奈良教育大学学術リポジトリNEAR
ゲーテの「親和力」における自由に就て
著者 小野村 胤久
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 5
号 1
ページ 69‑80
発行年 1955‑12‑15
URL http://hdl.handle.net/10105/5000
ゲーテの「親和力」における自由に就て
/J、 野 村 一 胤 久
・Llこriii :、.、 :田山.二;'・<:一∴ rッーニー・一・;<;他!>蝣̲ナl‑‑1l‑‑ '一∴、一・J.‑.与、∴、 r'川日二;一声:Vi
の自由・個人的自由・社会的自由の三段階を認め、叉シラーの自由に就ての思想に関して 樟摘している如く、傭人的自由の中に、自然的自由(physische Freiheit)と観念的自由
Udelle Freiheit)を区別している。即ち選択の自由には自由の薪芽が認められ、之が人紘 に高められて個人的自由となり、更に道徳律によって之が社会的自由に発展する。若きゲー
tこ蝣蝣蝣1)
テの作品ゲッツ・ヴェルテル其他には個人的自由が見られ、老ゲーテの作品ヴィル‑ルム・
マイスターの遍療時代・ファウスト等には社会的自由が明らかに述べられている。之は若き
'一Il‑ ・/.flW/i'r ∴・r>芭・r ‑ oii!:粗せ'・/:‑'>V.1軒へr・テi‑:0'三‑:tt耳* "Iこしているもので1"・Aj、
即ち彼は「概念と感情の自由貿易」という言葉を用いて、精神生拓における自由経済的な原 則を確立する迄の経過を示した。
老ゲーテに於では個人的利己的な人道(Humanit云t)や芸術的概念が結局克服され、利 己的東栄でなく、一般的社会的東栄が老えられ、之が道徳的で、社会的な事とモラルとは同 義語となったo 喜入にして始めて人間的なものが完成されるのであり、個人は単なる機能
(Funktion)で、ヴィル‑ルム・マイスターの遍雇時代の教育州の精神は社会主義的であ ると共にジェスイット的・軍欧的なものと云われたO
3田PI
シラーの自由についてはゲーテが行動の自由・思想の自由を挙げているが、晩年のシラー
蝣'・nilil‑z:夢の1‑;̲r.*・たい:二いうi軌tsol."、懲蝣";?し7:。と.'†'T.‑ ン:. ‑.'蝣*:'/iW.‑ !ii) 、
ゲーテの諦念の思想もシラーに負う餅が多いと思われる。
敢1各人が自分自身の特性により自己を表現し.自分自身の言葉を話そうとするO之をゲ‑テfJ‑防 人的自由と名づけた。此点で彼は「我々国民に個人的自由の観念をもたらしたのはダルマソ人 の行いであるO 」 ‑というギ・‑ (Guizot)に賛成している。 Eekermanns Gespr瓦che rait Goethe. (1829年4月6日)参職
鼓2 Thoma当Maon: Das P∫obletn der Freiheit. S. 16‑17.
I 筋 の 自 由
扱1809年にゲーテが完成した小説「親和力」 (Die Wahlverwandtschaften)には此
「目白(.・ 'IJ'lr サ・如(<・{;‑.求J"われていろ こ1.・′・う/一・*rt
小説「親和力」1ほ筒知の如く、ゲーテ自身の法則体験(Gesetz‑Erlebnis)より生れた
旦'蝣c;!;;:f.‑ォi..*;‑.‑H一蝣:、や早、「十‑:‑f‑.t∴′・・損モー′A.?;.ち:I,‑.1‑*>1.班.二・.r二/・トー̲糸汚'T:
るなり」が挙げられ、之は此作のキ要人物の‑ドゥアルトやオッティ1)ェVC.見られる様に現 世に怠ける罪は必ずその酬いを受けることを示し、又「物質を支配する薪和カは人群舞にも 威力を捧うが、付問は場合により何物を犠牲にL/Cも之と闘うべきで、こ1に人間の自由が ある」という考えもうかがわれるが、本稿では後者を主題にしたいと思う。
未来施名のWahlverwandtschaftについて、VerwandtEchaft按血CBlutlの結合性で、
Wahlは稗神の同意による自由長決心で将来<D行為である。従って親和力はこの小説の第1
・'!‑‑.{'ii‑一・・"i‑;こ1i'*jr‑*蝣.i:‑‑ii{'tT二:I:jミ'、コi蝣'・・・‑v;w∴・ ・Iヰ'+.維二・
間の引力と結合飲CVereinjgungssucht)で之が愛情CLiebe)に関係したのである。即ち 此処では1785年に出たという瑞典の化学者TorbernBer野nannの論文中の石衣石と稀硫 酸との反応の餅が挙げられ、此法則が人間の精神vc.適用されて、AB+C+D‑AD+BCな る公式によって寅要人物エドゥアルト(Bl,シャルロッテ(A),大尉(後の少佐KC),オッテ fJ‑r.ID)ま:iw:I'一一・∴'I一打f.'.'
1・v二・‑A'1'i'r:;・Jl'.,''一二.打て<""*、
即ちエドゥアルト(Eduard)とシャルロッテCChar王ptte)は昔馴染であったが、相愛の
蝣ォ'・一:I‑L‑rTi:L∴"rJ"‑;二十.他'1l.Hjf・†:Vi‑、誉:・I>Vi.'十‑j!‑こIt1‑1'''ざ:・・.ギーー/、J:守.!1蝣'ffiR‑:実:い 自由k:なったのが、親和力に支配されて結賭するO之は良心の芦に従ったものと信ぜられて
い.'‑tナx一蝣;三も、TiiTIVv'.:∴・*¥i'n':‑T̲・:丁一叫'!∵・Jti.WZWn..ニー.‑:K二/i: ・.こ,・i:..∴
の二人の新に大尉がやって束、叉オッティ7)ニ(Ottilie)が寄嬉合から呼戻されるに及んで、
叉も親和力が働いて、シャノLロッテ白身の娩戒にも拘らず、エドゥアルトとオツティ̲1)工、
大尉とシャルロッテの関係は悪魔的(d五monisch)に進行する。後者は一方が意事的な男、
仙:も,'.‑r.n‑.:V;;.‑・‑r;'l:':I.至、'・"*r・、Jii.:'I、蝣J:!:hili'i:;'y‑・:jf・Hp.守,輔tt」′蝣*v*//*"'こ あるので、速に悲惨な東新に終る。
此小説の筋は普通の意味でScottやDickensの様な冒険談や物語でなく、叉Balzac
やドストェフスキーの様な環境や心理‑の興味から出ているのでなく、云わば化学的変化に 表われる官能的契険(.sinnlichesExperiment)の様に見られる。.更に此作はドイツ浪漫
;k/'∵V."r・''一一∴'
&'.̀K.&.l二、‑.い′irl:与∴蝣*>,'∴i‑l:i:2㌔::∴二・iッ'j*=∴.土ミ
「不思議な近隣の子供達」(DiewunderlichenNachbarskindFr)という短篇など本筋に 関係のない描写が多く、浪獲文学に特有の無形式の痕跡を喝している。しかし之等は此作の ::!̲.・;│‑│中日!.サーノ.、‑‥f^'Wift‑vrろJt!:.チ::ラ.‑‑‑‑‑'一°:.、***>.・こ''.・・.‑>
叉此小詮はゲーテの極性(Polaritat)と高弟(Steigerung)という自然科学的な観念によ
‑‑J‑′こ:され、‑'
;‑?!::二I:'、'よ.*"蝣*‑I':;・:.蝣・jL].蝣11=蝣・二.、.、てい..rs.音∴:、
される度在に富夫なもの、宿命的なものとなり、最初身振り(Geste)として:現われたのが
攻にIt性質となり、初め慈音CWillkur)に見えていたのが後には放則となるoかく神秘的
に高められる二署性(Duplizitat)はゲ‑テが其笛を自由に又同時に必疎のものとして連ん
70
cfj‑くffi式.チ:た‑'I)た。
I 性 格 速の 自 由
「親和力」では筋の発展の上で、ある行為が他の行為の玲理的結果でなく、寧ろ自由な性 格の発露となって居り、各人の性格こそ初めから規定されている人間の蓬命と見られ、重体
と 汁'IiTT.;>i‑こ‑ ま.・蝣'Iこき へ‥軋<S:.‑‑;、ト.・^、 I.、、
先一'・;v、.'・蝣・1l'辞I、物.J.. l'心Vたして1.、 ∴言を帆′:い、が、 Mi>、臥・r: ∴・MW‑‑. ∴付.'蝣.
人との自由な関係と其自由な思想が貴賓人物の居る荘園の安静を破る嵐の到廉を示唆し、其 他の副人物例えばミットラー(Mittler)、ルチアーネ(Luciane)、ナンニー(Nanny)等
の*".I・.!・,'.':什j:.‑F:!;+∴.ォ蝣*∴f':ナノ.?'一蝣′・、、<T'。 '二∴ ∵ I‑チ,i:ン、;一 号;i・V上V ‑.'‑.Vi‑ ‑11日こ:i.二'.‑J
う所が多いと考えられるo
Gundolf に従い、此小説の人物を四つの暦に分けて考えて見たい。
第一一の暦はオッティ1)‑・エドゥアルl、及大尉・シャノしロッテなる Spannung (張力)
で、 li∴二・二;蝣>:v ift!・:i^:・<‑j‑Jf^」1*:什・ノてい**>.‑サ
・先づエ]・蝣サー*>l一卜!i"極めて弱い性格、何事をも諦め切れたい性格に両かil 、 'nkには情熱に 打勝つべき道徳的祇技は強くなく、香登く無いと言ってよいO即ち彼の蹄身が示すように、
両親に甘やかされて育て・られると共に、故初の結栖生m虹於でも甘やかされ、年をとっても 子供らしい性質を保持しているが、万事に永遠のDilettantで自分の才能の完成に必要な忍 耐心に.欠けていた。つまり、どの涼から見ても其本性の射さを超越出来ない人間で、疾風怒 涛のゲーテを思わせ・、韓にオッティリことの恋愛に.おいてはゲーテと<j i; ‑との関係が見ら れるO叉‑ドゥアルトは決別に関しては、之に反故するというよりも、決別そのものを認め でいないのであって、彼の思想にも行為にも何等の槙準(Mass)がなく、只愛し、愛される という意識が磯を無限の碩方に追いやるのである(第1部、弟13章) 。従って積がオッティ I)ィェへの情熱とシャノ・L‑ロッテとの関係から・一時逃亡するのは洪則の勝利と見てよく、秒の 此不幸H一決別を軽蔑したことに対す一る懲罰であるといえる。只シャノしロッテとの関係では、
線女との話合いで自分が法則を否定せる尋を明らさまこせ白する男気に欠けて居たoかくて エドゥアルトは其性格上・Wertherに近.似しているが、ウォノしフに恋人を凡ゆる障害に戊抗 して得んとする決意に於TCは Faustの性格に近いと述べているO ゲーテ白身は1827年1月
(註1)
21日の Eckermann との対話や1810年2月にライン‑ル1、に.宛でTc手紙等に、見受けられ る様に、 ‑ドゥアルトの性格を弁護し、 「挽和カ」における事実(Faktum)がすべて性格 より出ていることを述べたSolgerにも之を認めつiも、 「エF‑ウアルトの性格は自分も嫌 いだが、事実を打出すにはああしなけりやならなかった」と云ったo 結局‑ドゥアルトは Tasso, Werther, Epimetheus の様r慈意的(willkurlich)な意味での自由を事楽し、
絶えずその精神の主観的、非合理的なカに支配されていたのである0
ツ・蝣‑'sil'
,:!':キ三、之一二前rtifc‑‑:,∴:一、".'蝣で.?J:‑:'.'.‑.
1m、、臼言'&:蝣他l、.***>r'''甘ftf*.、地!.r‑i*"..1‑.′他‑'JV'vLiI‑1・よ・"/*,‑I?‑.'.・車
I"..Jiン')ちか.、.,tt吐、7.、Il.さjiォー;;二il‑l‑‑}.〜.二‑J‑"‑・'‑て>‑,p,ミ鞭iT‑H‑Ct'.‑v、,∴Il)∴′*!‑y‑* 攻入で)‑'.
ア‑ネとは大いに異っているo
(u*∋)
ゲーテは節制(M云ssigkeit)をシャ1;.nツテの性格の主要素としたO彼女按道徳律に.従 う事に塞く純人間性を象徴し、朗かな理性の自由の国(ReichderheiterenV占rnunft‑
freiheit)に属するoグーテの詩「神的なるもの」(dasGottliche)の‑・節 NuralleinderMensch
VerraagdasUnmogliche:
Erunterscheidet, W五hletundrichtet;
ErkanndemAugenblick Dauerverieihen.
は明らかにシャルロッテの自由概念の基礎をなしている。之は嶺女がこの小説の第1却第4 章で、大尉が人間の鎌に別れたり結合したりする元素の話をした時に.「人間は実際それ等の 先素よりは数段高められています。そして若し此処で人間が選択とか親和力とかいう美しい 言葉をいくらか気相よく使ったとしたら、再び自分に立展,.)で、こうレ、う梯会にこう云う言 葉の価値を正しく考えて見るのが宜いのです」と答えて、撰駅(Wahl)の概念を元素に適用
十対し.!て・蝣・fir一十,I,も・,nTて'‑..‑.,ン十.・;r‑1ソ蝣5V.ft‑?,i,‑三てM:、.訂tei‑w.ヒ・.章I;
びついていること、及び意志が理性から規定されている意味丈では自由とは見倣されないが、
人間が理性的な意志決定をなすことが出来ない轟実には、衝動yc.むすばれている意志が理性 に於で方向を定められるという一一一つの事実、不可能には見えても実験的に確立せる事実が対 立している。この事から、人間が其行為を理性の法則と鞠和させることが多い程大坪のより 高い段階に到達し、人間が之に絶対の服従をする時に最高段階に#.'するという結果が生する。
かくてシャルロッテには法則が絶ての生活状態及生括問題に於て人間の唯一の確実な指導
〜:ォー'・†二.つ・′、咋rこげ :ミHifi'j"*S!S!:i‑.**iTi^j;・‑>蝣・?*;什蝣‑.X"、・?;/s.t'<:ぜ・ま.'て∴鞘」ま二Xi;.:.'解 決出来るかの様に見えでも、碑女は此印象を誤れる者と考えた。何となれば服従がihむ時に
は自由も止み、人間が逮命を導くのでなく、追払立てられて理性の国から陰気な必然の国へ
Ii・:・・,て、ヱ?:‑".ォ蝣'・・・..・一w.持たや蝣:it';:i二・>jp.らht、.、.て・'一・0.,,'r扶a‑i.'fcこそ:ft‑シン、・
・uN・ツナL二は71‑‑''FT.il.iVj.'i‑.柑‑̲ふさ).J'・、.、#..",?・::..v.T>*">/;ら十、‑
yj、i!!'*:久,‑̲熱いナ
!.xf"J・ろ、e・ ノ蝣f‑:r,;こJ..、∴伶芋:lI.'..‑1*}ンヤ;;r.1ッ/‑/>氾itw^、∴∴'V' !,.;・¥,、特、
】tmr.
I,ll‑'J二蝣/'.'状vV.*:‑ビfrU'Jこ.:Im・:‑J枯醇、う二Vj上H‑r‑.、‑*・*"r汀蝣J¥'‥;.:こ,.‑!こせT:捕I'∴、。a‑'1' でシャルロッテはイフイゲ‑ユニと近似している0倍シャルロッテはシラーの意味での葵し
き魂(dieschoneSeele)と云われている。シラーは其美学論文「優美と品位に放て」(Uber
72
Anmut und Wurde}の中でr道徳的感情が意志の指導を安んじて情熱に委ねることが出
・ 、 F].‑ ‑;上 : 二了・!iT十 、.、・:蝣u..:‑;.・しい:冒さないI.,1.'.'∴モ・こJ∴ ・ ・J!蝣:・<:・削・守/‑'蝣'.I一l
証した時、之は美しき魂と呼ばれる」と言い、又「美しき魂では性格重体が道徳的であって、
∴ 由.二 、1'‥rvrj.、 :ufeii ‥h' 二 . 【'< 'l̲・ ‑‑!蝣i二・二'/l∴ ・∴当.黙I"'.!"I il∴.I."ヤー.已/汀J.:二 十一‑yJ 、‥IJl" ち ・.・・て:̀‥二. ̲ T > !一・ソ>"‑;'‑.チ'・‑U'."白.!,サ蝣:iv肯
していることを示し、一面又此小説では親和力による罪の意識を免れることの出来なかった 心情が伺われるのである。
し一̲41
攻に大尉(少佐)に親で放ウォ}Lフの云う様lこ、エドゥアルト・シャノLロッテ・オッテ : ‑、 J" "^*∴・ト、♪ こ十・・'..‑>蝣、.'!蝣∴∴1m‑o∴∴.1'1一 味こ1‑'I" !蝣..'‑.二.,共'・I‑!‑:':汁、,.守 ∴.こ、
ある程変造型にはまっているOそれは他の三人の様に直接詩人の体験から出ていない事に帰 する欠陥である。しかしォは Pandora, Prometheus 等に近く、実生活に向けられている 男のタイプを具体的に示し、ゲーテの倫理的欲求を広範囲に実現して居り、大尉が永年クロ ノメーク‑附の砂時計を只の一回も捲くのを怠らなかったことは、時に対する無関心という 罪から免れていることを現わす。彼も亦シャルロッテと同様情熱のカを持っているが、道徳 的義務の望む朋に従い、情熱が完仝な権力を持つ蹄に、情熱に拭祝し、諦めることが出来る
という美しい例を呈示している。
(.:5\
又オッティl7 ‑は一つの悪魔的なも<」> (das Damonische)を持ち、液も自然に近い女性 として、親和力にも最も甥く支配されるOシャルロッテの要素が節制にある様にオツティリ 工の性格の特徴は情熱的なこと(Leidenschaftlichkeit)にあり、彼女の生活は愛し愛され るに時のみ字発通りの生活なるo乱債iTLhことは彼女に尭天的といえるが、克己(Selbst‑
beherr占Chung)はik女にあっては一つの外部的蔽いで、其下には抑え切れぬ情熱が願され、
感情と遭徳性との調和は欠けている。しかし彼女は恨しく優しい少女で従来はゲーテの恋人 ミンナ・フォン・‑ルツ1) ‑プ‑の愛情関係から出ているものとされたが、ヴォルフは寧ろ 種々の根拠からジルヴィェ・フォン・ツイ‑ゲザールCSilvie von Ziegesar)を其原型とし て挙げているO彼女が‑・同の蹄に現われる時には、それは一人の天使・聖者として現われ、
カpッサの云う様に、ゲーテは我々に彼女の漬菜や眼の色のことを洩らさないし、鼻や顎の 形のことものべないが、二、三の大きな輪廓・特性といくつかの重く特に目立たない振舞・
Ji'l i ∴?': '・'."::(!.、 ′).・.'蝣・/:‑‑‑i r∴そこyI1号/・、‥! 、 "蝣<蝣て・・i:>二寸 言・v.v一・‑ト・・‑r‑7、?・二か
: ‑‑:., i・ォ・'.十・・/ r '. "蝣‑r‑;''.‑圭T‑ ,・'.蝣*"I │ ‑ 無.‑̲蛇.・′ !=>.{し、「:‑‑'蝣""の
(:こ6)
音識から耽れられないようになる。織女に杖かくて秩ノ事と情熱叉は法則と自由という二つの
世も.¥,'J.:∵、 ∴ ・:二I・'.'蝣'蝣'蝣‑>蝣>蝣二斌i針,.*̲lkt:>uP.卜y蝣・蝣工、 ′ ・・;・!in?∴ミート∴¥Y‑:r.:r*&礼. :ら
(Umnachtung)と、啓発(Erleuchtung)という二つの言糞で把握されるo即ち碑女は
3薩∃F>
情熱の力で精神錯乱に落入るので、之は城女の本体の内面的法則が之によってaufhebenさ
れるからで奉る。しかし二者の思想姦通によって生れたシャルロッテの不幸な子供の死骸を
Ji " ‑y‑,‑‑:‑'‑ V.‑.帥・: I,一に・y:!i‑"r::i:;二!‑: L‑ 、 t町.ll.IV・蝣"・蝣;:',..VXa/f?!.:鞄首in‥ t; z力*:iサ」.‑jて :∴:.∴ rnもすt・‑‑ I:り・1こ:‑":rl ;、・J・亡蝣??い::罪で・O i.∴ J*・',・!¥ Mヅ・丁、二耳蝣J・一・‑‑呈、肘'蝣)]蝣二村7/二
0..・̲̲.. ‑. yr.亡蝣.‑vrft‑: ・:こっ一二・、三;‑.蝣! 1∴・蝣‑!fi十:‑:六蝣‑.m.∴ ;一汁トト> 1†た、 iL .喝If*‑'
∴.・:∴ミ*詛*蝣‑'*‑‑J‑、亘デ,蝣(蝣サこ軋、: ′.い・ ' 黒・"':.J‑j ‑"^・.'‑.":‥:・一、‑:・こ こ:、・こ、 : u':' :. L I.∴ ∴;''' ,' '・'v叫'一・・)し、 '、* '¥.D二imon∴・i;・蝣‑(一・・,二∴; 、十 ‑‑' I.Tl一
内面的秩序心の撫内に死し、こドゥアルトは情熱の抑制されぬまi死んで了う。二人とも法
則!‥ i.1!!'‑'丁‑.サ‑ *‑い!・・;..‑ ぬ・::、かソT.こIL ‑ト・∴ilト「・T:こここ、巨 :"'".''i.‑i::V:一日l:
保し、艮lじ、の芦に聴従して選択する意志の自由を保持し、死を以て自己の中の自然を殺して 入間の自由を守ったといえよう。ゲーテがRiemerに語った雷集中に「かかる描写に捻常に 官能的なものが交配するが、運命即ち道徳的本性によって罰せられ、此本性は死によって自
由を救う」とあるのは之を指している。
(ffig;
扱第二の暦の人物を見ると、先づ男爵夫人と伯欝は何れも極めて自由な思想の持主で、一ゲ ーテの作「音詩」の中の鬼火と同じく単に或対象に向って自分の自由性を表現し、其影響す るところは善悪共にあると云われた0
‑ 二二/J・・'‑テ丁."^"t t、;) 、j ‑t‑ir,t;LV V* *>"‑""、十・日 ・イ" ‑‑'‑‑:z¥‑<]「∴::咋ft';
JI 、こ 何'.flVfcさ1・>I."・:̲T'ト'二叶いVi/V‑f‑こ∴lL†∴.:‑*.し、こ・ミ 牡‑!il*3.‑>:‑i:、
何かある尊件が起ると其解決に障害となる。重く悪意的な自由を以て振舞い、彼女は男性の 支配者として親和力の圏外に立っている.この点ではオッティ7)ェZ:対照をなしていると云
うべきである。
・、. ! ‑"‑. ‑はこ:、く、一字1*1才こ二K:&onこ1:.て La‑ n;. 、 「 」'・',*<:蝣蝣>Ji.滞fこw.‑/二も、.い1̲‑T.
汁*.一・*でも '二.こ:、一丁・rhfl'iた'Ki¥亡・・.二: ト・‑*'.∴、・‑, ¥∴ィ.∴ f*;;:.>?.‑. tォ 、い1 I.二 、、
や‑‑'.'.'・十戒.二1い・:t".vL.いI!;.'..If蝣ナ蝣・・.'vl'l た、y‑.‑.才 二してが、 :V..即';*: t "・ここ
‑ー蝣 <r,;‑<]‑こ・ ・ン・二、 =こい> 、I !.!:>蝣・蝣・ い,ッチ うI;悼/̲も‑";:'.;‑! 二I,*: (こ て̲・1∴.
てレ、るo
J・、ンK : ‑'."蝣7i‑;"'†蝣蝣t.二: ・、・トラー.=‥n *一・・一子.'I J /∴.:y:‑nL'.∴!三.'i;j‑! ZIY‑HUこ *:i*>K'・
て、筋を複雑にして生起を簡単にしているに過ぎないO
・7;r‑:¥‑.[菅のI.物∴' 守.‑'̀:ぎI‑; ・:.n ∵I'v‑*こ.","r''n工て、 3 ';;蝣.'...;.・.蝣;;: ・十・二Ft 7:、の叫 サy.士.‑.ih‑; :h I.I/・'="'?*:fv三一∴ニーH̲こ ゾ:'1.、.‑,.1も二∴<x: 主 r‑T∴. 1,1''
丁は皆見物人・傍観者で看掴出来ぬ蓮命に加わっても、之に対しては無祇抗・無自由でオツ
I:‑‑ * I‑ ‑‑''I‑ !・‑'.一Viiiir.‑̲よ,=朴;>,一蝣蝣‑i'M'‑cm一・'‥ト.∴二、. I:・二、 ,°、・」」・蝣二 二
は、 So王gerが之を高く評価̀して、 「此小誰の他の人物が窮々しく、愛すべき人物として出
・.二、 ∴I、・・蝣"!‑.:S*‑:S'・・蝣て日日:.‑‑iJNl:‑‑nてい、・'!・蝣・‑ ・子:ff:"'しこは他蝣・蝣".'.^蝣・iii
・>t::'t‑ド.YJら/.:.y.‑‑‑j/:.iご汀仰̲.ブ∴;.:、ご・'‑テIi‑?:‑.川'∴1=・・: ,*.・、 、J iう'
‑の言う通りだo 」と之を認めていた (Gespr云che mit Eckermann. 1827年1月21日)
ffl
iTij'.V.T'.I・}ト‥J'・)・‑‑蝣‑し・.・二*蝣ITi''i>・;・∴∫Jl「r・∴工、.、・:JL' 。汚r':モ'ト、・ニ 少年やナンニーが之に入り、之等は単に宿命‑の警戒信号である。
二r‑チ/・丙、I/二lづ'..I工二ft‑,'.}.∴、・二∴、他.‑イ1て晶・"ii・∴二、個∴・‑、::r!=ォ蝣つ‑*蝣蝣':蝣!<
」<蝣主t:.'r.こILPl一二六二さI‑lit"*‑Vォ‑^サ、;y.‑n‑・・.'托.、T二∴ニー,*蝣‑':‑.'二サ・,‑‑蝣一・・ド‑.' i¥'
‑I.、LJ‑/、i:I.!│‑.Mi'.;u:;一亡.IV‑.'t.‑・".‑i!'‑i"‑".'ViPCた:‑∴・i:肯I!
cKosmischeWesenheit)で、分離せる実放物として解きほぐされるものではなくて、重体
∴‑.・*‑*J紙.'Ij一二I.!一二・モかのて∩.'i'蝣.‑?∴・;*i、・'J.卜二V‑::I:isMTi:‑∴
極めて自由に表現されているのに過ぎない。
(証1)HansM.Wolff.GoetheinderPeriodederWahlverwandtsぐhaften.S.104.
(討三2)Ditto.S.175ff‑
(証3)Ditto.8.189‑190.
(註4)成瀬無頼先生:「親和力」株於ける意志と性格との交錯 (日本ゲ‑テ協会発行ゲ‑テ年鑑俸二冬)
(詫5)Korff:GeisttierGoethezeitT.Teii.Klassik:声.369.
(鼓6)HansCaio的DasJahrilexschonenTanschungen(GesammelteWerkeBd.I.吊.321
‑322.)
(託7)Korff:a.a.O.S.362.
(註8)GoethesGesp/acheohneGespr箆ohemitEckermann.Hrsg.v.Biedermann.Nr.242.
i*.2f;l‑252.
m軒端̲生<l'lL′間iii
ゲーテが結婚(Ehe)の問題に裁て趣めて厳格な考を持っていたことは1824年3月20日の ェッケルマンとの対話に出て1ハる通りであるが、若くない二人、エドゥアルトとシャノLロッ テの舞姫が展の変によるのでなく、シャ̀ルロッテが後に述べる様に(希2部第14章)男の我
ト・∴ぎ蝣*一・"て、,'r/.ヱ'‑'.・*‑'べき..":*].・‑ii.i∴'.'・'!・二し:・l二.ち,ト.I:∴i告:∴{:.'*!:i・・/・>;' 充足を意味せず、新しい情勲の可能性を予め与えたからであるOかくて大尉の到着後彼とシ
I.・.ち‑蝣<・・‑'一・・'
."]蝣こ''・'.'I:.".1.'二、、'、‑"*'"!;、、一・'1!'蝣ナ・蝣‑<''蝣蝣・'i';>v:∴し:・:
と、こ1に共編生活の危機が初至り、之が親和力の問題となり、ゲーテは之を詩人としてで なく、人間として取扱ったのであるが、それは此事件の運命的な面を強調する丈でなく、第 三部笥・皇軍め自然科学的現象が述べられる際に曙示的に示される横に、道徳的閉居に大きな 影響力を持っている.即ち夫雇の各人が新しい愛情に捉えられるという異常の状態により、
二人の別離に対する披講は其根拠を失い、どうして離婚が行われたいかという重要間海の蹄 に立つこととなる。この小詮の第1部の終りでは此離婿の正当か不当かの別れ日は明白でな く、希2部の第12章でエドゥアルTtの心情が明らかにされ、彼は少佐(大尉)に自分の意志
一蝣U"相、′I".:∴1・こぐ.LL‑'IW.I‑ZC‑‑5K十、.逢‑ML一二.^蝣.'・i‑'.‑'.'.'l.l'.Jt:′I.Iと′l・r・
,‑iJ:'i:^こitcT蝣;・サ;汁;/.I^i'Ujで13畢て.'∴オイ!!‑T‑もぷ:‑ni一軌ごり':キLLi¥汁、官[;f3シャ)!
。・′m.;S.」*.蝣"二すべきことi‑3:‑i.‑。蝣一十ノ:Pツ7‑の汁心はl.a.i..‑:‑.て.二・.い・蝣*・/㌔‑I で(寄1部第16章)被女がneinということは期待されす、只奪女の内剛勺確信‑Gesetz
'‑(・蝣亡・:二‑●二!i.L":ja」‑;言え、〜‑Qノ寸C‑'i'iヒ∴J.二・ド際.‑T沖Il:Li'it:しこと才‑II'if‑t てjaというかが、問題であった。オツティl)ェによって惹起された彼女の子供の死という
:‑い:H・げた\・寄付J・.:主fn'Y.I.til
'‑7㌔すつ丈・i;*;韓させ、部si;.ニ対す:I:接三I.<*蝣:l上yJi二・Ct:く、
I/f>"蝣"′Lトこ′f'‑'・‑i1/ェとのSi替引F‑示ナO。蝣'$2!?;.'>;;i4堆∴I:け**‑.1<・′・:し'‑'t㌻‑・iS.'vTi".'.
やera‑..‑.よ・̲ン二ill札.こp7!呈i'l:千,*JというJ̲にの能力が仁競したいこと、退I'll蛸^l'.・・'ミこI.‑‑'蝣・.<こ .トニーL?:>j".L"二いK.ni'古f..J.⊥」fLたし・たrWi‑.K虫V>V.倫理{;'蝣!‑1'・けl削,I・'二い
・こl、.'I†よいが、其kttf.WWされたい人にlI.亡いr.t.r:しもし・
/、勺!:Lも†上I<il.<蝣'・・!'.題 (こ:.1)
は結局オッティ5cr‑及エドゥアル7.の死によって解拘されるのであるが、‑1一般的にはミット ラー及伯再の意見が小説中に述べられる。
」F十一.:isl:'iV!*‑is‑c:I:‑∴Qf潮!二でナナこ.T;キW:IWナ。s‑c‑^ユ:・fial:i'l.
'l^TL一旦のて、結柵ます‑x‑'I'・"''.とは・・・V'V.てLt・;、mi'i‑iL、蝣=ォー蝣.rHfiVji"i.て二i'i¥..!二・‑?*:・・:i''・'・一‑'
、7\七;Lf^【イ川;*¥T蝣''.:iナこと;'.‑/Il,'iこT̲こ蝣':*¥u';・'、・1."*.,'Jt・*・蝣'.、一一・jnv,1.‑..ミ「̲'.II.V.'こ.
も叫t‑1>蝣多く蝣:・Y‑W^二も/二らすぜL/・て、ユニ;‑[蝣'j施す佃・:'・l蝣}>*f∴・.",;v.、 こi‑こ、触;.・*蝣‑V 状況でも難癖は是認すべきでないので、夫婦=人は互に茸任を持ち、天和の中誰も自分のた
めの行動の自由を要求してはならない旨を述べている.
(∴:5)
‑ミマ・'r'ごI一二仰<¥;‑VW‑、.の到,llでr:漸され、.wrr.わし・た).ヾIa二ミ‑HT‑t'一帆梯サー蝣>;蝣‑サー i>..v̲・蝣
る態度が定まらなかったから、ミットラーがゲーテの解釈を代表するかに見えたが、之は早 計であった。攻の第10章では伯常により結婚非解拘諭や結婚制度そのものに対する攻撃演説 が行われる。
伯爵は結嬢(heiraten)は愚かしいものを持ち、それが一部分うまく行くとV・,う親郷な 可能性に塞くことを越べ、結婚制度こそ不道徳なものと考え、ある友人の言葉によって、す
べ‑∴',竹tfJ‑:.‑:*:時y'H'y.r.YL'∴言Il‑ぎい.*'I."1三I1‑."させ:I:nT<・'H'‑.'i‑:'・:∴・・・∴∵∴
"ft!ijlrr.i一城:.:′'
*・:・とも.‑,'r‑i.'三Nil.こ結婚し7:叫、t";ざ二軒ifii柑さ・yi
であるとのぺるが、重体として彼の議稔はミットラーとは17:反対ということが出来る。シャ ノLロッテは之に対して自由すぎる話ほど危険なものはないことを考え、.a:の話を外らそうと 努力したのであるAugustVetterは此点に就き、ルソーの恋愛生活とゲーテのそれとの 類似をあげ、特にゲーテのシュタイン夫人に対する敬愛やChristianeとの官能的自由結婚
が十''・くlデW;'!こIlf二os‑こ}/i‑ら顎し.てい・ここ・.:て蝣‑'Il.二こ、、テ:二、:・J‑・tf‑ij;ft‑/:‑‑:‑一‑
て・‑f‑,も乍・I‑*蝣.1子蝣^(iifiiiil:*.'‑:*:*;臥jくし、̲址nfrKfi冒.V*i宇v'・'''川uv‑ノ・い/∴iJi・た。
(‑.I)
ギこてミソトラーLff¥¥>†・!,二.).の芯:・主t‑Jt一Ti・:寸・"'I''‑、卜蝣'/rこい'・蝣'̲cc・ !:j.・‑、二.I.∫:t・
作者の意見を代弁せるものとは貰い難い。二人は共に極端な意見を代表し、之に対して詩人
76
披中立を保っている。即ちこの小詮は結播生活が解拘さるべきでないということが水底にあ
・蝣i‑j‑.‑∴∴、・・二.̲附し、 : 、.I.・!;i"∵‥∴a: r*:..',:、 .:'lt'・∴I,. I.( ,‑、亘,、 :=さ.:
決されねこで<t‑‑^ない〔 III]‑.このべた性Tif^「11*1!まこし.こ 」Oで.+蝣>・"。
(1*4)
(註1 ) Wolff: a. a. 0..ォ. 199‑2m.
(註2)此ミットラFの言葉攻結婚生清が愛惜でも率欄でもTj:く、人間た人道主義に教育することで あるという根本的観点から殊ている。
(証3 ) August Vett占r: Wahlverwandtsehaft. Jahrbucli der Goethegesellsclischaft. 17.Bd. S.105. ff.
(註4)Wolff:a.乱 O. &. 187‑ ‑188.
Ⅳ 主 │"i 自 lFI
l舶現副′ま先づ人物の性格や事件、筋と関連があり、蹄連の如くエドゥアルトは法則を香定 して悪意的な自由を享楽し、シャ,!ロッテは之に反し,法郡に服雀することを唯‑一一の信条とし てし.る。こiに葛藤が起り、離婚開巻にまで発展するのであるが、シャ}L・ロッテは彼女の大 尉‑の情熱が‑ゲーテは之をwechselseitiges Wohlwollen (相互の好意)と名けている
‑ 蝣・‑V,・... ‑ .y..,‑、∴y蝣 ・'!一 ・∴キ・T:p 、一°. :.I・・止',‑,7jこ;H . ̀V."1図。
vr>.い、続・・・‑∴て∴ I.:・i[:・ l ∴711せ, 。 ̲J.‑iil‑‑ト・:"""'.',‑.叉,tJ、
・'j;':蝣;'.'・'1 .Tj :二‑'‑'ォ>.‑* 二: 、 ‑ォ'."'・‑ * [ '・,"I' 二・二; .*i'j i・二.(こ、 ・て!';"・''!!fi・;/..‑.蝣・'.蝣
"Al.1 ;i!‑ ′:.・、之‥ Jf¥ ‥‑!・∴力. ! !'.''蝣蝣'*:,い」 ・ '.I l‑li.‑! ∴r",*・
・'. '・・・‑." !.蝣'蝣! {.'"i. 、 ∴ iJ判.‑l":! ∴ミ・:'.‑r:ii¥‑W、 ・'l【 し!蝣>‑.:'i ミ'.・!*・、;:
自由を証明したと信じている。しかしWolffの云う様にこの勝利には疑問があるO 即ち彼 女が自分の行為を導く法則を普遍妥当的な法則と解しているのはTE当であろうか。シャ)i p
・ ・(i・!"・..‑;^ 、ごmr;I'/‑】'・;蝣/・ ∴・.¥̲'・・'..∵、 :‑:・ ∴r‑:・・・‥・l i ‑*・ こ ご、
党されているO詩人もシャルロッテ!.同一一意見ではないのであるo何となればシャノしロッテ :雷l>>ll'lごせ.三フこ.T= 、 cut‑ 「⊥・HhijV)制駅された状況」 ;・こ柑橘す:I:、ことが、 Hfjui/v.^ 周の乱.a も解決田来ないことを知っているからで、諦念によって自由への難関を切り披けたと侶する シャルロッテはエドゥアルトに自由即ち法則への服従を要求するも、之は禎女が‑ドゥアル トの性格に関して、長男の圧制・耐え撒き埠制を意味すJfD要式を掲げていることになる。
かくてシャ}L・ロッテの場合に自由として現われることがエドゥアルトの場合に正反対を意味 することとなると、シャノLロッテが第1部第‑1章に出してレ、/J自由の全体概念が動推して来
む0 1せkvs'A高な服鐘・l'j潔な克己にも的Jbす、 i'4‑kv.:竜票よhも自由とはいえなし、 i'1と
なればシャルロッテも其本性(Natur)によって行動せるに過ぎないのであり、彼女の態度
も甚人格の流露で、其自由も見かけの自由(Scheinfreiheit)で、彼女の勝利も見かけの勝
利となる。そこで確女の態変も根底においては‑ドゥアルトのそれよりも道怒拍勺であると1,ま
言えず、両人とも其本性に従って行動せるもので、彼等の立場は其偶人的37.場からに共にTF
しい。只区別されることはエドゥアルトが其倫理観に於て韻白になって屠らず、シャルT2ッ
デに対して弁明ユ:,'!! i:‑t、ンーV '5 t・ヅ一丁∴・3/ttr「、*,;*.‑'*亡*‑'''蝣'蝣'Iニr!:二して、‑ ''*̲サこ汀て 二。
かく見ると此小説はエドゥアルトによって代表される非道徳性とシャ}7Jロッテによって代 表されIb蓬徳性との問の固撃としてでなく、二種類の倫理、即ち万人に同一一の要求をする抽 象的な道徳律の倫理と広範囲に個々の者の素質に順応する倫理との問の分析として現われるo
エドゥアルトは此小説で結婚問題において、シャルロッテに離婚を承認させて勝利者とな
・ztct'、こサ:iK掘!こよいこぼ、井lJ.二よ∴‑1‑‑0'j,‑: '、こし‑ こ、 ‑ ・'、の皇∴na:て蝣'.‑J';t.さ れ'蝣>y至i、亡.なくL/こ、肪I‑I‑¥舟i‑‑ry:‑.u.:j・一'if‑‑"二・lJノSi jn二'i11L./:‑>.r',L/Si !i‑‑こ*>‑ ‑l , #.∴,
I..'1)