• 検索結果がありません。

目次はじめに レオナルド シャーシャの文学 探偵小説の解体とマフィア シャーシャと探偵小説 真昼のふくろう (1961) 人それぞれに (1966) 単純な話 (1989) 小結... 2

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "目次はじめに レオナルド シャーシャの文学 探偵小説の解体とマフィア シャーシャと探偵小説 真昼のふくろう (1961) 人それぞれに (1966) 単純な話 (1989) 小結... 2"

Copied!
142
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

立命館大学審査博士論文

レオナルド・シャーシャと社会派推理小説

(Leonardo Sciascia and social mystery)

2017 年 9 月

September 2017

立命館大学大学院文学研究科

人文学専攻博士課程後期課程

Doctoral Program: Major in Humanities

Graduate School of Letters

Ritsumeikan University

吉村 法子

YOSHIMURA Noriko

研究指導教員: 檜枝 陽一郎 教授

Supervisor:Professor HIEDA Yoichiro

(2)

1 目次 はじめに ... 3 1. レオナルド・シャーシャの文学―探偵小説の解体とマフィア― ... 6 1.1. シャーシャと探偵小説 ... 7 1.2.『真昼のふくろう』(1961) ... 10 1.3. 『人それぞれに』(1966) ... 14 1.4. 『単純な話』(1989)... 17 小結 ... 22 2. レオナルド・シャーシャとジャーナリズム ... 24 2.1.地方紙での仕事... 26 2.2. 政党紙での仕事 ... 30 2.3. 全国紙での仕事 ... 38 小結 ... 42 3. シャーシャとカトリック ... 45 3.1. 第二ヴァチカン公会議に見るカトリック教会の現代化 ... 46 3.2. 『信教の自由に関する宣言』:国家権力との関係性 ... 48 3.3. 『司祭の役務と生活に関する教令』:問われる聖職者の在り方 ... 50 3.4. 『現代世界憲章』:無神論への対応 ... 53 小結 ... 57 4. シャーシャと南部イタリア ... 58 4.1. アントニオ・グラムシによる考察 ... 58 4.2. 南部イタリアの政治家アルド・モーロに関する考察 ... 60

(3)

2 小結 ... 64 5. イタリア社会派推理小説の成立過程における松本清張作品の受容について ―『霧の 会議』とレオナルド・シャーシャ― ... 65 5.1. イタリアにおける松本清張作品の受容 ... 67 5.2. イタリア推理小説と知識人 ... 90 5.3. 松本清張とレオナルド・シャーシャの近似性 ... 102 小結 ... 122 まとめ ... 123 引用参考文献 ... 128

(4)

3 はじめに 本論文は20 世紀イタリアの作家レオナルド・シャーシャ Leonardo Sciascia(1921-1989)の「社会派推理小説」を研究対象としている。「社会派」で「推理小説の手法」 を用いている点がシャーシャ文学の特徴と目されており、いかにしてシャーシャ独自 の“社会派推理小説”が生み出されていったのかを考察する。特徴を形成した要素とし て、世界的な文学の流れ(1940 年代から 1960 年代にかけて純文学の作家が探偵小説 の手法を使い始めたこと)、ジャーナリズムとの関わり、イタリア内における東西冷戦 体制構造、南部イタリア認識が挙げられる。さらに補遺的な位置づけで、日本の“社会 派推理小説”巨匠と目される松本清張を取り上げる。両者の近似性が世界的な文学の流 れと冷戦体制構造に基づいていることを検証する。 第1 章では、シャーシャ独自の社会派推理小説がどのように誕生したのかを見てい く。1961 年に発表した『真昼のふくろう』はイタリア社会に大きな衝撃を与えた。マ フィアという題材について、そして謎解きという探偵小説の技法を借用したからであ る。1950 年代にいくつかの探偵小説論を発表していることからも、技法の借用はけっ して偶然ではない。折りしも1940 年代から 1960 年代にかけて、世界の純文学作家た ちが探偵小説の技法を拝借して、独自の文学作品を発表していた時期である。探偵小 説の黄金期は1920 年代から 1930 年代で、その技法は使い古されていたが、純文学の 作家たちに取り入れられることによって、変形されて新たな文学スタイルを生んだ。 シャーシャの1950 年代の探偵小説論や 1961 年の『真昼のふくろう』はこの世界的な 流れのなかにあったのだ。1950 代に発表した探偵小説論を取り上げ、シャーシャの推 理小説との関わりを見ていく。さらに探偵小説の手法を用いてマフィアを描いた書い た作品を検証していく。 第2 章では、「社会派」の作家と目される点について、ジャーナリスティックな作風 が、ジャーナリズムとの関わりの中で生まれていったことを示す。新聞との新たな関 わりは、それまで文芸誌との関わりであったシャーシャの視野を広げる契機となり、 新聞や雑誌の文化欄にも数多くの評論やエッセイなどを発表している。地方紙-政党 紙-全国紙のカテゴリーに分けて、小説『真昼のふくろう』での成功を得て、地方か ら全国へ、さらには党派性をもった媒体から隔てのない媒体へと広がっていった執筆

(5)

4 活動を追う。とりわけ、シチリアの新聞『オーラ L’Ora』や、共産党日刊紙『ウニタ L’Unità』、共産党機関誌『リナッシタRinascita』との関わりは深く、寄稿した記事か ら「社会的責務」の意識が見える。ファシズム時代からの左翼との関係がその文学に 大きな影響を及ぼしている。 第3 章で分析の対象となるのは、シャーシャ作品の背景にあるイタリア人の宗教観 である。シャーシャの作品には世俗化した聖職者が度々登場する。聖職者の登場によ って、イタリア社会が抱えている問題を推理小説の中で浮かび上がらせている。近代 国家の誕生以降、生き残りを図ってきたカトリック教会は、体制の刷新と現代化を目 指して 1962 年から 1965 年にかけて第二ヴァチカン公会議を開催した。採択された 『信教の自由に関する宣言』にみる国家権力との関係性、『司祭の役務と生活に関する 教令』にみる問われる聖職者の在り方、『現代世界憲章』で取り上げられた無神論への 対応について扱う。カトリック教会やイタリア人がどのような問題を抱え、対応しよ うとしてきたのかを『第二ヴァチカン公会議公文書』から捉え、シャーシャの“社会派 推理小説”作品の要素となっていることを示す。 第4 章では、独自の社会派推理小説の要素となっている「南部イタリア」について 考察をする。南部イタリアの知識人として、イタリア共産党創始者であるアントニオ・ グラムシ、そしてキリスト教民主党党首アルド・モーロを取り上げる。グラムシの南 部イタリアに関する考察はシャーシャ作品にも大きく重なる。またシャーシャはモー ロを典型的な「南部イタリアの政治家 un uomo politico meridionale」として度々言 及している。この“南部イタリア meridionale”の意味するところは何か。シャーシャは

同じシチリア出身の作家ヴィタリアーノ全集の編纂にあたって「片目で眠ること Del

dormire con un solo occhio」と題した序文を書いた。この序文で、若き日のブランカ ーティが書いた“ヨーロッパの知性と、アフリカの神秘の交錯する場所がシチリアであ る”という主旨の文章を印象的に取り上げている。ヨーロッパの知性は目を開いた状態 であり、アフリカの神秘は目を閉じた状態―すなわち理性が眠っている―を指している。 シャーシャにとっての“meridionale”はまさに片目をつぶった状態を指している。 第5 章では視点を変えて、日本の社会派推理小説の巨匠である松本清張との近似性 からシャーシャにアプローチしていく。松本清張作品はイタリア語にも翻訳されてい るが、これまで全容が把握されてこなかった。イタリアにおける松本清張作品受容を 調査結果とともに、権力者による集会を描いた点において、松本清張の『霧の会議』

(6)

5

と似ている『トード・モード』の検証を行った。奇しくも同じ時期に作家活動を行っ

た異なる国の2 人の作家の両作家の近似性が、世界的な文学の流れや、冷戦体制社会

(7)

6

1. レオナルド・シャーシャの文学―探偵小説の解体とマフィア―1

シチリア出身の作家レオナルド・シャーシャ(1921‐1989)には、「マフィアの小説家」

のイメージが常についてまわる。1961 年、自身初のマフィア小説『Il giorno della civetta(邦題:真昼のふくろう)』で作家としての地位を確立して以降、生涯に渡って マフィアを小説の題材とした作品を残している。本稿では、シャーシャがマフィアを 描くにあたって用いた<探偵小説の手法>に関して考察していきたい。

なお、いくつかのイタリア語文献にみられた語句 giallo2 romanzo polizieszo は

「探偵小説」と訳した。「探偵小説」は戦前の日本で一般的だった呼称である。今回一

般的に耳慣れた「推理小説」と訳さなかったのは、英語での呼称 detective story や

detective novel を尊重してのことである。

シャーシャがマフィアを描いた小説の中から、探偵小説の手法を用いた作品-『真 昼のふくろう)』、『A ciascuno il suo(邦題:人それぞれに)』(1966)、『Una storia

semplice (単純な話)』(1989)3-を取り上げたい。なお今回は取り上げないが、政 治の腐敗を描いた『Il contesto (邦題:権力の朝)』(1971)4や、カトリックと権力の 問題を描いた『Todo modo(トード・モード)』(1974)5にも探偵小説の手法が取り入れ られている。 約30 年間という時を経てマフィアが、そしてシチリア社会がどのように変容したの であろうか。最後の小説『単純な話』は実に簡潔な構造だが、それでいてシャーシャ のマフィアやシチリアへの思いが凝縮されている。 1 『立命館文學』616 号(2010 年 3 月発行)に掲載。 2 イタリアにおける探偵小説は、他国に比べてその歴史が浅い。1929 年、大手出版会社モン ダドーリが英国製探偵小説を公的にイタリア市場に供給し始め、ようやく教養ある広汎な読 者層のこのジャンルへの開眼が生じる。モンダドーリはイタリア語訳を「i libri gialli(黄表 紙本)」という名の叢書にして出版した。「giallo(黄)」は読者の目を惹くために、この変わ った色を表紙に用いたところからついた名で、「 黄ジャッロ」はこのジャンルを指す名となった。 3 1994 年に出版された武谷なおみによる邦題は、『ちいさなマフィアの話』とされているが、 本稿では原題をそのまま邦訳する。出版上の理由からつけられた武谷の邦題では、原題が本 文に与えるニュアンスが伝わりにくいと考えてのことである。 4 『権力の朝(原題:脈絡)』(千種堅訳、新潮社、1976 年)は、ある架空の国で、検事や判 事が連続して殺される。事件を担当したロガス警部は政界の裏側を見る。 5『トード・モード』では、政治と宗教の共謀関係が描かれている。「心霊修行」と称した、政 治家、銀行の頭取、国営企業のトップ、枢機卿たちの怪しげな集まりがあり、そのなかで殺 人が起こる。

(8)

7 1.1. シャーシャと探偵小説 一般的に探偵小説がジャンルとして公式に誕生したのは、1841 年 4 月「グレアム・ マガジン」誌にエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』の発表をもって、だとさ れている。探偵小説のジャンルはフランスやイギリスに移植され、エミール・ガボリ オーやコナン・ドイル、アガサ・クリスティらによって発展を遂げ、1920 年代・1930 年代には黄金期をむかえた。アメリカでは英国古典的探偵小説を模倣し、アメリカ人 読者の嗜好に合うようにした改変する動きがあり、S. S. ヴァンダインやエラリー・ク イーンが、可能な限りの論理パズルの組み合わせに挑戦し、あらゆる可能性を試し尽 くしたといわれている。同時期にアメリカで隆盛したのが、ダシール・ハメットやレ イモンド・チャンドラーに代表される「ハードボイルド派」である。さらに第二次世 界大戦後には、ミッキー・スピレーンのような暴力と残忍さが際立った探偵小説が登 場し、新たな展開を迎える。その後探偵小説の分野には、必ずしも推理を必要としな いサスペンスやスリラーなどが登場する。 そして探偵小説の手法は別のところにも影響を与えていった。1940 年代から 1960 年代前半までに「純」文学の作家たちが、探偵小説の手法を自らの作品に取り入れる ようになったのだ。彼らは「文学的な小説を書く」ために、使い古されてしまった探 偵小説の手法を使い始めた。しかしそのまま使ったのではなく、探偵小説の形式を用 いつつも、従来の探偵小説と全くちがったものを作り出すようになった。「純」文学作 家に使われることによって、探偵小説のジャンルを特徴付けていたその形式が崩壊し はじめた。読者の共感を呼ばず信頼できない探偵、解決のない結末、処罰されない犯 人など、従来の探偵小説ではありえない設定が生み出された。「純」文学作家たちは探 偵小説を改良・発展させようとしたのではない。伝統的な小説に応用できそうな新し い技術を、二流文学とみなされ、かつ行き詰っていた探偵小説の形式から利用しよう としたのだ。実際探偵小説は、誕生してから1950 年代まで、副次文学ジャンルとみな されて過小評価されてきた。長年批評家や作家は、探偵小説を文学領域の外にあるも のとして位置づけ、教養や文学的味わいを欠いた大衆的なものとみなし、探偵小説家 たちも自らの作品を芸術だとは思っていなかったのだ。Stefano Tani らが指摘するよ うに、シャーシャもまたこの歴史的な潮流にのっていたと言えるだろう。 シャーシャは、探偵小説の手法を自身の作品に用いる前に、1950 年代にいくつかの

(9)

8

探 偵 小 説 論 を 発 表 し て い る 。1953 年 に 「 Letteratura ( 文 学 )」 に 発 表 さ れ た 「Letteratura del «giallo»(“探偵小説”の文学)」と題された論文の中に、「純」文学の 作家と探偵小説家が相互に与えた影響についての言及がある。

A parte Poe, anche da uno scrittore come Melville (e pensiamo al Benito Cereno) gli scittori di gialli hanno appreso qualcosa; e poi da Stevenson e da Conrad(ma quest’ultimo ne ha avuto in cambio più di una suggestione tecnica ); e infine, i migliori, anche da Proust e da Kafka. D’altra parte, pensiamo che Hammett abbia avuto una influenza notevole su Hemingway; e che la tecnica di un Graham Green e, da noi, di un Soldati, nascono da una esperienza del giallo. (…) Comunque, è certo che narratori come Hemingway Faulkner e Cain hanno molto appreso dal giallo: e non soltanto in senso tecnico6.(ポーを別にして、メ

ルヴィルのような作家から(そして『ベニート・セレーノ』のことを考えてみよ う)、探偵小説の作家たちは何かを習得した。そしてスティーヴンソンやコンラッ ドのような作家からも(しかしコンラッドはその代わりに技術的な影響以上のも のを探偵小説から受けた)。そして遂にはプルーストやカフカのような偉大な作家 からも。だがしかし、ハメットがヘミングウェイに与えた著しい影響を考えてみ よう。そしてまた、グレアム・グリーンやソルダーティのような技法が探偵小説の 経験によって生まれたことも考えてみよう。(略)いずれにせよ、ヘミングウェイ やフォークナーやケインのような小説家が、単に技術的な意味だけではなく「探 偵小説」から多くを学び取っていたのは確かだ。)

また1954 年に「Nuova Corrente(ヌオーヴァ・コッレンテ)」に 発表された「Appunti

sul «giallo»(探偵小説に関する覚書)」では、探偵小説の分類を行っている。

Distinguiamo innanzi tutti due moduli (o due momenti) del giallo: una narrazzione schematizzata nella ricostruzione logica, intellettuale di un crimine,

6 Leonardo Sciascia, ‘Letteratura del «giallo»’, in «Letteratura» Maggio-Giugno, Roma,

(10)

9

e quindi con una spiccata caratteristica di cruciverba narrativo capace di stimolare e impegnare i riflessi intellettivi del lettore; e una narrazione segnata da una ininterrotta corrente emotiva cui il lettore si abbandona senza possibilità di reazioni intellettuali. Il primo modulo nasce da quei racconti del ragionamento di Edgar Poe che si possono considerare i primi e più perfetti esemplari del genere poliziesco; il secondo ha i suoi precedenti più legittimi nei racconti del terrore, nella letteratura nera7.(まず始めに、探偵小説の 2 つの型

(もしくは2 つの契機)に区別しよう。ひとつは犯罪の論理的かつ知的再構成にお いて図式化された叙述であり、したがって、読者の知的反応を刺激したり強いたり する叙述的クロスワード・パズルの性質を明らかに備えている。そしてもうひとつ は、読者が知的反応をすることなく夢中になるような、絶え間ない感情の流れに特 徴づけられた叙述である。最初の型はエドガー・ポーの「推理小説」から生まれて いて、それは探偵小説ジャンルの最初のすばらしい模範と考えられるものである。 2 番目の型は、恐怖小説や「暗黒」小説の中に、最も正統な先例がある。) シャーシャは第2 の型に関して、1400 年代、1500 年代の司法の報告書の人気の高さ を例にとり、いつの時代も大衆が何か恐怖を抱かせるもの、異様なもの、酸鼻なこと を望む傾向を読み取っている。それらの報告書には、極刑を伴った騒々しい裁判や、 腐敗と復讐の惨事、拷問、四つ裂きの刑、斬首の綿密な記述がなされているからだ。 実際に知的推理を核とする探偵小説は、1920~1930 年代に頂点を極め、その後停滞し (ハード・ボイルドは、一般的にこの型の変種とされている)、大衆の志向は恐怖や奇 形や異様なものへの関心を基礎とした第二の型に戻りつつあることを示している。『真 昼のふくろう』の成功は、探偵小説の手法を用いただけではなく、マフィアという恐 怖を抱かせるセンセーショナルな犯罪組織を対象とし、犯罪を描いた点にもあると考 えられる。 こうしたシャーシャの探偵小説論について、Stefano Tani は次のような考えを示し ている。

7 Sciascia. Leonardo, ‘Appunti sul «giallo»’, in «Nuova corrente» Giugno, Genova,

(11)

10 おそらくはこういうエッセーを書き継ぐことでシャーシャは探偵小説の持つ芸術 的可能性を理解し、その構造に内在する合理性を介していかに易々と彼が表現した いと思っていた明快な社会的告発が伝えらえるものかを理解したのである。この批 評家としての理解が作家シャーシャのものとなるのに暇はかからなかった。彼の小 説のほとんどが探偵小説のプロットをさまざまに新しい目的に沿って利用したも のであることからも、そのことは伺える【たとえば『真昼のふくろう』1961、『人 にそれぞれのものを』1966、『あらゆる点で』1974】。シャーシャの中心的な意図 はシチリアの【そして一般的にイタリアの】悲惨な状況を批判的に活写することで ある。公的権力【国家】をついにはお互いまるで区別できなくなるまでに腐りきら せたある地下の権力【マフィア】に支配された彼の島の社会的、政治的状況を描き だすことなのである8 実際にシャーシャは探偵小説をよく読み、研究していたと思う。しかし彼は伝統的な 探偵小説を書かなかった。彼の狙いが謎解きにあるわけではないからだ。彼は探偵小 説の構造が持つ文学的な可能性に挑んだのである。 1.2.『真昼のふくろう』(1961) シャーシャが初めてマフィアを題材に選んだ小説『真昼のふくろう』は、社会的に 大きな反響を持って受け入れられ、作家としての地位を確立させた作品となった。そ の売れ行きはおよそ100 万部にのぼると言われ、1968 年にはダミアーノ・ダミアーニ によって映画化されている9。この作品は1947 年 1 月にシャッカでマフィアによって 殺害された共産党員の組合活動家ミラリアの事件に着想を得ている。今日のように新 聞上でマフィアのことが語られたりすることはなかった時代に、シャーシャがマフィ アに関する小説を出したことの意義は大きい。それまでにマフィアに関する研究書や、 8 ステファノ・ターニ、『やぶれさる探偵小説のポストモダン』、高山宏訳、東京図書、p.88。 (以下、ステーファノ・ターニ『やぶれさる探偵』)

(12)

11

マフィアを弁明するシチリア人が書いた喜劇は存在したが、物語作品でこの問題を強

調して取り扱ったものはなかったからである。そしてまた、「純」文学の作家が探偵小

説の形式を用いた点も新鮮であった。この点に関してシャーシャの全集を編纂した Claude Ambroise は「Non casuale però è l’incontro tra una forma (il giallo), un contenuto (la mafia), e un pubblico (il lettore come cittadino)(しかし、表現形式(探 偵小説)、内容(マフィア)、そして大衆(市民としての読者)の出会いは偶然ではな い)」10と指摘している。 『真昼のふくろう』は、シチリアのある町でひとりの男が射殺される場面から始ま る。被害者はサルヴァトーレ・コラスベルナという建設共同組合の組長であった。現 場に居合わせ、おそらく犯人を見たであろう者たちはバスの運転手を残して皆逃げて しまう。下手に証言をして犯人から報復されることを恐れたためであった。この事件 の調査に乗り出したのは、北イタリアから赴任したばかりの憲兵中隊指揮官ベッロー ディ大尉である。 目撃証言が得られず捜査が難航する中、剪定人のパオロ・二コローシが行方不明に なっていることが判明する。コラスベルナが射殺されたとき、二コローシは同じ時間 帯に家から出ていて犯人を見てしまったのではないかと考えられた。捜査上にあがっ てきた容疑者は、ドン・マリアーノ・アレーナ、ディエゴ・マルキーカ、ロザリオ・ピ ッツーコという3 人であった。 大尉は3人を拘留し、後者二人を別々に同時に尋問する。憲兵たちの巧みな罠によ り、マルキーカは、ピッツーコが罪をすべて自分にかぶせようとしていると思い込み、 真実を話し始める。それによるとマルキーカは、ピッツーコが決めた計画に従ってコ ラスベルナを射殺したが、逃走中に剪定人のパオロ・二コローシに出会ってしまった。 不安になりピッツーコに真実を打ち明けた。その後ピッツーコの言葉からニコローシ が消されたことを確信した、ということだった。一方、ピッツーコは「マルキーカが ひとりでやったこと」と答える。 ベッローディ大尉は、事件のすべての黒幕でマフィアのボスと噂されるドン・マリ

10 Leonardo Sciascia, Opere 1956-1971, a cura di Claude Ambroise,Bompiani, Milano

(13)

12 アーノに対しても尋問をする。出所がはっきりしない巨額の収入について尋ねるが、 マリアーノは関係がないという余裕の態度をみせる。結局事件は、ニコローシの妻が 浮気をしていたために、愛情のもつれから殺されたということにされてしまう。ドン・ マリアーノはマフィアのボスで政治家とも深い関係をもち、彼らと結託して事件の揉 み消しが行われたのだった。 『真昼のふくろう』のベッローディは北イタリア出身であり、正義感に溢れ、理性 をもった人物である。ベッローディ大尉の正義感はレジスタンス闘争を経験した北イ タリアで育まれたもので、彼は新生イタリア共和国の「理性から生まれた法」を信じ、 それによってマフィアを裁こうとした。 ベッローディ大尉に体現されるように、シャーシャ文学の核となっているのは「理 性」である。これは探偵小説の様式にも通じる。探偵に必要とされるのはまさにこの 理性であり、シャーシャ作品の主人公たちは理性を持つ人物として描かれる。ところ が彼らの理性はシチリアでは通用しない。作品中にそれを示すような次の会話が挿入 されている。

“...Ma come è piovuto qui, questo Bellodi? Come diavolo mandano uno come lui in una zona come questa? Qui ci vuole discrezione, amico mio; naso, tranquillità di mente, calma: questo ci vuole...”(「……だがあのベッローディはどうしてここ に来たのかね?どうしてあんな男を送りこんできたのかね?ここは自制が要求さ

れる場所だ。分別と穏健な思想と、落ち着きが必要なんだ……」)11

ベッローディ大尉が、シチリアに場違いな人物として描き出されているのがわかる だろう。彼は捜査の指揮権を握ってしているが、どことなく周囲から浮き、その様子 は孤軍奮闘といった様である。そしてまたシチリア人には、「『continentale, quanto

sono educati i continentali(本土ものめ、なんとお行儀のいいことだ)』」12と、よそ者

11 Opere 1956-1971, p.452./邦訳:『真昼のふくろう』竹山博英訳、朝日新聞社、1981 年、

p.107. 以下、『真昼のふくろう』、竹山博英訳)

(14)

13

に対する警戒心と侮蔑が混じったまなざしで見られているのである。

作品の題名にある「ふくろう」は、古来ヨーロッパでは叡智の象徴である。しかし シチリアのまぶしい太陽のもとではその眼力を発揮できない。ふくろうはベッローデ

ィ大尉を表し、この作品のエピグラフにも「…come la civetta quando di giorno

compare (真昼に現れるふくろうのように)」13という、シェークスピアの『ヘンリー六 世』からの引用がなされ、理性の敗北が暗示されている。 被害者のコラスベルナは建設共同組合の組長で、きちんとし、、、、、た、仕事をおこなってい た。マフィアの保護を拒否して正当な方法で仕事(競争、入札、工事)をしていたため に、彼らにとって目障りな存在となり殺害されたのだ。『真昼のふくろう』に描かれた マフィアは、1950 年代のイタリアの経済復興の際におきた建築ブームにのり、農村か ら都市に進出していく過程のマフィアである。経済の活況に伴い政府から南部復興基 金が割り当てられ、都市に人口が流入し、住宅の需要が高まったため建築ブームが起 きたのだ。マフィアは政治家とのつながりを利用して、公共建設の入札を独占しつな がりのある建築会社に仕事をまわしていったのである。ドン・マリアーノは大手のス ミロルド建設会社をある巨額な入札に推薦し落札させ、その見返りを受け取っている。 『真昼のふくろう』の犯罪者グループのボス、ドン・マリアーノは、古き時代から のマフィアを映し出している。ドン・マリアーノは、村では「家庭と教区だけに身を 捧げたまじめで立派な人物」であり、「本能的にそなわっている正義の感覚」のために 人々から尊敬を集めている人間である。ベッローディ大尉はそこに問題を感じていて、 正義の執行は国家の任務だと考えている。ベッローディ大尉の捜査によってドン・マ リアーノが捜査の対象となると、政治家たちが彼を擁護し救済しようと動き出す。マ フィアと政界がつながっていて、互いに便宜を図っているのだ。ドン・マリアーノは 自分が捕まらないことを知っている。事件が闇に葬り去られると、彼はベッローディ 大尉に対して勝利を収めた将軍のように、敗れた敵に対して賞賛の言葉を送っている。 ベッローディ大尉の正義は、ドン・マリアーノのマフィア的正義の前に敗北したので ある。 この小説は探偵小説として見ると、既成の枠組みにはまっていない。ベッローディ 13 Opere 1956-1971, p.389./邦訳:『真昼のふくろう』、竹山博英訳、冒頭。

(15)

14 大尉は理性的な捜査手法で事件を一歩一歩着実に解明し、犯人を突き止める。この小 説は探偵小説として終盤まで順調に進むが、犯罪が解明されてもカタルシスは得られ ない。犯罪者を擁護する社会上層部の者たちの手が加わり、探偵は敗北するからだ。 この背後に「事件を解決させない」シチリアの現実がある。シチリア社会を秩序立て ているのは「マフィアの正義」なのである。 1.3. 『人それぞれに』(1966) シャーシャは、1966 年に出版された『人それぞれに』で再びマフィアを取り上げた。 この作品は1967 年にエリオ・ペトリによって映画化されている14。そこに描かれたの

は「urbana e totalmente politica (都会の完全に政治的な)」15マフィアであった。こ

こでは『真昼のふくろう』に登場したドン・マリアーノのようなマフィアが消えつつ ある。 『人それぞれに』の舞台はパレルモとその近郊の村で、薬屋に届いた脅迫状によっ て物語が始まる。薬屋マンノと医師ロッショが殺害された。薬屋が浮気により恨みを 買い、ロッショはそれ巻き込まれたと思われた。優秀だが変わり者の高校教師ラウラ ーナは、なにか腑に落ちないものを感じ、独自に調査を始める。 手掛かりは、犯行現場に残されていた葉巻と、脅迫状の文字に使われていた新聞で 「人それぞれに」というラテン語の副題がついたヴァチカン発行の新聞『オッセヴァ トーレ・ロマーノ』であった。この新聞は村で 2 軒しかとっていないものであり、そ のうちの1 軒が、殺害されたロッショの妻の伯父のロセッロ司祭長であると判明する。 捜査は行き詰まりを見せるが、ラウラーナは狙われたのはロッショのほうであったと 確信を持つ。 物語はロッショの死を中心に繰り広げられる。ラウラーナは殺害されたロッショの 妻ルイーザに魅かれる。彼女は弁護士ロセッロの従妹でもあった。その後ラウラーナ は、ロセッロが葉巻を吸うマフィア風の男と付き合いがあり、この男の吸う葉巻が犯

14 Gian Maria Volonté, Irene Papas, Gabriele Ferzetti らが出演。 15 Onofri. Massimo, Storia di Sciascia, Roma, 1994, p.121.

(16)

15 行現場に残された葉巻と同じ種類であることに気が付く。ラウラーナは、ルイーザと 従兄のロセッロの共犯を疑う。しかしルイーザの口から夫の死がロセッロのせいであ り、そのことに関して話したいから翌日に会おうと告げられ、ルイーザに好意を抱い ていたラウラーナは彼女を信じてしまう。しかしルイーザは約束の時間になっても現 れなかった。ラウラーナが家へ帰ろうとすると、1 台の車が近づいてきて彼を乗せて 急発進し、翌日ラウラーナの死体が発見された。 1 年後ロセッロとルイーザの婚約が発表される。表向きは子持ちの不幸な未亡人へ の哀れみのためであったが、実際ルイーザは従兄のロセッロと長いあいだ愛人関係に あり、ロッショがその関係に気づき、ロセッロの不正(買収、闇取引)を告発しないこ とを交換条件に妻と別れるように迫ったために殺害されたのだった。ロセッロとルイ ーザの関係は周知の事実であり、世間のことに疎かったラウラーナだけが知らなかっ た。この従兄妹同士の結婚は、一族の財産が再びひとつになることも意味していた。 この『人それぞれに』の出版に際して、シャーシャと親交のあった作家イタロ・カル ヴィーノが興味深い言葉を残している。カルヴィーノはいつものように出版前のシャ ーシャの自筆原稿を受け取り、1965 年 11 月 10 日付けでシャーシャに宛てて以下の 手紙を書いている。

Caro Leonardo, ho letto il tuo giallo che non è un giallo, con la passione con cui si leggono i giallo, e in più il divertimento di vedere come il giallo viene smontato, anzi come viene dimostrata l’impossibilità del romanzo giallo

nell’ambiente siciliano16.(親愛なるレオナルド、探偵小説ではない君の探偵小説 を読みました。探偵小説を読むときに持つあの情熱を持って。加えて、探偵小説 が解体されているような、それどころか、シチリアの環境においては探偵小説が 不可能だといわんばかりの楽しみを持って。) カルヴィーノは、シャーシャの作品においては伝統的探偵小説の様式が崩壊している 点や、シチリアにおける探偵小説の不可能性を鋭く突いている。物語の舞台がシチリ

(17)

16 アになったときから、探偵小説の定式(事件の解決)が崩れる運命にあったというこ とだ。 カルヴィーノが指摘した探偵小説の解体は、この作品の人物設定にも表れている。 『人それぞれに』に描かれる探偵ラウラーナは、シチリア出身だが人付き合いがほと んどなく世間に関心がないため、共同体において異邦人的な存在である。ラウラーナ もまた理性と優れた観察眼を持つが、彼の正義感は別のところから生じている。「理性 の法」を信じているというより、彼の正義感は知的好奇心によるものである。だから こそ、彼は実際に真実を突き止めれば、犯罪者たちが裁きの席につくことになるのだ ということを考えていないのだ。捜査を周囲に知られてしまうという不注意さによっ て自身の身の危険を招き、また疑惑の未亡人ルイーザを恋心から信じてしまうのであ る。 Stefano Tani はラウラーナを「デュパン氏の保ち得た距離を保ち得ず、自らが解こ うとしているミステリーに情緒的にすっかり巻き込まれてしま」17う人物として描か れていることや、「解決が出されたときわれわれが自然にそう考えるのとは裏腹に正義 は勝利するわけではない。今やもう合理性【解決】と人間性【正義】が一致しない」18 ことを指摘している。ラウラーナは世間のことに鈍感な人物で、真実に近づきすぎて 殺害されてしまったのだ。 ラウラーナはあくまでも素人探偵であり、職業として事件に携わっているわけでは ない。ゆえに捜査方針を決められる地位にいるわけでもなく、彼の探偵行為は常に単 独で個人的なものであり、警察や憲兵隊との連携もなかった。彼は謎を解くために、 手掛かりから謎を推測し、それを裏づけるために、自ら様々な場所へ足を運んでいる。 しかし彼はあくまでも一介の高校教師に過ぎず、その探偵行為は好事家の範疇であっ た。彼は合理的に事件を解明するが、最後に情緒的部分により冷静な判断を失い、足 元をすくわれる。探偵は死に、読者は探偵小説に期待していた、「真実が明るみに出る こと」や「犯人の処罰」へのカタルシスを得られない。『人それぞれに』はこの点にお いて、探偵小説の定式が崩壊しているのである。 17 ステファノ・ターニ、『やぶれさる探偵』、p.90。 18 ステファノ・ターニ、『やぶれさる探偵』、p.84。

(18)

17 1.4. 『単純な話』(1989) この作品は病床にあったシャーシャが死を目の前にして書いた作品である。アデル フィ出版が 3 週間で 10 万部を印刷し、これらが本屋に届けられたのはちょうどシャ ーシャが亡くなった11 月 20 日であった。この作品は 1991 年にエミディオ・グレー コによって映画化されている19 この作品の舞台もまたシチリアで、ある夜ジョルジョ・ロチェッラという人物から 「あるものが見つかったので至急来てもらいたい」との電話が警察にかかってくる。 ロチェッラ家の別荘には長いこと人が不在だったのでいたずらにちがいないと警察は 判断する。 翌日、ラガンダーラ巡査長がロチェッラ家の別荘に行くと、家のなかでジョルジョ・ ロチェッラが死んでいた。彼のこめかみには銃で撃った跡があり、そばには拳銃があ った。警察署長は自殺であるとし、ラガンダーラ巡査長は他殺ではないかと疑う。さ らにロチェッラの別荘には盗まれたはずの有名な絵や、聖人の胸像などがたくさんあ った。 数日後、別の事件が起こる。モンテロッソという駅で駅長と雑役夫が殺されたのだ。 事情を知っていると思われたボルボの男が、警察に出頭した。彼の話によると、駅の 手前で止まっていた電車の車掌に伝言を頼まれて駅に行くと、駅長だと思われる人物 が出てきたのでその伝言を伝えた。事務所内にはほかに2 人の男がいて絨毯を巻いて いるところだった。駅で見たのは、1メートル半ほどの絨毯を巻いていた 3 人の男で それは殺された駅長・雑役夫とは別の人物であったと証言する。 また帰国したロチェッラの息子の話から、別荘管理のためにクリッコ神父という人 物が別荘の鍵を持っている可能性が浮上する。しかしクリッコ神父は、鍵は預かって いないと否定する。警察がロチェッラ家の別荘に現場検証へと赴くと、初めて別荘に 来たはずの警視正が電気のスイッチの在り処を知っていた。ラガンダーラ巡査長は「警 視正は前にもここにきたことがあり、犯人かもしれない」という疑惑を持つ。

(19)

18 その後、警視正と巡査長のあいだにはよそよそしい空気が流れ始める。翌日警察署 内で警視正がピストルの掃除をし始めると、巡査長の脳裏に≪警視正、誤って部下を 殺害≫という記事が浮かび、身の危険を感じる。警視正はピストルを磨き終えると巡 査長に銃口を向けて引き金を引いた。巡査長は弾丸をかわし、自分のピストルで警視 正を撃つ。この事件は警察の幹部たちによって、≪巡査長、ピストルを清掃中に、司 法警察の部長の警視正を誤って殺害≫と処理された。 警視正の葬儀の日、疑われていたボルボの男は自由の身になる。ボルボの男は帰り ざま、警視正の弔いに来たクリッコ神父に会い、モンテロッソ駅で会った男だと気づ く。しかしこれ以上厄介なことに巻き込まれるのはごめんだと思い、警察署には引き 返さなかった。 『単純な話』の探偵、アントニオ・ラガンダーラ巡査長は、作品の舞台となった町 に近い農村で生まれ、父親は日雇い労働者から植木剪定人の階級になった人物である。 ラガンダーラは仕事に燃え、出世欲もあり、警察に勤めるかたわら法学部にも通い、 法学の学士号を取ることを目標としている。鋭い観察眼を持った人物で、学歴や教養 を持つことに憧れている。仕事に関する頭の回転は速いがすぐに口を挟みたがり、自 分の発言が上司のお株を奪うことになるとは気づいておらず、ロチェッラの死を単純 な事件として片付けたい上司から煙たがられている。 このラガンダーラ巡査長には、シャーシャの「知的好奇心を満たすだけの詮索」に 対する警告が潜んでいる。これが探偵小説の枠に止まらない所以である。この巡査長 は探偵行為に熱中し、自分の推理が犯人と上司に対する挑戦になるのだという意識が なかった。職務上とはいえ、彼は少々事件に首を突っ込みすぎたのだ。 『単純な話』に出てくる年老いたフランツォ先生は理性を持った人物でありながら 世間のこともよく理解していて、真実を知りながらも事件には踏み込んでいない。こ のフランツォ先生はシャーシャを投影した登場人物ともとれる。シャーシャが「理性」 をどのように捉えていたのかが、次の文章からもうかがえる。国語教師のフランツォ 先生が、犠牲者ロチェッラの古い友人として事情聴取のために警察所を訪れ、彼の教 え子である検事と再会する場面である。

(20)

19

gran guaio: sono qui, procuratore della Repubblica...”

“L’italiano non è l’italiano: è il ragionare” disse il professore. “Con meno italiano, lei sarebbe forse ancora più in alto.”

La battuta era feroce. Il magistorato impallidì. E passò a un duro interrogatorio. (「国語か……国語はずいぶん苦手でしたよ。でも、ごらんのように、さほど困り はしなかったのです。私はここで、共和国の検事をつとめているのですから……」 「国語は、たんに国語であるだけではありません。ものごとを理性的に考えるこ とです」と先生は言った。「国語がもっと苦手なら、あなたはたぶん現在の地位よ りもずっと上に行っていたはずです」 この答えは強烈だった。検事は真っ青になり、その後、厳しい尋問に移っていっ た20 フランツォ先生は、非理性的な者ほど権力の中枢に行ける社会を皮肉っている。だか らこそ、理性をもつ探偵は現実の前にやぶれさるしかないのである。本来探偵小説で は、「探偵」と「探偵行為」は犯人を追い詰め孤立させるための装置として働くのだが、 シャーシャの小説では「探偵行為」によって「探偵」自らが孤立してしまう。シャーシ ャの作品では一貫して探偵の敗北が描かれている。 巡査長の行く末は書かれていないが、最後は警視正の盛大な葬式で終わる。巡査長 は正当防衛で警視正を射殺したが、最後には巡査長と警視正の立場が逆転している。 真実を認識しているはずの警察署長、検事、憲兵隊の大佐は、ピストルの暴発という 単なる事故として処理し、深入りしないことを決定した。検事に至っては一連の事件 の犯人を、このさい巡査長に仕立て上げようとさえし、その処理はさすがにまずいの ではないかと検事の無能ぶりに大佐と署長が苦笑いする。警視正の死をうまく処理し なければロッチェッラ殺しとも駅長殺しともつながっていき、面倒なことに巻き込ま

20 Leonardo Sciascia, Opera (1984-1989). a cura di Claude Ambroise, Milano, Bompiani,

1991, p.751.(以下Opere 1984-1989)/邦訳:「ちいさなマフィアの話」『ちいさなマフ ィアの語』、武谷なおみ訳、白水社、1994 年、p.36。(以下、『ちいさなマフィアの話』武 谷なおみ訳)

(21)

20 れることを彼らは知っているのである。最後に読者にはクリッコ神父が犯人グループ の一味だと明かされるが、彼は誰にも咎められることはない。沈黙の掟は守られ、犯 人は社会によって保護される。 さらに、この作品は真相を全て語っているわけではない。この作品の焦点は盗まれ た絵画にあるが、それは犯人グループの二次的な仕事にすぎず、主要な仕事は別にあ る。その手がかりは巡査長が気づいた空っぽの倉庫に漂う「何か特定できない匂い」 だ。その匂いの正体はヘロインである。 第二次世界大戦以降から 1970 年代の前半までのシチリアは、マフィアがマルセイ ユのギャング団や中東から精製済みのヘロインを買い、それをアメリカやカナダへ流 すというヘロインの中継地であった。マルセイユのギャング団たちがヘロインの精製 所を持っていたのである。ところがマルセイユのギャング団がフランスの捜査当局に よって押さえ込まれて取引網は壊滅し、供給源を失ったシチリアのマフィアは自らヘ ロインの精製所を作り、これによってシチリアはヘロインの中継地から供給源となっ たのである。 ヘロインを精製する装置はそれほど大きくなく、ただ大量の水と電力とが必要とさ れる。マフィアは人里離れた廃屋や工事中の建物など人目がつきにくい所にヘロイン の精製所を作り、警察の目をくらますため1ヶ月もすると精製装置をどこかに移動す る。そのためヘロインの精製所は発見されにくい。ヘロインの精製はマフィアしかや らない仕事である。精製されたヘロインは運び屋か船を使って運び出される。イタリ ア本土やヨーロッパ向けのものは自動車や鉄道や長距離トラックが使われ、アメリカ 向けには飛行機か船が利用される。マフィアはヘロインの流れを操作し、その手先に はマフィアの組織に属さない運び屋や売人頭がいる。 『単純な話』では、事件現場となった空き家の別荘は、町から離れていて、何か特 定できない匂いとトラックの往来の跡が残されている。このような状況から、この別 荘がヘロインの精製所に使われていた可能性が高い。ロチェッラの留守中にマフィア がここで麻薬を精製したり盗難品を保管していたのだ。 匂いの正体については最後まで語られていないが、シャーシャは探偵小説のジャン ルが持つフェア・プレーの精神、すなわち読者に対して手がかりを残している。その 手がかりはまったく自然に登場人物の会話に滑り込んでいる。それは殺人犯として疑 われたボルボに乗っていた男が、製薬会社に勤めていたことから、「あなたが売ってい

(22)

21 る薬のなかに、ヘロインやコカイン、アヘンは含まれますか」と警視正から尋問され る場面である。しかし疑われた男が怒りを露わにし、麻薬についての話はあっさりと 終わってしまうため、読者は何となく気になりつつも通りすぎてしまう。そして話の 焦点がボルボの男が目撃した「カーペットのようなもの」に移り、これが事件への手 掛かりと認識される。しかし目敏い読者や、探偵小説の仕組みに慣れている読者は、 細かい点にまで気を配るので、このエピソードが何か事件と関係あるのではないだろ うかと予測するが、実際には語られない。なぜシャーシャは短い話のなかで、ボルボ の男を製薬会社の社員と設定したりこの会話をわざわざ挿入したのだろうか、と読者 は考える。彼は探偵小説の手法に則って、真相への手掛かりをきちんと残しているの である。メインの伏線部分が麻薬だと気がつかないのは読者の方なのである。読者は 読後も推理せざるをえない。 Massimo Onofri はこの作品について次のような見解を示している。

La verità come nei primi gialli Il giorno della civetta (1961) e A ciascuno il suo(1966), si ripresenta univoca ed indefettibile all’intelligenza del brigadiere, benché non si faccia pubblica con la condanna dei colpevoli, in una vicenda che si chiude nel clima di un’universale omertà21.(『真昼のふくろう』(1961)や『人

それぞれに』(1966)といった初期の探偵小説と同様に、(この作品でも)真実は、 巡査長の知性にただひとつの完全なものとして姿を現す。しかし、全面的な沈黙の 掟の風土に閉ざされた事件の推移の中で、犯人の断罪とともに公にされることはな い。) シャーシャはこの作品で、マフィアの問題を単純化して読者に提示しようとしたとみ える。しかし単純だと見えた話の裏には、物事が複雑に絡み合った、手のつけられな いような真実が隠されているのである。 シチリアの社会は「沈黙の掟」を破ろうとする者を見捨てる。フランツォ先生でさ えも沈黙の掟の前にはただ口を閉ざすしかなかった。シャーシャが『単純な話』に用 い た エ ピ グ ラ フ は 、「Ancora una volta voglio scandagliare scrupolosamente le

21 Massimo Onofri, ‘Una storia semplice’, l’indice dei libri on-line, 1990, n.1( CD

(23)

22

possibilità che forse ancora restano alla giustizia.(正義の場におそらくまだ残され

ている可能性を、いまいちど慎重に探ってみよう)」22というデュレンマットの『正義』 からの引用であった。30 年間何も好転しなかったマフィアをめぐるシチリアの環境を 見て、正義を諦めていないとも、また悲観主義ともとれるシャーシャの姿勢がうかが えるであろう。 この作品の探偵、ラガンダーラ巡査長は職務から事件の捜査を行っている。しかし 立場の低い彼には、捜査方針を決める決定権はない。時折自論を挟むくらいで、基本 的には上司の指示に従って捜査していて、その役割は補佐的である。この作品では探 偵は、まったくの偶然により真実の糸口をつかむが、命が危ないことを知っているの で、これを積極的に突き詰めることはしない。だが積極的に捜査しなくても、自分の 身はあやうくなり、犯人に仕立てあげられそうになる。シチリア社会の中では理性は 発揮しえず、事実を隠そうとする力に呑み込まれていく。 この作品で描かれるシチリア社会は『真昼のふくろう』と比べると、理性がより発 揮されない状態になっている。もはや『真昼のふくろう』のドン・マリアーノに見ら れたような「マフィアの正義」さえもない。共同体の秩序を治める「名誉ある男」は姿 を消し、ただ私欲のために殺人を犯す犯罪グループへと化している。そこに、さらに 深まったシャーシャのペシミズムがうかがえる。 小結 シャーシャの探偵たちは、デュパンやホームズさながらに鋭い観察眼と理性とを兼 ね備えている。事件の捜査もデュパンやホームズ同様に科学的推理によって行い、探 偵行為には何のぬかりもない。そのため読者にはいつもの探偵小説に見える。しかし シャーシャの小説では、探偵小説を極めて重要な構成要素である「解決」がなされな い。謎が明らかになり探偵が勝利するのを期待していた読者は、最後にその期待を裏 切られるのである。 シャーシャが用いた探偵小説の手法は、1940 年代から 1960 年代に「純」文学作家 22 Opere 1984-89, p.731./邦訳:『ちいさなマフィアの語』、武谷なおみ訳、p.6。

(24)

23 が探偵小説の手法を取り入れた動きにも大きく関係している。彼らは文学的な作品を 書くために、二流文学とみなされ、また1920 年代、1930 年代黄金期を迎えて古い形 式となってしまった探偵小説の手法を使い始めたのだ。しかし「純」文学の作家は、 探偵小説の形式を用いつつも、その目的が謎解きではなかったために、探偵小説ジャ ンルを特徴付けていたその形式を解体させた。読者の共感を呼ばず信頼できない探偵、 解決のない結末、処罰されない犯人など、伝統的な探偵小説では考えられない設定が 生み出されたのだ。シャーシャは1950 年代にすでに探偵小説論を発表している。自身 の中で探偵小説が消化され、熟考された結晶が1961 年の『真昼のふくろう』をはじめ とする一連の作品群だ。 シャーシャ文学の核となっているのが「理性」である。これは探偵小説の定式にも 通じ、このジャンルの伝統的探偵像は理性的な人間である。シャーシャ作品の主人公 たちも理性を持つ人物として描かれるが、彼らの理性はシチリアでは通用しない。非 理性的な者ほど権力を握るこの土地では、理性を持つシャーシャの探偵たちはいつも 異邦人とならざるをえない。彼等の探偵行為はシチリア社会ではタブーであり、理性 が敗北する土地なのだ。事情を知っている者は口をつぐみ、結果的に犯人を保護する。 探偵は真実に近づくたびに自分の身を危険にさらし、敗北する。そして読者は期待し ていたカタルシスを得られない。こうした探偵の敗北に体現されるのは、シチリア社 会が、もっと言えばイタリア社会が抱える、マフィアという癌細胞に似た問題なので ある。

(25)

24 2. レオナルド・シャーシャとジャーナリズム23 「・・・社会の中での、その役割を考えてみると、作家は反対意見を表明するもの、 つまりいかなる種類のものであれ、権力に対して異議申し立てを行う存在だ。社 会の中では常に反対意見の表明が必要とされる。この役割を担うものは何よりも 作家だ24 レオナルド・シャーシャ イタリア人作家レオナルド・シャーシャLeonardo Sciascia(1921-1989 年)は、「社 会派」の作家と目される。シチリアに蔓延るマフィアを扱った『真昼のふくろう Il

giorno della civetta』(1961 年)、『人それぞれに A ciascuno il suo』(1966 年)、『ちいさ

なマフィアの話 Una storia semplice25』(1989 年)、権力の腐敗を扱った『権力の朝 Il

contesto』(1971 年)、『トード・モード Todo modo』(1974 年)、キリスト教民主党の党

首アルド・モーロの誘拐・殺害事件を扱った『モーロ事件 L’affaire Moro』(1978 年)な ど、作品はルポルタージュ的作風で、ジャーナリスティックな側面を持ち合わせている。 「社会における作家の役割は、権力に対して異議申し立てを行っていくこと」だという 信念を持つシャーシャが、「第4 の権力」であるジャーナリズムと関わり続けたのは自 然なことだったのかもしれない。作品発表の場として作家と新聞・雑誌は切り離せない 相関関係にあり、シャーシャもまた「三面 Terza pagina」をと呼ばれる新聞文化欄や コラム欄などで多くの評論やエッセイなどを発表した。 本稿ではシャーシャと結びつきの強かった新聞を中心に、①地方紙、②政党紙、③全 国紙のカテゴリーに分けて、『真昼のふくろう』での成功を経て、地方から全国へと活 動の場を広げていった軌跡を見ていく。中でもシチリアの新聞『オーラL’Ora』(1900 年4 月 22 日創刊~1992 年 5 月 9 日廃刊)や、共産党日刊紙『ウニタL’Unità』(1924 年2 月 12 日創刊~現在に至る)、共産党機関誌『リナッシタRinascita』(1944 年 6 月 創刊~1989 年 8 月廃刊)との関わりは深い。これらを見ていくと「社会的責務 impegno」 がひとつのキーワードになっており、ファシズム体制下の非合法時代から続くイタリア 23 『立命館文學』648 号(2016 年 8 月)掲載。 24 『朝日ジャーナル』掲載インタビュー(1982 年 7 月 16 日号)。対談/訳は竹山博英。 25 邦訳がある場合は邦題を記す。

(26)

25 共産主義者との関係が、その文学に大きな影響を及ぼしている。シチリアの辿った歴史 がシャーシャのエッセイや物語との重層的に重なり合い、時代を浮かび上がらせる。さ らにシャーシャは作中にも新聞を幾度となく登場させ、作品を語る重要な手段として機 能させる。 先行研究については年代順に以下のとおりである。ジュゼッペ・トライナ Giuseppe

Traina の「新聞と雑誌 Giornali e rivista26」(1999)。共著『シャーシャ-新聞小説

Sciascia, il romanzo quotidiano27(2006 年)。同じくトライナの「シャーシャの小説に

おける新聞とジャーナリスト Giornali e giornaisti nella narrativa di Sciascia 28

(2009 年)。タニア・ジュディチェッティ・ロヴァルディ Tania Giudicetti Lovaldi の「混

乱からの明晰な声-ティチーノの新聞への寄稿 Una voce chiara dalla confusione. La

collaborazione ai giornali ticinesi 29」(2011 年)。イヴァン・プーポ Ivan Pupo『大量

の切り抜き-珍しくて収録されなかったシャーシャIn un mare di ritagli: su Sciascia

raro e disperse 30』 (2011 年)。

さらに新聞・雑誌掲載記事を追うにあたり、以下のシャーシャ文献目録を使用した。

ヴァレンティーナ・ファッシャ Valentina Fascia 編纂 フランチェスコ・イッツォ

Francesco Izzo/アンドレア・マオリ Andrea Maori 共著の文献目録(1998 年)、アント

ニオ・モッタAntonio Motta の文献目録(2009 年)、プーポが著書の巻末に付けた文献 目録31(2011 年)である。特にモッタの文献目録は時系列に沿って全体と個別のケース の両面から追う手助けとなった。またイタリア・ジャーナリズム全般に関しては、モン ダドーリ出版のイタリア・ジャーナリズムGiornalismo italiano シリーズ、ラテルツァ 出版のイタリア新聞La stampa italiana 叢書、各新聞・雑誌のデジタル・アーカイブ

26 Traina, Giuseppe 1999, Leonardo Sciascia, Mondadori, pp.124-127.

27 2004 年 11 月 29-30 日にパレルモとラカルムートで開催されたマリオ・フランチェーゼ記念

報道賞の折に、シチリア記者協会Ordine dei giornalisti di Sicilia によって奨励された大会

をまとめた書籍である。

28 Traina, Giuseppe 2009, Una problematica modernità. Verità pubblica e scrittura a

nascondere in Leonardo Sciascia, Bonanno Editore, pp.61-85.

29 AA.VV., 2011, Troppo poco pazzi: Leonardo Sciascia nella libera e laica Svizzera, a cura di

Renato Martinoni, Leo S. Olschki editore, pp.27-42. スイスのイタリア語圏ティチーノ州に おける新聞とシャーシャとの関わりを研究。

30 この著書では『オーラL’Ora』とシャーシャの関わりを中心に、『新世界 Mondo Nuovo』『南

部イタリアの展望Prospettive meridionali』『シチリア事情 Cose di Sicilia』などでの執筆を

追っている。

31 巻末につけた文献目録は、アントニオ・モッタの文献目録(2009 年)を補完し発展させて

(27)

26 も利用した。

シャーシャと共産党との関わりについては、エマヌエーレ・マカルーソ Emanuele

Macaluso の『 レオナル ド・ シャー シャと共 産主 義者た ち Leonardo Sciascia e

comunisti』(2010 年)が挙げられる。その他に作品集としてボンピアーニ版 3 巻(1987 年、1989 年、1991 年)とアデルフィ版 2 巻(2012 年, 2014 年)を挙げる。アデルフィ出 版には執筆過程や、掲載媒体などの書誌情報が詳しく記載され、変更部分を追ったヴァ リアント研究も収録されている。また地方から全国へと活動の場を広げていった編集者 シャーシャと出版社との関係を書いた越前貴美子の「シチリアの片隅から世界へ―編集 者レオナルド・シャーシャ」(2012 年)を挙げる。 これらの研究を踏まえ、本稿ではシャーシャとジャーナリズムとの関わり、さらには シャーシャのジャーナリズム観を見ていく。 2.1.地方紙での仕事 2.1.1. シチリアの新聞『オーラ L’Ora』での執筆 シャーシャとシチリアの新聞『オーラ L’Ora』との付き合いは、まだ無名であった 1955 年に始まり 1989 年に作家がなくなるまでの 34 年間に渡り、他の研究者たちもそ の関係性の強さを指摘するところである(AA.VV. 2006: 15, 67)。1964 年~1968 年に は「雑記帳Quaderno」と名付けられたコラム欄を担当し、没後同名の書籍となって 1991 年に出版された。『オーラ』についてシャーシャは次のように言及している。 『オーラ』はもちろん共産主義の新聞かもしれない。しかし他のイタリアの新聞 ではできないほど自由に、私の考えを表現させてくれる。私が左派であることに 関しては、間違いなくそうであり曖昧さはない。

…L’Ora sarà magari un giornale comunista: ma è certo che mi dà modo di esprimere quello che penso con una libertà che difficilmente troverei in altri giornali italiani. In quanto al mio essere di sinistra, indubbiamente lo sono: e senza sfumature.

(28)

27

シャーシャは1961 年の『真昼のふくろう』で作家としての地位を築いたが、後の全

国紙『コッリエーレ・デッラ・セーラ Corriere della sera』や『ラ・スタンパ La Stampa』

での執筆活動以前は、『オーラ』での仕事が目立つ。1963 年頃までの『オーラ』での執 筆については、イヴァン・プーポIvan Pupo の研究(2011 年)によって知ることがで きる。『オーラ』での執筆内容をまとめると、①シチリアの詩人や作家についての評論、 ②のちの中編小説に続く、短編や評論を発表、③文学評論(イタリア国内外)、④社会 情勢や犯罪、マフィア、その他、戦争やファシズムについての言及であった。 更に内容を詳しく見ていくと、①のシチリアの詩人や作家については、ピランデッロ、 ブランカーティ、ヴェルガ、ヴァンナントなどを取り上げている。②については小説『真 昼のふくろう』や『人それぞれに』につながる作品や評論が発表された。③の文芸評論

については、例えば、ジェームズ・ジョイス James Joyce の『ユリシーズ Ulysses』

(1922 年/イタリア語訳初出は 1960 年)などについて書いている。④の社会情勢、犯 罪については、W. R. バーネット William Riley Burnett の『アスファルト・ジャング ルThe asphalt jungle』(1949 年/イタリア語訳初出は 1951 年)を用いて、アメリカの リトル・イタリーの犯罪について言及し、リトル・イタリー小説にはジョヴァンニ・ヴ ェルガGiovanni Verga の流れが入っているとした。またモーロ事件32についても書い ている。 小説『真昼のふくろう』への最初の試みもまた『オーラ』で行われた。1958 年 12 月 1 日~12 月 2 日に掲載された短編小説「沈黙 Il silenzio」である。数か月後『文学の苑 Fiera letteraria』(1959 年 2 月 8 日号)に部分変更されて同名のタイトルで掲載され た(OAI: 1763)。 「沈黙」の執筆に関してはパオロ・スクィッラチョーティPaolo Squillacioti の研究

「真昼のふくろうの夜明け:シャーシャの「沈黙」L’alba del giorno della civetta: Il

silenzio di Sciascia」(2008 年)で知ることができ、シャーシャがカルヴィーノに宛てた 手紙でその過程を取り上げている。1958 年 10 月 2 日の手紙では「推理小説手法のマ フィアに関する長めの短編を書いている。題名はシェークスピア風に(真昼に現れるふ 32 1978 年 3 月 16 日与党のキリスト教民主党主党首アルド・モーロが「赤い旅団」とみられる 一派に誘拐され、55 日後の 5 月 9 日殺害された姿で発見された(千種訳 1979:1)。事件に 関連して、シャーシャの見解が1978 年 5 月 4 日、5 月 5 日に『オーラ』に掲載された。 (OAI: 1398)

(29)

28 くろうのように)『ふくろうの昼』だ33」。さらに遡ると1957 年 9 月 2 日の手紙では「“推 理小説”の手法を使った短編に着手し始めた。シチリア的環境で、マフィアと政治の話 だ34」と言及している。また「沈黙」に先立ち、1956 年にレナート・カンディダの『こ のマフィア』が出版されておりシャーシャ作品についての言及があることから、カンデ ィダとシャーシャが意見を交換し合っていた可能性を竹山は訳書(1987: 173)のなか で記している。このように1961 年『真昼のふくろう』への準備が着々となされていた ことが分かる。 さらに取り上げておきたいのが、『オーラ』1965 年 2 月 6 日に掲載された「言語の問

題 La questione della lingua」および「モーロの言葉 La lingua di Moro」である。ピ

エル・パオロ・パゾリーニPier Paolo Pasolini が提唱した「新しい言語問題」について

の言及と、その中で引き合いに出されたアルド・モーロAldo Moro の言葉について、

モーロが南部イタリア出身の政治家 un uomo politico meridionale であることを強調

しながら南部イタリア人としての見解を加えている。モーロの言葉については再び 1978 年『モーロ事件』の折に、パゾリーニの言葉を引き合いにして再び触れることに なる35。(Qua: 35-37) 2.1.2. 作品に描かれるシチリアの新聞 シャーシャは新聞への寄稿者であると同時に、作品にも重要な手がかりとして新聞を 滑り込ませている。『真昼のふくろう』では、論調の異なる2つのシチリア新聞を描い ている。ジュゼッペ・トライナGiuseppe Traina はこれを、パレルモ発行の新聞『シチ

リア日報Giornale di Sicilia』と『オーラL’Ora』であると指摘している(Traina 2009: 70-71)。シャーシャ自身もまた2つの新聞の執筆者でもあった。

『シチリア日報』は 1860 年 6 月 7 日にパレルモで創刊された日刊紙で、地方紙

33 «[・・・] sto lavorando a un racconto lungo sulla mafia di tecnica gialla che avrà il titolo

shakespeariano de “Il giorno della civetta” (“come la civetta quando il giorno compare”)» (Squillacioti 2008: 62)

34 «Avevo intrapreso a scrivere un racconto di tecnica “gialla”‐ambiente siciliano, mafia e

politica» (Squillacioti 2008: 62)

35 シャーシャの歴史観は、アントニオ・グラムシ Antonio Gramsci の「南部問題」とも共通

(30)

29 regionale にあたる。所有者は現在に至るまでアルディッツィオーネ家である。(SIN: 534) 『オーラ』は1900 年 4 月 22 日にパレルモで創刊された日刊紙である。初代社主は シチリアの新興ブルジョアジー・フローリオ家36であったが、幾多の困難に見舞われ 様々な社主の手に渡ってきた(GⅡ:1777; GI3: 1886-1887)。1954 年にはイタリア共産 党(PCI)系出版社が引き継ぎ、編集長ヴィットーリオ・ニスティコ Vittorio Nisticò の

時代を迎える。在任期間は1954-1975 年であった(GI3: 1886-1887)。就任してすぐに、 無名時代のシャーシャに執筆を要請している。シャーシャの記事が初めて『オーラ』に 掲載されたのは1955 年 2 月 25 日で、編集長就任からわずか 3 ヶ月ほどのことであっ た。左派がスポンサーとなったことは、新聞の方針にも大きく影響している。ニスティ コは果敢な調査をするジャーナリズムの手本のような人物であり、ジャーナリストの養 成にも長け、全国紙で活躍する人材を輩出している。さらにはグラフィックや割付を一 新、写真による報道記事を発展させて新聞の知名度も上げた。また『オーラ』はマフィ アを扱った最初の新聞であるといわれる37『オーラ』での仕事は、ニスティコに感化さ れるところが大きかったと思われる。 トライナはこの2つの新聞が『真昼のふくろう』で果たす役割を指摘している。「ジ ャーナリストと新聞は読者に対して、暴くことと隠すことの相反する事実を伝えるのが 常だ38」(Traina 2009: 69)とし、作中に新聞の名前はないが、事実を暴く新聞に『オ ーラ』、シチリア的常識をもって真実を覆い隠す『シチリア日報』という構図を挙げて いる(Traina 2009: 70-71)。『シチリア日報』は一般の地方紙で、『オーラ』よりも購読 者も多い。『オーラ』はラディカルな新聞と位置づけられるのかもしれない。北部イタ リアからやってきたベッローディ大尉が調査する事件の本筋を正確に伝え、マフィアと 政治家の癒着という核心に触れる。一方『シチリア日報』は、愛情のもつれという事件 の本筋からずれたところに“意図的に”焦点をあてていることを匂わせる。 36 船主であり実業家でもあったフローリオ家は、19 世紀初頭から薬草店、ぶどう酒醸造、ま ぐろ加工、海運業などで財をなしたが、急激な没落によって 1913 年に『オーラ』を手放す こととなった。フローリオ家は郵便船事業のほかに、1880 年代より移民が増え始めたアメリ カなどの国際航路にも着手している。(竹山1994: 88-105) 37 http://mw.bibliotecacentraleregionesiciliana.it/index.php?it/334/archivio-lora 参照。

38 «I giornalisti e i giornali, dunque, sono di norma al servizio delle opposte verità che ai

参照

関連したドキュメント

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

Scival Topic Prominence

E área di Hanchinan, ku ta karga su nòmber pa motibu di un ret di hanchi i pasio, ta keda na e parti sùit-wèst di Otrobanda i ta kubri un superfisie di 4,6 hektar. Breedestraat

一 六〇四 ・一五 CC( 第 三類の 非原産 材料を 使用す る場合 には、 当該 非原産 材料の それぞ

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな

[r]

G,FそれぞれVlのシフティングの目的には

*ホバークラフト 記念祭で,幼稚 園児や小学生を乗 せられるものを作 ろうということで 始めた。右写真の 上は人は乗れない