「排除する社会規範」を超えたコミュニティづくり
(最終報告)
著者 浪岡 新太郎
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 17
ページ 3‑21
発行年 2014‑10‑01
その他のタイトル The Reconstruction of the Intimate Spheres for Combating Social Exclusion: Final Report
URL http://hdl.handle.net/10723/2150
「排除する社会規範」を超えたコミュニティづくり
浪 岡 新太郎
コーディネーター:浪岡 新太郎
メンバー:平山 恵 ギル トム 勝俣 誠
外 部:マルケス カジマ(ブラジルセアラ州立大学公共政策大学院 准教授)
趣旨
近年、コミュニティへの関心が高まっている。しかしながら「コミュニティ」という言葉が意 味するものは一義的ではなく、それほど明確ではない。国際社会のようなトランスナショナルな 意味、国民国家のようなナショナルな意味、基礎自治体のようなローカルな意味、さらには家族 のような親密圏のレベルにおいてまで、「コミュニティ」という言葉が使用される。さまざまに 異なったスケールの人間集団を「コミュニティ」という言葉で定義し、政策を立ち上げていくこ とには、どのような意味があるのだろうか。
政府、国会、基礎自治体などが「コミュニティの再興」や「新しい公共性」、さらにはコミュ ニティ維持に必要とされる「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」といった用語を強調する とき、その背景には、従来の福祉国家における生活保障分野を中心とした財政的危機から、従来 行政が担っていた分野を国民、市民、住民を「メンバー」とする互助組織によって代替させると いう意図も存在する。そして互助組織の役割を強化するためにメンバーの集団への帰属意識を高 めることが推奨されることが多い。
その場合、当該集団の機能は、行政がこれまで担っていた機能を代替することを目的とするこ とに還元されないだろうか。そして、「メンバー」の資格は行政に委託される機能を遂行するに あたって「適切な」人間に限定されないだろうか。帰属意識の強化は、誰が「適切な」メンバー であるかを判断する際の排除のための規範として機能しないだろうか。たとえば、自警団の組織 化や、「適切な」外国人(正規滞在外国人)との交流を促す国際交流協会の重要性を訴える行政 の主張は、野宿者や非正規滞在外国人をはじめ、適切ではない、帰属の不確かな人間への警戒、
さらには排除の傾向を強めることにならないだろうか。
行政による「排除の(市民)社会規範」の成立が進んでいるのだろうか。もちろん、人種主義 集団の存在に見られるように、「コミュニティ」の強調以前のさまざまないわゆる市民社会の諸 集団が排除の傾向をもたなかったわけではない。しかしながら、行政から相対的に独立した領域 とされていた市民社会は、これまで緩やかな形で帰属の「適切性」を行政とは無関係に判断し、
アジル(特に行政的判断と無関係に受け入れられる避難所)として機能してきたことも事実であ る。
本研究では、コミュニティ重視の政策による排除の(市民)社会規範の強化の射程を理解する
ことを目的とする。そのために、市民社会におけるさまざまな互助組織集団に注目し、こうした 集団が、行政のコミュニティ重視政策の中でどのように「メンバー」を決定し、帰属意識を変容 させ、社会的な排除に寄与、もしくは対抗しているのかを明らかにすることを目的とした。
総括
3 年間を通じて、各人が関心を同じくする場合には合同で研究会を開催し、協働することがで きたものの、協同プロジェクトならではの具体的な論文の協同執筆などの成果をあげられたかと いえば、そうではなかったと思う。浪岡はフランスと横浜市寿町、ギルは寿町と福島県、平山は シリアに注目することになった。こうしたフィールドの違いが協同を困難にしたが、これは研究 会当初の想定を超える放射線による被害やシリア情勢の不安定化といった出来事による。しかし、
こうした出来事による研究フィールドの変更は具体的現実に即した中で問題を考えていくフィー ルド型の研究の強みと考えるべきことかもしれない。
そして、もちろん協同作業の成果が全くなかった訳ではない。各人がそれぞれフィールドをも ちながら「排除」や「コミュニティ」といった概念をめぐる理論的側面で、それぞれのアプロー チを批判し合えるような形での研究の協同関係を築くことはできたと思う。
以下、活動の詳細および特定のテーマについての浪岡、ギル、平山の今後の研究課題考察をそ れぞれ掲載する。
○浪岡 新太郎報告 活動詳細
【2011年度】
1. ヨーロッパにおける問題
1. 4月16-17日 日仏国際シンポジウム『移民と国境』 日仏会館主催 於:日仏会館
報告:浪岡 「フランスにおけるイスラーム問題」
勝俣誠はコーディネーターとして参加した。報告の中では、辛淑玉氏が「在日韓国人」と いう存在についてどのような排除を目的とした言説が存在し、そうした言説が日本のナショ ナルアイデンティティの構築とどのように結びついているのかを論じた。これに対し、浪岡 はフランスにおける「ムスリム」という存在を取り上げ、同じように排除の言説がフランス のナショナルアイデンティティの構築と結びついていることを明らかにしたうえで、こうし た言説を乗り越えていくムスリムの運動について論じた。
2. 7月23日 移民と社会研究会(宮島喬 御茶ノ水女子大学名誉教授)共催
『移民の社会的統合と排除』 於:明治学院大学白金校舎3号館
報告:浪岡 「共和国における熟議民主主義」
本報告ではフランスのナショナルアイデンティティが共和国モデルとして、言説の中で構 築され、その本質的な他者としてイスラームが描き出される状況を明らかにするとともに、
このような一面的な言説を、言説の実際の多元性に注目することで乗り越えようとする試み を紹介し、熟議民主主義の観点から分析した。
3. 9月13日 ブラジル・セアラ州立大学公共政策大学院主催国際シンポジウム
於:セアラ州立大学公共政策大学院
報告:浪岡 「9・11後のヨーロッパにおけるイスラームコミュニティ:二つの原理主義」
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから10年後に、どのような形でイスラームが 共生不可能な他者として論じられるようになっているのかを、ヨーロッパを対象に論じた。
その中で、こうした共生不可能な他者としてイスラームが論じられることが、イスラームの 中の強硬派や過激派の活動を支えている状況を明らかにした。
4. 3月19日 日仏学術交流プログラムCHORUS 主催 於:日仏会館 地域における外国人支援と排除に関する日仏研究ワークショップ
報告:浪岡 「日仏における排除の問題の比較」
勝俣が参加
本報告では、日仏における排除をめぐる言説の諸研究を比較の観点から行うことの意味と その限界について論じた。
2. 日本における問題(福島と横浜市寿町)
1. 6月20日 「現在福島はどのような状況にあるのか」調査報告会
浪岡、勝俣が参加(国際平和研究所との共催)
2. 7月24日 福島大学行政政策学類 西崎准教授を囲んでの研究会
於:明治学院大学白金校舎国際学部共同研究室
「なぜ福島のこどもは逃げられないのか」(国際平和研究所との共催)
浪岡、勝俣が参加
3. 7月25日 福島ママ・キッズお茶&ランチ会を開催した。
於:戸塚区子育て支援施設「とっとの芽」
浪岡が舩田クラーセン・さやか 東京外国語大学大学院准教授のプロジェクト「福島乳幼 児妊産婦対応プロジェクト」に協力する形で行った。
4. 9月8日 ブラジル・セアラ州立大学公共政策大学院セミナー
報告:浪岡 「福島における子ども」
以上の研究会やお茶会はどれも、福島における放射線汚染というプロジェクト計画時には予測 しなかった出来事に直面する中で、調査を行い、得た調査結果をすり合わせる機会であった。そ の成果については 2012 年度より具体的に論文などの形で出すことを予定した。以下の論文が 2012 年度刊行のフランス国立科学研究所機関誌 Ebisu にレフェリー審査のうえ受理された。こ の研究プロジェクトとは別にギルは福島での調査、研究会を重ねており、2012 年度は研究プロ グラムの中で相乗効果が出るように各自の研究プロジェクトのすり合わせを予定した。
NAMIOKA Shintaro
«Politics de dédommagement pour les agriculteurs à Fukushima» in Ebisu, Revue de Centre National de la Recherche Scientifique de la France.
5. 10月29日 日本平和学会秋季研究集会 分科会芸術と平和 於:広島修道大学
報告:浪岡 「寿における<新しい>運動と<古い>運動」
6. 12月2日、3日 「平和研究における芸術アプローチの固有性」 於:明治学院大学横浜校舎
報告:奥本京子 大阪女学院大学国際英語学部 教授 浪岡、勝俣が企画
7. 1月17日 「寿町における外国人支援団体カラバオの会による学習補助活動」
於:明治学院大学横浜校舎821教室(公開)
報告:泉美智子 カラバオの会(聖路加看護大学生・立教大学法学部卒業生)
浪岡、勝俣が企画
8. 2月23日 Les activités artistiques à Kotobuki en terme de gentrification ?(ジェントリフィケー ションの観点からの寿における芸術活動)
フランス国立科学研究所CLERSE主催 研究会 於:リール市文化ホール・ワゼム 報告:浪岡
9. 2月27日 Les démocraties délibératives et les activités artistiques(熟議民主主義と芸術活動)
フランス国立エクサンプロヴァンス政治学院 研究所 CHERPA主催 研究会
於:エクサンプロヴァンス政治学院 報告:浪岡
平山が参加
これらの研究会、報告はどれも横浜市寿町における排除を促す言説を明らかにすると同時にこ うした言説を批判し、乗り越えようとする試みの一つとして芸術活動に注目したものである。具 体的には、寿オルタナティブネットワークという寿町で活動する団体において参与観察を行い、
報告を行っている。2012 年度は、さらに活動自体に関与すると同時に、その成果を論文として、
フランス語、日本語、英語で出すことを予定した。
【2012年度】
日本における問題
1. 4月24日(円卓形式での研究会:公開)
『都市における文化活動』 於:明治学院大学横浜校舎8号館2階会議室
報 告:浪岡 「横浜寿町におけるアート活動による社会運動」Kotobuki Creative Action をめぐって
コメント:アムシュ・アブデラフィド(リール第一大学教授:社会学)
討 論:勝俣、平山、アンベール・マルク(レンヌ第一大学教授 政治経済学)、ルバイ ユ・エレーヌ(日仏会館研究員 政治社会学)、森 千香子(一橋大学大学院准教 授 社会学)、園山大祐(大阪大学大学院准教授 教育学)
研究会はすべてフランス語で行われた。また、17 人の大学院生、外部研究者を含む参加 があったので、日本語による逐語通訳を浪岡、箱山さんが行った。この研究会は平山がサバ ティカルから帰国して初めての研究会であり、勝俣、平山、浪岡の3人が各自の研究成果を ふまえて議論する場になった。
2. 6月21日 「人類学的アプローチで出会う社会の周辺― 横浜寿地区を中心に」
於:明治学院大学横浜校舎821教室(公開)
報 告:金 知恩(キム ジウン)ミシガン大学大学院人類学研究科ABD コメンテーター:河本一満 横浜市役所都市整備局
浪岡、平山が参加。
寿町の簡易宿泊所で生活しながらフィールドワークを行っている金さんに、人類学的アプ
ローチにおけるコミュニティ、排除の概念について報告をいただいた。彼女は修士までをソ ウル大学大学院で修了しており、米韓におけるアプローチの違いについても興味深い観点を 示してくれた。また、行政当局者として街づくりに関わっている河本さんから、コメントを いただいた上で、議論を行った。
3. 7月10日 「ジェンダーと社会的排除」 於:明治学院大学横浜校舎821教室(公開)
報 告:水野阿修羅 NPO釜ヶ崎 コメンテーター:ギル トム
浪岡、勝俣、ギルが参加。
水野さんは、もともと寿町において日雇い労働者として働いており、組合活動にも積極的 に関わっていた。この経験をいかしながら、移動先の釜ヶ崎においてもアジアンフレンドと いう主として非正規滞在の外国人支援運動を組織していた。しかしながら、その活動の中で、
まさに活動家自身の中にある男性優位主義の問題に気づかされることになり、現在は、ジェ ンダーを巡る問題について釜ヶ崎で活動している。ギルとは昔からの知り合いであり、寄せ 場におけるジェンダーの問題についてコメントをもらった。
4. Kotobuki creative network主催の韓国調査への参加 ソウル特別区 7月6日夜出発 7月9日昼帰国
浪岡が参加
寿町と同じようないわゆるかつての寄せ場を訪問し、こうした場で行われているさまざま な市民運動を視察した。また、こうした運動の中での芸術的活動を行っている団体を訪問し、
類似点と相違点、活動条件の違いなどについて議論した。
【2013年度】
1. 日本における問題
1. 6月13日 『芸術と絆の再生』 日仏会館国際シンポジウム 於:日仏会館
ボニエル・ジャック(リヨン第2大学教授) 海老原周子(新宿アートプロジェクト)
コロンバニ・アレクサンドル(光景観創造国際ネットワーク会長) 鈴木伸治(横浜市立 大学教授)
報告・司会:浪岡 「寿町における芸術による絆再生の試み」
貧困者集住地区における芸術活動を通した都市整備事業について各国の比較をふまえ、そ の問題点と可能性を整理した。特に、鈴木氏は横浜市の黄金町都市再整備プロジェクトの主 たる担当者であり、寿町の事例について報告した浪岡の報告と比較することができた。
2. ヨーロッパにおける問題
1. 3月1日 『いま、どのように「排外主義」とたたかうか
―現代フランスにおける排除、差別、参加―』 日仏会館国際シンポジウム 於:日仏会館
報告:浪岡 「フランスに於けるムスリムの熟議民主主義」
その他の発表者:中野裕二(駒澤大学)アンベール・マルク(レンヌ第1大学)ジャニ=カ トリス・フロランス(リール第1大学)森千香子(一橋大学)ルノー・ミッシェル(レンヌ 第1大学)ドゥ・リール・マチルド(リール第1大学)ケレック・アントワンヌ(ルーアン 大学)ルバイユ・エレーヌ(日仏会館・フランス国立日本研究センター)
現在、世界各地で排外主義運動が勢力を拡大し、その対策が喫緊の課題となっている。だ が排外主義とは、過激な排斥運動にのみ帰する問題ではない。真の意味で排外主義を乗り越 えるには、政治、教育、市民活動、雇用、住宅といった社会の諸領域でみられる外国人・移 民の排除や差別に注目し、それらと狭義の排外主義運動との関係を検討し、多様性と平等が 尊重される社会のあり方を模索することが求められるのではないか。本シンポジウムは、こ のような広義の「排外主義」という視点から、フランスの外国人・移民の差別・排除の現状 と構造を分析し、それを乗り越えるために地域レベルで行われている具体的な取り組みの成 果と課題について考えた。
出版について
<査読付き論文>
2011年5月 「イスラームの制度化を振り返って」翻訳Franck Frégosi PRIME (35), 明治学院大 学国際平和研究所、109-126頁.
2012年8月 Politiques de dédommagement pour les agriculteurs de Fukushima?
le cas de la nominren(福島の農家にとっての損害賠償を巡る政治)EBISU pp.151-163. 日仏 会館・CNRS.
2013年6月 La solidarité internationale comme identité collective : Kalabaw, groupe de soutien aux travailleurs étrangers sans-papiers dans un quartier de journaliers(集合的アイデンティティとし ての国際的連帯)Hommes&Migrations, pp.137-145. Centre National de l’Histoire de l’Immigration.
<その他>
2011年 10月 「政治的想像力を取り戻す:セルジュ・ラトゥーシュ著中野佳裕訳『経済成長な き社会発展は可能か』作品社」、書評論文、『平和研究』155-160頁、日本平和学会。
2013年4月 「イスラームと人権保障 ― ヨーロッパ・フランスにおけるムスリム「問題」の 制度化と法」PRIME、明治学院大学国際平和研究所。
2014年1月 『平和を考えるための100冊+α』84-85頁、法律文化社。
公的研究費への応募状況
2014年~2016年度 採択
科学研究費補助金基盤研究C 欧州における移民出身ムスリムの排除と包摂:移民を包摂するシ ティズンシップの構築 研究課題番号:26380218
今後の研究課題
欧州における移民出身ムスリムの排除と包摂
この三年間の研究期間において、排除する社会規範とコミュニティとの関係において日本、フ ランスを比較しながら調査を行ってきたが、今後は特に欧州に於けるムスリムの事例を中心に単 著を準備したい。欧州において包摂型リベラルシティズンシップが定着する一方で、彼らは、国 籍如何に関わらず、そのムスリムアイデンティティとシティズンシップ行使の前提とされる居住 国への帰属意識(市民アイデンティティ)との対立を警戒され、公教育を受ける権利など、シテ ィズンシップの行使において排除されることが多い。具体的には、最多の移民出身ムスリムが定 住し、排除が顕著なフランスを事例に、ムスリムアイデンティティを理由とした包摂・排除の実 態を、パリ、リヨン、マルセイユを対象地域として(ア)政治参加、(イ)教育、(ウ)宗教実践、
(エ)雇用の各政策分野、地域ごとに調査する。また、その知見を、移民を巡るシティズンシッ プ研究の内に理論的に位置づけたい。
1. シティズンシップの形骸化とアイデンティティの側面の強調
欧州では、約 1600 万人の移民出身ムスリムの定住が進んでおり、その多くが既に居住国の国 籍をもっている。そして、欧州最多の移民出身ムスリム(約800万人)がフランスに定住してい る。彼らの多くは、フランス国民として形式的には社会権をはじめ諸権利の集合としてのシティ ズンシップを平等に保障されながらも、実質的には社会的排除、差別など不平等を特に経験して いる(平均の2倍の失業率(約40%)、約4倍の貧困率、差別行為の約70%の対象になるなど)。 しかし移民出身ムスリムが行政支援を受けるのは容易ではない。かつては彼らも公教育による 社会化を通じて、他の多様な背景をもつ市民と同じように、個人の出自を考慮せず市民を平等に 扱うフランスのシティズンシップの市民アイデンティティを受け入れるようになると信じられて いた(中野裕二『フランス国家とマイノリティ』1996 年)。しかし 1980 年代末から、彼らはム スリムアイデンティティを考慮した市民としての特別な扱いを求めるために、市民アイデンティ ティの受け入れが困難であり、シティズンシップにふさわしくないという見方が定着しつつある
(宮島喬編『移民の社会的統合と排除』2009 年)。さらに近年では、彼らがムスリムアイデンテ ィティをもつこと自体が市民アイデンティティにとって脅威であるという見方すら広がっている。
その背景には、欧州の政治社会状況の変容がある。新自由主義的潮を背景に労働条件が不安定 になる中で社会的紐帯の喪失が問題視されるようになり、その回復が課題とされる(R. カステ ル『社会問題の変容』1995=2012)。社会的紐帯の回復を目的として国民としての「結合」の重 要性が主張され、この国民的結合を脅かす要因として、欧州域外出身者の、トランスナショナル
な紐帯をもつムスリムアイデンティティが警戒されている。そのために、彼らのムスリムアイデ ンティティが市民アイデンティティと矛盾しないことの証明が、シティズンシップの諸権利の行 使の際に移民出身ムスリムに対して特に要求されるようになっている(G. ケペル『共和国の郊
外』Banlieues de la République, 2011)。このように、社会的排除のために特に行政支援を必要とす
るにもかかわらずムスリムアイデンティティゆえに移民出身ムスリムは支援を受けにくくなって いる。現在、彼らを包摂するようなシティズンシップの構想が求められている。
これまで移民を巡るシティズンシップ研究は、主として、シティズンシップの国別のモデルに 基づくものであった。すなわち、国籍法の類型などからその背後にあるネーションの構築原理を 読み取り、この原理から、例えば出生地主義を認めるフランスを包摂リベラル型などとして、移 民向けの各政策を読み取ろうとする(R. ブルーベイカー『フランスとドイツの国籍とネーショ ン』1992=2005)。しかしながら、国籍所有という形式的なシティズンシップの獲得は、必ずし も、実際のシティズンシップの行使を保障しない。実際には国籍を所有していても、移民出身者 の市民アイデンティティが疑われる場合には、「シティズンシップにふさわしくない」とされ、
その行使において実際には排除されることがある。この市民アイデンティティの側面が、居住国 の国籍を所有する者も多い定住移民出身者のシティズンシップを考える際には、重要である。C.
ヨプケはシティズンシップを単に権利の集合体と考えるのではなく、アイデンティティの側面を 考慮した上で、欧州におけるシティズンシップを巡る制度がナショナルなモデルを超えて、リベ ラルな包摂型の「軽いシティズンシップ」に近年収斂されつつある様を描いた(『軽いシティズ ンシップ』2010=2013)。彼によれば、欧州の国家が、移民の統合政策を通じて自国の市民アイ デンティティを移民出身者に要求するとしても、それはジェンダー平等などリベラルな価値に基 づいたアイデンティティである。しかし、ヨプケ自身もムスリムについて明らかにするように、
このリベラルなアイデンティティにおいてスティグマ化され、シティズンシップの行使から排除 される典型的な存在が移民出身ムスリムである(『スカーフ』Veil, 2009)。
実際、包摂リベラル型とされるフランスのシティズンシップの実際の行使において、移民出身 ムスリムの排除は顕著である。研究代表者は長期にわたってフランスのムスリムによる市民運動 の調査を行う中で以下のことを確認した。各市民を出自に関わりなく平等に扱うはずの行政が、
実際には、ムスリムアイデンティティを男尊女卑などと予めスティグマ化し、市民アイデンティ ティとの対立性を前提としたうえで、その対立性を理由として、ムスリムの権利保障を拒んだり、
特定のムスリム団体とのみ交渉する傾向があることである。その際、前提とされる市民アイデン ティティの要求において、政策分野ごとに、また地域ごとに大きな違いがあることがわかった。
そこで、政策分野別に、地域に注目して、ムスリムアイデンティティの包摂と排除の実際を検討 していきたい。
○トム・ギル報告
2011年3月11日、私はイギリス・オックスフォードにいた。サバティカルの最後の一ヶ月だ った。イギリスのテレビで津波と原発の水素爆発という恐ろしい場面を見て、すぐ頭に浮かんで きたのは「被災したコミュニティを研究しなきゃ」ということだった。現代日本社会を研究対象 とする者なら、大震災を無視することはできまい。
最初に被災地に行ったのは2011 年4月20日だった。福島県三春町に泊り、21日福島第一原 発を見学した。その時まだ一般人が正門まで自由に行けた。その日の夜、20 キロ圏内は立ち入 り禁止になった。その次の日、飯舘村を初めて訪れた。想像していたのはこじんまりした共同体 だったが、実は230平方キロメートルがあり、20ヶ所の「行政区」(部落)に分かれていると分 かった。同じ村でも、区により放射能の程度は全然違う。一番線量が高いのは最南部の部落、長 泥である。こういったことをゼロベースから一回目のフィールドトリップで知った。
最初に行った日、長泥にある白鳥神社の地震被害の修理が完成して、氏神が部落に戻ることに なると聞いた。神社を見学するとそこでまったく偶然に、長泥区民と出会った。御縁だと思い、
長泥を調査の場に設定した。しかしその次の日、飯舘村全域に対して避難命令が下り、5 月の末 までに、村民全員が村を離れなければならないことになった。その日から 25 回も福島県に行き 飯舘村長泥区の区民の震災後の生活を調査している。調査は終わる予定がない。最初の3回は長 泥を中心に調べた。2011 年 6 月以降、主に福島市内の避難先でインタビューを行い、さまざま なイベント(飯舘村の村民や長泥区の区民の定期的な集い、区の自治体の会議、東京電力に損害 賠償を求める集会や弁護団との話し合い、など)に参加してきた。フィールドトリップは一回平 均 3~4 泊で、決して徹底的な調査だと言えないが、それでもこういった調査が殆ど行われてい ないようなので、それなりに意味があると思う。
この浪岡研究プロジェクトは排除的な社会規範を批判的に分析することを目的とするが、長泥 の区民達は正に排除的な社会規範と闘うことになった。福島第一原発事故の被災者にとって放射 能による健康被害の可能性だけではなく、病気や不潔なものを恐れる社会の差別・偏見も大問題 である。放射能は実際に「うつる」ことはないが、非合理的にそういった可能性を恐れる人が 多々おり、原発事故直後、福島県民はホテルの宿泊・タクシーの乗車・ガソリンスタンドの利用 などが断られ、著しい排除的な差別を経験した。数か月たったらそういった露骨な差別は殆ど消 えたが、「風評被害」が今でも根強く残る。福島の食物を断る場合、合理的な健康被害警戒と、
非合理的な条件反射的な拒否感が混ざってある。自分の子供が福島県民と結婚してほしくないと なると、その拒否感は「差別」に限りなく近い。人がだれと結婚するかというあまりにもプライ ベートなことは、個人と家庭が決めるものだから、結婚差別がどれぐらいあるか、特定できない。
しかしゼロではないとは言えそうで、結婚差別と風評被害が日本の都道府県の一つに精神的なダ メージを与えているのは間違いない。県の名前を汚したと言っても過言ではない。
原発事故は福島県にある福島第一原発で起きた。日本の唯一の「県の名前が付いている原発」
である。そのネーミングのせいで、「福島県の事故」として考えられがちである。しかし福島県 は日本で三番目に大きな県で、面積は 13,738 平方キロメートルもある。そのうち、放射性物質
の拡散によるひどい汚染があったのは東海岸の数百平方キロメートルにすぎない。「福島」は県 庁所在地の市名でもあり、その福島市では、市から約 50 キロメートル離れている避難地域から 来た人々が避難生活を送っている。彼らにとって福島市は安全な避難先である。しかしこの先何 十年、世界の多くの人々が、「福島」と聞いて真っ先に連想するのは、県や市のことでも、浜通 り、中通り、会津と三つの地方に分かれている特色豊な土地のことでもなく、震災、原発事故、
放射能の「フクシマ」だろう。それは「ヒロシマ」「ナガサキ」が原爆の投下された被爆地とし てカタカナで表記される状況と似ている。「フクシマ」という表記やイメージは差別されやすい ものなので、福島県関係者や支援団体は、ひらがなで「ふくしま」と書くことさえある。例えば 正しい放射線量情報を表示して風評被害と闘い福島農産物を宣伝する福島県運用サイト「ふくし ま新発売」(http://www.new-fukushima.jp/)や東京都にある特定非営利活動法人「ふくしま支援:
人と文化ネットワーク」、(http://www.support-fukushima.net/pip.html)等々である。県や市の話で はなく原発事故とそれからの復興の話であるから、「漢字」ではなく「かな」。25 万人も亡くな ったヒロシマ・ナガサキではなく、人が死んでいない原発事故だから「カタカナ」ではなく「ひ らがな」。こういう工夫で、福島と広島、原発事故と原子爆弾投下の間に区別を付けようとする。
放射能差別問題は世界レベルからローカルレベルまで見られる。外国人による「放射線量で汚 染されている」日本人への差別。日本人による福島県民への差別。福島県民による原発に近い双 葉町・大熊町・浪江町・飯舘村の住民への差別。飯舘村の村民による長泥区の区民への差別。長 泥区は実際に差別的な社会規範の連続の最終目的である。
区別と差別は実に種類が多い。まず簡単な例をあげよう。長泥区の区長は南相馬市鹿島町のス テンレス台所用品の工場でアルバイトしていたが、工場に入る時同僚から「ほら、放射能が来た ぞ」と言われたことがあった。休憩時間中、彼はあえて皆と違うところに座り、同僚たちが彼を わざわざ避ける必要をなくしていた。自発的な隔離政策だった。原発事故から約3ヶ月で、仕事 を辞めた。
学校の事情は複雑だった。飯舘村には小学校が三校、中学校が一校あった。小中学校は一時的 に隣の川俣町の学校に移った。同じ学校ではあっても、授業は別々で川俣の子供と会うことはめ ったになかった。川俣の学校では、子供の被ばく線量の測り方に関して二重基準があった。川俣 の子供は、放射能が溜まると色が次第に濃くなるガラスバッジを身に着けていたが、同じ敷地を 使っていた飯舘の子供にはバッジは配布されなかった。村の教育委員会は放射能の危険性を常に 子供に思い出させれば、かえって子供がノイローゼになるから、なるべく普通に勉強させる方針 なのだと親に説明したと聞いた。しかし、前もって保護者にその方針を知らせていなかったため 多少苦情があった。最終的に、原発事故から10ヶ月経過した2012年1月24日、ガラスバッジ の代わりに放射能測定器が飯舘の生徒たちに配布された。
このガラスバッジの件で様々なことが分かる。まず、バッジは被ばく量を測定するという医学 的な役割とは別に、「高放射能地帯の子である」という、子供により恥ずかしい・恐ろしい事実 を示す社会的な役割もある。子供たちを怖がらせたくない村の方針には、危険性を控えめに扱う 思惑も見えなくはない。更に言えばそのバッジに所有者は穢れた存在であると意味する「恥の印」
という、本来の役割とずいぶん離れた意味合いがあるといったような話さえ村民の間にあった。
バッジと最終的に代わりに配布された放射能測定器の大きな違いは、前者は常に周りの人々に見 られるところ後者はポケットやランドセルに入れて隠すことができるというところである。
上記の事例はそれぞれ飯舘と鹿島町、飯舘と川俣町の区別・差別に関するものである。しかし 飯舘村の村内にも排除的な区別・差別が見られた。例えば 2011 年の夏から村は「見守り隊」を 作った。これは住民パトロールのようなもので、村民が二人組で村を歩き回り放射能を測りなが ら空き巣や家を荒らす動物などを防ぐ。2013年度までは24時間体制で、午前6時~午後2時、
午後2時~午後10時、午後10時~午前6時という三つのシフトがあった(2014年度から夜間 シフトが廃止され、人数が一家庭一人まで減少した)。「見守り隊」は村の雇用対策であり、賃金
は一回約7,000 円で、中央政権の震災特別対策予算で賄われている。同時に、村民の村への愛着
が薄まらないよう、定期的に村に戻らせるという目的があった。「避難区域」でありながら、村 民を週3回ほど村で8時間過ごさせるという矛盾に満ちた行政の政策の一角である。
しかし見守り隊のかかえる問題は、飯舘村村内の放射能の値の大きな差にもある。中部・北部 の場合、一日おきに行けるが、放射能の値が特に高い南三部落(比曽・長泥・蕨平)では二日お きにしか認められない。これでは賃金収入が減るし、日数が足りないため日雇い労働失業保険の 受給権利がない。長泥区長は、長泥区民が別の区のシフトと入れ替われるように訴えたが、高放 射能を浴びたくない他の区が反対し実現しなかった。「村の団結」を謳う役場は見守り隊に関し て「自分の部落を自分で守る」という原則を主張した。
こういう風に同じ飯舘村の人でも、放射能の高い長泥・比曽・蕨平の南三部落を差別すること があった。村の行政が放射能のレベル関係なしにすべての村民を避難させたのは村の団結を守る ためだったが、中部・北部の村民の間には放射線量が比較的低い区まで避難を余儀なくされたの は「南三部落のせい」だという苦情があったと聞いた。それに村が東京電力に損害賠償の申し立 てをしない方針なのに、長泥区だけが部落を主体にして申し立てを起こしたことに関して「長泥 は金、金、金」という文句もあった。
2012 年夏から国が避難区域の政策を見直して、年間空中被ばく線量が 20mSv 以下の地域は
「避難指示解除準備区域」、20~50mSv の地域は「居住制限区域」、そして 50mSv 以上の区域は
「帰還困難区域」とそれぞれ設定された。飯舘村の場合、北部の6区は解除準備区域にされ2年 以内に帰還可能、中部の13区は制限区域になり2~5年で帰還可能になった。そして長泥区だけ が帰還困難区域に指定され5年間立ち入り禁止となった。村の分断は決定的になった。長泥の区 長はマスコミに対して「避難したときは全員一緒だったのに長泥だけ取り残されたようだ。自分 たちのせいではないのにこんなことになって、大変悔しい。」
しかし実は隣の蕨平区も帰還困難区域に設定するよう交渉していたが失敗に終わった。一番汚 染された区域と設定されるのは悔しいことではあるが、損害賠償を求めるにはプラス材料である。
実際、東京電力が避難者1人1ヶ月10万円の精神的損害賠償額を長泥区民に対してだけ5年分 を一括で支給すると発表した。例えば5人家族なら3千万円が一括で支給される。2013年暮、
文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が帰還困難区域では1人700万円の追加慰謝料を一括払 いする決定を発表した。これで長泥区の避難民たちには全部でおおよそ1人1,500万円、5人家
族の場合7,500 万円が支給されるようになった。長泥以外の行政区はその半額ぐらいに留まる。
一番汚染された部落は現在、一番羨ましく見られている。
以上、福島の原発事故被災者は完全に国家に見捨てられているというわけではないと分る。し かし不公平な面が数多くあり、例えば居住制限区域と定義された行政区には、隣の帰還困難区域 より放射線量が高いところがある。村を単位にしても、部落を単位にしても、必ずこういった矛 盾が発生する。また、隣同士の部落でも損害賠償の金額が違い、不満の原因になる。これは結局
「妬み差別」を生み出す。
去年出版した論集、『東日本大震災の人類学』(出版物目録参照)の前書では津波を団結強化型 震災、原発を団結弱化型震災と扱った。これはえらい単純化ではあったが、私の長泥調査では、
原発事故とそれに対する国・県・村の対応はやはり人間関係を崩し、排除感と差別を助長する効 果があったと言えるだろう。
福島県へのフィールドトリップ(25回)
2011年、7回 2012年、8回 2013年、6回 2014年、4回
<発表>
2011年6月26日、国際基督教大学
15th Asian Studies Conference in Japan (ASCJ)
Chair, open session: “Disaster Strikes Japan/the World”
2011年12月3日、東洋大学白山キャンパス
2011年日本寄せ場学会シンポジウム「原発労働が照射する日本」
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ~第一原発の放射能にも負けぬ飯館村の労働者たち~」
2012年3月24日、オクスフォード大学日産日本学研究所
Nissan Institute Symposium: The Disasters of 11th March 2011 – one year on
“This Spoiled Soil: The Response to Radiation in Nagadoro hamlet, Iitate village, Fukushima prefecture”
2012年6月30日、立教大学
16th Asian Studies Conference in Japan (ASCJ)
“An Anthropologist in Fukushima”
2012年11月18日、サンフランシスコ
American Anthropological Association (AAA)
“Sacrificing the villagers to save the village? The personal dilemma of a mayor in Fukushima”
2013年5月15日、東京学芸大学(個人講演会)
“This spoiled soil: Defining community in an irradiated village in Fukushima prefecture”
2013年7月25日、東京大学社会科学研究所(個人講演会)
“Fukushima and Furusato: Rural community after nuclear disaster”
2014年1月30日、東京外国人記者クラブ(Foreign Correspondents’ Club of Japan)
“Japan Copes with Calamity” (presentation at book launch) 2014年5月17日、千葉県幕張
Biennial conference of the International Union of Anthropological and Ethnological Scientists (IUAES)
“Radiation and responsibility: What is the right thing for an anthropologist to do in Fukushima?”
2014年5月24日、滋賀大学
Symposium on Risk, Society and Politics in Contemporary Japan
“Risk, the fear of risk, and the risk of the fear of risk: the bureaucratic response to radiation in contemporary Fukushima”
2014年6月22日
18th Asian Studies Conference in Japan
“Anti-nuclear agitprop art after 3.11 as seen from Fukushima”
<出版物>
「汚された土、潰された共同体:福島県相馬郡飯舘村長泥地区における放射能の悲劇」『寄せ場』
(日本寄せ場学会年報)25巻30~53頁(2012年6月)
「放射能と周辺地域の知恵」『民博通信』(国立民族学博物館)139巻14~15頁(2012年12月)
『東日本大震災の人類学――津波、原発事故と被災者たちの「その後」』トム・ギル、ブリギッ テ・シテーガ、デビッド・スレイター 編、京都:人文書院
第6章「場所と人間の関係が絶たれるとき――福島第一原発事故と「故郷」の意味」、201
~237頁
Tom Gill, Brigitte Steger and David Slater eds. Japan Copes with Calamity: Ethnographies of the Earthquake, Tsunami and Nuclear Disasters of March 2011 Berne: Peter Lang (October 2013).
Including Tom Gill, “This Spoiled Soil: Place, People and Community in an Irradiated Village in Fukushima Prefecture” (pp.201-233)
※本報告書は、国際学部付属研究所共同研究「『排除する社会規範』を超えたコミュニティづくり」の 最終報告書である。