資 料
デンマーク中世都市の法的・社会的諸問題
中世都市に関する諸研究において︑ドイツの都市法
Q S
2 1
5
円王﹀にあたる﹁都市特許状﹂(凶S
含円
四円
)を
もっ
て集
落を
都
市と成すとの見解が︑暗黙裡に︑あるいは明確に述べられてい
る︒もちろん特許状が都市に対してのみ賦与されたことは事実
であるが︑デンマークの史実は︑その結論をその有効性を失な
わしめずに逆転することを可能とはしていない︒
事実︑デンマークの中世都市を概観すると︑デンマークの主
要な地域において︑少なからぬ数の都市が特許状を保持してい
デンマーク中世都市の法的・社会的諸問題
ト
一才
ス
ス・リ
革 島
馨
訳
)11(2
)
ないか︑少くとも特許状が保存されていない︒
火災その他の災害による都市文書の消滅が特許状の欠如の原
因である場合があったとしても︑デンマークの中世都市の水準
としては大都市で︑しかも都市文書が比較的よく伝えられてい
るラナ
I
ス(
何回
口色
気回
)に
特許
状が
一通
もな
い︒
特許状を有する都市にのみ限由比されるのではないが︑都市自
治の基礎は︑大多数の場合︑国王あるいは領主によって賦与さ
(3
)
れた諸特権守口三日巾四百日)であった︒その語源からすれば︑
諸特権とは現存する法に対する免除であり︑多くの場合︑海岸
収入権︑その他の収入権といった﹁レガリア﹂公認と芯)に対
一三
九
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デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題
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地方・都市覧表
・Provinces
地方8Kolding
コリングSJ S
日nderjylland
南ユラン9Kors
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コアソェアNJ
‑・Nordjylland
j七ユラジ10 Landskrona
ランスクローナSJ;E SjreUand
シェラン島11Lund
ノレンドL Lolland
ローラン島12Malm
日マルモェFA Falster
フアルスター島13Maribo
マリボーM Mi;m
モェン島14Nrestved
ネストヴェドFY Fyn
フュン島札15Nakskov
ナクスコウSK Skane
スコーネl6Nyborg
ニュボー17
Odense
オーデンセTowns
}都市18Randers
ラナース :lAbenra
オーベンロー19Ribe
リーベ 2,Alborg
オルボー20Ronneby
ロネピュ 6Copenhagen‑K
日bephavn
コベンパーゲン21Roskilde
ロスキレ 3Flensborg 、
アレンスボー22Skagen
スカーゲン 4Halmstad
ハルムスタド23Slagelse
スラーエルセ 5Helsing0r
ヘルシンゴェア24Slesvig
スリースヴィ 6K
日benhavn‑Copenhagen
コェベンハウン25T
日nder
トェナ 7K
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コェーエ26Viborg
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デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題
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γ、~・する処分権に限定されている︒この種の特権が領主︑通常国王
に対する収入滅を意味するので︑国家財政に対する負担は時に
深刻であり︑中世末の二世紀問︑諸特権賦与政策は︑より制限
されることになったのである︒
都市が王領地に建設されたか否か論じられてきたが︑その答
えは決定的ではない︒しかし︑たとえ都市自体の特許状(都市
法)ではなく︑その地方の法あるいは慣習法を守るとしても︑
都市は司法上の自治を有することが都市に個有の性格であった
といえよう︒都市自体とその耕地から構成される都市の領域に
ついて詳細な記述をみるのはしばしばである︒都市と耕地の事
四
実上の境界は市壁であるが︑デンマークのすべての都市が市壁
をめぐらしていたわけではない︒十七世紀中葉まで︑都市とそ
(4
﹀の領域との聞に︑司法上︑ならびに財政上の区別はなかった︒
ある点で︑一方で都市とその領域︑他方で都市と農村との聞
に認められる法的境界は︑極めて明確で︑例えば︑デンマーク
の多くの都市において︑市民は都市外に庇護者を求めることがハ
5)
許されなかった︒その理由は︑おそらく︑十三世紀中に多くの
自 由 農 民 合 己
4
冊目
R O
﹀は領主の庇護を求め︑かくして領主の
保有農公何回同えるとなり︑課税されうる自由農民の数を減少
(6
﹀させ︑国王の収入を減少させたからであろう︒おそらく法は︑
都市においで類似の状況の発生を防止することを企図したので
あろう︒また都市と農村との区別は極めて明確である︒すでに十
( 7 )
二世紀に︑スリ
l
スヴィ(臼g i
巴に︑召喚権
C 5 2 0
円三
広三
田﹀
が認められる︒これは︑都市の法廷によって事件が審理される
以前に︑都市外の法廷に市民は召喚されることがないことを意
味している︒実際には︑都市は︑しばしば︑周辺の農村領域の
法廷
( F
2 3
3
の所在地でもあるが︑しかし裁判管轄権は明確
( 8 )
に︑区分されていて︑お互いに抵触するものではない︒
都市生活を規制する法は︑すでに述べたように︑都市特許状
ならびに諸特権︑あるいはそのいずれかであり︑さらに都市自
体の制定した市法令色百四
Z3
がある︒都市特許状を仔細に検討すると︑いくつかの場合都市自体が起草し︑領主はただそ
(9
)
れを確認したにすぎないことが明らかになる︒他の場合︑領主
( 川 出 )
側で特許状を念入りに作成し︑都市に与えたか︑あるいはま
た︑領主が他の都市の特許状と同文の特許状を与えたことがあ
る︒このことは諸特権についても当てはまることである︒即ち
都市は他の都市の享受する諸特典
( E
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骨品
︑諸
特権
(唱
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‑叩
岡山
R
V
を行使する権利を与えられている︒都市自体が制定し
た市法に関しては︑領主の承認を得るために提出されることが
(日)あった︒このように︑都市生活の法的基礎は︑レガリアをめぐ
る領主と都市の配分を規定する諸特権︑都市特許状︑その他の
市法から構成されていた︒諸特権は領主一門通常国王または君侯︑
時には教会)によって賦与されたのに対して︑都市と領主その
いずれも新しい市法を制定する発議権を有していた︒その場合
発議された側は︑受容権あるいは拒否権を留保していた︒ここ
に特に附言すべきは︑原則として諸特権は取り消しうるもの
で︑諸特権を賦与した者の生涯にわたってのみ有効であった︒
市参事会合匙)の出現以前の市政のあり方は︑極めて駿昧
である︒市政に専念した﹁町年寄﹂
( 8 5
丹
28
・ ∞
g
E g
的﹀
と
(mM) 呼ばれる制度が存在したことが明らかである︒年寄という語は︑組合の年寄
( 0
5 2
5 8
邑)にも用いられたので︑少くと
もある程度まで︑市政が組合の年寄りによって担当されたもの
と考えてはと提唱されてきた︒しかし︑この仮説を支持する証
( 日
﹀
拠は極めて乏しく︑決定的と考えるべきではない︒市参事会は
十三世紀中葉に出現し︑当時のドイツ︑ポーランド︑スウェ
1
(M
)
デンにおける場合と同じく急速に普及した十︒市長職守口吋開I
デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題
自由
仲良
一
vは︑二二四二年スリ
i
スヴィに初出であり︑年頃には︑デンマーク全土に広く知られた︒
一般に︑市参事会は︑新しい市参吏耳員を互選した︒しかし
いくつかの例外がある︒一四一六年までロスキレ
( H N g
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与の司教に属したコベンハlゲン(の
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)
た︒しかし将来首府となるこの都市を支配した国王は︑市参事
︹ 叫 山 )
会に互選権を賦与した︒オiヂンセ
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において︑市
参事会と市民との緊張は︑一四九五年の国王の布告となり︑新
しい市参事会員一の選挙に関する特別法を定めることとなった︒
即ち十五の市区公包与の長は︑﹁市民﹂全体とともに囚名を
選び︑そのうちから市長と市参事会↑員とが新しい市参事会員を(げ)選任することとなった︒
新しい市参事会員の任命は︑通例市参事会に委ねられていた
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ベン
ハl
ゲン
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合の
領主
の強
固な
掌握
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ンセ
にお
ける
より
民主的で︑寡頭支配的でない事例は例外である)のに対し︑市長の
指名に関してはそうでなく︑通例国王の留保するところであっ
た︒政府が都市の忠誠を認める場合︑国王はその権利を放棄し
(凶 )
たが︑特に不穏の時には︑国王は︑就中一四回↓年以降の一連
の諸特権にみられるように市長の指名権の統御を通じて︑都市
(印
﹀
支日
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付油
相陣
せん
とし
た︒
都市法廷守三宮間﹀は︑都市の通常の裁判所であったが︑そ
の山尚現の直後市参事会も︑司法権の行使に参与した︒このニラ
一四
Q O
}四
三
デンマーク中世都市の法的・社会的諸問題
の機関の役割の境界の決定は困難で︑おそらく事態は都市によ
って異なるものであった︒この件に関する所見は︑中世の史料
にもとづいてなされる予備的なものにすぎず︑十六世紀の史料
の吟味を加えることにより︑より決定的な結果が与えられよう︒
ピユテイYグ通例︑都市法廷は︑﹁ピュフォ
i
ェド
﹂
9 1
0
四昆)あるいは﹁アドヴォカlトス﹂守色
4 0
8 2
6
と呼ばれる国王の代理によ
って主宰される︒しかし二つの主要な地域︑都市リl
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包
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をともなうスリiスヴィ公領とオェアスン海峡
( 8 8 2
ロ
3
のピコフオI
エド
諸都市において︑市参事曾と﹁王の代官﹂との裁判上の協働が
( m出 )
認め
られ
る︒
法廷の機能は︑二つの項目︑即ち係争の解決︑布告の公示︑
証言等とにわけられる︒規範的文書(特許状︑諸特権)におい
て︑公示の機能は︑都市法廷に帰しているが︑いくつかの都
市︑二ニ
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年頃の
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市︑即ち一三
OO
年頃のフレンスボi ( E S
田宮
門巴
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四
00
年頃のスリlスヴィにおいては︑公一不は市参事会に属する機能
ハ 幻 ) ピ ユ テ イ ン グ
であったしまた実際には︑告示は通例︑都市法廷によって行な
われ
た︒
係争解決に関するこつの機関の役割は︑都市によって異な
ピユテイングる︒通例刑事事件は︑都市法廷に属オるが︑リーベ市におい
て︑またある程度スリl
スヴィにおいておそらくオルボ
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( ﹀
8
2
巴においても︑市参事会によって取扱われ︑ロネビュ( 忽
﹀
( 問 ︒ ロ
ロ 叩
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G
では市長によって取扱われた︒
一四
四
東デンマーク法の地域︑(即ちオェアスン海峡以東の諸州)
において︑市参事会は︑十四世紀中葉より︑産業規制に関する
(勾 )
係争事件に関する権限を有していた︒この原則は︑一三三二年から一三六
O
年の間スコ!ネの玉でもあったスウェーデン国王マグ
ヌス
王(
云回
開口
5 口回
1日 古 田op
Hω
忌│自己によって取り入
れられ︑かようにしてスウェーデン法に由来するものである︒
しかしながら︑スリlスヴィ公領のトェナ(寸E
口 品 目
δ
では︑!l一二四三年リュlベックの都市法を継受したが111都市自体の
制定じた市法の支配する領域内の係争について市参事会が判決
( 削 叫 )
を下すとの原則が表明されている︒極めてしばしば︑これらの
市法は︑市参事会によって制定された産業規制に関するもので︑
このことが多くの都市で手工業者が無資格の故に市参事会員に
なりえない理由を説明している︒このようにして︑次のように
結論してよいと考えられる︒即ち都市にかかわる事件︑都市自
体の制定した市法にかかわる事件についての裁判権は市参事会
( お
﹀
に属し︑このような特徴はリュlベックからの影響を︑即ちト
ェナの事例のように直接に︑オェアスン海峡以東の都市の事例
のようにスウェーデンを通じて間接に受けた
L
ので
ある
と︒
さらに︑現実に取扱われた事例は︑市参事会が︑相続︑財
産︑商業の諸問題をじばしば取扱ったことを示している︒ある
都市では︑都市住民間の係争は都市法廷に委ねられる前に市参
(お )
事会で論議さるべきとしている︒このことは︑もちろん都市法廷によって取扱われる前に係争解決の効呆がある︒特にリlベ
において︑スリ
l
スヴィ公領︑ォェアスン海峡周辺の諸都市のピユフオ1
エド
事例のように︑﹁王の代官﹂と市参事会との密接な協働が存在
しない限り︑市参事会の係争解決機能の重要性の増大の結果
は︑都市の司法権の自立性の増大と都市法廷によって代表され
る政府の司法権の弱体化をもたらしたのである︒かようにし
て︑一五二二年の短命に終った﹁世俗法﹂守司
H 0 4
が︑市参事
会と国王の代表者から構成されるひとつの法廷を創設したの
は︑おそらく論理的であったのであろう︒
十二世紀中︑司教都市では﹁プレフェクトス﹂(買おな
目 )
n g
ハ幻 )
と呼ばれ︑時には﹁ヴィリクス﹂(三百円戸田)︑後には﹁エクザ
ハお
)
クト
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と呼ばれ︑十三世紀中葉以降は常に﹁フ
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ェド
﹂(
宏肉
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︒と
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アド
ヴォ
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﹂(
回品
40
円三
己目
)と
フオ
Iエピ﹃呼ばれたのであるが︑領主の代表︑﹁町役人﹂は︑通例民事上
の権限を有するにすぎなかった︒軍事上の権限は︑行政区の中
心であった主要城塞の隊長
( S H V
民自由︒に属していた︒中央政ピュフ寸1
エド
府の直接支配した諸都市において︑﹁王の代官﹂が︑権限委託
にもとづいて国王を代表したし︑主要城塞の支配下にあった諸
都市において︑彼は隊長によって選任されたので︑権限の再委
託にもとづいて国王を代表したのである︒複数の領主じ支配さ
フオ
1
エド
れた諸都市にあっては︑領主はそれぞれ︑一人の﹁町役人﹂に
(勾 )
よって代表されていた︒リーベにおいて︑城塞の隊長と都市
プオ
tzドとがそれぞれ一人の﹁町役人﹂を指名した︒中世後期を通じて
ピユフオ1
エ ド ( 初 )
市参事会は︑﹁王の代官﹂を指名する権利を有し︑ごく稀な場
デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題
︿ 紅 ) ( 叩 剖 )
合︑彼は市長あるいは市参事会員でありえた︒すでに述べたよ
うに︑彼が都市法廷を主宰し︑国王に帰属する収入を徴収した
ので
ある
︒
ピユフオ1
エド
市参事会員と﹁王の代官﹂を除いて︑最も重要な都市の役職
者は︑収入役
9 8
B
ロ叩吋)であった︒いくつかの都市で︑特に規模の大きい都市において︑複数の収入役がいた︒史料上の初
(お
)
出は
一一
ニ
OO
年頃である︒通例市参事会によって指名された︒オlデンセでは︑それにもかかわらず︑収入役は︑一四七
O
年( 引 制 )
代には市参事会員であった︒しかし中世末期に︑都市の経済的
管理に関して市民が信用を置かなくなるにつれて︑収入役の職
(お
)
務は公の義務となった︒
市参事会は経済的処分をむしろ自由に︑即ち何の制御もなく
行うことができたようである︒市参事会が財産を売買する権利
は︑すべての都市にみられ︑(一四七四年に︑ラナI
スに
おい
て)
民
( 叩 叫 )
衆の批判をひきおこした︒二ニ六六年︑コベンハiゲンにおい
て︑市参事会は︑聖ゲ寸lグに奉献された瀬病院の基金を管理
ハ幻 )
していた︒十三世紀末に︑二一九四年の新しい特許状は市参事
会が貸付を受けることを禁じている︒ロスキレの市参事会は借
金をしたが︑市の宗教領主ロスキレの司教によって承認されな
かったことが明らかである︒同司教は個人が個人の責任で借金
をすることを禁じたわけではないが︑都市の名儀で借金するこ
とを禁じたのである︒このことは数回おこり︑深刻な結果をも
たらした︒即ち﹁富裕な者が貧窮化し︑なにがしかの資産を有
一四
五
デンマーク中世都市の法的・社会的諸問題
( お﹀
しな者が今や物乞をしている﹂︒残念なことに︑史料は財政的
逼迫の事情を語らないし︑都市が何故このような債務を負った
のかを語うてはいない︒
ここに都市財政に対する領主の統制の一例をみるのであり︑
より頻繁であったと思われるが︑史料的にはコベシハlゲンの
事例しか知られていない︒しかしながら他の形態の統制があ
る︒即ち中世末に比較的多7くみられるのであるが︑市民による
統制である︒ある地域において︑例えばオェアスン海峡以東の
諸郁市(マルモェ(冨と自由)︑ルンド
( F 5 3
︑ロ
ネピ
ュ﹀
にお
い
て︑国王収入の徴収は︑十四世紀以降二名の市参事会員︑﹁王
フ+71エ
H F (
叩 ぢ
の代{自﹂︑二名の市民によってなされねばならなかった︒これ
らの例は︑他のデンマークの都市に比してむしろ早期の事例
で︑十五世紀の末には全国土にわたって比較的多くみられた︒
大都市において︑即ち︑コベンハlゲン︑マルモェ︑ォl
デン
セ︑オルボーでは︑市区の長が知られていて︑彼等は市民の代(紛)表と見倣されていた︒ォ!日アンセでは一四九五年以降彼等は年
に↓度選出され︑市区の収入を徴収し︑市参事会と市民に対し
( 日 出 )
て会計報告を提出している︒
↓般に会計監査の集会は︑中世の末年に︑より頻繁に開かれ
るようになった︒一五
OO
年頃︑フレンスボiにおいて︑市参事
会は︑年一回市税の会計報告を(民衆の代表としての﹀八軒の家
(必
)
持市民に提出すべきと定めている︒一五二
O
年マルモェ市では︑収入役の会計監査が公開でなされたのに対し︑同じ頃コベンハ
一四
六
ーゲンでは︑市参事会︑市区の長︑ある一定数の市民の面前でな
( 円 相 )
された︒ォ!日アンセでは収入役は︑市区の長がなしたと同様に︑ハ
HH
﹀市参事会と民衆の前にその会計報告を提出したし︑三五一周
年以
来)
リ
lべでは︑租税の再賦課は︑市参事会と市会以外の
二十四名︿このようにして市参事会は小数派となったが﹀によって
決定され︑八名の者が租税を徴収し︑ムE↑計報告を提出した︒市
の会計報告の監査は︑公開で行なわれ︑年一回行なわれた︒最
終的な余剰金は市の金庫に納めらるべきで︑二名の市参事会員
(MW) と二名の市民がそれぞれ鍵を持ヲていた︒
かようにして︑以下のように結論してさしっかえないであろ
う︒即ち︑中世末に都市財政に対する民衆の統一制が増大し︑収
入と支出の管理・運営を市参事会の手から取りよげ︑多かれ少
なかれ民主的に選出された役職者の手に委ねたと︒しかし︑こ
のような傾向は︑規模の大きい都市にのみ認められ︑規模の小
さい都市の財政問題について史料はむしろ寡黙であることが強
調されねばなる7
まい
︒
『 {
史料に︑しばしば外来者が︑大抵商人として登場する︒彼等
は市民と同じ権利・義務を有していないが︑冬の間都市にとど
( M叩 )
まるなら︑他の住民同様市税を納付せねばならなかった︒市場
で取引きずるためには︑市民が免除されていた税を支払わねば
( 幻 )
ならなかった︒外来者は︑小売業に従事することを許されなか
︹必 )
ったことが特徴的で︑これは明らかに都市の商業を保護する手
段であった︒
十二世紀以前のデンマークの都市に外来者の存在を確認する
ことが史料的に困難である︒一一三
0
年代の内乱について叙述したサクソォ色白凶O)は︑二一
OO
年頃について次のように述べている︒即ちロスキレにドイツ人の居住地があり︑その一人
は製靴工であって︑さらに市の附近にスラヴ人定住地が存在し
( 川 明 )
たらしく︑ロシア人が時々都市を訪れたと︒スリlスヴィの最
古の(十三世紀前半の)都市特許状から︑アイスランド︑ザク
セン︑フリイスランドからの外国人が都市を訪れたことが明ら(印)かであり︑十四世紀の中葉ウエストフアリアのゾ
1
スト
3 0
冊 目 円 )
ハ町出)にスリl
ス ヴ ィ と 取 引 す る 商 人 の 組 合 が あ り
︑ シ ュ タ
! デ
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仏るに︑リーベやデンマークと取引する商人の組合があ
(招
﹀
った︒中世の末スコットランド人が︑オェアスン海峡のシェラ
ン島側(ヘルシンゴェア(出色白山口宮品︑コベンハlゲン︑コェ
(幻 )
I
エ(
同苗
間一
岳地
区)
に出
現し
た︒
ある都市では外国人の数も多く︑その影響力も強いので︑彼
等は別のギルド︑組合を結成した︒その生国が記されている場
合︑彼等は常にドイツ人で︑就中バルト海沿岸の諸都市(グラ
イフスヴT
ルト
ハの
円巴
貯司
自広
)︑
シュ
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テン
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ZH
HU
)︑
シュ
トラルズンド︿
ω
可 曲 目 印
53
︑ヴィスマ
I
ル(巧ぽ吉田与の出身で( 日
﹀
あった@彼等のお気に入りのデンマークの諸都市は︑オェアス
ン海峡地区のそれらで︑海峡の練漁業やスコlネの定期市の重
デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題 要性に鑑みて︑驚くべきことではない︒
この地域の外で︑デンマーク人と外国人の共同の組合は︑デ
ンマークの中世都市の水準としては大都市であったオlデンセ
(出)とオルボlにみられた︒一四四三年の条令によれば︑コペンハ
i
ゲンで︑城の指揮官と市参事会が︑デンマーク人の組合や手工業者のギルドの役職者を指名したように︑ドイツ人の組合の
(白山﹀役職者を承認すべきものと定めている︒一四七
0
年代の政府の﹁国民的﹂商業政策は︑ドイツ人商人とデンマーク人商人を一
律化しようと試み︑外国人を冬の間デンマークにとどめないよ
うにしている︒コベンハ!ゲンとマルモェの両市で︑政府は単
︿ 幻﹀
一の商人組織を創設しようとこころみている︒
明らかに︑他の都市にも︑ドイツ人がいた︒スウ子│デンの
カルマlル(同巳自由吾︑ストックホルム
( ω
g n
E 5
‑ B
)
のよう
に市参事会におけるドイツ人の影響が公に認められていないに
せよ︑ドイツ人の市参事会員は︑コベンハ
i
ゲン︑オルボl︑リlベ︑ォ!日アンセ︑スラl
エル
セハ
白
ω ‑
血冊
目出
品︑
ロス
キレ
と国
内の大都市の多くに見出された︒一四八三年国王ハンス(民即日‑
E ∞
Hi
Hm
He
の特許状では︑外国人が都市の役職︑あるいは市
(四四﹀参事会員に就くことを禁じたが︑必ずしも実効はなかった︒
都市内のドイツ人人口はどれほどの比率であったのか︒氏名
の不確さの故に︑我々は推測するにとどまる︒命名法は︑流行に
よって異なるものであり︑子供達はその先祖の名をつけられる
こともあった二三七五年コベンハlゲンでは︑市民の約二十パ
一四
七
デンマーク中世都市の法的・社会的諸問題
1
セントがドイツ系の名を有していて︑二二八O
年の土地所有者の五六パーセントに対応している二四三六年︑フレンスボー
では︑土地所有者の二五パーセントがドイツ系の名である︒一因
︒六年︑スリ
i
スヴィでは︑土地所釘者の二O
パーセントだけが( 出 国 )
デンマーク系の名である︒最後に挙げた二市はハいずれもスリースヴィ公領にあるが)︑このことはドイツの商業的浸透の影響だ
けでなく︑地域全体に対する漸次的ドイツ化の影響であろう︒
デンマークのみならず︑ヨーロッパの大部分についても︑中
世の都市生活に関する最も重要な諸吋題のひとつは︑市民と非
市民の区別を明らかにすることであろう︒コベンハlゲンとコ
リング(同色白宙開)において︑市民のみが︑宅地または家屋を所
( ω
﹀有しえた︒また他の都市では︑土地所有者のみが証言と宣誓を
なしえた︒これらの都市はトェナ︑フレンスボl
︑
ォ
i
デン
(山山)セ︑そしておそらくリ
i
ぺであったので︑この条項は︑リュlベックの都市法に起源を有し︑一二四ゴ一年にトェナ市
ι
継受され︑一二六九年にリ
i
ペ市の条令に取り入れられたものであろ︑﹁
ノ︒
( 位
﹀
( m ω
﹀市税の支払いは︑未成年者の後見人︑市民となって附施する
権利を享受したい人に対する条件であった︒
ll
ーその権利と( 山 田
﹀ ( 侃 )
は︑市場の利用︑卸売り︑ピlル醸造と販売︑皮革と家畜の取
︹ 町 田 )
引であるが︑しかし納税が自動的に市民権を賦与することにな
(m
w)
らなかった︒おそらく︑財政的理由から︑市民は︑その妻とと
もに一年間家財を持って海外に移住するとその市民権を失つ
一四
八
た︒この条項は︑コベンハlゲンから影響を受けた法領域(オ
ェアスン海峡の諸都市とスカ
i
ゲン(罪認自﹀)に見出される(同叩﹀
はず
であ
る︒
現代の市民権と異なって︑市民権ほ一定の犯罪︑即ち領主に
対する反送︑領主裁判権の無視︑きらに市参事会への不服従に
よって取り消されえた︒これらの諸条項は︑コベンハlゲンと
︿
ω )
オェアスン海峡以東の諸都市に見出されるはずである︒一四八
八年以降のマリボ
i
(
呂田巴ぎ)の特許状によれば︑市民は︑修道院に対して忠誠でなければなちない︒この修道院は都市の
領主であり︑都市内の定住権を与えるものであった︒修道院以
外の領主を選べば︑あるいは非行の故に︑一逗留の許可を失つ
(市
)
た︒この条項は︑市民が貴族の庇護を求めることを禁ずること
を企図したものであろう︒
保存されている最古の条令中︑とくに十三世紀前半のスリー
スヴィの条令中に︑ドイツ法でよく知られている﹁都市の空気
( 礼 )
は白自にする﹂との原則に我々は遭遇する︒二一八四年のフレ
(mM)
ンス
ボ
iの特許状に継受されたが︑スリースヴィ公領外の都市
(例
えば
ナ
Fス
ヨウ
ハ
Z田
Z E
3 2
ベン
ハ
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ン︑
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ソェ
ア(
問︒
円&
︒︑
︿明日)ある程度までマルモごにおいては一五
OO
年まで現われない︒
一三
一一
一豆
年の
オl
ベン
ロ
l(
﹀ぴ
gE
﹀の特許状によれば来住する市民は︑その到着後六週間以内に市民登録料
92
宮B E ‑ Z l
旬︒口問与を支払わねばならない︒同じ原則は︑中世末期のコベ
ンハ
1
ゲン・グループの都市特許状︑即ちコベンハlゲン
︑マ
ル
モェ
︑一
アン
スク
ロ
l
ナ(
円︑
目白
山田
宵吋
O口
同)
︑ハ
ルム
スタ
ッド
(回
目
‑ s i
︿町内﹀白押印
3
︑ヘルシンゴェア︑スカiゲンの諸都市に見出される︒じかじ一二九四年のコベンハlゲンの特許状と一三三五年のオ
i
ペン
ロ
l
の特許状は︑来往する市民の出身地から︑善行に( お )
関する証明を要求している︒上述のコペンハlゲン・グループ
の中世末の特許状では︑都市に来住する市民は︑かつての主人
のもとを︑なんの異議をとなえられることなく︑辞すべきこと
︿m
と定め︑上記の規定を修正している︒おそらく︑この方策は︑ m﹀
農業労働力の不足がなお深刻であった時期に︑謄本土地保有者
がその義務を免かれるζとを紡ぐためのものであった︒
十五世紀の政府にとっての急務は︑新しい市民が都市内に恒
久的に定住することを確保することであった︒これこそが︑国
王ク
リス
トア
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世が
(の
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田門
口問
V F 2
ロデ
区
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怠∞
)︑
一四
四
六年マルモェの都市に与えた特許状の中で︑市民になるに際し
て︑市民は結婚し︑少くとも三年間都市内に落ちつくことを約
︿阿川﹀束すべきと定めた理由である︒同じ考え方が︑一四八三年
l
九三年と推定される国王ハンスの布告にもみられる︒即ち︑市民たらんと希う外所者は︑一カ年にかぎり︑市民となりうる︒そ
の後は︑都市内に落ちつくか結婚する意思を示さねばならない
(抱 )
L
﹄ ︒
中世末のコベンハ!ゲン・グループに属する都市の特許状に
特有のことは︑手工業者もまた市民でなければならないと定め
たことで︑コペンハ
1
ゲン︑へルシンゴェア︑スカlゲンに認デシマ!?中世都市の法的・社会的諸問題 ︹刊日﹀められる︒この規定は︑スコ
I
ネの諸都市の法︑特に二一一二八年スコlネの諸都市の代表によって採択された共通の法から影
響を受けたと思われる︒即ちその法とは︑都市内で生まれ︑そ
こで子供として生活しなかった者は︑都市内で生まれ︑そこで
子供として育った婦人と結婚しないかぎり︑市民登録料を支払
ハ印刷)わねばならないと定めている︒
これらいささか厳格な諸条項は︑都市に新しい市民を到来さ
せ︑しかも新来者は︑永久に都市に定住し︑都市の繁栄を願う
申し分のない行動をする人を確保しようとした中央政府ならび
に都市当局︑都市領主の関心事を示している︒
しばしば︑貴族は都市内に家屋を所有し︑彼等の家屋に対し
(創 )
て他の者同様通常の租税を納付しなければならかった︒しかし
スコ
lネの法域では︑貴族ハまたは教区の司祭﹀自身が居住して
(m
いる家屋に対して税を免除する傾向があった︒他の都市︑例え M﹀
ば︑コペンハl
ゲン
Tトェナにおいて︑(後者は︑リュ1
ベッ
タ
の都市法に依拠しているが)︑都市内の家屋を貴族が所有すること
(m
ω)
を防ぐに熱心であった︒市民が都市外に庇護者を求めることを禁じる諸条項をみるが︑ヴィポ
l (
ヨ ヴ
O円巴やオルボlにおい
て︑農村の貴族が都市住民の庇護者となりえないと定めたこと
(似 )
は︑あまりにも論理的である︒ある都市において︑都市民と貴
族との関に強い依存関係があって︑そのような関係は︑貴族と
都市民の間にひとつの社会的集団の存在によって認められる︒
貴族は︑少くとも一五
OO
年まで︑しばしば市参事会員を選出一四
九
デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題
( 邸
﹀
して
いる
︒
経済的分野において︑貴族と都市民の境界を明確にするとと
は困難である︒貴族は都市の媒介なしに︑その家政の必要をだ
足するために直接交易する権利を有していた︒しかししばし
ば︑貴族の手による交易は︑家政のための交易の範闘を逸脱す
るものであった︒都市は抗議したし︑中世後期の政府の交易規
(Mm﹀制は︑貴族によるが︿日明を制限しようとした︒
しかし︑交易に関心を持った貴族は︑都市の商人ギルドに加
入した︒一四二一年には︑ニュボ
1 (
2 1
u o
G )
械の守備隊長
は︑ニュボiの市民権を要求し︑またそれを獲得し‑何の制約
( 凹 引 )
を受けることなく合法的に交易することを可能とした︒たとえ
多くの場合︑都市民と貴族の関係が良好であったとしても︑貴
族の手による交易の問題は︑紛争の原因となり︑一五三
0
年代の内戦の時に表面化した︒都市に関して︑聖職者の地位は︑多
くの点で︑特に都市内の財産と商業的利害の点で︑貴族のそれ
と類似していることをつけ加えるべきであろう︒
市参事会の仕事のひとつは︑手工業者を統制することであっ
た︒このことが手工業者を市参事会より排除する主要な理由の
(鴎 )
ひとつであった︒他の理由は︑市参事会が都市民を統制し︑十
主世紀のドイツ諸都市︑一例をあげればリュ
1
ベックに惹起したような都市内の紛争を防止しようとするのを中央政府が支持
したこみであろう︒デンマーク諸都市と北ドイツ諸都市の強い
文化的関係︑商業上の関係に鑑みて︑デンマーク政府は︑革命
一五
O
的運動の波及をおそれたのかも知れない︒
我々はマルモェとおそらくルンドにおいて︑手工業者が市参
(町田﹀事会員であった二︑三の例を知っている︒寸!日アンセにおいて︑
一四九五年以降︑手エ業者は市参事会から排除されなかった
が︑自分の営業を中止し︑同職組合(回目るから脱退しなけれ
︿鈎 )
ばならなかった︒また他の面から︑手エ業者の地位は︑中世末
に改善された︒国王ハシスじよって賦与された特権によって︑
オルボ!とネストヴェド
(Z
何 回
2 a
﹀の手工業者は商人として
(州出U交易することができた︒その後継者クリスチアシ二世︿CV
己中
広田口戸民日
l H
問NM)は手工業者に対し︑商人の営業を開放し
た︒その条件は︑手工業者が交易にあたって商人に参加するこハm
出 )
とであった︒しかしこの展開は︑一五二三年クリスチアン二世
の敗退後中止されたのである︒手工業者は︑都市の中産階級に一一属するものと考えられ︑その
職業教育によって︑その出生によって︑同職組合への加入条件
としての結婚において︑下層階級と区別された︒下層階級は︑
特に貧民と慢性的な病人とから構成され︑その病気は社会に対
する脅威と考えられ︑特に癒病人は︑中世後期には︑都市の周
辺ではあるが︑都市外に隔離きれたのである︒向様のことが精
(幻 )
神病
者に
もあ
ては
ま円
以た
︒
手工業者の寡婦は︑その夫の死後も営業を継続する権利を有
門川出)していたが︑積極的に蛍業していると史料に記されている婦人
ハ白山)の多くは︑飲料特にビlルの販売業であった︒社会的に彼女等
は手工業者と位置づけられ︑市参事会の支配下に置かれた︒オ
ェアスン海峡地域の諸都市において︑彼女等はデンマーク産の
ピlルしか販売できなかったが︑外﹂国産のピlルの販売機は︑
市参事会の滴番に留保されていた︒フレンズボlにおいて十四
世紀末︑他の解決策が見出された︒即ち︑ヴィスマiルから輸
入されたピ
l
ルの販売を許された八軒の宿屋一が設定され︑市参事会によって給与を与えられ︑また統剖されている婦人達によ
( 川 出 )
って︑それぞれの宿屋での販売が管理された︒
ヨiロッパ各地の中世末期は︑不穏な時期であった︒たとえ
デンマークはドイツのように都市内の反乱を経験しなかったと
して
も︑
一四
四一
O
年頃農民の反乱が多発した︒クリストアア三山の政府は︑一四国
O
竿から一四四一年の冬の聞に︑デンマlハ削別)クの束部地方円いある諸都市に一連の諸特権を与え︑明らかにユ
ラン地方とフュン島に反乱の蔓延を阻止することを試みたので
ある
諸特権は︑市参事会が手工業者を統制し︑ギルドの結成を規 ︒
制することを定め︑手工業者の武装と市参事会に対する団結を
禁止し︑さらに市参事会員の選出に関する規制を強める方策を
取った︒他方︑これらの諸特権は︑これまで国王にのみ留保され
ていた国王収入の一部を都市に与えた︒諸特権の基調は︑都市
に対する経済的譲歩︑市参事会の権力の再強化として措かれ︑こ
デンマーク中世都市の法的・社会的諮問題 れらが都市内の法と秩序を維持する保障であると中央政府は考
(間四﹀えたのである︒一四四一年以降の時期について知られる諸事例
は︑政府がグリスチアン二世の治世以降までこの政策を遂行し
︿m出
v p g v
たことを示し︑係争点は︑我々の知るかぎり︑都市の財政運営
と市参事会の構成
ll
B選挙によるか互選によるかという乙とで
(]戸(}同一)あった︒これらの諸岡題は︑また十四世紀・十五世紀のドイツ
都財の紛争のそれであり︑その場合と同じく市参事会に対する
( H C M )
反対は︑あらゆる階層の人からなりたっていた︒
デンマークの都市内の闘争は︑ドイツのそれに比して︑やや
おくれて発生した︒このことは︑おそらく︑デンマークの都市
生活の経済的︑社会的発展のおくれを表現するものと考えるべ
きで
あろ
う︒
一五
一一
一年代の内戦は︑しかしながら︑都市が都
0
市としての利害を確保しようと試みた戦争であったが失敗し
た︒都市が再び影響と力の増大を始めるには︑さらに一世紀を
必要としたのである︒
ハ1
)
本稿は︑一九七八年五月二十日︑立教大学で閃かれた﹁比較都
市史研究会﹂でなされた報告である︒草稿の段階で目を通し︑種々
助言
して
下さ
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︒宮町宮向︒♂﹀号
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謝し
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︒
(2
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次表に示された特許状の数は︑次の文献史料にもとづくもので
ある
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内問
gg
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巴自自耳目白岡
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何色
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︒︿
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一五
1ト入Pーれを担給十岳Q土足宕・#~\1丞摺霊鰻
皆保←>(lO記~時*~ベJ'Ì'{~蜘抑ヰわや早;';1)号う眠時。
(円)Thomas Riis: Les institutions politiques centrales du
Danemark, 1100:‑:1332, Odense, 1977, pp. 222ー226,お3‑310.
(司)Slesvig no. 2 gg 16‑17, 19; Halmstad no. 4 ~ 8; Haderslev
no. 1 ~ 3 (1292).
(回)Charters for Copenhagen of 1254 9 14 and of 1443 V 89
5‑6 (Malm世no.25 9 22, Landskrona no. 8!i 22, Helsing
.p
r no.9 g 33, Skagen no. 6!i 14). 制九.(I!1K世geno. 4 (1229), Naks
kov nO.7 (1307), 1 1蓋i同母K11-1骨Q穂綿~!1ltt'.'ぱ心兵~~~車
!i 5, Kolding no. 5 g 13 (1452), Viborg no. l!i 7 (1440), Varde
no. 2!i 17, Alborg no. l!i 6 (13 (4) 2), and Hj<trring no. 4
!i 6 (1505).
(坦)Aksel E. Christensen : Kongemagt og AristokratiくKing‑
ship and Aristocracy), K<tbenhavn, 1945 (2nd ed. 1968),
pp. 116‑117.
〈ト)Diplomatarium Danicum (当トDD..IJ密日司令時)12 K世ben.
havn, 1963, no. 95 (1146‑1157). = Slesvig no. l!i 1.
(∞) Nyborg nos. 2‑3; Storeheddinge : Repertorium Diploma‑
ticum regni Danici mediaevalis, ed. Kr. Erslev and W.
Christerisen, Kぬenhavn, 1894‑1939 (おトRep...IJ鐙!話~+---時〉
1 no. 5503 (1415, 31 January); RoskiJde DD 111 2 no. 291
(1346), Rep. 11, no. 355 (1454).例記'時3ト入Q寝i'¥域限..IJ=!:‑、
ャー長-(;緑*~話槻(;l:li1~:t!'同{Ilë\U~号。~叫"'\U.号令申。cf.Viborg
口o.12 (1495).
〈∞〉ふJ8吋r、!1,..l
ν
,n K~ヤ-"~1111く〈母,",,̲.(:t! 1111く‑F:母 !同11(",,‑'( (;Jjo'1!話Q草!lf司令l羽HJ)'~斗入Tく喰-:t!111<自社ト(トム
λKモー!1やユ
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:t!'Flensborg nos. 6‑8, 11‑12)'長‑'(λ且‑:t!11111111司叶,~""Kホトλ1;担濃い(;~ K ‑4 (Husum) :t!' ll31
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母ふ<iI1 1型<11廿。C;::D K""‑K=!:‑、ャピ気込'く。ネーt<‑,,‑t、(Haderslev)!11かば~(;:t!' 1 11兵11明,n t<‑I¥‑‑" (;市総t長11O(λ(-'.1,.λ!1ltt'.吋~(;:t!'
l111Rg[年十..IJ111兵国母¥U.母('.tl.o
〈コ)Ribe No. 5 (1252),百os.7, 8!i 32, nos. 13, 22; Roskilde
no. l!i 16 (1268); Copenhagen no. 11!i 76 (1294), IJ 8~憶は
や勺ユ
ν
,Copenhagen no. 19!i 52, no. 22 V !i 23,初心!1Helsing世'rno. 9 !i 51, Landskrona no. 8!i 33, Halmstad no. 16
!i 34. 島幸f岳Q也1~G!'+<!1 C¥ニ
ν
:t!'Hj<trring no. 4!i 29 (1505),Flensborg nos. 10, (1321) 13 (1325).
(:::l) ふ入司王ヤー(Lemvig)'II'トーK':t‑.ヤモー!1区4眠時総*(;fiHm!‑!1 C¥ :" ¥‑,:t!' Poul Bredo Grandjean : Danske K世bstad巴rs
Segl indtil 1660 (The Seals of Danish towns anterior tQ
1660). K.世benhavn,1937, plates 9 f., 14 a, 21 f. ""‑‑'( 8詐鍵!1
C¥ :" ¥‑':t!' Ribe No, 5 (1252)お総監キ]吋。時)J.J 'tJ繍~8臨削Q
4三時革..IJ主主重量,..l¥‑,
r*(;u
将司q戸UR主総相J(Senatores et consules…
civium ") ~吋Pν~拘兵以来i民,)や:,νjfiて<iI~\-'ユ向。(~) M. Mackeprange: Dansk k世bstadstyrelsefra Valdemar
Sejr ti1 Kristian IV (Administration of Danish towns from
the early 13th century to 1619), KI品benhavn,1900. pp. 38‑40.
初心!1Aksel E. Christensen: uber die Entwicklung des
danischen Stadte von der Wikingerzeit bis zUffi 13. Jahrhun‑
dert. in Acta Visbyensia 1. Uppsala. 1965, p, 169,
〈ごわPhilippe Wo1ff : Projet d'enquete sur 1e deve10ppement
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Bruxel1ois. Revue trimestriel1e d'histoire urbaine XV‑,‑XVI.
1970:‑1971. pp. 226‑228.
(~) Copenhagen, 1294~' 55.必制品窓告書'î-''2;!~王手役,N1?stved
no. 5 (1307う,乱1aribo,1488 ~ 12.
(;e) • Copenhagen. 1443 V 21. J) C雌早民営'イ全2、入'1'1~ト!1誕1粍考tr~.;.!OHe1sing.世r.no. 9 ~ 49.
〈ご)Odense No. 17.
(曾)Ronneby百o.1 ~ 5 (1387). Landskrona no. 1 (1413). KorsOr
no. 1 (1425), Kalundborg no. 2 (1495), Hj世rringno. 4'~ 31
(1505),Ha1mstad no. 6 ~ 1.
(~) Roski1de no. 6, K世geno. 13 ~ 13, Storeheddinge no 1 ~
~ 10. Pr記st世no.2. Vordingborg no. 2, Nastved no. 7 ~ 4, Sk犯1.
8kゆrno. 2. Slage1se no. 5 ~ 5, Ringsted no. 2 ~ 10, Slangerup no.4. (~) Ribe: 1269 ~~ 2,5,46, 54; Abenra: 1335 ~~ 24, 34, 36. 38;
cf. Husum n08.1‑2. Copenhagen: 1294~~6. 40, 57, cf.s78.
拘必!1十回担
mc
i!l':自主:1$ベJ,...)¥‑" Copenhagen nos. 19 ~ 99. 22V ~ 12; Helsingψnos. 9 ~ 50. 10 s 10; Ha1mstad no. 5
(1327); Ronneby no. 1 ~ 10 (1387); Ma1mO no. 25 ~ 34 (1487).
Skagen nO. 6 ~~ 23. 50 (1507). 面凶器~CKi弐-'.1ト入C型車4ロ'輸;t;~
IJ~心Q智摺ベG要望!f-ß:C "J~ !1.,9I!!t,...)ν:'~:'~'[j[IC健闘't.J~IQO ,...)‑iミ,...)'1 同
o
‑tJ母CI<‑R‑'J:.,λ(;:i!l':紘奨'2;!'令叫トKλ幾重量眼用Q総12苦18組:,国高跡指似たνJ二時。
1ト入Pーれを宰l緑怪Q現者・#~fí霊源E蝦 C;;l) Copenhagen nos. 10. 14; Flensborg no. 3 ~ 115; Slesvig
no. 2 ~ 103.
(gj) Ribe: Res. 1 no. 2977 (1372). Rep. 11 no. 6929 (1491);
Slesvig no. 2 ~ 15; Alborg no. 4 ~ 14; Ronneby no. 1 ~ 21. 'cf.
1<1'1戸時Q板橋12.'1"るやν111111<壮~設!1~lJ!.i初~.;.!司王:20::'ν
'2;!' DGK IV, p. 339 ~ 39.
C~) Malm世nos.1 ~ 18, 2 ~ 18; Lund no. 3 ~ 3.
C;:;) T世nderno. 1 ~ 41.
cm
~吋'!!Odense no. 11 ~ 12 (1477).拠,...)1岳民~霧縛総督~C~tQ~~~:t言,...)mミ0+!耳~~a'IJ CIJ‑V'2;!'橋怪.'18.そ毘埋まS必IQ輪
;t;C榔まや'困問~~三冊革t-tQ附C:\:':担日会4ミ~IQIJ-Vや'2;!~ユ。
Ca) Ringsted no. 1 !l 10. cf. Abenra no. 1 ~ 53 (1335). Ronneby
no. 1 ~ 26 (1387), F1ensborg no. 3 !l 112 Cca. 1300), Randers
no. 17 (1494), A1borg no. 4 !l. 15, Roski1de no. 8 (1455).
0;;) Roski1de. Lund. Slesvig. cf. Riis. Les institutions politiques
centrales. p. 54. note 43.
C
gj) む、守口、I<-Vユ""~~~J安心~tQ(;:'2;!}'-服Q総輸f岳't.J~tQ。Varde, Roskilde. Slangerup, Sφborg, Slesvig. Vordingborg.
CNiels Skyum.Nielsen: Kvinde og Slave. Danmarkshistorie
uden retouche 111. CHistoty of Denmark 1085‑1250), K世benha.
vn. 1971. pp. 179, 298 esp. note 8. Slesvig no. 1 s73.) '" ""‑
tPιC.f事選'2;!11<11]溺‑C=‑'('t.J嶋崎。CDD1 3 no. 111).
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t<~ユ.;.!0 (Slesvig no. 1 73)全入~84<rr古紙'2;!'1 111共O母.'1;t;
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37(5).
Ciil) Copenhagen, Helsingゆr,Flensborg, Halmstad, Kahmdborg,
Kolding, Kors世r,Skals&φr, Slesvig, Va, Varberg. CMacke.
prang : Dan5k K<tb:はadstyrelse,pp. 204‑213).
C;;:;) Malmゆ1431,1456 CRep. 1 n05. 6509, II no. 579).
C?;l) Copenhagen 1464, 1465 CRep. II Nos. 1729, 1862); Ran.
de四146'7CRep. II 2230).
C i:l) Copenhagen 1294 S 10; Slesvig no. 24 (l342).
(:;) Resp. II nos. 2950, 3801.
();(5) Mackeprang: Dansk K世bstadstyrelse,pp. 133‑155.
(~) Rep. II no. 342'7.
てお)DD III 7 no. 357
(~) !i 3uil1a Hafnensis ex mutuo, quod nomine communL
tatis sepe fecerat, est graaiter dampnificata in tantum, quod
diuites pauper白sunteffecti, et qui aliquid hぬereuidebantur,
jam panem mendicant ・
(~) Mal回世間s1雪6(l353) = 2 !i 5 (1360) = 3 !i 5 (15世紀前
主幹)=6宮6 (1415) = Lund no. 3 !l '1 (1361) = Ronneby no. 1 li 7 (l387). (~) AIborg: Rep. II no. 6371 (1488); Odense: no. 17 (1495);
Malm
.p:
Erik Kroman et alii (ed.): Malm世RadstueprotokolCStadsb岬k)1503‑1548, Kφenhavn, 1965. e. g. pp. 13, 318
(1505,それ以後); Copenhagen: Mackeprang: Dansk Kc品b:stad.
~tyrelse, p・148(ca. 1520).
(弓)Odense no. 17. 11吋閤
(~) Flensborg no. 32.
(~) Mackeprang: Dansk Kゆbstadstyrelse,p. 148.
〈ご
n
Odense no. 17.C!;l) Ribe no. 49.
(~) 幡~-\Il~ユ継ii>ORibe no. 20 (1326), Slagelse no. 3 (1348),
111日1<母1'<11一時Q継総拒JJムもやν語版物~.;.!却1i!' DGK IV,
F・335!i 8
(;;;) 0. 1'< ~γ;込Q悩-jnC~;権若手,Roskilde 1268 !i 1也.
(~) n ".(λく‑'.1:ト入C111J.i:1国語士なま紘詳!..!←'ì-'!..!ぽ必~待。
Copenhagen 1254!i
s
4‑5.(~) Saxonis Gesta Danorum 1 (ed. J. Olrik & H. R蹄der),
Copenhagen, 1931, p. 363 1. 1‑7; Skyum.Nielsen: Kvinde og
Sla ve, p. 119
Cs) Slesvig no. l!i 29.
(in) DD III 1 110. 104.
(t;l) DD III 3 no. 384.
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くr‑eprinted,1977).市兵,)吋ヰミ~1:司ド~~吋""'ì-'今母子号。Malmゆ1329:
下イツ人;R山田1378:Gr‑eifswaldからの商人;Copenhagen