を し ら べ る こ とが で き る 。 た だ し,た と え ば,当 該 の 村 が3次 河 川 と4次 河 川 の 合 流 点 に 位 置 す る よ う な 場 合,す べ て,次 数 の 高 い 方 の 階 級 に そ の 村 を ふ くめ る こ と に す る 。 た と え ば,3次 河 川 と4次 河 川 の 合 流 点 に 位 置 す る 村 は,4次 河 川 流 域 の 村 と して 位 置 づ け る もの と す る 。

2.飛 騨 国 の4水 系 と生 産 魚 類

 『斐 太 後 風 土 記 』 で は,飛 騨 国 の4大 河川 と して,白 川(庄 川),宮 川,高 原 川,益 田川 を あ げて い る。 以 下,各 水 系 の概 要 と,『 斐 太 後 風土 記 』 に記 載 され た生 産 魚 類

につ い て のべ る ことに す る(図3)。

 庄 川 水 系   庄 川 は,東 側 を天 生 山地 に,西 側 を 白 山 山系 の 山 や ま に は さ まれ,南 北

306

(24)

秋道    明治初期 ・飛騨地方における生産魚類 の分布論的研究

図3飛 騨 国3郡 と4水 系 の 概 念 図         (破 線 は,郡 界 を あ らわす)

に 貫 流 し,富 山 平 野 を へ て 日 本 海 に そ そ ぐ。 流 域 は 急 峻 な 峡 谷 を 形 成 し,飛 騨 地 方 随 一 の 激 流 を な す 。 全 長 は 約133kmで,そ の う ち,水 源 か ら 白 川 郷 小 白 川 村(現 在 の 岐 阜 ・富 山 県 境)ま で,流 程 は お よ そ60kmあ る 。

  庄 川 水 系 に お け る 生 産 魚 類 は,「 鰹 」,「 鱒 」,「 石 魚 」,「 年 魚 」,「 雑 魚 」,「味 女 」,

「ウ グ ヒ」,「 ドジ ョ ウ」,「 あ ま ご」,「 姫 」,「輔 」 の11種 類 で あ る 。 こ の う ち,「 鰹 」 と

307

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国立民族学博物館研究報告  4巻2号

「 鮪 」 以 外 は,生 産 高 な い し分 布 が わ か っ て い る 。

  宮 川 水 系   宮 川 は,飛 騨 地 方 の 南 北 分 水 嶺 の 一 つ で あ る 川 上 岳 に 源 を 発 し,高 山 市 を 貫 流,北 上 す る 。 途 中,大 八 賀 川,川 上 川,小 八 賀 川,荒 城 川,小 鳥 川 な ど を あ わ せ,北 西 あ る い は 北 東 へ と 向 き を か え,県 境 に い た る 。 高 山 か ら古 川 町 方 村(現 在 の 飛 騨 古 川)に か け て は,平 担 な 盆 地 を 流 れ る 。 角 川 付 近 よ り下 流 部 は,峡 谷 を 形 成 す

る と こ ろ が あ る 。 流 程 は,お よ そ76kmで あ る 。

  宮 川 水 系 に お け る 生 産 魚 類 は,「 ハ エ」,「 ウ グ イ 」,「 チ チ コ」,「 ゴ リ」,「 ア ジ メ 」,

「フ ナ 」,「 ウ ナ ギ」,「 ヤ ツ メ」,「 マ ス 」,「 ア ユ 」,「 ザ コ」,「 カ ワ カ メ」,「 サ ケ 」,「 ア オ ガ イ」,「 タ ニ シ」,「 シ ジ ミ」,「 サ ン シ ョ ウ ウ オ 」 の17種 類 で あ る 。 「ヤ ツ メ」,「 カ ワ カ メ」,「 ア オ ガ イ」 の ほ か は,そ の 生 産 高 な い し分 布 が わ か っ て い る 。

  高 原 川 水 系   高 原 川 は,日 本 ア ル プ ス の 西 斜 面 に 源 を 発 し,途 中,双 六 川 を あ わ せ, 県 境 付 辺 で 宮 川 と 合 流 す る 。 源 流 か ら県 境 ま で の 高 度 差 が あ る た め,随 所 で 渓 谷 を 形 成 す る 。 流 程 は,お よ そ54kmあ る 。

  高 原 川 水 系 に お け る生 産 魚 類 は,「 イ ワ ナ 」,「ハ エ」,「 ウ グ イ 」,「 ゴ リ」,「 チ チ コ」,

「マ ス」,「 ア ユ 」 の7種 類 で あ る 。

  益 田 川 水 系   野 麦 峠 付 近 に 源 を 発 し た 益 田 川 は,西 流 し,途 中,御 岳 山 に 源 を も つ 秋 神 川 と合 流 す る 。 久 々 野 あ た り か ら南 流 し,小 坂 川 を あ わ せ,金 山 付 近 で,川 上 岳 か ら南 流 す る 馬 瀬 川 と 合 流 す る 。 流 域 で は,大 小 の 峡 谷 が 形 成 され,飛 騨 国 の 国 境 あ た り で も,峡 谷 が み られ る(中 山 七 里)。 益 田 川 は,飛 騨 川 と な り,や が て 木 曽 川 と し て 伊 勢 湾 に そ そ ぐ。 飛 騨 国 に お け る 流 程 は,お よ そ146  kmで あ る 。

  益 田 川 水 系 に お け る 生 産 魚 類 は,「 ハ エ」,「 ウ グ イ 」∫Cイ ワ ナJ,「 マ ス 」,「 ザ コ」,

「ア ジ メ 」,「 ア ユ 」,「 ウ ナ ギ 」,「 カ ワ コ イ 」,1ナ マ ズ 」,「 コ イ ノ コ 」,「 キ ン ギ ョ ノ コ 」 の12種 類 で あ る 。

3.生 産 魚 類 の 平 面 分 布

  産 物 の 項 に 記 載 さ れ た 生 産 魚 類 に つ い て,平 面 分 布 を し らべ る た め,コ ン ピ ュ ー タ

・デ ィ ス プ レ イ ・タ ー ミナ ル に よ って,分 布 図 を 作 成 し た 。 図4は,そ の う ち,「 ア ユ 」 と 「ハ エ」 に つ い て 示 し た も の で あ る 。

  「ハ エ 」 は,非 常 に 広 範 囲 に わ た っ て 分 布 し て い る こ と が わ か る 。 一 方,「 ア ユ 」 の

分 布 は,か な り 局 在 化 して い る 。 図 に は,河 川 の 位 置 が 示 さ れ て は い な い も の の,「 ハ

ェ 」 が,河 川 の 上 流 部 か ら 下 流 部 に か け て 幅 ひ ろ く分 布 す る の に た い し,「 ア ユ 」 が

下 流 部 に の み 分 布 す る と い う こ と が,明 瞭 に 示 さ れ て い る 。 す な わ ち,平 面 分 布 は,

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秋道  明治初期 ・飛騨地方における生産魚類 の分布論的研究

図4‑A  「ハ エ 」 の生 産村 の平 面 分布 図 図4‑B  「アユ 」 の生 産 村 の 平面 分 布 図

大 まか な分 布傾 向 を読 み と る うえ で,非 常 に有 効 で あ る とい わ な けれ ば な らな い。

  しか し,平 面 分 布 は,同 一 魚 種 の 水 系 別 分布 の相 違 や 共 通 点,異 な った魚 種 間 で の 分 布 の 比 較 な どを記 述 す る さい に は,か な らず し も適 当な 表 現 様 式 で あ る と は か ぎ ら な い。 分 布 を 定量 的 に把 握 す るた め,つ ぎに のべ る垂 直 分 布 と河 川 次 数別 分 布 を し ら べ る必 要 が あ る。 な お,い くつ か の 魚 種 の平 面 分布 につ いて は,付 図1に 示 して お い た。 図 中の ● 印 は, 一 生 産 村 の位 置 を示 す 巳

4.生 産 魚 類 の 垂 直 分 布

  表2〜5は,水 系 ご と の 生 産 魚 類 分 布 を,村 の 海 抜 高 度 を 指 標 と して 示 し た も の で あ る 。 表 中 の ○ 印 自体 は,当 該 の 魚 種 が そ の 海 抜 高 度 に お い て 分 布 す る こ と を 示 し て い る 。 ● 印 は,当 該 魚 種 が 産 物 と して 記 載 さ れ て い た こ と を,○ 印 は,産 物 と し て で は な い が,そ れ 以 外 の 部 分 に 記 載 さ れ て い た こ と を,そ れ ぞ れ 示 す も の と す る 。   海 抜 高 度 に よ る 魚 相 の 変 化 を,そ れ ぞ れ の 魚 種 の 分 布 上 限 と 下 限 に 着 目 し て え た 結 果 を の べ る と,つ ぎ の よ う に な る 。

「イ ワ ナ 」:4水 系 を 通 じ て,も っ と も上 流 部 ま で 分 布 す る 。 と く に,益 田 川 水 系 の 野 麦 村 は,海 抜1,300  m YA上 あ り,「 イ ワ ナ 」 の 分 布 の 最 上 限 と な っ て い る 。

「ハ エ 」,「 ザ コ」:「 イ ワ ナ 」 と分 布 上 限 が 同 じ,な い し は 「イ ワ ナ 」 に つ い で 分 布 上 限 が 高 い 。 そ の 海 抜 高 度 は,900〜1,200mで あ る 。

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