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横浜スカーフ産業の変容

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横浜スカーフ産業の変容

著者 沖田,耕一

雑誌名 学芸地理

号 64

ページ 61‑69

発行年 2009‑12‑25

その他の言語のタイ トル

Structural Change of Textile Printing Industry in Yokohama City, Kanagawa Prefecture(Research Notes)

URL http://hdl.handle.net/2309/110313

(2)

 * 聖光学院中・高等学校(学部 40 期 院 26 期)

横浜スカーフ産業の変容

沖田 耕一 * 

Ⅰ はじめに

 日本における輸出型地場産業は,国内外の経 済状況の変化に様々な影響を受けてきた.と くに 1985 年のプラザ合意以降の円高の進行に よって,国内外市場は厳しい価格競争を余儀な くされた.また,日本の輸出型地場産業は,縮 小再編され,衰退過程に移行する産地が多くみ られるようになり,その再生が問題となった ( 中小企業研究センター編,2001).

 横浜における代表的な地場産業である捺染業 は,明治初期に操業が開始され,北米・ヨーロッ パ市場向けにスカーフ・ハンカチーフなどの製 品を生産してきた.第二次世界大戦後は,アメ リカ経済の成長によって生産拡大が図られた が,円高以降は国内市場への転換を余儀なくさ れた.そして 1990 年代以降の経済停滞と市場 競争の激化によって,横浜捺染業は生産基盤を 弱体化させ衰退過程にある.

 地域産業・地場産業に関しては,先達の研究 者によってさまざまな研究が蓄積されてきた.

それらの多くは,高度経済成長期の発展過程や 社会的分業体制の構築過程,または低成長期の 生産構造の再編などを論じたものである.しか し,産業の縮小再編・衰退過程を対象としたも のは少ないものの,合田 (1985) による「縮小

産業」しての繊維工業分析,青野ほか (2008) の郡内における繊維工業の縮小・衰退過程の研 究,立川ほか (2001) の,八王子における繊維 産業の衰退化に関する分析がある.上野 (2007) は,バブル経済破綻以降の地場産業産地におい て,新たな生産・流通構造や地域内の様々なネッ トワークの構築の必要性を指摘している.

 横浜捺染業に関する研究は,神奈川経済研究 所編 (1981),日本輸出スカーフ等製造工業組 合 (1989),ギルダ横浜スカーフ (1997) によっ てその歴史的経緯が明らかにされ,商社の特徴 については,長田 (1981),相原 (1981) の研究 がある.一方,小林 (1982),小副川(2001)は,

生産の内部構造変化,およびその生産的諸関係 の特徴について指摘している.しかし,近年の 縮小・再編・衰退過程における研究は少なく,

企業レベルでの変化を論じたものはほとんどみ られない.

 本研究は都市型地場産業として位置づけられ てきた横浜捺染業 ( 清水・北村,1981) の 1990 年代以降における変化を分析し,その中で生産・

流通を担ってきた企業と産業集団の機能変化に 焦点をあてて報告するものである.

キーワード:横浜,捺染業,機能変化,衰退過程

(3)

学 芸 地 理 第 64 号 (2009)

450 400

0 300

200

100

50 100 150

0 1981 1985 1990 1995 2000

輸出額

生産数量 輸出数量

生産額

億円 10 万ダース

Ⅱ 横浜スカーフ産業の推移

 横浜捺染業の成立は,1859 年の横浜開港時 に,江戸の呉服商が横浜で絹織物商を興したこ とに起因している.絹織物商は,横浜港から生 糸を輸出するとともに,外国人用絹ハンカチを 販売し,当時横浜に在住していた外国人に好評 であった.その後,ウィーン万国博覧会にて横 浜商人が,絹織物などを出品し,欧米諸国に日 本の絹織物製品が知られることとなった.それ が 1875 年にアメリカ商社からハンカチの受注 を受け,輸出されるようになった.当時の製品 は,白生地や無地染めのハンカチーフ用絹布に 縁かがりをした単純な製品であった.その後,

次第に柄物ハンカチの製品を求められるよう になり,1890 年フランスの商人メニールが本 国から技術者を呼び寄せ,木版刷りによるハン カチの生産が横浜で始まった.翌 1891 年には,

型紙を使い,刷毛で刷りこむ,いわゆる捺染法 に成功した.1927 年に横浜市沢渡にあった絹 業試験所1)の三平 文がアメリカからスクリー ン捺染法を学んで業界に紹介することにより,

今日のスクリーン捺染の基礎が確立したと言わ

れる.

 関東大震災・第二次世界大戦時の横浜大空襲 による被害を乗り越え,横浜捺染業は復興し,

ハンカチの寸法を大きくして,スカーフ,ショー ルの生産を行うようになった.これが海外で好 評となり,1970 年代のアメリカでの流行によ る需要が拡大した.また,同時期における日本 国内でのスカーフブームも相まって,各工場は 設備の増強に追われ,オートプリント装置の導 入を進めた.横浜の捺染工場は 100 工場を越え,

また同時にスカーフ類等の輸出を担ってきた輸 出商は約 35 社を数え,大きく発展した2)  それに続くいわゆるバブル景気は,日本国内 市場を拡大させ,横浜捺染業は最大の生産額を 示した.横浜捺染業は製品需要拡大に設備・生 産能力の増強と地方工場の設立によって対応 し,一部は韓国での委託生産によってしのいで いた.しかしながら,1990 年代以降の景気減 退による消費の停滞と選別は横浜捺染業企業に 大きく影響し,2000 年代には工場の閉鎖と廃 業が相次ぐことになった.

 こうした横浜捺染業の生産変化を統計的に確 認する3)

第1図 横浜捺染産業の生産と輸出の推移

      (日本輸出スカーフ等製造工業組合資料より作成)

(4)

に発注する.捺染・染色された生地は整理業者 を経て,裁断と縁かがりを担当する縫製業者に より加工が行われて製品となり,発注者である 商社等に納入される ( 第2図 ).

 1970 年~ 80 年代に,横浜スカーフ産業は発 展期にあり,スカーフに関連する事業所が集積 していた.清水 (1976) の調査によれば ( 第1 表 ),1974 年に各業種の組合員総数は,422 事 業所,アウトサイダーを含めれば 553 事業所と なり,大都市内産業集団としての地位を維持し ていた.また,市街地内の捺染工場が排する水 処理問題とも相まって市内工業団地へ移転した り,地方工場を設立したりする事業所もあった が,それは同時に需要増加に対応したもので あった.

 しかし,1990 年代の輸出不振と国内需要の 低迷,加えて輸入品との競合は,横浜スカーフ 産業に大きな打撃を与え,スカーフ産業集団の 著しい縮小をもたらしている.それは横浜ス カーフ産業の流通を担っていた輸出商の減少お よび生産を担当していた事業所組織であるメー カー,製版,縫製,染色等の組合が解散したこ とにも現れている.現在の横浜スカーフ産業の 事業所数は明確ではないが,再編された各種組 合やグループ等の名簿を照合すると第1表のよ うな結果となる.すなわち,2009 年にメーカー はわずか 18 軒となり,1974 年と比較して 80%

以上減少し,同様に捺染業事業所も 50%程度  本稿の対象とする捺染業は,工業統計上染色

業に分類される.この染色業の変化をみると,

1983 年に工場数は 93 工場,総出荷額 120 億円 であったが,工場数はその後減少を続け,2007 年において 17 工場,総出荷額は 1990 年の 157 億円をピークに減少し,2007 年には 16 億円に まで減少している.1991 年に比べて工場数は 22%,総出荷額は 11%になった.

 1981 年スカーフ類の国内総生産量は 1,021 万ダース ( 生産金額 357 億円 ),輸出量 958 万 ダース ( 輸出額 287 億円 ) であった.それが 2000 年になると国内総生産量 103 万ダース (117 億円 ),輸出も 60 万ダース (15 億円 ) へと著 しく減少し,この 20 年間で生産・輸出規模は 3分の1から4分の1となり,とくに輸出量・

輸出額の減少幅が大きい.それは輸出比率の 変化からも明らかで,生産量ベースで 1981 年 の 93.8%から 2000 年 58.1%,生産額ベースで 1981 年の 80.4%から 2000 年 13.1%と低下し ている.

Ⅲ スカーフ産業集団の縮小

 横浜スカーフ産業は製品流通を担う商社等と 生産を担当するメーカー,具体的な加工工程を 担当する捺染業,製版業,整理業,縫製業から なる.

 横浜スカーフ産業における生産加工の中核 は,製造卸機能をもつメーカーである.メーカー は横浜の生地卸・輸出商,東京の国内向け商社 から受注し,それに必要な生地は多くの場合,

横浜の生地卸から仕入れていた.スカーフ等の デザインは,発注先が指定する仕様 ( 意匠版権 元 ) あるいは外部デザイナーに依頼する.デザ インが決定されると,メーカーはデザイン製版 を製版業者に発注し,それを用いて自工場ある いは専門の捺染加工業者,染色業者 ( 無地染 )

第2図 横浜捺染産業の生産・流通構造(1970 年代)

(聞き取り調査により作成)

輸出商

水洗整理業 捺染業

家庭内職 手巻きミシン

加工業 製版(製 型)業 メーカー( 製造卸 ) 生地問屋

デザイナー

( 図案家 ) 地方工場

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となり,スカーフ等生産への受注依存度が高い 製版・縫製の事業所は約 15%と著しく減少し た.  

 

Ⅳ 縮小期における企業の対応

 横浜スカーフ産業を構成する業種別企業の動 向を第2表,第3表を手かがりに考察する.

1. 流通企業の対応

 生地卸・輸出商は横浜スカーフメーカーに生 地を卸し,製品を買上げて輸出することを業務 としていたため,生産部門との結びつきが弱 かった.すなわち,生地卸・輸出商にとって横 浜スカーフは取扱商品の1つであり,その取扱 額は,これまでも年商の半分にも満たない額で あった.

 1990 年代の国際競争力と国内市場シェアの 低下により,横浜スカーフは生地卸・輸出商の 取扱商品としての魅力が薄れ,次第に撤退する 傾向を示した.

 A社は創業 1931 年の生地卸・輸出商で,横 浜市中区にて絹・人絹の輸出入,卸売を行って いた.横浜本社以外に東京・大阪に営業所を持 ち,大阪営業所で織物・原糸の輸出業務,東京 営業所で生地卸売を行い,スカーフ・ハンカチ 類の取扱は主として横浜本社で行っていた.ス

カーフ・ハンカチ類の販売不振は,横浜本社に おいても取扱品目を変化させ,婦人用服地・雑 貨,学校用ジャージ・ユニフォームを海外から 輸入し,販売することが主となった.

  A 社 の 年 商 は 1991 年 に 232 億 円 で あ っ た が,2007 年 に は 89 億 円 と な り, そ の う ち 中 国・インド・タイからの輸入品販売額が 61 億 円(68.5%)に達し,輸出商社というより輸入 と国内向商社に変化している.横浜スカーフ関 連製品の取扱は 1991 年の 29 億円から 2007 年 の 0.6 億円に減少し,取扱商品割合も 12.5%

から 0.4%へと低下し,スカーフ産業からの撤 退が明らかである.

 B社は 1908 年に創業し,横浜市中区にて生 糸・綿布やその加工製品の輸出業務を行う商社 であった.戦前段階から日本各地の産地から織 物を仕入れ,それらを輸出していた.高度経済 成長期にスカーフおよび婦人用裏地の輸出が最 盛期を迎えたが,その後の円高基調による輸出 不振から逆に和装・洋装用の白生地,絞り用生 地,作業着の輸入を拡大し,国内向卸売に重点 を移し,企業形態を転換させている.

 しかしB社の販売額は 1988 年年商 230 億円 から著しく減少し,2007 年には年商 16 億円と 著しく減少した.また,横浜スカーフ関連も 7 億円から 0.3 億円,年商に対する割合も 3.0%

から 1.8%へ低下し,繊維系商社からもスカー フ産業からも撤退する傾向を強めている.一方,

B社は,横浜市中区にある自社所有物件の建替 えを行い,その一部を自社店舗としながらも他 のスペースを間貸しし,さらに現在では3棟の 貸ビルを持つ不動産経営に参入するなど,経営 の安定化を図ろうとしている.現在の不動産収 入は5億円で会社収入の 31.3%を占めている.

 A社,B社はともにスカーフメーカーへ生地 を卸売し,製品を輸出する企業として,これま で横浜のスカーフ産業を支えてきた.しかしな 第1表 横浜スカーフ産業の構成変化

   1974 年 2009 年 組合員 アウトサイダー

輸出商 39 -

生地問屋 18 - 10

メーカー 114 20 18

捺染業 100 20 22

製版業 54 1 8

整理業 24 20 -

縫製業 73 70 10

合計 422 131 68

注:1974 年は清水(1976),2009 年はギルダ横浜,

  横浜繊維振興会,YTA21st 会等会員名簿等より

(資料をもとに筆者作成)

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がらスカーフ等の輸出不振によって両社ともス カーフ等製品の取扱量を激減させている.

2. メーカーの変化

 輸出商社の横浜スカーフからの撤退は,横浜 スカーフのメーカーおよび関連業に大きな打撃 を与えることになった.それは輸出チャンネル を失うばかりでなく,横浜の輸出商社以外との 流通関係が薄かったメーカーにとって製品の出 口 ( 市場へのアクセス ) を失うことになり,企 業存続のためには新たな展開が必要であった.

 C社は 1948 年横浜市南区で創業したプリン トメーカーである.C社はスカーフ・ハンカチ およびシルクプリント服地の製造・卸業務を行 い,高度経済成長期には年商 20 億円をあげた.

そのうち 65%が輸出によるものであり,スカー フ・ハンカチ類は国内向けに生産していたとい う.これ以降もC社はプリント技術を応用した エプロン,紳士用プリントパンツの製品開発を 行い,輸出に力を入れてきた.

 しかし,1980 年代半ば以降は,海外ブラン ドとライセンス契約を結び,ナイトウェア・エ プロン,生活雑貨を国内向けに生産することを 志向した.そこでC社は販売強化のために本社

を東京都品川区へ移転した.C社は国内外のブ ランドとのライセンス契約を結びながら独自の ブランドも設立し,製品販売に力を入れている.

 D社は 2002 年に東京都世田谷区で創業した スカーフ・ハンカチ・ネクタイ等のシルク製品 製造卸を行うメーカーである.上質なシルク製 品製造に重点をおき,少数ながらも高付加価値 製品を手掛けている.社長自らが,原料の絹糸 の買い付けから製糸・捺染,縫製等の各工程に 携わる職人とコミュニケーションをとりながら 生産を行うとともに,自社ブランドを立ち上げ,

生産を行っている.

 E社は 1952 年横浜市中区で創業し,スカー フ・ハンカチ類の製造卸を行うメーカーである.

E社はスカーフ等の有名ブランドおよび OEM 生 産を行うと同時に登録商標したオリジナルブラ ンドを持っている.もともと国内向け生産が多 く,東京の商社群との取引が中心であった.高 度成長期に入る 1962 年に栃木県足利市に捺染 工場を別会社として設立し,生産力の拡充を 図った.しかし,1980 年代半ば以降,スカー フ等の需要減少に伴い,カーテン,ロールブラ インドなど室内インテリア関連の輸入・卸販 売会社を横浜市南区に設立して経営の多角化を 第2表 横浜スカーフ産業企業の変化

業態 本社所在地 創業年 年商 企業の対応

取扱品目の付加 商業機能の強化 生産機能の変化 A 商社 * 横浜市中区 1931 89 婦人服地,婦人雑貨 ○ ( 店舗・営業所 )

B 商社 * 横浜市中区 1908 16 作業衣 ○ ( 店舗.営業所 )

●不動産業 C メーカー 東京都品川区 1948 76 服地,カーテン地,

ナイトウェア,生活雑貨

○ ( 店舗・営業所 ) D メーカー 東京都世田谷区 2003 NA ネクタイ ○ ( 店舗・営業所 )

E メーカー 横浜市中区 1950 20 婦人服地,傘地,雑貨 ○ ( 店舗・営業所 ) 足利捺染 工場設立 F メーカー 横浜市南区 1976 7 雑貨,インテリア ○ ( 通販 )

G 捺染加工業 横浜市港南区 1936 - 廃業 (2004)

H 捺染加工業 横浜市金沢区 1934 - ●倉庫業 廃業 (2008)

I 捺染加工業 横浜市金沢区 1916 4.4 婦人服地 横浜工場廃止

福島工場設立

J 捺染加工業 横浜市金沢区 1937 4.7 横浜工場廃止

(聞き取り調査により作成)

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図っている.また,オリジナルブランドスカー フの販売戦略を展開し,1991 年以降は,横浜 ランドマークタワーや赤レンガ倉庫など,横浜 市内に直営店4店舗を展開している.

 F社は 1976 年横浜市南区で創業し,スカー フ・ハンカチ類の製造卸を行うメーカーであっ た.創業当時から国内向けの製品を中心に扱っ ていたが,1980 年代半ばの円高基調により,

婦人装飾品・雑貨の輸入・製造卸,アパレル メーカーからの OEM 生産を始め,現在では年商 の 70%が中国からの製品である.また,1990 年代半ばにインターネット直販を始め流通チャ ンネルを増やした.横浜はアパレルメーカーが 集中する東京に比較して業界向けの情報量に乏 しかったため,2006 年には東京渋谷に営業所 を設立して,東京のアパレルメーカーとのつな がりも強化している.

 こうして横浜スカーフのメーカーC社・E社・

F社は,輸出に依存できない状況のなかで,国 内市場への転換を余儀なくされた.流通チャン ネルの確保がきわめて重要となり,1980 年代 半ば以降,製品の多様化および経営の多角化を 進めることとなった.また 1999 年にはクリス チャンディオールが,2000 年にはフェンディ が日本国内にあった版権を引き上げたことなど

より,横浜におけるスカーフの生産については D社・E社のオリジナルブランド戦略による自 社店舗の展開など,独自の流通を構築しようと していることが特徴である.

3. 捺染企業の対応

 メーカー主導による生産構造の下での捺染業 者は,国内外の市場に直接的な接点がなく,生 産部門としてメーカーの指示通りに,納期どお りに生産が完了することが企業存続の条件で あった.それは同時にメーカーからの受注変動 が企業存続を左右することになる.1990 年以 降,多くの捺染業とその関連業は廃業に追い込 まれている.しかし,横浜スカーフ産業集団が 培ってきたブランドと技術を基盤とし,企業あ るいは地域産業としての存続を模索する動きも ある.

 G社は 1936 年創業の捺染業である.横浜市 港南区で創業し,スカーフ・ハンカチ類の捺染 工程を行っていた.生産設備は,ハンドプリン 4)の捺染台を4面保有し,熟練した職人技 術によって高付加価値製品を生産してきた.受 注先は横浜市内のメーカー2社と東京の問屋1 社であったが,受注減に抗しきれず,2004 年,

企業としては廃業し,現在は職人1名が生産設 第3表 各企業の取引連関

横浜市内 県内 東京都 その他

A B

C ◎(全国)▲(山形)

D

E ▲▲▲ ◎◎◎◎◎◎ ◎◎▲(栃木自社工場)

F ◎◎◎◎◎◎◎ ▲(山形)▲(福島)

G ○○

H ○○○○▲ ▲(福島)▲(大阪) フェンディ・セリーヌ

ラルフローレン I ▲▲ ◎◎◎◎◎ ◎ ▲(山形)

▲(福島自社工場)

J ND ND ND ▲(福島自社工場)

注: ▲:捺染  ○:横浜メーカー  ◎:国内向け商社

(聞き取り調査により作成)

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備の一部を引き継ぎ,個人経営として操業を続 けている.生産を引き継いだK工場は,ハンド プリントの技術力が高く評価され,付加価値製 品の受注によって存続している.

 H社は 1934 年横浜市南区で創業し,スカー フ・ハンカチ類の捺染工程を行っていた.生産 設備はハンドプリント4面であったが,1978 年に横浜市旭区に工場を新設し,ハンドプリン ト6面を新設した.1989 年には旭区工場を設 立し,ハンドプリント 18 面を増設すると同時 に,南区の本社を金沢区の工業団地内に移転し てオートプリント5)装置を設置した.またオー トプリント工程を福島や大阪の企業に委託して 生産を行ってきた.こうしてH社は一貫して規 模拡大を図ってきたが,国内景気の低迷と,外 国ブランド版権の引き上げにより,業績が悪化 した.その後,酸化チタンなどの機能性繊維を 用いた服地の開発などを手掛けたものの,拡大 した生産設備が足かせとなり,2008 年に廃業 した.

 I社は創業 1936 年のスカーフ・ハンカチ類 捺染業である.I社は 1971 年に福島県喜多方 市塩川町に分工場を設立して需要拡大に対応 し,1985 年に横浜市金沢区の工業団地内へ移 転し,オートプリント装置などを導入した.こ れによってI社は,婦人用服地プリントなどを 導入し,品種転換による企業存続を図ってい る.山形の企業へもオートプリントの生産を委 託し,そして 2004 年に自社内の捺染工程はす べて塩川工場に集約された.

 J社は 1948 年,横浜市南区で創業し,合繊 生地の裏地やスカーフ・ハンカチ類の捺染加工 を行っている.J社は早くからオートプリント 装置を導入し,1985 年に横浜市金沢区の金沢 工業団地に工場を拡大移転し,1990 年に福島 県本宮市に福島工場を設立した.そして 2007 年には捺染工程をすべて福島工場に統合してい

る.

 捺染業者は,1970 年代から 80 年代の需要拡 大期に市内工場の生産設備の更新・増強や地方 分工場の設立,地方工場への委託によって対応 してきた.しかし,1990 年代以降の需要縮小 期においては,メーカーからの発注が減少し,

これまで投資された生産設備が過剰となり,さ らに人件費の高騰などによる生産コスト上昇を 抑えることができなかった.この結果,捺染業 の多くは廃業したが ( G社,H社 ),一方でI 社のように品種転換によって存続している企業 もある.いずれにしても捺染業など生産・加工 集団は,受注先 ( 市場 ) を失い,横浜スカーフ 産業からの撤退が顕著である.

Ⅴ 結びにかえて

  ―横浜スカーフ産業の存続形態―

 横浜スカーフ産業は 1970 年代まで輸出型の 大都市内地場産業集団として存続してきた.

1980 年代は国際競争力が低下し,国内市場に 転換したが,国内市場競争も激しく,1990 年 代以降は著しい縮小傾向を示している.

 第3図は横浜スカーフ産業集団の変化を表し たものである.生地商・輸出商は,基本的に流 通機能を強化し,同時に取扱品目の多様化を 図って企業存続を図っている.しかし,スカー フ等の取扱はきわめて少なくなり,スカーフ産 業から次第に撤退する傾向にある.メーカーは スカーフ産業で蓄積した技術と市場を活用して いるが,取扱品目の多様化のなかでスカーフの 位置づけは低くなっている.それでもメーカー のなかには横浜スカーフのブランド化を図り,

その直営店舗を経営するなど,販売機能を強化 して産地存続を担うものもいる.

 生地商・輸出商およびメーカーのスカーフ産 業からの撤退は,具体的な生産を担当する捺染

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業と関連業に深刻な影響を与えた.すなわち,

これらからの受注量が著しく減少し,多くの捺 染業と関連業は転廃業を余儀なくされ,生産・

加工集団は著しく縮小した.

 一方,横浜スカーフ産業の伝統技術とかつて のブランドを復活し,産地の存続を図ろうとす る形態もある.

 その第1は 2002 年のギルダ横浜協同組合の 設立である.この組合は日本輸出スカーフ捺染 工業組合が基礎となっているが,捺染・無地染・

デザイン・型製作・縫製工場など 38 企業が加 盟している.これは組合形態による受発注を行 い,生産企業集団として存続を図ろうとするも のである.こうした生産集団としての受注強化 の事例として横浜繊維振興会傘下の YTA21st 会 ( 会員 14 企業 ) がある.

 第2は 2002 年のD社の設立である.D社は 幕末から明治にかけて欧米向ブランドを形成し たが,その後は途絶えていた.それが 2002 年 にD社の子孫が「横浜から世界に通用するブラ ンドの復活」を掲げ,高付加価値製品の製造・

販売企業を設立した.素材となる絹糸・絹布は 全国から調達し,横浜の伝統的捺染技術を活用

して生産している.本店は当初横浜赤レンガ館 としたが,その後横浜山手町に移転し,2006 年には本店アトリエを東京世田谷に移動させて いる.

 D社の動向は横浜ブランドを基調としなが ら,付加価値製品の販売機能を強化しようとい うものである.

 第3は,捺染業G社の経営を引き継いだK工 場にみられるように,伝統技術を基礎として経 営を維持する形態がある.

 横浜スカーフ産業の存続メカニズムについて は未だ調査不足であり,今後の課題としたい.

謝辞

 本稿作成にあたって,横浜捺染業関連の各企業 の皆様には,ご多忙中にも関わらず多大のご協力 を賜りました.ここに感謝申し上げます.また,

東京学芸大学上野和彦教授には,ひとかたならぬ ご指導,ご助言を賜りました.ここに感謝を申し 上げるとともに,これまで長きにわたり東京学芸 大学地理学教室,経済地理学ゼミにてご指導いた だき,本年東京学芸大学を退職なされる上野和彦

転 廃 業

捺染業 関連業 メーカー

生地商 輸出商

生産・加工機能 横浜スカーフ産業集団

1970〜80年 代 1990 年代〜

転廃業 機能変化

第3図 横浜スカーフ産業集団の変化       (筆者作成)

(10)

Structural Change of Textile Printing Industry in Yokohama City, Kanagawa Prefecture

OKITA Koichi*

Keywords:Yokohama,Textile Printing,Function Change,Decline Process  * Seikogakuin Junior and Highschool

教授に,厚く御礼申し上げます.

1) 現在の工業技術院物質工学工業技術研究所.

2) 神奈川経済研究所編 (1981) による.

3) 横浜をはじめとする国内市場向けのスカーフ・

 ハンカチ類の数値は,横浜のメーカーが設立し  た日本輸出スカーフ等製造工業組合によってま  とめられていたが,2003 年にその組合が解散し  たため,その後の数値はまとめられていない.

4) 手捺染ともよばれ,捺染台にシルクスクリーン  の型をのせて,職人の手作業で生地に捺染を行  うこと.風合いのよさや両面同じ柄が捺染でき  る裏抜けという技術を行うことにより,付加価  値の高い製品が生産できる.

5) 自動捺染ともよばれ,平置きの捺染台にシルク  スクリーンが自動で移動し捺染を行うもの. 

 量産を可能とする装置.

参考文献

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 経済と貿易,132,pp.72-95.

清水規江(1976):スカーフの町 横浜(地場産業  の町).地理,21(6),pp.66-75.

清水規江・北村嘉行 (1981):関東地方における染  色工業の地域的展開.辻本芳郎編『工業化の地  域的展開―東京大都市圏』大明堂,pp.103-114.

立川和平・山田和利・沖田耕一・遠山恭司(2001):

 八王子織物業における産地の衰退化と機屋の機  能変容.学芸地理,56,pp.25-35.

中小企業研究センター編 (2001):『産地解体からの  再生―地域産業集積「燕」の新たなる道―』同  友館,191p.

日本輸出スカーフ等製造工業組合 (1989):『スカー  フ業界の系譜―組織と人脈―』日本輸出スカー  フ等製造工業組合,166p.

参照

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