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ルソ-における教育と共和国の原理にして目的としての自由-上- 利用統計を見る

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(1)

ルソ-における教育と共和国の原理にして目的とし

ての自由-上-著者

Tinland Franck, 浅野 清

著者別名

Asano Kiyoshi

雑誌名

経済論集

12

2

ページ

p123-132

発行年

1987-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005473/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

東洋大学「経済論集

J

12巻 2号 1987年 1月 翻 訳

l

レソーにおける教育と共和国の原理にして

目的としての自由(上

Y

フ ラ ン ク ・ タ ン ラ ン 村

( ス ト ラ ス プ ー ル 第E大学) (1) 「 自 然 状 態 か ら 文 明 状 態 へ の 移 行 は , 人 間 の な か に き わ め て 顕 著 な 変 化 を も た ら す の で あ っ て , 人 間 の 行 為 の な か で 本 能 を 正 義 に 置 き 換 え , そ れ 以 前 の 人 聞 に 欠 け て い た 道 徳 性 を 人 間 の 活 動 に 付 与 す る ( … 〉 。 先 行 す る も の に , 文 明 状 態 の 獲 得 物 と し て , 道 徳 的 自 由 を 付 け 加 え る こ と が で き る で あ ろ う 。 道 徳 的 自 由 の み が , 人 間 を 真 に 自 分 の 主 人 に す る の で あ り , 欲 求 だ け に も と づ く 衝 動 は 奴 隷 だ か ら で あ る 。J~社会契約論』第 1 篇第 8 章からのこの引用文は, ]. -J . ル ソ ー の 思 想 が , 人 間 の 自 然 的 善 性 と , あ ら ゆ る 堕 落 の 源 で あ る 社 会 の 堕 落 さ せ る 諸 結 果 と の 対 立 に 依 拠 し て い る と い う 考 え に 慣 れ 親 し ん で 、 い る 読 者 を , お そ ら く 驚 か す こ と だ ろ う 。 自 然 状 態 へ の ノ ス タ ル ジ ー と し て

*

原題は,“Lalibert岳commeprincipe et comme fin de l'岳ducationet de la Cit品 目lonJ. -J.Rousseau'二

*

*

Franck TINLAND, Professeur a L' Universit岳desSciences Humaines. (L' Universit品deStrasbourg II) 1) I一つの人民に制度を与えようとあえて企てるほどの人は,いわば人間性を変えることができるという確信を持ってい なければならない。それだけで一つの完全で孤立した全体を成している各個人を,この個人に或る意味で生命と存在を与 えるいっそう大きな全体の一部に変え,人間の本質を強化するためにこれを変質させ(…),一言で言えば,立法者は人 聞からその国有のカを取り上{ず,それに代えて,これまで無縁であった力,他人の援助がなければ使用できないカを与え なければならないのである。自然約な能力が死滅してゆくにつれて,それだけ新たに待た力は大きく,永続的となり,そ の制度もまた堅冨で完全なものとなるcH社会契約論.!2篇7主主「立法者についてJOeuvres Complらtes,NRF Galli -mard, Collection La Pl品iade(以下, O.C. と略記する) t. II, p. 381.白水社版『ノレソー全集.! (以下, w全集』と略 言己〕第5巻,作田啓一訳, 147ページ. 「善き社会制度とは,人間をもっとも4く不自然なものにし,その絶対的な存在を奪って相対的な存在を与え, w自己』 を共同の統一体のうちに移すことのできる制度である(…入社会秩序のうちにあって自然の感情の優位を保存しようと 欲するものは,自分がなにを欲しているのか知らない。つねに自分自身との矛盾に悩み,つねに自分の性向と義務とのあ いだで動揺し,けっして人間にも市民にもなれないであろう。自分にとっても他人にとってもなんの役にも立たないであ ろう。それが現代の人間,プランス人,イギリス人,プノレジョワであるοつまりはなにものにもなれないであろう(…〉。 プラトンは人間の心を浄化したにすぎないのに, リュクノレゴスはこれを不自然なものに化したのだ。JE剖ile,O. C.t. IV. pp. 249-250.

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全集』第6巻,樋口謹ーヨマ, 20-22ページ.J 一一一123一一一

(3)

現象するものと,良い制度がみずからに割り当てる目標を指示するため『社会契約論』と『エミー ノレ』が「脱自然」としう用語を使用していることとを,どのように和解させるのか?1)さらにまた, 教育に関する有名な書物は,数学的な隠喰を使いながら,次のような考えからはじまっているので ある。それによれば,社会化された人間は共和国への帰属から受け取るもの以外の価値を持たない ほどの存在であり,また,分数における分子の価値は分母との関係によっている。このような言明 は,しかしながら,創造主の作品に人聞が手を加えた無茶で、不規則な性格にたいして二三行まえで 下された厳しい判断と矛盾しないのである。 それでは,表現された感情の激しさによって欺かれ,言葉の調和によってだまされた読者の目を ゆとりある形式が覆っている思想の不首尾一貫性を結論すべきであろうか? たしかに

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ルソ ーは,生命と密接不可分な感受性の動きから遊離した抽象的証明や厳密さを特権的に利用する人で はなし、。いずれにせよ,対立させることが容易な諸公式に導くことができるとすれば,ルソーの著 作の奥底深くには,恒常的なものが横たわっているのであり,そこから彼の思想は,混乱し矛盾し たものとして経験される諸状況に対する回答として,首尾一貫した解決を探究する〔企て〕のまわ りで組織されるのである。 I(人聞の魂には〉人間の創造主が人間に刻みこんだあの神のような荘重 な単純さの代わりに,理性を働かせていると思い込んでいる情念と錯乱した理解力の異様な対立し かもう見つからないのである oJ2)I人聞は自由なものとして生まれ,しかも,いたるところで鉄鎖 に撃がれている。J3)I自然か社会制度か,そのどちらかと闘うことを余儀なくされ,人聞をつくる か,市民をつくるか,そのいずれかを選択せねばならなし、。この双方を同時につくることはできな いからである oJ4)しかしながら, Iエミーノレは無人の地に追放すべき未開人で、はなし、。都市に住むべ くつくられた未開人なのだ。

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ルソーの感受性と思想の双方に刻み込まれて見いだすことができる首尾一貫したものが存在する とすれば,それはまさしく,さまざまな隷従形態を前にして試されるような,自由を希求する真の 情念として顕現するものである。それはまた,あらゆる服従の拒絶のなかにも表現される。けだし, 服従は窮屈であるだけでなく, とりわけ,相互依存関係のなかに入っている全ての人間の根底のと ころでの変質の真の起源だからである。 自由にたいするこのような情念は,ルソーをかりたてて, とりわけ教育と政治の探究にむかわせ る。人聞の本位が調和を保っていた本源的独立とは対照をなす複合的な隷従の網の自のなかで生ま れ成長した結果として現れている人間そのものを再教育する原理に,教育と共和国の改革は,なり

2) DiscoltrsSZlr l'Origine et le Fondement de l'Inegalite paymi les Hommes, Pr岳face,O. C.t.III.p.122, CW全

集』第4巻, 190-191

3) Contrat Social, Livre 1, Chap. 1, op. cit., p. 351CW全集』第5巻, 110

4) Emile, Livre1.op. cit., p.248, CW全集J第6巻, 20頁〕

5) Emile, Livre1.op. cit., p.484, CW全集』第6巻, 277

(4)

ルソーにおける教育と共和国の原理にして目的としての自由印 うるし,なるはずである。かくして,

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社会契約論』と『エミール』によって探究された補完的な 歩みは,現世における救済手段として現象する。現世における救済は,幸福で道徳的な実存の奥底 での要請とも一致し,

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自然」とその「創造主」との一致を基礎にして,万人の秩序だった共存と いう「命令 imperatifsJと調和すると同時に各人の希求とも調和する。 「哲学者の群れによってあれほどまでに言い古された《人聞はどこでも同じだ》とし寸,あの格 言J6)をきれいさっぱり捨て去って,人間の再形成が,いまや問題となる。にもかかわらず,人間 のまわりで実現された人間性の諸形態に対して距離をおくことによって人間性の深い統一性を見い だしうる人にとっては,人間の可変性は,深いところでの統一性を排除するものではなし、。「人間 を研究しようとすれば自分の近くを見なければならないが,人聞を研究するためには,視野を遠く にまでのばすことをまなばねばならなし、。特性を見出すためには,まず差異を観察しなければなら なし、のである。J7) それゆえまさしく,変化した人間から出発して,人聞がみずから提供する哀れなイメージから, 人聞がさまざまに成りうる諸条件を考察しなければならなし、。このかぎりにおいて,

r

賢者の隈に は,社会は,人為的な人間と作りものの情念の寄せ集めしか提供しない」のものと写る。 人間がそのなかで形成された諸条件を再構成しようとするとき,人間以前の世界における自然、的 な分散状態にまで回帰する必要はないであろう。この再構成は,われわれが今日経験している状況 の説明と同時に,われわれの本性に内有する欲求に合致した調和の諸条件の創造とを前提し,不可 逆的なものとして消滅した状態を再生産することはしなし、。そのような状態の反復は望ましくない からである。 かかる企ては,諸個人が形成される仕方と,諸個人が共和国のなかで保つ諸関係とに結びついた 注意を前提ずる。教育の道と政治の道は結びついているのだ。「あなたがたが人聞を指揮しようと するならば,人聞をつくるべきである。」のそして人間をつくりたいのならば,人間形成がなされる 範囲内でおこなわれねばならなし、。教育と政治というふたつの見通しの相互性は,容易に,悪循環 の形式をとる。そこにおいては,自由を愛している共和国のなかでしか自由な人聞を教育すること ができないし,他方では,共和国は.自由な人間に育成された市民を前提するからである。 いずれにせよ,ルソーが立てている問題は.現在の隷従と貧困の形態から新たな生存様式への移 行がどのような条件のなかでおこなわれるのかを知ることではなし、。『エミール』と『社会契約論』 の教えに合致した状態への移行の諸条件が実現したと仮定しても,かれの立てた問題は,人間関係 6) Discours suγZ'Inegalite, (note)op. cit., p. 212.

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全集』第4巻280頁〕 7) Essai sur l'origine des langues, Ch.8.U全集』第11巻, 342頁〕

8) Discours sur Z'origines des Zangues, op. cit., p.192.

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全集』第4巻, 261頁〕

9) Discours suγl'economie politique, op. cit., t.ill.p.251.

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全集』第5巻, 74頁〕

(5)

の再組織化がどのような原理に導かれねばならなし、かを知ることである。要するに, wエミール』 の悲しい結末は,

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ポーランド統治論』が証明しているさまざまな留保や用心と同様に,個人と共 和冨の効果的な改革の試みとしてあらわれるものに対する歴史的継承物の抵抗を,それぞれの住方 で導入している。 ルソーは依然として,人聞に遣したものの研究と次のような考えとを結びつけた最初の人のひと りであろう。その考えによれぽ,人間は個人と集団とし寸二重の涯史の範囲内にあるものになる, ということである。また,かかる未来を可能にし,それに意味を付与してくれるものに導かれてか かる未来を位置づけていくことが肝要である。自由は,かかる試みを可能にするものである。と同 時に,誰かのために,何かのために,かかる試みは導入されるに値するものである。

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)

まず,解かれるべき問題がおかれている諸項目を包囲する必要がある。ついで, とりわけ,人聞 の現在の状態をつくってきた環境の連鎖から人聞の現在の状態を理解する必要がある。この課題こ そ, w人間不平等起源論』が追及した課題である。『不平等論』は人類学的与件を展開し,そこから 教育と政治制度の改革の問題を定式化することが仮に可能であるとしても,

w

不平等論』自身は袋 小路にはいりこんでいる。『不平等論

J

は複雑な依存のつながりを継起的に結ぶ歴史の終末を叙述 し,無政府と専制の周期的連続以外の可能性を理解させることなく,人聞を不幸と悪意のうちにお いている。 かかる袋小路の感情は次の事実によって強化される。すなわち,存在それ自体のなかで調和し, 自然の範囲内で調和していた存在の有名な絵を提示するこの著作は,最初の社会が生まれる前に人 類がおかれていた状態への復婦を誘うものとして読まれるべきではなし、。『不平等論』を読んで四 つ足で歩きたくなったと表現したヴォルテールに対して,ルソーは狼や熊の存在から基本的に何も 区別されない存在の範噂的拒絶を対示することになる。川『不平等論』がわれわれに語りかける物語 は,一種の現在の考古学であり,自然状態からわれわれをすっかり分離すると同時に,真に人間的 で,動物の状態と本源的に区別されない状態から遠ざかった長い過程を通じて人間化されたあらゆ 10)

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いったい何ということであろう。社会を破壊し,君のものと私のものをなくし,森に戻って熊といっしょに生活しな ければならないのであろうか。これは私の敵たちの流儀による結論だが,そのような結論をだす瓦、はお任せするが,それ だけにその結論を避けたいのである。JDiscours su" ['Inegalite, (note), op. cit., p.207.また, 1755年9月7日付け グォノレテ- Jレ宛の手紙も参照せよ。「貴下にとっては,この回帰は,そうするのは神にのみ属するほど大きしそれを望 むのは悪魔に属するほどに有益な奇跡でありましょう。ですから四つ足に戻ろうなんてなさらないて‘ください。だれもこ の世では,貴下と同じようにそうすることに成功を収められないでありましょう。貴下はわれわれを自分の両足で立たせ てくださったのですから,貴下が自分の両足で立つことをやめることはおできにならないはずです。J(C. G., t.II, p. 126.)(グォノレテ』ノレは同年の8月30日にノレツーに宛て書き送っている。「あなたの著作を読むと,四つ是で歩きたくなり ます。J)

126

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ルソーにおける教育と共和国の原理にして目的としての自由

ω

る存在の基盤を成す沈殿した泡層を明るみに出している。 この変遷の諸段階をきわめて要約して辿ってみよう。創造されたばかりの人聞は,かれらを取り かこむ自然と調和して,一方が他方から手にいれる欲求の欠如に規定された分散状態のなかで生き ていた。各人の欲望は自己の生存の維持に結びついた欲求の満足と種の保存とに,おのずから限定 されており,未来にたいする完全な無関心のなかにおかれていた。かれらの欲求が示している現在 の欲望の制限から,豊富な自然、にとりかこまれてかれらは十分に満たされていたことが理解される。 人間は生まれっき「政治的生き物」ではないし,ギリシャに由来する伝統の全てに対立してルソ ーは,われわれの種の自然的社交性の命題を拒否している。川各人は自己愛l'amourde soiとし、 う自己自身にたいする関心の規則に従って生きており,自己愛はときには,動物のうちにその痕跡 を見いだしうる哀れみの情によって和らげられる。 さらに,歴史のゼ、ロの時点で動物から人間を区別するものは何かを考えてみよう。動物と同様に 人聞は感覚を持ち,欲求に従属し,自己愛に導かれていた。かれらは言語によっても,理性によっ ても,また Th. ホップスが欲したような時間の意識によっても区別されな L、。 動物から人間を区別する基本的原理として,自由が残る。「動物たちのあいだで人聞をことさら 区別しているのは理解力ではなくて,自由な行為者という人間の性質である。自然はあらゆる動物 に命令を下し,獣は従う。人聞は同じ印象を受けるが,同意するかさからうかは自由であると自認 している。J12) 「われわれの魂の精神性」を現すのは自由だけである。不幸にして,自由にたいする論敵たちは, われわれの本性に固有な自由という印に関するあらゆる問題をあいまいにしてしまった。混乱しか 出てこない議論のなかにはいるかわりに,ルソーはもっとも一般的な観察順序から顕現し,かれに とって異論の余地のないもの,すなわち完成能力 perfectibiliteに戻るほうを選んでし、る。完成 能力は,疑いないものであり,当時,自由の代用品であるだけでなく,自由の経験的表現であり, 先入観の入りこまない観察によってもたらされる事実の秩序における形而上学的な確かさの翻訳で あった。自由は本質的には,自然的衝動にたいして間隔的に距離をおいて行う冷静な判断能力のこ とである。「自然のみが獣の活動においてはすべてをなしたのに,人間は自由な行為者として,自 然の活動に協力するとし、ぅ相違がある。一方は本能により,他方は自由な行為により取捨選択し, このことによって,獣は,命じられた規則から逸脱することは,そうすることが有利なときでさえ できないし,人間は自分の損失になっても逸脱することになる。J13)自由は自然から離れる能力であ 11) ["人々を相互の欲求によって近づけ,言葉の使用を容易にすることに,自然がほζんど配慮を払わなかったことからし ても,いかに自然が人間の社会性を準備することが少なかったか,人聞の鮮を確立するために,人間が行ったことのすべ てに,自然がいかに寄与することが少なかったかが少なくともわかるのである。JDiscours suγZ'Inegalite, op. cit., p. 151.

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r

全集』第4巻, 219

12) Discour s suγl'Inegalile, op. cit., p.141.

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全 集 』 第4巻, 209-210頁〕

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り,少なくとも,自然的秩序に対して潜在的に遠ざかる能力を意味する。自然が動物に命令したと しても,自然は人間には提案するかさし示すだけであり,人間は同意するか拒絶するかは,かれの 意のままである。 しかしながら,人間個体の内および外の調和した状態で、は,内なる自然の声である自己愛によっ てっきうごかされて,人間はどのようにして自由と同義である遠ざかる能力を使いこなすかにつし、 てはこれまで悪く考えられてきた。神の叡智の表現であるこのような均衡のただなかにおいて,自 然秩序が依拠している調整を犠牲にして新しいものを生みだすことのできる完成能力が表現される 諸過程がどのように動き出すかについても,悪くみられていた。 人聞を本質的に動物性から区別するものを人間が現実化するためには,外的環境が必要であるが, ここで、は神学上の正当化には立ちいらなし、。二つの型の修正が介入してくる。一つは宇宙の秩序か らの修正であり,貫道上の地軸の傾斜に由来する気候の変化であるO もう一つは,地理学的秩序に 由来し,われわれの種を育んできた土地よりも痩せた土地への入植人口の増加である。 気侯の変化と地理的圧力は稀に暫定的で地方的な状況をもたらし,この状況に直面するため人聞 は,より良く生きるために集団を成すようになった。この集合は環境の成せるわざであり,その始 まりにおいては,長続きはしなかった。そこでは,各人は依然として,自分自身の欲求を充足する ことができ,集団にとどまる利益よりも,窮屈さを感じたときには,集まった集団から離脱するこ ともできた。 しかし,完成能力の萌芽があらゆる新しい傾向のなかで発達して行く。人間のあいだの接触,交 換の可能性の増大。要するに,言葉のもっとも広い意味における相互的交通 commerceが,観念 の発達や,感情の練磨,言語の出現をもたらした。すべての人は,一緒に住むことの利益を見いだ し,愛の喜びと同時に歌や踊りの楽しみを見いだした。 このようにして,創造の神の計画のなかにも,また個人の本性のなかにも基礎をもたない諸社会 が安定してきた。敵対する環境にしたがって集まって,諸個人は集まるように強制された諸条件を 越えて結合するようになった。さらに,ほんのちょっとした協働によってかれらは,かれらの欲求 が要求する以上を生産するようになり,処分可能な余剰は,たったひとりの活動が満たしうるもの を超えて,かれらの欲求を拡大した。 漸進的な社会の安定化作用によって,不可逆的な歴史が動きだした。新しい生存条件が作りださ れた。それは外的環境と人聞の反作用の共同の産物であり,本源的均衡が依拠していた自然の周辺 で発達した産物で、もある。人間がかれらのあいだにもちこんだ諸関係に基づく世界は,誰もその結 果について予見できないし流れを制御できないような変革酵母によって動いていった。 13) Discours sur l'Inegalite, oP. cit., p. 141.

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Ii全集』第4巻, 209頁コ

一一

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一一

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ルソーにおける教育と共和国の原理にして目的としての自由

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自由と結び付いた自然、秩序からの離脱の可能性は,歴史のなかに導入され,環境と人聞の反作用 は自然の将来とはまったく異なった将来と結合するようになる。ここでは二つの要素が決定的な役 割を果たしている。 まず人間の能力の発達, すなわち, 自然状態の動物のような粗野から離脱す る穴をあげる人間化過程は,比較し,互いに比較しあう能力と欲求を生みだした。ここから競争心 がうまれた。それは,最初の人間共同体が甘美さと心地よさを見いだしていた歌と踊りのような遊 戯活動から直接にでてくる毒であった。14)選り好みする排他的な情念が生まれてから,各々の生 き物の魂に刻まれている本源的な導き手である自己愛に,他者とともに変化して行動する自尊心 l'

amour p

r

o

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がとって代わった。15) つづいて,欲望の発達によって,万人の活動にたいする各人の不可逆的な隷属が始まった。かく して依存関係が発展し,それにつれて誰も自分自身では満足せず,各人は他人の意思に従属するよ うになり,自己愛に基づく生存の規制原理にかわって,自然的秩序の規範性の外にある観点におも んばかるようになる。さらに,環境そのものが,財の領有と力関係の作用において不平等をもたら し,これによって支配・服従関係が出現した。この関係は欲求の充足に他者の媒介を不可避とし, 暴力と計略によって弱者を強者に従属させた。16) 要するに,このようにして始まった歴史は,人間相互の独立と,取捨選択する自由と結びついた 自然、の自発性の作用によって生存を調整するかわりに,外的な規範への従属と,自然秩序の外に織 られた関係の網の目と結び付いた強制jをもたらした。 このときから人聞は,相互の交通によってかれらの能力を発展させ,かれらの感覚を磨き,それ ゆえにまた,出発点での半ば動物的な粗野に比べて一段と離脱した世界のなかに生きるようになっ た。しかしそこにおいては,同時に,無秩序な環境と規制されない情念に由来する状況から人聞が お互いに対して行使する圧力に,人間は服従するようになった。 14) i小屋のまえや大きな樹のまわりに集まることに慣れ,恋愛と余緩から生まれた真の所産である富士と窮りが,なすこと もなく集まった男女の楽しみ,いやむしろ仕事となった。各人が他人を眺め,自分も眺められるのを望むようになりはじ め,公の尊敬が一つの価値を持ったのである。もっとも上手に歌ったり腐ったりする人,もっとも美しい人,もっとも強 い人,もっとも巧みな人,あるいはもっとも雄弁な人が,もっとも重んじられる人となり,それが不平等への,同時に悪 徳への第一歩であり,この最初の選り好みから,一方では虚栄と軽蔑が,他方では現、辱と羨望とが生まれ,こうした新し い酵母が原因となって発酵し,ついには,幸徳と無弱気さにとっては不吉な合成物が生みだされたのである。JDiscottrs sur Z'Inegalite, ot. cit., pp. 169-170.CIr全集』第4巻, 238頁〕 15) i自尊心と自己愛を混同しではならない。この二つの情念は,その本性からもその効果からも,非常に異なったもので ある。自己愛は自然の感情で,すべての動物を自己保存に注意させ,人間にあっては,理性によって導かれ,哀れみの情 によって変えられ,人類愛と徳とを生みだすのである。自尊心は相対的で,人為的で,社会のなかで生まれ,各個人をほ かのだれよりも自分を重んじるようにさせ,お互いに行うあらゆる悪を人々に思いつかせ,名誉の莫の源である感情にす ぎない。JDiscours surl'Inegalite, ot. cit., p. 219.CIr全集』第4巻, 287頁〕 16) i人聞が一人でできる仕事,数人の人の手の協力を必要としない技術だけに専念しているかぎり,人間の本性によって 可能なかぎり自由で,健康で,善良で,幸福に生き,おたがいに独立した状態での交際のたのしさを享受しつづけたので あった。しかし,一人の人間がほかの人間の助けを必要とするやいなや, (…〉弘有が導入され,労働が必要となり,広 大な森は,人間の汗でうるおきなければならない美しい平野となり,そこにはやがて収穫とともに,奴隷状態と悲惨とが 芽生え,成長するのが見られたのであった。JDiscours suγZ'Inegalite, ot. cit., p. 171. CIr全集』第4巻, 240頁〕 一-129一 一

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それ故人聞はかれらの自由そのものによって可能となった諸過程のなかに入りこんでいったが, かれらの本性からして調和して共存する用意のない社会のなかで,普遍的な依存と相互の隷属のう えにしか出口はなかった。ここから不幸で堕落した無秩序な生存が始まったのであり,それは「人 聞の創造者が刻み付けた神の賜りものである荘重な単純さ」とはきわだった対照をなしていた。 (3) 政治制度と,所有に基づく不平等が生まれ発展する諸条件にざっと目を通したのちに,

w

不平等 論』は不可逆的にのりこえられてきた時代の不可能なノスタルジー以外の出口がないようにおもわ れる悲観的なヴィジョンにもとづいて終わっている。このノスタルジーは,個人的欲求を充足する 自然に固まれた本源的な分散状態に基礎をおいているのでなく,むしろ, I真の黄金時代」である 最初の協同体に基礎をおいている。この協同体では,精神を発展させ感覚を練磨し,踊りや歌のよ うな共同の活動によって飾りつけられた生き生きとした甘さの源である人聞の相互関係の強化と相 互の独立とは,あし、かわらず両立しえていた。 『不平等論』のなかからは,最初の協同体以降だけでなく,建国まぢかのスパルタやローマのよ うな古典古代の共和国以降においても,絶えず悪化する条件をのりこえ可能な考察は依然、として出 てこないだろう。歴史に内在するし、かなる力も,支配・服従関係を止揚する社会を現出さぜえなし、。 この支配・服従関係は主人とともに奴隷をも堕落させる。なぜならば,隷従が奴隷根性をうみだす とすれば, Iし、かなる主人も自由でありえずj17).また, I支配は隷従することであるj18)ということ も付け加えなければならないからである。 ジュネープの政府当局に宛てた『不平等論』の献辞だけが,近代の人間が苦しんでいる悪を解決 する方向性を暗示している。 実際/レソーは,この著作の編集者への後書きでつぎのような願いを表明しているからである。「自 由に,すなわち,私もだれもが,法律に服従して尊敬すべき拘束をゆるがすことができないで,生 きかっ死ぬことを望んだでありましょうj19)。また彼はより仔細に述べている。普遍的な服従の条 件は, I政府の構成がどのようなものであれ,法律に従わない人が一人でもいると,他の人はみな 必然的にその人の意のままになるj20)とし寸命令的な imperative点に存する。二三年のち,

w

不 平等論』やその後の『政治経済論』の名で『百科全書』に寄稿した論文を書いていたときには少し も予見できなかった解決策を保有してルソーは, wエミール』のなかでわれわれが直面している間 17) Lettres ecrites de la Montagne, 8邑meLettre, O. C. t. II, p.841.CW全集』第8巻, 386頁〕 18) Emile, Livre II.op. cit., p.308.CW全集』第8巻, 85頁〕 19) Discours sur l'[negalite, Dedicace, op. cit., p.112.CW全集』第4巻, 180頁〕 20) Discours sur l'[negalite, op. cit., p.112.CW全集』第4巻, 180

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ノレソーにおける教育と共和国の原理にして目的としての自由

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題の鍵,すなわち近代社会のなかで形成された人間の漸進的な惨めさの物語をよりはっきりと述べ ているO 人聞の相互的依存は,そこではあらゆる悪の源として現象し,特殊意思の表現の干渉を排 除する非人格的な法への依存モデルが,唯一可能な救済の方向を差し示している。「諸国民の法が, 自然法と同じように,どんな人間の力もうち勝ちえない強固さをもつことができれば,人間への依 存はふたたひ、事物への依存となるO こうして,共和国のうちに,自然状態のあらゆる利益と社会状 態のそれとを結合し,人聞を悪からまぬがれさせておく自由に,人聞を徳へと高める道徳、性を結び つけることになる。J21)このための条件は明瞭で、ある。「人聞の代わりに法をおき,一般意思に,あ らゆる特殊意思の作用を超える現実の力を与えるJ22)必要がある。このような状態にならねばなら ないのは, 1"事物への依存は,なんら道徳、性を有せず,自由をそこなわず,悪を生みださない」か らであり,他方,人間への依存は,無秩序なものであり,あらゆる悪を生みだし,これによって支 配者と奴隷とは互いに他を堕落させる」からである。 各人が生存の調整原理を各々のうちに見いだしうるためには,特別に,他者の媒介を中和しなけ ればならなし、。このことは,規則のない欲求のはたらきや,無秩序で気紛れな出来事を有利に利用 するために,他者への依存を縮減する必要があるということを意味しなし、。他者からの独立は秩序 原理へのあらゆる隷属からまぬがれていないどころか,逆に秩序原理への服従を必要としている。 このような原理を知るか捜す必要がある。二つの可能性が示されている。ひとつは自然の法への服 従であり,もうひとつは共和国の法への服従に関わっている。前者は人間相互の自然、的な独立状態 に照応し,後者は『社会契約論』で定義されている「みずから課した法に従うことが自由だからで あるJ2めような,自由の状況に照応している。 自然的な独立という以上に(しかも言葉の正確な意味についてのなんらかのためらいにもかかわらず〉 自由は法への服従であり,その意味のなかに起源がある。言葉の固有な意味においては,自由とは 自律 autonomieであり,それはまさしくカントが,共和国を目的の王国に,政治秩序を倫理的秩 序に変換して,自由をルソー的に分析しているところである。自然にたし、する創造の直接的関係に おいて他者の媒介が欠如するかわりに,共和国においては,各人が各々の意思の表現を認知しなけ ればならなレ非人格的な法の媒介がとって代わる。人聞の人間化に不可欠な共存の条件である市民 的法律が,かれら固有の規範性にかれらを服従させるために,相互の隷属から特殊意思を解放する。 かれら固有の規範性は本質的な自由の表現であり,

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不平等論』はそのなかに人間の本性の特徴を 見ていた。 かくして,自由は市民的な法を可能にするものであると同時に,この法が促進する目的を持つも 21) Emile, Livre,I1ot. cit., p.308.C~全集』第 6 巻, 85頁〕 22) 同上(ただし,以下の三つの引用文の順序は変えてある。) 23) Contrat Social, Ch. 8, ot. cit., p, 365.C~全集』第 5 巻, 126頁〕 ー-131

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のである。自由は共和国の原理に属しており,共和国が自由を開花させる。 残る問題は,われわれの知っている隷従社会から自由の王国への移行がどのようにして確保され るかを知ることではなく,人間関係再建の営みが,その改革の歴史的条件ができあがっていると仮 定して,し、かなる規範にもとづいて方向づけられうるかを知ることである。24) ( 訳 浅 野 清 〉 24) 不平等と特殊意思の相互依存にもとづく社会の悪は, /レソーをして人間の再形成がL、かなる条件のもとで可能となるか を探究させた。この試みは共和国のなかで諸関係の再編成をめざしている。このことから, /レソ』のなかに, 18世紀末以 降ヨ」ロッパで展開された革命的潮流の推進者のひとりを見いだして,サン・ジュストやロベスヒ・ェーノレは確かに「社会 契約」の概念を多用し,現代を再生するものを過去のなかに発見してスパノレFや共和国ローマのほうに傾斜していった。 しかしノレソーはかれらほど刷新の底思を信頼せず,かれの思想は本質的なところでは,保守的でありつづけた。「新たに 設立された共和国がいかによい法律をそなえうるとしても, そこには住みたくはなかったでありましょう。J(Dedicace au Discours surl'Inegalite, ot. cit., p.112.CW全集J第4巻, 180頁コ〉ノレツーはフランス革命(用語の語源かちする と「復帰」を意味する)以後の革命思想の基礎となる歴史の漸進的なグィジョンを分かちもってはいなかった。 一一一132一一一

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