• 検索結果がありません。

4. シャーシャと南部イタリア

4.2. 南部イタリアの政治家アルド・モーロに関する考察

シャーシャは1978年に『モーロ事件L’Affaire Moro』で、キリスト教民主党党首ア ルド・モーロが誘拐・殺害された事件について書いた。しかし事件の以前からモーロに は非常に高い関心を抱いてきた。モーロが典型的な南部イタリアの政治家であるからだ。

彼の言葉が天才的に「何も意味していない」ことを指摘する。

61

L’onorevole Moro è un uomo politico meridionale: il che è abbastanza, ma vale la pena sottolinearlo, se Pasolini si riferisce a un suo testo come alla carta di Capua della lingua che nasce sull’asse Miano-Torino. E dell’ uomo politico meridionale ha tutte le qualità, e principale quella del non dire. Fino a ieri, il classico modello dell’oratoria politica meridionale poteva considerarsi il discorso che il principe di Francalanza rivolge ai suoi elettori nei Viceré di Federico De Roberto(…) Genialmente, bisogna riconoscerlo, l’onorevole Moro ha inventato un più rigoroso, quasi scientifico non dire. È sua, se non ricordo male, la trovata delle convergenze parallele: che non significano assolutamente niente, né nella logica astratta né in quella delle cose concrete.

E chi l’ha sentito e visto in televisione non può non condividere l’impressione dell’ineffabile non senso che l’onorevole Moro comunica. «Venga Medusa: sì ’l farem di smalto!54».

Se dunque il «sao ko kelle terre55» della nuova lingua è il discorso dell’onorevole Moro, è il caso di dire che stiamo freschi davvero.

L’Ora, 6 febbraio 1965 (Qua 1991: 36-37)

モーロ議員は南部イタリアの政治家である。非常に。モーロの演説がトリノ

-ミラノ軸で生まれの言語によって書かれる『カプアの判決文』のようだ、と 例えパゾリーニが言及しているとしても、強調しておく価値がある。そしてモ ーロ議員は、何も言わないという南部イタリアの政治家の性質を備えている。

ついこの前まで南部イタリアの弁論の古典的模範とみなされていたのは、フェ

54 ダンテ『神曲』(Divina Commedia)第9歌, 52行からの引用である。この歌は理性の敗北か ら始まる。「メドゥーサ」とは「絶望と信仰の否定」を指すアレゴリーである。信仰を持たない ウェルギリウス〈理性〉は、信仰を持たないためになすすべがない。しかし神の恩寵によって 神を信じられるようになると、より正しい道が得られるようになるというものである(原解説 2014: 537-539)

55 『カプアの判決文』(Placito di Capua)960年)からの引用である。ラテン語に対して、意 識的に俗語を用いたとしてイタリア語最古の文献と認められている。モンテ・カッシーノ修道 院長が、約2万ヘクタールの土地をめぐって平信徒と争った裁判の記録である。教会を弁護す る証人の証言が俗語のまま忠実に記録された。«sao ko kelle terre»は、現代イタリア語訳に直 すと«So che quelle terre». (菅田1981: 111-112)

62

デリコ・デ・ロベルトの『副王』に出てくるフランカランザ公が投げかける演 説である。(…)認識する必要があるのは、モーロ議員が、より厳格でほとん ど科学的なことは何も言わない言語を天才的に作り出したことだ。私の記憶違 いでなければ、彼の言語というのは、交わることのない平行線を集合させるよ うなことをやってのける。それらの線は、抽象的な論理性も具体的な論理性 も、全く何も意味していない。彼の演説を聞いたりテレビで見たりした者は、

口では言い表せない印象―モーロ議員が伝える無感情―を共有しないではいら れない。「メドゥーサを来させて。あいつを冷たい石に変えましょうよ!56

したがって新しい言語の「私はその土地を知っている」がモーロ議員の演説 であるならば、我々はひどい目にあっていると言わざるを得ない。

シャーシャが“南部イタリアmeridionale”と書くとき、特別な意味をなす。それはヴ ィタリアーノ・ブランカーティの書いた「アフリカとヨーロッパの交わる場所」に通 じる感覚である。以下1929年7月「シチリアの暦 Lunario Siciliano」にブランカー ティが22歳の頃に寄せた文章である。

“L’Europa, che comincia a nord con fiumi gelati e popoli dal pensiero lucido e senza vertigini, dopo il gran salto delle Alpi, si ingolfa, da questo parte, nel Mediterraneo e finisce lentamente con la Sicilia. L’Europa che finisce: ecco la Sicilia... In inverno, il vento che scende dal nord porta il freddo di Londra, di Leningrado, di Parigi. La gente va con soprabiti che ricordano i figurini dele capitali nordiche. Nell’estate, il vento che sale dal sud porta l’afa equatoriale;

le palme crescono; in qualche orto allignano i datteri; le belle ragazze di campagna acquistano una vaga fisionomia di arabe. Come questi due venti, una corrente alternata di pensiero attraversa la Silicia... E quando il pensiero europeo ha portato quaggiù l’inquietudine degli eterni dubbii e dei grandi interrogativi, la mistica Africa ha disteso la sua mano attraverso il Mediterraneo per abbassare le nostre palpebre e addormentarci piano piano...

56 (原基晶訳 2014: 142)

63

Abituata a queste due formae mentis, l’intelligenza siciliana ha acquistato una facoltà di comprendere che nessun europeo e nessun africano ha mai avuto...

Tutto ciò che si poteva comprendere, qui si è compreso. Non c’è enigma dello spirito, umanamente solvibile, che un umile siciliano non possa sciogliere... Il popolo più intelligente di Europa”.

“ヨーロッパ、それは凍った川と眩暈のない明晰な思考を持つ人々とともに北で 始まり、アルプス山脈の大きな急変ののち、このあたりから地中海に突入し、そ してシチリアとともにゆっくりと終わる。ヨーロッパの終わるところ、これがシ チリアだ。冬に、北から下降してくる風は、ロンドンやレニングラード、パリの 冷気をもたらす。人々は、北の首都の服飾デザインを思わせるような上着を着る。

夏には、南から上がってくる風が赤道の蒸し暑さをもたらす。ヤシが成長し、い くつかの菜園ではナツメヤシが根付き、田舎の美しい娘たちは、どことなくアラ ブの容貌をおびる。この二つの風のように、交替する思考の流れが、シチリアを 通過する…。そしてヨーロッパの概念は、ここへ、無限の疑念や大きな問いとい った不安の種をもたらし、神秘的なアフリカは、地中海を超えてその手を伸ばし、

我々のまぶたを閉じさせ、徐々にうとうとさせる…。この二つの「概念」に慣れ、

シチリアの知識人は、ヨーロッパ人もアフリカ人も今まで手にしたことがない、

理解する能力を手に入れた…。理解することができるものは全て、ここでは理解 した。慎ましいシチリア人が解けない、人間的に解決可能な、精神の謎はない…。

シチリア人は、ヨーロッパで最も知的な民族なのである”。

(OVB 1987: VII)

このヨーロッパの知性とアフリカの神秘が混じる場所という感覚が、シャーシャに とって、siciliano であり、時にはmeridionaleという表現となる。シャーシャはこの 文章を聞ランカーティ全集序言「片目に眠ることDel dormire con un solo occhio」の なかで、印象的に取り上げた。「片目で眠る」が意味するところは、開いた片方の目は ヨーロッパの知性を指し、閉じた目はアフリカの神秘である。閉じた目では理性が眠 っているのだ。イタリアにはシロッコと呼ばれるサハラ砂漠からの熱風が届く。

meridionaleは理性の眠りを表現する。しかし眠っているように見えても、片目を開

き注意深く周囲の様子を見ているのだ。国家官僚の4分の3を占めるところの南部イ

64

タリアの政治家たちは、こうした感覚を備えているとシャーシャは考えていた。

小結

以上、シャーシャ作品理解となる南部イタリアについて、アントニオ・グラムシの分 析と、南部イタリアの政治家アルド・モーロに関する考察を見てきた。南部イタリアの 知識人-とりわけ聖職者-は、グラムシが示した姿で、シャーシャ作品にも登場する。

グラムシの分析は時代を下って、そのままシャーシャの生きた時代にも変わらなかった。

特に南部イタリアの聖職者は利益を享受する特権階級であり、祭服によって居心地のよ い状態に置かれているのだ。

シャーシャが“南部イタリアmeridionale”と書くときに意味するところは、ヴィタ リアーノ・ブランカーティの書いた「ヨーロッパの知性とアフリカの神秘が混じる場所」

に通じる感覚である。明晰なヨーロッパの知性が目を見開いた状態であるならば、地中 海の風にのって運ばれるアフリカの神秘は理性の眠りを意味する。シャーシャは、言葉 を発しながらも天才的に何も意味していない言語を作り出したモーロを、こうした「片 目で眠る」感覚を持っていた南部イタリアの政治家であるという認識を持っていた。

65