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精神医学は神経科学から何を得られるか

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Academic year: 2021

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精神医学は神経科学から何を得られるか

榊原英輔 (Eisuke Sakakibara)

東京大学大学院医学系研究科/東京大学医学部附属病院

本発表ではまず、精神医学における神経科学的研究の現状を確認し、神経科学が精 神医学の発展に役立たないのではないかという三つの危惧を払拭した上で、神経科学 が精神医学に貢献しうる二つの方向性を提示し、検討を加える。

精神疾患の症状は、他者が直接確認できない不安や抑うつ気分などの主観的体験と、

強迫行為など、他者によって観察可能ではあるが通常の意図的行為と区別が難しい行 動の領域に現れるため、精神疾患が病気であるという判断は、常に疑問を投げかけら れてきたといえる。それゆえ、精神医学にとって、病気であるという臨床的判断の妥 当性を保証してくれるような生物学的異常を同定することは悲願であった。しかし精 神医学という学問分野が成立して一世紀以上経過した現在に至るまで、統合失調症や 双極性障害といった主要な精神疾患の生物学的基盤は解明されていない。

神経生理、脳画像研究を中心とした神経科学研究は盛んだが、臨床判断とは独立の 病的意義を確立するには至っていない。現行の神経科学研究においても、異常所見が 見いだされたという報告は多いが、それは、健常者と比較した際に、臨床的に精神疾 患と診断された被験者においてある指標の量的差異が見出されたがゆえに、派生的に

「異常」「病的」と呼ばれているだけなのである。感染症、新生物、神経変性といった 病理学的概念は、臨床判断とは独立した病的意義を持っており、臨床症状が無くても、

これらの所見の存在だけから、「無症候性の疾患」という病理学的診断が可能である。

神経科学がこれらの病理学的所見と同様の地位を獲得するためには、Kochによって感 染症の概念が確立されたことに匹敵するようなブレークスルーが生じ、神経科学の領 域に新たな病理の範疇が確立されることを俟たなければならない。

次に、神経科学研究は精神医学の発展には役立たないのではないかという危惧につ いて論じたい。第一の危惧は、精神疾患は学習の産物であり、学習の結果身につけた 心理や行動パターンは、個人ごとに異なるシナプス結合の進化論的発展過程によって 実現されているため、神経科学的手法によってはアプローチ不可能ではないかという ものである。これに対しては、精神疾患の中には学習の産物であるものとそうでない ものがある、と応じたい。神経科学は学習の産物であるような精神疾患の研究には役 立たないが、学習の産物ではないような精神疾患の研究には役立つ可能性があるだろ う。

第二に、精神疾患は脳状態にはsuperveneせず、外部環境の変化に依存する「広い 内容」を有しているため、神経科学がどれだけ脳を探索しても、異常は見つからない のではないかという危惧が存在する。これに対しては、ある心的特性の異常性の判断 が脳状態にsuperveneしないという点を認めたとしても、異常と判断された心的特性 は脳状態にsuperveneする可能性があると応じたい。これは、テストの合否とテスト

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の点数の区別に類比的である。テストに合格しているかどうかは答案用紙をいくら詳 細に検討しても分からないが、一度テストが不合格だと判定されたなら、答案用紙を 詳細に検討することで、なぜ不合格であったかが分かるのである。

第三に、精神疾患は命題的な心的状態を含むが、命題的な心的状態と脳状態の間に は法則的な関係が存在しえないため、神経科学は精神疾患の研究には役立たないので はないかという危惧がある。これに対しては、不安や妄想や強迫観念などの精神疾患 を特徴づける命題的な心的状態は、非命題的な心的状態に対するコーピングとして生 じたものであると応じたい。例えば統合失調症における妄想は、あらゆる物事に未だ 把握されざる意味があると感じてしまう妄想気分という非命題的な心的状態にある患 者が、自らの置かれた状態を意味付けしようとする認知的努力の結果として生み出し たものであるという説が有力である。確かに、神経科学は命題的な心的状態を扱うこ とができない。しかし、その基底にある非命題的な心的状態の変化に関しては、神経 科学的に研究を進めていくことが可能であるように思われる。

2015年に、精神医学のトップジャーナルの一つであるJAMA Psychiatry誌に、精 神疾患のバイオマーカー研究が目指すべき方向性についての議論が掲載された。バイ オマーカーとは、糖尿病における血糖値の上昇のように疾患を客観的に捉えるための 検査所見である。Pine & LeibenluftMechanistic なバイオマーカー(以下、M-

バイオマーカー)の探索を目指すべきと主張した。M-バイオマーカーは疾患のミク ロ的本質に迫るマーカーであり、臨床所見に加えることで診断精度が高まり、疾患の 動物モデル確立への道を開くことで実験医学的研究を促進する。M-バイオマーカー が開発されれば、疾患のミクロ的本質に基づく新規治療法の開発も視野に入ってくる だろう。

もしM-バイオマーカーが開発できるなら、それに勝るものはないという点につい

ては、誰もが賛同するところである。しかし、Paulusはそのような望みを抱くことは、

多様な原因が折り重なって生じている精神疾患についてはill-definedな問題設定であ り、神経科学の停滞の元凶となっていると主張する。Paulusは代わりに、Pragmatic なバイオマーカー(以下、P-バイオマーカー)の開発が急務であると論じる。P-バ イオマーカーは、患者の予後や治療反応性の予測に役立つマーカーであり、臨床疫学 的な縦断研究に組み込みやすい。臨床所見に追加することで予後や治療反応性の予測 精度を高めるようなバイオマーカーは、疾患の本質の解明に役立たなくても、臨床実 践を一変させる可能性を秘めている。

発表では、神経科学領域において M-バイオマーカーの開発を目指すべきか、P-

バイオマーカーの開発を目指すべきか、最後に発表者の私見を述べる予定である。

参照

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