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ツービッグ・ツーフェイル概念の系譜(5)

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2017 年 10 月 (c)1970 年代におけるその他 2 行への 13 条(c) の適用  前稿では,閉鎖の危機にある銀行の閉鎖を防ぐ ために連邦預金保険法 13 条(c)が適用され,救 済された 2 銀行,すなわちユニティ・バンクとバ ンク・オブ・ザ・コモンウェルスについて,特に それらの「不可欠性」について見てきた。これら の銀行に 13 条(c)が適用されたのは,1970 年 代の初めであった。その後,1970 年代には,同 条項は,1974 年にアメリカン・バンク・アンド・ ト ラ ス ト(American Bank & Trust:AB&T),1976 年にファーマーズ・バンク・オブ・ザ・ステー ト・オブ・デラウエア(Farmers Bank of the State of Delaware),に適用されている。 ①アメリカン・バンク・アンド・トラスト  これら 2 行のうち,アメリカン・バンク・アン ド・トラスト(AB&T)については,13 条(c) の適用は特殊な性格を持っている。と言うのは, 同行への同条項の適用は次のようなものだったか らである。  同行は,総資産 1 億 5000 万ドル,預金 1 億 2000 万ドルを持つサウスカロライナ州で 6 番目 の規模の銀行であった。それはまた,同州 20 コ ミュニティに 29 支店を持ち,それらのコミュニ ティのうち 10 では,同行のみが商業銀行業務を 提供していた。しかし,1970 年代前半には,多 数の金額の大きな不動産貸付のために,債務超過 ではなかったが,流動性不足に陥っていた。もち ろん,こうした場合には,連邦準備(具体的に は,同州を管轄するリッチモンド連邦準備銀行 (Federal Reserve Bank of Richmond)が信用供与す るのが通例である。しかし,AB&T は,州法連 邦準備制度非加盟銀行であったために,当時は リッチモンド連邦準備銀行には同行に信用供与す る法的権限がなかった1)。そこで,同行が営業地 盤としている 10 のコミュニティでは唯一の銀行 サービス提供者であったから,同行は「不可欠」 とされたうえで,13 条(c)に基づいて救済され たのであった。  このような AB&T の救済を,要点を押さえた うえで,手短に記述しているのは,1974 年 9 月 8 日に FDIC 公社理事会が同行の救済を決めた文書 である。この文書は,上述の AB&T の救済をわ ずかではあるが詳細に明らかにしているから,見 ておく価値がある。ここでは,次のようなことが 述べられている。①サウスカロライナ州銀行長官 (Commissioner of Banking of the State of South

Carolina)が FDIC に同行の流動性危機が解決さ れなければ,同行は閉鎖されると通告したこと, ②リッチモンド連邦準備銀行は,緊急貸付権限 (emergency lending authority)に基づいて同行に必

ツービッグ・ツーフェイル概念の系譜(5)

野村 重明

On the Genealogy of the Too Big to Fail Doctrine

NOMURA, Shigeaki

論文

   

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た。現に,同年 20 日に,同公社理事会と,サウ スカロライナ州当局は,サザン・バンク・アン ド・トラスト・カンパニー(Southern Bank and Trust Company)が AB&T のすべての預金・負債 を継承することに合意した,と発表した。そし て,AB&T は預金者の要求に応じることができ ないので閉鎖されるという州当局による決定を経 て,サザン・バンク・アンド・トラストは,上の 合意に従って,およそ 1 億 3200 万ドルの AB&T の預金及びその他の負債を承継し,およそ 560 万 ドルの買入れプレミアムを支払って,AB&T を 手に入れたのである2) ②ファーマーズ・バンク・オブ・ザ・ステート・ オブ・デラウエア  上の AB&T への 13 条(c)には P&A による処 理までの時間稼ぎと言う特殊な性格を持っていた が,1976 年に FDIC から緊急救済を受けたデラ ウエアのファーマーズ・バンク・オブ・ザ・ス テート・オブ・デラウエアはその「不可欠性」と 言う点で,特殊であった。それはどういうことな のだろうか。  同行は,1807 年に設立された,州法銀行であっ た。同行は,古い銀行ではあったが,救済当時の 預金は 3 億 7000 万ドルであったから,やはり小 銀行であったといってもよい。とはいえ,同行 は,1975 年中ごろ,同州で第 2 番目の大きな商 業銀行で,同州の商業銀行預金の 22.5%を占めて いた3)から,デラウエア州における同行の地位 は決して低いものではなかった。  同行の最大の特徴は,デラウエア州によって普 通株式の 49.4%が所有され,デラウエア州民,企 業,政府にサービスする銀行と位置付けられてい る点にあった4)。そして,この位置づけによるも のと思われるが,デラウエア州法によって,同州 の預金を預かる唯一の銀行ともなっていた。この ようにその設立も経営も州によって支えられてい るにも拘らず,同行は,1975 年におよそ 1700 万 ドルの貸付損失があり5),1976 年には,「主とし て不動産貸付ポートフォリオの質的悪化により, 閉鎖の危機に」陥った6)  そこで,1976 年 3 月 15 日の FDIC のニュース・ リリースによれば,FDIC,デラウエア州及び ファーマーズ・バンクは,次のような同行の救済 要な流動性を供給する法的権限を持たないとし て,流動性の供給を拒否したこと,③同行は,連 邦預金保険法 13 条(c)に基づいて,公社に救済 を申請したこと,④公社理事会は,同行が閉鎖の 危機にあり,さらに同行が唯一銀行業務を提供し ているサウスカロライナの 10 コミュニティ,及 び同行支店が他の競合する銀行に取って代わる唯 一の支店となっているサウスカロライナの 3 カウ ンティとその他 2 コミュニティで,同行は十分な 銀行業務を提供するのに不可欠であることから, 同行の閉鎖を防ぐために,13 条(c)に基づいて, 同 行 に 対 し, 臨 時 の 資 金 援 助(temporary assistance)と要求払で年利 10%の 1000 万ドルを 超えない短期貸付を行なうこと,等である。  上述のとおり,AB&T は,債務超過ではなかっ た。同行は,むしろ多額の不動産貸付のために流 動性不足に陥り,支払不能になって閉鎖間際まで 追い詰められた。こうした支払不能では,当該行 は連邦準備からの借入れにより一時的な流動性危 機を免れるというのが普通である。しかし,同行 は州法連邦準備制度非加盟銀行であったために, 連邦準備から融資を受けることができなかった。 そこに,FDIC が登場する。同公社は,13 条(c) に基づいて,緊急に調達できない資金を供与し て,同行の破綻を防ぐとともに,P&A で同行を 処理していくという手法をとった。つまり,FDIC による同行への 13 条(c)の適用は同行の P&A に よる処理までの時間稼ぎだったにすぎない。  それはどういうことだろうか。FDIC が同行に 13 条(c)を適用するためには,同行の「不可欠 性」を証明しなければならない。そこで,FDIC は,同行が唯一銀行業務を提供しているサウスカ ロライナの 10 コミュニティ,同じく同行支店が 競合する銀行に取って代わる唯一の支店となって いるサウスカロライナの 3 カウンティとその他の 2 コミュニティでは,同行は,十分な銀行業務を 提供するのに「不可欠」だと宣言したのであっ た。そして,そのうえで,FDIC は,同行に臨時 の資金援助と要求払で年利 10%の 1000 万ドルを 超えない短期貸付を行なうこととしたのである。  しかし,FDIC は,13 条(c)によって,同行 をその後も存続させる意図を持っていたわけでは なかった。同行への 13 条(c)の適用は,P&A の用意ができるまでの一時的なものにすぎなかっ

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いる。これは,ファーマーズ・バンク以前に 13 条(c)が適用された 3 銀行のいずれにおいても, 同条の適用決定過程では触れられることのなかっ た観点である。破綻銀行を処理するに当たって は,FDIC にとってのコストを重視するという考 え方は,既に 1950 年代前半に打ち出されていた。 これは,1951 年に,上院銀行通貨委員会(Senate Committee on Banking and Currency)の証券保険銀 行 小 委 員 会(Subcommittee on Securities, Insur-ance, and Banking)公聴会で,フルブライト上院 議 員(J. William Fulbright) が,FDIC に 対 し て, コスト計算をすることなく,PO を避けて P&A を多用して破綻銀行を 100%保護していると批判 した9)ことによる FDIC の政策転換の帰結であっ た。FDIC は,この時期から,破綻銀行の処理を 決定する際に,コストテスト(cost test)を行い 始めた。こうしたコストテストは,法的に明記さ れているわけではなかったが,FDIC はこの時期 から連邦預金保険法 13 条(e)の「公社に対する リスクを減らし,損失を回避する行動」という表 現を,PO ではなく P&A による処理を決定する 際には,明確なコスト計算を要求していると解釈 し始め,コストテストの法的根拠としたのであ る。したがって,ファーマーズ・バンクの処理に 当たって,FDIC が,他の 2 つの方策と比べて, 救済の方が FDIC にとって損失が少ないとしたの は,その延長線上でのことであったと考えられ る。とはいえ,このコストテストは,後述するよ うに 1980 年代に入ってから,法的枠組みの中に 組み入れられることとなっていく。  それでは,連邦預金保険法上,13 条(c)の適 用には絶対に必要とされる同行の「不可欠性」は いかなるものであったのであろうか。FDIC は同 行の「不可欠性」を証明しなければ同条を適用す ることはできない。それについては,資料が少な く,十分に明らかではないが,次のようなもので あった。  同行の場合には,FDIC 理事会は,連邦預金保 険法 13 条(c)に基づいて,資金援助の要請を同 行から受けた後,同要請書,同行は閉鎖の危機に あ る と す る デ ラ ウ エ ア 銀 行 長 官(Banking Commissioner of the State of Delaware)による声明 書,同行の最新の検査報告書及び財務報告書,そ の他の資料を精査した上で,次のような結論を出 の合意に達している。  ①同公社は,同行の帳簿価格 4000 万ドルの劣 等資産(inferior assets)を 3200 万ドルで買入れ, 同公社がこれらの資産で次の 10 年間に 3200 万ド ルを回収できない時には,同行から 800 万ドルを 上限としてその不足額の 40%の支払いを受ける こと,②デラウエア州は,同行の優先株 2000 万 ドルに応募すること,③同州は引き続いて同行を 唯一の預金機関とし,同行の要求払口座に 1 日平 均 4000 万ドルを維持すること,④同行は,金利 費用及び貸付損失繰入額を除く営業費用を 1977 年末までに少なくとも 230 万ドル削減すること, ⑤ FDIC に支払われるべき全額が用意されるか支 払われるまでは,同行の普通株に対して配当金が 支払われてはならないこと,⑥同行の経営陣,営 業・投資政策は,同行が FDIC に偶発債務を負っ ている限り,FDIC のレビューを受けること7)  さらに,同じニュース・リリースでは,FDIC は,3 週間にわたって同行が必要とするいかなる 短期流動性をも同行に供与する,といったことも 示されているから,FDIC は,同行を閉鎖して, PO によって同行を清算することではなく,また P&A によって他行に資産・負債を承継してもら うのでもなく,同行を存続させる連邦預金保険法 13 条(c)を同行に適用したことは明らかである。  その際,FDIC は,同行の経営危機に際して, 13 条(c)以外の処理方策を検討したという。だ が,そうした代替策は,次のような問題を持つと 考えられた。まず,預金支払の場合では,FDIC の被保険者への直接的な支払額(当時の支払限度 額は 4 万ドルであった)が 2 億 2000 万ドルと推 定された上に,主としてデラウエア州及び学区に よる非付保預金に著しい不便,遅延,損失がもた らされることになりそうだ,と言うことであっ た。だからと言って,健全な銀行に,同行の預金 を引き受けてもらうとしても,3000 万ドル以上 の現金貸付が FDIC に必要とされそうであった。 こうして,FDIC の判断では,FDIC による同行 の救済は,これらの代替手段いずれの場合よりも FDIC の損失が少ない方策とみなされたのであっ た8)  こうして,ファーマーズ・バンクの処理に当 たっては,他の 2 つの方策と比べて,救済の方が FDIC の損失が少ないという観点が打ち出されて

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ニアでは第 2 番目,合衆国では 23 番目の大銀行 であった。同行は,1980 年 4 月になって,その 存続が危ぶまれる危機に陥ったが,連邦預金保険 法 13 条(c)が適用され,閉鎖の危機を免れてい る。  それでは,同行はいかにしてその存続が危ぶま れる危機に陥ったのであろうか。また,連邦預金 保険法 13 条(c)の「不可欠性原理」はいかにク リアされたのであろうか。同行を巡っては,特に 次のような事情があったから,FDIC による銀行 の救済にとっても重要なケースになっている。す なわち,第 1 に,同行の経営は短期間の間に悪化 したということである。第 2 に,ファースト・ペ ンの救済は,後のコンチネンタル・イリノイの救 済の先鞭となったという意味でも重要である。  ファースト・ペンについては,1979 年 2 月の 時点では,FRB と通貨監督官事務所 OCC が問題 銀行として調査してはいたものの,その問題は何 とかなるとされていた14)から,この時点では, 同行の経営危機はまだ深刻なものではなかった。 また,同年同月に同公社議長として FDIC に復帰 したスプレーグ(Irvine H. Sprague)は,その後 1 年間にわたり同行に関する現状報告書を時々受け 取ったが,どの報告書でも「同行は不安定な動き を続けているが,どんな問題も警戒水準までは高 まってはいない」15)とされていたと言うから, 同行の危機は 1979 年を通じてそれほど深刻なも のではなかったのである。そこで,彼は,ファー スト・ペンよりも,この頃から表面化しつつあっ た相互貯蓄銀行の経営危機にもっぱら注意を向け た16)  そして,FDIC が初めて,ファースト ・ ペンに 何か起こっていると知ったのは,1980 年 3 月 24 日であった17)。実際,同行は,1989 年第 4 四半 期の 180 万ドルの損失に続いて,1980 年第 1 四 半期には 640 万ドルの損失が見込まれ,同行への 信頼は急速に失われつつあった。それとともに, 同行の CD やユーロダラーによる資金調達は失わ れ,他行借入れ,連邦準備借入れに依存せざるを 得なくなっていた。そんな中で,3 月 21 日以降 となると,同行の既発債の格付けの引き下げや, 報道機関による同行の信用不安が伝えられると, 同行の株価は 5 ドルを下回るようになった18)  それでは,ファースト・ペンには短期間に何が した。すなわち,同理事会は「FDIC と同行との 支払約束書(promissory note)及び担保・抵当に 関する合意に従って行われる資金援助がなけれ ば,同行は閉鎖の危機にあり,同行の継続的存在 は同行がサービスを提供するコミュニティに十分 な銀行サービスを提供するのに不可欠である,と 結論し,そのように考えている。」と。  見られるように,ファーマーズ・バンクの救済 に関するこの FDIC 理事会の結論的部分では,そ の前半で,13 条(c)に基づく資金援助がなけれ ば同行は閉鎖に追い込まれてしまうと判断された 上で,その後半では,同行の継続的存在は同行が サービスを提供するコミュニティにとって「不可 欠」であると結論づけられたとされている。  それでは,この後半で言う同行の「不可欠性」 とは,どんなことだったのであろうか。その結論 を述べれば,FDIC 理事会は,同行が「デラウエ ア州所有資金の唯一の預金金融機関であり,その 閉鎖は同州に深刻なマイナスの財務的影響を与え る」10)として,同行の継続的営業がコミュニティ にとって「不可欠」と判断したのである。  こうして,FDIC は,上のような同行の「不可 欠性」を論拠に,同行の閉鎖を防ぐために,1976 年 6 月 10 日に,先の FDIC,デラウエア州及び 同行三者の合意に基づいて資金援助を行った。つ まり,同公社は,同行に対して,およそ帳簿価格 4000 万ドルの劣等貸付その他の資産を 3200 万ド ルで買入れた11)。ただ,こうした FDIC による破 綻寸前の銀行の不良資産の買入れという形での資 金援助は,3つの先行する 13 条(c)に基づく救 済では例を見ないものであった12) (d)ファースト・ペンシルバニア・バンク―コン チネンタル・イリノイ救済へのワンステップ (1)1970 年代の経営戦略  1980 年代に入ってからの連邦預金保険法 13 条 (c)の適用は,ファースト・ペンシルバニア・バ ンク(ファースト・ペン)から始まった。  同行は,1782 年に設立された合衆国では最初 の民間銀行であったから,名門中の名門の銀行で あった。1980 年には,同行は総資産 80 億ドル, 総預金 53 億ドル,預金口座 57 万 4000,フィラ デ ル フ ィ ア 郡 で の 40 支店を含む 69 支店を有 し13),フィラデルフィアでは最大,ペンシルバ

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行平均より 20%高い 16.6 になっていた24)  しかし,この戦略が成功したのは,上述のごと く 1972 年までであった。1974 ∼ 75 年の不況時 の貸付の質的悪化を経て,1970 年代後半には, バランスシート面で,問題が生じてきていた。そ れはどのようなことだったのだろうか。同行のこ の時期の『年報』を分析したマイゼルを中心にし て,その状況を見てみよう25)  まず,同行の負債構成では,1970 年代後半か ら,貨幣市場での借入れを中心とする金利感応型 の借入れ(interest-sensitive borrowing),つまり別 の言い方をすれば,後述するように買入れ貨幣 (purchased money),が急増していた。1960 年代 後半のそのような借入れは,4 億ドル程度で,そ の純収益資産に対する割合は 26 ∼ 29%を占める にすぎなかった。しかし,1970 年代には,その 額も純収益資産に対する割合も大きく高まり, 1979 年にはそれぞれ 62 億 4000 万ドル,74.9%と なった26)。これに反して,1979 年について見る と,自己資本,長期借入れは同じく収益資産の 8%,貯蓄口座・証書は 10%に過ぎなかった27) これは,同行では,短期資金の調達が急増したこ とを意味している。  他方,資産面では,固定利回りのものが多かっ た。  まず,投資について見よう。同行の投資につい ては,マイゼルは,同行『年報』に基づいて,連 邦政府・同関係機関債,州・市・その他債の償還 期限ごとの投資額,平均償還期限,総資産に対す るその割合を,1965 年,1970 年,1975 年,1979 年について,示している。それによれば,同行の 証券投資ポートフォリオは,1965 年の 2 億 1800 万ドルから,1970 年,1975 年それぞれ 4 億 5300 万ドル,6 億 7600 万ドルを経て,1979 年には 15 億 8900 万ドルと急増した。中でもその連邦政府・ 同関係機関債投資の伸びが大きかった。1965 年 の 1 億 6100 万ドルから 1979 年には 11 億 7700 万 ドルと 7 倍以上に増えている28)。このように, 同行が連邦政府・同関係機関債への投資を急増さ せたのには理由があった。1976 年には,これら の債券利回りが 7%台から 8%台に上昇を開始し ていたため,同行は,これらの債券への投資に よって安定した収入を得ることができる,と判断 したのである29)。こうした証券投資の伸びとと 生じたのだろうか。それについてはベンストン (George J. Benston)らの『安全・健全な銀行業に 関する展望―過去・現在・未来―』(Perspectives

on Safe & Sound Banking: Past, Present, and Future)

が,そのものずばりの指摘をしている。すなわ ち,ここでは,短期の借入資金で長期の債券に投 資 す る ギ ャ ン ブ ル が, 貸 付 損 失 と 相 ま っ て, ファースト・ペンシルニア・バンクの実質的な破 綻 を ひ き お こ し た と し, さ ら に, マ イ ゼ ル (Sherman J. Maisel)に従って19),次のように続 けている。「同行が破綻した前年の 1979 年に,同 行の総ポートフォリオは 1.3 年から 2.5 年の継続 期間だったと推定されているが,他方では,その 負債のほとんどは大変短い継続期間であった。金 利が下がるのではなく上昇すると,同行の債券 ポートフォリオは 8900 万ドル市場価値が低下し たと推定され,そのことは市場価値ベースで計る と,同行の自己資本をゼロ以下に減ずるのに大き な一因となった。」20)  ここで,上のことを敷衍しよう。  同行は,1960 年代初めには,健全で平凡な銀 行であった。ところが,バンティング(John R. Bunting)が 1968 年に CEO に着くと,彼は,同 行の所在するフィラデルフィア地区の経済の停滞 を尻目に同行を大きく成長させる戦略を取り始め た21)。彼がその中心に置いたのは,金利感応性 の高い CD やユーロダラーといった短期資金に依 存するとともに,自己資本比率を低くしてレバ レッジを高める一方,他方ではポートフォリオ面 ではリスクの高い資産への貸出しや,長期の債券 投資を強め,高水準の利益を稼ぎ出すことであっ た。マイゼルによれば,ファースト・ペンのこの 戦略は 1972 年までは成功した22)という。  すなわち,次のようであった。1972 年には, 貸倒損失繰入れ前及び課税前の純利益は 6250 万 ドルで,その収益資産に対する割合では,1.77% に達していた。資産収益率は高かった。純貸倒損 失は少なく,純収益資産の 0.28%にとどまってい た。レバレッジが高かったから,自己資本利益率 が高く,16.8%に達していた。1967 年から 1972 年の間に株価は他行平均 50%よりも 4 倍高い 200%上昇したという23)。この間の株価収益率

(price earnings ratio: PER)も高く,他行平均より も 10%高い平均 14 になっており,1972 年には他

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上昇した。そして,この時期になると,上のリス クの高い同行の銀行経営は行き詰まりを見せてき ていた。  第 1 図は,1972 年から 1984 年までの月平均の フェデラル・ファンド・レートと 10 年物連邦債 の利回りの推移を示している。これらのうち,前 者について見ると,同レートは,1972 年初めに は 3%台だったが,1973 年には急上昇して翌年 7 月には 12.92%に達した後,一旦 1977 年までは下 がり,その後 1980 年半ばの下落を経て,1981 年 には最も高い 19%台に達していることがわかる。 バンティングは,1972 年から 1977 年までの金利 の推移が 1977 年から始まる金利上昇にも当ては まり,間もなく金利は低下すると見たのである。  先に見たようなファーストペンの「短期借りの 長期貸し」戦略は,こうした金利の高騰によって 苦境に陥ることとなった。  まず,証券投資に伴う損失が大きかった。1979 年末には,投資ポートフォリオは,同行の収益資 産の 20%を占めていた32)。上述のように,これ らのポートフォリオのうち,特に多かったのは, 連邦政府債・連邦政府機関債で,その総額は,帳 簿価格で 11 億 7700 万ドルであった。これに対し て,州・市債・その他債は,4 億 1200 万ドルに 過ぎない。また,これらの証券投資ポートフォリ もに,総資産に対するその割合も,1965 年の 14.0%から 1979 年には 17.7%に高まった。また, この間の,投資ポートフォリオの平均満期も 40 か月から 123 か月と 3 倍化した30)  他方,貸付については,平均貸付満期は算出し がたいが,マイゼルは,同行の商業ローン,消費 者ローン,モーゲージよりなる固定金利貸付は, 資産の 4 分の1程度を占め,これらの平均満期は 2 年と 3 年の間と推定している。  このように,同行のバランスシートからみる と,1979 年末には,投資証券で 17.7%,固定金 利貸付で 4 分の 1,合わせて,40%以上が固定金 利であった,と推定されている。固定金利のポー トフォリオが多い状態の同行にとって,金利の上 昇が,同行の命運を左右するものであったこと は,想像に難くない。にもかかわらず,同行の会 長兼 CEO のバンティングは,1979 年 7 月に辞任 するまで高いリスク・テイキングを変えず,むし ろ拡張し続けたのである31)。彼は,金利は上が るのでなく下がるとみていた。これは,既に述べ たように,コモンウェルスを率いたドナルド・ パースンズと同様であった。 (2)金利の上昇とファースト・ペンの挫折  実際,1972 年から 1979 年の間 7 年間,金利は

(資料)FRB, Annual Statistical Digest, various issues, より作成。 第1図 金利の推移(1972 ~ 1984 年)

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は,高金利でのリスクの高い貸付を増やさざるを 得なかった。その結果,同行は,不良貸付を増加 させ,より高い貸付損失に向かうこととなった。 現に,1980 年の第 1 四半期の終わりには,同行 の貸付の 6.3% は金利支払いがないか,金利引下 げになっていた。また,疑問貸付けは,3 億 2800 万ドルに達し,同行の自己資本より 1600 万ドル 多かったという36)  1970 年代後半からの金利の大幅上昇は,同行 の証券ポートフォリオの金利リスク,貸付の信用 リスクを顕在化させた。そして,1979 年第 4 四 半期の 150 万ドルの損失37)に続いて,1980 年の 第 1 四半期の終わりには,同行は,貸倒損失繰入 れ・税引き後の純損益が 500 万ドルの損失になっ た。加えて,証券の売却によって,140 万ドルの 純損失を計上している38)。その上,翌第 2 四半 期に,3 億 5000 万ドルの証券売却をすることに なれば,その損失は 7500 万ドルにも達し,その 期の全損失は 1 億ドルにまで膨らみかねなかっ た39)  この時期のファースト・ペンでは,このように 損失が続いただけでなく,証券ポートフォリオの 価格がさらに 1 億 5000 万ドル低下していたから, 1980 年初めに簿価では 3 億 5000 万ドルあった自 己資本は,1980 年第 1 四半期には実質的には毀 損された40)と考えられる。他方では,すでに同 年 3 月下旬には,プレスを通じて同行の経営不振 が報道され,同行の信用は大きく低下していた。 ユーロダラーや CD の取り入れが困難になってき ていた。  そこで,同行はフィラデルフィア連邦準備銀行 に巨額の割引窓口借入れを求めた。それは,まず 1 億ドルから始まり,その後も借換えと借入れの 増加を繰り返した。第 1 四半期終わりには,3 億 4000 万ドルに達し,さらに 4 月中ごろにはさら に増え,7 億ドルに達した41)。これとは別に,民 間銀行からも 30 億ドルの借入れがあったが,こ れらの借入れだけではユーロダラーや CD による 資金調達を補うことはできず,同行は資金調達に 窮することとなった。  他方,それと並行して,同行の支援計画が練ら れつつあった。4 月中旬に,FDIC,通貨監督官, ファースト・ペン,それに 4 行―モルガン・ガラ ン テ ィ(Morgan Guaranty), シ テ ィ・ バ ン ク オの平均満期は長期化していて,1970 年の 67 か 月が,79 年末には 123 か月となっていた。  こうした連邦債を中心とする長期債は,金利の ボラティリティの高い負債によってファンディン グされていた。すなわち,収益資産の 4 分の 3 は 買入れ貨幣(purchased money)33),つまりユーロ ダラー借入れ(Euro-dollar borrowings),フェデラ ル・フアンズ(federal funds purchases),高額面譲 渡性預金(large-denomination CD s)に依存して いたから,長期債のファンデングもこうした毎日 のように金利が変わる性質の資金に依存してい た。  そこで,証券投資ポートフォリオは,上述のご とく 1970 年代後半から 80 年代初めにかけて,金 利が高騰すると,巨額の損失を出すようになっ た。それは,次の二面から生じた。一つは,先に 述べたように,同行は,1976 年以降利回り 7 ∼ 8%の政府債券に巨額の投資を行い,1979 年まで に 11 億ドル以上の同証券を持つようになった反 面,1980 年の最初の第 1 四半期までには 8.7% の 固定金利証券投資をファンディングするために, 預金に対しては 15.5%の金利34)を支払わざるを 得なかった。すなわち金利リスクの表面化による 損失である。  もう一つは,上のような連邦債の資金調達金利 と運用金利との逆ザヤによる損失を避けるため に,債券を売却した場合に生じる損失である。同 行の連邦債ポートフォリオは,1970 年代後半の 金利上昇とともに,大きく値下がりした。スプ レーグによれば,政府債の市場価格は,1980 年 までに額面から 3 億ドルも低下していた35)。と すると,同行は,当時は簿価で 11 億ドル以上の 同債券を所有していたから,同債券は 3 割近く値 下がりしていたわけである。  こうした金利上昇による連邦債投資の損失のほ かに,貸付による損失もあった。先にも触れたよ うに,同行は,1970 年代後半には,金利感応性 の高いユーロダラーやフェデラル・ファンズと いった短期資金に依存しつつ,ポートフォリオ面 では証券投資と同様,比較的に長期の固定金利で の貸付に力を入れた。このような場合,金利が上 昇すれば,それに伴って調達する資金金利は,急 速に上昇するから,その高金利を償うに足る貸付 金利を借り手に求めざるを得ない。そこで,同行

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④ 同行は,27 万人を超える消費者ローンと クレジットカード顧客を持ち,これらで 4 億 2500 万ドルの残高を持っている。 ⑤ 同行はフィラデルフィア市と同市学区への 最大の貸し手である。 ⑥ 同行は,フィラデルフィア地区で 4000 人 を雇用し,彼らに 6000 万ドル以上の年間 報酬を払っている。  スキラーンは,これらのほか,同行が小企業に 奉仕していること,住宅モーゲージプランを含む フィラデルフィア市の活性化プランに係っている こと,5 億ドルのコミットメントを含め 10 億ド ルの商業貸付をしていること,等の事実を挙げ て,さらに同行に対する資金援助が必要な事実と して次のようなことも考慮しなければならない, としている。すなわち, ① 58 万 3000 人に及ぶ被保険預金者へペイオ フするということになると,それはフィラ デルフィア地区の金融・経済状態に劇的か つ急激な障害と変化に結果するだろう。そ の期間は予想することはできないが,コ ミュニティは十分な銀行サービスを欠くこ とになろう。 ② PO に代わるものとしては,連邦預金保険 法 13 条(e)に基づく資金援助(assistance) があるが,これは,他の被保険銀行に対す る閉鎖銀行の資産の販売及びその負債の引 き受けを促進して,FDIC のリスクを減ら しその損失を回避するために行われるので あって,ファースト・ペンシルバニア・バ ンクの場合には同行の大きさゆえに,ペン シルバニアの 1 行だけの P&A では反競争 と言う容易ならぬ問題を引き起こす。  上のようなスキラーンの FDIC 理事会宛のメモ ランダムは,FDIC が連邦預金保険法 13 条(c) に基づいて同行の「不可欠性」を決定する際の基 礎になったものと思われる。なぜかと言えば, FDIC が通貨監督官,FRB と共同して,1980 年 4 月 28 日に発表したニュース・リリース43)では, 同行の「不可欠性」として,表現こそ異なるもの の上のメモランダムと似た理由がいくつも挙げら れているからである。例えば, (Citibank),チェース・マンハッタン・バンク (Chase Manhattan Bank),フィラデルフィア・ナ シ ョ ナ ル・ バ ン ク(Philadelphia National Bank) ―が,支援計画を練り始めた。そして何回かの同 会議を経て,4 月 23 日には 30 行の代表者たちを 交えて,同行の救済計画が承認されている42)  そして,こうした状況を踏まえて,銀行持株会 社ファースト・ペンシルベニア・コーポレーショ ンは,1980 年 4 月 25 日に,FDIC に連邦預金保 険法 13 条(c)に基づく同行の救済を求めた。同 日,通貨監督官のハイマン(John G. Heiman)は, FDIC に同行が閉鎖の危機にあることを保証した。 そして,FDIC は,それを受けて,4 月 28 日に同 行の継続的営業が同条項に盛り込まれた「不可欠 性原理」に当てはまる,つまり「同行がサービス を提供するコミュニティに十分な銀行サービスを 提供するのに不可欠」であるとし,同行の救済を 決定した。  それでは,ファースト・ペンの「不可欠性」は どこにあったのだろうか。 (3)ファースト・ペンの「不可欠性」  同行が閉鎖の危機にあったことは,通貨監督 官,FRB 理事会がそろって,同行は閉鎖の危機 に瀕しているという見解を示していたことからも 明らかであった。問題は,「不可欠性原理」で あった。同行の引き続く営業は,コミュニティに とってなぜ必要とみなされたのであろうか。それ を決めるにあたっては,同公社の法務対策責任者 (general counsel)のスキラーン(Frank L. Skillern)

が同公社理事会に出したメモランダムが参考にな る。彼は,そこでまず同行の継続的営業がコミュ ニティに十分な銀行サービスを提供するのに不可 欠であることは,同行が連邦預金保険法 13 条(c) に基づいて資金援助を求めて同公社に提出した申 請書に含まれた事実がその法的根拠となるとして いる。そのうえで,彼は,その事実について,次 のようなことを挙げている。 ① 同行は,フィラデルフィアで最大の銀行で あり,ペンシルバニアでは 2 番目,合衆国 では 23 番目に大きな銀行である。 ② 同行はフィラデルフィア地区での 40 オ フィスを含め,69 オフィスを持つ。 ③ 同行は 58 万 3000 預金者を持つ。

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の「不可欠性」を主張することはできないのであ る。 (4)FDIC による ファースト・ペンの救済  こうした事情は,破綻状態の同行をいかに処理 するのかということを巡る銀行監督当局の考え方 に も 表 れ て い る。 先 に 1980 年 4 月 中 旬 に, FDIC,通貨監督官,ファースト・ペン,それに モルガン・ガランティ等 4 行が同行の支援計画を 練り始めたということに触れたが,実は,これ以 前にも,銀行監督当局の間では,同行をどう処理 していくかについて検討されていた。同年 3 月下 旬には,上述のように,同行の経営危機が報じら れたが,ほぼ同じ時期に,同行の経営危機の認識 が 3 銀行当局の間で共有されていたからである。 とはいえ,同行をどのように処理したらよいのか については,監督当局の間で異なっていた。一方 の通貨監督官や連邦準備は FDIC による救済を望 んでいた。と言うのは,彼らはファースト・ペン が破産することになると,取引関係を通して,ア メリカ国内だけではなく海外でも銀行破綻の連鎖 を引き起こすことを恐れていたのであった44) 他方,FDIC 理事会や幹部職員は救済には反対45) で,同行を閉鎖し,他行と合併させる P&A によ る処理を望んでいた。なぜかと言うと,FDIC に は,1972 年のコモンウェルス・バンクの救済の 失敗が頭にあった46)だけでなく,当時,危機が 深化しつつあった相互貯蓄銀行を差し置いて,な ぜファースト・ペンを救済するのかと言う疑 問47)に答えがなかったからである。これは,同 行を救済する「不可欠性」がなかったということ を意味している。  しかし,ファースト・ペンの救済に反対する FDIC には,OCC,連邦準備から強い圧力がか かった。当時 FDIC 議長の職にあったスプレーグ は,その著書の中で,ファースト・ペンの処理の 「進め方の決定は,われわれの手が届かないとこ ろにあった。初めから,ファースト・ペンを破産 させてはならないという,強い圧力があった」と 述 べ た 後 で,FRB 副 議 長 の シ ュ ル ツ(Fred Shultz)は「選択肢はない―我々はこの銀行を救 わねばならない。ほかのことを話し合って時間を つぶすのは止めてくれ」と強く主張した,と述べ ているほどである48) ① 同行はフィラデルフィアで最大,ペンシル バニアで 2 番目の大きな銀行で,コミュニ ティにユニークなサービスを提供してい る。 ② 同行は,フィラデルフィアでリテール・バ ンキング市場の 19%と 40 支店を持ち,人 口過密地区のマイノリティと低所得者を含 むコミュニティへの金融サービスに決定的 な役割を果たしている。 ③ 同行は,同地区で主導的な消費者信用の提 供者のうちの一つで,27 万以上の消費者 貸付・クレジットカード顧客を持ち,4 億 2500 万ドルの残高を持っている。 ④ 同行はフィラデルフィア市と同学区への重 要な貸し手であって,合わせて 2000 万ド ルの貸付を持つ。  ここでは,FDIC が 1980 年 4 月 28 日に同行を 「不可欠」とした理由をいくつか挙げたに過ぎな いが,その他の理由を見ても,次のことは言える であろう。すなわち,FDIC によって同行の「不 可欠性」として挙げられている理由のほとんど は,ファースト・ペンが(フィラデルフィアで最 大,ペンシルバニアで 2 番目,合衆国では 23 番 目の)大銀行であるということに関連したものと なっている。換言すれば,ファースト・ペンは大 銀行であるがゆえに,フィラデルフィア地区で 様々な銀行業務で重要な役割を果たしているとい うことが同行の継続的営業の「不可欠」な理由な のである。この点は,破綻処理されず,連邦預金 保険法 13 条(c)に基づいて,FDIC の資金援助 で引き続いてその営業継続を認められた,それま でのユニティ・バンクをはじめとした 4 例に見ら れた「不可欠性」とは大きく異なっている。これ らでは,黒人コミュニティに十分な銀行サービス を提供するのに「不可欠」であるとか,当該行の コミュニティには当該行に代替する銀行が存在し ないとか,州所有資金の唯一の預金金融機関であ るとか言った「不可欠性」が存在した。しかし, ファースト・ペンでは,フィラデルフィアと言う 「コミュニティ」で同行がいかに「不可欠」なの か,証明されていない。同地区には,同行に代替 することのできるいくつもの銀行が存在するた め,フィラデルフィアにおける同行の継続的営業

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貸付と 2000 万ドルのワラント買い取り,民間銀 行による 10 億ドルのクレジット・ライン供与, 連邦準備割引窓口へのアクセス供与がなされるこ とや,FDIC によるローンの貸付条件が記されて いる。これに,1980 年 4 月 28 日の FDIC,連邦 準備,OCC の共同発表に記されていることを補 足すると,同行に対する救済パッケージはより詳 細なところまで明らかになる。つまり, ① 「5 年の劣後ノート(subordinated notes)5 億ドル」のうちの FDIC 分 3 億 2500 万ド ルの利率は具体的に 10.67% となり,民間 銀行分 1 億 7500 万ドルは 1 年物 CD レー トが基準となる。FDIC のローンは,民間 銀行の援助に劣後するが,同行の劣後債所 有者や株主に優先する。また,支援銀行の ローンは,同行預金者や一般債権者に劣後 するが,FDIC を含む他の劣後債権者に優 先する。 ② ファースト・ペンシルバニア・コーポレー ションがプロラタ方式で FDIC 及び支援銀 行に発行するワラントは,1 株 3 ドルで同 行(正確には同社)の普通株 2000 万株を 購入しうる。この行使価格は,1980 年 3 月 17 日から同年 4 月 15 日までの持株会社 株式の終値平均の 50%に相当する。行使 期限は 7 年とし,行使による資金は,同行 資本に組み入れられる。 ③ ワラントを含む FDIC の資金援助は,同年 5 月に開催される親会社の株主総会に提出 され,承認される。  このような救済パッケージで,ファースト・ペ ンは救済された。しかし,同行の救済は,連邦預 金保険法 13 条(c)に規定する「不可欠」性より もその規模の大きさに鑑みてなされたものであっ た。そういう意味では,同行の救済は数年後のコ ンチネンタル・イリノイ救済へのワンステップと なった。現に,以後の論文でも明らかにするよう に,ファースト・ペンの救済の手法は,コンチネ ンタル・イリノイ救済でも継承されていく。同時 に,大銀行が破綻に直面した場合に,ファース ト・ペンの場合のように救済されるにせよ,ある いは場合によっては,P&A によって処理される にせよ,当時の銀行破綻処理法制には不十分な点  そして,そういった他の監督当局からの圧力 や,同行を救済以外の方法で処理する場合に生じ る問題点が明らかになる49)につれ,スプレーグ も 同 行 の 救 済 を 容 認 し た た め, 最 終 的 に は, FDIC 理事会は同行の救済を満場一致で決議する に至った50)。その前提には,上述のように,ス キラーンによる同理事会宛のメモランダムに基づ いた同理事会なりのファースト・ペンの「不可欠 性」の承認があったことは,言うまでもない。  それでは,ファースト・ペンの救済パッケージ はどんなものだったのだろうか。これは,後に行 われる救済パッケージの先駆けとしての意味を 持ってくるので,少し触れておきたい。  1980 年 4 月に FDIC 理事会で決定された救済 パッケージを最も要領よくまとめているのは, FDIC『年報』1980 年版である。そこには次のよ うに述べられている。  1980 年 4 月 28 日に「FDIC,連邦準備,通貨 監督官は,フィラデルフィアのファースト・ペン シルバニア・コーポレーションの子会社ファース ト・ペンシルバニア・バンクの存続と継続的な強 化を確実なものとするための 5 億ドルの援助パッ ケージを共同発表した。/当時フィラデルフィア 最大で,全国では 23 番目の大銀行であるファー スト・ペンシルバニア・バンクに対する資金援助 は,5 年 の 劣 後 ノ ー ト(subordinated notes)5 億 ドルの形であった。すなわち 3 億 2500 万ドルは FDIC によって供給され,1 億 7500 万ドルは全国 及びフィラデルフィア地区の主導的な銀行グルー プによって供給された。それは 10 億ドルのバン ク・クレジット・ラインと連邦準備割引窓口に対 するアクセスによって補充された。/ファース ト・ペンシルバニア・バンクと FDIC の間の援助 合意は,FDIC のローンは最初の 1 年は無利子, 最後の 4 年は FDIC の投資ポートフォリオに対す る利回りの 125 パーセントの利付,と規定してい る。合意はまた,1 株当たり 3 ドルでの FDIC 及 び貸し手銀行による 2000 万ドルの銀行持株会社 の新株引受権(warrant)を伴っている。ローン 未済の間,同行,持株会社,関連会社は,特別な 報告義務・監督に従い,FDIC による経営プラン の承認を経る必要がある。」51)  ここには,同行への資金援助の内容としては, FDIC と民間銀行による合わせて 5 億ドルの劣後

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8 )Ibid.

9 )FDIC, The First Fifty Years, 1984, pp.86-87. 破 産管財人制度(receivership)は,コミュニ ティに対する経済的ショックが大きいだけで なく,銀行取付けを引き起こすと主張する FDIC 理事就任予定のハール(Maple T. Harl) に対して,フルブライトは,① FDIC は 1944 年より,レシーバーシップが本質的に悪いこ とであり,レシーバーシップを取り除くのが 適当な政策と信じてきたこと,② 1944 年か ら,すべての FDIC による銀行破綻処理で合 併政策が採用されて,付保限度額を超えて全 預金が付保されており,しかもそれは破綻銀 行の債務がどのくらいあるかわからない破綻 表面化後 1,2 日のうちに行われていること, ③債務がわからなかったら,合併ルート,レ シーバーシップ・ルートのどちらが FDIC に とって損失が大きいかの決定ができないこ と,④レシーバーシップなら FDIC の債務を 現行付保限度 1 万ドルに制限されるので,レ シーバーシップこそが妥当なルートであるこ と,⑤もし,合併政策がよい政策と言うのな ら,法においても認識され,現行付保限度 1 万ドルに基づいて決められる保険料や保険制 度全体の構造もそれに沿ったものに再構成さ れる必要があること,⑥合併政策が正しいと いうのなら,政策としてそれを述べた立法を 示す用意がなければならないこと,を主張し て い た(U.S.Congress, Senate, Subcommittee on Securities, Insurance, and Banking(Excluding Federal Reserve Matters) of the Committee on Banking and Currency, Nominations of H.Earl

Cook and Maple T.Harl, Part 2, 82nd Cong., 1st

Sess., Government Printing Office, 1951, pp.114-20)。

10)U.S.Congress, House, Subcommittee on Commerce, Consumer and Monetary Affairs of the Committee on Government Operations, FDIC

and FSLIC Procedures for Handling Financial Institution Failures and Speculation, 97th Cong.,

1st Sess., Government Printing Office, 1981, p.51. 11)FDIC,Annual Report,1976,p.21. な お, こ の時に,デラウエア州はファーマーズ・バン が明らかになってきたという点も見逃せない。同 行の救済後,連邦預金保険法の改正が行われてい く。この改正は,ツービッグ・ツーフェイルと言 う面からみると,是非とも見ておかねばならない 重要な改正であった。次に,それについて見てお こう。 (未完) 〔注〕

1 )FDIC, News Release, September 8, 1974. なお, このように非加盟銀行は,連邦準備から融資 を受けられないという状況は,1980 年通貨 統制法(Monetary Control Act of 1980)で改 められた。同法では,取引口座あるいは非個 人定期預金(transaction account or nonpersonal time deposits)を提供する預金金融機関は, それまでは課されていなかった非加盟銀行を 含め,すべて必要準備(reserve requirements) を課されるようになるとともに,連邦準備非 加盟銀行は加盟銀行と同様に連邦準備から割 引・借入れする権利を与えられることとなっ た。ただし,その場合の金融融機関借入れ は,加盟・非加盟を問わず,同種の貸し手か らタイムリーに資金を入手できない限りであ り,しかも即刻必要な現金あるいは準備金需 要を満たすために一時的に利用できるのみで ある(FRB, The Monetary Control Act of 1980, Publication, December, 1980)。

2 )FDIC, Annual Report, 1974, p.8; The First Fifty

Years: A History of the FDIC 1933-1983, 1984,

p.94.

3 )FDIC, News Release, March 15, 1976.

4 )FDIC, Annual Report, 1976, p.21; U.S.Congress, House, Committee on Banking, Finance and Urban Affairs, Monetary Control and the

Membership Problem: Hearings, 95th Cong., 2nd

Sess., Government Printing Office, 1978, p.674. 5 )Allardice, David R., State-Owned Banks: New

Wine for Old Bottles? Business Conditions, Federal Reserve Bank of Chicago, July 1976, p.10.

6 )FDIC, Annual Report, 1976, p.21. 7 )FDIC, News Release, March 15, 1976.

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95%を占めているという(ibid., p.124)から, 同社の分析は同行の分析と言ってもよいだろ う。 26)Ibid., p.127, Table 5.6. 27)Ibid., p.128. 28)Ibid., p.129, Table 5.7. 29)Sprague, op.cit., p.85(同訳,107 頁). 30)Maisel, op.cit., p.129, Table 5.7. 31)Ibid., p.9. 32)Ibid., p.128. その他には,4 分の 1 が,他行定 期預金,トレーディング勘定証券,売却フェ デラルファンド,リセール・パーチェスと 言った市場性資産,4 分の 1 がある種の商業 貸付,消費者ローン,モーゲージといった固 定金利貸付,3 分の 1 がプライムに連動した 可変金利貸付であった(ibid.)。 33)この purchased money と言う表現は,FRB で はよく使われる表現である。スプレーグで は,買入れ負債(purchased liabilities)と表 現されている(Sprague, op.cit., p.84(同訳, 106 頁))。

34)FDIC, Managing the Crisis, p.517.

35)Sprague, op.cit., p.86(同訳,107 頁). FDIC は, スプレーグのこの数値をそのまま是認してい る(FDIC, Managing the Crisis, p.517)。 も っ とも,この数字については,全く異なった数 字も出されている。先に本文のなかで「金利 が下がるのではなく上昇すると,同行の債券 ポートフォリオは 8900 万ドル市場価値が低 下したと推定され」ると言うベンストンの一 部を引用した。ここでは,8900 万ドル債券 価格が低下したこととなっている。また,マ イゼルがファースト・ペンシルバニア・コー ポレーションの『年報』に依拠して作成した 証券ポートフォリオの満期構成表によれば, 1979 年末の証券の簿価は 15 億 8900 万ドル (うち政府証券は 11 億 7700 万ドル),市場価 格は 13 億 9800 万ドル(うち政府証券 10 億 1500 万ドル)となっている(Maisel,op.cit., p.129, Table 5.7)。これを見ると,証券の値下 がりは,証券全体で 1 億 9100 万ドル,政府 証券だけだと 1 億 6200 万ドルと言うことに なる。このように FDIC,ベンストン(さら に辿ればマイゼル),同行『年報』の間の数 クの投票権付優先株を 2000 万ドル買入れた ほか,同行に最低残高を残すという合意も履 行している(ibid.)。

12)U.S.Congress, House, Committee on Banking, Finance and Urban Affairs, The Report of the

Interagency Task Force on Thrift Institutions,

96th Cong., 2nd Sess., Government Printing Office, 1980, p.157. なお,同行は,1980 年末 までに 13 条(c)の適用を受けた他の 3 行と 同じように,FDIC による劣後ローンの供与 を受けている。ただし,その金額は不明であ る。

13)FDIC, Managing the Crisis: The FDIC and RTC

Experience 1980-1994, 1998, pp.515-16.

14)Sprague, Irvine H., Bailout: An Insider s Account

of Bank Failures and Rescues, Basic Books,

1986, p77(高木仁・佐々木仁・立脇和夫・戸 田壮一・柴田武男訳『銀行 破綻から緊急救 済へ―連邦預金保険公社理事会・元議長の証 言』東洋経済新報社,1988 年,96 頁). 15)Ibid.,p.79(同訳,99 頁,但し同訳どおりで はない). 16)Ibid., pp.77-79(同訳,96 ∼ 99 頁). 17)Ibid., p.79(同訳,99 頁).この時初めて,ス プ レ ー グ は, 通 貨 監 督 官 ハ イ マ ン(John Heimann)から,同行が「破綻に瀕している」 ことを告げられたのである。 18)Ibid., pp.80-81(同訳,100 ∼ 01 頁).

19)Maisel, Sherman J., ed., Risk and Capital

Adequacy in Commercial Banks, University of

Chicago Press, 1981, p.130.

20)Benston, George J., Robert A.Eisenbeis, Paul M.Horvitz, Edward J.Kane, and George G. Kaufman, Perspectives on Safe & Sound

Banking: Past, Present, and Future, MIT Press,

1986, p.6. 21)Sprague, op.cit., p.84(同訳,105 ∼ 06 頁). 22)Maisel, op.cit., p.124. 23)Ibid., p.125. 24)Ibid., pp.132-33. 25)ただし,ここでの記述は,同行持株会社 ファースト・ペンシルバニア・コーポレー ション(First Pennsylvania Corporation)を対 象としている。同行は同持株会社の 85 ∼

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については,ワシントンの政治機構の一人と してキャリアを積んできた彼は,波風を立て たくはなかったのだと評している。他方,同 行の救済パッケージが FDIC 理事会に提出さ れた時に,アイザック自身も同案には反対投 票をしなかった。彼は,その理由として理事 会の一致を示そうとしたのだと弁明してはい るが,しかし,このことは彼にとっては心の 傷として後日まで残ったようである(Isaac, William M., Senseless Panic: How Washington

Failed America, John Wiley & Sons, 2010,

p.14)。

51)FDIC, Annual Report, 1980, p.17. 字に大きな違いが出たのはなぜなのか,理由

は不明である。

36)FDIC, Managing the Crisis, p.517. 37)Business Week, May 12, 1980, p.108. 38)Maisel, op.cit., p.12.

39)Business Week, op.cit.「3 億 5000 万 ド ル の 証 券売却をすることになれば,その損失は 7500 万ドルにも達」するというのは,単な る仮定ではない。後述するファースト・ぺン への資金援助のパッケージでは,FDIC の貸 付の条件として,「同行は 7500 万ドルの損失 を認識するのに十分な証券を売却する」と言 う一項目が入っているからである。本文の売 却される「3 億 5000 万ドルの証券」は「7500 万ドルの損失」から逆算したものであろう。 もっとも,このパッケージでは,その売却期 間は「今年」となっていて,本文の「翌第 2 四半期」とは異なっている(Comptroller of the Currency, Federal Deposit Insurance Corporation, Federal Reserve Board, Joint News Release, April 28, 1980)。

40)Maisel, op.cit., p.12.

41)Sprague, op.cit., p.80(同訳,100 頁). 42)Business Week, op.cit., p.109.

43)これは,FDIC と支援銀行との間の合意事項 を,連邦 3 銀行監督機関の共同発表としたも のである。 44)Sprague, op.cit., p.89(同訳,111 頁). 45)当時の FDIC 理事会は,3 人構成であった。 そのうちの一人は,通貨監督官と兼任するハ イマンであった。彼は当初からファースト・ ペンの救済を主張していた。したがって, FDIC 理事会が救済に反対だったというのは, 残りの理事 2 人(FDIC 議長のスプレーグと アイザック(William M.Isaac))が救済に反 対であったということを意味する。これら 2 人の理事の中では,アイザックは強硬に反対 した。 46)Sprague, op.cit., p.89(同訳,111 ∼ 12 頁). 47)Ibid., pp.90-91(同訳,114 頁). 48)Ibid., pp.88-89,(同訳,111 頁). 49)この点については,本論集次号で触れる予定 である。 50)注 45)のアイザックは,スプレーグの変心

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