3. シャーシャとカトリック
3.1. 第二ヴァチカン公会議に見るカトリック教会の現代化
1962 年から 1965 年にかけて、カトリック教会の刷新と現代化のため第二ヴァチカ ン公会議が開催された。「公会議」とは「教会が直面した制度上あるいは教義上の重大 な問題に決着をつけ、前に踏み出すために開かれる世界中の司教が招集される教会の会 議」(改訂公式訳2013: 3)である。なお第一ヴァチカン公会議はピウス9世によって、
1869年12月から 1870年10月にかけて開かれ、教皇の首位性と不可謬権を宣言した が、普仏戦争が勃発したため停会となり再開されていなかった。第二ヴァチカン公会議 は、「第一バチカン公会議の再開ではなく、伝統と新しい感覚と視点を見直し、教会の 現代化(アジョルナメント)を目指す独自の公会議として位置づけ」(改訂公式訳2013:
3)られている。
第一ヴァチカン公会議の停会から、第二ヴァチカン公会議が開催されるまでの約100 年間、世界情勢はめまぐるしく変化した。第一次世界大戦が勃発し、さらには全体主義 体制や無神論的共産主義体制の台頭と拡張があり、第二次世界大戦後には東西冷戦、南 北問題、大量消費、家族制度の変化などが生じた。カトリック教会内部でも、典礼運動 や、聖書学の発展、教父学の発展、教会一致運動(エキュメニズム)、神学に関する重 要な動きが起こっていた。こうしたカトリック内外の変化と時代に即すため、1959 年 に時の教皇ヨハネ23世が開催の必要性を宣言したのである。(改訂公式訳 2013: 15-18)
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教皇ヨハネ 23 世51は、教皇に選ばれて間もなく第二ヴァチカン公会議を提案・招集 したが、会期の途中で亡くなる。教皇ヨハネ23世亡き後に選出されたローマ教皇パウ ロ6世52が遺志を受け継ぎ、次の4期に分けて第二ヴァチカン公会議が開催された(改 訂公式訳2013: 23)
第1会期:1962年10月11日-12月8日 第2会期:1963年9月29日-12月4日 第3会期:1964年9月14日-11月21日 第4会期:1965年9月14日-12月8日
第二ヴァチカン公会議の主な目標は、「教会の自覚」「教会の刷新」「すべてのキリス ト教徒間の一致の回復」「現代の人々と教会との対話」の 4 点であった。(改訂公式訳 2013: 19)
これらの4 会期を通じて、最高権威の憲章が4つ、教令が9つ、宣言が3 つ採択さ れた。採択順に以下の通りである。
『典礼憲章』 Sacrosanctum
『広報メディアに関する教令』Inter mirifica
『教会憲章』Lumen gentium
『カトリック東方諸教会に関する教令』Orientalium ecclesiarum
『エキュメニズムに関する教令』Unitatis redintegratio
『教会における司教の司牧任務に関する教令』Christus dominus
『修道院生活の刷新・適応に関する教令』Perfectae caritatis
『司祭の養成に関する教令』Optatam totius
『キリスト教的教育に関する宣言』Gravissimum educationis
『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』Nostra aetate
『神の啓示に関する教義憲章』Dei verbum
『信徒使徒職に関する教令』Apostolicam actuositatem
51 本名:アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ。在位1958-1963年。
52 本名:ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ。在位1963-1978年。
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『信教の自由に関する宣言』Dignitatis humanae
『教会の宣教活動に関する教令』Ad gentes
『司祭の役務と生活に関する教令』Presbyterorum ordinis
『現代世界憲章』Guadium et spes
なかでも1965年12月7日の第九公開会議に公布された『信教の自由に関する宣言』
や『現代世界憲章』の二つの文書は、現代社会への適応を示す代表的なものとなってい る。(改訂公式訳 2013: 790)。
また見逃してはならないのが、「無神論」の問題である。和田幹男は『教会憲章』解 説で以下のように書いている。
第二バチカン公会議の指導的教父たちの心の奥にあった根本問題は、無神論だった ことである。それも理論的というより、実践的な無神論で、これが西欧文明をむし ばみ、教会内部からむしばんできたという危機感である。二十世紀になって人類が 体験した大規模で悲惨な、二度にわたる世界大戦も、その主要な舞台は、まさにキ リスト教国ではなかったか。それゆえ、教会が神の中にその起源と使命を確認する のは、緊急事態だった。(改訂公式訳2013: 721-722)
『トード・モード』に出てくる司祭ドン・ガエターノは、こうしたカトリックの刷新 の流れに置かれ、根本問題を体現する人物として描かれている。本章ではこれら第二ヴ ァチカン公会議に代表されるカトリックの現代化に注目して、『トード・モード』の根 幹をなすテーマ「カトリックと現代イタリア社会」を読み解いていく。シャーシャの「社 会派推理小説」の特徴をなす冷戦体制構造は、これらの背景-イタリア人の信仰問題-
なくして生まれえなかったと考えられる。
3.2. 『信教の自由に関する宣言』:国家権力との関係性
『信教の自由に関する宣言』は短い文書である。本宣言では個人の信教の自由と、団 体の信教の自由について書かれており、近代国家誕生以降、微妙な問題であった信仰に
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ついて扱う重要なものである。本稿では団体の信教の自由について取り上げていく。冒 頭は以下のように始まる。
このバチカン教会会議は、人格が信教の自由に対する権利をもっていることを 宣言する。この自由は、すべての人が個人や社会団体およびどのような人間的権 力の強制からも免れていなければならないことにある。(…)この権利の行使は、
公共の秩序が正しく守られているかぎりは妨げられないのである」(改訂公式訳 2013: 468-469)
イタリア王国誕生以来、カトリック教会と国家権力とは緊張関係にあった。『信教の 自由に関する宣言』の重要点は、国家による介入から自由であることが記されている点 である。例えば以下のように、国家権力の存在を認める一方で、宗教団体への介入を牽 制する文言が列挙されている。
「国家権力の法的手段や行政行為によって妨げられない権利で宗教団体に属す るものとしては、次のようなものがある。すなわち、自分たちに固有の奉仕者を 選出し教育し指名し異動させること、世界の他の諸地域に存在する宗教当局や 宗教団体と交流すること、宗教上の建物を建造すること、財産を適切に取得し享 受すること、などである。」(改訂公式訳 2013: 471)
「人間の不可侵の権利を守り推進することは、本質的にすべての国家権力の義 務に属している。それゆえ、国家権力は、正しい法律とその他の適切な手段とに よって効果的にすべての市民の信教の自由を擁護すべきであるし、また宗教生 活の助けとなる有利な諸条件を提供すべきである。」(改訂公式訳 2013: 472)
イタリア王国成立以来、覇権を争ってきた国家権力に対して、繰り返しカトリックの独 立性を認めさせ、また保障を求めている文書である。『トード・モード』でも、修道院 内でカトリックの独立性は保たれ、司祭ドン・ガエターノの前では、有力議員も経営者 もおとなしくしている。
元々この宣言は独自の文書作成は考えられていなかった。公会議の進行とともに、次
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第に姿を現し、第二会期と第三会期の間に多くの意見が寄せられて信教の自由の問題を、
『エキュメニズムに関する教令』とは切り離して独立した文書にしたいとする機運が高 まった。第二ヴァチカン会議を締めくくる第4会期に修正が加えられた原案がみられる ようになり、激しい議論と多くの草案と修正を経て6度目にやっと可決され、パウロ6 世の署名によって交布された。近代における人間の自由に関する意識の高まりとともに、
人権の一つとして、信教の自由が国家によって保障されるべきであるとする考え方が強 調されている。(改訂公式訳 2013: 790)
この宣言の評価としては、次のように言われている。のちのヨハネ・パウロ2世が無 神論的、反宗教的な政権に対して示した行動へとつながっており、東欧共産主義世界を 崩壊に導いた。また教会が近代的政治や社会思想と対話するものであるなど、この宣言 が及ぼした影響ははかりしれないほど重要とみなされている。(改訂公式2013: 793)
『信教の自由に関する宣言』は、国家権力の介入を牽制するとともに、市民社会への 貢献が説かれ、カトリック教会の国家権力との折り合いをつける姿勢を示すものとなっ た。中世以降絶対的な権威であったカトリックが、価値の転換に対応する姿が見られる である。こうした姿勢は当然のことながら、カトリック総本山のお膝元に生きるイタリ ア人のメンタリティーに意識的・無意識的に深く関わっているのである。
3.3. 『司祭の役務と生活に関する教令』:問われる聖職者の在り方
シャーシャは世俗主義に陥った聖職者を度々描いているが、教会離れが進む中で聖職 者の在り方が問われていたと言えよう。長い歴史の中で聖職者は、霊的役割を果たし、
知識人であり、特権階級でもあった。
『修道院文化史事典 普及版』の「まえがき」には出版社から以下のように寄せられ ている。
修道士や修道女は、時代錯誤的な存在とみなされている。しかし同時に修道生 活は、ますます多くの人々を魅了してやまないのである。休日に修道院を訪れた り、修道院で黙想しながら休暇を過ごしたりすることを多くの人々が欲するよう になってきた。修道院という場所が、静寂と精神の集中、日々の立て直し、共同