不確かな伝達 : ソウダとラシイ
著者 中畠 孝幸
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 3
ページ 15‑24
発行年 1992‑05‑31
URL http://hdl.handle.net/10076/6446
不確かな伝達 ソウダとラシイ
キーワード ……そうだ、らしい、伝聞
一
はじめに
現代日本語において、概言のムードを表す形式ラシイ、ヨウ
ダ、ソウダは、相互に類似点を有しており、その差異について
論じられることが多い。これらの形式は、話し手が自己の言表
の態度に推量、様態、伝聞といった意味(のうちいずれか)を
込めようとするときに用いられる。その表す意味の共通性に着
目して図に示すと次のようになる。
①溌て畠
ウダ
ラシイ ③㌢
②様態
ソウタ
このうち①の推量をめぐっては」中畠(一九九〇)で、また
②の様態に関しては、中畠(一九九一)で、ラシイ、ヨウダ、
ソウダのうち二者を対比しながら論じた。本稿では残された③ 中畠孝幸
の伝聞について考察し、前t一稿と合わせて、ラシイ、ヨウダ、
ソウダの意味用法の全体像を描き出したい。
ところで、ソウダとラシイが伝聞を表す場合と伝聞以外の意
味を表す場合とを比較すると、ソウダに関しては、②の様態を
表す場合(「降りそうだ」「おいしそうだ」)と③の伝聞を表
す場合(「降るそうだ」「おいしいそうだ」)とで意味上も形
態上もはっきりとした区別が認められるのに対し、ラシイは、
①の推量を表す場合と③の伝聞を表す場合とで明瞭な区別がな
い(あるいは区別する必要がない)場合が多い。推量と伝聞と
はどのような類似点や相違点をもっているのであろうか。 .本稿では、ソウダとラシイを中心に、それ以外の伝聞を表す
形式にも目を向けながら、伝聞とはいったい何なのか、伝聞と
推量とはどのような関係をもっているのか、さらに、伝聞と似
た表現機能をもつ引用と伝聞との轟いは何か、といった問題に
ついて考えてゆきたい。
̲15.̲
二
伝聞とは?
意味の上から伝聞を表す形式としてほ、次の下線部のような
ものがあげられる。
(1)これは、近鉄百貨店の社長さんがもともと考案した ものだ旬刊で割。 (「ちょっと」)
(2)ち庵みに中国語では「紫丁花」または「香紫丁花」
と書く習レlⅥが、・…・・
二北国」)
(3)近くを走っている都電がきょうかぎり廃止になるd
〓う‑。
(「赤い」)
(4)この話をきいたある貧乏雑誌の編集者が、胸をなで おろして、遠方にも朋友ありと、恵をつよくしている、
と‑桝。
(「赤い」)
(5)「あの重態だった子ね。昨夜死んだんだ召。」
′.(「月夜」)
(6)周遊券ができていちばん喜んだのは、しかし、スリ 諸公だと1リっ‑こ1封習司刹。 〓赤い」) (7)朝日新聞のl九八差二月十日付によりますと、東
京郊外のある市では「住民の要望」で、十台のカラオ ケ●セットを写っことになり、その費用約二百万円が
昭和五十八年度予算に計上されたd召q旬刊。
(「ちょっと」)
これら(1)から(7)に共通しているのは、いずれも聞き 手以外の第三者から得た情報をもとに述べているという点であ る。しかも、その情報が、善かれたものであれ、話されたもの であれ、何らかの言語情報であるということである。ソウダが 言語化された情報を他者に伝えるときに用いられるということ は、すでに寺村(一九八四)によって指摘されている。ソウダ 以外でも、ここにあげた(2)から(7)の例のように、一般 に伝聞として捉えられる形式はみな飽からの言語情報をもとに 成り立っているといえる。
さて、伝聞の文が他からの言語情報をもとに作られるもので
あるとすれば、伝聞の文を成立させるための条件として、情報
源・話し手(伝え手)・聞き手の三者を考える必要があるとい
うことになる。
具体的にそれが文の形にどのように現れるかを示すと次のよ
うになる。
〔情報源〕‑‑‑トー⊥V 〔伝え手〕
‑ トーV〔聞き手〕
「新しい店が 「新しい店が 「新しい店が でさる」 できる旬刊瑠」 できるのか」
伝聞の文に必ず情報源・伝え手・聞き手の三者が存在するこ
とは、次のような会話文からAB以外の情報源の存在が感じ取
れることからも確かめられる。
′
(8)A 新しい美術館ができるよ。
B
そう引u叫ね。
8の発話から、Aの話を聞く以前にBはA以外からすでにそ
‑16‑
の情報を得ているということが分かるが、それは伝聞の文が成
立する前提として、伝え手、聞き手以外に情報源が必須である
からと考えられる。また、次の(9)において、
(9)トシ子「美人の奥さんだったんですつ■¶ね。女子大
出の頭のいい奥さんだったんですぅⅥね」
と、自分のコップに注いで飲む。
沢井「稚から聞いた」 (「裏切け」)
「沢井」が発するような問いが生じるのも、伝聞表現によって
聞き手の心中に情報源の存在が喚起されるからであろう。
伝聞の文を成立させる条件として、以上述べてきたことをま
とめると次のようになる。
(・1)言語情報(書記形態でも音声形態でも可)をもとにし
ている。
(五)情報源・伝え手・聞き手の三者を備えている。
tニ
伝聞と推量
ラシイは伝聞をも推量をも表し、そのどちらであるか判然と
しない場合が多いことはすでに述べた。それは、ラシイの判断
の根拠が、言語情報であっても、それ以外の情報(日やその他
の感覚器官で捉えた現状把撞)であってもよい、ということに
ょる。たとえば「公領は終わったらしい」という文は、このま
までは伝聞とも推圭とも判定しがたい。もし「係長の諸による と、公演は終わったらしい」のように判断の根拠が言語情報で あることが示されれば、伝聞と解釈されるであろうし、「人が 大勢出てきたところを見ると、公演は終わったらしい」のよう に判断の根拠が言語外の情報であることが示されれば、推量と 解釈されることになる。
具体例でみてみよう。
(川)もっとも古老の諸によれば、このお社を寄進したの
は、新門辰五郎さん引u叫から、無理もない。
(「浅草」)
(‖)スペイン、といえば闘牛とフラメンコというイメー
ジが浮かぷほど、フラメンコはスペインの民族文化を
代表するものとなったが、文献によるとそれは、十八
世紀のカルロス三世の時代に入ってから引u.〓。
(「スペイン」)
(1・2)きけば「鐘娼さま」は三週間はど前に上京し、元気
にかえっていった・.珂u叫。 (「浅草」)
ここにあげた例はいずれも「古老の諸によれば」「文献によ
ると」「きけば」というように、言語情報によって話し手が判
断を下したことが明らかにされている。これらは問題なく伝聞
と解釈される。このことば、(川)から(12)のラシイは(ダ)
ソウダに置き換えることが可能である、ということからも明ら
かである。
一方、言語外の情報が根拠として示されている場合には、推
‑1丁‑
量と解釈される。以下がその例である。
(1j)部屋は冷えきって、かすかに窓を叩く音がするとこ
ろをみると、実が降っている引u〓。 (「北国」)
(1・4)その手つきから察すると、少年はしばしば両親に連
れられて店にきている引u叫。 (「実を」)
(15)彼が雑誌に発表している「イタリア紀行」を見ると、
イタリア語がよくわかり、よく話せる引u〓。
(「赤い」)
(13) (14)は「〜ところをみると」「しから察すると」に よって、言語外の情報が判断の根拠であることが示されている。
また(15)は判断の根拠が言語情報と考えられるが、ラシイの
前接部(「よく話せる」)は、判断の根拠となった言語情報の
中にそのままの形で存在するものではなく、話し手(伝え手)
の判断を言い表したものと考えられる。判断の根拠が言語情報
であっても、その内容に含まれない内容を話し手(伝え手)が
示すときには、推量と解釈される。逆に言えば、伝聞の場合は、 言語情報の内容に変更を加えてはならないということになる。
(13)から(15)のラシイはソウダに置き換えることができな
いということからも、これらが(川)から(12)の伝聞と異な
り、推量と解釈されるべきものであることが分かる。
ただし、伝聞と推量とは常にはっきりと区別すべきものだと
いうわけではない。ここには(川)から(け)まで伝聞、推ま
いずれかに解釈可能な典型的例をあげたが、実際にはこのよう に判断の根拠が明示されないことが多い。中畠〓九九〇)で も指摘したように、ラシイ欄基本的に事実を推論する場合に用 いられる形式といえる。判断の根拠が言語情報であれ言語外の 情報であれ、「事実としてはこうであろう」という話し手の姿 勢を表すという点においては変わ勺がない。したがって、判断 の根拠が言語情報であるか否かに無頓着に発話されていて、特 に伝聞か推量か特定する必要がない場合も多いということにな る。先にあげた「公演は終わ▼ったらしい」という文にしても、 聞き手が「それは誰かから聞いた話か、それともあなたが何か の状況をもと・に判断したのか」と問い返すことは、特別の場合 を除いて簡であろうと考えられるごフシイに関しては、伝聞か 推量かに特定されなければ聞き手が曖昧性を感じるというよう なことはない。
一方、ソウダはもっばら伝聞に用いられ、推圭との接点はな
い。「食べたくない引u叫」と「食べたくない割引瑠」とを比
較すると、ラシイを用いた場合は、当事者の様子から判断した
とも言葉から判断したとも理解できるが、ソウダを用いた場合
は、言葉から判断したとしか考えられない。
伝聞と推量とは、以上みてきたように、判断の根拠が言語情
報か言語外の情報かという遵いはあるが、はっきりと境界を画
すことのできない近似性を(特にラシ√の場合)有している。
寺村(一九七九)が伝聞、推量を一括して概言のムードに含め
た正当性は、このような点からも確かめられる。
‑1●8‑
四
伝聞と引用
ソウダやラシイが果たす伝達の機能は、引用の表現も同様に もっている。たとえば、「あの人は帰国する旬刊瑠」という文 の内容は一あの人は帰国するd司1」ul日割」という引用の文に
よっても表すことができる。(注1)
伝聞と引用とは、伝達という機能の面だけでなく、文の形の
上からも共通している面がある。.「私は明日あそこへ行く」と
いう文ほ「あの人は今日ここへ来る男当ulⅥ引」と
いった形に転換されて伝達される。・つまり、元の話者の発した
文が伝え手の立場から捉え直されて表されるのである。
引用を行う際に元の詣者の発した文にどのような加工がなさ れるかということは、奥津〓九七〇)、遠藤(一九八二)を
はじめ、最近に至るさまざまな研究の中で、いわゆる直接話法
から間接話法への転換の問題として、かなり詳しく明らかにさ
れている。コソアをはじめとして、「きょう」「あした」等の
時を表す語、「わたし」「あなた」等の人称詞、「いく」「く
る」「あげる」「もらう」等の動詞、いわゆるダイクシス表現
が、元の話者の捉え方から新しい話者(伝え手)の捉え方へと
転換され、「です」「ます」や終助詞が削除される。これらは
一言でいえば、元の話者の発話と伝え手の発話との間の時間的
空間的差をうめるための手続ということになる。引用の文にみ
られるこれらの現象は、伝聞の文においても同様にみられる。 それでは、伝聞が引用と異なるのは、どのような点であろう
か。
第一に、引用は元の話者が特定されるが、伝聞は元の話者が 特定される必要がない。森童〓九六五)が言うところの「個
別看ではなく、漠然たる不定の全体者」(同書一三三頁)を情
報提供者とする点が、伝聞を引用と区別する大きなポイントで
ある。そのような伝聞の性格は寺村(一九七九a)においても
指摘されている。
第二に、引用の形式が命令、疑問、意志、勧誘など陳述度の
高い成分と共起可能であるのに対し、伝聞はそれらの成分と共
起しない。たとえば、「あの人は行け(行くか/行こう)と言 った」という引用の文をソウダやラシイを使っセ伝聞の文にす
ることは不可能である。
第三に、引用の場合、「〜と言った」などと、タ形をとるの
に対し、伝聞のソウダはタ形をとらない。ラシイは伝聞と思わ
れる場合でもタ形をとるが、それは次のように、判断の時点が
発話時以前であったことを示す場合である。
(16)フランコ総統はなるほど今朝までは重態引u糾う出
けど、今日はベッドの上に起きて、映画を一本見たと
いうことよ。 (「スペイン」) 伝聞のソウダがタ形をとらないことは、寺村〓九七九b)
で述べられており、西出(一九六九)にも簡単な指摘が見られ
る。
‑、19,̲
第四に、引用では元の話者の心的態度をそのまま伝えるのに
対し、伝聞では、伝え手の心的態度をもとに事柄を捉え直して
伝える。第二に述べた命令、疑問、意志、勧誘を表す成分がソ
ウダやラシイに前接しないという臥は、形態的にいえる▼tとで
あったが、ここで述べているのは、形態的には前接し得る基本
形(「来る」「悪い」)やタ形(「来た」「悪かった」)であ っても、元の話者の心的態度が込め、セれている場合には、その
心的態度をそのまま伝聞の形で伝えることばできないというこ
とである。
寺村(一九八四)には、
(1・7) 周申さんは「私が悪かった」と言っている。
(18)?田中さんは(自分が)悪かった召刊。
(ひらがな表記、句点、傍線、及び?は筆者)
という興味潔い例があがっている。寺村氏は、言った主体(元
の話者)をはっきりさせる必要があをときはソウダは使えない
と説明するが、本稿ではその考え方をとらず、(用)が不自然
なのは、元の話者の心的態度を伝聞の形では示し得ないからで
あると考える。それは、「電話で直接聞きましたが、あの人は
行かない剥.引で馴」のように、言った主体を明示する場合でも
ソウダが用いられることは多いし、(‖)の「私が悪かった」
のような心的態度(ここでは「謝罪」)が含まれ克い次のよう
な例であれば、ソウダを用いて言うことが可能であるからであ
る。
(19)田中さんは「数学の点が悪かった」と言っている。 (川)田中さんは数学の点が悪かったそl引で刊。
そのほかにも「そんなことはすぐにやめるのだ」(指図)、
「見つからなくて助かった」(安堵)、「これほうまい」(感
嘆)といったような文の場合も、形の上からソウダやラシイを
つけることはできても、元の話者の心的態度をそのまま伝える
ことばできない。(注2)
さて、元の話者の心的態度が伝聞の形では伝わらないという
事実は、元の話者の発話に陳述副詞や取り立て助詞が含まれて
いる場合を考えれば、より明確に理解することができる。
たとえば
(21)aついにできた。 bついにできた剖ぷ叫。
(22)a二時間もかかった。
b二時間もかかった笥粛叫。
(21)aをbのように伝聞の形にすると、陳述副詞「ついに」
の陳述の主体は、もはや元の話者ではなくなってしまう。新た
に伝え手(bの話し手)が陳述の主体となる。
また、(り)bほ、元の話者が「二時間」をどう捉えている
かに関わりなく、伝え手(bの話し手)が「二時間」を長いと
捉えていることを表す。逆に言うと、この場合、元の文はaで
ある必要はなく、もし元の文が仮に〓一時間しかかからなかっ
た」であっても、伝え辛が「二時間」を長いと捉えれば、それ
‑20‑
をbのような形で伝えることは可能である。
また「今日はマイナス十度にしかならなかった」という文を
北海道の厳寒の地に住む人が発したとし、その情報を得た沖縄
の人が「今日はマイナス十度にしかならなかった旬刊瑠」と言
うことは不自然なはずであり、もしできるとしても「しか」の
部分にプロ、、、ネンスをおき、元の話者の事態の捉え方が伝え手
の捉え方と異なることを意図的に際立たせる場合であろう。
その他にも「のに」や「からといって」など、話し手の現実
把撞のしかたを色淡く示す形式が含まれる文の場合にも同様の
ことが言えかと考えられる。
以上のように、「引用」と「伝聞」を区別する大きな要因は、
元の話者の心的態度をそのまま伝えるか、新たに伝え手が自己
の心的態度をもとに述べるか、にあるといえる。
ところで、ここまでは伝聞の形式としてソウダとラシイのみ
を考えてきたが、同じ伝聞を表す形式でも、トイウ、トイウコ トダ、トノコトダは、今まで述べ.てきた基準からすれば、伝聞
七引用の中間的性格をもっているといえる。
たとえば、トイウは、元の話者が特定される必要がない、タ
形を七.らない(タ形をとる場合は元の話者も特定されるので引
用と考える)、元の話者の心的態度が伝えられない、といった
性格はソウダやラシイと共通に持ち合わせているが、命令、疑
問、意志、勧誘といった成分に付き得るという点では引用に近
いといえる。(注3) 次に、トイウコトダ、トノコトダについてみると、元の話者 が特定される必要がない」元の話者の心的態度がそのまま伝わ らないという点はソウダやラシイと共通しているが、タ形をと る点と命令、疑問、意志、勧誘などの成分に付き得る点が異な り、その点は引用に近いと言える。(注4)
ここで、トイウコトダやトノコトダがタ形をとるのはどのよ
うな時か考えてみよう。
「来ないぉいうことだ」と「来ない出いうことだった」とを
比較すると、前者は情報を得た時点には無頓着に元の話者の言
の内容だけを述べているが、後者はタ形をとることにより、伝
え手が情報を得た時点を明示している点が異なる。実例をみよ
う○
(23)あとで知ったが、彼女は紋別地区カラオケ大会の優
勝者ヨ叫うd。
(「北国」)
(24)どうしてイタリア語を覚えたのかときいたら、リン
ガフォンで習ったどいうことだった。 (「赤い」)
(25)ところがなかなか写真が出来てこない。どうしたの
かと不審に思っていたら、行く先々で雨に降られて、
お天気待ちの日数が重なっているdのことだった。
(「言葉」)
タ形をとるのほ、情報獲得が発話時以前のある時点で行われ
たことを示す場合であることが分かり、その情報獲得活動を既
然の事態として示す隙にテンスを明示する必要が生じたのだと
‑2l・T
考えられる.。特に(24)(25)は、既然の「〜たら」が文中に
用いられており、発話時以前に情報獲得が行われたことがよく
分かる例である。
ソウダを典型的な伝聞とし、それ以外の形式の性格について、
引用との対比でまと.めると次のよう・になる。
+を 元
そ勧命 る 元
‑そ の
れ
■のの話 百 な
一・、話
ま 者 体、 ど疑 者・
ま
のタ
に問 が
伝心 形 付、 特
え 的 と く 意 定
る 態 な 志
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× × ×
△.ソ
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,× ○ ×
△. テシ
イ.× ×■、 ■○ △
ト イ ウ・×. d
・+○
△・トイウコトダ トノコトダ
○■ ○ ○ ○ 引 用̲
表中の△は、元の話者が特定されることもあるが、不定であ ることが多いということを表す。 五
連体修飾の場合
伝聞のソウダが遵体修飾にならないことば、寺村(一九八四) で既に指摘されている。「今度できる旬刊瑚美術館は……」と
は言えず、「今度できる剖叫うl美術館は……」のように、伝聞
はトイウを使って表す。ラシイは連体修飾になるが、その場合
でも伝聞ではなく推量を表す場合が多いようである。ただ、ラ
シイは連体修飾で全く伝聞にならないわけではなく、中畠(一
九九〇)に掲げた次例のように伝聞と解釈される場合もある。 (26)「鐘旭きま」は、秋田で芸者をしていた剖u叫彼女
を、北海道へ連れていって囲ったが、三月もたたない
うちに.本妻に知れ、大騒ぎになった。 (「浅草」)
関連して述べれば、連休修飾になると表す意味が限定される
のは、ヨウダの場合も同様で、ヨウダも言い切りでは推豊吉表
すが、連体修飾になると推量を表さず、比況あるいは例示にな
ることが多い[中畠(一九九〇)参照]。
言い切りの場合には本稿の冒頭に示したようにラシイ、㌢ウ
ダ、ソウダが推圭、様態、伝聞のうち二つにまたがって幅のあ
る用いられ方電するのに対し、連体修飾となると、ラシイは推
量、ヨウナは比況・例示、ソウナは様態、というように、それ
ぞれが他の表す領域と重なり合わずに用いられるという現象が
ー22‑
ある。
六 ま と め
現代日本語の伝聞表現について、ソウダとラシイを中心に考
察を進めてきた。伝聞のソウダとぅシイについてまとめると、
次のようになる。
(・1)ソウダは言語情報をもとに、第三者に伝達を行う場合
に用いられる。
(並)ラシイは言語情報、あるいは言語外の情報をもとに、
それが事実であろうと話し手が判断して、第三者に伝達
を行う場合に用いられる。 ソウダとラシイの相違の基本的な点は、すでに寺村〓九八
四)において適確に述べられていることである。本稿では、推
量、引用等の関連する表現との対比において伝聞表現一般を捉
え直すことに重点を置いて論じた。
(落1)ここでの引用は、「〜と言う」「〜と述べる」「iと
約束する」等、言語活動に関わる引用のみを考えている。
(注2)同様のことが森山(一九八八)でも触れられている。
森山氏は「君に行ってもらいたい」と「〔君に行っても
らいたい〕そうだ」とを対置し、前者が願望を表す要求
表現であるのに対し、後者の〔 〕の内部は、聞き手に 対する要求という、文のムード的な意味を失っている、 と指摘している。ノ(同書二四五頁) (注3)伝聞のトイウがタ形をとらないことば、井上〓九八
三)で述べられている。
(注4)トイウコトダ・トノコトダはタ形をとることによって
ソウダにタ形がない空白を相補的に埋めているとも考え
られる。日本語教科書『日本語表現文型中級Ⅱ三筑波
大学日本語教育研究会、代表・寺村秀夫、一九八三)は
その点に着目して、トイウコトダ・トノコトダを伝聞の
ソウダとともに導入し、ソウダにはタ形がなく、トイウ
コトダにタ形があることを指摘する。さらに、グロウの
後にはソウダでほなくトイウコトダがぐること等も教授
内容に入れている。
【参考文献】
井上
和子(一九八三)「日本語の伝聞表現とその談話機能」 (月刊『言語』第〓l巻第〓号)
遠藤
裕子(一九八二)「日本語の話法」(月刊『言語』第
十一巻第三号)
奥津敬一郎(一九七〇)「引用構造と間接化転形」(『言語
研究』五十六)・
鎌田 修(一九八八)「日本語の伝達表現」(『日本語学』
第七巻第九号)
ー23・‑
砂川有里子(一九八七)「引用文の構造と機能
‑
引用文
の3つの類型について 」(『文撃言語研究
言語
篇』十三)筑波大学
寺村
秀夫(一九七九a)「ムードの形式と意味T)
‑
概言的報道の表現
‑
」(『文撃墓相研究 言語篇』
四)筑波大学
i(一九七九b)「ムードの形式と否定」(『英語
と日本語と』くろしお出版.『寺村秀夫論文集Ⅰ
日本
語文法編』くろしお出版、一九九二所収)
!〓九八四)『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』く
ろしお出版
中畠
孝幸(一九九〇)「不確かな判断
‑
ラシイとヨウ
ダ
ー
」(『tニ重大学日本語学文学三)
!(一九九こ「不確かな様相
‑
ヨウダとソウ
ダ
ー
」(『三重大学日本語学文学』二) 西出郁代(完六九)「研究ノートト1「らしい」およ
ぴ「そうだ」一‑‑」(『日本語・日本文化』一)大阪
外国語大学
森量 感(一九六五)『日本文法‑主語と述語‑』武
蔵野書院
森山
卓郎(一九八八)『日本語動詞述語文の研究』明治書
院 声
相実(一九八九)「日本語の非確言的表現における話 者の役割1現代語のグロウ・ヨウダ・ラシイ・ソウ ダの弁別特徴をめぐって1」(『国語国文研究』八 十三)北海道大学
【例文を引用した資料】 【略号】
小西章子『スペイン子連れ留学』(新潮文庫)「スペイン」
沢村貞子『私の浅草』(新潮文庫)・……・…………二.浅草」
高田
宏言責の影法師』(ちくま文庫)・………÷言葉」
田部
俊行『裏切りの明訂』(『シナリオ≡九九〇年
一〇月号、シナリオ作家協会)………「裏切り」 千葉敦子『ち.;とおかしいぞ、日本人・〓新潮文庫) …:…:………「ちょっと」
外山滋比古『赤い風船』(福武文庫)………「赤い」 士濁昭『実を申すと』(ちくま文庫):1…………「実を」 tll『月夜の魚』(中公文庫):.…………・…:「月夜」
渡部淳一『北国通信』(中公文庫)………・・・「北国」
̲24̲